○原
参考人 現在五年制の高専というものを
企業が非常に要求している、そういうふうに言われているわけです。ところが
企業が要求している
教育体系というのは、先ほど
木下先生からおっしゃったと思うのですが、
小学校から
大学までの三角形になるような、そういう
教育体系が実は
企業にぴったりする
教育体系であるというふうに思うわけです。そういう意味で、
企業が要求していると一口に言いますけれ
ども、その要求の
中身ははたしてほんとうの意味で
科学技術教育の振興といいますか、優秀なる
技術者の確保というところにあるのかどうなのか。それよりも人事管理的な、労務管理的な要素がその中に入っているのではなかろうかということを
一つ考えるわけです。今一応
企業がそういうものを非常に要求しているということを認めたといたしましても、
教育というのは、
人間の
能力の
可能性を全面的に引き出す、こういうことが
教育本来の性質だというふうに思うわけです。従って
教育家や
教育学者が理想家であり、ある意味で夢想家であっても、それは
教育というものの本質がしからしめるものだと思うわけです。そういう意味で、戦後六・三・三・四という単線型の
教育体系ができ、果たしてきた役割というものは幾ら評価しても評価し切れないものがあると思います。もっともあまりにも割り切った単線型であったために、そのために種々のひずみが生じているということは率直に認めなければならないと思います。しかし先ほどほかの
参考人からの話もありましたが、諸外国の例を見ても、
日本のような単線型の
学校体系はなくて、それぞれ複線型の
教育体系が置かれているという話がありましたが、確かにそれは現実そうだと僕は思います。しかしながら現在その状態を静止的にとらえるのではなくて、過去からの流れというものを考えてみますと、それはやはり
教育体系の単線化という方向へ向かっているということは言えるのじゃないか、そういうふうに思います。それはたとえが悪くて恐縮なんですが、たとえば都市計画をする場合にこういうふうなものが理想的だといっても、実際にはなかなかそういうふうにいかないわけです。たとえば戦災というふうなことがあった結果、画期的な都市計画ができた。たとえは悪いですけれ
ども、それと同じように
日本は戦後異常な時代で単線型
教育というようなものが一ぺんにでき上がったということは言えるかもしれないけれ
ども、そういうふうな単線型の
学校教育体系の理念というものはできるだけ持ち続ける必要がある。私も
あとで申しますように、それは必ずしも現在の六・三・三・四をそのまま固定的に考えるということを言っているつもりはないわけです。
次に現在
大学卒の下の
中級技術者というものは、一応現在
工業高校の
卒業生がそれに充てられているわけですし、またそういうものが期待されていると思うわけです。たとえば昨年の八月に神奈川県の産業
教育審議会が、これはたしか主として神奈川県下の
企業を対象にして調査をしたものと思いますけれ
ども、その調査によって見ますと、
企業はやはり
工業高校の
卒業者を
大学卒の下の
中級技術者として位置づけておりますし、またそれを非常に期待しているということがわかるわけです。従ってそういう
工業高校の
教育に対する要求というものを見てみましても、それは
数学、
英語、理科、そういう普通科目の強化ということを非常に強く
要望しておりますし、それから
工業高校の
卒業者が在学中にどういう科目をもっとやっておればよかったかという調査についても、全く同じことが言えるわけです。私は昨年の春ごろ、主として私の——私、
旧制高校から
大学の
工学部を出たわけですけれ
ども、
旧制高校の時分の同級生の前後一、二年と、それから私は野球部におったものですから、野球部の先輩後輩
関係及び
大学の時分の
卒業年度の前後二カ年の範囲の、現在工場の第一線の
技術者として働いている
人たちを対象にしまして調査をしたわけです。これはアンケートを通信、手紙でもらったのもありますし、直接面接をしたのもありますが、そういう
技術者の
意見を見ましても、
工業高校卒業者を
大学卒の下の
中級技術者として非常に期待をしており、その中で
要望しているものは徹底的な
基礎教育です。たとえば英、数、理科はもちろんのこと、国語というふうなことについても、もっとしっかりやってもらいたいという希望が出ているわけです。それから一昨年の夏に全国
工業高校長協会が、これは多分全国の
工業高等学校長を対象に調査をしたものと思いますが、それのアンケートでも、実は今度の
工業高校の
指導要領の改訂とは反対に、
一般普通
教育科目を増加し、
専門教科は
現行より減らせというアンケートの方が多く出ている。にもかかわらず今度の
教育課程の改訂については、
工業学校では従来よりも
一般教育が圧縮される形、
専門教科が強化されるという形が出ているわけです。こういうことを考えますと、一体
工業臨検の位置をどこへ置くというふうに、
政府というか、文部省が考えているのかということがわからなくなってくるわけです。
工業高校の
格下げを考えているのではないかというふうな、これは邪推かもしれませんが、そういう感じを抱くわけです。先ほど言いました、私がそういう
現場の
技術者を対象にした調査の上では、明らかに
工業学校の中の普通教科、
基礎学力を非常に
重視しておりますし、
専門的な個々のものについては、
企業内で
教育する以外に方法はないのだということをはっきりと申しております。
そういう意味で私は、
工業高校の
中身というものは、現在の普通
高校の理科進学コースというか、理科コースに匹敵するような
基礎学力が必要であって、その上に
専門科目が積み重ねられなくちゃならないと思っているわけです。そういうふうにしますと、そんなことを言ったって、それだけの普通科目であれば、その上に
専門科目を積んだら三年ではとどまらないじゃないかという
意見が当然あると思うわけですが、それは私は、
工業高校の場合、そういう意味で一年頭の方に伸びるということはあってもいいのではないかというふうに思っているわけです。要するに六・三・三・四というものを形式的な三年というふうに輪切るのではなくて、
中身の
基礎教育というものを共通にするという考え方で単線型
教育を考える必要があるのではないかと思うわけです。しかしながら一番その基本になるものは、戦後ともかく十数年も新
制度の
教育が行なわれてきたわけですが、現在の時点に立って一体そういう六・三・三という
学校体系がいいかどうかということを、基本的に再
検討してみる必要があると思うのです。たとえば
小学校が六年ということは、古くから六年となっておりますけれ
ども、
小学校が六年というものでいいかどうか、これはまだはっきりとした
意見を持っているというわけではありませんけれ
ども、
小学校というものは、たとえば四年にして、そうして五年からそれぞれの
専門の教科を
専門の先生が持つというふうな考え、すなわち一応
小学校においては、一人の先生が全部の受け持ちの
生徒を教えるというのは四年で打ち切るというふうな形、または
小学校を五年にするというふうなこと、そういうことは根本的に考えられる必要がある、そういうことを考えるならば、
日本の科学
技術の水準をもっと現在よりも引き上げることが可能ではないか、そういうことを全然触れないでおいて、先の方だけを局部的に拙速的にいじくることはちょっと問題ではないかというふうな気がするわけです。
一歩譲って、五年制の高専が必要だというふうになったといたしましても、現在の
内容、これは私は新聞に出ているものよりも詳しいことは知りませんが、その
中身を見た場合に、やはりかなり疑問がある、そういうふうに言わざるを得ないわけです。それは第一番に、あまりにも詰め込み
教育だということです。たくさんの
授業さえやればそれだけ成果が上がるということは少し問題である。この点は実際
専門教育や現在非常に
授業時間数を多くやっておられる
東京の都立
工業短大の
卒業生の中で、それに対してかなり批判的な
意見を持っている人もないではないということです。
数学や
英語が確かに多くなったと言われるわけですけれ
ども、これはきわめて当然なことで、これくらいの
数学や
英語がなければ
工業教育としては成り立たないわけです。さらに人文科学系統は全部二
単位ずつになっていて、これは現在の
工業高校卒のレベルだということなんです。高専ということになれば、私は、せめて
普通課程の、いわゆる理科コースに進む
生徒に対する人文科学くらいのものはぜひともしたい。それから国語も、これは
工業高校と全く同じ。それから理科については、物理、化学が五、四というふうに上がっておりますが、全国の
工業高校長協会のアンケートの中にも、
工業高校でもやはり生物というものをやる必要があるのではないかという
意見が出しておられる
校長さんもあるわけです。一応現在の
工業高校ではそういう生物も置き得る
制度にたっているわけですけれ
ども、新聞で見た範囲では、非常に固定的に物理、化学というふうになっているような気がするわけです。それから芸術についての
単位といいますか、それは一時間もないようですけれ
ども、これは
工業高校においてすら芸術の二
単位というものが必須になっているということを考えるならば、この高専の
教育内容は、やはり全
人間的な人格形成の中で少し欠けているものがあるのではないかというふうに思うわけです。
それから、これから先は少しまだきまってないことであろうと思いますけれ
ども、具体的には五年
制高専の教科書をどうするか。これは
工業高校の場合は検定教科書というものが使われるわけですけれ
ども、そろいうものが五年
制高専のときには使われるものなのかどうなのか、高専の教科書で検定というようなことがあるのかどうか。それから先生をどういうふうに、どういう先生をここに持ってくるのか、免許法等の
関係についても少し問題が残されているのではないか。それからこの高専の
目的の中に、「深く
専門の学芸を教授し、
職業に必要な
能力を育成する」となっておりますけれ
ども、少なくとも現在のような
技術や科学の進歩の激しいときには、その
学校が
専門の学芸を教授するだけではなくて、その
学校自体がやはり
専門の学芸について
研究する体制も残しておく必要があるのではないかというふうに思うわけです。
先ほどちょっと言い落としましたけれ
ども、現在の
工業高校の
設備が非常に旧式なもので、産振法の基準によっても六〇%か七〇%、それくらいしか充足されていないということがありますが、その場合もう
一つ忘れてはならないことは、産振法の基準というものは昭和二十六年に出たということです。昭和二十六年から以後の科学
技術の進歩といいますかそういうものを考慮に入れますと、
工業高校の
設備というものは、六〇%や七〇%というようなしろものではないことがはっきりするのではないかと思います。
それから
旧制の高専を出た人が
現場に入って、そして再びもう一ぺん
大学の
教育を受けてみたいという気を起こすということは、ほかの
参考人から述べられておりましたけれ
ども、現在のような科学
技術の急速な進歩が行なわれている時代では、現在五年
制高専を作って、その
卒業生が五年先に出る、五年先くらいのところでは、非常にすぐに役立つように重宝がられる
卒業生が出ると思いますけれ
ども、それが固定的にもう五年ほどいたしますと、きっと少しやっかい者、というと表現が大げさですけれ
ども、そういうふうなものになってくるのではないか。その場合、一番迷惑するのはその
学校を
卒業した
卒業生で、必ず
大学に進学したい、またはその五年
制高専に進学している途中において
大学に進みたいという希望を出すにきまっていると思います。その場合に、
制度の上では進学が可能だということになっておりますけれ
ども、たとえば、戦時中の高専の例を見ましても、それから戦後の
工業高校から
短大に進む場合を見ましても、進み得るということになっておりましても、その
教育内容そのものからして現実的には進めないということがはっきりしておるのではないか。ですから進学できるからいいのだということにはならない、そういうふうに思います。
先ほど一番最初に
企業が非常に要求しているという話をしましたけれ
ども、われわれがそういう
現場の要求というものを考える場合に、
現場の
技術者と、それから総務課もしくは人事を担当している
人たちの間には、必ずしも
意見の一致が見られないということです。このことは科学
技術庁の刊行物、番号は忘れましたけれ
ども、その中でも
企業内
教育について、どういうふうに
養成工が将来伸びるといいますか、りっぱな
養成工なのかということについて、労務管理担当の
人たちと
現場の実際の
技術者の間にはかなりの
意見の相違があるということなんです。従って
企業の要求と一口に言いますけれ
ども、実際に
中級技術者のすぐ上に立って
指導をしている
大学卒の
現場の第一線の
技術者が、この高専というものについてどのように考えているかということについて、もう少し調べてみる必要があるのではないか。先ほど言いましたように、
工業高校の
卒業者に対する
意見ということで言いますと、高度の
技術担当者ほど
工業高校よりも普通の
高校卒業者をとって、それを
企業で
教育した方が将来性があるんだということを言っているわけです。このことは高専についても同じような
意見が出てくるのではないか。これはあくまでも臆測です。そういう意味で、この高専を作るにあたってぜひともそういう
現場の
中級技術者を直接
指導している
現場の
技術者の
意見を聞いてみることが必要ではないかという気がします。
話があちらこちら飛びましたけれ
ども、結論として
企業の要求というものの
中身を再
検討するということ、しかも非常に長い期間をとってみるならば、五年、十年、二十年という長い将来を考えてみたならば、非常に型にはまった
技術者を作るということはほんとうにその
企業のためにもならないのではないか。この点についてもっと
検討を進める必要があるのではないか。
第二番目に、
企業のためになったとしても、
人間の
教育ということを忘れてはいけないので、多少
企業の方で不便を忍んでも、
人間の
教育、平等な、民主的な
教育という意味で単線型を——全くその通りとは言いませんけれ
ども、できるだけ単線型の構想を守っていく必要があるのではないか。そういう意味をも含めて、現在のところ高専だけでなく小・中・高・大という全部の
学校教育体系をもう一度再
検討をしてみる必要があるのではないか。従ってそういう意味から、非常に五年
制高専の法案の成立を急いでおられるようですけれ
ども、もう少し
検討してみたらどうかというふうに思われるわけです。(拍手)