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説明員(
鶴我七蔵君) 実は私、ことしの五月二十三日にドミニカへ参りまして、約一週間ドミニカにおりまして、問題になりましたネイバ、それから、同様に条件が悪くて移住者が不満を持っておりますハラバコワ、それからハラバコワの近辺にありますコンスタンサ、それからネイバのまたすぐ近くにございますドベルヘという四つの移住地を訪問しまして、移住者にも会いまして、いろいろ事情も伺いまして、またこちらの希望も伝えて参ったわけでございます。何しろ日にちも短く限られておりましたので、各移住地全部見るわけにも参りませんで、その点、全般的な点については欠けておる点もあるかと思いますが、私が見ましたところを率直に申し上げて、御参考に供したいと思います。
最初ハラバコワというところに参りました。ここは、現在日本人が一番たくさん入っておる場所でございます。家族数で七十九戸ここに入っております。最初ハラバコワに移住しましたのは昭和三十一年でございますが、そのときには十七戸しか入っておらなかったわけでございます。それが条件がいいというのでだんだんふえて参りまして、現在では七十九戸入っております。で、ここは一番過剰入植の弊害が出た場所だと思うのでございますが、ここで私いろいろ農家に行きまして、皆さんの意見を伺ったのでございますが、大体ここにも二
通りの
考え方を持ったグループがございます。
一つのグループは約三十軒くらいでございますが、これは、日本人会という
名前で皆さん集まっておるのでございますが、その日本人会の方では、どうも私どもここに来て相当がんばってみたが、土地が第一狭い。それから水が十分に使えない。それから、ドミニカ国内の法規がいろいろうるさくて、たとえば農産物で、米を作っているのだが、
自分で作った米をもみから精米にして自家消費できない。一度
政府の指定した会社に売り渡しておる。それで、白米で買うときには、倍くらいの値段で買い戻して自家消費しなければならない。今こっそり隠れてもみをついて食べておる。こういう状態がいつまで続くかわからない。それから、例のトルヒーヨ元帥が暗殺される直前でございましたが、いろいろ言論統制なり思想統制の面なりで、警察なり何なりの目が非常にきびしくて、そういう面での
政治上の緊張から来る不安感、それから、土地のドミニカ人でございますが、農民も相当近所に多うございまして、それらの農民との間の水の配分をめぐる争いとか、それから土地をめぐる争奪とか、そういうトラブルか発生してきておるわけでございまして、そういう面からいや気がさしたといいますか、どうももうこのドミニカに永住して、ここで発展するという
気持にならない。何とか日本
政府で至急われわれの処遇を
考えてもらいたいというのが約三十戸
程度ございます。
それから、さらに別のグループで
一つ話を聞いてもらいたいというのがございまして、それも約三十戸でございますが、その
人たちの集まりで皆さんの話を伺ったわけですが、そこでは、要するに、今われわれはせっかくここに来て苦しい
立場にある。しかし、苦しいからといって、今帰るとかよそに行くという
気持はわれわれは持っておりません。ただ、現在の苦しい時点を切り抜けるために、
一つ融資の面で日本
政府に十分めんどうを見ていただきたい。それも時間的におそくなっては間に合わないので、至急
一つ融資の面からわれわれの営農を助けてもらいたいというグループが約三十戸ございます。
こういう状態を見ましても、なるほど現在は
生活も楽じゃないように見受けたわけでございます。そういう状態で、ハラバコワという地区は一番日本人の家族が多いのでございますが、そういうようなことで、移住地内部の意見がまだまとまっていないというわけでございます。
次に、今一番問題になっておりますネイバ地区でございますが、集団的に帰国を
一つしたい。ここに連れてきたのは日本
政府の責任である。従って、われわれがこういう目にあった以上は、日本
政府で責任をとって連れて帰ってくれということで、いろいろ建設的な意見の交換もできなかったわけでございますが、その中の一部の人は、もう耕作放棄をした人もありまして、実は地上の作物、たとえば、ここではバナナとブドウが大部分でございますが、そういう果樹をもうすでに現地人に売り渡して、それで食べておる人もある。それから一部−ごく少数の、四家族
程度ですが、これはまだ
政府から
補給金をもらっておりまして、その
補給金で食べておるという状態で、将来どうするという意欲もあまりないようでございます。
ここも、さっき
局長からも
お話し申し上げたのでございますが、土地そのものに石が多いということも
一つ問題でございますが、あるいは耕作の種類によって、たとえばバナナ、ブドウの果樹になりますと、水と肥料さえ豊富にあれば、今まですでに入植以来四年余りたったわけでございますから、うまくとまでいかなくとも、何とかやっていけただろうと思うが、特に日本人の移住者の間で、ここではどうも農耕に向かないと言って、さっきも申し上げましたが、 ハラバコワにいたしましてもございまして、次第に、そこの土地を離れますと、ドミニカ現住民がそこに入ってきまして、日本人がもとやっていた耕作を始める。彼らは、
生活程度も日本人と比べますと低いようですし、相当の困難にたえておる、満足して耕作しておる。従って、最初に日本人に対しては十二時間
程度の水を配給しておったわけですが、それも次第に
管理官がおりまして、その水の水理
管理官が水の配分をやっているわけですが、ドミニカ人自身からも不満が出まして、外国人である日本人の移住者にそんなに水をやって、われわれドミニカ人にどうして差別待遇をするのかということで、水のことで問題が起きた、そうでございまして、そういうことで、次第に
管理官や日本人移住者に苦情が出る。
意思の疎通を欠くようになれば、自然ドミニカ人に対して水の配給をしてやる。反面日本人に対する水の配給は減少するということになりまして、水不足を告げるというようなこともございまして、結局ことしの三月になりまして、現地の知事あてに集団して移住をするという陳情をしますし、ドミニカ
政府にも中央
政府にもそういうことを申し出をしている。現地の大使館におきましても非常に心配いたしまして、何か転住の話もネイバにはあったそうでございます。二年ほど前にも、どうも農耕に向かないので、よその地区に集団で転住すると、国内転住でございますが、そういうことになったやさきに、バナナの値段が非常によくなったので、今のところ、バナナを収穫してからといって転住を延ばして、とりやめたという経緯もあるそうでございまして、そういうわけで、大使館としましても心配しまして、向こうに海協連、海外協会連合会の支部がございますが、たった一人しか今までおらなかったので、一人という関係もございまして、実態
調査の面も御承知の
通りだと思いますが、その辺に移住者の不満も
一つあるわけでございます。
それで、三十一年に入植しまして、現在まで五年近くたつわけでございますが、今どきになって、そういう苦しい
生活をしているのに、どうして入植当時すぐにそういう不満を言わないのかと言って聞いてみたのでありますが、要するに、さっき
局長からも
お話し申し上げましたように、昨年の八月に、ベネズエラの大統領の暗殺陰謀問題をめぐって、米州機構からボイコットを食らっておる。従いまして、米州諸国の在外大公使館を皆閉鎖しておりまして、通商関係も一応切れたような形になっておりまして、
経済的にも
政治的にもドミニカは孤立したような形である。それで、観光収入なども大きな収入であったのでありますが、要するに、それもなくなりますし、従いまして、一般の
経済が非常に悪化して、低調になっているわけでございます。従いまして、日本の移住者が作ります農産物にいたしましても、以前は、作れば売れて、かなりいい値段で消費してくれたのが、もう一般の
経済事情も悪くなったたために、そういう野菜などを食べなくても済ませるという国民もありまして、従いまして、作ったものは過剰という結果になりまして、
生産過剰ということと、値段も暴落するというようなことで、肥料代にも及ばないと、
生産物を売っても肥料代も返せないという悪い条件になったわけでございます。従いまして、今度移住者が一番騒いでいる一番大きな源は、やはりドミニカの
経済の一般的な悪化が、もともと自然条件がさほどよくなかったのに加えて、そういう状態になったものですから、自然条件の悪い面がまた急に表に出てきて、そして移住者の間の不満の原因になっているんじゃないか、こういうふうに私ども判断しておるわけです。従いまして、たとえ現在のドミニカにおける
経済状態が、また米州機構との関係も旧に復しまして、いい状態になったとしましても、あるいはこのまま放置すれば、また事情の変化によっては移住者が困るような
事態になることも予想されますので、この際、外務省としましては、できますならば、この三分の一
程度の
人たちを、本
人たちの希望に応じて、より将来性のあると
考えられる南米諸国なり何なりに転住の御援助をし、また、どうしてもそれでやっていけない
人たちについては、国援法による帰国ということで、日本に帰ってきてもらうということで、ただいま大蔵省と
話し合いをしておるわけです。ただ、大蔵省自身としましても、なるべく転住ということも先例になれば困るという
気持から、国内に一度国援法によって連れて帰ったらどうかという気もしておるわけです。この点、まだ話がついておりませんが、なるべくすみやかに話をつけて、解決案の実行に移したいと
考えております。