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天田勝正君 そこで、これは
一つだけれ
ども、時間も参りますが、これは現に
日本不動産
銀行の経理部、特別管理部というところから返事が来ておるのだから、間違いがない。あなたが調べてもすぐわかります。だから、かりにあなたがさっきからおっしゃる、われわれもそうきめた、
国会もそうきめたんでというこの議論は、こういう事例からしても、どう
考えても当たらないのですよ。定期預金などというものは
貨幣価値が下がったときにひょいと入れたのじゃない。ちっとも
貨幣価値が下がらないときに入れたのだ。そうすれば、十三年当時の十万円を、今十万円もらったって大損なんだ。そこへ持ってきてその百分の一などということになったら、これはもうもらわない方がいいということになっちゃう。それで完済をしたなどということを言われたのでは、泣くにも泣き切れないというのはこのことなんだ。ですから、ここで別にあなた方だけを責めるのじゃない。
国会がきめたとなれば、われわれもそういう手ぬかりについては
考え直さなければならないということを冒頭から言っているのはそのことなんです。それで、保険のことについてだって、現に受け取りを持っている人があるかと言われれば、その受け取りを私はいつでも提示できます。証拠をいつでもそういうふうに持っています。この場合だって、
銀行の言い分は今になって、あそこに連銀券がもう出ていた。従って、連銀券で納めたはずだ。連銀券だから百分の一だ、こういう理屈なんですね。連銀券しか通用しないということで……。これは
日本銀行で調べた。
日本銀行で調べればほんとうに出てくるのだから、間違いはないです。これは
朝鮮銀行券が
中国で通用しないどころのさたじゃないのです。これは
昭和十六年の三月ですよ、三月の
日本銀行にたまたまこういう数字があって、十六年三月になって、連銀券がとっくに通用しているときです、通用しているときだって連銀券だけが通用していたのじゃない。三千五百十八万七千円という
日本銀行券が
中国でも通用しておる。連銀券が四千九百四十二万七千円台、銀券はさすがにありませんが、正金券が十六万四千円、同じく外貨が六十二万ドル、そうして軍票が四百七十三万二千円、合計するというと八千九百五十五万五千円、これに外貨六十二万ドルというものが連銀券のほかに流通されておったのです。これも私はしいて言うのじゃない。
日本銀行で調べたのです。それが十三年に納めたのを、今になってそれは連銀券でございますなどと……。
換算率なんて……。うっかりすると、そういうふうにして不当な利得を得るのです、
銀行は。で、泣き寝入りをせざるを得ない。そうやって、証拠がない。その証拠はどこにある。証拠は
政府の
職員の怠慢で持って来ないのですよ。供託してあるのだから……。そういう
責任を一体だれが負いますか。
預金者や何かには、証拠がなければとか受け取りがなければとか、たまたまこの場合はずっとほじっていったからわかったのです。これも証拠がない。ないままにわかった。だけれ
ども、証拠を出せ。それじゃ
政府の方の
責任は、証拠がないときは知らぬ顔なんです。だれの
責任もない。それではいかにも片手落ちじゃないかと言うのです。つい、僕はしゃくにさわるからあなた方をしかったような
言葉になるかもしれませんけれ
ども、そういう意味じゃない。
国民とすれば憤慨せざるを得ない。
さっき言うように、在外外交官なんか生命は保障されておる。せめて受け取りの写しぐらい取れないはずがない。はずがないのに、それを置きっぱなしにしてきて、そういうときには何の証拠もないからどうしても、かりに百分の一だって渡すことはできぬ。渡せないんでしょう。百分の一になるべからざるものであっても、そんなところは
日本銀行券だって
朝鮮銀行券だって通用したのじゃない、連銀券だけが通用しておった、こう言いくるめられて皆泣いておるのです。この場合をいいますと、名前もわかっているのですが、当時の
在外公館の人にちゃんと聞いてもらえばわかるのです。これはなぜ供託したか。なぜ供託したかといいますと、畜産商が結局
中国人に迷惑をかけた。牛を
日本に持ってくると買いたたかれる。しわ寄せば
中国人。気の毒をしたものです。それで治外法権ですから、
中国人が自分の
政府に訴えるのじゃなくして、そういう場合には
日本の領事館に訴えるほかしょうがない。裁判官は領事ですから、そこで訴えられる領事もやり切れなくなったから、お前ら団体を作って、そうして代表がいつでも支払えるように供託をしろ、そうすればこっちで処置してやる。それで大ぜいの者の代表としてこれは供託した金です。証拠を出せなんと言われたって、それは
政府の方にあるというよりほかないのです。こういう事例もあるのです。外務省の場合は聞きおいてくれればいいのですよ。これが実情なんです、在留同胞の。こういうところでは言いにくいことですが、
中国人いじめのその肩がわりのそれは供託金だったのです。どっちかというと、国は大いに何やら報償金でもやらなければならない
立場なんです。それがたまたま鮮銀券も
日本銀行券も正金券も、また連銀券もともに通用していた。そういう時期であったのをいいことにして、連銀券しかまかり
通りません、だから、ほかの
通貨で供託したというのはうそでございます、よって百分の一でございますと、こう来るのです。こういう事実のあることも
一つ考えられて、これは
あとで、あなたの方で扱いますね、
あとでお見せしますから、
一つ処置してもらいたい。
これは、私は十三年の連銀券を発行する以前だというのは、じゃ、その利息は幾らだと聞いて、さっき言った
通り契約が一年だから、一年については三分六厘、それ以後は七厘というから、それを逆算したわけだ、
向こうの金を。そうしたらば、その十三年の三月という時点にさかのぼる。そうなれば連銀券などは通用していないというふうに私は計算したわけであって、こういう例がほんとうにまじめな
国民の方はこういう目に会う、よろしくやった方は早いところ送金している、こういう事実なんですから、
一つこれらもさらに
大臣がお
考えになる
資料にしてもらいたいと思います。以上で終わります。