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政府委員(高木廣一君) ドミニカ移住は、昭和三十一年三月に
両国の
交換公文で送りまして、五回にわたって実施されたので、現在二百九十七家族、千四百六十五名おります。そしてこの移住は、ドミニカ
政府で住宅、各什器、国有地を整備して提供する。それから、第一回の収穫があるまでの生活補給金を支払う。これは、月に
アメリカドルで六十ドルぐらいでございますが、こういういい条件で募集されたわけでございます。その後補給金の方は、第一回収穫があるまでということでございますが、ずっと続けてもらっておりました。ただ、最近になりまして、ドミニカのカリブ海における国情というものが非常に不利になりました
関係上、国防費その他に相当国の予算が逼迫して、二年ぐらい前に入った人には、まだ続けて補給金を出しておるようですが、その以前のものの一部には、補給金を続けて出さないことになりました。それで、このドミニカの移住地は、非常に小さい土地を、大体五町から二十町ぐらいの土地を支給することになっているのですが、実際は、ドミニカ
政府では、全部耕したらそこのを一ぱいやるので、初めからそれだけやるのではなくて、耕した力によって伸ばしていってやると、こういうような話し合いでございましたが、実際は、この約束の半分ぐらいの土地しかもらっておらないという実情のようでございます。それから、この地区が七地区に分かれておりまして、こまかく分かれている点が、なかなか世話をしにくいところでございます。しかしながら、その中でも、一番大きな移住地区でございますハラバコア地区とかコンスタンサー地区というのは、営農が非常に順調にいっておりまして、入植者の中には、すでに自家用車、トラックを持っておる者もある。あるいは近親呼び寄せをやっている人もある。つい最近も、近親呼び寄せが来ております。ただ、昨年
——ことしになってからですか、やかましく帰国を集団で申し入れましたネイバ地区というのと、それから、ドベルヘーという地区が問題がございます。ネイバ地区は、これも、最初に視察団が行きまして、農業技師も行って、非常にいい土地だということの折紙がついておったのでございますが、割合に石が多い所でございまして、最初
日本の移住者を入れましたときには、ドミニカの
政府で非常に力を入れまして、この近くにほとんど土民は住んでおらなかったんだと思いますが、水を全部
日本の移住者に回すということを言っておりました。ところが、付近の土民の方から
文句が出て、その水を一部土民の方にも回してやらなければいかぬということにまたなったりしまして、水の不足という問題も起こりまして、二年ほど前に、この地区を移りたいという希望が移住者の中から起こったのでございます。そこで、大使館及び海外協会連合会の現地支部でドミニカ
政府と話しまして、では、ほかの方に移そうということになりましたら、移住者の方で、いや、せっかくバナナも植え、ブドーも植えて、これからなるところだから移るのはいやだと言って、そのままになっておったんであります。その後、去年ごろになりまして、先申しましたドベルヘーというのが問題が起こりましたのですが、ネイバは何ら問題はなかったのですが、ことしになりまして、突然、この地区は水もないし困るから、そうしてほかのこの地区の中で土地を移るのはいやだから、集団で帰りたいという陳情が来たのであります。なお、このネイバ地区は、現地の話が二年ほど前にありましたが、その後割合この土地はいいとみえて、
日本人もほかの地区からここへ入ったのもあり、それから、土民が相当この地区へ入ったということで、水をだんだんそれらに回さなければいかぬということで、現在では、一日四時間に水が減量せられたというような根本的な問題も現在起こっておるのであります。それで、ことしになりまして、このような陳情がございましたので、われわれの方といたしましては、現地の大使に電報いたしまして、ドミニカ
政府に強く申し入れて、この移住者の保護に強力に施策していただくことを
交渉してほしい。なお、土地をかえる、あるいは国の土地でなくて私有地なんかを借りて、あるいは買って営農するという方法も考えられる、そういう場合には、移住会社から融資することもあわせて考えるというようなこともいたしたいからという指令を出しました。なお、相当現地の方で盛んに陳情するものですから、われわれとしてもほおっておけませんので、私の方の参事官が現在参っておりますし、その前、移住会社
関係、融資
関係の事務官を去る四月の終わりから五月の初めにかけまして送りました。海外協会連合会からも人が行っております。
こういうことで、現地の大使はドミニカの農林大臣と話しまして、それでは土地をかえましょうという話になりまして、この地区で土地をかえる余地はないので、他の地区へということになっておったのでありますが、移住者は、いや、もうドミニカ
政府はそういうことをなかなかやってくれないから、どうしても帰るんだと言ってがんばっているという話でございます。われわれといたしましては、
日本へ帰るということは大へんなことである。もう
一つは、ドミニカへ参りました移住者というものの素質が相当問題なんでございます。さっきも申しましたように、この地区は、非常に有利な、月給取りのような、遊んでいても暮らせるような移住である。実際ある移住者の一部では、補助金をもらって働かないでいた、現地人を補助金を出して働かしたというようなこともあって、ドミニカ
政府から
文句を言われたこともあるぐらいでございます。そういうような非常にいい所であるということで、農業に経験のない百姓が行ったり、あるいは、ドミニカに行ったら、ドミニカから
アメリカに行きたいというような人もあり、あまり勤労意欲のない人が行っておるというようなこともございまして、これは必ずしも全部でございません。むしろ全体はまじめな人でありますが、そういう人もあるものですから、ただ彼らがわがままを言うままをそのまま聞くわけにはいかないから、できるだけ現地にとどまってもらうように説得工作をしたいということで、現在それに努力している次第であります。
それで、ネイバ地区は、まだ結束して帰ると春っておるのでありますが、さっき申しましたドベルヘー地区は、これは、十家族帰りたいというものがありましたが、八家族は、ドミニカ
政府のあっせんで他の地区に移ることになりましたが、二家族だけがまだ残っております。もう
一つ、これはダバホンという地区がありまして、この地区は非常にいい地区でありますが、この中に、一人だけ、非常に勤労意欲がなくて奥さんが全然働かないので、一人だけでやっているため、案外いい土地でありますが、帰りたいという人があります。ネイバ地区は、一家族だけ、おれは最後までがんばるのだと言って、帰るのをがえんじない家族がおるわけであります。こういう状態でありまして、われわれとしても、
日本へ移住者を帰すということは、うまくいっておる他の地区に対してもいろいろ動揺を与えますし、また、南米の他の移住地区にも非常な影響を与えるのでありまして、慎重を期して、できる限り初志を貫徹するように指導したい、こう思っておる次第であります。