○坂本
委員 労働
事件あるいは選挙違反
事件、公安
事件等については、ほとんど見せない。見せないというのは、時期の問題というのは、まず
裁判が開始されますと、その公訴事実の認否のあった後は、
検察官の
証拠の提出なのです。その
証拠の提出について、書証として提出する。その場合に
事前においてそれを閲覧しておかなければ、その書証について同意か不同意かわからないわけです。それが一番大事なところなのですよ。その同意、不同意の点において、すでにもう
裁判の遅延になりつつあるわけです。そうしてさらに今度は見せなくて証人
調べをして、三百二十一条によって提出する場合に初めて閲覧させる。そこにやはり日数を置いて
裁判が遅延する。それを
裁判官がその
期間を置かずに、その期日をきめてどんどん進めると、
被告と弁護人は防御の余地が少なくなってくる。そういう点があるから、訴訟の遅延を当然来たしてくるということになる。従って、その時期の問題を局長は言われましたけれ
ども、その時期はまず
公判が始まればまっ先にその問題が出てくるわけです。そこで起訴されたならば、やはり
検事は書証として提出すべき書類は予定しているわけです。そして、要るならば、やはり弁護人側にもそれを閲覧させなければならない。それは弁護人の組織として国家の補助がたくさんあって、そうして独立の事務所を持って、
検察官と同じようなああいうシステムになりまして、いわゆる組織ができておるならば、それはいいはずであります。これは
刑事訴訟法が制定される当時に、その点が問題になって、そのときは
日本はいわゆる占領下にありましたから、司令部の方では
検察官が閲覧させるからこれでいいじゃないか、こういうことであの
刑事訴訟法ができているわけです。それを今
法律の文面からして、時期が来たら見せればいいじゃないかということで非常に制約をする。そうして見せない
理由のもう
一つはどこにあるかというと、
警察とか
検察庁は、一人そこに呼び出して誘導尋問をして、そうしてやっておる。いろいろなことを聞いておる。だからそういうところを見られると困るからというので見せない、これはとんでもないことです。やはり以前の秘密
警察と同じような
方法になってくるわけです。だからすべてこれを見せるということになれば、
警察官にしても
検察官にしても、最初からやはり公正に
捜査を始め、そしてその
捜査に対しての調書も作るはずです。それを秘密的に、そうして身分は、逮捕して
調べておるから、それは見せたら困るような点を書いてある場合もあるでしょう。しかしながら、弁護人はやはりそういう点は良識をもって見るわけです。そういう点があるから、この
検事の面前調書の閲覧の問題について、非常にもんちゃくが起こる。そういう点で
裁判の遅延を来たしておる。そういうような
関係にあるのに、
裁判官はみずから期日をどんどん指定をする。
裁判の方針として
公判期日をきめてどんどん進める。形式上はそれで済むでしょうが、しかしそれではたしてほんとうの真実発見のもとにおける
国民のための
裁判ができるかというと、断じてできないと思う。
検察官がそういう独善的な
行為をやり、
裁判官がさらにただ訴訟を促進するというので、
公判期日をどんどんきめて、
被告並びに弁護人はその防御の
方法も確立せないうちにどんどん
裁判がやられたのでは、これは決して
被告人のための
裁判は行なわれないと思う。特に
裁判官、
検察官に対して、司法権の独立を前提にして、こういう
報酬、
俸給の点も、当初において、他の一般職よりも高い地位にあるから、そして
国民のためのりっぱな
裁判をやるべく認めたのが基本になっていると私は
考えるわけなのであります。従って、現在においても一般職との
関係で非常な問題になっておるということは、もう皆さん方御
承知の
通りである。われわれもそれを認める以上は、やはりこれはりっぱな
裁判を、
国民のための
裁判をしてもらうがためにこれを是認し、また支援をする、こういうことになるわけでありますから、せっかく起訴したのだから、それは有罪にしなければならぬ、黒星になる、そういう点は絶対避けなければならない。ことに
検察官は民事
裁判と同じような方式をとられておる。民事
裁判の原告と同じような、いわゆる利害の対立によって行なわれるところの、民事
裁判と同じような
考え方に立って、その
証拠の提出その他をやったならば、決して公正な
裁判は行なわれないと思う。それにかてて加えて、弁護人に良心がありますから、そういうことでは弁護ができないといっても、実際
裁判官が期日をどんどんたくさん指定される。そういうことで訴訟準備ができなければ、
被告人擁護のための弁護人として弁護権の行使ができなければ、これは弁護人を辞退するよりほかに道がないわけであります。それなら、弁護人が辞退するなら辞退しろ、なに国選弁護人を任命してやるのだといっても、その任命された国選弁護人があの膨大な大きい
事件をかかえてほんとうの弁護ができるかというと、形式上はできると言えるでありましょうが、実際にこれはできないのです。破廉恥罪的な
証拠の明瞭なもの等については、ただ科刑の点その他の点についての弁護権の行使は国選弁護人でもよいのでありますけれ
ども、その有罪、無罪を争う
事件においては、やはり
被告人並びに弁護人に十分その防御の
方法を与えてやって、その上で行政権に支配されないという確固たる地位にある
裁判官が断固として有罪、無罪の判断をする、ここに初めて
国民の信頼を受けるところの
裁判が行なわれると私は思うのです。
裁判官自身についても、
裁判官は法廷秩序の権利を持っているのだ、言うことを聞かなければ十日でも二十日でも弁護士をぶち込んでやるのだということで、この間やったでしょう。田中耕太郎
裁判官の弟の飯守とかいう
判事がやったでしょう。二十日間も弁護士を監置処分にした。あそこにほうり込んで弁護士はどうなるのですか。司法権の独立というのは、
裁判官が行政権の支配を受けずに、真の公正な
国民のための
裁判をやるのが司法権の独立である。特に今国論が二分されておるときにおいては、
裁判官はやはり確固たる立場に立ってやらなければならぬと思うのであります。
検察官もやはり行政権であり、時の政府の一部であるというような
考え方ではいけないと思う。一方的に立つから検察ファッショというようなことを世間でいわれることになるわけであります。だから、そういうことのないようにしなければならない。そのためにはやはり法改正まで持っていかなくても、一般在野法曹で
法律を改正しなければならないという声が起こるのは、これはよくよくの体験からここまで来ておるということを
考えたならば、現在の法組織のもとにおいて、やはりその運用においてこれを改めてやってもらわなければならないと思うのです。私はこういうふうに
考えておるのですが、どうですか、法務大臣の御所見を承りたい。