○
坪野委員 田中議員の今の御
説明、これは
法律家としては聞き捨てならない暴言だと思うのです。
立法府で
立法する
法律がどのように運用されるかということを予想して
立法するのは、
立法者の責任であろうと思うのでありまして、そういうこまかいことまで
考えずに
立法するということは、もう無責任きわまる、いかにこの
法案がずさんであるかということをみずから自白されたものだと思うのです。
暴行まで加えようかどうか検討したとおっしゃいますが、まさに暴言でありまして、単純
暴行の今の
刑法で十分規制できるものを
教唆、
扇動まで罰するという
考え方の底に、私
たちはもうテロというものに対する
認識ではなしに、何か
政治暴力と称して集団
行動に対する規制のみを
考えておられるということが、はしなくも出ていると思うのであります。今の
傷害の
教唆、
扇動を、ただわれわれ
社会党が意識をしてはずしたところを、何か
社会党に対する対案を出そうとして漏れたところを
刑法の条文から拾い上げてくっつけられて、
暴行だけをはずされたというように受け取れますが、やはりこの
傷害の
教唆、
扇動というものを、具体的にどういうことになるのかということを十分検討した上でなければ、
立法すべきでないと思うのです。ですから今の
田中議員の御答弁はちょっと不可解千万だと思うのです。そこまで
考えずにわれわれやるのだ、
専門家にまかすのだということは、
専門家といっても
法律を運用するのは裁判官ばかりではない、あるいは検察官ばかりではない、
警察官、司法
警察が
第一線においてこれを運用する。その場合に疑義のあることは非常に困ると思うのであります。ですから、今のあのやろうやつちまえ、ぶんなぐつちまえと言った
言葉の結果、ただ
言葉だけで不発に終われば比較的問題は簡単かもしれませんが、結果が、その
教唆、
扇動に従って
実行した、ぶんなぐった、ひっくり返って
けがをしたという場合に、そのやっちまえと言った
言葉の中に、
本人は単に
暴行——刃物を用いて刺してこいとまで言ってないので、あのやろう、ちょっとしゃくにさわるからやつちまえと言った
程度にしたとしても、受けた人がなぐった、それもげんこでなぐったにすぎないにしても、その結果
傷害が発生するのです。そういう
傷害が発生した場合に、正犯は
傷害罪でやられるでしょう。それが
政治的傷害になるか、単純
傷害になるか、いずれにいたしましても、
傷害の既遂で処罰を受けるでしょうが、
教唆、
扇動した人が、私は
暴行の
教唆、
扇動をしたのだという弁解をしても、結果は
傷害の結果が出ておるのです。そういう場合に、明らかに
暴行を
——やっちまえという
言葉はちょっとあいまいですが、いろいろな周囲の状況から判断して、まず単純
暴行の
教唆にすぎないのだというような認定を受ける場合はいいでしょうけれ
ども、結果が現実に
傷害が発生しておる場合に、正犯が
傷害罪でやられておる場合に、この
傷害の
教唆、
扇動を規制する必要があるとして規制する場合には、その
言葉の中に具体的に
傷害の
意思が認定できるところまでの
教唆をしなければ、この
傷害の
教唆、
扇動にならないのだということが
解釈上疑いなしに読みとれるような
規定にしなければ、今言いましたように、その認定をするのは
警察官であり、検察官であり、あるいは裁判官でありますから、
傷害の
意思まであったかなかったかという認定結果が発生した場合には、特に
関係してくると思うのです。特に
扇動罪はないわけですから、
本法で初めて
傷害の
扇動というものが
実行行為が行なわれた後においても生じてくるわけですから、そういう
意味で今の
課長の
説明だけで
解釈を使い分けるということが、法
解釈上必ずしも私は明確でないと思うのです。ですから、この
傷害の
教唆、
扇動というものをもう少し、これは厳格に明確にしておかなければ、まさに
乱用のおそれがある。日常茶飯事に行なわれるような、のぼせ症の人間の行なう、そういった軽微な
暴行から
傷害に発展するという事案にこれがすべて
適用されてくる。しかも今のところ法では
教唆、
扇動まではここに問題にしておらない、放任しておる
行為をここで規制しょうというわけでありますから、
基本的人権の関連において、私はこれは重大な
規定だと思うのです。この点についてもう少し明快な回答を
一つ刑事局長なり
専門家から伺いたいと思いますが、この
規定について
修正の
意思がないのかどうか、これも
一つ聞きたい。