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今井(善)
政府委員 私は当時のことは詳しくは知りませんが、当時におきましてもちろん
アメリカ政府と
日本政府が非常にかけ合いまして、数量をいかにふやすかということに努力したのでございます。この実績主義とわれわれ言っておりますのは、組合員内部の配分の
方法につきまして実績主義と申し上げておるのでございまして、今の総体の量をきめるという問題は、実績も
一つの要素でございますし、また将来の伸びというものもいろいろな要素でございますが、たしか一九五六年に協定が結ばれましたときには
アメリカは非常に不況でございまして、五五年当時はその協定の量よりも
綿製品はよけいに
輸出されていたのでございますが、たまたまこの協定が結ばれましたときにおきましては、
アメリカは不況でございまして、
綿製品の
輸入も当座は非常に落ちておった、そういう
関係がございましてそういう
数字になったのでございます。この
綿製品協定は五年間の協定でございまして、毎年レビューするということになっておりまして、現在向こうと交渉しておりますが、その前に交渉いたしましたのは、五九年の春でございました、ちょうど二年前でございました。五九年にはほかの国が次第に伸びてきつつあるということはおぼろげながらわかっておりましたけれ
ども、まだ
数字的にははっきり出ていないわけでございます。この
統計をごらんになりますと、第三国の
アメリカに対する
輸出が伸びましたのは五九年からでございまして、五七、五八年は比較的平穏に、ほかの国もあばれないでおとなしくやっておったのでございますが、五九年、特に六〇年になりましてから、非常に他の第三国からの
輸出がふえたということになっておるわけでございまして、五九年当時におきまして、実はおぼろばながらそういう方向にあるんじゃないかというととはわかっておりましたけれ
ども、
数字がはっきりつかめなかったということで、わが方の交渉態度につきましても、今のような強い交渉態度は打ち出しておりませんで、当時たしか一割増だとか、その
程度の漸進的な交渉態度を打ち出しておったのでございます。私
ども、自主
規制自体というものは決して悪くなく、それだけの効果はあげておると
思います。当時
綿製品につきまして非常に安売りがございまして、そのために向こうでもって関税を引き上げるとか、あるいは
輸入制限をするとか、いろいろの声があったのでございます。また、片や
国内におきましても出血
輸出というふうな
関係がございましたのが、その結果出血
輸出がなくなって、非常に安定した
輸出状態になった
——輸出すればもうかるんだ、こういう状態になったわけでございます。この五年間でもって第三国が進出し、わが万が足踏みした
——非常に遺憾な状態になりましたのは、
取引法に基づく自主
規制が悪いんじゃなくて、対米交渉でもって数量を厳格に押えられておって、そのために
——そういう対米交渉によります数量の押え方がなければ、たとえば第三国からの
輸出がふえたということになれば、わが方も、
日本限りでもって全体の
輸出の数量をふやす。それが、たとえばほかの国が伸びているから
日本もたとえば前年の三割ふやそう、五割ふやそうということが機動的、弾力的に行ない得るわけでございますが、悲しいかな、協定で縛られておったためにその自由が奪われておったという
関係でございまして、私
ども、自主
規制が悪いんじゃなくて、そういう両者の合意が実情に沿わなかった、かように考える次第でございます。