○山中吾郎君 私は、
日本社会党を代表いたしまして、ただいま
議題となりました
学校教育法の一部改正
法案、すなわち、通称高等専門学校
法案につき、反対の討論を行なうものでございます。
この
法案は、一口に言えば、インスタントそばのような安上がり速成
法案でございまして、科学技術者の不足という現状の空腹感を満たすのには便宜でございますけれども、人間形成という教育的栄養価値はごく少ない、最近まれに見る粗末な思いつき
法案でありまして、荒木文相の無責任な文教政策の本質を象徴するものであり、まことに
わが国の
国民教育のために遺憾であることを、前もって表明しておく次第でございます。(
拍手)また、この高等専門学校制度が実施された暁には、
わが国の学校制度全般に多くの矛盾を積み重ねていくきっかけを作る危険が伏在しておることを深く憂いつつ、次の理由をあげて反対し、かつ、
政府及び荒木文相に反省を求めるものでございます。(
拍手)
この
法案に反対する第一の理由は、
法案提案までの経過及び手続につき多くの疑問を有するからであります。
御承知のように、この
法案の前身は、いわゆる専科大学
法案でございまして、専科大学
法案は、すでに二回にわたり提案をされ、二回とも審議未了、廃案の運命に立ち至った、いわくつきの
法案でございました。今度の五年制高等専門学校
法案は、名称こそ異にいたしておりますが、その実質と沿革から見まして、廃案になった専科大学
法案を擬装したものであることは明らかでございます。専科大学案のすりか、え
法案というべきでございまして、そういう擬装の姿において三たび
国会に提案されること自体の中に、私は
国会を冒涜する意図があることをまことに遺憾に思うのでございます。(
拍手)このことについては、あらゆる点において、私は、便宜
主義というものかこの
法案の体質に含んでおることを感じて、まことに遺憾でございますが、経過を調べてみますと、専科大学は、短大関係者から反対されたために、そのほこ先をそらす手段として、短大制度を未解決のままにして、五年制高等専門学校
法案を思いついたのであり、そのごまかしの性格が歴然たるものがあるのであります。さらに、文部大臣の諮問機関である中央教育審議会に対する諮問の形式を見ましても、まことに非民主的、高圧的でございます。すなわち、この
法案についての諮問の形式は、五年制高専制度が是か非かの諮問形式をとっておりません。五年制高等専門学校設置要綱案として諮問をいたしておるのでございまして、このことは、まさしく、高専制度を既定の事実として、その運営の細部に関するあり方について諮問をいたしておるのにすぎません。いわば、中教審に形式的に諮問することによって、民主的手続の美名のもとに、五年制高等専門学校制度を押しつけて、うのみにさせたと断ぜざるを得ないのであります。かかる不明朗な提案の経過の中にこの
法案の欠陥が伏在することを明らかにしておきたいと思うのであります。
第二の反対の理由は、この
法案は、
現行学校制度の基本的秩序である六・三・三・四制を乱すものであるからでございます。
言うまでもなく、
現行六・三・三・四制は、いわゆる単線型と称されまして、憲法第二十六条に
規定する、すべての
国民は、その能力に応じて、教育を受ける
権利を保障する制度としては、最も進歩的、民主的な制度でございます。このたびの五年制高等専門学校制度は、
現行六・三・三・四制に対し、六・三・五制という別途の学校系統を設定することになり、やがて六・三・三・四制をなしくずしに破壊しようとするものであり、こういう
意味においては、重大なる学校制度の変更を
意味する
法案でございます。こういう制度の是非の論は別といたしまして、一国の文教政策の基本である学校制度に重大なる
修正を加えるについては、思いつきの断片的な
法案の
提出は厳に慎むべきものであると確信するのでございます。もし、
政府が六・三・三・四鱗を再検討すべきであるという見解に立つならば、学校制度
調査会等、総合的な
調査機関を設置して、総合的に、かつ、慎重に、衆知を集めて実施に移すべきものであると思うのでございますが、御承知のように、学校職度は、幼稚園より大学に至るまで有機的に結びついた
一つの体系でございます。一学校階梯だけをいじることは、石がきの
一つの石をはずすと同じく、学校制度全体ががたがたになることを知らねばなりません。(
拍手)しかるに、荒木文相は、短大制度についての根本的解決もしないで、現在の工業高等学校との関係についても何らの吟味もせず、木に竹を継ぐがごとき高専制を突如として新設するがごときは、無責任きわまる態度といわなければなりません。(
拍手)この高専制を実施することによって、次のごときいろいろの矛盾が数年ならずして現われるでありましょう。
その第一点は、
現行工業高等学校は次第に軽視をされ、格下げになることは、火を見るより明らかであります。産業教育振軍港に基りく設備、施設の充実も、やがて行方不明になるでありましょう。また、
現行法によっては、工業科に限定されて高等専門学校が設置されることに法文で明示はいたしておりますが、農業、水産関係の高専も認めざるを得なくなることは当然であります。やがて、また、文科系統に及ぶに従いまして、短大制度との矛盾が深刻になるはずであります。また、高専の管理の上からも、諸種の矛盾が伏在しているのであります。すなわち、大学でもない、高等学校でもない、あいまいな性格から、教授、助教授の身分、待遇の問題並びに工業高等学校の教諭との関係における免許法の問題、また、高等学校から転入学の方法、卒業生の大学編入に関する資格等、いろいろの問題の解決は、まことに困難なものになると思うのであります。六・三・三・四割を根本的に再検討することなく、大学でもない、高等学校でもない、中等教育でもない、高等教育でもない五年制高等専門学校は、いわば
現行学校制度の私生子である。この私生子が次第に大きくなるに従って、学校制度をかき乱す大きい
原因になることを、ここで私は明言をしておきたいと思うのであります。(
拍手)
第三の反対の理由は、科学技術者養成計画との関連において、との高等専門学校制度は、確固たる基本方針が確立されていないことを暴露されていると思うのであります。
聞くところによると、この
法案は、日経連、鉄鋼連盟等の、
自民党の選挙資金のルートからの要求に盲従して生まれたものであると聞いておりますが、人間形成を主眼とする文教政策の自主性を放棄したものであります。もちろん、教育は、産業の
発展に貢献する任務を持っておることは言うまでもございません。しかし、人間形成こそ教育の本質であり、この立場に立って人間能力を可能なる限り開発することが文教政策の本質でございます。それを通して社会に産業に役立たしめることが文教政策の本来の使命であります。企業のエゴイズムからいえば、今日役に立つ職人的技能者または狭い技術者を求めるでありましょう。しかし、教育政策の立場からは、あすの役に立つ創造的能力と、科学技術を身につけさすことが、当然の任務として、これを捨てるわけにいかないのである。この教育の立場を放棄することは、教育そのものを否定するものといわなければなりません。科学技術者養成の国の責任は、応用能力の開発であり、企業に直結する技術、技能は、企業みずからの経費をもって負担すべきものと私は思うのであります。貧しい
国民から吸い取った税金で、人間形成を軽視して、
個人企業にのみ役立つ、かたわな技能者養成に力を入れるとすれば、
国民にとっては二重課税である。また、文部大臣は、この問題については、十分の責任を持って、
国民の円満なる人間形成というものの立場を放棄してはならないと思うのでありますが、この五年制高等専門学校の
思想の中には、企業のエゴイズムには奉仕して、人間形成の本来の文教政策の立場を軽視しておるということを、まことに遺憾に思うのでございます。(
拍手)
さらに、賛成論者の中には、戦前の工業専門学校と同視してよい制度であると、簡単に
考えておる人があるのでございますけれども、戦前の高等専門学校は、確かに多くの長所を持っておることを率直に認めます。しかし、戦後のこの
法案に盛っておる高専制は、戦前の工業専門学校と比較して、非常に多くの欠点のみを持っておると私は断言してはばからないのであります。(
拍手)すなわち、戦前の工業専門学校は、小学校の六年または高等科二年を含む八年、その上に、素質の優秀なる生徒を選ばれて五年制の中等教育を受けて、十分な一般教養と基礎教育を受けたその上に、三カ年の工業専門教育を施しておるのであります。従って、経済界からも歓迎された中級技術者として、十分の役割を果たしてきたことは、率直に認めなければなりません。ところが、今回の高専は、小学校の六年、中学校三年、合わしてわずかに九年の基礎教育の上に、十六才の少年を入学せしめて、予科、本科を区別せずに、直ちに職業教育を授ける仕組みになっておるのであります。従って、戦前の高等専門学校は、十一年の十分なる基礎教育を通じて人間形成を施した後において三カ年の専門職業教育を施しておるのでありますけれども、今度の高等専門学校は、基礎教育はわずかに九年、直ちに職業教育五カ年を施すという、そういう違った
条件の学校制度でありますから、ともに工業専門学校ではありますけれども、その学校としての位置づけ、
内容においては、一方は基礎教育を重視し、戦後のこの専門学校は、基礎教育を軽視し、職業教育を偏重しておる、ここに重大なる質の差があるのでございます。(
拍手)このことによって、今回の高等教育は、人間形成の本質から見て後進したものであり、学校制度の改悪であることは明らかでございます。また、この高専卒業生は、中堅科学技術者としても
発展性のない、かたわなものを作ることをおそれるものであり、この点について、文教政策の立場においては十分に責任を感じなければなりません。第四の反対理由として、科学技術教育の問題を越えて、全体として、教育水準低下の
法案であるということであります。
この
法案に限らず、本
国会に提案せられた文教関係の
法案は、ことごとく教育水準を後退せしめる
法案ばかりであり、まことに遺憾とするものであります。たとえば、さきに成立しました工業教員養成に関する臨時
措置法に基づいた工業教員養成所は、大学工学部四カ年を修了することを
条件としておる現在の工業科教員の資格を低下せしめて、三カ年の速成工業科教員を養成することが
目的でありまして、これも池田
内閣の所得倍増計画に基づく技術者養成ブームの陰に隠れて、工業教育の振興どころか、その後退に協力する
法案でありました。さらに、免許法の一部改正
法案もすでに成立しておるのでございますけれども、工業科教員に限っては、教職専門教科を履修しなくても教員の資格を与えるという
内容であり、これまた、工業教育を低下せしめる便宜
主義の
法案であります。あわせて、この高専
法案を
考えるときには、一連の教育水準低下
法案として
一つの体系を持っておるのであります。その
一つの
法案としてこの
法案を
考えるときには、われわれは、どうしてもこれを認めるわけにいかないのでございます。ここに、世界の各国は、科学教育の振興について異常の
熱意を示して、各国は競って莫大なる予算をもって科学教育の振興に努力いたしておるのでございますが、荒木文相は、科学技術者の量の不足に心を奪われて、この
法案を初めとして、質の向上を忘れた便宜
主義の
法案を次々に提案いたしておることは、文教政策の責任者としては識見の低さを示すものであるといわざるを得ないのでございます。(
拍手)
最後に、この
法案反対の理由として、荒木文相の文教
思想に触れなければなりません。
荒木文相は、教員の組織及び教師に対しては、戦後の文部大臣のうちで最高の姿勢をとって、しばしば放言をいたしておるのでございますが、この点について、一国の文部大臣として、教員
団体と仇敵の関係に立つような奇観は、日本の国を除いて、どこにもないのでございます。教師に対して高姿勢をとりながら、肝心の文教政策に対しては戦後最も低い姿勢をとっており、教育水準を低める
法案だけ出しておることに、私は
異議を申さなければならぬのでございます。(
拍手)あるべき文部大臣の姿は、教師の組織である日教組に対して、もっと忍耐と寛容の美徳を示すべきである。文教政策に対してこそ高姿勢をとるのが、あるべき文部大臣の姿であると思うのであります。(
拍手)しかるに、科学技術教育については、池田科学技術庁長官に勧告をされたり、暴言を吐かれたりして、ただあれよあれよとながめている体は、科学技術教育の責任者としては、まことに情けない次第であると思うのであります。(
拍手)このことは、荒木文相
個人の問題を越えて、日本の教育の総元締めである文部省のかなえの軽重を関わるべき問題であると
考えられるのであります。私は、その
意味において、企業のエゴイズムに押されておるこの
法案のごとき、教育の自主性を忘れ、便宜
主義に走ることは、大いに戒心すべきものであると思うのであります。科学技術者養成について科学技術庁長官からいろいろと勧告を受ける前に、もっと高姿勢をもって文教政策に対処することを特に希望し、反省を示す
意味において、この教育水準の低下を来たす
法案を撤回して、誠意を示して、正しい文教政策を再出発させることを
最後に申し添えて、この
法案に反対するものでございます。(
拍手)