○
河合参考人 今、
菊池先生と
一本松さんが、それぞれ御自分の立場を
中心にして
お話になりましたが、私は、もう少し大きく、全般的な問題を
お話したいと思います。特に、この
長期計画というものは、大へん長い作文でございまして、
原子力に関するあらゆることが含まれているといっていいものだと思いますので、少し広げて
お話をしたいと思います。
今、
一本松さんは、なぜ昔の
原子力計画を変えなければならなかったかという
理由を幾つかあげられたのでありますが、それは、ほとんど
原子力発電に対する
見方が
世界的に変わってきたということを
理由にされていたと思います。そうして、大体
世界的に見て、
原子力の
開発の原状からいえば、当然そう考えなければならない状況であったと思うのであります。ところが、この
長期計画で、なぜこの
改定をしなければならなかったかということをあげている
三つの条件というのは、
技術情報が豊富になって、長期的な
見通しが具体的、広範囲に言えるようになったということ、それから、
核燃料の
供給力が非常にふえて、
輸入政策というものが必要になったということ、それから、
実用化のための克服すべき
技術的問題の複雑さが明らかになったこと、特に、
高速増殖炉の
技術的困難がはっきりしてきた。もう
一つ、
四つ目に、
外貨収支の
改善と、
石油の
世界的供給力の著しい
伸びと価格の
低下で、
エネルギー需要の大
部分がまかたえることになったということの
四つをあげているのであります。
ところが、この
長期計画と相前後して、
原子力委員会が発表いたしました昨年度の
原子力年報というものでは、最近の
原子力情勢というものを分析いたしまして、この一年は
スロー・
ダウンの年であったとして、
英国の
スロー・
ダウンの実情、欧州の
計画の
延び等をあげております。そして、さらに、
エネルギーに対する
考え方が、
石油の非常に大きな
供給力の増大によって変わってきたということをあげ、それと同時に、
火力の
重油専焼が非常に盛んになって、
燃料の
単価が安くなった、それは
原子力の規模を大きくしても、
建設単価の
飛躍的低下は今すぐは期待できない、そういう
経済的な問題と、もう
一つ、
安全性の
技術というものが案外にむずかしくて、そう簡単にはいかないし、
安全性を確保するということになれば
コストにもはね返る、そういう
理由をあげているのであります。そして、
一本松さんが卒直に
お話しになると、すぐその問題が出てくるように、
ほんとうのところ、
原子力計画を変えなければならなかったのは、やはり
エネルギーの
事情と、
原子力の
開発が当初に予定したほど安くはならなかったという
現実に基づいているはずなのであります。
そういう面から見ますると、この
長期計画でいっております
改定の
理由、あるいはその背景という
言い方は、かなり苦しい
言い方になっておるのじゃないか。
中曽根さんが一昨年の末から昨年にかけまして、
原子力計画を変えなければならないとおっしゃったときには、そういう点を非常に率直におっしゃったと覚えております。そして、その
理由によってこの
改定が行なわれたのでありますけれども、でき上がった
計画の
改定によると、その点はかなりぼけている。逆にいえば、
スロー・
ダウンという言葉をなるべく使いたくなかったというような面があるのじゃないか。そういう
意味では、むしろ、今度の
国会で、
池田長官が、
原子力は神代であると言ったあの率直な
言い方の方が、
原子力の現状というものをはっきり表わしているのじゃないか。そういう
意味で、この
長期計画が
ほんとうの
意味で反省をして作られているかというところに、いささか欠けるのではないかというふうにまず
感じるのであります。
それから、この
計画の
順序に従いまして、まず、
日本でも
世界でも一番問題になっている
原子力発電の
開発という点でありますけれども、この
長期計画の中の
開発の
意義というところにおきましては、前の三十二年に
長期計画を作りましたときには、
エネルギー需要の問題というものを非常にこまかく検討されまして、
経済企画庁その他とも一緒に
作業をして、それを
長期計画の前提として、かなり詳しく載せているのでありますけれども、今度の
長期計画においては、その点を非常に軽く言っているのではないか。かつては、
エネルギー需要からの絶対的な要請ということと、
外貨収支の
改善という、その二つの
大義名分をもって
原子力発電を急げ、
原子力発電をやれという
言い方ができたのでありますけれども、
現実に、
石油の
情勢その他から考えまして、今その
大義名分がうせてきたときに、やはり
原子力発電の
意義という点でも、非常に苦しい
言い方をせざるを得なかったという
感じがするのであります。この
開発の
意義というところで、この
計画の中でどう申しているかと申しますと、
電力需用の急速な
伸びに対応するためには、必要な
エネルギー源を
海外資源に依存せざるを得ないという傾向はますます強くなるので、
外貨収支の見地からのみでなく、
エネルギー源確保の
安定化の面からも、より安価な
エネルギー源の
開発及びその
多様化をはかることが必要である、このために
原子力発電に期待するのは
意義がある、という
言い方をしておるのであります。そのほかには、
国産化率を高めると
外貨収支の面でも有利となるという点、高度の
技術を必要とする
原子力であるから、
技術開発を進めれば
産業構造の
高度化に役立つ、その
三つをあげておるのであります。しかし、こうした
エネルギー面からの
原子力の
必然性、こういう
見方というのは、今ではいささか違ってきているのではないか。全般的な貿易の自由化その他という傾向と同時に、
石油の
供給力の増大ということは、そんなに簡単なものではないし、むしろ、今までよりは、
エネルギー資源を海外にたよっても安心しておれるような
情勢が、昔よりは生まれてきているのではないか。この点につきまして、この
委員会と同様のアメリカ議会の
原子力合同
委員会が、昨年マッキニーという、かつてアメリカのIAEAの代表になっておりました人に依頼をいたしまして、国際的な
原子力政策の、再検討というテーマで、非常に膨大なレポートが出ておりますが、その中で、マッキニーは、ある国々は、
原子力発電が輸入
エネルギーを減らしてくれるか、あるいは必要な
エネルギーの供給源をより分散させる——つまり、
計画でいう
多様化という言葉でしょうが——機会を提供してくれると考えた、これは数年前のいわば古典的な戦略思想であって、ある国やある地域に、彼らの支配の及ばない要因からの独立性を増す代償として、高
エネルギー・
コストを受け入れさせる動機となるものである、という
言い方までしておりますし、OEECのロビンソン報告でも、その点については、もう現在の
石油状況その他から見て、
エネルギー・ギャップというような言葉はなくなったのだ、現在どの国が、どの
エネルギー資源を、どの時期に、どのくらい使うかということは、
コストを基準にしてきめるべきだ、という
言い方をしているほどなのであります。そういう
意味で、この
原子力発電がなぜ必要かということ——私も、決して長期的に
原子力発電が必要でないということを言おうとしているのではありませんが、その点について、
エネルギー上の必要と緊急必要性というものはうせているということは、もう
世界の常識だと言って間違いないのではないかと思うのであります。
ところで、もう少し具体的に入りますと、今度の
長期計画では、先ほど
一本松さんがおっしゃいましたように、後期十年に約六百五十万から八百万キロワットの
原子力発電を作る、そのために、前期十年間に百万キロワットの
原子力発電を建設するという
計画になっております。ところが、この
計画の基本的な
考え方を述べている前段においては、
原子力開発利用が
世界的に見て
経済的に引き合うという時期は十年先以上おくれることになるから、前期十年を
開発段階とし、後期十年は発展段階とするのだ、そういう
言い方をしているのであります。そういう
言い方からいたしますと、
最初の十年というのは、
研究開発に力を入れるということになり、従って、この
長期計画でも、第三部の
研究開発計画というのが
中心であるということをしばしば当局も言っておるのであります。その将来の二十年先までに八百万キロワットをやるかどうかという問題、あるいは十年先に
コストが合うかどうかという問題についても、まだ問題はあると思います。先ほど
一本松さんの言われたように、アメリカの
AECの
担当者としては、十年先に確かに
経済的に引き合うだろうという
見方をしております。しかし、従来からアメリカの
原子力委員会に、ある批判の立場をとっていた民主党系の勢力の
考え方というのは、そう
原子力委員会の、言い分をそのままのんではいないという面もあります。しかし、十年先あるいは二十年先に
コストが合わないという逆な
言い方もないわけで、それは前提としておいても、僕はおかしくないと思います。しかし、そこで問題になるのは、将来六百万ないし八百万をやるために、前期十年間に、なぜ百万キロワットもの
発電をしなければならないかという点であります。この
計画によれば、大体五基の
原子力発電所によって百万キロワットの
発電をするということを言っているのであります。そして、しかも、その型式としては、実用性のある
程度明確になっているもののうちから選ぶべきで、ガス冷却型と軽水冷却型とがおもなる対象となると思われる、そういう
言い方をしております。そうなりますと、同じ型の
発電炉を同じようなねらいで五基作っていくということが、
コストが合わないということがはっきりしている現在、それだけ必要であるかどうかという問題は、もう少し検討しなければならないのではないかと思うのであります。しかも、一方、最近の
電力需用の
伸びによって、
電力会社の方はかなり資金面で苦しくなっておる。
火力よりももっと資本費のかかる
原子力発電、しかも、それは
コストに合わないということがかなりはっきりしている
原子力発電を、しかも、同じような種類のものを五つも並べる必要があるだろうかという疑問は、当然出てくるところだと思います。
さて、その次に、もう
一つ問題なのは、前の
計画におきましては、コールダーホールという型の原子炉を
日本に入れて、それを国産化していく。なぜコールダーホールを選んだかというのは、国産化がほかに比べて非常にやさしい、天然ウランを使っているというような
理由から、コールダーホールを取りしげたのであります。そして、それを前期十年間の主となるものとし、それに将来は軽水型が入ってくる、こういう
考え方だったのであります。アメリカの
原子力発電は、確かに幾つか軽水型の
発電所が動き始めました。しかし、その
コストは、
現実に、当時予想していた
コストよりは確かに上がっているのであります。そして、その
コストが、これからすぐ安くなるという
見通しはそれほどあるわけではない。しかも、前の
計画では、そういう将来を見越しまして、原研に動力試験炉として軽水炉を入れて、その建設実績及び運転実績を見た上で検討するという
言い方をしておりました。そして、その
計画に基づいて、原研では現在軽水炉の動力試験炉を発注したところであります。そして、まだ動いてもいないという段階であります。そういう段階で、直ちに二号炉に大型軽水炉を入れるべきであるかどうかということになれば、もし入れるとなれば、JPDRがかつてねらっていたものでなくならなければならない、少し変わったねらいを持たなければならないということになるのであります。そういう
意味で申しますと、前の
計画よりも軽水炉の動力ということは
スロー・
ダウンしたのではなくて、
世界的な
スロー・
ダウンという傾向に逆行して、むしろスピード・アップされたという形にもなるわけであります。
もう
一つ、先ほど申しました、コールダーホールを入れるということは、
日本の
原子力発電の国産化ということがねらいであったというところで第一号炉が入ったのであります。そして、次々に
国産化率を高めるというのが、わが国の国策であるというふうに考えておった。ところが、今度の
計画では、コールダーホールについては、何と申しますか、非常に気の毒なくらい、ほんの少ししか書いていないのであります。全く影の薄い存在になってしまったという
感じがするのであります。確かに、実際にコールダーホールを導入する過程を通じてわかりましたことは、
安全性というような問題も、
最初に言われていたのとはかなり違った様相を示している面もあります。それから、また、
コストの面もかなり高くなっております。そして、安全にして
経済性があるから導入するという言葉は、確かに言葉としては残っておりますし、そういう
言い方もできるかもしれませんが、
現実には、
経済性のある
発電炉であるということにはならないという状況であります。しかし、それにしても、もしそうであるならば、なぜ今度の
計画でコールダーホールをそんなに影を薄くしなければならなかったかという
理由をはっきりするのが当然ではないかと思うのであります。そういう点で、この
長期計画は、せっかくコールダーホールのパイオニアとしておやりになった
原子力発電会社を、非常に気の毒な目にあわせるような
計画であるというふうにさえ
感じるのであります。
そうしまして、この
発電の
部分についての
原子力委員会の
長期計画の書き方というのは、すべて期待するというような
言い方でありまして、
政府がやるという
言い方は
一つも書いてないのであります。そして、これは、結局、
電力界を含めた
産業界、おもに
電力界でしょうが、それがこれだけのことを
開発するというのなら、それではどうぞおやりなさいという態度だといえるのであります。そういう点では、わが国の
原子力政策を企画し、審議し、決定する機関としてある
原子力委員会としては責任回避ではないか。逆に言えば、もし、絶対必要と思っているならばそう書くべきであって、それを、そう書かないということは、
原子力委員会として、その
発電計画が必要であるというふうには言い切れない何ものかがあるのだろうというふうにさえとれるのであります。また、資金の面から申しましても、五基百万キロと申しますが、約千五百億あるいは二千億近い金額になると思います。ところが、この
長期計画の
研究開発で、十年間に要する資金は千八百億から二千億円かかるというのであります。その場合に、十年先に水力、
火力とすれすれの
コストをねらう
原子力発電所、しかも、同じような型のものを、そして、それがどれだけわが国の
技術を高めるのに役立つかという点において、
研究開発にそれだけの金を投資するのがはたしていいか、ただそういう炉を建設するのがいいかという点、そういう問題も、
原子力委員会としては判断しなければならなかったのじゃないか。そういう
意味で、
原子力委員会はみずからの判断をこの
発電の問題についてはしていない。しかも、炉の型式についても、そういう判断をしていないというふうにさえ見られるのであります。
それに
関係いたしまして、
技術導入の
考え方というのは、従来は、国産化ということを
中心にしておりましたのですが、今度の
計画によりますと、かなり大幅に
技術導入をするという
考え方が入っております。これは、確かに、全般的な自由化というような傾向から、そういう
考え方が現われるのも当然という
見方もあるかもしれません。しかし、前に申しました
原子力年報という方では、むしろ、
原子力の
世界的な
スロー・
ダウンの傾向によって、
日本としては
原子力発電についてじみちな
研究開発を行なう時間的余裕ができたという分析をしているのであります。とすれば、ここであわてて
技術導入ということだけに走るということが、はたしていいのかどうかという問題も考えなければならない点ではないかと思います。その点では、年報の方が、
計画というものに左右されなかったために非常に正直であるといえるのではないかと思います。そして、また、そういう
技術導入の仕方をやった場合に、
技術導入というものを一方の柱とした場合、一方では、独創的な
研究をやっていこうという二本の柱でいくんだと申しますけれども、はたして、今度は独創的な
研究というものが
日本で実際に
実用化として受け入れられるような体制があるかという点も問題があるのではないかと思います。たとえば、今までのわが国の
研究の中で、黒鉛に使いました委託
研究費、補助金というものを合わせますと、約九千万円にも上がっているのであります。ところが、コールダーホールに入れます黒鉛が、
最初は
英国製のものであったときには、なるほど理解はつくのでありますけれども、それをフランス製に変えるというときに、
日本製という話がどの
程度出たのか、私は詳しいことはよく存じませんけれども、そういう点で、私が伺ったのでは、
日本では照射実験という点が足りない点と、量産をした場合に、品質の管理がよくないという
言い方をしているのでありますが、実際に、現在ではフランスの照射実験のデータというのはそれほど詳しくはわかっていない、また、時間的にも余裕があるとすれば、もう少し意欲的に、実際に
日本のものを使うという方向があっていいのではないかと思うのであります。そういう
現実を考えますときに、はたして
日本で独創的な
研究をやって、それを
産業界がそのまま受け入れてくれるだろうかという点は、疑問といわざるを得ません。
火力発電の場合のボイラーの場合でも、あるスケールのものを導入して、やっと国産ができようとしたときには、すぐ次のもう
一つ大きな型が入ってくるということになって、いつまでも
日本の国産
技術というものは、よほど大量の需要が出てこない限り、
日本では使われないという
現実があるのであります。また、そういう点から申しまして、現在
日本では五つのグループが
産業界にあります。これはメーカーのグループであります。しかし、それが最近では六つないし七つになるという傾向がある。ところが、現在、この
計画において十年間で百万キロワットの
発電炉をもし作ると、そのまま認めたとしても、五基だとすれば、一グルーブ一基の
原子力発電という需要になるわけでして、メーカーとして、それだけでもって商売が成り立つのかどうかということさえ疑問に思います。その点では、
英国が将来の
スロー・
ダウンを見越して、グルーブを
三つに縮小したというような例もあるのでありまして、
原子力委員会としては、そういう
産業政策という面をもう少し考えてみなければいけない。確かに
電力界にはあまり影響はないところですが、メーカーが、要するに
日本の
原子力産業のにない手になるのだとすれば、そのメーカーの
意見というものをかなり重要視して、また、それをどういうふうに持っていくかということを考えなければならないのではないかと思うのです。その点では、こういう
委員会で、
国会が
長期計画のことをお聞きになるときに、原研と
電力界だけの
意見をお聞きになるのではなくて、メーカーあるいは将来の
研究開発のにない手を作る苗しろとなる大学、その他学界の
意見をお聞きになるということをなさらないのは片手落ちじゃないかというふうにさえ思うのであります。
あと、
研究開発の問題でございます。これは
菊池先生の原研が
中心になるところでございますが、今度の
研究開発の
計画というものは、従来なかったものを作ったというので、当局としても非常に意気込んでいたところであると思います。確かに、非常に広範囲にわたってあらゆる
原子力の問題が含まれているということはいえるのでありますけれども、先ほど
菊池先生がおっしゃったように、時間的なファクターがないということも含めまして、
計画というのではなくて、むしろ、現在の
原子力開発の方向としてやらなければならない
研究はどれだけあるのだという羅列をした、いわば白書というような
感じがするのであります。これは現在の
原子力予算のとり方が非常にむずかしいという現状から考えまして、あらゆる
研究テーマをこの
計画に並べておかないと、
計画になかったからといって大蔵省に切られるという、
原子力局の苦しい立場をある
程度現わしているのかと思いますけれども、総花
予算というものがいかにむだであるかということは、先生方が一番御存じのところで、先日もガンの
研究の話でそういう話が出ましたけれども、実際に、そういう点では、この
研究計画というのは、まさに総花の
計画であるという
感じがするのであります。ただ、
原子力当局として、今度の
計画でここが一番自慢の種だというのが、プロジェクト
研究という二つの柱であります。
一つは、半均質炉という原研独創のものを育てるというのと、もう
一つは、プルトニウムの
研究をする、こういう二つのプロジェクトを組んでおるわけです。ところが、
現実にこの中でうたっております
計画の炉の型式だけで
お話をいたしましても、
発電炉では、天燃ウランを使いましたコールダーホール・タイプと、濃縮ウランを使ったウォーター・タイプ、また、増殖炉としては、半均質炉と、水均質炉と、
高速増殖炉と、もう
一つ、その前の
研究段階として国産化するのは、重水の国産一号炉というふうに、あらゆる原子炉が並んでおるという現状。原子炉といえば、むしろやらない原子炉を探した方が早いというふうな
感じがあるわけです。こういう現在の段階で、将来の
ほんとうに安い
原子力発電を目ざすのにどの型がいいかという判定をするのは、確かにむずかしいことであります。そのために、かなり広がった
研究をしなければならないということもわかります。しかし、現在、このように大きな型式の炉をやって、並行路線で進んでおるという国は、アメリカ、ソ連というような国力のある国でありまして、その他の国は、小さな実験炉は幾つかあるにしても、ある路線をきめて進んでおるということを確かなのでありまして、そういう点で、
原子力委員会がその路線をきめるということこそ、
長期計画のポイントではなかったかと思うのであります。また、そういう点から見ました場合に、この半均質炉とプルトニウムの
研究という二つのプロジェクト
研究は、同じ路線に乗っておるものとは考えられないのであります。半均質炉というのはトリウムを使ってリサイクルする方式でありまして、プルトニウムの
研究の路線とは全く別の系列だと思うのであります。そういう点で、この二つのプロジェクトをどういうふうに結んでいくかという点は、かなり今後も考えなければならない問題だと思います。また、総花的な
計画を羅列したために、私ども、外から見ておりまして
一つ心配なのは、一体、原研というのは何を
研究するところなのだという焦点がぼけてしまう。もちろん、
菊池先生を前に置いてこういうことを申し上げるのは失礼ですけれども、若い
研究者の中には、「原研よどこへ行く」ということをみんなで話し合っている人たちがたくさんいるのでありまして、そういう点も、どうもこの
計画では、むしろ、あらゆる
産業界その他の要請をすべて背負い込んで、原研が動きがとれなくなるということを奨励しておるかに見えるのであります。もし、このプロジェクト
研究というものを
ほんとうにやるのだとすれば、
日本でプロジェクトを進めるとするならば、
安全性の問題こそ、プロジェクト
研究としてやるべき問題ではなかったのでしょうか。今までは、安全という問題は、ことごとに、問題が出てきてから手を打つという
研究の仕方でありましたけれども、それではだめなのでありまして、特に
原子力というものは、放射能というハンディキャップを背負っておるとすれば、そういう点では、
安全性の
研究を一生懸命やるということが一番重要だと思うのであります。科学
研究で、あらゆる国の科学
研究の
目標というものを少し調べてみますと、大ていの国は、第一に国防をあげ、第二に国民の保健ということを科学
研究の重要な二つの柱としておるのであります。わが国では、憲法によって軍備がないということになれば、保健ということが、国の責任としてやるべき
研究の一番重要な問題だと思うのであります。その点で、今まで
原子力委員会のとってきた安全問題に対する態度というのは、きわめておろそかであったといわざるを得ないと思います。たとえば、災害対策というような問題にしても、もし、これを本気にやる気になって国が
予算を出すならば、気象の問題その他もかなり実験ができるはずであるのに、そういう問題は
原子力発電会社におまかせしているというような態勢ではいけないのではないかと思います。
そして、さらに、この
計画で一番気がかりになるのは、原研の役割、
燃料公社の役割ということはかなりよく書かれているといえますが、
原子力関係で、ただ
一つの国立
研究所である放射線医学総合
研究所が一体どういう役割をするのかという点に、きわめて不親切な書き方しかしていないという
感じもするのであります。そして、わざわざ国立にした点から見ても、国としては、放医研にもう少し安全問題の解明をする
研究をさせるべきではないか、放医研を
中心としたプロジェクトを作るということが必要じゃないかと思うのであります。その点、もう
一つ問題なのは、この安全問題が重要ではないかと私が当局者にいろいろ
お話をしましたところ、当局側の
意見の中には、安心問題はわが国ではタブーなのであって、そういうものを表に出しては、かえって
原子力が進まなくなるのだという
考え方が横行していたことであります。その点は、最近はいささか変わってきたかと思いますけれども、むしろ、
研究を大いに進めているからこそ信用してくれというのが、
安全性を国民にPRする唯一の道でありまして、ただ何もしないで、あるいはこそこそとやっていて安全だというのでは、国民は信頼してくれないのではないか、そういう点は
長期計画を進めるためにも非常に重要な点ではないかと思うのであります。
今まで申し上げたようないろいろな問題点がこの
長期計画にはたくさんあるのでありますが、最後に、特に
国会などでお考えになっていただくことが一番よいと思うのは、国際協力という問題であります。国際協力という項目は、この
計画にも何度か出ておるのでありますが、これは単なる情報交換を激しくするというふうな、非常に抽象的な
言い方しかしておりません。しかし、
現実に、
世界的にも、たとえば、先ほど申し上げたマッキニーのレポートによれば、今や、
世界じゅうに
原子力の
施設と人員はそろい切れないほどそろい過ぎている、問題は、何を
目標にするかである、その点で国際協力が必要であって、アメリカは今までのやり方ではいけないという反省をしております。それは国際的な二国間の協力ということではなくて、もっと大きな、たとえば、国際
原子力機関のような機関を通じて国際協力を大いに進めていくというねらいを持つべきだと思うのであります。特に
日本の国際
原子力機関に対する寄与は、ウランを三トン輸入しただけで、かなり
世界的な好評を博したという実績を持っております。その点から見ましても、今後、たとえば、半均質炉を精力的に
開発するならば、それをねらうなり、あるいは材料試験炉を作るというようなことを考えているならば、それをねらうなりして、もっと国際協力の体制を
日本で実を結ばせて、たとえば、ドラゴン
計画とかハルデン
計画というような
計画と同格なものを
日本で作っていくというふうな、国際協力の仕方を考えるべきではないか、その道は、軍縮を達成するための
一つのブレーキにもなっている国際
原子力機関の成長を
日本から促すという
一つのいい方向になるのではないか、そういうことも考えるのであります。
私がこの
長期計画で申し上げたいことは大体それだけなのでございますが、最後に、一言念を押して申し上げたいことは、この
長期計画の中で、きわめて不明確になっている問題というのは、結局、
原子力委員会が
ほんとうの
意味で政策をみずから決定できなかったということが残されているからであります。その点では、
原子力委員会が諮問機関であり、また、それと同時に、決定のできる重要な機関であるという、非常にむずかしい性格になっているという点が
一つあるのだと思います。そういう面も、今後この
委員会が
中心になって、
原子力委員会というものは一体どうしたらいいのだという点も検討していただかなければ、
日本の
原子力がすっきりした形で国民の協力を得て進む形にはならないのではないかというふうに
感じるのであります。私としては、
原子力発電を決してディスターブしようとしていろいろ批判をしているのではありませんので、
原子力を育てたいからこそいろいろ申し上げるのでありますが、できることならば、ふしぎな国にならないようにお願いしたいと思うのであります。長々しく恐縮でございました。