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1960-04-19 第34回国会 参議院 文教委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十五年四月十九日(火曜日)    午前十時二十七分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     清澤 俊英君    理事            安部 清美君            北畠 教真君            吉江 勝保君            加瀬  完君    委員            剱木 亨弘君            杉浦 武雄君            野本 品吉君            岡  三郎君            千葉千代世君            豊瀬 禎一君            柏原 ヤス君   国務大臣    文 部 大 臣 松田竹千代君   政府委員    外務省情報文化    局長      近藤 晋一君    文部大臣官房長 天城  勲君    文部省初等中等    教育局長    内藤誉三郎君    建設省計画局長 関盛 吉雄君   事務局側    常任委員会専門    員       工楽 英司君   説明員    文部省初等中等    教育局視学官  内海  巌君    文部省初等中等    教育局教科書調    査官      太田 和彦君    文部省管理局振    興課長     平間  修君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○教育文化及び学術に関する調査  (宗教法人並びに学校法人に対する  下水道受益者負担金に関する件)  (教科書問題に関する件)   —————————————
  2. 清澤俊英

    委員長清澤俊英君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  先日の委員会におきまして、すでに御報告、御承認をいただいてきましたように、本日は、まず、宗教法人及び学校法人に対する下水道受益者負担金に関する件について調査いたし、次いで、教科書に関する諸問題について調査を進めていくことにいたします。  なお、本日は政府側より、平間振興課長太田主任調査官内海視学官関盛建設省計画局長が出席いたしております。  それでは最初に、宗教法人及び学校法人に対する下水道受益者負担金に関する件を議題といたします。  質疑の通告がございますので、この際発言を許します。
  3. 北畠教真

    北畠教真君 近時、各都市におきまして下水道実施に際し、学校法人並びに宗教法人に対して受益者負担金を付加徴収しておる。こういう問題については、われわれといたしましては、私立学校建前上、または宗教法人建前上、受益者負担金というものをとることが、はたして妥当であるかどうかというような問題について考えさせられておるのでございます。ついては、学校法人及び宗教法人国税地方税適用除外を受けておるのでありますが、この根本理由というのはどこにあるかということを、一つ文部省にお聞きいたしたいと思います。
  4. 平間修

    説明員平間修君) この受益者負担の問題につきましては、都市計画法に基づきまして、都市計画下水道受益者負担に関する建設省省令制定されておる市には、市の中でかかっておるものがあるわけでございます。で、私たちとしましては、これを全面的に適用除外するというようなことは非常に望ましいことではございますけれども、種々の関係がございますので、せめて、これの減免措置という程度のことはぜひ考えたい、こういうようなことで、中にはこの受益者負担の課税されておらない市もございまして、何らか今後の交渉によりまして、そういう現在課税されておるところ、今後課税されるようなところについては、建設省とも交渉いたしまして、できるだけそういう減免措置というようなことがされるようにいたしたい、こんなふうに考えておる次第でございます。
  5. 北畠教真

    北畠教真君 私の今お尋ねしたのは、学校法人及び宗教法人国税地方税適用除外ということが法律にうたってありますが、この根本理由はどこにあるのかということなんです。国税地方税が除外されておる根本理由というものが那辺にあるか、根本精神がどこにあるかということを第一にお答え願いたいと思っております。
  6. 平間修

    説明員平間修君) 国税及び地方税学校法人等に免除されておる理由につきましては、こういう学校法人というものが、その行なう事業活動によりまして文化の向上やその他公益の増進に寄与することが著しい、こういうふうに考えられますので、そういうものに対して免除する、こういう趣旨であろうかと存じます。
  7. 北畠教真

    北畠教真君 いずれにしましても、学校法人、これは国家の委託を受けて民間が事業を行なっておる、こういうふうに解しても差しつかえないと思っております。また、宗教法人精神生活上に及ぼす国民への影響というようなことを考えてみますると、これまた見のがすことのできない大きな問題が含まれておる。ついては、私立学校保護の面から、または宗教法人保護の面から、国税なり地方税適用除外ということになっておる、こういうふうに私は思っておりますが、ただいま課長のおっしゃるように、私も強くそれを感じておるわけでございます。ところが最近、都市計画下水道受益者負担に関する建設省省令によって、学校法人及び宗教法人もその負担対象となっておるその実情をお知りでございますか。
  8. 平間修

    説明員平間修君) 現在私たちのわかつております範囲におきましては、仙台初め六つの都市におきまして、この排水区域内にある土地所有者といたしましてかかっておるようでございまして、ただし土地状況によって特に負担減免する必要があると認められる場合は、この六市におきましても減免されておるように承つております。この六市におきます学校法人で申しますれば、大体七つばかりの学校法人が現在負担しておる、こういう状況に承知しております。
  9. 北畠教真

    北畠教真君 要するに、学校法人並びに宗教法人負担対象になっておるということはお知りのようですが、こういう建設省省令なんかの出される場合、文部省建設省相談を受けたかどうか、こういうことをお伺いしたい。
  10. 平間修

    説明員平間修君) この点は、一々については必ずしも受けておらないように承知しております。
  11. 北畠教真

    北畠教真君 では受けたこともあるのでございますね。
  12. 平間修

    説明員平間修君) ずっと前のことはよく今ここではっきりわかりませんですけれども、最近においてはちょっとないようでございます。
  13. 北畠教真

    北畠教真君 最近におきましては建設省相談は受けたことはない、こうおっしゃるのですね。
  14. 平間修

    説明員平間修君) そのように記憶いたしております。
  15. 北畠教真

    北畠教真君 では建設省お尋ねしますが、都市計画下水道事業受益者負担に関する省令で、宗教法人及び学校法人減免条項に明確に規定されておるのは、どの省令ですか、お示し願いたいと思います。
  16. 関盛吉雄

    政府委員関盛吉雄君) ただいまの都市計画事業実施によりまして、著しく利益を受けるものが負担義務者となります制度がこの受益者負担金制度でございまして、これはただいまお話のように、都市計画法施行令によりまして建設省令公布をすることに定められておるのでございます。ただいま御指摘になりましたように、関係の市につきましては、この省令実施されておりまして、お尋ね負担金減免に関する条文を持っておる市が大部分でございますが、その負担金減免につきましては、土地状況により特に負担金減免する必要があると認められるものにつきましては、減免をするということが市長においてできるという道もできております。
  17. 北畠教真

    北畠教真君 そうしますと、現在、都市計画事業下水道事業ですね、受益者負担省令によってされておる市はどのくらいですか、それから省令によらないものは……。
  18. 関盛吉雄

    政府委員関盛吉雄君) ただいま省令によって実施すべきものでございますが、この省令は岡山市ほか五都市につきまして受益者負担措置規定しておるわけでございます。省令によらないものは、これはこの都市計画法受益者負担といういわゆる制度ではないのでございます。
  19. 北畠教真

    北畠教真君 省令によらないもので受益者負担、こういうことがありますか。
  20. 関盛吉雄

    政府委員関盛吉雄君) 都市計画法による受益者負担金は、省令によってやるのが建前になっております。
  21. 北畠教真

    北畠教真君 省令によらない受益者負担というのはないわけですね。
  22. 関盛吉雄

    政府委員関盛吉雄君) そうでございます。
  23. 北畠教真

    北畠教真君 では省令は、当該都市要請に基づいて定めるのか、それとも建設省独自の立場からおやりになるのか、その点を一つ
  24. 関盛吉雄

    政府委員関盛吉雄君) この省令施行令規定によりまして、御存じの通りに、建設省関係市町村意見を聞きまして、都市計画審議会の議を経まして定めるのでございます。実際の手続状況は、関係市町村長から建設大臣省令公布の事前の審査を申し出まして、その上で、正式にこの十条の規定によりまして、建設省市町村長意見を聞きまして、各都道府県都市計画審議会がございますので、その審議会の議を経まして建設省令公布しておる、これが実情でございます。
  25. 北畠教真

    北畠教真君 そうしますと、都市から要請があって省令を出すというような格好になっておるのですか。
  26. 関盛吉雄

    政府委員関盛吉雄君) この省令の実際の公布手続及びその動機は、お尋ねのような動機でございます。
  27. 北畠教真

    北畠教真君 先ほど省令をもって定めるのが常道であって、条例で定めるということはないというようなお言葉であったのでありますが、条例で定めるところが全国にあるのではないか、こういうふうにも感じられますが、その点はいかがでございますか。
  28. 関盛吉雄

    政府委員関盛吉雄君) ただいまお尋ねの、都市計画法の第六条第二項の規定によりまする受益者負担金は、これは政令でその手続規定しておりますのが、省令によることになっておりますので、これは省令以外にはないのでございます。
  29. 北畠教真

    北畠教真君 省令以外に条例によってやっているというのは絶対ない、こういうことですね。
  30. 関盛吉雄

    政府委員関盛吉雄君) ただいまの条文に該当する受益者負担金につきましては、ないと申し上げてよろしいと思います。
  31. 北畠教真

    北畠教真君 地方税法では、その公益性を認めて、本税が非課税となって、学校法人宗教法人に対して第二義的な受益者負担金を課するということは妥当でないように思われてならないのです。しかし今までの建設省お話によると、はなはだしき利益を受ける者に対しては、負担金を課してもいいんだというようなことを仰せられておりますが、私たちとしては、地方税というものから考えてみて、宗教法人並びに学校法人というものは免税されておる。こういうものに対して二重の負担をかけるということは、地方税法制定精神からみてもはずれておるのではないか、こういうことは好ましいものではないというふうに感ずるんですが、この点については、建設省はどういう意見を持っておられるか。宗教法人とか学校法人地方税法では免税になっておる私立学校を保護する、宗教法人を保護するという法律建前は無視しても、この問題についてはどしどし負担金を取るということが妥当であるというふうにお考えになっておるのか、はたまた、法律制定精神にのつとつていくならば、そういうことはやらぬ方がいいというふうに私考えるんですが、その点について建設省の御意見を伺いたいと思います。
  32. 関盛吉雄

    政府委員関盛吉雄君) ただいまのお尋ねの点は、受益者負担金制度租税政策の問題について、結論を違つた方向で出しておるように思うがどうか。こういうことにも関連いたしておると思うのでありますが、この受益者負担金制度は、要するに租税政策上の問題とはまた別個の観点から、利益を受ける者、特に都市計画事業によって受益者負担を課するのは、著しく利益を受ける者が、その利益を受ける限度において負担金を納付するわけでございまして、その意味から参りますと、その対象物件が、あるいはその対象物件を使用、収益しておる人たちが、国税法上の免税の特典を受け、あるいはまた、国あるいは地方公共団体から補助金の交付を受けておるといたしましても、そのこととはまた別に、応益主義利益を受けるということによっていわゆる判断さるべき公平の観念から律して参って定められる、こういうふうにわれわれ考えておるのでございます。従って、国等が持っております施設につきましても、また地方公共団体が持っております施設につきましても、受益の存する限度におきましては平等に負担をするというのが、この受益者負担制度建前になっておりますので、従って、これは租税政策の問題、また、国の補助金政策の問題とは別に、利益を受ける限度という限りにおいては、平等にこれを負担すべきものであるというのが負担金制度建前であろう、こういうふうに考えております。ただ、もっとも、先ほど申しましたように、学校法人等、それらが持っておりますところの土地利用状況等によりまして、それがもつぱら下水道関係事業につきましては、その土地利用が、ただ雨水を排水するということで、汚水の排水には関係のないような土地利用状況であるという場合につきましては、この減免ということによって受益の公平ということをはかろうというのが、この減免条項が定められておる理由、こういうふうになっておる次第でございます。
  33. 加瀬完

    加瀬完君 ちょっと関連して。今、局長さん、この受益者負担内容として、受益する者の公平の原則とかいろいろ述べられましたが、しかし、現在の建設省で行なっておる受益者負担は、今御説明のような内容にはなっておらない。たとえば、原つぱのまん中や、たんぼのまん中に国道ができる、それは、東京なら東京からある地方都市を結ぶ国道だとすると、その途中の田畑はつぶされましても、一つもその田畑所有者やその地域の者は受益者じゃないです。あるいは、都市計画は別ですが、府県道側溝などの工事をする、そのためにまわりの畑を持っておる者が、拡張されるために幾分か土地を提供する、で、側溝やあるいは舗装工事をする、こういう場合、耕作者そのもの一つ受益者じゃないです。むしろ受害者です。個人的にいえば。しかし負担は、今のように公平でなく行なわれているのです。で、税金を出しているのですから、地方税国税を納めているのですから、国道にしても、府県道にしても、あるいはまた都市計画なんかの場合におきましても、都市計画税というのは払つているのです。その払つている税金の中で、都市計画事業——都市計画は一歩譲るとしましても、少なくも建設省が主として考えている道路とか、あるいは今言つた下水とか、こういった問題でも受益者負担という性格はだんだんなくしていかなければ私はうそだと思う。ですから今、北畠先生が御指摘のような問題が起こる。税金だけでまかなっていれば、免税されているのですから、これは問題ないです。一番大切な地方税関係においても、ゆるめられているワク受益者負担ということで今度はかぶせてくる、そこに不公平があるわけです。公平じゃないです。直轄河川などにしても同じですよ。利根川上流の方で多目的ダムを作るときに、千葉県や茨城県の全然利根川関係のない者も個人的に負担をするという形になる、これは不合理なんです。この不合理をだんだん直していく傾向に一応自治庁なども考えておる。建設省もこれと歩調を合わせてくれなければ困る。根本的に、基本線としては受益者負担とするという制度をどう考えておるかということを私は聞きたい。公平の原則なんというものは現在受益者負担内容の中にありませんよ。この点どうです。あわせて自治庁もどういう考えか、お聞きしたい。
  34. 関盛吉雄

    政府委員関盛吉雄君) ただいまの御質問は、都市計画法以外の道路法河川法等についての受益者負担金制度をまず最初お話しになったわけであります。河川道路につきましては、河川法なり、あるいは道路法なり、その他鉱物関係建設省の法規の中には、それぞれこの工事によって著しく利益を受ける者が、道路につきましてはこの道路の管理をする者が、利益を受ける限度において、ピープル——団体負担じゃなくて人々から、受益工事の一部の費用を負担させるということについての制度があるわけでございます。この制度は、これは条例でもって定められるのでございます。ただいま私が、最初質問を受けまして御説明申し上げております都市計画事業受益者負担金とは、その立て方が若干違つております。それから第二段の御質問にありました利根川河川改修のような場合に、この河川受益関係府県にまで負担が及んでいるというお話は、これは数府県にまたがるような直轄工事実施いたします場合に、その直轄工事実施によって、たとえばダム等上流地点において構築される。で、直轄事業原則として当該年度全部国が経費負担いたしますけれども、そのうち一定の負担率地方公共団体が納めるという形になっております。その地方公共団体負担分のかけ方について、上流当該工作物の改築を行ないます所在地の府県のみならず、その下流の府県にまでいわゆる直轄事業実施に要する経費の一部が賦課される、そのことの御質問のように伺つたのでございますが、これは負担金の問題でありまして、ただいまお話し受益者負担金とは少し違つておるのでございます。受益者負担金全体につきましては、公平にわれわれ運用するというのが建前であると考えておりまして、下水道事業のように、各市町村営造物として設置いたしまして、そうして整備を促進しようという建前でできておりますものにつきましては、やはりあとう限り一般財源でもってこの施設を整備するという方向が一番望ましいわけでございますけれども、受益者負担制度によってさらにこの事業を促進し、また、賦課徴収も公平を期せられる限度においては、この制度はやはり存続する必要があるのじゃないか、こういうふうに考えております。
  35. 加瀬完

    加瀬完君 局長、しろうとにものを言うような御説明は要りませんよ。われわれは十分わかつているのです。わかつておって、住民がその負担に苦しんでおる面があるから、北畠委員も私もまた重ねて御質問しているわけです。直轄河川分担金とか、それから都市計画事業以外の受益者負担というものの性格を言えば同じようなものである。建設省自体考え方が何でも応益原則ということで、受益があるものは当然負担すべきだというような立場が非常に強い。しかし税金を払つているのだ。われわれが税金一つも払つておらないから、こういう税金のかわりに、こういう大きな工事をやるからお前ら負担せよというなら応益負担受益者負担ということもあり得るだろう。税金を払つておって、税金のほかに受益者負担制度という、都市計画にとどまらず、あらゆる建設省事業にくつついている。こういうくつつけ方というものをそろそろ変えていかなければならないのじゃないか。特に直轄河川、それから直轄国道——一級国道なんかにいたしましても国が全面的にやる性格のものなんです。これに府県負担分とか、あるいは府県負担分でしよい切れなくて、その一部を沿道の受益者負担として寄付金を集めるということは建設省は十分知っているはずです。そういうことは今後どうしていくかということが問題である。こういう点を私は指摘しているのです。それに対してのお考えを伺いたい。  それから都市計画にいたしましても、都市計画区域外の者が全部平等にこれは受益しているわけじゃない。受益の中にも、これは減歩率にいたしましても、それぞれの利益に応じて区分はありますけれども、その区分以外に、たとえば学校法人みたいなもの、あるいは宗教法人にいたしましても、何も宗教法人自体が、学校法人自体が、つまり側溝を作つてもらわなければ学校経営できないというものでもない、宗教法人が維持できないというものでもない。しかしながら、地域全体が都市計画になるから含まれて受益者負担という大ワクでかぶせられるから、受益者負担という形に好まざるにかかわらずさせられている。こういうものに対して千遍一律に、お前は受益者だという応益原則適用という考え方はおかしいじゃないか。どうも建設省のやり方には、単に今、北畠委員指摘するような都市計画の問題だけでなく、あらゆる面において必ず受益者負担みたいなものをくつつけている、ここに問題があるんじゃないか。こんなことをやっておつたら結局仕事なんか能率は上がりませんよ。受益者負担の不合理というものは幾らでも出てくる。当然の受益者負担と、都市計画のようなはっきり好んで都市計画をやってもらうところは別だけれども、受益者負担を出す何の意思もなければ、それから何の受益者負担という利益が裏づけられないものにまで受益者負担というものをかぶせて、一律に律するということは問題じゃないかと私は思っておつたんです。ですから、この点何か御研究、将来のお見通しというものをあわせてお答えをいただきたい。
  36. 関盛吉雄

    政府委員関盛吉雄君) ただいまお尋ね事業の遂行に要するその財源というものの中において、受益者負担がどのくらいの割合を占めておるかということは、公共事業全般につきましては、私ちょっと資料を持っておりませんが、公共下水道事業だけについて、昭和三十二年の資料で、お手元にございますので申し上げますと、都市計画実施いたしております公共下水道財源のうち支出されております受益者負担金は全体の〇・六%という状況になっております。全体といたしましては、建設省といたしましても、もとより受益者負担金というものを相当に期待して事業考えておるわけではないのでございます。都市計画事業以外の道路等につきましては、国からそのような負担金を想定しながらやっておるというわけではなくて、当該市町村が特別に条例の定めによってそういうことを設けておるわけでございますので、そのような場合には、ただいまお尋ねのような真に公平を期し、また条例制定によって、それが議会における住民意思が十分反映できるような形で審議可能なものについてのみ実施せしめるよう指導いたしております。都市計画事業につきましては、この都市計画税というものがありますけれども、これは都市計画法適用されておる全体の区域から徴収する税でございまして、都市計画事業として行ないます都市計画施設は、全体の都市計画区域について施設が整備されていかないのが実際の段階でございますから、下水道の場合でありますと、その下水道事業化によって現実に排水が行なわれる区域からその負担区を選びまして、工事の着手の時期から徴収するように規定しておるというのが実情でございます。
  37. 加瀬完

    加瀬完君 これで終わりますけれども、ですから三重負担になるということを建設省で御研究いただきたいんですよ。税金を払つておるんでしよう、一般地方税を払つているんでしよう、それから都市計画税を払うでしよう、それから分担金とか、寄付金という形で受益者負担というものを払うでしよう、ここに不合理がないかというんですよ。逆に言えば、仕事をやる上には受益者負担というもの、あるいは特別な寄付金というものを待たなければ下水道なり、あるいは側溝工事なり、路面の舗装なりというものはできないという予算の組み方、計画に、もっと建設省考えてやるべき点があるのじゃないか。あなたは下水道についての受益者負担は〇・六%だと言いましたけれども、公共事業のほかに、その他の土木事業というものが区分けの中に、地方財政の中にあるわけです。その他の土木事業の中で寄付金負担金等に類するものですね。税負担でない寄付金負担金等の総計というものは一五・七%になっておるんです。昭和三十三年は〇・六%なんという小さい数じゃない。下水なら下水と限定して負担金がどうというようなことではなくて、地方住民があなた方の計画によってどれだけ税金以外の持ち出しがあるかということを考えて、特に今指摘されているような、直接受益者と認めるのに若干考慮を要するような対象に対しては、これはやはり考えてやる。こういう方法を講じてくれなければ困る、それだけ希望を申し上げておきます。
  38. 北畠教真

    北畠教真君 先ほど建設省説明によりますと、国立のものであるとか、公共団体のものに対しても分担金はかけているというようなお話でありますが、これは国にいたしましても、地方の市等にいたしましても、徴税というものを中心にいたしておりますために、何かの理由により徴税をなし得て、これを補てんすることができる。こういうふうに考えられまするけれども、非常に経営に困っておる学校法人であるとか、または困窮にあえいでおる宗教法人というようなものは補てんの道がないのであります。そういたしますと、貧困による生活のために、受益者負担というものを免除されておる省令もあるようでありますが、こういう面についてのお考え宗教法人並びに学校法人適用できるかできないか。国であるとか、または公共団体というものは徴税権を持っておる、補てんの道を持っておる。しかし、経営に四苦八苦している学校法人とか、または困窮にあえいでおる宗教法人というものは補てんの道がない。こういう点は、国の貧困者に対して免除措置をとられておるような方法をとられるべきではないか。こういうふうに考えておるのであるが、建設省の御意見はどうですか。
  39. 関盛吉雄

    政府委員関盛吉雄君) ただいまのお尋ねのように、個人にいたしますれば貧困により生活のために公費の扶助を受けておる、そういったもの、その他これに準ずる特別の事情がある場合には負担金減免規定を持っておるというのが、各関係の市の負担金省令になっております。従って、現実にそのような事態の団体におきましては、市長が実際上の措置ができる。こういう道が開かれておりますことを申し上げておきます。
  40. 北畠教真

    北畠教真君 もちろん市長にいろいろな権利があるように御説明になっておりますが、建設省の指導は、学校法人であるとか、宗教法人に対してはとるなというような指導をなすつておるのか、その点をあわせてお聞かせいただきたい。
  41. 関盛吉雄

    政府委員関盛吉雄君) 受益者負担金制度は、やはりあくまでも当該受益者に対しまして著しく受益の存する限度において徴収可能なものについて徴収する。こういうわけでございますので、その手続も、単に理事者だけが定めるというのじゃなくて、都市計画審議会という各方面の御意見を聞きまして、住民意思を反映して定めるわけでございます。しかしながら、ただいまのような、われわれの方では受益者であれば適正に徴収方式を定めるべきでありまして、従って、この負担金の額等につきましても省令でその限度を定めております。従って、ただいまお尋ねのような、どしどしとれというふうなことは絶対に指導しておりませんが、また宗教法人であるということでもってこれを減免するという指導もちょっといたしかねるので、いわゆる宗教法人等、特別の土地利用状況が、この下水のような事業につきましては多いのでございますので、そういったような場合につきましては、事柄の性質上、減免の具体的な、適切な措置に応ずるようにということは関係の市に申している次第でございます。
  42. 北畠教真

    北畠教真君 法的な意味合いはよくわかりまするけれども、実際上の問題としまして、国の委託を受けてやっている学校法人は、教育上の公的なものの仕事なんです。また、宗教法人というようなものに対して、なるべくとらぬようにしろというような御指導があってこそ、宗教法人並びに学校法人を国家が認めている基礎になるのじゃないか、こういうふうに思うのですが、どうも法の建前上、学校法人とか、宗教法人には負担金をとるなというような指導もしにくいというような御意見のようですけれども、しかし、実際上は国の代理をやっている、または日本人の宗教生活、または社会生活、精神生活上必要な宗教団体というものに対しては、なるべく私はとらぬようにしていったらどうかというような御指導ができるんじゃないかと私は思っている。それが依然として、法律はこうだから、それも言いにくいというようなことは、私自身としてはどうも合点しかねるのでありますが、いずれにいたしましても、学校法人宗教法人に対しましては、これらの負担金を撤廃する、あるいは軽減するというような指導方針が建設省においてとられるかどうか、とつていただけるかどうかということを私はお尋ねしたいと思うのです。
  43. 関盛吉雄

    政府委員関盛吉雄君) ただいまのお尋ねでございますが、これは各自治体がそれぞれ定めて実施することでございますが、建設省令として公布いたしておりますので、できるだけ実情に即応するように、負担金の徴収、運用をはかるべきであるということは指導して参りたいと思っております。
  44. 北畠教真

    北畠教真君 建設省令第二号でございますが、仙台都市計画下水道受益者負担に関する省令というものがありますが、「市長は、受益者が次の各号の一に該当する者である場合においては、その負担金減免することができる。」、次に、「土地状況により特に負担金減免する必要があると認められる者」、こういうふうに書いてありますが、もちろん市長が権限を持つというふうに省令の中ではきめられておりまするけれども、建設省の指導いかんによってはこの点が十分徹底するのじゃないか。たびたび申しますように、学校法人宗教法人というような者に対して国家が減免する。こういうものに対する精神からながめましても、何とか負担金を撤廃するというようなことが望ましいのじゃないか、こういうふうに私感じるのでありますが、この点が、どうも建設省の気持として撤廃というようなことは自分自身から指導しにくい、市長にまかしてあるのだ、こういう御意見だと思いますが、文部省はそれでいい、こういうふうにお考えになっていますか、どうですか。
  45. 平間修

    説明員平間修君) 適用除外ということは非常に望ましいことだと、何とか私たちとしてはそういう方向に持っていきたいという気持はあるのでございますけれども、今お話が出たような根本的な問題がいろいろあるようでございますので、できるだけ今後ケース・バイ・ケースによりまして、少なくとも減免という措置はさしあたりとつていきたい。将来はいろいろ私たちとしても、建設省のお考えもあるでしょうから、いろいろお話し合って研究していきたい、こういう考え方でございます。
  46. 北畠教真

    北畠教真君 先ほど文部省の方は、近ごろそういう相談を受けたことはないというようなことをおっしゃっておりましたが、今後は文部省当局並びに建設省、十分審議を尽くされて、なるべく民衆の要望にこたえる、学校法人宗教法人の要望にこたえるというふうな態度をとつてもらいたい、こう思うのですが、この点については文部省並びに建設省の従来の連絡不十分であったことを私は非常に遺憾と思っておりますが、今後は文部省並びに建設省ともどもに相談し合って、学校法人並びに宗教法人に対する負担金を撤廃するなり、また減免するという方向に持っていっていただきたい、こういうふうに思うのですが、その意思がありますかどうか。建設省並びに文部省から……。
  47. 関盛吉雄

    政府委員関盛吉雄君) この負担金条文並びにその実施につきましては、ただいまの御質問、御意見のように、現実に徴収をする側の立場に立ってこの運用を考えなければなりませんし、また条文規定がありましても、具体的に実情に即応するような運用もさらにとくと指導して参りたい、こういうように考えております。従って、関係省との連絡も十分今後ともいたしたいと思いますし、その実際の運用につきましても、御意見のあるところを十分尊重して参りたい、かように考えております。
  48. 平間修

    説明員平間修君) 今、関盛局長からの話も出ましたように、やはりわれわれとしては、そういう学校法人自体の方からも聞くというようなことも考えなくてはなりませんし、一々省令が出たからといって必ずしもかかるという場合もございませんので、そういうようなものはよく指導いたしまして、十分その連絡は積極的にこちらからやって、なるべく御趣旨に沿うようにいたしたい、かように考えております。
  49. 北畠教真

    北畠教真君 最後に、これはお願いしておきますが、先般、仙台に参りましたときに、私立学校の連合体でありますが、非常に苦衷を訴えられて、何とかやってくれないか、また、あちこちに参りましても、そういう意見を非常に聞くのであります。学校経営に四苦八苦やっておる学校法人並びに困窮しておる宗教法人というものに対しては、特別な政府のあたたかい考慮が必要じゃないか。また、これが対社会的に及ぼす学校法人の使命、また宗教法人の使命というようなことを考えられて、国家全体としてやはりこういうものを尊重していくということでなければ、人心生活上または学校教育という面から非常に遺憾なことがあるのではないかと思うのであります。どうぞ将来は建設省並びに文部省ともどもに相談し合って、撤廃あるいは減免方向にすべてを指導していただきたい、こういうことをお願いしまして私の質問を打ち切ります。
  50. 清澤俊英

    委員長清澤俊英君) 学校法人並びに宗教法人下水道受益者負担の問題は、これで打ち切つていきたいと思います。   —————————————
  51. 清澤俊英

    委員長清澤俊英君) 次に、教科書に関する諸問題について調査を進めていくことにいたします。
  52. 野本品吉

    ○野本品吉君 前の委員会で私は教科書に関するいろいろな問題について御質問申し上げたのでありますが、きようは、前回の委員会における加瀬委員の御質問に対する当局の答弁、それに関連いたしまして教科書の検定の問題、なお、それに付随いたします採択の問題と、それから私がこの前大きく取り上げました教科書を通しての国際理解の問題、この三点についてなるべく簡単に質問したいと思います。  最初に、教科書検定の問題が最近非常に大きな問題としてクローズ・アップされてきておるのでありますが、この問題を考えますときに、一応私どもはその経過について考えてみておるわけです。大体、教科書問題の今日に至る経過を考えますというと、最初この問題が取り上げられたと私に印象を与えておりますのは、十二月の「アカハタ」に、徳武敏夫氏が「皇国史観で貫かれる教科書検定」、こういう題目でいろいろと文部省の検定に対しまする批判を具体的な事実をあげられておる。それから一月の千葉の教員組合の研修会、全国的な研修の際に、徳武敏夫氏と出版労働組合、この共同によりまして、「教育課程改悪下における教科書検定」というものが発表されておる。そういう事実に刺激されまして、二月になりますというと、あるいは「朝日ジャーナル」、「週刊朝日」、その他に「検定制度を検定する」という非常におもしろい題目で取り上げて、いろいろの人が出られて、それぞれの立場からの意見が発表されておる。なお三月に入りますというと、これは大臣初め文部省の皆さん十分御承知のように、日本歴史学協会というものが和歌森氏その他と一緒に文部省に対して要望書を出されておる。こういうような昨年の年末以来の経過をたどりまして、現在の国会の文教委員会における問題として取り上げられてきておると、私は一応そういうふうに見るわけなんです。  そこで、前回、加瀬委員等から、非常に詳細な御研究によりまして鋭い御質問があり、それに対して当局から御答弁があったわけですが、私は前回の委員会の質疑応答というものをきわめて謙虚に、冷静に耳を傾けておつたわけでありますが、結局、二十数項目の具体的事例に基づきまして、加瀬委員から、文部省教科書の検定に対しまして、業者あるいはその関係者に対して圧力を加え、あるいは指示が加えられておるのではないかという、やや自信に満ちての御質問が終始一貫されておるわけであります。これに対しまして、文部省からも終始一貫、これまた事実がないと、こういう御答弁で、私は自民党といったような立場からでなしに、ほんとうに虚心たんかいに聞いておりますというと、どちらの言うことも一応ごもっともなように聞こえて、まあ傾聴しておりましたわれわれも実は判断に迷つたという当時の心境であったわけです。ところがその委員会の、前回の加瀬委員の御質問の後におきまして、翌日の新聞——ここにも新聞記者の皆さんがおいでのようでありますが、新聞を見ますというと、そこにまた、新聞の記事の批判ということではありませんけれども、別の角度から私は非常に考えさせられた問題がある。それはどういうことかというと、新聞の記事のタイトルだけをここで拾つてみますと、それは「書き直しに圧力」、それから「批判削られ皇室礼賛」、それから「強調すぎる天皇政治」、それから「二次検定で訂正削除」、それから「戦争の反省削除」、それから「日本史偏向を追及」等々がきわめて大きな活字で扱われている。私はこの新聞記事を通覧いたしまして考えさせられましたことは、これらの記事によって一体国民は教科書についてどういう印象を受けたかということであります。そこで、いろいろな印象を受けたと思うのでありますが、その後、私の耳に入ります一般国民の印象の一部を申し上げますというと、日本の国の教科書の歴史というものは、一、二の調査会によって自由になるのかということ、それからもう一つは、日本の国の歴史の教科書は平和主義と民主主義に逆行するのかということ、それからしてもう一つは、これはこの前、内藤局長からも答弁があったと思っておりますが、教育基本法の大精神が勃却されるのではないか、こういうことです。私の申します教育基本法の大精神というのは、これは教育基本法の前文にあります「個人の尊厳を重んじ、真理と平一和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」、この教育基本法の大精神教科書検定を通して勃却されるのではないか、こういうこと、総じていいますというと、教科書に対する懐疑と不信の念を持つに至るのではないかということです。私は特に憂えますのは、教科書に対する国民の懐疑と不信というものは教育に対する懐疑と不信に通ずる、この点は私は教育上非常に重大な問題として考えざるを得ない。そこで、この際重ねてお伺いいたしたいと思いますことは、文部当局は前回の委員会におきまして、あくまで圧力を加えあるいは具体的にこうせい、ああせいという指示をしたという事実はないと、こう言われておるのでありますが、あらためて、今でもその自信に立って、責任を持ってそのことが断言し得るかどうかということ、この点まず伺います。
  53. 内藤誉三郎

    政府委員内藤誉三郎君) 先般おあげになった事例に対しまして、私どもはそういう指示をした事実はございませんと、こういうことを申し上げたわけでございます。この点については今も変わりはないわけでございますが、あのときに話に出ました第一次検定で不合格になった、そこで第二次検定で合格になった、いろいろと事例をあげられましたので、実は私どももあらゆる教科書調査いたした結果判明いたしましたことは、加瀬委員からお尋ねの点につきましては、今ここで発行者の名前は差し控えたいと思いますが、代表の執筆者が変わつておるという事実でございます。ですから代表執筆者が変わる以上、いろいろと第一次検定から第二次検定に移る際に全面的に改訂をされたわけでございますから、このことも一つあわせて申し上げておきたいと思うのでございます。いずれにいたしましても、文部省が具体的に指示した事実はございません。特に第一次検定で不合格になりましたものは、不合格理由書を一応申し上げます。それだけでございますが、会社の方から、どういう点が問題になったのかというような御指摘がありますれば、親切に御説明いたしますけれども、先般あげられたような事例については、私どもは具体的に指摘した事実はないことを申し上げたいと思います。
  54. 野本品吉

    ○野本品吉君 実は私がお伺いしようと思った点を、今、内藤局長からお答えになった。それで、今の答弁の中で私はふと思い当たるものがある。それは某新聞に、今まで自分は歴史教科書を担当して執筆しておったけれども、いろいろやかましいことを言われるので、めんどうだからやめてしまつた、最近は非常にさばさばしたということを言われておる学者がある。それは本人の名前は出ておりますから私の方から申し上げましょう。宗像誠也氏がそういうことを新聞に書かれておる。この宗像誠也氏と先般来問題になっておる教科書との関係があるかないかは、文部省のあれは何かわかりますか。
  55. 太田和彦

    説明員太田和彦君) わかつております。わかつておりますが、名前をあげていいかどうか……。
  56. 野本品吉

    ○野本品吉君 いいです。私の想像にまかしてもらう。
  57. 加瀬完

    加瀬完君 ちょっと関連。今、宗像さんの名前も出ましたので、私が指摘いたしましたのは、宗像さんの監修をしたものであります。この点については、内藤さんのおっしゃっていることとは、まるつきり違つた宗像さんの証言を昨日私のところへ送つてきておりますから、午後に徹底的にやりますから、それだけ申し上げておきます。
  58. 野本品吉

    ○野本品吉君 そこで、次に問題なのは、教科書検定の問題を通して、文部省教科書の国定化に移行する意図があるのではないか、別な言葉でいえば、今度の教科書の検定問題というものは、国定教科書への前奏曲であるのではないかというような批判をし、危惧を持っておるものがあるわけなんです。この点について文部省の基本的な態度、方針はどういうものであるかということをこの際伺っておきたい。
  59. 内藤誉三郎

    政府委員内藤誉三郎君) 文部省といたしましては、国定にするという考えは現在のところ毛頭持っていないのでございます。指導要領のワク内で十分に編著者の意向というものは反映できると思います。指導要領のいわばワクをきめておるのでございますから、そのワクの中でいかようにでも特色のある教科書が出得るものと考えておるのでございます。
  60. 野本品吉

    ○野本品吉君 教科書が民主的に編著される、それからして文字通り民主的に公正に採択され、また、教科書精神教育の現場において十分生かされるということは、私どもから見ましても、きわめて望ましいことであるので、教科書の国定の問題等につきましては、これはただいま文部省のおつ考えがわかったわけでありますが、軽々に論議すべきものでないと、私はそう考えておる。そこで、この問題の締めくくり的なことで、一つこれは大臣にお伺いしたい。  検定制度をめぐりまして、今日のようないろいろな論議が起こり、国民にもいろいろな影響を与えておる原因が一体どこにあるか。その原因がどこにあるかということを究明して参りますと、いろいろありましようけれども、私は前の委員会で申し上げましたように、やつぱり教科書問題というものは、日本の教育全般から見て非常に大きなウエートを持つ問題であります。その非常に大きな教育上大事な事柄が、終戦直後の昭和二十三年に出された臨時措置法で処理されておる。その臨時措置法というものを見ますというと、大事な教科書制度のよってもって立つ基本というものが何ら明確にされておらない。そこで、私は将来この教科書の問題というものが、今のようないろいろの問題を生んで国民に疑惑を持たせ、さらに教育上好ましくない影響を及ぼさないようにするために、この教科書問題の基本的な問題についてしつかりした法律の根拠を求めなければならない、かように考える。従って、ここで私がお伺いしたいと思いますことは、いつまでも二十二年というあの時代離れのした臨時措置法というものにたよっておるつもりなのか、もうそろそろ臨時措置法でなしに、ほんとうにそのしつかりした教科書法というものを作る必要があると私は考えておるのですが、これは大臣の御意見どうですか、お伺いします。
  61. 松田竹千代

    ○国務大臣(松田竹千代君) 教科書というものは、わが国教育の上において最も大きなウエートをもってその作定、製作にかからなければならぬ。従って、そういう十分な基本的な組織といいますか、制度の上に立ってこれをやらなければならぬ。そのためには現在の教科書に関する臨時措置法に基づいてやっていくことは不十分であって、教育法というようなものを制定して、それに基づいて教科書はやるべきではないかという考えは、私どももまさにさように考えているわけでありまして、すでに一度そういう法案を提出いたしたのでありまするが、それが流れてしまつた経験があることは御承知の通りであります。やがて時期を見て、そうした法律によってより明確な、そして基本的な基礎の上に立って教科書というものを考えていかなければならぬと、かように考える次第でございます。
  62. 野本品吉

    ○野本品吉君 大臣の御答弁で文部省の意図がわかりました。十分民主的な教科書制度の確立のための法律制定に向かつて慎重な御検討をわずらわしたいと思います。  それともう一つこの教科書の問題で私は考えるのでありますが、これは昔から歴史をどうとらえ、どう見るか、いわゆる史観の問題につきましては、これはもう昔から議論があったことであり、また、将来永久にといっていいくらい長く続く問題であろうと思う。つまり思想の相違からくる史観の論争というものは、学問的にはこれはいつまでも続くであろうし、また続くことがかえつて望ましいことかもしらぬと思う。問題は、純粋の史学の立場から教科書を論ずるということはむろん必要でありますけれども、これは教科書はあらゆる思想的な立場を越えた全児童に及ぼすものなんです。従って、ここで一番大事な事柄は、調査官というものが、調査官による検定制度というものが、あくまでも教育的な見地から措置されるということ、前回の委員会で、調査官の個人的な史観というものはうしろへ下がつておってあくまでも公平な立場から、教育的な見地から検定を実施しておるということは、太田調査官等から意見の発表があったのでありますが、まさにそうなければなりませんし、そういう態度を堅持することに御努力いただきたい。私は国会あるいは一般世間で、教科書検定の問題が非常に大きく論議されること、その論議にああいう論議があったからこうしなくちやならぬ、こういう議論があったからこうしなくちやいかぬということに頭を使うこと自体が、調査官の調査というものの公正、適正を欠く素因になるのではないかとさえ実は考えておる。同時にこのことについては、私は教科書を作られる方もそういう立場でむろん作られておると思いますけれども、この点について十分考慮してほしいと思っておる。この点について、これは十六日の朝日新聞の社説を私はこまかく繰り返し見た。そのしまいの方に私どもの非常に共鳴する部分があったわけです。それはどういうことかというと、「検定制度が強化された理由の一部は、教育立場を十分に考慮しないままに書かれた教科書が、しばしば問題になったことからもきている。あれこれ考えると、何よりも必要なことは、教科書の執筆者である学者や、出版関係者が、もっと自主的な態度で、日本の子どものすべてに十分の責任を持つという自覚を持って、慎重に事に当るということである。その責任ある自主的態度でうまく行くかどうかが、好ましくない検定制度の現状を、正常な姿につくりかえ得るかどうかを決定しよう。」、この朝日新聞の社説に対しましては、私はまさにかくあるべきであるということを感じておりますし、同時にこれは、検定の立場に立つ者も全日本の子供に対して十分の責任を持つという立場は、これは共通な立場でなければならぬと思う。この点について、これは太田調査官、どういうお考えを持っておりますか。
  63. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 全く仰せの通り考えております。実は調査官も大ぜいおりますが、社会科の中の歴史を担当しました調査官も、学者としてはおのおのの考え方を持っておりますが、検定をいたす場合には、こういった個人色というものは全然出ないような審議の仕方、会議の仕方をいたしております。と申しますのは、結局、指導要領の中に、歴史については時代の特色を描く、そういうことがはっきりと打ち出されておりますので、客観的な時代の姿を描き出しているかいないか、そういうことをみんなで考える、論じ合うということをいつも実に丁寧に繰り返してやっております。御安心いただきたいと思います。実は広く、歴史をながめる場合に、時代を描く時代史ではなくて、いわばある観点から見て特に子供の批判的な能力、自主的な判断力とか、そういったものを高めるのに役に立つような史実だけをピック・アップする。それがほんとうの社会科の歴史であるといった、いわば問題史とでも言えそうな方向に向かう考え方もあるのでございますけれども、これは今の指導要領では許し得ないと私ども考えていつも会議いたしております。歴史学そのものの発達の段階から言いましても、聞くところによりますと、最初いわゆる物語的な歴史、その次に問題史的な歴史、その次に時代史的な歴史、こういうふうに歴史学そのものが変わつてきているとさえ聞いておりますのに、またそれに逆行するような歴史観というものが社会科の中に取り入れられるということは厳に私ども警戒いたしております。
  64. 野本品吉

    ○野本品吉君 検定の問題につきましてはいろいろと議論があろうと思いますが、その議論を聞いて、後に私の意見をまた必要に応じて申し上げたいと思っております。  次に、私はここでやはり検定の問題と関連があると考えますので一応お聞きしたいのですが、私の考え方では、教科書の検定の問題は教科書問題の出発点である。その検定によって出版された教科書の採択が公正に行なわれること、それからその教科書が十分に生かして使われること、使用の適正、これは教科書問題の終着点であると私は考える。そういう点から考えると、検定問題の最後の終着点であります教科書の採択の公正、使用の適正ということは非常に大事なことであると考えております。そこで、これは問題として、私がここでそういう角度から見ますというと、われわれの立場からは見落とすことのできない一、二の問題があるわけです。それは何かと申しますと、教員組合でこの私の申します問題に触れたいろいろな事柄が行なわれておる。そこで第一に、一月十三日に岐阜の教職員組合の執行委員長名をもって発表されております教科書研究委員会要項というものがあるわけです。これをだんだん読んでいきますと、目的のところにこういうことが書いてある。「さきの中央委員会の議決により、県教組本部並びに支部に、教科書研究委員会を組織する。これは、日教組の研究委員会に対応するもので、教科書の総点検によって、改悪教育課程の意図を現場指導の中で実質的に粉砕し、教育の自主編成を確立するを目的とする。」、それからなおそのしまいの方に、「各郡市の教科書採択委員会に対し、各教科ごとに資料を提供し、不適格と認められる教科書は、全組合員の名で拒否する態勢をしく。」、私は教科書が民主的に採択されるためにいろいろと教員組合の諸君が苦労されることは、これは教員として当然のことでありますけれども、問題は改悪教育課程、その改悪教育課程の上に作られたとするならば改悪指導要領になる。この指導要領に基づいて教科書が編集されたとすれば、それは改悪教科書になる。そこで、そういう立場教科書の問題が現場の教育者諸君によって扱われるということになって参りますというと、せつかくの教育課程の改正あるいはそれに基づく指導要領が、結局ここで言われているように現場指導の中で実質的に粉砕される、かようなことは私はやはり日本の教育全体の上から考えて、非常に憂慮すべき事柄であるように考えられてならないわけです。それからもう一つは、これも同じようなことでありますが、東京都の教員組合の闘争委員長から各支部長に対しまして、「昭和三十五年度使用教科書採択について」というものが出ている。それを見ますというと、ちょっと長いものですから、みな読みませんが、私はこの前文に書いてある事柄は、これは東京都の教職員組合の教科書に対する基本的な態度というものが明瞭になるように思いますので、あえてここで読んで見ます。「昭和三十五年度使用教科書展示会は七月一日から七月十日まで開催される。文部省は昨年十月、教育課程改悪を強行して以来、昭和三十六年度(小)、昭和三十七年度(中)に全面的に実施するため、すでに移行措置の名のもとに現場に押しつけてきている。さらに高校教育課程についても早急に改悪しようと企図している。特に教科書については、きびしく検定を強化し、自主的採択を排除して広地域統一採択をはかり、教科書を実質的に固定化し、教育の権力支配、国家統制を達成しようとしている。教科書作成の過程で執筆、編集等の創意は全く無視され、改悪学習指導要領に準拠することを一方的に強制されている。こうした情勢にあればあるほど、教科書採択は、民主教育を確立し、国民とともに正しく教育を進めていくために重要な問題である。いうまでもなく教科書採択は「教科書がそれぞれの教師、学校の自主的な教育計画の中で活用されるもの」であるから、当然教師及び学校の自主的判断によってなされるべきもので、採択権はあくまでも教師(学校)にあって、文部省が指導しているように教育委員会にはない。教育委員会は、単に採択の事務を取扱うものにすぎない。」、そこでそのあとに大きく三項目を掲げてありますが、その中の一部分を申しますというと、「文部省教育委員会のねらう「共同採択」や「事前採択」、「広地域統一採択」等を排除するため対教委交渉を強化し、現場教師による自主的採択権の確立をはかる。」、それから、「父母、労働者等、地域の人々と、よい教科書を守り、よい教科書を育てる立場から提携を深める」、こういうことが書いてある。そこで、岐阜の例、この東京都の例を通じまして、私は教育の実質の面について、現場においていろいろ将来憂うべき事態が起こるのではないかということを心配しておるわけです。そこで、これはもう法律なり、規則なりを見ればはっきりしておることでありますが、教科書の採択権がどこにあるかということをここで明確に再認識してほしい。これについての文部省のお考えをお聞きしたい。
  65. 内藤誉三郎

    政府委員内藤誉三郎君) 地方教育行政の組織及び運営に関する法律に基づきまして、地方教育委員会にあるとつ考えておるのでございます。
  66. 野本品吉

    ○野本品吉君 そこで、その地方教育委員会じやなくして、教科書の採択権は教師にあるのだと、こういう立場でこの教科書の問題に当たってみますと、先ほど岐阜の方に書いてありましたように、組合員の名で拒否する態勢を作ると、こういうことになってくると、採択権が教師にあって、そして教師だけがこれでよいといったものでなければ採択できないということになるというと、そこに採択の公正が失われる、自主的な採択、民主的な採択といっておりますけれども、そこには非民主的な要素が加わつてくる、こういうことになろうと思うのです。そこで、むろん教科書の採択でありますから、法律上、法制上教育委員会の権限、所掌に属するということであっても、おのずから現場の教育者諸君の意見を聞いてということになることは、これは常識からみても、現実に問題を処理する上からいっても当然のことだと私は思うのですが、一方で教員組合の方で、おれたちの気に入つた本でなければ使わせないのだと、こういうことになってきますというと、ここに教科書採択の公正な原則というものに疑問が起こつてくる、その点について一体どういうふうにお考えになりますか。
  67. 内藤誉三郎

    政府委員内藤誉三郎君) 先ほど申しましたように、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の第二十二条の六項に、「教科書その他の教材の取扱に関すること。」というのがございますが、これは地方教育委員会の所管事務でございます。もちろん採択をする場合に教育委員会がそれぞれ独自でおやりになるところもありますし、また、小さな市町村ではなかなかそういう手もございませんので、共同採択する例もあるわけでございます。いずれの場合にも教師の意向をどういうふうに反映するかというそれぞれの仕組みを考えて、採択委員会というようなものがありまして、各教科書について十分検討して、よい教科書を選んでいく、こういうような仕組みになっておって、教員諸君の意向もこの委員会に反映する、その委員会で決定をいたしまして教育委員会が事実上採択をすると、こういうことになっているのが通例でございます。従って、決して教員の意向を無視したものではございません。同時に、教師の一方的な判断によって勝手に採択することは、これは許されないと思うのであります。
  68. 野本品吉

    ○野本品吉君 そこで、私の希望します点は、教科書の採択でありますから、その教科書を使う先生の意見が尊重されなければならぬということは当然であります。当然でありますけれども、やはり法律上、採択権は教育委員会にあるということ、これも尊重しなければならぬ。そこで問題は、やはり採択権は教育委員会にあるのだ、その教育委員会が採否を決定する場合に、現場の教師の意見が十分尊重されなければいかぬと、こういう建前で貫きませんというと、教科書制度そのものがくずれてくる、混乱を起こしてくる、かように考えるわけです。  以上が、教科書の検定の問題につきましての若干の点について伺つたのでありますが、最後に、私はこの前も御質問申し上げておりました教科書による国際理解の問題についてお伺いしたいと思います。  前回の委員会で、二月の一日から二十六日までニュージーランドでユネスコの総会がありまして、学校向け出版物の東西文化価値相互理解増進のための資料に関する審議が行なわれた。そこで、それがどういう内容を持っておるかの詳細が知りたかったのでありますが、ちょうどそこに出席された内海視学官がお留守でありましたので、質問を後日に保留しておいたわけです。私はそれらの問題の結論といたしまして、ユネスコの大精神、国際連合の基本精神から見て、各国の児童、生徒、つまり青少年に、教科書を通して、それぞれの国が誤りなく理解され、認識されるようにすることが、大きな世界平和に貢献する大事なことである、大切なことであるということで、結論的には、日本の文部省あるいは日本の外務省等が十分本腰を入れて、ユネスコのそういう機会に、世界各国の教科書の相互交換、それぞれの国が自分たちの国の教科書を交換する、その交換された教科書に、それぞれの国の立場から一応目を通して、そうして自分の国が誤り伝えられた場合には情報を提供する、そうしてそれによって、教科書を通して、いたずらにまた他国人を蔑視したり、反感を持つたり、憎悪したりするようなことのない世界を建設したい、こういうことで一応の提案を申し上げたのでありますが、その後、この問題につきまして、いろいろと調査しておったのでありますが、実は私は去年の夏、参議院から派遣されまして東南アジアの各国を回りました。あらかじめ在外公館にお願いいたしまして、シンガポール、ビルマ、インド、タイ、香港、フィリピン等々の教科書を持って参りました。それを専門調査員に頼んで研究してもらつたのでありますけれども、どの教科書一つ見ても、非常に直してもらいたいことがあるわけなのです。そのことは非常に技術上むずかしい問題だということです。実は、「外国教科書に現われた日本の研究」というのがあります。これは和歌森さんを中心にしての一応の研究の成果が簡単にここに発表されておる。一応、念のため、私の所論を進めますためにこの内容を申し上げたいと思うのであります。大臣、一つお聞き願いたいと思う。 ○このシリーズは、国際教育情報センターが、世界各国の高中小学校教科書に現われた日本の姿について調査研究した結果を、国別に収録したものである。この号には、主として歴史に関し、十三国についての研究調査の結果を収録した。 ○この号に収録した研究調査の結果は、教育大、和歌森太郎教授の指導のもとに作成されたものである。 ○調査研究に当たっては、誤り、あるいは訂正をした方がよいと思われるものを分類すると  (1) 学問上のもの、たとえば日本の封建制度、封建時代についての解釈などに関するもの。  (2) 日本の一般的史実に関する説明。たとえば、日本の政治社会における天皇の地位について。  (3) 日本人の衣食住の生活、及び日本人の感情精神に関する誤解。  (4) 日本の対外関係関係あるもの。  (5) 地名、人名などの誤り、誤植と思われるもの。  (6) 統計が戦前、あるいは敗戦直後で、現状とあまり違うもの。  こういう六つの項目があげられておる。これをどうして直したらいいかということでいろいろ考えられておるようでありますが、ここに私と全く共通する意見が出ておるので、非常に私は従来の私の考えと一致するので愉快に感じた。「これらの誤りのすべてを指摘することはきわめて容易なことであるが、先方にこれを提示するには細心の注意を要するであろう、あまり微に入り細にわたって、ようじで重箱のすみをつつくようなあら探しと見られても困るし、方法を誤れば親切がかえつてあだとなることもある。当方の専門学者個人から先方の専門学者である著者に所見を述べた方がよい場合、当方の公私の機関から先方の発行所に通信をした方がよい場合、あるいはしかるべき資料をみずから編集して送付する方法、または既存の関係資料を入手して送付する方法など、一々の場合について考慮すべきである。」、こうある。そこで、私があえてこれを朗読いたしましたのは、こういうようなこまかい心づかいを一々の場合についてしなければならぬのでありますが、これは現状においてはそうでありますが、しかし、私が提案申し上げております ように、全世界各国の了解のもとに各国の教科書が相互に交換され、自由に検討され、検討の結果が相互に情報として交換される、それによって処理されるということになりますというと、ここにあげられておるようなものは全く不必要になってくる。そうして自然に、きわめて円滑に、正確に教科書が訂正されるであろう、こう考えておるわけであります。  そこで、大へん前置きが長くなって失礼でありますけれども、私は先ほどから申しましたニュージーランドにおけるこの種の問題の研究について、列席されました内海さんから、一体その会合でどんな議題が出されたか、また日本はどういう主張をしてこられたか、また、私のただいま提案しておりますような問題が、はたしてその必要があり、実効が期待できるか、こういうようなことにつきまして、内海さん相当お考えをお持ちだと思いますので、この際一つ御発表いただきたい。
  69. 内海巌

    説明員内海巌君) ただいま御指摘がございましたように、ニュージーランドにおきまして二十五カ国及び南太平洋委員会ユネスコ本部の関係者四十名が出席いたしまして問題を討議いたしました。何分、長期にわたるセミナーでございまして、分科会が十三設置されまして、多面的な問題が討議されたのでございますが、これを要約いたしまして、主要な問題は大体六つにわたるかと考えます。第一は、教科書その他の学校向けの出版物の生産、供給組織に関する問題、第二は、東西文化価値の相互理解増進のための教育内容の検討について、第三は、補助的な読みものについての資料交換、第四は、視聴覚教材の相互交換とその問題点、第五、資料、翻訳の問題、第六、国際的センターの問題・大体以上六つが討議された主要な問題であろうかと考えております。  最初に、教科書その他の学校向け出版物の生産、供給組織に関する問題点について要点を申し上げます。このセミナーの開始前に参加各国から予備的資料といたしまして、それぞれの国の教科書その他の学校向け出版物の生産組織を説明するレポートを提出しておいたのであります。これをもとにいたしまして総会において論ぜられたのでございますが、日本といたしましては、現行の日本の教科書制度の概要をあらかじめ送付しておいたわけでありまして、これに対する補足説明といたしまして、日本の教科書制度の歴史的概観ということを申したのであります。明治五年の学制制定以来の状況を概説したのでありますが、日本の教科書制度は、東南アジアの新しい独立国にとりましては、重要な参考資料となったということが、後刻、参加者から個別的にお話がございました。これにあわせて、ただいま御指摘がございましたように、国際教育情報センターからもいろいろと御意見を承つておりましたので、諸外国の教科書に現われた日本に関する記述の誤りがどのような原因によって発生していると考えるか、また、それを除去するための対策を立てるべきであるという問題について主張したのであります。その根本は、要するに東南アジアの諸国に例をとつてみますというと、これらの国の教科書内容で日本に関する記述を見ますというと、直接、日本から資料を取り寄せていることが非常にまれでございまして、かつての植民地時代の統治国、たとえばラオス、カンボジアという国は、フランス本国の教科書の中に出ている日本の記述をさらに自国語に翻訳して書いているという、そういう経路が非常に多いことがわかったのであります。そこで、関係当事国相互の直接資料交換の重要性を指摘したわけでございますが、この問題は国連において採択されまして、これに対する対策が考慮せられているわけで、このことは資料センターの問題にあわせて申し上げたいと思います。なお、教科書出版の現状から申しますというと、東南アジア諸国においては、非常に教科書の生産それ自体に困難を感じている事情が多々報告されたのでありまして、これに対しては、ユネスコ本部及び加盟国のうち、教科書生産についてはすでに十分の経験を持っている国々から経済的及び技術的援助を行なうべきである、これに対する具体的な方法がユネスコにおいて考究さるべきであることが論ぜられたのであります。  第二は、東西文化価値の相互理解増進のための教育内容の検討でございますが、これは主として社会科ないし歴史、地理の教科書内容についての問題が論議されたのであります。一般に各国の教科書が外国の事情を説明する場合には、教科書という性格上、十分の紙面をとることができませんので、勢い記述は単純化せられ、一般化せられる傾向を持っております。この際に、著書の主観によってその単純化、一般化の方向が決定されるという一つの難点を持っておるわけであります。そこで、これに対する基本的対策としては、相手国から自国を紹介する場合に重要と考えられる問題点を指示するという、こういう方向が今後相互的にとられる必要がある。そのためにも資料の相互交換の重要性が論ぜられたわけであります。さらに、関係国相互の間において教科書の共同研究を促進する。で、これによって関係国相互が互いに教科書内容を検討し、その問題点を交換することによって相互の誤解を除いていくというのが一つの方法であります。しかし、多面的に多数の国が同時にこの資料交換を行なう際には、とうてい直接交渉では間に合いませんので、あらためて国際的なセンターを設置する必要があるということが議論されたのであります。これも後にまとめて申し上げます。  第三には、補助的な読みものについての資料交換でありますが、教科書内容は、それぞれの国の教育方針によってその基本的な立場規定されます関係上、むやみに他国の教科書教育内容に積極的な意見を述べることは内政干渉のおそれもあるということから、教科書問題については全体としては非常に慎重な態度をとつているのであります。従いまして、この欠陥を補うものとしては、青少年向きの課外の読みものを重視する必要がある。この方面の資料を今後積極的に交換することによって、教科書では十分達成されない誤解の除去をはかつていくことが目下の急務であるということが論ぜられました。そのために、セミナーとしては、八才から十五才までの青少年に対する読みもの記述の内容基準を設定したのであります。今後、各国は、外国向けの資料を作成する場合には、この共通の内容基準を根拠といたしまして、英文またはフランス文によって資料を執筆する。また、関係国から自国の内容を紹介する資料を要求された場合には、この要求に基づいて、それぞれ他国向けの英文または仏文の資料を直ちに供給し得るような準備を各国は整えておくべきであるということも論ぜられたのであります。これに関連いたしまして、日本ユネスコ国内委員会が一九五八年から五九年にかけまして、ユネスコ本部の要請によりまして、世界の青少年のための、十二才から十五才までの青少年向きの英文の資料を作成いたしまして、これを日本から参加各国に説明したわけであります。ユネスコ本部は、あらかじめこの内容を検討しておりましたが、これが非常にすぐれたものであるとして、このセミナーのパイロット・プロジェクトとして推奨されたのであります。その結果、セミナーの結論といたしまして、日本から提供いたしました資料は、関係各国が自国の青少年の日本に関する読みもの資料として、今後何らかの方法でこれを印刷して国内に配布する、また、参加各国はこの日本の資料の作成方法を参考にして、今後、同種類のものを作成するということが決議として取り上げられたわけであります。  第四に、このセミナーでは出版物の解釈を広範にいたしまして、視聴覚教材に関連してもこれを取り上げたわけでありますが、そのうちで今後の東南アジアを中心にして考えました場合には、掛図であるとか、テープレコーダー、フイルム・スクリップの重要性が再確認されたわけであります。しかし、これには郵送料の問題、あるいは輸入税の問題が関連しておりますので、これを国際的に解決する方法を検討することがユネスコ本部に要請されたわけであります。  第五に、以上申しましたように、青少年向けの読みものを提供することが現下の急務でありますが、それにはすぐれた翻訳という技術を必要とするということが議論になったわけであります。そこで、今後はこの翻訳の専門家を国際的な機関において養成すること、また、この翻訳家の地位、待遇を各国は十分考慮して、ユネスコの希望を達成し得るように考慮することが論ぜられたのであります。  最後に、国際的センターの問題でありますが、ソ連からは国際的な規模におけるセンターの設置が提案されたのであります。しかし、現状から申しますというと、一挙に大規模のものを設定することは非常に困難が予想されますので、さしあたっては地域的なセンターを考慮していくべきである、しかも最初仕事としては、主として八才から十五才までの青少年向けの読みもの資料を整備し、各国の要求に応じてこれを配布できるような、そういう地域的なセンターをまず考え、この事業が軌道に乗つた暁において視聴覚教材の交換に手を着けるべきであるということが考えられておるわけであります。このセンターの設置位置につきましては、いろいろの議論がございまして結論には到達いたしておりませんけれども、アジアにおいて日本が非常に重視されていたことは、セミナーの空気を通じて推察できたところであります。  大体以上が概要であります。
  70. 野本品吉

    ○野本品吉君 今の問題ですが、私、日本に関する教科書の記述あるいは写真等が好ましくないものがあるという日本の立場からだけでこれを考うべきじゃないので、やつぱり日本の教科書にも外国を誤り伝えるというか、記載されておるものがないということは、これは保証はできないと思う。そういう意味で相互交換ということを考えたのですが、今のお話教科書の相互交換といったようなことは、問題としては考えられませんでしたか。
  71. 内海巌

    説明員内海巌君) 仰せの通り、日本の教科書にも絶対誤りがないというわけではございません。セミナーを通じまして、参加各国はそれぞれ教科書を出品して、会議において自由にその内容を検討したわけであります。しかし、大局的に申しまして、日本の教科書に現われているところの西洋諸国の記述は、概して公平であり、また、資料も比較的正確であるというのが、このセミナーの評価であったと思います。ただ、正直に申しまして、日本の教科書においても、最近の新興国家である東南アジア地域の諸国の現状については、資料が不十分であるということを痛感しております。
  72. 野本品吉

    ○野本品吉君 この問題は、こういう機会では時間がかかりますから、あらためての機会に、私は内海さん等から詳細なお話を承る機会を作りたいと思っておりますが、大臣にこの際お伺いしたいと思いますことは、私が先般来提案いたしておりますようなことは、世界平和の基盤を確立するという点からいって非常に重要なことである。従ってこれは外務省とも十分連絡されまして、私の提案の線に沿っての最大の努力をしていただきたいと思うのですが、いかがでしょうか。
  73. 松田竹千代

    ○国務大臣(松田竹千代君) 私が就任して以来、特に昨年の九月、わが国において世界教育者会議が開かれて以来、また、それと前後して、アメリカから多数の比較教育学研究者が見えましたし、その後も引き続き多数の外国の学者が日本に参りまして、先ほど来、野本さんからお話になりましたような問題、特に東南アジア諸国に対しての視聴覚の、特に日本において発達しておるトランジスターなどをきわめて大量に向こうへも出すような工夫、その他いろいろの工夫によって、視聴覚を通じての教育の問題、その他国際間の教科書の相互交換の問題、そういうことについて直接にユネスコ関係の人々、あるいは各国の学者の人々からお話のあった事実もございまして、まさに野本委員の御指摘になりました問題は、現下において、まことに重要な問題であり、文部省といたしましても、特にこれらの問題に対して今後検討を進めて参りたいと、かように考えております。
  74. 野本品吉

    ○野本品吉君 外務省から情報文化局長がおいでになっておるのですが、いらっしやっておりますね。
  75. 清澤俊英

    委員長清澤俊英君) 近藤情報文化局長と、それから猪名川対外啓発課長と二人出ております。
  76. 野本品吉

    ○野本品吉君 私は実は三年前のこの委員会で、教科書の問題、教科書を通しての国際理解の問題について指摘したわけです。その後だんだんとこの問題が大きく取り上げられてきておるわけでありますが、先般、私は国際理解という雑誌を通して、外務省の情報文化局長の書かれたものを拝見いたしまして、外務省も非常にこの問題について深い関心を示されておるということを知っております。同時に深く敬意を表しておるわけなんです。実は先ほど来、私も申し述べましたようなことで、私としては非常に大きな問題であると考えているので、きようは外務大臣にも御出席を願つて、そうして外務省と文部省との協力のもとに、この種の問題が力強く推進されるようにお願いしたいと思っておつたわけです。外務大臣はお見えになりませんけれども、この問題について深い関心と熱意を持っておるあなたがこられておりますから、一応、外務省としてこれらの問題を従来どう扱つてきたか、それから将来どう進めようとするかということを、外務省の立場からの御見解を伺いたいと思います。
  77. 近藤晋一

    政府委員(近藤晋一君) 外務省におきましても、ただいま仰せになりましたように、外国の教科書を通じまして、国際理解を増進するという点を非常に重要視しております。従来は、ただ偶然目に触れました外国の教科書の誤りを指摘する程度でございましたけれども、それでははなはだ不十分である、もっと組織的に、外国の教科書がどういうような記述を日本に関して行なっておるか、組織的に調査すべきであるという考え方に到達いたしまして、昭和三十二年の八月だったと思いますが、全在外公館に訓令をいたしまして、それぞれの任地における外国の教科書の収集を命じまして、それの集まりましたものを国際情報教育センターに渡しまして、専門の日本の学者の方々に研究をしていただく、その結果の一つが、先ほど御指摘になりました外国の教科書に現われた日本の研究となっておるわけでありまして、われわれが今後いたしたいと思いますことは、単に誤りを発見するだけではなくて、これをどういうふうに直したらいいかという点のインフォーメーションないしは資料を、外国のそれぞれの関係者に提供することにあるわけであります。もちろん先ほど野本委員が御指摘になりましたように、ユネスコ等の国際機関を通じまして、教科書の相互交換、あるいはその他副教材の相互交換というものが友好的に発展することが一番望ましいのでありますが、それが発展する過程におきましても、やはり適当な手段を通じまして、直接外国の教科書の出版社なり、あるいは外国の適当な教育関係団体、たとえば最近、国際情報教育センターと資料の交換を始めましたイギリスの地理学協会、こういうような適当な団体との連係をとりまして、第二段階といたしまして、そういう誤つた記述をこういうふうに直したらどうかというような、資料の提供というものに重点を移して参りたいと存じております。もちろんこれは外務省だけでできる仕事ではございませんし、文部省の御援助、協力を得ましてやって参りたいと、こう考えております。また、外国の教科書の改訂も、一たん出版されますと、それがある期間改訂ができないわけでございまして、その間におきましては外務省におきまして、適当な、日本を紹介するような出版物を外国の学校の先生、あるいは教育団体に配布するということも考えておりますし、まだ十分とは申しませんけれども、そういう点も在外公館を通じて現在やっておるところでございます。
  78. 野本品吉

    ○野本品吉君 外務省のお考えもわかったわけでありますが、局長にさらにお願いしておきたいと思いますことは、われわれとしては、この問題をきわめて重大な問題に考えておるのだということをはっきり大臣に間違いなくお伝えをいただいて、そうしてただいまお話のございましたように、文部省と十分連絡の上、この問題が円滑に効果的に処理され、推進されるように特に希望しておきます。時間がおそくなりましたが、いずれあなたにも直接こまかい事情についてお伺いするようにいたしたいと思います。
  79. 清澤俊英

    委員長清澤俊英君) これにて暫時休憩いたし、本件に対する質疑は午後一時三十分より委員会を再開、継続することにいたします。  それでは休憩いたします。    午後零時三十一分休憩    —————・—————    午後一時四十四分開会
  80. 清澤俊英

    委員長清澤俊英君) ただいまより委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、教科書に関する諸問題を議題にいたします。質問のおありの方は、順次御発言を願います。
  81. 加瀬完

    加瀬完君 先日の私の質問について、そういう事実はない、すなわち、文部省が削除や訂正や加筆を命じた事実はない、こういうようにお答えになりましたのでありますが、しかし、そのときに、さらに文部省でも十二分に調査をするということであったわけです。午前中の野本委員質問に対して、やはりそういう事実はないと、こういう御答弁でありましたが、その通り受け取つてよろしいですか。
  82. 太田和彦

    説明員太田和彦君) ええ、その通りでけっこうでございます。
  83. 加瀬完

    加瀬完君 それでは、私の指摘した第一次検定で不合格になったもので第二次検定では条件付合格になったものの内容が書き改められておりました点は、お認めになりますね。
  84. 太田和彦

    説明員太田和彦君) ええ、それはございます。
  85. 加瀬完

    加瀬完君 それは内藤さんの話では、執筆者が変更になったので書き改められたのであろうと、こういうような意味の御答弁がありましたが、あなたもそのように御認識していらっしゃいますか。
  86. 太田和彦

    説明員太田和彦君) はい。執筆者が、実は代表的なおもな著者が四名おやめになっています。そのために、これは編集の大方針が多分変わつたのだろうと思われるような変更が、二度目に出したものには見られたわけです。これは、この前いろいろとお話いただいて、帰ってから調べてみた結果、発見した事実です。
  87. 加瀬完

    加瀬完君 昨日、その当面の執筆責任者でありました東大の宗像教授から私のところに電話がございまして、次のように宗像さんはおっしゃっておるのです。確かに宗像さんはおやめになりまして、宗像さんがおやめになって提出しましたら検定がパスをされた。で、どうしてやめたかというと、教育出版社——教育出版の社会科は、宗像、大槻両教授等の監修によりまして提出されたものは、一年から六年まで全部不合格でありました。そこで、教育出版社の北島社長外一名が文部省に内藤初等中等教育局長をたずねて、今まで全部成績がよく合格しておったものが、本年になって一年から六年まで全部不合格だというようなことはふに落ちない、どういうわけであるか話していただきたいといって内藤さんのところをたずねたことがございます。このときの話し合いの中で、たれに言うとなく内藤局長は、しかし、非常に意味ありげに、お宅は宗像教授ですね、宗像先生ではねえ、こういう発言をいたしております。そこで、会社の幹部はこの局長の発言を、宗像氏の名が特に指摘をされましたので、このときの印象は、宗像氏が編集陣に入っていては自分の会社の本はいつまでも検定を通過することは不可能ではないか、こういうように判断をいたしたそうであります。そして宗像教授に会社自身が、あなたが関係をしておりましては、検定は通りそうもない、文部省の空気が察せられまするので、おやめをいただきたい、こういう要請をいたしております。宗像さんはその前に、明らかに皇国史観とも見らるべき文部省の指示、示唆がありましたので、そういう圧力を受諾してまで教科書を執筆することはいさぎよしとしないと思っておりましたので、進んで監修責任者の地位を去つた、こういうようにおっしゃっております。今あなたは、監修者が四名ばかり変わつたので、内容に大きな表現の変化があっただろうと言われますけれども、監修者がかわりましても、執筆をしておりまする陣容は一人も変わつておらないはずであります。それにもかかわらず、今度は一次検定と二次検定と大きい表現の差ができたというのは、そうしなければパスしないとあなたがおっしゃっておらないというんだから、今はおっしゃっておると申しません、あとでおっしゃっておるか、おらないかは事実をもって指摘します。あなたの方はおっしゃっておらないと今は言っておりますが、おっしゃっておらないにしても、少なくも会社側は宗像、大槻教授等をやめさせて。しかも内容を書きかえなければパスすることは不可能であろうという判断を下すような影響を文部省自身が与えておることは、これは会社自身がはっきりと宗像教授のところへ来て言っておる。従いまして、会社自身の手によって書き改められた部分が大部分としたところで、それは文部省調査官の責任がないとは言えないと私は思うのです。そういう文部省の態度では正しい教科書が書けない、こういうことをはっきり宗像先生はおっしゃっておる。これは学術会議でも逐一この点は宗像さんから報告があったはずです。こういう事実を調査官は知っていますか。
  88. 太田和彦

    説明員太田和彦君) ただいまの、何か著者を忌避するかのような発言が文部省側にあったらしいというお話は、ただいま初耳でございます。それから執筆者と監修者の区分がこの本では多分できていないのだろうと思います。と申しますのは、御指摘の六年生のは、こういう見本文がまだできて参りませんけれども、まだこしらえている最中ですけれども、四年生のその会社の教科書が今ここにございますが、これの奥付のところに、代表著作者としてお二人の大学の先生の名前が入っております。その下に著作者としてたくさんの人の名前が上がつております。その中には、その会社の編集員の名前も入っておりまして、そういう工合でして、執筆者と監修者と別であるというふうに私どもこの本については思っておりません。なお、著者のだれであるかといったようなことは、ついでですから申し上げますけれども、私ども調査の段階においては全然わからない。これは差し上げるわけにいきませんけれども、白表紙と私ども申しておりまして、中はこの通り実際に発行するときと同じ格好になっておりますけれども、外側はまつ白で全然見当がつかないわけであります。従って、私どもとしては、調査しているときに、これはだれが書いたんだろうということは全然わからないし、また、わかろうとしない、こういう状況になっています。
  89. 加瀬完

    加瀬完君 太田さん、まじめなお答えをしなさい。きよう初めて調査官になったんじゃないでしよう。図書の検定のないときでも、どういう教科書が出ておって、どこの出版の教科書にはどういう内容が盛られておる、これは推奨すべきものだ、これは一応考慮すべきものだということは、当然あなた方は日常の研究の過程において知り尽くしているはずですよ。しかも、それは私も見ておりますが、表紙は、それは何々会社とか、著作者はだれだれと書いてありません。しかし、前の教科書を全部知っているあなた方が見て、さし絵の組み方一つ見たって、これはどこの教科書だということはひとりでにわかることじやありませんか。しかもあなた方は、会社の代表を呼んで、あるいは会社の代表が今のようにみずから文部省へ行って調査官と話し合いをしているじやありませんか。そのときに、よその会社の教科書を持ってきて問答するばかがありますか。自分のところの教科書がどこがいい、ここが悪いといういろいろの意見を聞くのでしよう。そういう作業をしておって、これは宗像さんの監修の教科書である、これは大槻さんの監修の教科書である、そのようなことがわからないということが言われますか。そんな子供だましのことを言われては困ります。
  90. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 実は外でお考えになると、そのくらいのことはわかりそうなものだというふうにお考えになるのはごもっともではございますけれども、実は私ども著者がだれであるか、会社がどこであるかということがわかるのは、検定が終わつて判定が済んだ後に、会社から編集員の方なり、あるいは著者の方なりにおいで願つた、そのときが初めてであります。その前には中の版の組み方だとか、それによってどこだろうという判定は全然いたしません。またかりに、たとえばこういうものをふだん見ていて、これと同じだから何だろうといったようなことは、偶然わかりましても、そういうことを口にすることは私どものところではタブーになっております。
  91. 加瀬完

    加瀬完君 それはわかりますよ。それはわかりますが、一次検定ではねられたものが二次検定で出てこないわけじゃないでしよう。一次検定でだめなもので、いろいろ文部省、あなた方との話し合いで二次検定で通つているものはたくさんあるじやありませんか。この前指摘した教科書でも、一次検定で不合格、二次検定で条件付合格になっているでしよう。一次検定でだめになったときに持ち込まれた教科書が、どこのだれの教科書ということははっきりわかつているはずです。そういう押し問答をして時間をとるのも何ですから……。  それじやもう一つ的確にお答えをいただきたいのは、この前に内藤局長も、この誤字とか、誤植というような技術的なもの以外には指示したものはないと、こう答えている。まことにその通りでありますか。
  92. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 実は私どもが教科書の著者あるいは編集者の方へ指示いたしますのは、原稿として提出されたものの判定が済んで、それが合格であった場合に限つております。合格であったときに条件として指示するわけであります。こういう工合に直してもらいたいというような、その条件をつけて合格の通知をするわけでありますから、従って、不合格であった場合には指示をするということは絶対にあり得ない。それから不合格になった教科書もその会社がまた再提出する、そういう場合にも、あらかじめここはこういうふうに書いた方がよろしいといったようなことをもし私どもが指示いたしましたら、これは会社と文部省が共同編集で教科書をこしらえる、そういうそしりを受けますので厳に慎んでおります。これは返してもいけないし、通つてもいけないし、どちらの場合についても、そういう指示をしたら文部省として大へん困つた立場になるので、それはお互いに慎んでおります。
  93. 加瀬完

    加瀬完君 慎んでおるかもしれないけれども、絶対にそういうことは行なっていないということは言え得ますか。
  94. 太田和彦

    説明員太田和彦君) そういう指示は絶対にやりません。
  95. 加瀬完

    加瀬完君 それじや具体的な問題で、この前指摘しました「都のくらし、いなかのくらし」のところで、A社に対しては村尾調査官は、「農民の記述については正確でない」、こういう指示をしておる。あるいはB社に対しては、「国民の生活」の中で、「国民の生活はあまり楽ではありませんでした。」と記述していたのに対し、「前の文を読んでもよくわからない」と指摘をいたしております。「武士と農民のくらし」のところでは、A社に対しては、「一般の人々の意見は取り入れられることがなかった」とか、「農民の生活が苦しかったというが、それは今から見てこんなに悪いということで、当を得ない」、B社に対しては、「農民がいつの世でも楽ではないということでは時代史はつかめない。従って、幕府から農民へ出したおふれなど要らない」、C社に対しては、「いつの時代でも楽ではなかったということでは時代史はつかめないのであって、飢饉による困窮、五人組制度、新田開発を入れて書き直せ」、こう指示している。建武の中興については、A社に対しては、「結末をきちんとつけよ」、B社に対しては、「建武の中興をあげないと時代史はつかめない」、C社に対しては、「長年が後醍醐天皇を船上山に迎えた」という原文に対して、「それからどうなったかをきちんと書き、結末をつけよ」、こういうように指示がしてあります。そしてさらに、「天皇は京都に戻り、再び天皇政治をとるようになったのです。」と追加させて承認をしておる。「江戸幕府の政治上では、A社に対しては、「士農工商の身分の違いをはっきりすればよろしい」、B社に対しては、「士農工商の身分制を強調し、その中の違いまでは要らない」、こう指示しておる。「百姓一揆上については、A社に対しては、「農民一揆は時代の特色でなく、この書き方は一揆礼賛である」、B社に対しては、「全体に記述を整理せよ」と言っている。これは明らかに指示ではないか。また、「尊王攘夷」のところでは、A社に対しては、「天皇と国民との本来の関係を明らかにせよ」、B社に対しては、「江戸時代における天皇に対する国民感情の記述がないと明治維新になって唐突である」、こういうように言っている。「日清、日露戦争」では、B社に対しては、「日清、日露について、日本の危機感をふまえよ」、C社に対しては、「清国の実力がわかったので」を「清国に実力がないこともわかったので」としたらどうか」、また、「諸外国に日本の実力が認められたことをはっきりとさすべきである」、こう指示している。また、「満州事変と日華事変」については、「満州事変の原因は国内の不景気を切り抜けるため中国へ日本製品を売りさばくためではなく、排日運動に対抗するため、また軍人が力を持つたことを押えるためにできたことである」、こういうように内容を改めろと指示している。こういう事実がありまして、調査官は全然、会社に対して、あるいは編集者に対して、何らの指示もあるいは示唆もしておらないとはっきり言い切れますか。
  96. 太田和彦

    説明員太田和彦君) ただいまのお話のA社、B社、C社というのがありましたが、これは合格になった教科書ではございませんですか。
  97. 加瀬完

    加瀬完君 一次検定で条件をつけられたり、不合格であったりしたものが、二次検定で通ったものであります。
  98. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 二次検定で通るときにそういう指示をしたというお話でしょうか。
  99. 加瀬完

    加瀬完君 一次検定でだめになったものを持ち込まれたときに指示されたものもあります。一次検定で条件をつけられたものを持ち込んだときに指示された内容もあります。概略的に言えば、一次検定と二次検定の間で指示されたり示唆されたりという働きが文部省によって行なわれておる。こういうことをはっきりと言えると思います。
  100. 太田和彦

    説明員太田和彦君) いろいろの場合がこう織りまぜてあるように感じるのですが、第一次に提出して合格になれば、その合格の条件として、もちろんたくさんの指示をいたします。それから第一次で落ちて、それから第二次に出して、その二次のが合格した場合にも、やはり同様にたくさんの条件を指示いたします。ただ、一次で落ちたのに二次で出す前に指示をするということは、これは先ほど申し上げたように絶対にいたしません。あるいはそのお話は、一次で落ちたときの落ちた理由説明する、そのことと指示とを混同なさつておるのじゃないかというふうに考えられますが、いかがですか。
  101. 加瀬完

    加瀬完君 もっとはっきりお互いにものを言おうじやありませんか。あなたは今まで、指示や示唆は絶対しないと、こう言っておる。指示や示唆という形でやったかどうかということをわれわれは聞いているんじゃない。しかし語るに落ちるだ。一次検定で落ちた理由説明すると言つたところで、あなたの方では説明と受け取つても、これはこういう理由で落ちたのだ、ここを直せと、今私があげたように言われたら、会社側はこれを指示として聞くんじゃないですか。しかも、あなたは今重要な発言をしている。条件つきのような場合には指示をいたします。今までの、この前の委員会以来引き続いての御発言とは違うじゃないですか。調査官は指示、示唆したということはないかと根掘り葉掘りしたのに対して、誤字とか、誤植とか、こういう技術的なことについては、やはりこれは選定の基準に即してやっておる調査官のやり方であって、われわれは内容の訂正、削除、加筆といったようなことについては、指示はもちろん示唆はいたしませんと言っておる。ところが、今あなたは、二次検定のような場合、一次検定の条件付のような場合は指示をいたしますということ、指示しているかということは、一次検定の前かあとか、二次検定の前かあとかという差はあっても、文部省教科書のでき上がる過程において、編集者や教科書会社に対して指示しているということは、これは明らかじやありませんか。
  102. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 合格した場合に指示することはもちろんでして、これはこの前どういうふうにお聞き下すつたか。この前のは、この前おあげになったあの教科書、あれについて指示をしたかどうか、そういうお話でございましたが、あの教科書は一次で結局不合格になったということがあとでわかりましたけれども、あれはああいう指示はしておりません。だけれども、ほかの合格になった教科書について言うと、指示のない合格というのは一つもございません。今までの合格の場合でも非常にたくさんの指示がついております。合格の場合は必ずついております。無条件で合格という本は一冊もございません。よくわれわれ、こんな言葉を使っていいかどうか知りませんが、二当三落なんという言葉を使いまして、まあ指示する事項が二百台ならばどうにか直してもらって合格にできるだろう。三百台もあったらなかなか直しにくいなという話もよくするのでありますけれども、これは別にその数にこだわるわけではございませんが、そういったような工合に、合格の場合でも二百というぐらいにたくさん指示しております。
  103. 加瀬完

    加瀬完君 それならばそのように説明すればいいでしよう、最初から。今までは指示、示唆はいたしませんという一点張りだった。こういう具体的なものを突きつけられると、条件付合格をしたものには指示しておると、こう言っておる、それで、条件付でなくて初めから一次検定で合格したものは一つもありませんよ、社会科では。ところが、二次検定では大体通つている。一次検定に落ちたものは、どういうわけですかと持ち込まれたときに、条件付に指示されたということと同じように、具体的な内容を、記述とか、活字とか、あるいは誤字とか、こういう技術的な問題ではなくて、歴史観あるいは史実の内容についていろいろ指示しているじやありませんか、話し合いをしているじやありませんか、認めなさいよ、やっていることを。
  104. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 合格した本について指示することは、この前も申し上げました通り、必ず直してもらうということに、あるいは参考意見として申し上げることというふうに部類分けをして、その部類分けしたものを大臣の決裁までして指示しております。この前も申し上げたと思います。ただ、この前お話しになったあの具体的な教科書については、そういう御指摘のような指示はいたしておりません。
  105. 加瀬完

    加瀬完君 それでは別なものを……。条件付で一次検定をパスしたものについて、内容にわたって指示は行なっているのか、いないのか。
  106. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 条件付で一次検定をパスしたものでございますか。
  107. 加瀬完

    加瀬完君 そう。
  108. 太田和彦

    説明員太田和彦君) これはもう当然条件付、その条件というのがつまり指示のことなんです。指示というのは条件を向こうへ示すことなんでございます。
  109. 加瀬完

    加瀬完君 だから、あなた方が何回も説くように、誤字、誤植等技術的なもの以外は指示や示唆はいたしませんと言っているけれども、そうではなくて、史観にわたるものも史実にわたるものも、場合によっては指示をしておるということでしよう。
  110. 太田和彦

    説明員太田和彦君) ただ、それはこの前、誤字、誤植みたようなもの以外には指示しませんと申し上げたのは、あの教科書ですね。あの教科書は別に不合格になったものでありますから、そういうような指示をする必要がないので、そうして不合格になったときの理由説明に、もう誤字が非常に多いとか、間違いが非常に多いとか、そういったようなことを説明の中で加えたということでありまして、その他の合格になった教科書については、もちろん誤字、誤植以外にも非常に片寄つた史観があるとか、非常に編集が粗雑であるとか、そうして配列が不適当であるとかというようなことは指示いたしますが……。
  111. 加瀬完

    加瀬完君 おかしいですね。史観が片寄つておるとか、誤字、誤植が非常に多いとか、そういうものは、すでに一次検定を通らないはずなんです。そうでしよう。あなた方の中で、文部省のめがねにかなったものならば、誤字、誤植がたくさんあっても、さし絵の不正確なものがあっても、史観に片寄りがあっても通す、そうでないものは通さない、こういう使い分けをしているわけですか、そうじゃないのでしよう。
  112. 太田和彦

    説明員太田和彦君) そういう片寄りがやや見えるといったようなものはたくさんございます。そういうものを部分訂正で間に合う限りは訂正していただいて合格にする、そういうことです。
  113. 加瀬完

    加瀬完君 その点は、あとでまた具体的に、もっと例がありますから、そのときに出しましょう。今あなたの御説明に即して私の質問を進めます。そうすると、歴史観には触れないとか、編集者の教材の配列等については、検定の問題では触れない、こういうような御発言がありましたが、それは訂正されるでしよう。歴史観についても触れるでしよう。
  114. 太田和彦

    説明員太田和彦君) それはもちろん触れます。そういうふうに発言したとは思わないのですけれども、そうおとりになっていたとすれば、御訂正いただきたいと思います。
  115. 加瀬完

    加瀬完君 それでは、文部省史観というものがはっきり出てくるところを、今、文部省史観を指摘します。ある社の二十八ページの、「日本国憲法は日本の進むべき道を示した最高のきまりです。それを簡単にまとめると次のようになります。」ということで、「日本の政治は国民が選挙して国会に送る代表を通して国民によって行なわれる。」、それが一です。  二は、「天皇は日本の国や国民のまとまりを表わす象徴である。」、こういう記述がある。第一次検定を通つているのですが、それに対して、「日本の歴史を通じて、どうして今日、天皇が象徴になったかを明確にせよ」、こういう指示をしている。いいですか。  それから二十七ページの大和朝廷のところでは、「そのうち勢いの盛んな国は、だんだんと近くの小さな国を合わせて、大きな国ができてきました。上、これに対しては、「大和朝廷が近隣を合わして統一国家を形成した姿を述べろ」、こういっております。  それから、六十三ページの建武の中興のところでは、先ほども例に触れましたが、「長年は島をのがれた天皇を船上山に迎えました。」、その後に、「それからどうなったかを、きさちんと結末をつけて書け」、こういうふうになっておる。  それから、九十一ページの農民の生活のところには、初めこういう文章があった。「農民の身分は武士の次にあって、職人や商人よりは高いものと見られていました。米を作つて年貢として納める仕事が大事であると考えられていたからです。しかし、農民の生活は楽ではありませんでした。農民は、定められた年貢を納めなければならず、その年貢は重かったので、取り入れ額の半分も手もとには残りませんでした。生活が苦しいからといって先祖代々の土地を離れてほかの土地に行つたり、田畑を売つてほかの仕事に移ることは、固く禁じられていました。」、この中の「しかし、農民の生活は楽ではありませんでした。」、「その年貢は重かったので、取り入れ額の半分も手もとには残りませんでした。」、「生活が苦しいからといって、先祖代代の土地を離れてほかの土地に行つたり、田畑を売つてほかの仕事に移ることは、固く禁じられていました。」のところは全部とれとしてある。そうして、「いつでも「楽ではない」では時代史はつかめないのであって、全体に、飢饉による困窮、新田開発、五人組制度等をもっと入れて書きかえろ」と、こう指示してある。指示したのは村尾次郎さん、指示されたものは、言葉で早く言われてはわからないから、本の上へ消したり書いたり、これが現物だ。これでもあなたは、この指示を認めないのですか。
  116. 太田和彦

    説明員太田和彦君) それは合格になった教科書でございますか、そのときの条件指示でございますね。
  117. 加瀬完

    加瀬完君 いや指示したか、しないかを聞いているのだ、私は。
  118. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 合格になった教科書ならば指示いたします。それから、不合格の場合には、指示はいたしません。
  119. 加瀬完

    加瀬完君 だから、あなた方皇国史観ではないとか何とか言うけれども、ちゃんと天皇の象徴のところをさらに明確にするように説明を加えたり、大和朝廷の統一の経過を述べろの、それから農民の疲弊困憊の状況をつまびらかにする必要はない、もっと五人組制度とかほかのものを述べろ、こういうような内容にわたる指示を行なっているということは、明らかに文部省は、文部省としての一つの見解をもって、史観に対しても、事実に対しても、指導をしている、指示しているということになりませんか。これはお認めになりますか。
  120. 太田和彦

    説明員太田和彦君) もちろん見解を文部省は持っております。ただ、それを史観と呼んでいいかどうか、私どもは史観とは呼べないと思いますが、見解は何であるかとおっしゃるならば、これは指導要領、これの中の、歴史の部分については時代の特色をつかむ、何べんも私申し上げましたけれども、しいていえば、そういう史観を持っております。つまり時代史でいこうという史観であります。
  121. 加瀬完

    加瀬完君 あなたは、指導要領、指導要領と言うけれども、指導要領の他の面というのは、全然あなた方では忘れている。抜いちやっているところも多いじやありませんか。たとえば、社会科指導要領の目標の一として、「具体的な社会生活の経験を通じて、自他の人格の尊重が民主的な社会生活の基本であることを理解させ、自主的、自律的な生活態度を養う」とありまして、それから何方条か指導目標が述べられております。しかし、あらゆる目標も、あらゆる教材の内容も、この第一の目標にいう「自他の人格の尊重、民主主義の育成」等に、当然結びつくものだと指導要領は説明している。そうでしよう。しかも、社会科は、道徳教育に深い関係があるとして、社会生活に対する正しい理解を得させることによって、児童の道徳的判断力の基礎を養うと、こうも述べています。そうなってくると、道徳的判断力を養えるような素材というものが、当然、優先的に社会科の歴史の中に教材となって浮かび出てこなければおかしい。時代史を理解する、時代史を理解すると言つたって、その時代史の理解の仕方の一つ基本線というものは指導要領だとあなたは言っているのです。それなら、今私が述べたような、指導要領が明記しておる点を精確にしなければいかぬじゃないですか。天皇制の復元を思わせるような文化史だけを取り上げて、こういうように社会機構なり経済機構なりというものに対する児童あるいは生徒の疑問の目、あるいは批判の目、こういうものをなるべくそらそうとするやり方は、これは指導要領に忠実だといわれますか。あなたが指導要領、指導要領と言うから、私も指導要領を読んできたのです。あなたの言っているようなことは、指導要領には書いてないのです。
  122. 太田和彦

    説明員太田和彦君) どうも指導要領論議になって大へん恐縮なのですけれども、指導要領というのは、各学年に、目標が四カ条ばかりあげてありますが、その中に、あとに続いて書いてある内容というのは、学年によって違いますが、十か十一あります。目標をもちろんこれはネグレクトしちやいけないので、それを根底にいつも考えておりますが、その内容というものをそのためにゆがめては、これもまたいけない。つまり内容内容で、まずまとまりのものとして与える、そういうものを、その学年のその全部の内容を達成する、呑み込ませることによって目標を達成する、そういう行き方をねらっております。よく出しますが、時代史ということも昔の社会科、直輸入時代の社会科の考え方では、歴史を描くと言いましても、歴史の中から直接社会科を目標に都合のいいような史実だけをピック・アップしてくる、そういうことを許されておつたように思います。ところがこれが今度の改訂の指導要領は、まず目標と強く結びつけるのじゃなくて、時代史なら時代史を出して書かれる時代を一まとめにして、日本の歴史なら歴史というものをまとまりのものとして拡充させる。そういうことをした上で社会科のいろいろの目標といったものを導き出していく、そういう行き方になっております。そのために時代史というものは、どうしてもこれは粗末にできない立場になっております。
  123. 加瀬完

    加瀬完君 粗末にしろと私は言っておるのじゃない。特にかつての国史教育のときのような皇国史観的な見方を文部省自身が高く取り上げて、そういうものの見方をしては困るというのです。あなたの言っておることは、こっちの言いたいことです。だから指導要領でもう少し言いますと、指導要領の目標の一には、今日の政治の基本的な仕組みや考え方に気づかせる、こういうことがありますね。そうすると、この指導要領から見ても、今日の政治の基本的な仕組みや考え方、こういうものを一応どう見ておるかという問題が出てきます。今日の政治の基本的な仕組みや考え方に気づかせるということは、問題は憲法ということになりましょう。憲法を改正すべしの、憲法のここのところは修正しなければならないという立場でこの指導要領は書かれておるわけじゃないのでしよう。歴史教材を扱うにしても、そういうきようの政治の仕組みや考え方が正しいという方場に立って、それならば、この教材はそれと比べてどういう視点に立つのだろうかという見方が当然成り立つでありましょう。そういう考え方でなくても、天皇ということのみを無理に理解を強めようとしたり、それからここに現実にあなたがおっしゃるように、百姓一揆なら百姓一揆というものをある程度説明しなければ時代史が描かれないというにもかかわらず、百姓一揆だけを無理に落とさせたり、そういう史実の見方をしてはおかしいだろうというのです。そういうところの指示がこの本に限つて行なわれておる。この間の宗像さんの監修の教材についてはこの前説明した通りです。それでも文部省は指導要領に忠実だ、忠実だと言い切れますか。
  124. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 仰せのような意味で指示をやっているとすれば、全くこれはとんでもない話になるわけでありますが、これは私として、仰せのような意味の指示は全く全然しておりませんと申し上げるよりほかしようがない。というのは、先ほどちょっと具体例をおあげになりましたので、たとえば憲法のところで、天皇の地位、国の象徴、そういうことについてこちらが何か指示をしたという、これも、これは多くの教科書の中に見られますけれども、ただ象徴ですと、国民統合のまとまり、あるいは国民のまとまりのしるしとしてあるのであるといったふうな書き方がしてありますけれども、ただ象徴といったのではわかりにくい。もう少しわかりやすく、相手は小学生ですから、わかりやすくしてはどうかという指示は多くの教科書に対してやっております。決して、特に天皇をほかの部分よりもウエートをかけてどうしろといったような、そういう意味ではございません。わかりやすく、これは大ぜいで一緒に会議しておりますので、その空気をよく知っておりますが、これじやわかりにくい、これじやわかりにくい。それからその次におあげになった大和朝廷、だんだん強い者が弱い者を従え、今の皇室の祖先になるようなものが国を統合したといったような記述の仕方、これも決してそれがいけないという指示はしておりません。ただ、あの時代を見るのに弱肉強食史観だけで割り切つてしまうという行き方ではいけないので、一方に人口増加という事実もある。そういうことも合わせて書く必要がある、そういう指示をしております。もし単に弱肉強食史観だけを強調しておるということであれば、そういう指示をしております。それから船上山のお話、これははっきり記憶しておりませんが、多分ここのところは物語的な書き方があったので、歴史として、その結末がどうなったかということが示してないので、そこをもっとはっきりして歴史の中に持ち込むようにしたらどうか。それから農民の生活、これはあっていけないという指示は絶対にいたしません。ただ、何か教科書、どの教科書にも似たような傾向がありますが、もう昔から今まで、日本では農民というものはただ苦しかった、ただ貧乏であった、しぼりとられた、そういったような記述でどの時代についてもみな言っている。それを繰り返えし繰り返えし言っているのは、これは見方とすれば一面的。貧乏であり苦しいのは事実であるけれども、ただそれだけということで農民を割り切つてしまう、こうなると、江戸時代の農民、室町時代の、あるいは昔の奈良時代の農民、区別する必要がないから、農民イコール貧乏、そのくらい感じられるくらいな記述がよくあるのでございます。そういうところはもう少し整理する必要があるのじゃないか、そういったような指示をしているところがあります。ただ、叙述の上でむずかし過ぎる、冗長、それではわからない、それでは時代が描けない、そういったような指示があるのでして、文部省の特定の皇国史観というようなお言葉がございましたが、そんなものを持ってそれで引張つていこうという意識は毛頭ございません。十人もそろって会議をやって、歴史だけの専門の方も五人もおります。それで皇国史観に引つぱる、できることじゃない。その上非常に強力な審議会というものがございます。ここでも一名の専門大家がおります。そういう簡単な、ある指導の方向に向かう、こういったようなことはできるものではございませんので、その点は当然お疑いを解いていただきたい。
  125. 加瀬完

    加瀬完君 そういう、できるものではありませんと言つたって、ちゃんと会社の者を呼んで、ここをこう書き改めろとあなた方は指示しているのじやありませんか。大和朝廷のところだって、あなたのおっしゃるような書き方は前の教科書はしてない。「そのうち勢いの盛んな国は、だんだんと近くの小さな国を合わせて、大きな国ができてきました。その中でも、大和の国の勢いが特に強く、四世紀ころには九州から本州の中部ぐらいまでを一まとめにした大きな国になりました。日本の国の統一ができ上がつたのです。これを大和の朝廷といいます。」、この方が史実としてはっきりしております。それを、大和朝廷が順次近隣の国を統一した経過をつまびらかにしろという指示は明らかに片寄つている。建武の中興だってそうですよ。この前も例に出しましたけれども、「後醍醐天皇は京都にお帰りになりました。しかし不平を持つ武士がまた乱を起こしかけてきました。」こういったような経過の記述の方があの当時の事実としては忠実である。それをあなたの方は、「再び京都に帰って再び天皇政治が始まりました」というように書けというように指示している。日清、日露の戦争だってそうじゃありませんか。たとえば指導要領に示された内容からすれば、日清、日露、対韓、対支外交等はもっと反省の面も取り上ぐべきであって、歴史的現実についての正しい認識というものが正しい認識だけを強調しておって、逆の半面というものを忘れておっては教材としては不適当だ、勝つたつた、国威宣揚だ、こういうものの見方というものは、これが一方的でないと、どうして言い切れますか。あなたの今までの話で、とにかく一次検定であれ、二次検定であれ、文部省調査官が指示しておるということは明確になっている。指示したところも、朝廷に関する、天皇に関するところが多かったということも明確になっている。あなたはあなたの立場の御説明があったけれども、この点ははっきりしておる。これは認めますね。
  126. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 指示する事項というのは、先ほど申し上げました通り何百という点にあるわけでして、その中で天皇に関する、朝廷に関する指示が多かったということは認めるわけに参りませんで、これは私の記憶では非常に少ないと思っております。一冊について何百とあります。
  127. 加瀬完

    加瀬完君 史実ですね、史観についての指示ですよ。そんなにありますか。何百というほど指示していますか。史実の内容や、史観についての指示は、数は多くはありません。その中で比較的多く指摘されている数は、朝廷関係のものに多い、あるいは経済史関係のものに多い。この間あげた点を、あなたは指摘しないと言うけれども、少なくもあの会社がああいうふうに——会社自身で改めたということを一歩譲つても、書き改めざるを得ないような示唆というものが文部省によって行なわれていることは事実だ。これを否定しますか。
  128. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 全体の指示のうちで、おっしゃるような部分に関する指示というのは、どのくらいの割合を占めているかということは、正確に今申し上げられませんけれども、おっしゃるように多いとは私絶対に思いません。私、どの場合も全部一緒に会議しておりますので、大体記憶に残つているのですけれども、多いとは思いません。史観に関するもののうちの、天皇に関する、朝廷に関するという——ちょっとそのお言葉の意味よくわからないのですけれども、とにかく、そう多いとは思いません。それから、何もそういうことについて、特に意識を私どもしているわけじゃないのでして、これはたびたび申し上げる通り、実は、そういうことを言える段階になっている教科書はよほどできのいい方でして、そこまでいかない教科書が大部分なのです。その前に基礎的な事項でめちやくちやに間違つている、何としてもこれじや使い物にならぬというのが大部分なのですから……(「そういう考え方が間違いだ」と呼ぶ者あり)実は私ども、教科書を見る前には、多分りつぱなものだろうと思って開くのでありますが、こまかく見ていくと、どうしても粗末だ。それをようやくとにかく直してもらって合格と、それでもどうしても手のつけられないという場合に不合格と……。
  129. 加瀬完

    加瀬完君 それはおかしいですよ。無から有が出てくるものじゃないのですよ。教科書は原形はあるのですよ。しかも文部省の検定を通つて使われておるものが。それに加筆訂正をされて、あらためて検定に出されたものの方が数が多い。そうすると、今までの一体文部省の責任はどうするか。今まで、ここ十年間ぐらい、検定によって通つてきた本によって子供たちは学習しておった。それがあなたの今言うように、それに加筆訂正をして出したら、それが全然検定の場にも上せるに値しないような、ろくでもない教科書である。ろくでもない教科書を使わしておったのはだれか、そういう問題が起こつてくる。そうじゃないのですよ。あなた方の検定のものさしが変わつてきたから、みんなだめになって見えてくるのです。文部省一つの検定の新しいものさしというものを持っているのでしよう。指導要領とか何とかいうことを言わないで、歴史教材については一つの史観というものを持っているのでしよう。もっとはっきり言いましようか。某審議会委員は、教科書のまん中から右は幾ら右寄りでも全部とれ、少しでも左に寄つたものはみんな落とせ、こういうことを言っておる。あなた方の調査官の中で、はっきりとそう伝えてくれたものがある。それは調査官だけの問題じゃない。審議会という、パージになったような連中がごつそりとたむろしておる審議会というものがあることはわれわれも認める。どうです、これはないというならば、これから事実をあげますよ。
  130. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 今の終わりの方に、某審議会委員が、右半分はとれ、左半分は落とせというのは、調査官ですか、審議会委員ですか。
  131. 加瀬完

    加瀬完君 某委員です。
  132. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 審議会の席以外でどういうことをおっしゃるか、これは私存じませんが、審議会の席でそういう発言は一つも聞いたことはございません、私、一回も欠席せずに審議会に出ておりますが。それから審議会以外のところで何か言つたといううわさも私聞いたこともございませんから、どうぞその点は……。
  133. 加瀬完

    加瀬完君 あなたは世間の話を一つも聞いていないのです、非常に困る。何かというと、一つも聞いておりません、一つも聞いておりません。知らぬは何とかばかりなりというが、知らぬは調査官ばかりなりで、そういうことは世論一般に知れ渡つておることです。それじや具体的なことを聞きますよ。実教出版社の高校世界史というのがある。これは不合格になりました。上原専碌さんの監修です。この不合格理由書というものが文部省から出版社に来ておる。それを見ますと、「この原稿は、地図、注等の豊富なこと、叙述の平易なこと、また、日本を中心とした世界史を、科学的、系統的に理解させようとする意図が見られること等の特長があるが、全体にわたって誤記、誤植が多く、内容の信頼性を著しく減じている。」、特に年代について誤りが何点、表現にも、文意の通らないものが三点、これらを直さなければだめだというので不合格になった。文部大臣に伺いますが、「この原稿は地図、注等の豊富なこと、叙述の平易なこと、また、日本を中心とした世界史を科学的、系統的に理解させようとする意図が見られること等の特長があるが」と、いい点を認めておるわけですから、あとの誤記、誤植等、欠点を全部訂正すれば、これはパスする可能性のある内容だと文部大臣お考えになりますか。
  134. 松田竹千代

    ○国務大臣(松田竹千代君) 私はまだ今初めてこれを見るのですが、内容を研究しておるわけではありません。今おつしやったようなことでありまするならば、それはよろしかろうと思います。
  135. 加瀬完

    加瀬完君 そうでしよう。ところがこれがそうじゃないのですよ。そこで私はおかしいというのです。そこで、この実教出版社の東大教授の江口さん、それから上原さん、こういう方々が調査官に直接会つて、それでは訂正すべきところはどこか、一つ指示してもらいたいといって具体的な個所をただしました。この調査官はおやめになった中田調査官と現在おやりになっておる方一名。ところがこの調査官は、さらに次の内容について重ねて指示または示唆をしてくれました。それは特に不正確な記述という抽象的な言葉で次のような点の指示をされたわけです。一つは国際連盟。国際連盟の記述が不正確だということであります。それはどういうことを書いてあるかといいますと、「第一次世界大戦の結果であるヴェルサイユ条約も、目ざめた民衆の声に影響されて、民族自決、無併合、無賠償というような理想のもとに出発しなければならなかったが、実際には結局、近代国家の利益に左右されていた。」云々、これが不正確だというのです。それから同じ本の二百七十一ページにはこういう文章がありました。「兵器として用いられた原子力の威力は、人類が繁栄か、破滅かの岐路に立っていることを示し、人々に戦争と平和の問題について人類の歴史を新たに徹底的に反省さすべき機会に当面していることを考え始めている。」、そうしたら、人類の繁栄とか、人類の歴史などというようなことをここに出すのは不適当であると言われた。第三点として指示されたものは、同二百八十七ページ、ロカルノ条約と不戦条約のところで、「このような西ヨーロッパ諸国の安定は、ソビエトには孤立化の不安を与えた。」、孤立化の不安を与えたというところを取れ、こういう指摘があった。二百九十五ページの「日独伊枢軸の形成に対しては、さらにこの年十一月、日独防共協定が結ばれた。」という中に、人民戦線に対応して日独防共協定が結ばれたというように、人民戦線に対応してという言葉を入れろ、こういう指示であります。安全保障理事会、三百七ページのところ、「米、英、仏、ソ、中国には拒否権が与えられているが、それは第二次世界大戦を遂行した諸勢力を反映するものであるが、ソ連と中国とが拒否権を与えられていることは、国際連盟が社会主義勢力や従属的諸民族の立場を全く無視したことに比べて大きな相違点である。」、これは不正確だということであります。同三百八ページのソ連と東ヨーロッパのところで、「欧米側から激しい批判を受けたが、ソ連はこれらの国々にさまざまな援助を行ない、社会主義勢力の発展に努めた。」とありますのに対して、さまざまな軍事的経済援助と軍事援助という言葉を入れろという指示であります。それから三百五ページ、「ロシアの諸領土について」というところで、無併合、無賠償でないところの理由を詳しく書け、チャーチルの三月演説について、鉄のカーテンということを十分説明しろ、それからその他の点もありますが、今のような点が指摘をされました。しかし、これは史観の問題であるから、必ずしも今言つたような指示を学者としては全面的に認めるわけにいかない。しかし、文部省から御指摘のあった教育上の立場から見て、誤字とか、誤植とか、あるいはさし絵の不鮮明とか、説明の不十分とか、こういうものは十分に直すべきであるというので、その点を訂正の上、三十三年の七月にこの訂正文を出しました。そうしましたら、十一月に不合格の通知がありました。その不合格の通知と比べていただきたいので、また最初の文を読むと、最初のは、「この原稿は、地図、注等の豊富なこと、叙述の平易なこと、また日本を中心とした世界史を科学的、系統的に理解させようとする意図が見られること等の特長がある。」が、こういう点が悪い点」、こうなっている。今度は違います。「この原稿は、内容において不正確な記述が多く、全体にわたって信頼性を減じているばかりでなく、現代世界の諸問題を客観的に認識し批判する能力と態度とを養う上に妨げとなっている。」、よって不合格。ですから、この人たちは、どのようにわれわれが誤字、誤植といったような技術的なものを訂正しても、歴史に対する考え方そのものを改めない限り、文部省はわれわれの本を教科書として通してくれる見込みがない、こういう判定に立たざるを得なかったと言っている。第二次不合格通知の内容は、第一次検定の際の、この原稿はこういう面では非常に特徴的ないいところがあるといういい面というものを全然否定しているわけであります。これは一体どうしたわけですか。第一次検定でだめになった注意された多くの点を直して出して、今度は第二次の検定ではさらにだめだという烙印を押されている。これは調査官、どういうことでしよう。
  136. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 実は、第一次で落ちて第二次でまただめになって、三度出してもだめ、三回続けてだめになったというような例もほかにもございます。二度目には必ず通るということではございません。
  137. 加瀬完

    加瀬完君 そんなことは言っていない。あなた、政治的な答弁なんかいらないです。学者としての答弁をたのみます。初めの第一次検定では、「この原稿は、地図、注等の豊富なこと、叙述の平易なこと、また日本を中心とした世界史と科学的、系統的に理解させようとする意図がみられること等の特徴がある。」、こう認めている。これはほめている、文部省自身としても。しかし全体にわたって誤字、誤植があるからそれを直せ、こういう指示であります。ところが誤字、誤植を直して出しても、結局、歴史の見方そのものを変えておらないからだめになった。だめになった文章は、「この原稿は、内容において不正確な記述が多く、全体にわたって信頼性を減じているばかりでなく、現代世界の諸問題を客観的に認識し批判する能力と態度とを養う上に妨げとなっている。」、こういうものです。一次検定でこういうように一応いい点を認めたのが、二次検定では、なぜ一次検定で認めたいい点をも全部否定するような不合格通知書を出したのか、その違いを聞いているのです。
  138. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 今お話しのは世界史だそうでございます。この教科書が落ちたとき、その理由書を向こうに手渡して、さらにそれについて質問に応じてお答えした、その席の模様を実は思い出すのでありますが、(加瀬完君「あなたはいなかったはずだ」と述ぶ)第一次のときは私おりまして、著者の上原専碌先生初めそろって、江口先生もおいでになって、学会の論戦ではないかと思われるぐらい気持のいい会議が開かれたわけであります。多分その教科書のことをおっしゃっているのじゃないかと思うのでありますけれども、それぞれ専門の著者の方がお見えになった。こちらの調査たちもいろいろと意見を申し述べました。その長い論議のあとで、そのとき中央におられた代表の著者の方が、わかりましたと、そういうふうにおっしゃって、大へん気持よくお帰りになったのを私覚えております。そうして、それが今度は第二次にお出しになった。第二次に出しましたとき、前申し上げたような点が全部もし改まっていれば、もちろんおっしゃる通り合格の可能性があるのだと存じますが、まだ残つている部分がある。実は、この本にはいろいろと先ほどお読みになったような長所もあるにはあるのですけれども、それをまた上回るような欠点もあるということで、審議会でも相当論議されたものでありまして、そういう意味で、二度目に出したからといって通ると、第一次のときに申し上げた欠点が全部書き改められているとは言えないわけであります。
  139. 加瀬完

    加瀬完君 私そういうことを聞いているのじゃない。第一次検定で不合格ではあったけれども、原稿のこれは特長的ないいところだと認めたものまでも全部否定するような第二次の検定の不合格通知というものがあり得るか。そこで、これでは誤記、誤植をどう変えようが、史観としては学者がどのように主張しようが、その主張が学問的に見て正しかろうが、新しい政治動向、すなわち文部省の史観というものに合わなければ初めから不合格なんだということになるのじゃないか、文部省史観というものが初めからあってしかし、それを表に出さないで、この活字が違つているの、この年号が違つているのと、どうでもいいようなことだけ不合格の理由にして、それだけ全部改めて出せばどうなのかというと、違うのだ、おれたちのものさしはもっと厳然たるものがあるのだぞということになるのではないか、こんな不親切な不合格通知、あるいはまた調査官との間の話し合いでも不徹底な指導というものはないだろう。なぜほめないで、お前のところはこれはいいところもあるけれども、これを基本的に直さなければだめだということを初めからなぜ言わない。そのことを言っている、どうなんですか。
  140. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 基本的に、ここはこうでなければいけないという特定の史観というものが文部省にあって、ものさしでということは、これはしいて言えば、やはり指導要領ということになるのでありまして、文部省に特別な史観、そういうものは全然ありません。
  141. 加瀬完

    加瀬完君 それじやお尋ねしますが、審議会の会議と調査官の会議とは二段がまえになっているのですか。
  142. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 審議会委員調査官の関係でございますか。
  143. 加瀬完

    加瀬完君 審議会の検定の会議というものと、調査官の会議というものは別々に持たれて、二つの違つた性格として存在しているのですか。
  144. 太田和彦

    説明員太田和彦君) まず審議会に出す前に調査官だけで会議いたしまして、そうして結論としてできた案を審議会に出しまして、この審議会の席で調査官も説明役に加わりますが、もちろん決定には調査官は参加できません。審議会委員で御判定になる、そういうことになっております。
  145. 加瀬完

    加瀬完君 この原稿は調査官会議を通過していますね。審議会の会議に行ってだめになった。そのときにある審議会委員が、まん中に線を引いて、まん中から右は幾ら右でもいいが、まん中から左は全部切れそうでなければ検定は全部だめだという発言があった、こう言われた。調査官会議で通したものを審議会内容の検討というのは、むしろその調査官の方が詳しいわけですから、どういうわけで第一次のような不合格通知が第二次のようなきびしい不合格通知になったのか。その審議会のこの当時の状況一つお話し下さい。
  146. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 実は調査官の原案はどこまでも原案でして、調査官の原案のほかに調査員の原案もございます。二本立てで審議会に出るわけでして、審議会ではその両方を参考にしながら審議会自身の独自の判定をする。これは建前もそうですし、実際そうでありまして、われわれの原案が審議会においてひっくり返るといったような例はほかにもたくさんございます、ほかの場合でも。これは決してめずらしいこれだけの例じやございません。
  147. 加瀬完

    加瀬完君 なぜ調査官会議で通ったものが審議会でだめになったか、だめになった理由はどこだと、それを明らかにしてもらいたい。
  148. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 実は恥ずかしい話ですが、調査官もまだ未熟でして、審議会委員の先生方から見れば、全くこれは自分の弟子か子供みたいなものであります。われわれがかりに詳しく答弁いたしましても、審議会委員の方から、これはこうじゃないかと言われれば、はあさようでございますかとわれわれは言う、そういう立場であります。これは権限がどうのこうのというよりも実力の違いでやむを得ない、残念ながら審議会委員に及ばないと私考えております。
  149. 加瀬完

    加瀬完君 及ぶ及ばないということを私は聞いておるんじゃないんです。どういう理由で、これが調査官会議で通ったものが審議会でだめになったかということを言っておるんです。その理由は何かと言うんです。
  150. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 正確にその会議を覚えておりませんけれども、記述に不正確なものが相当多いということを、特にそれは国際関係の部分で指摘されたように記憶いたしております。その部分を指摘されたやはり国際法の大家がおりますが、その問題が論議の中心になって、かなり長い時間かかったという記憶を持っております。
  151. 加瀬完

    加瀬完君 国際法の大家というのは横田喜三郎さん、あの方がどういう考え方を持っているかというと、これこそ偏向だ、だから、これを明らかに現代の部分の認識方法を横田さんの認識方法と違つた見方をしているということで、これはだめになった、そうですね、間違いないでしよう。
  152. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 人の名前を出すのは大へんあれですが、横田先生は十五人の委員のうちの一人でありまして、大家でありますけれども、そのほかに同じような大家がほかに十四人そろっております。
  153. 加瀬完

    加瀬完君 このとき立ち合つたのは、高山岩男さん、横田喜三郎さん、森克己さん、青山定雄さん、高村象平さん、こういう方々がおもで、この人たちの中には……どういう経歴ですか、この人たちは。偏向の人が多いんじゃないですか。
  154. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 実は審議会委員の人事のような問題は、私全然これはほんとうにわれわれがどうするわけでもありませんし……。
  155. 加瀬完

    加瀬完君 あなたにどうしてもらおうということは言ってない。
  156. 太田和彦

    説明員太田和彦君) これはただ非常に偉い方々ということで、われわれはその仰せに従ってやっている。今お話の中で、森克己さんのお名前がありましたけれども、この方は審議会委員に一回もなったことがございません。
  157. 加瀬完

    加瀬完君 偉いか偉くないか、その人たちのことを聞いておるんじゃない。そこで、その審議会理由に上げたものは、国際連盟、ウィルソン十四カ条、ロカルノ体制の記述が違つている、こういうことだった。そこで、私がさっき上原さんと江口さんと言いましたのは訂正いたします。初めは執筆の人たちが行って、実際担当者が行って、この第二の不合格になったときに江口さんと上原さんが行って、江口さんが主として史実観の上から、どこに考え方の間違いがあるかということを指摘した。江口さんはこういうことを指摘した。確かに第一次大戦後の平和の大勢について普通説かれているところとは違つているが、説かれなかった側面、すなわち反社会主義、植民地主義的側面というものを指摘することが必要だと認めたのだ、こういうふうに江口さんは言っておる。しかも、なぜわれわれがそういう点を特に強調したかというと、現在、日本人として国連支持、AA諸国との提携などという場合には、どうしてもこの点を鋭く認識することが必要である。第二としては、国際連合を歴史的にいかなる意味を持って支持しようとするかを考える場合には、国際連盟の狭さや限界について反省をすることが必要である、こういう歴史的な教育的な判断において国際連盟なりその他の問題を書いたんだと、こういう説明をいたしましたときにですね、あなた方は何と言いました、お説ごもっともと言つたじやありませんか、反論をしなかったじやありませんか、どうですか。
  158. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 申しわけないのですが、第二回目の判定のときの様子を私直接見ておりませんけれども、話を聞いたところによりますと、かなり論議はやはりあったようでございます。
  159. 加瀬完

    加瀬完君 安村、河上両調査官もいたのです。そうしてこの先生方の指摘にこの両調査官は否定をすることができなかった、ロカルノ体制についてのソ連の孤立化の記述が不正確だと言つたけれども、初めにという総括の場所の説明で、国際連盟というものを著者がどう理解しておるかということを十分示してあるので、前後を読めば不正確というのはおかしいじゃないかということの指摘に対しても、そう言われればそうだと調査官は承知をしておるのです。それからウィルソン十四カ条についても、一九一八年の一月の客観情勢としては、ロシヤ革命のもたらした事情が最も直接の契機をなしているということは、アメリカ側のウィルソン側近の史料によっても裏づけられるのじゃないかと、史料を示して言われておる、これもぐうの音も出ない。こういうように、歴史教育者としては、歴史的な教育者的な観点から十二分に説明ができる記述であり、また教育的にも、初めあなた方が認めたように、日本というものを中心としての世界史として非常に系統的に科学的にまとまっていていいと認めながら、横田さんなら横田さんという一人の見方がノーというとだめになる、こういう検定のあり方というものが一体許されますか、切り捨てごめんじゃないですか。
  160. 太田和彦

    説明員太田和彦君) これは調査官の場合でも一人の意見ではどうにもならない、同様に、審議会の判定というものも一人の意見でどうなるという例は全然ございません。これは十五人みんな、決してある一人の説を聞いて黙つているというような方ではございません。審議会の模様というのは、相当激しい、学会の論戦のような形になっております。
  161. 加瀬完

    加瀬完君 学会の論戦であっても、論戦されて説得されてしまう、あなた方調査官はごもっともですと、この学説なり、この記述なりを認めざるを得なかった。しかも、これはだめになつしまう、こんな検定というのはありますか、一体。学力からいったって審議会委員の方が上だということが言われますか。
  162. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 今説得されたというお言葉がございましたが、これは審議会において審議会委員に私たちが説得されたという意味ならば、当然これはそういうことはしよつちゆうございます。
  163. 加瀬完

    加瀬完君 そうじゃない。第二次の不合格通知書がきましたので、それはおかしいじゃないですかと、上原さんと江口さんが行って、安村さんと河上さんの両調査官に会つた、そうしてどこだと言われたら、国際連盟の場所だ、ウィルソン十四カ条、ロカルノ体制の記述が悪いと言われた。それは君おかしいじゃないか、国際連盟はこう見るのが正しいのだ、ウィルソン十四カ条はこういうウィルソン側近から出た史料に基づいてわれわれは書いているのだから、それはあなた方がそういう史料を知らないだけのことで、でたらめを言っているのじゃない、こういうようなことを詳しく江口さんが話をしたときに、安村、河上両調査官は、この江口教授の説明に反対していないじゃないですか。あなた方調査官が、一応専門家が見て、専門的にもなるほどと思われる内容でありながらも、横田さんなら横田さんという人が強力に発言すれば教科書の検定はだめになる、こういう検定の仕方はおかしくないか。しかも同じ文部省から出たもので、第一次検定の不合格理由書と、第三次検定不合格の理由書というものが、直した方が悪くなっている。それでは、会社に対する不合格通知書というのは出しても出さなくても同じです。いずれにしても、お前のところは落とすということが初めからきまっている、こういうことに解釈せざるを得ない、こう、この当時の関係者は言っている。それでよろしいのかといっているのですよ。
  164. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 不合格の理由説明する場合に、著者の方に、調査官が立ち会つて説得されて、ぐうの音も出なかったというお言葉でございましたが、そういう事実は私ども聞いておりませんが、これは、なおよく御本人からも詳しく聞かないと何とも私どもお答えできないと思います。ただ、合格の場合は別ですが、不合格の場合に、理由説明、そうなりますと、そのときには、よくないことがあったのでしょうか、比較的著者の方の方の言い分は、ああ、さようですかと聞く言葉が多いのです。もう合格、不合格はきまってしまつた、これは落ちてしまつたのだから、あなたの言い分もよく伺ってと、かなり謙虚な態度を示すという例はよくあります。多分そんなことじゃないかと私は想像いたしますけれども、なお、よく直接御本人に伺ってみまして……。
  165. 加瀬完

    加瀬完君 これは大臣に伺いますが、いろいろ立場はあるけれども、文部省はだめだ、こう言う。ところが多くの学者は、これは歴史の教科書として適切じゃないか、こういう見方もある。こういう場合に、何か救済方法は文部省として考えなくてもよろしいものですか。一方的にだめだといって落としてしまえば、来て、いろいろ文句を言ってもそれは聞き流す、太田さんのような考えで。学問的にまじめに、生徒のためを思って教科書を書いても、それが字間的に見れば別に偏向でも何でもないにかかわらず、文部省審議会委員の御意見と違つているというだけでだめになってしまう、こういうようなことで、この著者や会社が何か異議の申し立てをして、もう一度この問題を何らか討議の場に上せる、こういう方法を、率直にいえば私どもは考えていただきたいと思うのですが、いかがでしよう。
  166. 松田竹千代

    ○国務大臣(松田竹千代君) 教科書の著作者といいますか、著者と調査官との考え方に差異があった場合、第三者と申しますか、あなたは、だれか仲裁という言葉をお用いになったようでありますが……。
  167. 加瀬完

    加瀬完君 救済です。
  168. 松田竹千代

    ○国務大臣(松田竹千代君) 救済、そういう考え方はないか。ちょうど、それはやはり再提出ということもあって、再提出してもいいということにもなっております。また、私の考えとしては、学者はおおむね良心的であると、まあ思います。しかし、いずれもみなそれぞれの主観を持ち、史観を持ちしておるわけでありますから、そこに意見の相違のあることはまあまあ当然であろう、かように考えますが、自分が良心的に考え、かたく真から信じておる事柄が取り入れられなかったというような場合には、良心的な学者は不合格になることを甘んじて受けるのではないか、私はかように思います。そう私は思います。当然だと。それを自分が、どうでもこうでも自分と意見の違う調査官の歓心を買うために意見を変えるというようなことは、むしろ、これは学者としてとるべき態度じゃない、かように私は考えておるわけなのです。私の考えを述べておるのでありまするが、そういう差異があった場合には、さらにまた再提出の運びもありましようし、また、それらの事柄が審議会委員等の意見もあることでありまするから、私はそれでよろしいと思います。
  169. 加瀬完

    加瀬完君 そこで、文部大臣のおっしゃるように、この著者たちは、新しい政治動向というものを文部省が踏まえておる限りは、われわれがいかに書き改めても、良心を曲げて史観そのものを変えない限り文部省はパスしてくれるはずはないから、われわれが現在の文部省考え方によって検定をパスするということは不可能だからやめようということでおやめになった。そしたら、おやめになってもけっこうです。すでに六万ぐらいこれは教科書として使われておつたものです。そこでこの出版社も、それなら普通の、教科書ではない本として発行したいから、先生方の良心的な著作をわれわれ世に出したいから、私の方の出版でこれを請け負わしてくれということになった。そうすると、著者は、つまり今まで六万の生徒がこの本を使っておってくれたんだ、なぜこの本が不合格になったかということは明らかにしなければならない。著書の一番最初に、どういうわけでどういう点が文部省の忌諱に触れて不合格になったかということを序文として載せる、こういう主張をした。そうしたらその出版社が、そういうことをされては文部省ににらまれて、ほかの出しておるものまでみんなだめになるから、おれの方じや出せないということになった。こういうように、文部大臣は先ほどお聞きでしようけれども、宗像教授の名前を入れておけば文部省はパスさせてくれないと会社自身は考えざるを得ないほど、文部省の検定組織というものに対してはおそれを抱いておる。こういう現実を——そういうお考えが大臣にないことはよくわかつております。しかし今の大臣のときに、こういう検定機構というものを、何らか世論にこたえて、文部省の、文部大臣のといいましようか、明確な方針というものをこの際お出しいただかなければならない時期だと私は考えておりますが、御所見はいかがでしょうか。
  170. 松田竹千代

    ○国務大臣(松田竹千代君) 私はどういう制度でどういうりつぱな人々と思われる人々によって構成されるものによって教科書が検定されても、やはり絶対にそれは批判を免れるものではないと、こういうふうに思います。(「その通り」「原則論としてはそうだ」と呼ぶ者あり)今のお話は、やはり私は商売人としてはそういうふうにやえるのはあたりまえだと思います。(加瀬完君「あたりまえだけで置きつぱなしにしては困る」と述ぶ)しかしそれほど文部省も、先ほど調査官からも話がありましたように、特定の史観を持ってそれでなければ一切取り上げないんだというほど固定した、膠着した、凝滞した考え方を持っておらぬと私は思います。
  171. 加瀬完

    加瀬完君 文部大臣の考え方が私はそうだとは言わない、さっきから。しかし、あなたの非常に気にとめておるように、膠着した、一方に片寄つた検定が行なわれるということは事実です。第一この審議会委員というものがどういう経過によって選考されますか、文部大臣御存じですか。
  172. 松田竹千代

    ○国務大臣(松田竹千代君) それはやはり法的根拠のもとに、何でありますか、私ははっきりしませんが、設置法か何かによって文部省の根拠があって審議会は作られ、またそのもとに多くの調査官が任命されておることと思うわけであります。
  173. 加瀬完

    加瀬完君 せめてこの学者の幅だけでも、学術会議の推薦を待つとか、あるいは権威ある学会の推薦を待つとかいうような方法で、だれが見てもあれは一流の学者が出て、審議会のメンバーでわれわれの著作を検定してくれるんだからという信頼性がないところに今問題がある。そこで学術会議なり、あるいは権威のある学会なりの推薦というものを待って文部大臣が任命するという方法はお考えになりませんか。
  174. 松田竹千代

    ○国務大臣(松田竹千代君) これらの人々を任命するにあたっては、当然、片寄つた考えを持つた人々でない、広い視野に立って、そうしてそれぞれ専門家が歴史について、あるいはその他の問題について正しく判定し得るような人々を任命されておることと私は思う。
  175. 加瀬完

    加瀬完君 思ってもそうでない。そうでないからこういう問題が起こる。新しい欠員が間もなく生じてくる。その場合に、学術会議なり、学会なりの推薦の中から選ぶというような方法はお考えになれないか、新しい問題として大臣の御所見を伺っているわけです。
  176. 松田竹千代

    ○国務大臣(松田竹千代君) それはこうした問題についてもいろいろ欠陥が明らかになりますならば、これを是正し改めていくということは考えていかなければならぬと思います。
  177. 加瀬完

    加瀬完君 蛇足ですが、大臣に申し上げておきますが、今の審議会委員は内部で推薦するというような形がとられておりますよ。類は友を呼ぶというような形では、これはますます検定が片寄らざるを得ない。これは大臣の御決断を私どもは待たざるを得ません。  そこで、調査官の意見よりも審議会意見が決定的なものであって、調査官できまつたことも審議会でたびたびたびつがえしておる、こういう御発言があったが、しかし審議会は、一人々々の委員は全部の教科書というものを、調査官が調査をするように、つぶさに見ておりますか、現実問題として。
  178. 太田和彦

    説明員太田和彦君) これは審議会委員、まあ社会科で言いますと、十五人の方々は実に感心するくらいよいよ見ていらっしゃいます。もちろん時期によって、今度はどうもあまりよく見れなかった、そういうふうにおっしゃる場合もありますけれども、これは実に私どもおそれ入るくらいよいよ見ていらっしゃいます。さすがえらいと思っております。
  179. 加瀬完

    加瀬完君 それじや伺いますが、さきの実教出版の「高校世界史」で、横田さんはどういう個所をどういうように御評価になりましたか。あるいは高村象平さんはどういう御主張をお述べになりましたか、高山岩男さんはどういう御見解でありましたか。
  180. 太田和彦

    説明員太田和彦君) これは記録を調べてからでないと不正確な御返事しかできないと思いますので、お許しいただきたいと思います。
  181. 加瀬完

    加瀬完君 私が指摘したいのは、特に横田さんなどは外交問題などでははっきりと自分の立場というものを堅持して一歩も譲らない。自分の考え方に合えばパスする、合わなければこれは偏向した見方だ、こういう見方をしておるといわれている。横田さんが自分の説は説だが、江口さんの説も傾聴に値すべきものもあるから、これをとる、とらないは現場の先生がするのだから、これは教科書としては一つ方向として、あなたの言うように独創性のあるものだから、一つこれは認めてやろうじゃないか、こう言うならばわかる。広い学問的なそれぞれの立場をお互いに認めてやる、そういう検定の仕方はやっておられないじゃないですか。だから一方通行だというのです。
  182. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 横田先生についてただいまの御批評の事柄は、私そうだというふうに肯定はいたしません。  それから、だれか一人の委員の方の意見によって、それに合わなければ落としてしまう、そういったような事実は私はまだ今まで見たことはございません。これはいつも十五人の方々、出席している方々の間で長い時間慎重協議されております。
  183. 加瀬完

    加瀬完君 それは聞かれればそう答えざるを得ない。しかし、問題はあなた方の間でパスした実教出版の「高校世界史」、これは審議会じやだめになった。だめになった理由は、現代史の見方が違う、しかしながら、調査官に説明をされて、あなた方はふんふんと聞いていただろうというけれども、それなら今度は問題は河上調査官なり、安村調査官なり出して下さい。それから江口教授なら江口教授をお呼び下さい。それでどちらがどういう経過でどういう話し合いが繰り返されたか、どちらの方が正しいか、一つ突つ込んだ話し合いをしようじやありませんか。(「横田さんも連れてきて下さい」と呼ぶ者あり)この点どうですか。
  184. 太田和彦

    説明員太田和彦君) 私はその必要ないと思いますけれども……。なお、横田先生はただいまジュネーブの方に行っておられます。
  185. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 関連して。大臣が加瀬委員太田調査官の論議でお聞きになったように、第一回でパスした理由と第二回目に不合格になった理由が全くだれが見ても食い違つておる。そうして太田調査官は本席上でぬけぬけと、それは調査官と審議会の責任だから別ですと、こう言っておる。そして困ってくると、記録にないから御答弁をお許し願いたい、こういう委員会の席上でも責任ある人の答弁がきわめてあいまい模糊であるということが現在の検定の制度、あるいは検定の態度、あるいは検定に携わつておる人々のやっておる仕事の暗さを如実に物語つておると思う。もし文部省が絶対にそういうことはないという自信があるならば、個々の問題にわたって述べる調査官の意見を全部記録にし、そしてまた各教科書会社、執筆者等に文書で渡して、しかもその公開の記録を委員会の席上に出してごらんなさい。これはおそらく太田調査官は委員会で責任追及されるような事態が出てくるはずです。だから大臣にはっきりここで御答弁願いたいのは、少くとも太田調査官が表面的に述べておるように、文部省として一方に偏したり、あるいは今いわれたように調査官の意見と不合格した審議会委員意見が全く食い違つておっても、それは現行制度上やむを得ないというような立場をとるならば、そうしてそのことから起こる世論の疑惑を一掃したいという誠意があるならば、今後の調査官の個々の意見、あるいは審議会の個々の意見を全部速記にして委員会が、世論に、新聞紙上に公表せよとはいいません、委員会がこれを要求した際には一切の意見を出すだけの決意がありますか、大臣、この点についてはっきり答弁をお願いします。
  186. 松田竹千代

    ○国務大臣(松田竹千代君) 何百人の調査官のいろいろの意見ですね、それを一々速記してこれを文書によってやるというような、そういう煩瑣なことをやらなくても、おのずから調査官の意見というのはまとまりがついて、それがたまたま審議会において異なる意見があるというようなことも、これは上層といいますか、最高決定権を持つ審議会において決定されることは当然である、そういうときに多少の調査官の意見審議会意見の違うようなことのあるのも、これは当然であると私は思います。
  187. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 大臣、あなた御老齢だから、何百人とおつしやったって別にそれの取り消しは要求しませんけれども、調査官はそう大した数じやありませんけれども、少なくとも現在、教科書検定制度で世の中の疑惑を招き、あるいは父兄が不安を持っているところは、算数の教授方法の内容とか、あるいは機械の組み立ての方法でなくして、やはり最も重要な史観の問題なり、あるいはかつて天野貞祐という珍しい人が、静かな愛国心とかいう天下の奇説を唱えたような内容が徐々に教科書の中に浸透してきておる、そうして実際に今、加瀬委員から詳細に述べたように、また、かりにこれが野本委員指摘されたように一部の人の誤つた不安であり、現在世論の中で教科書検定の内容に対して大きな疑問が持たれていることも事実です。そうして文部大臣に、自分の子供がおられるとするならば、昭和二十四年ごろからの教科書のある特定の事項を五つ取り上げられ、その記述の変遷の内容をつぶさに調べられると、先ほど言つたように、天野貞祐という人物が静かな愛国心という奇説を唱え始めて以来、自衛隊ができたり、あるいはサンフランシスコ条約が結ばれたり、その後の大きな憲法解釈の論議の変遷につれて変わつてきていることは事実でありますし、しかも調査官の意見が一方的に偏して、天皇中心主義的な過去の歴史観を強制しているのではないかというような疑惑と、そういう意見を自分は直接的に受けたという不満を持っている学者のいることも事実です。これは加瀬委員が具体的に指摘された、こういう内容ですから、私は全部の調査官の言葉を公表しなさいとは言わない、しかし文書で書いて出しておったものが、このごろは口頭で言うために、言つた言わないの水かけ論になっている。だから特に社会科の調査官とか、あるいは歴史の調査官、しかもそれの要点を指摘することができますれば、これは十幾つかの要点を指摘して、こういう教科書の項目に対して意見を言つたのは全部記録にして出すということがなされるとするならば、現在の検定制度に対する不安の大方は一掃して、もっと別に教科書会社との結託とか、あるいは買収とかといったうわさもありますけれども、これは別個の問題として、きようは取り上げませんけれども、少なくとも一つの思想に片寄つた検定制度が行なわれているのじゃないかということは、その公表によって、委員がほんとうにそうやっておられなければ出てくると思う。これは野本委員指摘されたように、特に国民教育の重要な部分をになう教科書内容に関することですから、ほかの委員会でさえも議事録になっているのですから、これは数人の調査官あるいは十人程度のこれに関する審議会委員の発言、これは全員としても大したことはありません。これは検定の脱字、誤字の問題じゃなくて、特に史観とか、国家中心主義的な思想、あるいは国際問題に対する一方的な片寄りの事項等について記録をとるということは決して難事ではありません。清瀬文部大臣は、教科書法案が葬り去られた翌日でしたか、記者会見をして、教科書法がつぶれたけれども、現行制度の中でやりくりをしていくだけの予算は十分ある、もしこれが政治的な問題になった場合には押し切つてしまうという発言をしています。従って予算上の問題も、現在の教科書に対する疑惑と暗黒政治的な疑問を持っている人に対する解決の策としては、決して不当なことではないと思う。で、もう一問、大臣にお尋ねしたいのですが、今私が申し上げたような重要な検定の個所について、調査官ないしは審議会委員の趣旨ないしは指導、助言を与えたことを今後は記録にとつて、少なくとも文教委員会の要求がある際には提出するだけの公明正大な態度をとつてもらいたいと思うのですが、大臣はどうですか。
  188. 松田竹千代

    ○国務大臣(松田竹千代君) 教科書検定について、いろいろ疑惑々々ということをおつしゃいますけれども、一部にはそういう方もあるかもしれませんけれども、全面的にそういうことがあるとは私は思いません。また、重要な教科書の検定のことであるから、主要な問題について、そうしていろいろ調査官とあるいは執筆者との意見の違いがあるような場合に、詳しくそれらのことを記録にとつておく必要はあるではないか——とつておかぬでも私はそういうことは判然しておると思いますが、それらの重要な点については、それは私はおのずから記録をとつておくこともけっこうだと思います。
  189. 岡三郎

    ○岡三郎君 今、審議会等の記録をとることが必要だという点、私はその通りだと思うんですが、これは私が前に商工委員会で競輪問題等について尋ねたときにも、競輪審議会等のああいういろいろな記録は全部とつて、その記録を出してもらいたいと言えばちゃんと出して、どの委員がどういうふうに言つたかというようなことも、全部それを見ればつぶさにわかるようになっている。まあそういうふうに、行政当局は、国政に関して国会の要請があればそういうふうにすることは私は当然だと思うのですが、記録を、現在、審議会の会議録というものをとつてあるのですか、どうですか。内藤さんなら知っているでしよう。当然とつてあるはずだと私は思う。
  190. 内藤誉三郎

    政府委員内藤誉三郎君) 審議会でその教科書が合格であるか不合格であるかという判定をする際に、もちろんどういう点が問題であるかということは、これは審議されますし、大要は記録しておると思うのでございますが、この場合に、合格する場合にはその中でA条件になるものは、これはぜひ訂正をしていただかなければならぬ、B条件はまあ参考にお示しする、こういう点は十分審議会で論じ尽くされているわけでございます。ですから、そういう点の記録はございます。  それからもう一つお答えいたしますが、先ほど不合格になった場合に、文書にして(岡三郎君「そういうことは聞いてない」と述ぶ)理由書を出してないというお話がありましたが、これは間違いでございますので、これは訂正していただきたいと思います。不合格についても出しております。
  191. 岡三郎

    ○岡三郎君 私はそういうようなことは何とも聞いてない。あなたの方は聞かれたことについて一つ親切にお答え願いたいと思う。  それで、あなたの今の言葉の中で、あると思いますという言葉があった。思いますということは想像している言葉だと思いますが、検定審議会の記録というものは確かにあるでしよう。思いますでなくて、あるならあると答えて下さい。
  192. 内藤誉三郎

    政府委員内藤誉三郎君) 一々こまかい委員の発言までは存じませんけれども、どういう点が問題になったという大要の記録はございます。
  193. 岡三郎

    ○岡三郎君 それでは、先ほど加瀬委員から太田調査官に対して、いろいろと調査官会議では通つて審議会でこれが否定された、検定に落ちた、こういうことについて太田調査官はいろいろと言葉を飾られて、大ぜいがどういうふうにやられたか、いかにも民主的にやられたように言われたのですが、われわれとしては、審議会というものがどの程度に民主的にやられておるか、やはりこれを知る必要があると思う。それはなぜかといえば、教科書を最終的に決定する権限が審議会にあると言っても、多額の国費をかけて、調査官、そういった方々を専門に教科書調査さしている。それがやたら審議会でペケをくらうようなら、調査官というものは無用の存在になってしまう。事実は私はそうでないと思う。だから、やはり調査官の調査した事項というものは相当尊重をされていると思う。しかし、これも具体的に内容を当たって見なければわからないので、先ほど加瀬君が言つた実教出版の高等西洋史ですか、外国史ですか、(加瀬完君「世界史」と述ぶ)世界史、これが論じられたときの速記録——速記録じゃなくて議事録、これを御提出いただきたいということが第一点。これは委員長にお願いをしておきます。あるものは当然出してもらえると私は思う。これは商工委員会でもそうです。それが一点。もう一点は、先ほど加瀬君が言われたように、第一次検定ではこれこれとあって非常にいい点がある、こういうことを言われている。ところが、第二次においてはことごとくが否定されてきている。そうするというと、一次検定において示唆されたことと、二次検定において示唆されたことがまるつきり違つてくるということになると、これは前者の場合はだれかが言って、そのときにだれかが発言しなかったものが、あとのときにはだれかの発言が非常にクローズ・アップされて、それが主文になって、通知になって出てきているのかというふうにも考えてみたくもなる。だから、そういうふうにいろいろな問題があるんですが、私が聞きたいことは、一次検定のときに、最終的にこうこうだという批判をつけて出した。二次検定のときにも同じような順序で手立てをされていると思うんですが、どうしてそういうふうに極端な違いの問題が出てくるのか、これを内藤さんわかりますか。調査官なり、調査委員なりでそうしたものが会議されて、そうして一つのものに固まって、それが検定審議会へ行って、その調査官の報告をもとにして、調査員の報告をもとにして、そうして審議会一つの結論が出た。そうして第一次検定ではこうなったということでしよう。第二次にも同じ人が同じ工合にやっていって全然違うものが出てくるのは、どつちかがアブノーマルになったか、突然変異を起こさなければ、こういうことにはならぬと思います。それはどういうことか、あなたは知らぬから太田君。
  194. 太田和彦

    説明員太田和彦君) ただいまのお話は、まあ教科書の名前もおつしやったから申し上げますが、その実教出版の世界史、これは第一回目に落ちたときの不合格理由書というものは、その当時、こういう紙の半ページくらいの大きさのものに、大体一ページちょっとぐらいのもので、そういう文書を不合格理由書として会社に出しておったわけであります。ところがその後、不合格理由書というものは、死亡診断書みたいなものでもらっても何にもならぬ。それはなくていいものだから、口頭で詳しく言ってもらいたいというような要望が業者からたくさんございまして、それならばというので、理由書の方は文書を非常に簡単にしまして前ののから見ると、半分ぐらいの長さにしてしまって、それに口頭での説明というものを加える。そういうふうになったちょうどその境目であります。一次検定のときには前の様式の理由書が参っている。二次のときにはあとの様式のが参っているはずであります。そういうふうに記憶しております。(「それは違いますよ」と呼ぶ者あり)
  195. 岡三郎

    ○岡三郎君 それから審議会の記録を出してもらうことを。
  196. 内藤誉三郎

    政府委員内藤誉三郎君) 審議会の記録を出すべきかどうかということは、これは私相当問題だと思いますので、よく検討させていただきたいと思います。
  197. 岡三郎

    ○岡三郎君 ちょっと待って下さい。問題があるということはどういうことなんですか。具体的に、つまりこの委員会文教委員会として、私がないものをここで作つて出せと言つたってこれは無理なことだ。現実にいろいろな審議会があると、審議会の議事録というものはみなどこの省でもとつてあります。それを出せと言えば出してくれます。だから文部省の場合においても、何かうしろ暗いことがあるから出せないのかというふうに、また私の方で要らざるそんたくをしますから、そうでなくして、よく航空図の問題も盛んに言われたが、何も問題じゃない。出せるなら出してもいい。現物があるなら——出すとか出さないとかそんなやぼなことじやなくして、どうして出せないのか——出せないのじゃなくてどうして検討するのか、それを一つ答えて下さい。
  198. 内藤誉三郎

    政府委員内藤誉三郎君) その前に、先ほどお尋ねになりました点を御説明しておきたいと思いますのは、実は、調査官が合議制である意見をきめます。で、もちろんその中に問題点が指摘されるわけでございます。この場合に、調査官の意見と同様に調査員の意見が重視されるわけでありまして、調査官が四十人、調査員が五百人ほどおるわけです。その両方の意見を参考にして、審議会委員がみずから本を何べんも読んで、審議会委員の方々は自分の意見をお持ちになって、参考に調査官の意見調査員の意見を、双方を検討されて最終決定をされるわけであります。この場合に、今お話のように、どの委員がどういう発言をしたというようなことがやはり外部に出ますと、この点は私、委員の方々の了解を得なきゃならぬと思うんですが、調査審議会委員はそういうお約束で実は委嘱しているわけじやございませんので、調査審議会委員の自由を確保するという点で、多少、私、問題があるのではなかろうかと考えておるのでございます。
  199. 岡三郎

    ○岡三郎君 根本的に大きな問題ですよ、内藤さん。子供に与える教科書ですよ。それを検定するというものは、これは公ですよ。どこまでもパブリックでなきゃならぬ、こういうことは。子供に与える教科書でないものならば別ですよ、秘密のものとか何とかなら。子供に与えられていくべき教科書を、最終的にこれが合格か不合格かという重要なる会議をする、その会議の内容事項が、その人々の許可を得るとか得ないとか、そんなことになったらこれは大へんなことですよ。それこそ、この会議自体が何か特定のイデオロギーか何かでやっているということが内在するから言えないというふうなことになるという、そういうそんたくも生まれてくる。そうじゃなくてどういうふうに審議会がその検定の審議をされているかということを、文教委員会としては知らざることの方が、こけのさただと私は思っている。国家の文教を論ずる者が——数多くの学童に与えられる教科書がどういうふうに検定され、合格、不合格されているか。これはあなた、オープンの上にもオープンで知らしていかにゃならぬ。それが隠されているから誤解を生むと私は思うんですよ。これは文部大臣、どうですか。私はそう思う。これは文部大臣ならばその通りと言うほかに言葉が……。
  200. 松田竹千代

    ○国務大臣(松田竹千代君) 重要な問題でありまするがゆえに、十分に審議会委員なり、調査官に検討してもらわなければならぬ。そのときに、これを、一々その発言を一般に公表するという場合には、やがてまた調査官なり、審議会委員の自由なる発言を拘束するような結果になることはおもしろくない、こういう考えがあるわけでございます。
  201. 岡三郎

    ○岡三郎君 文部大臣、文教委員会が検定審議会の審議の状況を知るということでですね、どうしてその調査官なり、検定調査審議委員の何ものかを拘束するんですか。それは私はおかしいと思う。子供に与えるべき重要なる教科書を公的に審議しているもの、それを全部つまびらかにできるはずのものを、全部とは言わぬ、その実教出版のその部分についてまずお出し願いたい、それがどうして当該者の自由を拘束するんですか。これは重要な問題ですよ。どういうことです。どういう点で自由を拘束するのか、その理由を言ってもらいたい。いいかげんなことを言われたら困るですよ。これは国政における重要な問題ですからね。文部大臣、これは重要な問題ですよ。どういうことで自由を拘束するのか。
  202. 松田竹千代

    ○国務大臣(松田竹千代君) やはり片言隻句をとらえて、やかましくその人の、発言者の立場、発言者の意図、そういうものを十分に検討せずして、一々これが批判されるという場合になったときには、自由な発言がやはり阻害される、こういうふうに考えられます。
  203. 岡三郎

    ○岡三郎君 文部大臣、もうこれはでたらめだよ。片言隻句とは何ですか。だれが片言隻句をとらえて審議会委員のことを論じようと言っていますか。文教委員を侮辱するもはなはだしいよ、それは。片言隻句をとらえて、だれがそれを論ずるということを言っている、文部大臣。私は片言隻句はとらえませんよ。先ほど言っていることは、子供に与える教科書は重要な問題だ。これを公的に審議している審議会の審議は公明正大であるべきだ。これはだれも言わずしてはっきりしている。その人々が、どういうふうに誤解を解く——どういうふうにやっているか、私は逆に、いろいろ言われているから、世上に。誤解を解くためにもそういうものを出すべきである、こういうふうにじゆんじゆんとして言っているのに、なぜ片言隻句とか、そういうことを言うのですか。私の言っていることがどこが間違つています。また、そういうものを出して、どうして人の自由を拘束するのです。そんなばかげたことがありますか。そんな態度で文教委員会、勤まりませんよ。文部大臣だったらそんなくらいのことは知っている。あなたも自由人で、アメリカのデモクラシーぐらいわかつているはずだと思う。片言隻句なんて言っていませんよ。これは重要な問題ですよ。だれが片言隻句なんて。私は誤解を解くためにも出すことが必要だと言っているのですよ。(「委員会侮辱ですよ、大臣」と呼ぶ者あり)委員会侮辱ですよ。答弁願います。
  204. 松田竹千代

    ○国務大臣(松田竹千代君) 私も国会議員として長年おるのでありますから、委員会を侮辱するというような考えは毛頭ありません。
  205. 岡三郎

    ○岡三郎君 じや、どういうわけだか、理由を言って下さい。じや私は、毛頭ないならば、審議会の議事録を出してもらいたい。これは各省においても、審議会というものは一ぱいあるはずです。いろいろと問題が提起されているから、誤解を解くためにもそういうふうな記録を、やはり世間に公表するとかどうとかという——この委員会の審議の資料に供するという建前でここにやってもらいたいと私は言っているわけだ。だからそういう点で、何も無理を言っているのじゃない。全部を出せとか何とかというと、広範なものになるけれども、実教出版のこの教科書が論じられた前後の事情というと、やはりずいぶん論議を呼んで、太田調査官の方は、会議をしているとか、いろいろなことを言っているけれども、抽象的な言葉でなくして、百聞一見にしかずで、こういうことですというところでいけば問題にならぬ。それを大臣の方が、私の方は片言隻句をとらえるというようなことを言っているが、私はとらえませんよ。すなおにそれを見て、すなおに検定されている人々の労を謝するようになるかもわからぬ。そういう意味ですから、誤解ないように。大臣、出してもらいたい。
  206. 松田竹千代

    ○国務大臣(松田竹千代君) 私が申し上げたのは、この多くの人々によって、調査官なり、審議会なり、何回も何回も会議をやるのですが、その会議の模様をことごとく——片言隻句ことごとくこれを発表するということは、これは事実上むずかしいことである。だから先刻も申し上げますように、重要なものは記録にとつておいてよろしいことだと思うということを申し上げたのでありまして、さりながら、決して私はこれをオープンにやることをいけないと言うておるわけじやありませんので、それらの重要な点についてこれを発表するようにという、この委員会の御決議でもあれば、そういうことによって、それは出すようにしてもよろしい。(「決議じゃないですよ」と呼ぶ者あり)
  207. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 先ほど僕は大臣に答弁を求めたことは、今、大臣から答弁をされた通りですがね。私が危惧しておるのは、内藤局長も関連して答えられておりましたけれども、なるほど形式的には、不合格の理由は文書でいくのです。第一回の調査官の場合も、審議委員会もですね。ところが、教科書会社にも、執筆学者の中にも、賢明な内藤さんはよく御承知だと思いますけれども、調査官もうでという言葉がある。これは私は事実だとは言いませんよ。そういううわさがある。これは何を意味しておるか。ただ、いみじくも太田調査官が言つたように、ただ膨大な百数十カ所に上るものを、これを一枚で指示するために、執筆者あるいは教科書会社がどこが悪いかということが詳細把握できないこともある。しかし、巷間に伝わつているのは、そうじゃなくつて、主としたその真意がわからないために門をたたく。そうすると、実はお前のものはいわゆるF項パージと言われたように、口には出せないけれども、ここがこう違うのだ、だからこれを直さぬ限りはあなたの教科書は売れませんよ。こういう御親切な御忠告がある。これを称して、教科書会社の一部や、あるいは学者の一部に調査官もうでというのがある。僕がつい最近に出てきて、ある教科書会社から聞いたんですが、ある人を教科書会社に世話しようと思って、その際にはっきり言われたのですが、文教委員会教科書検定制度に対して文部省をおたたきになるなら、あなたのお世話の人を入れるのは困りますと、教科書会社が言うのです。これは事実だとは言いませんよ。これほど教科書会社や執筆者がF項パージに対して戦々きようきようとなっておるということは、大臣、紙きれに書かれた文書によるものが表向きでなくて、言葉で伝達された真実の検定内容というのがあるのですよ。だから僕は大臣が言われるように、何百の調査員の片言隻句まで出しなさいとは言いません。事少なくとも社会科に関し、もし要求されれば、ここで幾つかの条項をあげてもいいんですが、これは文部省自身でおやりになるだろうと思いますけれども、現在、教科書検定問題をめぐつて重要になっておる史観の問題なり、これは純粋に学問の問題であって、公務員の秘密に関することでもなければ、一身上の秘密に関することでもない。このことは当然教育の重要な内容を占めるところの教科書のあり方、学問の問題として公表されないのは、ここは、こう訂正すべきだ、ここはこういう見方をすべきだということが、学問の問題として公表されないところに現行検定制度に対する疑惑がある。従って、委員会の決議とかいうことじやなくつて、大臣自身が先ほど岡委員質問に対しても、はっきり御承知になったように、調査官にしても審議委員にしても、少なくとも担当学会のオープンの選挙ないしは推薦によって出てきていないということも、思想傾向が一つの過程にあることを示しておる。こういう点から十分判断されて、委員会の決議としての要求じやなくして、文部省が現行検定内容に対する世論を一掃するためにも、積極的に問題になったことを出してもらいたいというのが第一点。  もう一点は、加瀬委員が追及された——太田調査官にも関係してきますが、調査官が文書にして、しかも執筆者とかなり長い時間かかって話した内容が訂正された。しかも、審議会では全く逆なことが出ておる。このことについては、機関的には調査官の会議と審議会の会議とは違いますから、とやかく申しませんので、審議会で今出ております具体的な問題に対して、最終的に教科書会社にあの意見を出した、その際に、少なくとも第一回の検定不合格の理由を書いた調査官は、審議会委員のその発言に対して、第一回の自分の説と全く手のひらを返すような形に直された際に、どういう意見を出したかを次回の委員会に明らかにしていただきたいと思う。これは具体的に出た問題ですから、内藤局長、できると思います。と申しますのは、少なくとも不合格として文書にして話し合いをした、そのことに対しては調査官は責任があるはずである。しかも、太田調査官の先ほどの答弁の、これは片言隻句をとるようになりますけれども、やはりみんなよこしまな、一方に片寄つた人でなくして、十分会議している由、従って、その第一回の判定書については十分に責任が持たれる。この責任のある文書回答が、審議会でくつがえされた審議の過程における意見を、できるだけ詳細に次期委員会に対して、審議委員の名称と、その発言内容並びにそれに対する調査官の発言内容、これは明らかにしていただきたいと思います。このことは大臣が言われたような心配はないと思います。なぜかなれば、事はすべて学問の領域に関する問題であって、公務員の秘密に関したり、あるいは個人の秘密厳守の憲法上の問題と明らかに違うし、しかも教科書内容を決定するという重要な問題、しかも私が言つたように、現在では教科書に対する不安は非常に渦を巻いている。野本委員が午前中指摘された朝日新聞の論説に関する野本委員の発言をここに例にとりますならば、望ましくない現行の検定制度に対しては、執筆者なり、あるいは教科書会社が、もっと自主的にやればよくなっていくんだ、こういう朝日の論説、野本委員も、望ましくない現行検定制度という朝日新聞の論説については賛成だ、こう言っておられる。朝日の論説というのは、望ましくない現行制度を打開するためにはこういうことが必要だといっているんですよ。だから結論的に言いますが、大臣、第一点は、少なくとも基本方針として、社会科の重要な歴史観に対する調査官並びに審議委員の発言内容については、詳細な記録を出していただくこと。第二は、先ほど加瀬委員から指摘された、不合格になった高等世界史の第一回と、審議委員会の発言内容を次回委員会までには、これまた詳細に出していただく、これをはっきり要求したいと思いますが、どうですか。
  208. 内藤誉三郎

    政府委員内藤誉三郎君) 私どもとしては、審議会委員の自由な発言を一々外部に公表することは適当でないと考えておりますが、ただし、委員会の全員一致の御決議でもございますれば、できる範囲内において善処したいと考えます。
  209. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 内藤局長、少なくとも資料要求をしているのは、ある人に対する誹謗とか、調査官あるいは関係の方々の誹謗とか、あるいは個人の秘密とか、こういう問題でなくて、事少なくとも、どこに出しても調査官としては恥ずかしくない自分自身の思想あるいは史観の問題ですね。これはいやしくも調査官は——ちょっと脱線するようですけれども、この調査官の中には、戦前特攻隊の教官をして、ずいぶん派手な役割を果たされた人もあるように聞いておりますけれども、今は岸さんと同じように、ざんげして民主主義者になっておられると思うんです。個人の思想内容については、少なくとも調査官は、自分の史観については責任を持てるような人だと思うんです。これがそうでない、自分の史観なり、学問的な一つの見識について責任を持てないような人だとおつしやれば別ですけれども、自分の説というもの、あるいは調査官会議というものの論議というものは、少なくとも公のことでありますから、これは当然自由に外に出されて、そうしていろいろな学者が検討を加えて、そうして調査官そのものもそういうことによって成長していくでしようし、外部の人も、それが出ることによって、なるほどこれだけ十分な論議がかわされているということがわかつて、教科書問題に関する疑惑も一掃できると思います。ですから学説に関する論議が少なくとも外に出されて困るようなお方は、調査官として資格はない方だと思う。そういう点では内藤局長も御了解いただくと思う。ことに社会科の史観、あるいは天皇に関するもの、あるいは当時の社会制度に関する見方というようなもの、こういう学問上の領域に関する問題について、私はそれが少なくとも委員会が要求したときに提出されるということのために、自由な意見の開陳ができないような調査官は、これは調査官の資格はないと思う。その点ではどうですか。
  210. 内藤誉三郎

    政府委員内藤誉三郎君) 文部省が外部に公表する理由書といたしましては、大体、不合格理由書がございます。たとえばこの原稿は取扱い内容内容の選択、記述の正確性に多くの欠陥があり、また表現も抽象的、難解であって、児童の学習に適切とは言えない、これが最終的な文部省の見解でございますので、それ以外のものは部内の意見でございまして、いわんや不合格については、別に申し上げる筋合いのものではないけれども、会社側からの御要請がありますれば、問題になった点をお話申し上げる、こういうものでございまして、決して著者の見解を誹謗するとか何とか毛頭考えていないし、著者が自由に著作されることを私たちは期待しているのであります。
  211. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 だから、そこを言っているのですよ。(「食い違いがあるのですよ」と呼ぶ者あり)なるほどあなたがおっしゃるように、公式の見解は紙一枚程度に、太田調査官の言葉を借りると、ちよろちよろと書いてあるものです。これは文書に出すから実に用意周到にしてある。もっとも今、加瀬完生のあげられたようなものは全く食い違つておっていかにおかしいかということがおわかりになったと思うのですが、大体用意周到に書かれている、自分の文章に関する限りは。それよりも現在もっとおかしい問題は、教科書の検定をめぐつて国民が疑惑を持ち、われわれが心配しているのは、文書に書かれないところの調査官の調査官会議における発言なり、あるいは指導、助言と称するものの中に、幾つかあげてみると、やはりどうしても一つの現在の憲法解釈が変わつてきたと同じような、時代逆行的な歴史の見方、こういう見方に偏向させつつあるような指導、助言があっておるという不安を持つのです。そしてそういうことを受けたという学者もすでに——だから自分はもう執筆はしないから世の中に語りますと、こう言って資料を出している人もある。ここが私は問題だと思う。だからそのことを少なくとも、文部省調査官だから、天皇中心制を復活してもよろしいと、現行憲法に違反してもやるのだ、これだけの勇気のある方だと思う。大体そういう勇気のある方が並んでいるようですから、だからどんなに自分の考え方、史観がほかの学者からたたかれようとも、自分の史観については自信のある方だから、重要な個条については、その一片の文書でなくして、指導、助言を与えた内容についても出していただくならば、少なくとも現在の検定制度に対するかなり多くの疑惑は一掃されてくる。それがない限りは、先ほど大臣が言つたようなあいまいな答弁をしている限りは、やはり文部省としては痛いところがあるのだなと、これはほとんど全部の新聞が、まあ新聞を信用するかせぬかは別問題ですが、岸さんみたいな人もおりますから。しかし、まあ大体全部の新聞が同じように、教科書検定問題をめぐつて何か不明朗なことが行なわれているのではないかという疑惑があることだけは事実です。この疑惑を一掃するということは、国民教育を正常に置く上にも、また文部省の今置かれている立場を究明する上にも大切ですから、委員会の決議という内藤さん一流の頭のいいところを見せないで、次回に私が要求したこと、社会科に関する基本的な態度と、それから加瀬委員から出されたものについては、ぜひとも出していただきたい。
  212. 内藤誉三郎

    政府委員内藤誉三郎君) 社会科に対する基本的態度は学習指導要領に明示されておりますので、これが文部省の見解と御了承いただきたいと思うのであります。  それから次に、不合格になったものに対する指導の点が私問題になっていると思うのです。私どもは簡単な文書で一応理由を明示しておりますが、この理由だけではどうも不十分だというので、会社側からいろいろと聞かれる、この場合に指導してはいけないということなら、私どもこの制度はやめてもけっこうでございます。ただ、できるだけ詳細に文書に書いて公表しろとおっしゃるなら、これからできるだけ詳細にその不合格理由を書くように努めることは一つの方法であろうと思います。しかしながら、だれがどう言つたとか、そういう個々の問題を論議されることは、私は適切ではないと思うのでございます。
  213. 岡三郎

    ○岡三郎君 内藤さん、個々の人がどう言つたとか、こう言つたとか、問題は審議会というのは公的機関です。公の機関は文部省だけにあるのじゃなくて各省に全部あります。これは委員の求めに応じて、出してもらいたいと言えば出してくれますよ。だから、個々の部内的な問題を出せと私は言っていない。私は違う。私の言っているのは、いろいろとこういうふうに論議をして、ある部分についてこうだと言っても違うとか、いろいろなことをやって時間をかけるよりも、百聞一見にしかずで、そういう公なところで論議されている問題がつまびらかになれば、大体状況というものはわかるのでないか、あんたの方がうしろめたくなければ、各省と同じようにその審議録といいますか、議事録というものは用意されておるわけです。私はちゃんとこれは前にいろいろな委員会でもらっておりますから、それを出してもらいたいと言つたところが、あんたの方はこの委員会の決議があれば——こんなことは聞いたことありませんよ。文教委員が文教のことについて、そこにあるものを、資料をもらいたい、大部なもので、とても簡単にはできぬとか、大へん金がかかるとか、予算が、そういう金がないというなら、これは別ですよ。私の言っていることに関する限りは、ごく一部分ですね。だからお出しを願いたいと、こうすなおに言っているわけです。それを委員会が決議しなければいろいろな資料を出さぬとか出すとか、そういうことの性質の問題では私はないと思いますよ。それはあなたの方で、文部省が秘密事項でこれは部外秘だと、こういうふうにレッテルを張つて、これは出さないのだというなら別ですよ。これはどこでも審議会の議事録、記録というものはオープンにやっておりますよ。それでなかったら民主的な機関と言えないですよ。審議会というのは、これは専門的な機関としてのあり方の一ページなんですからね。一歩なんですから、このデモクラチックな制度を活用して、審議会が各省に一ぱいあるが、その議事録を出してもらうのに、いまだかつて委員会の決議がなかったら出せないなんて、そんなばかなことありませんよ。取り消しなさい。そんなことは許されない。とんでもない話ですよ。
  214. 内藤誉三郎

    政府委員内藤誉三郎君) 審議会の記録については、教科書の場合は部外秘でございまして、別に外部には公表しておりません。(岡三郎君「いやいやここだよ、文教委員会だよ」と述ぶ)それは著者に御迷惑をかけてもならぬし、また、教科書会社に御迷惑をかけてもなりませんので、部外秘として扱つておりますから、私どもとしてはできるだけ審議会委員の自由なる発言を保障したいという観点から、出すことは適当でないと思いますけれども、文教委員会でそういう御決議がございますれば、できる範囲において善処したいと、こう申し上げているのであります。
  215. 岡三郎

    ○岡三郎君 私の言つたのは、秘密事項になっている問題で部外秘と言つたので、あんたの方が勝手に何でも部外秘部外秘とやられたら、そんなものはみんな秘密会になつちやうでしよう。それはあらゆる会合において秘密会というものはありますよ。あるけれども、少なくとも国政を審議する国会に対して公的なる審議会の議事録が出せるとか出せぬとか、こういうことを委員会で決議が必要であるとかないとか、これは社会党が言っているから問題じゃないので、これは国会、国政の運営全体としての大きな問題ですよ。私たちはあなた方の必要に応じて国政を審議しているわけではないのだから、国民の立場に立って、これは常識ですが、審議しているわけですから、われわれは国民の立場に立って、行政当局がやっていることに対して審議というものを行なっているわけです。出しなさいよ。
  216. 内藤誉三郎

    政府委員内藤誉三郎君) 先ほどから申し上げておりますように、この委員会の審議経過は部外秘にしておりますので、扱い上私どもは外部に出しておりませんが、ただいま国政上審議のために求められているという、こういう御見解なら、文教委員会の御決議がありますれば、できる範囲で善処いたしたいと思います。
  217. 加瀬完

    加瀬完君 今の問題にも触れるわけでありますが、資料の提供ということは文部省は非常に怠慢ですよ。部外秘でも何でもない、教科書の不合格になった理由書を、二、三の会社に伝達されたものをこの委員会に御提出願いたいと官房長を通して私はお願いをしてあるが、まだ出てこない。そういうように非常に資料を出すのを渋つているとしか見られない。そうでなくて、資料資料として出して、勝手にわれわれに論議をさせて、それにあなた方の立場を堂々と答えるということでなければ進みませんよ。
  218. 内藤誉三郎

    政府委員内藤誉三郎君) 加瀬委員お話は、私も承りましたので、実は用意いたしておりましたが、できるだけ委員会において私どもは資料の御要求をしていただければ大へんありがたいと思うのであります。用意はいたしておりました。
  219. 清澤俊英

    委員長清澤俊英君) 委員会でしているでしよう、事務局を通じて官房長に出したのですから。
  220. 岡三郎

    ○岡三郎君 委員長にお願いしますが、先ほど累次にわたって要求しているわけです。委員会の決定があれば出すし、委員会の決定がなければ出さぬ。これは別の意味で言えば、自民党が賛成してくれれば資料は本委員会にもらえるわけです。自民党が反対すればやみからやみということを目算にして内藤君が言っているとしか考えられない。だから、今これ以上文部当局にこの話をしても仕方がないから、文教委員会として検定審議会の議事録、現状においてあるもので、ごく一部分、薄つぺらなものでいいのです。出そうと思えば出す可能性の——あしたにでもできる、こういうものですから、これをはっきりここで委員長にお願いしますが、確定してもらいたい。しかし、私は本来ならばこういうことを言いたくありません。文教委員たる者が、文部省に対して、こういうあれがあったならば示してもらいたい、こういうことを一々文部省の判定によって、ある資料文教委員会の決議がなかったら出せぬとか、ある資料は個人的に出せるとか、そういう判断を文教委員会がするのではなくて、文部省が一々そういうことを判定をするなんていうことに、私はこういうことには従いたくない。だから、委員長の判断によってやって下さい。こういうばかげたことは今まで聞いたことはない。資料について委員会の決議がなければ出せないなんて聞いたことはない。出せなかったら出さなくてもいい。
  221. 豊瀬禎一

    豊瀬禎一君 課長会議の議事録とか、あるいは次官会議の議事録とか、そういう純然たる、先ほどから言っておりますように、公務員の秘密に関する事項であったら、これはいろいろ問題があるでしよう。しかし、岡委員から言われたように、教科用図書検定審議会ですか、これは大体文部省のいわゆる官僚じゃないでしよう。大多数は民間人でしよう、全員かもしれません、よく知りませんが、これは、民間人を委嘱して審議委員にしたということは、やはりあなた方の意図としては、検定制度というものを民主化したいということであったと思う。民主化ということは、もう私が言うまでもなく、はっきりしていると思う。そうして、その民間人の審議会の議事録というのが、新聞に載せてくれとか、あるいは天下に公表しなさいということならともかくも、そのままを文教委員会の審議の材料に一委員が要望して、委員会の議を経なければ出せないとおっしゃるところがわからぬのです。やはり私は教科書検定に対しては、国政審議権の一つとして重要な自分の責任だと思う。だから、たとえば審議会委員の希望で、出しますけれども、委員会以外にはこれを持ち出してくれるなとか、そういう希望がついてくることには僕らは了承します。しかし、国政審議の重要な一つの場面の中に、議決がなければこういう民主的な審議会の正式な記録が出せませんということになると、これはやはり失礼ですけれども、なるほど腹黒いところがあるからお困りになると解釈せざるを得ない。話が長くなりますから、内藤さんに対する質問はこれで打ち切りますが、今言つたように、民間人に委嘱したところの審議会の議事録がなぜ国会議員の審議権の要求によって出せない、議を経なければならないのはなぜかと聞いているのです。
  222. 内藤誉三郎

    政府委員内藤誉三郎君) 実は審議会委員の皆さん方に、こういう点についてはいろいろと御相談しているわけです。審議会委員会では不合格の判定書については、これは委員の皆さん方が責任を持っていらっしゃるわけです。そこで、審議会委員がどういう意見を述べられたかというようなことは、実は公開でなく、非公開で審議会をやっているわけです。そこで、審議会委員の方々に御迷惑になっても相済まぬし、著者にも、あるいは出版社にも迷惑がかかってはならぬと思いますので、文部省としては部外秘の扱いをいたしております。そこで、委員会の御決議でもございますれば、できる範囲で善処いたしたい、こういうことを申し上げているわけでございます。
  223. 清澤俊英

    委員長清澤俊英君) 速記をとめて。    午後四時十七分速記中止    —————・—————    午後四時三十三分速記開始
  224. 清澤俊英

    委員長清澤俊英君) 速記をつけて。  それではただいまの請求せられておる資料につきましては、速記録を出していただく……。
  225. 内藤誉三郎

    政府委員内藤誉三郎君) よく検討さしていただきます。
  226. 清澤俊英

    委員長清澤俊英君) なお、本日の会議はこれをもって散会いたしますが、本教科書問題はなお継続して行ないます。  次回の日程につきましては公報をもってお知らせいたします。  本日はこれをもって散会いたします。    午後四時三十四分散会