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1961-05-13 第38回国会 衆議院 文教委員会 第22号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十六年五月十三日(土曜日)     午前十時四十三分開議  出席委員    委員長 濱野 清吾君    理事 臼井 莊一君 理事 坂田 道太君    理事 竹下 登君  理事 中村庸一郎君    理事 米田 吉盛君 理事 小林 信一君    理事 高津 正道君 理事 山中 吾郎君       大村 清一君    田川 誠一君       高橋 英吉君    灘尾 弘吉君       花村 四郎君    松山千惠子君       八木 徹雄君    野原  覺君       松原喜之次君    三木 喜夫君       村山 喜一君    鈴木 義男君  出席政府委員         文部政務次官  纐纈 彌三君         文部事務官         (大臣官房長) 天城  勲君         文部事務官         (管理局長)  福田  繁君  委員外出席者         文部事務次官  緒方 信一君         文部事務官         (大臣官房総務         課長)     木田  宏君         文部事務官         (大学学術局技         術教育課長)  犬丸  直君         参  考  人         (元山梨大学学         長)      安達  禎君         参  考  人         (都立向島工業         高等学校教諭) 幡野 憲正君         参  考  人         (東京教育委         員会委員長)  木下 一雄君         参  考  人         (東京大学教養         学部講師)   原  正敏君         専  門  員 石井  勗君     ————————————— 本日の会議に付した案件  学校教育法の一部を改正する法律案内閣提出  第一七四号)及び学校教育法の一部を改正する  法律施行に伴う関係法律整理に関する法律  案(内閣提出第一七五号)について参考人より  意見聴取      ————◇—————
  2. 濱野清吾

    濱野委員長 これより会議を開きます。  学校教育法の一部を改正する法律案及び学校教育法の一部を改正する法律施行に伴う関係法律整理に関する法律案一括議題とし、審査を進めます。  この際、前回の委員会において委員長に御一任の参考人は、安達禎君、幡野憲正君、木下一雄君及び原正敏君に指名いたしましたので御了承願います。  これより両案について参考人より意見を聴取いたします。  参考人各位にごあいさつを申し上げます。参考人各位には、御多用中のところ、わざわざ御出席下さいましてまことにありがとう存じました。本日は、学校教育法の一部を改正する法律案及び学校教育法の一部を改正する法律施行に伴う関係法律整理に関する法律案について、忌憚のない御意見をお述べいただき、もって両案審査参考に資したいと存じます。  参考人の御意見開陳は、お一人約十五分程度にお願いいたしたいと存じます。参考人の御意見開陳があった後に、委員の質疑に入りたいと存じます。  なお参考人各位が発言を求められます際は、委員長の許可を得ることになっておりますので、御了承をお願いいたします。  それではまず安達禎君より御意見開陳を願います。安達参考人
  3. 安達禎

    安達参考人 私は、政府が去る四月五日国会に提出した工業高等専門学校設置のための学校教育法改正案について所見を述べるようにとの御依頼を受けましたので、参考人として参った次第でございます。  私は、明治四十二年に学校を出たという老人でございまして、それからの長い、約半世紀もの間、ときには役人をいたしたこともございますが、多くは教職生活についておりまして、なかんずく工業専門学校教員校長をいたしたり、また工科大学長を勤めたこともございますが、戦後は新制大学学長を数年前までいたしたのでございまして、そういう経験からの所見を申し上げたならば、幾分か御参考になるのじゃないかと考えておる次第でございます。  私は理工科系人間でございますから、教育者はいたしておりましても、教育学者ではございません。また、まして法律なんというものは一向わきまえぬものでございますから、皆様のようなその道の練達の方々の前では私の申し上げることはお聞き苦しい点が多々あることと思いますが、その点はごしんぼう願いたと思います。  そこで、材料を調べてみたのでございますが、中教審から出された答申やその他産業界要望などは、いずれも中堅技術者の不足を何とかしてもらいたいという点を強調しておりまして、中教審大学入学者選考及びこれに関連する事項についての答申、二十九年十一月十五日付のものには、高等学校短期大学を合わせた五年または六年のものを作って、専門職業教育の充実をはかれといった内容がございますし、その次の三十一年十二月十日付の答申短期大学制度の改善についてという諮問に対する答申には、高等学校課程を合わせたものを作れという内容の希望がまたありまして、そのほかに、専門教育を充実し応用能力を育成するために、実験実習、演習、実技を重視せよと強くうたっております。その次に、三十二年十一月十一日の答申諮問は、科学技術教育振興方策についてという諮問でございますが、その答申には、短期大学内の科学技術教育に触れまして、今日産業界においては、旧制工業専門学校卒業に相当する技術者要望が強いが、現在理工系短期大学は数も少ないし内容もはなはだ不十分であるのに、産業界の現状はこの種の技術者を強く要求しているから、それに応ずる施設をせよ、という主張をしておりまして、これにも、高等学校を合わせた五年制または六年制の短期大学を作れ、という主張が出ております。  さらに、産業界要望といたしましては、経団連の三十四年十二月八日の要望東京商工会議所並び大阪商工会議所の三十六年一月二十三日付の要望、また関西経協の三十六年一月十九日付の要望日本造船工業会の三十五年七月二十一日付の要望日本鉄鋼連盟の三十五年十月十日付の要望科学技術会議諮問第一号に対する答申、それは三十五年十月四日付でありますが、これらのものからもほとんど同じ内容の、前に申し上げたこういう設備を早く作れという要求が出ておりまして、いずれも急速に実施してもらいたいということを非常に強く要望しておるのであります。  私は、先般政府国会に提出しました工業高等専門学校設置のための学校教育法改正案というものは、これらの要望にこたえたもので、中堅技術者の払底がはなはだしく、かつ中堅技術者後継者が得られないという今日、高等学校三年と大学前期とも称する二年とを結びつけて、しかも大学とはしないで、一貫した専門技術教育専門学校を作るという案を政府が出しましたことは、きわめて適切であり、早急の実現を期したいと思う一人であります。  実は、戦後教育制度が単一な六・三制一本に改められて、わが国中堅技術者養成を半世紀にわたって担当して参った工業専門学校がこつ然と消え去り、そのことごとくが上級技術者養成担当者としての大学に昇格しましたとき、たまたま私は行政監察委員をいたしておりましたので、いささかその間の消息を伺ったのでございますが、私どものようなかつての工業専門学校関係者は、かようなことをいたしましたならば、日本産業進展に大きな支障を来たすものと考えたのであります。果たせるかなその影響は数年ならずして如実に現われた次第でありまして、右に述べたような答申要請になったのはこのためでございます。  そこで、いかにその影響がひどいかという例といたしまして、科学技術会議諮問第一号に対する答申というもの、これは三十五年十月四日でありますが、その中に申していることを取り上げてみますと、次のように申しております。戦後の教育制度の改革による高専廃止によって、新たなる中級技術者の獲得は不可能となった。すなわち現行短期大学では修業年限関係もあって、その教育内容が十分でなく、これに中級技術者養成を期待することは困難であり、一方高校卒業生をもってこれに充てるには、その育成に長い期間を必要とする、という嘆声を漏らしております。さらに、中級技術者に必要とされる教育は、大学卒業者のそれが未知領域を自力で開拓し得るための訓練であるのに比べ、むしろ既知の技術を用いる能力の修得が主であるから、これを保有せしめるためには、大学におけるような教育内容は必ずしも適当ではない。従って次のような性格に基づく新しい教育機関制度化を考慮すべきであるといたしまして、その教育内容は実際的専門教育をその主眼とすること、そのため教育年限高校課程と合わせて五ないし六年制のものとすること、教員についてはその実地経験に重きを置いてこれに充てること、そのためには産業界の人材をも迎え得るような処遇あるいは採用条件について措置をとることということを申しております。また、最近私の見た二、三の新聞の論調は、いずれも政府案への賛成意見を出しておりまして、一日も早くこういう案は成立させなくてはいかぬということを強く申しております。  そこで、最後に私の所見を申し上げたいと思います。改正案を見ますと、この種の教育機関を新設する目的として、「高等専門学校は、深く専門の学芸を教授し、職業に必要な能力を育成することを目的とする。」とありまして、さらに工業に限ること、修業年限高等学校を下につけた五年にするとうたってございます。これは申すまでもなく高等学校とその二年の単なる継ぎ足しではなくて、五年間を一貫した教育課程によって教育を授けるといった点が短大高校とを連絡するというのと大へんな違いがあるところでございます。従って、重複のない教育が十分でき、また単位制でなく、学年制でございますから、充実した授業ができるということは、私ども長年の経験によってよくわかっております。それから実習実験の時間も十分とってございますから、工業の発展に寄与し縛る十分実力を備えた中堅技術者養成が可能であると考えられる次第であります。この意味では、やり方次第では、修業年限の同じ旧制高専にまさるものができる可能性があると私は考えておる次第であります。  次に、この制度の開設によって、高等教官を受け得る者の分野が拡張されるということは非常に大きな利点であると考えます。四年制大学までいける者は、御承知の通り、今日の高校卒業生の中の一小部分であります。昔、大学にはいけないが、専門学校へならいけるといった秀才がたくさん集まったのであります。それと同じように、中学からまっすぐに五年制の高等専門学校に入れて、しかも社会が要求している職能、技術を身につけ縛る道が開けたとなれば、そこに集まってくる者は相当多いことだろうと思います。そして、それだけ国民に広い教育の機会を与え得るわけでありまして、なおその上にこれらの者は才能と環境が許せば、さらに四年制大学に進み得る道も開けておるのでございますから、現行の六・三制では絶対に大学にいけない者にとって、この制度は救いの手を差し伸べるものとも言うことができると思います。  さらに、ヨーロッパ各国の例を見ましても、わが国の六・三制のような単一化されているような制度をとっているところは、主要文明国には一つも例がございません。また現在の六・三制のお手本であるアメリカですら、それほど画一的ではないと聞いております。  中学校を出、義務教育を終わったばかりの未熟なる者を、そのいく先を固定するような職業教育に入れるのは考えものだという心配があるようでございますが、現在の職業高校はその例でございます。その上進路適性に応じて専門分野をきめてやる必要から、中学校には職業指導主事を中心とした進路指導の組織があるそうでありまして、加えて父兄の指導もあることですから、その懸念は無用のことであると存じます。また他面、自分でも間違いのない職業選択のできる年まで待つということになりましたならば、結局何もできないという、いわゆるあぶはちとらずに終わるのではないかと存じます。現に諸外国においても、西ドイツ、イギリス、フランス、中共、ソ連、みな日本の十五才よりももっと早く進学する学校系統の分化が行なわれていると承知しております。  高等専門学校制度職業教育に偏するあまり、基本的な人間形成がおろそかになりはせぬかという心配があるようでありますが、これは今に始まったことではございません。私ども校長をしておりました昔の専門学校でも、そのために特に何か専門学校令文句を入れたようなことを覚えております。文句というのはそういう方面の修養をさせろという文句でございますが、しかし私をもって言わしめれば、教育は生きた人間の接触でございまして、結局人間ができるできぬというものは、校長以下教職員の心がまえの問題であって、そんな文句を入れても、あるいは何か制度を作ったって、そういう問題よりは、はるかに人間関係の問題の方が大きいと思います。そうしてこのことは、私どもは昔自分ではっきりと体験しておることを覚えております。  以上をもって私の所見を終わります。(拍手)
  4. 濱野清吾

    濱野委員長 次に幡野憲正君より御意見開陳を願います。
  5. 幡野憲正

    幡野参考人 産業界技術者を要求している、こういうふうにいわれておりますが、確かに現在の技術の進歩という点から見れば、技術者が足りないということがいえると思うわけです。この技術者をどのように養成するかという点が問題になるわけですが、やはり学校教育の中では科学技術教育を充実する、そういう観点をとるべきであろう、こういうふうに思いますが、現在出されている焦点は、特に高等学校以上の問題として出されております。ところが私どもがよく考えてみますと、高等学校以上の教育の問題も一つありますが、学校教育全体の問題の中で、科学技術教育というものがどのような観点で現在実施されているか、こういう点が基本的に技術者養成、よりよい技術を持った人間を作り出す、こういう点が基本になるのではないか、こういうふうに思うわけです。ですから小学校から中学高等学校、さらに大学における施設設備あるいは学級の定員その他教育内容等を根本的に検討をしてみるべきであろう、それらの検討なしに、単に一部の制度をいじる、こういうことになりますと、その場限りの対応策ということになりはしないだろうかと思っているわけです。私は現在工業高等学校教師をしておりますが、やはり今お話をしましたような点から見て、小学校中学校教育における科学技術教育がどのようになされてきているか、こういう点が工業高等学校で教える際に非常に問題になります。ですからさらに大学の問題、工業学校卒業した上の問題を考える際には、その内容が十分くみ取られなければならないだろうと思います。現在の高等学校には、普通課程職業課程、さらに定時制通信教育、こういうものがあるわけですが、それらのいろいろの種類の中身を、すべて科学技術教育という観点に合わせて、高等学校なら高等学校の中で検討をしていく、そういう形の中で幅広く優秀な技術者養成されるだろうと思うわけです。現在の技術革新という点から申し上げますと、一般教育専門教育というかかわり合いが、従来よりも一般教育重視している、こういう傾向が出てきております。これは工業卒業生にとってみても、工業学校で習ったことがあまり役に立たなくなってきた、つまり今の工業学校では、これは教育課程のせいもあるわけですが、非常に古い内容のものがかなりあります。この内容を何とか新しい内容に切りかえて教えなければならない、こういうふうに現場ではいろいろと検討しておりますが、施設設備定員その他の問題、さらに教育課程の縛り、そういうものがありまして、なかなか思うように参りません。そうしますと卒業生現場に行って役に立たない、こういうふうにいわれる結果が出ておりますが、この工業卒業した生徒が役に立たないといわれる内容は、年限の問題ではなしに、一般教育、特に理科、数学社会科英語等基礎教育専門教育とのかかわり合いを十分に検討し、研究し直さなければならないという、私たち教師の側の責任がかなりあるのではないか、こういうふうに考えております。それで、就職先の雇い主などももう少し基礎教育をやってきてもらわなければ困る、こういう形の要請が非常に強く出ております。これと同じような問題は、今の大学教育の中にもいわれております。私がある企業経営者から聞いたことですが、工業卒業生も困る、しかし大学についてもそうだ、もっと一般教養というものを重視しなければ、これからの技術革新に対応できない、こういうことを企業経営者等も申しております。そういう点から見て、新制度になって新制大学中身はかなり一般教養重視する、こういう形になっておりますが、まだまだ一般教養専門教育とのかかわり合い検討が足りないのではないか。さらに一般教養を高めなければ、これからの技術革新に対応できる技術者ができない、こういうふうに考えられるわけです。それで私が思い出しますのは、ちょうど私が卒業をした学校が昔の旧制工業専門学校でした。さらに旧制大学工学部に参りました。ちょうど旧制工学部の一番最後でしたので、新制度と並行して大学の中で教育を受けてきました。さらに工業学校就職をした、こういう観点から、旧制度から新制度に切り変わった中身につきましては、つぶさに身をもって体験をしてきているということが言えるわけですが、旧制専門学校で習った内容と、旧制大学で習った内容、もちろん比較にならないほど違いますが、旧制大学の方が御承知のように人間的にも十分な教育もしますし、余裕もある。基礎教育の勉強もし、専門教育もやった。ところが新制はかなり落ちるではないか、こう当時いわれておりましたが、私が並行的に習った限りにおきましては、新制度の中でも旧制にないような人間教育という面もあったし、一般教養専門教育とのかかわり合い、こういうものがあって、生き生きとした大学生活を送っていたように思っております。ところが旧制専門学校ですと、かなり技能的な中身に追われて、学校の中での人間的な、学園という生活が思うようにいかなかったという弊害があったというふうに私は体験をしているわけです。これは私の友だちがそれぞれ学校卒業しまして、実社会に出て経験をし、それらの中から話されることは、やはり工業専門学校を出ただけでは基礎が十分できていない。それで一時的の現象的な技術教育ということに終始をしたために、現場の中ではなかなか今の技術革新に対応しての研究ができない。だから何とかもう一度新制大学にでも入り直して、その点を補いたいという友だちがかなり多くあります。それに比べて新制大学を出た連中は、それらの点を補ってありますので、特にそういう声を聞かなかった。こういうのが旧制から新制に変わったときの体験を通じての現象であろうと思うわけです。ですから、今出されておりますような五年制高専の案が、旧制専門高校というものを一つのサンプルにして出されている、こういうふうにうかがわれるわけですが、もしそういうことであるならば、私の体験から言えば、これは昔のあやまちをさらに輪をかけて繰り返すのじゃないか、こういうふうに思っているわけです。といいますのは、先ほど試案ということで発表されました教育課程中身というものを拝見をしたわけですが、それらを見てみますと、先ほど申し上げた現在の工業高等学校の中でも若干問題がある、専門教育一般教養とのかかわり合いをどういうふうに統一していくか、こういう観点が全く抜けているように思えるわけです。つまり一般教養が五年間で八十一単位になる、こういうふうになっておりますので、三年間の工業属等学校よりも二十五単位ふえるではないかというような表現になっているわけですが、内訳を見ますと、英語が十三単位ふえ、数学が六単位ふえるというのが大部分です。ですからあとの二年間を短大でもしやる、こういうことになりますと、数学の六単位工業高等学校の上へ積み重なるというのは当然なことですし、語学が十三単位ふえるというのも、現在工業高等学校の中の語学が少な過ぎる、こういう点から見れば、一般教養重視をされるということには決してならないわけです。それのみか、かえって五年制にして、短大と同じだけの中身をつけよう、こういうことであれば、もっと一般教養をふやしていくべきであろう、あるいはふやさないにしても重視をする考え方がなければいけない、こう思うわけですが、これが逆行しているのではないかと思います。それで専門教科の方を見ますと、二年間ふやすことによって、五十九単位も今の工業高校よりもふえています。これは非常なふえ方であるというふうに一見思えるわけですが、ここのところに相当問題があるだろうと思うわけです。あとの二年間で五十九単位ふえる、こういうことは一年間で三十単位ふえるということですから、一週間に毎日専門教科をやる授業が二年間積み上げで続く、こういう形にならざるを得ないだろうと思うわけです。もちろん今のは極端に申し上げたわけですが、こういうふうに専門教科を非常にふやしたということは、技術的に優秀な者を作るということでなしに、総当たり的な技能者を詰め込んでつくる、こういう教育になっていくのではないか。現在も工業学校の中で非常に専門教科が多過ぎる。たとえば工業では百五十六という科目がありますが、それらが多過ぎるために、教える方からいっても、教わる方からいっても非常に問題点が出てきているわけです。それらに輪をかけた内容になっている。それが中堅技術者養成するためである、こういうふうに打ち出されてきますと、これは勢い今の三年間を五年間に引き延ばしただけにすぎない。それで今までよりはよくなった、こういう案ですが、実質的には今の三年の格下げになってくるのじゃないかというのが現場における私たちの非常な心配であり、しかも今の三年間の格下げが行なわれた上に、もっと程度を下げて内容が変えられてくるのではないかという心配もしているわけです。  もう一つ観点としましては、五年間通う生徒が現在私たち学校の中から考えてみてどのくらいいるだろう、こういう観点です。五年間通うということで一貫教育ができるではないか、こういうお話もあるわけですが、なかなかそのようには参りません。やはり大学へ、こういうふうに考えている連中は、初めから普通課程校へ通うというのが現在の一般的な状態です。ですからなるべく早く社会に出て働きたい、こういう者たち工業入学をするわけですが、この人たちが五年間通うことがはたして可能であろうか、こういう問題が一つと、途中で経済的な問題で一般の会社にいきたい、あるいは一般大学にいきたい、こういうことになった場合に、五年間の途中の三年ではたして新制大学なり他の短大に行き得るのかどうか、三年間で経済的にだめになったときに、どういう資格で出ていくのか、こういう点が非常な問題点として残るであろうと思うわけです。  これらの問題点が当然出てくるわけですが、それでは今の技術者養成をどのように要請にこたえていくか、こういう点につきましては、先ほど新制大学の例を申し上げましたが、まだまだ新制大学施設設備その他の条件で悪いところもあります。それをもっと整備拡充をすること、これが非常に必要ではないでしょうか。これを行ないますれば、さらに高級の技術者研究者という点では大学院があるわけです。ですから新制大学が、旧制大学でなしに、ちょうど昔の高等学校あるいは旧制専門学校をもう少し角度を変えた形で発足をしたあの理念というものを、もう一度思い起こす必要があるというふうに思います。さらに新制大学にもいけない人たちはどうするか、これは短大制度を使いまして、短大の中で十分に教育をしていく、こういうことも当然考えられると思います。旧制専門学校を考えている人たちにとっては、三年に対して二年、短いではないか、こういう御意見もあろうかと思いますが、二年と三年の開きというものは、基礎教育を十分やっておけばそう違いは出てこないであろう、こういうふうに思うわけです。ですから無理に制度をいじる必要はないのではないか。やはり私は工業教員をしておりますので、技術者になろうということで学校に入ってくる生徒たちを何とかりっぱな形で卒業をさしてやりたい、こういう願いを持っているわけですが、そういう意味からいえば、一般技術者を必要とする数の中で一番多く卒業する工業高等学校中身を充実をする、この点をまずやるべきではないかと思うのです。  一つの例ですが、東京では産振法、理振法による施設が非常におくれております。これは東京だけでなしに全国的におくれているというふうに思われますが、簡単に例として申し上げますと、理科の施設設備の現有率が普通科、農業、工業、商業等を含めまして大体六〇%にもいっていない、こういう状態であります。ですから非常にお粗末な形で理科の教育がなされている。さらに産業教育の問題でいえば、工業ではまだ六五%にもいかない、こういう形の施設です。設備につきましても六〇%まで満たない、こういう形で工業教育が行なわれている現状、この辺の打開をまず行なっていけば、当然卒業してから自力で中級の技術者なり高級の技術者に伸び得る素質を生徒自体が持つことができるであろう、こういうふうに考えております。それらの点の解決がなければ、いかに私たちが努力をしましても、いかに制度をいじってみても、それは単に一時の間に合わせの制度いじりということになり、一時の間に合わせの技術者養成、こういうことになりはしないか。教育というものを考えますときに、一時の間に合わせの制度を作る、こういう形が最もいけない形だと思うわけです。  それらの点を考えますときに、今度の五年制の高専の法案というものには私としましては強く反対せざるを得ない、こういうふうに考えておる次第です。  以上で意見を終わります。(拍手)
  6. 濱野清吾

    濱野委員長 次に木下一雄君より御意見開陳を願います。木下参考人
  7. 木下一雄

    木下参考人 わが国の産業経済の発展に伴いまして、科学技術者の需要、特に中堅技術者の需要は非常に多く、それに対しまして供給ははなはだ不足をいたしておりますことは、もうすでに申し上げるまでもないことでございます。今回政府工業に関する中堅技術者養成のための五年制の高等専門学校を設置する法案を作りまして、これが実現をはかりましたことは、私どもといたしましては、かような事態におきましてもちろん賛成でございますが、むしろさような施設の設けられますことが、大へん時期がおくれておるのを感ぜられるくらいであります。一刻も早くこれが設置を見たいと思うのでございます。と申しますのは、今から四年前、昭和三十二年に、文部大臣から科学技術教育の振興につきまして中央教育審議会に諮問がございました。この機会に中央教育審議会といたしましては、科学技術教育の振興につきまして審議を重ねまして、その年の十一月に答申を出しておるのでございます。その答申の中に、科学技術者、特に中堅技術者養成につきまして、科学技術専門学校を早急に設けることを加えてございます。すでに四年前にかような答申をしておるくらいでございますから、今回の高等専門学校はさような趣旨を含めての案だと私どもは考えるのでございます。なおこの中央教育審議会が、科学技術教育の振興、特に科学技術者養成につきましていろいろ研究をいたしました際、短期大学につきましても、科学技術教育の面から論議をいたしたのでございます。当時短期大学は、現在もそうでございますが、女子教育というものを対象といたしました課程を持つ短期大学が多いのでございまして、現在におきましても、本年の統計によりましても、全国の短期大学の二百九十という総数に対しまして、理工系短期大学と申しますのは約四十校ございます。このうち昼間の理工系短期大学というのは全国に十六校、夜間が二十校というのでございまして、この方面におきまして短期大学が将来いろいろ改善すべき、あるいはさような施設を設くべきことも考えられると思うのでございますけれども、なお二年もしくは三年の短期大学として、かような面において考える場合には、幾多改善をしていかなければならぬところがあると思うのでございます。なお、その際、短期大学高等学校を合わせたものによりまして、技術者養成も考えられるという意見もあったのでございますが、これは高等学校が完成教育でありますし、大学といたしましても、短期大学のあり方を考えますと、短期大学二年と高等学校の三年を合わせたものによります技術者養成につきましては、まだまだ今後十分検討を要するものがあると思うのでございます。この際五年を一貫として教育をする専門学校ができるということは、今日の事態におきましては、まことに望ましいことであろうと思うのでございます。また当時この答申の中におきまして、工業高等学校中学校と、つまり三・三を合わせまして中堅技術者養成を考えられるということは、これはやはり答申の中にあったと思うのでございます。イギリスにおきましては、テクニカル・セコンダリー・スクールというのがございまして、小学校課程を終わりまして中学校高等学校日本の場合におきましての中学校高等学校を合わせました、三・三のテクニカル・セコンダリー・スクールというのが技術者養成には相当成績を上げておるようでございますが、当時四年前の答申の中に、工業高等学校中学校一つとした意味での技術者養成も考えられるということを考えたわけでございます。  ただいまイギリスのセコンダリ−・スクールについてちょっと申し上げたのでございますが、私、昨年暮れイギリスに参りまして、ロンドンの文部省に行きまして、特にイギリスのセコンダリー・スクールにつきましていろいろ調べたことがございます。イギリスにおきましては、今から五年前、ちょうど中央教育審議会が科学技術教育におきましての振興についての答申を出しました前年でございますが、一九五六年に科学技術振興につきましての改善の具体策を作りまして、これが実施を打ち出しておるのでございます。これの趣旨によりますと、科学技術教育振興ということが、大学教育はもちろんのこと、中等教育科学技術教育振興には大きな役目を持たなければならないという趣旨で進んで参っておるのであります。私はこのイギリスの施策を読みまして、これはひとり今日イギリスばかりではない、ソビエトにおきましても、アメリカにおきましても、各国におきまして科学技術教育振興ということは国の大きな教育施策の中に入っておると思うのでありますが、単にイギリスと比較いたしましただけでも、日本はかような点におきましておくれをとるのではないかというような心配を感じた次第でございます。  御承知の通り英国におきましては十一才になりますと、イレブン・プラス・エグザミネーションというのをいたしまして、中等学校に進みますときに、グラマー・セコンダリー・スタール、テクニカル・セコンダリー・スクール、モダン・セコンダリー・スクール、こういうように振り分けて進学をさせております。しかしながら、これら三つのコースに振り分けて進学させました者が、科学技術教育の立場から、さらにそれぞれのコースを進んでも、最後にはまたその中から、中級技術者もできれば専門の科学技術者も出し得る道がそれぞれのコースについて考えられておるということは、わが国教育におきましてもこの際十分参考にしなければならないと思うのでございます。義務教育を終わってすぐに職業につくという教育を考えることにつきましては、英国の例をとりましても心配することはないと思うのであります。  ただいま答申につきまして関連して申し上げたのでございますが、答申の中にはございませんですが、今度の高等専門学校を考えますと、旧制専門学校と今回の専門学校とどこに特色があるか、比較をされるということは当然出てくると思うのでございます。この点につきましては、すでにいろいろ御審議の中に出てきておるかとも存じ上げるのでございますが、旧制専門学校におきましては六年、中学校の五年とさらに専門学校の三年でございますが、今回の場合におきましては、小学校が六年、中学校が三年、引き続きましてここに五年の専門教育を行なうのでございますから、全体の教育を受ける年数としては同じでございますけれども、むしろ今回の専門学校の方が、戦前の旧制専門学校よりは内容ともにすぐれた教育ができるのではないかと思うのでございます。  次に、中堅技術者養成に関連いたしまして、産業界からの要望が非常に多いということで、今度の専門学校のできるのはさような要望にこたえるという意味におきまして考えられたわけでありますが、それとは観点を全然別にいたしまして、現在における日本の青少年、その中に勤労青少年も含まれるのでございますが、かような青少年の立場に立って、教育の機会を均等に与える立場から、今回の専門学校を解釈していく必要があると思うのでございます。  ただいま科学技術教育振興について、中央教育審議会におきまして審議いたしました内容を中心としてお話し申し上げたのでございますが、科学技術教育振興に引き続きまして、文部大臣は中央教育審議会に対しまして、勤労青少年の教育をいかに振興すべきかということについて諮問されたことがございます。このときに問題になりましたのは、六・三・三・四の制度はもとより教育の機会均等という民主主義の立場に立ってできましたところの制度でございます。六・三・三・四のどこが一体民主主義の性格を持っておるのかということをむろんはっきりしなければならないわけでございますが、在来の教育におきましては、その教育の機会を与えられるところのものが三角形の状態でありまして、大学教育を受けるものは三角形の底辺から一番上の三角形の頂点に相当するところに当たる。六・三・三・四の制度においての大切なところは、底辺である小学校の六年と、義務教育としての三年の中学校と、できるならば高等学校大学も、全国の津々浦々の子弟に至るまで、三角形でなくして底辺がそのまま平行四辺形の上の辺になるような形において教育を受けるというのが六・三・三・四の制度の大切な趣旨であると、これは申し上げるまでもないことでありますが、考えるのでございます。  そういうわけでございますから、六年と三年の義務教育は、これは趣旨がその通りでございます。三年の高等学校につきましては、定時制というようなものを設けて勤労者にも教育の機会を与え、あるいは通信教育を設ける。大学におきましては、一部ばかりでなくして二部を考え、二部を充実して勤労者にも大学教育を受けさせるという新制度においての大学の夜間あるいは高等学校定時制というものは、これは六・三・三・四の非常に重要な意義を持っておるものと思うのでございます。ところが実際に新しい制度がしかれた後におきましては、高等学校あるいは大学における進学の状況はどうであるか。高等学校に進学する率は新しい、三十四年と三十五年の場合におきましても六〇%でございます。つまりさような意味において高等学校ができておるのでございますけれども高等学校に進学しておる者は、六〇%、従いまして実数で申しますと毎年八十万ないし七十万の中学校義務教育を終わった者が、高等学校に進む教育の機会を与えられておらないことになるのであります。それから二十才以下の青少年について考えますと、約六百万というものが教育の機会を与えられていないのでございます。これは青少年の不良化防止とかいろいろいわれておるのでありますけれども、現に日本におきまして勤労青少年を含めて六百万の者が教育の機会を与えられていない。毎年八十万ないし七十万という少年が教育の機会を与えられていない。当時勤労青少年の教育につきまして、それをどうするかという大臣の御諮問に対しまして、中央教育審議会がこの点につきましてかなり深く考えたのであります。この中には中小企業における仕事に携わっておりますたくさんの勤労青少年もありましょう。これは私の考えでありますが、かような事態は六・三・三・四の単線型の盲点だというふうに考えるのであります。年々約六百万の勤労青少年を含めての青少年に対しまして、かような盲点がもうすでにはっきりしている以上は、いかにしてこれらの者に教育の機会を与えるかということを考えるのが、緊急の問題ではないかと私は考えるのであります。  ところが一方におきまして、産業界におきましては、中堅技術者を初めとしてさような技術を持っておる者を非常に求めておる。一方には求めており、一方にはさような職につきたいけれども、その職を与える用意ができないという現状であるわけであります。かような青少年を対象といたしまして、教育の機会を与える意味からいたしましても、育英会その他において、これは十分御検討をいただかなければならないことと思うのでありますが、中学校を終えた者に対しまして、五年制の高等専門学校ができますことは、こういう意味からいたしまして一つ教育の機会を与えるものとして、勤労青少年並びに青少年のためにありがたい施策であるというふうに考えるのでありまして、こういう観点からいたしましても、高等専門学校はすでに前から私ども検討しておりましたことが、いろいろの点から実施の運びに移されたものとして賛成をする次第でございます。  さらにかような制度による高等専門学校が実現された暁におきましては、四年の大学に連絡する道ももちろん案の中にはっきりと出ておるのでございますけれども、これはイギリスにおきまして、テクニカル・カレッジとか、あるいはさらにテクニカル・カレッジの上に乗っておりますアドヴァンス・テクニカル・カレッジというものがございますが、かような高等専門学校——これも一つのテクニカル・カレッジに相当いたしますが、アドヴァンス・テクニカル・カレッジに相当するものをさらにその延長に施設をいたしまして、ただいま申し上げましたように、かような専門学校並びにテクニカル・カレッジにおきましては定時制というものの充実を十分にはかりまして、また現在いろいろ活動しております、新しい学問を種々吸収して働いております工場、会社というものともできるだけタイアップいたしまして、四年の大学において研究し、また特色あるこのテクニカル・カレッジを通しての高等専門学校と、アドヴァンス・テクニカル・カレッジを通しての特色ある一つ教育機関が、とりあえずこの高等専門学校を作ることによりまして日本科学技術教育専門技術者養成にまでこれが発展していく計画を立てましたならば、今度計画されました五年制の科学技術教育というものは、私は日本の科学技術の全体の上にも貢献するところが多いものではないかというふうに考えておることを申し上げまして、私の意見を終わることにいたします。(拍手)
  8. 濱野清吾

    濱野委員長 次に原正敏君より御意見開陳を願います。原参考人
  9. 原正敏

    ○原参考人 現在五年制の高専というものを企業が非常に要求している、そういうふうに言われているわけです。ところが企業が要求している教育体系というのは、先ほど木下先生からおっしゃったと思うのですが、小学校から大学までの三角形になるような、そういう教育体系が実は企業にぴったりする教育体系であるというふうに思うわけです。そういう意味で、企業が要求していると一口に言いますけれども、その要求の中身ははたしてほんとうの意味で科学技術教育の振興といいますか、優秀なる技術者の確保というところにあるのかどうなのか。それよりも人事管理的な、労務管理的な要素がその中に入っているのではなかろうかということを一つ考えるわけです。今一応企業がそういうものを非常に要求しているということを認めたといたしましても、教育というのは、人間能力可能性を全面的に引き出す、こういうことが教育本来の性質だというふうに思うわけです。従って教育家や教育学者が理想家であり、ある意味で夢想家であっても、それは教育というものの本質がしからしめるものだと思うわけです。そういう意味で、戦後六・三・三・四という単線型の教育体系ができ、果たしてきた役割というものは幾ら評価しても評価し切れないものがあると思います。もっともあまりにも割り切った単線型であったために、そのために種々のひずみが生じているということは率直に認めなければならないと思います。しかし先ほどほかの参考人からの話もありましたが、諸外国の例を見ても、日本のような単線型の学校体系はなくて、それぞれ複線型の教育体系が置かれているという話がありましたが、確かにそれは現実そうだと僕は思います。しかしながら現在その状態を静止的にとらえるのではなくて、過去からの流れというものを考えてみますと、それはやはり教育体系の単線化という方向へ向かっているということは言えるのじゃないか、そういうふうに思います。それはたとえが悪くて恐縮なんですが、たとえば都市計画をする場合にこういうふうなものが理想的だといっても、実際にはなかなかそういうふうにいかないわけです。たとえば戦災というふうなことがあった結果、画期的な都市計画ができた。たとえは悪いですけれども、それと同じように日本は戦後異常な時代で単線型教育というようなものが一ぺんにでき上がったということは言えるかもしれないけれども、そういうふうな単線型の学校教育体系の理念というものはできるだけ持ち続ける必要がある。私もあとで申しますように、それは必ずしも現在の六・三・三・四をそのまま固定的に考えるということを言っているつもりはないわけです。  次に現在大学卒の下の中級技術者というものは、一応現在工業高校卒業生がそれに充てられているわけですし、またそういうものが期待されていると思うわけです。たとえば昨年の八月に神奈川県の産業教育審議会が、これはたしか主として神奈川県下の企業を対象にして調査をしたものと思いますけれども、その調査によって見ますと、企業はやはり工業高校卒業者を大学卒の下の中級技術者として位置づけておりますし、またそれを非常に期待しているということがわかるわけです。従ってそういう工業高校教育に対する要求というものを見てみましても、それは数学英語、理科、そういう普通科目の強化ということを非常に強く要望しておりますし、それから工業高校卒業者が在学中にどういう科目をもっとやっておればよかったかという調査についても、全く同じことが言えるわけです。私は昨年の春ごろ、主として私の——私、旧制高校から大学工学部を出たわけですけれども旧制高校の時分の同級生の前後一、二年と、それから私は野球部におったものですから、野球部の先輩後輩関係及び大学の時分の卒業年度の前後二カ年の範囲の、現在工場の第一線の技術者として働いている人たちを対象にしまして調査をしたわけです。これはアンケートを通信、手紙でもらったのもありますし、直接面接をしたのもありますが、そういう技術者意見を見ましても、工業高校卒業者を大学卒の下の中級技術者として非常に期待をしており、その中で要望しているものは徹底的な基礎教育です。たとえば英、数、理科はもちろんのこと、国語というふうなことについても、もっとしっかりやってもらいたいという希望が出ているわけです。それから一昨年の夏に全国工業高校長協会が、これは多分全国の工業高等学校長を対象に調査をしたものと思いますが、それのアンケートでも、実は今度の工業高校指導要領の改訂とは反対に、一般普通教育科目を増加し、専門教科現行より減らせというアンケートの方が多く出ている。にもかかわらず今度の教育課程の改訂については、工業学校では従来よりも一般教育が圧縮される形、専門教科が強化されるという形が出ているわけです。こういうことを考えますと、一体工業臨検の位置をどこへ置くというふうに、政府というか、文部省が考えているのかということがわからなくなってくるわけです。工業高校格下げを考えているのではないかというふうな、これは邪推かもしれませんが、そういう感じを抱くわけです。先ほど言いました、私がそういう現場技術者を対象にした調査の上では、明らかに工業学校の中の普通教科、基礎学力を非常に重視しておりますし、専門的な個々のものについては、企業内で教育する以外に方法はないのだということをはっきりと申しております。  そういう意味で私は、工業高校中身というものは、現在の普通高校の理科進学コースというか、理科コースに匹敵するような基礎学力が必要であって、その上に専門科目が積み重ねられなくちゃならないと思っているわけです。そういうふうにしますと、そんなことを言ったって、それだけの普通科目であれば、その上に専門科目を積んだら三年ではとどまらないじゃないかという意見が当然あると思うわけですが、それは私は、工業高校の場合、そういう意味で一年頭の方に伸びるということはあってもいいのではないかというふうに思っているわけです。要するに六・三・三・四というものを形式的な三年というふうに輪切るのではなくて、中身基礎教育というものを共通にするという考え方で単線型教育を考える必要があるのではないかと思うわけです。しかしながら一番その基本になるものは、戦後ともかく十数年も新制度教育が行なわれてきたわけですが、現在の時点に立って一体そういう六・三・三という学校体系がいいかどうかということを、基本的に再検討してみる必要があると思うのです。たとえば小学校が六年ということは、古くから六年となっておりますけれども小学校が六年というものでいいかどうか、これはまだはっきりとした意見を持っているというわけではありませんけれども小学校というものは、たとえば四年にして、そうして五年からそれぞれの専門の教科を専門の先生が持つというふうな考え、すなわち一応小学校においては、一人の先生が全部の受け持ちの生徒を教えるというのは四年で打ち切るというふうな形、または小学校を五年にするというふうなこと、そういうことは根本的に考えられる必要がある、そういうことを考えるならば、日本の科学技術の水準をもっと現在よりも引き上げることが可能ではないか、そういうことを全然触れないでおいて、先の方だけを局部的に拙速的にいじくることはちょっと問題ではないかというふうな気がするわけです。  一歩譲って、五年制の高専が必要だというふうになったといたしましても、現在の内容、これは私は新聞に出ているものよりも詳しいことは知りませんが、その中身を見た場合に、やはりかなり疑問がある、そういうふうに言わざるを得ないわけです。それは第一番に、あまりにも詰め込み教育だということです。たくさんの授業さえやればそれだけ成果が上がるということは少し問題である。この点は実際専門教育や現在非常に授業時間数を多くやっておられる東京の都立工業短大卒業生の中で、それに対してかなり批判的な意見を持っている人もないではないということです。数学英語が確かに多くなったと言われるわけですけれども、これはきわめて当然なことで、これくらいの数学英語がなければ工業教育としては成り立たないわけです。さらに人文科学系統は全部二単位ずつになっていて、これは現在の工業高校卒のレベルだということなんです。高専ということになれば、私は、せめて普通課程の、いわゆる理科コースに進む生徒に対する人文科学くらいのものはぜひともしたい。それから国語も、これは工業高校と全く同じ。それから理科については、物理、化学が五、四というふうに上がっておりますが、全国の工業高校長協会のアンケートの中にも、工業高校でもやはり生物というものをやる必要があるのではないかという意見が出しておられる校長さんもあるわけです。一応現在の工業高校ではそういう生物も置き得る制度にたっているわけですけれども、新聞で見た範囲では、非常に固定的に物理、化学というふうになっているような気がするわけです。それから芸術についての単位といいますか、それは一時間もないようですけれども、これは工業高校においてすら芸術の二単位というものが必須になっているということを考えるならば、この高専の教育内容は、やはり全人間的な人格形成の中で少し欠けているものがあるのではないかというふうに思うわけです。  それから、これから先は少しまだきまってないことであろうと思いますけれども、具体的には五年制高専の教科書をどうするか。これは工業高校の場合は検定教科書というものが使われるわけですけれども、そろいうものが五年制高専のときには使われるものなのかどうなのか、高専の教科書で検定というようなことがあるのかどうか。それから先生をどういうふうに、どういう先生をここに持ってくるのか、免許法等の関係についても少し問題が残されているのではないか。それからこの高専の目的の中に、「深く専門の学芸を教授し、職業に必要な能力を育成する」となっておりますけれども、少なくとも現在のような技術や科学の進歩の激しいときには、その学校専門の学芸を教授するだけではなくて、その学校自体がやはり専門の学芸について研究する体制も残しておく必要があるのではないかというふうに思うわけです。  先ほどちょっと言い落としましたけれども、現在の工業高校設備が非常に旧式なもので、産振法の基準によっても六〇%か七〇%、それくらいしか充足されていないということがありますが、その場合もう一つ忘れてはならないことは、産振法の基準というものは昭和二十六年に出たということです。昭和二十六年から以後の科学技術の進歩といいますかそういうものを考慮に入れますと、工業高校設備というものは、六〇%や七〇%というようなしろものではないことがはっきりするのではないかと思います。  それから旧制の高専を出た人が現場に入って、そして再びもう一ぺん大学教育を受けてみたいという気を起こすということは、ほかの参考人から述べられておりましたけれども、現在のような科学技術の急速な進歩が行なわれている時代では、現在五年制高専を作って、その卒業生が五年先に出る、五年先くらいのところでは、非常にすぐに役立つように重宝がられる卒業生が出ると思いますけれども、それが固定的にもう五年ほどいたしますと、きっと少しやっかい者、というと表現が大げさですけれども、そういうふうなものになってくるのではないか。その場合、一番迷惑するのはその学校卒業した卒業生で、必ず大学に進学したい、またはその五年制高専に進学している途中において大学に進みたいという希望を出すにきまっていると思います。その場合に、制度の上では進学が可能だということになっておりますけれども、たとえば、戦時中の高専の例を見ましても、それから戦後の工業高校から短大に進む場合を見ましても、進み得るということになっておりましても、その教育内容そのものからして現実的には進めないということがはっきりしておるのではないか。ですから進学できるからいいのだということにはならない、そういうふうに思います。  先ほど一番最初に企業が非常に要求しているという話をしましたけれども、われわれがそういう現場の要求というものを考える場合に、現場技術者と、それから総務課もしくは人事を担当している人たちの間には、必ずしも意見の一致が見られないということです。このことは科学技術庁の刊行物、番号は忘れましたけれども、その中でも企業教育について、どういうふうに養成工が将来伸びるといいますか、りっぱな養成工なのかということについて、労務管理担当の人たち現場の実際の技術者の間にはかなりの意見の相違があるということなんです。従って企業の要求と一口に言いますけれども、実際に中級技術者のすぐ上に立って指導をしている大学卒の現場の第一線の技術者が、この高専というものについてどのように考えているかということについて、もう少し調べてみる必要があるのではないか。先ほど言いましたように、工業高校卒業者に対する意見ということで言いますと、高度の技術担当者ほど工業高校よりも普通の高校卒業者をとって、それを企業教育した方が将来性があるんだということを言っているわけです。このことは高専についても同じような意見が出てくるのではないか。これはあくまでも臆測です。そういう意味で、この高専を作るにあたってぜひともそういう現場中級技術者を直接指導している現場技術者意見を聞いてみることが必要ではないかという気がします。  話があちらこちら飛びましたけれども、結論として企業の要求というものの中身を再検討するということ、しかも非常に長い期間をとってみるならば、五年、十年、二十年という長い将来を考えてみたならば、非常に型にはまった技術者を作るということはほんとうにその企業のためにもならないのではないか。この点についてもっと検討を進める必要があるのではないか。  第二番目に、企業のためになったとしても、人間教育ということを忘れてはいけないので、多少企業の方で不便を忍んでも、人間教育、平等な、民主的な教育という意味で単線型を——全くその通りとは言いませんけれども、できるだけ単線型の構想を守っていく必要があるのではないか。そういう意味をも含めて、現在のところ高専だけでなく小・中・高・大という全部の学校教育体系をもう一度再検討をしてみる必要があるのではないか。従ってそういう意味から、非常に五年制高専の法案の成立を急いでおられるようですけれども、もう少し検討してみたらどうかというふうに思われるわけです。(拍手)
  10. 濱野清吾

    濱野委員長 以上をもって参考人よりの御意見開陳は終わりました。これより委員各位からの参考人に対する質疑に入ります。質疑の通告がございますので、これを許します。臼井莊一君。
  11. 臼井莊一

    ○臼井委員 ただいま参考人から格段の御意見を伺いましたが、その御意見に対して簡単に二、三御質問申し上げたいと思います。  伺っておりますと、反対と言う方々もそう強い反対のようには感じないのでありますが、主として、大体においてこの法案に反対の立場をとっておられる幡野先生と原先生に二、三お伺いしたいと考えております。  幡野参考人の御意見を伺いますと、非常に教養科目、一般教養ということを重要視されている。この点はもとより当然でありまして、ことに戦後の大学、属等学校において一般教養というものが重要視されているということに特色があるわけでありますが、しかしこの一般教養に重点を置き過ぎるあまりに、どちらかというと専門科目の方の時間が足りなくてお留守になる、こういうような点が大学においてもあったように聞くのでありますが、短大においてもこの一般教養というものを大学と同様のレベルでやっているために、専門教育というものがどうも不足する。現に私は、かつて放送討論会で、科学技術教育はいかにあるべきかという問題を討論した際にも、ある理科系の女子の大学生でありましたが、四年のうち、入って一年半から二年くらいは一般教養でやる。高等学校で習ったようなものまでまた重なってやる。やっと三年になって、いよいよ専門のことに重点を置いてきたと思ったが、四年になると今度は就職でそれがためにそちらの方に気を奪われてろくに勉強できない。こういうことではたして大学を出た専門技術者として立つことができるかどうか不安であるということを伺ったのであります。そういう点についてどうも欠点がありはしないかと思うのですが、その点について幡野先生、原先生の御意見を伺いたい。
  12. 幡野憲正

    幡野参考人 今の点は科学技術教育の振興という点を論議する際にかなり問題になる点だと思います。それで非常に象徴的にわかりやすく御説明をいたしますと、一般教養というものと専門教育、このかかわり合いをどうつけるかという考え方をとる際に、専門教育というものは何か、こういう点を明確にしなければいけないだろうと思うのです。一応専門教育と言われている中身がいろいろあるわけですが、現在の工業高等学校でやられておる専門教育分野というものは非常に広いわけです。たとえば機械、電気、化学こういうふうに言われておりますが、それぞれの機械、電気、化学の中に相当多くの科目が入っております。それらを全部履修しないと専門教育ができない、こういうことでは決してないというふうに考えております。これは専門のそれぞれの分野基礎をやはり工業学校では十分に教育をすればいいのではないか。それらの基礎の上に立って、卒業してからの方がもっともっと年数は長いわけですから、自分の力であとを発展さしてやることができる。こういう形の専門教育を考えなければいけない。そうなると当然その一番基礎になる一般的な基礎教育、こういうものが重視をされる、こういう傾向が出てくるだろうと思うわけです。例として私の例を申し上げて申しわけないのですが、私先ほど申し上げたのですが、専門学校卒業したのが二十四年、旧制大学卒業したのが二十八年、実は一年浪人をして大学に入った。つまり専門学校から大学に入るというのは非常に苦労が要るわけです。そういう意味で五年制の高専も非常にむずかしいだろうと思うわけですが、あのときよりももっとむずかしいだろうというふうに思っております。その大学の場合でも専門学校の場合でも今一般的になっているテレビとかトランジスター、こういう理論は実は現実には習いませんでした。しかしどっちの教育の方が十年足らずの間にテレビとかトランジスターというものが一般化されたときに役立っているか、やはり大学教育の中にあった、一般教育重視した面、これは旧制の場合ですから、旧制高等学校でかなり一般教育をやっていましたそういう人たちと同じように伍して、大学の中で勉強するのに、私自身非常に苦労したわけですが、そういうテレビとかトランジスターというものが十年足らずの間にどんどん出てくる。それに対応できるような教育、そういう面を専門教育基礎として考えてやらなければいけないだろうというふうに思います。ですから工業学校の中で三年間でおさまるかおさまらないか、こういう議論が当然出てくると思いますが、この辺のところは高等学校だけをとらえるのではなくて、小、中という段階の中で科学技術教育がどう行なわれてきているのか、ここのところをやっていけば三年間で一般教育の上に専門教育を積み上げるという工業学校が成り立ち得るというふうに考えているわけです。
  13. 原正敏

    ○原参考人 今幡野参考人が言ったこととあまり大差はないので、繰り返しになるかとも思いますけれども、たとえば現在の工業高校で、電気科だとどうかすると、電気のことは電気でやるから、物理の方ではやらなくてもいいのだというふうな形だとか、それから機械科の方では機械といいますか、力学の方は、応用力学という専門教科の中でやるのだから、物理の方から省いてもいいんだというふうなことがよく言われるけれども、やはりそれを総合的に自然科学としてしっかりと押えるということが基礎になくてはならないと思うわけです。先ほど幡野参考人自分のことを言われましたが、私のことを言いますと、私自身は昭和二十年の九月に卒業したわけです。昭和二十年の九月といいますと、全部どこも就職のない、工学部卒業者の行きどころのないところで卒業をしたわけです。従ってこの春、というよりも九月ですから半年誤差があるんですけれども大学卒業して十五年間たって、大学のその当時の先生たちをお招きして、謝恩会を催したわけです。そのときに、多くの者はそれぞれ苦労をし、そして同級生二十八人の中で十四人が主として大学工業高校もありますけれども大学の教官をしているわけです。そういう人たちがわれわれを含めて、大学のいわゆる専門教科というものを学ぶときにはどうだったかというと、ちょうど戦争のまっただ中で、いわゆる動員とかなんとかで、満足な専門教育というものは受けなかったわけです。しかしそれぞれ、私なんかは大したことございませんけれども、学位をとり、それぞれの道の専門家になっておられるわけです。それはやはりその前の十分な基礎教育が積み重なっていたということが、自分で勉強する、そういうことを可能にしたと思います。これは大学教育であって、それはもう少し下の、下級の技術者というか、中級の技術者の場合には当てはまらないと言われるかもしれませんけれども、やはり同じことが言えるんじゃないか。それはそれなりにそういうことが言えるんじゃないか。私は大学教員をする前に、工業学校教員を長年してきたわけでありますけれども、その場合の卒業生の進路を考えてみた場合でも、やはり普通教育をもっとしっかりやっておけばよかったという声は圧倒的に聞くことがあるわけです。
  14. 臼井莊一

    ○臼井委員 一般教育とそれから専門科目ですか、一般科目と専門科目をどう区別するかということが、私はしろうとですからよくわかりませんが、私どものいう、ここで問題にしているのは教養科目でありまして、同じ一般といっても、科学技術に必要な基礎となる一般科目、すなわち語学とか、国語も含めて英語あるいは今度のこの法案によると高等専門学校では何か第二外国語まで科目に入れるようでありますが、そういうふうに基礎のうちでも、ほんとうの基礎、さらに物理とか化学とか数学とか、そういうもの、科学技術方面の特に基礎になるような一般科目については、私は広く、できるだけ深くやる必要があると思いますが、そのほかいわゆる人間を作るといいますか、少なくとも高等専門学校を出たという、視野を広くするという意味においての一般教養的な科目があると思うのですが、そういうものについては私は、必要でない、不必要だというわけではありませんが、これはある程度自分の力でも、先生の指導によってできるではないか、ことさらにその科目を取り上げなくてもできる科目がたくさんあるじゃないかというふうに思いますので、その点を伺うのでありますが、この点については、一つ本案に御賛成の御意見であるところの安達先生、木下先生にちょっとお伺いしたいと思います。
  15. 安達禎

    安達参考人 おっしゃる通りの場面が相当あると思います。それでさっき私は、あとでいわゆる人間を作るということでお話をしたのですけれども、実は私浜松の高等工業学校に創立のときに参りました。そのとき関口壮吉という方が校長をしておられたのですが、この方はいわゆる自由啓発主義の教育者でして、学生に好きな勉強、好きな研究をさせることを非常に奨励された方なんです。ですから実を申し上げますと、学生の中では、すべての学科をまんべんなく勉強した者もありますし、そうでなくきわめてかたわな勉強をした者もあったわけであります。ところが非常におもしろいことには、そういう連中が、出てからなかなか偉くなっている。かたわの勉強をした者でもなかなか偉くなっている。それから非常に先生は研究を奨励しました。その中で非常に成功した一つの例を申し上げますと、テレビジョンの研究をした高柳健次郎君でありますが、これは関口さんの方針によってテレビジョンを非常に勉強して、あの当時アメリカのRCAのツボルキンと高柳君は競争相手だったということであります。この高柳君は蔵前を出た人で、大学教育は受けなかった人です。しかしこの人などは非常に研究能力がありました。それからその人の下に使われた浜高工の卒業生、これはもちろん専門学校を出ただけの人間でありますけれども、この連中がまた非常に才能を発揮しまして、今相当偉くなっているというのがございます。そういうわけでありますから、一概に何を何時間やり何を何時間やれといってあまり枝葉末節にかかわったこまかいことを言っているひまに、もう少し何か大いに才能を発揮して勉強させる、好きなことをやらせるというようなことも一つの案だと、私はそう思っております。
  16. 木下一雄

    木下参考人 この一般教育技術教育関係につきましては、戦争後日本教育を建て直そうという場合の教育刷新審議会等におきましても、非常な問題になったのでございます。歴史的に申し上げますと、戦争後におきましては、人間一般教育が非常に重視されまして、人間教育を先にして、技術教育というようなことはむしろあとからやった方がいいのである、こういう意見を持たれる方が相当多数でございました。今日、その後におきまして高等学校を取り上げましても、普通科の高等学校が相当数多くなりまして、技術に関する高等学校が割合に少なくなりました。技術、農業その他さような面についてのいわゆる産業高等学校が少なくて、普通科の高等学校が圧倒的に多くなりました。数年たちますと、その結果、産業技術の方面に関係のあります方は、産業教育の立場から、技術教育という面を非常に軽く見て、そうして普通科の高等学校が多くなったがために、非常にその面の人材が少なくなったということからいたしまして、大きな教育上の運動が起こりまして、そして産業高等学校内容をもっと充実改善するとともに、この方面の学校をもっとたくさんこしらえなければいけないという要望が起こって参りました。そこで、今日かような高等専門学校のようなところで技術者を作るとか、あるいは現在一面におきまして高等学校急造対策におきまして——その場合に普通高等学校のみならず、それよりもまして工業高等学校を増設しなければならぬ、高等学校急造対策の中におきましても、工業学校を増設するということが非常に強く取り上げられてきておりますのは、戦争直後におきまして、一般教育というものが中心で、それが大きく支配した結果、さような技術教育がどちらかというと軽んじられた。今日はまたそれに対する大きな形として工業高等学校や今度の高等専門学校が出てきたのではないかと思うのでございます。そこで、さらに今度は大学教育におきましての一般教育と、それから専門科目の教育ということが取り上げられて参ります。従いまして、大学教育におきましても、これは指導者の立場に立つ専門技術者養成、理工関係で言いますと、大学におきましては指導者の立場に立つ専門技術者養成ということになって参りますので、これは文科系統や何かにおきましても、それぞれ一致する点はむろんあると思うのでございます。やはりそこには専門の科学技術者としての立場から、この基礎教育はもちろんのこと、そういうような立場におきまして専門教育はもちろん必要であります。指導者の立場に立つという意味からいたしまして、やはりここに一般教育の必要が十分認められて参ります。しかしながら、その一般教育のあり方につきまして、どういうような方法で指導者の立場に立つ大学教育における一般教育を考えるかという問題になって参りますと、これは十数年前新制大学として発足いたしました大学教育の実態にかんがみまして、改善を要するところが多々あると思うのでございますけれども、だからといって、一般教育の不必要論ということは成り立たないわけであります。あるいはこの大学の初めにおいて一般教育をやるか、あるいは指導者の立場に立つ基礎教育として専門教育を終わるころになってから一般教育をやった方が一般教育が身につくか。とにかく専門教育と結びつきます一般教育はさらに重視されますが、その取り扱いにつきましては改善されなければならない、こういうふうに考えると同時に、六・三・三の中学校におきましても——もちろん高等学校におきましては、今その過程を申し上げたのでございますが、高等学校はやはり高等学校に応じましての人格の基礎というものにおいてこそ、りっぱな技術者にもなれるのであります。人格の基礎なしに、りっぱな技術者に、中堅技術者といえどもなり得るはずはないのでございます。ことに、今日の新しい意味におきましての技術者というものは、各工場、会社等におきましても、能率を上げるのは人格の基礎において初めて能率が上がるのであるというふうに考えて、会社、工場等におきましての教育におきましては、特にこの点を重視して指導しているようでございます。さような基礎におきまして、やはり技術教育のいろいろの面も十分な伸びを持ってくるのではないか、かように考えます。
  17. 臼井莊一

    ○臼井委員 教育人間を作るわけでありますから、一般教養というものをいかなるところでも重要視しなくてはならないが、ただ、その教え方といいますか、指導ということが、時間を学校においてかけずしてできる方法があるのではないか。ことに小、中学校においては、一週一時間の道徳教育の特設時間すら反対して、全科を通じて道徳教育を教えるのだ、人間は全科を通じて作るのだという御主張をされているくらいでありますので、私は、人間を作る上において、一般教養科目ばかりを重要視して教える、教授するというばかりではなく、時間をかけずに、自分みずからの力で獲得するような指導ということが、ことにそういう余裕のない工業高校とか、あるいはこの種の短期大学とか、そういうものにおいて必要だろうというふうに感ずるのです。  そこでお伺いいたしますが、現在の六・三・三・四で、短期大学について別段御反対もないようで、現在の制度でうまくやっていけばよろしいのではないかというのが反対される方々の御意見のようでありますが、人間を作るという意味においては、学生仲間同士のほんとうの切磋琢磨といいますか、それによってのよき友だちを選び、またお互いに励み合う。それから先生、教授と学生との間の同様の関係というものは重要視されなければならない。ところが、短期大学二年間でそういうことができるかどうか。学校における人間関係教育というものは二年くらいの間ではできない。新入生で入ってきたと思ったら、すぐ翌年はもう最高の学年で、それから一年たてば卒業だ。そういうようなことでは教育ができないので、少くとも三年というものが最小限度ということを言われております。そういたしますと、そこに短期大学二年というものに対する一つの欠点があろうかと思うのでありますが、そういう意味において、今度の高等専門学校というものは、中学校を出て五年間の間に高等専門教育を受ける、その間の五年間における生徒間、また先生と生徒、学生間、こういう間における人間関係というものが非常に教育上効果があろうと私は思うのでありますが、その点について、やはり現在の二年の新制でよろしいというお考えであるかどうかを一つ幡野参考人、それから原参考人にお伺いしたいと思います。
  18. 原正敏

    ○原参考人 先ほど安達参考人が浜松高専のときの話をされまして、それを伺ってなるほどと思ったわけなんですけれども、そのときに非常に伸び伸びと自分のやりたいものをやった、そういうふうな校長の方針だったと言われるわけです。そういうふうに伸び伸びと自分でやろうと思うものをやれるというふうなことは、ほんとうに科学技術を伸ばす上にとって非常に大事だと思うわけです。ところが、先ほど言いましたように、今度の高専案の中身を見ますと、非常に盛りたくさんなのです。そういうふうな意味で、これは非常に押しつけといいますか、詰め込みになっちゃって、そのような自由な研究をしていくということはできないのじゃないかということが心配されるわけです。これは新聞紙上で見ただけでわかりませんけれども、非常に旧高専よりもさらに——旧高専というのは学校教育の中ではいわゆる授業時間数も非常に多い学校だったわけですけれども、それよりもさらに授業時間が多いということになっているわけですから、その点で非常に心配があるわけです。  それから二年制の短大の意味ということについてですが、私はあまり詳しく大学の設立の過程を知りませんけれども、もともと二年の短期大学というものは、四年制の大学を作る暫定的な要素として作られたものであるので、二年間の短期大学というものが固定化されるということはあまりいいことじゃないのじゃないか。ですから現在工業短大というのがあるわけですけれども、これは現在の技術者が非常に要望されているという時代からいえば、全部四年制の大学にすることが非常に大事なのではないか、そういうふうに思っております。
  19. 幡野憲正

    幡野参考人 先ほど質問された方が自分の力で勉強できる、あるいは人間関係が十分発達できるような教育が望ましい、こういうお話があったと思いますが、これは確かにそうだと思うわけです。そういう教育をしなければいけませんし、そういう場を学校教育の中で与えてやりたい、こういう考えを常々私ども持っているわけですが、そういうことになりますと、やはりあまり詰め込んで授業々々ということで追いやることはマイナスになりはしないか、こういうふうに考えております。ですから今の工業学校の中でも、一週間に毎日七時間ぐらいやる、こういう学校がありますが、こういう形はやはり望ましくないと思っております。それでなるべくホーム・ルーム等の特別教育活動を多く取りたい、こう思っているわけですが、なかなか今の現状ではむずかしいわけです。ところが五年制の高専の案ですと、五年間に二単位しか取らない、こういうことですから、非常に少なくなるわけです。五年間いくけれども、はたして本物の人間関係というものが成り立ら得るかどうかという点は、この五年制の高専の問題の中では非常に問題点、疑問点として出されるのではないか、一方的に、教える方から押しつけられるだけの、教師の方から何かを詰め込むだけの教育になりはしないか、そういう懸念を持つわけです。  なお、短大は二年でどうなのか、こういうお話がありましたが、六・三・三という教育を経た後に短大に入るわけです。ですから六・三・三の教育の中で十分に自発性を伸ばす、こういう教育がなされ、人間関係を尊重する、こういう教育がなされていれば二年間は必ずしも十分でないかもわかりませんが、二年間では全く無意味である、こういうことにはならないわけです。ですから短大が現在二年間ということで存続をしているわけですが、この存置されている二年間の中でも、やはり高等学校卒業してから短大教育を受けてそれだけのりっぱな成果を上げることができているだろう、これがさらに四年になればもっともっと望ましい教育ができるであろう、こういうふうに考えるわけですが、やはり経済的な問題その他でいかれない、こういう人たち短大というところで救済されているというのが現状ではないか、こう思っているわけです。
  20. 臼井莊一

    ○臼井委員 これ一間で終えておきますが、原参考人のあれで、二年の短大なるものは法律的にも当分の間であって、いずれは解消さるべきものである、これを四年の大学にすることが望ましい、これはもちろんそうあるべきでありましょうが、しかし日本の現在の経済状態からいって、非常に多数ある短期大学がそういくということがなかなか困難であるというところが一つの問題、またもう一つは、高等学校を出て四年の大学しかないということは、結局その半分ぐらいでもさらに進んだ専門教育を受けたいという者に対する望みを断つことにもなる。もちろん育英制度や何かで経済的な面についてはある程度補いもつくでありましょうけれども、それで全部救うというわけにはいかないという点もあるわけです。そこでこの二年の短期大学なるものを、これは意見の相違でありますけれども、二年間だけではほんとうの人間関係教育というものはなかなかむずかしい。それは三年やってさらに二年やるんだから、合わせれば五年だ、数字的にはそうなるけれども、同じ学校一つの校風になじみ、同じ友だちがあるのと、ほかの学校へ移っていくのとは、非常に気分的に違うわけであります。そこで少なくとも一つ学校に三年という制度がなければ学校教育としてほんとうの意義を果たすことがむずかしいということが、人間教育において一部で言われているのであります。そういう意味で三年と二年を分けて、合わせて五年というよりは、やはり三年と二年を合わせた五年間一つ学校で、通じて一つ人間を作るということの方がより有効であろう、そういう意味において私どもは本法案がよろしいと思うのですが、その点は意見の相違でありますから、意見だけにとどめておきます。  そこで原参考人にお伺いしたいのは、その四年に大学がいっちゃって、その間に中間の高等学校からさらに二年くらい延長した制度というものがなくてよろしいのかということをお伺いいたしたいのです。
  21. 原正敏

    ○原参考人 必ずしもなくちゃならないということにはならないだろう。そこのところは非常に主張が薄弱でありますけれども、必ずしも置かなくてはならないということにはならないだろうというふうに思うわけです。それから、今質問された方に何か逆に質問するようなことになるとまずいと思いますけれども短期大学が五百か六百あるのを全部四年にするという話があったわけですけれども、五年制高専の問題は、今工業高専というふうに限られて出されてきているわけです。一応現在は工業短大をという意味です。それのほかの短大についてはそれぞれ——たとえば女子の短大というものは違った意味での役割を持っているということは十分認めなくちゃならない、こういうふうに思っております。
  22. 安達禎

    安達参考人 私はどうも話が下手な人間でありまして、それから意を尽くして話をしない人間だものですから、誤解があるといかぬからちょっと申し上げておきたいのですが、関口校長さんが非常に自由啓発主義の教育をやられたので、好きなことをやった、そういう話をしたのを、これは不勉強であったというふうにおとりになったらちょっと困りますので、そういう意味じゃない、好きなことを非常に勉強したということなんです。私の友人で東大の名誉教授をしておる男が、今ある私立大学へ行って教えておりますが、それがしょっちゅう私に言うのですけれども、どうもこのごろの若い学生は、われわれのようにほんとうに精神を打ち込んで勉強するという気風がない、いいかげんにしている、単位制というふうなものは上っつらばかりいっているようなものだからそうなるんだろうが、ともかくどうも打ち込んで勉強するという場合には困る、われわれの時代とは絶対違うということを非常に憤慨しておりました。私などはあまり勉強しない方でしたから言えないけれども、その私でさえも夜も寝ないで勉強したという覚えは相当あるのです。とにかく何かに打ち込んだならば夢中になって勉強するという覚えは、私のようななまけ者でさえもございます。どうもこのごろそういう風があまりないように思うので残念に思うのですが、そういう者は、こっちから押えて詰め込んでやらなければもうだめだという一面もあるわけであります。向こうがやらないのですから、やれやれ、こう言ってやらないとどうにもならぬというような点もあります。どうもその点は誤解のないようにお願いをいたします。
  23. 濱野清吾

    濱野委員長 山中寿郎君。
  24. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 皆さんの貴重な御意見をいただきまして、いろいろ参考になったのでありますが、結論的に、今度の工業専門学校をどうしても設置しなければならぬという受け取り方がなかなかできないものでありますから、なお先生方の御教示をいただきたいと思います。  最初に、安達先生にお聞きしたいのですが、中心の問題ではないのですけれども、勉強をする、しないは、これは一人々々の問題でして、学校制度の問題ではないと私は思うのですが、いかがでしょう。
  25. 安達禎

    安達参考人 それは両方の場面があると思います。やはりなまけ者はなまけ者で、幾ら言ってもなかなか勉強をしない。私どもしょっちゅうそれは経験しておりますから、両方の場面があると思います。注意すれば勉強する人間と、それから注意してもなにしても、いわゆるはしにも棒にもかからぬという人間と、ほんとうに二つございますね。だからこれは一がいに言えません。それはやはり人によります。
  26. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 ちょっと高専制慶を置かないからみんな勉強しないんだというように聞こえたのですが、そうでなくて、やはり個人々々の天分と素質と環境と、先生に魅力があるかどうかということなので、今度の法案が必要だという御理由に言われたのではないということがわかったが、その通りですね。  それからお聞きしたいのですが、今度の法案の中に短大はそのままに残す、そうして工業専門学校をまた別の必要から置くということにたっておるのでありますが、先ほどからも短大の二年では人間教育はできないと、木下先生も言われておるわけです。そこで、この工業専門学校を設置するならば、安達先生も、木下先生も、幡野先生も、原先生も、大体二年の短期大学はそれにかわるべきものだという御思想のように思いますが、現在の法案では町方残すというふうになっておるので、具体的にそういう仕組みの法案には、今お聞きしている御思想からはどうも反対のようにお聞きするのですが、全部の方にお聞きいたしたいと思います。一番はっきり木下先生がお話になっているようでありますから、木下先生からお聞きいたします。
  27. 原正敏

    ○原参考人 質問の一番最後の意味がよくわかりませんでしたので、もう一度質問をしていただけませんでしょうか。
  28. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 現在政府が提案をされている法案は、工業専門学校を渇くと同時に、現在の短期大学もそのまま存続するのだという法案なんです。そこで工業専門学校を設置することによって、一方に暫定的な措置としての短大は自然にだんだん肩がわりをしていくべきだというお考えを原先生も言われたし、それから人間教育の立場でも二カ年は短くてだめなんだという御思想を安達先生も木下先生もみなおっしゃられている。そうしますと、こういう工業専門学校を置くという法案を前提とするときには、短大は解消すべきだという思想、これを前提としないと法案には皆さん御賛成にならない御思想だと私はお聞きしたのでありますから、それをもう一度再確認をいたしたいと思うのでお聞きしているわけであります。
  29. 木下一雄

    木下参考人 私はこの五年制の高等専門学校を作るということを述べまして、それに関連がありましたので、中央教育審議会におきましての科学技術教育振興の答申の中に、さようなことの考え方もあわせ申し上げたわけでございます。しかしながら五年制の高等専門学校を設立するということと短大とは無関係と私は考えております。と申しますのは、申し上げました言葉の中にも、現在の短期大学は女子教育の立場のものが多くて、科学技術教官の面から考えますと、現在ありますのは、昼間の短大が十六校、夜の短大が二十校でございます。ですから、かような面での短期大学は、今後短期大学としてむろん改善していかなければなりませんが、短期大学全体としては、これは今度の高等専門学校とは何ら関係がないと思います。短期大学そのものにつきましては、現在中央教育審議会におきまして、大学の性格、目的等を短期大学大学の中に含めて検討されてはおります。しかしながら高等専門学校ができるからといって短大はこれこれすべきものということは、さようなことでありますので、私は考えておりません。
  30. 幡野憲正

    幡野参考人 今の御質問は、高等専門学校というものを肯定をするならば、短大はどうなるかという関連の御質問だと思うわけでありますが、やはり今短大の中でも工業関係短大があるわけです。この工業関係短大では不十分であるという考え方が高等専門学校の考え方の中に当然出てくるわけですから、高等専門学校を肯定なさる方は、当然短大というものはだめなんだ、現在の中では十分な教育ができない、こういう考え方に立つ意見であろうと私は理解をしております。それで私の考えは高等専門学校というのは反対ですのでなんですが、当然短大は、もし期間が短いということであるならば延ばすべきもの、こういうふうに考えなければおかしいではないか、つまり高等学校の段階と大学との段階をどういう形で結びつけるか、ここのところが一番中心点になっての考え方として出されなければ、ほんとうの意味での人間教育はなされないというふうに思うわけです。ですから、この五年制高専の問題は一見短大と関連がないかのごとくに出されておりますが、やはり大きな関連を持つであろう、こういうふうに理解をしております。
  31. 安達禎

    安達参考人 工業教育というのは、何といいますか、非常にひまのかかる教育でして、だからやはり五年やった方がいいという考えでございますので、たとえばそう言っては変ですけれども、何か女子の嫁入りの短大とか、そういうのはもうあれでけっこうだと思っておりますので、決して短大を全般的に否認するという考えは毛頭ないのです。
  32. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 こういうお話をしていると長くなるので、次に移りたいと思いますが、安達先生がおっしゃったように、花嫁学校として短大と家庭科があるのだったら、そういう学校はつぶすべきだ。むしろ家庭教育の中に人間教育を含んだ、ほかの男子、女子を含んだ大学教育という眼目があるからやはりあるのであって、木下先生がおっしゃったように、人間教育というものが重要であるから五年一貫した学校環境が必要だというととからいくと二年の学校はまずいんだという御趣旨のように私は聞いたのですが、まずこの辺でけっこうです。  そこで安達先生の方にお聞きしますが、工業に限って五カ年の専門学校が必要だというお話でありますけれども、水産とか農業とか、こういうものをもし専門学校として必要だという思想からいいますと、工業だけが五年必要で農業とか水産は二年でいいということはどうしても出てこない。従ってこういう法案の思想からいいますと、やはり工業だけに限るというと非常にまた矛盾が出てくる。そして農業とかあるいは水産の短期大学は、家庭科のいわゆる花嫁学校とおっしゃる安達先生の場合ではなくては、やはり職業専門教育でありますが、二年はやはり短いのじゃないか。そうすると工業だけに限るということは、安達先生からいっても、木下先生の御説明の思想からいっても、どうも肯定できないような御思想のように思いましたが、いかがでしょうか。お二人にお聞きいたしたい。
  33. 安達禎

    安達参考人 ただいまの問題は工業専門学校に限られておりまして、それに関して私は意見を述べただけのことでございます。ほかのことは私はタッチいたしません。
  34. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 御意見をお聞きいたしたいのです。
  35. 安達禎

    安達参考人 私はまだそれをよく研究しておりません。
  36. 木下一雄

    木下参考人 私は、工業のほかの学校が設けられるとするならば、同じように考えていいんじゃないかと思います。
  37. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 それからお聞きいたしたいのですが、この工業専門学校を作りますと、新制中学卒業生の進学に非常に便宜が与えられて、いわゆる教育の機会均等が非常に増加する、進学率がふえるということを安達先生も木下先生もともに言われたと思うのですが、教育の機会均等を広げるということは私も大賛成で、民主教育制度としては絶対必要なものだと思うのです。ところが日本一般の進学の心理は、やはり格というものが青少年にあって、学士号がないとかいうことも大きな原因らしい。給与についても別に国がこの専門学校に特別に学資貸与の便宜をはかろうというものでもない。そういうふうな関係からいいまして、どういう学校制度ができたことによって特に進学率がふえるというととは私はどうも考えられないのですが、いかがでしょうか。
  38. 安達禎

    安達参考人 これは意見の相違ですから比較にならぬと思います。私はそう思っております。とにかくどんどん入ってくると思っております。
  39. 木下一雄

    木下参考人 私は、教育の機会を均等にするために、できるだけ力を尽くしまして進学を奨励すべきであろうと思います。進学する希望がないであろうという想像のもとに六百万もあります青少年をそのままにしておくということは、はなはだ不親切なことであるかと思っております。
  40. 原正敏

    ○原参考人 そういう五年制の高専が作られれば、僕は確かに最初は希望者はかなりあるかもしれないと思います。しかしその学校に在学しておる過程において、必ず大学に進学したいという者の数が非常にふえていくであろうということを予測しているわけです。  それからそういう昼間の学校がないと勤労青少年に高い学問を与えられないということなんですが、僕はそうではなくて、一番問題なのは国立大学に夜間の課程が置かれるということと、それから労働時間が基本的に短縮されるということ、しかもそういうふうな企業の中での従業員が、働きながら勉学をするということが実は企業にとってもプラスであるという認識に立って、そういう便宜を与えるということを企業要請するということが一番基本的だというふうに思っております。
  41. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 木下先生は教育の機会を拡大するということはしごく賛成だということですが、ただ工業専門学校を作ったために拡大するということをお考えになっておりますと、私はそうならないのではないかと思う。今言ったように夜間を置くとかそういう点については、これは見解の問題ではなくて、現実にこういう専門学校を置く目的は、教育の機会均等を拡大する制度としては成り立たないのではないかという意味でお聞きしたのですが、何でしたらあとで一緒にお答え願いたいと思う。  先ほど木下先生から御意見を承ったのでありますが、旧制工業専門学校よりも今度の制度の方がいいというような御意見がございました。安達先生の方は旧制工業専門学校と同じというふうに御説明をいただいた。
  42. 安達禎

    安達参考人 やり方によってはよくなると申し上げたのです。
  43. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 その点について私少し疑問があるのでお聞きしたいのですが、旧制の場合にはいわゆる中学校卒業生が三カ年の工業専門学校に入ったわけです。旧制専門学校年限は三カ年。今度は昔の中学のコースを入れた五カ年一つ制度なんですね。ところが幡野先先その他からお聞きして、旧工業専門学校卒業された先生の方も、大学に行ってみると非常に狭い教育を受けたために不便を感ずる。その不便を感じた旧制工業専門学校は、一般教育旧制中学で受けて専門教育を三カ年受けた人においてもなおそういうのであって、五カ年を最初から昔の専門教育のままに詰め込みで狭くやっていくと、さらにその卒業生がいろいろと科学技術者としては固まる者が出る欠点が非常に多くなるのではないか、そういうふうに思うのですが、その点はいかがでしょうか。いま一度御意見をいただければありがたいと思います。
  44. 木下一雄

    木下参考人 二番目の点をもう一ぺん。
  45. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 先ほど御説明いただいたときに、旧制工業専門学校より、今度の法案でできる五年制の工業専門学校の方がよいのだ、すぐれているという御説明がございましたから、その点について少し疑問になるのでお聞きしたわけです。幡野先生の方は、旧制工業専門学校の方の卒業生で、大学工学部にさらに進学してみると、工業専門学校においては非常に狭く教育をされたので、基礎的な科学教育というものに欠くるところがあって非常に不便を感じて困ったという感想を述べられた。ところが、その狭く教育をされて不便を感じられた、応用能力が持てなかったというような意味の感想を述べられた体験者である幡野さんの卒業した旧制工業専門学校は、三カ年なんです。その前の二カ年というのは、旧制中学の広い基礎教育を自由に受けてきたのであって、その点から言ったら、現在の五年を全部そういう狭い専門教育の型にはめるよりは、なお欠点が少ないはずの教育を受けた人が、そういう述懐をされているものですから、その点について、新しい五年制の工業専門学校というのは、旧制工業専門学校より弊害というか、欠点、マイナスが多くなるのじゃないかというふうに私は思うので、お聞きしておるわけです。
  46. 木下一雄

    木下参考人 ただいまの御質問にお答え申し上げます。  日本教育も、旧制専門学校の時代と今日とでは非常な時代の相違がございまして、旧制専門学校では狭い教育を受けたから、今度できる五年の専門学校もおそらく狭かろうと想像いたしますのは、日本教育学の進歩を一つもお考えにならない思想である、こういうふうに考えるのであります。おそらく新しくできます学校は、時代にふさわしい指導方法があろうと思います。それをすぐに詰め込みとかなんとか言うのは、過去の自分の頭で想像するのであって、少なくとも現在の教育観に立ちましたならば、さような御心配をする原因はなくなっているのじゃないか、さようにさえ思います。でありますから、私は五年の専門学校がさような轍を踏むとは一つも考えておりません。  それから次に、先ほどこれの進学の問題につきまして御意見がございました。これは英国の例をもちましてお答え申し上げるのが、現在の日本科学技術教育をこれからどう考えていくかということの立場から参考になろうと思うのです。それは、先ほど申し上げました英国におきましてはイレヴン・プラス・エグザミネーションと申しまして、十一才になりますと中等、セコンダリー・スクールに進みます国家試験のようなものを行なっております。そうしてこれをグラマー・スクール、テクニカル・スクールとモダン・スクールの三つの学校に振り分けるのであります。グラマー・スクールといいますのは、これは大学に進むための一本の教育をいたしております。従いまして、日本でいいますと、中学校の三年と高等学校の三年に相当いたします。六年間のうち初めの三年を主として一般教育をいたしまして、ここでは英語を国語とするほかにフランス語、ドイツ語、ラテン語、スペイン語というような語学を課しておるというくらいに、これは大学に進むコースになっております。それからテクニカル・スクールと申しますのは、これは要するに中堅技術者養成の意味におきましてこれに進ませます。それからモダン・スクールと申しますのは、一般の家庭に中等教育を終えましてから入る、もしくは、就職をするというクラスでございます。この三つのコースにつきまして、それぞれ小学校を終えますと振り分けてしまいます。これは私どもかような制度そのものにはかなり批判が持てるのであります。  ところが先ほど申し上げました一九五六年の大きな改革以来、これは科学技術教育の振興のために、また中堅専門技術者養成の意味からいっても、この伝統的なイギリスでやってきたところの制度には大きな変更を加えなければならぬということで、その三つの制度をとっておりまして、グラマー・スクールに行った者はもう大学に進む課程でありますが、テクニカル・スクールの場合には、要するに日本の中等、セコンダリー・スクールは、三年・三年で六年をいたしますから、テクニカル・スクールに進んだ者はテクニカルとしても六年の教育を受けます。それからモダン・スクールは三年で家庭に入る者もあり、就職する者もありますが、これをこのまま十一才で試験をして、その人の将来の進路をそのままにしておくということは、科学技術教育の立場からいっても非常な損失であるということから、テクニカル・スクールの六年をいたしました者にも、さらにテクニカル・カレッジを設け、先ほど申しましたアドヴァンス・テクニカル・カレッジを設けまして、それぞれの専門技術者にまで進み得る道を開きました。グラマー・スクールは当然で御説明の必要はございません。さらにモダン・スクールも十一才で試験をした者を袋小路にするということは、国の教育としての非常な損失であるので、十一才でモダン・スクールに進んだ者も、さらに進んでセコンダリー・スクールの課程を三年やった上で、その中からまたいろいろ適性検査をして、すぐれた者があるならば、それぞれ適材適所に才能に応じた道を選ばせなければいけないということで、イギリスではグラマー・スクールの者にも、テクニカル・スクールの者にも、モダン・スクールの者にも、あらためてゼネラル・サーティフィケート・オブ・エデュケーションをいたしまして、つまり三つの学校、セコンダリー・スクールの五年もしくは六年に達した者に対しまして、一斉にゼネラル・サーティフィケート・オブ・エデュケーションをいたしまして、これに合格をいたしました者は、たといモダン・スクールに進んだ者にいたしましても、向こうの総合大学への道も開きますし、テクニカル・カレッジヘの道も開くようにやっております。数年の間モダン・スクールに参りまして、いわゆる家庭に入り、あるいはセコンダリー・スクールを三年で就職をするというような者には、できるだけ進学を奨励いたしまして、そうしてモダン・スクールを通りました生徒でさらに四年、五年と在学いたしまして総合大学に進む者も、あるいはテクニカル・カレッジに進む者も相当出てきております。この試験に合格する者がありまして、英国においては、さようにモダン・スクールに進んだ者に、大学への進学の道を開いたところが、相当の受験生もでき、それに合格する者もできて、これはモダン・スクールにおいてどのくらい大学に進む合格者を出したかということの統計が出ております。この統計はちょっと持って参りませんでしたが、しかしながら、明らかにこの数年間におきまして、科学技術教育の立場から、セコンダリー・スクールも大きな役目を果たさなければならない、それにはモダン・スクールまでも一緒にしてこの計画の中に入れなければならないという立場からいたしまして、さような統計にもはっきりその進学の数の増したものが出てきております。おそらく日本におきましても、私は奨励の仕方によりましてはどんどんと進学者が出てこなければなりませんし、また進学の道を開くということによりまして、教育の均等の機会を与えるという線に全力をあげるべきだと思います。でありますから、見込みがないとは私は考えておりません。
  47. 幡野憲正

    幡野参考人 今木下先生から、旧制高等専門学校教育があまりよくないというふうに思います、こういうふうなお話がありましたが、先ほど私が申し上げたように、やはり旧制高等専門学校教育には欠陥があった、こういうふうに思っています。ところが今度出された五年制の高専が、旧制高等専門学校と比べてどうなのか、こういう問題が当然出てくるわけですが、その際に、今の高等学校の年代の上に二年つけ加えるわけですから、今の高等学校教育中身高等専門学校教育中身、これを比較してみる必要が当然出てくると思います。もし、高等学校教育中身の中でも若干問題がありますが、一般教育をかなり重視をしているということであれば、それが五年制高専の——五年制を打ち出したことには問題はありますが、考え方はある程度どもと一致をしてくる。つまり三年間でおさまりはしいなか。それで方向としては一般教育重視をした科学技術教育、こういう中身になると思うわけですが、残念ながら比較をしてみますと、非常に単位数がふえている。ふえ方専門教科に全部片寄っています。工業の私の学校教育課程と五年制高専とを比べてみますと、合計して八十二単位ふえています、八十二単位というのは、二年間ふえているから当然だ、こういうことになりますが、工業単位が五十九単位ふえています。一般教育が二十五単位、この二十五単位のうちの半分が外国語がふえている。こういうことですから、あとの自然科学などはほとんどふえていないわけです。そういう基礎の上に立って、専門教科が五十九単位もふえている。つまり増加した単位のうち七割以上を占めている。こういうことになりますと、旧制高等専門学校よりも、もっとあるいは程度は悪くなるのではないか、こういう懸念を当然持たざるを符ないわけです。なぜかと申しますと、基礎的な一般教養というものが十分なされないままに専門教育をさらに積み重ねる、こういうことがとうてい無理ですから、勢い実習による経験主義の技能教育、こういう形に追い込む教育になっていくだろう、こう思っているわけです。ですからその辺のところを十分検討をしていただきませんと、これからの技術教育あるいは科学技術教育の振興という面での見地から立てば非常に心配内容である、こう言わざるを得ないわけです。
  48. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 恐縮ですが、あと一、二お聞きいたしたいと思うのですが、なお、今木下先生から英国の学校制度をお教えいただいて、よくわかるところもあるのですが、日本の現在の法案の出し方は、全体を検討して出さないで、部分的に出してくるわけです。英国の今お教えいただいたような全体と有機的関係のある学校制度を一まとめにして検討を加えて、日本にはこれが合うんだといって、学校制度調査会というものを作って、さっと出るのでしたらこんな論議にならぬのじゃないか、今のようにぽつんと五年制の専門学校法案だけがでてくる。そういうときに、こういう例も確かにあるんだと言われても、全体を押えずにそれだけ持ってくれば、マイナスばかりになるんじゃないかと思うので、われわれは国会の中においてそういう悩みを持っている。出すならば全部検討して、六・三・三制を全部検討して、その中に二本建の行き方についても考えてくるならば、自民党でも社会党でも、そう最初から共通の広場を持たないことはない。こういう出し方の中に——盲腸のような出し方をするのですね、これについては、学校制度そのものについて、ヨーロッパの各地方を御検討されておるとするならば、ぽつんぽつんと出されるということについては、木下先先も御賛成なさらぬのではないかと考えますが、それをちょっとお聞きいたしたい。もし工合が悪ければ、答えないでけっこうです。
  49. 木下一雄

    木下参考人 私の申し上げました中に短期大学に触れまして、現行日本高等学校中学校等についても頭の中に置きまして、意見を述べておったつもりでございましたが、もし足りませんでしたら……。
  50. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 そうですが、ありがとうございました。  次に、今普通に、大学卒業者が高級科学技術者という概念でわれわれ論議しておる。そうして工業高等学校卒業生中級技術者だ。しかし足らないから一年間ぐらい専攻科を置くとか、そうして職業高等学校は、いわば水産にしても四年制にしてというような論がだいぶあるのですが、その大学でもない、工業高等学校でもない、今度は高等専門学校が出てきますと、三段階になりますね、われわれとして非常に問題になるのは。いわゆる高級科学技術者、それから中級——科学が入るのですか、今度は技術者、そうすると、工業高等学校技能者になるのですかね、何か工業灘等学校というものは存在価値がどこかへ行ってしまって、三段階になる。しかも企業内の職業訓練が一方に強調されてきておるので、いわゆる技能者として四段階になっておる。そういうふうな科学技術者養成が、日本の実業界の要望にこたえるゆえんでもないし、それから教育政策としても非常に差別的なものが入って参りまして、企業内においてもおそらくその三通りの階級、こういう言葉を使ったら合わないかもしれませんが、そういう段階の中に、技術者一つの意識統一もなかなか困難になってくるというところに、根本の問題があるのではないか。そこで日本の場合には、大学卒業して応用能力を持ち、技術革命にも即応し、ヨーロッパの技術にただ模倣するだけの能力でなしに、日本産業界から新しい技術を発見していくような、そういう指導的な科学技術者養成と、それから現在の工業高等学校に、必要なら一、二年専攻科を置くとか、あるいは四年制の工業高等学校にするとかして、ここにいう中堅技術者というものを作って、そうして一つ企業内の指導する者とされる者、そうしてその間における統一した技術者一つ企業内における集団——といえばなんですが、そういうものを作ったらうまくいくのじゃないか。中間的なものを置きますと、大学卒業生には劣等感を感じ、工業高等学校卒業生には優越感を感ずる。そしてへんな三つの段階ができて処置がなくなるのではないか、これが科学技術者教育についての私の根本の悩みなわけです。そこで先ほど御説明いただきましたお話を聞いておりますと、工業高等学校を充実すればそれでいいんだというふうにも、四先生のお考えがみなそこに落ちついていくんじゃないか。特に大学工学部卒業生工業高等学校卒業者の間に中間的な、新しい第二次中堅技術者ですか、そういうものを作るということについては、御賛成をされていないのじゃないかと私は受け取ったのですが、その点はいかがなものでしょうか、木下先生から一つ……。
  51. 木下一雄

    木下参考人 私は、技術者といたしましてそれぞれの場に応じた名前を持ってしかるべきじゃないかと思います。同時にまたその場に応じて、その場において非常にすぐれておった者が、やがて今度は指導的立場において専門技術者になってもいいのじゃないか。そこに固定するものでないということを考えておりますので、私の申し上げました意見最後のところに、たとい高等専門学校ができても、その高等専門学校についても、それから四年の大学に進むということも可能であるけれども、さらに一貫したテクニカル・カレッジやアドヴァンス・テクニカル・カレッジを考える。あるいは工場、あるいは技術者と連絡をとった実際に即するいろいろの施設を考える必要もあるということで、五年制の高等専門学校ができたならば、それで事終われりという申し上げ方はしなかったように思うのであります。  それからここにイギリスの「テクニカル・エデュケーション」という冊子がございます。これは昨年暮れもらって参りましたのですが、ただいまお話の中に出てきますデフィニションというものがございまして、そこにテクノロジストというので定義いたしております。それからテクニシャンというもので定義いたしております。それからクラフトマンというので定義いたしております。おそらく今ここで御質問に出て参りますのはテクニシャンの問題、しかしテクニシャンはやがてテクノロジストにも進む道はある、こういう考え方、しかし一応このイギリスの「テクニカル・エデュケーション」におきましても、そのような定義をいたしまして、そして進めているようであります。
  52. 原正敏

    ○原参考人 たくさんの技術者の段階があるのが企業にいいかどうかという質問があったのですけれども企業としてはたくさんな段階があった方が都合がいいだろうと思います。企業の方にはたくさんの段階があるわけですから、そのたくさんの段階に応じた教育がなされるということは企業にとっては当面非常に便利なものだ。今五年制高専の場合、それから今イギリスの例が話されたのですが、その場合でもテクニシャンとかテクノロジストになっていくというふうなことが言われておりますけれども企業の中ではむしろそういうことよりも、一ぺん何かそういう職階がきまってしまうと、その職階の中から動かないことの方を企業が望まれている、そういうものではないかと思うわけです。その一番典型的な例を言いますと、これは定時制工業高校生徒の例でございますけれども、ある企業で全日制の生徒がとれなかったので、定時制工業高校卒業者でもいいから、ぜひいい生徒をよこしてくれ、何べんもこういう話があったわけです。企業の人事の担当者とも合ったわけです。そこで定時制で成績が一番いい生徒を推薦した。ところがその生徒というのは実はその企業に働いている生徒なんです。この生徒は優秀かもしれないけれども、これは困るのだ。それより下でもいいからほかの生徒をよこしてくれ。これがやはり企業一つの労務管理的な人事管理的な面を現わしていると思うのです。ですから、高専出が上の段階に上がるとか、工業筒等の卒業者が違ったランクになるということは、ある意味では、純技術的な意味でいえば望まれていることかもしれぬのだけれども、人事管理的な面でいうと、そういうものは望まれていない。そういう矛盾した性格を持っていると思います。
  53. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 工業高等専門学校が必要であるということがはっきりしないものですから、今まで御教示を承ってきたわけなんですが、いま一度認識を深めたいので聞きたいのです。  戦争前は、小学校中学校それから専門学校大学、こうあって、むしろ四段階というより、小学校中学校、そしてその上に三年制の専門教育と四年制の大挙という名のつく専門教育という三段階になっているのじゃないかという感じ、それは、四段階か三段階かは専門家の分類だと思うのですが、戦後になってくると、小学校中学校高等学校、それから大学大学の中に暫定的に二年制と四年制があるというのですから、これは四段階あるいは五段階、準五段階という格好になる。そういうときに、また五年制の専門学校を持ってくるというような行き方をすると非常に煩雑になってくるわけなんです。  最後に私お聞きするのですが、こういう学校制度をもしいじる場合については、たとえばこの専門学校だけについて妥当かどうかという諮問を文部大臣がする場合には、学校全体の制度として検討すべきだというので、その全体の見通しがつくまでは、やはり現在の制度の中で実際の要望にこたえるような方法をとるべきではないかというふうに私は結論的にいつも思っているわけなんです。短大に対して付属高等学校を設ける、この間今国会で成立した法案、そういうふうなことも一つの方法であるし、それから工業高等学校に一年を上にプラスして専攻科をやっていくという手もありますし、この点について、学校制度というものは百年の大計でありますから、基本的な秩序を乱すようなもの、あとに矛盾を残すような方法の出し方でなしに、やはり全体の関連から検討して出していく、そういうことについて先生方の率直な御意見をお聞きして、まだ質問をされる方がありますし、時間がこういう状況でありますので、私は質問をこれで終わりたいと思うので、安達先生、木下先生、各先生にもしお答え願えれば、その点だけ、一言だけでけっこうですからお聞きいたしたいと思います。
  54. 安達禎

    安達参考人 私は率直に申して、今度の工業高等専門学校というのは枝みたいに出てきた、今までのシステムとは別のもので、要するに今まで一本だったのが、二本というほどでもないかもしれぬけれども、とにかく複数になってきたものだと思うのです。私はそういうものはあっていいと思うのですよ。ちっともそういうことに拘泥する必要はない。なぜかというと、教育そのものは要するに国民の福祉をはかるということが一番の眼目でありますし、そうやって役に立つ人間を作って、それを育てていきさえすればいいのだから、形式がどうだろうがこうだろうが、そんなことはかまわぬ。さっきも申しました、私は教育学者でもございません、法律も何も知らぬ男なんです。だから野蛮人の考えでしょうけれども、私はそういう考えです。そんなつまらぬことをくよくよする必要は毛頭ない。いいことは何でもやっていいという意見なんです。
  55. 木下一雄

    木下参考人 現在の制度は小・中・高・大学というふうに、四段階のようでございますが、そのうちの中・高は合わせて中等教育といたしまして、実は三・三というものが中学校高等学校と別々の格好になっておりますけれども、中等教育として一本に考えなければならない、そういう頭で考えます。それから短大とか高等学校大学ができましたりいろいろして、世の中が進んで参っておりますので、ここに高等専門学校を作るということも、やはりこれはどうしても必要にかられてできてきたものであるというふうに考えております。
  56. 原正敏

    ○原参考人 私は一番最初にも申しましたように、あまりにも理想主義的であると言われるかもしれませんけれども、現在ある単線型の学校教育体系の構想をできるだけくずさない範囲内において、しかもそれが含んでいるひずみなり矛盾をできるだけ解決するという形で学校制度を作るべきだ。ですから当面は先ほど言いましたような形で、高専を置くということではなくて、工業高校をどう充実するかということで考えていく方がいいのではないか、そういうふうに思っております。
  57. 幡野憲正

    幡野参考人 私も今まで申し上げましたように、今ある学校体系を簡単にいじる、こういうことでなしに、科学技術教育というものを検討するならば、当然小学校からの教育体系を検討すべきだ、こういうふうに考えております。しかもそれぞれの段階において今日改善しなければならない問題というのは当然あるわけです。その際には学校体系をいじるということでなしに、今の体系の中で改善なら改善を部分的にはかる、その上で十分な全教育体系の中の研究を通じて学校制度なりそういうものを変更するなら変更する、こういう手だてをとるべきだと思うのです。ですから当面技術者が足りない、こういう意見に対しましては、工業高等学校教育中身をもっと研究をし充実をさせる、こういうことをやっていけば、当然技術者の足りないという要請には応じられるのではないか、こういうふうに思うわけです。
  58. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 どうもありがとうございました。
  59. 濱野清吾

    濱野委員長 時間もだいぶ過ぎましたから、二時半まで休憩いたしまして、昼食をしてそれから質疑を続行したいと思います。  暫時休憩いたします。    午後一時三十三分休憩      ————◇—————   〔休憩後は会議を開くに至らな   かった〕