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荒木国務大臣 講師が君臣の道ということを言ったということは、昔はそういうことがあった、今はそうでないということで言っただろうと思う。ばかでない限りはそうだろうと思うのですが、それはそれといたしまして、
教育基本法なり、
憲法についてまでも、もっと日本人の国主的な判断のもとに、
国民みずからのものとしたいという
一つの課題であるということを申しまして、今でもそう思っております。現に
国会を通過した
法律に従って
憲法調査会が成立し、現に
委員が選ばれて数年がかりで検討を加えております。
改正すべきかいなか、
改正すべしとするならばどういう点だろうということでもって調査検討を続けておる。これはしょせん
憲法というものが占領中にいわば与えられたものである。これは厳然たる事実である。しかしそれが現に生きておる以上は、
憲法として厳粛にこれを順守していかねばならぬことは、むろん当然でございますが、
教育基本法もまたその成立の経過等に顧みまして、これは
憲法と違って、GHQ側から英語で書いた、要綱を示されて、それに基づいてやったのではないということは、私も承知いたします。当時の
教育に関心を持たれる権威者の方々が集まって、
教育勅語がなくなった
あと大穴があいたままでいいかどうかという事柄だろうと思いますが、
教育の基本的な目ざすところをきちんときめたがよかろうというので、組織
委員会の方々が
原案を作って、枢密院の議を経て、当時の
国会にかかりまして、
審議されて、
法律として正式に制定され、今日に至っておることは、まさしく疑う余地はございません。ですけれ
ども、私が申し上げたいことは、占領中であって、無
条件降伏であった。日本人の
意思は、
国会を通じても、正しく当然の
国民的
結論が
国会の
意思として、GHQにオーケーを出された範囲では、
通りましたけれ
ども、オーケーを出されないものはやみからやみに葬られて、いわば弾圧せられて、
意思を透徹しないままに
国会というものは運営されておった。そういう状況下において、一言半句てにをはの末に至るまで
原案を
修正することができなかった。意見はいろいろあったと承知いたしますが、そういうおい立ちの記を持った
教育基本法、書かれておることそれ自体一々読んでみて、どこがどうということを私自身は今申し上げる材料もございませんけれ
ども、少なくとも
国民の
意思が完全に透徹して制定されたものでないことだけは確かである。そうであるならば、独立回復後もう十年であるならば、
憲法と同様の
趣旨において、衆知を集めて日本人みずからのものにするという再確認の機会があってもよろしいのじゃなかろうか。しかしそれが
国民の総意によって自主的に検討され、このままでよろしいとなるかもしれない、あるいはある
程度これを
修正する、もしくは補足するということもあるかもしれない。それはそれといたしまして、そういう機会が訪れるまでは、
教育基本法はあくまでも
教育基本法として厳粛なものとして守っていくということが、法治主義のもとにおけるわれわれの心がまえであることは、これは当然でございます。
憲法の立法論的な立場でものをいう、
教育基本法その他の
法律の立法論をいえば、それ自身を軽視しておるかのごとくよく言う人がありますが、そういう見解が私は間違っておる、あくまでも
憲法はもちろんのこと、もろもろの
法律がある限りは、不満があろうとも、正規のものとして完全にこれに従う、これが法治主義の建前だと思います。共産党以外の人はみな私と同感だろうと思っておる次第であります。