○東隆君 私は、
開拓関係の問題を考えるときに、昔の明治時代からずっとこのような
状態でもって
開拓地の問題を考えると、だいぶ問題がむずかしくなると思いますが、たとえば、今の
開拓者は、これはみんな文化施設になれた人が
開拓地に入るのですから、これはもう昔の電気も何も知らなかった時代に入る者と非常に違っておるわけです。従って、どうしても
開拓地には、今の時代における最も進んだものを、中に導入することのできるものは、この際どんどん中に入れてもらわないと問題にならぬと思う。たとえば
道路の問題が先ほどありましたが、これはもとよりでありますが、ラジオにしても、テレビにしても、そういうようなものこそが中に入っていかなければ問題にならぬと思う。そういうようなものには非常に金がかかるようでありますけれども、しかし、そういうものが入らなければ、これは
開拓地に進んでいくことはもう無理なんです。従って、そこに行く者はどういう人かというと、落後者が行くだけです。進んでそこに行って
開拓をやろうというような心組みで行く者はそこに入るのじゃない、今の時代においては。だから、そういうような
意味で環境の整備をこの際どうしてもやって、それを前提に置いて
開拓ということは考えなければならぬ。これはこういうことが前提になろうと思う。
それからもう
一つは、協同組合
関係の問題でありますが、これは農業協同組合法によって
開拓農業協同組合が作られるわけであります。それで、今の
状態でありますと、既設の農業協同組合に加入しようとしない。これは私は
農林省の農地局の方の
指導の線が強いからそういう形になっておると思います。つまり、既設の農業協同組合は
開拓農家に入ってもらっては困るという
考え方、それからまた、
開拓農業協同組合の連中は既設の農業協同組合に入ると、何か自分たちには非常に損なような
考え方、こんなような
考え方で、まさに磁石のプラス、マイナスの形で相反発でなくて、
両方ともみんながプラスの形で反発をしておる。こんなような形が
開拓地に私はあると思う。この際どっちかプラス、マイナスを反対にして、そうして既設の農業協同組合に十分に入るような、一緒になってやるような、そうして中でもって
開拓農業協同組合に対してはそういう線をはっきり出すような形
——今もお話がありましたように、
開拓農業協同組合の構成員は非常に少ないのであります。それで、少ないけれども、しかし、相当散らばっておるということは事実であります。そういうような点で、やはりある
程度、既設の農業協同組合に農事実行組合のような形でもって加入をする必要がある。昔北海道でもって、産業組合の初めのときに、勅令でもって実は産業組合の方が別途にできておりましたが、これは私は非常に
開拓地には考えなければならぬ問題だろうと思う。
開拓農家は
出資をすることができないのですから、その当時はどういうふうにして農業協同組合、当時の産業組合に
出資をしたかというと、労力を提供したもので
出資に振りかえております。組合員が労力を提供して協同組合の仕事をした場合にはそれが
出資になるという形です。そういう形でもって協同組合を作り上げてきた。そうしてしかも、相当強力な無限責任のような形をとっておるわけであります。それから無限責任の形でもって農業協同組合が
開拓地にできるとすると、それは小さいけれども、しかし、非常に強力な共同責任を持ったところのものができ上がってくるわけであります。私はそういうようなものを作ることができるならば、
開拓農業協同組合というものに筋金を通すことができると思う。それを私は法その他の
方法によって
一つの精神的な面を獲得する
方法だと、こういうふうに考えておりますが、しかし、そういうような
方法をとれなければ、私はやはり農事実行組合のようなものを特殊にこしらえて、そのものは既設の農業協同組合に加盟することができる。そしてそれのいろいろな集まりをこしらえて、
開拓者の連盟とかいろいろな形でもって、
開拓者の意思を
中央その他に反映することができるような団体を強力に盛り立てていく、こういう形をとれば私は今の団体
関係の問題は相当進んでいくんじゃないかと、こう考えておりますが、こういう点、協同組合
関係、
開拓農業協同組合との
関係、そういうような点でどういうふうに今お考えになっておりますか。それを
一つお伺いをいたします。