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阿部竹松君 私は、
日本社会党を代表いたしまして、ただいま議院
運営委員会の高橋委員長から報告されました佐々木盛雄君ほか四名から提出されました、
国会の審議権の確保のための秩序保持に関するという、めちゃくちゃな悪法案、すなわち、略称デモ規制法案に、社会党の総意をまとめまして、反対の意見をこれから申し上げるものであります。(
拍手)
本法案は、御
承知の
通り、東京都の公安条例を前提として作っておるわけですが、公安条例につきましてかいつまんで申し上げてみますると、
昭和二十三年七月六日のあの福井県大震災当時におきまして、労働組合が救援
運動を
組織して立ち上がりましたので、これを排除するために、当時の
アメリカ占領軍が強力な指示を行ないまして、集会、集団行動などを特に許可制にせしめた福井市公安条例の制定をきっかけとして、全国各地に作られてきたものであります。それが自治体の条例として作られましたということは、同時にまた、国家の
法律として
世界注視のもとで作るということが当時は不可能であったからでもあり、特に、これを作らせたということになりますると、国際的には当時のGHQの占領
政策への批判を生むという
可能性がきわめて強かったのでありまして、他面、国内的にも、デモンストレーションの自由は国民の当然の権利として考えられておったので、各地においてしかるべくそれぞれ制限させるということで、中央
政府自体としては、正面に立って、このようなデモ規制の立法に踏み切ることができなかったからであります。
その後、この公安条例は、各地におきまして、たとえば東京都の蒲田事件、全学連事件、静岡県の条例事件、京都円山事件、川崎市公安条例事件等等、数多くの憲法違反の判決を受けておるのでございまするし、中でも
昭和三十四年十月十三日、東京
地方裁判所において憲法違反の判決が行なわれた東京大学生公安条例違反事件の判決文の中に、次のようなことが述べられてございます。これは判決文の一部ですが、「集会、集団行進および集団示威
運動は、」云々とございまして、「本来国民の自由とするところであって、憲法第二十一条第一項、第二十八条等により基本的人権として保障されているのであるから、条例において、これらの行動につき……
一般的な許可制を定めて、これを事前に抑制することは、憲法上許されないところである。」と、基本的人権の侵害に対し、きびしい批判を浴びせているのは御
承知の
通りであります。(
拍手)
本法案は、ただいまも申し上げました
通り、東京都の公安条例を前提として作っているのでございますが、このように
地方自治体の条例の上に乗った
法律案は、
わが国では空前であり、今後条例を中心として作る法案はおそらく出てこないものだと信じております。しかも、この条例たるや、その概念が広範かつばく然とした、公共の安寧という抽象的な言葉によって、国民の基本的人権をこのように侵害してきたのであって、かくのごとき公共の安寧という名称を悪用して、それを基本的人権に優越させるということになりますと、独裁者の勝手気ままな
判断を制止するものは何もなくなるという状態になるわけであります。また、公共の安寧という抽象的概念によって基本的人権が制限され得るとしたならば、基本的人権は支配者的公共の安寧の前に剥奪されまして、憲法で保障された基本的人権はその実を失うということになりまするし、このような仕方で人権が人権でなくなることは、人間にとって一種の自殺行為であるにもかかわらず、われわれは、あまりにも過剰な公共の安寧という言葉の乱用によって、あまりにも少ない人権の享受に甘んじさせられているという状態になるわけであります。
今回のこの法案ときわめて似た例を二、三拾ってみますと、まず、
わが国の政治史をひもとくならば、まず第一に目に入ることは、自由民権
運動の先覚者板垣退助が、明治二十年八月十二日に、天皇に一万八千余語に及ぶ意見書を出し、専制官僚が、十九世紀における自由の
大勢に抗し、人民を抑圧し、搾取する失政十カ条をあげて、
政府を弾劾したことであります。言論の自由、地租の軽減、対等条約のための闘争、ひんぴんたるデモンストレーションに対しまして、
政府は十一月十日に、屋外集会及び列伍
運動、すなわちデモの取締令を発したのであります。それはしかしながら、効果がございませんでした。集会や列伍
運動で、警官隊との衝突が次から次へと起こったわけであります。これに対して、
政府は突如として、十二月二十五日深夜に保安条例——この条例を今日読んでみますると、きわめて今回の法案と似たところがございますが、突如、保安条例を制定公布、直ちに実施した。この夜から翌朝にかけて全東京の警察官と近衛の連隊が動員されまして、内乱に備えるほどの厳戒のうちに、高知県人の二百三十名を初め、中江兆民、片岡健吉、尾崎行雄等、二十四
府県出身の数百名を一せいに東京から追放したのであります。しかし、片岡健吉君は十五名の同志とともに退去を拒絶しましたので、軽禁錮三年に処せられ、また、長沢、横山、安芸、こういう方々が、黒岩さんとともに、「国家の将に滅亡せんとする、これを傍観坐視するに忍びず、むしろ
法律の罪人たるも退いて亡国の民たる能はず」、こういって保安条例に反対いたしまして、伊藤首相に迫りました。ところが、直ちに逮捕投獄され、国家権力の不正に対し国民抵抗権を行使しましたのが、歴史の一ページを飾った最初であります。また、
日本の資本主義が帝国主義段階に進みまして、支配階級が、
日本は
世界の大国になったとうぬぼれていたとき、彼らの足元には、労働者、農民、市民のこれまでにない大闘争が続々と起こって参りまして、日露戦争のあらゆる犠牲を負わされました。その結果、うっせきしておりました国民の不満は、ポーツマス講和条約調印の明治三十八年九月五日に、東京の全警察の焼き打ち事件となって爆発したわけであります。歴史はこのように、政治権力の弾圧と腐敗に、国民の怒り、大衆の直接行動への原因があることを、かくも深く教えるとともに、常に警察がその弾圧に大きな役割を果たしておるということを証明しておるわけであります。
以上述べましたことから、この
法律の文章上の表現は別といたしましても、政治的な役割、あるいは反動性格は、どなたの目にもはっきりしたことと思うわけであります。
以下、さらに、この
法律案の持つ
法律技術的な疑問点の幾つかを解明いたしまして、この
法律案に反対するゆえんを申し上げてみたいと思うわけであります。
疑問点の第一番目は、先にもちょっと触れましたように、この
法律案が、一
地方自治体にすぎない東京都の条例の存在を前提として立法されておるということであります。このような立法例は、
わが国では、最前も申し上げました
通り、全然先例がございませんし、
委員会での
質問でも明らかになったのでありまするが、これは、この
法律案の生殺与奪の権限を一
地方の自治体のその議会の手にゆだねてしまうという点において、立法
技術としては拙劣きわまりないものであるということはもちろんでありまするが、さらに重要なことは、東京地裁で数々の憲法違反の
判断を受けておるこの公安条例に対して、万一この
法律案が
国会を通過し、成立したならば、国権の最高機関である
国会が、その高い権威で、この条例が違憲でないものとの公的な
判断を下したことになるという点であります。このことは、近く予定されておる最高裁判所におきましての公安条例の最終判決に対し、有形無形の圧迫となるであろうということを、声を大にして強調せざるを得ません。(
拍手)
問題点の第二は、この
法律案全体を流れておる基本的人権軽視の思想であります。憲法で保障されておる基本的人権を制限するには、かの有名なホームズ判事の「明白かつ現在の危険」、これが存在しておらなければならないという
原則は、すでに国際的な
原則として、広く学者や実務家に承認され実行されておるところであります。現に
わが国におきまして、警察官の職務執行の基準でありまするところのいわゆる警職法、警察官職務執行法でも、警察官が国民に対しまして、警告とか制止とかの、その基本的人権にかかわりのある職権を行使しようとする際の要件は、きわめて厳重であり、この「明白かつ現在の危険」の
原則を一応忠実に尊重していると認めてよいと思います。去る第三十
国会における警職法改正案が、
政府与党諸君の熱望もむなしく、一場の夢と消えてしまったのも、その改正案が国民の基本的な人権を軽視する危険な内容に満ち満ちておったことが、国民の各階層の広く深い憤りを買ったからにほかなりません。しかるに、この
法律案は、公聴会における公述人の意見にも一部見られますように、警職法改正案の部分的復活だと言っておるわけであります。また、そう言っても言い過ぎではないと明確にしておる方もあるわけであります。単なる「おそれ」で、憲法第二十一条で保障されておる表現の自由を制約しようとしていること、両議院の
議長が、公安
委員会や警視総監に、その職権を発動すべき旨の要請をするにあたっての要件がきわめてばく然としており、乱用のおそれがあり、かつ、それに対する安全弁的な
規定の一片をも、法案のどこにも発見できないわけであります。なるほど、提案者のおっしゃるように、要請はあくまで要請であって、警察諸機関の権限の発動は、その機関の自主的な
判断によることは、形式的にはまさにその
通りでございましょう。しかしながら、両議院の
議長の連名で、警察諸機関に対し、その権限の発動を要請されたときに、両議院の
議長の地位、その政治的な力から言って、名義は要請であっても、実質は命令に近いものになるであろうということは当然予想されるところであります。問うに落ちず語るに落ちたというたとえの
通り、提案者の説明の中にも、実はそれがこの法案のねらいなのだと解される節があるわけであります。しかも警視総監に対する両
議長の要請がありさえすれば、警察官は、警察官職務執行法第五条の要件を待つまでもなく、国民に対し、警告を発し、さらにその行為を制止することさえできることになっておる法第五条第二項の違憲性は、あまりにも明白でございまして、説明の必要はないわけでございます。
疑問点の第三は、両議院の
議長は、国
会議事堂周辺道路で、何月何日、どのような
団体のデモ等が行なわれるかについて都の公安
委員会の許可がなされた事実、許可の条件等を知り得るすべが、この法案のどこにも明示をされてございません。提案者の説明では、事実上の連絡を密にして万遺憾なきを期するとのことでございますが、いやしくも国権の最高機関の長たる両議院の
議長が職権を行使するのに、単なる事実上の連絡だけで動くというのは、軽卒のそしりを免れないと思うわけであります。水鳥の羽音にあわてふためいた平家の軍勢のようなことにはならぬかを、両院
議長及びこれらを補佐すべき立場にある
人たちのために
心配するものであります。
さらに、もう
一つ、この法案がいかにずさんに立案されたものであるかという一例を申し上げるわけですが、この法案によりますると、両院
議長が公安
委員会等に要請をするのには、両院
議長の意見が一致しなければならないことになってございます。しかしながら、たとえば参議院の緊急集会中は、衆議院は解散で、
議長、副
議長はもちろんのこと、議員は一人もおらないという状態になり、いわば衆議院はあき屋同然の状態になるわけであります。この場合にも、法案を文字
通り読みますると、両議院の
議長の意見の一致が必要となって参ります。この点を追及してみますると、提案者は、「
議長及び副
議長が
選挙されるまでは、事務総長が、
議長の職務を行う」という
国会法第七条を引用して、参議院
議長と衆議院の事務総長が協議するのだとの説明でございます。
国会法第七条の立法の
趣旨が、とんでもないように解釈されておるのは、お聞きの
通りでございまして、
国会法第七条によりますると、
議長、副
議長が欠けた場合に、その
選挙管理事務の執行にあることは、諸君御
承知の
通りであります。
法律の解釈にある程度幅のあることは私もよく
承知しておりまするが、これはあまりにもひどい拡張解釈で、事務総長を無理に政治的な争いの渦の中に引きずり込むことになるであろうことを憂えるものであります。この法案の立案者は、その立案の過程では、参議院の緊急集会の場合など、おそらく眼中になかったでございましょう。少なくとも、考慮の対象にされていなかったことだけは確かであろうと思います。これを取り上げて、大げさに参議院軽視だなどと申し上げようとするものではございません。ただ、いかにこの
法律案がそうそうの間に立案された、いわば穴だらけの
法律案であるかということの一例として、私は申し上げたにすぎないわけであります。
以上のほかに、この
法律案と都の公安条例との表現の食い違いが随所に指摘できるわけでありますが、この食い違いの結果、
法律を運用するためには、公安条例を極端に拡張解釈したり、場合によれば、条例自体をこの法案の表現に合わせて改悪される危険性をはらんで参ったのであります。
この
法律を作って国民の行動を規制せんとする現在の
日本の政治状態は、しからばどうかと申し上げますると、第一に目につくことは、
選挙違反がきわめて多いことであります。公職
選挙法が
昭和二十五年に施行されて後の衆参両院の
選挙において、最も悪質だと言われる買収と利害の誘導による違反を、ためしに数字によって申し上げてみますると、
昭和二十七年十月の第二十五回より三十三年五月の第二十八回までの四回にわたる衆議院総
選挙においては、検挙件数が四万五千六百三十件、検挙人員が八万七千二百四十四名、また
昭和二十五年六月の第二回より三十四年六月の第五回までの四回にわたる参議院通常
選挙では、検挙件数九千九百八十一件、検挙人員一万九千九百九名と、全く驚くべき数字に達しておりますが、これは
選挙違反の全部の数字を申し上げておるのではございません。最も悪質な違反である現金による買収と利害の誘導によって犯した違反の数字のみを申し上げておるのでございます。議会政治の破壊者というものは、外から陳情請願にくるデモ隊であるか、院の中におって悪質な
選挙運動によって議席を占めた者であるかということを、静かに
判断をしたいわけであります。(
拍手)特に参考までに、多くのスクラップがございまするが、一例をとって申しますると、東京一区選出自民党議員某々氏の
選挙運動を行なった自民党某々氏は、事前
運動の新聞等をばらまいて起訴され、懲役一年の求刑があったこと等とか、枚挙にいとまないほどあるわけでございます。しかし私は、それをここで論じようとは思いません。ただ、政治のあり方というものは、国民とわれわれが両々相待って、正しい政治、正しい行動をしなければ、いかに
法律を作ってもだめだということを申し上げておきたいわけであります。(
拍手)自民党の総裁である
岸総理は、口を開けば国民に向かって順法精神を説きます。しかしながら、このように法を犯して大規模かつ悪質な
選挙違反に対して罪を問われる者は、その大部分は今申し上げた
通りでございまして、この腐敗に対する民衆の怒り、ベトナム賠償、戦闘機機種選定事件、あるいはさらに、
日本を
アメリカの従属下に陥れつつある両岸外交への国民のふんまん、そして国民大衆の完全独立への念願が、
安保条約改定の反対へとかり立てられた結果、昨年十一月二十七日の
国会に対する集団的陳情請願となって現われたと思うわけであります。腐敗せる政治の連続は、力の政治で
法律をもってある程度押えることができるでありましょう。しかしながら、力をもって大衆を押えるという政治は、時日の問題であって、力の政治は永遠に続くものではございません。万里の長城を作った秦の始皇帝は、この長城の中から破れ、長城の中から追われたのでございますが、この
法律によって、秦の始皇帝のごとく、最後はみずからの力をもって大衆を
国会に寄せつけず、その身を白亜の殿堂の中において守ろうとするものがあったならば、歴史は繰り返す。最後は国民から追われる立場になるでありましょう。自民党の松村謙三さんが、現在の政治は権力政治であり、金権政治であるから、いかなることがあったとしても、これを是正する闘いを起こさなければならないとおっしゃっております。
本法案は、昨年十二月、佐々木君が参議院の本
会議において提案されると同時に、松野
議長より
趣旨説明の際、一部の取り消しを命ぜられ、
委員会においては再三再四答弁内容の変更を行ない、陳謝しなければならない等、法案の不備は
委員会において明確になったわけであり、遺憾千万なことであると言わざるを得ません。
委員会において審議が続くごとに、明確な答弁を欠く回数が増加して参りました。これ以上論議を続けるならば、その醜態を天下にさらすと感じた結果でございましょう。わが党が今後もう一回か二回のわずかの
質問の続行を申し入れたわけでございまするが、強引に打ち切ったのも、ここにあると断言できまするし、いまだ会期が二ヵ月近くもあるのにもかかわらず、審議権確保の法案が審議未確保のまま打ち切られたのは、ここにあると明言するものであります。(
拍手)議会史上遺憾千万と言わざるを得ません。