○
豊瀬禎一君 第二班の
報告に移ります前に、本
年度における
文教委員会の三班にわたる正式出張
調査の
報告が行なわれておりますので、
委員長の方におきまして大臣または政務次官に早急に出席するように手配をいただきたいと思います。
第二班の
調査報告をいたします。
私
どもの班は、北畠、小幡の両
委員と私の五名に、
調査室から吉田
調査員、ほかに
法制局の国井参事と
文部省の松平事務官が同行いたしました。期間は九月三日から七日までの五日間で新潟、山形の三県へ参りました。
まず、新潟県におきましては、長岡市の県立第三
高等学校の老朽
校舎、新潟
大学工
学部及び積雪科学館等を視察いたしました後、佐渡へ渡り、無形
文化財に
指定が予定されておりまする「鬼太鼓」、「のろま人形」等の実演を観賞し、
僻地校一校と佐渡博物館を視察いたしましたほか、
特別天然記念物として世界的珍鳥とされている「トキ」の保護に関する
陳情を受けました。新潟市におきましては、
県教育委員会から
一般教育行政についての説明と
要望とを聞き、新潟
大学本部において学内
一般報告を受けた後、
教育学部の老朽
危険校舎を実地に視察いたしました。
以下これらの主要点について
報告を申し上げます。
長岡市の県立第二
高等学校は、
明治三十五年の創立にかかり、すでに五十七年を経過しておりますため、
校舎の老朽はなはだしく、数年前から
危険校舎の
指定を受けている個所が全
校舎の八割にも及んでおり、年々多額の
経費を計上して、これが
維持補修を行なうことにより、辛うじて使用している
現状でありますが、土台、床板等の腐朽損壊がはなはだしく、
台風積雪等による不慮の災害も予想され、加うるに近年
入学志望者の数は定員の三倍にも達しておりますにもかかわらず、これを収容することが不可能であるため、地域社会の
教育的情熱にこたえることができないことを遺憾としておるということであります。もちろんPTAや
同窓会等の協力により、昨年四月「
校舎改築
対策委員会」を結成し、総工費二億二千万円の
予算をもって
昭和三十六
年度に用地の買収、三十七
年度着工、四十
年度に完工する具体案を作成して、地元負担金の造成に懸命の
努力を払いつつあるのでありますが、何分にも膨大な工事費を必要とするので、国、県及び市当局の絶大な援助を仰ぐことによって、所期の目的を達成したいという強い
要望が
対策委員と
学校当局者から熱心に述べられました。この工事
計画には、現在の校地を売却して他に安価な校地を求める予定が含まれており、現在の校地の売却による一億円と、PTA負担金五千万円とがすでに確実に予想されておるとのことでありますから、国及び県の急速な措置により改築の実現はさして困難ではないと考えられるのでありますが、
対策委員の言葉によれば、元来高等女
学校であったこの
学校の
卒業生が女子に限られているため、要路に対する政治的折衝の力に欠けることが改築実現の遅滞を見る原因の
一つであるという見解でありました。私
どもが実地検分しました数棟の
校舎も雨漏りはもちろんのこと、つっかい棒等によって辛うじて倒壊を免れているきわめて危険な姿でありました。すみやかに改築の運びに至りますよう強く希望するものであります。
新潟
大学工
学部は長岡高等工業
学校として大正十二年に創立された当時の
建物と、戦時中に
増築されたいわゆる戦時規格の
建物からなっておりますが、いずれも腐朽はなはだしく、特に狭隘な
土地に
建物が密集して建てられ、しかも冬季積雪時の連絡通路としてこれらの
建物を相互に結ぶための廊下があたかも風洞のように延々として縦横に連なり、直線で百六間に及ぶ長いものもあります。一朝火災の場合の危険度の高いことを憂慮し、消防署員の常時
派遣が行なわれているという
現状でありまして、急速な改築の要に迫られております。本
年度からの学生増募に伴う
施設の拡充と
教職員定数の
増加が喫緊の問題であり、特に化学工
学科の学生を収容する
施設の新築が当面の課題であると工
学部長から述べられました。それからこの工
学部付置の積雪科学館を参観しましたが、ここには雪に関する種々の機械、器具、その他民俗
資料が展示されてあり、降雪の分布、積雪
被害対策等の
研究を行なっております。積雪地域では冬季は機械体操用の鉄棒を取りはずしておかなければ、積雪とその融解のため鉄棒に湾曲を来たすということで、私
どももその曲がった実物を見せてもらいました。積雪地方の
校舎建築費の
補助は、この雪の重みに対する抵抗力を考慮して、補正
増額されたいとの希望も述べられました。
次に、
特別天然記念物に
指定されている世界的珍鳥トキの保護
状況について申し述べます。この鳥は、サギ類によく似て、くちばしは非常に大きく、長い円筒形を呈して、下の方に湾曲し、その基部と先端は赤色をしています。たけは低く、からだの幅は広く、後頭部は羽冠をなしており、全身白色で、翼の裏側と風切羽と尾羽とが美しいトキ色をなしております。それがトキ色の起こりだといわれており、漢字では、数字の七と十の字を重ねた扁に鳥の字を書いた「鴇」または、朱色のサギ、「朱鷺」と書かれています。
昭和九年
文部省では天然記念物に
指定していますが、当時佐渡島内における生息数は、百羽前後とされていましたが、年々減少の一途をたどり、現現では佐渡に八羽、石川県の能登半島に五羽という、まことに心細い数になっていると申します。その後、
昭和二十七年に
特別天然記念物に
指定され、
昭和二十九年には新潟県の県鳥に選定され、また
昭和三十五年には国際保護鳥となっています。ところが、トキの巣を作る営巣地である新穂村では、一昨年から昨年へかけて、五千万円で
鉄筋コンクリートの
小学校を建てたため、その財源捻出の一法として、はからずもトキの営巣地である山林十二町歩を生椿村落へ売却しました。この生椿部落は、五戸、二十三人の製炭部落であって、協同組合から借金をして山林を買い取り、向こう七カ年に伐採製炭する一方、本
年度からこの借金を元利なしくずしに返済していかなければならない事情にあり、もしその山林をトキの保護のためにきらせないとなれば、生椿部落五戸の人々は、たちまち生計の道を断たれる
状態にあります。しかし、この部落の高野高治氏は、個人的事情を超越して春から夏を通して、トキの飛来することに、連日その数や時刻を記録して、
教育委員会に届け、絶滅一歩手前の世界的珍鳥の保護のために、ひたすら協力しているということでありまして、地元の
教育委員会を初め
関係者一同から、この事態の解決について熱心な
陳情がありました。この切迫した事情を解決するには、結局国がトキ営巣地の山林を買い取り、徹底的保護策を樹立するととにも、地元住民の生活を安定させる以外に方法がないのではないかと思料されるのであります。
私
どもは、また、順徳上皇の上陸地と伝えられる真野の入江に近い佐渡博物館を参観しました。この博物館は、
昭和二十九年九月の開館にかかり、発足目なお浅いにかかわらず、自然科学展示室には、地質、植物、コンブ、貝類、魚類、鳥類の標本、人文科学展示室には、考古、歴史、美術工芸、芸能、民俗の各分野にわたる
資料が
充実しており、また民芸品展示室には、民具、農具、紡織、被り物、運搬具等が整然と陳列されてありました。これらのすべてが佐渡に関係のある
文化財資料であって、
学校教育、社会
教育に積極的に協力して、島内における
学術文化の
振興に寄与せんとする熱意がよくうかがわれました。
佐渡におきましては、なお、
僻地校に
指定されている畑野村立松ヵ崎
中学校及び
小学校を参観いたしました。この
学校のある地域は、西北部に小佐渡山脈を背負い、東南部は佐渡海峡に面して他と隔絶されており、冬季十二月下旬から四月上旬までは、積雪のため島の
中心部とのバス交通は途絶し、積雪は二メートル余、標高四百メートル以上の峠道を二十キロ歩くよりほかに方法がなくなり、また、海上の交通も、夏季の隔日航海が、冬季は荒天のため五日ないし一週間も欠航が続き、島の中の孤島と化してしまうということであります。また、この地域には、一軒の書店もなく、医療
施設も不完備であり、子弟の高校進学には、家庭からの通学が不可能なため、月額六、七千円を要する
状態であると述べられました。この
中学校では、
学校植林が伝統的
教育指導として特色を持ち、生物愛、郷土愛、祖国愛の
教育、人間育成の
教育として
道徳教育指導の場ともなっていました。
学校植林はまたこの地域に最も適した生産
教育として効果を上げているということでありました。
僻地学校の悩みとして、
教職員の定数をせめて教科目の数まで
増加してもらいたい。現在の陣容では、無免許の科目を担当する
教員が多く、
教育効果も上がらず、
僻地教育の後進性を除去することができません。この
学校の
教員で勤続年数の最も長い者は十三年、最も短い者でも六年に達している。
僻地教員の人事交流が円滑に
実施されなければ
僻地教育の
振興は期しがたい。また、
僻地勤務教職員の福利厚生に関しては、子弟の進学、住宅難、物資不足、家族の病気、娯楽機関のないこと等々各種の悩みがあることなどが校長から述べられ、
僻地勤務の
教職員に対する恩典として、
僻地勤務年数の恩給への特別加算等の措置を考慮してほしいとの
陳情がありました。
次に、新潟市におきましては、
県教育委員会及び新潟
大学本部に参りました。県教委からは、
学校安全会の
運営状況、産休代員の配当
状況、
学校給食の
実施状況、その他
教育一般についての
報告がありました。
学校安全会は、幼稚園から高校まで及び保育所等の加入は九五%に達し、共済掛金の納入も九五%を示していました。事故発生数は四月から八月までに
報告されたもの千三百十一件、その治療費は二千二百四十七円の
程度でありました。義務
教育生徒児童の保護者負担金の全額を町村費をもって支払ったものが数カ所あり、これらの共済掛金の全額を公費で負担されるよう、各方面から
要望されているということでありました。産休代用
教員の補充は百パーセント行なわれていました。
学校給食は、完全給食を
実施しているものが
小学校の六二%、
中学校の一八%であり、
高等学校では人員数において
全国の七位、盲ろう
学校では同じく
全国の二位であるということでありました。新潟県は、財政再建団体であるため、
教育予算についても窮屈を免れない
現状にあり、給食
新設校の
設備補助費の
増額及びすでに開設している
学校についても
施設設備の不備不十分なものは、これを新たに
補助対象としてもらいたいとの
要望がありました。
なお、県教委当局から、三十六
年度の
教育予算について、(一)すし詰め
学級の解消。(二)
高等学校急増対策。(三)
科学技術教育の
振興。(四)父兄負担
教育費の軽減。(五)青少年
教育の
振興。(六)社会
教育の
振興(七)特殊
教育の
振興。(八)
僻地教育の
振興。(九)
学校運営の正常化と管理
指導体制の
充実等について
陳情がありましたが、その
内容の詳細は
会議録に掲載することといたします。
新潟
大学におきましては、伊藤学長から当面の問題点についての説明がありました。その
一つは、現在医
学部の付置
研究施設である脳外科にさらに講座を
増加して
大学の
研究所としたいこと。第二は、長岡の
教育学部分校の
付属小中学校の校地を交換して他に移転すること。第三は、医
学部付属病院を改築すること。第四は、
教育学部校舎を改築することでありました。特にこの
教育学部は
明治七年に創設された新潟師範
学校の後身であり、その
校舎は、
明治四十三年の新潟市大火の後に再建された木造
校舎を襲用したものでありますから、自来、風雨積雪にさらされることすでに五十年、今や柱傾き、床湾曲して腐朽損壊はなはだしく、
台風、積雪による危険はきわめて大きいのであります。この老朽
校舎の改築と近代
設備充実のため、父兄後援会や
同窓会などの
関係者が相はかり、
昭和三十三年十二月に、新潟
大学教育学部校舎改築促進期成会を結成したのでありますが、膨大な建造費を要することや地元負担金等のため、所期のごとく進捗せず、本年七月に至り、各方面に
陳情して賛同を得、期成会を
発展的に改組して、新潟
大学教育学部改築期成同盟会を結成し、学内にもまた新潟
大学教育学部改築学生促進
委員会が生まれて、
校舎改築の促進をはかりつつあり、すでに地元寄付の七千五百万円も予定され、建坪四千余坪、総工事費三億円をもって三カ年で竣工の
計画が立てられているということであります。私
どもが実地に検分しました二、三棟の
校舎も、
屋根は波打ち、窓の開閉が不可能な
教室も随所に見られるばかりでなく、「危険につき閉鎖」と張り紙された
研究室も二、三にとどまらない
現状でありまして、その危険度はもはや
教職員や学生に生命の危険をさえも感ぜしめるに十分な限度に達しているとさえ見受けられたのであります。
新潟
大学教育学部については、新潟県内の三カ所に分散する
校舎の統合の問題が未解決であって、それらの問題がこの
危険校舎改築の遅滞に何らかの影響をもたらしているやの印象をも受けましたけれ
ども、事態はすでに人命にもかかわる
状態にまで進んでいるのでありますから、関係当局の急速な措置により一日も早く
校舎の改築が実現されることを私
どもも強く希望する次第であります。
次に、山形県について申し上げます。山形県では、まず鶴岡市の山形
大学農
学部と致道博物館を視察し、市の
教育委員会から
教育の
一般説明を聞きました。また。酒田市においては第四
中学校と本間美術館を視察し、市の
教育委員会において
一般説明と
陳情を受けました。それから湯殿山中の
僻地校を視察し、その翌日、山形県教委において県内
教育の
一般状況を聴取し、次いで山形
大学本部において
大学の
現状についての説明を聞きました。
以下主要点について申し述べます。
山形
大学農
学部は、
昭和二十二年に設立認可となった農林専門
学校が、二十四年県立山形
農業大学となり、同年五月山形
大学設置とともに、その農
学部として発足したものでありまして、農学、林学、
農業工学の三
学科からなっております。宍戸
学部長の説明によれば、県立農大としていまだ完成を見ないまま、直ちに山形
大学農
学部に移管されたことなどにより、
教員組織の面において欠陥があり、完全講座制を
充実できないことを遺憾としているということでありました。ここでも
研究費、
旅費、学生実習費、機械購入費、化学薬品費等の不足が訴えられ、特に
旅費については
年間総額四万五千円という少額であって著しく窮屈を感じているということでありました。
鶴岡市で特筆大書すべきことは、この地が
学校給食の発祥地であるということであり、
明治二十二年に大徳
小学校において
実施以来、本年が七十周年記念に当たるということでありました。現在市の
小学校二十五校、
中学校十一校の大部分が完全給食を行ない、大いに成績を上げているということでありました。
酒田市におきましては、
市教委から
学校給食、産休代員補充、
学校安全会の
運営、
文化財保護等の
現状について
報告を受けましたほか、私
どもが実地視察をいたしました市立第四
中学校についての説明を受けました。第四
中学校は、三つの
中学校を統合したものでありまして、総額百六十万円を投じて
校舎を新築し、ほぼ完成に近づいております。統合当初は多少感情的にしっくりしない点もあったが、現在では不平の声もなくなり、円満に
運営されているということでありました。
生徒の通学距離は最上川上流地域の七・八キロが最も遠く、六キロ以上の地区からの通学生は
生徒総数九百十五人中、約一割の九十名余りあり、これらの
生徒に対してはバス賃を市から支給しており、
年間一人八千六百四十円、総額約百万円に上っているということでありました。
酒田
市教委からは、また、次のような
要望がありました。一、
中学校の
技術家庭科の
設備費を
増額するとともに、
教員養成をすみやかに行なってもらいたいこと。二、養護教諭と事務
職員の配置を行なって、現在の手不足を解消してもらいたいこと。三、
教員の通勤費の額を
拡大して、任地居住者にも均霑させ、また
僻地教員の人事交流を円滑にしてもらいたいこと。四、市立
高等学校の
校舎増築には何らの
補助金も与えられていないが、高校
急増対策に迫られているおりから、せめて起債は認められるよう措置してもらいたいこと、等であります。
次に、
僻地学校について申し上げます。私
どもは湯殿山中の大網
小学校の田麦俣分校を視察いたしました。この
学校は東田川郡朝日村に属し、鶴岡市から約二十キロ南東にある大網
小学校から、さらに八キロほど隔たった山中にありますが、冬季は積雪のため唯一の交通機関であるバスも通わず、交通は全く途絶し、文字
通り陸の孤島となるということでありました。ここから
中学校へ進学するには二十キロの距離かあり、冬季だけでも寄宿舎の
設備が強く
要望されておりましたし、
僻地教員の
研修のための
旅費の
増額も
要望されました。
山形
県教育委員会におきましては、県内の
教育一般についての説明と
要望とを聞きました。
まず、
文化財については、国への
要望として、一、
文化財保護行政担当
職員設置のため
人件費の
補助を行なってもらいたいこと。二、積雪寒冷地域にある
文化財の管理には特別
補助を行ない、
文化財の
修理については高率
補助を行なうようにされたいこと。三、埋蔵
文化財の取り扱いに関する、現行の
文化財保護法と遺失物法の二法適用を、
文化財保護法のみで処理し得るよう、関係法の改正を望みたいこと、などが述べられました。
学校安全会の加入
状況は、国公私立とも百パーセントであり、災害発生は、本年四月から七月までに千百七十三件、うち死亡四名という
報告でありました。
日本学校安全会山形県支部の
運営を円滑にするため、関係機関から
運営審議
委員の推薦を求め、また審査員の委嘱を予定し、支部の
運営及び給付の適正を期したいと考えているが、安全会の事務加入契約、掛金収納、災害給付の審査、給付金の支払い通知、送金等繁雑であるばかりでなく、契約の相手方は多数を対象としているため、現在の三名の
職員では不足であって、
増加の必要があると語られました。
また、三十五
年度の支部の事務費二十一万円が本部から支給されているけれ
ども、これは所要額の五分の一にも達しない貧弱なものであるから、事務費の大幅
増額が必要であるし、市町村
教育委員会に対する事務費についても、
日本学校安全会がこれを交付するよう措置されたいとの
要望がありました。
学校給食については、小麦粉等の政府売り渡し価格の値上げにより保護者の負担増となったため、山間
僻地においてはこの負担にたえないため、
学校給食は中止または開始延期のやむない
現状にあり、窮地に陥る懸念があり、このため実地回数を減じ、栄養量を確保するため比較的安価なカルシウム、ビタミン等の化学的栄養剤を使用して、栄養強化をはかる等の方法を講じており、
一般の食生活と同様に合理的栄養の組み合わせによる
学校給食の自然のあり方を破壊しつつある。
学校給食の
教育上の効果や、児童、
生徒の体位の
向上、体質の
改善、国民の食生活の
改善等の重要な目的から、これが
実施を円滑にするためには、小麦粉、脱脂ミルクの政府売り渡し価格の値上げは致命的打撃であるから、これを格安に売り渡すよう措置してもらいたいとの
要望がありました。
産休補助教員の配置については、
本県においては百パーセントに措置されており、産前六週間、産後六ないし八週間、前後を通じて十四週間まで与えることができるように条例によって定められているということでありました。
次いで、
僻地学校の
状況についての説明があった後、公立文教
施設の
整備、
高等学校生徒の
急増に伴う
施設設備の
補助、
科学技術教育の
振興、
学校職員の
勤務条件の
改善、市町村
教育委員会事務機構の
充実、社会
教育施設設備費の
増額についての熱心な
要望がありましたが、その
内容の詳細は
会議録に掲載することといたします。
なお、
本県知事部局からの
要望として、青少年
対策事業の整理統一について発言がありました。すなわち、現在、青少年
対策の
実施は、母子福祉、職業安定、農政、蚕糸、農地開拓、
計画管理、社会
教育等多岐の分野にわたっており、
内容的にも同工異曲の感がするものもあり、また、これが
研修を受ける
青年の個々人はほとんどすべての分野に関係を持つ形となって、応接にいとまないありさまであるから、結局効果も上がりにくいうらみがある。よろしく中央において整理統合をはかられ、時間的にも
内容的にもより効果あらしめるよう工夫してほしいとの趣旨でありました。
最後に山形
大学について
報告いたします。
山形
大学は、文理、
教育、工学、農学の四
学部からなっており、
昭和二十四年五月から
新制大学として発足したものであります。
関口学長の説明によりますと、現在重要懸案事項として、山形地区
施設の統合
整備と工
学部に精密工
学科を
新設することとがあげられました。
施設の統合
整備は、文理
学部の隣接地を拡張して、
教育学部及びその分校を文理
学部地区に統合
整備することであり、
昭和二十九
年度において文理
学部の現有敷地二万坪の南隣接地一万六千余坪を買収して総合運動場として
整備を完了し、旧文理
学部の運動場約六千坪の敷地に所要
建物を新築することとしております。
教育学部の移行には最低限度約四千九百坪の
建物新営を必要とするので、そのうち約二千八百坪は
教育学部の現有の
施設を対象として、山形県と対等の
施設整備を条件に交換の措置を講じ、残余の二千百坪の
施設は国費により
整備する予定であり、交換措置のために県において必要とする
経費は一億三千五百万円
程度、国費による
整備の
経費は約一億一千余万円の見込みであるということでありました。この交換措置は、県立北
高等学校の敷地が狭隘であり、かつ
建物も改築を要する段階にきているので、同校の
施設を処分する財源を主体として移転を
計画していたことによるものであるが、赤字再建団体である県の財政事情の好転に伴い積極的に折衝中であるとのことでありました。
工
学部精密工
学科は現下の工業界において最も
要望の多い、しかも極度に不足を来たしている精密工業関係技術者を
養成するため、この
学科を
新設するものであります。
本学においては、学生部を
中心に厚生補導業務の組織を設けまして、補導教官、担任教官、学生相談所等を置いて、学生の集団及び個人の
指導助言に
努力しているが、学内における厚生補導の
施設設備の不備が著しく、これらの
教育効果を阻害している。現在、学内にある厚生福祉
施設はわずかに狭隘な食堂と理髪所及び健康相談所等にすぎない
状態であって、
大学の
施設の貧困は、学生が学園を自己の生活の場とする観念をなくし、学園を無味乾燥にしている。また、学生と教官とが常に互いに接触することは
教育に最も重要なことであるが、現在は学生と教官が語り合う場所がなく、学生会館の
建設が緊急課題であると述べられました。
学生の課外活動は
学部ごとに結成されている学友会を
中心として行なわれ、さらに各
学部学友会を一丸とした連合体を結成して有機的に活動しており、
文化、体育等の諸活動を通じ健全な発達をしつつあるということでありました。
また、現下
教育界における重要問題の
一つである全学連の一環としての自治会活動は、本学においては比較的低調であって、各
学部ともに自治会は結成されておらず、数年来文理、
教育両
学部の一部学生によって自治会結成の動きが見られるが、同調するものが少なく、概して学生活動は平静であるとの
報告でありました。なお、
教育研究実施上緊急に措置を必要と認められる事項として自然科学系統の
教育研究用
設備の
更新並びに
新設と教官
研究費の
増額が強く
要望されました。
以上、第二班の
報告を終わります。