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公述人(平山孝君) 平山でございます。
運賃値上げに関しまして私の見解を申し述べたいと思います。
運賃が値上がりする、これはおそらくだれも
賛成するものがないだろうと思うのであります。とうふが一円上がったとか、あるいはまたふろ代が上がったとか言いまして、これを
賛成する者はおそらくだれもおらぬだろうと思います。必ずしぶい顔するにきまっているのでございます。いわんや
鉄道運賃が値上がりするということについて、それは非常にけっこうだというものは、ほとんどなかろうと思うのであります。ただしかしながら、一方考えて見ますると、たとえば中央線のラッシュ・アワーに乗って見ます。殺人的な
混雑でございます。また土曜日の晩など、上野の駅、あるいは新宿の駅に参りますと、コンクリートの上に長蛇の列をなして列車に乗るものが待っております。汽車に乗る時間よりも待っている時間の方が長いというような
状態でございます。さらにまた、
貨物等におきましても、せっかく豊漁でありましたものが、貨車が回らぬために魚が腐ってしまう、あるいは野菜を川へ捨ててしまうというようなこともまま聞くのでございます。また沿線におきましては、非常に大きな滞貨があって、そしてそれが貨車が回らないというようなことを見たり聞いたりするのでございます。こういうことを考えまして、一体、これは何とかならぬものかと、これだけの
混雑あるいは貨車が回らない、あるいは野菜が腐る、魚が腐る、何とかこれはならぬものだろうかということで、
鉄道の現状を冷静に見てみますると、日本の
鉄道というものは、非常に施設が悪い。たとえば現在の
国有鉄道が二万キロございまするが、そのうち複線はわずか一三%しかない。これをほかの国の例で見ますると、英国などは六五%が複線になっております。それからまた、欧州のいろいろの国を見ましても、大体四〇%以上というものは複線になっております。ところが日本はわずか一三%しか複線になっていない。これでは
輸送がなかなかうまくいかないということは、これは当然であろうと思うのであります。また貨車関係にいたしましても、戦争中に、
鉄道は側線なんというと赤さびのレールを置いているが、あんなものはみんな取ってしまえというような話もあったようであります。よく見ますると、日本の
鉄道ぐらい側線が少ない
鉄道というものはないわけです。従いまして、貨車回りが非常に悪い、それをわきから見ますると、あんなむだなものは取っちゃった方がよかろうというようにも考えられるのでありますが、決してそういうものではないのであります。また踏切等を見ましても、非常にたくさんの踏切がございまするが、これはみな平面交差、必ずそこに事故が起きる、そういうようなわけでございまして、
鉄道の施設というものを見ますると、ほかの国に比べましても著しく劣っておる。そういう劣った施設でもって
輸送をやる日本の
国有鉄道は、
能率がいいというのですが、
能率がいいというのは、むしろ何といいますか、施設が悪いものですから、無理々々に使っておって、それがばかにいいように思われるが、決してこんなものは誇りにも何にもならないと思うのであります。
そういうことを考えてみますと、一体、こういうような
鉄道の
状態にどうしてなってしまったのだろうかということを考えてみますると、結局は、
鉄道財政がうまくいっておらぬということが根本ではないかと私は考えるのでございます。なぜ
鉄道がそんな
状態になってしまったか、これは、特に悪くなりましたのは戦争後でございます、これは、戦災によりまして、ずいぶん
鉄道も痛めつけられましたが、そればかりでなくして、戦争後におきましては、新しい
輸送機関がどんどん出てきた。いわゆる
鉄道の独占時代というものはもうすでに過ぎ去ってしまっている。飛行機とか自動車というようなものが続々と現われましたからして、
鉄道の独占時代は過ぎ去ってしまったということが
一つと、それからもう
一つは、やはり
運賃の問題であろうと思うのであります。私も、昔
鉄道におりましたが、そのころ
鉄道の
運賃というのは、一キロ
当たり一銭五厘六毛四糸、こういうのがずっと長く続いたわけでございます。そのころはがきは御承知のように一銭五厘でございました。はがきが一銭五厘で、
鉄道の
運賃は一銭五厘六毛四糸、
鉄道の一キロ
当たりの方が少し高かったのであります。そのはがきが現在どうであるかと申しますと、皆さん御承知の
通り五円でございます。ちょうど三百三十三倍になっている。ところが鉄連の方はどうかと申しますと、一銭五厘六毛四糸からいいますと、はがきよりちょっと高かったのでありますが、それがどうかというと、わずかに百五十四倍、一円何がしであります。また、学生定期に至っては、わずかに九十一倍、百倍になっておらないのであります。
物価の方が大体三百倍、学生定期は九十一倍、それから普通の
旅客運賃でも百五十四倍、
貨物は百九十一倍、こういったようなわけでございまして、著しく
鉄道の
運賃は低い。新聞などでは必ず
鉄道運賃値上げといって
反対いたしますが、新聞などは三百八十四倍になっている。
鉄道等に比べますと非常な差でございます。そういうような
状態で
鉄道をおいておいで、そうして片方において
輸送力をつけろつけろ、何をしているかというように非難をするということは、問題ではなかろうかと考えるのでございます。それから
貨物でもそういうことがいわれると思うのでありますが、先日私の友だちが大阪で印刷機械を買いまして、そうしてそれを東京まで持ってくる。相当重いものでありまするから、これは当然貨車で持ってきたのだろうと思って聞いてみますると、これは自動車で持ってきた。どうして自動車で持ってきたかといいますると、御承知のように、
貨物というものは、それを運びます場合に、荷作りをしなければならぬ。あるいはそれを貨車に積み込み、積みおろす、それからさらに前後に小運送がある、そういったようなものをみんなひっくるめまして、そうしてこれがいわゆる
消費者が実際に運搬に払う金なんであります。その中で
鉄道はまん中のごくうまみのない、ほんとうにうまみのありますのは両わきでありましょうが、まん中のごくうまみのないところだけをやっているわけであります。従いまして、物を送る方の
立場から考えますると、この全体、いわゆる
輸送に払う金が問題なんであります。その全体をわれわれは
輸送の費用と考えているのでありますが、従いまして、
貨物運賃が上がると申しますると、一割五分上がるといいますと、その全体が一割五分上がるような錯覚にとらわれてしまうのであります。そこでこれは大へんだというような考え方になると思うのでありますが、実際は、これは
鉄道へ行きまして聞きましたが、お米が一キロ
当たり七十五円、その中で
鉄道の
運賃はどのくらいかといいますと、八十四銭、今度値上がりしまして、十三銭それに足しますが、それでも一円にならない。七十五円のうちの一円以下であるというようなことなんですが、それが非常に
物価に
影響する、値上がりをするのだということで、みな心配をするわけでございまするが、実際問題といたしましては、そういうような
状態でございまするので、今まで数回
運賃値上げをやりましたが、ほとんど
物価には
影響していないというような事実がこれを示しておるのでございます。
私考えまするに、むしろ
運賃というものは、ある
程度はやはり
物価が値上がりし、いろいろのものが値上がりをいたしまして、そうしまするとやはりそれにつれてある
程度は上げまして、そして
輸送力をつけるということの方がはるかに大事なんではなかろうか。
運賃の問題よりも、たとえば先日来雪でもって貨車がとまったというようなことになりますると、その
地方の魚とか野菜というものは一挙に四倍、五倍と値上がりしてしまいます。
運賃の問題よりも、むしろ一番大きな問題は、
輸送力ということが一番大きな問題ではなかろうかと、かように考えるのであります。ただ現在の
国有鉄道が、先ほど申しましたように、施設が非常に悪い、従いまして
輸送力がつかない、従って殺人的な
輸送が行なわれるというふうなことは、根本はどこにあるかと申しますると、大体
運賃を値上げするということについて皆腹からは
賛成をしたい。いやな気持がする。そのいやなことをやるのがいやさに、
運賃はなるべく据え置きをする。定期のごときものは、今まででも
運賃値上げをしても、これは据え置きだ据え置きだというので九十何パーセントの割り引きというようなことが起こってしまうのでありまして、そのいやなことをやらないがために、知らないうちに
輸送力はどんどん低下しておる。つまり現在の人がいやなことをやるのがいやさに、それがわれわれの子孫に対して非常な不幸をもたらしておる。子孫に対しまして非常な
輸送力不足の交通機関を提供しておるというようになってきておるのではないかと思うのであります。今後この
輸送機関を整備していくということは、現在の者の務めではなかろうかと私は考えるのでございます。
それから今度は一、二、三等がなくなりまして、一等と二等になりました。大へんけっこうなことだと思うのでありますが、この一等というものを特権階級、あるいはぜいたくな者が利用するんだというような考え方は、私
賛成いたしかねるのであります。私は、一等の
運賃というものは二等のせいぜい五割増し以内、こういうことで、老人でも、子供でも、あるいは病人、そういったような者が、少し楽に旅行をしようと思えば一等に乗ると、いわゆる一等を大衆化するということが必要ではなかろうかと思うのであります。一等を特殊の特権階級だけが乗るような考え方は、これは間違っておるのではなかろうかと、ことに一等と申しましてもいろいろございまして、たとえば
地方の一等、これは昔の二等でございますが、ただ箱に青く塗っただけでございまして、大した
設備はない。東海道線の一等と
地方の一等というものは、これは大へんな差でございます。その
地方の一等が二等の一倍というようなことはおかしいと思うんです。これはせいぜい五割増し
程度のもので、そして少し金を出せばだれでも乗れると、病人とか老人とかいうものはこの一等に乗るんだというようなふうに一等を大衆化する必要があるんではないか。従って
地方の一等というものと東海道の一等とはだいぶ違いまするが、東海道の一等につきましては、これは相当ぜいたくな
設備があるのでありまするから、これは持別な
料金をとればいいのでありますが、
地方の一等はせいぜい二等の五割増し
程度のものがいいんではなかろうかと、こう私は考えるのであります。特にそれに対して
通行税をつけるというのは、私はもってのほかだと思うのであります。
通行税のごときは、戦争中みんな旅行してはいかぬというので、これを禁止するような
意味の税金、いわゆる戦争中の税金でございまして、これを
鉄道の一等に
通行税をつけるというふうなことは、これは非常に時代錯誤ではなかろうか。ことに飛行機の
通行税が一割で、
鉄道の
通行税が二割というようなことは非常な矛盾ではなかろうかと私は考えるのでございます。
それから
建設線でございまするが、
建設線につきましてはずいぶん非難がございます。ことに新しく
建設をいたします場合に、それに沿いまして道路がある、そこには自動車が一ぱい通っておる、それにもかかわらず
建設線をやる。なぜ地元の方がそれを喜ぶかと申しますると、結局
鉄道ができますると、非常に安い
運賃、ことに定期というものは非常に安いのでありまするから、定期客だけがその
建設線を利用する。朝と晩との定期客だけが乗りまして、あとはこの沿線にあるバスにみんな乗っていく。
鉄道は
採算が合いませんから、なるべく運転回数は少なくする。従ってますますバスの方が繁盛する。ただ朝晩の学生その他はこれに乗りますると非常に安いのでそれに乗る、こういうようなことになるのでありますが、しかしもともと各
地方には自動車に対する反感というものが相当にあるのじゃないかと思うのであります。それはでこぼこな道にほこりを立てて、そうして雨が降りますると、泥をひっかける。とにかく各
地方にとってはいやな感情を自動車に対しては持っているのじゃないか。これは今の道路が悪いので、その道路の悪いところへ走らせまするから、自動車に対しては非常に悪感情を持っている。それがために
鉄道をぜひ
建設してくれというようなことになるわけでありまするが、私は考えまするに、
鉄道には省営バスというものがあるのでありまするから、この省営バスのおい立ちが、もともと
建設線の先行ということになっておったのであります。
鉄道にます
建設する前に自動車をやらせる、その条件としては、道をぺーヴして、そうしてそれに自動車を走らせる、こういたしますると、おそらく
地方ではあまり
鉄道の
新線というものを希望しなくなるのではなかろうか。それともう
一つは、そのバスによりまして学生、定期等の者は非常に安くするということをやりまするならば、
建設線の問題も解決するのではなかろうかという感じがいたすのであります。
で、結論として申し上げまするが、要するに
鉄道の独占時代というものはすでに去っておるのであります。ほかの交通機関に
鉄道は非常にいいお客といい
貨物というものは奪われております。結局
鉄道に乗るものは何かと申しますると、定期のお客とそうして
運賃があまりとれない安い
貨物だけが
鉄道に乗る、こういったような
状態になるのでありまして、これはどうしても何とかして徐々に解決をいたしていかなければならぬのではなかろうか。ことにほかの交通機関が、あるいは港湾にいたしましても、あるいは道路にいたしましても、あるいは飛行場にいたしましても、これはほとんどみな国でもって金を出している。
鉄道は全部自前でもってこれをやらなければならぬ。しかも
運賃は先ほど申しましたようにわずかに百五十倍あるいは百六十倍というような
状態である。それがひいては
鉄道の
輸送力というものを非常に悪くしておる。
輸送力を悪くしておるということは、結局は日本の
経済を非常に阻害しておるということになるのでありまして、私は
運賃の問題よりもむしろ
輸送力をどうやったらつけられるかということをまず考えなければならぬと思うのであります。理論といたしましては、こういうものは
政府の
負担すべきものである、
一般会計が出すべきものである、あるいは
公共負担は全部
政府がやるべきであるというようなことはずいぶんいわれております。新
建設線もこれは
政府でやらなければなら心というようにいわれておりまするが、実際は親元の
政府があまり金持でないものでありますから、結局
独立採算制を
鉄道におっつけるということになるのでありまして、やはり
鉄道は
鉄道としてある
程度の
運賃値上げを認めて、そうして
輸送力を少しでも大きくするということが私はぜひとも必要であり、またそれがわれわれの子孫に対する務めであろうと私は考えるのであります。
私の
公述を終わります。