○
八木(一男)
委員 社会保障制度
審議会の経過を何回か申し上げましたけれ
ども、
社会保障制度
審議会の答申の中で最悪のものはこの
年金の答申だ。この前までの答申なり勧告はよかった。よかった医療補償や何かの勧告はほとんど実施しておらない。よかった方は実施しない。
社会保障制度
審議会は、これは大先輩がいるけれ
ども、私ははっきり言ってあの勧告は最悪の勧告だと思う。最悪の勧告のときだけ
社会保障制度
審議会の答申をたてにとって、最もよかったときにはそれを全然実施しないというふうなやり方がされているわけです。
政府としてはやはり一貫しなければいかぬかけです。この前の医療補償の勧告は
一つも実施していない。それならば
政府には
政府の独自の考え方があるはずだ。特に
社会保障制度
審議会の
年金の勧告は不十分であることは小山さんはよく知っている。そうしたら、
ほんとうにいいものは完全に保障制度
審議会の線に従ってやる、悪いものは幾ら
社会保障制度
審議会であっても、それについて
政府側としての
意見を戦わしていい方に持ってくる努力をされなければならない。悪いときだけそれに便乗しては困る。あんな悪い勧告はないでしょう。
社会保障制度
審議会いまだかつてないほどの悪い勧告を出した。悪いときだけ利用して、いいときには
一つもその
通りやっていない。大体あの
審議会の勧告は今まではよかった。
一つだけ悪くなったとき、そのときだけその
通り実施しようとする、そういうことじゃ困る。私も
社会保障制度
審議会の
委員をやっていますからわかりますが、
政府側で出してこられたときに、
社会保障制度
審議会に少し異論があっても、
政府側が原案を持ってきて、頭を下げてこの
通り御了承願いたいといって押し切られることが多いわけです。そのときだけ
政府側、
役所側の
委員を動員してやられるわけです。いいことであれば
社会保障制度
審議会と線が違ったって当然
通りますよ。出されてあります
審議会の七十才はいけないから六十才にします、六十五才にしますといえば、当然
審議会はスムーズに
通ります。あそこでなぜあんな案ができたか。現在の
池田内閣は知りませんけれ
ども、岸内閣なりそういうような腰抜け内閣では、
社会保障をそれまでしてくれまいという幾分のあきらめがあるためにそういうような案が出てくるわけです。
政府が
ほんとうに元気を出せばもっとりっぱなものがどんどんできます。
政府の原案についてすぐスムーズに
通ります。だから
社会保障御度
審議会ということはあまり論拠に持たれないでいただきたい。特にあれはけしからぬ勧告です。これは天下に公表してもいいと思う。そういうことです。特に、何回も申し上げますけれ
ども、
社会保障制度
審議会やほかの
審議会の
意見を持ってきて防戦せられても、明らかにその
年金の配分が間違っている。
年金の金額全体が少ないから全体に配分できない。その全部に配分できないときには、必要な方に配分の厚みをかけなければならない。その方向と違った方向をとっているわけです。これは間違いであると思います。中山君にこの間さんざん申し上げておきましたけれ
ども、中山君だけではわからないでしょうから、一番の権威者の小山さんの耳にタコができるほど同じようなことを申し上げておりますけれ
ども、やはり何回も申し上げておりますことを理解の中に入れて
厚生省の原案をぜひやっていただかなければ、いつまでもこの問題は片づかない。その点について強力に推進を
お願いいたしたいと思います。
〔
委員長退席、滝井
委員長代理着席〕
ほかの
委員の方もお待ちですから、総括的に申し上げますけれ
ども、いろいろと
年金についての運動が起こっております。運動についての
一つは福祉
年金、無
拠出年金を改善しろという要求であります。
一つは現行
拠出年金が不合理であり不十分であるからこれをやめてくれということ、しかしながらその団体の大半は非常によい
拠出年金に変えるならばということがついております。そういう点でよくすることにやはり思い切ってやられなければ、年
金制度についての
国民の理解なり協調を得られないと思う。その面で無
拠出年金についてまず重点に考えらるべきものは、障害
年金について置き去りにしておる点を十分にする。二級、三級にも支給し、それから内科障害にも支給するということ、それから母子
年金については、純母子
年金の問題は即時やってもらわなければなりませんけれ
ども、生別母子世帯に
年金を支給する道を開いてもらわなければなりません。そのほかにワクを広げるということを言われますけれ
ども、それと同時に金額をふやさなければ、子供をかかえた母子世帯で月千円くらいでは涙金であって話になりません。その金額を、基本金額も加算の金額もふやさなければ問題にならない。障害については母子を考えなければなりません。
次に老齢の問題については、まず第一に六十才代から支給するという問題それから支給する人について、千円では話にならない。特におじいさん、おばあさん二人のときには七百五十円しかくれなというあんなけちな問題、それから配偶者所得制限というような、いかなる観点から考えても
説明できないような所得制限をつけている問題、そういう不合理を一切撤去して、そうして金額をふやすという問題であります。それと同時は、できれば所得制限を大幅に少なくして——たくさんの人にそれがいくように、これはもちろん賛成であります。しかし順序はそういう順序であるということをぜひ強力に理解をしておいていただきたいと思います。
その次にはまた生活保護との併給の問題があります。もちろん老齢加算と母子加算と障害加算を新設したり増額したから、大体今日問題としては幾分格好がついております。しかしながら福祉
年金の金額を上げるということになりましたならば、また当然ここにその問題の処置が必要になります。そういう
意味で、
ほんとうの処置としては、完全に併給をするという
立場をとられた方がスムーズではないかと思います。それが
政府側の見解として法制上いけないとなれば、金額が変わるたびに、同時に生活保護法の加算の問題を出してくるという態度をきめられなければ問題が解決しません。もう
一つは税金の問題であります。このような福祉
年金については、もちろん免税にするのが、当然であろうと思う。そういう問題がございます。
次に
拠出年金に移りたいと思います。
拠出年金の問題でございますが、かけ捨てについてのいろいろの御配慮、これは
相当一生懸命御
検討しておられるので、十分ではありませんが前進の方向としてもっとそれを十分にしていただくことでいいと思いまするけれ
ども、もっともっと
問題点があるわけです。
拠出年金反対運動の中には、幾分か、百のうちの
一つや二つは現行制度に対する理解が少ないためのものもあるでしょうけれ
ども、百のうち九十七、八くらいの点は、当然
反対の論議が巻き上がるべき要件を今の現行
拠出年金は持っているから巻き上がっている。それをやはり根本的に逐次改善していかなければ、年
金制度についても
国民の御協力はスムーズには参らない、半身不随の状態になると思う。
その中の中心点を申し上げますと、まず第一に一番いけないのは、この
年金の
保険料を十分に納められない人には
年金が減るとか
年金がないという問題であります。これが中心課題であります。中心課題をはずさないで、問題をこれから推進していただきたいと思う。年
金制度というものはいいものである、今の
反対運動は、不合理なものを作られたから
反対の運動が起こったのであって、
国民は
ほんとうによい年
金制度を望んでおります。現行の
拠出年金制度が悪いのは、とにかく払えない、払いにくい人は
年金が減る、またはもらえないという点が一番悪いと私は思います。この原因は何かというと、まず第一に
保険料が定額である。松下幸之助も非常に貧しい人も同額であるという点に基本的な点がございます。それに坂をつけなければ——
年金の
保険料を
国庫負担で十分埋めて安くすることももちろん考えなければなりませんけれ
ども、それ以外の点で安くする要件は出て参りません。そういう点で大衆の
保険料を安くする点を、
国庫負担の増額とともにそういう点も加味して考えてもらわなければならないと思う。
次に減額制度がないという問題、免除制度はあると言われるけれ
ども、免除かしからずんば百パーセント納入かという制度に今なっております。そんなことは実際に合わない。百円、百五十円取られたら苦しいという人はあるわけです。ちょっとの境目で片方は免除を受ける、片方は全額徴収、取られなければならないというようなことであっては、
ほんとうに大衆の生活を理解した上での
政策ではありません。もちろんその間にスムーズな減額制度が、手続的に事務的にめんどうくさくても、
ほんとうに
国民生活に合うように、十段階ぐらいに区切って減額という制度が設けられて当然しかるべきであります。
その次に免除の問題であります。免除の問題は、
社会党案の免除の
言葉だけを御活用になりまして
政府案にも免除があると言ったけれ
ども、しかしこの免除は完全に幽霊免除であります。
ほんとうに生きてこない、これは十年間——前後してもいいのですけれ
ども、合計十年間
保険料を納めなければ
年金にならないという点にあるわけです。小山さんはこうおっしゃりたいだろうと思います。前後で十年間
保険料を納めておるなれば、そして十五年間免除の適用を受ければ、その人は二十五年間
保険料を納めたと同資格になって、十年間の六十五才、月千円ではなしに、月二千円の
年金が行くのです、だから免除制度は生きておりますというふうにおっしゃりたいと思います。ところが逆の点から申しますと、
保険料を九年間しか納めておらない、十六年間免除が受けられた、十年間は金がなくて払わなかったという場合、これはどうなる。間違っておるという御答弁があれば幸いでありますが、私の理解ではそれは
年金にならない。十年の要件を満たしておりません。
保険料納入と免除とが合計二十五年、同様になりながらこれは一文の
年金にもならない。無
拠出年金の適用がありますと言われると思いますけれ
ども、無
拠出年金は残念ながら七十才開始、六十五才からの
年金はもらえません。だから免除があっても幽霊免除である、お化け免除である、
ほんとうの免除ではないという点であります。そういうことがありますので、貧困な階層の人は
保険料が十分に納められないから
年金が減る。また減額がないから
保険料が納められないことがある。免除があってもそういうことで役に立ちません。大体免除を受けるような人はちょっと調子のいいときでも生活が苦しい。免除を受けるか受けないかを往復しているような人が九年間——年四回払いですから九年と四分の三払ってもだめなわけですから、三十九回の
保険料を払うことはできるが、四十回の
保険料を払うことはできるかできないくらいだ。非常にむずかしい。四十回払うところを三十九回ぐらいまででとまる、こういうことがある、二十回でとまることがある、十五回でとまることがある、それが大部分であります。免除の適用を受けるような人には免除が役に立たないで
年金にならない。それでは免除という制度はないと同じです。これは九割九分までないと同じだと思います。免除という
言葉を、払えない人はどうするのだということのヴェールに、それを隠すために使っておるような制度にしかすぎない。こういうことであっては貧しい人は
保険料を納められないから
年金がもらえない。
年金というものは貧しい人に最も必要です。貧しい人が老齢になったときに最も
年金の必要度が多い。貧しい人が死んでその遺族が困ったときに最も
年金の必要度が多い。貧しい人がけがをして障害者になったときに最も必要度が多い。その人に
年金がこない。そんなものであれば
社会保障でありません。もちろん社会
保険として組み立てたと言われるかと思います。しかしこれは
社会保障の推進のためにやったということをあらゆる場で言っておられるわけです。組み立ての基本が社会
保険的であっても、社会
保険が組み立ての
一つの基礎になっておっても、十分にそういうことを配慮した、
社会保障に徹底した案にならなければ、
社会保障としては、おこがましくてそういう
言葉としては言えないはずであります。ところが池田君にしても中山君にしても、
社会保障をやるんだということを言うだろうと思います。前の岸君はさんざん言いました。渡邊君も坂田君も言いました。そんなことでは困る。そういう欺瞞に対して
国民が理解し始めたから猛然と
反対運動、延期運動が起こっているわけです。この根本的な点を変えることを考えられませんでしたら、今のかけ捨て、これも大事な問題でありますけれ
ども、
ほんとうの根本を変えられなければ問題は解決をしない。だから掛金をかけられなくてもその人にとって
年金になる、そういう制度でなければ
社会保障ではない、所得保障ではない、
ほんとうの
年金ではないということになります。そういう点について取っ組みをしてもらわなければならない。その取っ組みがないように思われるのです。そういう点であります。
その次には年令の問題であります。これは無
拠出のときも申し上げましたように、六十五才に対して六十才で支給せよ、五十五才で支給せよという要求が出て参っております。もちろんその
人たちの要求は当然中の当然である。非常に苦労をした人が早く死ぬ。残念ながら早く死ぬ。従ってその
人たちは死なないうちにもらうために、また
年金の支給を受けて、それで生活を楽しむためにもらうには、どうしても早くからもらわなければならないわけです。この問題が非常に根本的な問題になると思います。もちろん六十五才を六十才、五十五才にするためには、
国庫負担を非常につぎ込まなければ、
保険料の値上げが必要なことはわかっております。
保険料を値上げしないで
国庫負担で、できれば
保険料の値下げをして
国庫負担でこれをカバーする重大な決心をされなければならないと思う。この問題について先ほど積み立て金方式と賦課方式の問題で、滝井
委員の御質問に対して小山氏が言われました、あのような理解をされるのではなしに、賦課方式の問題は今の積み立て金方式という考え方を揚棄して、それを乗り越えて、将来の
年金金額を非常に大きくするために考えられるべきであります。その考え方に踏み切ったならば、六十五才を六十才五十五才に引き下げることも、あるいは三千五百円を七千円、八千円、一万円に上げることもできるわけです。私
どもは日本の
経済成長率を四%と最低に推定をして、この際大事に大事に見て推定をして、
減税が大幅に行われると推定をして、しかも七千円までの案を作ることができました。これは経理
計算を完全にいたしております。ところが池田勇人君は九%の成長率とみずから主張している。四と九が複利
計算になったら猛烈に多い。池田勇人君の考え方でいえば、
年金を賦課方式に踏み切ってやるならば、
年金の金額を月に五万円くらいにできるわけです。五十五才から二万円くらいにでもできるはずです。九%の
経済成長率を考えるならば、そういう状態であるのに、そうして
社会保障を大幅に取り上げるということを言っておるのに、あのような貧弱なことではならないと思う、そういう問題がございます。
それからもっとこまかい問題について、さきの御答弁で三年未満についてはどうにもいたし方ないかとも思いますという御
説明がつきました。これは最も許されない点であります。三年未満しか払えない人というのは、これは最も気の毒な人であります。
年金をもらいたいので十一回一生懸命払った、あと息が続かなくて払えない。そこでまた免除をとおっしゃるかもしれません。免除があればそれは三年に加算するということになるかもしれませんから、六回でもいいです。それは前もって言っておきますが、そういうふうになっておる。そういう
人たちがあと息が続かなかったときに、その
保険料が没収されるわけです。これは生命
保険ではない。さっき
審議会と言われましたけれ
ども、
年金を作るときに
厚生省の中で
年金特別
委員会という妙な
審議会を作って案を練られた。そこに
保険会社の人がおられた。
保険会社的な考え方でこの案が練られた形跡があります。
保険会社は民間の企業であります。彼らとしては生命
保険に入ってもらって一回や二回かけてやめられたならば費用倒れになる。もちろん生命
保険は二、三回でやめたならば解約返戻金は一文もこない。そういうような考え方と
年金とは違う。大体そういう人の考えを聞いて問題を練るということが間違いです。国家の
保険である。事務費は別に出しているはずです。六回払ってあとやめたからといってその人に罰則を課す必要がどこにあるのです。その人は貧しいから
年金をもらいたいと思って六回一生懸命払った、あと息が続かないで払わない、最も気の毒な人です。それを強制的に入れておいて——
承知で入ったんじゃないんですよ。生命
保険なら解約返戻金を損したって
承知だからしようがない、強制適用で入れてその人が必死の努力をして四、五回払った、あと息が続かない、その
保険料が返ってこない、そんなものは国家の法律による収奪ですよ。そんな
内容がこの
年金法にあるわけです。だから当然
反対運動が猛然と沸き上る、そういう問題について、もちろん即時改正する意思を表明せられなければ
年金についての
国民の協力は得られない。こまかいのをあげればたくさんありますけれ
ども、障害
年金の方で三年間
保険料を払うか、あるいは免除適用で合計で三年にならなければ障害
年金をくれないということになっておる。
政府は、障害には
拠出も無
拠出も一番過酷なんです。ただ障害者の団体が小さいために問題が出てきておらない。それではいけないと思う。二年目に足を自動車事故ではねられた。その人は一体どうして暮らすか。
政府には老齢と障害と遺族の
年金があるということで、それがあれば安心だと思って
保険料をかけている。ところが二年目に足が二つともなくなった、奥さんも子供さんもいる、その人はどうして暮らすのですか。そういう人が一家心中をしなくてもいいように防貧
政策としての
年金があるはずです。それがやはり手数料的に三年間かけていなければ障害
年金がこない。そんなものは
社会保障になっておりません。かけ捨てに対する要求、かけ捨てはいけない、途中で死んだ場合には
保険料を返せという要求があるのは当然である。遺族に対する
給付が非常に不十分だ。寡婦
年金は名前があるだけで、もらえる人はほとんどいない。遺児
年金よりは当然もっと気の毒なのに母子
年金より減っている。母子
年金も子供が十八才をこすとくれない。そんなもので遺族
年金はほとん
どもらえない。これでは生きていればまだましだが、死んだときはつまらぬではないかという
意見は当然出てくる。遺族
年金が完全であれば、かけ捨てに対する批判は減るでありましょう。それをできるだけ完全にし、不完全な部分はかけ捨てを返すということを考えていかなければならないと思います。かけ捨てについて考えをしないよりはましですけれ
ども、そういう問題について遺族
年金を完全にすることも配慮に入れなければなりません。それまでの間もちろんかけ捨てをやめて返すという処置をとらなければなりませんけれ
ども、しかし返すだけではいかぬと思う。もちろんこういう
人たちにも
国庫負担の希望があるわけです。本人の
保険料だけ返せばいいということで片づく問題ではありません。
政府の方の
年金は、
保険料に対して五割の
国庫負担をする、
政府側の
説明によれば非常に不十分でありますけれ
ども、いい制度であります。百円の
保険料を出していただけば、
政府が五十円の
国庫負担を出します、あなたの分を百五十円にして、それを五分五厘で有利に回して、そして合理的にお分けをするのであります、だから御協力下さいとおっしゃるだろうと思います。一応は筋が通っていると思います。ところが
ほんとうには筋が通っていない。その五十円の
国庫負担は
年金をもらえる人にいくわけです。
年金が少ない、あるいはもらえない人にはいかないわけです。そうすると松下幸之助君に対しては完全にその五十円がいくわけだ。非常に苦しんでいる人にはいかないわけだ。しかもその
財源は何か。たばこ税、砂糖税あるいは酒税など庶民が
負担をしている税金も入っております。その
意味においては所得再配分ではなしに、その逆になる。大衆の税金によって松下幸之助君——全部とは言いません、部分的にはそういう部分がある。さっきの三年未満の没収にしても、部分的には収奪の部分がある。せっかく
政府や小山さんが
年金を一生懸命考えたときに、一部分にしろそこに収奪があり、所得再配分の逆な方向があるということであっては、
国民の協力は得られるはずはない。
一般的に
年金問題はむずかしいですから、こういう問題をあげて追及される団体が少ないかもしれません。
一般的な追及は、スライドはどうしているとか、あるいは
運用はどうしているという追及が多いと思います。それは小山さんは耳にタコができるほど各団体から聞いておられると思いますから、あまり聞かれない部分を申し上げたわけでありますが、根本的に言えば、
国庫負担は金持ちへいって、そういう
人たちへこない、そこに現行
拠出年金の一番悪い点があるわけです。大衆の声がその焦点にまだ気がつかないから、少なくとも小山さんとしてはこれは一番悪い点であることを十分に理解されて、そういう点を直すようにしてもらいたい。
〔滝井
委員長代理退席、
委員長着
席〕
次に、さっき申し上げましたスライドの問題であります。さっき小山さんは、滝井君の御質問に対して、経済拡大の方向に従って
年金額を変えると言われた。それは経済拡大だけの問題じゃない。経済は貨幣価値が安定しておる場合でも拡大が起こります。インフレが起こったときも問題が起こる。貨幣価値の変動と経済拡大とはぴったり密着していない。経済拡大だけで考えられたら困る。貨幣価値の変動に従って、その割合に従って、
年金額を完全に改定してもらわなければ、
国民としては安定できない。もちろん経済拡大に従って、
年金額を積極的にふやすことは賛成であります。しかしこの
年金は初めから二%の
経済成長ということで考えておるのです。池田君が九%にしたがっているなら、当然三千五百円を一万円なり一万五千円に変えるのが当然だ。経済拡大の推定がついているのですから……。その問題と別に貨幣価値の変動が起こったときを心配しておる。貨幣価値の変動に従って、その割合に従って、義務的に、即座に
年金額を改定するという条文が法文の中にはっきり入らなければ
国民は納得いたしません。その点は二年前のときから十分に御注意を申し上げておいた。ところがそれをはっきりさせないので、
国民の
反対運動が高まっておる。これからでもおそくないから、即時入るようにしていただきたい。
運用の問題については、滝井
委員もさっき
お触れになりましたが、
山下君も言われましたけれ
ども、母子寮なり身体障害者の寮なり、そういうものにつぎ込むのは当然である。それと同時に、たとえば都会の
人たちなら住宅の建設資金に、あるいはいなかの人であれば、無医村の医療施設を作るためにあらゆる被
保険者の、
国民の役に立つように、その
積立金の
運用をしなければならないと思う。そういう問題について、ずいぶん申し上げましたけれ
ども、
政府側の今の対処の仕方は、このかけ捨てを幾分配慮されるだけでは、非常に不十分である。根本的に考え、そしてりっぱな改正案を次の臨時
国会にでも出されて、
国民の協力を得て、りっぱな
年金ができるようにしていただかなければならないと思う。それをやるには、
国庫負担のつぎ込みが必要だと思う。これは池田君がいみじくも
社会保障が大事であると言った。今
相当に免税点が高くなった以上は、
社会保障が第一であるということを七月に言われた。ところが今は後退しておるけれ
ども、そういうことはわかっておるはずである。言った以上は、
厚生省から総理
大臣や大蔵省を突き上げたらいい。今申し上げたことは
国庫負担をつぎ込まなければできないことが多い。それを強力に推進されなければ問題は発展をいたしません。原局がこんな百分の一くらいの原案では問題は絶対に進まないわけです。どんなにしかられようとも原局は、百のことをするとしたら、百五十くらいの原案を出して、中山君が幾らいくじがなくてもしりをたたいて大蔵
大臣と大げんかをさせる。今世の中で、最初の婦人
大臣として中山君は非常に象徴みたいになっている。その中山君が
意見が通らないときは辞表をたたきつければ、世の中が動くわけです。また池田君も聞かなければならない羽目に陥るわけです。絶好のチャンスです。池田君はやると言っている、
ほんとうはやらないけれ
ども。それをやらせるためには、原局はそのくらいの元気を出さなければならない。
田中君や中山君がいなくて非常に残念ですが、
田中君が来たらもう一回申しますけれ
ども、小山君からもっと積極的な
意見を聞きたいと思う。