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肥田委員 冒頭にちょっとお断わりしておきたいと存じますが、今度の
豪雪調査に
派遣をされまして、各
地域を
視察いたしましたが、
運輸関係の特に著しい
被害に対する
調査という件につきましては、
国鉄の
被害という別な
資料がありますので、それは後刻見ていただきますし、
内容の
報告もそれに書いてあると思います。従って全般的に見て参りました
地域は
陸上運輸を兼ねたような概念的な
報告になりますので、あらかじめ
一つ御了承をいただきたいと思います。
私は今般六
委員会で行なわれました
雪害調査について、
運輸委員会を代表して参加いたしました。本
調査班には、私のほかに
地方行政委員会からは
二宮武夫君、
大蔵委員会からは
広瀬秀吉君、
文教委員会からは
上村千一郎君、
建設委員会からは
木村守江君及び
民社党を代表して
井堀繁雄君が参加いたしました。なお
農林水産委員会から
大野市郎君が同行されました。
調査した
地域は、
山形県、
秋田県及び
新潟県下でありまして、二月十三日から十八日までの六日間にわたって
調査して参ったのであります。
この
雪害を起こした
原因についてはすでに御案内だと思いますが、昨年の十二月二十八日に
千島方面に去った低
気圧が
北西に逆戻りするという
異常進路をとって三十日にはオホーツク海に入ったために、その低
気圧の中心から南西に伸びる
気圧の谷は
日本海南部を通って
北陸方面に走りその
上空に冷たい
空気が侵入しており、一方大陸から張り出した高
気圧は
日本の
南部から南の
海上に強く張り出してきた。このために
北陸地方の
沿岸に
前線ができて、
日本海から吹きつける
北西の風は、
平野部にある
前線面にぶつかって
上昇気流を起こした。とりわけ
上空に侵入した寒気は
空気の層を一そう不安定にして
上昇気流をますます強くし、濃密な雲を作って
平野部に多量の雪を降らす結果となったということが気象台の方から
報告されております。この
豪雪は強い季節風によるものではなくて、南からの弱い風によるところの
大雪の好条件によって起きたものであります。そのために異常の
豪雪となり、
海岸線から
平野部にかけて、その量も記録的でありまして、
山形県尾花沢では三・二五メートル、
秋田県沼館では一・五メートル、
新潟県塚山では三・九〇メートル、こういう
数字が出ております。本年の一月以降の
降雪も平
年度を上廻って、私
たちの
調査中も連日、
風雪注意報が発令されているという
状況のもとにありました。
私
たち調査団は、十三日九時三十五分
上野発の汽車に乗りまして、十五時三十五分米沢市に到着いたしました。市内の
積雪状況を
視察して、
東南置賜地方事務所というところに参りまして、
関係者や
地元代表から
陳情を受けました。この
地域の
交通は、冬はだめだというのであきらめている
実情を私
たちは看取いたしました。また食のがまんはできても、屎尿の処理だけには全くお手上げをしている。こういう
実情が
報告されました。全く悲惨なありさまであったのであります。
さらに
調査を進めて夕暮れの中を上山市に参りました。折から雪はどんどん降っておりまして、ますます激しくなって、翌朝の十四日の朝には新しく雪が六十センチも積もりました。この朝八時三十分に出発して、
ジープで
山形県庁に行きまして、
県庁の
関係者から
雪害の
報告資料、
陳情等を受けました。そうして
大石田町の
調査に参りました。
大石田町ではいよいよ
積雪が激しくなって参りました。また同時にこの
地域ははなはだしく
雪害がありまして、こうした中で
風雪をついて、さらに
新庄市に進みました。
大石田−
新庄間は平常
自動車の時間で行くと一時間くらいで到着するところでありますけれども、数メートルの
積雪と
吹雪のために
ジープが難航して、三時間を費してやっと
新庄市に到着できた、こういう
事情でありました。ここは
山形県下で第一といわれるところの多
雪地帯でございまして、
国道の雪は道の両側にはね上げられて、三メートル以上の壁を作っております。この雪の堀割のようになったその底を
ジープで走ったのでありますが、この日一日じゅうで
トラックその他の
自動車と行き違った数はたった三台くらいでありました。いかに
交通が途絶しておるかということがこれでわかると思います。写真でも見られるように、家は雪の中にすっぽり埋まってしまいまして軒からは白い象のきばのようなつららが下がっておるという
状態でありました。樹木はその枝に三十センチ以上の
積雪を重そうにささえておりますし、
果樹は大
部分雪に埋もれており、たまたま幹の現われているものは、
むざんにも三つにも四つにも裂けておる、こういう
状態であります。
この
実情の中で
陳情を受け、さらに足を伸ばしまして横堀町から雄勝というところに向かいましたが、ここでは
吹雪が激しく、とうとう
ブルドーザーの御厄介になって、
ブルドーザーが先で雪を分けながら夜道を進んで行く、こういう
状態でございました。
十五日も八時に出発いたしまして
湯沢まで参りましたが、この間は四十分ぐらいが通常のコースでありますけれども、当日は二時間ほどかかり、この間でも
トラックと
バスに行き会ったのはたった四台でありまして、ここでも全く
交通が
麻痺をしておる、こういう
状態でありました。
湯沢、十文字、横手と順次
調査いたましたが、ともに
秋田県の中で最
積雪地でありまして、それぞれの自力で雪と戦っておる、こういう
実情の
陳情を受けました。
この
地域で特に感じましたことは、
トラックだとかその他それぞれが持っておるところの車が冬はもう動かないものだという
状態でありまして、かすかに動いておる
バスなどにおきましては、それぞれの
バス会社が経費の大
部分を負担して
道路の
除雪をやっておる、こういう
実情であるのであります。
続いて
秋田県庁に着いたのは午後の四時三十分ごろでありましたが、
秋田市は当時十五メートルくらいのすさまじい
吹雪の町でありまして、私
たちはこうした中を、
予定が狂いましたけれども、この
予定を取り戻すために、夜おそくまで、
知事を初め
交通関係あるいは
商工関係の
代表者、こういう人と
雪害についての
対策をいろいろと
意見をかわしましたけれども、この
内容についても
あとから取りまとめて
報告をいたしたいと存じます。
十六日、
秋田を出発して、
新津市を経て
新潟市へ参りました。この
新津—新潟間において初めて雪のない
道路を走ったのでありますが、これは国の
直轄管理にあるところであります。従って完全な
除雪が行なわれておりました。同じ
国道であっても、
国道が四十キロ続いて舗装をせられていなければ国で
除雪をしてくれないということがここで明らかになりました。従いまして、四十キロ続いておるところの
国道については、国が
管理をしてくれるから
除雪ができる、それでないところは、先ほど言いましたように、道の両わきに雪をはね上げて、そして雪の谷間の底を車や人がやっと通る、こういう
事情であったのでありまして、全くその差のはなはだしいことに驚いたのであります。
新潟市でも、夜間でありましたが、県の
関係者からいろいろと
説明を聞いて、
調査は十七日にいたしました。
新潟県は特に
果樹の産地としても盛んなところであります。まず新飯田と三条の
果樹地帯の
被害を見て参りましたが、これは今まで見たどの
被害よりも実に惨たんたるものでありました。この
あたりは
積雪の累計は八メートルをこえたと記録されております。現在なお三メートル近くの雪が残っておりましたが、二メートルくらいが
根雪で、その上に雪が降る、こういう
状態でありました。ゴムの長ぐつを借りまして、その上に
米俵のふたを取りつけて、一時間ほどにわたってその
地域を
調査して参りましたが、二十年から四十年をかけて丹精をこめた
ナシであるとか
ブドウであるとか、こういう
果樹が、折れたり倒れたり裂けたり、見るも
むざんな全滅の姿でありました。
融雪のときの雪の重さというものは、ちょっと想像ができないほどの力が出るそうでありまして、水の一に対して四くらいの
比重を持っておるそうであります。従ってコンクリートの橋でも折れるということが
報告されておりますが、この
地域での
ブドウのたなは六番鉄線くらい、これをささえておる支柱はカシの木の五寸丸太でありましたが、これらがみな切れたり折れたりしておりました。
長岡市への途中、たっての
要望がありましたので、中之島村というところに参りましたが、ここではもうすでに
融雪が始まるというよりも
根雪が少しずつ解け出しておりまして、これがたまってもうすでに道にあふれて家に浸水をしておる、こういう
状態でありました。
長岡市に着きまして、ここでは
調査の最終的な意味をも含めていろいろと
意見の交換をいたしましたが、結論的には
融雪時の
被害がこれからさらに大きくなってくるから、今直ちにここで
被害の結果についてこれこれだという結論を得ることはむずかしいであろう、そこで雪の融けるころにもう一度
調査に来てもらいたいというたっての
要望があり、その必要があるだろうということを認めて帰ったような次第であります。
以上はなはだ簡単でありましたが、これら
豪雪地帯の概念的な
調査、いわゆる日程的な目で見ただけの
概要の
報告であったわけであります。現在
降雪はまだ続いておりますし、
被害についても今後における
増大の
比重がこれに加わるものと考えられますが、中間的時期にありますから、これらの
被害の現在における集約の
被害は不可能であります。従って、
調査をした三
県内の古町村は大別して十四カ所、
被害の
概要は
山形県で十五億円、
秋田県で十一億四千万円、
新潟県で四十九億円、これはい、ずれも現在われわれのもとに送られた
資料による
数字でありまして、このことを
報告といたしたいと思います。
さらにこれらの
要望、
陳情等を要約いたしますと、この数十種に及ぶ
陳情、
要望を要約いたしまして、われわれがここで
概要的にまとめましたものは、
冬季輸送路確保のため
除雪対策の強力な推進をしてもらいたい、これが
一つであります。それから
雪害に基因する滞貨の一掃のため貨車の円滑なる配車をしてもらいたい、これが
一つであまりす。と申しますのは、これにちょっと注釈を加えますと、
降雪のために
交通が途絶する。そうして外部からいろいろと
生産のための資材が入ってこない。それから
生産はできてもその
生産品を運び出すことができない、こういうことのために、この
雪害地域においては
産業がほとんど冬眠をしておるという
状態でありました。それから
百貨店あたりでも店を開くけれども、午前中にたった一人くらいしか
お客が入ってこなかった。しかもそれが買わなかったというような
状態もありましたので、特にこういう点を考慮してもらいたいということが言われたわけであります。それから
奥羽本線と
北陸本線等の
早期複線化を促進してもらいたい。これについては非常に困難な
事情があることはよくわかるけれども、たっての
要望としてこういうことをつけ加えます。それから冬期
輸送量の
確保のために
陸上輸送と
海上輸送物資の品目について総合的な検討をしてもらいたい、こういうことでありますが、これらもいろいろと
事情を聞きましてその必要を、われわれとしても何とか解決しなければならぬということを考えた次第であります。特に
冬季の
輸送に対しまして先ほど言いましたように、それぞれが持っておる
自動車、自家用の車、
トラック、こういうものがすべて個々の一人々々の力によって動かされておる。集団した力によってこれらの操作が考えられておらない。こういう点については
運輸対策上何らかの指導が必要であるということも実は考えられたのであります。
以上で
雪害地の
調査の
概要についての
報告を終わります。
ついでにこのことについて
一つ付記して
決議をしてもらいたいことがありますので、これを続けて
一つ申し上げたいと思います。
災害地の救援及び
復興対策につきまして、
調査団が二十二日に集まっていろいろと検討いたしました。その結果何といっても先だつものはこれらに要する資金でありますので、これには
大蔵委員会に対して
豪雪についての
連合審査会を開くよう
申し入れをすることが必要だ、こういう結果になりました。従って、そういう申し合わせをいたしましたので、本
委員会におきまして
大蔵委員会に対して
連合審査会を開くよう
申し入れをすることについての
決議をしていただきたいと思うのであります。
以上
報告と、それから
決議についての
申し入れについて私の提案を終わります。