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1961-05-24 第38回国会 衆議院 社会労働委員会 第37号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十六年五月二十四日(水曜日)     午後二時六分開議  出席委員    委員長 山本 猛夫君    理事 大石 武一君 理事 齋藤 邦吉君    理事 永山 忠則君 理事 藤本 捨助君    理事 柳谷清三郎君 理事 小林  進君    理事 滝井 義高君 理事 八木 一男君       井村 重雄君    伊藤宗一郎君       小沢 辰男君    大橋 武夫君       亀岡 高夫君    藏内 修治君       澁谷 直藏君    田中 正巳君       中山 マサ君    服部 安司君       松山千惠子君    大原  享君       河野  正君    五島 虎雄君       島本 虎三君    田邊  誠君       中村 英男君    吉村 吉雄君       本島百合子君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 古井 喜實君  出席政府委員         厚生政務次官  安藤  覺君         厚生事務官         (大臣官房長) 高田 浩運君         厚生事務官         (児童局長)  大山  正君         厚生事務官         (保険局長)  森本  潔君         厚生事務官         (年金局長)  小山進次郎君  委員外出席者         厚生事務官         (保険局厚生年         金保険課長)  加藤 威二君         厚生事務官         (年金局国民年         金課長)    高木  玄君         厚生事務官         (年金局福祉年         金課長)    鈴木 正信君         専  門  員 川井 章知君     ————————————— 五月二十四日  委員加藤常太郎君、川島正次郎君及び赤松勇君  辞任につき、その補欠として松山千惠子君、服  部安司君及び原彪君が議長指名委員に選任  された。 同日  委員原彪辞任につき、その補欠として赤松勇  君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  国民年金法の一部を改正する法律案内閣提出  第一一七号)  通算年金通則法案内閣提出第一四八号)  通算年金制度を創設するための関係法律の一部  を改正する法律案内閣提出第一四九号)  年金福祉事業団法案内閣提出第一三三号)  児童扶養手当法案内閣提出第一三九号)  国民年金法案八木一男君外十四名提出衆法  第四号)  国民年金法施行及び国民年金と他の年金との  調整等に関する法律案八木一男君外十四名提  出、衆法第五号)  国民年金積立金運用に関する法律案八木  一男君外十四名提出衆法第九号)      ————◇—————
  2. 山本猛夫

    山本委員長 これより会議を開きます。  内閣提出国民年金法の一部を改正する法律案通算年金通則法案通産年金制度を創設するための関係法律の一部を改正する法律案年金福祉事業団法案児童扶養手当法案八木一男君外十四名提出国民年金法案国民年金法施行及び国民年金と他の年金との調整等に関する法律案国民年金積立金運用に関する法律案、以上八案を一括して議題とし、審査を進めます。  質疑に入ります。八木一男君。  ちょっと速記を止めて下さい。   〔速記中止
  3. 山本猛夫

    山本委員長 速記を始めて下さい。
  4. 八木一男

    八木(一)委員 ただいま議題になりました八法案中、社会党の三法案については他党の方から御質問があると存じますので、残りの五法案について、この中の主として国民年金法の一部を改正する法律案について、これから逐次、ゆっくりと、十分に御質問を申し上げたいと思います。きょう一日ではとうてい終わりませんので、ときどき中断をして、何回も繰り返し御質問をすることをあらかじめ申し上げておきます。  今度政府の方で国民年金法改正案を初めとして、通算関係あるいは児童福祉あるいは事業団法というような、国民年金の一連の法律案改正案を出されたわけでありますが、この法律案その他については、ごく一部、少し前進の見えるところがあるわけでございますが、自民党内閣が少なくとも国会において私どもに厳粛にお約束になったこととは、はるかにほど遠いことであると私ども理解をいたしております。昭和三十四年の通常国会国民年令法審議をされましたときに、当時の政府案日本社会党の案とが同時に審議をされまして、徹底的に本会議並びに委員会論議をされたわけであります。そのときの政府側の提案の責任者である坂田道太君であるとかあるいは内閣最高責任者である岸信介君の答弁によりましたならば、われわれの質問に対して政府案が非常に不十分である、また組み立てが間違っているという点の指摘に対して、その通りでございます。しかしながらこれが初めて発足するところで、これくらいの不十分な案しか持ち合わせがございませんでした、一応御審議を願って、特に拠出年金の始まるまでに相当の時間もあります。それまでに必ず改正案を出すことになりますので、そのときに十分国民の御期待に沿えるような案を出す、いろいろの改正をするということでありますから、こういうことで了承を願うということを繰り返し総理大臣並びに担当厚生大臣から言われたわけであります。ところが出て参ったこの法案については、何項目改正点はありまするけれども、そのような根本的な問題について指摘をされて、その不十分、不合理を認められて、急送に改正を進めると公約せられた線とははるかにほど遠い。数点ありまするけれども、その数点は部分的な点で、すでにたとえば三十四年の審議のときに、これは根本的な改正の前に具体的に処理をしますというような答弁をいただいた点のみにとどまっているわけであります。たとえば災害時には、前年の所得所得制限以上であってもその所得制限を適用しないというような点、これは去年の災害立法のときに起こった問題であって、このようなものは恒常化することはあたりまえである。それから準母子年金の問題であります。これは即時しなければ格好がつかないということは、当時の担当大臣が言っており、しかも去年の岸内閣の当時の厚生大臣がすぐことしいたしますと、根本的改正とは別に約束をしておるわけであります。池田内閣中山君が来てから言った問題ではないのであります。そういうような具体的にすぐ解決する別種の問題を並べ立てて、たくさん改正点があるように見せかけておられますけれども審議の最初に言われました、それが非常に不十分である、組み立てが不合理である、そういう点についての根本的な改正意欲がこの数点の改正の点には一つも出ておらないわけであります。社会保障に熱心に取り組むと池田内閣公約をするその前からの話であります。国民年金法ができ上がるときから自民党内閣としては、その不十分な、不合理な点を変えるという公約をしておき、選挙において今度は非常に社会保障と熱心に取り組むということを大いに宣伝をしておいて、このような改正すべきところの一千分の一ぐらいのものをもって改正案というのは、実におこがましい次第であります。このような乏しい改正案自民党公約の十分の一でも果たしたと考えておられるかどうか、厚生大臣の御所見をお伺いいたしたいと思います。
  5. 古井喜實

    古井国務大臣 国民年金内容は、もっともっと将来改善し、充実していかなければならぬものだと思います。いま一方ではこの医療保障というものを育てなければならぬ。これもいろいろ不十分な点がありまして、改善しなければならぬ。一方ではまた国民年金も育て上げなければならぬ、こういうふうな状況でありまして、二つの、いわば子供を両方とも育て上げていかなければならぬというような状況でおるわけであります。これについては順次改善向上をはかっていくという以外には道はございませんので、段階的に改善をはかっていきたい。それで昨年の衆議院の総選挙のときに党としてこういうふうな点をと言った事項は、おおむね今回の改正案に盛っておるわけでありまして、選挙を通じての公約というものは、大体においてこの段階においては果たしておると、こういうふうに思っておるわけであります。これで済んだとは申しません。逐次さらに前進をしたいものだと考えております。
  6. 八木一男

    八木(一)委員 これは主権者であり、非常に政治に熱心な国民方々に訴えられるときに、ほんとうにわかりよく訴えられて、そしてこれを実行してこられなければならないと思うのです。項目だけだらだらと九つ並べて、九つも変えたという問題もありますけれども、一点だけ変えてもこの九つの数百倍に余るよい内容に変わる点もあるわけであります。この政府国民年金法というのは、予算とほとんど関係のない、ごく微々たるものを並べ立てて項目九つ作っただけの話で、この前の三十四年の通常国会において政府責任者厚生省責任者両方ともが、次の拠出年金をやるまでにりっぱに変えてみせます。それだからこのところはこれで通過させてもらいたい、与党委員の方にもそれで説得をされて、与党委員の方に社会保障に熱心な方がたくさんおられるから、それくらいの案では足りないと思ったけれども与党委員の方を説得されて、大きな改正があるだろうということで納得させた。社会党の方は、そのようなことでもまだ不十分だ、組み立てが不合理だということで反対をした。その賛成をした与党諸君に対しても皆様方公約違反をしておる。国民方々には許えただけのことをやっておると口はばったく言われますけれども国民方々予算内容をすっかり御存じありません。項目九つぐらい並べれば、ごく人のいい方は、ある程度政府努力をしたように見えるかもしれませんけれども、根本的に予算を大きくほおり込んで、役人をしておる点が一つもないわけであります。死亡一時金のごときは、運用利回りの予測される差額でこれをまかなう。またほかの準母子家庭母子年金をやることは大事なことでありますけれども、そう大した金額ではありません。そういう意味国民年金法改正案と言うには値しない微々たるものであります。二年前に自民党内閣がこれだけの公言をしておきながら、与党の熱心な諸君にあれだけの約束をしておきながら、それが、実行できないというようなことであっては、社会保障ほんとうに取っ組んでいるとは言えないのであります。国民健康保険医療保障、すべてが大事なことは当然のことでありますが、初めからわかっておることであります。国民保険になればそれだけ国庫負担が全国に及ぶから、それだけの金額がふえることはわかっておることであります。たとえば国民年金が、一年無拠出年金について支出をしておらなかったけれども、経過的じゃなしに満年度になればそれだけの予算を組まなければならぬということは、初めからわかっておることだ。また拠出年金が始まるとすれば、その保険料の五割は積立金をしなければならぬことはわかっておる。そういうことで予算がふえたということを厚生大臣総理大臣もよく言うけれども、そのような当然増では社会保障を進めたとは言えないわけなんです。生活保護を一八%上げたとか、あるいはまた失対賃金を上げたということをおっしゃりたいと思いますけれども、その点では幾分上げたことは、みな認めるにやぶさかではありませんけれども、それも公約の線からはずれること大きな点があるわけであります。そういう意味で全般的に社会保障について大きな石板を上げながら、実効はほとんどないと言っていいくらいごくわずかであります。しかも年金についてはほとんど前進をする意欲を示しておらないと言えると思うのです。そういう点について厚生大臣ほんとう年金前進させる意欲を持ってこれに当たられたかどうか。この点について明確な御答弁を願いたい。
  7. 古井喜實

    古井国務大臣 昨年の選挙に臨みますまでには党としてもいろいろ論議をし、検討をし、この段階においてどれだけの改善を加えるかということをせんじ詰めて、その結論を選挙を通じて国民にも示し、そしてきょうに至ったのでありまして、その際において、党において必要だと考えたものは、先ほども申した通りこの改正に盛っておるわけで、微々たることだとおっしゃるかもしれぬけれども、そう軽々しくは考えられない。各項目ともそれぞれ大事な意味があるのでありまして、この各項目ともどれも大事な改正だと思う。財政計画と無関係にただ架空なことを申しても仕方がありませんので、漸次段階を追ってさらに改善を加えていく。それで今二十才か三十才の人が実際年金を受け取るような時期になるころまでには、支給の金額どもずっとふやすように改善を加えるのが至当だとわれわれは思っております。今日、発足間もないときにすぐさま、今までの案とまるでけたの違ったことを考えるということも、実際的にそうもいかぬのでありまして、また漸を追うて改善を加えることだけは間違いない、漸を追うてやっていきたい、こういうことでありますから、要するに時期の早いかおそいかというだけの違いでありますから、この点は八木さんのお考えになっていることと基本の考え方では大きな、距離はないのじゃないだろうか、こういうふうに思って、この改正もきわめて有意義かつ必要だというふうに思っております。
  8. 八木一男

    八木(一)委員 今度の改正はないよりはましなことははっきりと認めたいと思いますが、その改正点が非常に乏しいので、国民のために残念しごくであります。  ところで順を追ってだんだん改善をすると言われましたけれども、その考え方を再検討していただく必要があると思う。ことしの四月から政府のやられようとするおもに拠出年金について、またそれに関連して無拠出年金について、大きな国民運動が起こっております。その中には、絶対に拠出年金反対だという運動もあるでありましょうが、よりよいものにしようという運動がその大部分であって、そういう運動が起こっているわけであります。その運動の主張する点については政府側はいろいろ御意見もありましょうし、またそれについて部分的に対処をしたという答弁をなされたい点もあるでありましょう。しかしながらその運動全体の指向している点は、政府拠出年金の不十分な点とその組み立て社会保障的でない点について非常な不信の念を持っているわけでございます。それについて政府側がその不十分を十分にする、あるいは組み立てについて別な、もっと進んだ考え方を指向されようとする考え方であろうと思うわけでありますけれども年金という非常にわかりにくい制度、しかもわかってもらわなければならない制度に対して国民が深い理解を打ち、期待を持ってこれに協力するという態度ができるかいなかは、将来のこの大きな目標を早く国民の前に明らかにすることにあるわけです。順を追ってという考え方は、形式的な、今までの物事を動かし得ない政治のやり方であります。完璧に将来のことは見通せ安いにしても、相当程度は見通せる。いろいろの統計的な条件がそろっているときに、見通せる限度においては将来の目標政府として、厚生省としてはっきりされることが年金制度に対する期待となり、それに対する協力となり、事務的ないろいろなごたごたが解消する原因になる。そうして国民がまた期待を持つ年金制度ができるということで、いろいろの点で心を安んじて生産にいそしめることになると思う。順を追うてということは普通の場合に言い得るわけでございますが、この場合には順を追うてということは、ほんとう年金国民理解させる意味において、ほんとう前進させる意味において非常にマイナスであります。その点で順を追うてという考え方を脱却して、目標のつく限りにおいて、これがいいと思われる限りにおいて直ちに将来の前進を、そしてその中ですべてできることは今即時の前進厚生省側として、政府側として明らかにせられる必要があると思う。その点についての厚生大臣のお考えを伺いたいと思います。
  9. 古井喜實

    古井国務大臣 漸を追ってという意味は、行き出たりばったりにという考えではございませんので、そこで年金のみならず社会保障全体について、たとえば十年後の目模をどの辺に置くか、その中に年金目標はどの辺に置くか、医療保障の水準はどの辺に置くかというな目標を持って歩くことが一番理解をしてもらう道でもあるし、いいことだと思うのでありまして、事柄はたやすくない、きわめて困難でありますけれども、そういうふうな長期的な計画目標を立ててこれから先を行くのが至当であろうと思いますので、そういうふうな準備を今厚生省の中でもせっかくやっておるところであります。   〔委員長退席藤本委員長代理着席〕 省内だけではいけません。党または外部の調査機関等意見も十分聞きまして、次の予算段階にはそれを足場にして実現をはかっていく、将来に対してはこういう考え方を持っておるわけであります。今日のところ改正案あるいはそのもとになっております国民年金法については、幸いにだんだん理解が徹底してきたと思います。これは社会党の方の委員などが大いに論議して下さったこともある意味では関心を高めたという一つの事情もあると思いますが、農村方面などはこれは届出事務などが進まないだろうといって心配しておったところが、あにはからんや農村方面は一〇〇%ということで、おかげをもって大いに理解をしてもらったわけであります。都会地はまだおくれたところもありますけれども、ここまで理解がきたということは、この法律のいいところを十分わかっていただいたという現実の証拠であると思います。でありますから、先にはさらに希望を持ちながら着実に前進をしていく、こういう道をとっていって、これでいいことだろうと考えております。
  10. 八木一男

    八木(一)委員 厚生大臣、それは非常に考え違いであります。農村の方は一〇〇%と言われるけれども、一〇〇%なら対象年令の者が全部入っておるかというと、そうではない。厚生省目標に対して一〇〇%です。そんなことはあたりまえですよ。このような不十分な案でどれだけ理解せられるだろうという目標がついて、それが一〇〇%というのはあたりまえであって、ほんとうにりっぱな案であったら、そんな目標に対して一〇〇%でなくて、全対象者に対して一〇〇%でなければいけない。百なんていう数字をインチキで使ってはいけません。小山さんでもいいのですが、目標に対してか、ほんとう年令層に対して全部であるかどうか答えて下さい。
  11. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 ただいまお話しになりました適用率の問題は、農村方面のは目標に対してのことでございます。
  12. 八木一男

    八木(一)委員 小山局長が言われるように、厚生大臣も御承知だろうと思います。それを一〇〇%というのは間違いなんです。政府の案が貧弱であるということを認識されて、努力してこのくらいの程度しかいかないだろうというので、ああいう目標を立てられた。だから目標のところにいったというのはあたりまえの話だ。もっと完璧な法律であれば対象者の一〇〇%になる確信を持って、しかも字も読めない人か意地っ張りの人が十万人の中の一人くらい反対するかもしれないが、九九・九%くらいの者がこぞってなるということになる。ところがそれだけりっぱでないから、ある程度目標を作ってその目標の一〇〇%、そんなことでは厚生大臣は百ということを言われない方がいいと思う。完全に国民に信頼を持たせる案を作って、そうして百だというときに大いに誇っていただいて、大いにわれわれから厚生省努力を賞揚されるというふうなところまでは、百だというようなことで安心をされてはいけない。それともう一つは、日本では官尊民卑の思想からまだ脱却をし切っておりません。政府の言うことなら、お上の言うことなら仕方がないというような感じがある人が国民の中に多いし、特に組織された労働者以外にはそういう風潮が多い。ですからそのように目標率に近くなったからといって、それでほんとう国民の信頼し得る内容であるというふうにされたならば、大事な、自民党のものでもない、社会党のものでもない、池田内閣のものでもない、ほんとう国民のための年金制度が進展しなくなるわけであります。それを促進する、よいものにする最高責任の地位にある方は、そのようなことで安心なさるのじゃなしに、目標の百であってはだめだ、ほんとうの百になるまで、それだけ信頼されるような案にするために、いかに大蔵大臣が頑迷固陋であろうとも、ほんとうの案にするということを急速に進められなければならないと思う。それを総合調整の名をかりて一年ずらすというようなことは許されない。総合調整は必要であるかもしれない。しかしながら、この前の国権の最高機関である国会論議において、こういう点に欠点があるということは十分論議し尽されて、与党の方からもこれは不十分であるという点はずいぶんたくさん出ているわけです。少なくとも与野党一致したような点は完全にこの改正案に盛られていなければ、十分な努力をされたとは言えない。特に一致の附帯決議にならなくても、当然その討議の過程でそれはいいことだとお互いに認識していることは、政府が積極的にやってこられなければならないと思う。そういう点で国民年金に関する限り厚生省は——医療問題の方に一生懸命やられるのはいいですけれども、そちらの方にエネルギーの大部分を吸い取られて、あるいはまた生活保護の方に大部分を吸い取られて、この問題については今回に関してははなはだ程度が低かった。生活保護医療保障は大事でありますから、十分にエネルギーを注いでいただいてけっこうでありますけれども、あらゆる問題の推進の役割を持っていられる厚生省の中枢の方々は、ほかのものを完全にやるとともに、年金はしんどいからことしはこの程度にしておこうというようなことであっては困るので、そういう点について非常に不十分であったと思います。それについての厚生大臣の御所見があれば伺いたい。
  13. 古井喜實

    古井国務大臣 これは八木さんなどはそういうふうにごらんになるでしょうし、そういう御意見をわれわれが伺うことも大きに今後のために参考になるどころじゃない、有益でありまして、ますます前進努力しなければならぬという感じを強くするわけでありますが、ただしかしこの改正案自体は、確かにこれはどの項目をとってみても改善であって、よいことには相違ないと信じておるのであります。将来、これで済んだというのじゃないのでありまして、全部済んでしまったのではなく、今後はまた今後として前進考えていく、こういうふうに私ども考えておるのであります。各方面理解は私は相当進んだと思います。現に当たってみてそういう気がする。こんなのはだめだから一つ延期しようじゃないかという議論をだいぶん強く各方面、地方の方でされた方もあるようでありますが、それにもかかわらずこの通り目標を越すぐらい、そういう意見もあるにかかわらずやはり届け出は進むという事実も現に起こっておるのであります。なるほど聞いてみるとよい話だ、悪いことばかりみたいに言う人もあるけれども、聞いてみるとよいことだということがわかったればこそ、何ぼ何でも悪いものだったら、そう国民もこれに乗ってこないと私は思います。そういうわけで、済んだとは申しませんが、さらに前進はしたい。
  14. 八木一男

    八木(一)委員 御答弁の前半は、これから大いにやろうということであって、大体了承をしてもいいのですけれども、これからということじゃなしに、やはり個々の原案を出されても国会審議をして決定をすることでございますから、この機会にさらによくするという努力をわれわれもいたしますから、厚生大臣厚生省も、立場々々は別として、それを推進する努力をしてもらわなければいけないと思います。  後半については、そういうことではいけないと思う。目標に達したといっても、延期運動があったけれどもそうなったということで言われてはいけないと思います。この本質の問題があります。この政府拠出年金は社会保険的にでき上がっておって、中間属以上についてはいいけれども、それ以下についてはよくないという内容を持っております。従って今登録をしたとしても、政府案に賛成ではないけれども、勧められるからそれに加入したとしても、それは年金対象者としては第二義的な裕福な人も、消極的賛成あるいは消極的な登録ということに現われた。一番焦点は、所得保障の必要な、年金制度の必要な人の反対という問題が一番重大な問題であります。そういう一番必要な人が喜んで協力し、喜んで期待ができるというような年金制度にすることが大事である。目標率についてどうということで満足をしておられるようなことであっては、年金制度の将来の完全な発展はないと思うのです。その点については認識をぜひ変えていただきたいと思う。それについての御答弁を願いたい。
  15. 古井喜實

    古井国務大臣 社会党の御提案や、御議論などは、われわれにも大きな有益な参考資料になるのであります。御議論などもよく伺って将来の問題を考えたいと思います。   〔「定足数が足りない」と呼ぶ者あり〕
  16. 藤本捨助

    藤本委員長代理 八木一男君、御発言を願います。   〔藤木委員長代理退席、委員長着席〕
  17. 山本猛夫

    山本委員長 八木一男君、御継続を願います。
  18. 八木一男

    八木(一)委員 そういうことで厚生大臣改正案が不十分なことを、非常にざっくばらんに歯切れのいい言葉で言ってはいられなかったけれども、認められた形であります。それに積極的に反論せられなかったことは、十分に良心的な厚生大臣としては厚生省提出の案が非常に不十分きわまることを認識されましたけれども政府として言いにくいので言葉をぼやかしておられるということをはっきりと理解をいたしまして、これから質問を進めて参りたいと思います。  そういう不十分なものを出された以上は、これを社会労働委員会で十分にするための審議をしなければなりません。十分にするための審議をするためには、この前、年金法をやりましたときに論点になったことについて、今の厚生省責任者である古井さんがどのように理解をしておられるかということがもとの問題になろうかと思います。その意味国民年金法全般の、最初からの根本的な問題について一つ伺ってみたいと考えるわけであります。  まず第一に、政府国民年金法は拠出制が主眼になっております。拠出制の問題で、拠出制の開始年令とからみ合いますけれども金額目標がどうであるかという問題が一つの大きな点ではないかと思います。大きな点についてはいろいろと十幾つもありますが、その問題についてまずお伺いをいたしたいと思います。  この政府改正案では、将来の目標を変えることを提案をしておいでになりませんけれども、現行法の六十文才月三千五百円、これが保険料を全部完納した場合、あるいはごくわずかの免除基間と保険料完納期剛とを合わせた場合のみに限られた金額でありますが、それ以外ははるかに落ちる、あるいはもらえないという場合があるということになっておるわけでございますが、そのような目標が非常に妥当を欠く、非常に乏しいものである、魅力を欠くものであることは、当然聡明な厚生大臣としては認めておられると思いますけれども、それについての御所見を伺いたいと思います。
  19. 古井喜實

    古井国務大臣 今の二十代の人が六十五になって月三千五百円、そんなことはあり得ないので、もらう時期までには経済の成長も片っ方で起こるし、三千五百円じゃなく、もっとうんと大きな金額がもらえるように、これは当然改善さるべきものだと私は思っております。ですから、きょうの話としては、何だ三千五百円じゃないか、そうじゃなくて、三十年、四十年たったあとにもらう時期には、もっともっと内容改善されているはずで、これを大きに当然のこととしてみんな考えていいと思います。
  20. 八木一男

    八木(一)委員 厚生大臣の御答弁通り、これはもっともっと改善されていかなければならない問題だろうと思います。ところで、もっともっと改善されるものでありましたならば、今からその改善された目標をつけられることによって、年金制度に対する国民期待も高まり、またそれに対して理解が高まるわけです。将来改善されるべきものであるということは与党の力走が認めておられる。野党は同じ程度以上にそれを改善すべきものだと考えておる。そうならば、その目標をもっと今から高く掲げられないのはどういうわけか。掲げてしかるべきだと思うのです。どういうわけかと追及するのじゃなくて、掲げられるように全力を上げてその方向に持っていかれるべきではないかという質問であります。
  21. 古井喜實

    古井国務大臣 きょうの法律としては、きょうの財政的な基礎のもとにおいて法律を書いておるのでありますから、将来のことはだんだん法律を変えていけばいいのであります。これはもう将来に対する目標ということになるのでありますから、法律のきょうの条文というものはどうしてもきょうのベースで書いておかなければならない。これは先にはこうなりますという将来のことを法律に書いておくわけにはいかぬので、これは政策問題であるのでありまして、政策的に——むろんこれは三十年も四十年もたってこのままで足踏みしているという道理がないわけであります。どう考えても、金額は何倍かになっていなければならない。これは当然のことだと思うのです。それを大ぶろしきを広げておらぬというだけのことなので、方角だけば間違いがない、こういうふうに思うのであります。
  22. 八木一男

    八木(一)委員 大ぶろしきを広げておらない、ほんとうによくしようという考え方ですが、ほかのことでは与党は大ぶろしきばかり広げて中身は空っぽだ。中身が空っぽじゃないとおっしゃるのだったら、ふろしきは全部広げなくても大部分広げて、中はこんなものだから持っていって下さいよということを言わなければ、中にゲジゲジが入っているのか、中にシュークリームかショート・ケーキが入っているのかわからないのに、ほんとう国民は積極的に期待を持てるかどうかわからないわけです。そういう意味でもっと内容をいいものにする気持があるならば、もっともっと内容を示す必要がある。そういう点で今の修正案は部分的にごくわずかではあるけれども、この修正点は別に悪い点ではありませんけれども、この修正の機会に、前から近々修正する必要があると言われておるわけですから、そういう点を出される必要がある。なぜそれを出されなかったか、それについての御所見を伺いたい。
  23. 古井喜實

    古井国務大臣 たとえて言えば、この国民年金は生まれたばかりの赤ん坊のようなものでありますからして、当然成長していく。少年になり、青年になり、おとなになっていくはずのもので、いわば生まれたばかりの状態であって、成長するのは当然のことでございます。将来の三十年も四十年も先の目標を示すなんということはなかなかむずかしいことで、そんな先まできょうの私どもが縛ってしまっておくというわけにもいきませんが、しかし経済成長計画も十カ年計画が今日は立っておるわけでもありますし、でき得べくんば十カ年後の目標、ここまでいきたいという目標くらいは立てたい、こういうことがさっき申し上げている長期計画の問題になるわけであります。これはひとり年金の問題だけではありません。われわれの目標とするところを少なくとも持ちたいものだということで、今御案内のように準備をし努力をしておる中途であります。
  24. 八木一男

    八木(一)委員 厚生大臣が赤ん坊だと言われましたけれども、二年前がほんとうの赤ん坊だった。生まれたてのほやほやで、今ははいはいができるようになった。生まれたての赤ん坊と、はいはいができるときとは違うので、生まれたときに目標を定めて、そのときすでにそれが不十分だということを指摘されて、そうして納得されて、しかし今は生まれたてだから、もう少しはいはいできるくらいまで待ってくれと言われた。今はいはいができるところまで来たのですから、やはり目標をもっと強く立ててもらわなければならない。生まれたてのときは手はこれくらいしか行かない。はいはいのときは一間くらい前まで進めるのですから、一尺くらい手を動かすのと一間進めるときでは目標が違わなければならぬ。それについてその目標を定められなかったことは非常に怠慢であると思う。だから、まだ時間はあります。国会はまだあります。委員会審議をしておるわけですから、これは当然厚生省で撤回して、その部分だけ修正をして、一間向こうのものを出してくる、それが技術的に今までの慣例では不都合であれば、古井さんと意気投合する社会保障に熱心な与党の方がこれだけたくさんおれらるのですから、この方々が修正案を出されれば一ぺんに問題は片づく、そういうふうに指向されることが必要であろうと思いますが、それについて、役所と政党とは違うという立場で返事ができないのだったら、にこにことされて返事をなされないか、積極的に返事をなされるりっぱな勇気がおありになるならば、そうしてもらいたい。どちらかにしてもらいたいと思います。できませんという御返事は、厚生大臣の良心に従ってできないはずでございまするから、さっき言った三つのどちらかの返事にしていただきたい。
  25. 古井喜實

    古井国務大臣 きょうの段階としては、この案が最良だと考えますが、八木さんのお話は、先の目標の問題ですから、この法律とそれから先の目標、先の目標のことはさっき申し上げた通り。さっきは赤ん坊だというと、今おっしゃるように三才っ子だとおっしゃるが、八木さんのようなりっぱな成長をとげる、方向だけはこういうことをむろん予定しているのでありますから、具体的な目標のことは、さっき申し上げたように、これのみならず、十年先の目標くらいは何とか立てておきたいものだという考え方努力している途中であります。
  26. 八木一男

    八木(一)委員 さっき私が要望しました答弁と違う答弁をなさっては困る。困るというのは、そういうことを言う資格が形式的にはないかもしれません。だけれどもほんとう国民の名において、ほんとう社会保障に熱心な社会労働委員会全体の名においては、それは言って差しつかえないことだと思う。あそこで不規則発言で、ただ歌を歌うように、きょうのところは最善だというような不規則発言がございましたけれども、そんなことにつられて厚生大臣が同じようなことを言われることは、非常に国家のためにマイナスである。現在の時点においても最善ではありません。ですから、さっきの現在の時点というのは五分前のこととして理解します。五分以後においては、この論議が展開されているから不十分だということになって、そうなれば、五分後の現在の状態においては、これを考えることが正しいという立場で御答弁願わなければならないと思う。これについての御答弁を……。
  27. 古井喜實

    古井国務大臣 これはさっきも申しましたように、これでもう済んでおると思っていない、もっともっと充実して高いところに持っていかなければならない、これはその通りに思っております。
  28. 八木一男

    八木(一)委員 具体的な問題に入ります。政府の三千五百円という案は厚生大臣十分御承知の通り日本の経済成長率を二%と仮定して推定をした金額であります。そして四十年後に生活保護の基準一人当たり二千円を仮定いたしまして、二%の経済成長率からさらに〇・五を資本蓄積に回すと考えて、そうして一・五で計算をして四十年後に三千五百円になる。その四十年後の三千五百円をさらにちょっとサバを読んでいるわけです。保険料支払い期間は四十年後であります。ところが年金の支給開始は、この五年後、完成した暁の五年後であります。四十年後において、二%で計算して、資本蓄積なんてよけいなものをさっ引いて一・五で計算した目標額が三千五百円であるのに、その三千五百円を実行するのにさらに五年間ずらしているわけです。その一番間違った計算方法によって、それが四十五年後六十五才で三千五百円だ。ところがこの経済成長率二%という、こんなものは常識では考えられない。与党では、この前の計画においても今度の計画においても、二%なんという経済成長率よりもはるかに高い経済成長率を設定されておるわけです。最高責任者の池田勇人君は九%に上げるということを言っておる。それについては古井さんも否定はなさらないと思う。政府が自信を持って二%をはるかにこえた経済成長率を呼号しておるわけです。あした池田内閣が倒れて社会党の河上内閣になろうとも、社会党はそれ以上の経済成長率に確信を持っておる。どの内閣になろうともそれ以上の経済成長をすることはあたりまえであります。そうなれば二%と、今の各党の主張しておる経済成長率とははるかな大きな差がある。この経済成長率から資本蓄積を省いた残りの年金の上昇率というものは複利計算で行われております。ですから一分の違いでもものすごい違いができるわけです。しかもそれは一分どころではない。数分の違いがある。非常に計算間違いがされているわけなんです。それで非常に劣悪な六十五才における目標が設定されているわけです。このような数字がわからない国民にしても、そのようにかけ離れた劣悪な基準を設定されておりましたならば、感覚的に、そんなものは大して当てにならぬ、つまらぬという感じになるのはあたりまえであります。国民のこの素朴な感情は理論的に考えたこととぴったりと一致をするわけです。従って国民が、この年金期待を持ち、これを理解をして、ほんとうにこれに喜んで協力をするためには、少なくともこの将来の目標はただいま直ちに改定をされなければならないのであります。将来の目標が立たないと言われれば、立つ範囲内でけっこうであります。九%あるいは七・二%で計算をされましたならば、この三千五百円はおそらく十倍以上になるでありましょう。もっとなるかもしれません。五万円か十万円にしてもいいことになるでありましょう。そこまでは無理としても、そこまでは計画が狂った場合に御心配があるにしても、三千五百円を七千円にするとか八千円にするとかいうようなことは、将来の計算として絶対に間違いがないわけです。もしこれに心配があるというならば、日本池田内閣のすべての経済統計、すべての見通しについては信頼は置けない、長期計画は一切信頼ができない、自信をもってすることができないということになるわけです。最小限度の将来の目標国民の要望に合わすように今直ちに改定をすることが必要なことだと信ずるわけでございますが、それについての厚生大臣の御意見を伺いたいと思います。   〔委員長退席、柳谷委員長代理着席〕
  29. 古井喜實

    古井国務大臣 そこで、八木さんのおっしゃっておる、将来この三千五百円ではなくて一万五千円であり、あるいは二万円である、あるいはもっと上である、こういうふうなところに成長をするということは、当然われわれはこれを期待して、そう信じておるのであります。そこできょうの問題は、本人の掛金百五十円に対して国が七十五円、あるいは掛金百円に対して五十円、こういうきょうの掛金、国が出す金、それを基礎にして年金額は書いてある。掛金と国が出す金というのがここにちゃんとあって、それからはじき出したもので法律には出ておるわけであります。けれども、将来は経済が今お話のように大きく成長していくのですから、もとが変わってきて、そうして受け取る金額も大きくなる、こういうことになるのでありますから、これは将来の青写真の問題であります。この法律ではなくて青写真の問題になってくると思うのであります。そういう意味で将来の青写真というものは大きにわれわれも持ちたいのであります。三十年あとということは言えないにしても、少なくとも十年あとくらいの青写真の目標はどこか、この法律に書くのでありませんけれども、そういうふうに考えて、先の目標は持ちたいという点では私どもは同感なんであります。そういう努力も今せっかくしてみておるということは、さっきも申し上げたようなわけであります。そこは事柄にはあなたとあまり距離がないように思うのであります。
  30. 八木一男

    八木(一)委員 年金積立金方式でやっておられるのでございますが、厚生大臣のそのような御答弁は、形式的に通るやに聞えるような御答弁になるわけです。しかしそういう点に固定されているからであります。積立金制度にしても、将来の国民所得ということで将来のことを改定する考えがあれば一つ処理できることがありますし、またその中で負担能力の多い人にたくさんぶっかけるというような方法での解決の仕方も一つあります。また修正賦課式という方法をとればこんなものは一ぺんに片づく。いろいろな方法がある。だから現在の百円、百五十円に固着をして、国庫負担三分の一——これは五割と言っておられますが、実質給付に対しては三分の一であります。そのような三分の一という貧弱な国庫負担に固着をして考えられるとそういうことになる。積立金方式を固執されてもよろしい。国庫負担を三分の二になされれば、そんなものは一ぺんに片づきます。保険料はそのままにしておかれて、あるいはまた保険料を階段式にやっても一部分解決がつくでありましょう。また死亡一時金は運用利回りを原資にしておられますが、そういうようなことでなしに、これをほんとう政府出資からふんだくられて、運用利回りの方をそれに回せば、それも一つの解決方法になる。やる気があれば解決方法は幾らもあるのですが、現在の政府年金法に固定して、そういう方法は今のところは変えられない、将来は考えられるということでは問題の発展がない。年金の将来も基準が非常に乏しい。それがどう考えても乏しいということを考えられますならば、それを乏しいものでなくするために、いろいろな方法を考えられてやっていかれる必要がある。そういうふうに前進をされる意図があるかどうか。
  31. 古井喜實

    古井国務大臣 大きに前進させる意欲を持っております。
  32. 八木一男

    八木(一)委員 ほかの委員の御質問なり、私もまた三回も四回もする御質問でだんだんこういう問題について触れて参りたいと思いますが、特に厚生大臣から池田総理大臣に言っていただきたいことは——あなたとは非常に恥ずかしいことだろうと思う。九%の経済成長を豪語しておるのに年金については二%というようなことで、これは池田さんの経済成長を年金関係では信頼しておらないことになるのだ。年金をふやそうとする厚生省努力大蔵大臣がブレーキをかけることは、御大将の池田さん自身を大蔵大臣が信用していないことになる。そういうことでは総理大臣の立場がないからということをおっしゃっていただくと、池田君もだんだんものがわかってくると思いますので、そういうことを総理大臣並びに大蔵大臣たちに急速に一両日の間にそれを示して理解をさせる努力をしていただけるかどうか、それについての御答弁を願いたい。
  33. 古井喜實

    古井国務大臣 私からあらためて言うまでもなしに、池田総理も大きに将来これをもっと充実したものにしたいという熱意を持っておることは私は信じております。これはすでにそうだと信じておるのでありますが、なおできるだけ注意を喚起して、その考えを強めるようにさらに努力いたしたいと思うのであります。
  34. 八木一男

    八木(一)委員 またこの問題に触れますけれども、ちょっと別な問題に移ります。  この設定の金額の問題と密接不可分の問題は開始年令の問題であります。厚生大臣はこの間新聞に、将来は一万五千円くらいにしたいというようなことを言ったと記事として載っておりましたが、これは厚生大臣が発表されたのか年金局が発表されたのか、それともよそで言われたのか、そこのところを一つ聞かしていただきたいと思います。
  35. 古井喜實

    古井国務大臣 私は大体今二十代の人などが四十年くらいたったあとで受け取る額は、当然一万五千円やそこらじゃない、もっと上だと信じておるのであります。これはだれが考えてもあたりまえだと思うのであります。これは私は自分でもそう信じ込んでおります。今の三千五百円なんていうけちな金を四十年も先にもらうのじゃないのだ、私はそう思い込んでいるので、そういうことを私もしゃべることもあるのであります。事実私はそう信じております。
  36. 八木一男

    八木(一)委員 それは御発表になったわけですから、至急最近の機会に、目標金額を一万五千円にされると、はっきり理解してよろしいですね。
  37. 古井喜實

    古井国務大臣 十年後の目標くらいは何とか立てたい、こういう考え方はさっき申し上げた通りであります。四十年あとの目標はちょっと今立ちません。四十年先の目標なんて、それは無理です。十年後の目標くらいは立てたいものだ、こういうつもりで今努力しております。
  38. 八木一男

    八木(一)委員 十年後の目標と言われますと、十年後にもらえる金額が一万五千円という目標でございますか。どういうことですか。
  39. 古井喜實

    古井国務大臣 これは今どういうところを確かなところとして目標に立てたらよいかと、いろいろ論議をしたりしている中途でありまして、さっきのあの話は、今二十代の人が受け取るころはということを言っておるのであって、これは受け取るころに今の金額であるはずはないと信じておるから、そのときのことを言っておるのであります。
  40. 八木一男

    八木(一)委員 私は大体わかりましたけれども、もう一回はっきりしておきたい。その一万五千円というのは十年後の受け取る人ですか、二十才の人が受け取るころはというのですか、そこをはっきり伺っておきたい。
  41. 古井喜實

    古井国務大臣 あの話は、二十代の人が自分が受け取るころはという話です。一万五千円やそんな程度のものじゃない、もっと上だろうということを私は言っておるのであります。
  42. 八木一男

    八木(一)委員 そうなると元の問題に戻りますけれども厚生大臣としても一万五千円ということを言っておられるのですから、とにかく今の組み立て法律に入ってなくても、一万五千円にするということを公式におっしゃった方がいいと思うのです。今二十才の人が受け取られるころには一万五千円にするという御意思であると理解してよろしゅうございますね。
  43. 古井喜實

    古井国務大臣 私は今の金額で通るかというと、そんなことはない、もっとふえるのだ、一万五千円くらいですかという人があるから、そんなものじゃなかろう、もっと上だろう、一万五千円というのは低過ぎるかもしれぬ、むしろそれくらいに思います。ですから四十年あとの目標が一万五千円だなんて、そんなことを言うことはできません。もっと高いだろうというくらいに私は思っております。そういうことであります。
  44. 八木一男

    八木(一)委員 厚生大臣は、今二十才の人が受け取る金額は一万五千円以上、それよりはるかに高い目標であるということをはっきり委員会でおっしゃったことを確認をいたしまして、先に進みたいと思います。  その次に、その金額と関連して年令の問題がございます。年令金額は相互不可分の問題であります。この開始年令についてどのようにお考えであるかということを一つ伺いたいと思います。
  45. 古井喜實

    古井国務大臣 お話しの意味は、受け取るようになる受け取り開始の年令六十五才のことをおっしゃっているのだと思いますが、この問題はよほどよく考えてみなければいかぬ。だんだん寿命も延びてきておるし、活動年令というものを何才ぐらいと見たらいいか、そういうこともありますので、これは六十才にする、たとえば引き下げることがよいことだとは簡単にはお答え申し上げかねるのであります。これはよく考えてみなければいけません。この点はよく検討した上でないと、下げます。下げるにきまっておるというふうには申し上げられないのであります。
  46. 八木一男

    八木(一)委員 寿命がだんだん延びているというふうに言われまするけれども、一方において産業のオートメーション化が進んでいるわけであります。これは工業のみにとどまりません。農業あるいは商業というようなものにもオートメーション化が進んでいるわけであります。それで最近急速に進み出したオートメーション化は、加速度的に進む傾向にございます。そういう場合に、今よりもはるかに働く時間が少なくて暮らす時代がくるわけです。そういう時代に、ある一部の人が一生涯を通じてもあるいは一日を通じても、たくさんの働く時間を占めて、ほかの人に働く機会を与えないということになりましたならば、これは国民の大半の者が勤労の機会がなくて、その結果生活の手段がなくて自立することができなくなるという、非常にゆゆしき問題ができるわけであります。従って労働の問題では、時間短縮をして完全雇用をするということが、これがほんとうの趨勢になる。それを早く進めない今の日本の現状に対して強い批判が起こっているわけであります。与党といえどもやはりそういうふうにお考えになって、時間短縮をして完全雇用ということを進めていかれると思うのでありますが、それとも関連がございます。そういう場合に、一方に寿命が延びたということだけを考えて、ほんとうの実働生産性、生産点に立つ人間の総合計の時間が少なくて済む時代がくる場合においては、明らかに今働き過ぎている人が、ある程度で働きをストップをして、残ったエネルギー、残った生存意欲、残った生命を後輩の指導であるとか、文化事業であるとかあるいはまた芸術的な点に進出するとか、あるいは老後をほんとう意味でゆっくり楽しむとか、そういう方向に向けてもらって、ある年令で生産点を次の世代の人に渡してもらわなければならない時代がくると思うわけです。そのことを考えましたならば、将来の点においても六十五才ということは非常に高過ぎるのであって、六十才あるいは五十五才ぐらいでそのことをしなければならない時代がくるはずであります。ところがこの年金制度組み立てば、長期間の組み立てであります。やはり将来の見通しを立てられて、これをやらなければならないわけであります。その意味で六十五才ということは、はなはだ不適当だ。六十才にすべきであるとはっきり私ども考え方を申し上げておきまして、御理解をいただきたいと思うわけであります。と同時に、年金制度政府の案においても、無拠出も拠出もいろいろからみ合っておりまして、開始年令が六十五才であるために、当然無拠出年金の方も同じにしていいのに、それよりもおそくしている、こういう不合理がありますが、それと同時に、政府考え方だったら、将来の開始年令が六十才であれば無拠出年金の開始年令を六十五才にされる形態であろうと想像するわけでありますが、現在困っておる人の立場からすれば、日本の人は今まで生活環境が非常に悪い人が多かった。諸外国と比較してみても、非常に苦しい生活をしてきたわけです。従って老衰が早い。また平均寿命も諸外国ほどは延びていない。そうなれば生きている間に年金をもらえる、やや老衰したときに年金をもらえる、あるいは老衰し切らない間に年金をもらって、積極的に余生を楽しむために使うというためには、少なくとも六十才からもらわなければいけないわけであります。その意味で、現時点としても六十才が必要であり、将来の見通しとしても六十才が必要であります。その点についても厚生大臣のお考えをもう一回聞かせていただきたいと思います。
  47. 古井喜實

    古井国務大臣 ただいまの点は大いに傾聴に値する御意見と思いますが、これは労働情勢がどういうふうに変わっていくか、さっきもお話しのように労働時間を短縮して、しかし多数の人が働く、こういうことになれば、六十五才くらいまで第一線で働くことになるかもしらぬ。時間短縮で、しかし多数が就業はする、こういう形も起こるかもしらぬ。そういう方面のいろいろな発展の状況とにらみ合わせて考えるのが穏当だと思うのでありますが、大いに有益な御意見として参考にしたいと思います。
  48. 八木一男

    八木(一)委員 若造の意見を有益な御意見として認めていただいたことは、後輩として非常に光栄の至りでございますが、私にそう言っていただくだけでは問題は片づかないのであります。それを進めていただかなければなりません。ほんとうのところ、年金制度というものは長期間の計画でありますから、今六十五才の目標で設定をしておられる。その間にオートメーション化が進む、といっても急に六十五才を六十才に切りかえにくいわけです。繰り上げ年金を、社会党の案にまねをして今度やられたのは、一万分の一ほどの改正点ではありますけれども、それでは金額は減るわけでありますから、根本的な改正にはならぬのです。ですからやはり将来の産業の見通し、労働の雇用の見通し、そういう見通しを立てて年金制度を進めなければ、ほんとうに困ったことになるわけです。政府の政策というのは各個てんでんばらばらであってはならない。その見通しは、よほどこういうことの見通しのない連中はとにかくとして、時間短縮は必要である、早い時点において完全な労齢保障が必要であるということは当然のことであります。特に聡明な古井大臣はもうわかっておられるはずであります。ここの委員各位は、自民党の方もみんなその通りだと首を縦に振っておられるわけであります。そういうことでありますから、将来ということでは困るのです。今から変えておかないとそのときになって変えられない。六十五才まで年金がないからもう少し働くんだということになる。これは労働者だけでありません。一般の自営業者がそうだ。政府の方では農業基本法を、農業の生産性を高めるためにいろいろなことを考えておられる。そのときに六十五才まで老齢年金がなければお年寄りはやはり心配であります。扶養の義務のことは、戦前以上に民法ではっきりと規定はされているのでありますけれども、生活様式が変わったので、古来の意味の家族制度というものは今現に続々と崩壊しつつある。そういうときにおいて、農家のお年寄りはやはりそれが心配であるために、農業のほんとうの経営権を息子になかなか渡したがらない。そのために、農業を近代化して生産性を向上するこの農業基本法の問題で与野党非常に激論を戦わしておりまするが、私どもから見ると非常に間違っておると思う政府の農業基本法の立場からしても、私どもが完璧だと思う日本社会党の農業基本法の立場からしても、どちらにしましても若い人が農業に専心して、ほんとうに自分が仕事していろいろなことができるということが、どちらにしても日本農業を立て直す道であります。それをするためには、農家の老人が安心をして息子に農業の経営権を自主的に渡すということが必要であります。そのためにも、やはり少なくとも六十からは老齢年金が完全に保障されていなければ、それができない。そういうことを見ても、今から六十歳にする必要は将来の問題として明らかにあるわけです。政府の施策はてんでんばらばらであってはいけないので、われわれは反対をしているけれども政府の農業基本法が幾分でも正しいと思われるならば、それをやるためには国民年金の開始年齢は、その線に合わせて設定されなければなりません。オートメーション化が工業で必要である、これに自民党はあえて反対は絶対になさらないと思いますけれども、商業のオートメーション化も必要であると考えられるならば、その点においても老齢年金の設定時期は六十歳にしなければならないわけです。それを将来考えるというのでは先に進みません。   〔柳谷委員長代理退席、委員長着席〕 ですから今直ちに六十五歳というおそい、間違った開始年齢を下げる、このような推進をされることが厚生大臣のりっぱな、輝かしい任務であろうと思います。古井さんはそれを貫き通す勇気を持っておられる大政治家だと私ども考えるが、得答弁を要求するわけです。
  49. 古井喜實

    古井国務大臣 年齢の点はさっき申し上げた通りでありまして、まあ実感からいたしましても、私どももう一、二年で一体年金をもらうのか、私はそういう年齢です。もう一、二年で六十ならば、議員をやめましたところで何とか自分で他に活動して、年金はもらわぬで、まだ一、二年たったあとでも、自分の実感から申しますとやっていくべきではないか、そういう気がするのであります。これはそれぞれの職業の違いもありましょうけれども……。そこで、これはやはりいろいろな意味の経済情勢、労働情勢、労働制度、いろいろなことを全体的に考えてきめた方がいいのでありまして、きょうのこの瞬間の問題としてはやはりそういうこととにらみ合わせた上できめた方がいいと私は思うので、そういう意味でこの問題は御意見を大いに有益な参考意見としつつ、研究してみるということにするほかはないように思うのであります。
  50. 八木一男

    八木(一)委員 非常にさわやかないい御答弁で、それ以上質問しにくいのですが、 (発言する者あり)実は先ほど委員長の方から紙が回って参りまして、耳が痛いからもう少し低い声で頼むということでございます。私もその要望に従いまして低い声でやっているのですが、不規則発言がありますと、厚生大臣に聞いていただくために耳が痛いくらいの声を出さなければなりませんので、どうか不規則発言の方は一つ御遠慮をお願いしたいと思います。  それで実は厚生大臣、これは大事なことです。厚生大臣は私の実感からしてもっと働きたいと言われる、それはまあ当然です。私も政治的には欲ばりですから、七十才くらいまでやりたいという気を起こすかもしれません。あるいは八十、九十までやりたいという気を起こすかもしれませんが、それは個人々々のことであって、それで政治家というものは——これは少し横道にそれますけれども、かなり大事な点で緊張しておりますので、精神的には老衰する程度は一般のレベルよりは非常におそい。若い気持をお持ちの方が、古井大臣を初め、ここにおられるすべての方がそうでこれは特異例であって、政治に関して六十以上の人が引退しろなどということは言っておりません。生産点の、農業に従事し、商業に従事し、工業に従事する、そういう生産段階においては、若い、ほんとうに精神はつらつとし、心身はつらつとした人たちに働く機会を与えるためには、古い人はやはり互譲の精神をもってそれを譲らなければならないという時代が総合的にくるわけです。古井さんのように、特別にいつまでたっても若いはつらつとした精神を持ち、ファイトを持っておられる方を基準にしてものを考えられると間違います。大臣自体、自分ではなしに一般の標準で考えてこの問題を判定していただかなければならないと思います。それはまあしかし十分に質問者の意見も反映して考えられると言われておりますから、その点は今申し上げましたこともつけ加えて十分に検討して、この委員会じゅうに結論を出していただきたいと思いますが、それは将来の問題であります。現在の問題はさらに見のがすことができないわけです。今の日本の賃金の状況を見れば、アメリカの九分の一、西独、イギリスの四分の一、三分の一というような状態であります。その賃金をもらっている人はまだいい方で、半失業者はたくさんいます。生活保護を受けている人もたくさんいる。その生活保護の基準は、憲法の各条章に合わないような基準であり、下着を二年に三枚であるというような、非文化的な基準であるというような状態であります。戦争でさんざん苦労しました。戦後もさんざん苦労しました。年とった人が、これは法律を犯してでありますが、イモを一生懸命買い込んでかついで回らなわればならぬ時代もあったわけです。ずいぶんからだをいためております。その中の裕福な人はいためておりませんけれども、一般の大衆はこの戦争中、戦後の状態、それから今まで、日本の経済が蓄積が少なかった。貧困であった、しかもその配分が非常に不公平であった、構造が二重構造であった、そういうようなことで、大衆は非常に疲れている。ですから、非常に残念ながら老衰が早いわけです。気の毒な生活をした人は、楽な生活をした人よりも残念ながら寿命が短いわけです。そうすると老齢年金をもらうときに、おそい開始年令にすると、比較的気の毒でなかった人がもらうチャンスが多い。気の毒で、一番国として上げなければならぬと考える人がもらえないチャンスが多い。これは生き死にの問題であります。そうでなくて生き延びるとしましても、早くもらわなければ、腰が曲がって全然動けなくなったら——せめて年金をもらって、たまには東京から、伊豆半島というところは金持ちはゴルフの棒をかついでいくけれども、私は一回も行ったことがないという人が、その金で南の緑の海を見、温泉に浸るというようなことが一回でもできるためには、ほんとうに腰が曲って動けなくなる前に上げなけなばならない。そういう点から考えましたならば、将来の問題についても私は確信を持っておりますが、現在の時点で考えたら、どうしても六十から開始しなければならない。政府の方が拠出年金と無拠出年金を関連させておられますので、両方一度に解決することが最上の道だと私ども考えておりますけれども、少なくとも将来の問題については御検討になって、今直ちに御即答ができないとしても、現在の老人の問題についてはこれは論議の余地がないと思います。厚生大臣も早くから上げるべきであるということを確信を持っておられるわけであります。それが大蔵省その他のわけのわからない、不届きなとんでもない連中のためにできない。そういう連中に対して、ここにおられる厚生省の方も与野党も一致団結して、そのようなわからずやどもを吹っ飛ばして、ほんとうに六十から開始ができるように推退をしたいと思う。その点についての厚生大臣の御決意を伺いたい。
  51. 古井喜實

    古井国務大臣 要するに年金内容をもっと改善して、よいものにしようということに帰着するのでありまして、そういう意味においては大いにこれは熱意を持って努力をしたいと思うのであります。
  52. 八木一男

    八木(一)委員 総合的にお答えになりましたけれども年令の問題は非常に大事な問題ですから、ほかの問題とまぜこぜにしてそれを考えられないで、開始年令を下げるということに重点を置いて考えていただく必要があろうと思う。はっきり言えば、年令を下げるということは対象人数がふえますから、金額にして相当金額に達します。従って、大蔵省の抵抗は多いと思いますけれども年金の本旨から見れば、それが非常に重大な問題でありますので、厚い壁があってもそれは勇敢にぶち破るというような御努力をしていただく必要があると思う。ですからほかの問題とまぜこぜにしないで、年令低下の問題について最大の努力で推進をされるという御決意を一つ伺っておきたいと思います。
  53. 古井喜實

    古井国務大臣 八木さんの熱烈な御意見は大きにわれわれも励まされるのでありまして、よくこれを参考にしてわれわれも考えることは考え、こういうことにしたいと思います。
  54. 八木一男

    八木(一)委員 それでは今度は、年金制度全体についての一番間違った点について、私ども考え方を申し述べたいと思うのですが、厚生大臣は一番間違ったとわれわれが言いたいことは何であるかということをおわかりだろうと思います。それをおっしゃっていただきたいと思います。
  55. 古井喜實

    古井国務大臣 私などより、これは八木さんのような専門家が一番よく御存じだと思いますので、一つ教えていただきたいと思います。
  56. 八木一男

    八木(一)委員 厚生大臣は十分御承知でございますが、どういうわけか若い者に花を持たしてそうおっしゃるのですが、御存じでなければ困るのです。そういう変な形式的なやりとりは抜きにして、それでは単刀直入に申し上げますが、政府の拠生年金——無拠出年金についてもずいぶん問題がありますが、拠出年金の中で、拠出年金に対する批判のいろいろの運動がございました。批判の運動では、年金額が少ない、開拓年令が高過ぎる、積立金運用がいけない、もう一つはスライド制で、物価変動に対する処置が少ない等々のことが言われたわけでございますが、一番悪い点はそれ以外にあるわけであります。それは端的に申し上げますならば、政府拠出年金社会保障的にでき上がっていないで、社会保険的にでき上がっている点であります。その点については厚生大臣はどうお考えでございましょうか。
  57. 古井喜實

    古井国務大臣 この年金制度は今日は非常にまちまちになっておりまして、公務員の年金制度から始まって国民年金に至るまでの一連のものを考えてみますと、立て方も非常に区々になっております。これは年金制度全体として見直してみなければならぬ段階がくると思うのであります。しかしここまで違ったものが現実に発達しておるのでありますから、これはたやすい問題じゃありませんけれども、見直してみる必要があるだろうと思うのであります。国民年金の方の問題だけを切り離して考え考え方もありましょうけれども、それをやはり一ぺんながめて、この国民年金はどういうふうに立てたらいいかということを、そういう見地からもこれは考えてみる必要があると思うのであります。これは聡明な八木さんが百も御承知のことだと思います。
  58. 八木一男

    八木(一)委員 何か厚生大臣は、全部総合調整の問題の方に片寄せて、むずかしい問題を全部そっちでやろうとしておられるようですけれども、それは非常に消極的でいけないと思うのです。特に年金の問題は、ほかの総合調整対象になっておる問題と違って、猛烈な批判運動が起こり、今開始をしようとしておるわけであります。従ってその欠点を直して、批判運動をしている人たちによりよい理解をしてもらって、そして年金が健全にりっぱに育つようにされる時期であります。ほかの十何年たったごちゃごちゃした問題の調整をするという問題と一緒くたに考えられるということは、時期として間違いであります。年金自体について間違ったところがあれば直ちに変えるという態度でおられなければならないと思うわけであります。この点で、今の時点においてどういうふうに年金組み立てが間違っているかということを十分に御認識だろうと思いますが、それをさらに理解を深めていただいて、即時直していただく必要があると思います。非常に先輩で権威者の古井さんでおられますから、今の制度組み立ての間違った点についてすでにお気づきだと思いますが、お気づきの点を一つお漏らしを願いたいと思います。
  59. 古井喜實

    古井国務大臣 八木さんのような大家に口頭試問を受けておるような形で困るのでありまして、むしろ端的に、こういうふうになっているところはおかしいじゃないか、こういうふうに、すべきじゃないか、その点はどう考えるかというふうにお尋ね下さると、私どもも大いに参考になりつつ、また見解も述べられると思います。
  60. 八木一男

    八木(一)委員 先ほど申し上げましたように、社会保障的でなくて社会保険的だというところに最大の欠点があると思います。端的に申し上げますると、結局年金を一番必要とする人が年金をもらえなくなることが多い。より必要とする人のもらえる年金が少ないという点で、非常に間違っているわけであります。御承知の通り政府年金保険料は定額制であります。そういうことで、金を持っている人も、収入の多い人も、あるいは財産のある人も、そういう収入や財産のない人も、同じ保険料であります。ここに一つの問題点があります。そういうことでございまするから、国民健康保険所得割、資産割というような制度が行なわれているのに、この年金制度で、それを事務的な関係だということに籍口をされましてそして一律制にされました。その結果として、中間層以下の人たちにとっては非常にその負担が重いわけであります。重い負担でございまするから、四十年間の定期間それをかけられないことが多いわけであります。かけられないと年金が減る仕組みになっているわけであります。ある程度以上かけられないと年金がもらえないという仕組みに相なっているわけであります。保険料をかけられないような人が年寄りになったときに一番老齢保障が必要であります。これは申し上げなくても、蓄積ができませんし、それが必要であることは明らかでございます。またその人たちが途中でなくなったような場合に、遺族は年金の額の多い必要が一番あるんでございますが、それが受けられない。その人が傷病を受けたときも同じであります。  そのように最も年金を必要とする人並びにその必要とする家族、そういう人たちに乏しい年金か、あるいは年金がこないということになっていることは、これは社会保障ではない仕組みであります。わずかに国庫負担が入っている点が社会保障とおっしゃりたいところであろうと思いまするが、この国庫負担も、年金をもらえるときにつくことになっているわけであります。ですから、年金をもらい得るような保険料を平気で払い得るような人には国庫負担が必ず行く、ところが年金を払い得ないような人にはこないということになるわけであります。全体の仕組み並びに国庫負担について、あらゆる点で社会保険的にでき上がっているわけであります。この点については非常に遺憾であります。この点を直されることが、この国民年金法改正に手をつけられる一番の点でなければならないと思う。ほかの数点、変えられた点については、これは一歩前進であることは認めまするけれども、そのようなこととともに本質的な点が、完全な形でなくとも、半分の形でも、八割の形でも、それに手をつけておられましたならば、厚生大臣並びに関係当局の努力のほどを私どもも認めたいと思いまするけれども、本質的な点について触れられていない点が非常に怠慢と申し上げても過言ではないと私は思うわけであります。その点についての御見解を伺いたいと思います。
  61. 古井喜實

    古井国務大臣 根本的にいえば、さっきお話しのように、保険主義でいくのか、賦課主義、国で負担する方式でいくのかということでもあるのかもしれませんが、今は八木さんも保険主義というものを前提にして、そして今の保険料負担を資力に応じて差をつける問題はどうか、それから掛金が払えない人に対して国がどうするか、こういう点に問題を向けられたのでありますが、今の保険料に差をつけるという考え方は、毎々申し上げますように、考え方としては一つ反対でありません。考え方としては大いにけっこうで、理由があると思います。ただ、これもたびたび申しますように、実際に実行するうまい方法がたやすく見つからぬ。よく国保の保険税に差別をつけておるではないかとおっしゃるけれども、これは市町村内の問題でありますが、所得税を納めていない人が非常に多いのですから、全国共通の問題といたしましては、北海道も鹿児島も共通の基準によって考えますと、所得税を納めていない人が多いということになると、とるべき基準が非常にむずかしいのである。まちまちでありますから、市町村民税ではとれないのであります。実行の案のうまいのが容易に見つからぬということがこの難点であるわけであります。しかしもっと研究してもいいのでありますが、今のところはそこが難点です。それから五十円、百円という差をつけるか、あるいは三段階にするか、三十円、百円というなかなかこまかしい問題にもなってくる。こういうこともありまして、実行上の点に主として難渋をしておるのであります。  保険料を払えない人に対する問題、少なくとも保険料を免除された人に国はつけるだけの金はつけるべきではないかという点も、大いに考えてみるべき理由があるように思うのであります。きょうあした言えるかどうかわかりませんけれども、その点考え方として大いに考えてみる価値があるのではないかというふうに思うのであります。
  62. 八木一男

    八木(一)委員 今おっしゃったことはちょっとおきまして、最初の問題に戻りますが、社会保障主義と社会保険主義の問題でございます。いろいろのいきさつにとらわれずに答えていただきたいと思いますが、この問題は法律をどうするかということでなしに、社会保障主義で進まなければならないということは、原則的に明らかに正しいことだと思います。それについての厚生大臣の御意見を承りたいと思います。
  63. 古井喜實

    古井国務大臣 今の保険主義は社会保障主義でない、そういう言葉の使い方もあるようでもありますし、できるかもわからぬと思いますけれども、今日日本でやっておりますのは、保険主義でやっておるものも一つ社会保障の形として考えておるのであります。これは事柄にもよりますし、人にもよると思いますが、ただ理論的に年金については狭い意味社会保障主義がいいのだと簡単にも言ってしまえない点もあると思うのであります。これは人によっていろいろ意見考え方もありましょうから、一つ考えが正しいとばかり言うのではありません。ありませんけれども、ここはいろいろ議論のある問題で、また議論のなかなか尽きない問題ではないかと思っております。私はそう思うのであります。
  64. 八木一男

    八木(一)委員 自民党社会保障を進めるということを前から公約しておられる、社会党もこれを主張しておる。国民もそれを要望せられており、社会保障というものはあくまでも社会保障なんです。社会保障ではないわけです。それの基本的な条文である憲法第二十五条も社会保障という言葉を使っているわけです。社会保険という言葉は使っておりません。社会保障ということが本旨で憲法の条章に従って進めなければならないし、また国民年金においても憲法第二十五条の精神を第一条にうたっている以上、社会保障の精神で進まなければならない問題であります。経過的に社会保険の形から入っているものもありましょうけれども、あくまでも方向としては社会保障の形で進まなければならないということは、原則的に言葉を差しはさむ余地のないことだと思います。それについての厚生大臣の御意見を伺いたい。
  65. 古井喜實

    古井国務大臣 これはさっきも申しますように、いろいろ観念のとり方も意見もある問題だと思うのでありますが、社会保険保険方式というものも社会連帯相互扶助、つまり共同でもって生活の安定等をはかっていこうといこうとでありますから、国家が金を自分で出してやる場合だけが社会保障だ、こう言ってしまうのも、意見はいろいろありましょうけれども、私は狭過ぎると思うのであります。みんなの共同で、社会人としての共同において助け合っていく、こういうことも一つの形としてあると考えても、これも差しつかえないのではないか、そういう考え方もあるのではないか、ただしどちらがいい、どちらが好ましいかという議論は別であります。
  66. 八木一男

    八木(一)委員 百歩おきまして、一応その厚生大臣の論理のもとに進めたとしても、共同で助け合うということを言われた。そうしたら、共同でという言葉はついてよろしいですけれども、だれでも困ったときには助けられるということがなければ、これは社会保障じゃないと思う。厚生大臣の論点からいって、言葉からいって、そういうことになろうと思う。助けられる必要のあるときには必ず助けられるということでなければ——そういう意味には厚生大臣の言い方はどうしてもならないのです。それについてどうですか。
  67. 古井喜實

    古井国務大臣 保険方式にせよ、他の方式にせよ、つまり必要な人に必要な給付があるということが大事なのであって、あなたの御議論もそういうことになるのじゃないかと思うのであります。
  68. 八木一男

    八木(一)委員 今の厚生大臣の御答弁は非常に明確であります。必要な人に必要な給付がいくということが、社会保障の具体的な目標として最も大事な問題である。そういうことが果たされれば、これは全部国家がやる、いろいろなシステムであっても一部保険を取り入れたシステムであっても、両方意味があるでありましょう。ところが社会保険というものはその問題が徹底しておらない。必要な人に必要な給付がいくということが抜けておる。社会保険主義というのは、国が国雄負担をやったり何かして、社会という言葉は作っておりますが、根本は保険システムであります。   〔委員長退席藤本委員長代理着席保険システムというものは、保険料を負担したその割合において給付を受けるというような形から始まったものが保険主義なんです。社会保障主義は、そういう問題と関連なしに、必要な人に必要な給付がいく、必要な人に必要な援助がいく——援助という言葉は悪いですが、必要な措置がいく、完全に実現されるということが社会保障主義であります。それが憲法第二十五条によってうたわれている精神である。その精神が盛られておれば、社会保険を全部否定するというわけではありませんけれども保険というシステムは、保険料を払った割合において戻ってくるというのが原則的なシステムなんです。社会保障というのは、必要な人に必要なものがくる、必要な処置がなされるということが原則なんです。その意味において非常に違うわけなんです。その意味で、憲法第二十五条の精神あるいは国民年金法第一条の精神あるいは与野党ともに公約をしておる社会保障の推進という精神、国民が要望している社会保障というものの実態が、必要な人に必要な給付あるいは必要な処置、そういうものがくるという建前でなければならないと思うのです。厚生大臣、先ほど御答弁になった通りでございますが、そういうことに間違いないことは当然のことでございますが、一応もう一回はっきりと御答弁願いたいと思います。
  69. 古井喜實

    古井国務大臣 保険方式にせよ、他の方式にせよ、必要な人に必要な給付が与えられる、ここが一番肝心なところと思います。
  70. 八木一男

    八木(一)委員 必要な人に必要な給付が与えられる。これが一番肝心なことであるという点は、厚生大臣と私とは意見の一致を見ました。これはほかの方もおそらく御同感であろうと思います。そこで厚生大臣は社会保険という言葉にこだわっておられますけれども保険ではそういうことにならない。たとえば生命保険であれば、百万円の契約に入った人で百万円に該当する保険料を払った人は、死んだときには百万円もらえる。入らない人は死んでも一文ももらえない、入らない人でなくて、入りたくても保険料を払える能力のない人は入れない。それではいけないので、社会保障的に考えなければならない。社会保険というものは、やや十分の一くらい保険システムを社会保障に近づけてきた点で、社会というような言葉を掲げて、これが公のものでやるとか、そういうような国庫負担が出るという意味を含めて社会という言葉がついておるわけであります。ついておりますが、保険システムである以上、その本質的な間違ったことは解消されておらない。それでは憲法第三十五条、国民年金法第一条による精神には合わないわけです。その合わない点が政府の御苦労になった法案であり、制定された法律でありまして、今の世の中の生命保険とは違いますけれども、かなり御努力のあとが見えている。しかしこの社会保険的なシステムの間違いは依然として残っているわけです。それを直すことがこの国民年金法改正の要点であるが、ほとんど手をつけておらない。特例による老齢年金という点で、その一万分の一ほどは手をつけておりますが、それ以外の点ではほとんど手をつけておられない。これは非常に困った問題だと思う。それをもっと手をつけていただかなければならないと思う。そういう点でもとへ戻ることにいたします。  今の保険料の収入割とか所得割とかいう言葉、あるいは均等割とか平等割とかいう言葉、あるいは資産割とか財産割、言葉はどうでもいいですが、そのような言葉ですることについて、先ほど非常にやりにくいというふうに言われた。ところが国民健康保険ではすでにこれをやっているわけです。ですから国民年金法の方でできないという理由はありません。しかしそのやり方が非常に粗雑であり、各市町村ででこぼこがあるというようなことで、なかなかやりにくいというようなことをおっしゃるでございましょう。しかしながらその市町村がその趣旨に従ってやってできた市町村間のわずかなでこぼこと、それをやらなかったために、松下幸之助君が楽な保険料を払って国庫負掛までもらうということと、国庫負担をもらいたい、年金をぜひとももらいたいという人が、それを払えないで年金をもらえない、その間違いと比べると、これは一万分の一対一にもならない。市町村のでこぼこはない方がいいですが、とにかくやればやれることを、事務的にむずかしいということで放置されるのは非常にいけないと思う。ですから、やる方法をどんどん推進していただかなければならないと思うのですが、それについてのお考えを伺いたいと思います。
  71. 古井喜實

    古井国務大臣 さっきも申したように、考え方が悪いと言っているのではない。今むしろ端的な問題は、保険料の負担ができない人は保険料を取らない。百円を取るか取らないか、取らないという方は現にこの制度でもあるのです。差別どころか、取るか取らぬかということであります。こういうきっぱりした話の方が、百円から百五十円に段階を三つつけるとか、そのために一々全国的な基準を作って所得調べをしろというようなことより端的なように率直に思うのであります。きょうの問題としては、今の免除制度などが適当に運用されるということがむしろ大事なところで、差別論も、理屈はなるほどけっこうだけれども、理屈倒れの点が少しあるのではないかという感じを私は率直にいって持つのであります。しかし考え方は悪いと申すのではありません。そういうふうに思います。
  72. 八木一男

    八木(一)委員 理屈倒れという言葉は、少し言葉がすべったこととして黙許したいと思います。ほんとうはその言葉に食いつかなければならないのですが、そうではありません。理屈倒れというようなことをおっしゃると、その理屈がまだほんとうにしみ込んで、良心的にかみしめておられない証拠になると思います。しかし言葉がすべられたことにして、審議が進みませんからこれ以上は申しませんが、必要なことでありますから、今のことはできることをしていかなければならないので、急速に進めていただかなければならないと思います。何回も私質問をいたしますし、また他の同僚の権威ある委員がいられますから、この問題はさておいて、今方向を転換せられた問題が一番重点になりますし、厚生大臣みずからそちらに方向を転換されましたから、そちらの問題を申し上げます。  免除の問題が一番大事ではないかと確信を持って言われました。その通りであります。その通りでありまするけれども政府の方の免除はしり抜けであります。免除という言葉は社会党案をまねしてとられた。率直でよろしい。まねられるならすっかりまねられたらいい。上っつらだけまねられたら迷惑だ。とらないということはいい。政府の免除は、とらない点だけは、母子あるいは障害については少しく要件になりますけれども、一番基本的な形の老齢年金については、免除はしたけれども、免除期間は老齢年金が増大する要件とはしておらない。従って、払えない、人は強制取り立てをしないということだけであって、結果的に老齢年金が一番必要な人たちを年金制度からほうり出している。反対運動にびっくりして免除は拡大される、これは率直でよろしい。その点はいい。しかしそれだけではいけない。免除を受けなければたらないような人が、年をとったときに一番年金が必要なんです。免除はしてやったが、それを保険料の免納と同じように勘定しない。免除を受けた期間だけの分は保険料が入ってこないから、ほかの要件が達しておっても年金が減る。免除の期間が長いから、年金がないということでは何もならない。そのようなしり抜けの免除はいけません。免除にそれだけの確信を持たれるならば、しり抜けでなくて完全な免除をやっていただきたい。その点についての厚生大臣の、これこそほんとうに明確なる御答弁を願いたい。
  73. 古井喜實

    古井国務大臣 さすがにこれは八木さんが熱をもっておっしゃるだけあって、よい論点だと思います。これはわれわれもよく、研究してみたいものだと思います。
  74. 八木一男

    八木(一)委員 ちょっと熱しまして大きな声を出しましたけれども、別に他意はないですから……。  率直な御答弁は非常にいいと思うんです。政府案の一番の欠点について率直に御答弁になった。厚生大臣のそのいい意味のりっぱな政治家としてのお立場については敬意を表したいと思います。思いますけれども、認められただけでなくて、それを変えなければ、ほんとうに敬意を表するわけにいかない。この点だけはどうあっても理屈に合いません。与党の尊敬する方々、理論的には水準の高い方々がずいぶんおられますけれども、個々にお話しすること、この点は説明ができないと言われる。私は、ここにおられるたとえば藤木さんとか田中さんとともに自民党国民年金の推進役をされた野田卯一君と立会討論会に出ました。大自民党の声望をかけて野田さんは奮闘、健闘いたしましたけれども、若造の私に対して、この問題では一言半句答弁ができなかった。そして野田さんは率直に、これを変えなければ、自民党としても政府としてもつじつまが合わないということをはっきり言っておられるわけであります。さすがにこの点では大政治家であったと思います。このような大政治家の意見が早く与党に反映し、政府に反映して、すぐ実現されることを私は期待をしておったわけでございまするが、この点が改正案に盛られておらない。私の一番残念な点であります。この改正案に盛られることは今からでもおそくはありません。その免除した期間を老齢年金が増大する要件にされるというならば——同僚の滝井君は年金の批判闘争に熱心でありますが、滝井さん、小林さん、五島さんにもお願いいたしますが、みなりっぱな方々でありますから、すぐ御承知下さるであろうと思いますが、これを直すからちょっと待ってくれ——撤回をしてあした直してこられましたら、この法案については、ぐっと審議が進むでありましょう。ほかで幾らしかられても、それを直されるということであれば、私ども責任をもってこれを進めたいと思います。あした、免除をすべて保険料実納と同じ要件になさるという御決意をぜひ示していただきたいと思います。
  75. 古井喜實

    古井国務大臣 事柄に対しては、さっき申したような考え方を持つのであります。あした持ってこいとおっしゃる点はよく研究してみないと、私の限界を越すかもしれませんので、その辺にしておいていただきたい。
  76. 八木一男

    八木(一)委員 あしたとは申しましても、きょうも夕方まで審議しますから時間的にむずかしいと思いますけれども厚生大臣の御答弁は、これは数日中、少なくとも今週中くらいに、そういうことについて与党の熱心な方々と御相談になり、池田勇人氏や大蔵大臣を御説得になって、もし技術的に政府案を撤回して出すのが不可能であれば、与党の熱心な方の議員提案として出されるという御意思であると理解をいたしたいと思いますが、これでよろしゅうございましょうね。ぜひ積極的な御回答を伺いたいと思います。
  77. 古井喜實

    古井国務大臣 八木さん、いかようにも御理解をなさっていただきたいと思います。
  78. 八木一男

    八木(一)委員 今週中に、それについての前進的な積極的な御回答をいただきたいと思いますが、それについて一つあらかじめ御要望を申し上げておきます。今週中に再度御質問いたしますので、それについての前進的な具体的な御答弁をぜひお願いをいたしたいと思います。
  79. 古井喜實

    古井国務大臣 八木さんが私に質問されるというのは、これは八木さんの問題でありますから、何べん御質問になってもけっこうであります。私は申し上げられることを申し上げることにしております。
  80. 八木一男

    八木(一)委員 あしたは無理だとおっしゃったが、少し余裕を置きましたが、今週中にそれを推進していただかないと政治が進みません。進めていただくことは国民にとって非常にいいことですから、それまでに明確な前進的な答弁をされることを一つ約束を願いたいと思います。
  81. 古井喜實

    古井国務大臣 これは質問応答をする場所でございまして、約束をするとか——これはあなたが質問されれば、それに対して私の方で答え得ることは答える、こういう行き方でいきたいと思います。
  82. 八木一男

    八木(一)委員 百歩譲りまして、それでは最大限度のあらゆる努力を、厚生大臣が中心になられ、ほかの同志の方と一緒にやられて、私の質問のときに、そういう前進的な御返事をいただくための最大の努力をされるということを一つ答弁を願いたいと思います。
  83. 古井喜實

    古井国務大臣 八木さんの御希望は十分伺っておきます。
  84. 八木一男

    八木(一)委員 老齢年金の問題について、免除を老齢年金の要件にすべしという問題について申し上げました。ところで御参考に申し上げておきますが、老齢年金の要件にすること全体が必要であります。それをなさいませんと、政府としてはほんとうに説明がつかないことになるわけであります。特に国民の血税である国庫負担金が、金持ちにいって貧しい人にこないということでありましたならば、所得再配分をすべきこの年金制においてその逆が行なわれることになる。これは社会党の断じて許せないところでありますし、自由民主党も、表向き公約をされている立場からすれば、そういう態度では押し切れない立場になると思います。所得再配分の逆になっている点を、これは後ということではなしに、今直ちに変えていただく必要があろうと思います。その点もあわせてお考えになって、いろいろと問題を具体的に積極的に進めていただきたいと思います。それについて御答弁を願います。
  85. 古井喜實

    古井国務大臣 もっとお話を具体的に伺った方がよかったかと思いますけれども、再配分を小さく考えるか、社会保障全体を再配分の問題として考えていくか、これは再配分というのを、こまかく再配分していくというところまでできるものが、ものにもより程度にもよることでありますが、そういうわけで今伺ったところでは、ちょっとお尋ねの具体問題をつかみかねておりますが再配分という考え方はけっこうだと思います。
  86. 八木一男

    八木(一)委員 具体的に問題をつづめて申しますと、六十五才で月三千五百円という金額が、四十年後に、二十の人が政府の現行法ではもらえるわけです。そのうちの千百六十六円六十六銭六厘六毛というものは、保険料の五害が国庫負担ですから、それでもとの保険料が十として、片一方は五ですから、三分の一のものが国庫から出るわけです。三千五百円の中の千百六十六円六十六銭、それは保険料を支払い得る金持ち、中間層以上の人に必ずいくわけです。松下幸之助さんが今二十才であれば、必ずいくわけです。あの人は二十才でありませんから、少し金額が減ると思いますが、そういう人には必ずいくわけです。ところがほしい人にはこない。こない財源は一般の大衆から税金を徴収しているわけです。所得税は累進課税をとっておりますけれども、今古井さんのお吸いになったたばこの中にも、たまにわれわれの飲むビールの中にも、あるいは砂糖の中にも消費税としてかかっているわけです。そういうようなものから、松下さんや住友さんに金がいく。   〔藤本委員長代理退席、齋藤(邦)委員長代理着席〕 しかも一番年金のほしい人に金がこない。その担税しておる人が一般の大衆である。大衆から金持ちに金が回るということが今の現行法ではある。これは許さるべき問題ではない。そういう点を申し上げたわけです。あとそれ以上申し上げなくても、厚生大臣は聡明であられますから、十分におわかりだと思います。そういうことであります。これはさっきの問題とからんでいるわけですが、さっきの問題は一番基本的な問題であって、その中の一部分、これもあわせて考えていただくことが必要であろうと思います。それについての御答弁を願いたいと思います。
  87. 古井喜實

    古井国務大臣 八木さんは非常にエキスパートで、すみからすみまで問題をせんさくしておいでになるようでありますけれども、私はちょっとぼやっとしておる方でありますので、今の辺は一つ局長から答弁させてもらいたいと思います。
  88. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 八木先生かねての御主張をおっしゃっておられるわけでありまして、先ほど大臣が申し上げましたように、やはり大きいものの考え方としては仰せの通りだと思います。何と申しましても、国民年金の被保険者は、階層的に見ますと、実は国民のうちで比較的貧しい階層でございます。いつも言われますように、この対象のうちで所得税を納める程度所得を持っているというのが、せいぜい一割強程度であります。給与所得の場合は、御承知の通り五割くらいが所得税を納めておる。従って基本的な問題としては、所得再配分の問題を考えます場合でも、この比較的貧しい人の間での所得再配分というものに、あまりに多くの期待をかけるということは、これは考え方の問題としては十分ありますけれども、実際の問題としてはやはり解決を次に送っていい問題じゃないか。何といっても一番大きい問題は、この対象の中にはかの制度でかかえない、日本のボーダー・ライン階層が全部これはかかえられておるわけであります。現に医療保険制度では、こういうのを頭から対象にしないということではじいている。国民年金ではそれを大きくかえている。そうだとすれば、こういう人々の問題を貧しい人々の間の再配分の問題で解決するように考えるのは、これは問題をある意味でそらすことになりはしないか。その意味で、この問題の解決はやはり国民の一般の税収入の方で考えていただかなければならぬ。そういう意味で、先ほど来お話のありますような問題は、主としてまず基本的にそれで解決をして、そういう土台ができ上がった上で、今度は対象の中での所得再配分の問題を、ややきめのこまかい問題として考えていく。大まかに申しますと、こういった考え方については、八木先生の御主張と同じ考え方を持っているわけであります。ただ八木先生非常にスピーディに問題を運ぼうとお考えになっておられますし、私どもは過去の実務の経験からして、なかなかこの種のものは先生おっしゃるほどすばやくはいかぬ。今のスピードでも私ども息が切れて、いつ心臓麻痺を起こすかといったような調子で走っておるわけでございます。もう少し一つゆっくり改造させていただきたい、こういう考え方であります。
  89. 八木一男

    八木(一)委員 小山さんの御答弁考え方の趣旨は、大体において私どももけっこうだと思います。それで厚生大臣、今年金におもに取り組んでおられる小山年金局長の御答弁を一緒にお聞きになったわけですが、その点で今の問題点においては、考え方が私の言っておることと厚生省担当しておられる人の考え方と大体同じ方向なんです。ただ小山さんがおっしゃたのは、私の言い方が非常にスピーディであって、なかなかそう急送に運べないという点をおっしゃった点が違うわけです。急速に運ぶにはやはり政治力が必要であります。その点で、今の時点において古井さんの猛烈な政治力に期待しなければならないわけであります。ですから、今の点においては方向は正しい方向であるということがお互いに確認をされた以上、善は急げという言葉がございます。その善を急ぐためには、古井さんが勇猛心をふるい起こされることである。その中にいろいろなやらなければならないことがありますが、その中で一番大事なものは何かということを聡明な古井さんはもうすでに御承知であろうと思いますので、その一番大事なことだけは、この法案を出された機会に修正ができるように一つ最大の努力を願いたいと思います。またそれについての具体的な御説明が必要であれば、何回でも質問を通じても御説明しますし、特に必要であったら別の機会に御説明してもけっこうでありますが、これについての一大勇猛心を出されて、さっき言ったように今週までにぜひ前進的な積極的な具体的な御答弁をいただけるように、この数日大活躍をしていただくということを御要望するわけでございますが、それについての厚生大臣の御答弁を願いたいと思います。
  90. 古井喜實

    古井国務大臣 八木さんの御熱心な意見は十分傾聴しておるところでありまして、さっき申し上げた通りにお話をよく伺い、さらにまた鞭撻をしていただくということにしたい思います。
  91. 八木一男

    八木(一)委員 まだこれからの点も関連しますが、今の点が一番大事な点でありまして、その点で今度修正をしていただくと、不十分でありますが、曲がった方向がやや正しい方向に向かうということになりますし、またそれによって年金に不安を感じておられる方々も、その正しい方向に向かいつつあることで理解が深められまして、年金というものがほんとうにいい方向にいくのではないかというふうに考えるわけであります。これは十分お含みを願って前進をお願いしたいと思います。  それと、その問題にさらに関連をいたしますが、それよりは局部的ではありますが、局部的ながら間違った点においてはそれ以上に間違った点があるわけであります。それは生存時のかけ捨てという問題であります。年金の批判運動の中に、かけ捨てについての批判がずいぶんありました。批判運動の焦点は私も知っておりますが、死んだ場合に損ではないかということがおもに言われたようであります。それについて政府の方では、非常に不十分であって、根本的な解決方法ではないけれども、死亡一時金という制度で十分の一ほどおこたえになったような形になっておる。しかしながら、年金を知る者としたならば、死亡一時金の死亡時のかけ捨て以上に、生存時のかけ捨てという問題がそれよりもはるかに重大な問題であります。その問題については、さっきの問題よりは局部的ではございますが、非常に間違った点がありますので、これについてぜひお考えをいただきたいと思います。具体的に申し上げますと、今年金法は経過的に完成するということになっておりますから、時点々々をとらえますといろいろ違う事態が出て参ります。基本的に今二十才の人が入った場合の形で論議をしないと、今四十五才の人ならばどうなるかというような御答弁ではいろいろと間違いが起こるわけでありまして、二十才の人がことし入った場合で設定して基本的な数字を申し上げますと、二十才の人が三十年間保険料を納めておらないと、今度の特例による年金も入ってこないし、またそれを納めておらないと、補完的福祉年金というものももらえないということになっているわけです。そういうふうになっている制度のように理解をいたしておりますが、小山さんが少し顔をしかめて横を向いておられますから、なんならば、この点について、質問の設定について両方理解が違っているといけませんから、小山さんから御答弁をいただきたい。
  92. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 ただいま八木先生のおっしゃるように、三十年間納めていないと仰せられているのですが、十年間納めておられて、十五年以上免除を受けておると、それは当然拠出年金が出る、こういうことになっておりますので、その意味でどこを言っておられるのか、こう思ったわけであります。
  93. 八木一男

    八木(一)委員 そうすると、もう一つ言います。補完的老齢福祉年令及び特例による老齢年金の適用要件を、現在二十才の人でことしから年金制度に入る人の場合にはどういうふうになっているか、一つ御説明を願いたいと思います。
  94. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 特例による老齢年金は、ただいま申し上げたように、かりに三十年以上免除を受けておって、四十年門のうちで納める期間が十年にならなかった場合、一年であるとか二年であるとか、こういうような方は例外なく受けられる仕組みになっているわけであります。三十年以上免除になっておって、実際に納めた期間が一年から九年まで一これは九年でもよろしゅうございますし、一番短い場合は一年でもよろしい、そういう方は受けられる、こういうことになっているわけであります。
  95. 八木一男

    八木(一)委員 補完的無拠出は……。
  96. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 補完的無拠出年金の方は、免除を受けておった期間が長かったために拠出制の老齢年金が受けられないという人はすべて補完的老齢福祉年金が受けられる、こういうことになっているわけであります。
  97. 八木一男

    八木(一)委員 そこを長かったためにじゃなくて、はっきりした年限を言って下さい。長かったじゃはっきりわからない。
  98. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 つまり二十の人は被保険者期間が四十年間あるわけでありますが、そのうち三十年間全部免除でもよろしいし、それから免除と納付した期間が合わせて三十年でもよろしい、こういう仕組みになっておるわけであります。
  99. 八木一男

    八木(一)委員 そういうような御説明であります。ところで、今免除を主体にして考えておられるけれども、納付をしない場合です。納付をしない期間がどのくらいあったならば補完的老齢福祉年金がもらえないが、それから特例による老齢年金がもらえないか、それをもう一回はっきり……。
  100. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 先生が仰せになった二十才の人をもとにした説明で申し上げますと、納付をしなかった、つまり拠出能力があるにもかかわらず意識的に納付をしなかったという期間が十年をこえる場合には補完的福祉年金がもらえない、こういうことになるわけであります。
  101. 八木一男

    八木(一)委員 そこでさっきの私の質問になるわけです。結局、免除ということを抜きにして考えて十年間、これは小山さんは意識的にと言われたけれども、とにかく免除を受けなくて、形式的にいえば、保険料納入義務があるのに、十年をこえて、たとえば十一年間納めなかった、四年間のうち二十九年間納めた、そのときにはもらえないわけです。そのことを申し上げようと思って、言葉が足りなかったわけですが、そういうことですね。小山さん。四十年間のうち、十一年間免除適用を受けなくて納めなかった、二十九年間実納したというときには、これはくれないわけですね。
  102. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 二十五年をこえていればもらえます。
  103. 八木一男

    八木(一)委員 いや、老齢福祉年金
  104. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 拠出年金がもらえます。ただいま先生が仰せになったような場合は、二十五年以上の拠出をしておりますので、拠出年金がもらえますから、従って老齢福祉年金はその必要がないので出さない、こういうことになっております。
  105. 八木一男

    八木(一)委員 少し理解が違っておりました。その点あれになりましたが、結局十年間保険料が実納されない場合には、老齢年金も補完的老齢福祉年金ももらえないということになるわけですね。免除の場合じゃないですよ、免除の適用を受けないときです。
  106. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 先生がおあげになった場合は非常に答えにくいのでありますけれども、つまり免除を受けないという場合は、納める能力があるにもかかわらず納めないという、その場合だということを特にお断わり申し上げてお答えすれば、先生のおっしゃる通りであります。
  107. 八木一男

    八木(一)委員 その場合ですよ。その場合を申し上げているのですけれども小山さんはその場合を言いたくないらしいので、ほかの場合ばかりをおっしゃっているので、私はその場合のことばかりを言っているので、話が食い違ってくるのですが、免除の適用を受けないときで、ある程度納めないと老齢年金にならないし、その場合に補完的老齢年金がもらえない場合が起こるし、それからそのような、特例による老齢年金の資格もないという場合が相当あるわけです。それには間違いありませんね。
  108. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 相当ではございませんけれども、可能性としては、あり得ると思います。
  109. 八木一男

    八木(一)委員 小山さんは盛んに逃げてばかりおられますけれども厚生大臣、お聞きになったようなそういうことがあるのです。そういうことがあるということを厚生大臣はすでに御承知かと思いますが、それでは九年に設定して申し上げます。九年間しか納めないという場合に、九年間納めたけれども、それ以上は免除を受けなかったけれども、納められなかったときがあるわけです。そうすると、九年間の保険料が全然消えてしまうわけです。九年間の保険料というと大したことがないように思われる方もあるかと思いますが、国民の中には非常に大したことがある金額になる者もあるわけです。たとえば三十五才ぐらいの夫婦ですと百五十円を二つ納めなければならぬ。しかもこれは三カ月まとめて納めることになるので、三百円の三倍、九百円になる。さらにもう一つ家族があるとそれだけ払い金が多いわけです。約一千円になんなんとしているものを、たとえば九年間であれば、一年が四回で三十六回納めなければならぬ。これは免除適用を受けなかった場合ですよ。一千円ずつ三十六回の支出というのは、非常に困っている大衆にとっては相当金額であります。そういう金額を、極端にいえば三十九回納めた、そうして次の回には息が切れて納められなかったという場合に、つまり千円近くのものを三十九回納めて、四十回納められなかったためにそれがただになってしまって返ってこないというふうになる。この金額は四万円をちょっと切れる、三万何千円という金額になるわけですが、高給をはんでいる人ならそのくらい何でもないということになりますが、大衆にとって何万という金額は大へんなものです。年金をもらいたいために一生懸命納めた、しかしながら息が切れてしまって、納めたときもあれば納められなかったときもあるということで、その金額がただになるということは非常に間違ったことであると思うわけです。それについての厚生大臣のお考えをお聞きしたい。
  110. 古井喜實

    古井国務大臣 今の制度はやはり理屈があってそうなっているのだと思いますので、この点は一つ局長から理屈のあるかないか、まああるところを御説明させたいと思います。
  111. 滝井義高

    ○滝井委員 ちょっと関連して。もう一ぺんそこをはっきり分けて御答弁を願いたいのですが、今の政府の方の年金法でいきますと、老齢年金の拠出の方の資格は、二十五年間保険料を納めておれば、十年なら千円、二十五年なら二千円、四十年なら三千五百円になるわけです。そして二十五年の場合で免除期間があれば十年でいいわけですね。そこで単位は、拠出制の年金をもらうためには、これは十年が一番最低の単位になるわけです。そこでその場合に二つ考えられるわけです。免除の申請をして、その許可を受けて十年納めればもらえる場合が一つ、それから免除を全然受けていなくて十年納めた、この場合は免除を受けていないからもらえないのです。同じく保険料を十年納めておるけれども、これは免除を受けてないからもらえない。黙って自分で勝手に納めなかったのですからね。そうしてちょこちょこっと一年か二年ずつ納めてとにかく十年は納めた、しかし免除は受けていない。これは八木先生が指摘した。この場合はもらえないですね。それからもう一つの場合は、免除はずっと受けておった、しかし納めたのは九年だった、九年六カ月でもいいですが、とにかく十年未満、これはもらえないわけですね。免除を受けておったけれども十年未満、これはもらえない。この二つの場合はもらえないですね。この場合どうしてそれがもらえないのかという理論、そうしてその救済を何か考えたことがあるかという、この二点に要約してきちっと御説明願いたい。
  112. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 滝井先生のおっしゃった前段の問題は、結局八木先生の問題と同じになりますので申し上げますと、この制度は、先ほど来御議論にありまするように、大へん中身についての批判はありますけれども、やはり社会保障制度でございます。従ってとにかく制度対象になった人は強制適用を受けているわけでありますから、保険料は納めてもらうという前提を当然とっているわけであります。ただし、無理のある人については免除という制度をしっかりと作って、これもいろいろと御議論はありましたけれども、これはすでに三年近く前から、あえてあの当時やや非常識だといわれるくらいに、私ども三割程度は免除を見込むというかまえで臨まないと無理が出るから、この制度はそれで臨みたい、こういうことで免除は大幅に弾力的に実施する、そういう建前で作ったわけであります。そうだといたしまするならば、仕事が普通に動いておりまする限り、納めるか免除を受けるかどちらかになるわけであります。不納ということはまず原則としてはないはずであります。しかもこれは毎年々々ケリをつけて参りますので、知らない間に不納基間が二年も三年もたまったということはないはずなのでありまして、毎年、納めていないような人には注意をして解決していくようにする、こういうふうな前提でできているわけであります。従って、制度の仕組みとしては、拠出の基準期間を設けたならば、やはりその期間は満たしてもらわなくてはいかぬ。ただし免除期間が非常に長かったということでその拠出の二十五年という期間が満たせない場合は、これは十分考えなくてはいかぬというので十年まで縮めたわけであります。問題としては、それじゃなぜそれを十年で切ったか、思い切ってもっと短くしてもいいじゃないかという議論は一つあり得るわけであります。これが滝井先生のおっしゃった第二の問題に通ずるわけでございますが、これは私ども理論としてはあり得ると思います。問題は、およそ年金と名のつく以上はある程度体をなさなくちゃいくまい、その意味でやはり千円を下るという形にはしたくない、そこいらにめどを置きまして、若干ほかの人の分もこちらにそそぎ込んでもらってということで考えて十年ということにしたわけであります。従って通算なんかの場合に、十年間の通算年金は、一年九百円でありますから九千円であるのに対して、この免除の長い人々の十年間は九千円ではなくて一万二千円ということになっているわけであります。その分だけがみんなに少し出してもらっている、こういう格好になっているわけであります。  それから滝井先生がおっしゃった問題で一つだけつけ加えて申し上げたいと思いますのは、実際に納めた期間は九年にしかならなかった、ほかは免除だった、こういう人の場合に、先ほどお話に出た特例による老齢年金という制度を作ったわけであります。十年間までは達しなかった、しかし九年まで納めた、この人には特例による老齢年金でつないでいって、結果的にはずっと六十五才から年金がもらえるようにしょう、こういうふうにしているわけでございます。
  113. 八木一男

    八木(一)委員 特例による老齢年金のことをおっしゃいましたが、それの、今二十才の人が入った場合の特例による老齢年金の適用の要件をもう一回おっしゃって下さい。
  114. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 免除を受けた期間とそれから納めた期間が三十年をこえておれば特例による老齢年金はもらえる、こういうことでございます。
  115. 八木一男

    八木(一)委員 今おっしゃった通り、四年間のうち三十年、結局その九年の場合はそれが損になることがあるということを、厚生大臣知っておいでになると思いますけれども年金局長の御答弁ではっきりしたことになる。四十年間のうち十年分がだめになる制度になるわけです。そのためにする理由は、払うべきものを払わないからだめにするということであります。そういうふうな組み立てになっているわけです。ところがさっき申し上げたように、一家族について一回分千円に近いようなものを夫婦の場合に払わなければならない。それを十年間といいますと四十回、だから三十九回払った場合、苦しい思いをして三十九回払ってあとは息が切れて払えなかった場合、それがただになる。その場合が収奪といわれる点です。これは任意保険でなくて強制保険です。どうしても入れるわけです。どうしても入れて、それでその年金をほしいと思って苦しい中から保険料を納める。ところが納める努力相当したけれども、あとは息が続かなかった。認定のときには支払い能力があるといわれたけれども、それから病気になって金がかかった。それからたとえば遠くに住んでいる親が危篤になったからどうしても人情として行かなければならぬ。払うべき千円をためておいたけれども、汽車賃が要るということばしばしば起こるわけです。子供にPTAの会費をくれと言われれば、自分の老齢のために必要だと思っても、子供が肩身の狭い思いをしたら困るということで、その準備した金をそっちに回してしまうということになって、千円という金が払えないということが、貧しい家庭の場合には相当起こり得るわけです。それに対して年金局長の力の御答弁は、免除を飛躍的に増大してあるから大丈夫だとおっしゃるわけです。しかし、その限界があるわけです。それをほんとうに飛躍的に増大することは、非常にりっぱなことだと思う。たくさん多くしなければならない。ところがあくまでもそこに境目がある。境目がどこについてもあるわけです。その一つ手前の人は免除を受けるけれども、その一つ上の人は受けない。一円ぐらいの差でそういうことが起こるわけです。そうなれば、そこの人に、当然その間に、免除か全額納入じゃなしに、保険料減額という規定が考えられてしかるべきだ、一応そういう問題が出てくるわけです。  それからもう一つは、免除の適用をこれだけしておるのに、免除の上の者が納められないはずはないというけれども、社会的な事情でそういうことがありますので、そういう人が年金を払おうと思って息が切れた場合のものを全部没収するというような制度は、これは考えものであります。これが任意適用であって、本人がそれを覚悟して入ったものであればいいのですけれども、そうじゃなくて、そういう自信がないと思っている人々を無理やりに入れるわけです。その義務を課するわけです。それで徴収されるわけです。政府もおっしゃるし、自分も年金をもらいたいと思って納めたけれども息が切れた、一番気の毒な人の保険料が一部分没収されるということが実際起こるわけです。ですから問題点は、十年という要件を相当に下げる必要があるということになるわけです。それと同時に、下げるという問題以外に、また考えるべき点があります。そういう人たちに年金を上げないということ自体が間違いであろうと思います。なまけた者、非協力の者だから上げなという考え方は、取り去って考えるべきだと思います。このように、払い得ない人に老齢年金をもらいたい、上げなければならない理由が多いのであるから、上げるものは全部上げるということにしておいて、そしてその者については徴収する具体的な方法をあとで考える、徴収することを先に考えて、それが払えなければやらないというような強圧的な、罰則的な考え方ではなしに、上げるものは全部上げるんだということで、今度そういうものを徴収する。たとえばそれの徴収ができない場合には、もらう年金のときに年金計算をして、それを一年間で少し減らしてもいいだろう、そういうことが考えられるのじゃないか。とにかくそういう人に部分的にしても上げない人ができるということは、これは国民年金という考え方と相反する。   〔齋藤(邦)委員長代理退席、永山委員長代理着席〕
  116. 八木一男

    八木(一)委員 そういう点で、これは局部的でございまするが、またその弊害を少なくしようとして年金局で相当の御努力をなさったことはわかりますけれども、あくまでも政府の認定による免除の適用を受けない者が、どんな個人的な事情があろうとも、それを払わなかったことに対しては、ある意味で、処罰的な意味でそれを払わない、年金を支給してやらない階層が残存していることは非常に残念であります。幅が少ないとおっしゃるかもしれない。少ないとおっしゃるならば、それはまだ十分じゃありませんから、幅を少ないのを今度極端に狭めていただく必要があろうと思います。また別な意味では、それは全部払う、それの払うべきものを払わなかった保険料についてはほかの方法で払わせる、あるいはまた後に年金から差し引くというような考え方一つ検討されていいんじゃないか。すべての人に、年金が行き渡らない人が一人もいないという考え方に立って年金制度を作っていただきたいと思います。免除を拡大することが本筋であります。免除を最大限度に拡大すれば、そういう例は非常にまれな例であろうというお答えも出てくるかと思いまするし、そのようなお答えをされたいというような顔を小山年金局長はしておいでになりますけれども、しかしながらやはりそれでこぼれが出ることは明らかであります。その認定というものはあくまでも、ほんとうの認定でない場合も行政上はありますし、またそれを完全にしたいとしても、認定後の事情で事情が変更することがある。先ほどの設例はみんなそうであります。認定された後に親が危篤になって大阪から北海道に行くという場合には、何回分かの年金保険料を準備したものが全部ふいになる。将来の年金のために新の危篤にも会わないでよろしいという制度考え方では厚生大臣小山さんもないと思う。そういうことがありますから、少なくとも本則的には、そういう例があろうと、年金は必ずだれにでも上げるんだという本則に立って仕組みを考えられて、そこは完全にいかないのならば、今の方式でもその十年というものを極限に下げてそれを直していくという考え方に立たれないと、非常に苦労して年金をもらいたいために納めた人の原資がその人にとってなくなってしまう、気の毒な金が、幸いにして年金保険料を全部納められる人に吸収されてしまう、所得再配分の逆になるということであってはならないと思うのであります。払えない人は年金制度に非協力であって払えないのだというような考え方に立つことは、行政道理上間違いであります。払えない事情があったから払えないというのが大部分の例であります。そのよのなすなおな考え方に立った認定で払えない人に年金を上げられる道を講ずる、少なくとも払った保険料がふいになるようなことはしないという方向で年金の仕組みを変えていただかなければならないと思う。それについての厚生大臣のお考えを伺いたい。
  117. 古井喜實

    古井国務大臣 大へん専門的なところもありますので、私が考え違いしておってはいけないと思いますけれども、根本は、その免除制度というものがほんとうに適正に実情に合うように行なわれるということが第一の問題だと思うのです。それでも追っつかぬかどうか、こういうことも一ぺん考えてみなければならぬ。免除制度ほんとうに実情に合うように運用しても、それでも追っつかぬのかどうか考えてみなければならぬ。一方事情やむを得ぬような、同情すべきもっともな場合もありましょうが、極端にいうと、今度は、りっぱに払う力も持っておるが、横着をきめて払わぬ、こういう人はどうなるか。それもひっくるめて一切かまわぬということにするのか。はっきりしておる場合、これはそこまでいくと行き過ぎのように思う。もうありあり資力は持っておるが、横着をきめ込んで払わぬという場合でも区別なしに考えるのかどうか、これはちょっと問題があるように思うのです。それで、横着をきめ込んでそれで通ることになりました場合にはこの制度が成り立たなくなってしまう。横着者が勝つようになったら成り立たなくなってしまう、そういう半面も一ぺん考えなければならないのではないだろうか。私はあなたのように専門的に詰めてよう考えておらぬかもしれませんが、そういうこともひっくるめて、角度をまた変えて考えてみなければならぬのじゃないか。それで、やはり今の制度では工合が悪い、こういうことになるのかならぬのか、一つひっくるめて考えてみる、私はちょっとこういう気がするのであります。でありますから、御意見も伺いましたから、なおその辺わかっておる局長の方にもよく聞いてみたいと思います。
  118. 八木一男

    八木(一)委員 横着をきめ込んだと言われましたけれども、横着をきめ込んだというものは、すべての制度について一万人に一人くらいはあります。だけれども、そういう者を対象にしないで、やはりむずかしいことについては理解が少なくとも、すなおな国民が大部分であるという立場に立ちまして、そのことを法律にしても行政にしてもやっていただくということが本筋であろうと思います。むずかしいことにはわかりにくいことがありますが、極端に意地を張って横着をきめ込んでいるのだということでなしに、とにかく問題がわかりにくいためにそういうことが起こるという、もう一つは、老後のことが心配だから普通なら貯蓄するところを貯蓄しないで使ってしまうという人も世の中にはあるのです。といって、そういう人の老後のことはどうでもいいということではないのです。そういうようなこと、それからまた、ほんとうにわかっていても、今のような老後のために貯蓄をしたいけれども、親のため、子供のために貯蓄できないという人もあるわけです。またそういう事情がなくても、病気のためにそれができなかった人もある。そういう人が大部分であります。そういう大部分の人たちを本制度からはずさないように、本則としてはすべてに年金をあげる。年金をもらうために支払うべき保険料が認定によって免除にならなかった払う義務がある人であっても、認定にはやはり階段があるわけです。その一つ上の人が払いにくいという人があるから、そこで減額割度を作る。また払えない人の保険料であって払ってもらうべきものであれば、そのとき払えない者は、いわばその将来の年金額からいろいろな計算をして少し減らすというようなことをして、その人がいろいろ事情で年金をもらう要件に達しなくても、十年の年金でなくてももらえるというようにする必要があると思う。横着の人が得をするということではなしに——横着という言葉で言われましたけれども、そういういろいろな事情で要件に達しない人が少なくとも損をしないようにしなければつじつまが合わない。ところが今のところは、とにかく九年間払った人は損をするという制度があるわけです。あとで徴収する方法もあれば、そういう人が払いにくくならないように免除制度の上に減額制度をつけるというような考え方もできれば、それから今の制度をそう大きくくずしたくないというなら、過渡的に、十年間は払わなければならないということであっても、それを五年、三年、二年、一年に縮めるという方法もあるわけです。そういうあらゆる方法をとることも考えられるわけでありますから、そういう気の毒な人の保険料が実際上没収されて、収奪という言葉で批判されるような制度でないようにしていただきたいと思います。非常にいろいろの理屈があろうと思いますが、これは強制保険でありますから、明らかに収奪になる部分があるわけであります。無理やりに入れられて、そうして年金をもらいたいと思って、政府の言うことを信じて払ったところが息が切れた、そういう善意の大衆の、しかも貴重な金がそこでなくなる制度である。これは保険的に考えて、入って義務を果たさない人の金はほかに回してもいいという考え方は間違いであろうと思う。大体この年金法を作るときに協栄生命の重役さん——厚生省だけで作られて法規的にない年金審議会というところに生命保険会社の方が原案を作るところに参画をしておられたわけであります。生命保険会社の人が悪意であるとは申しませんけれども、生命保険会社の人はやはり生命保険会社の流儀として考えられます。入った人がすぐやめられたならば非常に迷惑である、外務社員にも手当を払わなければならない、一部を負担してもらわなければならない、書類を印刷した分も負担してもらわなければならない。そういうような観点があって生命保険会社で二、三年で解約すると、一文も解約返戻金が戻ってこないという制度があるわけです。そのように、入った者については全部返す必要はないという思想がそこに現われたことが幾分影響をしておると思うわけでございますが、任意で入る生命保険契約と、政府が管掌して事務費は政府が別に持って、そして強制的に入れる、そういう制度とは違った観点で考えられなければならない。入って途中で要件に達しない者に罰則的に保険料がほかに吸い上げられてしまって、その人のものとして残らないという点は明らかに、部分的ではございまするが収奪といわれても説明がつかないわけです。国の制度の中に部分的にせよ収奪になる部分があることは、非常に国民の立場において憂うべきことだと思うのです。それを改正する、それをなくする方法は、申し上げたようにいろいろな方法があるわけです。故意になまけた者を罰するという考え方ではなしに、なまけたという意味じゃなしに、支払えない状況に追いやられる人があるという考え方制度考えていただかなければならない。その方法は幾らでも考えれば見つかるわけであります。制度をくずしたくなければ、この十年の要件をもっと短くすれば、この弊害ははるかに少なくなる。そういうことについて、技術的には年金局長と御相談になってしかるべきでございますけれども、そういう申し上げた趣旨について古井さんは当然十分なる御理解をいただけると思う。それについて、趣旨として、そういうことをすべきであることについては、すぐ方針をとって具体化するという御返答をいただきたいと思います。
  119. 古井喜實

    古井国務大臣 気の毒な人が、この年金をもらえなくなってしまう、これはまことに困る。そこまでは考えとしても、気の毒な人が払えないためにもらえなくなってしまう、これはよくわかります。そういうことはなくしていく方法を考えるというのがよいことだと思うのであります。そこまではそう思います。
  120. 八木一男

    八木(一)委員 そこまで原則的に大臣と意見が一致しましたので、大臣の方も小山さんと具体的によく御検討願いたいと思います。また大臣の所属団体である自由民主党の方々とも御相談になりまして、次の質問のときに前進的な御答弁を心から期待をするわけでございます。そういうふうに努力していただけますね。
  121. 古井喜實

    古井国務大臣 あなたのこの点についての熱心な御意見を十分伺っておきたいと思います。
  122. 滝井義高

    ○滝井委員 関連して。この免除のところを一括してやっておく方が、あとで速記を見る場合に便利ですから、ちょっとお尋ねしておきますが、特例による老齢年金の免除と関連する部分ですが、一年以上保険料を納め、それで四年未満であるときは五千円、四年以上七年未満のときは七千円、七年以上のときは九千円に年間なるわけです。そこでこの人が七十才になると、今度は千円になるわけですね。極端な例は、一年かけておっても、七十才になったらとにかく千円もらえることは確実です。いわゆる免除の期間がずっと三十年こえておって、貧しくて実際納めなくて、一年だけ納めたという場合はもらえる。それからそういう極端な例を四十年間拡大した場合も、七十才からは千円もらえますね。そうしますと、今度は十年かけた人、これがいわゆる正式の人です。免除期間が二十五年で十年かける。そうすると、これは六十五才から堂々と千円ずつもらっていきますね。そうして七十才になつても千円もらう、こういうことになる。そこで今度は、問題は任意の人です。五十才から五十五才の人は、これは十年かけておらなければ七十才から千円もらえないのですね。そうすると、この場合との均衡の問題ですね。五十から五十五の人は任意加入になっておるのだが、この人はかけていないと七十才になってからもらえないのですね。ところが、この制度が発足した当時は、何もかけてなくても、無拠出の福祉年金なんですから無条件でもらえたわけです。七十才になれば千円もらえた。ところが、この制度が発足して、今度は拠出というものと無拠出と併合した補完的な形に無拠出のものをしたために、五十から五十五才の人はとにかく十年かけていなければ七十才から千円もらえないという不合理な点が一つ出てきた。もう一つは、寡婦、未亡人、この未亡人は、たとえば夫と結婚して九年たった、そして夫が死亡したというときには、ほんとうは夫と十年婚姻関係にあったならば、六十歳から六十五歳までは千円もらえるわけです。ところが九年だったらもらえないのですね。あれは十年以上になっていますものね。十年以上の婚姻関係を継続して、六十歳から六十五歳までもらえるわけです。この関係ですね。未亡人の場合は夫と十年というのが九年の場合は資格がなくなる、こういう問題が出てくるわけですね。これは免除の問題と非常によく似た一つのケースなんです。この点、いわゆる任意の場合と寡婦になった場合、これをちょっと御説明願いたいと思います。
  123. 小山進次郎

    小山(進)政府委員 まず前段の問題は、任意の人は十年間拠出しますと、六十五から七十までの間は、それぞれの年齢によって若干の経過措置によって違いがございますけれども、月千二百円よりも少し低いのが出てくるわけでございます。七十歳になりますと、千二百円の年金になるわけでございます。  それから後段の方の未亡人の問題は、未亡人が寡婦年金をもらいますのは、夫が老齢年金をもらう受給資格期間を満たした場合でございます。従って、不幸にして九年でなくなられたという場合は、夫がまだ老齢年金をもらう資格を満たしておりませんので、この場合は今度新設しようとしておりまする死亡一時金を未亡人がもらう、こういうことになるわけでございます。それから婚姻期間十年の問題は、おそらくそういう人はもっと若いときから結婚しておったに違いないのでありますから、いずれにしても、任意加入で入るような人の場合は、婚姻期間十年の問題は当然満たされている、こう考えているわけであります。
  124. 八木一男

    八木(一)委員 私の質問はまだまだございますし、同僚委員質問もございますが、きょうは一時これで中断をいたしますけれども、先ほど申し上げましたことについて、政府部内であるいは与党との間で十分に御検討になって、今週中によい意味の御返事をいただくことを心から期待してお待ちをするわけです。
  125. 永山忠則

    ○永山委員長代理 それでは本日はこれにて散会いたします。    午後五時散会