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説明員(
吾孫子豊君) 残された
部門という方から申し
上げるのも
一つの申し
上げ方だと思いますが、どれだけやったかという面でまず御
説明申し
上げたいと思います。
現在の五カ年
計画で今まで具体的に行なって参りました
改善のおもな項目を申し
上げますと、まず第一に、中距離、長距離列車の大幅な増発をいたして参りました。
昭和三十一年には特急が八本でありましたのを、これはちょっと
数字が古くて——三十五年には十八本になっております。それから急行は八十本であったものが百十六本になっている、準急が八十五本であったものが三百十七本というようなふうに、列車の本数がふえております。それから主要都市間の到着時分、列車運転時分の短縮が相当行なわれておりまして、たとえば東京−大阪間の特急列車が二十九年の十月には八時間でありましたのが三十五年六月に、御
承知のように、六時間半になっております。それから普通の急行は当時十時間五十一分でありましたものが八時間三十九分に昨年の六月に改められております。それからたとえば
貨物列車で申しますと、汐留−梅田間で二十九年の十月には二十七時間五十分でありましたものが三十五年六月の列車では十一時間という時間になっております。それからたとえば東京−名古屋の間で申しますと、東京−名古屋間の準急列車が三十二年には五時間四十分でありましたのが現在は五時間二十分、これは二十分の短縮であります。それから東京−博多間の特急は三十二年には十七時間二十五分でありましたものが三十三年六月には十六時間五十五分になっています。急行は東京−博多間で二十九年には二十二時間十分でありましたものが現在二十時間五十八分に短縮されております。こういうようなふうに列車の運転時分というものが相当現在の五カ年
計画で短縮されております。
それから電車化、ディーゼル化というようなものが、どういうふうに進行してきたかと申しますと、これは
指数で申し
上げたらと思いますが、電車列車
キロの
指数は、
昭和三十一年度を一〇〇といたしますと、三十五年度は一三一になっております。それから、ディーゼル動車の列車
キロは、
昭和三十一年度を一〇〇といたしますと、三十五年度には二二四になっております。
それから、
車両がどういうふうに増備されてきたかと申しますと、電気機関車について申しますと、
昭和三十二年度に八十三両、三十三年度九十三両、三十四年度四十八両、三十五年度二十四両というように新製されております。それから、ディーゼル機関車は、三十二年度十二両に対して、三十三年度八十七両、三十四年度七十五両、三十五年度五十二両、電車は三十二年度四百二十五価の新製に対して、三十三年度三百五十二両、三十四年度二百四十六両、三十五年度三百六十一両、気動車は三十二年度二百五十三両に対して、三十三年度二百四十四両、三十四年度三百二十両、三十五年度四百三十五両、客車は三十二年度百五十四両に対して、三十三年度百三十七両、三十四年度四十九両、三十五年度四十九両というふうに増備されております。それから貨車は、三十二年度の新製は六千四百三十七両でありますが、三十三年度に三千三百八十両、三十四年度四千九十両、三十五年度には八千二百四十九両というようなふうに新製をされております。
それで、年度末の
車両の両数を申しますと、蒸気機関車だけは、これは減っておりますが、三十一年度末四千七百八十四両でありましたが、三十五年度末は四千七十一両になっております。そのかわり、電気機関車は、三十一年度五百八十三両でありましたものが、三十五年度末は七百九十四両になっております。ディーゼル機関単は、三十一年度末二十三両でありましたものが、三十五年度末二百四十九両になっております。電車は、三十一年度三千二百五十六両でありましたものが、三十五年度には四千五百二十一両になっております。気動車は、千二十両でありましたが、二千二百二十二両になっております。それから客車は、一万一千三百八十八両であったものが、一万一千四百六十八両になっております。貨車は、十万八千九百五十三両であったものが、十一万八千七百二十両というようなふうにふえております。また、
旅客サービス上大切であります寝台車の数のごときは、三十一年度末に一等寝台車数は百四十五両でありましたが、三十三年度末には百九十三両になっております。二等寝台車数も、三十一年度末百二十三両でありましたものが、三十三年度末には二百五十九両というようなふうになっております。
それから、電化
工事が相当各所において行なわれておりまして、御
承知のごとく、東北本線においては、現在大宮から福島まで電化が完成いたしたわけでありますし、山陽本線は、これはあちこち少し切れておりますけれ
ども、この五カ年間に西明石から倉敷まで完成いたしましたし、さらに西宇部との間も完成をいたしております。それから北陸本線では、田村−敦賀間の交流電化が完成いたしました。そのほか、仙山線の交流電化も完成いたしました。両毛線も、新前橋−前橋間の電化が完成しております。それから、東海道の
貨物線では、吹田−尼崎間、美濃赤坂線で大垣−美濃赤坂間、また大糸線では信濃大町から信濃森上まで、日光線が宇都宮−日光間、宇野線が岡山−宇野間というように電化が完成いたしており、現在
工事中のもので近く完成予定のものといたしましても、東北本線で福島−仙台問、山陽本線では岡山−糸崎間、また小郡−下関間も近いうちに完成いたします。北陸本線は、これは三十六年度末になりますが、敦賀−福井間、常磐線の上野−水戸間が近く完成をいたします。鹿児島本線の門司港−久留米の間が近く完成いたしまして、電車運転が開始されます。そういった工合に、電化は相当進んでおります。
また、複線化工華といたしましては、これまた急速に進みつつありまして、東北本線の宇都宮−福島間では二九・六
キロ、仙台−盛岡間では一〇〇・五
キロ、北陸本線の米原−富山間で六三・九
キロ、全国の複線化の合計は三十五年度末に二千六百四十七
キロに達するのでございまして、三十一年末の複線
キロは当時二千四百十八・五
キロであって、複線化の率は一二・一%であったのでございますが、それが三十五年度末には一三%になる、こういうような工合で、全体として申しまして、
輸送力増強並びに
近代化は、時間的にずらさざるを得ないような姿になったと申しますものの、しかし振り返って見ますというと、
輸送力の
増強の面におきましても、
近代化の面におきましても、相当見るべき成果はあったと申し
上げてよろしくはないかと思っております。