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1961-06-01 第38回国会 参議院 決算委員会虎の門公園地に関する小委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十六年六月一日(木曜日)    午後一時四十九分開会    ——————————  出席者は左の通り。    委員長     木内 四郎君    委 員            仲原 善一君            相澤 重明君            山田 節男君            奥 むめお君   政府委員    法務省訟務局長 濱本 一夫君   説明員    大蔵省管財局国    有財産第二課長 細川 俊三君   参考人    ニューエンパイ    ヤモーター株式    会社代表取締役    社長      吉岡 照義君    弁護士     飯沢 重一君    ——————————   本日の会議に付した案件 ○虎の門公園地に関する件    ——————————
  2. 木内四郎

    委員長木内四郎君) これより決算委員会虎門公園地に関する小委員会を開会いたします。  過日の小委員会におきまして、ニューエンパイヤモーター株式会社責任者参考人として御出席を願うことといたしまして、本日は吉岡社長出席を求めておるのでございますが、なお、吉岡社長答弁を補足することもあると思われますので、吉岡参考人に随行して参りました弁護士飯沢重一君を当小委員会参考人として追加するよう決算委員長に申し入れることにいたしたいと思いますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 木内四郎

    委員長木内四郎君) 異議ないと認め、さよう取り計らいます。  参考人方々にごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中のところ、当小委員会のため御出席をお願いいたしまして、まことにありがとうございました。虎の門公園地の問題につきましては、過日の当委員会におきまして、関係政府当局から経過説明を聴取いたし、さらに質疑を行なったのでありますが、会社側よりも説明を聴取することを必要と認めまして、本日御出席をお願いした次第でありますので、これからの委員質問に対しましては、この点を御了承の上、御答弁をお願いいたしたいと思います。  それではまず会社側の方から、一応会社立場あるいは経過等に関しまして簡単に御説明を願って、それから委員から質疑をお願いすることにいたします。
  4. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) 私、本日参考人としてお呼び出しにあずかりましたニューエンパイヤモーター株式会社社長吉岡照義であります。こちらに一緒出席いたしましたのは、当社代理人飯沢重一弁護士であります。あわせまして本日の御質問にお答え申し上げたいと存じます。  虎の門の公園地に関しましては、すでに御承知のことと存じますが、国から当社相手としまして民事訴訟が先般まで係属いたしまして、過去まる八年間というものをこの訴訟に費やしましたのでありますが、当社としましては、できるだけすべての参考資料を御提供申し上げまして、これに関する当社仕事並びに土地の賃貸に関係いたします証拠書類等を全部法廷に提出いたしまして、大方の御理解を願ったのでありますが、当社としましては、それに関連いたしまして、御承知通り、あすこを民事訴訟の提起がありますと同時に、建物に対しまして、現況よりも一歩も出ないような状態になりましたものですから、事業上何か改造、その他仕事に関連いたしましてふやしたいと思いましても、一指も手をつけられないような状態でございまして、あれを建てました当時のままで現在まで参っておるわけなんでございます。  これは御承知通りに、だんだんといろいろ状況が変わりまして、自動車需要等に対しましても、開設当時と変わっておりますが、当時はいわゆる外国商社並びに軍人、軍属等に対しまする車のみを提供しておりましたものですが、だんだん国際情勢が変りまして、いわゆる観光用に提供する自動車輸入等政府がお許しになりまして、それらも関連してやっておりましたもので、従って事業の幅というものはだんだんとふえて参りましたのであります。しかしながら当時のままの建物で、現在まで経営当事者といたしましては隠忍自重して実は参っておる次第でありまして、それから法廷におきましては、ただいま申し上げましたように八年間というものは全く証拠書類を提供いたしまして、前後同じようなことを繰り返しておりましたが、昨年の末でありましたか、ほとんど出るものが出尽くしたというような観がございまして、法廷におきましても、何とかこれを終結に至らなくちゃならないような御状況と私ども思いますので、現在の裁判長から、たしか国の方に先にお話があったように存じますが、被告と和解をしてはというような御希望があったのでございます。当社といたしましては、せっかくお貸し渡し願った土地を有効に使いたいと思っております。また、なお現在の仕事といたしましても、ただいま申し上げたように、ますますふえて参りますので、どうか一つ一日も早くこれを解決いたしまして、明るい姿におきまして、正式の国からの御貸与なり払い下げなりをちょうだいいたしまして、名実ともにはっきりした仕事に相なりたいと、こう考えております。  顧みますと、たしか九年前と思いますが、議会に証人といたしまして、大へんおしかりを受けたような時期があったのでありますが、八年間というものは全く隠忍自重して参りましたものですが、この委員会のお席にも当時の方がいらっしゃるようにお見受けしたのであります。どうかこの当社の意のあるところをおくみ取りを願いまして、何分の御配慮を願いたいと思います。なお、法律的のことに関しましては、今こちらに飯沢代理人がおりますので、詳細御質問に答えたいと思っております。簡単でありますが、ちょっと申し上げておきます。
  5. 木内四郎

    委員長木内四郎君) それでは御質疑のおありの方は……。
  6. 相澤重明

    相澤重明君 参考人にお尋ねしたいと思うのですが、今のあなたのお話を聞いておると、国から訴訟を受けてからは、当時の建物そのまま、こういうお話で、非常に会社経営上困惑をしておる御説明だと思うのであります。そこで、当時、——終戦後でありますが、あなたがお借りをする動機ですね、これについて、実はいろいろお話を聞いてはおるのですが、当委員会としても、やはりできるだけ早い機会に解決をしていかなければならぬだろうと、こういう考えを持っておりますので、率直に一つ、あなたが当時契約をされる相手はどなたであったのか、どういう形で契約をされたのか、一つお答えをいただきたいと思う。
  7. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) ただいまの御質問にお答え申し上げたいと思いますが、当時の状況といたしましては、外国から日本の復興のために入って参りました外国商社並びに進駐軍軍属等に手当をいたします自動車が、日本の内地で引き渡しをする施設がほしいということでありましたのですが、当時はPXでやっておりましたのですが、それを民間の手、専門家の手によりましてそれを施設したいということがGHQに当時ありましたのですが、私ども幸い戦前から外国自動車輸入修理等関係しておりました関係で、まず指名をいただいたのですが、当時ああいうこんとんとしておりますときでございますから、最初の話はGHQ経済科学局からありましたのですが、土地を選択いたしますのに、なかなかそう得られませんでした。いわゆるGHQが希望するような土地を簡単に得られませんでした。たまたま、先方からの示唆がありまして、これは今から考えますというと、大へん大それた考えでございますけれども、日比谷公園一角でありますとか、大手町の一角であるとか、虎の門の一角であるとかいうことを実は示唆がありましたものですから、そこで飛んで参りましたのは、実は東京都へ飛んで参りまして、こういうような計画GHQにあるのですが、東京都でそれらの土地に適当する土地がないものかということを実は伺ったわけであります。いろいろ詮議の結果、虎の門の小公園はほとんど今廃墟同様だ。あそこならば場合によってはそれができるかもわからない、こういうような話が当初ございまして、GHQと話しましたが、あそこなら大へん便利だと、われわれの考えていることと一致するのだからということから、私どもも積極的になりまして、東京都と折衝しました結果が今日になりましたような状態でございます。
  8. 相澤重明

    相澤重明君 大へんこまかいようだけど、別に追及するというのじゃないので、問題解決のため話をしていきたいと思いますので、少しなお一つお答えいただきたいのですが、当時GHQ経済科学局のサゼッションがあったというお話があったのですが、そこで担当官の方はこれは二世の方ですか、それとも……。
  9. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) ドクター・ケニーと、こういっておりました。これはりっぱな方でございました。経済科学局OSSセクションOSSというのはオーバーシーズのセクションという意味で、外国から入って参ります人たちのホテルですとか、食糧ですとか、それから足というようなものをサービスと申しますか、施設、それを扱っている、ドクター・ケニーといっております。
  10. 相澤重明

    相澤重明君 それから、東京都の相手知事さんでしたか、それとも経済局長でしたか。
  11. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) 当初は建設局長でございました。建設局長緑地課長、それに参加をされましたのは副知事が参加されまして、財務課長ももちろんです。
  12. 相澤重明

    相澤重明君 それから、当時、東京都の副知事あるいは関係局長課長等ですね、当時の。そういうところでは、GHQのケニー氏から、あなた一緒おいでになってお話し、陳情をされたのか、あるいは別々にあなたの方からお話しになったのですか。
  13. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) 土地の物色は当然私の方でいたしまして、最後にその土地を見てもらい、またそれを、土地を基礎にいたしまして事業計画をいたしたときには、関係方々が全部一堂に集まりまして、そして取りまとめました。
  14. 相澤重明

    相澤重明君 次に、関係者が、東京都の関係者とあなたの会社のいわゆる代表、あるいは弁護士さんもおいでだったかもしれませんが、そこで東京都と契約をしたのはいつなんですか。
  15. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) 昭和二十三年五月二十日でございます、正式に契約いたしましたのは。
  16. 相澤重明

    相澤重明君 私の方の、虎の門公園敷地関係の概要、これを見ると、東京都知事に対して昭和二十三年二月、申請をしたというのですね。「連合国人に対するフォード自動車及び部分品販売及びサービス施設を設けるため、」申請をして、東京都知事は、「五月二十五日使用面積千百三十六坪、使用期間昭和三十二年十二月三十一日まで、使用料一ケ月金千七百四円、」、そして、「公園美観を充分保持すること、」、こういうふうになっておるのですが、この通りですか。
  17. 飯沢重一

    参考人飯沢重一君) 私が担当でございまするので、私からお答え申し上げます。今相澤委員さんからおっしゃった通りでございまして、その通り間違いございません。
  18. 相澤重明

    相澤重明君 そうしますと、使用がきめられたのは五月二十五日、二十五日にいわゆる契約ができた。しかしそのときの状況はまだ「当時本件土地は、なお、連合軍接収されていた」、こういうことになっておるので、実際にあなたの方は東京都と契約をするように申請して話はついたのだけれども連合軍接収しておったから使えなかった、こういうことですか。
  19. 飯沢重一

    参考人飯沢重一君) お答えいたします。先ほど委員から御質問通りに、二十三年二月に使用方申請をいたしまして、五月二十五日に都知事から使用認可がありまして、それ以前に建築許可申請をいたします必要上、使用許可承諾書というものを必要といたしますので、東京都の方にお話しをいたしましたところが、五月二十日付で建設局長名をもって使用許諾書が出たわけであります。それを添えまして、東京都庁を経由いたしまして、当時は建設院でありました。建設院の方にかけて、GHQの方から示されております、あの虎の門の現在のニューエンパイヤ建物規格の、建築許可申請と、それに要する物資の配給方申請をいたしたわけであります。その許可が参りまして、いよいよ建築工事にかかるという状態に立ち至ったときに、初めてそれは進駐軍接収中の土地であって、任意にこれを使用することができないという状態がわかったのでございます。その後にその使用を促進するために、接収解除方関係官庁方面にお願いをいたしまして申請をした、こういうことになるわけでございます。
  20. 相澤重明

    相澤重明君 そこで今の参考人お話のように、連合軍接収をしておるから、解除をしなければ実際の仕事はできない、こういうことで、東京都が連合軍接収解除申請をした。それが昭和二十三年十二月ということになっておるわけです。そのときには公園敷地面積千百七坪八合五勺のうち、六百五十坪の解除を受けた、こうなっておるのですが、あなたの方の申請をしたのは千百三十六坪ということなのですが、これはどちらがほんとうでしょうか。
  21. 飯沢重一

    参考人飯沢重一君) 当初ニューエンパイヤの方から申請いたしましたのは、あの公園地の全面積の千百三十六坪であることは相違ございません。その後これは訴訟になって、あとからいろいろ経過がわかりましたので、さらに後刻御質問がありますれば、その経過も御説明申し上げますが、その解除方申請をいたしております間に、建設省の方あたりから、公園地の保持に関するいろいろな御意見裏側から——裏側からと申します意味は、私どもにわからない間に出てきたようでありまして、いろいろとそれに対して都の方に制約の御意向があったようであります。従いまして、その御意見にも基づきまして、先ほど申し上げました昭和二十三年の五月二十五日付の東京都知事からの使用許可昭和二十四年の二月一日付に取り消されまして、新たなる使用——前と少し条件の違いました使用許可条件が出てきたのでございます。その改められた使用許可条件は千百三十六坪でなくて、六百五十坪であるということに相なっておるのでございます。千百三十六坪と六百五十坪の間の相違部分は、現在の虎の門を通過しております道路に面する部分が、将来何か都市計画関係上、あるいは道路敷地として収用されることがあるというような理由を申されまして、その部分は賃貸しする対象になりにくい、こういうようなお話から、その使用面積の千百三十六坪というものを六百五十坪に一応縮減されたというふうに聞いておったわけであります。
  22. 相澤重明

    相澤重明君 そこで、今の参考人お話でわかりましたが、六百五十坪を使用期間昭和二十八年一月三十一日までと、ただし更新しないと、こうしているのです。それで最初昭和二十三年の五月に許可をされたときには、使用料は一カ月千七百四円、しかも千百三十六坪、しかし、それが変更になって、一たん取り消して、今度認可したときには、六百五十坪で使用料は一カ月三千三百十五円、そしてまあ建築については仮設工事による木造二階建てとする。使用期間満了の際、すなわち昭和二十八年の一月三十一日になったならば、その一カ月前に東京都の指定する方法で会社の費用で使用地を原形に復すると、こういうふうになっておるというのですが、そういう契約をされたのですか。
  23. 飯沢重一

    参考人飯沢重一君) お答え申します。契約を示された内容としてはその通りでございます。ただ、これにつけ加えて私の方から申し上げたいのは、昭和二十三年五月二十五日付でなされた契約は、本契約が結ばれる以前に、東京都におきましては、都議会の審議に付しまして、都議会の議決を経由してなされた契約でございます。そうしてその契約内容になりますいわゆる使用期限の問題、それから建設される建物規格の問題、そういう問題は、当時契約条件に明示されておったものでありまして、先ほど私が申し上げましたように、これは東京都庁並びに建設院許可を得て、規格を定められた建物でございます。しかも、これは当時GHQから示された建築規格でありました。従って、いわゆるOAS業務関係しております日本政府——貿易庁特別調達庁商工省、そういった関係官庁担当官もみな御承知になっておったものでございました。つまり建物の種類から申しますと、いわゆる法律上永久構造に属する建物でございまして、当然短期使用によってこれを取りこわしたりするものではなかったのでございます。使用目的自体も、先ほど申しますように、いわゆる駐留外人使用する車の販売並びにサービスということでございましたから、当時占領地行政がはたしてどこまで続くかということは、当時予見し得なかった客観的事情にありますので、いわゆる賃貸借の期間というものも、当然そういった外部の事情によって制約されるものでありまして、四年間を限ってこれを打ち切るとか、あるいは更新するとか、あるいは更新しないとかいうことは、当然考えられなかった客観的事情にあったわけでございます。それと同時に、第一次の二十三年五月の契約前には、東京都の方から御要求がございました契約の対償として、当時の金額から申しますと非常に多額な金額になるわけでございますが、いわゆる五百万円を、私どもの方から申しますと、契約の一種の権利金という性質のような金をお納めいたした契約であったのでございまして、その契約性質から申しますと、いわゆる長期の契約である。法律的に申しますと、そういう性質契約であったわけであります。それが昭和二十四年に更改されたと称する契約内容を見ますると、短期の、何と申しますか、あるいは行政処分的な使用期間である、あるいはさらに一時使用契約であるかのごとき契約条件としては様相を呈しておりますけれども、その契約内容をなします建物であるとか、あるいは今の権利金であるとかといったような問題は毫も更改されておらないのでございます。つまり五百万円をそのまま出したままでございますし、建物規格も、契約内容には、廃材を使って、取りこわしやすいということを契約条件に書かれておりますけれども、その以前に、先ほど申しました申請をいたしました建築規格申請は、前のままのいわゆる永久構造建物でございまして、これは東京都も建設院も無条件許可なり、しかも、その建築に要する資材は、政府のごあっせんによって配給を受けまして、そのまま建築を済ませて、その間において関係官庁からは一言の御批判も出ておらないのでございます。私ども契約形式は違っておりますけれども、それは当時他の行政監督官庁——あるいは建設省でございましょうか、そういう方面からのいろいろな御意見があって、それの御意見を調整するためになされたあとから争いで、われわれは仮装行為仮装行為と申して争っていたわけでございますけれども、そういう性質内容ではないかというふうに推測をいたしておったわけでございます。
  24. 相澤重明

    相澤重明君 そうしますと全くこの会社側がむしろペテンにかかったというような、僕らもこの文書を見ながら、あなたのお話を聞きながら、これが真相だということを聞くとそう思うのですよ。というのは、最初あなたの方で昭和二十三年の五月二十日、この許可申請に出したものは永久建造物、しかもその資材等政府あっせんによるものだ。ところが昭和二十四年の二月一日に一たん取り消したけれどもあと認可をしてきたものは、先ほど私が申し上げたような木造二階建なんです。しかも時限ですよ、これは二十八年という期間を区切っているわけです。しかもこの期限満了の一カ月前にこわして、そうして公園美観を損しないように会社側でやれ、こういうようなことを関係官庁といいますか、いわゆる建設院あるいは東京都がやった、そういう書面が、これは書面あとからきたのですか。この申請をして認可が出た昭和二十四年の二月一日にその書類はきておるのですか、建築許可だけで、この書類はきていなかったのですか、内容は先ほど聞くと、どうですかな。
  25. 飯沢重一

    参考人飯沢重一君) お答えいたします。この二十四年の二月一日の更改された使用許可書類は、当時都の方からの御要求がありまして、いわゆる何といいますか、承諾書といいますか、これを受け取ったということを承諾せいというようなものを都の方からお書き下さったものに、会社責任者記名捺印をいたしまして、それを差し出して、おおむねこの二月一日の近いときに受け取っております。それから建築許可の方は、たぶん二十四年の四月か五月、本更改された契約の後に受け取っております。その後に受け取った建築許可書は、先ほど申し上げました通り、当初第一次の契約に従って、GHQの御要請に基づいて申請をいたしました建築許可書でございます。
  26. 相澤重明

    相澤重明君 なるほど、お話を聞けば聞くほど当時のでたらめなことがよくわかってくるのですな。会社側の正当な許可申請について、実際にはこの原本を見せないで、そうして承諾書記名捺印させていくというような、全く今の常識では考えられないことですよ、実際の話が。しかし、おそらく逆をいえば、東京都の場合は、あなたの会社が軍の要望、いわゆるサゼスチョンによるものである、こういうことも含んでおるから、とにかく一応の形式を整えればいい、こういう形で、今の常識では考えられない役所の取り扱いではなかったか。むしろお話を聞いておると、会社に対してはむしろ好意的に、仕事をやっていい、こういうような印象を受けるのですが、そうじゃなかったですか、いかがでしょう。
  27. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) 当時のことを申し上げますというと、まことにただいまの相澤先生のおっしゃるようなことがたくさんございまして、私どもは何をおいてもあの当時のことでございますから、経済科学局あたりの御要望にこたえて一日も早く仕事をしたい、それから、われわれ業者でございますから、それに従いまして関連した外国のメーカーの品物を扱いたいというものもございましょうが、とにかくトップを切って一日も早く仕事をしたいということで、それ以外に何ものも考えておらなかったのでございますが、ところが先ほどお話がありましたように、やってみるというと、あの土地接収地だということで、ちょうど私当事者であったものですから、GHQの別のセクションから呼び出しがあったのですが、行ってみるというと、とんでもないことであったのです。そこですぐその足で東京都にかけつけまして言ったところが、東京都も全くびっくりしたのです。それで夢にも思わなかったのでございましょう。さっそくその書類を引っぱり出しまして調べてみたところが、あの一帯が接収予定地であったということが初めてわかったという状況で、東京都としても、これはどうもまことに恥ずかしいことだということで、東京都も進んで接収解除申請に当たってくれたようなことでございます。  さて、そういたしますというと、いろいろお役所間の手違いというものがあったのでございましょうか、ただいま飯沢代理人から申し上げましたように、建設省の方から、それは公園まかりならぬということで、だいぶ時間がかかりまして、その間実にどうも悩んだのでございます、私どもは。片方でとにかく全部関係者が集まりまして、あの土地はいいということで、あれはその年の初めでございましたか、会合がありまして、七月一日まで開設できるからやってくれということで、お役所といたしまして、東京都もわれわれも、それからGHQの方も、それで会議を開きまして、いよいよ建築にかかろうといったときに、そういうような状況であったものですから、私ども非常に困りまして、それから東京都も、確かに当事者の方は困ったのですが、何といっても建設省公園主管官庁だということで、ただいま御指摘のありましたような契約更改ということを実は申されたようでございます。そこで東京都としても全く立場に窮しまして、そしてその更改のような条件はんこを押せということになりまして、私どもも当時ずいぶんいろいろ検討いたしましたのですが、とにかくあそこに建てざるを得ない立場に追い込まれましたものですから、結果から見ますというと、まことに一貫したあれがないように見えますのですが。
  28. 相澤重明

    相澤重明君 それから、これは弁護士さんの方がいいかもしれませんが、二十四年二月一日に一たん取り消し認可になって、六百五十坪ですか、それが四、五日おくれて今の許可書がきたと思うのですが、二月五日の日に許可書を見て、二月五日の日にこれは大へんだというので、木造ではなくて永久材にするんだと、こういう申請書を出したんですか。つまりこれには、私の方の参考資料には、東京都に対して二月五日付で、修繕工場の部分木造では構造複雑となって、施工、解体も難渋するというので鉄骨を使用したい、こういうふうになっているわけです。だからあなたの方は、昭和二十三年の最初に、五月二十日に出したときは永久材、政府資材あっせんを受けて認可申請を出した、それは建築許可は違反だ。ところが更改をされた今度のあなたの方の許可になってきたものは木造二階建だ。これでは大へんだというので、二月五日に追っかけて鉄骨にしたいのだと、こういう許可申請を出したんだと、こういう理解でよろしいですか。
  29. 飯沢重一

    参考人飯沢重一君) 今の点でございますが、これは都の方からもある程度の御指示がございまして、鉄骨を使った方が、二月一日付の改めた更改契約による場合の取りこわしが容易である、容易であるという理由を付加いたしまして、一部修理工場といわゆる店舗の間の区画の防火壁及びその構造は鉄骨を用いてやる。それから同時に、そのまま前の規格でございますので、一階と二階のはりの部分にもやはりそういう鉄骨がそのまま使用される、こういう結果になっておりますが、それは計画内容については都との了解を一部修正いたしまして、建築許可書類は従前のまま、そのまま通っておるわけであります。
  30. 相澤重明

    相澤重明君 それからこの会社の方では建築をウオッシュ・モビール装置というものを作って土地の全部に建築をしたと、こういうことになってるのですが、最初の千百三十六坪を借りたいというときに、建物はどういうものを作りたいということは、もちろんあわせて出したと思うのです。そのときに大体六百五十坪のものなのか、千坪のものなのか、その点はどういうふうになっておりましたか。
  31. 飯沢重一

    参考人飯沢重一君) 建物の規模はほとんど現在残っております建物と変わりはないのであります。ただ建物そのものの延べ坪は、その後向かって正面から左側の方に、いわゆる給油設備の増築が行なわれましたので、その部分はふえておりまして、現在は約七百三十余坪という延び坪になっておりますが、それは当時千百三十六坪を目途として設計された建物のままでございます。
  32. 相澤重明

    相澤重明君 それから契約金というか権利金五百万を東京都に出したということですが、出したのは二十四年二月一日の、一たん取り消して再度認可になった、このときですか。それともこれはいつ、その後お納めになったのでしょうか、いつでしょうか。
  33. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) ちょっと私から。当時五百万という金はなかなか大金でありましたものですから、分割払いを申請いたしまして、都の許可をいただきまして、分割払いをいたしました。
  34. 相澤重明

    相澤重明君 どんなふうにしましたか。
  35. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) 一番最初は、ちょっと今資料を見ないとわかりませんが、当初百万ずつを五回に分けるようにか、たしかそういうようなことで契約をしたと思っております。
  36. 相澤重明

    相澤重明君 そうするとあれですか、東京都の何といいますか、収入役といいますか、そこへ、都でも大金ですから分割して払っていいということで、これは半年ぐらいですか、それとも何年間……。
  37. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) もっと期間は短いと思います。ちゃんとはっきりしました申請書を出してございますから……。
  38. 相澤重明

    相澤重明君 それはないのですか。
  39. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) 今ないのですが、申しわけありませんが……。
  40. 相澤重明

    相澤重明君 二年ぐらいですか。
  41. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) いや、そんなものじゃありませんでしょう。もっと早いと思いましたね。
  42. 飯沢重一

    参考人飯沢重一君) 契約更改される前から始まっているわけです。
  43. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) そうです。更改される前からです。
  44. 相澤重明

    相澤重明君 そうするとあれですね、とにかく大金だから、二カ月なり三カ月最低限度あると思うのですね。そうすると一年なり一年半の間に五百万というものを納めたと思うのだが、東京都では都の議会で議決をして、そうしてこういう契約が成り立って正式に収受しているわけですからね。その受け取りなんかもあなたの方でも持っているわけでしょう。そうすると東京都が当時の建設院——建設省に対しての手続上の不備があったということは言えるのじゃないのかね。
  45. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) そういうことは言えるかもわかりませんですね。
  46. 相澤重明

    相澤重明君 あとのことは、またこれから進んだ今度は話になりますから、今までの点で疑問点が少し私もわかってきましたので、他の委員の方からも、この辺が一番問題だろうと思いますから、お聞きになって……。
  47. 山田節男

    ○山田節男君 会社側として、被告としての今の虎の門の公園使用地に対する、いわゆる借地法による土地借地権が成立しているということですね。先ほども吉岡参考人から答弁があったように、通算五百万円の金を東京都に払っておる。しかも受け取りがある。しかしそのことは、表面上はこれはこの宅地を使用するための借地権利といいますか、敷金とか、そういうような性質のことは明記してあるのですか、ないのでしょうか。その当時の金を授受する際に、これは借地権ですぞというように明瞭に意思表示をして、また東京都もそのつもりで金を受け取ったのか……。
  48. 飯沢重一

    参考人飯沢重一君) 私からお答え申し上げます。これは領収書には公園整備費ということになっていると思います。おそらく意味は、虎の門公園を除く他の公園の戦災で荒廃した部分を復興せしめるための費用の一部として寄付をしたのだというふうに都の側は了解をされていると思います。そういう意味の領収書になっておりますから、何といいますか、ただし書きといいますか、その費用の目的といいますか、それはそういうふうに書かれております。私どもはしかし契約の当時、私どものエンパイヤモーターの会社立場から、その当時創立してはおりましたけれども、まだ営業にはもちろん入っておりません会社でございましたので、その会社が都の公園復興資金に、当然、当時の相当莫大な金額を善意で、無条件で寄付すべき筋合いというものとは考えられませんので、たまたまそのときに対償的に、そういう土地の賃貸借契約ができておりますから、われわれ法律家といたしましては、名目はそういう形になっているけれども、実質はいわゆる契約上の権利金である、こういうふうに解釈をしているわけでございます。
  49. 山田節男

    ○山田節男君 これは本議案が当決算委員会で審査されたときに、吉岡参考人も来てもらったし、またこれが建設省の所管の行政財産であるという立場から、建設省の者も来ておった。それから東京都の者も来ておった。その席上で、吉岡参考人としては、東京都が、あれがつまり児童公園、小公園で、児童の福祉のためにあるような場所でもあるし、都の方へ児童福祉のために若干の金を寄付してくれ、それは土地を使わせるという前提のもとに、吉岡参考人が金を出せというので金を出した、こういう証言があったわけです。東京都の者を呼んで聞いてみると、それは否定はしない。で、当時それじゃこれは借地権として取ったのか取らないのかと、この点非常に、東京都の建設局長も非常にそのときの答弁があいまいであって、非常に各委員からも究明されたことを私覚えていますがね、これはどうですかね。実際、五百万という当時の大金を児童福祉のために、小公園を使わしてもらうんであるから寄付をしたんだと、こういうように言っても、実際上は今飯沢参考人が言われるように、これはもう借地権料として払ったんだという主張なんですが、これはまあ私は法律的な解釈はしませんが、事実上において、たとえば借地権法によって、かりにそういった場合があった場合に、これは五百万払っていれば明らかに借地権として出したものであるということの判定は、諸般の事情から見てそういうことが主張し得るという法的根拠は、これは他にも借地権のいろいろな問題があるでしょう、土地借地法のそういう事例がありますか。
  50. 飯沢重一

    参考人飯沢重一君) お答え申し上げます。御承知通りに、土地使用がいわゆる借地法にいう借地権であるかどうかという法律的な解釈の上から申しまするというと、その使用契約の当初に権利金が入っておるかおらないかということは、必ずしも法律上の要件ではないかと思います。けれども、今日の土地の取引の事情から申しまするというと、権利金というようなものが授受されている場合が多いように思います。本件の場合におきましても、われわれは、こういうことも一つ事情として存在するから、他にいわゆる法律上の要件といたしまして、相当堅固なる建物を建てるという目的で一定の資料を支払ってこの土地使用さしてもらうという契約であるから、これは借地法にいう借地権であるという主張をいたしまして、その事情一つとして、実は契約当初において契約外の権利金も五百万円支払っておるのであるということを、裁判上主張をいたしたわけであります。この五百万が、はたして権利金に属するのか、あるいは他に原因——因縁のない、いわゆる寄付金であるかというようなことについては、私ども権利金と主張することに対して、いわゆる原告側である国の訴訟代理人もあえて争いませんでした。だから、裁判の経過におきましては、本件の五百万円というものは、いわゆる契約上の権利金であるというふうに了解をされておるというふうにわれわれは考えております。
  51. 山田節男

    ○山田節男君 大蔵省の国有財産第二課長にちょっと私質問したいんですが、この虎の門の小公園は、当時これは国有財産の建設省の所管の行政財産となっておって、それで、これは公園使用の目的のために東京都に、東京市にこれを貸付といいますか、しておったんですね。そういう場合に、東京都が建設省の、あるいはさらに大蔵省の了解あるいは承諾なくして、今みたいな土地の貸賃借ですか、そういうようなことは国有財産法からどうですか、そういうことは合法的にできるのですか。
  52. 細川俊三

    説明員(細川俊三君) お答えいたします。今お尋ねございました公園の問題でございますが、これはまあ明治四十五年ぐらいから東京都に無償貸付しまして、大正三年に虎の門公園を開設した。この開設しまして公園として使っておりますからには、一応行政財産の取り扱いをいたしております。行政財産の取り扱いをいたしておりまして、その行政財産をそれでは貸すというふうな場合は、どういう法的な観点に立つかということになりますと、国有財産法上も規定しておりまするが、行政財産上の一時使用というふうなことになりまして、公法上の一時使用許可というふうな扱いになると思います。
  53. 山田節男

    ○山田節男君 たとえば、旧軍用財産の、工場のためにそれを使用する場合ですね、これは一時使用料というのを払いますね。これには借地権というものは付随してないわけですね。それと同種の意味の一時使用料ですか。——ということと、それから、今のような解釈だと、建設省の所管の行政財産となっているものを東京都へ貸し付けておる。それを今度一時使用料ということになると、その一時使用料はやはり大蔵省へ納めるんでしょう。
  54. 細川俊三

    説明員(細川俊三君) 先ほどお尋ねがございました旧軍用財産なんかを貸し付ける場合は、いわゆる普通財産としての扱いをいたしておりますので、普通財産の貸付に基づく貸付料の徴収ということになります。行政財産の場合は、いわゆる公園ならば都市公園法に基づきまして、その公園管理者がその占用許可をし、そこから使用料をとっているということになっているのであります。普通財産の貸付の場合と意味は少し違います。
  55. 山田節男

    ○山田節男君 その実質は同じじゃないですか。国の財産を一時使用料を払って、いわゆる使用許可を与える。これは行政財産の場合は、建設省の所管だからといって独断で建設省はできないわけでしょう。これはやはり大蔵省を通じてやらなければならない。大蔵省は国有財産の管理の責任を持っているわけですから。普通財産でなくても、行政財産の場合でもそうでしょう。
  56. 細川俊三

    説明員(細川俊三君) 普通財産でございますれば、大蔵省から直接に貸し付けます。行政財産、特に公園の場合、都市公園関係になりますと、それはいわゆる公園管理者に対して無償貸付をこちらはいたします。その公園の管理者がその使用者に対して貸し付ける、その貸し付けるには都市公園法によって一定の限度がございまして、公園の目的を妨げないというふうな場合の範囲内において貸し付けるということになっております。先ほどお話がございました普通財産と行政財産の貸付の違いでございますが、行政財産は国有財産法上に規定がございまして、行政目的を妨げない限度において貸付ができるというようなことになっております。普通財産は一般の貸付と同じ扱いになっております。そこのところが違うところであります。
  57. 山田節男

    ○山田節男君 そうしますとが、都が公園の管理者としてそういう一時使用許可をしたということは、これは違法じゃないわけですね。大蔵省の見解として、これは適法か不法か、これはノーマルな状態でこういうことをした場合に適法であるということを、大蔵省は認めますか。
  58. 細川俊三

    説明員(細川俊三君) たとえば公園管理者の東京都が、公園用地を貸し付ける場合の限度といたしますると、公園の目的を害しません範囲内において貸し付けることができる、こういうことになっております。
  59. 山田節男

    ○山田節男君 それは大蔵省の見解として当然だと思います。さらに、これは占領軍政下において接収地かあるいは接収予定地であって、おそらくこれは当時横浜にいた第八軍の司令官の接収財産目録に入っておったか、あるいは入らんとしておったものに違いない。こういう占領軍政下において、いわゆる占領軍の最高司令官の命令は、これは、国会、司法、行政を含んで、それに優越した権限を持っていたわけです。当時われわれ立法者としても、法律案のてにをは一字までもGHQにいって承諾を得なければ変更することができないということだった。そういう環境下において、しかも先ほど来OASの一つの命令が出て、こういう発端になったということになって、接収地もあるいは接収地に予定しておったものも、軍の命令によって、先ほどの参考人が言われたような経過でもってこれを使用することになった。しかもそこに五百万円という、実際は借地権と断定せられるような金銭の授受があったわけですね。そういう場合に、今第二課長の言われるような、都に貸し付けておって、都が公園の目的に反しない範囲においてこれを使用することについては異議を言わぬと言われるけれども、一種の異常事態といいますか、異常な占領軍政下にあって、それがオールマイティー——最高の至上命令権を持ったものの機関の命令によってやったということになった場合には、公園使用目的に反した場合も、これは大蔵省としては、そのときの事態としては、これに抗議を申し込み、あるいはそれを撤回させるというような行為には出なかったということは、これは当然だったろうと思うのですが、そういうことに対する、これは過去を顧みて、その当時の状況ということから判断すると、東京都がそういう公園の目的に反するような許可をしたけれども、そこには至上命令であるGHQの命令があった。しかも東京都あるいは所管の責任者である建設院がこれに対して同意した、同意したのみならず、協力したというような、先ほど説明にあったんですけれどもね。そういうことになりますと、どうですか。この問題に対する借地権の、被告の方では当然これは借地法による土地の借地権があるんだということを抗弁しているんですね。これに対して大蔵省はどういうふうに考えますか。異常時——アブノーマルの状態であったということを勘案して、東京都が使用目的に反しているこの行為をどう見るか。その当時の事情を勘案してどういうように判断するかということですね。
  60. 細川俊三

    説明員(細川俊三君) 今、山田先生のお話しございました点が、やはり裁判上でも相手方の主張のところにも織り込まれておりますし、争点になっているところと思いますが、私たちの方の主張といたしましては、先ほど申し上げましたように、公園地は公共用物を扱っている東京都知事がその使用許可した。その許可性質は、やはり公法上の使用許可だ、従って私法上の契約ではないから、借地法の適用である賃借り権が設定されたものではないというような論点におきましても、この許可が一時使用許可なのだから、いわゆる一時使用許可であって、それからこの公共用物に対しては、用途または目的を妨げない限度を越えてこれに私権を設定することは許されない。従って今、山田先生からお話しございました論点もございましょうが、建設大臣にも東京都知事にも、この土地の、いわゆるその用途または目的を妨げない限度においてのみ認めることができるのを、その限度を超えて私権を設定することは許されない。こういうことで今裁判上論点になっているところでございます。私たちの方といたしましては、公共用物の公園に対する使用許可の限度というものは、あくまでその用途または目的を妨げない限度内においてのみなされるものである。こういうところが一番の主張点になっておりまして、今先生からお話しのありましたような諸般の事情というふうなものは、法律論的に進めまする場合には、それじゃなしに、別に公共用物としての使用許可性質というふうな面から、裁判上の主張点としてやっているところであります。
  61. 山田節男

    ○山田節男君 私なぜそういうことを言うかというと、当時昭和二十三年、四年の間において旧海軍病院、これが第八軍に接収されたのです、接収財産になっておった。これは当然海軍省、海軍というものがなくなったのだから国有財産に、旧軍用財産として当然これは扱われる。ところがこれが第八軍のアイケルバーカーのところにいわゆる接収財産としてリストに載っているわけです。これを解除してくれ、その当時としては占領軍の最高司令官の命令が法律よりも優先してくることは当然のことなんであります。そういう建前において、われわれ旧海軍病院を、これを共済病院にしたい、いわゆる民間用の共済病院にしたいというので、これは国会の当時の総意をあげてそういう請願をしたわけですね。そのときも、これは大蔵省がどうこうじゃない、大蔵省も一丸となって、当時の占領軍に対してそういう請願をしたわけです。それで軍が当時の接収財産のリストからそれをのけて、そうして共済病院にした、こういういきさつがあるのです。ですから当時の国内法——いろいろな法律があろうと思いますが、これ自体がすでに進駐軍の命令あるいは承諾——アプルーバルがなくちゃできなかったのですから、その当時のあなたの言われる使用目的、その使用目的に反しない範囲内である場合には、これを使ってもいいということも、GHQの命令が、この方が優先するということは、これは大蔵省としても当時においては当然認めなくちゃいかぬと思うのですね。
  62. 木内四郎

    委員長木内四郎君) ちょっと山田さんあれですがね、参考人の方が来ておられるのですから、主として参考人に対してすることにして、あと課長の方に意見を聞くということは後日にされたらどうかと思うのです。いわゆる今の争点について、裁判所の口頭弁論をここで繰り返すようなことを一方でやれば、一方の方の反論というようなことになりますから、主として参考人に対する質問に限ってやられてはと思います。
  63. 山田節男

    ○山田節男君 この一点だけ……。
  64. 細川俊三

    説明員(細川俊三君) 今山田先生からお話しのありました海軍病院の件、私はなはだ遺憾でございますが、はっきりした事情は存じませんが、その当時いわゆるポツダム政令的な扱いをいたしましたものと、それ以外に、いわゆる私法上の問題として、契約関係で国有財産を売り払ったり、貸し付けたりいたしました事例と、やはり違った取り扱いをすべきじゃないかと思います。そのポツダム政令の施行のときの正確な名前は忘れましたが、そういう扱いで違った扱いをしているのじゃないかと思います。
  65. 山田節男

    ○山田節男君 これは吉岡参考人が先ほど述べられたことなんですが、ここにも会社から出された書類の中に、最後の資料として乙第四号証として、GHQ外国貿易課ですか、そのF・E・ピッケルという人から当時の通産省に対して、いわゆるコムミサリーの一つの任務として、自動車サービスのために施設を設けるべきだという、こういうメモランダムが出たわけです。こういうのがあって、先ほど相澤委員に対する答弁があったのですが、最初にあの候補地を選んで虎の門がよかろう、当時は旧満鉄ビルをGHQが使っておった、場所も近いしというようなことがあって、九年前の委員会での審議の過程でそういことがあったと思うのですが、こういうふうに軍として、進んでぜひあそこを便利だから使いたいというような、つまり軍の接収地あるいは接収の予定地であるというような建前から、軍はこういうものを貿易庁に出しておりますが、都、建設省、あるいは大蔵省にも同じようなこういう意思を伝達している事実があったのかどうか。あるいは書類でやれない場合に、たとえば吉岡参考人とともにGHQの者が行って、都なり建設省なり行って、あそこをぜひモータープール専門に使わしてくれ、使わせろという指令か何かあったのかどうか、そのいきさつを一つお尋ねしたいと思うのであります。
  66. 飯沢重一

    参考人飯沢重一君) お答えいたします。今、山田先生からお話しのありました昭和二十二年の十月二十五日付のGHQ外国貿易課主任F・E・ピッケルという人から日本政府の貿易庁あてに覚書が出ておりまして、その覚書の条項に基づきまして、昭和二十三年の五月一日付で、当時の貿易庁長官永井幸太郎氏と、ただいま出ておりますニューエンパイヤモータ代表取締役の吉岡照義との間に、いわゆる暫定契約と称するOASの契約がなされて、それに基づいてこれが行なわれておるわけであります。このピッケル氏からのメモランダムにつきましては、当然貿易庁に参っておりますので、貿易庁、商工省及び建設省等の関係官庁にはそれぞれ了知されておる事情であると、われわれは解釈しておったのであります。ただ国有財産の主管官庁である大蔵省に、いかなるこのメモランダムについての了解があったかということは、裁判の上でもなかなか、あとからわかりましたことでありますが、その当時の間においては、いかなる連絡が持たれたかということについては、十分に当事者としては了知できなかったのであります。ただ私どもから申しますというと、先ほど山田先生からもお話しがありましたように、当時の一般的社会事情から申しまするというと、GHQの方からくるお話は、それがたとえばスキャッピンという形式をとられようが、あるいはメモランダムという形式をとられようが、あるいは事と次第によっては担当官の口頭による連絡であっても、当時の日本政府としては、これをお断わりできない立場にあったのじゃないかというふうに、当時の客観情勢を推察しておるのでございます。しかもその間において、そういう人たちの要請に基づいて和解が行なわれた。OASの貿易業務というものの代行をニューエンパイヤモーターが行なうように御命令になりましたことにつきましては、エンパイヤモーターとしては、国家的な気持でやっておったのでございますし、当然日本政府全体として、GHQに対する責任ということで、この仕事は推進されるべき性質のものであったと思うのでございますから、たまたま国内法的な国有財産法で、大蔵大臣が国有財産の処分、その他について総括的な権限を持たれておるという法律的な立場で、政府部内の連絡として、はたして建設省、大蔵省というふうに連絡があったか、なかったか、あるいはなかったことによってニューエンパイヤモーターというものが、そのために土地使用に関する法律上の不利益をこうむらなければならない、こういうことは当時承服ができない立場にあって、裁判の上でもそういうことを御主張申し上げたのであります。われわれから見ますと、大蔵省であっても、建設省であっても、あるいは貿易庁であっても、あるいは商工省であっても、日本政府という立場においてGHQと対応せられておる限りにおきましては、これは政府の意思としてわれわれも了解をし、それに基づいて行動をする、あるいは土地使用さしていただく、こういう立場に立って考えておったし、また、そういうふうに了解をすべき当時は明瞭な客観的事情があった、こういうふうに考えております。
  67. 山田節男

    ○山田節男君 今の飯沢弁護人が言われることは、われわれ当時国会議員であっても、お堀端の命令が至上のものであって、気持はよくわかります。よくわかりますが、吉岡参考人にお伺いいたしますが、貿易庁ですか、今の通産省にこういう一つのメモランダムが出ておる。一九四七年、ですからこれは二十二年の十月二十五日、この当時に、占領軍にいろいろなものを調達するために特別調達庁というものを政府は作らされた。この問題が起きたときに、日本政府の方は、特別調達庁の機関がすでにあったかどうか。あった場合に、特別調達庁に対してはプロキュア・デマンドとかいって、命令で政府にこういうことをやれということを、いろいろなサービスをさせる。そういうことをやっておったのですが、この件に関しては、特別調達庁を通じたということは一つもないのですか。
  68. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) お答え申し上げます。ただいま山田先生からの御質問にお答え申し上げます。当時特別調達庁はございました。それは私あとでわかりましたのですが、しかしこのコムミサリーのメモランダムに関しましては、特別調達庁の方へはどうかわかりませんけれども、私ども開設する前に、もうすでにホテルと、それから食糧は、もう開設いたしました。この自動車に関するものだけが一番おくれたのでございます。で、私接収解除のときに、特別調達庁を通じてその書類を出しましたのでよくわかっておりますが、コムミサリーの設立に関しまして、特別調達庁がどういう立場でありましたか、その辺はよくわかりませんでございますが、従って、自動車輸入サービス等に関しましては、商工省が関与いたしまして、特別調達庁はおそらく関与していなかったと思っております。
  69. 山田節男

    ○山田節男君 そうすると、これはいわゆるこのメモランダムにあるように、いわゆるコムミサリー・プロジェクトの一端として自動車サービス・ステーション、それから修理場を建設しろ、こういう命令が直接あなたにあったわけですね。
  70. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) お答え申し上げます。それはGHQのESSから呼び出しを受けまして、そのときに初めて知りましたのであります。
  71. 相澤重明

    相澤重明君 そこで、大体当初のいきさつはだんだんわかってきたのですが、いま少し聞いておきたいのは、今のあなたの会社では、当時外人の顧問か嘱託という人はおらなかったのですか、日本人だけですか。
  72. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) お答え申し上げます。会社といたしましては、当時顧問的の者は一人もおりませんでした。
  73. 相澤重明

    相澤重明君 そうしますと、純然たる日本人だけで作っておる会社であって、ただし、仕事がフォード会社のそうしたものを扱うということで、軍の要請に基づいた仕事をしていくというふうに理解してよろしゅうございますね。
  74. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) ただいまの御質問通りでございます。資本の内容、それから形式におきましても、外人関係並びにフォード関係の投資並びに人的の組織の中にも一つも入っておりませんです。純然たる当社のわれわれのみでございます。
  75. 相澤重明

    相澤重明君 そこで今までの御質問の中で明らかになったのは、占領下における軍の強い要請に基づいて政府がやるようなことを実は民間会社がやったので、その軍のサゼッションを受けて虎の門公園地が、最終的にはあそこが適当である、こういう形で申請会社側から出された。そこで一つだけこれは飯沢参考人の方がいいと思うのですが、二十四年の二月一日に再度認可になったのですが、そのときは、先ほど申し上げたように条件付の許可である。これはしかし、あと内容が違っているということがわかって、そこで、すぐ追っかけて二十四年の五月に永久建物のつもりで申請をした。その申請についても、東京都が認可したんですね。そうするというと、二十五年に会計検査院の指摘を受けた。  ですから、明らかにこの当時のことを振り返って私どもが今お聞きをするというと、これは政府の中での実は連絡不十分、こういうことがわかってくるわけですね。わかってくるんですが、そのときに直ちに飯沢参考人は、そこでそういうことを言われたときに、仮処分なり何かのそういう手段を講ずるつもりはなかったのか。あるいは、占領軍がおるから、これはただ払うだけで、とにかく使用をさせてもらって、建築をして仕事を始めれば、もうあとは永久になるものという最初の話が通るんだ、こういうことで、法律的に手続はとらなくとも、そのままでいいと、こういうお考えであったのか。その点どうでしょう。
  76. 飯沢重一

    参考人飯沢重一君) お答えをいたします。  相澤先生の御質問に関連をいたしまして、この昭和二十四年の二月の許可処分、許可行為というのは、先ほど大蔵省の国有財産第二課長さんがお答え下さったように、一種の行政処分のような外観を呈しておるのでございます。しかし行政処分——公園地使用に関する行政処分は、先ほど第二課長さんからもお話がありましたように、公園たるの用途を害しない範囲において使用関係が初めて許されるのでありまして、千百三十六坪の公園の全域にわたる土地使用、ないしはその大部分を占める——かりに二十四年の制限された面積といたしましても、六百四十五坪にまたがる土地使用許可というものは、いわゆる公園に関する行政財産としての処分許可の範囲は、当然に私どもは法律的に逸脱をしておるというふうにまあ考えておるのでございます。  このゆえに、さらに、先ほどお話がありましたように、二十五年に至りまして会計検査院から、不当貸付であるという警告を大蔵省から受けまして、まあ大蔵省の方に返事をされて、公園たるの用途を廃止すると、普通財産に組みかえすると、これはまあ手続上の組みかえでございましょうが、手続上の組みかえをするということに相なったものは、本件土地使用関係というものは、単純なるいわゆる行政処分ではないんだということに原因を発しておると私どもは思うのでございます。  このゆえに二十五年の六月でございましょうか、大蔵省の関東財務局の方からエンパイヤモーターの方にお話がありまして、こういうことで、いろいろこれは公園にも戻らないしするから、縁故者として縁故払い下げをするから買い受けたらどうかという御勧誘を実は受けたのでございます。会社といたしましても、それはもう非常に当時から申しますと、それほど大きな資金も、なかなかなかったのでございますけれども、せっかく大蔵省の御担当の方からのお勧めでもありますので、売り払いをいただけるならば買い受けたいということで、売り払い申請をいたしたのでございます。事実内部的な行政取り扱い者との間におきましては、売り払いに関する事務が相当程度進行しておったのでございますが、その間に、大蔵省内部の方の御意向で、どうもちょっと待てというようなお話で中絶をいたしまして、そちらの方を取りやめて返地をせいと、こういう方向にお話が内部的に変わられたのでございましょうか、東京都の方からも、四年の使用期間経過が過ぎたから返してほしいというようなことになりまして、私どもの方も、そうむげに、そういう点を聞き入れるわけに参りませんですからお断わりいたしましたところが、本件の訴訟になると、こういうような経過で参っておったのでございまして、当初は、そういうようにきわめて御理解のある御処置で進んでおられたものですから、訴訟に相なるまでは、使用権の確保に関する仮処分だとか、そういうことは別に考えてもおりませんでしたし、また、これは法律の上から申しまするというと、私どもの方を使わせないという御処分がありますれば、これに対して争いいたしますけれども、私どもの方は、現在これを占有して使用さしていただいておるものですから、あらたまって急に緊急処分を、裁判所にお願いをして使用権を一応確認と言いますか、確保していただくような申請はしなかった、こういうことに相なるわけであります。
  77. 相澤重明

    相澤重明君 それから二十四年の二月一日に許可になって建築を始めたわけですね、実際には建築は、もっと前にできておる——そこで使用料ですね、さっき申し上げたように、六百五十坪の使用に対して一カ月三千三百十五円、こういうのが当時の契約ですね。それは毎月納めておったのですか。それともあるいは五百万の権利金を納めてあるからということで、年に納めるとか、あるいは分割するとか、そういう納め方は、どういうふうになっておりますか。
  78. 飯沢重一

    参考人飯沢重一君) お答え申し上げます。  当初の契約に基づきましては、二十三年五月の契約に基づきまして二千三百十五円ということで納めて参りまして、二十四年の二月の契約以降は、御指摘のありましたように三千三百十五円ということで納めて参っております。訴訟以前におきましては、一回の滞納もなしに納付をして参っております。
  79. 相澤重明

    相澤重明君 毎月ですか。
  80. 飯沢重一

    参考人飯沢重一君) ええ。それから訴訟後におきましては、受領を拒否されておりますので、ただいま供託をいたしております。
  81. 相澤重明

    相澤重明君 あれですか。飯沢参考人最初の千百三十六坪を使用さしてもらいたいというときには、一カ月千七百四円、二千三百十五円でなくて千七百四円ですね。
  82. 飯沢重一

    参考人飯沢重一君) 千七百四円です。訂正いたします。
  83. 相澤重明

    相澤重明君 そこで、今度は二十四年の二月から三千三百十五円と、こういうふうに変更になったわけですね。
  84. 飯沢重一

    参考人飯沢重一君) その通りでございます。
  85. 相澤重明

    相澤重明君 それを毎月納めておって、争いが生まれてから供託しておるということになっておりますね。
  86. 飯沢重一

    参考人飯沢重一君) さようでございます。
  87. 相澤重明

    相澤重明君 ちょっと速記をとめてもらいたいんだが……。
  88. 奥むめお

    ○奥むめお君 その前にちょっと……。  あの建物が、一番初め幾坪のものができて、あれからいつ建て増して、地下設備はいつしたかということを、ちょっとはっきり年月で出して下さい。このごろは非常に広くなっていらっしゃいますね。
  89. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) お答え申し上げます。  建物そのものは、もう当時と一つも変わらないのでございます。で、さっきお話がございましたがソリン・ステーションでございます。あれは一貫サービス事業目的から、一番最初建築申請書を私ちょっと今持ちませんのでお答えできないのですが、サービス・ステーションは、当時も国会でも御指摘がありましたけれども、少し六百五十坪の線より出ているというようなおしかりがありましたのですが、あれは、もちろん正式に申請書をしまして許可はいただいたのでございますけれども最初からの計画なのでございます。ですから、その後建て増しその他一つもしておりません。
  90. 奥むめお

    ○奥むめお君 会計検査院から指摘されて、議員が視察に行きましたときに、一貫サービスができるようにしたいというお話がございましたね。ですから、もう指摘されて問題になっておるときには、私はあれほどきちんとしたものではなかった、あなた方が、その後一貫サービスできるようになすったものと見ておるのです。だから、その年月が知りたいのです。
  91. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) それは、もし詳細なことでしたら取り寄せまして書類をお目にかけますけれどもサービス・ステーションは、当初からの計画なんでございます。  ただ、奥先生の御指摘になりますのは、洗い場のことじゃないかと思いますが、サービス・ステーションのあれは、ガソリン・ステーションのすぐ脇に洗い場があります。そこにアーチ式の、移動式の車をそこに入れましてアーチ式の、水圧で水が出まして上の方から洗う装置がございます。そのお話じゃございませんでしょうか。
  92. 奥むめお

    ○奥むめお君 とにかく非常に広くなったわけですね、お使いになっておる面積が。ここにも出ておりますが、ほとんど全部使っているのじゃないですか、あの契約しておる初めは六百何坪の……。
  93. 飯沢重一

    参考人飯沢重一君) 建物そのものは、これはもっとも、訴訟が提起された直後からでございますが、昭和二十九年でありましょうか、いわゆる国側の御請求によりまして、裁判所から仮処分を受けておりますその以後においては、法律的に原状は変っておりません。奥先生がごらんになられて広く感じられたのは、あの建物の前の方の、つまり現在パーキング・プレースになっておる部分が、当時はあまり整備をされずに泥がむき出しのまま放置されていた。その部分がいわゆる六百五十坪と千百三十六坪、争いの起こる場所なんでありますが、それが、道路でないということが確定いたしましてから、使用の方をまた都の方にお願いいたしまして、あそこは、ちょうど石垣の築地と言いますか、昔の……。そういうことで、道路関係になるかもしれないと思っていた部分を、建物は建てないが、駐車場として舗装するということで、昔の美観を害しないように、あそこに残っておる石垣の部分は保護いたしましてあいておる所を舗装いたしまして広げたわけであります。その後、車がずっと入っております。建物それ自体としては、あまり変っていないが、一見外観から見ますと、大へん広げて使われているのじゃないかというふうなお感じになられたのじゃないかと思います。建物それ自体は、変っておりません。
  94. 相澤重明

    相澤重明君 今奥先生のお話になっておるのは、二十四年の建築に対して坪数がもっと大きくなっていないかというのは、先ほど私が申し上げたウオッシュモビール装置を二十九年三月に、区域外にこしらえた、こういうことですね、いかがですか。
  95. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) その通りでございます。それの御指摘のことだと思います。
  96. 相澤重明

    相澤重明君 そうすると二十八年の九月十六日に、本件土地明け渡しの要求をしたということでありますから、このときには、すでに東京都並びに関東財務局、いわゆる大蔵省ですね、大蔵省が、今度は正式にあなた方の方に要求してきた、東京都は大蔵省に返した、いわゆる大蔵省の関東財務局が、あなたの方に明け渡しを要求してきた、こういう争いに今度なってきたということですか。
  97. 飯沢重一

    参考人飯沢重一君) さようでございます。
  98. 相澤重明

    相澤重明君 そこで、争いが起きてから、いわゆる大蔵省の関東財務局が、会社に明け渡しの要求を二十八年にした。ところが二十九年に今のウオッシュモビール装置をしたということになると、それを作るのは、六百五十坪の区域外ですね。そういうことじゃなかったのか。その点はどうですか。
  99. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) 私不覚でございまして、これは現場をごらん下さいますとあれですが、いわゆるウオッシュモビールというのは、舗装の上にレールを二本敷きまして、アーチが移動するようになっておるだけです。水洗いをいたしますのに能率化するために、水を上からかけますような装置なんでございますが、装置というと、はなはだ大げさなんでございますけれども、舗装の路面の上に、アーチが動くレールを二本敷きましただけのものでございます。  ですから、これは御解釈の上で六百五十坪以外のところを使用したのではないかというお話が出るところなのでございますが、これは当時御指摘を受けまして、非常に私どもとしても恐縮しているわけなんですけれども、ガソリン・スタンドが幾らか六百五十坪の線にちょっと引っかかったように、あの当時御指摘を受けました。それから、左に今申し上げましたレール二本が入っているのでございます。現場をごらん下さいますとわかりますが、施設といたしましては、もうこれはいかぬとおっしゃられれば、全くその通りでございますけれども、いつでも、そのレールは取りはずしのできますきわめて簡単な装置でございます。
  100. 相澤重明

    相澤重明君 そうすると、これは今私どもは、古いことを聞いているのですが、受ける印象ですよ、争いが起きた、起きたにもかかわらず、さらにそのときの認可を受けた外に施設を増加した、しかもそのことは、届出も何もしていない。いわゆる使用許可をとっていない、こういうことが一つの感情としてあるのではないか、率直に一つ……。私はそうだと思うのですが、どうですか。
  101. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) 相澤先生の御指摘の通りだと思います。これはもう、はなはだ私ども不覚だと思います。ウオッシュモビールは、ただいま申し上げましたように大げさに見えますけれども、当然車が入りますと、あの中は、ガソリン・スタンドの中に、スチームで洗うところがある。それで足りない場合は、路面で水洗いする場合がある。水洗いを、今の移動するアーチ、そこに置いてやったということなのでございます。これはどうも、そういう点でおしかりを確かに受けるかもわかりませんが……。
  102. 木内四郎

    委員長木内四郎君) 関連して伺いたいが、さっき飯沢参考人は六百三十坪ですか、四十五坪ですか、道路敷地に予定したものが六百何坪あったのが、道路使用しにくくなったから、その土地についても、土地使用許可願いを出したということを言っておられましたが、使用許可願いが出されたとすれば、今吉岡参考人のような恐縮される必要はないと思いますが、その点どうですか。
  103. 飯沢重一

    参考人飯沢重一君) これは都に、争いの起こる以前でございます。都の方に、都の御担当、当初建設局緑地課と申しましょうか、そちらの方に御連絡いたして、建物は建てない、しかし万一道路になれば、いつでも道路になり得る、状態に使わせていただくという御承諾を得たわけでございますのが一つと、もう一つは、これはやはり争いの問題でございますが、私どもといたしましては、当初昭和二十三年五月の契約に基づき、千百三十六坪全坪というものが、当然借地権の対象になってわれわれは法律上の使用権を持っておるという立場に立っておるわけでございまして、これは争いでございますから、そういうことで、今吉岡が認めるように、それが千百三十六坪よりも、区域がまだはみ出しているじゃないかという御指摘がありますと、これはどうも、すっかり頭を下げておわびを申し上げなければならぬことに相なるわけでございますが、千百三十六坪の区域内に関する限りは、そういう、申したような事情で使わしていただいたということであります。
  104. 木内四郎

    委員長木内四郎君) 速記をとめて。   午後三時三十一分速記中止    ————・————   午後四時二分速記開始
  105. 木内四郎

    委員長木内四郎君) それじゃ速記を起こして。
  106. 相澤重明

    相澤重明君 それでは参考人要求したいと思うのですが、それは、この事案についての当初相談をされた人たち、そういう名簿をそろえていただきたい。その相談をされた関係官公庁並びに回数ですね、そういったものを。それから契約については、二回ほど変わっておりますので、その変わったことも、一つ出していただきたい。それから五百万円の権利金というか、寄付金というか、その納入した内容についても明確にされて御提出いただきたい。それから土地使用料の問題についても、最初とまた二回目と違っておりますので、最初期間が幾らが何カ月、それから、その次は幾らに変更された。それから争いが起きてからの供託、今日までの状況と、こういうふうに区分けをして一つ御提出をいただきたい。
  107. 奥むめお

    ○奥むめお君 それにちょっと関連してつけ加えます。先ほど質問いたしました設備とか、敷地の整備とか、それをただ口でなしに、書類で、どういう届けをしたとか、あるいはどういう会社との契約をした……。
  108. 吉岡照義

    参考人吉岡照義君) 建物内容面積とか……。
  109. 奥むめお

    ○奥むめお君 何年何月に、これをしたということを……。
  110. 木内四郎

    委員長木内四郎君) どういう許可を得て、でしょう。
  111. 奥むめお

    ○奥むめお君 許可を得たのも得ないのもあると思うのですが、それをきちんと証拠になる書類を添えて見せていただきたい。
  112. 木内四郎

    委員長木内四郎君) 他に御質疑がございませんようですから、本日の質疑は、この程度にいたしたいと存じます。  参考人方々には長時間にわたりまして、委員会の審議に御協力下さいましてありがとうございました。  それでは本日は、これにて散会いたします。    午後四時五分散会