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田上松衞君 この際感じたままを率直に申し上げたいと思うのです。
九カ所の候補地が出た。そして主として
建設省がまあいろいろやって、
最後に宝池を選んだという経過のようなんです。あげられたところの九点の要素を一々机の上で
考えられる場合にはそういうことが一応納得できないわけではありません。しかし問題は、一体国立国際
会館というものを、これは全国民がどういう受け取り方をするかという重大な問題なんですよ。しかもこれが京
都市及び
京都府等が何か作って提供するというならば、これは国民の
立場からはまああてがわれたものでがまんしようということになるでしょうけれ
ども、大体すでに内定されようとしておるところの八十七億円という金額、いわゆる国民の血税だと
考えます。そうした場合には、国民は自分たちのものだという感じを持たなければいかぬと同時に、敗戦
日本のどこかに何か
一つの誇りを感じるという気分がなければならぬことは、これはもう言うまでもない。従ってだれしもが見まして、ああ、ここならばまあ
日本の面目を保ち得るというような場所が選ばれなければならぬはずだと
考えるのです。くどい
説明をよしにいたしまして、感じたままを申し上げますが、実は私はその前に
京都の塵芥焼却場を見てきたわけです。行ってみますと、あの煤煙が四本の煙突の中から大へんなものがわいてきている。それが風の都合によっては京
都市の方にぐっと流れていってしまう。こんなものを風光明媚だとか、文化のかおり高い所だという場所にこんなものが建っていいのかと、率直に実は京
都市当局にも話をしたわけなんです。こういうようなものはどっかへ、もうすみっこの方へ持っていってするような時代になったのではないか。しかし今まではちょうどそういう場所が端にあったのだけれ
ども、だんだんだんだん市が
発展するに従ってそれが市内の中に入り込んでしまったといういきさつはよくわかりますけれ
ども、ともかく移さなければならぬということを話し合ったわけです。ところが、実は車の
関係でどこへ行くということは知らなかったので、山奥へ連れられていった、わけのわからぬ山奥に。それが今の宝池なんです。ああ、こういう所へ塵芥焼却場を持ってくるのはこれはいい場所だろうと言った。ところがこれがいわゆる国立国際
会館です。もっと極言いたしますならば、たとえば戦犯裁判所でも作ろうかというような場所、国民がどうも受け入れにくい場所、これを
一つ京都が犠牲を払っておれのところへ作ってしまうというような場所ならそれもふさわしいかもしれません。あるいは、さらにこのごろ流行しておるところの小児麻痺の罹病者を国民の間と
一つ隔離してしまわなければならぬというので山奥へ持っていくというならば、あるいは適当な地だとも言えるでしょうけれ
ども、これが風光明媚を誇る、そして
日本の唯一のかおり高い文化を誇る、
日本を象徴しようとするような
日本の代表地
京都へこういう国際
会館が建てられるなんというようなことは、これは私はある意味において言い過ぎるかもしれませんけれ
ども、大きな恥さらしだ、
日本のみじめさを、
日本の文化の低い程度をさらすたけのことにしかならぬはずだ、どう
考えてみても適当な場所ではないという感じを強くしたわけなんです。
京都府及び京
都市の
関係の方々に聞いてみますというと、いや、心を静かにして、一切の事物に触れないでものを
考えさすためにはいいだろう。つんぼにし、めくらにして
会議を開かすという場所ならそれはそれでもいいかもしれません。しかしさっきあげられたこり九点の要素というものはそんなものではないはずなんです。あなたの
お話の中では、この九点を総合したところの、一番点数をあげた場所が宝池だという工合に受け取れるのです。これはとんでもないことです。いやしくも国立でありまするから、たとえば衆参両院議員七百余の議員をかりに見せて回っていくとすると、大体あそこでなければならぬと
考える者が、これはまともに
考えてみて、あるだろうか。およそ縁遠い。あげられた九点の要素、私は
報告書の中で申し上げたように、ただ環境が静寂であるという一点だけ実にさびしい場所。山奥の中の、山に囲まれた、あの見晴らしのきかない、小さいあの中に
一つの池があるだけ。それだけの点で、静寂であるという点だけは確かに間違いないけれ
ども、あとの八点については、ことごとくこれはおよそ縁遠いものだと申し上げなければならぬと思うのです。感情的に申し上げますならば、これは必ずしもそこであるということではないけれ
ども、私
どもの素朴な感情から申しまするならば、たとえば御所の跡、大へんな面積ですね。ああいうようなものを名所旧蹟として、ただ未来永劫にあれを保存していくというだけでは芸がないと思う。もっとこれを大きく記念し、そうして世界の人々にも感銘を与えようとするならば、ああいう場所をこそ、全部で五万坪というのですから、建物としてはおそらく、どうなんですか、一万坪かそこらあればいいのではないか。そういうような場所にこそやってもいい場所じゃないか。しかしこれはいろいろ
考え方の相違がありますから、これはたとえばの話を申し上げるだけです。
さらに申し上げたいことは、誤解のないように申し上げたい。滋賀県とああいうような工合に大きな競争があった。あるいは神奈川県の場合でも内山岩太郎氏が箱根の問題を持ち出した。私はありのままに申し上げまして、当時堤康次郎さんですか、滋賀県の代表者は。膨大な写真を写した。最高、最上、最適の場所だろうという図面、写真等を受けました。神奈川県の知事からもいろいろどうだろうという相談を受けました。しかし
日本国民全体が、まず
日本を代表する場所は、この種のものを建てるには何といっても
京都ではないだろうかということには変わりはないかと、こう
考えたのです。そこで滋賀県及び神奈川県の問題等については、失礼ですけれ
ども、ほとんど考慮の余地なしというような感覚で実はおったわけなんですよ。ところがこれらの人々は、あるいはこういった九カ所の候補地のうち、最終的に決定されるであろう宝池をごらんになってみてこう感じたでしょう。なるほど、こんなところに持ち込むのだったならば、こういうりっぱな土地があるということを言うのはこれは当然ではないか。しかし誤解のないように今申し上げます。決して滋賀県や神奈川県に持っていったならばどうかというようなけちなことを申すのではない。さっき申し上げましたように、
京都の中でということは動かさぬことにして、
京都の中で、ほんとうにこれこそ大きな国費を使っても、よかった、やりがいがあったと全国民が将来ずっと
考えて喜んでくれるような場所が、納得できるような場所を選べないだろうか。もし、そういう
地帯があるけれ
ども、これにはこれこれの
施設があって困るのだというようなことがあれば、そんなものは撤去してもいいじゃないか。八十七億円が百五十億円かかろうとよかろうじゃないか。こういう問題はほかの問題とは性質が違うのですよ。これは言い過ぎになるかもしれませんけれ
ども、今日のいろいろな
災害等の
関係を
考えてみますと、ちょっとした台風がありましても百億や二百億の金がすぐ吹っ飛んでしまうのですよ。しかもこの
施設はぜひ急に、
日本が初めて作り、しかも永久に保存しなければならぬ性質の問題である。
日本の価値を何とかここで
一つ外国にも誇りたい。会に集ってくる人々にその文化のかおりが高いこれをはだ身にしみ込ましてやろうじゃないか。
日本を
考え直さしていこうという
考えが、意欲があって差しつかえないのじゃないか。こう
考えてみますと、この方面に投ずる費用は、全国民がどんなに苦労をしてでも、出し合いをしてでもやり遂げてしかるべきものである。ただいま、さっき申し上げましたように、いたずらにこういう問題を
一つの
予算等にこだわってやる性質のものではないはずだ。みそもくそも
一つに
考えるような役人の
考え方は、われわれは少し
考え直してもらわなければならぬ最たる
施設だと、こう実は
考えておるわけなんです。そこでどうなんです。この場所を絶対に動かすことのできない何かことに陥っておるのか、考慮の余地がないのか、あるいはさらにはあのままの場所でなくしても、何かあの付近を大きく
一つ費用をかけても、今申し上げたような条件に、そうして九つの要素にかなうような
状態に作りかえるようなことを
一つお
考えにならないかどうか。あなたが発案されていくのでしょうから、われわれはこの
施設に対しては、もっと大きくやってもらいたいと
考えるがゆえに、しかも
京都を動かさないという条件をつけまして、繰り返して申し上げますが、そういう
気持を申し上げておきますが、これについてのあなたの
一つお
考えをさらに明確にされておきたいと思います。