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佐野委員 私のお聞きしたいのは、そういう点もあるのですけれども、もっと根本的に本来の
地方自治団体としてやらねばならない、
住民の
福祉のためになさねばならない
施設なり、あるいはそのための
財源配分というものがはたして合理的であるのかどうか、こういう点に対して
皆さんの
現状の
把握が大切じゃないか。そういうことをもう少ししっかりしておかなければ、結局やはり
大蔵大臣の言われる
財源調整として
国庫支出金があるのだ、いわゆる
国庫支出金が
一つまたのさばって参る。しかもそれは前回の質疑のときに申し述べましたように、
昭和三十四年が八百三十幾つの項目に分かれて、三十五年度は八百八十一、ことしもまた三十幾つかふえて参る。預託金を含めますと、一千四百もの支出になって参る。そういうような、各官庁の中においてセクショナリズムもあるでしょう。また、中央集権的にそういうものが
地方に押しつけられて参るということの中から、やはり
地方における自治権というものがそこにおいて侵害をされてきているわけですし、それがはたして
地方の
実情に合っているかどうか。
補助金の
内容を見て参りましても、実にいろいろな問題点を含んでいるだろうと思うのです。それと、今日のように国が
高度経済成長計画を立てるためにあらゆる面において統制をやっていく、たとえば
公共投資にいたしましても、あるいは公共
企業体に対する投資にいたしましても、やはり投資効果というものを中心にしてねらわれていると思うのです。そうしなければ
高度経済成長あるいは所得倍増というものを達成することはでき得ないわけです。そうすると、
経済生産効果というものを
重点としたいろいろな施策が進められて参ると、それに
地方自治団体は従属していかなければならぬ、こういう形になってくると思うのです。そのことは
皆さんが資料として
提出になっておる歳出の構成を見て参ると、明らかになってきておるだろうと思う。ですから、
地方における自主的な
財源なり自主的な余地というものはほとんど狭められてきてしまっておる。しかもそれは国の施策なり国の方針に
地方自治団体が隷属していかねばならない。しかもその施策は生産効果を中心として進められて参っておる。そうじゃなかったら九%の
経済成長の達成は不可能だ。そのことが一体
地方の自治体にどういう影響を与えて参るかということに結局なってくるであろうと思うのです。その結果として、いわゆる
東京都の場合は交通が麻痺する、工場ができて地盤沈下が起きる、あるいは用水が不足する、住宅が不足する、
学校が不足する。そこに公共
企業体からの投資をやらなくらやならない。あるいはまた
皆さんの
一般会計の中からもこれを埋めていかなければ、
現実に麻痺しておる交通機関はどうするんだ、こういう形に追われているのが
現状じゃないかと思う。そうじゃなくて、
地方自治体の
現状はこうなんだ、こういうことが現在の
状態なんだ、だから将来はこうあるべきなんだということを明確にして、そういう
地方における自治体が自主的に
地方の
住民の目の届くところで、その幸福のために政治をやっていく、そのことのためにどういうことが一体必要なのか、これを中心にしてやるべきであるし、その中で
地方の
現状を高めていくということと、国の方針というものの調和をはかって参るということになって参らなければならないのじゃないか。
平衡交付金の場合に、おそらくいろいろな弊害もあるかもしれませんけれども、そういう
意味で
地方の政治なり民主主義を育成するためには、そういう
方法をとることが
シャウプ勧告においても強く勧告されて出て参ったと思うのです。ところが現在の場合は、
交付税に変わって参りますと、
平衡交付金の趣旨は理念としては生かされておる。しかし実際的には国に隷属して参らなければならない。こういうところに追い込められてくるところに、
行政の二重構造あるいはいろいろな諸問題が今日出てきておるのではないか。その上にたとえば
予算折衝の場合におきましても、もう
地方財政は二八・五%でいいんだ、そのあてがい
扶持内において何とかつじつまを合わしていけばいいんじゃないか。そこで
国庫支出金その他をもって流れ込んでくるいろいろな国の施策を、
地方自治体はいかに組み入れていくか、これしか残されていないというのが
現状ではないか。そういう
意味において、
地方交付税に対する
考え方をもう少しはっきり持たれることが必要ではないかという工合に私
考えるのですけれども、この点いかがですか。