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柳田委員 そこで、これは
前例になることですから、もう少し念を押しておきたいのですが、実は私は、
理事会におきまして、
議長個人が
弔詞を述べるのではなしに、
衆議院を代表して、
議運で
案文を練ったものを
衆議院議長としてお述べになるのだから、二度も行かれるのはおかしいじゃないかと、こういう
議論をしたわけです。しかし、従来とも、
選挙区においてまた
葬儀をやられる場合には、二度お行きにならずに、同じ
弔詞をだれかかわって読むという
前例はたくさんあったわけです。従って、そういう場合に、やはり
議長名で
弔詞を出されるならば、御
本人が行かれるのはさらに礼を厚くする
意味ですから、そういう
意味においては賛成した。問題は、なるだけ
議長が行くということになっておりますと、いわゆる大物だとか、あるいは
特定の人という場合には、
議長の個人的の好悪、
判断、取捨選択の自由があって、甲には行くが、乙には
代理を行かすとか、こういうことになってくると、今
委員長が読み上げたのは
死文になってしまって、
自分の気に入った者だけは御
本人が行く、気に入らぬ場合には
代理を行かすとか、あるいは、都合のよい悪いは
議長みずからが
自分で
判断するということになってきますから、できるだけじゃなしに、
要請があったら
議長が
出席するというふうにお取りきめ願うべきであって
議長にその
判断をまかすということでは、結局それは
死文になると思います。そうすると、この
前例は非常に悪例になると思うのです。その点はどうですか。