○大野(市)
委員 そこで、なぜそんなふうなことを伺っておるかと申しますると、先ほ
どもよその国のことは知らぬとおっしゃるが、かりそめにも一党を代表して、
委員長も事情でお出にならないときにお話をされまして、お知りでないというならば、私の調べたもので皆様に
一つ答弁をしていただきたいが、私は、結局、この
社会党さんの
農業に対する進み方が、これは偶然かもしれませんが、イデオロギーをもって結ばれている政党でありますから、そのようには
考えない。何かこれはやはり御研究の結果と思っておりますが、一九二九年に、スターリンが小農
経済の社会主義的改造という論説において指示したことに従って、ソ連も中共も、いわゆる
農業に対する
政策の展開が今日まで行なわれておるのは文献で明らかであります。つまり、いわゆる
零細農を逐次統合して、巨大な農場、すなわち集団農場とし、集団労力を用いて農場を建設し、集団農場を
拡大し
発展させるという構想をスターリンが一九二九年に述べましたが、これらに基づいてソ連の
農業の
構造というものが
方向づけられておりますし、特に顕著なのは中共の
農業開発の歴史でございます。この
考え方で参りますとあまりぴったり符合いたしますので、そこで、
社会党さんの中に旧左派綱領を信奉せられた
方々がたくさんおられるものだから、私
どもは、この
機会に、
農村が
方向を間違えて、今出されたぼたもちはおいしそうだというので食べ過ぎたために、その次に下剤を飲まなければならぬことになると心配でありますので、この問題についてお聞きしたいと思うのです。
先ほど言いましたように、自発的願望という問題で、例は幾つかありますが、一九三五年のソ連のコルホーズ
農業アルテリ模範定款第一条を見ますと、勤労
農民は、共同の
生産手段及び共同の組織された労働をもって、集団的すなわち社会的
経営を建設し、自発的に
農業アルテリを結成するとあります。これらの歴史の実際の報告を聞きますと、これを自発的と判断なさる方方があるかどうか。それは御自由でありますけれ
ども、われわれは、この点に大きな疑問と、それを裏づける資料を持っておるわけであります。これは、御
承知のように、
畜産の問題におきまして、このアルテリの結成に至ります一九二八年から一九三五年の間に、
家畜をいわゆる供出のような形でこれを取り上げられるということで、
家畜の大屠殺が行なわれたために、御
承知のように、かろうじて一九五六年代に至ってソ連の
家畜の頭数が戦前をようやくカバーするという
程度になったことから見ましても、これらは自発的になされたかどうかには疑問があったのです。それから、一九五四年の中華人民共和国憲法第八条には、はっきりと、
農民の
土地所有権が保護せられると書いてある。しかも、自発的意思の原則に基づいて
生産の共同化、購買、販売の共同化、信用の共同化を組織するよう個人
農民を奨励する、こういうふうな
規定がありまして、自発的意思と明らかにされておるのであります。さらに、一九五六年の六月には、中共は初級合作社から高級合作社に移しかえておりますが、そのときに、
土地の私有制を
農民の自発的願望によって集団所有制へ無償で移行をしておるのであります。このときにも中共の
農民が非常な動揺をして、香港方面へ脱出し、これを裏づける幾多の材料が彼らの国の機関誌人民日報にも載っておることで明らかであるのであります。特に、私
どもが中共の
農業社会化の推移を見ますときに心配するのは、互助組を作ったところまではまことにうまい
制度でありまして、わが国の今日の協同組合のような形で、しかも戸数は
平均五・七くらいで、自己の計算で
経営をせしめた時代がございます。これが数年続きますと、一九五五年の八月になりますと、初級
農業生産合作社を作ることになったのでありまして、このときには、
土地は私有を原則とし、合作社へは出資をいたす形でございました。これはただいまの協業
経営の形態とひとしい外形であります。しかも、ここまではいいのですよ。自民党の案の中にも、そういうことを望まれる
方々は協業
経営を御援助しようということがあるから、そこまではいいが、そういうことでは
農業の壁に突き当たるぞと
社会党さんがおっしゃっておるから、そこが問題の分岐点になる。そこで、設立当時にどうなったかといいますと、収益は
土地と労力に応じて分配するというのでありましたが、出資する
土地の評価の問題、いいたんぼも悪い
土地もあるわけで、
土地の報酬と、投下した労働の質と量をいかにきめるかという労働報酬、この内容の個々の問題、大まかに見て
土地の報酬が幾らで労働報酬が幾らかという比例の問題にぶつかったのであります。これが
社会党さんのおっしゃる壁の
一つかもしらなかった。そのほか、中共の実態からいたしますと、会計や書記の欠乏のようないろいろな事務的な悪
条件もあって、小学校の生徒をおろして書記に使ったというような悲惨な状況も伝えられておりますが、それはさておいて、その次に、これができたのは一九五五年の八月でしたが、その騒ぎを契機として、一九五五年の後半から五六年にかけて社会主義化運動を推進するという声明が出て、五六年の六月の末には高級合作社模範定款が発表されたのであります。ここのところが問題でありまして、このときにも、
農民の自発的願望によって、そうけんかばかりしておったのではかなわないから、肥沃な美田も、枯れ果てたたんぼも、どうせのことただでいいから差し上げようと、
農民諸君が自発的願望を持ったそうでありまして、
土地の私有制から集団所有制へと切りかえて、
土地の報酬は何らの代償の支払いもなく消滅してしまったのであります。この形が高級
生産合作社の形態でございまして、今日の人民公社は御
承知の
通りの行政組織までをひっくるめた妙な形でありますから、ここは言いません。ここは言いませんが、初級合作社の段階で
社会党さんが壁にぶつかるという予言をしておらるるといたしますると、その次に起こるものは、こういうような実例が隣の国で起きております。心配するに越したことはございませんが、何しろ先のことだから、今言えば、それは、政党政治といたしまして、そんなことをいたしませんとおっしゃるでしょう。ことに、
選挙スローガンなどでは、それはできないことも言うんだというけさほどの
北山提案者の御発言まであるのですから、私もここで何もおっしゃらないとは思いますが、しかし、
農民諸君と御相談いたしますときには、ここは一番大事なところじゃないかと私
どもは思うのであります。今日の人民公社の形は、先ほど言いましたように、行政組織が入って、民兵であり、行政長官であり、
産業の大将というような工合でございますから、それは行き過ぎの形としましても、ただいまの合作社という形が似ておるので、壁にぶつかってそんなことにならねばいいが、かように思って先ほどの
質疑をしつこくいたしておるわけなんであります。
それから、同じくソ連の変遷を見ましても、最初革命が起きましてから、一九一七年から二七年までは食糧飢饉で驚ろいて、とにかくものを作ってくれというので、商品作物の奨励策をさすがのレーニンもやらせたわけでありますが、十年たつと、
農業政策の大転換、第一次五カ年
計画ということになりまして、スターリンが非常にのさばり、先ほどの一九二九年の小農
経営の社会主義的改造というテーゼで指導して今日に来たわけであります。この過程においての形態につまきしては、トーズという
土地共同耕作組合の段階は言うことはないが、集団農場の段階ですでにこの問題が出ておるので、われわれは、
社会党さんが御提案になっておる第九条の
土地の共同的保有を自主的にとおっしゃるが、こういう問題をわれわれといたしましてせんじ詰めて
考えると、隣の国のようなことで、
社会党政権から社会主義政権に移るときに革命を経過しておなりになるそうでありますから、そういうときに真に
農民諸君の自由と創意工夫というものが抹殺せられるようなことになっては一大事である。特に、これらの国々の二年続きの大凶作ということは、丸い地球で赤い国だけが大凶作で、カナダや北欧の国がそうでないということは、従来の凶作の例から見ますると、われわれとしては理解がむずかしいというような意味合いにおきまして、これは
農業管理、
農民に対するいわゆる
経営政策に無理があるのじゃないかと判断をしまして、
社会党さんが第九条を
考えられ、しかも一番最初に申し上げました
農地造成、
土地改良その他に全額国庫負担でいたしましょう、こういうようなうまい——どういう予算措置をなさるか、これも問題でございまするが、うまいお話をいろいろ並べられますと、なおさら心配になるわけでありますが、ソ連、中共のそういう実例がございますので、そこで、あなたの方で
基本法を実行されてぶつかる壁の中に、そういう壁を予測せられるかどうか、そのこと一言だけ承りたい。