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1961-02-15 第38回国会 衆議院 文教委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十六年二月十五日(水曜日)     午前十時五十九分開議  出席委員    委員長 濱野 清吾君    理事 臼井 莊一君 理事 坂田 道太君    理事 竹下  登君 理事 中村庸一郎君    理事 米田 吉盛君 理事 前田榮之助君    理事 山崎 始男君 理事 山中 吾郎君       伊藤 郷一君    田川 誠一君       原田  憲君    松永  東君       松山千惠子君    八木 徹雄君       小林 信一君    高津 正道君       松原喜之次君    村山 喜一君       鈴木 義男君  出席国務大臣         文 部 大 臣 荒木萬壽夫君  出席政府委員         文部政務次官  纐纈 彌三君         文部事務官         (大臣官房長) 天城  勲君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     内藤譽三郎君  委員外出席者         専  門  員 石井  勗君     ――――――――――――― 二月十一日  滋賀大学に工学部等増設に関する請願草野一  郎平紹介)(第二五三号)  大学院生待遇改善に関する請願板川正吾君紹  介)(第三四九号)  同(太田一夫紹介)(第三五〇号)  同(小林進紹介)(第三五一号)  同(河野密紹介)(第三五二号)  同(西村力弥紹介)(第三五三号)  同(平岡忠次郎紹介)(第三五四号)  同(松平忠久紹介)(第三五五号)  同(山崎始男紹介)(第三五六号)  同(山花秀雄紹介)(第三五七号)  同(和田博雄紹介)(第三五八号)  高等学校定時制教育及び通信教育の予算に関  する請願池田清志紹介)(第三五九号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 二月十三日  私立学校振興対策に関する陳情書  (第九号)  小、中学校基準坪数補正に関する陳情書  (第一一号)  公立文教施設整備促進に関する陳情書  (第七〇号)  教育費国庫補助率引上げに関する陳情書  (第七一号)  中学校技術家庭科実施に伴う施設整備に関する  陳情書  (第七二号)  学校給食施設の補助わく拡大に関する陳情書  (第七三号)  豪雪地における小、中学校舎除雪費国庫負担  に関する陳情書  (第一四三号)は本委員会に参  考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  教育学術の基礎問題に関する件  学校教育に関する件      ――――◇―――――
  2. 濱野清吾

    濱野委員長 これより会議を開きます。  教育学術の基礎問題、学校教育等に関する件について調査を進めます。質疑の通告がありますから、これを許します。山中吾郎君。
  3. 山中吾郎

    山中(吾)委員 文部大臣にお聞きいたしたいのですが、たびたび大臣教育基本法改正必要性、あるいは教師倫理綱領について御意見を発表されております。基本的に大臣教育観あるいは教師観というふうなものがおありで、いろいろな御意見を発表されておると思います。その場の思いつきではないと思います。その点について、日本教育行政の最高の責任者であられるので、いろいろな受け取り方を国民がしております。そういう意味において本質的なことを私は慎重に、しかもあげ足とりなんかは考えておりませんので、その点を一つ真摯なお気持お答え願いたい、こう思います。  で、特に私思うのですけれども、文部大臣がいろいろと発言をされておる雰囲気の中に、日教組小林委員長、あの人を殺すとかいう数人の少年少女九州から上京して、しかも福岡県の人もありますから、文部大臣の県である。従ってそういうことを考えてみますると、文部大臣の言動というものがどこかにそういう暴力のムードを作ってしまっているのじゃないかということさえ私は考えるので、一国民言葉でないのだから、思慮分別のない青少年に対して非常に重要な影響を与えておるのではないか。日教組観に非常に片寄った印象を与えておるような部面もあるので、どうしてもこれは慎重に、しかも教育は未来に対する責任を持った仕事でありますから、一片の思いつきであるとか、あるいはちょっと選挙のことを潜在意識に持って言うとかいうふうな問題であってはならない、こう思うので、私はお聞きしなければならない、こう思っております。  それで、まずお聞きいたしたいのは、その教育基本法を再検討する必要があるということを、全国都道府県教育委員長及び教育長合同臨時総会で言われて、その後各地でたびたびおっしゃっておられる。その再検討を必要とする理由をまずお聞きいたしたいと思います。
  4. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 ただいま御指摘のように、全国教育委員長教育長会議の席上でおっしゃったような意味で発言したことがございます。その後も一再ならずあったかと記憶しておりますが、このことにつきましては、国会におきましても、昨年の臨時国会ないしは通常国会に入りましても、一両度御質問に対してお答えしたことがございますが、教育基本法は独立して十年、制定されましてもう十数年経過しておるわけでございますが、その成立過程と申しますか、成立しました当時の日本の置かれた立場、あるいは教育に関する国民的なものの考え方、そういうことを振り返って考えてみますると、ほんとう日本国民良識を自主的に代表するような立場雰囲気において基本法制定されたとは思われない。もとより規定されております箇条ごとの、項目ごと内容は一々もっともなことばかりであると私も思うのでありますが、何かそこに足りないものがありはしないか、少なくとも今申し上げた制定当時にさかのぼって、独立回復後十年になんなんとする今日、日本人の総意として、良識を持った人々によって国民にかわって再検討してもらう意味があるのではなかろうか。これは一文部省が改正して案を作るというほど軽易なものではむろんございません。慎重の上にも慎重を期して考慮さるべきことでありますけれども、少なくとも再検討さるべき重要な課題一つではなかろうか、こういう意味で発言したことがございまするし、またそれと同じ意味で今日も私一個としては考えておるということを申し上げてお答えにいたしたいと思います。
  5. 山中吾郎

    山中(吾)委員 教育基本法というのは、教育宣言のようなものですから、具体的なものを規定しないことが本来の性格だと私は思うのです。文部大臣がたびたび、どうも日本人的なよき日本人を作るというふうな表現その他がないと言われるのは、どうも大臣の腹の底にそういうことがあって、何か物足りないというようなことを表現されておると思うのですが、教育基本法に物足りそうなものを入れますと、私は教育基本法でなくなると思うのですが、いかがでしょうか。
  6. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 御案内の通り教育刷新委員会というのができまして、当時としてそれぞれ政治的にも社会的にもあるいは教育的にも権威のある方々がお集まりになって原案を作られて、GHQアプルーバルをもらって国会審議に付せられたという経過を私承知しておるわけでございますが、もちろん当時といえどもこういう宣言規定みたようなものは、はたして法律という形で制定した方がいいかどうかについてすら議論があったのだということを伝え聞いておるわけですが、しかし一応いやしくも法律という形で教育基本理念基本方針というものが定められておるとしますれば、そのどこがどう悪いのだ、何が足りないのだ、何を加えるべきかということは、むろん私一個の見識程度ではわかりかねますけれども、先刻も申し上げましたように、少なくとも定められた以上は、当時の環境刷新委員会のメンバーの方々といえども、無条件降伏のもとにGHQアプルーバルをもらい得る限度内のことしか規定できないということは、当然念頭にあったと想像されるわけでありまして、仄聞するところによりますれば、委員方々もこんなことも規定したら、あんなことも規定したらということがあったやに仄聞いたしております。そういうことからいたしまして、なるほど人類というか、近代的な国家構成員を育て上げる意味においては一つ一つがもっともなことであると思われるが、もっと日本人みずからのものだというふうなぴったりしたものが欠けておるのではないか。ということは、私の個人的な気持もむろんないではございませんが、当時の審議過程等の話を伝え聞いてみましても、原案を作った方々すらもそういう気持を持っておるようにも聞いておるわけであります。のみならず、これは少し御質問を逸脱するきらいがございますけれども、例の日教組といえども、教育目的人格完成という表現だけでは具体性がない、もう少しコンクリートな表現でないならば、何が目的かということがはっきりしてこないということを指摘してもおります。むろん意図する意味はわれわれの想像外かもしれませんけれども、そういうふうな、最初申し上げた制定当時の置かれた環境、その過程、及びその後これについての識者の気持などをそんたくしつつ、少なくともフリーな立場で自主的に、日本国民全体にかわって権威ある人々にもう一ぺん考え直してもらうべき課題であり時期ではなかろうかということであることは、先刻申し上げた通りでございます。大体、御質問に答えているかどうかを疑いますけれども、以上率直に申し上げてお答えにかえたいと思います。
  7. 山中吾郎

    山中(吾)委員 教育基本法はたびたび大臣もお読みになっておられると思うのですが、前文に「日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、」という一つ国家理念の上に立って、そして第一条の教育目的がうたわれておるのです。この憲法国家理念に基づいて国民教育人間像を明らかにうたっておるのですから、これが日本教育基本として欠くるところは少しもないと思うのです。どうも、人格完成という一つの例を持ってこられたのですけれども、人格完成を目ざすということの内容を、もしこの基本的なものに具体的に表現するとすれば、どういうことになるのですか。日教組反対、賛成とか、そういうことは関係ない。それから、設定するときにはいろいろな意見があるでしょう。あるでしょうが、戦後の憲法の民主的平和的な国家理念というものを前提として、そうして憲法学問の自由と思想の自由という人権が立てられて、そのもとに教育基本法が作られておるのでありますから、具体的な内容を織り込むということになると、これは教育の自由とかあるいは思想の自由、学問の自由を柱としたところの民主的な教育を拘束することになる。教育基本法というものは、こういう形こそ正しいと思うのであって、大臣が今言われておる意見からいうと、何か教育内容まで法律で狭く規制するというふうなのが正しい教育基本法だという思想があるように見えるのですが、その点はいかがです。
  8. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 今一例をあげました人格完成ということですけれども、私自身権威ある一家言があるとは毛頭思っておりません。そういう考えは初めから、このことを研究すべき課題だと申しました当時から、私一個の主観的な立場においてものを申した気持では毛頭ないわけでございます。日教組のことを引用しましたのも、別に他意あって言うわけでなくして、日教組立場からも人格完成という抽象的表現だけでは教育目的規定として十分じゃないという疑義があるくらいである、さらには先刻来申し上げたような成立当時の環境、それを、自主的な立場を完全に取り戻して、いかも新教育実施以後相当の年数を経過した今日、さらにはまた教育の欠陥のゆえに青少年犯罪等がふえているのじゃないかということも世上やかましく言われておるような時期になればなるほど、権威者をもって再検討をしてもらって、よしんば結論が、あのままで一言半句変更する必要なしという結論が出ましょうとも、日本人みずからのものとしてもう一ぺんふるいにかけて、国民的気持を、教育の面において根本的にきちっと姿を正し、安定させるという効果だけを考えるといたしましても、検討すべき課題ではなかろうか、まあこういうことでございまして、私一個として、こうすればいい、ああすればいいという具体的意見は、御披露すべき何ものも実は持ち合わせておりません。検討すべき課題だというそのことだけは、国民の一人として、また教育の場を担当します私の立場において静かに考えましても、そうではなかろうかと思って申したことでございます。
  9. 山中吾郎

    山中(吾)委員 どうも大臣は、青少年不良化とか何かが教育基本法欠点があるから出ているのだというような非常に素朴な認識を持っておられるようですが、とんでもないことだと思うのです。人格完成というふうなものも、この教育基本法に基づいて具体化する、教育基本法を基礎にして具体的教育方針というものが流れてくるので、教育基本法が不徹底だからこういう問題が出ておる、一つ不良少年が出るとかいうときに、すぐ教育基本法欠点があるからというようなお考えは、私は最も素朴な幼稚な考えだと思うのです。内容的にどういう意見もないけれども、とにかく十年もたっているから再検討してみる、教育基本法など十年や二十年で、そういう軽率な単純な気持改正すべきである、再検討すべきであるというような性格じゃないのじゃないですか。たとえば昔の旧制中学学校方針がああいう具体的なことでも、昔の校長は人格完成ということを教育基本に掲げてやってきた。しかも日本教育基本法に、人格完成という具体的な言葉をさらにもっと具体化せいといったら、一体どういうことなんですか。よい日本人ということを腹の中にお考えになっておられる。それで何かこういうものに入れるべきだというお考えのようですから、大臣考えているよい日本人というのはどういう人間像か、一つ意見を承りたいと思います。
  10. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 りっぱな日本人という素朴な表現教育目標一つ表現として申し上げたことはございます。今でもそういうふうに思っております。むろん私見でしかございませんけれども、よき日本人というのは、私は、日本人としてこの島国に生まれ島国に死んでいく、吉凶禍福、栄枯盛衰、ことごとくいわば運命共同体として存在しているのだという認識、そういう考え方に立って日本民族の今日まで歩いてきましたことを正確に知りつつ、世界の諸民族からも、少なくともやれ手先が器用で勤勉だ、正直だ、近代的良識を持った一億になんなんとする大民族だといわれておることは、うぬぼれでなしに聞ける部分がうんとあると思いますが、そういう諸民族から一応認識される程度民族の一人であるという自分自身自覚、そのことの上に立ってさらに前向きによりよき民族の一人として育っていきたいという願い、そういう意識を明確に子供たちに持ってもらうということも、一つのよき日本人としての要素であろうかと思います。同時にまた、この狭い国土ではございますけれども、いろいろ欠点もございましょうが、しかし、四季の移り変わりから、あるいは緑におおわれている姿から、あるいは祖先努力によって、野菜が、くだものが店頭にあふれておる、米はもう十分に自給自足できるくらいにまで作れるようになってきたというがごとき土壌の改良から、あらゆる祖先努力が結集して今日の国土が存在しておると思うのでございますが、そういうことを正確に念頭に置きながら、自分もまた将来に向かってよりよき国土に仕立てるべく意欲を燃やしていくがごとき人間になってほしい。これまた、私は、最小限度の、日本人というものはかくもありたいという要素一つかと思います。同時にまた、われわれは今日もろもろ文化に取り巻かれておる。日本文化そのものも、これまた諸外国から、あるいは諸民族から、今の時点におきましても、世界的レベルに伍してあえて劣らないよきものをたくさん祖先はわれわれに残してくれていると思うのでありますが、そのことを正確に認識し、自分もまた祖先努力に劣らざる生涯の努力をこの面にも注ぎ込んで、よりよき姿で次の世代にバトンを移していきたいというがごとき日本民族としての意欲、これまた先ほど来申し上げることと同じ意味において子供たちに十分認識してもらいたい。そういう自覚を持って努力精進してもらいたい。さような諸要素を少なくとも身につけ、頭の中に入れてくれて、だんだんと育っていってくれるならば、日本人としてよき日本人であると同時に、諸外国民からも引き続いて相当の信頼と敬愛をかち得る民族としてますます栄えていけるのではなかろうか。きわめて素朴な表現であり、むろん要を尽くしておるとは思いませんけれども、そういうことを念頭に置いて教育はお世話していくべきものではなかろうか。こういう意味でよき日本人と私としては意識しておるわけであります。
  11. 山中吾郎

    山中(吾)委員 今大臣がおっしゃることはもっともであって、そのことに少しも反対はないのです。けっこうなことだと思います。それは特定学校長が生徒に向かった教育方針としてはわかるのです。しかし、それと教育基本法の再検討とどういう関係にあるのですか。
  12. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 先ほど来申し上げておることの繰り返しにすぎませんで恐縮ですが、私は、憲法も、これまた朝令暮改すべきものでないことは言うを待たない、教育基本法も、それに次いで基本的な重要なことですから、朝令暮改すべきものでないという性格のものであることはむろん御同感でございます。先刻も申し上げた通り、よしんば、再検討の結果、現在の教育基本法寸分たがわずこのままでよろしいという結論が出たならば、それはそれなりにまたけっこうだ。憲法の再検討につきましても、今法律に基づく憲法調査会を通じて数年越し検討されておりますが、結論がどう出るかはむろん予知できませんけれども、たとい現行憲法そのままで一言半句変えないでよろしいという結論が出ましょうとも、それ自身私は再検討価値があった、こう考えらるべき筋合いのものではないかと思います。教育基本法につきまして言及しましたことも、再検討をしたとして、結果的に今申し上げたようなことになりましょうとも、それ自体再検討効果があったのだという考え方のもとに、再検討すべき課題だと申し上げておることを重ねて申し上げてお答えにしたいと思います。
  13. 山中吾郎

    山中(吾)委員 水かけ論になるようですが、ただ一言だけ申し上げてほかに移りたいと思うのですけれども、今のように、一つの具体的な教育者として、特定学校責任者立場から考えるような意味において荒木文部大臣がおっしゃるならば、私はそれでいいと思うのです。この美しい国土を愛するということを教育基本法改正理由に結びつけるところににあなたの認識に間違いがあるのではないかと思うので、もし教育基本法を再検討すべきだというなら、もっとこの教育基本法内容そのものについて、どうも日本国家理念に相反するものがあるということに触れなければならぬと思う。そうして具体的に教育者が、こういう普遍的な、しかも前文において、憲法の民主的、文化的国家形成者を作るのだということを明らかにうたっておるのですから、この中でおのおの個々の教育者は、いろいろなニュアンスを持つ教育思想を持って、そうして具体的に九州なら九州地域、あるいは東北なら東北地域に即して、封建性の多いところにはその封建性をなくすための具体的教育方針考える、あるいは沖繩地区の人ならもっと日本的な意識を持たすというような教育者としての具体的なものが出ると思う。今文部大臣の言っておるように、そのことを教育基本法改正するということに結びつけるところに間違いがあるのじゃないかと私は思うのです。まず、それをこの通常国会中私はおりに触れていつも大臣に聞いて、その辺を軽率に、教育基本法などをそういう単純なお気持で再検討すべきだということを国民に言うようなことはやめていただきたい。そんなものではないと思っておる。たとえば第一条の教育目的を見ますと、「教育は、人格完成をめざし、平和的な国家及び社会形成者として、」この憲法理念を具体的にいって「真理正義を愛し、個人価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」これだけ具体的にいっておるではないですか。しかも、教育基本法には特定社会を想定していないのだ。具体的に、現在の日本社会資本主義社会である。資本主義社会の中において人格完成し、真理正義を愛するという人間を作るならば、こういう営利主義個人主義自由経済の中においては、個人をとうとぶ理念というものはすぐ利己主義になりやすい社会機構なんです。こういう現実の社会機構の中に、第一条を当てはめて、具体的な教育者は、この個人をとうとぶというものがエゴイズムにならないように具体的教育方針をきめるというのが現場教師の作業だと私は思うのです。そういうものをここへ入れれば教師なんというものは生きた教師にならない。そこで大臣のおっしゃることは、現場教師としての御意見ならばわかるのですが、一国の文部大臣教育基本法を再検討すべきかいなかという理由に持っていくことは、非常に危険であり間違いだと私は思うのです。いま一度よく御検討願いたいと思うのです。  そこで、その底流に流れておるよい日本人ということが、教育基本法と別に大臣がいろいろ発表されており、重大な問題であるのでお聞きいたしたいと思うのでありますが、私は、愛国心というのはよい国を作る心が愛国心だと思うので、欠点のたくさんあるものを直していくというふうなものを含んでいなければ、ほんとう愛国心とは思っていない。愛国心というものは作るものでなくて生まれてくるものだと思っておる。そこで私は、よい日本人というのは、現在の社会機構欠点があれば、その欠点を直して、貧乏人のない、失業者のない、もっとよい愛する日本社会を作ろうというのがよい愛国の精神に燃えた日本人だと思うのであって、現在の社会を肯定するのがよい日本人だとは思わない。従って、社会主義思想を持っておる人も、私は、日本の国をよくする精神から出ておるのであって、よい日本人だと思うのですが、その点いかがでしょう。
  14. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 おっしゃることは論を待たないところだと思います。
  15. 山中吾郎

    山中(吾)委員 それでは社会主義思想を持っておる教師というものに対して、よい日本人だということをここで明言できますか。
  16. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 教育者である個人がいかなる思想を持ちましょうとも、いかなる政治的な動きをいたしましょうとも、その個人としては、自由である。共産党すらも白昼公然と存在を許されておる憲法下において言わずもがなのことである、かように存じております。ただし教育はあくまでも中立でなければならぬということは、先ほど来問題になっております教育基本法も明記してておるところでございますから、教育の場に誠治的な意図を加えることは、これまた申すまでもなく脱線であり、不当であり、違法であると思います。繰り返し申し上げますが、個人が御指摘のような考えを持つこと、そのことは何ら否定さるべき根拠はない、当然しごくのことと存じます。
  17. 山中吾郎

    山中(吾)委員 差しつかえないということでなしに、資本主義が正しいと考えておる日本人だけがよい日本人であるというお考えなのか、社会主義思想を持って、そして日本の国を社会主義国家にしようとする熱情を持っておる人も、よい日本人と積極的にあなたはお考えになるかどうかということをお聞きしているのです。
  18. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 そのことは私がどういうということよりも、今の憲法下におけるもろもろ法律制度日本の指向するところに忠実に従っていくということがなすべきことだと思うのでございまして、社会主義的な考え方あるいは共産主義的な考え方の方もありましょう。ありましょうが、それが教育の場においてこうせねばならぬという結論というものは、民主主義議会主義法治主義の建前をとる日本におきましては、法律制度によってのみ最終的に結論が出るのだ、それにひたすら従っていくということがおっしゃるような方向づけになる、そういうものかと心得ております。
  19. 山中吾郎

    山中(吾)委員 今教師がどうかということをお聞きしているのではなくて、よい日本人ということをしばしば大臣があちこちに発表されておられるから、こういう思想を持っておる者はよい日本人でなくて、あるいは悪い日本人だという、それを含んでおっしゃっておられるというふうな感じが私はするので、教師じゃなしに、日本人として、社会主義思想を持って、そして日本の現代の自由経済よりももっと計画経済に作っていって、働く意思のある者には完全に職場を与えて、働きに応じて相当なる報酬を与えるために、社会主義に持っていった方がいい。この美しい日本国土をもっと住みよい社会にしようとする考えを持っているその人を、よい日本人としてあなたは考えておられるかどうかということです。教師のことはその次です。
  20. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 それは個人々々がどう考えましょうとも自由であり、自由である範囲内において悪い日本人とは断然言えない。社会主義的なことを念頭に置いている者がよき日本人であるかといえば、それだけがよき日本人じゃない。自民党を支持する考えを持っておる人もよき日本人の一種である、そういうふうに心得ております。(笑声)
  21. 山中吾郎

    山中(吾)委員 少し答弁が近づいてきたと思うのですが、私は社会主義思想を持っておる人間だけがよい日本人だ、そんなことをお聞きしているのじゃないのです。そうじゃなくて、とにかく日本の国をもっと住みよい社会にするという考えを持って社会主義社会を建設しようと考えておる者、これもよい日本人一つであるということをはっきり言えるかどうかということをお聞きしているのですよ。それを言って下さい。
  22. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 よい日本人の一種であることは間違いない。ただそれが結論的に、決定的にされしますことは、国会において、国民の総意によって具体化された法律制度のワク内においてそれが具体化する、こう考えておると申し上げたわけでございます。
  23. 山中吾郎

    山中(吾)委員 まあ荒木文部大臣社会主義思想を持っておる者もよい日本人であるということをはっきり言われているので、一応偏見を持った日本人観ではないと考えられますが、たとえばそれが思わしくない日本人であるとちょっとでもお考えになるならば、それは直してもらわなければならぬ。社会党の国会議員は二百十数名おりますが、社会主義社会日本社会に実現することが、もっともよい日本人のための幸福になるという確信を持っておるものですから、そういう者はどうも好ましくない日本人であるという偏見をお持ちになっておるならば、理解が成り立たない。もちろん資本主義社会人間の自由というものを生かすには、やはりこういう欠点があっても、これの方がいいんだとお考えになっている自民党の人も、私はよい日本人の一種だと思うのです。そうして世論の中に、国民の承認のもとに、お互いに日本の国をよくしようと検討しておるのですから、憲法に保障された思想の自由と権利の自由の上に立って教育制度ができておる、その現実の法律憲法の中において具体的に日本人というものを考えるときに、そういう偏見をもしお持ちになるならば、とんでもないことだと申し上げておるのでありますから、その点はっきりと、もし腹の底に何か考えておられるならば言っていただかなければならぬと思います。
  24. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 私の政治的なものの考え方をお尋ねになっておるとは思わないので申し上げましたが、私は政治的な立場から申し上げれば、共産党的な、社会主義的なやり方で日本をよくしていこうと思われることは御自由であるが、われわれの考え方によってよりよくすることの方が、もっと日本がよくなるという確信のもとに、自民党員であることを申し上げます。  事教育に関して具体的な接触面をお尋ねになっておるとするならば、文部大臣といえども、文部省の公務員といえども、教育委員教育長はもちろんのこと、学校教師といえども、大学の先生は一応別としまして、あくまでもそういう政治的な意図を持って教育の場に臨むべきではない。教育の実態に政治的意図を影響せしめてはならない、こういうことでいくべきものと心得ております。
  25. 山中吾郎

    山中(吾)委員 今度は教師のことについてあなたの教師観をお聞きいたしたいのですが、全然思想のない教育というのはぼくはないと思うのです。何らかのやはり人生観とか世界観を持っておる。そうして教壇に立った場合には、いわゆる子供の心理発達段階に応じて、教育の心理化といいますか、これがいいのだ、これが悪いのだという教え方は、これは非教育的であっていけない。しかし思想はあっても思想の自制をして、資本主義社会はこういう長短があり、社会主義はこういう長短があるという偏見のたい全体の説明をして、そうして子供が自由に選択をするというのが教育ほんとうのあり方なのですから、その点について、ある思想を持っている教師だから相手にしないとかいうふうな考えにもし移っていけば、私は教育の偏向ではなしに、教育行政の偏向だと思うのです。現実に日教組に対して相手にしないということは——法律上義務があるないということを私は問題にしていない。文部大臣として日教組を相手にしないというのは、一片の法律論で会わないというならば、これは文部大臣の識見はないと思うのです。会わない理由教育立場でお聞きいたしたいと思うのです。
  26. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 最初お述べになりました、かりに思想問題を教育の場で、小学校で教えていいかどうかということは、どういう指導要領になっているか私には具体的にはわかりませんが、おっしゃるごとく、こういうことがあると真実そのままをゆがめないで子供たちに教える、紹介する、そのことが逸脱しておるとは私は言えないと思います。ただそこに主観を交えて、この方がいいのだと言うことは、少なくとも義務教育課程において言わるべき筋合いのものではない。そういう意味合いにおいて先ほどのことを申し上げたわけでございます。  そこで、私が日教組に会わないとかなんとかいうことでいろいろと批判されておりますが、日教組という職員団体、全国組織の団体の代表者に団体交渉という意味合いでお目にかかるかどうかということにつきましては、そういう立場で双方とも交渉するだけの制度上の裏づけがない、それは越権のことであり、地方公務員法等に定めておる制度を乱るものであるということですから、団体交渉はやるべきじゃない、こう考えております。しからば団体交渉でなしに会うか会わないかということになるわけですけれども、その点は私は事実問題だろうと思います。会おうと会うまいと私の自由であると同時に、日教組の代表者の自由であり、そのときの問題の内容により、環境により、お互いが自由に判断して会うか会わぬかということをやればいい事実問題であって、教職員の団体代表という立場においてお目にかかるべき筋合いのものじゃない。さりとて私は日教組を構成する教師という立場方々の貴重な意見を無視しようという意思は毛頭ございません。いつも申し上げることですけれども、多年現場教師として子供たちに直接しておられる立場で指導要領あるいは教科書等を通じて教えつつ、こういうふうにすればなお教育効果が上がるであろうというがごとき建設的御意見は当然あると推察いたします。そういうことについて教えてやろうということであるならば、これはどなたにでも、いつでもお目にかかってしかるべきものである、こういう気持で今日まで参っておるわけでございます。
  27. 山中吾郎

    山中(吾)委員 今の日教組倫理綱領がある限りは会わないというようなことをあちらこちらに言われたと新聞紙上に得いておるが、それは事実ですか。
  28. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 団体交渉の相手方としてはもちろんのこと、そうでないにしましても、団体の代表者という立場で面会を要求されます場合は、少なくとも今はお目にかからない方で適切である、こういうふうに考えており、またそういう意味で申し上げたことがございます。  ついでながら私がそう申し上げます意味は、日教組という団体としての今までの動きは、私は率直にいって、素朴な国民的な立場からは教師の団体らしくないと印象づけておると思います。各地域におけるもろもろの集団的な行動を通じて、法に逸脱し、あるいは少なくとも不当と思われる言動があったことは幾らでもその例があると私は思うのでありますが、そのことがさかのぼれば日教組倫理綱領にうたうところの——ついでながら注釈を加えさしていただきますけれども、教育立場からする今の日本制度からいいますならば、日教組という全国組織というものは私は任意団体だと思います。結社の自由権のもとに結成された団体であることは当然といたしましても、教育プロパーの課題として考えれば任意団体である。これは地方公務員法に明らかであります。その任意団体がいかなる綱領を持たれましょうとも一言半句私が批評がましき、文句がましきことを言うべきではないことも承知いたしております。ただ中立であるべき教育の担当者として考えます場合、その中に一点だけ見のがしがたいことがあると私は信じております。それは倫理綱領言葉をかりますならば、青少年をこの歴史的課題解決のための有能なるにない手として育成せよという趣旨のことをうたってある。用語そのものからは当然には出てこない考え方と見えますけれども、まさしくこれは共産革命を目ざしてその革命の有能なるにない手として育成せよという意図を持っておると私は判断するのであります。その一点に関する限りは、中立であるべき教育の場に具体的に中立でない姿を持ち込まんとする意図を明確にしておる。そういう意図を持った団体の代表者に、中立を厳守していくべき責任を持った私の立場からお目にかかるべきではなかろう、少なくとも当面適切でない、かように判断いたしまして面会を要求されましたとぎにお断わりをしております。もっとも中央交渉を要求するという御要望であったのでありますが、おそらくあれは団体交渉の意味であったろうかとは思いますけれども、事実問題としてお目にかかるといなとにかかわらず、日教組の今の指摘しました一点は、国民立場から中正なる教職員の団体としての意図をいささかはずれておる、さように私は判断いたしまして、お目にかかることが適当でない、かように存じておる次第であります。
  29. 山中吾郎

    山中(吾)委員 文部大臣はまことに大臣として間違った認識を持っておると私は思う。一国民ならいいですよ。たとえば医師会は任意団体であるが、医師を離れて医療なんというものはない。人命を預かっておる医師会がストをやろうとしておっても、厚生大臣は何とか話し合いをしていこうという。そこに厚生大臣の医療に対する正しい認識があると思う。荒木文部大臣は、日本教師で組織しておる日教組をそういうふうな一片の思想的な理由で相手にしない。子供を教育しておるのは荒木文部大臣ではなくて、現場の数十万の教師教育を担当しておる。それが寄って一つの団体を形成しておるのが日教組であるから、そういうお考えを持っておるならば、なるほど厚生大臣が医師会と話し合いで何とかしようというような熱意を示すと同じように、さらに示さなければいかぬのじゃないか。どういうお考えですか。今のお話は私は文部大臣責任を持っていないと思う。
  30. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 お答え申し上げます。  日教組というのは任意団体と申し上げたのですが、少なくとも日教組の幹部諸公の考え方は、教職員の団体で全国組織である、それは広い意味での職員団体である、広い意味で一種の労働組合なりというお考え方に立っておると思われるのであります。それはそうだろうと思うのですが、そこで政治団体ないしは広い意味の労働団体でないという団体ならば、これは話は少し違いますけれども、少なくとも広い意味での労働者の団体であり、教職員の団体であるというお立場ならば、団体交渉は言うまでもなく、地方分権の教育制度のもとにおいては、都道府県以下の地方教育委員会がお相手申し上げて団体交渉をする窓口はきちんと制度づけられておる。そこでさっきも申し上げました通り、その意味では、職員団体の交渉相手という意味では、制度上も文部大臣がお相手すべきでないのですけれども、団体交渉でないとして、しからば直接の相手をすべき対象は何であるか考えてみますれば、文部大臣にあらずして、たとえば全国都道府県教育委員長評議会というのがあるようですけれども、そういうものが会う、会わぬの第一義的な対象であるのが、これは自然の道理だろうと心得ております。労働組合の団体、おのずから、その団体の行動半径は法律上きまっておるわけですが、その課題に関する限り、文部大臣が事実上でもお目にかかりましても、何らそこに結論は出てくるはずがない。何となれば、教職員の地方公務員としての今の制度下における人事権を持っておるわけではない。給与決定の権限があるわけでもない。その権限のない者が、行政組織の長である者がお目にかかりましても、何ら得るところがないはずでございます。もし、都道府県教育委員長評議会等と日教組の幹部が話をされるならば、何かしらぬ、地方分権制度ではあるけれども、それぞれの特色を盛り込むことが主眼になってはおるが、共通的か何かがあって、それはこうでもしたら、という見当がつくかもしれないとは想像にかたくないのでありますが、文部大臣が権限もなくして、法定事項について、広い意味での労働団体であるという立場からのお話に応じてみても何ともならないのじゃないか、意味をなさないのじゃなかろうか、こういうふうに私は思っておるのであります。
  31. 山中吾郎

    山中(吾)委員 私は、文部大臣考えはとんでもない間違いだと思うのですがね。たとえば、厚生大臣が、医師会というのは任意団体であり、監督権も何もない。ところが、ストをやるというふうな非常な医師としてはおもしろくない、あるいは人命に関することもあえてやろうというときに、日本の医療行政の責任者である厚生大臣は、とにかく会ってその考えを直すとか理解を深めるということが大臣責任であるとした。文部大臣は、今お話を聞いていると、日教組は任意団体であるから、あれは労働組合的であるからとか言ってて会わない。だからこそ会って、あなたの信念を——日本の数十万の組織を持ったこれは教員の団体ですからね、その人と会わないで、何で日本教育行政責任を持つのですか。あなたが厚生大臣ならば、あなたは医師会と絶対に話をしないと言って突っぱねて、医療行政の責任を持てると思うのですか。同じことだと思うので、あなたの言うことは、日本教育責任を放棄していると思うのですが、どうですか。
  32. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 私が今申し上げましたことは、日本教育の根本的なあり方、法律制度上の解釈からして当然そうなるんだということを申し上げておるので、そのこと自体は、いわば公理に属することかと思います。あえて日教組の代表者にお目にかかって、私がそう思っておりますと申し上げねばならないほどむずかしい問題じゃないと思います。これは常識的に、制度に立脚して考えれば、出然しごくのことを私は申し上げておる、そう信じて申し上げておるのであります。  私が厚生大臣になったらどうするかという仮定のことに対しては、お答えはいかがかと思いますけれども、仄聞しまするに、厚生省におきましては、医療、審議会とかいう制度があって、そのメンバーとして当然医師会の代表者が入ってこられて、医師会の意向も聞かねば結論が出ない制度があるやに聞いております。教育の面におきましては、そういう制度はございません。あるとするならば、地方分権の建前上、御案内のごとく、都道府県、市町村等の教育委員会地域職員団体たる教職員組合とお話し合いをする、こういうことになっておりますから、先ほど申し上げましたことは、私は繰り返し申し上げますが、日本教育を論ずるにあたっての常識的な事柄をかいつまんで申し上げたにすぎない、こう思ってお答えしたつもりでございます。
  33. 山中吾郎

    山中(吾)委員 どうも文部大臣考え方は——特に、今法律論を出して、地方分権だから会わない、法律上の義務がないから会わないと言うが、私は法律論など今少しも聞いていないのです。会う必要がないから会わない、そんなものは、それは事務屋なら別です。しかし、日本教育行政の最高責任者であって、あなたからいえば、非常にあやまちを持っておる日教組に対して信念を持っておられる、だからこそ、会って、あなたの信念を吐露して、誤解のあるところは解き、あなたが求めて会って、そうして、日本教師に対して反省を促すべき点は促すのが責任であって、会わないということからはその責任は出ないじゃないですか。私とあなたとここで論議したって、教育するのは教師ですからね。どうも、あなたは文部大臣責任を完全に回避しているという立場しか聞こえない。なぜかといいますと、今お話しになっておる中に、日教組教師倫理綱領の中に、共産主義革命というふうなものを予定しておるということを、あなたは推量をされておる。そういうことを、相手に、ほんとうに話し合って、聞かないで、勝手に推量するなんていうことは、文部大臣としてはまことに無責任だと思う。そういうことを言うから、十七才の少女、少年で小林日教組委員長を襲撃するのだという者が六人も出ておるじゃないですか。文部大臣がそういう右翼暴力のムードを作っておると思うのです。重大な責任です。なぜ会って話をしないのか。あなたの言っていることは私はずいぶん推量が入っておると思うのです。今の速記にもあると思うが、共産主義革命を予定しておるということを、あなたが、教師倫理綱領の中から断定を下されておりますが、これは会って話をしなければ、あなたの責任は重大だと思う。(「文章にあるよ」と呼ぶ者あり)あなたに聞いているのじゃない。
  34. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 倫理綱領の解釈はいろいろな解釈があり得るとは思いますが、私は、倫理綱領の本文とその注釈書である、日教組責任を持って出しております「新しく教師になった人々に」という注釈書をあわせ読みました場合、私が指摘をしました一点だけは、だれが読みましてもそういう結論にならざるを得ない、かように信じております。  それから、なお、法律制度論としてのなにを聞いているのじゃない、そのほかの立場から聞いているのだという仰せでございますけれども、行政の責任者たるものは、常に、いかなる場合といえども、憲法に基づく法律制度に従って行動をすべきものと心得ます。その他の考え方で行動することは不当なる行動だろうと心得るのであります。以上の気持から申し上げておるのでございまして、ほかに他意はございません。
  35. 山中吾郎

    山中(吾)委員 それほどのお考えだったら、会って、なぜ、教師責任者として、考え方が間違っておるということを、あなたが積極的に直していこうとしないのか。これが文部大臣責任なのです。それを回避されて、文部大臣がそういうことを勝手にあちらこちらに言い触らすということは、文部大臣としての責任がないと僕は言っておるのだが、そうじゃないですか。
  36. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 お答え申し上げますが、かりにお目にかかって同じことを申し上げても、あるいは新聞記者諸君にお話ししましても、演説会でお話ししましようとも、これは一つの話す方法ではありましょうけれども、一番責任を持って、今御指摘のような意味でこのことに触れるとしまするならば、国権の最高機関たる国会において責任のあるお話を申し上げることが、最も適切な場かと心得て申し上げておる次第であります。
  37. 山中吾郎

    山中(吾)委員 ここで幾ら論議しても、間接的に文部大臣思想を言っておるのではあるけれども、教師自身に会って、それを実践においてお示しにならなければ、日本教師文部大臣が勝手に何か言っておるということで、私はそれを理解していないと思うし、そうして、あなたのおっしゃることはずいぶん誤解があると思う。たとえば教師の中立性ということを盛んにあなたはおっしゃっておりますけれども、教師の中立性というのは、政治が教育を権力的に支配しないということが私は教育の中立性の核心だと思うのですが、それは戦前の教権の確立という言葉が、戦後教育の中立性という一つ考え方に出てきていると思うのですが、教育の中立性についての大臣の御意見一つこの機会にお聞きいたしたいと思います。
  38. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 これこそが教育基本法に定めている、あの通りだと思っております、
  39. 山中吾郎

    山中(吾)委員 教育の中立性というのは、教師自身が時の権力に支配されないということが一つあると思うのですが、それはいかがです。
  40. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 時の権力が法律制度に基づかずして教師に何かの支配的な効果を及ぼすということはあり得ないと思います。またあらしめてはいけない。これまた消極的ながら教育の中立を守るゆえんだろうと思います。
  41. 山中吾郎

    山中(吾)委員 憲法思想の自由と学問の自由という二つの柱が立っておる。その上に教育の自由というものが間接的に憲法内においては保障されておるのですが、その点はいかがですか。
  42. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 思想の自由、学問の自由は、これは世界一自由な国が日本であると心得ております。教育の自由ということは、私は今の思想の自由などというのと同じ意味においてあるとは心得ません。国民はひとしく教育を受ける権利を持っておる、教師という公務員は教育する義務を負っておるということを考えるのでございまして、少なくとも義務教育、初等、中等教育過程におきましては、特に義務教育過程においては、国民自分の子供を義務として教育の場に通学させねばならないというくらいに厳粛に定められておるわけでございまして、その義務教育過程の場におきましては、私は、教師は国の定める、国民の総意によって、法律制度という形で定められたその線に従って中正なる教育を教壇から学童に与える責任と義務が課せられておる、かように考えております。
  43. 山中吾郎

    山中(吾)委員 大臣お答えは少し私の質問とはずれておるのでして、学問の自由と思想の自由の上に立つから、教育思想の自由というものが間接的には学問の自由と思想の自由の柱の上に立っておる場合は、教育思想の自由というものを間接的に認めておるのだ、教育の機会均等とかそういう教育行政方針のこととは無関係だと思いますが、いかがですか。
  44. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 教師が教える自由を持っておるとは、少なくとも義務教育過程においては一般論としては言えないと思います。きらんとした中正なる基本線を逸脱しないように心がけながら教えねばならない義務を持っておるものが、義務教育過程教師立場だろうと思います。国の施策として、さっきも申し上げたように、国民の総意が国会を通じて発動された法律制度を通じて明確に示される、その基本線というものはあくまでも守らねばならぬ。それに具体的に書いてないものでどういうふうに教えるかについては、それはそれぞれの教師たる一人一人のニュアンスが違うこともあり得ましょうけれども、方向、方針としては、義務教育である限りは、そういう基本線に沿って教える義務と責任がある。国民は義務として自分の子供を学校に出すけれども、北海道から九州に至るまで、持って生まれた能力が同じならば、義務教育過程を終わった時分には、同じ能力を持っておるということを期待する権利を与えられておるのが、私は義務教育の場であろうと思います。
  45. 山中吾郎

    山中(吾)委員 義務教育という概念はそんな概念ではない。父兄が自分の子弟をして九カ年は教育をせしめる義務がある、そして国は教育費を負担するという行政上の概念じゃないのですか。
  46. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 そういう意味で、止まれた場所あるいは生まれた家庭の事情等がどうあろうとも、義務教育はできるだけ同等の教育を受けられるようにするという責任が政府側にあると同時に、そういう教育を受ける権利を国民は持っておる、学童は持っておるという意味でも、むろん御指摘通りだと思いますが、同時に義務教育である限りは、子供が、どこの学校の、どこの地域の子供と比較しても、ひとしく中正な、偏向しない、正しい、そして同じ教育効果を持つ教育を受ける権利を主権者として持っておる。そういう意味において、その線に沿って教える義務があり、責任があることも含んでおると私は思います。
  47. 山中吾郎

    山中(吾)委員 それは、全然文部大臣は義務教育の概念をお知りにならない。義務教育というのは、憲法で国が国民に九カ年の教育をする義務があることを宣言しているのであって、教育内容についてはどこにも概念はない。勝手に大臣がそんな放言をされるので、あっちこっちずいぶん人が間違いを起こしているのですが、どこにそういうことが書いてありますか。
  48. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 私は別に感想を述べているわけではないので、義務教育というものはそういうものだと信じておりますと同時に、制度上もそういうことになっておると思います。学校とか、あるいは学校設備とか、その他のものを国が国民に提供する、その学校という場所で子供たち教育を受ける、その場合に教師国民に奉仕する立場において教える義務を負担した公務員であります。その公務員たる教師は、法律制度に定められた線に沿って教えねばならないと、学校教育法にも明記してあると私は承知いたしております。
  49. 山中吾郎

    山中(吾)委員 どうも、もう少し調べてお話し願えばいいのですが、憲法には国民が能力に応じて教育を受ける権利があると書いてあるので、平等に受ける権利というのは何も書いてない。そこにも大臣の言っていることは間違っている。それから義務教育ということは、教育内容というものに少しも関係のない概念であるということについて、まだ御理解がないようであります。教育基本法とか、どこに書いてありますか、局長に聞きます。
  50. 内藤譽三郎

    ○内藤政府委員 教育基本法には義務教育九カ年ということが規定され、その内容は、どうなるかということは学校教育法に譲っているわけであります。学校教育法では、小学校につきましは、二十条に「小学校の教科に関する事項は、第十七条及び第十八条の規定に従い、」これは小学校目的でございますが、「監督庁が、これを定める。」監督庁は文部大臣として読みかえておりますので、文部大臣教育に関する基本方針をきめる権限があるわけでございます、中学校につきましては、同様に学校教育法に三カ年の規定がございまして、その中で、教育内容については文部大臣がきめる、こういうふうになっておるわけでございまして、この教育内容基本文部大臣責任がある、こういうことでございます。
  51. 山中吾郎

    山中(吾)委員 それは、義務教育関係の小中学校教育基本方針も、高等学校基本方針も、大学の目的も同じことですよ、それは。特に義務教育については、特別に教育内容を規定していると大臣がおっしゃっておるので、義務教育の概念は、九カ年の教育を父兄が子弟にやらす義務と、それから国が責任を持って九カ年の経費を負担してやらす教育だということ以外に何もないでしよう。あなたの説明は何を言っているのですか。
  52. 内藤譽三郎

    ○内藤政府委員 これは先ほども大臣が申し上げておりますように、九カ年の義務を国が課し、保護者は子弟を九カ年小学校及び中学校にやらねばならぬ義務を課せられておる。これに違反した場合は罰則を受ける。こういうことでございます。しかし義務教育というものは非常に大事なものであるから、内容につきましては、基本文部大臣が定める、こういうことでございます。
  53. 山中吾郎

    山中(吾)委員 それは国民教育ですから、大学から小学校まで教育目的基本法の第一条にあり、それを具体的にまた学校教育法で、大学の目的はこの目的だとして規定している。私は少しもそういうことを聞いているのではないのです。ただ大臣が、義務教育ということから、教師内容的にも特に拘束されておるということを、法律的に、制度的にそうなっておると言うから、それは間違いだ、どこにもないのだということを私聞いているわけです。そこで義務教育教師高等学校教師、大学の教師ということの中に、そういう教師としての義務の差別はないのだと私は理解しているのです。いま一度お聞きします。
  54. 内藤譽三郎

    ○内藤政府委員 政治的中立性については、特定の政党を支持し、または反対する活動及びその他の政治的活動をしてはならない。この点については小学校から大学まで共通でございます。ただ教育内容につきましては、小学校中学校高等学校、すなわち高等学校以下については文部大臣責任があるわけです。その教育内容基本をきめる。それが具体的には指導要領という形で出ておるわけであります。ところが大学につきましては、目的だけ出ておりまして、内容については大学の管理機関にまかされておるというのが実情でございます。
  55. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そうすると、高等学校は義務教育じゃないでしょう。義務教育高等学校と別に何も変わったことはないでしょう。大学は学問のうんちくをきわめるところだから、大学の自治というものが日本の明治以来の教育慣行の中に不文律に確立されておるから、それは大臣が大学の自治にまかしておるのだろうと思うのです。だから義務教育というものに特別に偏見を持って、教師を特に拘束するとかという制度はどこにもない。これで明らかでしょう。大臣もお聞き願っておかなければならぬ。そういう偏見は、私見じゃ困るのです。制度としてはっきりしておかねばいかぬ。
  56. 内藤譽三郎

    ○内藤政府委員 教育内容基本をきめることは高等学校以下文部大臣に権限がまかされておる。この点については問題はありませんが、先ほど来申しますように、義務教育については国が責任を持っておる。この点は高等学校とは若干趣を異にしておると思います。ですから施設についても、あるいは設備その他の教材につきましても、教員の給与につきましても、あるいは教育内容につきましても、他の種別の学校と異なって国の責任でございますから、国が力を入れていく、こういうことでございます。
  57. 山中吾郎

    山中(吾)委員 ほかのことを答えておられるので、それでけっこうですけれども、それは経済的に負担をして、そうして満六才から全部が収容できるように国が責任を持っているという意味なので、僕の聞いているのとは違うのです。そういうように答えなければ工合が悪いから答えられていると思うのですが、大臣、義務教育という教育内容に特別に差別はないですよ。おわかりですか。
  58. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 先刻お話に出ました中に、国民はすべて能力に応じて教育を受ける権利を有するということの解釈についてお話がありましたが、この能力に応じてというのは、持って生まれた能力であろうと思います。あるいは経済的条件もからむかしれませんが、大学に行きたいという者は行ける、高等学校に行きたいという者は行けるということであって、義務教育に関する限りは、もうおしなべて、親は学童が適令になったら学校に出さねばならぬと義務づけておるという意味で、他の学校と違う意味で申し上げたことを申し添えさせていただきます。  なお、今政府委員からお答え申し上げた通り初等中等教育につきましては、国が責任をもって教育内容基本を定める責任を負わされております。この責任を負わされて定めましたその基本線には、教師たる者はこれに従って教育をせねばならないと、義務づけられていると了解いたしております。
  59. 山中吾郎

    山中(吾)委員 大体今のお答えならば、何も教育内容には関係ない。義務教育の概念は、教育内容には関係のない、いわゆる行政上の概念であるということは御理解になってお答えになったのでしょうか。間違いないですか。
  60. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 教育内容とおっしゃることが明確には理解できませんけれども、今申し上げました通り、いわば大学においてはいかなることを教えようとも、教育内容は自由である。そういう建前かと思います。初等中等教育におきましては、未成年の、ことに義務教育課程におきましては、学校ごとにちくはぐな勝手気ままな教育が行なわれることは、義務教育もしくは未成年者教育に適切ではないという角度から、教育課程指導要領等を制定する責任を法は文部大臣に負わせております。そこでそれを受けまして、もろもろ審議会等権威者を網羅した人々によって検討され、定められましたものを受けてこれを公示する。その公示された線に従って教育が行なわれねばならないという意味においては、基本的に教師の教うべき教育内容そのものが定まる、こういう意味においては、教育内容について大学の先生と同じには参らない、かように理解しておるわけであります。
  61. 山中吾郎

    山中(吾)委員 どうもくどくなって申しわけないのですが、その点は高等学校教育も同じはずなんです。義務教育だけをおとりになるから、私は御理解願っていないのだと言っているのですが、今のお話も、大臣がそういう何は、今局長が説明したように、高等学校も含んで、同じ文部大臣の権限があるのだ、従って義務教育だけがあるというところに偏見が入ってくるので、そのお考えが事実に合わないから、私はお聞きしておるのですがね。
  62. 内藤譽三郎

    ○内藤政府委員 大臣が義務教育について特別に重視していらっしゃいますのは、義務教育学校の政治的中立性に関する法律がございますが、高等学校学についてはそれは関係ございませんので、義務教育の諸学校においては、政治的中立を確保する特別の立法がされていますので、その点を強調されたものと考えます。
  63. 山中吾郎

    山中(吾)委員 その中立性というのは、外部の団体が義務教育の方に干渉してはいかぬという内容じゃないのですか。その教育そのものの規定じゃないでしょう。いかがでしょうか。
  64. 内藤譽三郎

    ○内藤政府委員 現場教育が、特別の偏向教育が行なわれてはならない、そのために罰則は、これを教唆扇動した者に課することになっておりますが、教育の趣旨は、小中学校の義務教育課程においては、偏向教育はこれを特別に取り締まりをしておるわけでございます。
  65. 山中吾郎

    山中(吾)委員 その偏向教育というのは、教育基本法からはずれれば、これは全部義務教育だけでなしに、高等学校だって何だって、偏向教育なんです。だから教育の偏向というのは、教育基本法的な概念だと思うのです。だから、その法律の中心は、外から力をもって教育を偏向さすものを処罰するという目的でしょうが、それは義務教育だけじゃないでしょう。
  66. 内藤譽三郎

    ○内藤政府委員 お話の通り学校においては特定の政党を支持し、また反対するための政治教育、またはその他の政治活動をしてはならない、こういう規定が基本法から出ております。これは大学から小学校まで全部同じでございます。ただ義務教育の諸学校に関する法律の趣旨は、お説の通り、外部の者が働きかけて、そうして小中学校教育に偏向を起こしてはならない、こういう趣旨でございます。
  67. 山中吾郎

    山中(吾)委員 それでは義務教育だけどうして取り上げるのですか。事実上あぶないとか、心配するのは勝手だから、それはいいのだけれども、制度の問題で言っているのだから、そうじゃないか、何も……。
  68. 内藤譽三郎

    ○内藤政府委員 ですから、政治的中立性を確保することは、小学校から大学まで共通でございます。しかしながら義務教育学校についての政治的中立性の確保に関する法律が出たゆえんのものは、義務教育というものは、国民教育として最も大事なところであるから、特にこの点については 罰則をかけてまで中立性を確保しよう、こういう点でございますので、他の種別の学校とは趣を異にするものと考えております。
  69. 山中吾郎

    山中(吾)委員 腹の中ではみなわかっているのだろうと思うから、それでけっこうです。  そこで、きょう私は大臣に全部質問する気はないので、一定の時間がくれば保留してやめますけれども、日教組教師倫理綱領について、教師は労働者であるという一つの規定があるのですが、これについても、大臣は綱領を変えないと会わないという理由の中に入っているのですか。
  70. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 そのことをことさらに取り立てて申した覚えはございません。ただ労働者であると規定をしてあるその労働者の意味が、プロレタリア、ブルジョアジーの対立概念として理解される労働者ということを意図して書かれておるやに私は読みますが、そのことだけでもって、かれこれ申し上げた覚えはございません。その基本理念の上に立って、具体的に教育の場に影響を及ぼさんとする意図を明らかにしておられる部分が、教育の中立という立場から、見のがしがたき点だ、こう申し上げておるにすぎないのであります。
  71. 山中吾郎

    山中(吾)委員 教育基本法にも勤労を重んずるという言葉があるのですが、労働を重んずる、勤労を重んずるならば、労働者も尊重しなければならない。そうでないと、ほんとうの民主的な思想にはならないと思うので、教師がそんな特権的な教育者という、昔の選ばれたる人間という意識というものを捨てて、われわれは勤労によって報酬を得ているところの労働者なんだという非常に謙虚な規定であろうと思うのです。また、今、大臣は勝手に推量されましたが、それなら、それだけそうでないように思われるというふうに言われるのですから、だからこそ会って、これはどういう意味だということを話し合うということが必要じゃないか。さらに文部大臣がそういう言葉で、ある程度の疑いを持っておられるから、会って話をしなければならぬ責任があると私は先ほどから主張しているですが、今私が申し上げた意味の、教師が労働者であるということは、選ばれたるいわゆる特権的な教育者でないのだという意味に私は解釈しておる。だから、ここでも二通りの解釈があるのですから、こういうことでも、それだけ天下にいろいろのことを言われておるのですから、私は日教組にお会いになってお話する責任があると思うのですが、いかがですか。
  72. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 おっしゃることはわかりますが、それは日教組の幹部に会ってお尋ねしなくても、「新しく教師になった人々に」という注釈書を読めば、もうお尋ねするまでもなく、はっきりしておりますから、その点だけについてお尋ねするために会わねばならないとは思いません。労働者の定義がいかにありましょうとも、当初申し上げた通り、広い意味での教職員団体、すなわち広い意味での労働組合の一種である日教組が、そういうことを意図しておるであろうということは、推量にかたくないのであります。それにいたしましても、会う会わないの問題は、当面の相手方は全国都道府県教育委員長協議会というものと会って話したいと言われるなら、わかるけれども、給与決定権もなければ人事権もないところの文部大臣に会って、何を話さんとなされるのか。政治問題を話されるというなら、それは国会でなさったらよかろうと思いまするし、建設的な意見を聞かせたいというならば、書いたものをちょうだいして、十分研究しろと送り届けていただけば、これは日教組に限らず、いかなる団体、いかなる個人でありましょうとも、そういう形で一般に教えてもらっておるその例に従っていただけばいいのじゃなかろうか、こういうふうに判断して今日までの行動をしておるような次第でございます。
  73. 山中吾郎

    山中(吾)委員 かりに今大臣が推量されておるような意図が、あの綱領の中にあるとしましても、これは日本教師だけの団体で、そうして数十万の、そこに教師以外の人はだれもいない。あれは日本教師の団体です。そうして教師がそういうことをきめるについては、いろいろ内部の論議もあったでしょう。しかし団体としては一つの機関決定で、ああいうふうな一つの規定ができておるわけです。こういう基礎を持っておる。従ってそういう教師がどういうきめ方をするかしれないということは、組合あるいは団体内部の自治の問題であって、あなたが干渉すべきものではない。ところが日本教師全体の団体なのでありますから、文部大臣はそういう考えを持っておるから会わないということでは、文部大臣立場というものをみずから捨てておるのじゃないかと思います。そこの認識考え直さないと、文部大臣はすでに机にすわっておるだけになってしまうじゃないですか。どうなんですか。
  74. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 かりにお目にかかって、何のために、何を話すかということを想像してみましても、私の中立なるべき教育責任者という立場、及び広い意味での労働組合の代表者の行動半径を念頭に置いて想像してみましても、何のためにお目にかからなければならぬかがはっきりしない。今まで私が接触をしました限りでは、中央交渉に応ずることを要求するという御要望であります。それはお互いに資格がない。そういうことをやるべきじゃない。さらに、なるほど教師だけの団体だとおっしゃいますが、その通りだろうと思います。その団体がいかなる綱領を持とうと御自由であることも、お説の通りだと思う。その点に私は一点の干渉がましいことを言ったことがない、また考えたこともない。ただ申すことは、現実に中立であるべき教育の場に具体的影響を及ぼさんとする意図をはっきりと明記しておられる。そうしてそれに従って行動してきました数年来の実態、それを念頭に置いた場合、そうしてまた最初申し上げたように、広い意味の労働組合の代表者と何のために会うかということを考えましても、その事実問題につきましては、今としてはお会いしない方が適当である、かような判断のもとにお会いしないというだけでございます。
  75. 山中吾郎

    山中(吾)委員 中国に対する静観主義と同じようなことばかりおっしゃっておられるけれども、どうしても大臣がそういう考えで押し通すならば、これはやむを得ないでしょう。文部大臣がこのままで静観をしておるということは、国務大臣責任を感じていないと私は断言せざるを得ない。  そこで、それならば、さらにお聞きいたしたいのですが、教師というものは、よい人間を作るのが任務だと思うのです。よい人間を作るためによい環境を持つのは、私は自然の教師責任から出る関心であり、むしろ責任の延長だと思うのですが、その点はいかがですか。
  76. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 それは教師に限らず、子供たちの親も教育委員会も、教育長も、文部大臣以下の公務員もみんなそう思うべきであると思います。
  77. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そこで、よい人間を作るために、ある教師が、現在のこういう個人主義的な自由経済の中にあくどい営利主義がはびこって、不良文化財という映画が横行する、それからみんな人間利己主義になり、遊んで食っておる者もおる、働いても食えない者もおる。現在の資本主義社会は、教育環境として見た場合にはまずい、これを改めなければならぬと考えることは、教師として当然じゃないですか。
  78. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 教師個人がそういう一種の政治的な考えを持つことは自由でございましょうが、その自分個人は自由であるからといって、それを教壇から判別力のない子供たちに、そういう方向づけをする意図を持って教え込むことは偏向教育だと思います。
  79. 山中吾郎

    山中(吾)委員 私もあとの方は賛成です。教壇に立って、子供に計画的にそういう思想を押しつけるというような教育は、これは反対です。従って、日教組という団体は、子供に向かった組合、団体ではなくて、いわゆる勤労者としての賃金を上げるとか、あるいは日本の政治に対してもっとよい社会を作ってくれといって向かっておる団体であるのであって、教壇に立った個々の教師はそんな革命的な教育をしておりません。お調べになったのですか。
  80. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 まあ綱領が何を書こうと自由であることは先刻も申し上げた通りであります。従って広い意味の労働組合である日教組の組合員のおきてとして何を書かれようと、その限りにおいてはあれこれ申し上げることはないのでありますが、組合員である以上はおきてに従わねばならぬとするならば、共産革命のにない手として有能なものに育成せよと組合員に要求する事柄は、それは組合員相互の綱領ではありましょうけれども、それに従って行動せねばならない、組合員としての責任を要望している以上は、具体的に中立であるべき教育の場に影響をもたらすおそれがある。そういう意味で妥当ではあるまい、こう申し上げておるのであります。
  81. 山中吾郎

    山中(吾)委員 ずいぶん独断が入っておると思うのです。共産主義革命を目ざしておるという、一体数十万の日教組の組合員の中に共産党員は二、三千名くらいしかいないじゃないか、一%に満たない。(「共産党だけを言っておるのじゃない」と呼ぶ者あり)それじゃ、何を言っているか。われわれは平和的に社会主義革命を考えておるのですが、大臣は共産主義革命を目的とした組合だということを断言されておりますけれども、どうしてそういうことが言えるのですか。
  82. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 これはさっきも申し上げましたように、倫理綱領並びに「新しく教師となった人々に」、ともに日教組責任一般の問題でありますから、それを読んでみまして、言葉こそソーシャル革命、共産革命とは書いておりませんが、その意図するところは私が申し上げる通りであるということは、常識人ならば、これを通読してみて、そういう結論に到達せざるを得ない、そういう意味合いにおいて、私は申し上げておるのであります。
  83. 山中吾郎

    山中(吾)委員 それは重大な独断だ、こういう国会委員会の席上でおっしゃって責任をお持ちになれますか。
  84. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 私はそう信じております。
  85. 山中吾郎

    山中(吾)委員 これは大へんなことだから、またあとで速記録を見てどうすべきか検討したいと思います。一体現実は、そういうことは絶対ないと思うのです。少なくとも現在の日教組の中に、教育環境として、現在の資本主義社会を批判しておる勢力が非常に強い、これは明らかです。それから社会主義社会というものに、教育立場からみんなが幸福に、みんなが教育の機会等が与えられるというふうな、そういう人間尊重の精神から、大体団体のどこかの精神には、社会改造の精神はあると思うのです。それ以上のことは私はないと思うのです。数十万の中に二、三千人は共産党員がおります。その一%以下のそういうものをもって日教組全体をあなたが断定を下されておる。そういう重大なことを非常な偏見を持っておっしゃっておられると思うのですが、そういうことがまた日教組に対して一般の国民が偏見を持って、小林委員長につきまとっておる少年、少女が五、六人も出てきておる。そして小林委員長にもしものことがあったら、荒木大臣責任だと思うのですよ。そういう共産革命なんてほとんど考えていないですよ。  そこで、私は教師というものは当然に政治に関心を持つべきものだと思っておるのです。日本教育史の中で一番偉大なる教育者ば吉田松陰だという常識が日本教育史にあるのですが、大臣は吉田松陰はよき教育者だと思いますか、悪い教師だと思いますか。
  86. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 吉田松陰を批判する基礎常識を持ちませんので、お答えになれません。遠慮させていただきます。教師が特に政治意識が強いとおっしゃいますが、それはちょっと断定的には言えないと思います。日本国民たる者、何人たりといえども、よりよき政治への歩みをいたすべく関心を持つのが当然のことであって、教師だけの問題ではなかろうと思います。
  87. 山中吾郎

    山中(吾)委員 吉田松陰がよい教師であるかどうかはお答えできないというふうなことでは、今の教師の批判をすることはできないと私は思うのですが、いかがでしょう。
  88. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 もうなくなった方のことは私は申し上げても意味がないと思って、現に生きておる、現に教育の場におられる先生方を中心に、その職員の団体を中心に申し上げたのであります。御指摘通り、衆議院でもこの前の国会で明らかになりましたように、三千人余りの共産党員がおって、日教組の中に、中央・地方の幹部として活発なる活動をしておるということははっきりしておるのであります。世間ではもっと多いだろうといいますが、正確に指摘されたのは三千人余りということであった。だからみんな日教組構成員が政治的意図をそういう意味で持っておると私は申し上げたことはございません。私は三千人余りの共産党員以外の先生は一人々々がりっぱな先生であろうと確信しております。ただ惜しむらくは、倫理綱領という鉄則に従わざるを得ない立場上、つい組合綱領の基づくところに従って行動せざるを得ないという自己矛盾の気持の人が大多数じゃないか、そのことを国民のためにおそれるがゆえに指摘しておるだけでありまして、それ以外の気持は毛頭ございません。
  89. 山中吾郎

    山中(吾)委員 日教組の大部分の教師は仕方なしに動いておるんだと、また独断を下されておりますが、それもまた私は保守的な人ばかりとつき合っておられるからそういう偏見をお持ちになるだろうと思うのですが、そんなものじゃないですよ。教員組合の中ではもっと自由討論しておりますよ。そしてこういう綱領が必要でなくなればそれは先生の良識でまた改正すると思うのです。しかし一国の文部大臣が外からそういう独断であちこちに暴言されることは、これは一種の精神的な弾圧じゃないか、そういうことは。組合の中にはいろいろ、これは思想の自由であり、それから教壇に立って偏向教育をする事実が出れば、これは大臣はやはり自分責任を持って変えるべきことを努力せにゃならぬけれども、そういうことは事実ないですよ。ところが観念的にそういう綱領があるからそうやっているに違いないとおっしゃっているだけなんです。事実をおあげ願いたいと思うのです。教壇に立ってそういう偏向教育をしているものがあれば、これはまた個々の教師に対する問題だと思うのですが……。
  90. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 私の立場全国の小中学校の教室ごとの教育の実態を把握する方法は事実上不可能でございます。ただたまたま現われましたことを通じて、国民一般はもう常識的に承知しておることじゃないかと思います。さりとて先住の大部分の力がりっぱであり、りっぱな教育を現にしてもらっておることも一つも疑わない。時あってたとえば山口県における問題のごとき、京都における問題のごとき、私の乏しい伝え聞いただけでもいろいろとあるようでありますが、一つでも一個所でもそういうことがあるべからずということが、私は教育の建前でなければならぬ。従ってまた先ほど来申し上げておるような、組合員であるがゆえに、自己矛盾を感じてまでも、組合鉄則に忠ならんとして心にもない教育をする人が一人でも出ないことを国民としては欲していると思うのでありまして、そういう意味で、先ほど来お尋ねに応じて申し上げております。  少し余談を申し上げて恐縮ですが、お許しをいただきますが、私は先日たまたまアメリカのカリフォルニア州のいわば教員組合の綱領を瞥見する機会がございましたが、その中に、もし教師が授業放棄などということを経済条件改善のためとはいいながらやるとするならば、その場合に発育盛りの子供たち自分の発育をやめて解決するまで待ってくれない、そのことを念頭に置いてカリフォルニア州の教員組合は絶対にストライキをやらないという一カ条があるようでありますが、私は教育の重要さ、ことにがんぜない子供の教育であるがゆえの義務教育過程においては、なかんずく教師たるものは、そういう心がまえでもって子供たちの親、すなわち主権者に対していただきたい。そういう気持を先ほど来申し上げましたお答えの中にも含んで申し上げておるつもりでございます。
  91. 山中吾郎

    山中(吾)委員 大臣、その気持はまことにけっこうですよ。その点についてはストライキなどは望ましくありませんし、また必要がなければしないだろうし、アメリカでもアメリカの社会的その他の条件から教師が自発的にそういう一つ方針をきめたと思うので、上から押えられて作ったのではないと思います。だから大臣のそういう気持があればあるほど教師の前で説得するとか——あなたはさじを投げて見込みがないとか変なことばかりおっしゃっておられるけれども、そういう方向にお進みにならなければ私はいけないということを言っているんですが、その辺は考えが平行線のようですし、きょうの話で私は別に納得いたしていないのです。  なおきょう大田のおっしゃったことを私もよく考えて次に御質問いたしたいと思いますので、きょうはこれで保留いたします。
  92. 濱野清吾

    濱野委員長 本日はこの程度とし、次会は公報をもってお知らせいたします。  これにて散会いたします。    午後零時四十五分散会