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1961-02-28 第38回国会 衆議院 決算委員会国有財産の増減及び現況に関する調査小委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十六年二月二十八日(火曜日)    午前十一時十二分開議  出席小委員    小委員長 田中 彰治君       荒舩清十郎君    木村 公平君       三和 精一君    小川 豊明君       西村 力弥君  小委員会外出席者         決 算 委 員 大上  司君         決 算 委 員 山田 長司君         参  考  人         (日本燃料株式         会社監査役)  上野  浩君         参  考  人         (大阪府福島不         動産組合長、大         阪府不動産鑑定         師会理事)   高瀬 昌弘君         参  考  人 中村保太郎君         参  考  人 良島 正浩君         専  門  員 黒田 久太君     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  国有財産増減及び現況に関する件      ――――◇―――――
  2. 田中彰治

    田中委員長 これより小委員会を開会いたします。  国有財産増減及び現況に関する件について調査を進めます。  大阪拘置所の用地交換問題について、前会に続き参考人より実情を聴取いたします。  本日御出席参考人は、上野浩君、高瀬昌弘君、中村保太郎君、良島正浩君の四名でございますが、上野参考人はちょっとおくれて参るとのことでございますので、御報告いたしておきます。  この際、一言ごあいさつ申し上げます。参考人各位には御多用中にもかかわらず、また、御遠路のところ出席いただきましたことにつきまして、ありがとうございました。  それではこれより調査に入りますが、調査の都合上、前会同様まず、小委員長の私から参考人お尋ねし、その後小委員各位から質疑を行なっていただきたいと存じますので、さよう御了承いただきとう存じます。  なお、参考人に申し上げますが、発言の際は、委員長の許可を得て行なっていただくようお願いいたしておきます。  そこで、中村参考人にちょっとお聞きいたしたいのですが、あなたは延原さんのところに何年くらいお勤めになっていましたか。
  3. 中村保太郎

    中村参考人 約十八年です。
  4. 田中彰治

    田中委員長 それからいつおやめになりましたか。
  5. 中村保太郎

    中村参考人 三十二年の四月にやめました。
  6. 田中彰治

    田中委員長 やめられた事情は…。
  7. 中村保太郎

    中村参考人 事情と申しますと、何といいますか、突然やめろという、延原へしょっちゅう出入りしている同僚からの話で、やめることになりましたが、理由については、何といいますか、多少意思の疎通を欠いたというふうの意味があったわけなんです。
  8. 田中彰治

    田中委員長 そこで、私からお尋ねするのはごく簡単なんですが、昭和三十年十一月二十一日に、良島正浩君が、五百万円の京都信用金庫振り出し同君あての小切手を一通、銀行渡しのものを持って、土地売買契約に行ったことがございますか。
  9. 中村保太郎

    中村参考人 はい、それまでに細見育一なるものの契約がありまして、それに引き続いて、その細見紹介人として良島さんがおいでになったという記憶はあります。そうして契約のことについてお話し合いした記憶はあります。
  10. 田中彰治

    田中委員長 ここに手付金の前渡金として五百万円、この領収書、これは覚えがありますか。   〔小委員長中村参考人に書類を示す〕
  11. 中村保太郎

    中村参考人 確かにこれは私の方から出してあります。
  12. 田中彰治

    田中委員長 それから、この五百万円とったときに、残金を十一月二十八日ですか、持ってくるということになっておったのが延びた。その延びる二日前に、鍵谷さんというヤンマーディーゼルの常務か何かしておられる方があなたのところに来て、延ばしたいがと言ってお尋ねになった。ここであなたは支配人立場ですから、これはなかなかむずかしい問題だけれども…。
  13. 中村保太郎

    中村参考人 ちょっと申しますと、支配人というわけではないのです。総務部長としてある程度の仕事はしておったわけです。
  14. 田中彰治

    田中委員長 そこで、その延ばしに行ったときに、これは絶対だめだから五百万返して、あとお前とは縁切るぞというような強い話ではなくて、一応むずかしいと思うけれども、主人にも伝えておこうということでお別れになったというのですか、どうなんです。
  15. 中村保太郎

    中村参考人 日時の記憶ははっきりしませんが、たしか二十八日じゃなかったかと思います。良島さんの代理として鍵谷氏がお見えになって、私と面会したことは事実であります。そのときに、きょうはできないから二日ほど待っていただきたいというお話を承りました。しかし、実は失敬ですが、良島さんをあまり私御信用申し上げておらなかったわけですから、従って、鍵谷さんに対しても承知したということは申し上げなかったはずなんです。しかし、懇々と依頼を受けまして、それでは一応所長に伝えようということは申し上げたような記憶があるわけなんです。
  16. 田中彰治

    田中委員長 二十八日にもし金が入らぬとなると、あなたの方との契約は、契約金五百万を没収して縁が切れるのだ、こういう工合拘置所などで承知しておったから、拘置所の方からあなたの方に、二十八日で切れるのだったら早く切れ、縁を切ってしまったらおれの方と契約したいから、二十八日の十二時を過ぎたら取引をやめろ、縁を切ってくれといったような電話が相当かかったというのは、事実ですか。
  17. 中村保太郎

    中村参考人 大体それまでは拘置所福山総務部長と私が交渉しておったわけなんです。たしか当日、良島さんからあと手付金が入らなければ契約は消滅するものですねというふうな、福山総務部長からのお電話があったように記憶しております。
  18. 田中彰治

    田中委員長 拘置所では、初めあなたの方との直接契約をきらって、土地売買というものは細見さんと延原さんと売買契約されたのでしょう。売買するという契約書がありますね。
  19. 中村保太郎

    中村参考人 最初細見さんがお入りになっておったようですね。
  20. 田中彰治

    田中委員長 あなたの方、延原さんと細見さんとの間に土地売買契約書がありますね。
  21. 中村保太郎

    中村参考人 契約は実現しなかったけれども……。
  22. 田中彰治

    田中委員長 結ばれましたね。
  23. 中村保太郎

    中村参考人 契約はしておりました。
  24. 田中彰治

    田中委員長 それなのに、それを引き継いだ良島さんが五百万手金を持っていったけれども、二十八日にこないからといって、手金を没収されて契約を解除したということになりますね、直接拘置所とあなたの方とやられたのだから。そうでしょう。
  25. 中村保太郎

    中村参考人 そのときには、まだ拘置所契約はしておりません。
  26. 田中彰治

    田中委員長 しておりませんけれども、良島君の五百万を、あなたの方でもってあとの金がそろわぬからというので無効にされて、それから後に拘置所契約されたのでしょう。
  27. 中村保太郎

    中村参考人 はあ。
  28. 田中彰治

    田中委員長 かりにも昭和三十年の五百万だと、相当大きなお金だから、それを内容証明を出すなり、良島君を呼ぶなり、手紙を出すなりして、実は五百万の手金を預っているけれども、残金が間に合わないから君との契約はやめた、だからこれを没収しておくぞとか、半分返すとか、あるいはまた待つとかというような、何か表示がありそうなものだが、その表示をされましたか。
  29. 中村保太郎

    中村参考人 それにつきましては、二十一日でしたか、手付金を受け取る際、良島さんが、二十八日までにあとの金を入れなければ五百万は没収されても異議は申しませんという一札をお入れになったわけなんです。従って、私の方はそれでいいという判断をしておったわけです。
  30. 田中彰治

    田中委員長 刑務所に入れるときだって、からだの工合が悪いとか、家庭の事情があるといえば、一日、二日は延びますよ。絞首刑だって延びるんだから……。かりにもあんたの方は、五百円という金を――細見さんと売買契約してあって、細見さんが金ができないので、良島さんが現われて、いろいろ違ったことを言ったから、信用なさるかなさらぬかは別ですけれども、五百万の金を取られるなら、そこで内容証明なり、当人を呼んで断わるなり、また幾らかでも返してやるなり、これはやられるのが僕は常識だと思いますが、あなたはそんなことをしないでもいい、おれのところは契約通りぴしゃっとやって、人の金でも取って、税金でも納めないでふところに入れておけばいいというお考えだったのですか。
  31. 中村保太郎

    中村参考人 私どもの方は、延原製作所と申しまして、主人所長といつも呼んでいるのですが、大体所長は良島さんからそういう一札をとっておるから、それで法律上も有効なものだというように考えておったように思います。
  32. 田中彰治

    田中委員長 しかし、あなたがその折衝に当たっておられて、それをどうもむごいやり方だと考えられたのか、またあたりまえであっても、内容証明なり、当人を呼んで断わるなり、一応手紙を出してやるなり……。五百万を、書いてあったからそのまま取りっぱなしにするということ、そういうことは……。
  33. 中村保太郎

    中村参考人 たしかそのときには、こちらから期限が切れたから効力がないんだ、没収するぞという御通告はしなかったと思います。
  34. 田中彰治

    田中委員長 それをやっておいでにならないから、良島の方では……。
  35. 中村保太郎

    中村参考人 しかし、後日良島さんから返してもらいたいというお話があれば、またそれはそのときに考えたらいいんじゃないかというような考えを持っておったわけなんです。
  36. 田中彰治

    田中委員長 福山総務部長ですか、拘置所のあの人が来て、五百万を返してやれということを何回もあんたの方へ言ったけれども、あんたの方はそれに応ずる気配がなかった、そういうことを言っておるのですよ。そこであんたの方で、それが五十万なり三十万ならいいのですが、昭和三十年当時の五百万なら、国会議員だって当選できるような値打ちのあるものなんだ。それを途中で、はっきりお前と解約したとも言わぬ、取っておくぞとも言わなければ何も言わない。だから良島の方では、細見さんの売買契約自分が継承したんだから、なるべくそれをつないでいきたい、あとで金を持っていったこともあるのですから、つながっておるものと誤解するのは至当だと思うのだが、あなたはどう思いますか。
  37. 中村保太郎

    中村参考人 その点に対しては、私の方の所長意見としては、没収して当然だという気持を持っておったと思います。また、そういうふうな発言をしておりました。良島さんが委員長さんのおっしゃるようなお考えを持っていたにしても、それは見解相違じゃないかと私は考えます。
  38. 田中彰治

    田中委員長 そこで中村参考人にちょっとお尋ねしたいのだが、どんなあなたでも常識というものがあるのだから、五百万お取りになるのなら、あのとき内容証明を出しておけばよかったとか、あるいは当人と会って断わっておけばよかったとか、そうしておくことが至当であったし、そういうことをしなかったのは手落ちと認められておるのですか。いや、そんなことは何でもないと思っていらっしゃるのか。これは見解相違というが、あなたの個人の御意見だから、所長は別として、あなたとしてはそういう手続をしておったらよかったと思われておるのですか。いやそんなものはしなくたって、延原君が得がいくなら相手はどうでもいいと思っていらっしゃるのか。
  39. 中村保太郎

    中村参考人 私は、そのときにはそれでいいという判断をしておりましたが、後日になって、やはり通告しておいた方が念が立ったなという程度に考えております。
  40. 田中彰治

    田中委員長 それではもう一ぺん良島参考人に聞きますが、あなた、そんな五百万円も金をやってあと残金を持っていく約束をしながら、どうして残金を持っていかなかったのですか。
  41. 良島正浩

    ○良島参考人 それは、その期日前に拘置所から、拘置所との契約は破約してくれろ、白紙に返せ、こう言ってきたのですから、それは困るのだ。もう支払わなくてはならぬ手付金の一部は払っているし、のみはならず、その残金の準備も大体できたのに、そう言われても困るから、本庁から言ってきたのなら、一ぺん本庁に行って意向をためしてこなくてはならぬ、こういうので、会談しに行ってもらったのですが、大体二億五千万で買うという意思は、天満の土地交換するのが目的なんで、その交換ができないんだったら、都島だけ買うんではしようがありませんから、それで本庁意向を聞いた上であと金を持っていこう、こういう考えでおりました。
  42. 田中彰治

    田中委員長 そこで良島参考人に聞きますが、本庁意向ということは、何を確かめるのですか、本庁に来て。
  43. 良島正浩

    ○良島参考人 それは、拘置所所長管区長が、どういうわけでいけないのだと言ったら、本庁意向でいけないのだ、こういうお話だったものですから……。
  44. 田中彰治

    田中委員長 そこで良島参考人に聞きますが、細見さんと延原さんと今の都島土地売買契約のあったということは今中村参考人は認めておるのだが、あなたそれを引き継がれたんだから、まだ解約したとか、手付金返さぬとか、取っておくとか、通知なく、そのままにされておったのだから、今、あなたはこの契約はつながっていると思っているのですか、もう切れたと思っているのですか、どうなのですか。
  45. 良島正浩

    ○良島参考人 私は、いまだつながっていると思います。その後、つながっているということを理由に仮処分の申請をしまして、その決定ももらっております。
  46. 田中彰治

    田中委員長 そこで高瀬参考人にお伺いしますが、あなたは、この間鑑定人だということなので、こういうことの経験があると思うのですが、中村参考人の前で聞いておきたいのですが、この良島さんと延原さんの契約はどうなのですか、つながっていると思っていらっしゃいますか、あいまいだと思いますか、切れていると思っていらっしゃいますか
  47. 高瀬昌弘

    高瀬参考人 これは、ちょっと前からつながりを言わぬと説明がしにくいから、最初からのつながりをちょっと申し上げます。大体この土地を一番最初推薦したのが私でございます。その当時細見氏が買うというので、それを延原さんのところへ交渉して、それで話し合いができて、二億三千万で契約するというので、契約書まで書いた。ところが、細見氏にちょっと手違いがありまして、取引ができなかった、契約ができなかった。そこで良島氏が買うというので出てこられたのでありますが、その後、いろいろのことは皆さんが申し上げた通りの経過によってしたのでありますが、その後引き続きいろいろこれを買うべく延原さんと交渉しておったのでありますが、そういう話があって後に、あれはもう売ることをやめたとか、没収したからあなたたちは、来てはあかんという言葉は、一度もわれわれにかけない。かつまた、これが没収したものとすれば、われわれは業者であるから、これに対して手数料を払う規則がある。その手数料もわれわれに払うということを言うておらないから、なお引き続き、つまり金さえできたらば売るものとわれわれは信じて、一生懸命で運動をしておったわけです。であるから、とにかくその当時、引き続きこれは継続するものと信じて、話をしておったわけでございます。  以上の通りでございます。
  48. 田中彰治

    田中委員長 そこで高瀬参考人にもう一回聞きますが、手数料というのは、つまりこういうことなのですか。五百万なら五百万の手金を取った。しかし、もうあと残金はできないから売らない。売らないけれども、五百万が延原さんのところへ入ったから、その五百万のうちから、破約になったけれども、君たちが口をきいてくれたから、幾らか払うという手数料なんですか。
  49. 高瀬昌弘

    高瀬参考人 大体われわれは売買の場合は規定がありまして、普通の場合、二百万円までは五分、二直万円から五百万円の間は四分、五百万円をこす場合は三分という計算で手数料を両方からいただくことになっているのですが、こういう場合は、手付金で全部入って、没収すれば、一方の手数料、つまり売買額二億三千万に対する手数料をもらうのが当然なんですけれども、この場合は、手付金が五百万円であるから、それだけはもらうことはできないけれども、話し合いでなんぼかもらえることは事実ですから、支払うべきものであると私は思います。それを支払わないから、なお継続しているものと思うから、われわれは手数料を要求はしなかったのです。
  50. 田中彰治

    田中委員長 そこで中村参考人にもう一回お尋ねしますが、昭和三十年に五百万を没収した。没収したということになれば、延原さんのところへ五百万の金が無条件で入ってくる  のだから、これに対して税金とか何とかいうものはちゃんと報告して納むべきものだが、それは納まっておりますか。
  51. 中村保太郎

    中村参考人 三十年度、五百万は当然没収に、先ほど申しましたように、なっておるわけなんです、それに対する税金の点は、三十一年度――実は当時、終戦後引き続いて事業を何もやっておらないものですから、また個人経営なんです。従って、帳簿もはっきりしておらなかったわけです。三十一年度は納税してなかったんじゃないかと記憶しておるわけなんで、この点は、どうも記録を見なければはっきりしたことは申し上げられません。
  52. 田中彰治

    田中委員長 三十二年度はどうですか。
  53. 中村保太郎

    中村参考人 三十二年度につきましては、私がやめる年でしたから、たしか申告しておらなかったと思います。ただいまの点、私の記憶によります。
  54. 田中彰治

    田中委員長 けっこうです。  そこで中村参考人にお聞きしたいのだが、十八年も延原におられて、いろいろ支配人のような、総務部長のようなことをやっておられたのだから、そういうことは詳しいと思うのですが、三十一年にわずか一週間か十日にして、長くとも一ヵ月以内に五百万の金が個人経営の中に入ってきたのだから、手金として流したということなら、報告をして税金を納めて、その金のアリバイをはっきりするのが常識なんですね、個人のうちへ入ったのだから。  それがしてないということになると、どうですか、あなたの方でも後にこれは問題も起こるかもしれない、あるいは何かあるかもしれないから、まあ一応手金の完全に没収したのだという観念でなく、返すとか何とかの方法をするとか何とかしなければならないのだという、幾らかそういう意識が、あんたなり――延原さんがいないからあと延原さんに聞きますが、あんたなりの腹にそういうことがあったのじゃないですか。
  55. 中村保太郎

    中村参考人 先ほど申し上げましたように、実は引き続き休業状態であった。従って、収入は、不動産の売却によって固定資産税その他の経費をまかなっておったというのがその当時の実情であったわけであります。従って、五百万入った三十一年に納税したかどうかということは、先ほども申し上げたように、はっきりしないわけなんですが、その点納税するしないということについては、深く所長からの指示もありません。また、私からも話をしていなかったように記憶しております。
  56. 田中彰治

    田中委員長 けっこうです。  もう一ぺん中村参考人お尋ねしますが、昭和三十年の五百万という金は大きいのだから、そういう商売をしていなければ、なおさらそこにぽつんと入ってきたのだから――それでは私の方から申し上げますが、私の方で調べたところによっては、今までこれに対して納税していません。納税してないということならば、どうですか、脱税をするという考えで納税しなかったのか、この手付金に多少の異議があると思ってしなかったのか、どうなんです。延原さんから私あてに来ているのは――延原さんの名前は書いてありませんが、延原さんだと思うのですが、脱税とか悪いことはみんなあなたが指揮して、銀行におられて知恵があるから、それで何も知り抜いてやっておられたということを言ってきておる。それはどうですか。五百万も脱税をするつもりなのか。あるいは五百万の手付金に多少の異議、因縁がつくのではないかということで納税しなかったのですか。どうなんです。
  57. 中村保太郎

    中村参考人 ただいまお話し中に、すべて中村総務部長がやったことだというような点についてお話があったようです。延原所長は全然知らないことだ、中村君が勝手にやったことだ、こういうようなお話のように承りましたが、実は私、終戦前、終戦後においても、すべて私のやっておることは、一目瞭然、所長指示により、また所長に復命してやっておるので、私のやったことについて重要なことは、すべて所長は承知しているはずなんです。その点はもう間違いない、こう申し上げて差しつかえないと私は思います。  ところで、今脱税お話がありましたが、脱税をしようという意思でやっておったことは決してありません。また、その五百万というものが法的に疑義がある、そのために納税しなかったというふうな気持もなかったように思います。その点、はなはだあいまいなんですが……。
  58. 田中彰治

    田中委員長 五百万という金は、そんな小さい金じゃないでしょう。五百万という金は、大きな金ですよ。昭和三十年ですよ。今までそれを持っていれば、大がい十倍にはなっていますよ。今の五千万に当たりますよ。それ、どうなんです。   〔「ただ何となく申告しなかったんだろう」と呼ぶ者あり〕
  59. 西村力弥

    西村(力)小委員 それは気持はどうあろうとも、今の件は、やはり申告しなければ脱税になるのだとあなたはお考えになるかどうかということなんです。あなたの気持はどうあろうとも、そういう点に対する見識は相当おありだと思うのですが、そういう点はどうでしょう。
  60. 中村保太郎

    中村参考人 ただいまのお尋ねですが、もちろん五百万は大きい金でもありますが、その当時は、私の方の状態としまして、脱税するという気持はもちろん毛頭なかったわけなんであります。しかし、ただいまのお話のように、後日になってくれば、脱税したということになるじゃないかということは考えられます。
  61. 西村力弥

    西村(力)小委員 これは日本人の通常ですが喜んで精一ぱい税金を納めようということは考えない。日本人の非常に情けないことなんです。これは政治が悪いからみんなそういうことになってしまったのだろうと思うのですが、ことにあなた方商売をなさっておる方々は、脱税とまでは言わないけれども、税金をしぼろうという考え方は、当然だろうと思うのです。それが発覚した場合には、自分は運が悪かったということになるだけであって、そういうことだろうと思うのです。だから、あなたの御見識でも、これははっきり脱税に該当する、こう御判断になると思うのです。  そのほか聞きたいのは、最初拘置所の方から交換してくれと言ってきたときに、延原氏はこれを拒否した。ところが後日になって、今度はそれを応諾した、こういうことになっているのですが、これはどういうわけでそういう工合心境変化を来たしたのか、そこが私の知りたいところなんです。それはやはり、いつまでもかまわぬでおけないから、自分には少し不都合だけれども、それじゃ拘置所立場もあるだろうから、また大阪市の発展のためにも、忍んで交換に応じよう、こういう工合にきたのか。これは延原さんが善意の立場に立った場合ですね。そうでなければ、最初条件と後日の条件がまるっきり変わってきたということか。その二つの事情考えられると思うのです。私の推定では、第一の条件、すなわち、大阪市の発展のために忍んで交換に応じようなんという工合考えたのではないと思う。何かしらやはりその変化したときの提示された条件というものが違ってきているのじゃないか、そういうことから交換に応じてきたのではないかと思うわけなんです。そうでなく、条件は変わらないにしても、どさくさしている間に五百万がぽっと入った。それだけでももうかったということになるわけですからね。まあその点だけでも、プラス五百万ということで事情が変わってきたということもありますが、そういう点、率直なところ、どうでしょうか。心境変化を来たした事情はどこにあるかということです。
  62. 中村保太郎

    中村参考人 ただいまお尋ね拘置所敷地と私の方の敷地交換問題についての詳しい経緯につきましては、これは申し上げれば長いわけで、いろいろな事柄も含まれておりますので、詳しくは申し上げるわけにいきませんが、最初大阪管区長からのお電話延原さんと私が同道しまして、管区で、管区長、それから松本拘置所長福山総務部長管区の一部長の四人と、私の方は二人で話をしたわけです。そのときに、鈴木管区長の話によると、大阪拘置所敷地移転問題については非常に困っておる。従来あちらこちらの候補地が、結局どちらに回ってもいろいろな条件において不都合を来たしておる。従って、あなたの工場の土地が一番いいのだから、最適だから、交換に応じてもらいたい、そういうお話があった。そのとき、私の方の所長の申しますのは、土地土地との交換は私は困るのだ、こういう話がありまして、現金での買収ではともかくとしても、土地土地とは困るということでしたが、重ねて懇請されまして、考慮してみようということで、再会することで帰ったわけなんです。その後、拘置所から再々お話があって、そうしてやはり拘置所の方がお困りであれば交換してもいいじゃないかというところまで、私と所長との話ができたわけなんです。そこで交換に応ずる、こういうことにしたわけです。大阪市の発展に寄与するかしないかということについては、あまり深く考えなかったわけです。むしろ、設置については、都島区民なんかの相当な反対を受けたわけなんです。しかし、拘置所のためにということであったので、応じたわけです。格別の心境変化というほどのことはなかったわけなんですが、その間、申しおくれましたが、私の方の淀川工場の抵当権者である勧業銀行から、やはり処分することを再々申されておって、従って、早く私の方も解決したい、しなければならぬ、こういう考え交換に応じたわけです。勧銀の承諾も得て、交換に応ずることになったわけです。いさいはそういう次第です。
  63. 西村力弥

    西村(力)小委員 土地土地交換はだめだと一番最初おっしゃっておった。その理由事情は、何か経営上の問題でも、そういう決定的な事情があったのかどうか。どうでしょう。
  64. 中村保太郎

    中村参考人 その点、所長意思ははっきりつかむことはできないわけです。私の想像にすぎないと思いますが、やはり相当経常費が――固定資産税その他納税の関係経費というようなものが、年々相当額あったために、現金で売却した方がいい、こういう考え方でおったのじゃないかと思います。
  65. 西村力弥

    西村(力)小委員 それで交換になって、どのくらい利益を得たように――今離れていらっしゃる立場から考えて、延原氏はどのくらいの利益を得たように判定なさるか。
  66. 田中彰治

    田中委員長 参考人交換したことによって、天満の土地が上がっているから、延原氏がどのくらいもうかると思っておりますか、今の相場でやったら。
  67. 中村保太郎

    中村参考人 ただいまお尋ねのことは、その当時を基準にしたお話ですか、現在……。
  68. 西村力弥

    西村(力)小委員 それはその当時を基礎にして、しかし、発展の可能性から言いますと、それを加味した――天満はこれから発展し、地価が上がる、そういう想定が確実に立ったわけですから、それを加味して、当時は当時ですけれども、そういう将来性の見通しを加味した判定をすれば、どのくらいになりますか。
  69. 中村保太郎

    中村参考人 ただいまのお話の点につきましては、私のその当時の考えを申し上げます。  率直に申し上げますと、御承知の都島土地は、二万一千坪あったわけなんです。工場としてはかなりまとまったものでありましたが、その当時は、比較的売却しにくかったということは事実であります。従って、発展性ということにつきましては、やはり天満の土地の方がいい、こういうことは多かろうという予想は立てておったわけです。従って、債権者たる勧銀に対しても、その由を私から伝えておったわけです。そうして交換に応じようじゃないかという気持でその当時おったのは事実です。
  70. 田中彰治

    田中委員長 現在はどうです。
  71. 中村保太郎

    中村参考人 現在の価値ですか。
  72. 田中彰治

    田中委員長 そう、価値。
  73. 中村保太郎

    中村参考人 私は、その後、そういう土地の評価のことについては、だいぶ年数もたっておりますから、風評によりますと、かなりの価値が天満の土地にあるのじゃないか、相当額の開きがあるのではないかということは考えております。
  74. 西村力弥

    西村(力)小委員 高瀬参考人にちょっとお尋ねしますが、あなたのこの前の御出席のときのお仕事は、何か評価師というのですか、土地や何かの評価をするというのがお仕事だ、こういう工合に聞いておったように記憶しておるのですが、先ほどのお話を聞きますと、あっせん役もなさる、不動産や何かのあっせん役もなさるということでありますが、これは公的な資格の評価委員でないからかまわぬでしょうが、やはりあっせんもする、評価もする、こういうことはやはり両立するのですか。
  75. 高瀬昌弘

    高瀬参考人 大体主体は不動産取引委員です。であるから、売買の方が主体であって、鑑定の方はその付随したような仕事になっております。
  76. 西村力弥

    西村(力)小委員 鑑定委員立場から、都島のその土地の三十一年以来の上昇率、それと天満の上界率、これはどういう工合に踏んでいらっしゃるか。これは鑑定委員という限りは的確に上昇率というのは押えていらっしゃると思うのです。率とまでいかないにしても、何%までいかないにしても、あっちが一上がったらこっちは三上がったとか、こういうようなところの踏み方はちゃんとあるだろうと思うのですが、どうですか。
  77. 高瀬昌弘

    高瀬参考人 これはわれわれ専門的に見ると、天満の土地というのは、利用する人によって非帯に価値が違ってくると思うのです。ただ普通であったならば、そう上昇率も大きく評価するのはどうかと思いますが、あの土地を有利に使うというのは、つまり資本程度です。資本が十分あってあれを有利に使えば、相当りっぱな土地である。こういう工合考えておるわけですけれども、上昇率からいいますと、その当時と今日と比較して、都島を一とすれば、二、あるいは見方によったらそれ以上に上昇率を見てもいいかもわからぬと思います。
  78. 西村力弥

    西村(力)小委員 中村さんにお聞きしますが、当時でも大へん有利だ、こういう工合にお考えになったというが、額にしますと、どのくらいもうかりそうだ、こういうそろばんまでいかないでも、概略の計算はなさったのでしょう。
  79. 中村保太郎

    中村参考人 その当時交換に応じたということは、やはり拘置所の側から非常に熱心に依頼を受けた、また立場お話しになったということもありますが、大体損がいくのだったら、応じるわけはありません。そういうことで交換に応じたわけなんです。今高瀬参考人お話のように、あの土地そのものは、私が見ましても、その当時から利用価値といいますか、利用によってその評価が非常に変わるというふうな土地であります。現在でもその通りでありますから。しかし、少なくとも都島土地よりも天満の土地はかなり値打ちのあったものだ、こういうように考えております。
  80. 西村力弥

    西村(力)小委員 高瀬さんにお聞きしますが、利用のしようによって――中村さんもおっしゃいましたが、確かにそうでしょう。ところが移転になって、あそこが延原氏の所有地になりましてから、もう満ぱいになりましたか。
  81. 中村保太郎

    中村参考人 現在なっておらないように思います。
  82. 高瀬昌弘

    高瀬参考人 満ぱいというと……。
  83. 西村力弥

    西村(力)小委員 満ぱいというのは、それをどういう工合延原氏において処分なさったか。希望者が殺到して、もう売れ切れたか、分割し終わったか、そういうことであります。
  84. 高瀬昌弘

    高瀬参考人 それは現在まだ……。一部倉庫を建てたように聞いておりますけれども、あそこへ倉庫を建てたのでは、有利な利用方法とは思いません。であるから、現在まだ有効的にあれを使うておらないというて差しつかえないと思います。
  85. 西村力弥

    西村(力)小委員 現地を見なければわからぬですが、その土地に合った希望のある商売なんか、どんどん入り込んだということはないのですか。ただ交換して、あと倉庫を建てただけ、こういうことですか。
  86. 田中彰治

    田中委員長 高瀬参考人、こういう回答をしてやられたらいいです。都島土地が幾らくらい値打ちがあって、天満の土地が上がって、売買すれば今どのくらいの値打ちがあるかわかるでしょう。その差額の概略。たとえば都島が五億であって、天満は今売るとすれば二十億しておりますとか、十五億しておりますとか、その点と、もう一つは、交換した当時、都島がよかったのか、天満がよかったのか、同じくらいの相場であったのか。天満の方が高かったか、都島が低かったか。今はどうだ、天満はこれだけで向こうはどうだ。土地は売らぬで延原がやっておるが、しかし買い手があるのか、買い手がないのか。買い手があるとすれば幾らくらいに売れるか、こういうことです。
  87. 高瀬昌弘

    高瀬参考人 これは関連性があるから、ちょっと私が申し上げるのは…。
  88. 田中彰治

    田中委員長 あなたは参考人ですから、参考でいいです。ほかの人がどうでも、あなたはあなたの意見を述べて下さい。それを根拠にここでどうこうしようというのじゃない。
  89. 高瀬昌弘

    高瀬参考人 その当時は、私の考えでは、延原氏のは二億三千万、これは建物がついておったのです。この建物は相当りっぱな建物でありまして、相当な評価をしておったわけです。これと天満の土地交換するのでしたらば、これは至当かと考えておったのです。そこで結果としましては、建物を除外して交換したということについては、天満の土地の方が有利であったように考えます。それから現在では、あすこはやはり依然として工場地帯であるから、工場地帯というものはそんなに値段が特別上がる性質のものでない。天満の土地は、商業、ああいうことに有利に使うのであるから、上昇率が多い。これが一般不動産を扱っておる者は、常識なんです。そこで天満の土地は相当な値打はあるけれども、さてあれを部分的に使うということは不可能な土地なんです。一万坪ちょっと余あるのですから、これは計画というものを作って、相当な金を入れなかったならば、土地の価値が十分上がらない。そこで何でいいかというと、天神橋筋というて、あすこの隣には大阪で相当優秀な繁華街があるわけなんです。これにこの土地が接続しておるために、これを上手に利用すれば、相当りっぱな計画が立つ、そういう強みがあの土地にあるわけですけど、ただあのままであったのでは、ぼつぼつ少しずつ買い手が来るといっても、手のつけようがない。であるから、相当の資産のある人、資力のある人があれを早く発展さすのが、国家のためにも有益じゃというようなことを考えておるわけで……。であるから、だれかがあれを開拓すれば、相当価値が上がると思います。大体そういう意見であります。
  90. 田中彰治

    田中委員長 西村委員、こちらはその当時の鑑定人だから、当事者の前でほんとのことは言えないのです。この前も断わっておるのです。
  91. 西村力弥

    西村(力)小委員 良島さんにお尋ねしますが、先ほど、自分契約はまだ生きている、仮処分も自分の方にもらっておるし、そう信じておるということでありましたが、この前の話では、五百万円の権利は全部上野さんに譲って、上野さんは法律関係の一切を取り消した、こういう工合に聞いておるのですが、かりに仮処分の判定があるままにこういう交換契約を結んだとすれば、不法行為であるわけですから、それはどういうことです。
  92. 良島正浩

    ○良島参考人 私が申し上げたのは、つまりその二十八日を限度としての期限が生きているのであって、今日もなお生きているというのは、つまりその後も通告もいまだに接しておりませんし、仮処分を取り下げたことについては、また上野氏が特別のつまり量見があって、取り下げたのだろうというので、私は承認したわけであります。
  93. 西村力弥

    西村(力)小委員 それは通告がないから、まだ五百万の手付金を出したあの契約が生きておるのだというふうに言われるが、先ほどの中村さんの話だと、契約の日まで持っていかなければ五百万自然に没収になることを承認するという一札を入れておるし、私から考えると、そこら辺はすっぱりあきらめなければいかぬというような気がするのです。それをいつまでもこだわっておるということはおかしいじゃないか。仮処分はしたにせよ、現実に取り下げておるのですから、そういう点はもう消えておるでしょう。
  94. 良島正浩

    ○良島参考人 その後金は幾度も用意して持っていったのでございますけれども、向こうが受け付けなかったのでございます。
  95. 西村力弥

    西村(力)小委員 二十八日までに持っていくと言っていて、持っていかなければ、その契約は解消だ、手付金は没収だ、それを承認すると一札を入れた限りは、それはやはりその一札に基づいて、とろうがとるまいがしようがないじゃないか。
  96. 良島正浩

    ○良島参考人 それは、もともと交換するために買うた土地ですから、法務省から契約を解除するというので、一応本庁へ行って聞いてみるから、その間待ってくれと言って、子供の使いじゃなしに、相当の人に行ってもらって延期してもらっているから、それでその間は待ってもらっているものだと思っておりました。
  97. 西村力弥

    西村(力)小委員 それは、あなたの方ではもう長いことそういう商行為というのをやっていらっしゃるのでしょうが、自分が不都合の場合にはそういう主張を立てられても、これはなかなか通らぬじゃないかと僕は思うのですよ。  そこで委員長に申し上げたいのですが、問題は、先ほどから土地交換が一対一でやったということが、国有財産の処理の問題で妥当かどうかという問題、これは中村さんもおっしゃり、それから高瀬さんもおっしゃるように、天満の方は大へん有利で利益があるのだが、そこで問題となるのは利用の方法で、資本投下をしなければ価値は出ないのだということになると、これはまた相当やはり問題が出てきます。ですが、常識的に言うと、やはり等価交換というもので、国有財産を少し粗末に扱ったきらいがあるという問題。それからやはりいろいろ金銭の授受がある限り、そこに納税ということが必ず付随しなければならぬ。それがおろそかにされているということになれば、これはやはり脱税行為であるし、それを見のがしたのは税務当局の手落ちだということ、こういうふうなことになるわけですが、そういう問題にしぼって、大体この小委員会の審議というものはこの程度で打ち切って、問題の焦点を国有財産の処理の問題、それから税金の問題、そういうところの本筋に移して処理をしていった方がよかろうかと私は思うのですよ。そういう点について私から希望を申し上げて、私は終わりたいと思います。
  98. 田中彰治

    田中委員長 西村委員に申し上げますが、拘置所契約したときに、細見という者と延原との売買契約がこれは契約書においてわかっておって、それを良島君が細見の紹介で延原と会って、五百万手金をやった。その手金がはっきり解消していないと、そういう権利のあるものを国有地として取りかえたということにおいて、非常な一つの問題がある。それだから、この手金というものはほんとうに流れたものであるのか、流れないものであるのか、権利のないものであるのか、あるものであるのかということは、大へんな重要な問題だし、そこで、良島参考人なんかに聞いているのだが、今ここに来られた高瀬さんも、もう一つ中に入られた人とその他に入られた人も、りっぱに手金が生きている、こう言っているのだ。それは商取引で、書いてあっても、事情があって待ってくれと言って、それくらいで待たれないと言って当人に会って拒否しないというのは、商取引で二日や三日のことは、これだけの大きな金額だから当然であって、その後そういう拒否権がなければ、これは続いている。中に入っておる者は承諾したんだと言っておるから、続いているものである。もし、その中に入った人の言うことがうそであれば、それは内容証明なり何なりで断わるべきものだ。こういうことになってきますと、これは非常に重大な問題だ。そういう権利のあるものをあれした。それから裁判所がこれに対して仮処分を許したということは、相手が国家ですから、それ相当の権利を認めたからだ。それを上野君が、その仮処分を取り下げてくれ、あなたに売るからというのでひっかかって取り消したということを言っているのだが、こうなってきますと、良島さんの権利というのは、上野君がうそを言われたのでやったということになると、これは一つの大きな問題。それからこの土地は、工場財団に入っておったのだから、工場財団に入っておったものをこれだけ抜いたということになると、勧銀の支払いというものはきちっと済ましてやらぬと、工場財団から抜けないのだ。それが一億なんぼも残っているでしょう。当時はほとんど金をとらないでやったのだから、こういうことも一つの問題。それから税金のことも一つの問題。それから国のものをたくさん売ったということも一つの問題だ。小委員会は私はこれで打ち切って、本委員会にかけて、やはりこれだけは、証人を出すものは証人を出して、はっきりしないといけない。  それからまだ西村委員に申し上げてありませんが、あの交換した土地に、国有地がたくさんある。それをみんな分割したことにして、国家でも忘れておる。それを交換しちゃった。これは運輸省の土地ですから、はっきりしております。わずかだけれども、自治省の土地もあります。これは山田委員なんか、農林委員会の方にもいっておられるが、あそこは畑になっておったところですが、その農地に、そのまま農地法にかけないで家を建てるなどということは、国家でもできないと思うのです。こういうことも重大な問題だと私は思う。それで実は調べてきたんだから、これは本委員会にかけて、私など委員長立場でなくて、これに対してむしろ追及してみたいと考えております。小委員会は一応これで打ち切ります。  そこで上野さんにお聞きしますが、裁判所に移して一たん仮処分してしまったものを、あんたは良島君に二千万円金をやるからといって取り消されたのは、一体どういうわけですか。これについて正直に言ってごらんなさい。仮処分を取り消したのは、良島君にだまされてやったと思ったのか、いや、国のために当然だと思ってやったのか、これについて述べて下さい。
  99. 上野浩

    上野参考人 その前にちょっと一言言いたいのですが、先ほど、延原さんが直接やるのとそれからやらないのとはどういう違いがあるのかというお話が出ておったのですが、私が聞いたところによりますと、最初は、延原さんは金がほしいから土地土地との交換はいやだと言っておったが、それを今度はあと交換することに応じたのは、要するに天満の土地は非常に売りいいということが一つ。もう一つは、あの契約が成立すると、細見育一に三千万円のコミッションを払うということがあった。だから、売りやすいということと、三千万円が助かるということと、良島さんの五百万の金がもうかるということ、それから高瀬さんたちにコミッションを払うことも要らなくなるという、相当大きな利益があるから、やがて気持が変わったのだというふうに私は細見やなんかから聞いておりますから御参考までに言っておきたい。  それから今の御質問の話でございますが、私としては、その当時、拘置所または法務省がどうしても拘置所を建てなければ困るのだ。それで拘置所を建てるためには、国家としては争いごとを生じているものと国家の土地交換したりなんかするということは、絶対できない。だから、ああいう仮処分がついている限りにはおいては、いつまでいっても交換することができない。交換することができなければ、もう長い間あちこち探して、いい候補地も何にもない、あそこしかないのだから、そうなってくると、大へんなことになるし、困るのだ。だから、ぜひ何とか心配してくれぬかといって、この前もるる言いましたように、福山君やなにかから話があったわけなんです。それで私は良島さんに、どっちから見たって、仮処分しておいたってしょうがないじゃないか、何とか解いてあげてやるわけにいかぬか。そうすると、良島さんの言うには、自分としては四、五千万の金をすでにつぎ込んでいるのだ。君の言うように、道義的だとかちょうちんだなどと言ったって、そんなものはどうせ通用しないのだ。要するに、日本には法律があって、法律以外にはどうすることもできない。だから、仮処分を解いてしまえば、もうよりどころも何もなくなっちゃって、ただとられてしまうのだ。だからおれはいやだというから、そんなことはない。要するに法律があったって何があったって、いいことをすればいいことがきっとあるはずなんだから、絶対自分考えに賛成してくれということから始まって、君がそれほど自信があるなら、二千万私によこしなさい。そうすれば、あなたにすべての交渉なり、法律的な処置なり、何なりまかすからと言われたので、それで、私はそのとき拘置所長の福山さんにそのわけを話して、あとの始末のつくようにし、また高瀬さん、それから増井さんを通して、ここで二千万払うんだけれども、僕一人でこれを負担するのは不当であるから、拘置所交換ができた場合には、千万だけは延原さんの方に負担してもらいたいということをはっきり言ってくれということで、そういうふうに話してもらった。そうなると、私の道義的な考えからいっても、要するに相手が拘置所の話であり、また高瀬さんやなんかが延原さんのところに行って、僕に売る気がなければ、負ける話も何の話もないはずであってそれなら断わると言えばそれまでの話であるけれども、ちゃんと交換ができたときに負けてくれという話をしたことに対して話が通じたというようなことを私は信じて、そのときは、そういうふうにやることが一番どこからいってもいいんだというふうに信じて、私はやったんです。ところが、今にして考えてみると、拘置所の方もああでもないこうでもないと言って、いいかげんなことを言っておるし、それから延原さんにしても、売る意思があったのかなかったのかわからないというふうなことで、私から見ると、非常にだまされた気持になっておるわけです。それで、私自体がだまされてたくさんの金を損したということは、自分自体の不徳のいたすところだから仕方がないにしましても、良島君にしたって、二千万だけで全部損が取り返せたわけではなくて、その他、またそれがうまく片づいたら、二千万円なり三千万円なり私はもちろん上げようという考えをしておったのがだめになったりしたので、良島さんなり弁護士なりが、そんなことをしてはいけないということをあえてしたということは、私はほんとうに申しわけない。
  100. 田中彰治

    田中委員長 そんなことをしてはいけないというのは、仮処分を取り下げてはいけないということですか。それは弁護士が言ったんですか。
  101. 上野浩

    上野参考人 言ったんです。
  102. 田中彰治

    田中委員長 長島さんも反対したんですか。
  103. 上野浩

    上野参考人 反対したのです。だけれども、それをやらなかったら、五年も六年も交換できないということも事実なんです。また私としては、拘置所の話で、延原さんが、交換ができたら、私の方に二億三千万で売ってくれると確信したから、私はどこから見てもそれがいいという気持でやったのですが、今にしてみれば、だまされたようなもので、私がだまされたのは私の不明で仕方がないですが、そのために良島さんたちに損をかけたということについては、私は申しわけないと思っております。
  104. 田中彰治

    田中委員長 そこで中村参考人にお伺いいたしますが、あなたと拘置所の人と会ったときに、この契約の中を見ますと、土地の値打がどっちが高かろうが安かろうが、お互いに交換しちゃう、金で交換したとか、売ったとか買ったとかいうことでなく、ずぶがえをするのだという話があったのですか。それはどうですか。
  105. 中村保太郎

    中村参考人 土地土地との交換で、ずぶがえするということは、そのときにはっきりしたのです。
  106. 田中彰治

    田中委員長 速記をやめて。   〔速記中止〕
  107. 田中彰治

    田中委員長 本日はこれをもって散会いたします。  午後零時二十五分散会