○川口法制局参事 要点は、ただいま
提案者のお答えになったところに尽きておりますが、補足して申し上げますと、一方で教唆、扇動という定義が従来の
刑罰法の中にあるけれ
ども、あっさり申しまして、うしろで尾を引いている者がある、それを一体どういうふうな格好でこの
犯罪類型の中に持ち込むか、この
必要性云々は
政治家のお
考えになることでございますが、そういう角度で一方では
考えなくてはなりません。他方で、今度は憲法で認められておりますところの言論の自由というものに抵触するようなことがあってはなりません。そこからくる制約が
相当ございます。
そこできのうから複雑でおわかりにくいというお話がございましたが、複雑にならざるを得ない宿命を帯びている条文でありまして、教唆の概念規定というものが長年の慣例で一応確立されている。それに対して、扇動についても、旧大審院判例として現在の破防法が受け継いでいる。ところが、この扇動の定義になりますと非常にデリケートで、教唆との境目がなかなか割り切ってわかりにくい。それよりもさらにやや広げまして、しかも憲法に認められた言論の自由に抵触しない限りというデリケートな線をつかもうとするのがそもそもこの条文の
趣旨であります。これを竹を割ったような形式論理で、簡単にわかりやすい論理で
説明を申し上げるわけにはもともと参らないわけでありまして、そういう矛盾と申しますか、相反するものをいかにして、しかも
立法者の御意図を達成するかというところで、一方ではしぼり一方では広げたということが生じまして、そういうような条文の形態になったのでございます。
なおきのうから私が申し上げますことは、補整的な部分と根幹的な部分とにばらばらになりまして御理解を妨げていると思いますので、これを一まとめにしまして、やや整理して
考えましたところを御参考までに申し上げますと、本条に規定する
行為の加罰性の根拠というのは、この法律でこういうことを処罰していいかどうかという一種のレジティミテの問題でありますが、これやはり
基本的には、法律の仕組み自体が、
社会的あるいは倫理的の上から、人を殺すのは正しいのだというものの
考え方そのもの、そういうことを動かすこと自体一種の反
社会的、反倫理的な
行為であるということは間違いないととろであろうと思います。これを根幹といたしまして——しかしながら今申しましたような、どこまでも道徳上あるいはただの
社会通念上の場合でありまして、これを法律の次元にまで持ち上げますには、憲法との
関係及び既存の法律等の規定との関連において法律の整備をはからなければなりませんので、これに多くの限定を付して
犯罪構成要件として規定しなければなりません。
そこで法律構成の話に移りますが、まず次の点は、教唆、扇動の独立罪よりも少し違う。どういう点かと申しますと、影響を受けた者が
政治殺人の実行に着手したときに限る。この点で独立罪、いわゆる教唆、扇動の独立罪とは違います。——失礼しました。一番先に申し上げることは、
政治殺人を実行させる目的を持っているという概念規定が破防法の
正当性主張罪のところには——しまいの方は
正当性主張そのものだけでございますが、前もって実行させる目的を持ってという概念規定がございまして、この部分がこの
法案にはないという点であります。
その次には扇動との違いでございますが、「人に対し、その
行為を実行する決意を生ぜしめ」る勢いのある刺激、「又は既に生じている決意を助長させるような勢いのある刺激」までに至らない程度の影響と申しましょうか、そういう程度の
行為という点で違います。
それから第三番目に、今度は狭くなっているという点ではどういう点かといいますと、影響を受けた者が
政治殺人の実行に着手したとき、二番目には、
行為の態様が
殺人の
正当性または
必要性の
主張というだけに限定される、こういう点で、まとめて申し上げますと、あるいは広くあるいは狭くなっておる、以上でございます。