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山本参考人 私は、まず自分の
立場を御
了解を願いたい。
ビール四社は差しつかえのないことは一括してものを取り運ぶということにいたしております。私は従来二十何年間やっておりましたが、今から三年前
交代制をとりまして、
代表理事三人のうち
当番理事がやっております。ちょうど私は昨年十月から病気をいたしまして、本年三月まで
東大病院に入院をいたしておりましたが、その間にこういう問題が起こっておったそうです。ある方から、この問題を何とか解決しなければ
農林省も農中もお困りだから、君、一ぺん話に行かないかということでございまして、やあ、何かわかりませんが伺いましょうということで、本年の一月の五日だったと思いますが、荷見
会長がわざわざ御足労下さいまして、いろいろ伺ったのであります。私は、現在
代表理事ではあるが当面の
責任者ではない。しかし、しいての御
希望ならばあなたも
仲人の
立場にお立ち下さい、私も
仲人の
立場で、二人で全
販連と
ビール会社の間の話を取りまとめましょうということにいたしまして、ようやく
レールに乗ったのであります。自然私は
ビール会社を説得する
立場に立ちました。私は十日から大阪へ旅行をいたしますので、一月九日に
農林大臣、
経済局長お立ち会いのもとに荷見
会長と
申し合わせをいたしまして、四月七日に、ただいまおっしゃったものと大同小異、
趣意は大体変わらないものが取りまとまりまして、それで私は
ビール四社に
お話しをしまして、私の提案を聞いてもらったわけであります。私が
病院におりました
関係上いろいろなことがスムースに取り運ばないのと、
ビール会社そのものの
立場については、私も大体心がけておりますが、もっと大きい問題は、
明治二十年前後から
ビール会社の慫慂によって
ビール麦というものが
日本で初めて作られて、ともに
苦労をして今日の
ビール麦の
生産に至った。その相手方の、ただいま申しますれば
麦耕運と申しますか、
地方によっては
違いますが、そのわれわれの
協力者である
組合の
方々に
了解を得なければならぬ、その方によく
了解をしてもらわなければ、
ビール会社だけではどうにもなりませんので、荷見さんがおそらく私のところに二十何回か足をお運び下さったにかかわらず、私が三月に退院いたしまして初めて
レールに乗りまして、四月七日に私と荷見先生とで
共同声明ができ上がったということでございます。初めからこれはわかっておった、これであるべきはずでございましたが、われわれの
協力者であるいわゆる
麦耕連と申しますか、
麦耕連及びその他のわれわれの
協力者の
方々の説得のために時間を費やしたのであります。ただいまここでお読み上げを下さった
通り、この
趣意はいまだに変わっておりません。私と荷見
会長との間のあの
申し合わせば今日もなお生きておりまして、この
通りを
実行をいたしております。あるいは各地におきまして小さい疑義が生じ、あるいは
紛議があるかもしれませんが、これはあまり私は詳細は聞いておりません。実はここへ参りますのに、もう少し確かめて来たいと思いましたが、昨夜六時近くにきょうの会合を伺って、けさ十時というので、十時前にこちらへ参りましたので何にも詳しいことは聞いておりませんが、今荷見
会長のお読み下さったあの
申し合わせの
通りに
実行をいたしておりますし、
実行をいたす覚悟でございますので、どうぞ御
了承を願いたいと存じます。
全敗連その他のことにつきましては、私は大きい
意見を持っておりませんので、ここで
皆さんに御説明いたしますことは至難でございますが、ただ先ほど申し上げましたように、
明治八年に北海道で
ビールの麦を作りまして、それはごく少量でございますが、その後
明治二十年を過ぎて、一は京都府の一部において、一は
関東地方におきまして
ビール麦が
耕作されました。御
承知の
通り二条麦と申しますのが初めてでございまして、
六条麦の四条を退化せしめて二条を発育せしめる、
ビールの
製造にはこれてなければ良質のものができないというのでこの
品種を取り上げましたところが、なかなか
耕作にも困難であるし、
六条麦にかわるに二条麦でありますために
収穫は少ない、
ビールに使ってみれば
外国の
品種の
ビールとでき上がったものが大そう違うというので、われわれの先輩はきょうまで七十年間、
皆さんの御想像以上の
苦労をして、今日この
品種ができ上がりました。このうちの一部分のものは、
外国の最も優秀な
品種よりすぐれているとは申しませんが、それに匹敵するまでに到達いたしました。これは世界に誇ってよいものだと私は信ずるのであります。しかして
収穫におきましても、われわれの
技術陣の
指導者と学者の研究、
耕作農民の
方々のなみなみならぬ御
努力によりまして、所によりましては、
六条麦とひとしい、あるいはそれ以上
収穫ができておる所があるのであります。
それやこれやを考えてみますと、私
どもビール四社は、この
耕作の
方々を無視して
ビール製造はあり得ないのであります。この
方々の過去の
功労に対して敬意を表し、これに対してできるだけの力を没入いたしまして、この
仕事のいま一段の完成をしたい、こういうことがございますので、決してわれわれの
ビール会社は
系統販売に反対ではありませんが、この長い歴史を持った
農民の
方々とのこの
精神的きずなは捨て切れないのであります。観念的にはわかっておりながら、これはなかなかできないことであります。七十幾年の長い間のいろいろの
事情もありますし、またただいまおっしゃったような
カンショのような
品質のものでなくて、地味と
品質とそれに対する
耕作とはそう簡単なものではございません。
それやこれやで、われわれの
専門技術者は、現在
耕作しておる
方々の最も
都合のよい
方法をとりたい、またより今後も新しい
品質を採用して、よい
ビールを作るかてとしたいと考えて、日夜やっておりますので、われわれもそれをむげに捨てることができませんので、ただいまのようないろいろ御迷惑をかけておる点があると思います。今後もただいまの農中ないしは全
販連の御
趣意はよくわかっておりますので、でき得る限りその方向に進めたいと存じておりますが、今すぐにそれに引きかえるということは、
ビール会社の
都合よりも、われわれの
協力者である現在の
耕作者というものを横に見ますと、意のごとく参らぬ点をいかにも遺憾に存じます。どうぞこの点は
皆さんも御
了承を願いたいと存じます。
七十年の長い
間ともに涙を流してこの麦ができまして、
日本の
ビールが本年は五百万石に達したという
功労の一半は、この
農民諸君の力によったのだということを私は深く信じておる次第であります。どうぞそういう
趣意でわれわれがこれを行なっておることをぜひ御
了承願いたいと存じます。決してこれに対する
農協その他の
組合運動に対する反対運動ではない、自分の
協力者に対する敬意とわれわれの好意であることをどうぞ御
了承願いたいと存ずるのであります。
おかげで本年は荷見
会長と私の
申し合わせの
通り実行して、あるいは小さいいざこざはあったかも存じませんが、
皆さん御満足を願っておると存じます。所によってはおれのところを先にやってくれとかなんとかいうこともございましょうが、私はそれは
皆さんの身勝手だと思います。おかげで
都合よく取り運んでおりますので、御安心を願いたいと思います。
くだらぬことを申し上げましたが、一言私の
立場を釈明いたした次第であります。ありがとうございました。