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1961-05-19 第38回国会 衆議院 法務委員会 第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十六年五月十九日(金曜日)    午前十時三十九分開議  出席委員   委員長 池田 清志君    理事 田中伊三次君 理事 長谷川 峻君    理事 林   博君 理事 牧野 寛索君    理事 山口六郎次君 理事 坪野 米男君       宇野 宗佑君    上村千一郎君       浦野 幸男君    唐澤 俊樹君       菅  太郎君    岸本 義廣君       小島 徹三君    佐々木義武君       首藤 新八君    早川  崇君       阿部 五郎君    畑   和君       中村 高一君    鈴木 義男君  出席政府委員         検     事         (刑事局長)  竹内 壽平君         公安調査庁次長 關   之君  委員外出席者         議     員 富田 健治君         議     員 早川  崇君         議     員 坪野 米男君         議     員 畑   和君         議     員 中村 高一君         議     員 門司  亮君         衆議院法制局参         事         (第二部長)  川口 頼好君         警  視  監         (警察庁警備局         参事官)    曾我 力三君         専  門  員 小木 貞一君     ————————————— 本日の会議に付した案件  政治テロ行為処罰法案坪野米男君外八名提出、  衆法第一六号)  政治的暴力行為防止法案早川崇君外七名提出、  衆法第三九号)      ————◇—————
  2. 池田清志

    池田委員長 これより会議を開きます。  日本社会党坪野米男君外八名提出政治テロ行為処罰法案及び自由民主党、民主社会党共同提案にかかる早川崇君外七名提出政治的暴力行為防止法案の両案を一括して議題といたします。  質疑を続行いたします。林博君。
  3. 林博

    林委員 私はまず社会党案中心として御質問をいたします。昨日菅委員より自民民社案につきましては相当詳細な質問がございましたが、これになるべく重複しない限度において簡単に、自民民社案にも質問をいたしたい、このように考えております。  ここで、まずこれは坪野さんにお尋ねいたすわけでありますが、昨日も菅委員から御質問がございましたが、元来この法案は、政治的なテロを防止するという意味合いにおきまして、一方には、現在の時代においてぜひとも必要な法案でありますと同時に、人権に関する非常な問題を含んでおりまするし、また憲法上の問題等もいろいろあるというような点からいたしまして、私どもとしては、こういう法案はぜひとも三党共同提案になれば理想的であるというふうに考えておるわけであります。その間の、三党共同提案が成り立たなかった理由、また経過につきましては、与党の提案者である早川さんからは御説明があったわけでありますが、なぜこれが共同提案になるに至らなかったか、また基本的にどういう点が現在の段階までに妥結をするに至らなかった理由であるかというような点につきまして、一つ社会党坪野さんから御説明を願いたいと存じます。
  4. 坪野米男

    坪野議員 ただいまお尋ねの点でございますが、自民党早川さんその他から、三党共同提案が望ましいから一つ話し合いをしようじゃないかという申し入れがございまして、数回にわたって話し合いをしたのであります。  社会党立場最初に申し上げますと、社会党は、この種の治安立法は、元来治安の責任を持つ政府提案すべきものであって、議員立法は望ましくないのだ、ところがこのテロ防止のための治安立法について政府がその熱意を示さなかった、そこで責任ある野党の立場から、社会党がいち早く、最小必要限度治安立法としてのテロ処罰法案提案したわけでございますが、その後も社会党としては、政府立法熱意があれば、政府立法にわれわれは協力するという態度は決して捨てておらないわけでございまして、本来は政府提案すべきものだという考え方基本的に持っております。  さらに、政府が何らかの理由提案をしないという場合にでも、治安立法与野党共同提案議員立法にするのが望ましいという点では、自民党と全く同一の考え方に立っております。従って社会党は、なるべくならば三党共同提案が望ましいということで話し合いをしたわけでございますが、社会党が三党共同提案議員立法として出すのにどうしても必要な基本的な考え方は、治安立法というものは必要最小限度にとどめるべきものである、従って現行刑罰法令十分規制ができるというものについては、それを越えて新たな立法をする、あるいは現行刑法以上の新たな改正をする必要を認めないということで、最小必要限度にとどめるべきだという考え方基本にあるわけでございます。  そこで自民党案社会党案を比べてみたときに、社会党案もまだまだ必要最小限度の域を越えておるのじゃないかという批判もありましょうし、われわれもその批判に対しては十分考慮をする用意はございます。ところが自民民社提案原案、あるいは原案原案と申しますか、その案も、われわれから見て必要の限度を越えておるのではないか、テロを防止し、政治的暴力行為を防止するという観点から、現行刑法十分規制ができるのであって、その必要限度を越えておるのではないかという考え方がありまして、その必要限度を越えた分についてははずしていこう、そして同党で異存のない点だけを——この点は社会党の案に対してどうしても困るという点は社会党が引っ込める、また自民党の案についても、この点は少し行き過ぎではないか、そこまでは必要がないのではないかということで、両方異存のある点をはずしていって、両方異論のない、意見の共通するといいますか、調整のついた部分だけについて共同提案をしてもいいのではないかというのが社会党基本的な考え方であったわけです。従って、話し合いがつかなかったのは、国会構内あるいは総理官邸への不法侵入、こういう規定を、このような政治的暴力行為防止法案の中に盛り込もうという自民党の非常に御熱心な主張も、私たち現行刑法で十分ではないかということから、必要最小限度という趣旨に反して盛り込むことには反対だということであり、また団体規制についても、団体規制の必要はわれわれは痛感しておりますが、しかしまだ十分法技術的にも検討しておらないので十分検討する必要があるのではないか。そうして異論のないものができれば、非常に法技術的にむずかしいから、別個に団体規制については考え直してもいいのではないかということで、団体規制については私どもは強く反対してもおりませんし、といって自民党案の成案を見たわけでもないので、私たちとしてはもう少し検討してみようかということで、これが話し合いのつかなかった第二点でございます。  そういうことで、まだまだたくさんございますが、基本的な考え方はそういうことであり、また治安立法最小限度にとどむべきだ。最初に申し上げましたが、本来テロ防止措置あるいは施策としてこういう処罰法をもって臨むことは下の下策だということは社会党自身も十分承知しているので、もっと抜本的な、もっと長期的なテロ防止策政府なりまた与野党が真剣に検討する。これについても、私どもは、超党派的に、話し合いによってそういった施策考え出そうということが根本であって、この刑罰によって防止するということは最小限度にとどめようという基本的な考え方に立っているわけであります。ですから、数回にわたって話し合いましたが、私の方は国民の世論、特に良識ある世論に問うて、恥をかかない、恥ずかしくない、なるほど必要最小限度のものとしてやむを得ないという世論の同調の得られる法案ができれば社会党案を修正する、また自民党案も修正していただいて、そうしてある段階共同法案を通過させるということも私は可能であるというように考えております。
  5. 林博

    林委員 ただいまいろいろ御説明があったわけでございますが、その趣旨を要約いたしますと、結局基本的に自民党案話し合いにならない一つ理由は、国会内の侵入であり、また団体規制の問題であるように承ったのであります。ただこの社会党の案を見ますと、基本的に流れている方針というものが一つある。しかもそれ一本で通しているという感じがいたすのでありますが、それはテロ威嚇をもって抑圧しようという思想であろうと考えるのでありますが、その通りでありますかどうか。
  6. 坪野米男

    坪野議員 社会党案の底に流れているものは、政治テロを防止する、そのために政治テロの中の最も悪質な、最も典型的な政治テロ殺人及びそのテロ殺人可能性のある犯罪、これだけに限定をして、そうしてそのテロ殺人というものは最も悪質な、最も憎むべき犯罪だ、この犯罪に対して相当きびしい刑罰をもって規制をするということがテロ防止一つの有力な対策になるのではないかという考え方から、現行刑法のワク内ではございますが、最高の刑をもって臨もう、あるいは相当重い刑をもって臨もうという考え方根本にあることは間違いありません。
  7. 林博

    林委員 テロ威嚇をもって防止していこうという考え方は私どもいろいろ異論がございますけれども一つ考え方ではあると思います。しかしながら、観点を変えまして、ずっと社会情勢を観察してみますと、テロ事件が起こったというのはごく最近に連続して起こっておる。河上さんの事件、それから岸さんの事件、浅沼さんの事件、嶋中さんの事件、この十数年来こんなものはなかったのです。ここわずかの間に続発しておるということなんですね。一体どういうわけでこういうことが起こったのか。犯罪というものは、ただ威嚇をもって抑圧するということではなかなか目的が達せられない。犯罪が起こる原因をだんだん除去していかなければということは、予防的な措置として非常に重要なことであると考えます。この意味におきまして、池田総理もしばしば政治姿勢を正すことが先決である、立法は第二であるというようなことも言っておられたのであると考えますけれども、こういうテロ行為が行なわれた原因に対しましては、世上いろいろ言われておるわけです。社会党ではこれは誤った考えだと仰せられておるわけでありますけれども世上にはこういうことを言う者がある。また相当共鳴者を得ております。それは、安保騒動以来の社会情勢のもとに、いわゆるデモだけではなくして、デモが明らかに法規に抵触するようなたとえば国会侵入事件であるとかあるいはハガチー事件であるとかいうような集団暴力行為があった、これに対する一つの反発であるという意見もあるわけです。社会党はこれに対してはっきり否定されておると思うのです。デモテロは異質なものであるというようなことを言っておられるのでありますけれども、それでは社会党提案者立場として、一体この短期間の間にこのようにテロが頻発したということは那辺に原因があるかというふうにお考えになっておるか。この原因を探求することが、ただこれを抑圧するというだけではなくして、こういう犯罪防止に対して非常に重要な問題であると考える。そこでその原因提案者社会党の方々としてはどういうところにあるのだという考えのもとにこの法案を立案されておるのか、この点について一つ詳細に御意見を承りたいと思います。
  8. 坪野米男

    坪野議員 テロ原因を断たなければテロを根絶することはできない、単なる威嚇立法をもってしてはテロを根絶できないという林委員の御見解に私も賛成でございます。同感でございます。  そこで、ここ数年間にわたってテロが続発しておる原因は何かというお尋ねでございますが、ここ数年間のテロの特色は、いずれも右翼的な思想を持った人また右翼団体関係のある人たちがやっておるいわゆる右翼テロばかりでございます。この右翼テロがここ数年間にわたってこのように頻発した原因、それは、戦前特に大正から昭和の初期にかけてファッショ的なテロにまで発展した右翼テロが続出しておりましたが、これが戦後占領下において右翼占領政策によって完全に抑圧され地下にもぐったというように見ておりますが、戦後十数年のうらに戦前右翼あるいは戦後派の右翼がようやく力を盛り返してきたということが、一つ社会的な現象といいますか、一つの流れではないかと思います。右翼がようやく十数年にして時を得てきた、これの原因は、やはりこの右翼勢力を利用しようとする政治勢力がある。保守党の議員の一部に、この右翼勢力を利用して労働運動あるいは左翼勢力の集団的な政治行動大衆運動に対抗させようという、そういう意図から、右翼思想だけでなしに、右翼団体を育成する、あるいはこれに資金的な援助を与えても左翼大衆運動に対抗させなくてはいないという考え方から、右翼を助長する一つ政治勢力ができてきておるのではないか、こういうように見ております、またこの右翼政治資金を供給する一部の財界があるということも事実のようでありまして、こういう原因とからみ合わせて、右翼が戦後十数年のうちにようやく行動にまで高まるところまでその勢力を回復してきたということが原因であります。そして昨年来の安保闘争あるいは三井三池のああいった大争議、こういったものに関連して、なるほど大衆運動の中にも行き過ぎがあり、暴走がございまして、これは警察なり司直の取り締まりを受けなければならない事案もあったと思います。そういったものに対して、警察あるいは検察の手に負えない相当大規模な暴発行為暴走行為もあったようでございますが、こういう大衆運動に対して、その大衆運動原因はさらに追及しなければなりませんが、その大衆運動に対して、一方保守陣営あるいは財界から、これは警察にまかしておっちゃいけない、これに対してはいわゆる行動右翼勢力を利用して対抗させようという考え方から、資金的な援助あるいは精神的な援助、あるいは警察の片棒をかつぐんだというような精神的な連帯感、そういったものから右翼が公々然と活動する情勢になったものだと考えます。私は、安保闘争あるいは三池闘争でなるほど大衆行動行き過ぎはありましたけれども、あの闘争右翼を挑発したのだというようには見ておりません。右翼がばっこしてくる社会的な原因があって、右翼がああいう事件を契機にして立ち上がったのだというように考えております。あの安保闘争がなぜああいう形で暴発をし、暴走するところまで行ったかという根本原因は、さきに林委員の言われた、政治姿勢を正すと池田総理が今日において十分反省されておりますが、岸内閣当時、岸総理のあの政治の進め方にそういった政治姿勢を正すという心がまえがなかったところに問題があったのだというように私は考えております。
  9. 林博

    林委員 この点は、私どもと多少見解を異にするところでありますが、確かに戦後十年を経てようやく右翼の台頭するような時期がきたということも事実だと思います。しかしながら、安保闘争中心とするデモ行き過ぎという言葉を用いられましたが、確かに行き過ぎではありましょうが、しかしながらデモ集団暴力とは別個なものなんですね。たまたまデモ集団暴力を一緒にごっちゃにして、集団暴力というのは単にデモ行き過ぎなんだという概念をもってされる御説明、あるいはそういうなにを聞くのでありますけれども、私はそういうデモ集団暴力とは別個なものであると思う。明らかにデモ行き過ぎ集団暴力になったというのは、これは刑法犯にも触れる重大な問題なんですね。そこでそういう事案一つ刺激になったということは、私は否定し得ない事実ではないかと思う。そういう集団暴力がこのテロ行為の続発に対して一体関係ありとお考えになるのかどうか、あるいは全く関係がないというのか、多少は関係あるというのか、あるいはそれが大いに動機となっておるのか、その点についてお尋ねいたします。
  10. 坪野米男

    坪野議員 安保闘争における集団行動、いわゆるデモに関連する暴走、それが刑法犯に触れるものとすれば、集団的な政治的暴力行為と言えるかと思いますが、そういった政治的暴力行為が発生した例があるようですが、まだ裁判所で結論が出ておりませんが、少なくとも起訴になっている事案が数件あるようでございます。それが原因になってテロが続発したのではないかという見解質問のようですけれども、私は直接関係はないと考えております。それは、ああいった正当な大衆運動請願行動あるいは集団示威運動、この正当な大衆運動に対抗するためにあの行動右翼の組織を利用した側に、もちろん挑発をした側が右翼がああいった行動に出る原因を与えたものだと考えておるものでありまして、右翼を使う政治勢力がなければ、かりにあそこでデモ行進をやっておるからといって、直ちにあの現場に右翼の暴力団が武装して、あるいは凶器を持って押しかけてくるということは私はなかったと考えております。ですから、デモ行き過ぎがああいったテロを生んだのだという因果関係はないと考えております。
  11. 林博

    林委員 その点はいろいろ見解の相違がございますけれども、次の質問に移らしていただきます。  先ほども御答弁にありましたように、本法社会党案を流れる根本の精神というものは、威嚇主義なんですね。刑罰を非常に重くすることによって、威嚇してテロを防止しようという、こういう考えに基づいて本法が作られておると思うのであります。  そこで刑罰法規が非常に重い。たとえば人を殺した場合には死刑無期、それから一例をとりますと、殺人予備陰謀の場合にも、社会党案では五年以上の刑になっておる。ところが現行刑法では、これは二年以下です。それから自民民社共同提案のもとでは五年以下、片っ方では五年以上無期です。片っ方では五年以下、このように非常に重くなっておる。これに準じてその他の刑罰法規も非常に重い刑罰をもって律しておられるわけであります。これは威嚇主義基本としておられるのですから、見方によっては当然と言えるのでありましょうけれども、しかしながら、政治的テロというものがはたしてこういう威嚇主義によって抑圧できるものかどうかということは、非常に刑事政策上問題があると思うのです。というのは、後ほどお尋ねするわけでありますけれども、この法案は「自己政治上の主義と相容れないことのゆえをもって」という条件を付しておる。この条件についてはいろいろお尋ねいたしますが、要するにこれを行なう者はいわゆる確信犯対象としておるのではないか。思想犯というか確信犯というか、これは自己信念に基づいてやる者であって、単に厳罰主義に対して、厳罰主義であるからこれをやめるのだというようなことではないのじゃないかというふうに考えるのであります。従来からもいろいろ刑法議論されておりますときに、確信犯に対しては威嚇というものは効力がないというふうに言われておるわけです。場合によっては不定期刑にしろ、あるいは保安処分をしろとかいろいろ議論が分かれておるところでありますけれども、少なくとも確信犯に対して、この威嚇力を持った刑罰というものは効果がないのじゃないか、こういうことが当然考えられてくるわけでありますが、この点に関する提案者の御意見を承りたいと思います。
  12. 坪野米男

    坪野議員 確信犯に対して威嚇力は大してないのじゃないかというお尋ねですが、私も思想犯あるいは政治的確信犯に対して刑罰威嚇力が比較的少ないということは認めざるを得ないのであります。ただ刑罰威嚇力といいましても、死刑無期との間には大きな質的な違いがあると思うのでありまして、最高無期までの自由刑威嚇がどの程度の効果があるかという点では確かに疑問でございますが、死刑威嚇にたえる確信犯がはたしてたくさんあるかどうかということになると、相当疑問だと思うのであります。そこで、私は確信犯とは何ぞやという点についてもう少し検討してみなければならないと思うのですが、なるほど右翼団体指導者あるいは思想犯、そういった者には右翼思想について確信を抱いておる、あるいは共産主義社会主義のそういった思想に対して思想信条について確信をしておる。そして自己思想信条を推進するためには、あらゆる手段、いかなる手段をもとらなければならないということまで確信しておる犯人相当おると思います。けれども自己思想信念を貫徹するために人を殺さなければならない、人を殺してもかまわないのだ、人を殺すことは許されるのだ、こういう殺人必要性正当性確信しておる確信犯がそんなにたくさんあるかどうかということになると、ほんとうは私は疑問だと思うのです。自己思想信条確信し、殺人正当性必要性確信する犯人は少なくなってくると思う。これも相当あるといたしましても、人を殺さなければならない、殺しても正しいのだ、そういう信念は、現行刑法で人を殺せば最高死刑という刑罰があることを大体承知して臨む人が多いと思うのであります。死刑になってもかまわない、自分の命を犠牲にしても人を殺さなければならない、命を的にしてかかる確信犯というのはもっと少ないのじゃないか。自己の信奉する主義主張のために相手を殺さなければならないのだという確信、ここまではあるでしょう。しかし、それは正しいのだ、人を殺してもいいのだ、許されるのだ、少なくとも法には触れるけれども社会的には許されるのだというような、自己行動自己殺人という行為をどこかで是認しておる甘さがあると私は思うのです。必ず人を殺して、自分がその場で自殺するという犯人もかつてございました。また死刑を覚悟して臨んでおる人もありますけれども、そんな確信犯というものは、だんだん生命尊重の観念が徹底して、民主主義が進んできた今日においては、私は非常に少ないと思う。そうして大正昭和から以後のテロ犯人に対する裁判例を見ても、死刑極刑をもって臨まれた例が非常に少なくなってきておる。これは歴史の進歩でもありましょうが、同時に確信犯の中にも、その場で抵抗を受けて刺し殺されるかもしれない、そういう意味の冒険はあるでしょうけれども裁判の結果、国家の手によって、殺人が報復されて死刑になるということを覚悟で臨む確信犯人というものは、私は非常に少ないと思います。また、ごく少数の例外において、殺人は正しいのだ、殺人は必要だという信念のもとに人を殺し、そうしてみずからも命を絶つ、こういう狂信的な確信犯があるといたしましたならば、このような確信犯人こそ、われわれは何としても、これは社会防衛のために、民主主義防衛のために、社会から永久隔離をしなければならない。そのためには無期または死刑という極刑もやむを得ないのじゃないか。私はそういう意味確信犯に対する極刑主義あるいは威嚇力というものが少ないということは認めますが、死刑威嚇力というものは、この種の確信犯人に対しても相当効果があり得るということを、私は経験は浅うございますが、私の短い経験からして、また右翼系統あるいは左翼系統の、かつてはありましたが、そういったテロ犯人についても、自己生命犠牲にして、あるいは死刑極刑を覚悟して殺傷行為に臨んでおる確信犯人というものは、必ずしも多くないというように私は考えております。その意味威嚇力相当効果をおさめておる。もちろんこれが万能だとは決して考えておりません。
  13. 林博

    林委員 そういう確信犯が多いということは考えられないのです。考えられないのだけれども、また確信犯というのはごく少数であっても、おそらく死刑を覚悟してやる人じゃないかというふうに考えておるわけでありまして、こういう人が少ないからということは、これは議論対象にはならないというふうに私ども考えております。いま一つ非常に極刑をもって臨むということは、何というか、英雄的な思想を助長することになりはしないか。自分死刑になってもやるのだということで、逆にテロ賛美思想を、ことに少年等に植えつけはしないかというおそれもあるわけです。その点についてのお考えはどうですか。
  14. 坪野米男

    坪野議員 極刑をあえておそれずに、テロ殺人行為を犯す、そこに英雄心を満たすというような風潮が起こらないとは限らない、それは私もそうだろうと思います。ですから単なる威嚇主義刑罰だけでテロを根絶するということは不可能であり、青少年に対する根本的な施策、またこういったテロをなくするという風潮を何としても政府が責任を持って確立しなければテロは根絶できないということであろうと思うのであります。国のためにあるいは国賊を除くのだ、こういう考え方右翼テロリストの中に多いようでございます。そういう自己政治上の主義信条と相いれないということのゆえをもって、あえて政敵を殺傷しなければならない、殺傷することが正しいのだという考え方、またこういった考え方を敢行したテロ犯人に対して、国民がこれを英雄視したり、またこれに対して同情をするという風潮をもこの際なくさなければいけないのじゃないか。国のためにやったのだからかわいそうだ、その動機、心情は同情すべき点があるとして罪一等が減ぜられて、非常に軽い刑になっている例が戦前ありましたけれどもテロを憎むという国民世論を作り上げなければ、このテロを英雄視したり、あるいはこのテロを、罪は憎んでも人を憎まずで、かわいそうだという同情心を起こさせるようなことではテロは根絶できない。そういう根本テロを憎むという国民世論を盛り上げなければ、この威嚇主義もほんとうの効果をおさめることはできない、このように考えております。
  15. 林博

    林委員 私は根本的にテロに対して威嚇主義効果がないというふうに考えておるわけでありますが、それはさておきまして、社会党は、きのうもちょっとその点について一言触れたのでありますが、昭和三十一年に死刑を廃止するという刑法の一部改正案を出しておると思うのです。これは単に一般の死刑のみではなくして、内乱に対する死刑も廃止するという法案を出しておると思うのでございます。これは、死刑を廃止するという以上は、何らかの刑事政策上の理念、あるいは人道上の理念と申しますか、あるいは宗教上からかもしれません、そういうような深い観点に立ってこの死刑廃止法案を出しておると思うのです。この当時坪野さんはあるいはおられなかったかもしれませんが、一体社会党が、どういう主義主張、あるいは信念に基づいて、あるいは刑事政策上の見地に基づいて、この死刑廃止法案を出したのか。おそらくこれは党議を経ておると思うのです。その点について一つ説明願いたいと思います。
  16. 坪野米男

    坪野議員 昭和三十一年に社会党議員立法として刑法の一部改正法案、いわゆる死刑廃止の法案が出されたことは承知をいたしております。社会党の党議がどうかということを申し上げますと、社会党の中にも死刑廃止論者もあれば死刑存置論者もございまして、党議でもって死刑制度の廃止を決定したということは私は承知いたしておりません。従って議員立法として提案なされて、参議院先議だったと思いますが、衆参両院でかりに採決するという段階になった場合には、これは個人々々の信条なり世界観の問題に触れてくると思うわけでありまして、こういう場合には各人の自由意思でもって、自分思想信条でもって賛否いずれに投じても、党としては党議で拘束しないというように私は聞いておったわけであります。間違っておればまた中村議員からでも補足していただきますが、そのように私は承知しております。従って、各人それぞれその世界観によって死刑を廃止すべきであるという宗教的な信念あるいは刑事政策的な観点から、そういう見解の方も社会党にも多数ございますし、また刑事政策的に死刑廃止は時期尚早であるという考え方から、今直ちに死刑を廃止することには反対だという見解の人も多数ございます。それが社会党の中のこの法案に対する見解だと思いますが、党議としては死刑廃止ということをきめておらないというように私は聞いております。
  17. 中村高一

    中村(高)議員 ちょっと私から……
  18. 林博

    林委員 なお、その経緯等についても、もしわかれば一つ……。
  19. 中村高一

    中村(高)議員 これは今、坪野君からお答えがありましたように、党内でも大へん議論がありまして、主として法律家関係の者は反対、それからそうでない諸君の方に死刑は廃止すべきだという意見が非常に多かったのであります。林委員もそういう傾向についてはおわかりになられると思うのでありますが、今でも党内に死刑のような非常に残虐な刑罰法規は廃止すべきであるという議論があります。あの当時はそういう意見が出ましたけれども、結局どうも問題が非常に大きく、また学者の間にも議論が分かれるし、世界的にも問題が論議されるということで、最後にはこの点についてだけは自由の意思で決定しようじゃないか、ほかの問題は別として、死刑廃止についてだけはお互いに自由の問題にしようというので、これだけは坪野さんがお話になりましたように、自由ということで今も党議でどうも決定をするという段階ではございません。
  20. 林博

    林委員 これは党議では決定しなかった。当時これについてはいろいろ議論が分かれておったというお話でありますが、今回の問題についても、おそらく党議で御決定になったのだと思いますけれども、同じような矛盾が出てくるのではないかというふうに考えるのであります。おそらくその当時の死刑廃止法案提案者も現在多数おられると思うのでありますが、一体その間の転換をどう御説明になるのか。それらの方々も今回のこの厳罰主義法案には賛成しておられるのか。またかりに党議で決定しなくても議員提案で出される以上は、党の大多数の意見がそちらの方に傾いておったのではないかということは当然予測されるわけでありますが、今回の厳罰主義法案とは著しく矛盾しておるわけです。その間の事情を提案者は一体どう御説明になるか。
  21. 坪野米男

    坪野議員 本法案の立案の過程でもずいぶん議論はございまして、党内の死刑廃止論者から死刑だけは削除すべきだという意見があったことは事実でございます。しかし、最終的には本法案は党議で決定しておりますから、この法案の中に死刑という刑罰がかりに数カ所あるとすれば、それは社会党として党議で認めておるわけでございます。それは最終的に死刑々制度上廃止すべきかどうかということは非常にむずかしい根本的な問題だから、将来検討するといたしまして、現行刑罰法の中に制度としての死刑が存在しておるわけでございます。刑法においても殺人死刑以下の刑に当たるのでありますから、このように現行刑法だけで死刑制度が存在しておる、その制度の範囲内において、政治テロ殺人最高死刑だ、これは当然現行刑法殺人罪で死刑になるわけでありますから、特に新しい立法殺人刑罰を作り出す、ふやすということについては疑義がございますが、社会党案には、現行刑法死刑にならないものが新たに死刑になるという規定は一つもございません。ですから、現行刑法に制度上死刑という制度がある以上は、その制度の範囲内で、しかも最も憎むべき殺人行為、計画的な政治テロ殺人、こういった行為刑法最高刑をそのまま盛り込むことについてはやむを得ないのではないかということで、党内には大きな異論なしに、最終的にはこの案が党議できまったわけであります。テロ殺人に対して死刑無期という、最下限を重くしたというところでありまして、三年以上というところを削ったところに意義があるのであって、死刑以上の極刑はないわけでありますから、現行刑法以上の極刑をもって臨んでおるということは、少なくとも死刑に関する限りはないわけでありまして、その点で党内では意見が一致したわけであります。
  22. 畑和

    ○畑議員 ただいまの林委員質問について、坪野君の答弁がございましたが、それに補足して一言申したい。  今度のわれわれのテロ行為の処罰の法律案を党議で決定いたしました際には、先ほどのような議論がございました。最終的には坪野君の言われたように決定いたしたわけでございますが、これについては、われわれはこの法規を時限法で提案をいたしたい、そういう点でそうした死刑廃止論者も納得いたしました。あくまでとの現下に頻発するテロ行為に対して威嚇主義で臨んで、早くこういったあれを根絶したいということで時限法とすることになりましたので、納得して党議できまった。そういう点も一つつけ加えて御了解願いたい。
  23. 林博

    林委員 ただいまの坪野委員の御説明、一応ごもっとものようでございます。しかしながら必ずしも納得できないものがございます。なぜかというと、少なくとも三年以上の懲役があるというお話でありましたが、この法案では死刑無期なんです。そうしますと、とにかく政治犯は厳罰主義だ、原則は死刑無期なんだということになれば、これは通常よりも重く罰するということなんですね。事実上の運営においては、少なくとも死刑の運用が、もし犯罪が起これば、今までよりもずっと多くなされるだろうということは予測されるわけです。だから、形式上単に三年以上の刑が削られたからということをもってはこの御説明には当たらない。実際上の運用を見ると、確かに全部が重くなっているのですから、死刑を実施される確率が多いんじゃないかということが考えられるわけです。この点に関する御意見はいかがですか。
  24. 坪野米男

    坪野議員 テロ殺人だけに限りまして死刑無期という、現行刑法極刑の部分だけにとどめておるわけでございますから、現実に今後テロ殺人が続発すれば、死刑無期という重い刑罰が課せられる可能性は十分ございます。またそれをねらって立案しているわけですけれども、御承知のように現行刑法の総則では酌量減刑の規定もございます。また殺人未遂の場合には未遂減刑の規定もあるわけであります。従って、かりにテロ殺人死刑という単一の刑罰を法定刑として規定いたしましても、現実には死刑を酌量減刑すれば、無期または七年以上の懲役ということで、かりに複数の犯人がやって、その手を下しておらない方の犯人共同正犯でやられたとしても、最下限の七年という懲役に減刑することも可能なわけでありますから——死刑を減刑する場合は十年ですか、無期または十年以上ということ。また無期懲役にいたしましても、七年以上というように減刑する道が通常刑法総則において認められているわけですから、法定刑を死刑または無期といたしましても、現実の裁判において情状酌量の余地があれば、あるいは減刑されて十年の懲役あるいはまた七年の懲役という懲役もあり得るわけであります。ただ政治テロというものに対して、幾ら情状酌量といいましても、民主主義の根幹を守ろうという立場からして、いかなる動機理由があろうとも殺人行為は許されないということから、殺人者が執行猶予になる、あるいは二年や三年の懲役でまた出獄するというようなことでは、テロを憎むという国民世論を盛り上げることもできないし、また現実にテロを防止することもできないということでもって、私たち死刑無期としたわけであります。従って、無期懲役に当たる事案であっても、殺人の既遂で酌量減刑を受けて懲役七年、これも七年を全部勤めなくても三分の一の二年何がしの服役をすれば仮釈放の制度もあるわけでありますから、現実には二、三年で出てくるという量の軽いテロ殺人犯人もあり得るわけであります。ですから、私たちは法定刑を重くするということは、林委員のおっしゃる通り、死刑をもって予防したいという単純な、プリミティブな刑事政策はあまり最良のものとは思いませんが、しかしとりあえず時限立法として三年間に政治姿勢を正して、テロ根絶の根本策を立てて、早くこういう立法をなくしたいという考え方から、非常にきびしい威嚇主義をもって臨もうということでありまして、私は、現実の運営の面では、今申し上げたように、死刑であっても、全部が全部死刑の判決を受けるとは限らない、せいぜい五、六年も勤めてくれば出てくる殺人犯人もあり得るのではないかというように考えているわけであります。
  25. 林博

    林委員 死刑に関する議論はきりがありませんからこれ以上申しませんけれども、ただ死刑廃止論あるいは死刑存置論というものは、相当根深い思想的なあるいは人道的な刑事政策上の見地からなされるものであって、単純な、簡単な経緯で転換されるようなものではないというように私は考えておりますから、いまだにこれに対する疑義が相当残っているということだけは申し添えておきます。  次にお尋ねいたしますが、もちろん本法厳罰主義をもって臨んでいることは、先ほど坪野議員から仰せられた通り、また法案にも現われている。ところが、これは厳罰主義だけが目的ではない。結局厳罰主義というのは、テロ行為の予防を目的としているわけです。ところが、テロ行為の予防には、これはいろいろ考えてみますと、場合によっては厳罰主義ももちろん必要でありましょうけれども、それよりも重要なことは幾つもある。たとえば当法務委員会において、あのいろいろな相次ぐテロ事件が起きたときに一番問題になったものは何かといえば、なぜ資金源を追及しないのかといってずいぶん追及されたわけです。しかも社会党が非常に熱心にこの点を追及をされた。また社会党議員の方から、本会議において、愛国党に対してなぜ破防法を適用しないかという議論もなされたように思います。私も聞いておりましたから。——そうしますと、こういうテロ行為の予防には、厳罰主義をもって臨むだけではなくて、その予防的措置としては、当然団体に対する何らかの規制あるいは資金面の規制ということを考えてこなければならないのではないか。これは社会党の委員の方々あるいは議員の方々の今までとられた態度からして、この資金源が大事ではないか、なぜ団体をそのままほっぽっておくのかという議論が圧倒的だった。これはほとんど社会党の方々がそういう主張をされておった。ところが今回の法案を見ますると、これに対しては何らの措置が講じられてないわけです。資金提供の何が一項あったようですけれども、それ以外には、団体規制に対しては全く触れるところがない。何ゆえにこれらの点について今までの御主張通りのことをなさらなかったのか、この点についてお伺いをいたします。
  26. 坪野米男

    坪野議員 テロ防止のために、テロ殺人その他のテロ行為の個人だけを処罰することでは不十分で、団体規制する必要があるのではないかというお尋ねですが、社会党も、テロ原因を断つためには、もちろんテロ行為者本人を罰するだけではなしに、テロを教唆、扇動する者も独立に処罰しなければいけないし、またテロの背後にあってこれをあやつる勢力というものを規制しなければいけないということは考えておるわけでございます。ただ現実に、刑罰法令でありまするから、人権との関連でむやみやたらな法律は作れないわけでございます。そこで資金源を追及する、また資金源を規制するための団体規制の必要も私たちは認めておるわけでございます。ただ現実に、法律の専門家でない、立法技術者でもないわれわれが、しかも短期間に団体規制法案を検討してみましたけれども、いろいろ疑義が出てきて、これはやはりもう少し技術的に検討を加えなければいけないということで、われわれとしてははずしたわけでありまして、団体規制の必要がないということではないわけでございます。もっともそういったテロ犯人に対する金品等の提供者についての規制は第八条で規定しておるわけでございますし、さらにまた私たちが一番疑念を持っておる点は、大体今までの日本の刑罰体系は、犯罰はみな個人の行為に還元していっているわけでありまして、複数でありましても、共謀あるいは教唆、幇助というように大体個人単位の刑罰体系になっておるわけでありまして、団体として犯罪行為を犯すということを規制することは非常にむずかしいのではないか。初めかららテロ殺人を綱領に掲げておる団体というものはおそらくなかろうと思うわけでありまして、結局いろいろの主義主張を掲げた団体の構成員によって犯罪が行なわれる。またその主たる構成員、役員が謀議をして、そして一つ団体の機関の決定としてやろうという場合もときたまあるでありましょうけれども、通常はそういった謀議は正規の機関できめるということでなしに、役員なり、そこに集まった数人、十数人の幹部が共同謀議をして犯罪を計画し、これを遂行するということで、今の個人刑法でも十分これを捕捉できるのではないかという考え方から、団体の正当な政治活動を不当に制限するようなことがあっては憲法違反にもなるということから、私たちは、団体規制立法技術的に人権との関連において慎重に検討しなければいけないということで、はずしたわけでございまして、ほかに他意はございません。
  27. 林博

    林委員 そうしますと、この団体規制の問題については、社会党としては根本的に反対なのではなくして、現在の段階ではいろいろ検討してみたいということでございますか。なお、自民党案団体規制のあれが出ておるわけですが、これについて検討したかどうかわかりませんけれども、検討した結果納得いくものであるならば、その点については場合によってはそれに同調することもあり得るというふうに聞いてよろしいでしょうか。
  28. 坪野米男

    坪野議員 団体規制については、最初に申し上げた通り、われわれは必要最小限度において、しかも憲法上の疑義がない限りは、そして効果的な規制措置がとり得れば、盛り込んでも差しつかえなかろうと考えております。ただ、自民、民社党案については成案を拝見して間がございませんので、十分検討して、疑義があれば私どもの方からただす、自民、民社党案がこれはりっぱなものであるということになれば、これを取り入れたってちっとも差しつかえない、私たちとしてはそういうふうに考えております。
  29. 林博

    林委員 それでは、いま一点お尋ねいたしますが、この団体規制について問題になるのは、やっぱり言論が問題になるので、今ちょっと問題になりましたけれども、結社の自由ということが非常に疑義になってくる。それだからこそ、坪野議員も、また社会党さんも、これに対して非常に慎重な態度をとられておるのじゃないかと思うのです。ところが、やはりこの同じ言論に関係してくるのでありますけれども、結社の自由と同時に、やっぱり言論の自由ということは、憲法上守られなければならないと思うのです。ところが、第十条に、「第四条第一項若しくは第二項又は第六条の罪を犯した者としてこれを公然と賛美した者は、三年以下の懲役に処する。」こういう規定が置いてあるわけです。私はこれは憲法違反じゃないかというふうに考えておるわけであります。憲法の言論の自由を侵害するのじゃないか。というのは、「賛美」という概念が必ずしも明らかでありませんけれども、大体言論の取り締まりというか、言論の自由に対する抑圧に関しては、アメリカにおいてもいろいろ判例があるようでありまして、私も必ずしもよく研究しておるわけではありませんけれども、アメリカの判例によりますと、明白かつ現在の危険ということで、長い間の裁判で判例が確立しておるという話を聞いております。その言論によって誘発される危険は、差し迫まっており、かつ明白でなければならない。そこで、その差し迫っており、明白であるような危険を誘発する場合、こういうように非常に厳格な規制を置いておるのでありますが、私はこれは当然であると思うのです。ところが、単にこれを賛美したということは、その具体的な犯罪を実行する危険性とは、直接のつながりがないわけです。このような賛美ということが即時に明白かつ現在の危険につながるかどうかということについては、私は非常に疑義があると思うので、私はこういう非常にばく然たる規定は憲法違反ではないか、このように考えておりますが、この点についてのお考えを伺いたいと思います。
  30. 坪野米男

    坪野議員 第十条のいわゆるテロ殺人賛美の罪の規定でございますが、確かに、今、林委員の言われたような憲法上の疑義が出てくるということを、私たちは予想いたしております。党内においても相当論議を戦わした条項でございますが、最終的に私たち考え方を申し上げますと、テロ殺人を犯した直後に、国民感情がそのテロ殺人を非常に憎んでおる、被害者に対する同情、また加害者の無謀な行為に対する非常な憤りが国民世論、国民感情の大半を占めておる、そういうときに、あの何がしはよくやったといって、そのテロ殺人を賛美する、ほめたたえる、これに対して神社を作ってやろうじゃないか、賞揚してやろうじゃないかというような言論は、これはきわめて反社会的な言論だ、悪質な言論だ、国民感情としてとうていこれは是認できない言論だと思うのであります。そこで、なるほど憲法で言論の自由は保障されておりますが、しかしながら、言論の自由にも限界がある。また言論犯罪というものが、現に現在の刑法体系の中にもあるわけでございます。たとえば名誉毀損罪などは、相手の人格権、名誉権に対する侵害的な言論——これはもちろん文書その他ですけれども、その言論そのものが反社会性を帯び、その反社会性が単なる反道義的という域を越えて、国民の法意識において犯罪的言論であると是認される限りにおいては、そのような言論犯罪は、現行刑法においても是認されておるわけであります。その他あるいは公然侮辱罪、あるいは猥褻罪の中にも、公然猥褻罪ですか、一部そういった行為があるでありましょう。かように、憲法の保障する言論の自由の範囲を著しく越えた場合には、私は言論犯罪というものはあり得ると思うのです。この十条はもちろん新たに創設された言論犯罪でありますが、今言いましたように、テロをわれわれは根絶しよう、そのために殺人可能性のあるテロ行為にしぼって、これを重く罰することによって予防しようという考え方でありますから、テロ殺人が敢行された直後に、国民感情に反して、このようなテロを公然と賛美する言論は将来新たなテロ殺人行為を助長するおそれがあるということから、きわめて悪質な反社会性を帯びた犯罪的言論だ、この反社会的な言論を犯罪として処罰の対象にすることは国民の法意識において是認されるものだ、少なくとも今党の最終案として規定された三年以下の懲役といえば、名誉毀損罪と同一の刑罰でございますが、せめてこの名誉毀損罪程度の、三年以下の懲役という程度の刑罰をもって規制することは、必ずしも憲法における言論の自由の抑圧あるいは不当な制限ということにはなり得ないというように私たち考えて、相当思い切ってこれを出したわけであります。もちろん国民世論あるいは良識ある世論批判に耐えなければ、われわれは考慮する必要があろうかと思いますが、私たち十分検討した上で、このような反社会的な犯罪的言論はやはり制限をする必要があるという考え方から、あえてこのテロ賛美の言論——歴史的事実を説く、あるいは弁護人が法廷でそのテロ犯人の弁護をするというようなことは制限の対象にはなりませんが、公然とこれをほめたたえるという行為に対しては、やはりこれは規制対象にすべきではないか、このように考えておるわけであります。
  31. 林博

    林委員 私はなおその点について非常に疑問を持っております。ただ名誉毀損という御設例がございましたが、名誉毀損の場合はだいぶ事情が違うのでありまして、名誉毀損によっては即時に実害が生じて参ります。被害者の法益が直ちに侵害されておるわけでありまして、この場合のように、公然と賛美したというようなばく然たる場合とは非常に異なるというふうに考えまして、ただ単に言論に対する規制が、名誉毀損にもあるから、これでいいんだということには絶対ならない、全く事例が違うというふうに私は考えておるわけであります。これ以上この点について御質問いたしましても、水かけ論になりますから、観点を移しまして、最も重要と思われます点をお尋ねしてみたいと思うのであります。  大体法案というものは、立法者の意思いかんにかかわらず、立案されてしまいますと、独走する場合が多い。拡張解釈されたり、いろんなふうに解釈されて、人権を侵害するという場合が往々にしてあるわけです。ですから、ことにこういうような人権に非常に重要な問題のある法案に対しましては、用語が非常に厳格に解されなければならないし、また厳格に規定されていなければ、将来非常に危険性を残すと思うのです。  そこで私は第一条の冒頭に書いてあります「自己政治上の主義と相容れないことのゆえをもって人を殺傷する」という条項の、自己政治上の主義というのを一体どういうふうに解釈しておるのか、この点についてお伺いいたします。
  32. 坪野米男

    坪野議員 社会党案のこのテロ犯罪の構成要件の中心をなしております規定は、確かに今までの刑罰法令にない新しい用語を使っておるから、相当疑義があろうかと思うわけでありますが、自己政治上の主義という言葉は破防法その他にありまして、政治とは何ぞやということは、ここで深く論じなくても、大体社会通念上わかるのではないか、まあ破防法と同じ考え方でいいわけでありまするが、社会党のいう政治上の主義というのは、政治上の基本的な原理、たとえば社会主義共産主義あるいは民主主義、資本主義といった、基本的な一般的な政治上の原則をいうわけでありまして、個々の再軍備反対政策だとか、あるいはその他いろいろの政治上の基本的な政策、施策というものはあろうかと思いますが、そういった、基本的であっても、政治的な政策、施策というものは含ませるべきでない。テロ殺人をきびしく罰するわけでありますから、その構成要件を非常にきびしくしぼろうという考え方から、政治上の主義あるいは信条——単なる思想上の信条では私は広過ぎると思うわけでありまして、政治に関する、政治上の基本的な主義信条、そういったものに限定して考えよう、従って行政上の施策あるいは政策的なものまでは含ませるべきでないというのが、私たちの一致した考え方でございます。政治ということは、あまり詳しくいっても言葉だけになってしまいますから……。
  33. 林博

    林委員 私は自己政治上の主義という構成要件は非常に重要だと思うのです。これがもしあいまいなことであると大へんなことになってしまう。何にでも適用されることになってしまいますし、坪野さんの今言われたようなことでありますると、ほとんどこの条項というものは適用されないのじゃないか。法案全体は、威嚇主義をもって立案されたものでありまするけれども、実際上の運営面においては、全く適用されない法案になってしまうではないかというふうにも考えられるわけです。それは自民民社案を見ますと、これでも私はまだ具体的ではないと思うのですけれども、「政治上の主義若しくは施策又は思想信条」と、多少これは具体化して、施策だの思想信条まで規定しておるわけです。ところが施策ということは、今の坪野さんの御説明によると、全くないわけですね。だから具体的にテロ事件が起こるという場合はどうでしょうか。政治的な施策の場で起こるのじゃないのでしょうか。今の坪野さんの御説明にあったような、自己政治上の主義という今のような御解釈ならば、これはほとんど適用される場合がないのじゃないかと思うのです。私の考えではそう思います。ところが、このテロ防止法案というものは、現実に起こった、今までの幾つかのテロ事件の発生を見て、これを防止しようというために作られた法案である。しかもそれを威嚇をもって防止しようという法案である。ところが今までに発生した事件で、この要件に該当する事案がありますか。
  34. 坪野米男

    坪野議員 浅沼事件はまさに自己政治上の主義と相いれないのゆえをもって相手を刺殺した事件に該当すると思います。嶋中事件の場合は若干疑義がございます。というのは、対象者が違いますから。嶋中社長を刺したという場合ではなしに、その女中さんを刺した、あるいは奥さんを刺したということで、若干違うと思います。  そこで、今、林委員お尋ねでございますが、私たちはこのテロ殺人を憎む、そしてこれをきびしく規制するという考え方を一方に持っておりますが、しかし非常にきびしい威嚇立法でありますから、制限的にきびしく規制をしなくてはいけないということで、政治上の主義施策あるいは思想信条というような自民民社案のように、この原因といいますか、普通の殺人から、特にこういった目的犯罪を、非常に範囲を広くしょうという考え方とは反対に、政治上の主義、その信条政治上の主義の中に、もちろん信条を含めて解釈しておりますが、そのように非常に限定的にしぼって規定をしたわけであります。しかしこれでも私は典型的な左右を問わずのテロ犯人は、やはり犯人本人が政治上の主義信条を持っておる。ですから犯人本人が全然政治上の主義信条を持っておらない殺し屋といいますか、ごろつきが金で雇われて人殺しを請け負うというような場合には、これを教唆扇動した政治上の主義信条を持った教唆扇動者は、テロ処罪法の対象になり得ても、その殺し屋自身は普通の殺人罪で処断——これだって最高死刑でございますが、処断する以外に道がないし、またそれでいいのだ。あるいはそれを広げると、たとえば地方政治においていろんな、町村合併反対とか賛成とかいうようなことで、これだって政治上、行政上というのが、政治と行政の限界も非常にむずかしゅうございましょうが、政治上あるいは行政上の施策の争いというようなところから殺傷事件が起こって、この自民民社案でも相当重い刑罰になっておりますが、こういった法律で処断をされるということになれば、一般のごろつき、ヨタモノの町の殺傷事件とどこが違うのだということにもなってくるわけであります。私たち民主主義の根幹をゆるがすような典型的な政治テロを防止しようという考え方でありますから、通常考え得る一つ政治上の主義信条を持っておるテロリストが、相手の殺される人の政治上の主義信条を問わないわけであります。もちろん殺される人の政治上の主義信条あるいはその政治活動、言論活動と相いれないということもありましょう。しかしながら、被害者の方には何らそういう政治上の主義信条はないけれども、おのれの政治上の主義信条に相反する、気に入らないということで、けしからぬというだけの感情で相手を刺し殺しても、その犯人自身がそういう誤った政治上の主義信条を実現するためには人を殺してもいいというこの考え方が誤っているのですよ。その主義信条は正しいかどうか、それは人によって違うでしょう。ですから、私たち犯人政治上の主義信条というようにしぼって、その主義信条のゆえに人を殺す、殺さなければならない、殺してもかまわないという、そういう考え方をきびしく規制しようということでありまして、政治上の政策、施策あるいは一般的に思想上の信条というもの、その目的あるいは原因の範囲を広げていくことは乱用のおそれがあるということで、私たちは典型的な政治テロ殺人、またその殺人可能性のある事案だけをとりあえず規制しようということであります。これで十分かどうかわかりませんが、とりあえずそれだけを規制しようという考え方からしぼってあるわけでありまして、自民民社案よりはその点できびしいようであります。  ただ私はついでに自民民社案に対するその点に関する批判を申し上げますと、破防法の規定と同じ目的犯罪になっておるわけでありますが、ただ思想信条が加わったということが違うわけですが、こういった主義施策あるいは思想信条を推進、支持、またこれに反対する目的をもってという目的犯罪にしてありますけれども、私は目的犯罪ではなかなかこういったテロ犯人をくくりにくいのじゃないか、取り締まりにくいのじゃないかという考え方から、目的罪にせずに政治上の主義と相いれないことのゆえをもってという被疑者の犯罪動機、もちろんこれは捜査の過程で動機というものが大体調べられると思うし、またこれは立証も可能だと思うのでありますが、そういった動機が立証されれば、それは通常の殺人ではなしにテロ殺人だということで規制する。この程度の構成要件の方が典型的なテロ殺人規制するのにやさしいのじゃないか。そういう意味自民民社案との違いで、政治上の主義だけに限定したという点では社会党案の方が制限的でございますが、目的をもってという自民民社案から、相いれないことのゆえをもってという一つ犯罪原因刑罰の加重要件とした点では、自民民社案よりもテロ犯人規制しやすい規定になっておるというように私たちは理解しておるわけです。
  35. 林博

    林委員 そうしますと、今まで起こったテロの中で、これに該当するのは浅沼事件だけだということになるのじゃないかと思うのですが、私は浅沼事件のような形態だけのテロを防げばいいのかどうかということを非常に疑問に思っております。しかしながら、この点はさらに自民党案について質問をいたしますから、これ以上質問をいたしませんが、なるほど立法者の意見といたしましては、今までのような解釈を持っておられるということは一応わかったのであります。しかしながら、政治上の主義ということは、将来これを立法化しますと、裁判所でどのような解釈を与えるかということは、非常に疑問なわけなのです。その意味で非常な問題が起きてくるのではないか。こういう問題についてはもっと具体的に、自民党案についてもあるいは同じようなことが言えるかもしれませんが、もっと具体化した規定が人権の保護上必要ではないかというふうにも考えるのであります。  この点について法務省の刑事局長お尋ねいたしますが、政治犯罪なるがゆえに非常に刑罰が加重されておるという例で、このようなばく然とした構成要件、自己政治上の主義というような、こういうような規定の仕方をした立法例が外国にございましょうか。
  36. 竹内壽平

    ○竹内政府委員 私あまり詳しいことはわかりませんのですが、承知しております限りでは、これにぴたりと合うような外国の立法例は承知いたしておりません。
  37. 林博

    林委員 きょうは突然の質問で、法務省でも御用意なかったと思うのでありますが、私はその場合にもある程度具体的にいま少し書いてあるのではないかという感じがいたします。私としてはこういう構成要件というものは、単に立案者の解釈をとうする、こうするということでは危険だと思うのです。もっと具体的に、はっきりこうだというふうにわかるようになにしておかなければ、将来これを運用する者の考えによって、たとえば一例をあげますと、おそらく社会党さんの御意見では、国会内でこういう事件が具体的な審議をめぐって行なわれたような場合には当然含まれないというお考えだと思うのです。ところがこれを運用する者の考えによって、それも政治上の主義に含まれるのだというような解釈が将来なされるとするならば、立法者の意思にこれが全く反してくるような結果になってしまうのではないか。私はもう時間もございませんので社会党案に対しましてはこれ以上の質問を続けない覚悟でございますが、こういうような立法は、その立法者の意思がどうだということではなくして、将来解明に疑義がないように、将来禍根を残さないように、もっと具体的にわかりやすいように、客観的に規定されることが必要なのではないか、このように考えております。そういう感想を申し述べまして、社会党案に対する質疑を打ち切りまして、あとは簡単に自民党案についてお尋ねいたしたいと思うのであります。  実は昨日菅委員から詳細な質問がございました。私としては概括的なことにつきましてはほとんどそれにつけ加えることはございません。時間の関係もございますので、重複を避けます。  そこで二、三点私が疑問に思っております点について補足的に質問をいたしまして質疑を終わりたいと思うのでありますが、今触れました問題と同じなのですが、自民民社案の第一条によりますと「政治上の主義若しくは施策又は思想信条を推進し、」とうなっておるのでありますが、今言ったような理由からこの用語の意義をまず確定しておくということが本案にとって非常に重大なことではないかというふうに考えております。少なくともこれをはく然とさせておきますと、将来いろいろに運営されてしまう危険があるというふうに考えるのであります。政治上の主義もしくは施策ということは、これは破防法に規定がございますね。従来の観念である程度解釈も確定しておるのでありますが、思想的な信条ということに関しては、これは新しい用語ではないか、どういうように考えますが、この点はいかがですか。
  38. 早川崇

    早川議員 非常に重要な問題でありますから、具体的に御説明いたしたいと思います。  政治上の主義とは、資本主義社会主義共産主義のごとく、政治によって実現しようとする比較的基本的、恒常的、一般的な原則々意味いたします。政治上の施策とは、国民皆保険のごとく、政治によって実現しようとする比較的に具体的、臨機的、特殊的な、現実的な方策を意味いたします。思想信条とは思想上の信念のことでございまして、憲法第十四条、第四十四条、国家公務員法の第二十七条、労働基準法第三条に規定する信条、そういったものの信条から宗教上の信仰を除いたものであります。
  39. 林博

    林委員 この思想信条については、非常に軸抽象的でございますが、今御説明があったのでありまして、私もなおいろいろ検討をしてみたいと思うのでありますが、特に破防法になかった規定が、従来の概念になかったこの思想的な信条という言葉を、あえて加えなければならなかった必要が何かございましたか。
  40. 早川崇

    早川議員 具体的には嶋中事件であります。
  41. 林博

    林委員 ただいま申し上げましたように、こういう定義というのは将来非常に重要な問題を残しますので、なお引き続いて御検討を願いたいと思うのでありますが、その点はこの程度で打ち切りまして、なお個々の条文についてちょっと疑問の点をお尋ねいたします。  第四条の八号に「第一号に規定する行為の予備若しくは陰謀をし、又は第一号若しくは第二号に掲げる行為若しくは第六号に規定する行為の一を教唆し、若しくはせん動すること。」こうありますが、きのうも御説明があったようでありますが、これに幇助が抜けておる。教唆、扇動はあるけれども、幇助が抜けておるのでありまして、しかも第二十二条にこの幇助を独立罪として一定の要件のもとに規定しておるわけであります。その第二十二条には政治目的が必要でないのだというふうに御説明になったわけであります。ところが政治上の目的を持った幇助というものがあると思うのであります。きのうもちょっと例示されました、あの刑法の内乱の条項でございましたか、あれには全銭、物品を供与したということと、その他の行為をもって幇助したという条項が使われておるわけですね。ところがこの法律によりますと、その他の行為をもって、政治的目的を持って幇助した場合が除かれておるわけなんです。これは一体どういう理由で除かれたのですか。
  42. 早川崇

    早川議員 法制局に法律的な御説明をさせますけれども、本来刑法の幇助罪は、本犯が成立しなければ無罪になる、刑罰を課せられないというわけでありますから、第四条に書きましたのはそれ自身非常に政治的暴力行為として重大な、重い刑罰が課せられるもののみを書いたわけであります。従って、この中には最初民社党の案にありました単純暴行、単純傷害、単純脅迫というような、刑法上の犯罪は抜きまして、できるだけしぼった、こういうだけの理由でございます。
  43. 川口頼好

    ○川口法制局参事 論点が三点ばかりあると思うのでございますが、一番しまいの方の問題の、その他の行為というふうなことを第二十二条に規定しなかったのはなぜかという点については、これは立法政策の問題でございまして、そういう幇助の形態のうちの、この法律にふさわしい形態だけをこの法律の特別な処罰の対象にするというお考えだと推定いたしまして、こういう条文を作った次第でございます。  それから御質問の第一点の、犯罪構成要件だけ書いてあって、団体規制原因としては掲げなかった、つまり第四条に掲げなかったのはなぜかという点につきましては、昨日も申し上げましたように、この犯罪構成要件としての条文の意味が、資金提供者の方に明確な政治的目的を持ったということを要件としておりません関係で、ここに入れるのはふさわしくない。そういう場合もございますが、そうでない場合もある、という意味において、第四条に掲げるのはふさわしくない、こういう気持でございます。  それから第二点の、刑法の内乱罪の、きのうお話に出ました、条文としましては読み上げました通り刑法第七十九条でございますが、これの解釈につきましては、これは幇助の独立罪を規定したものだという解釈と、刑法の体系の中ではそういう解釈は少し行き過ぎであって、やはり本犯が実行した場合にのみこの条文は発動するのだという解釈と、二通り分かれているようでございます。どちらの学説が多いかどうかはちょっと今即断いたしかねます。なおこれと似た問題で、例の暴力行為等処罰に関する法律の第三条には、幇助という字が使ってございませんで、ただに金品を供与したという言葉で結んでおりまして、それを犯罪といたしておりますが、これは一体独立罪なのか、それとも本犯の実行を要するのかという点も同様に学説が分かれております。なおこれと似た観点で、きのうの御質問とも関連しますので申し上げておきますが、売春防止法の中には、情を知ってこうこうでやらした者というふうな書き方で、そこではしまいに幇助という字がございませんで、冒頭に「情を知って、」という書き方が書いてございます。いろいろな形態がございますが、ここは一番明確に、刑法の幇助罪の類型の中で、こういう金品を提供したというものだけを独立罪として規定した、こういう趣旨でございます。
  44. 林博

    林委員 なお第二十二条のあれが出ましたので、ついでに第二十二条について関連してお尋ねしたいのであります。この政治的暴力を排除するには、やはりとの資金源を遮断することが必要であるというととは、昨日の菅委員の御質問にもございました。ところがこれは非常にむずかしい問題であるのでありますが、この第二十二条に規定があるわけでありますが、きのうの御説明を聞いておりますと、第二十二条の、「第十四条第一項若しくは第三項又は第十五条の罪を実行しようとする者に対し、」云々、こうなっておりますが、「実行しようとする者」という概念が、きのうの御説明を私ずっと疑問を持って聞いておったのでございます。個人でも団体でもいいのだというふうに受け取れるような御説明があったように思うのです。私はこの条文自体からいきますと、団体は入っておらないと思う。これは個人なんじゃないかというふうな疑問を持ったわけなんですが、その点について御説明を願いたいと思います。
  45. 川口頼好

    ○川口法制局参事 これは刑罰法規でございますから、厳密に解釈を要するのでございまして、言葉として団体ということは、先ほど来の御質疑あるいは御答弁の間にもすでに出ましたが、刑事責任の本質は個人でございますので、概念としては個人でございます。ただし数人の者がそういうことをやろうとしているというふうな、これは単個の人という意味ではございませんので、数人の人がそういうことをやろうとしているという状態をつかまえますならば、普通の常識用語としては団体ということも考えられる。正しい刑法の概念としては、それはどこまでも共同者とかあるいは共犯者とか共謀している者という概念でそういうものを律するわけでございまして、従いまして厳密には人格としては個人を対象にした条文である、こうお答え申し上げます。
  46. 早川崇

    早川議員 今部長の言われたことにちょっと誤解のないように申し上げたいのですが、あのときにそういう暴力的行為団体に対する資金規制はどうかという問題がございまして、それに対していろいろ研究しましたが、憲法上の問題がありますので、政治的テロあるいは暴力行為をやる者個人に対してというように直したわけでありまして、その点は社会党の案の金品供与と大体同じでございます。
  47. 林博

    林委員 その点については了解いたしました。  次の質問に移ります。第二十四条であります。これも菅委員からきのう詳細な説明がございましたので、重ねてくどいことは質問いたしません。ただ片方には、「特定の者が第十四条第一項に規定する行為を行なうおそれがあることを予見しながら」と、今までにないような新しい言葉を用いている。これは、たとえば、殺人の目的をもってと、破防法にあるような構成要件を非常にゆるめておるわけですね。それが片方においては、破防法では主張しただけでいいのであるが、影響を受けて罪を実行した場合にこの規定の適用があるというふうに非常にしぼっておる。片方でゆるめて片方でしぼっておる。しかも「予見しながら」というような、非常に新しい形態の言葉を用いておるわけですが、何かこのように複雑にして非常に難解な、従来の法律用語では——われわれも法律家として長い間実務に携わってきたんですが、実に難解な用語で、解釈に苦しむわけですよ。このような複雑な規定を設けなければならない具体的な理由がございましたか。しかも一方ではこれが、先ほど社会党の案に対して質問したのと同様な憲法違反になるのではないか。程度の差はありますよ。私はこちらの方がだいぶゆるいと思うのですけれども、同じような疑問が起きてくるのですね。このような複雑な規定を設けなければならない理由が何かあったのですか。この点について一つ提案者と法制局にお尋ねいたします。
  48. 早川崇

    早川議員 これは扇動、教唆に至らなくても、客観的に見て、また一般の世論から見て、これは当然殺人に影響を与えたんではないかという客観的事実がありながら、現在の刑法ではどうにもならないというケースがあり得るのですね。あり得る場合に、しばしばそういったものを、ただ正当性主張だけで縛ることになりますと、言論の圧迫、乱用になりますので、客観的に見てそういう殺人が起こるという情勢が予見されるにもかかわらずというふうにしぼりまして、しかも加害者も、特定の人にそういうことを言ったということでしぼり、被害者も、昨日申しましたように特定の人にしぼり、しかも殺人というのが事実行なわれておる、三つのしぼりをかけまして——単に東京のある塾で、だれかが殺人正当性を反復または継続して述べて、その結果九州の青年が感奮興起して殺人を犯したというようなことまでしぼりますと、非常に大きい憲法の言論の問題になりますので、やる者もまたやられた者も特定の者としてしぼる。しかもそういうことが起こり得るという、必ずしも本人が思っているかどうかは法律上問題ですけれども、そういう情勢がわかるにもかかわらずやったというようなことを入れたわけでありまして、これは立法者といたしましては、新しい刑法の類型でございますから、むしろ政治論的に国民世論の動向というものにこたえる意味で設けたわけであります。社会党の場合には、「賛美」ということが直ちに五年以下という非常に重い刑罰になるのですが、こういうことをわれわれがとらなかったゆえんは、山口はりっぱな男であると賛美するような、電車の中、あるいは農村に帰りまして、百姓の方から、私、現実にずいぶん聞きましたが、そういうものまでひっくくられる可能性があるように、第十条ですか、第八条ですか、社会党案がなっているわけでありまして、こうなりますと、憲法上の言論の自由というものにやはり抵触するおそれありと考えまして、われわれは社会党のこの「賛美」という条項に対しては反対をいたしているわけでございます。
  49. 川口頼好

    ○川口法制局参事 要点は、ただいま提案者のお答えになったところに尽きておりますが、補足して申し上げますと、一方で教唆、扇動という定義が従来の刑罰法の中にあるけれども、あっさり申しまして、うしろで尾を引いている者がある、それを一体どういうふうな格好でこの犯罪類型の中に持ち込むか、この必要性云々は政治家のお考えになることでございますが、そういう角度で一方では考えなくてはなりません。他方で、今度は憲法で認められておりますところの言論の自由というものに抵触するようなことがあってはなりません。そこからくる制約が相当ございます。  そこできのうから複雑でおわかりにくいというお話がございましたが、複雑にならざるを得ない宿命を帯びている条文でありまして、教唆の概念規定というものが長年の慣例で一応確立されている。それに対して、扇動についても、旧大審院判例として現在の破防法が受け継いでいる。ところが、この扇動の定義になりますと非常にデリケートで、教唆との境目がなかなか割り切ってわかりにくい。それよりもさらにやや広げまして、しかも憲法に認められた言論の自由に抵触しない限りというデリケートな線をつかもうとするのがそもそもこの条文の趣旨であります。これを竹を割ったような形式論理で、簡単にわかりやすい論理で説明を申し上げるわけにはもともと参らないわけでありまして、そういう矛盾と申しますか、相反するものをいかにして、しかも立法者の御意図を達成するかというところで、一方ではしぼり一方では広げたということが生じまして、そういうような条文の形態になったのでございます。  なおきのうから私が申し上げますことは、補整的な部分と根幹的な部分とにばらばらになりまして御理解を妨げていると思いますので、これを一まとめにしまして、やや整理して考えましたところを御参考までに申し上げますと、本条に規定する行為の加罰性の根拠というのは、この法律でこういうことを処罰していいかどうかという一種のレジティミテの問題でありますが、これやはり基本的には、法律の仕組み自体が、社会的あるいは倫理的の上から、人を殺すのは正しいのだというものの考え方そのもの、そういうことを動かすこと自体一種の反社会的、反倫理的な行為であるということは間違いないととろであろうと思います。これを根幹といたしまして——しかしながら今申しましたような、どこまでも道徳上あるいはただの社会通念上の場合でありまして、これを法律の次元にまで持ち上げますには、憲法との関係及び既存の法律等の規定との関連において法律の整備をはからなければなりませんので、これに多くの限定を付して犯罪構成要件として規定しなければなりません。  そこで法律構成の話に移りますが、まず次の点は、教唆、扇動の独立罪よりも少し違う。どういう点かと申しますと、影響を受けた者が政治殺人の実行に着手したときに限る。この点で独立罪、いわゆる教唆、扇動の独立罪とは違います。——失礼しました。一番先に申し上げることは、政治殺人を実行させる目的を持っているという概念規定が破防法の正当性主張罪のところには——しまいの方は正当性主張そのものだけでございますが、前もって実行させる目的を持ってという概念規定がございまして、この部分がこの法案にはないという点であります。  その次には扇動との違いでございますが、「人に対し、その行為を実行する決意を生ぜしめ」る勢いのある刺激、「又は既に生じている決意を助長させるような勢いのある刺激」までに至らない程度の影響と申しましょうか、そういう程度の行為という点で違います。  それから第三番目に、今度は狭くなっているという点ではどういう点かといいますと、影響を受けた者が政治殺人の実行に着手したとき、二番目には、行為の態様が殺人正当性または必要性主張というだけに限定される、こういう点で、まとめて申し上げますと、あるいは広くあるいは狭くなっておる、以上でございます。
  50. 林博

    林委員 大体法理上の説明は理解いたしましたが、在来もこういう条文を適用するとき、殺人の目的ということを立証するのはなかなか困難であったために、それで予見という言葉を使ったのではないかというふうに私は理解するのですけれども、ところがこの予見という言葉は、そういうことが起こるかもしれないという認識なんでしょうか。
  51. 川口頼好

    ○川口法制局参事 この言葉自体としては、あるこういうことをしたらば、たとえば石ころを投げたらガラスがこわれるんじゃないかということを予見した、こういうふうなものは、従来の刑法の学説によりますと、一種の未必の故意といいますか、過失ではないんだけれども、また純然たる、積極的な故意とまではいえないが、一種の未必の故意といいまして、概念規定としては故意の中に含めていいんじゃないかというふうな学説がございます。これはもう御承知の通りでございます。ただし本条の規定の仕方はそういうことではないのでございまして、そういう意味における点ではその未必の故意に類似していますけれども、どこまでも正当性主張そのものは一種の宣伝行為でありまして、宣伝行為自体は、普通の概念によれば、教唆や扇動とは絶対に峻別さるべきであるというのが普通の常識でございました。そういうことを通じて、あるいはこういうことが起きるかもしれんという、そういう一種の認識でございますから、これはそういう意味では、この条文は要らぬじゃないかという議論と、それから書いたら非常に広くなりやしないかという、こういう交錯した議論両方からはさみ打ちにあうわけでございますが、そういう意味で従来の刑罰法ではやはりしにくかった。今先生のおっしゃいましたように、おれは実行を決意させる目的でやったのではないのだといって逃げる者を捕捉したいという面と、さればといってあまり極端な無限の前提は立ててはいけないという面と、これをこの言葉で調和したつもりでございます。
  52. 林博

    林委員 捜査上の面からいいますと、殺人目的を認定すると同じように、そこに多少の段階があるかもしれませんが、やはりこの予見ということも本人の主観なんですね。これを立証することはなかなか困難だ。客観的な情勢からいって当然予見できるといって調べても、なかなかそうはいかないということになれば、なかなか困難性が伴うんじゃないかということが当然考えられます。いま一つ、客観的な情勢がそうであれば、本人が予見していなくてもこの条項で一応やられるという、乱用されるおそれも出てくるわけであります。これは私はいろいろな面から非常に疑問を持ち、将来この審議の過程において、ことに参考人等の意見も承りまして、なおいろいろ検討してみたいというふうに考えております。  この点はこの程度で打ち切りまして、これが最後でございますが、これは法案の条項には直接関係ございませんけれども、この法案でいきますと、国会内において何か傷害だとか監禁だとかいうような犯罪が行なわれた場合にも、私は当然適用になってくるのではないかということを考えております。社会党案においてはとれは適用がないというふうに考えるのでありますが、この点につきまして適用があるのかどうか伺います。院内の犯罪は告発しなければ問題にならないというのは、何か条項がございますか。
  53. 川口頼好

    ○川口法制局参事 順を追って申し上げますと、憲法上保障されましたところの国会議員の免責規定というのがございますから、院外において、その書いてありますことについては責任を問われない。その限りで、その条項の解釈の範囲内では、いかなる犯罪も適用なしと、こう機械的に割り切らざるを得ません。条文をちょっと申しますと、憲法の第五十一条でございます。読み上げますと、「両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。」結局、この解釈を厳密に申します、「演説、討論又は表決について、」でございますから、それは事実上言論の内容自体でございまして、この解釈は将来非常にむずかしいことになるかと思うのでございまして、こういう点は学者に確かめないとわかりませんが、要するに、これに関連する範囲内では、ある程度解釈はデリケートになると思います。しかしながら、これ以外のことにつきましては、全面的に一般の刑法が適用になる、もちろんこの法律も適用になる、こう申さざるを得ません。  そこで、第二問といたしまして、今度は捜査の段階ではどういうことになるか、それから公訴を提起するときにどうなるか、こういうふうに、手続的な面でまた問題があります。この刑事捜査権、犯罪捜査権が議院内にどの程度に発動し得るかという問題につきましては、これは非常に重大な問題でございまして、国会の慣例及び事務当局等の御意見も聞いていただきたいと思いますが、非常にデリケートでございまして、一般的に申し上げますと、議長警察権と外部の捜査権との接触点をどう解決するかという問題でございます。  三番目に申し上げました、犯罪が起こった場合に、議院の告発なくして裁判所が取り上げ得るかという問題は、新たに最近提起された問題でございまして、はっきり申しますと、参議院の院内における事件を通じまして、現在裁判所で問題になっておりまして、現在の学説上は、すでに雑誌等に現われている鑑定人の意見によりますと、学説が対立いたしております。しかし、現在法制局はこの問題についてどう考えるかということは、あまりにもむずかしゅうございまして、基底的な問題でございますので、ちょっとこの点の回答は留保させていただきたいと思います。
  54. 林博

    林委員 これは刑事局長お尋ねしたいのですが、今の一般の犯罪ですね、この法案も含まれるわけですが、院内の犯罪に対して告発ができるかどうかということが、非常に裁判所で問題になっておりますね。学者鑑定人等も呼びまして、また一審で判決もあったようでございます。この問題については、法務省としてはどういう見解、態度をもって臨んでおりますか。
  55. 竹内壽平

    ○竹内政府委員 議長の院の告発を要しないものという考え方に立っております。最近、ただいま御指摘の事件につきまして東京地裁で審理をいたしておりますが、その中間的な決定が先般ございました。それによりますと、鑑定人としてはいろいろな議論がございましたが、裁判所の見解としましては、先ほどお話がありました憲法五十一条によります演説、討論、表決、これについてはもちろん問題がないわけです。これに関連した密接不可分といいますか、これに関連したこの種の事件については若干留保をしながら、その他の一般犯罪につきましては、告訴、告発を待って初めて公訴提起ができるというような見解はとらないという態度を明らかにいたしておるわけであります。
  56. 林博

    林委員 一点だけ聞き落としたので、時間でございますから、簡単に警察庁の方に事実上の処理を参考までに承っておきたいと思うのですが、この三条の二項で、「この法律による規制及び規制のための調査については、いやしくもこれを濫用し、正当な集団示威運動、集団行進、集会その他の団体活動及び適法な請願、陳情を制限するようなことがあってはならない。」こういうように書いてあるわけですね。国会周辺のデモについて承りたいと思うのですが、デモ犯罪でないことは、これは明らかなので、国会の構内に侵入したり、そういうような場合に犯罪になるというのが今度のこの法案趣旨だと思いますし、また従来の刑法でも処罰されるものになっておりますが、特に今回はこういう不必要なものを規定したのじゃないか、取ってつけたような規定でもあるというふうに考えるのですけれども、私はこの問題に関連して、これとは直接関係がないと思うのですが、従来国会周辺のデモは公安条例との関係でどのような処理をなさっておったのか、法的な処理でなければ、事実上のどういうような取り扱いでこれを行なっておったのか、その点についてちょっと御説明願いたい。
  57. 曾我力三

    ○曾我説明員 国会周辺における集団示威運動あるいは集団行進、集会につきましては、御承知の通り東京都の公安条例の許可対象でありまして、従来、周辺で行なわれる行進について、それぞれ許可申請を経て許可したもの、それから事実上無許可で行なわれているのもございました。従来の取り扱いとしましては、事前に集団行進の計画その他を積極的に主催者側から御連絡がございまして、それによって警備、警戒を要する、あるいは交通整理を要するというような点を勘案しまして、これに条件を付さねばならない、あるいは路線等が非常に一般の妨害になるというようなことのないような意味話し合いが持たれているのが実情でございます。そういうことで、メーデーとか特別の場合を除きまして、国会周辺では、自主的に大がかりな集団示威運動といったものは実施されておらないのが通例でございます。
  58. 林博

    林委員 私の質問はこれで終わります。ただ、参考人の御意見を聞きましてから、場合によっては質問することがあるということを留保いたしまして、質問を終わります。
  59. 池田清志

    池田委員長 この際、御参考までに申し上げておきますが、二十二日、月曜日午前十時から第一委員室におきまして参考人の意見を聴取いたしますから、全委員の御山出席をお願い申し上げます。  本日の会議はこの程度といたしまして、これで散会いたします。    午後零時三十五分散会