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田原委員 私が聞いたところでは、サンタクルスは非常に寒いところで、風が強くて野菜等の栽培が非常に困難だということで、自然南米の労働者があまり行かないのではないかと思う。従って、そういう環境は技術と資本の入れ方でよくなると思いますから、せっかく求められてきたのだから出す、出すためにはどうしてくれるか、また
日本政府はどうすればいいかという積極性をもって至急に交渉もされ、調査もされて、せっかくのアルゼンチン側の希望を無視されぬように、行きたい者もありますから、出す
前提で準備していただきたいということを希望いたしておきます。
次に大臣にお尋ねするのですが、大臣は出身が長野県で海外
移住者も先覚者が多いところで、さだめし関心を持っておられると思いお尋ねしますけれども、北米、ハワイ、カナダ、中南米については約百万の
日本人及びその子弟がおる。これは大へんな苦労をして戦前、戦時、戦後とずっと発展してきたのでありますが、これらの人々は、とかく何と申しますか、
外務省関係でも、出先にいる人が殿様みたいな気になって、移民どもがという気持になりやすい。その中で彼らは自分の生活を打ち立ててきたのであります。すでに去年で第二回をやりましたが、海外日系人大会を隔年ごとに開いている。そうして向こうの
日本人会長であるとかあるいは何々県人会長というしかるべき人が、郷里訪問に帰ってこられるわけです。その機会に、
一つは
日本の実情を見せる、海外で働いている人に対する感謝をする。また非常に功労のある人には感謝状を与え、あるいは叙勲などもするということで、向こうから帰られた方は言いたいこともたくさんあると思いますから、四、五日くらいはお客として何でもかんでも聞いて、お答えでき、
説明できることはしてあげるということにしてもらいたい。なおそれだけではなくて、海外各地で、その国の
法律に従って
日本語を教育しているところが相当あります。北米から南米にかけまして大かた二百くらいあるのではないか。かなり不便な中で、その付近の在留者の費用で学校を経営しているところもあります。先生方も貧乏なために、
日本の事情がよくのみ込めぬうちに二世、三世に
日本語を教えている人が多いのでありますから、これに対しましても、一年置きくらいでいいのですが、海外
日本語学校教師
会議みたいなものを東京に設けて、全員一回に来られなければ一年置きか何かにして、夏休みくらいに、そうして
日本のいいところを見せ、教材等も与え、そうして帰す、こういうことです。
第三点は、海外で
日本字
新聞を発行しているものもあります。私が調べたところによりますと、北米、ハワイ、カナダその他中南米二十八社あります。ハワイと北米では日刊もあります。中南米は日刊が少なくて、週二回刊あるいは三回刊等があります。これらの人々は、ラジオあるいはその国の言葉の
新聞の翻訳等をして、比較的その国の言葉に通じない移民の皆さんに、
日本語にしてこれを配っている。在留同胞の少ない、たとえばパラグァイあたりでも、パラグァイの
新聞を謄写版で刷って出している。アマゾン川の広いところで七、八千人しかおらないのにアマゾン
新聞を出している。アルゼンチンも全体で一万四千くらいしかおらぬのに、活字の
新聞が二つある。メキシコにもペルーにもあります。これはずいぶん苦労してやっております。そこでこれらの人々にも、全部呼んでも二十八社ですから、二年に一回くらい東京に招いて、海外で発行する
日本字
新聞の社長
会議みたいなものをやって、正しい
日本の姿を見せる。それから、いろいろ注文があれば聞く。場合によったら広告などもあっせんして、
新聞がペイするようにしてやる。そうして二世、三世、四世等に、いわゆる
日本の文化を
日本語によって読ませるというふうにしてほしいと思うのです。以上三つ、海外日系人の、たまたま
日本訪問の際における大会、これは別に政治的な問題ではありませんし、その日系人大会によって、その在留国と
日本との親善等に対して非常に役に立つのでありますから……。それから海外
日本語学校長
会議みたいなもの、海外
日本字
新聞社長
会議みたいなものを、これもやはり海外に
日本を知らせるということからすれば、非常に私は役に立つと思うのです。昔のナチスのように、
日本の侵略
主義でやるのではないのですから、事実を教えてあげることは非常にいいと思うのです。費用もそうかからぬと思います。小坂さんがいつまでおるか知らぬけれども、あなたのおられる間に
一つ道を開いておいてもらいたい。すでに岸総理兼外相の
時代に日系人大会は始まったので、だんだん進めておるようでありますが、次には、学校長
会議、
新聞社長
会議というものはないようでありますが、これはあなたに対する希望と陳情なんですが、御見解をこの際伺っておきたいと思います。