○石田
説明員
国鉄の
運賃値上げというような問題が起こるときには、必ず、まず
国鉄は合理化しろ、これはごもっとも千万。では、一体どこに合理化の余地があるか、どの
程度に合理化の余地があるか、こういう問題になってくると思う。たとえば三十四年度の
国鉄の支出は、約三千六百なんぼありましたが、そのうち一番大きなものは人件費であり、それから固定償却費である。これはちょっと数字をもって御
説明しましょう。三十四年度における
国鉄の支出は、全体で三千六百五十億円、このうちで人件費が千六百六十二億、償却費が五百二十二億、租税公課が七十八億、利子が百七十八億、固定資産の除却費が七十五億、
合計で二千五百十五億になる。それが第一の組み合わせでありますが、その次は、動力費が三百八十億、修繕費が五百二十億、業務費が二百三十五億、
合計でそれが千百三十五億になる。この
二つを寄せたものが、
国鉄経費の全体になるわけです。それでは、このうちで一体どこに合理化の余地があるか、こういう問題でありまするが、人件費の千六百六十二億というものについては、これは
監査委員会の報告にもありますが、
国鉄総裁としてはコントロールに手なし。その一番いい例は、最近における
国鉄従業員に対する給与の問題にいたしましてもアービトレーションの数字が最後のものとなる。こういうことで、さっき私が申し上げたら、だいぶ反対がありましたが、
国鉄総裁には自主権なし。これはいかんともしがたい。その次の償却費の五百二十二億、これで十分かどうか怪しまれる。あるいは十分でないかもしれない。これは多々ますます弁ずる。その次の租税公課七十八億円、これは多少まだ切り下げの余地はある。利子の百七十八億円、これは預託金制度にもかかってくるんですが、これは私は、相当に合理化の余地はあると思う。その次の固定資産除却費の七十五億円ですが、これはいかんともすべからず。かくのごときものが二千五百十五億ある。ところが、その次に動力費の三百八十億と修繕費の五百二十億、業務費の二百三十五億、
合計千百三十五億、これは合理化の余地はないと言えば言える。こまか言えば、私はまだ相当余地があると思う。けれども、これは一ぺんに思い切ったことをやるということはできない
事情にあるんです。まず第一に、動力費の三百八十億でありまするが、これは
昭和二十七年以後今日まで、非常に輸送量がふえているにかかわらず、ほとんどふえていない。そこにつまり
国鉄がいろいろな合理化をやった効果が出てきておるわけです。その次の修繕費の五百二十億でありまするが、これまたほとんどふえてない。
昭和二十七年を一〇〇とすると、
昭和三十四年度においては一〇二くらいになっておる。その次の業務費の二百三十五億であります。これは相当にふえておりますが、業務の増加に伴うてふえたもので、私は、これは相当に合理化されていると思う。このうちの相当の部分は、御
承知の例の民有車両、つまり製造家に作らせまして、それを年賦で払っている。それで要するに大した余地はない。それから、さっき申しましたこれらの合理化の問題でありますが、これはあまり急激にひどくやりますと、変なことになることがあるんですよ。一番具体的に申しますと、
昭和三十三年度くらいまでの
国鉄の支出を見ますと、こういう圧力がどこにかかってくるかというと、保線費あたりにかかってくるんです。どうしてそういうことになってくるかというと、保線というのは隠れたる仕事で、派手でない。そういうところにしわが寄ってくる。その結果はどうなるかというと、
国鉄輸送の安全というものにひびが入ってくる。これは
国鉄としては大問題だ。だから、
監査委員会といたしましては、
国鉄総裁に、合理化もやはり合理的にやらなければいかぬ、あまりひどいことをやると、結局大へんなことになっちゃう、だから、これはやはり段を追うてやらなければいかぬということを申し上げたんです。
それからもう
一つちょっと申したいのですが、動力費の三百八十億と修繕費五百二十億、業務費の二百三十五億、
合計千百三十五億。このうちに、人件費が入っている。約三百億。とれが
営業費に入ってない人件費というようなことで、この三項目について合理化する余地というものは、大したものじゃない。合理化する余地はありますよ。けれども、大したものじゃない。こういうことでありますからして、
国鉄は、合理化すれば百億くらいの金は出てくるじゃないか、こういうことは、言うはやすいが、実際どこをつついたらそういうまとまったものが出てくるかということになると、これはなかなか困難である。こういうようなことで、合理化の余地というものは、これはあるけれども、大したものじゃない。一方に人件費というものが、年々歳々百億というものを最小限としてふえていく。これに応じて一体収入が増してくるかどうか、こういうこと、ここに
国鉄というものの財政上に、非常に心配しなければならぬ点がある。人件費の問題でありますが、あなた方御
承知のように、
国鉄の従業員の年令構成から見ますと、三十から四十代まで、あそこに非常に大きなかさばりがあるのですね。との間なんか、要員対策
委員がやらなかったら、大へんなことになる。もう十年もたつと、退職手当だけでもって五、六百億も出さなければならぬことになる。これではどうなるのだ。それで結局は、それに対しては年々一万五千人ぐらいの人間を
整理したらいいじゃないかというのですが、それじゃどうしたら
整理できるか、こういうことについては、別に何らの
意見も言っておられない。われわれ
監査委員会の立場からいえば、とにかく一生を
国鉄の仕事にぶち込んだ人間を、
国鉄の都合によって、お前要らぬから出て行け、どういうことは、これはいかぬ。やはり合理的に
整理せにゃいかぬ。ここにおいて、
国鉄総裁も、何か
一つ別に仕事を見つけてやろう、こういうふうに御配慮なさっているのですが、これはごもっとも千万で、
国鉄の将来は、こういういやな問題にぶつかっているのですよ。
もう
一つ申し上げたいことは、今度は
運賃の値上げということで問題の
解決がついたが、一体これからも同じような定石でいくことができるのかどうか、私はすこぶる疑問だと思う。大体旅客の問題につきましては、私はまだ上げる余地はあると思う。やろうとすれば、
運賃値上げ即増収ということになりますが、貨物に関する限りは、
運賃値上げ即増収にならぬ。減収になる時期がだんだん近寄りつつある。そこでわれわれ
監査委員会といたしましては、どうするか。今申し上げたことは消極的の合理化なんだが、積極的な合理化をやっていって収入をふやすべきだ。ここに
国鉄の生きる道があるのだ。その点につきましては、われわれは、
国鉄のためにこれは非常にいいものだが、最近における
国鉄の企業心の
発達というものは相当なものだ。諸君が御
承知の
通り、
国鉄で一番大きなねらいどころは、旅客
列車の、しかも特急だとか、急行だとか、あそこにあれがあるのだ。たとえば「こだま」を
東京−大阪圏に走らせている。今までは、あの特急というのは、
東京から大阪に行くだけだった。最近は、速力を上げたために、一回転することができる。そこに非常な
投資効果というものが出てきている。そこで、「こだま」なんというのは、一年に相当の収入を上げている。準急しかり、急行しかり、すべてそうだ。この点については、三月一日からの時刻改正とともに、
国鉄事業は約千本のこういう特別
列車を設置する。これは企業心の発揮だな。
さっき申し上げたついでに、
一つお聞き願いたいのだが、預託金の問題がある。われわれのねらうところは、
国鉄の企業精神の発揚というところにある。一体今のような制度で、
——あれは官庁的制度であって、企業的
考え方じゃないでしょう。とにかく利息というものを離れて、どこに一体企業があるか。
国鉄人が一番欠けているところは、役人的の
考えで、利息という観念がない、今までは。今はあります。そこなんです。たとえば投資管理の問題なんかでも、やはりその根本をなすものは利息なのです。十五年も二十年も、ネコの涙のように出してぽちぽちやったって、利息を勘定すれば大へんなことです。これは、
国鉄の財政から、やむを得ずこういうことをやる
事情がありますが、まあ利息の観念を離れて、企業なんかありっこない。この預託金制度というものは、われわれのねらっていることは、
国鉄人に利息の観念を涵養しよう、これです。それで、大蔵省の方は預託金制度の効用を述べましたが、私は議論になるから言いませんが、企業は企業らしいことをやらなければいけませんよ。これによって、相当に金利というものはプラスになってくる。金額からいえば三億とか四億ぐらいのものでしょうが、
国鉄が今ネットに正味三億なり四億の金をもうけるのはなかなかむずかしいということで、大体
国鉄の生きる道は、積極的な合理化にある。ところが、今まで第一次五カ年
計画で、これは
輸送力は天井につかえた。積極的な合理化をやろうといったって、
輸送力がないところに積極的な合理化はできない。そこにおいて
国鉄が生きる道は、第二次の五カ年
計画によって出てきたということで
考えてみると、第二次五カ年
計画とともに、
国鉄の将来は決して悲観することはない。ただし、まず一年に二百億も二百五十億も年々歳々人件費がふえた日には、いかんともお手上げだということが、われわれ
監査委員会としての大体の観測です。