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滝井委員 日にちはわかるのですが、その日にちを決定をした基準というものは一体何を基準にしてきめたのかということなのです。これは公平な
原則にしておかないと、これはこの日にちのきめ方いかんによっては、この恩典に浴する人と浴さない人が出てくるわけです。アンバランスが出るわけです。私がそれを
指摘するのは、さいぜん言ったように六カ月以内に
外地で出生した者はだめだ、こういうことになっている。
ところが赤ちゃんがおなかに入るのはもう十カ月前に入っているわけですからね。そうするとすでに
生活の
本拠は
胎児になったときにはそこにあったわけですよ。そういう理論的な展開からいけば、六カ月の
本拠というものは、母とともに
本拠をそこに進めておったという理論からいけば、
胎児もまた殺せばこれは殺人になるのですから、そういう点で、この線の引き方によって非常に問題が出てくるのです。だからその線の引き方の
原則というものは一体どういうことを——連合国軍が上陸した日にするのか、それとも戦争が始まった十二月八日を全部一切するのか、何か一つの線できちっとしておかぬと、
政令でこれは簡単にまかせるわけにはいかぬのじゃないか。それなら
フィリピン、豪州、旧蘭領束
インド諸島、それから委任統治領であった
南洋群島というように、やはり一つ一つ条件をきちっと同じような条件で合わせる必要がある。簡単に
政令でまかして、
あとは予算と見合いながら
政令で自由自在に締めたりゆるめたりすることは困る、不公平になるもとだ、こういう感じがするのですが、その点は
政府の方は何か合理的な線を——
政令で定めるのは
政府が定めることになるのですが、その前にちょっと、今のように十二月の八日はよくわかるのですが、蘭領
インド、豪州は十六年八月一日というように、十月十日のときもあれば八月一日のときもあるし、十二月八日もあるというようにまちまちになるわけです。それならばいっそのこと十二月の八日なら十二月八日の開戦のときというようにやってちっとも差しつかえないと思うのです。その開戦によって
外地はすべて不安の状態がきたわけですから、
生活の
本拠に相当の不安と動揺があったと思うのです。そうすると、一貫して開戦のときとしておけばいいと思うのです。進行しようとしまいと不安であることは変わりないと思うのです。
あとはみな
引き揚げてきたのですから。何か
政令でゆだねるということでなくて、こういう非常に政治的な
立法ですから、むしろここで統一した十二月八日なら八日というように一本にしておった方がいいのじゃないかという感じがするのですが、
政府の
政令ではどうするのですか。