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加瀬完君 私は二点、
文部大臣御自身の御認識で誤解があるのじゃないかと思いますので、伺います。
一つは、形式的な問題でありますが、
日教組は、これは明日いろいろ問題にしたいと思いますが、ああいう形の
倫理綱領を作った、そういう
団体であるから会わない、こういう御
説明が
新聞紙上等に報ぜられておりますが、今の勤評の問題でも、教科課程の問題でも、問題となったものは、
現場の五十数万の
教員の中に問題が起こって、それが
文相の言われたように都道庁県で集約され、その問題が全国的に集まって、これだけはどうしても
文部大臣に
交渉をしてもらわなければならない、国の
行政府の
責任において解決を求むべき問題だというものが幾つか集まって、その内容を
一つ聞いてもらいたいという要約された結論として出てきておる。これは
日教組の幹部が机の上で作り上げた問題ではなくて、それぞれの機関を経て
現場の一番の問題点というものが集約されたのであって、これは
現場の声なんだ。
現場の声は、それが形式的に
立法府の問題であろうが、あるいは
文部大臣に
交渉されたところで、どのように善意ある
文部大臣が働いたって解決されない問題であろうが、一応
現場は
現場としてのそういう声を積み上げてきたのだから、これは率直に聞いてあげるという御認識に立つのが当然じゃないか。しかし、
現場の声ではない、幹部の声だという誤解のもとに御判断が下されているのじゃないかというのが
一つ。
もう
一つは内容の問題でありますが、先ほどからああいうやり方やああいう内容で
中央交渉しろというようなことはだめだ。具体的に言うならば、
立法府できめらるべき問題をおれのところに持ってきてもどうにもならぬじゃないかという御
説明をしておられる。しかし、くどいようでありますが、先ほどから例に出しておる
勤務評定の問題でも、
法律論がそのまま形式となって行なわれるならこういう問題は起こらない。
法律論の問題じゃなくて、行政措置としての問題が当を得ておらなかったから問題が起こる。
法律にきまっているからそれをすなおにやって、やってから文句を言ったらいいだろうと言うけれども、
勤務評定というものはああいう明文化されたものはなくても勤務の評定は行なわれておった。それをああいう形式を整えた
勤務評定の行政措置を
文部省が強引にやられたから問題が起こった。しかも、
教育的にはこのようにプラスになった、こういう結論は出ておらない。今、
現場の人々が要求してくるのは、行政措置としての今のようなやり方はもっと
考慮されてよろしいではないか、それが立法問題に触れるならば、そこで
行政府の
責任として立法を変えるような御
意思というのが、
教育にそうしなければプラスにならないという結論になれば、これは当然
文部大臣としては内容的に要求さるべきものじゃないか、そういう見解で話をしたいと言っておるのです。
文部大臣に何もかも
責任をかぶせようと言っておるのじゃない。今、
文部省との間で問題になっておる点は、立法の問題じゃありません。全部行政措置の問題であります。教科書の検定でもそうです。教科課程でもそうです。
勤務評定だってそうです。管理職手当だってそうです。管理職手当を教頭なんかに支給しろという
法律はないじゃありませんか。またそれを行政措置で予算を作って、そうして人事院に無理に教頭を管理職にするような人事院規則を作らせ、それでやる。逆でしょう。あなたは専門家だからよくわかっている。こういうやり方が問題になっている。だから何も
勤務評定と教科課程の問題だけじゃない。
たとえば私はここに数字を持っております。今度の
文部省の骨格予算でもいろいろ義務
教育費の充実をあげております。義務
教育費はどうなっておりますか御存じですか。これはある県の昭和三十四年度の市町村の
教育費の決算額における実質支出額と
基準財政需要額の比率ですけれども、これは不交付
団体を除きまして交付
団体だけを例にとりますと、市では中学校は、実質支出決算額に対する
基準財政需要額の保障率は五七・三九%にしかいっていない、町になりますと四四・八四%ですよ。こういう必要とする
基準財政需要額の保障率が四四・八四%ということで
教育が行なわれますか。こういうものこそ
文部省の
責任だ。こういう問題も当然
現場からいろいろ出るわけであります。
補助金だってそうです。校舎の五カ年計画なんと言ったって、実際幾ら五カ年計画やったって校舎は建たない計画でしょう。ここに地教委からの要求書があります。
地方教育委員会の
要望でありますから、これは
文部大臣御存じでしょう。昭和三十五年度の市町村の計画教室数は概算九千教室、それに対して国の
財源裏づけは、負担対象として査定されたのは四千四百教室、単独起債による教室数が千九百、二千七百教室の四十億というものを市町村で持ち出しをしなければならない、
地方自治体が持ち出しをしなければどうにもやりくりがつかないという問題がある。こういう問題だって当然
現場の問題として出てくる。単に
勤務評定を廃止しろ、教科課程を変えろという問題だけでなくて、もろもろの問題が出てくるのです。
文部大臣にしても
日教組に御注文がありましょう、それならそういう
中央交渉という場で言いたいことを言えばいい。あなたの方の
倫理綱領というのはどうもわれわれは正当には解釈できない、この点はどうだ、あの点はどうだと聞けばいい、そうして国民の前に堂々と開陳して、
文部大臣はほんとうに国民のためにサービスしているのか、
日教組の
意見が
——注釈を加えるならば、五十数万の
現場の声として
文部大臣に要求をされた、
要望された
日教組の要求というものがほんとうの
教育のためを思っていないのかどうか。これは堂々と話し合って、いい点はいい、悪い点は悪い、聞くべき点は聞く、これは聞かれないということで国民に
批判を仰げばいい。それが私は
池田内閣が声明している線に沿う
文部大臣のやり方だと思います。刑事被告人だってその利益や所信は弁護士を通じて堂々とこれは述べるだけの権利がある。
任意団体であろうとも今までの
慣行で十分
文部省との
交渉ができた
団体が、
大臣がかわればにべもなく一ぺんの
法律論でもやって合う必要がない、合うに当たらない、
交渉してもむだだということでは、摩擦が起こっても、あなたのおっしゃる建設的な
意見というものは出てこないと思います。一度お会いになって、言うべきことは言って、その結果、会う必要がないかなというならばそれはまた話は別だ。あなたの方でもそんなだめな
考え方に立っている
教師が圧倒的多数いるということではこれは容易ならざる不安でしょう。それならば倫理・綱領に対して
文部大臣として御注文をお出しになったらどうですか。会わない理由は内容、形式的にもどこにもないと思います。だからその誤解をおとりになって、
中央交渉という言葉が悪ければ、あなたの方ではそうとらないで、とにかく会おう、しかしおれの方にも言分がある、それは十分お前の方にも、言うし、お前の方に言うべきことがあるならば、聞くべきことは聞くということで、もっと何といいますか、おっしゃられる
常識論でお会いになることは
一つも私は現在の荒木さんのお
考えになっている文教行政に圧力を加えるものでもなければ、これを曲げるものでもないと思うのですが、この点いかがですか。私はやっぱり
大臣は
日教組というものを誤解していらっしゃる。そこにそもそもの今のような御態度のもとが生じて来たんじゃないかと思って、形式的に内容的に
一ついかがですかと、重ねてお伺いをするわけです。