○竹中恒夫君 大へん私驚いたのですが、
単価問題を決定するのに、国会がその権限があるのでしょうか。政府所管の報酬金に対しては、国の予算でもってきめなければならないのですから、政府所管の健保勘定に関しまする限りは、国会においても予算の面からの決定権があると思うのですが、
負担をする四百億円のうち、かりに一円上げたとしても、二百何十億円という大きな
負担は、われわれ国会議員なりが論議すべき筋合いの対象でないところが
負担するわけなんですから、そういうことを国会で
審議して、その国会で
審議したことが
医療協議会を制約できるかどうかということです。
もっとも、最終段階においては政府が行政措置をとるということなら、これは別でございますが、おそらくそういうことは、
納得ずくの政治をする場合において、官権を使って、
医療協議会の答申がどうあろうとも、あるいは国会の
意見だけを
尊重してやるということは実際できないと思う。そうしたら、この場合の一応の御
答弁としては筋が通ったようですが、実際問題としては私は困難だろうと思う。従って、私が意地の悪いことをお聞きすると申し上げたのはそこなんです。
これを
前提として実はお聞きしたいことは、やはり米価
審議会があって、年々お米の価格を御決定になっている。同様に、
社会保険の報酬金の
審議会というものは当然なければならぬと思うのです。今のように
医療協議会できめるのだということでありましたならば、なかなかこれは適正な
単価はきまりにくいと思う。やはり、
医療担当者あるいは
保険者というような直接
関係のある人の会合でなくして、
経済学者なり実際の
経済界に活躍しておられる学識経験者等を集められまして、抜本的な策を立てて、
社会保険の報酬金というものを今後
算定していかなければならぬ。今選挙対策ではないとおっしゃいましたが、対策であろうとなかろうと別でありますが、そのときそのときに要求があるたびに、
厚生当局が中にはさまつて苦労なさって、そうしてまあまあというようなことでは、私は決していくものではないと思う。これはあなたよりも、むしろ総理にお聞きしたいのですが、所得倍増計画というものがございますが、十年先になって国民一般が所得が倍増される、低額・所得者は五倍になるのだというようなけっこうなお
考えのようですが、今のような
状態で、
単価がくぎづけのような
状態で、あるいはたまさか二年に一ぺんくらい
単価を変えるというような
状態で、十年たったときに、
医療担当者だけは所得が倍増しない、実質的には二分の一に減ぜられるような
状態になる。少なくとも、年間七・二%なり九%の産業の成長率を
考えられて、これが反映して賃金ベースがプラスされていくということでありますならば、やはり
単価審議会というようなものがありまして、そこで当然それににらみ合わせたところのスライドがあってしかるべきであって、医者が
単価を上げろと言うから上げるとか、下げろと言うから下げるのだというような権威のないことではなくして、国が法律を作って、
単価審議会というようなものを作って、
経済実態からしてごうあるべきだというような決定ができる機関がほしいと思う。これは
厚生当局でそういうお
考えをお持ちになって、法律を政府提案でなさるということも
一つの方法でありましょう。あるいはそういうことを
考えておらないということでありますならば、議員立法でやるということも方法でありましょうが、きょうはそこまでの具体的なことは申しませんが、
考え方としては、
医療担当者の賃金ベースだけは何ら諮るべき機関がない。官公吏の公務員給与については人事院が勧告する、あるいはその他の一般の俸給者に対しては民間のそれぞれの機関を持ってやっていらっしゃるにかかわらず、
社会保険の報酬金だけは言わなければ上げない。言えば、
考えてみよう。その場合には、反対の圧力がかかって、トラブルが起こる。大体この五、六年間、
医師会あるいは歯科
医師会と
厚生省、あるいは一般の
保険関係の団体とがうまくいかなかったのは、
制限診療の問題に良心のうずきを感じておる、それから報酬金と、この二つの問題が大きな禍根を残しておると思う。先ほど
制限診療ではないとおっしゃいましたが、
規格診療と申しますが、
規格を作ることによってきまった
方針を守るということは、
制限診療なんです。言葉は違うようですが、結果的に見ましたならば、
一つの
規格をお作りになって、その基盤の上に立ってこういう
方針でやるのだということは、スタンダードになる。単なるスタンタードならよいが、そのスタンタードをこえると、監査なりあるいは
審査会においてお目玉を受けるということは、結局
制限診療という、やる方の医者から見るならば、そういう感じを持つわけです。そういう点を、
医療保険の円満なる発達を
考えるならば、どうしてもこの際、
社会保険報酬金に対する正しい
算定方式を作るということと、
制限診療か、
規格診療か、その言葉のあやは別としまして、医者の良心によって必要な
治療を即刻行ない得るというような体制でなければならないと思うのです。
規格診療であろうと、
制限診療であろうと、あくまでも医者の人格なりあるいは
技術なりを信頼なさって、
医療常識によって
医療をやるのだということは、これは
一つのスタンダードであって、それ以上こまごましたことで、患者も見ない立場において机上でもっていろんな
制限なり
規格をするということは非常に危険である。病気はもとよりケース・バイ・ケースで
治療しなければならぬにもかかわりませず、あらかじめ予定のない病気を
規格でもってやるということ自体が私は不自然だと思う。この二つが
解決しない限りは私は
医療行政は円満にいかぬと思うのでございまするので、根本的な
医療行政の面においての
考え方を一応こうした機会にお
考え願いたいという私は熱望を持っているわけですが、そういう点に対しまして、
大臣はどういうようなお
考えであられるか。
単価審議会の問題と、
制限診療に対します問題、特に私が一番憂えますることは、医薬は日進月歩している、
保険財政はきまっていて、
保険料率はきまっており、賃金ベースが上がるから自然にふくれるだろうということを言われるのでありますが、私は決して賃金ベースが上がった場合に
保険勘定がふえていくとは
考えられません。おそらく
保険料率というものは世界で相当高い、あるいは一時は世界で最高の料率をとっていたわけでありますが、おそらく今の
制限下において、健保の黒字が出た場合は
保険料率を下げるということになりまして、決して医学の進歩に追随していって
保険財政がふえていくということは
考えられない。その場合には当然国民に
負担能力がなければ国家が
負担しなければならない、こういうような点から
考えましても、非常に私は
医療というものはむずかしい問題でございまして、なかなかそう簡単な
考え方をして取り扱うというわけにはいかぬと思いますから、以上の三点を、
制限診療に対する
考え方、医薬進歩に対する今後の対策、及び所得倍増等に
関連いたしまして、
医療担当者が十年先どうなるか、やはりそういう長期的な
考え方をしてやってこそ私は
納得づくの政治であり、また、事実そうなきゃならぬ、かように
考えまするので、この三点についてのお
考えをお聞きいたしまして、私の
質問を終りたいと思います。