○北村暢君 私は最後に今、
教育研究団体等の問題について、
矢嶋委員そのほか外からいろいろ出ておるのですが、この問題について、
予算の
執行上ももちろんでありますが、文部大臣の教育
行政に対する考え方というものは、私は
国会以外のところでは、ちょっと慎重を欠いて軽卒な点もあったと、こういうことを今、言われておりますけれ
ども、私はこの池田内閣における、いわゆる低姿勢の池田内閣の中において、ただ一人の高姿勢の文部大臣、これは私が言うのじゃなくて、今世間一般が言っております。そういう中で、私はやり文部大臣としては相当の信念があって、教育基本法その他の問題について出されている、このように思うのです。
従ってこれからお伺いしたいのは、私はまずこの第一点として伺いたいのは、教育基本法、憲法等について、先ほど
矢嶋委員から
質問のあったように、改正の要がある、検討する要がある、こういう
程度のものであれば、これは文部大臣として、私は何もとやかく言う必要はない。しかしながら明らかにいい日本人を作るのが教育の
目的である、こういうことを言われておるわけです。従って、教育基本法には、教育の
目的というものが明確に示されておるのであります。従ってその教育基本法で示されている
目的以外に、いい日本人を教育するのが
目的である。こういうことを文部大臣が言われるということについては、これは非常に問題があるだろうと思いますが、これについて宮沢教授は言っておるのでありますけれ
ども、教育基本法の
目的である「『平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の評価をたっとび、勤労と
責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な
国民こそ、まさしく民主国家としての日本にふさわしい『いい日本人』なのではないか、と考えられるが、論者は、これとはちがった『いい日本人』を狙っているのである。」論者というのは、文部大臣は、この教育基本法以外のいい日本人というものを考えておるのではないか。こういうことが指摘せられておるわけです。
その中で、「『日本人』が『人間』に優先ずるとされ、『人間』としては絶対に許されないような行動が、『日本人』の名において弁明され、正当化された。真正面から人間性をふみにじるような行動を国の内外にわたって行った忠君愛国主義者たちは、だれもかれも、その行動を、『日本人』として『日本』のために行ったものという理由で根拠づけたのであった。戦争の最大の
責任者は、これらの筋金入り『日本人』であった。」こういうような点で、いい日本人という考え方というものが、かつての狂信的な軍国主義者的な性格のものにしていくのじゃないか、こういうことが心配されておるのです。
この点は、宮沢教授が言っておられるのでありますが、これが曲学阿世の徒だと、こういうように断定せられるならいざ知らずでありますけれ
ども、文部大臣として、一体いい日本人、教育基本法の教育の
目的以外のいい日本人と考えられるのは、いかなるものであるか、この点を
一つ、私は明確にしていただきたいと思うのであります。
それからもう
一つは、そういう点から言って、今度の基本法については、何か抜けているところがある。抜けているところがあるが、これは、無国籍者を教育するようなものだ、こういうようなことも言われている。そういうような点からいって、今言った文相の考えるいい日本人というのは、一体いかなる概念のものであるかということを私はお伺いしておきたい。これは、もう非常に根本的な問題でありますから、教育
行政の上において、たいへん大きな問題でございますので、これは文相の言われる、うかつにしゃべったとか何とかいうことで済まされる問題ではない、このように私は思います。
それから前の本院の今
年度の、三十四
国会でありますか、本会議の
質問においても出されているのでございますけれ
ども、現在の憲法、それから教育基本法に基づいて、しかも
文部省の制定せられた教課内容によって、平和主義と民主主義に基づくところの教育というものを実際にやっている戦争放棄についての
文部省の教科書に出ているものについての教育というものについて、高田なほ子議員が、この点について言っているのでありますが、そういう教師に対して、またそういう教師の作っている教員
組合、いわゆる日教組というものが、破防法すれすれの
団体である、こういうことを文相は言われている。
このことについては、私
どもは、文部大臣というのは、とにかく日本の将来の教育
行政をあずかっているものとして非常に遺憾に思う。かっての文部大臣、清瀬文部大臣にいたしましても、とにかくりっぱな方々が文部大臣になられており、私
どもは信頼いたしてきているところでございますけれ
ども、今度の文部大臣は、松田文部大臣が開きました日教組との話し合いというものを一切拒否される。これは
政府が変わっているといいますけれ
ども、私は政党政治である限り、そう手のひらを返すように変わるということについては、ちょっと納得がいかない。しかも、あなたが、いろいろ教育の問題について高姿勢で臨んでいるといわれるのだけれ
ども、実際にこういうことは、はなはだ失敬な話なんでありますけれ
ども、一部の批評の中に、荒木さん、あなた自身はかっての造船疑獄において、収賄すれすれでもって容疑を受けた人です。そうしてあの有名な指揮権発動によって、まあ事なかったわけでありますが、そういう文部大臣が、私から言わせれば海千山千の政治家である。そういう政治家が、今日の高姿勢で臨んでいる
文教政策に対して、私はやはり
一つの政治力、力による
文教政策を強制し、
中央集権的な教育
行政というものをしく可能性がある、こういう心配を抱いているわけです。そういうことがないように望むのでありますけれ
ども、最近の文部大臣の言動というものの中に、そういう感じを受けるのであります。従って、この際、そういう文部大臣の考え方というものが、私は、やはり各
地方の教育
委員会なり何なりに現われて、非常に教員
組合というものをたたきつぶせ、破防法すれすれの
団体なんだ、こういうようなことで、文部大臣自身が言われるということについては、これは
地方において非常に大きな、やはり
地方の教育
委員会が教員
組合をつぶすような形での行動が、今指摘されたような形で現われてくるのだろうと思うのです。従って、こういう点について私はよほど慎重にやってもらわなければならない、このように思うのです。
従って、二点についてお伺いしたのでありますが、文相の教育
行政の根本についての所信を承わっておきたいと思います。