○
水田国務大臣 企業でありますから、企業力というものを持たなければいけない。企業力を持たなければ、将来拡張のための借金もできないということになりますので、その点において、企業力を持たなければならぬということが言えます。一方
公共性を持っておるために、公共負担にどれくらいの
限度耐えられるか。そしてその二つを勘案した上の、大体独立採算制ということで
運営しておるわけでございますが、かりに
赤字が出たというときには、その場合あるべき合理的な料金が確保されていないための企業力の弱化ということであるのか、公共負担部分が重過ぎて、通常企業に圧力を与え過ぎている結果か、この二つの分析が、
国鉄においては私は必要だと思っています。今回の場合のごときは、
国鉄の説明をいろいろ聞きましても、また内容を見ましても、今の物価、戦後動いてきた物価指数その他全部を参考にしましても、
鉄道料金が安い。このために、
鉄道が事実上企業力がつかないんだというふうに私
どもは見ましたので、
運賃の値上げには
賛成という措置をとったわけでございますが、この
運賃の値上げと
関係して、公共負担が多過ぎるんじゃないかという議論については、これは今のところ、実際自信を持ってこの分析のできるところがない、そういう
資料を持たないということが、実情だろうと思います。これが
公共性というのも負担を持たないで、ほんとうに開放された
民間企業であったらどうあるべきかということを見ますと、まあ一兆以上の株式
会社になるわけですから、企業として全く無配では済まない問題ですから、これだけの企業としたら、どれくらいの配当をするのが普通であるかという問題も出てきましよう。それから、もしそうだとすれば、これが
一般企業と同じように、どれくらいの税金を負担するのが普通かという問題も出てきましようが、御承知のように、
公共性ということのゆえに、配当はない、税金は納めなくてもよろしいということになっておりますので、あるべき姿とすれば、その
限度が、大体
公共性ということによる
国鉄の負担
限度と見るのがいいんじゃないか。この金額がどのくらいになるかわかりませんが、少し問題ですが、一応そういう基準を置いて、それを越すというものについて、
新線にしろ、何にしろ、
国鉄に負担をかけ過ぎる。そのために
赤字が出て、
小川さんの言われるように、それが
運賃に響き返ってきたんだという問題については、その部分を国が見ろというような議論が成り立つと思うのです。どの
限度が負担
限度かという問題は、今後私は、
公社、
公団の問題について、
政府にしろ、
国会にしろ、
監督の責任をいろいろ持っているのですから、そういう見方の基準をここで確立して、その尺度で常に
経営を見ながら、
経営の方がもう少し
合理化されなければいけないんだとか、そうじゃなくて、不採算線をあまりに多く押しつけた、
国鉄に公共負担を重からしめる結果がこうなったんだというようなものの正確な分析ができたら、それによって、今後の
国鉄に対するいろいろな
政府の施策というものをきめる
基礎ができると
考えるのですが、そこのところが、今多少むずかしい問題であって、一がいに公共負担が重過ぎるということでは、現状は私は片づかぬじゃないかと思う。みんな採算の線だけで
経営するなら、こんないい
事業というものはございませんし、不採算線といつても、そこから人が来て主線に人が多くなってくるんですから、いわば培養線の役目も果たしておるんです。もうかる線はやるが、もうからぬ線は一切やらないんだ、国が援助するかなにかしなければやれないんだということになると、この
公共性という問題について、結局どこまで負担能力があるかという
限度というものは、早晩どうしてもしっかりした
基礎を持った検討をやらなければいけないだろうと私は思っていますが、
一般企業のあり方から見て、私は今の
国鉄の不振は、やはり
運賃がもう少し上がっても
——今まで不当に低いというために企業力がつちかわれなかったんじゃないかと見られる節が、今の
国鉄については多いと思います。