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八木(一)
委員 私はただいま
議題になりましたこの三案について、
日本社会党
提出の
国民年金法案に絶対に賛成、
政府提出の
国民年金法の一部を
改正する
法律案並びに
児童扶養手当法案に対して反対の討論を行なわんとするものであります。
政府の現行
国民年金法ができましてから、昨年からその内容が非常に乏しいのみでなくて、大衆にとって不利なものであることをよく確認した大勢の大衆が、これに対して抜本的な
改正を要求し、それまではこのような組み立ての間違った拠出
年金をやるべからずとするほうはいたる世論が高まったわけであります。そのようなほんとうに
年金について真剣に考えた
国民の世論を反映して
改正案が出されたのなら考えるべき余地があるわけでございまするが、その点については全然本質的なものを変えようという態度をとらないで、このような
政府の
改正案が
提出されてきたわけであります。
ただいま自民党の討論者である小沢君は、選挙においてこのような公約を訴えて絶対多数をとったのであるから、この法案が
国民の意思であるというようなことを言われました。これは実に現状を知る政治家としては無責任な言葉であります。その選挙において法網をくぐって巨億の資金が流れたことは明らかであります。従って選挙は公明に行なわれていないということは
——選挙は公明に行なわれていないということは周知の事実であります。そのようなことで、選挙の絶対多数をもって法案の一々の当否をきめることば控えるべきであります。しかも、このような選挙が公明に行なわれたと仮定をいたしましても、あらゆる法案について演説会において訴えられたわけではないのでありまして、ほかの法案について賛成をしても、ほかの
政府の態度についてしぶしぶ承知をしても、
国民年金の態度について賛成をしたと認定することは間違いである。そのようなことで一括的に、選挙に多数を占めたから
政府のひん曲がった不十分な
国民年金がよいなんという論法は、断じて
国民は許しておらないと思うのであります。
次に、このような立場に立ってよく皆さん方にお考えをいただきたいことは、
国民年金法が審議をされたときに、現行法の欠点が余すところなく暴露されたわけであります。このときの
政府の責任者は、拠出
年金が始まるまでにその根本的な欠点を直すということをもって反対する与党の人々を承服させ、われわれの反対を押し切ってこれを通したわけであります。従って
自民党政府としては、その根本的な欠点を直して
提出する責任があるわけであります。しかも
国民がこれをよく理解して、このようなことではいけないというあれだけ熱心な批判運動が起こっているにかかわらず、それに対して十分な配慮が行なわれないというようなことは、実に
政府の怠慢な態度である。たとい百分の一歩でも前進する法案を出される、ほんとうに
国民年金を推進する態度であるとは断じて言えないわけであります。
現に現行法と
改正案を比べましても、根本的に不十分な、その組み立てが不合理である点は直っておりません。
年金額においてどうか。四十年間保険料を納めて、四十五年後にもらえるものが月三千五百円、昨年の生活保護基準を一・五%ずつ
増大させて四十年後に三千五百円になるのに、それを五年延ばして、五年後にそのようなものを支給する。それで
国民皆
年金なんてちゃんちゃらおかしい内容であります。しかも六十五才から開始。
日本の大衆が、
政府の政策が悪いために貧困な生活を押しつけられて非常に苦労しておる。老衰が早い。残念ながらそれまでの間になくなられる方が大衆の中には多いということを考えましたならば、六十五才開始などは、現時点において断じて許さるべきことではありません。しかも将来においてあらゆる産業のオートメーション化を考えましたならば、労働力の新陳代謝をスムーズにするために、将来においても六十才で開始をするというような態度でなければならないのであります。両面から見てもそのような
状態でありますのに、そのようなことを数回にわたって指摘をして教えてあげたにかかわらず、これを理解しようとせず、
年金法を変える意思を持たないでこれを下げようという意思を示されたのであります。このようなことは断じて
年金制度に熱意を持つものとは言えないのであります。
次に現行法の最もけしからぬことは、社会保険主義に堕していて、
社会保障に徹底をしていない点であります。保険料は定額保険料であって、大衆にとって非常に
負担しにくい保険料である。その大衆が
負担をし得ないときにはもらえる
年金額が減る。一定限度以下であれば
年金がもらえない。それに対して免除をしていると言っておられるけれども、その免除は
年金額増大の要件にはほとんどなっておらない。すなわち
年金が最も必要な人に
年金がいかないようになっている。このようなものは断じて
社会保障ではないのであります。このようなことを根本的に変えるために、
日本社会党は六十才から月七千円、年八万四千円を保険料支払いの有無に
関係せず、あらゆる人に、いやだと言っても無理やりにでも受け取らせる
法律を作っているわけであります。そのように、大きく
社会保障をほんとうに完成しようという態度と、いいかげんでごまかしておこうという態度には、天地雲泥の相違があるわであります。
無拠出
年金にしてもしかりであります。社会党は六十から開始をして、今の苦労をしてきたお年寄りに差し上げよう、
年金額は六十からは年一万二千円、六十五から二万四千円、七十から三万六千円を差し上げよう。母子
年金にしても、
政府案が一万二千円にとどまっているのを、基本額三万六千円にしよう。加算は三倍である。
障害年金にしても、
政府は一級障害に年に一万八千円しか出さないが、それを四万八千円、二級障害三万六千円、三級障害二万四千円、しかも内科障害にもこれを支給しようというのが社会党の内容であります。これも非常なる相違であります。
所得制限において、障害、母子において、
日本社会党のが
所得制限が実に緩和されておるのに対して、
政府の方はきびしい
状態であります。
このような案を検討し、われわれはこれを実現するために財政的の完全な配慮をしていることは明らかであります。これを理解しないのは財政を理解し得ない人の考えであります。初年度二千百二十四億円、ほんとうに
社会保障をやる気なら断じてできる金額であります。ピーク時において四十年後に九千億、経済成長四%として押えて財政額は十八兆になる。
国民全部に一人も漏れなく
年金が入るような
制度に九千億のような金は何でもありません。そのようなことは何でもない。それでも少ないという世論が出てくる情勢をわきまえないで、財政的にこれがいけないという、そのような愚昧な
議論は政治ではありません。
このような立場に立って
日本社会党は、
改正案を
政府が出されたことは千百分の一の進歩であることは認めます。また与党の
社会保障に熱心な方が、与党の非常に間違った、国会が開いてから内容を変更し得ないような間違った党内規律のもとで努力をされて、それにさらに百分の一ほどのプラスをつけ加えられた誠意は認めるものでありますけれども、
国民の立場に立って、このような一時の
改正では、もとの社会保険主義が直っておらない。そして根本的に
所得保障をし得る内容でないという劣悪な現行法につながっておるものである限りは、断じて賛成ができないのであります。
日本社会党のこの完璧な
国民年金法案を今実施してこそ、
国民大衆は憲法二十五条の精神がほんとうに実現されることを期待し、安心をするでありましょう、それが生産意欲を振興する。そしてその
所得再配分によって生産を刺激し、産業の振興を見、
雇用の
増大、安定を見、あらゆる面において
日本にいい結果をもたらすわけであります。このようなことを踏み切れないようなことは、長い目の政治を知らない者であって、目先の財政の収支、そのような三文形式のような政治家であります。政治を知る者は、断固として、勇気を持ってよいことをやらなければなりません。
児童扶養手当法案が出たことは、ないよりはずっとましであります。しかしながらこの児童手当法案は、生別母子世帯に対する母子福祉
年金の支出を要望する声にこたえて、それを
制度的に検討されて、児童ということをもとに出された
法律であります。
日本社会党の
法律案においては、生別母子世帯に三千円を支給する内容を含んでおります。この
児童扶養手当法案は生別母子世帯に、現行法の月千円までしかくれない金額をもとにして配分をしてあります。そのような三分の一ぐらいの内容では、たとい一歩前進であっても、われわれは法案の関連性からもってして、これに賛成することができないわけであります。児童扶養手当ということにとどまらず、家族手当に発展をするような内容を持ち、金額がよければ、賛成するにやぶさかではないのでありますけれども、このような内容では、ただいまの時点においては賛成することができません。
以上のような理由をもって、私は
日本社会党の
国民年金法案に全面的に賛成し、
政府提案の
国民年金法の
改正案、また
児童扶養手当法案、また自由民主党
提出の修正案に反対するものでございます。
私の非常に大きな声で気持を害されたかもしれませんけれども、
国民のために懸命に申し上げたことを御理解いただいて、自由民主党の方々も、断じて
日本社会党案に御賛成下さることを心から期待をいたしまして、私の討論を終わります。(拍手)