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松井参考人 ただいまの御
質疑に対してお答え申し上げます。
ただいま荒唐無稽かもしらないが、とおっしゃいましたが、それは決して荒唐無稽ではないと存じます。しかしながら、多少私の
見解と違う点があるかもしれません。
もともと、
東京に限らず、過
大都市はいけないのだということは今日に始まった思想ではございません。たとえば今、
都市計画協会の会長をしていらっしゃる飯沼一省
先生のごときは、すでに大正の末に「地方
計画」という本を著わしまして、そういった点の外国の思想を紹介されておるような次第でございます。また、
大都市というものがあまり膨張しないように、たとえばグリーン・ベルトを作るとか、いろいろなことをやるということも、これもまた新しいことではございません。やはりその時代からある
考えでございます。それが国際的にはっきり確認されましたのは、一九二四年にアムステルダムでありました国際
都市計画協議会の決議でございます。ただ、これが実際に実行する面でその後だんだんと経験を積みまして、大
へんむずかしいものだということは言われておりますけれ
ども、この思想の流れといたしては、現在でもやはり生命を持っておるわけでございます。私
どもアメリカへ参りまして、
アメリカの
都市の
事情を聞きましたら、二、三の
都市におきまして、今度は
自分たちの方で質問をするという。どういうことか、と聞きましたら、なんでも
東京ではグリーン・ベルトを作っておるそうではないか、どうやったらそういうものが有効な効果をあげることができるのか、私
どもやりたいのだけれ
ども、なかなかむずかしい問題があって、簡単にはできない、といったような質問があったような工合でございます。
それで、その後
東京に首都圏
整備法というものができまして、まず第一に工業を
東京へ集めないようにという方針で、今、行なわれておるようでございます。大
へんにその方針もいい方針だと
考えるのでございますが、その効果がそれほどあがっていないのではないか、というような批判も伺っております。私
どもの気持といたしましては、これは単に
東京だけの問題ではない、全国の問題だというふうに、もともと
感じておったのでございますが、最近におきましては、北海道のあるいは東北、その他
日本の国内のいわゆる後進
地域におきまして、そこに
人口を定着させるような工業その他の職場を作っていくというふうになってきているように拝見しておるのでございます。その
意味で、大
へんけっこうなことだと思うのでございます。そういう
意味におきまして、ただいまおっしゃいましたような新首都というような問題、あるいはいわゆる後進
地域その他の
地域に新しい工業
都市を作るというような問題、その両方でございまして、古い
都市をいじるのではなくて、新しい
都市を開発するという
仕事は、これは今後
日本じゅうにもっと活発に行なわれなくてはならないのではないか、こう
考える次第でございます。
それから、今の新首都の問題でございますが、これに限らず、そういった大きな
日本の
都市の問題がございます。現在におきましては
人口の六〇何%はすでに市部
人口という
状態でございまして、
都市をどうするかという問題は、また
日本の将来の産業構造をどうするかという問題になってくるわけでございます。これは、私
どものようないわゆる
都市計画の専門家というようなものの扱う単なる技術的な問題ではなくて、もう政治の問題だと
考えております。そういう
意味で、むしろ私
どもの方から、こういう
委員会の方々に、一体どうするつもりかと質問したいくらいなものでございます。
なお、そういった
意味で、先ほど申しましたように、
大都市の規制ということと同時に、
大都市をもっと合理的に作り直していくということは、新しい
都市の
建設とまた並行いたしまして、先ほど申し上げましたような
理由で、どうしてもやっていかなくてはならぬということは、私
ども感じておるところでございますが、そのやり方におきましては、先ほど
磯村先生もおっしゃいましたように、その
都市の実態的な構造という面からも押えていかなくてはならぬ問題でございます。そういう面から見まして、外国の
都市もそうでございますが、
日本の
都市は特にいろいろ
欠点がある。
大都市の問題、あるいはその
都市が古くなって参りまして、近代的な工業的な時代、あるいはモーター・エイジというような時代にふさわしくないというのは、
東京が一番問題になっておりますけれ
ども、これはひとり
日本の問題だけではなくて、世界じゅうの
都市がそれで悩んでいる問題でございます。そうして、世界じゅうの
都市が、先ほど私が申しましたような
意味で、その
都市の生命というものは将来どうなるかという
意味から、多くの
都市は、やはりその
都市がそこに現在ある、あるにはあるだけのりっぱな
理由があるのだ、昔からあったし、また現在もある、こういうことでございます。
たとえばロンドンにいたしましても、ロンドンの成り立ちというものはローマ時代でございます。最近、なんでもあそこで爆撃の跡の
建物の取り片づけをしておりましたら、その土台の下からローマ時代の別荘のかわらが出てきたということでございますが、ロンドンというものはローマ時代にできた町である。ローマ時代にそこにそういった町ができる
理由があった場所でございます。しかも現在においてもあそこに
大都市があるということに対し、また今後も続くであろうということに対して、何ら条件は変わっておらぬ。そういう
意味で、ロンドンもあそこを捨ててしまって、どこかに行くということは
考えられておらないわけでございます。ロンドンという町は
東京と違いまして、建築物その他様子が違いますけれ
ども、またいろいろ
欠点は持っております。しかし、それをいかにして
改造していくかということに、彼らは、その市民たち、あるいは英国の指導者は努力をしておるようなわけでございます。
そういう
意味におきまして、
日本の
都市も、今おっしゃいましたような新しい
都市が今後できていきましても、私
どもは、
東京なら
東京、大阪なら大阪というものは、今後も存在を続けるものではないかと思います。存在を続ける以上は、そこにやはり住民が住んでおる。現在住んでおる人もまた続けて住むであろう。また新しく入ってくる人もございます。新
都市を作って、そこにいろいろな
施設をやった方が安上りじゃないかという御
意見もございましたが、全くその点は安上がりだろうと思います。けれ
ども東京なら
東京、大阪なら大阪というところに住んでおる人が、全部新しい
都市に移るわけには参りません。また、そこの
都市自体が発展するものといたしますと、そこに住む、あるいは入ってくる人があるわけでありまして、金がかかるから、もうそこはほったらかしておくというわけにいかないと思います。どうしてもそこに住んでおる
人たちの生活のため、あるいは経済的な活動のために、現在の悪い
状態を改良していかなくてはならぬということは捨てるわけにいかないと思います。また、そこに住んでおる
人たち自身が、何とかしなければならぬと
考えるようになり、またそういう
仕事をするようになると思います。そういう
意味におきまして、もうこういう古い、始末に困るような町はみな捨ててしまって、よそへ作った方がよいというのだけでは、やはり問題は解決できないのではないかと思います。
たとえば、去年見て参りました町の中に
アメリカのピッツバーグという町がございます。これは
日本で言うと八幡に
相当するような製鉄の町でございます。この町はかなり古い町でございまして、もうどうにもならぬ。その上に、例の有名な煙の害があります。また、あそこは川が二本集まっておるところでございまして、洪水の害があったり、いろいろ弱っておりました。その上に街路の
交通難ということもございます。それで、例の帝国ホテルを作った有名なライト氏——せんだって、なくなりましたけれ
どもあの方がそこの顧問をしておられまして、何回となく市民あるいはその指導者たちに、もうここは捨ててしまえ、どこかへ移れという案を提案されたそうでございます。あの町は、
東京ほどでかい町ではございません。
東京の数分の一という町でございますから、
東京全部引っ越すほどの大問題ではないのでありますけれ
ども、それにしても大問題でございます。そこに住んでおる人にしますと、そこにいろいろの
仕事を持っており、そこにいろいろの財産を持っておる。そういう
人たちにしますと、そこをすっかり捨ててしまってよそへ移るというようなことは、簡単にはいかぬわけでございまして、何とかして
自分たちの町を
改造しようということに努力をしまして、今では、きょうの
東京の空のようなきれいな空が見られる。あるいは町の
建物の古いものもどんどん
改造いたしております。
向こうはれんが造の
建物ですから、こわすことが比較的楽でございまして、新しいアパートを作ったり、公営住宅を作ったり、というようなふうに改進をやっておるというので、
アメリカの中でも有名な
土地になっております。そういったふうなことが
日本の
都市においても
考えなくてはならぬのではないか、こういうふうに
考えておる次第でございます。一方において、先ほど申しましたように、新しい町作り、特に現在では地方に工業
都市を作るという必要に迫られておりますが、場合によったら、先ほど
お話に出ましたような首都の
移転、あるいは
大学の
移転、こういったことは私
どもが云々するよりも、政治家がきめて下さる問題だと思いますけれ
ども、こういったものと同時に、古い町を作り直していくという
仕事もどうしても大事だ、こう
考える次第でございます。