○古井委員 一つ二つの点について総理にお伺いをしたいと思うのであります。
淺沼委員長があのような死を遂げられたことは、
委員長個人に対してまことにお気の毒に思うわけでありますし、また
社会党にもいろいろ御迷惑があったろうと思うのであります。同時にまた、ああいうことが起こった、
日本は一体こういう国であるのだろうかという惑いを起こすわけであります。われわれは
日本はとにかくここまできた、文化社会を持っておると思っております。文明社会を持っておると思っておる。それから進んだ
民主主義の国だと思っておるわけであります。あのような
事件が
日本で起こったのだ。いかにもわれわれが頭で思っております
日本の国というものと、現実というものは距離があるような気がしてならぬのであります。これで一体文明社会だの、あるいは
民主主義国だといわれるのだか、こういう疑問さえ起こってくるわけであります。事柄はきわめて重大だと思うわけであります。過去に対する問題としましてはいろいろこの委員会でも、また外部においても議論をされてきておりまして、ほとんど論じ尽くされたように思います。ただどうも二つばかりのことが残ったような気がしてならぬのであります。一つは
事件の内容についてでありますけれども、各方面が
背後関係というものを非常に問題にしておる。この
背後関係をできるだけ早くはっきりしなければならぬと思います。そうして差しつかえない限り天下に明らかにしなければならぬと思うのであります。これはいろいろ疑惑がつきまとうのであります。過去の、たとえば岸前総理のあの難を受けられた場合、あるいは河上丈太郎さんの場合につきましても、
背後関係が何だかうやむやに、あいまいになってしまったのではなかろうけれども、とにかくそのままになってしまった。これがつまり疑惑を呼ぶのであります。ことに世にいう
右翼というものの
関係でありますだけに、これはぜひ一つ今度ははっきりしてもらいたい。それもなるべく早くそうしてもらいたい。これは私がここで言うだけの、私一個の希望だとは思いません。それが一点であります。
それからいま一点は、
警備にほんとうに手落ちがなかったのだろうかどうだろうかという点であります。これは
責任問題を離れて将来のために、ほんとうにどうにもこうにもならなかったのか、やはりまずい点があったかということはよく
検討をしてもらいたいと思うのであります。これはやはり正直にいって、みなどこか割り切れぬものが残ったような気がします。これはよく部内においても
検討してもらいたいと思うのです。これは
責任問題と
関係ない問題としてであります。
責任問題については、きょうもいろいろ議論がありましたけれども、私は、
警備当局についてわれわれとしてここでかれこれくちばしをいれるべきものでないと思っておる。
公安委員会制度というものを何のために設けておるか。一々われわれがくちばしをいれるということになったら、
公安委員会制度がくずれてしまう。やはり
警察というものの中立性を守っていく意味からいえば、一一の場合には多少疑問が残っても、やはり
公安委員会というものの決定を尊重しなければならぬと私は思う。その意味において
責任の問題をかれこれ言うのじゃないのであります。また
政府の
政治責任、これをかれこれ言うのでもありません。
法律的、制度的には
政府には
責任がないことは明白だと思う。
政治的の
責任が議論されますけれども、これはまずもって
政府の判断に待つべきものである。それに対して国会は批判することはできましょう、最後には
国民が批判することもできましょうけれども、まずもってこれは
政府の判断に待つものでありますので、われわれが特にこれに対して、いや、どうもまずかったと、かれこれ言うほどのことはないと私は思う。
責任問題は別であります。
警備がまずかったか、手落ちがなかったかは、よく将来のために研究してもらいたいと思うのが第二点であります。
なお、きょうのいろいろの質問から感じたのでありますけれども、さっき志賀委員が、役所の書類のようなものをたくさん持って出て、いろいろな質問をしておりました。一体官庁の書類が部外の者の手に入る、これがあったとすれば、ちょっとおかしなことじゃないでしょうか。あれがほんとうのものだったら、役所はよほどどうかしていると私は思う。これは一問題だと思う。私はそんなことはなかろうと思う。そんなわけのものじゃなかろうと思うのです。まだ私には、あれが本物だというふうな気がしないのである。そんなことはあるはずがない。これはよく気をつけてもらわなければならぬ。また書類の中にかれこれ事務の
整理、会計の記帳の問題など不備があるようなこともしきりに言っておりましたけれども、そういうこともよく気をつけてもらいたい。下らぬことを言われぬように
警察も――私はないと思うから、よけいなことでありますけれども、この上とも気をつけてもらいたいということをつけ加えて希望を申しておくのであります。そこで、お尋ねしたいのは今後の問題に対してであります。さっきも申しましたようにやはり
警備の問題をできるだけ工夫してもらいたい。改善の余地があれば改善を加えてもらいたい。現在の
法律のもとではどうしても足らぬのだという点があるなら、それは
法律の問題にしたらよかろう。足るのか足らぬのか、手が届かぬのか届くのか。
警備の工夫、改善について、これはむろんよく考えてもらわなければならぬと思うのでありますが、さらに大事なことは、ああいうことが起こるということには深い根源があるように思えてならぬのであります。その根源をきわめて、これに対して
対策をとっていかなければ、これから先もああいうことが起こるのじゃなかろうかという心配がどうも残るのであります。
警備を万全にしてもらえばそれでいいのか、もっと根深いものがあって、それに対して策が講ぜられなければ
警備だけでは及ばぬのじゃないかというような不安さえ残るわけであります。私は、その点について三つの事柄をあげて総理の御所見を伺いたいと思うのであります。私は、ああいうことが起こる根源の問題として、一つは今日の社会的風潮、一つは
政治に対する不満、一つは国内対立の激化、この三つのことを思うのであります。今、社会全体の風潮を見まして、
暴力はいけないんだ、法は守らなければならぬのだ、一体そういう観念が、むしろ極端にいえば徹底しておるでしょうか。至るところ、
暴力を憎む、あるいは法を守らなければならぬという考えが薄いのではないかと私は思えてならぬ。これが一つの風潮のように思えてならぬのであります。こういう風潮のもとでは、
暴力ざたも起こりかねないと思う。こういう風潮が起こるにはいろいろ原因があると思います。それは相済まぬけれどもマスコミなどにも考えてもらわなければならぬ点がある。テレビや映画にも考えてもらわなければならぬ点があると思う。教育にも考えてもらわなければならぬ点があると思います。そのほかにもっとあると思います。いろんなことが寄り合ってでしょうが、今日の風潮を改めなければ、なかなか根絶できないのではないだろうかという心配を持つのであります。これが第一点、社会的風潮であります。第二の点は、
政治に対する不満、つまり
政治を
政治家にまかしておけないというやるせない気持が
国民の中に起こっておるんじゃないかという点であります。
政治家にまかしておけないという、そういう不満が起こるのじゃなかろうかという点である。率直にいって、今日の議会
政治の現状というものを見て、
国民に不満がないでしょうか。過去の幾多の例を見まして、
国民に不満がないでしょうか。私は大いに考えるべきものだと思う。また、今日の
政治に対して、よいにせよ、悪いにせよ、
選挙となれば巨億の金が要るんだ、どこから持ってくるんだ、こういうことも、金の
政治なんていうことをにおわしておるのも、
国民はあんまりいい感じを持たぬだろうと思います。つまり今日の
政治に対して不満がだんだん高じておるんじゃないか、このことを考えてみないと、この問題にも答えなければ、ああいう不幸なことが起こりかねないのじゃなかろうか、こういう点が第二点。これはお互いの問題になってくると思います。いま一つの点は、国内の対立がだんだん激化してくるように思えるのであります。そうして一方が出れば片っ方が出る。こういうわけで対立がだんだん険しくなってくるような気がしておる。
政治はどうだ。われわれの立場は、こういう対立をなるべく緩和し調整して、解消していく方向でなければならぬと思いますけれども、それならわれわれの
政治が、この対立しておる国内に対して、そういう方向に動いておるのか、激化させておるというような半面がないだろうか、これは考えてみなければならぬ。背景にこういう大きな国内の対立というものがありますれば、これは何とか
政治の面において
努力して、この調節、そして一本にいくようなことを考えないと、右、左がだんだん出てきて、連鎖反応を起こしてくるということが起こるのじゃなかろうか。これはなかなか重大な根深い問題だと思うのであります。これに対してもわれわれ
政治に立つ者に大きな
責任があると思うのであります。私は、少なくともこの三つのことは根元の問題としてどうも横たわっておるように思えてならぬのであります。そういう点について総理はどういうふうな御認識をお持ちになるか、一つそれを聞かしていただきたいと思います。