○
参考人(
梅原昭君) この
特別措置法の問題が、
公共用地の
取得というところから出発をしているわけでありますから、実際に
公共用地を
取得するにあたって、何が一番問題になっているかというその問題について、具体的な
実例に即しながら私の
意見を申し上げてみたいと思います。
第一番目の問題として
事業計画の問題であります。今度の
特別措置法におきましても、その基本を流れる考え方になっておりますのは、
補償の
方法が正当に行なわれるならば、損失を与えることはあり得ないのだ、ということが前提になっているようであります。つまり金銭
補償だけでは問題があるかもしらぬけれども、その他の
方法も加えて
補償の
方法が適切に行なわれるならば、収用される者に対して損失を与えるということはあり得ないのだという考え方を前提にして、いろいろ方策を考えているようでありますけれども、幾つかの具体的な例を見て参りますと、
補償の
方法を幾ら考えてみたところでどうにもならない。それによってはいわゆる正当な
補償と申しますか、収用される以前と収用された後も同じ、あるいはそれ以上の生活水準を保つという法の精神が守られない、そういうふうな場合もあり得るのだということを申し上げてみたいと思います。
一つの例といたしまして、大阪の北部の丘陵地帯を開発いたしまして、現在ニュー・タウン計画ということで、一大住宅都市を作り上げるという計画を大阪府が立てております。これは約三百数十万坪の膨大な山林や農地を大阪府が買収をいたしまして、そこに数万戸の住宅を建てようという計画を立てているわけでありますが、その三百数十万坪の
土地の中で、山林であるとか原野であるとか、あるいは農地の中でも収穫の悪い農地であるとか、そういうものを合わせまして約八割
程度の
土地は買収がついたわけであります。ところが残りの二割、つまり優秀な生産性の高い果樹地帯でありますけれども、そういうところの農民は、これを手離したらわしらの生活は上がったりだ、ということで
反対をしております。
補償金を上げてくれとか、あるいは就職をあっせんさしてくれとかいうことではなしに、
反対だという運動を今やっております。
それで、なぜそれでは
補償金を
要求したり、あるいは就職なりあるいはかえ地なりというものを
要求しないのかということでありますが、大阪のあたりでは比較的労働市場もあるわけでありまして、就職その他仕事の転換がほかのところに比べますとやりやすいわけでありますが、それでも実際問題としては、自分の持っている農地の全部あるいはほとんど全部を奪われた場合に、ほかの職業には実際問題としては転換できない。この
補償の問題については後ほどまた申し上げるつもりでおりますが、
土地の一部を取られる、買収されるということであれば何とか金をもらう、あるいはほかの
方法で措置が講ぜられるわけでありますが、
土地の全部あるいはほとんど全部が取られるというようなことになりますと、大阪のようなところでさえもそれは簡単に転換はできるものではないということを、
現実に知っているからであります。知っているということは、今まで
土地を売った人たちの模様を見ておりまして、その人たちのもらった
金額が二、三年の間にほとんど全部なくなっておる。あるいは就職をあっせんしてもらったところも、あっせんしてもらった先が臨時工であったというふうな例ばかりを見ているために、今申し上げたような
反対だという方向に変わってきておるわけであります。でありますから、山の中に行きますとその事情はさらに一そう激しくなるわけでありまして、私の知っている例を申し上げますと、滋賀県の山の中で、これは農林省が国営
事業としてやっている愛知川
ダムという灌漑用の
ダムがございます。この場合には三つの部落の百数十戸の農民が十年来
——昭和二十五、六年ごろから
反対運動をやっております。で、ここの場合に
反対をしております理由は、人家が水没される、それでわしらは祖先伝来、山の中で暮らし山の木を相手にし、またたんぼを相手にして暮らしをしてきた。これを幾ら金をもらったところで町の中に出ていって生活ができるはずがない。現にそこの三つの部落の中にも若干
土地を売った者がいるわけでありますが、その
土地を売った者は戦争中その山の中に疎開をしてきた者であるとか、あるいは最近、山林労働者としてその中に住み込んできた者であるとか、いわゆるそういう何といいますか、しりの軽い人たちが
土地を売っただけでありまして、そのほかの、祖先伝来
土地を持っておる者というものは、一致結束をして
反対運動をやっておるという状況であります。そこでそのいわゆるしりの軽い人たちが
土地を売った、あるいは家を売った金をもらって、その結果はどうなっておるかといいますと、やはり二、三年たたないうちに町に出まして、金に窮したためでしょうか、どろぼうをやって刑務所入りをしているという者がすでに二、三出ているわけであります。こういう
土地を手放した結果が刑務所入りだということを、やはりその山の中の人たちはその耳で聞いて知っておるわけでありますから、やはり
土地を手放したら幾ら金をもらったところでどうにもならぬぞという気持をますます深めているわけであります。そこで農林省の方としましても、開拓地を造成するからそこへ村ごと移って住まないかというふうな案を出しておりますけれども、開拓地といいましても、戦争中あるいは戦争直後の開拓事情が如実に示しておりますように、開拓民がどんなに苦労するものかということをやはり知っておりますので、この問題も進んでいないわけであります。
こういうふうに見て参りますと、千里山のニュー・タウンの場合におきましても、あるいは滋賀県の愛知川
ダムの場合におきましても、農地なり、主として農地が中心になるわけですが、そういうものの全部、あるいはほとんど全部が取られる、あるいは場合によりますと家まで引っ越さなくちゃならぬ、それを機会として職業の転換をはからなければならぬという場合には、金をもらう、何をもらうということでは、今までと同じような生活水準を保つことが、実際問題として、特に今の社会情勢下におきましては非常にむずかしいのだ、そういう場合があり得るのだということを申し上げたいわけであります。
それではそういう場合にどうすればいいのかといいますと、先ほど申し上げました千里山のニュー・タウンの場合には、さっきも言いましたように、約八割近くまでが
土地が買収済みなんでありますけれども、住宅を作るわけですから、無理に
反対を押し切ってまで全部買収しなくても、その八割
程度のところで仕事ができぬわけではないのでありますけれども、お役所というところは面子にとらわれるせいでありますか、どうしても全部を買収したいということで、そのために問題が起きておるわけであります。また愛知川
ダムの場合でありましても、農民の方は単に絶対
反対だと言っているわけではなくて、場所をもう少し上流の方へ持っていってくれ、そうすると人家も水没しないで済む、ところがもちろん工事費は若干高くつくとか、あるいは少々不便であるとかそういう問題は起こるだろうけれども、しかしわしらのことを全く無視してやるというならともかく、わしらの利益もあわせて考えてくれるというならば、多少は不便になっても、それによって効果が全くないというのではありませんから、若干経済効率は落ちても別なところで、できるならばそちらでやってもらえないかということを主張しているわけでありますが、なかなか農林省との間の話がまとまらぬわけであります。
そこでこの問題について私の申し上げたいのは、場合によっては
補償の
方法を幾ら考えてみてもどうにもならぬ場合が、場合によってはあるのだから、そういう場合に、もしも
事業計画を変更することによって、多少は経済的な効率が落ちましても、それによって当初の目的がほぼ達成されるというふうな場合には、
最初の
事業計画を固執すべきではないのだ、それを固執すると、
土地収用法でいうところのいわゆる
公共の利益と私有
財産との間の調整をはかるのではなくて、かつてのような単純なる公益第一主義に陥ってしまう、そういうことを申し上げたいわけであります。
第二の問題は
補償の問題であります。この
特別措置法でも、
補償の
方法を単に金銭
補償だけでなくて、それ以外の
補償をあわせて考える必要があるということをだいぶ強調しているようでありまして、それがこの
特別措置法の
一つの特徴であろうかとも思いますが、その辺が実際問題としてどういうふうになっていくだろうかということを考えてみたいと思います。今の
収用法におきましても御承知のようにかえ地を与えるとか、あるいは耕地、宅地を造成するというふうなことをすることができる、というふうなことが
規定をされておるわけでありますが、実際問題としてはそういうふうにかえ地を与える、あるいは耕地、宅地を造成するというふうなことはほとんど実行されておりません。なぜ実行されないかといいますと、
事業が小さなときはまだそうでもないのでありますが、大規模な
事業になりますと、一人の者にかえ地を与えてほかの者にかえ地を与えぬという一わけにはいかぬのではないか、というふうな
起業者側の考えもありまして、実際問題としては、今申し上げたような金銭以外の
補償がされるということはほとんどありません。それで大規模な
事業がされます場合には、大てい
起業者となる者の社会的な地位が高いのでありますから、たとえば就職の問題にしましてもその他の問題にしましても、努力をすればできないことはないという場合が多いのでありますが、しかし実際問題としては、金銭以外の
補償というのを極度にきらいまして、どういうふうな場合に
補償が行なわれるかといいますと、長い間、しかも相当根強い
反対運動が行なわれまして、どうにもこうにもかえ地をやらないことにはおさまりがつかぬ、あるいは就職をあっせんしてやらないことにはおさまりがつかぬ、そういうふうな場合に限ってだけ金銭以外の
補償が行なわれるというのが実際の姿であります。それで先ほど申し上げました千里山ニュー・タウンの場合におきましても、
最初は金で
補償をもらった人がおります。しかし金で
補償をもらったんではどうにもならぬということで、その次の時期になりますと、就職をあっせんしてくれということを地元の農民が申し出ております。就職をあっせんしてくれということを言われて、その結果大阪府は就職のあっせんを始めました。しかし就職をあっせんしてくれたその先がどんなところであったかといいますと、三十を越して女房子供もかかえておるといういい若い者の行った先が、何と一カ月の月収が残業を含めて一万二、三千円であります。女房子供をかかえて残業まで含めて一万二、三千円の収入しかないわけであります。それが例外ではなしにほとんど全部がそういうような就職しかさせてもらえなかったわけであります。ニュー・タウンの問題に限らず大規模な工場誘致等があります場合に、最近では農民は単に金を上げろということは言いませんで、自分の息子の就職をあっせんしてくれということを真剣に申します。しかし、そうして就職をあっせんしてもらった先は、今申し上げましたような臨時工であるとかあるいは雑役夫であるとか、ほとんど全部がそういうものでありまして、収入も今申し上げたような
程度のものしか出されておらないのであります。
こういうようなことをだんだん見て参りますと、今の
収用法で
規定されておる替地の問題にしても実現されておらない。ということになりますと、
収用法の
規定があっても、その精神が実行されないということになりますと、単に
言葉の表現を変えただけで、今の
現実がはたして解決をされるのかという問題が出て参るわけであります。特に今のような社会情勢で、御承知のように農業基本法におきましても、離農の促進については非常に熱心でありますけれども、離農をする農民ははたしてどこへ行くのかという問題については、適切な措置は何もとられていないというのが、農業基本法についての
一つの批判になっているわけであります。そのような重大な社会情勢を背景にした離農問題というのを、との
特別措置法の何々することができる、あるいは何々努力しなければならないというような
規定で、今申し上げたような問題がはたして解決つくのであろうかという点を、しみじみと感ぜざるを得ないわけであります。
もう
一つ、
補償の中の金銭
補償の問題について一、二
意見を申し上げたいと思います。先ほどからちょっと話も出ておりますが、いわゆるごね得というふうなことが言われるわけでありますが、いろいろ具体的な事実を見て参りますと、
補償金問題でどういうふうな点が問題になるのかといいますと、たとえば、これは一々
実例があるわけでありますが、登記面積と実面積との間で開きが非常に多い。これは山の中の場合なんか非常に多いわけでありますが、そういう場合に実面積で買収をしないで、登記面積で買収しようとするというふうなところから問題が出て参ることがあります。
それから小作地の場合にはその
地方の習慣としまして、地主小作の間で
土地がつぶれる場合には、どういうふうに分けるという取り分比率というのがほぼきまっておりますのに、その習慣を守らないで地主の方にだけ金を渡してしまう。それが小作人との問題は地主の責任において解決しろ、こういうふうなやり方が非常に多いわけでありまして、そのために地主は
土地を売ったけれども、小作人はその
土地でがんばるというような場合が出てくるわけであります。
それと
土地の評価にいたしましても、評価の
方法はいろいろあるわけでありますが、少なくともその
地方の農民にとって、どうやってこういう評価額が出てきたのか、理解に苦しむような評価をする。周辺の
土地の売買
実例等を基礎にするというふうなことでなしに、何か理解のつかぬ評価
方法ではかってくるというところにも
一つの問題が出て参ります。
またいろいろな事情によりまして、用地の買収が長引きます場合に、長引いておる間にだんだん
土地の値段が上がって参ります。そうすると
起業者の側といたしましては、前に売ってくれたものとの
バランスをはからなければならないというふうな理由がありまして、そのために依然として前の安いときの
土地価格を固執する。そのために
土地を売るのがおくれた者は、なおさら売れなくなってくるというふうな問題で、この辺の問題は
収用法でそのときの時価だと、
裁決の時価だということがはっきりしておるわけでありますが、
収用委員会に持ち込まれる以前の問題でそういうことが解決されないために、以前の安い
土地価格を
起業者が固執するために紛争が起きるという、今申し上げたようなそういうような場合が非常に多いのでありまして、よく農民がごねるためになかなか
土地の
取得ができないんだということもいわれておりますが、実際問題としては、今私が申し上げたような
起業者側の無理解と申しますか、そういうようなことによって、そのために用地買収が長引くということの例の方がはるかに多いわけであります。
いろいろ
補償の問題なり、あるいは
事業計画の問題について述べましたけれども、
結論的に申し上げたいことは、
公共用地の
取得難ということは、もちろんいろいろ原因はあるだろうけれども、結局のところ
起業者側の第一義的な責任としては、
起業者側において
収用法の
法律の明文は破らないけれども、少なくとも
収用法の精神を破ったような取り扱いをするという、そういう場合が非常に多い。そのために
公共用地取得難という問題が実際問題としては発生してくるのでありますから、
収用法の精神を守らせるということが第一義的な問題でありまして、そういう問題を解決しないでおいて、
補償問題を単に表現の、
言葉のあやによって、いかにも
補償問題が今までよりも前進するような形を見せ、そうして正身のところは収用の
手続を簡略化するというようなところに重点を置くような、そのような
方法ではほんとうの解決
方法にはならないということを申し上げたいわけであります。