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高橋参考人 証券市場の
根本の問題につきましては、ただいま
小池さんより
お話がありましたので、重複を避けます。今どういう点が問題になっているかということを、もう少し現実に即して私の
見方を申し上げて、御
参考になればと思うのであります。
第一は、株が高過ぎやしないか、
行き過ぎがあるのではないか、こういう問題でありますが、これに対して、
行政庁がその適否を
判断する
責任をとるかとらないかということが、第一に問題になると思うのでありますが、私は、
株価が高過ぎるかどうかということを
行政庁が
判断することは、
行き過ぎだと思うのであります。と申しますのは、
専門の人が
判断しても必ずしも当たらないのであります。いわんや、今の
行政機構におきましては、ある期間たてばポストがえらく変わる、そういうわけで、ほんとうに
専門の
行政官を
育成するということはできない
状態なのであります。それが
株価の高い低いという
判断の
責任を、あるいは
判断をしていろいろの
措置をとるということは、無理だと思うのであります。そこで、問題は、
証券の
行政としては市価の公正をはかる、そのためにはどういう
機構が要るか、あるいは
投機が
行き過ぎていはしないか、その
投機の値段が適正かどうかというのは別の問題なのであります。それにもかかわらず、
投機が
行き過ぎておるということであれば、これは明らかに問題になるわけであります。そういう点についての適当な
指導、これにとどめるべきである。高いかどうか、
行き過ぎかどうか、そういうことを
行政庁に
判断を求めるということは、私は正しくないという
考え方であります。二、三年前までは、
株価が適正かどうかというので、
日本銀行総裁がしばしば発言しました。私どもは、
日本銀行に一体そういう
判断をするスタッフがいるのか、いやしないじゃないか、それが軽々しく
判断するのは間違いだという議論を当時したのでありますが、最近になりまして、
日本銀行総裁だけはそういうことは言わなくなって、大へんいい
傾向だと思うのであります。
もう
一つは、
株価が高くなりましたので、
大衆の安全を守るという線がかなり強く出ておるようでありますが、これも、私
自身の
考え方では、そこに重点を置くべきではないのではないかと思うのであります。そうではなしに、やはり
証券市場の
あり方や、
行政庁としては、その
株価が適正であるかないかということ、
市場が健全であるかないかということ、及びこれを取り扱う
証券業者の
経営が健全であるかどうか、そこに問題を置いた
施策をする、その
角度からいくべきではないかと思うのであります。そこさえ十分できれば、おのずから
大衆の
利益は保護されるのであります。といいますのは、これは
株式投資あるいは
社債投資でありますが、これの本質は、取引する人があるリスクをみずから負担するということなんです。ある
投資家は、
相当危険を冒してもたくさんもうかるような株に
投資したいという人もいるわけであります。それがいいかどうかということは問題でありますけれども、少なくとも
株式取引所が円滑な
発展をするためには、どうしても、たとえば売りたいという人に
思惑で買うという
要因が要るのであります。また、売りたいという人にも、買いたいという人にも、必ずしも実際要る人が見合うというわけにはいかないのでありまして、必ず一方には、安ければ買おう、しかし長く持っているつもりではない、そういう
投機的な
要因が要るわけなのであります。そういう意味において、
投機性というものを全的に否定したのでは、
株式市場というのは成り立たないのであります。そういうつもりで取引する人を、その
利益を守らなければならないというのは、どうもおかしいと思うのです。ただ、今申しましたように、
投機が
行き過ぎておる、あるいは
証券市場が健全でないとか、
証券業者自体が不健全であるとか、これは明らかに
行政の
対象にはなりますけれども、
大衆を守る、こういうのはどうもちょっと、聞くと口に甘いようでありますけれども、私は
根本の
見方に若干の食い違いがあるのではないかというふうに思っているのであります。自然最近の
株高につきまして現に問題があるといたしますと、
一つは、
証券業者の
あり方であります。それと離れて
投信等が非常な
勢いで
発達しておる。それが
株価にどういう影響を及ぼしているかということも問題になっているようであります。同時に、現在特に私
自身の
判断から見まして、
行き過ぎており、危険があるのではないかと思いますのは、
店頭取引の株にそういう危険があるように思われる。それに関連して
株式を今のままでほうっておいていいかどうかという
観点から、いわゆる第二
市場といわれる問題が出てきておるのであります。そのほかに、最近いわゆる
社債投信が異常な
発達をして、
金融界の方からいろいろな問題が起こっております。そういうのが今の問題の
主要点ではないかと思うのでありますが、ここでは、問題になっております第二
市場の問題と、
社債投信が非常な
発達をしてきたことから起こっている
問題点等に、
お話を集中してみたいと思うのであります。
第二
市場の問題は、
根本におきまして
日本の
経済が最近非常な
成長をいたしまして、その結果として、これまで
三流、四流あるいは
中小企業あるいは
町工場という
状態に置かれておった
事業が大きく伸びてきたということであります。また、
日本の
経済の
成長からいいますと、そういう
企業がぐんぐん大きく伸びていく必要があるわけでありますが、これが伸びていくということは、
二つの問題を持っておるのであります。
一つは、
事業の
評価というものが、従前に比べると
革命的に高くなってきておるということであります。今までは、小さい
工場というものは、不景気の波がくれば倒れるのではないか、そういう危険を
多分に持っておりました。ことに終戦後
相当の間そういう事実がひんぴんとして出ておりました。そういう
危険感が
相当あったわけであります。それに
株式自体の
流通性というものもなかったのであります。自然これらの
株価というものは非常に低く
評価されていたのであります。それがこのように、以上申しましたような
日本の
経済の
成長に伴って、
事業自体の
位置が非常に強くなりました。
近代化ができ、
生産もたくさんできるようになった。今まで
町工場的なものが
相当の
工場に
発展し、中
企業と考えられていたものが
近代工業に
発達してきた。そういう形で
評価の仕方に一種の
革命が出てきた。自然この
方面から、こういう種類の株の値上がりというものは、一般の
株価に比べて格段高い
騰貴率を示してきておる。これが最近の
株高が不健全ではないかと一方ある
方面から言われておる
一つの
理由だと思うのであります。とにかくそういう形に上がってきた。同時に これらの
事業は、従来であれば
自己資本でまかなっていく、
他人の
資本が入るということはむしろいやだというふうなことだ。ところが、こういうふうに
発達しますと、
自己資本だけではこの
発達に間に合いません。どうしても外部から
資本を入れなくちゃいけない。そこで
株式の公開が起こる。これを
中心にして
流通性は変わるという
面等から、この面からもそれらの
株価を
相当高めた、こういうわけであります。
第一次大戦中、戦後に
日本の
経済が非常な
発展をしたのでありますが、それまで
財閥は
株式を公開しておりませんでした。公開して、ほかの
資本が入る、いろいろなものが入るというのがいやだという建前をとっておりましたが、当時
財閥独占というものに対する
社会的批判が一番の
理由でありましたけれども、
根本は、
財閥の
資本だけでは
発展に必要な
資金がまかなえなくなった。これが
株式を公開するに至った私は最も基本的な
理由だと思うのであります。そういうように、それに似たような関係が起こって参っております。そういう
基盤の上に
株価は
相当上がり得る
基盤、
事情を持っていたわけであります。これを
跳躍台にして、そこに
投機が入ってきている。そういう
基盤の上に
株価がぐんぐん上がる。これは、そういう形で上がるのは問題ない。合理的なのであります。その
勢いを
跳躍台にして当然
思惑が入る。その
思惑でそれ以上上がったところに危険があるのだ、そういうことになるのではないかと思うのであります。自然こういうふうに
根本の
事情が変わって参りますれば、今までこれを
店頭取引という形で放任していたのでありますけれども、これはその急激な変化からいうと適切でない。何らかの新事態に即する
機構が要る。
制度が要る。これが第二
市場を作る必要があるのではないかと考えられるようになった基本的な
理由だと思うのであります。要するに、こういう問題が起こりました
根本は、
日本の
経済がここ数カ年非常な高度の
成長をいたしまして、今まで二、
三流あるいは四流というふうに、
株式取引の
対象としての
資格が非常に少なかった株が、その
資格を
多分に持ってきた、そういう激変に際しては、今のままではほうっておけないのではないかというのが、第二
市場の問題だというふうに思うのであります。従って、この問題はそういう
角度から対策が講ぜらるべきだというふうに思うのであります。
それから、近来
証券業の
位置が非常に高くなりまして、それに関連して
銀行業との関連、
金融との調整、そういうことが新たにクローズ・アップされて参っておるのであります。ところで、この点につきましては、
二つの異なる問題が混同せられがちだというふうに思うのであります。それは、特に戦後問題になりましたのは、ボンド・
オープンその他
公社債、今のところ
社債でありますが、その方の
証券業者の
起債率が非常に強くなったということが
中心をなしておると思うのであります。そこで、どういうふうに調整するかという問題としてはいろいろありますが、今一番問題になっておりますのは、
社債の
発行量を調整する、こういう問題が出ております。これは、従来におきましても、
市場の消化能力に適応するような
発行量にこれを調整するという意味合いだったと思うのであります。ところが、いま
一つこれには問題の点があるのであります。それは、
市場の消化率は豊富にあるにいたしましても、その国の
金融政策一般から見まして、今そういう
証券を
発行さして業者に
金融をつけるということは望ましくない、こういう一般
金融政策の
観点からいま
一つ問題があるのであります。こういう意味の問題が今度新たに登場してきた、こういうふうに思うのであります。ところが、その意味であれば、これはその国の
金融政策一般の一環として問題にすべきなのであります。というのは、金利政策なり、あるいは公開
市場操作なり、支払い準備
制度の運用なり、要するに、
金融政策一般の
観点から一応問題になるかもしれません。今なるとは申しておる、わけじゃありません。
金融との関連ということになれば、そこから
問題点が出て参る。それであれば、
日本銀行の政策として考えるべきなのであります。今考えられておるように、銀行の立場からその決定に銀行が参加していくというのはおかしい。そういう意味において、何とか銀行と起債
市場との関係を調整せられねばならないというのはおかしい。従来あったのは、
市場の消化力とマッチする方で、それの方の調整で、従って
市場に消化力があれば問題ないのであります。それが
行き過ぎるとかなんとかいうのを銀行の立場から議論されておるのはおかしい。当然にその調整を今までのように
銀行業が
相当入ってきて発言力を持っておる。これは今までは銀行が主として消化力であったからそれでよかったが、今度消化力の主体、重点が変われば、銀行がその立場において調整せられねばならない。そういうことは私はおかしいと思うのであります。同時に、
日本銀行が
金融政策一般としてこれをどういうふうに取り上げていくか、それの中へどういうふうに組み入れていくかということは、新たに大きな問題になった点ではないかと思うのであります。
次は、こういうふうに
証券業の
位置が強くなりましたので、
銀行業との競合をどう調整していくか、こういうことがいま
一つ現在の舞台に登場しておるのであります。これは、急激な変化を及ぼさないという意味においては、過渡的に何らかの話し合いがあっても私は差しつかえないと思うのでありますけれども、その場合におきましても、
証券業と
銀行業との分業という将来の
位置の
あり方というのを
根本においてはっきりさして、その上で当面急激な変化がないようにするのにはどういう
措置をとったらいいか、ということの正しい
判断が初めてできると思います。そうなると、問題は、やはり長期の設備
投資はできるだけ
社債——
自己資本以外で借り入れるとして、借り入れるものは
社債で調達する。その
方面をすべきであり、その
方面を
証券業が受け持ってくれて、
銀行業はそれ以外の分野、主として商業分野、もし長期
資金を供給するとすれば、
社債を所有する形で担任する、こういう方式をまずはっきりさすべきだと思います。その上で、当面の急激な変化をどういうふうに一時的に調整するか、こういうことが問題になると思うのであります。一部には、今のように大きく
社債市場に銀行の
資金が取られると、
中小企業の
金融の
資金源がなくなるのだという意味において、議論が出ておるようであります。私はこれは逆だと思うのであります。ちょうどそれは開発銀行を見るとよくわかると思うのです。ある時期においては、
日本の大
企業の
金融も十分でなかったのですが、基礎
産業その他に開発銀行は
資金を供給しました。今度は大
企業の地位が
向上し、自分の力で、ことに
社債等の
発行によって自分でまかなうことができる、こういうことになれば、開発銀行の大きな任務はどこへ残るかというと、
社債の
発行できない
企業、国家的に必要な
企業、そういう
方面に
資金の得意先を拡大していく、開発していく、それよりほかないのであります。今現にそういう方向に行きつつある。——あるというのは言い過ぎで、あると私は思うのであります。それと同じように、大きな
企業の設備
資金は大部分が
社債でまかなわれて、銀行の貸し出しは
社債の
発行ができない規模の方向に貸し出し努力をする、こういうことになるのが順序だと思います。それが見通しだと思うのでありまして、そのために
中小企業の
金融が圧迫される、そういうことにはならないのではないかと思っております。あるいは過渡的にそういう現象が起こるかもしれませんが、
根本の
考え方はそういう方向に行くべきじゃないか、そういうふうに思う次第であります。
もう
一つは、
株式市場と
金融との結びつき、
金融政策と
株式市場との関係でありますが、従前におきましては、
株式市場がある点以上に騰貴いたしますと、
事業の新設拡張というものが大体それに歩調を合わせて進んで参りまして、そういう意味において、
株式市場の推移というものは、国の設備
資金の推移を大きく支配していたのであります。これは明治、大正、
昭和の初めにかけてそうでありました。というのは、当時におきましては新設
事業が多かったのです。まだ
日本の
事業の
発達時期でありまして、新設
事業が多かった。新規に
事業を起こす。それを
市場に売らなくてはいけない。従って
株価が非常な騰貴をしました。新設の株が権利がついて売れる。こういう時期には設備の新設拡張が非常にふえました。それが
行き過ぎる、
行き過ぎない、そういう意味において、
株式市場の調整、市価の調整ということが、
金融政策一般として大きく見られていたのであります。ところが、現在におきましては、大部分の
事業は既設の
事業がやるので、新規の
事業の新設というものはきわめて少ないのであります。たまたま新設ものが起きましても、形の上の新設でありまして、既存の大きな会社が別会社を作って
事業を新設する、こういうわけであります。従って、現在におきましては、
株価の騰落が設備
投資の増減に及ぼす影響はきわめて少なくなっております。そういう意味において、昔のような意味において
日本銀行が
株式市場に敏感であったということは、
金融の実際からはずれて参っております。おそらく、しばらくの間、さっきも申しましたように、
日本銀行が、
株価が高過ぎる、どうだということを最初の間言っておりましたのは、昔の感覚だったと思うのでありますが、それが漸次言わなくなったということは、その一般の
金融との関係が非常に実際的に薄いということに根ざしておると思うのであります。そういう意味において、
株式市場と
金融の一般においては、新設
事業が多かった明治、大正、
昭和の初めと現在とは非常に違っておる。それをごっちゃにした議論が出がちでありますが、これは十分
考慮して御審議、御研究をお願いしたいと思うのであります。従って、さっき申しましたように、
株式市場におきましては、その
株価の形成が適正であるかないか、そういうことを通じて、一般の人の設備
投資を健全に導いていけるかいけないか、そこに問題が集中してきておると思います。そういう
観点から
金融との関係を考えて、御審議していただけたらと思うのであります。
それから、もう
一つは、最近に
公社債、ことにボンド・
オープンが急激に伸びたこと、これをどう
評価するかという問題であります。それによりまして、問題の
見方、対策の
考え方がおのずから違ってくると思うのであります。これは私は自分で現実に調べたわけではありませんが、また聞きの勉強なのでありますけれども、アメリカにおいてはボンド・
オープンが
発達しなかった。今でも
発達していない。なぜかといいますと、向こうには
社債市場がすでにあるのです。だから、買いたい人は
社債市場で買えるわけです。
日本にはそれがなかった。しかも、一方には、
社債に
投資したいという
資金は豊富にできておった。それが
社債市場がないために抑えつけられておった。それがボンド・
オープンによってここに道が
一つ開けた、そこで吹き上げた、こういうふうに考えるべき筋のものではないかと思うのであります。従って、
社債市場ができ上がった場合にどうなるかということが、これからの問題の
考え方の基本の問題だと思うのであります。同時に、アメリカにおいては
社債市場があればボンド・
オープンというものはあまり
発達しないということだが、じゃ
日本にそれなりに当てはまるかというと、
日本の場合はボンド・オーブンという形で
社債投資が非常に
育成された特殊な別の
発達の仕方を持ったわけであります。これは生きてくると思うのです。というのは、ボンド・
オープンは、大きな
投資家については損ですけれども、そうでない人には直接
投資よりは
相当便宜がある、
利益があるから、別途の
発達をするということは当然考えられる。それは、一般の
株式投資信託自体でも、
日本は外国に比べて非常に急激な
発達をしたというのには、
日本自体に別な特殊の
理由があったからだと思うのであります。そういう意味において、公債との関係は、このボンド・オーブンをどう見るかということの
判断が要るのではないかと思うのであります。と同時に、ボンド・
オープンが非常に成功したということは、
国民の蓄積の仕方に新たな道が
一つ開けたということだと思うのです。つまり有力な蓄積の機関、今までにないものが
一つできた、これを
中心にして当然いろいろの変化が起こってくる、こういうことになります。一番いい例は、ボンド・オーブンが
発達しない前までは、銀行関係は
社債利子の引き下げに反対でした。
社債利子を引き下げては困る、今の定期預金ではあまりマージンがないから、下げてはいけないと言っていた。今度は、
社債投信と競争の立場になったものだから、
社債の利子を下げろという主張が
金融界から一番先に出た。それは、今までにない機関ができたということなんです。これは分業さして、適切な
発達をさす必要がある。とともに、今までの
考え方とはかなり違ったものを持ってきたということになると思うのであります。というのは、この形からいきますと、たとえば
日本で定期預金一年というものを認めていたのでは、いろいろの点において金利との食い違いが起こりはしないかと思うのです。それは、外国流に、
日本でもわれわれの仲間その他は、銀行預金は半カ年に限るべきだという
意見を早くから持っておるのでありますが、どうもそこに問題が起こってくるということになりはしないかと思うのです。
大へん長くなりましたので、これで終わります。
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