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猪俣委員 飯守裁判官の行為に対しましては、私
どもこの
裁判官自身の人格に対して疑いを持たなければならないことを実は悲しむものであります。
飯守裁判官は一九五五年四月二十五日、撫順のどういう場合における演説かは知りませんが、およそ四十分にわたる演説をなさっておる。それがテープレコーダーにとられておるのであります。私
どもそれを聞いたわけでありますが、それによりますと、かような文句を言っておられるのであります。これは相当長い堂々たる演説でありますが、
自分の満州国における経歴を述べ、在任地における
自分の犯罪行為を詳しく述べておる。参事官としての行為あるいは高等法院の判事としての行為、それからそういう自己批判をなされ、それから日本の平和と独立のために闘うための決意として相当決意を披瀝されておるのであります。それは非常に堂々たるものでありまして、実に独占資本をつき、日本の帝国主義をつき、彼らのかいらいとなった自己の不明を謝し、中国人民に与えたはかり知れない惨害に対して実に後悔することを表わされまして、そうして日本人の行く道は結局において天皇制をやめて、古い君主
制度を廃止して、民主共和国となすよう各方面より民主化の政策を実行すべきものであります、というような言葉も吐かれておるのであります。これはどういう場合にされたのであるか直接わかりませんが、この週刊朝日におきまする記事を見ますると、この
飯守判事とともに撫順にとらわれの身となって七年間も一緒に起居をともにしておった藤田茂元という元第五十九師団の師団長、中将であります。この人が
説明しておることを見ると、「千余人の日本人を前にして、演壇の上で
自分の罪悪を語り、みんなの感涙をさそったあの飯守君の涙は、そら涙か。飯守君は、しいられた作文で、中国をあざむいたといっているらしい。じゃが、実は中国よりも、われわれ帰国者をあざむき、侮辱しているのではないか。」そうしてなおこのテープレコーダーのほかに、いわゆる手記なるものが世の中に発表せられました。それに対して飯守さんは「犬死にするのもつまらないと思いまして、
自分の宗教的な主張だけは保持して、向こうのいいなりに作った作文ですよ」こう言った。これに対してこの藤田茂元中将は非常に怒って、ここに長文のあれが書いてある。この藤田さんの
説明によれば、手記が書かれたのは、すでに戦犯容疑者の
調査は完了し、刑もきまった後だった。もちろん中国側に
提出するためでもない。帰国を目前にして、日本人の間からだれ言うとなく、「日本に帰ったら、同胞に戦争の罪悪だけは理解してもらおう。そのために、みなで文章を書いて、帰国後、出版しよう」という声が出たのだそうです。これに反対をして、どこまでもやはり軍事体制を賛美している人もあって、そういう人は書かなかったけれ
ども、しかし多数の人の中にはそれはよかろうということで、同胞に読んでもらうために、ありのままを読みやすく書こうということで書いたのだ。千余人の日本人の間から互選された
委員が編集に当たり、帰国の際に持ち帰ったのです。飯守氏の手記もその一編なんです、こういうことをはっきり言っております。ですから向こうに脅迫せられて書いたなんてうそ八百、こういうふうにこれを読んでみますると、実に共産主議でなければならぬというようなことを言い、そうして天皇制を廃止して、民主共和国にしなければならぬ、そうして
自分もそういう方向に努力するというようなことで結論をつけておる。こういう判事が日本に帰って今日
裁判官になり、「
風流夢譚」は
名誉毀損だ、なぜあれを告訴しないのか、そんなことをしておるからテロが起こるというようなことを放言しておる。しかし、私はとらわれの身で何かいろいろ四方の
事情があったかもしれません。藤田元中将の言によれば、全くそれとは
関係ないことであっても、まだ向こうの領土におる以上は、幾らかやはり向こうにおもねった心境になって、
自分の本心でないことを言ったとたとい了解したといたしましても、人格者として、ゼントルマンとして、これだけの誓いを立てた人間は、良心にやはり何かやましい感じを持って謹慎すべきものだと思うのです。それをまるで正反対の、
赤尾敏と同じような思想を持っているのじゃないかと疑われるような言行をやっていることは、飯守氏自身の人格を私は疑わざるを得ない。これはテープレコーダーも何でもあるから、あとで参考のために
裁判所側もお聞きになった方がいいと思う。しかし、こういう人は何か圧迫がかかると、またまるでそれと違ったことを言い出すかもしれないので、たよりないことはなはだしい。志賀義雄君なんて十八年間も
刑務所の中に置いても転向しなかった。それは志賀君は特別な人であるかもしれませんが、しかし、とにかく私はこういうことを言うたことそれ自身はとがめませせんけれ
ども、少なくとも良心のある人ならば、これほど言うてきた以上は、日本に帰ってきても多少謹慎しておるのが、僕は人の道じゃないかと思うのだ。こういうことを言うてきてからに、まるでこれと逆なことで、
赤尾敏と同じような一体態度をとっているということは、これは
裁判官としては人格的にもなっていないと私
どもは思う。あなた方はそれをどう考えるか。