○岩間正男君 これは総合的に、やはりそこだけをとってやれば、象の足だけを見て、この足は不格好だと、こういうようなことになるので、十カ条あるのですから十カ条を総合して、これは一体何をなしているのか。少なくとも教員が終戦後苦しい敗残の中から立ち上がって過去の忌まわしい反省から自覚を起こして、そして運動を始めた。この中には
一つは、今申しました教員
自身の
経済的、社会的、政治的地位の確立、これが
一つ。そしてさらに日本の
教育の徹底的民主化という、これは
考えがあるわけです。現にその時代の中央労働
委員会の、なくなった末弘中労委会長ですが、現に私が、これは私のことを申しておかしいのですが、かつて教員組合の責任者をしておりましたころに、ある日手紙をくれた。それは、日本の労働組合の目的、そしてことに教員組合の目的というものは、単に
経済的地位の、これは確立だけじゃ足らぬ、やはり日本の
教育の徹底的民主化ということが非常に重要な課題になっているという手紙をくれたことがある。ですからそういう点から
考え、またはっきり日本の憲法を守る建前から、私は今の
教育の現状をながめれば、集約してくれば、こういうことになるのじゃないか。「教師は日本社会の課題にこたえて青少年とともに生る」これは過去の反省から来ています。やはり青少年とともに生きるということでやっていましたけれ
ども、これは不十分だ、頭が絶えず上の方に向いていて、ほんとうに子供の実態に触れて、そして生活をともにし、そこでほんとうに子供を育てていくことを
考えていなかった。そういうことが倫理綱領の中に出てくる。それから「教師は
教育の
機会均等のためにたたかう」これは重大問題です。過去の
教育というのはやはりそういう点では非常にむしろ階級的だった貧しい者は
教育できなかった。どんなに優秀な頭脳、才能を持っていても家庭が貧しいために小
学校までで終わる子供というのが何ぼあったかしらないのです。われわれはそういうのを幾らも見ているのです。涙が出るほど見ている。こういう中で戦争を廃止した日本だから、もう戦争の軍事費をこれは
教育に回わすべきだ、そして文化国家の名に値するような
教育をやるべきだ、そして
教育の
機会均等を確立する。これが憲法二十六条の精神じゃないですか。ところが、憲法二十六条の精神は、これはどうですか、何も守られていないじゃないですか、三分の一しか守られていない現状です。「義務
教育は、これを無償とする。」この無償の原則というのを見てごらんなさい。これを読むと、あとで詳しく予算で追及するわけですが、現在施行されている
教育費というのは、どうですか。統計的にはいろいろ出すようになっているけれ
ども、実際はそうじゃない。私は一週間ほど前に三陸の津波被災地帯を歩いてきた。あの津波の最大激甚地である志津川というところ、ここではもう子供が給食をやりたい、給食を今までやってなかったのだが、もうやる以外にないのです。町の八割以上がやられている。ところが、
文部省はこのごろ給食の施設費だけ出している。見たところに三百万円のところに百万円しか出していない。こういう格好で給食の施設をやって、あとは父兄の負担です。こういう形で見てくると、
教育の
機会均等というものは全く破壊されてしまう。そのために金のある者が少々ぼんくらでもこれは高等
学校へ行き、大学へ行った。こういう連中が支配階級についた。そしてほんとうに貧しい子供たちはどんな優秀な者でも下積みにされてきた。これが日本のひっくり返った転倒した社会の現状だったのです。だから、これに対して当然社会秩序を守るというのが、これは憲法の精神だと思う。「教師は平和をまもる」これは私はくどくどと言う必要はない。九条の精神をどこまでも守っていく、これは当然大きな日本の教師の任務でなければならない。「教師は科学的真理に立って行動する」これは言うまでもないことでしょう。真理がねじ曲げられておったというのは戦争中の非常に忌まわしい記憶です。これに対してどこまでも守っていく「教師は
教育の自由の侵害をゆるさない」、これもくどくど申し上げる必要はないと思います。自由の侵害が今日非常に行なわれているから、これに対してあくまでもこれを守るために、単にこれはもう言葉だけじゃいかぬ、やはり団結してこれに対してあくまでこのような不当なことをやめさせるためにこれはやっていく。単に口先だけで真理を守りなさい、守りなさいと言い、戦争に落とされたというのは過去の忌まわしい記憶です。正しいと思うものはやはり行動してもはっきりその正しいものを守っていくというのが当然新しい
一つの倫理でなければなりません。口先だけで言っていて、実際は正しいことであってもそれがごまかされ、そして実際は権力に押されて戦争に追い落とされたというのが日本の過去の忌まわしい記憶です。従って平和を守り、あくまでも
真実を守るためにはやはり行動をもってその裏づけをする。これは新しい
教育の倫理だと思います。
次の「教師は正しい政治をもとめる」、その次の、第七の「教師は親たちとともに社会の頽廃とたたかい、新しい文化をつくる」、どこに、何が悪いものがありますか。これが新しい時代の当然なさねばならないところの教師として、またほんとうに日本の現実に立ち、そして憲法をほんとうに守り、再び過去の戦争のあの惨禍を繰り返さない、愚かさを繰り返さない
立場に立てば当然だと思います。ところがおかしいですね。これを
文部大臣はお読みになったのですか。全部お読みになってそういうことを言っていらっしゃるのですか。それは官僚が下の方でいいあんばいな文字を、片々たる事項を引っぱり出して事実をしいようとして作った文章ならいざ知らず、私は今あげたこういう条項で全くこれはおかしくないと思いますが、この点はっきりお
考えを伺いたいと思います。