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1961-08-01 第38回国会 参議院 外務委員会 閉会後第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十六年八月一日(火曜日)   午前十時二十四分開会    ——————————  出席者は左の通り。    委員長     木内 四郎君    理事            青柳 秀夫君            井上 清一君            森 元治郎君    委員            草葉 隆圓君            笹森 順造君            杉原 荒太君            苫米地英俊君            永野  護君            野村吉三郎君            堀木 鎌三君            加藤シヅエ君            佐多 忠隆君            羽生 三七君            石田 次男君            佐藤 尚武君   国務大臣    外 務 大 臣 小坂善太郎君   事務局側    常任委員会専門    員       結城司郎次君   説明員    外務省欧亜局長 法眼 晋作君    外務省情報文化    局長      曾野  明君    外務省移住局長 高木 広一君    外務省移住局参    事官      鶴我 七蔵君    ——————————   本日の会議に付した案件 ○国際情勢等に関する調査  (国際情勢に関する件)    ——————————
  2. 木内四郎

    委員長木内四郎君) ただいまから外務委員会を開会いたします。  昨年に引き続き、国際情勢等に関する調査を議題といたします。御質疑のおありの方は、順次御発言をお願いいたします。
  3. 森元治郎

    森元治郎君 ベルリン問題についての御説明欧亜局長から一つ……。
  4. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) ベルリン問題は、これは今に始まった問題ではないのでありまして、ドイツが分割されまして、戦後ベルリン連合国側が同時にこれを管理するということになったときから実は発生しているわけであります。一九四四年、四五年の協定によりまして、英米ソ仏の四カ国がベルリンに入り、ドイツ全体に対して同じく管理するということから始まっております。ところが、この共同管理が、一九四八年に至りまして、その年の三月でございますか、ソ連管理理事会から脱退するということが起こりました。続いて起こったベルリン封鎖契機といたしまして、その年の七月にベルリン二つに割れたわけであります。そのとき以後、ベルリンに東の政府と西の市政府ができるということができまして、それ以後ベルリンの問題はむずかしくなって参ったのであります。最近のベルリン状況が著しくむずかしく困難になったのは、一九五八年の十一月に、ソ連フルシチョフ首相ベルリン自由市にするという問題を投げかけまして、これに六カ月の期間を付するということから発生しております。その後西欧側ソ連側との交渉があり、話し合いが行なわれました。その結果、このベルリンを、自由市にするということがだんだんに延ばされておったわけであります。それが、過ぐる六月初めのウイーンにおけるケネディ大統領フルシチョフ首相との会談によりまして、再びそれが最もアキュートな問題になりました。それが今日われわれが見ているベルリンの問題であります。双方とも従来の地位を主張して譲らないというのが現状でございます。
  5. 杉原荒太

    杉原荒太君 欧亜局長、ここの人は皆そういうのは知っているから、それだから、もう少し質問の趣旨をとらえて答弁していただいた方がいいと思うのです。
  6. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) そういたしますと、ベルリン問題の御説明でございますけれども、御質問ベルリンのどういう点とか、具体的な問題に限っていただきますと、私の方も説明いたしやすいのでございますが。
  7. 森元治郎

    森元治郎君 今、局長から大よその経過をざっとお話を願って、非常に筋道だけはわかったのですが、米ソドイツ問題処理方針相違点、違っておる点、それからその間の違いを、妥協の道がこうしたらあるのじゃないか、しかし、片方が譲らないためにできないのだとかいう相違点と、折り合いがこうすればつくのじゃなかろうかという点、あるいは全然つかないという御説明があるかもしれませんが、問題の一番のポイントは一体どこにあるのか。さらに進んでは、非常な危機だということを新聞その他で世界でも報道しておるのだが、どの点が危機なのか。そういう点に一つしぼって下さい。
  8. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) ベルリン問題は、ベルリン問題だけを摘出して解決しようということに非常に困難な点があるのじゃないかと思います。と申しますのは、ドイツが二分されておりますから、ドイツ統一問題との関連においてこれを解決いたしませんと解決が困難であるという事態が現在露呈されておる問題だと私は思います。そこで、ドイツ統一の問題につきましては、これは、西欧側自由選挙による統一ということを申しておるわけであります。これに対してソ連側は、言うまでもなく、東独政府があるという事実を強く主張をいたしまして、ドイツが分割されておるという事実を大いに主張して、むしろ東独というものを認めていくという観点から事を解決しようとしているわけでありまするから、フルシチョフ首相が、先般のウイーン会談におきましても、ドイツ統一するための会議を開く、ドイツ統一ができなければ、東西ドイツとおのおの好むところに従って平和条約を作っていこう、両方のドイツ平和条約を結ぶ国もあれば、また、おのおの見るところに従って、一方のドイツ条約を作っていく国もあるかもしれないということを提案したわけでございます。すなわち、ソ連の根本的な考え方は、東独国家としてこれをだんだん助成していって、そうしてドイツの分割ということを事実として認めていく、その基本には、東独というものがソ連にとって政治上、軍事上並びに経済上、これはもはや放置できない存在であるということから、私はこういう主張が出発していると思います。これに対して西の方では、ドイツ人議決権という点に主点を置きまして、ドイツ人自分意思自分政府を選ぶ必要がある。しかるに東独政府というものは、東独国民の全体の支持を得ておらない。でありますから、自由選挙を前提にしてドイツ統一するということを考えておるわけでございます。かようなことが、双方のねらいとするところを実現するためのタクティクスになって現われておるところに、これは問題の困難があると私はこう思うのでございます。
  9. 森元治郎

    森元治郎君 それで、その危機というのは、一体どういうところからいわれているのですか。
  10. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) これは、ソ連側が現在東独が存在する事実を認めて、この東独との単独条約を結んでいく、単独条約を結んでいった暁には、これはすべての管理権限東独政府に譲るのでありますから、東独政府がすべて自分で決定できる。従って、ベルリンというものは東ドイツに囲まれておりますから、ベルリンに至る道は東独政府管理するということを主張するわけであります。これに対して西の方は、それは、単独条約を結んでも、そのことは直ちに西方が有するベルリンに関する権限に影響するものではない。一方的にソ連東独政府単独講和条約を結んでも、そのことから直ちに西方諸国の持っておる権利権限というものは無視できない。一方的にソ連がそれに影響を与えることはできない。でありますから、東独がかりに自主的にベルリンに至る道を、これは空と陸路とございますけれども、それを困難にするならば、これに対してやはりこのベルリンに至る道を自由にあけておく手段をとる。いかなる手段をとるかというところに至って、つまり東独単独講和を得た暁は、いかなる手段によってベルリンに至る交通路コントロールするか。そのコントロールに対して、西の方がいかにしてこれをはばむか、押し通すかというところに実は問題の危機の点があるわけだと思います。
  11. 森元治郎

    森元治郎君 その点、東独管理するという問題になるわけだけれども、東独がどういう態度に出るかということは全然まだわかっていないわけですね。
  12. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) これは、いろいろなその手段推測せしめ得るものがございます。それは、ベルリンに至る飛行機の問題でございますが、これに対して、東独の方がコントロールをするという法令等をすでに作っておるわけでございます。そのほか道につきましても、たとえば自動車道路を通っていく、それを検問する、検問区に応じて東独側のスタンプを押さなければ通さぬということは、ときどき現在といえどもソ連側がやっておることでございまして、それを今度は東独自分で引き受けてやる。これは想像にすぎませんけれども、たとえば単独講和を結んだ後に、東独側が、道はありますけれども、今こわれておる、修繕しなければならない、一週間通れぬ、こういうことを言ってきますと、これは非常に問題になってくるのではなかろうか。一週間が一カ月、二カ月になり、道が非常にこわれておる、三カ月を必要とするということをかりに言い出されると、非常に困難な問題が起こってくる。それでもなおかつ、しからば西方側ベルリンに至る道を力で押し通るか。また、空の道につきましても、今ちょっと演習しておるから、飛行機が通るのは非常に危険だと、かりにこう言ってきますと、いや、危険でもかまわぬと言って飛行機が飛ぶのか。そういう問題から、すべて双方自分主張を通す観点から、そういった問題を契機にして、自分主張を力でも通すか通さぬか、そういうところに今問題の発生があるわけでございます。
  13. 森元治郎

    森元治郎君 程度の差こそあれ、西側が東に入る場合、東独が割にゆるい態度を示したときには、これはこぶしのふるいどころがないわけですね。道路がこわれたとも言わないで、従来通り通してはくれる。東ドイツソビエト条約を結んでしまう。しかし道路は通してくれるということになると、ちょっとげんこつというか、衝突の危険は非常に少なくなると思いますね。
  14. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) こういう点につきましては、いろいろな人がいろいろな推測をいたしております。たとえば、東側のタクティクスは、第一段階においては単に単独講和を結ぶだけにしておいて、あとは知らぬ顔して、従来通り通すと、すると、だんだん現状になれまして、まあこれでもいいじゃないかという議論が出てくる。すると、若干時間が経過した後に、今申しましたような方法で、いろいろ困難にしてしまうという想像をすることができます。むしろこういう想像ができます。たとえば、もし東独の方がなるほど単独条約を結んだあとにおいて権限主張するけれども、それを西側において、ソ連代理人と見る。そうして代理人の行動に対してソ連政府は責任を持つということを言明するということになったらどうなるか。そうすると、やはりこれは西としては、それに対してもなおかつそうは承認しないと言えるのかどうか。これはいろいろな想像がございますけれども、問題が困難なだけに、各種の想像が起こっております。これは全部想像議論を申し上げたわけでございますけれども、そういった観点から人々は問題を論じておるというのが現状でございます。
  15. 森元治郎

    森元治郎君 ことにアメリカの場合、ソビエトと結んだ東独というものを相手に、いかなる話も断じてしないという方針をきめておるのかどうか。単に陸路、水路、空路の通行問題だけじゃない、今度独立すれば、すべて話をしなければならぬ。行くにしろ、行かないにしろ、そういう東独政府というものを認めて、ソ連代理人であるかどうか知らぬが、一つ独立国家として、交渉相手として認めていくつもりか。そんなものは認めない、従来通り共同管理の方式で、おれの権限内にある地域だから自由に通るのだというのか。そうなれば、ケンカのチャンスも起きると思う。東独でも話の相手には一応するというくらいに利用してしまえば、チャンバラはないのじゃないか。
  16. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) この点につきましては、先般のアメリカ側及び西欧側対ソ回答を見まして、これは、ソ連側との交渉については、十二分に交渉の余裕を示しておるわけであります。従って、これに対するソ連側回答いかんによって、私は交渉の道が開けるのじゃなかろうかと、こういうように推測できると思います。西方側十分交渉の道を開いておるし、また、いろいろなソ連側の人の言説を聞きましても、たとえば、最近一時モスコーに帰ったメンシコフ大使が出発前に言ったことのごときも、結局交渉になるだろうと、こういう発言を与えておるわけでありまして、双方とも交渉余地は十分残しているというのが現状でございます。
  17. 森元治郎

    森元治郎君 イギリス側態度なんかには非常に出ている。あのケネディ大統領の強気に反して、もっと両者の間に話し合いの道を開きたいという気持が強いように出ておるのですが、どんなものですか、イギリス態度は。
  18. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) この点につきましては、イギリス側態度ははっきりしておるのでありまして、強圧のもとでは交渉はできない。しかも、ベルリンに関する連合側権利を認め、そして二百二十万の西ベルリンの住民というものの意思に反して事をきめられないと、そういった立場を堅持しながら交渉することはけっこうだと、こういう立場のように承知いたしております。
  19. 森元治郎

    森元治郎君 今度はベルリン市そのものについて伺いたいのだが、最近難民がこっちへどんどん流れてきて、記録的な難民だといわれておるのだが、難民というのは、行きたければ東から幾らでも行けるのですか。これはこまかいことを知らないのだが……。
  20. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) これは、まず第一に、東ベルリン西ベルリンの間の交通は自由であるということは、四ヵ国にきまっておる約束でございます。そこで、東独地域から東ベルリンに入ってくることは比較的容易であります。東ベルリンに入ってきますと、これは地下鉄もあります。自由に西に来られる。従って物を持たないで、着の身着のままで来るならば、これは自然に来れるというのが事実であります。でありますから、そのときの政治的雰囲気と条件によって、ときに避難民の数が増減するという現象は、われわれ現在見ておるわけであります。ただ、まだ出先から報告が来ておりませんけれども、最近東独側が、東ドイツから東ベルリンに入ってくるドイツ人の流入を阻止する態度に出ておるということが新聞報道として伝わっております。かようなことは、どう発展するかは相当われわれは大問題であると思っています。
  21. 木内四郎

    委員長木内四郎君) ちょっと関連して伺うのですが、阻止するという態度ですけれども、相当の難民は入っているのですか。
  22. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) 今申し上げたのは、どの程度に拒否が行なわれておるかということがまだわからない。新聞報道として承知しておるだけであります。
  23. 森元治郎

    森元治郎君 ソビエトの体制の中で、自分の仕事を放棄して、子供を連れて、ふらふらどこからか歩いてきて、東ベルリンに入って、やすやすとエンフェルトというところに自由に来れるものかね。来れないものかね。
  24. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) それは、現在までは自由に来れておった実情でございます。
  25. 森元治郎

    森元治郎君 東独の内部は、そういうふうに現われていることだけでも日に千人というような大ぜいの人とすれば、東独がいやだから西ベルリンに住んでいるドイツ人が相当おる。これが全然通させないのだ、息抜きをふさいだとした場合、昔のホズナン事件とか、あるいは東独の騒ぎのようなことが起こることを向こうのドイツ人はだいぶ不安な気持を持っているのか。その点はどういうふうに判断したらいいのですか。
  26. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) 東独人たちが逃げてくるということを促進する理由としては、第一、最近のソ連側の言明にかんがみて、結局、全部ストップされるおそれがあるということと、もう一つは、東独内においては生活が非常に困難である。特に農業については、非常に強力なる集団化政策の強行によって非常に生産が悪いという、そういった実情がこれに貢献しておるというふうにわれわれは見ております。今お話のように、完全にベルリンに行く道がふさがれて、従って、その東独難民が逃げられないということになったときにどうなるか。これは、いろいろな人がいろいろな想像をしております。これは、現在の難民状況自身が、逃げてくる状況自身が、すでに一九五三年の六月十七日に起こった例の暴動の事態をほうふつさせるものであるということから、かりに全部ストップしてしまうと、非常に問題が起こるのじゃなかろうかと推測する向きもございます。他方、しかしながら、そういうことがあったとしても、結局これは無意味にドイツ人の血を流すだけであるから、なるべくそういうことを抑止したいという声も強くあるように私は承知しております。他の要因が強くなって、いかに発展するかということは、これはもとより推測することは困難でありますけれども、ただ、東独の中に非常な緊張状態があるということだけは十二分に推測できると思います。
  27. 森元治郎

    森元治郎君 ベルリン自由市化というのは、一体どういうソ連の意図なんですか。
  28. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) ベルリン自由化内容がどういうものであるかということについては、何ら説明されておりません。ただ、自由市である、従って、この自由市に至る陸の交通路というものは、東独側ソ連側も保証するということを言っているだけでありまして、自由市内容はいかなることについては、具体的に説明はないということであります。
  29. 森元治郎

    森元治郎君 何か危機危機というけれども、ソビエトの方も、みすみす武力を使いそうな雰囲気、さらには小ぜり合いというようなことを起こさないで、肩すかしを食わして、事実上は、東独を認めて、西側ベルリンに行くためには、いやでもおうでも、何らかの形で東独話し合いをつけるような結果に持ち込まれるのじゃないか。予備兵を動員して、あれだけの召集兵をやって、アメリカは非常に興奮していますが、これは完全な肩すかしを食うのじゃないか。そんなことをみすみすあそこでやりはせぬ。話し合いでという形で、東独を何らかの形で事実上、外交的な話し合い相手とせざるを得ないように、結果的になるのじゃないかと思うのですが、どうですか。従って、世間で言われる危機というものは回避されるのじゃないか。どうでしょうか。
  30. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) 現状は確かに危機の様相を呈しておりますけれども、世界には、相当森先生のおっしゃったような推測の人が多いということは事実であります。
  31. 森元治郎

    森元治郎君 森先生は東海に住んでおる一日本人で、遠いところでわからないのだが、そういう考えを持っておる国、あるいはアメリカなんかの中でもこういう人もおるのか。たとえば、こういう考えを持っておるのは、イギリスあるいはフランス、ドイツ、どこにあるのか。おもだった人の名前とか、組織とか、団体とか、国とか、わかれば教えていただきたい。
  32. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) これは、アメリカ国会議員の間にもいろいろ発言をしておる人がございます。それから、これは世界評論家で、名前は失念しましたけれども、こういう情勢の結果を通じて、これは交渉するべきであるという見方をしておる人があるのであります。しかし、現状のところは、いずれもこれは自己のペースにとどまっておって、一つかかって、私は、最近の西欧側回答に対するまたソ連側回答というものの内容を見なければわからない、その回答にかかっておると思うのですけれども、具体的に名前をあげろと言われても、私は今、名前を覚えておるわけじゃございません。はなはだ不本意でありますけれども、名前を言うわけにはいきませんけれども、森先生の言われておるような考え方が、相当強く言われておることは、日々新聞その他で読んでおります。
  33. 木内四郎

    委員長木内四郎君) それに関連して伺うのだけれども、ウイーン会談あとで、フルシチョフ首相文書で何かケネディ大統領に渡した、それから、それに対して西側の方から何か渡したというようなことが伝わって、新聞でわれわれ拝見しておるのだけれども、その内容を、そういうものについて何かあなたから説明を聞くことができればお願いしたい。
  34. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) 文書は、ウイーン会談の際に、ラスク国務長官にグロムイコの方から手交があったというように言われております。これは、ソ連側の従来の考えを強く持ち出しまして、ドイツ問題、ベルリン問題について国際会議を開く、そうして一定期間の間に東西両独が話をして、それができなければ、今度は、先ほど申し上げましたように、各国おのおの見るところに従って、二つドイツ、あるいはそのいずれか一方との間に平和条約を結ぶ、しかし、その平和条約を結んだことの結果が一方のドイツを承認したことにはならぬということを骨子とする文書、これに対して西の方では、ベルリンに対する決定については、これはソ連が一方的に、しかも、その文書の中には、それができなければ、ソ連単独講和を結ぶということを言っておりますが、それに対して、単独講和を結んでも、そのことの結果は西方が有する権利というものを棄損することはできない、こういうことを言って一定の強い意思を表示しておる。しかも、ベルリン問題については交渉する余地があるということをここで結んであるのがアメリカ回答であります。
  35. 森元治郎

    森元治郎君 ちょっと話が……。それでは、オーデルナイセ国境線に対する東ドイツ考え方はどんなものでしょうか。
  36. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) これは、東ドイツとポーランドの間に約束がありまして、オーデルナイセ東ドイツは認めるということになっております。
  37. 佐藤尚武

    佐藤尚武君 ちょっと補足的に御説明願いたいと思いますが、何年ですか、一九五〇年と五一年、この前のベルリン封鎖ですね。
  38. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) 四八年でございます。
  39. 佐藤尚武

    佐藤尚武君 そのときの動きは、陸路の交通はストップされてしまったけれども、空路の交通だけは、東独としても手がつけられなかったと見えて、そのままになっておったので、それで西ベルリンに対しての補給生活物資はもとよりのこと、駐屯軍軍需品、すべて空路でもって輸送したわけで、はなはだしきは石炭のごとき、もう日に何百トンという石炭を空路輸送したというぐらい、えらい問題が起きておったのですが、その当時のことを、私はもう記憶が薄れておるのでありますが、実際どういうふうであったのか。その空路の交通を阻止するということができなかったのは一体どういうわけなんだか、そういうような点について一つ説明願えればと思います。
  40. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) ただいま佐藤先生お話のごとく、当時は、あらゆる生活物資飛行機で運びまして、おそらく飛行機は一分間おきに西ベルリンの飛行場におりておったわけであります。これをソ連が阻止しなかったのは、やっぱり私は、これを阻止すると大へんなことになる、これは、戦争を覚悟することなくしてはこの飛行機の輸送を阻止することができなかったわけであります。その結果として、ベルリン封鎖ソ連側の大失敗であったわけであります。一方アメリカの非常な力のディスプレーと申しますか、力の誇示、それから、ソ連側もこれは阻止し得ずして、単に見送るほかなかったということ、その背後には、これを力で阻止すれば、当然にこれはやはり重大事に発展するということであったと思うんです。ただ、現在から見ますと、当時のベルリンが必要とした補給というものは非常に少なくて済んだわけであります。飛行機でもって十分石炭まで運べたのでありますけれども、その後十数年間にベルリンが非常に発展いたしまして、生産も増大するし、すべてが発展しておりますので、現在かりに空輸しなきゃいかぬということになりますると、現在の空輸をもってしては、現在の西ベルリンの持っておる経済状況を維持する程度飛行機で運ぶことは困難だと言われております。ただし西ベルリンは、生活物資その他は相当、おそらく半年以上分もストックを持っているという状況で、半年以上ぐらいは輸送しなくても現在の状況を続けることは可能であるという実情であるというふうに承知しております。
  41. 佐藤尚武

    佐藤尚武君 その当時のベルリン封鎖は自然に解除されたんでしたか。どういうふうにして解除されたんだか、ちょっと私記憶しませんが。
  42. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) これは、最初吹きかけになったのは、国際連合の場で、たしかマリク氏だったと思いますけれども、ソ連側と、たしかあれは連合国側とに話のきっかけができまして、それからだんだんと交渉が行なわれて、事が解決されるということになったわけでございます。
  43. 森元治郎

    森元治郎君 一つ見通しとして、ソビエトはあくまでも東独と単独で平和条約を結ぶだろうかどうかということが一つ。私の観測では、これは結ぶ。結ぶが、西側権利というものに対しては、あまり侵害をするような措置はこの際はとらないというふうに感ぜられる。従って、アメリカ帝国主義が軍隊を動員して、それでわいわい騒いだのはおかしいじゃないかという宣伝にむしろ西側が利用されて、結果的には東独との平和条約はできてしまうというのが落ちではなかろうかというふうな想像をするんだが、どんなものですか。
  44. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) 単独講和を結ぶということは、すでに二年あまり前から言い出さろてきたわけでありまして、これはしばしばキャンセルすると申しまするか、延び延びになっておったわけであります。しかるに、最近のフルシチョフ首相発言を見ておりまするというと、単にウィーンにおける会談における場合のみならず、その後しばしば、たとえば、私の記憶によりますと、六月二十一日の独ソ戦争記念日の日における演説、それから数日において行なわれたカザフ・スタンにおける演説、そのほかしばしば演説をいたしまして、本年の晩秋の候と申しますか、終わりごろまでには単独を結ぶということを言明しておるわけであります。でありますから、これを世界の外交観測者は、今度は結ぶのじゃなかろうかという見解に傾いているわけであります。その場合はどうなるかということにつきましては、これは、単独講和なるものをいかに文字通りその結果は実行するか。すなわち、管理権を渡されたという東独政府が、いかなる程度ベルリンへ行く道をふさぐかふさがないか、その程度いかんということによってきまってくると思うのであります。なお、ただいま言及されましたアメリカの動員の問題でございますが、その前に、このフルシチョフ氏が兵員の縮少をやめ、三十数億ドルの予算をさらにふやして、軍備を大いにやるということを言明しているということもわれわれは忘れることができない、こう思うわけであります。
  45. 森元治郎

    森元治郎君 大筋のお話はわかりましたが、もう一点だけ局長に伺いたいのは、きのう小坂外務大臣に伺ったのですが、終戦処理で、四ヵ国の共同管理で今日まで来ているわけです。しかし、及ぼすところは世男的な規模のものになるのですから、どこか第三国あたりで、ほかの、国連でもよろしいし、あいるは別な会合あるいは旧連合国、いろいろな形で一つベルリン問題の仲をとろうじゃないかというような動きがあるのかないのか。
  46. 法眼晋作

    説明員法眼晋作君) ただいまの御質問は、私の承知している限りではないわけでございます。ドイツ問題、ドイツ統一問題については、英米ソ仏の四カ国が責任を持っている。こういうわけでありまして、西ドイツ自身も、ドイツ問題については英米ソ仏四カ国の責任である、ゆえに四カ国が解決すべき問題であるという立場をとっているわけでありまして、従いまして、他の国がこれに参与して解決するという声は、現在のところ聞かれないわけでございます。
  47. 森元治郎

    森元治郎君 前のベルリン総領事で情報局長の曽野さんもお見えになっているようですが、一つベルリンのなまなましい、どうも不安だというような現象でもけっこうですが、こういう事実があるんだという新聞記者的報告というか、なまなましいところを一つ聞かしていただきたい。
  48. 曾野明

    説明員(曾野明君) ただいま法眼局長から歴史的な経過がございましたが、 二つ三つ、私が二年三カ月現地におりまして見ていた点をつけ加えた方が、今後の情勢の進展に御参考になると思いますので、申し上げさせていただきます。  まず第一点は、この前の、五八年十一月のフルシチョフ氏のいわゆる最後通牒で要求しておりました主要点は、御承知のように、米英仏軍隊の西ベルリン撤退でございます。この六月に、フルシチョフ首相ケネディ大統領にウィーンで申しました主張の点は、前の要求よりも下がりまして、むしろ東ドイツの国際的地位向上という面に重点が行っております。要求としては前よりも下がっているということを、現地のベルリンにおいて痛感いたしたわけでございます。これが第一点でございます。  第二点といたしましては、ベルリン危機というものは、二年半以来ずっと同じ程度で続いているように、遠くにおりますとごらんになりますが、現地におりますと、途中で一度トーン・ダウンいたしまして、特にことしの一月以降最近に至りますまでの西ベルリンをめぐります交通問題というものは、過去十年見られなかったほどの平静さでございます。全然ことしの一月以降は問題は起こっておりませんです。もちろん難民は逃げて来ております。しかし、西ベルリン交通に関しては、ほとんど問題はなかった。なぜそうなったかと申しますと、日本の新聞にあまり詳しく報道されておりませんでしたが、去年の九月の初めに、東ドイツ政府が、西ドイツ人東ベルリン立ち入りにつきまして許可制度を採用いたしました。この考え方は、昨年の夏以来東の方がとりました新しい戦術でありまして、要するに、西ベルリン東ドイツの領域の中にあるのだから東ドイツのものである。従って、西ドイツとは関係がないということを非常に重点を置いて主張をして参ったわけであります。この主張が米英仏軍の西ベルリン撤退にかわって昨年の夏ごろから現われて参ったのであります。従いまして、去年の九月に、東ドイツ側は、その見解に対しまして非常に注目すべき三つの措置を決定したわけであります。  一つは、西ベルリン人は東ドイツの中に住んでいる、領域内に住んでいる人だから東ベルリン人と同じである。だから、西ベルリン人は自由に東ベルリンに入っていい。しかし、西ドイツは何ら西ベルリンと関係がないから、西ドイツ人東ベルリンに入るときは許可を必要とする。そしてその許可証をもらうときには、西ドイツ人東ベルリンの境界線の監視所へ行きまして、名前を言って許可をもらう。その際に若干の者がつかまった例があります。  第二点は、西ベルリンは西ドイツとは何ら関係がないから、西ベルリン人の持っている西ドイツの旅券は無効であるという措置をとりまして、ソ連、チエコ、ポーランドその他の東欧諸国はその措置にならったのであります。従って、今までは、西ベルリン人は、東ヨーロッパへ参りますときに、西ドイツ政府の旅券を持って行けばよかったのですが、去年の九月からは、東ドイツ政府の旅券を持っていかなければビザがもらえないということになりました。  それから第三点は、西ベルリン人は、今までも西ドイツ人と同じように、東ドイツへ行きますときにはビザが要ったのでありますが、去年の九月からは、西ベルリン人は東ベルリン人と同じような人間だから、東ベルリン人と同じにビザの手数料は免除するということになりました。西ドイツ人は手教料を払わなければならぬ。西ベルリン人は払わなくてもいい。このように、すべての措置におきまして、西ベルリン人と西ドイツ人とは別だということを強調された。それに対して西ドイツは、報復措置といたしまして、去年の九月三十日に、東西ドイツ間の貿易協定の廃棄を通告したのであります。この措置は、本来は西ドイツ政府はいやいやながらやったのでありまして、せいぜい三カ月も経てば効果がなくなるだろうと思った。ところが、案外非常な効果がありました。それは、東ドイツが西ドイツから買っておりました特殊鋼、機械類、こういうものに対して案外ソ連とかチエコがくれなかった。あるいは英国やスエーデンに買いに行きましたけれども、実は外貨があまりない。日本にも銑鉄と鋼鉄と交換の話を持って来て、一つ契約ができているようでありますが、そういうように、方々回りましたが、あまりうまくいかなかった。それで、去年の十二月の三十日にできたのでありますが、もう一度東西両独間の貿易協定を復活させるという話がまとまった、そのときに東ドイツ側は西ドイツ側のいろいろの要求に対しまして発表されるなら譲歩できない、発表しないなら全面的にのむということになりました。その何をのんだかと申しますと、一つは、先ほど法眼局長からも御説明がありましたが、運河であります。西ベルリンと西ドイツの間の運河の通航料を全廃する。それから、西ベルリンで作っておりましたものを西ドイツへ送りますときに、送り状を東ベルリンへ持って行きまして、スタンプを押してもらってからでないと送れなかったのが、スタンプを押す必要ないというふうに東が譲歩いたしました。あるいはベルリンとミュンヘンの間の自動車道路がちょうど東西ドイツの間で橋が落ちて、戦後は通れなかったのが、これを共同で直すということも出したのであります。特に、先ほど申しました東ベルリンへの立ち入りの許可制度については、現在はこういうふうに変わっております。西ドイツ人がぶらぶら歩いて東に入る場合は別に何も言わない。西ドイツの番号のついた自動車で入るときは、おまわりが許可証を持って待っていて、名前は聞かない。身分証明書番号を聞くだけであります。名前を聞かないからつかまる人はない。つまり、これは実際上は西ドイツ側には不便はない。しかし、東ドイツ側は、許可を与えている建前は堅持している。こういう解決方法でありまして、これは、ひょっとすると今後のベルリン問題全般の解決方法の一つの着眼点を示しているのじゃないかと思います。従いまして、西ドイツの方は不便はない。東ドイツは建前は堅持している。こういうことになりまして、去年の十二月三十日に東西両独間の貿易協定は再発効いたしました。その交渉の最中に、西ドイツ政府一つの重要な決定を発表したのであります。それは、今後東西ドイツ間の貿易を許可するにあたっては、必ずその許可証に、いつでもこの許可は政府の必要によって撤回できるという条項を入れたのであります。これは何を意味するかと申しますと、東ドイツ側が少しでも交通の妨害をやれば、東ドイツの緊急に必要とする物資の許可を取り消す。そして西ドイツ政府がそれを補償する。こういう制度をきめたわけであります。従いましてここに、ことしの一月から現在に至りますまで、西ベルリンをめぐる交通問題につきましては、何らの妨害が行なわれていない一つの大きな原因があるわけでございます。従いまして、この経済戦争では、東西ドイツ関係では東が特に参ったという形、これは日本ではあまり知られておりませんけれども、現実に向こうに住んでおりますと、その結果としまして、ことしの一月以降は過去十年以来見られなかったほどの平静さが西ベルリンを支配している。ここに新しい問題が出て参った、こういうことが言えると思います。  もう一点申し上げておきたいのは、実は、ソ連東独との間には、一九五五年に国家条約がございます。従ってソ連は、東ドイツを一九五五年に独立国として承認している。何も今度特に平和条約を結ぶ必要は本来はなかった。ただ、五五年の国家条約の付属の覚え書におきまして、西ベルリンと西ドイツの間の軍事輸送につきましては、ソ連管理権を留保いたしておるのであります。従いまして、その覚え書を失効させれば、いつでも、平和条約は結ばなくても、管理権は東ドイツに渡り得るわけであります。今度の平和条約ソ連が言い出しまして二年半経っておりますのは、別に平和条約がそう法律上必要なわけじゃなかったのでありまして、むしろこれは宣伝的な意味が多かった。従って、延ばしても平気である。また宣伝的なものであるがゆえに、作ってしまえば値打ちがなくなるということもあったのではないかと思います。従いまして、今度の東独との単独講和問題というものは、平和条約自体ができることの法的効果に重点を置いて考える必要はなくて、むしろその政治的な意味の方が非常に大きい。こういうことになると思います。
  49. 森元治郎

    森元治郎君 大分もたもたしているのだが、こういうような戦争でも起きそうな様子が現場にはあるのか。今のお話を伺っていると、どうもアメリカがからかわれているような感じが私はするのだが、ただ、こっちは変なことをしたら許さぬぞ。承知をしないのだ。もう一歩も譲らぬのだということばかり力み立って、手はいつも向こうの打ってくる手に対する回答ばかり西はやっているわけです。ドイツの問題について、統一選挙をやれということも、ときたま思い出したように言うけれども、直接それを呼びかけて、この全独統一ということについては先手を打っていない。この点は、どうも西側外交だらしないと思いますが、それは別として、何か現場で危機ということはないのですね。あなたのお話を聞くと、あまり危険な感じは……。
  50. 曾野明

    説明員(曾野明君) 実は、私の参りましたのは、この前の危機のときでございましたが、一九五九年の三月に着任いたしましたが、こちらで抱いていた危機感は、全然現場では見られませんでした。最近のベルリンの総領事からの報告によりましても、前の最後通牒のときよりも市民は平静であるというのが来ております。それから、各種の特派員からもそれに類する報告が来ているようであります。従いまして、最近はやはり西ベルリンの民心は平静でありますが、若干個人的な、住宅建設程度は控え目になっているという程度でありまして、こちらで考えているほどの危機感は、私は現地では感じられないのではないか。こういうふうに見ております。  それから、今のアメリカ側の戦争騒ぎという問題でございますが、過去の十年以来の国際関係を見ておりましても、平和共存のラインからははずれないとしましても、全般としては、二年くらいがいわゆる雪どけ気分の時代、半年か一年くらいが緊張の段階というのが常に交互に出てきたのではないかと思います。これは、アメリカ側がやはり国内の士気の振興ということが必要であると同時に、ソ連の方もやはり二年に一回くらいは少し引き締める必要がある。私は、ちょうど現在が、両方がその必要性が合致したような段階にあるのではないかと思います。従いまして、本質的には見えるほどの危機じゃないように私は思っております。
  51. 羽生三七

    ○羽生三七君 ソ連が従来も、ベルリン問題で、ある程度の強い態度を示しながら、しかし実際には、先ほど欧亜局長からお話があったように、キャンセルというのか、一応見送って時を待つと、そういう態度をとってきたところが、今度はさらに今までにない強い立場を示したわけで、その原因が、たまたまベルリン問題が世界危機の焦点の一つといわれておるから、そういう一般的な問題もあるでしょうが、その原因が、単に、今お話が情文局長からあったように、時たま起こる緊張、二年に一回か三年に一回か、とにかくたまたま起こる緊張なのか。それとも、今度ソ連がこういう強い態度を示したということは、客観的にはどういう情勢からそういう態度を示さざるを得なかったのか。何かそれに特別の原因があるのか。たとえば、もうベルリン問題を、あるいはベルリン問題というよりも、ドイツ問題をこれ以上遷延することのできないような事情が存在しておるのかどうか。あるいは、今情文局長お話のように、たまたま二年、三年に一回訪れるいわゆる間歇的な緊張なのか。その辺の判断はどうなのでしょうか。どちらの局長さんでもよろしゅうございます。
  52. 曾野明

    説明員(曾野明君) まず、今のソ連主張は、前よりも、内容においては弱まっており、態度においては強まっているという点を一つ考え願いたい。要求自体が減っているのです。英米軍の撤退ということを申しておりません。だから、前よりは要求の内容が弱まっている、態度は強まっているというところに、何とかして最小限の要求、すなわち東ドイツの国際的地位向上は何とかしてこの機会に実現しなければいかん。東ドイツ国家の国際的地位を引き上げてやる必要がどうしてもあるということから、私は今度のベルリン問題が出てきているのだと思います。これに御参考になることとして、実は、昨年パリーの巨頭会談が流れた二日あとに、フルシチョフ首相東ベルリンで演説をいたしました。その演説を西ベルリンで、テレビがありますから、みんな見ているわけであります。その話の途中で、フルシチョフ首相は、ドイツ問題の解決はいつまでも待てないということを言った。そうしますと、聴衆は、これはおもに統一社会党員でありますが、非常に満場拍手をして立ち上がって喜んでおります。終わりごろになりまして、フルシチョフ首相は、しかし時はわれわれに有利に左右する、あわてる必要はないということを申しましたら、数人部屋から出て行った人がある。すなわち、東ドイツ立場としましては、やはり二年半前から西ベルリン自由市化という要求が出されておるのが一向に実行されない、早くやってもらわなければ困るという空気が強い。やはり上層部には強い。一方下の方の動きを見ますと、つまり統一社会党員の下部から大衆にかけての動きを見ますと、東ドイツ新聞は、ことし春ごろからしきりに社会民主主義的傾向が浸潤してきたということを書いております。これは何を意味するかといいますと、東ドイツの下部の人々の中には、どうもドイツ統一ができないのは、東ドイツ主張が少しがんこ過ぎるからではないかという空気が下の方にある。そういうような動きがございます。先ほどからお話もありましたように、経済状態が過去二年前まではずっと上向きになっておりました東ドイツが、しかし昨年の早魃以来、それから農業集団化以来、その上昇傾向が少しとまり出してきておるわけであります。そこへ難民が非常にふえてきた。しかも、戦後十五年でございまして、一番出生率の少ない人口層が就労年令になることになります。従いまして、労働力の不足で、競争は非常に激しくなってきております。従って、昨年の東西両独貿易協定の破棄によって、工場資材の出回りが不十分になってきておる。こういう状況でございますので、やはり東ドイツとしては、何とか今までのフルシチョフ首相の言っておる線を少しでも実現してくれという要求は強まるし、ソ連の方からも、何か最小限の要求は実現しないと、やはり熱意が疑われる。こういうふうな考え方もありましょうし、私は、やはりそういうことからベルリン問題が取り上げられてきたというふうに考えております。
  53. 森元治郎

    森元治郎君 私は不思議なのは、東ドイツということが問題になると、フルシチョフとかウルブリヒトだとか、統一社会党という名前が出てくるけれども、もともとソビエト好きではない東側にいるドイツ人、プロシヤの方のドイツ人、あそこに住んでおるのが、おとなしく東ドイツがいいと思って住んでおるのか、どんな考えでしょうか、ドイツ人は。
  54. 曾野明

    説明員(曾野明君) これははっきりわかりませんけれども、ドイツ人は、現地におりまして見ておりますと、ロシア人にそう敬意を払っておるというふうに見受けられないのであります。東ドイツ政府筋の人の言うところでは、少なくとも八五%まではこっちの考え方、西の考え方ということを申しております。  それから、先ほど申しましたように、やはり東ドイツというものは、本来のドイツ社会民主党の基盤であるから、社会民主党と共産党が一緒になって統一社会党を作っておりますが、非常にやはり社会民主主義的な考え方が強いということは申せるんじゃないか。これはやはり大衆にも相当及んでおります。従って、東ドイツの放送を聞いておりますと、西ドイツの政党で政党名をあげて攻撃される党は社会民主党でありまして、 アデナウアー、シュトラウス国防相は攻撃されるが、キリスト教民主同盟というものは攻撃されない。むしろ攻撃されるのは社会民主党という非常におもしろい現象が出ております。
  55. 木内四郎

    委員長木内四郎君) 関連して。しろうとのあれですけれども、両独の統一問題ですね。統一の意欲というものはおのずからそこで……そうすると、あなたの今の御説明によると、東独の人も、西独と早く一緒になりたいという希望は持っておるわけですね。
  56. 曾野明

    説明員(曾野明君) 統一問題に対する気力は、私の見るところでは、東ドイツの人間が一番強い。それからベルリンの人間、それから西ドイツの人間と、こういうふうに少し差があるように私は見受けました。一番希望しておるのは東ドイツの民衆です。
  57. 木内四郎

    委員長木内四郎君) 一緒になりたという、
  58. 曾野明

    説明員(曾野明君) そうです。
  59. 木内四郎

    委員長木内四郎君) ベルリン問題はいいですか。
  60. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 一つ外務省にお聞きしたいが、外務省で、「わが外交の近況」という青書をずっとお出しになっておるのですが、最近これが出ないのはどういう事情ですか。
  61. 曾野明

    説明員(曾野明君) 私、最近情文局長に任命されまして、詳しいことは知りませんが、近く、ゲラ刷りができておりますから、そのうちに発表になることと思います。少しおくれておるようでございます。
  62. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 第一号、第二号を出したころは、半年に一ぺんずつ出すという計画でやっておられたのが、その後はおくれちゃって、一年に一回になり、そのおくれるのも、順次二、三カ月ずつずれてくる。ほかの各省の政府の白書を非常に精力的に出しているときに、外務省だけが、最も率先してむしろ出さなければならない外務省がこういうものをおくらし、しかも、一年に一ぺんおざなりなものを出して、まことに怠慢だと思うのだが、その点どうお考えですか。
  63. 曾野明

    説明員(曾野明君) 確かにおっしゃるように、今も、現在の出版がおくれておりまして、おくれますと、また継ぎ足してなるたけ新しいところまで出すということになっておくれます。私は、今おっしゃったことは認識しておりまして、ことしは別の方法によりまして、年度内に、十二月三十一日までに三十日までのものを作って、一月ごろには出したい。その方策は考えておりますから、ことしのおくれましたのは一つ御了承願いたいと思います。
  64. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 そうすると、今までのような、三十五年一年間のものは七月ごろにお出しになる、あとは半期ごとに出すという考え方ですか。
  65. 曾野明

    説明員(曾野明君) 過去の例は私存じませんが、半期ごとに、年二回でございます。私は、年一回一緒にして十二月末にまとめて、一月に前の年の分をまとめて出した方が便利ではないか。何となれば、交渉案件とか、そういうものが続きますから、あまりこまかく切ると、かえって不便になるんじゃないかというふうに私は考えております。
  66. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 今の進行状態からいえば、三十五年のものは今年度七月ごろ出されるわけでしょう。そうすると、事実は三十六年の少なくとも五月、六月ごろまでの事実が考慮されることになりましょう。そうすると、それから以後のものは半年になるわけですね。半年のものになる。そうすると、あとも十二月にお出しになろうということは、半期分を出そうということになってしまう、事実。それで、それならば第一号、第二号をお出しになったときと同じように、当初の計画通りに、半期に一つずつお出しになるという予定なのかどうかということなんです。
  67. 曾野明

    説明員(曾野明君) 私は、一年一冊だと思っております。
  68. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 実際は一年一冊だけれども、私さっき言ったように、第一号、第二号は、六カ月ずつに一冊出すことに実績もなっている。それから、第一号をお出しになったときに、前書きに、ちゃんと年二回出す予定だということをうたっておられる。
  69. 曾野明

    説明員(曾野明君) もし年二冊というふうに分けますのがよろしければ、そういうふうに出します。今年度の分は、昨年度に出るはずの分に最近のものまで加えておりますから、業際上今年の上半期くらいまで入っております。しかし、ことしの末に出しますのは、もう一ぺん少し前のを簡単に出しますのでことし一年分をまとめて私は作りたいと、こういうふうに考えております。明年以降のものにつきましては、もう一度、半年ごとの方がいいか、一年一冊がいいかということをもう少し検討さしていただきたい。しかし、少なくとも年度が終わりましたら、一カ月目くらいにデータが出るように努力いたしたい。
  70. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 それは年度でお出しになるのですか。暦年ですか。
  71. 曾野明

    説明員(曾野明君) 暦年でございます。
  72. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 それが今まで年度がずれてきた。しかも、それが五月になり、六月になり、今度また七月、もう八月になってしまうというようなことにずれて、非常にルーズなやり方になっているのですよ。これはぜひ一つ改めて、もっときちんとしていただきたいということと、それから一年分になると非常に膨大なものになって、そのために重要なことをはしょったり何かしていく危険性があるので、むしろ、私の希望としては、半期くらいをまとめて、当初の計画通りに、半期くらいをまとめて、六カ月に出すというふうにしてお出し願った方がいいのではないかという感じがしますが、その点も一つよく考えていただきたい。
  73. 曾野明

    説明員(曾野明君) お話よくわかりましたから、研究させていただきます。なるべく御希望に沿うようにいたします。おくれないようには十分努力をいたします。
  74. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 そうすると、今度のやつはいつ出る。
  75. 曾野明

    説明員(曾野明君) もうゲラ刷りが出ました。この間、おくれましたからまたちょっと足しましたのであれですが、もうそろそろでき上がるのではないかと思います。グラはできています。
  76. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 次の問題は、ドミニカの移民の問題ですが、ドミニカのネイバ地区の移民の諸君が、外務省なり外務省の出先機関が誇大な宣伝と、ほとんど欺瞞的ないろんな事実を報告みたようにやって、そうして移民を入れておいて、しかも、その移民が全く当初外務省が宣伝をされたようなところとは違った状況に置かれている。すでに四、五年たって、最近はほとんど餓死状態寸前に追い込まれている。従って、生活保障なり何なりを要求しているにかかわらず、これに何ら措置をしてくれないということで、いろいろ詳しい陳情が来ております。これに対しては、外務省の方でも、三回にわたってか、調査団をお出しになったようですが、これらの事情はどうなっておりますか。一応詳しく御説明願いたい。
  77. 高木広一

    説明員(高木広一君) ドミニカのネイバ地区の問題につきましては、先生おっしゃいましたように、現地ネイバ地区の在留者の二十二家族が集団帰国の陳情をことしの三月にいたしております。このネイバ地区は、従来はむしろドミニカの移住地区の中でいい所で、ずいぶんここへあとからも入った経験もございますし、この地域はバナナとブドウを作っております。最近この地域が非常に石ころが多くて、水がないので、農産に適せないということをいわれているのですが、根本的な問題は、水が最近非常に少なくなった。それは、現地の移住者がずいぶん入ったのと、日本の方も過剰入植になった関係で、最近特に水が不足したということで、従来一日十二時間くらいの配水があったのに、このごろは三、四時間であるということが一つの原因でございます。それからもう一つは、ドミニカへの移住者につきましては、住宅と、これに必要な什器、家具類及び最初の第一期の収獲があるまでの間の生活補助金、大体一家族米ドルで六十ドルくらいの保障金をもらうことになっておりまして、これが第一期の収穫期までということになっているのですが、実際上は、昨年の秋ごろまでずっと続けてもらっていたのであります。それが昨年秋の汎米諸国の政情の変化、特にドミニカは独裁国家であるということで、ラ米諸国から国交断絶になりまして、かつ、キューバ、ベネズエラはドミニカに寄った船は自分の港には寄港を許さないということになりましたので、従来カリビア海の観光地のような地歩を占めておりましたドミニカヘの旅行者も減少し、経済的にも非常に苦しくなっておる。さらに、昨年ですか、一昨年、キューバからドミニカへの侵入軍の侵入がありまして、これはドミニカが撃退したわけであります。それ以来、ドミニカが国防のために金を使わなければいけないということになりまして、今までの生活補給金が昨年の秋からストップする。これは全部ではございませんが、一部ストップするような、残ったところも生活補給金が約二割減になるというような状態、それからさらに、こういうような独裁国家で、将来どうなるかわからないという政治的不安というものが原因になりまして、ネイバにつきましては、ことし三月初めてこの運動が起こったのであります。元来、ドミニカの移住は、先ほど申しましたように、ドミニカ政府で家を与え、土地も整地して、そうしてこれに生活補給金まで与えて移住をするという、目先を見ると非常に条件のいい移住でございますが、と同時に、この地は国自身が非常に小さい。移住者自身に与えられている土地も非常に少ない。せいぜい二町から五町以内というような狭い所でございますし、少し過剰入植気味であるという欠点はございました。さっき申し上げましたように、ネイバは、ことしの三月からでございますが、過剰入植の点で、やはり昨年の秋ごろ、ハラバコワという地域の問題も起こっております。最近では、ハラバコワは鳴りを静めているわけでございますが、そういうような問題もございましたのです。そういう点で、われわれといたしましても、このネイバ地区をこのままにほうっておくわけにいかない。といって、行った人をそっくりそのまま本に連れ帰すということは第一義ではなくて、できれば、まず第一には、ドミニカの中でいい所があればそこへ移す。そうしてそれがだめなら南米の他の地区へ移す。それから、そういうこともできない人は日本に帰す。こういう三つの道を開いて、この解決を進めたい。それからこの移住者は、今のような政治不安がございまして、相当神経も高ぶっておりますし、この扱い方もよほど注意をせなければならない。下手にやりますと、かえって移住者を一そう不安動揺にかり立てて、帰らなくてもいい人まで帰らざるを得なくなるということになるので、われわれも十分注意しながらこの扱いを進めております。目下大蔵省と、さっき申したように、内地へ帰すのは一応二十五家族内地へ帰す、三十家族パラグアイ、三十家族ボリヴィア、あと四十家族ブラジルというような、まず予算のワクをとって進めたいということでやっております。大蔵省も、これら移住者に対する関係もございますので、できればちょっと速記をとめていただきたいと思うのですが……。
  78. 木内四郎

    委員長木内四郎君) 速記をとめて。   〔速記中止〕
  79. 木内四郎

    委員長木内四郎君) 速記をつけて。
  80. 高木広一

    説明員(高木広一君) そういうような状況でございまして、われわれとしても、この際、ドミニカにつきましては根本的な対策を講じたい。そうして全体をみますと、この地域には三百家族千五百名、大きな移住地は七つ、そのほか小さい所が多くあるわけでございます。その三分の二はうまくいっているのでありますが、三分の一くらいが過剰入植であるというので、この三分の一くらいを一つ間引いて、南米なり、あるいは場合によりましては一部は日本に帰す、こういうことをやりたいと思っております。これもまた、ちょっと速記をとめていただきたいのですが……。
  81. 木内四郎

    委員長木内四郎君) 速記をとめて。   〔速記中止〕
  82. 木内四郎

    委員長木内四郎君) 速記をつけて。
  83. 高木広一

    説明員(高木広一君) それから、きのう「鹿児島県人現地だより、ドミニカ特集」、 これは県の方で心配して、いろいろ現地からの手紙を集めたのをいただいたのですが、これを見ますと、ドミニカの中にも非常によくいっている所もあるのでございます。それから、さっき申しました過剰入植のハラバコワから来た手紙でも、最近、帰国とか転移住の動きはあるけれども、われわれはここに残る、今こそ成功の絶好のチャンスであるというような、非常にドミニカにまだ希望を持っている者もたくさんあるというような状態でございますので、そういう点を十分心得て、一つ冷静に、しかし着実な処理方法をやりたい、こう思っております。
  84. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 三回くらい調査をされたようですが、そのおのおのの調査は、どういう結果、どういう報告になっているのですか。今のあなたのお話とはずいぶん違ったような報告がなされているように私は聞いているのですが……。
  85. 高木広一

    説明員(高木広一君) 私の方の鶴我事官が五月下旬に参りまして、帰って参りましたので、もし何でしたら、鶴我君から直接そのあれを申し上げたいと思います。
  86. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 鶴我事官お話を聞く前に、三回か、そのおのおのの調査はどういう経緯だったか、こういう報告概要が出ておるのか、それをまずお聞きした上で鶴我事官から……。
  87. 高木広一

    説明員(高木広一君) 私の方の移住局の飯島という事務官を五月にやりまして、まだ現地に残しまして、この移住に対する現状及び調査を進めております。これはその都度来ております。それからもう一つは、今申しました鶴我事官それから海外協会連合会の総務部長の鈴木政勝という方も現地へ行きました。これの一致した意見は、やはり、ドミニカは過剰入植である。従って、三分の一ぐらいは間引くべきであるというのが結論です。それから、ネイバ地区はやはり水がないということで、ここにとどまるのは無理である、どうしてもネイバ地区はほかへ移さなければいけないというのが共通した意見であります。こういうふうに申し上げたいと思います。
  88. 木内四郎

    委員長木内四郎君) ちょっと私伺いたいのは、今あなたのお話だと、ネイバ地区ですか、水がないと言われるけれども、よけい入っていったから水が足らなくなったというのは、ちょっと僕らにはよくわからないのだけれども、今水がなくなったのですか。どうですか。
  89. 高木広一

    説明員(高木広一君) これは、一日四時間ぐらい水があるのです。そうして現地人が実は相当入りまして、現地人はこれで生活しているのですけれども、日本の移住者は現地人のような低い程度生活はできないというので根本問題です。
  90. 木内四郎

    委員長木内四郎君) 初めから水が不足な地域であるという調査はなかったのですか。
  91. 高木広一

    説明員(高木広一君) これは、初めは、さっき申しましたように 一日十二時間の配水の計画があったわけです。実は、ドミニカでは、現地人よりも日本人を優遇していた。りっぱな家も建て、それから灌漑をして、日本人の方に水が来るので、最初は彼らはあまり入っておらなかったわけてありますが、現地人が入ってきた。それから根本的には、この地区に水が少なくなったということも原因です。
  92. 木内四郎

    委員長木内四郎君) 少なくなったのですね。
  93. 高木広一

    説明員(高木広一君) ことしですね。
  94. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 その点は、水の問題なのか、もっと本来的な問題であるのか。どうも報告その他から見て、いろいろ問題があるようですから、あとでもう少し問題にしたいと思います。その前に、鶴我事官調査報告をお聞きしたい。
  95. 鶴我七蔵

    説明員鶴我七蔵君) 実は私、ことしの五月二十三日にドミニカへ参りまして、約一週間ドミニカにおりまして、問題になりましたネイバ、それから、同様に条件が悪くて移住者が不満を持っておりますハラバコワ、それからハラバコワの近辺にありますコンスタンサ、それからネイバのまたすぐ近くにございますドベルヘという四つの移住地を訪問しまして、移住者にも会いまして、いろいろ事情も伺いまして、またこちらの希望も伝えて参ったわけでございます。何しろ日にちも短く限られておりましたので、各移住地全部見るわけにも参りませんで、その点、全般的な点については欠けておる点もあるかと思いますが、私が見ましたところを率直に申し上げて、御参考に供したいと思います。  最初ハラバコワというところに参りました。ここは、現在日本人が一番たくさん入っておる場所でございます。家族数で七十九戸ここに入っております。最初ハラバコワに移住しましたのは昭和三十一年でございますが、そのときには十七戸しか入っておらなかったわけでございます。それが条件がいいというのでだんだんふえて参りまして、現在では七十九戸入っております。で、ここは一番過剰入植の弊害が出た場所だと思うのでございますが、ここで私いろいろ農家に行きまして、皆さんの意見を伺ったのでございますが、大体ここにも二通り考え方を持ったグループがございます。  一つのグループは約三十軒くらいでございますが、これは、日本人会という名前で皆さん集まっておるのでございますが、その日本人会の方では、どうも私どもここに来て相当がんばってみたが、土地が第一狭い。それから水が十分に使えない。それから、ドミニカ国内の法規がいろいろうるさくて、たとえば農産物で、米を作っているのだが、自分で作った米をもみから精米にして自家消費できない。一度政府の指定した会社に売り渡しておる。それで、白米で買うときには、倍くらいの値段で買い戻して自家消費しなければならない。今こっそり隠れてもみをついて食べておる。こういう状態がいつまで続くかわからない。それから、例のトルヒーヨ元帥が暗殺される直前でございましたが、いろいろ言論統制なり思想統制の面なりで、警察なり何なりの目が非常にきびしくて、そういう面での政治上の緊張から来る不安感、それから、土地のドミニカ人でございますが、農民も相当近所に多うございまして、それらの農民との間の水の配分をめぐる争いとか、それから土地をめぐる争奪とか、そういうトラブルか発生してきておるわけでございまして、そういう面からいや気がさしたといいますか、どうももうこのドミニカに永住して、ここで発展するという気持にならない。何とか日本政府で至急われわれの処遇を考えてもらいたいというのが約三十戸程度ございます。  それから、さらに別のグループで一つ話を聞いてもらいたいというのがございまして、それも約三十戸でございますが、その人たちの集まりで皆さんの話を伺ったわけですが、そこでは、要するに、今われわれはせっかくここに来て苦しい立場にある。しかし、苦しいからといって、今帰るとかよそに行くという気持はわれわれは持っておりません。ただ、現在の苦しい時点を切り抜けるために、一つ融資の面で日本政府に十分めんどうを見ていただきたい。それも時間的におそくなっては間に合わないので、至急一つ融資の面からわれわれの営農を助けてもらいたいというグループが約三十戸ございます。  こういう状態を見ましても、なるほど現在は生活も楽じゃないように見受けたわけでございます。そういう状態で、ハラバコワという地区は一番日本人の家族が多いのでございますが、そういうようなことで、移住地内部の意見がまだまとまっていないというわけでございます。  次に、今一番問題になっておりますネイバ地区でございますが、集団的に帰国を一つしたい。ここに連れてきたのは日本政府の責任である。従って、われわれがこういう目にあった以上は、日本政府で責任をとって連れて帰ってくれということで、いろいろ建設的な意見の交換もできなかったわけでございますが、その中の一部の人は、もう耕作放棄をした人もありまして、実は地上の作物、たとえば、ここではバナナとブドウが大部分でございますが、そういう果樹をもうすでに現地人に売り渡して、それで食べておる人もある。それから一部−ごく少数の、四家族程度ですが、これはまだ政府から補給金をもらっておりまして、その補給金で食べておるという状態で、将来どうするという意欲もあまりないようでございます。  ここも、さっき局長からもお話し申し上げたのでございますが、土地そのものに石が多いということも一つ問題でございますが、あるいは耕作の種類によって、たとえばバナナ、ブドウの果樹になりますと、水と肥料さえ豊富にあれば、今まですでに入植以来四年余りたったわけでございますから、うまくとまでいかなくとも、何とかやっていけただろうと思うが、特に日本人の移住者の間で、ここではどうも農耕に向かないと言って、さっきも申し上げましたが、 ハラバコワにいたしましてもございまして、次第に、そこの土地を離れますと、ドミニカ現住民がそこに入ってきまして、日本人がもとやっていた耕作を始める。彼らは、生活程度も日本人と比べますと低いようですし、相当の困難にたえておる、満足して耕作しておる。従って、最初に日本人に対しては十二時間程度の水を配給しておったわけですが、それも次第に管理官がおりまして、その水の水理管理官が水の配分をやっているわけですが、ドミニカ人自身からも不満が出まして、外国人である日本人の移住者にそんなに水をやって、われわれドミニカ人にどうして差別待遇をするのかということで、水のことで問題が起きた、そうでございまして、そういうことで、次第に管理官や日本人移住者に苦情が出る。意思の疎通を欠くようになれば、自然ドミニカ人に対して水の配給をしてやる。反面日本人に対する水の配給は減少するということになりまして、水不足を告げるというようなこともございまして、結局ことしの三月になりまして、現地の知事あてに集団して移住をするという陳情をしますし、ドミニカ政府にも中央政府にもそういうことを申し出をしている。現地の大使館におきましても非常に心配いたしまして、何か転住の話もネイバにはあったそうでございます。二年ほど前にも、どうも農耕に向かないので、よその地区に集団で転住すると、国内転住でございますが、そういうことになったやさきに、バナナの値段が非常によくなったので、今のところ、バナナを収穫してからといって転住を延ばして、とりやめたという経緯もあるそうでございまして、そういうわけで、大使館としましても心配しまして、向こうに海協連、海外協会連合会の支部がございますが、たった一人しか今までおらなかったので、一人という関係もございまして、実態調査の面も御承知の通りだと思いますが、その辺に移住者の不満も一つあるわけでございます。  それで、三十一年に入植しまして、現在まで五年近くたつわけでございますが、今どきになって、そういう苦しい生活をしているのに、どうして入植当時すぐにそういう不満を言わないのかと言って聞いてみたのでありますが、要するに、さっき局長からもお話し申し上げましたように、昨年の八月に、ベネズエラの大統領の暗殺陰謀問題をめぐって、米州機構からボイコットを食らっておる。従いまして、米州諸国の在外大公使館を皆閉鎖しておりまして、通商関係も一応切れたような形になっておりまして、経済的にも政治的にもドミニカは孤立したような形である。それで、観光収入なども大きな収入であったのでありますが、要するに、それもなくなりますし、従いまして、一般の経済が非常に悪化して、低調になっているわけでございます。従いまして、日本の移住者が作ります農産物にいたしましても、以前は、作れば売れて、かなりいい値段で消費してくれたのが、もう一般の経済事情も悪くなったたために、そういう野菜などを食べなくても済ませるという国民もありまして、従いまして、作ったものは過剰という結果になりまして、生産過剰ということと、値段も暴落するというようなことで、肥料代にも及ばないと、生産物を売っても肥料代も返せないという悪い条件になったわけでございます。従いまして、今度移住者が一番騒いでいる一番大きな源は、やはりドミニカの経済の一般的な悪化が、もともと自然条件がさほどよくなかったのに加えて、そういう状態になったものですから、自然条件の悪い面がまた急に表に出てきて、そして移住者の間の不満の原因になっているんじゃないか、こういうふうに私ども判断しておるわけです。従いまして、たとえ現在のドミニカにおける経済状態が、また米州機構との関係も旧に復しまして、いい状態になったとしましても、あるいはこのまま放置すれば、また事情の変化によっては移住者が困るような事態になることも予想されますので、この際、外務省としましては、できますならば、この三分の一程度人たちを、本人たちの希望に応じて、より将来性のあると考えられる南米諸国なり何なりに転住の御援助をし、また、どうしてもそれでやっていけない人たちについては、国援法による帰国ということで、日本に帰ってきてもらうということで、ただいま大蔵省と話し合いをしておるわけです。ただ、大蔵省自身としましても、なるべく転住ということも先例になれば困るという気持から、国内に一度国援法によって連れて帰ったらどうかという気もしておるわけです。この点、まだ話がついておりませんが、なるべくすみやかに話をつけて、解決案の実行に移したいと考えております。
  96. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 ネイバ地区の視察報告書なるものを出してあると言っていますが、その報告書はすでに届いておりますか、どうですか。それから、その報告書では、今のネイバ地区の耕地の状況その他についてどういう報告をしておりますか。
  97. 鶴我七蔵

    説明員鶴我七蔵君) 実は、私自身六月の初めに帰ってきまして、このドミニカの実態をみずから見たわけでございまして、これはできるだけ早く解決してやりたいということで、私自身まだ報告書も書かずに、局長と相談しまして、解決のためにいろいろ奔走してきたわけでございます。  それから、飯島事務官の報告書は出ておりますけれども、これは、役所の中の報告になっておりまして、外部に出しておらない。土地その他の事情につきましては、詳細に書いてもございますが、大体私どもで御説明申し上げた程度で、土地その他、最初入る前に入念に先のことも考えてもう少しよく見ておけばよかったんじゃないかという気もしないでもない、そういうことも書いてございますので、一般には外には出しておりません。
  98. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 外務省の飯島事務官の視察報告書、その他に、耕地の状況についてどういうふうに述べていますか。
  99. 鶴我七蔵

    説明員鶴我七蔵君) それではネイバ、ドーベルヘーという近くの耕地がございますが同時に調査して入植したわけで一緒になっておりますので、一緒に御説明申し上げます。  両地区に対する入植については、昭和三十二年七月現地大使とドミニカ国農林大臣との間の往復文書で、ドミニカ政府は移住者各戸に対し入植と同時に、五十タレアを割り当てる。約三町歩であります。第一年の終わりに各戸別に営農状況について共同審査を行ない、五十タレアの既配分地の耕作を完了し、自力でさらに広い面積耕作が可能の場合は五十タレアを追加する。二年目にさらに第二次審査を行ない、能力ある者には五十タレアを増配する。灌漑地がない場合には、最初の五十タレアをこえる増配分は天水地となる場合があるとのただし書きがついております。なお、募集要綱は以上の条件を列記し、ドーベルヘー地区自営開拓農四十世帯、ネイバ地町自営開拓農二十世帯をそれぞれ募集した。なお、翌三十四年三月第二次ネイバ向け移住者のための募集要綱は、当初八十タレアを供給するということになっております。なお、ネイバ地区は、第一回入植に先だち、昭和三十二年九月十二日、農林省中田技官及び海協連横田支部長の両名が実地調査の結果、表土は暗灰色の壊土よりなり、検定結果は、PH七二有効燐酸に富み、置換性石灰すこぶる富んでいる。表土深は一メートル以上に及び、下尺土はつまびらかでない。表土中に指頭大より巨大の石灰岩の破片よりなる丸味を帯びた転石やや多く含むが、農耕には支障ないという報告とともに、結論として、同地区はドーベルヘー地区と相呼応して入植することを可とす。将来きわめて有望であるとする調査意見が述べられております。しかるに、現地において見ますと、同地区は、石河原に少ない砂土をとどわる程度で、それに水量不足し、営農条件は劣悪の由であり、さらに、五月に、漁協連上村技師及び大使館の調査結果によりましても、ネイバは礫質砂壌土または腐植を含む礫多き砂壌土であって、礫質砂壌土は農耕不適地であり、腐植砂壌土は農耕可能ではあるが、土地の生産性は水及び肥料のいかんに左右され、無条件で耕作適地ということはできない。本地区は、降雨量が年間五百ミリ内外であるため、上記土壌の性質から見て、農耕上州地灌漑を必須条件とするという報告であります。
  100. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 今の御報告の最後のところで非常にはっきりしているように、問題は、最近に起こった水不足の問題ではなくて、耕地の状況自体に問題があるわけですね。これは局長もあなたも説明をされなかったが、今の報告書には明記してある。これは、おそらくこの間飯島事務官と一緒に行かれた上村延太郎氏の報告をもとにして作られた報告と思いますが、特に重要なのは、今あなたのおっしゃった耕地の状況の、前の中田技官その他海協連のだれかが行ったときの報告はずさんきわまるものであった。それに基づいて入植をさせておいて、そうして問題が起こって調べて見ると、今お話のように、飯島事務官自身が言っているように、耕地は礫質砂壌土または腐植を含む礫多き砂壌土であって、前者は農耕不適地であり、後者は農耕可能ではあるが、土地の生産性は水及び肥料のいかんに左右され、無条件で耕作適地ということはできないということを非常に明瞭に言っているのですね。もしそういう土地にあなた方の出先機関なりその他があっせんをしてやられたのであれば、一番初めの報告が全くでたらめであって、無責任きわまるものであったことに基づくものであって、最近の水その他の問題ではないということが非常に明瞭だと思う。それならば、その責任を政府として十分にとらなければならないと思う。その点は、政府としてどういうふうにお考えになっているか、局長の御答弁を願いたい。
  101. 高木広一

    説明員(高木広一君) ただいま先生おっしゃったように、われわれとしても責任を感じております。そういう意味において、この際根本的に移住者の利益になる措置を講じなければいけないというふうに思っております。そうして万やむを得ない場合は日本へ帰ってくるけれども、せっかく移住の大志をいだいて行った人々ですからなるべくその初志が貫徹できるような方法をこれから努めて実現したい、こういうふうに思っておる次第でございます。
  102. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 だからその点は、今局長も言明をされたように、政府の全く責任だと思いますので、その責任だけは十分にとって、あとの措置を講じていただきたいと、こう思います。  それから、もう一つお聞きしたいのですが、この移民の諸君に対して、外人部隊に募集をして、その訓練に出したという事実があるらしいのですが、それは、前後どういう経緯で、現在どうなっているのですか。その点について御報告を承りたい。
  103. 高木広一

    説明員(高木広一君) この点は、数年前にドミニカ政府で、外人部隊じゃないのですが、自警団のようなものを召集したわけなんです。そのときに、現地の海外協会連合会の支部長が移住者にそれを勧めたそうでございます。それを大使館で聞きまして、われわれは外人であるから、そういうものに入るのはいけないということで反対をしたというふうに了解しております。従って、それ以後は全然関係ありません。そのときに二、三回訓練にでも入ったのじゃないかと思うのですが、そこのところははっきりいたしておりません。現在はそういうふうなものにかかわっておりません。
  104. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 向こうからの通信によりますと、昭和三十四年四月二日、海協連の支部長が本部の伊藤総務部長を同伴して、外人部隊に応募をするための説得をした。しかもその場合には、大使は、新憲法に対する解釈の見解を引用しながら、大使もそれに同意であるというような形でこれを説得をして、無理やりに外人部隊として署名をさせて、そして教練その他をやらした、こういうふうに向こうからは報告をしておりますが、この点はどうなのですか。
  105. 鶴我七蔵

    説明員鶴我七蔵君) ただいま御質問の点も、現地に参りまして事情を尋ねたわけでございますが、事情を当時の海協連の支部長横田並びに大使館から聞いてみますと、こういうふうなわけであったそうでございます。要するに、トルヒーヨ元帥の支持グループが国内各地に作られまして、それは、われわれ日本で予想できないような政治的な動きのようでございますが、各地に支持グループが作られて、そのうちに外人部隊ということで、いざという場合に訓練をするということで、日本人の移住地にも、そのメンバーにならないかという話が来たのであります。それで、海協連の横田支部長から小長谷大使に、日本人として、その勧誘があったが、どうすべきかということを直ちに相談した。大使館のほうでは、そういう政治団体に加わるということは、個人の自由意思に待つべきであって、大使館なりそのほかの機関が、それに参加しろとか、してはいけないとかいう筋合いのものではないので、移住者の発意に待って、移住者個々の立場からものをきめるべきであるという指示を海協連の支部にしたそうであります。それでは、海協連の支部が、移住者に、はたして外人部隊として登録するように強制したかどうか、この点につきまして、私こちらへ帰って来まして、当時の横田支部長、東京にいるわけでございますが、この人を呼びまして、事情を聞いたのでございますが、横田支部長は、絶対に自分としてはそういうことを、移住者に登録しろということを勧誘した事実はありませんということを言っておるわけであります。それで、最近の電報によりますと、当時の政権のもとでそういう運動があったわけでございますが、元帥が暗殺されて後にそういう必要もなくなったということで、全部義務徴兵制度も廃止されたということで、問題は全然なくなったと思います。当時の事情は、そういうふうに私承っております。
  106. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 どうも、海協連の支部長が向こうにいて、しかも、こちらから来た伊藤総務部長を同伴して行って、その話が出ているのに、それを説得しなかったということは考えられないのじゃないですか。説得したからこそそういう応募がなされ、さらには教練がなされたというふうにしか、移民の諸君のいろいろな生活状態その他からしては、それ以外には考えられないのじゃないか、こういうふうに思うのですが……。
  107. 鶴我七蔵

    説明員鶴我七蔵君) 私も、その点当時の支部長に来ていただきまして、十分突っ込んでみたわけでございます。支部長自身としては、自分自身でどうしろということで指示した覚えは全然ありません、事実無根だと言っておるわけであります。
  108. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 それでは、その四月二日ネイバ地区に支部長が行ったこと、あるいはそのときに伊藤総務部長を同伴していたこと、その事実はどうなんですか。
  109. 鶴我七蔵

    説明員鶴我七蔵君) おそらくその点は事実だと私感じるわけでございます。
  110. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 そうすると、その諸君が行っていることが事実であって、しかもその後に、四月六日に、この通信によると、四月二日に来て、それから四月九日には署名が行なわれて、そうして四月十九日には初教練が行なわれた。それ以来いろいろな教練が行なわれたということが書いてある。そういうことの事実をたどっていけば、横田君がそれをやらなかったと言っても、どうもそれは言いのがれにすぎないというふうにしか考えられない。それからもっと奇怪なのは、大使が、そういう問題が出たときに、新憲法に対する解釈として、政党に加入するのは云々という一般論でそれを単に処理しているということが、私にはどうも解せないのだけれども、むしろそういう外人部隊なりあるいはそういう軍事的なものにそういう者が関係をするという場合には、積極的に、そういうものをやっちゃ困るという意見が述べられてしかるべきなんだと思うのです。その辺は、外務省としてはどうお考えになっておりますか。
  111. 高木広一

    説明員(高木広一君) その点は、大使及び大使館は、そういうものに入っちゃいけないということをはっきり言っておるのであります。今言ったように先生がおっしゃったような、賛成したことはないのであります。
  112. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 それはおかしいじゃないですか。今の参事官の話では、政治団体に入ることは自由だと言った。だから伊藤君は、いや、横田君は何とかということになるのだろうと思うが、今の局長は、いや、そうじゃないのだ、そういうことは困ると言ったというお答えで、全くお二人の話は食い違ってしまっている。
  113. 高木広一

    説明員(高木広一君) 今の伊藤君というのは、あの海外協会連合会の総務部長でございます。大使館は、初めから、この話を聞いたときに、それはいけないということで反対している、そのように私は了解しております。これは横田君から聞きましたし、それ以外からも聞きました。その点は間違いないと思います。
  114. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 しかし、今の参事官の話では、小長谷大使が、政党に参加する等々のことは自由だから個人の自由意思にまかすと言って突っぱねたということを現に言っておられるわけであります。向こうからの通信もそう言ってきている。それに基づいて、向こうの海協連の諸君は、小長谷大使もこう言っているから、自分たちの説得に応じろと言って説得をしている。
  115. 高木広一

    説明員(高木広一君) ただいまの鶴我事官の話しましたのは、横田君から聞いたようでありますが、この点、もう一度それでは私の方も事実を調べまして、あらためてはっきり申し上げたいと思います。私の記憶は間違いないと思うのでありますけれども、もう一度事実によって御報告したいと思います。
  116. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 それは、今の横田君の話、それからそれを聞かれた参事官の話、それから向こうからの通信等によれば、全く一致しているのであります。そういうものに参加することは、新憲法では個人の自由にまかしているから皆さんの自由だと言って、その問題をおろした。従って海協連は、それに基づいて、大使もこう言っておられるのだから、諸君はこれに入ることは自由なんだから、大いに入りたまえということで説得をした。従ってこれは、ある意味では大使の権威を借りて、大使はあるいは言わなかったかもしれないのだけれども、少なくともその大使の権威を借りて少なくともそういうことがなされていることは事実なんですね。
  117. 木内四郎

    委員長木内四郎君) さっき鶴我事官説明されたのは、そういうことは勧めるべきではない、個々の判断できめるべきだ、こう言ったというのじゃないですか。ちょっと、今佐多さんの言われていることと、さっき鶴我事官の言っていることと、少し私は違うと思うのですがね。
  118. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 それは、個々の人の自由意思にまかすことだから大使としては何とも言えない、こういうふうに言われた。
  119. 木内四郎

    委員長木内四郎君) いや、鶴我事官、さっきあなたの言われたことはそうじゃないでしょう。あなたの言われたことをもう一度説明されたらいいじゃないですか。
  120. 鶴我七蔵

    説明員鶴我七蔵君) 私の言葉が足らなかったと思いますが、横田支部長の当時の大使館との折衝の経緯その他についての話の中で、言いましたことは、実は、大使館にこの問題についてどういうふうに処理するかということについてわれわれ伺った。ところが、大使館の方としましては、 この問題は、移住者名個人々々がその自由な立場から判断すべきものであって、大使館として指示すべき、どうしろこうしろと言うべき筋合いのものではない。
  121. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 だから、それならば、大使館では、指示すべきものではないけれども、個人の自由意思にまかすということでしょう。それをとって、海協連の連中は、だから君たちは入れと言って、君たちさえ決心すればいいのだというふうな説得の仕方をしたという手順になっているわけでしょう。ところが、今の局長お話では、いや、そういうものは困るからやるべきでないという大使の意見だった、こういうふうに言われている。それならばそれとして、そういう海協連から話があったときは、個人の自由だとか何とかという問題じゃなくて、積極的にそういう外人部隊とかなんとか、軍事的なものにそういう移民が関係をすることは困るから、絶対にやるべきでないと言って、そのときにむしろ積極的に指示をすべきだ。それを局長は指示をしたとおっしゃるし、あなたはただ個人の自由意思にまかせてあるのだというふうに言われた。こう言っておられる。
  122. 高木広一

    説明員(高木広一君) この点、もう一度事実に当たりまして御回答申しますが、私の了解しているところでは、実は、私自身も横田君と話しまして、そういう話を聞いておりましたから、彼の意見も聞きましたのです。話を聞きましたのです。彼は、小長谷大使からこの件についてはしかられているという点を彼は認めておったのであります。ですから、そういうことをしてはいけないということを言われて、しかられたことは事実のようであります。それから、それ以来彼が大使館に非常に近寄りにくくなったということも聞いておりますので、私自身は今言ったのが真相であると思いますが、もう一度確めまして御報告したいと思います。
  123. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 この問題は、その責任が大使にあるのか、あるいは海協連にあるのか、そこいらはいろいろ問題であると思いますが、しかし、かりに大使には責任がなくて、さらに大使が積極的にそういうふうにやったにかかわらず、事実としては、伊藤総務部長なり海協連の支部長が行ってそういう説得をした。事実としては、とにかく外人部隊に応募して教練がなされたことは事実なんでしょう。それならば、そういう事実があったことに対する責任はやはり政府当局でとらなければならない。それをいいとはまさかお考えにならぬでしょう。どうなんですか。
  124. 高木広一

    説明員(高木広一君) そういう部隊に入ることを勧めるのはいけないというふうに思います。私自身も、実は横田君に済んだことですけれども、そういうように申しましたし、彼も大使からしかられていたことを認めていた。だから、私考えますのに、ドミニカはトルヒーヨの非常な独裁国でございます。ちょうど状況は、戦争前の日本の隣組みたいないろいろ訓練時代のような状態でございましたから、海協連支部長の行動は別として、現地の軍官憲とかいうものが相当強く在留民にそれを慫慂したということは考えられると思うのであります。
  125. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 現地のそういう機関が慫慂したとすれば、現地の日本大使館は、そういうことをしてもらっちゃ困ると、移民の最初の話がそうでないということで、むしろ大使がそういう問題は折衝すべき問題じゃないですか。その辺はどういうふうにお考えになりますか。
  126. 高木広一

    説明員(高木広一君) 従って、大使はそういうものに入るに賛成していないと思います。
  127. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 大使がそういうものに賛成をしなければ、しないということを明示して、こういう事実が起こらないようにするのが当然であったのです。それをしていない。それからさらに、今お話によると、いや、海協連なり現地の大使はそういうことは勧めなかったかもしれないけれども、現地当局はあるいはそういうことをやったかもしれぬと、こうおっしゃる。そういうことをやったならば、大使は、よけいにそういうことをやってもらっちゃ困るという問題を強くそれこそ外交折衝されるべき問題だと思うのであります。それをそうでなくて、現地はしたかもしれぬ、したと思うなんというような御答弁では、むしろ言わずもがなのことだと思う。だから、それらの点については、外務省に、政府に非常な責任がある。この点に私はあなた方の責任を問いたいと思うのだけれども、いずれにしても、今の当地の入植当初の調査のずさんなこと、あるいはその後にこういう問題が起きても適切な措置がとられていなかったと、こういう点は全く政府の責任だと、こういうふうに思いますが、そういうことで、まあ今、現地の移民の諸君の通信によると、ほとんど危機に瀕している、こういうふうに言っているので、その飢餓状態にある移民諸君の生活を保障してやるとか援助してやるとか、そういう問題については、どのようにお考えですか。
  128. 高木広一

    説明員(高木広一君) これは、全力を尽くして、あらゆる手段で援助をやっております。
  129. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 何か、この通信によりますと、営農のための融資その他になれば、資金の融資の可能性があるんだけれども、生活を見てやるとか、あるいは帰還するのにめんどうを見、金をつけてやるとか、そういうことは予算上その他でできないことになっているんで、そういうことは絶対に考えられないということで、簡単に突っぱねられて、非常な不安に陥っている。こういうことを言っておりますが、その辺の事情はどうなっているのですか。
  130. 高木広一

    説明員(高木広一君) その点は、今おっしゃった通りではありません。われわれも、さっき申しましたように、三つの手段によって移住者の安定保護をやりたいと尽くしているわけであります。現地におきましても、この趣旨は、大使が現地移住者にも十分話をして、最初もうネイバのごときは全部日本に帰るのだと言っていたのが、最近においては、さっき申しましたように、南米に行くという方が多く、それから、国内転住に五家族、内地に帰るのが五家族という状態になっているということは、現地の気分がむしろ少し安定しつつあるというふうに考えられます。従いまして、われわれは、安定しているからといって、のんびりやっているのではなく、急いでやろうと思っておりますけれども、現地の移住者はむしろ安定していると言つた方が正しいと思います。
  131. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 ネイバ地区の、こっちに帰国するのは五家族ですか。
  132. 高木広一

    説明員(高木広一君) ごく最近の小長谷大使の情報では、大体そういうような色分けになっているというように言ってきております。
  133. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 そうすると、二十五家族、内地に帰るというのは、それ以外の地区の者がいるわけなんですか。
  134. 高木広一

    説明員(高木広一君) ネイバは初め二十三家族でございましたが、その一部は内地の他の地域に転住いたしまして、現在十九家族です。そのうち五家族が内地に帰って、五家族が国内転住、八家族が南米に転住したい。それから一家族が北米に行く手配をしておる、こういうことであります。
  135. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 そこで、さっき二十王家族内地に帰すと言われましたね。それはほかの地区の諸君ですか。
  136. 高木広一

    説明員(高木広一君) 実は、ネイバは最初二十三家族でございましたのと、それから漁業移住者五家族のうち三家族帰りましたのですが、二家族まだ残っておるのであります、その二家族。それからその他の地域にも、ハラバコワですか、一家族何か帰さなければいかぬのがあるということで、一応二十五家族の交渉をしておるのであります。
  137. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 すると帰すめどは、今のところ、大体折衝中で、おつきになったように聞くのですが、それまでの生活は不安なしにやれるような措置がしてあるのかどうか。その点はどうなんですか。
  138. 高木広一

    説明員(高木広一君) その点、大使館としても十分注意をしておるわけであります。餓死することはないというふうに聞いております。絶対に救済を要する者については、大使館で適当な措置を講じております。それから、ネイバの地区については、実際は日本で考えておるほど激しくないように聞いております。一部では、もうあれができないというのに、毎日ばくちをしておるというような話もありまして、そういうのはやめて、むしろもう少ししっかりした方がいいのじゃないかというような意見もあるというくらいでございまして、内地でお考えになるのとは事情が違うわけであります。しかし、われわれといたしましては、さっき申しましたように、われわれの責任もございますから、移住者に対して万全の措置を講じております。
  139. 佐多忠隆

    ○佐多忠隆君 これで大体やめますが、今お話を聞き、あるいは局長も認められたように、入植の当初からかなりずさんであったことはいなめない事実のようであります。それから、外人部隊応募等の問題についても非常にルーズ、あるいはでたらめ、あるいはちょっと常識はずれなことが行なわれておるようにも思う。これらの点については、今後外務省としても十分に注意をされて、移民政策に万全の措置をとっていただきたい。それでなければ、こういう問題が頻発するにおいては、移住政策全般の問題になってしまう。せっかくほかの方でうまくいっておるにかかわらず、こういう局部的な問題で移民政策全体に対する信用を失墜する等のことがあってはまことに遺憾だと思うので、その点は十分御注意を願いたいと思います。
  140. 木内四郎

    委員長木内四郎君) 他の御発言がございませんければ、本日はこれにて散会いたします。    午後零時二十六分散会