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1960-06-09 第34回国会 参議院 日米安全保障条約等特別委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十五年六月九日(木曜日)    午後二時十一分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     草葉 隆圓君    理事            川上 清一君            西田 信一君            増原 恵吉君            吉武 恵市君    委員            青木 一男君            青柳 秀夫君            鹿島守之助君            木内 四郎君            木村篤太郎君            後藤 義隆君            笹森 順造君            杉原 荒太君            鈴木 恭一君            苫米地英俊君            永野  護君            鍋島 直紹君            野村吉三郎君            堀木 鎌三君   国務大臣    内閣総理大臣  岸  信介君    法 務 大 臣 井野 碩哉君    外 務 大 臣 藤山愛一郎君    大 蔵 大 臣 佐藤 榮作君    文 部 大 臣 松田竹千代君    農 林 大 臣 福田 赳夫君    通商産業大臣  池田 勇人君    運 輸 大 臣 楢橋  渡君    郵 政 大 臣 植竹 春彦君    労 働 大 臣 松野 頼三君    国 務 大 臣 赤城 宗徳君    国 務 大 臣 石原幹市郎君   政府委員    法制局長官   林  修三君    法制局第一部長 山内 一夫君    法制局第二部長 野木 新一君    法制局第三部長 吉國 一郎君    防衛政務次官  小幡 治和君    防衛庁防衛局長 加藤 陽三君    調達庁長官   丸山  佶君    調達庁次長   眞子 傳次君    調達庁総務部長 大石 孝章君    法務省刑事局長 竹内 壽平君    外務大臣官房審    議官      下田 武三君    外務省アメリカ    局長      森  治樹君    外務省条約局長 高橋 通敏君    外務省条約局外    務参事官    藤崎 萬里君    大蔵政務次官  前田佳都男君    文部省調査局長 田中  彰君    通商産業局通商    局長      松尾泰一郎君    運輸省鉄道監督    局長      山内 公猷君   事務局側    常任委員会専門    員       渡辺 信雄君   —————————————   本日の会議に付した案件日本国アメリカ合衆国との間の相  互協力及び安全保障条約締結につ  いて承認を求めるの件(内閣提出、  衆議院送付) ○日本国アメリカ合衆国との間の相  互協力及び安全保障条約第六条に基  づく施設及び区域並びに日本国にお  ける合衆国軍隊地位に関する協定  の締結について承認を求めるの件  (内閣提出衆議院送付) ○日本国アメリカ合衆国との間の相  互協力及び安全保障条約等締結に  伴う関係法令整理に関する法律案  (内閣提出衆議院送付)   —————————————
  2. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) ただいまから日米安全保障条約等特別委員会を開会いたします。  日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約締結について承認を求めるの件、日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊地位に関する協定締結について承認を求めるの件、日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約等締結に伴う関係法令整理に関する法律案、以上衆議院送付の三案件を一括して議題といたします。  前回に引き続き質疑を続行いたします。これより通告順により質疑を許します。古木一男君。
  3. 青木一男

    青木一男君 重要法案を付託された本委員会審議にあたり、一部委員の欠席されたことはまことに遺憾であります。この状態を避けるため、わが党の執行部は今日まで長きにわたり努力を続けてきたのであるが、その功を奏し得なかったことはまことに残念であります。安保関係案件は四月二十日衆議院において議決され、衆議院議長から参議院送付されたものであります。参議院衆議院議決が有効か無効かなどという議論を取り上げるべき立場にないのであります。衆議院の紛糾の余波を受けて、参議院各党各派までも出席を拒否するということは、参議院独自性を否定するものであり、両院制度を認めた憲法の精神に背馳するものであります。ことに議案の運命を衆議院議決自然発効にまかせるということは、国家の完全に関する重要問題について、参議院が何らの意思表示をしなかったことを意味し、参議院の歴史に汚点を残すこととなります。われわれは他会派の審議放棄に同調することなく、独自の立場と見識のもとに議事を進め、衆議院審議の足らざるところを補うのがわれわれの任務であると固く信ずるものであります。  私は新安保条約についての一般質問を試みるにあたりまして、まず新条約極東観念につきまして、政府見解を尋ねておきたいと思います。  極東という字句は、前文、第四条及び第六条の三カ所に出てきておりますが、この字句意義いかんはきわめて重要な問題であり、衆議院における審議過程においても、あらゆる角度から論議が行なわれ、国民一般の重大なる関心の的となってきたのであります。しかるに一昨日、米上院における本条約審議に関し、種々の報道が行なわれ、国民注意を再び本問題に引かれるに至りました。そもそも極東範囲いかんというような、新条約基本的問題について、日米当事国間に万一見解の相違を生ずるようなことがあっては、それこそ重大事でありまして、この点については両国政府間に完全な意見の一致が存しなければならないと考えますが、はたしてその通りであるかどうか。念のために政府にお伺いいたします。
  4. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 極東字句につきましては、今日の現行安保条約にもあるわけでありますし、新安保条約はそれを引き継いで受けておるわけでありまして、現行安保条約では特に今日まで論議が行なわれたことはなかったのであります。今回の場合に論議が行なわれたわけでありますが、しかしこの極東の問題につきましては、条約地域の問題を限定しているわけではございません。従って条約関心を打つ地域として述べられておるのでありまして、その地域につきましては、日米両国間におきまして、交渉過程においていささかの食い違いもございません。
  5. 青木一男

    青木一男君 岸総理は、去る二月二十六日、衆議院における本条約審議に際し、極東観念におけるいわゆる政府統一見解なるものを発表されましたが、同統一見解はもちろん今日においても何ら変史のないものと考えますが、念のためにお尋ねします。  また統一見解については、当然米側においても異議を有しないものと思うが、この点についても確認を得たいと思います。
  6. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 二月二十六日愛知質問に対して総理から述べられました極東に関する統一見解というものは、今日でも政府はそれをもって政府意見といたしておるのであります。同時に、この政府見解というものは、アメリカ政府と食い違っておらないのでございまして、先般アメリカ公聴会におきましても、特に岸総理議会における統一解釈を引用いたしまして、朗読をいたしまして、そうしてマンスフィールド議員質問に対しても、アメリカはそれで満足をいたしておるということをハーター長官説明をいたしております。
  7. 青木一男

    青木一男君 ただいま外務大臣からアメリカ側も十分了解しておるというお答えがありましたが、しかしハー夕ー長官は、極東には関連領域も含まれるというような説明をしたと報道されておりますが、もしその通りであるとすれば、これは日本政府見解と異なるところがあるようにも思いますが、その点はいかがですか。
  8. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) ハーター長官アメリカ議会におきます証言につきましては、まだその速記録を入手いたしてしおりませんけれども、私どもといたしましては、ハーター長官答弁というものに、極東領域という意味説明されたのでなくて、ソ連から攻撃を受けたというときにおけるアメリカの行動に関する問題として、それに対処する方法として述べられたのであるということを私ども信じておるのでございますが、そういう意味で私ども見解を発表して昨日言ったのでありますが、六月八日、昨日の夜、米国国務省国務省声明をいたしました。その声明によりますと、次の通りでございます。「ソ連について論じた際ハーター長官は、かりにこの方面から条約区域に対して攻撃があった場合のことについて述べていた次第であって、フルブライト上院議員が、日本に対してソ連から行なわれる攻撃は、条約第五条における武力攻撃と認められるであろうという趣旨で質問したのに対して、これを肯定したものである。」こういう意味でございまして、従って、いわゆる極東説明としてではなく、武力攻撃に対処する場合の第五条における問題として、ハーター長官答弁をされたということでございます。
  9. 青木一男

    青木一男君 この条約上の重要問題について、日米両国間の了解に食い違いのないことを確かめて、私も満足するものであります。  次に、国会正常化ということについて首相にお尋ねいたします。野党国会審議をボイコットすれば、国会は正常でなくなるから、与党単独審議してはならない、与党が譲歩して野党出席を問わなければ国会が開けないということでは、国会指導権は、少数党たる野党が握ることになります。出席拒否審議権放棄くらい、簡単にして容易な少数党抵抗はありません。この容易な抵抗方法が、社会的に容認され、政治的効果を奏するということになりますと、重大案件ごと少数党たる野党指導権を握ることになり、選挙で多数を争った意味がなくなりまして、議会制度の本質と相容れない結果となることをおそれるものでありますが、首相見解を伺いたいと思います。
  10. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 国会正常化の問題でございますが、言うまでもなく、国会は、国民の自由にして公正な選挙によって選ばれた議員が、国民にかわって国政審議するところであります。しかして民主政治形態といたしまして、どこにおきましても、いわゆる政党政治という形態をとっておりますため、いわゆる政権を担当する与党と、これに反対する野党その他の政党が出てくるということは当然であります。従って、近代民主政治におきましても、実際の選挙は、政党を中心として、各議員国民の支持を受けるという形において行なわれております。そうしてこれらの議員が、また各政党が、国会においてその審議を尽くしおのおのの主張国民の前に明らかにして、そうして、審議の結果は多数決によって決定されるということが、言うまでもなく国会政治基本でございます。もちろん野党少数党でございますから、いろいろ自分たち主張を通す意味において、また通らないというような場合において、議事妨害であるとか、あるいは審議手続においていろいろな問題を起こしておるということも、名国事例にもあることであります。しかしそれは、あくまでも国会法その他の法律あるいは慣例において許されておる範囲内の、ルール内の問題に限られなければならないことは、言うを待たないのです。しかるに、最近少数党が、自分たち主張と逢う案件審議に参加しない、参加を拒否するということは、私は、国民から負託されておるところの重大な国政審議しなければならない権利を放棄するもので、審議権放棄の結果、いろいろな問題を起こしておる最近の現状というものは、健全な議会政治を発達せしめる上からいって、はなはだ私は嘆かわしい問題だと思います。もちろん、今、青木委員の御質問にありましたように、もしも少数党か、自分たち主張が通らないという見通しのもとに審議権放棄すれば、一切、国会の機能が停止するということになっては、選挙において多数をとり、また、多数の国民意思を代表しておるという、この多数党の意義はなくなることであります。また、それが根本的に国会制度そのものを否認し、破壊するという結果になることを私は憂えるのであります。従って、この間の当然の事理でございますが、民主政治意義から申しますというとまるで第一歩であるというようなわかり切った事柄を、十分に野党もこれに対して反省し、またそれの認識の上に、あくまでも国会におきまして審議権放棄するというような異常な状態を生ぜしめないように、私は努めなければならぬものだと、かように考えております。
  11. 青木一男

    青木一男君 首相はわが党の総裁として、今後国会正常化について野党首脳者と話し合うことが予想されます。私もその成功を望むものでありますが、その場合、国会正常化第一歩は、何としても暴力行為排除でなくてはならぬと思います。暴力民主主義の敵として、社会生活のあらゆる面から追放すべきでありますが、特に言論の府における暴力は、無条件排除さるべきであります。これなくして百万言の申し合わせをするといえども国会正常化はあり得ないと思いますが、首相見解を伺いたいと思います。従来、新聞などの論調で、野党暴力も悪いが与党の方も悪いというような、相打ち式とか、けんか両成敗式の論評を加えておる場合が多いのでありますが、これでは暴力の根絶はむずかしいと思います。暴力無条件に否定さるべきものであると思いますが、この点もあわせて御見解を伺いたいと思います。
  12. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 過去におきまして数回、野党集団的暴力のもとに議事が連行できず、いわゆる国会が不正常な状態に陥ったことがございます。そのたびごとに党首の会談が行なわれ、将来に対してこういうことを繰り返さないように話し合いをし、申し合わせをしてきたことも御承知の通りであります。私は、それぞれ与党といわず野党といわず、責任ある政党として、国会正常化について、適当な時機において、話し合いによってこれを正常化するという努力をすべきことは当然であると思っております。しかし、過去の経験にかんがみましても、今、青木委員の御指摘のように、一切の暴力というものを国会内から排除するということが確保されない限り、真の国会正常化というものはできないと思う。私、どういう意味においても、暴力というものは、言論の府である国会国政審議すべき国会において、いかなる形においても、いかなる意味においても、これを根絶し、そういうものを一切排除するという基本が成立しない限りにおいては、将来においてもまた繰り返すところのおそれがあると心います。もちろん民主政治運営にあたりましては、よくいわれることでありますが、お互いに寛容の精神を持つということが必要であるということがいわれております。私は、国会言論の府であり、国政審議の場であるが、同時に話し合いの場でもなければならぬと思います。決してからだを張って相争うところの場であってはならぬ。こういう意味において、われわれとしても、寛容の精神でもって事に当たるところの考え方を持つことが必要であることはもちろんであります。しかし、暴力を否定する、暴力をなくするという場合において、この暴力は絶対に悪いが、同時にこれの反対が云々というふうに、暴力と並べて、多数党の横暴であるとか、あるいは多数党の議事の強行された姿が云々という議論をされることは、私は先ほど来申すように、根本的にその本質的な違いをここではっきり国民認識しなければいかぬと思います。過去においてわれわれは、議会政治にも関連がありますが、あるいは五・一五とか二・二六とかいうような、われわれとしては不幸な、遺憾な事態があったのでありますが、そういう場合においても、ややともすると、暴力は否認するけれども、その動機においては問情すべきことがあるとか、あるいは、それを誘発したことは云々というふうにして、暴力排除するということに対するはっきりした認識がないために、日本が過去において異常な困難に陥ったということも考えてみますと、将来の真に正常な国会審議権を樹立するためには暴力はいかなるものも言論の府から切無条件にいけないのだという、こういう考え方を確立する必要があると、かように思います。
  13. 青木一男

    青木一男君 岸首相のただいまの御見解には私も同感であります。  次に、私は衆議院における会則延長と、安保条約議決効力とその妥当性について、首相にお尋ねいたします。野党諸君は、衆議院における会期延長議決安保関係者案件議決の無効を主張しております。その理由は、議長警察官を入れたこと、与党議員だけで単独採決した点をあげているのであります。野党諸君が、法律論として無効を主張しておるのか、政治論としてその妥当性を否認しておるのか、必ずしも明瞭でありませんが、両者は厳然たる区別がなければなりません。政治には妥協はありますが、法律解釈には妥協がないからであります。野党諸君のあげているような理由は、政治的に妥当かどうかということの議論の根拠にはなり得ましても、有効無効の法律説には私は関係ないと思うものであります。参議院としましては、衆議院議長通告ないしは議案送付により、衆議院議決の有効に成立したことを認めているわけでありますが、また、これ以外に方法はないのでありますが、客観的に見ましても、国会法その他の規定に照らし、あの場合の採決はすべて適法であり、何ら疑義を差しはさむ余地がなかったと思われるのでありますが、首相はどういうふうに見ておられるか、伺いたいと思います。
  14. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 十九日から二十日にかけまして、いわゆる会期延長に関する議決と、並びにこの安保条約関係諸案の採決と、両方が行なわれたわけであります。私は、両方とも適法に行なわれたと考えております。警官を導入した云々ということがずいぶん誤り伝えられておりますが、一部には、警官を入れて、はなはだしきに至っては、社会党その他野党議場に入ることを阻止して、自民党だけで単独採決したというふうな誤った宣伝もあるやに聞いておりますが、これは全然違っております。議長国会内におけるところの秩序を維持するために、第一にとるべきものは、監視によって秩序を保つ。しかし、それがどうしてもできない場合において、警察官を入れて秩序を保つということは、これは議長に与えられている権限でございます。当日の状況は、議場の問題ではなしに、議場以外における、廊下野党諸君がすわり込んで議長を監禁した。この状態を脱出するために、廊下をあけるために、警官を入れてこの秩序整理したというのが、当日の状況でございます。従って、この事柄は、何らの違法もなければ、私はそのこと自体には不穏当であるとか妥当性を欠いているというような問題もないと思います。そうして、国会においては、議長は幾たびかそういう事態をなくするための放送をしたり、あるいは各党に呼びかけて国会に入ることを止めたり、そうして予鈴を鳴らし、木鈴を鳴らして、議場会議が開かれたわけであります。その場合において、野党諸君議決権放棄して議場に入らなかった。これが事態てございます。先ほど来御質問がありましたように、野党審議権放棄した場合においては、多数党たる与党は何ら審議権がないのかということは、私は間違いであって、やはりその場合において、野党審議権放棄した場合において、やむを得ない場合においては、与党だけで審議するということ、議決するということもあり得ると思います。それから、安保関係諸案につきましては、すでに衆議院特別委員会におきまして百余日、百数十時間の、いまだ例を見ない長い審議期間をかけてあらゆる点から審議がされ、もはや質問がないとして質疑が打ち切られ、これが採決されたもので、それがこの本会議の方へ委員会から報告され、この方に回されている、これをどういうふうに採決するかということは、議運その他本会議においてきめるべき問題でございます。しこうして、こういう重要案件につきましては、委員会議決を経たものは、なるべく早く本会議においてこれを決定して、そして参議院に送るべきものは送るというのが従来からの慣例であります。予算案等につきましては、まさにその通りの扱いがせられております。こういう意味において、この両案が、まず会期延長議決され、続いて本案が議決されたということにつきましては、法律的の意味からいきまして何らの私は手落ちもない問題であって、効力については何ら差しつかえのない、疑義を持つ余地のない問題である。先ほど申したように、警官を入れたことが不穏当であるというようなことは、当日の状況から見るということ、まことにやむを得なかった、議長としては当然の処置であったと私は考ております。
  15. 青木一男

    青木一男君 ただいま岸首相がお述べになりました、議長警察官を入れたということ、これは世間でも相当重く見ている事件であります。私は、清瀬成長の手記を読んだのでありますが、清瀬議長は、この問題について十分細心の注意を払っておられるようであります。議長は、出身政党からの制肘を防ぐために、あらかじめ副議長とともに党席離脱手続をとられております。また、五月十七日には、三党の党員を招いて、重大案件審議に際し、秩序を重んじ、国会の品位を保持し、国民国会に対する信頼を高めるようにという懇請をいたしております。五月十九日、自民党から会期延長の申し出を受けてから、常任委員長会議の開催、議院運営委員会諮問等、すべて成規手続を正しく履行せられております。ところが、同日夕刻に至り、議長室から本会議場に通ずる廊下は、社会党議員や秘書などのすわり込みで占拠され、議長の何回となき放送警告にもかかわらず、九時ごろには社会党議員団火力行使はいよいよ激しくなり、議長次室を占拠し、議長室にかぎをかけて、机、いすを積んでバリケードを作り、議長を室内に完全に監禁したのであります。議長は、院内のこの状態では、最後の決意をし、警察力使用を考えさるを得ないから、沈静に帰するように何回となく放送警告したのでありますけれども、何らの効を奏しなかった。そこで、九時半、内閣警官五百名の派遣を要請した。この要請は、私一人の責任で決断したと述べておられます。そうして議長は、さらに放送によって、議長室の包囲を解き、議場に着席することを許すならば、警察隊に帰ってもらうからと訴えましたけれども、依然効果なく、やむなく十時五十五分警察官院内に入れ、妨害排除を命じたと議長は語っておられます。私は、参議院における野党暴力による議事妨害警察官使用の実際を経験しているものでありますが、単なるすわり込みだけでなく、入口を閉鎖し、ドアを破壊しなければ議長が部屋から出られないという状態にまで議長監禁状態に陥れたという事例を知らないのであります。これでは、明らかに刑法第二百二十条の不法監禁罪を構成するものであります。また、参議院の先年の実例においては、警察官が姿を現わしたことによって、野党は一切の暴力行為を停止したのでありますが、清瀬議長の述べるところによりますと、警察官議長室議場入口の門のわずか数メートルの道を開くのに、十一時七分から十一時四十七分までかかり、その間、怒声、罵声こもごも起こり、労働歌を高唱し、身辺の危険を感じたとありますから、警察官職務執行に対し頑強なる抵抗の行なわれたことを物語っているのであります。そうして四十分間の警察官実力行使により、議長室東側ドアが少しあいたので、自民党議員に守られて議場に入ったけれども、その入場を阻止する野党議員妨害にあって議長は左足に重傷を負うに至ったのであります。警察官公務執行にも反抗を示すのでありますから、野党議員暴力行為の質とその程度を知るべきであります。民主主義国では、どこの国でも神聖視されておる議長職務執行暴力によって妨害する行為のごときは、議会政治の反逆として無条件に非難されなければなりません。議長は当時の心境について、こう語っておられます。「私は、一方、暴力の行使によって国権の最高機関が開会できないということは、国会暴力によりじゅうりんされたことになり、また議員同士が相争うて血を流すようなことがあっては取り返しがつかないので、断腸の思いで意を決して警察官を入れた。」と述べておられますが、私はこの清瀬議長の心境をそのまま全国民に知らせる必要があると思います。国会の機能が暴力によって麻痺するということは議会政治の終幕を意味するから、議長が敢然として暴力に屈しなかった見識と勇気に満腔の敬意を表するものでありますが、清瀬議長のとられた措置に対する首相の感想を伺いたいと思います。
  16. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 清瀬議長は言うまでもなく多年国会に議席を持っており、日本国会成立のために尽くしてこられた人であります。この今回のとられました処置及び議長の心境については、今、青木委員がお読みになりました議長の手記に明らかでございます。私はこの議長の心境として、国会は決してからだを張って争うとろこであってはならない。従来、ややともすると、一方の党の暴力に対しては他の党がやはり肉体の力をもってこれに対抗して、そうして衝突するという事態が繰り返されておって、はなはだしきに至っては、そういう事態が予測される場合に、議員が家を出るのに水さかずきをして出てくるということを聞くが、かくのごときことは、国会政治の上、民主政治の上からいって評すべきことではない、国会のこの秩序を保つということは、何と言っても根本には議員の良識にまって、そうしてその職責、その任務というものを考え、議会の使命を考えて行動すべきことは当然であるが、しかし、不幸にしてこの秩序が保てぬという場合においては、法の許すところによって、衛視またはやむを得ない場合においては警官でもって秩序を維持する、議員がからだを張ってみずから自衛行為によって秩序を維持するというようなことは今後国会からなくしなければならない。そうしなければ真の議会政治は確立できないということは、議長の真の心境であったように私も聞いております。私は日本国会政治の現状から見て、議長が長年国会に経験を持ち、議員として一般の尊敬を受けておる老議長がこういう心境になられたということにつきましては、まことにわれわれ国会に席を待つ議員の一人としても考えようによっては恥ずかしいことであり、また議長のその心持ちに対しては、十分に一つ反省をして、将来こういう事態をなくするようにしなければならない。かように考えておるわけでありまして、まことに議長の心境につきましては私どもも同感を禁じ得ないところでございます。
  17. 青木一男

    青木一男君 次に、会期延長についで、与党だけで安保関係議案を可決したことは、法律的に何らの疑義をとどめていないということは、先ほど首相からお話の通りだと思います。ただ政治的に妥当であるかどうかということが今日一番問題になっておる点であります。首相は新聞記者との会見において、この点は自分の責任であると述べておられますが、当時ああいう形で議事を進めねばならなかった事情について、首相から率直なるお話を伺いたいと思います。その前に一応私の見るところを述べて、それに対する首相の考えも伺いたいと思います。  衆議院の安保委員会では二月から四月にわたって審議を行なっております。そのほかに予算委員会における野党質問も大部分を安保条約の問題に集中しておったようであります。あと参議院審議を残しておることを考えますと、衆議院としては、あの程度の審議で結論をつけるのを妥当と考えたのは当然であると私も思います。社会党は当初から安保は絶対に通さない、合法、非合法のあらゆる手段を尽くして法案の通過を阻止するという、固い決意のもとに今国会に臨んだことは、公知の事実であります。ここに非合法手段に訴えても阻止するという点に留意を要するのであります。従って、あのあと何ヵ月の審議期間を与えたとて、社会党は満足するものでなく、審議日程の協議に応ぜず、委員会質疑打ち切りに反対し、委員会及び本会議採決を実力をもって阻止するという方針であったことは明白であります。そうして実力阻止が警察官の出勤などによって成功しなかった場合には審議をボイコットするということは、やはり当初から一貫した方針であったのであります。民社党は一時審議日程についてゆとりのある態度をとるかにみえたのでありますが、結局、社会党と同一行動をとるようになったのであります。今回の衆議院の安保の採決の妥当か否かを正しく判断するには、まずもってこの社会党の一貫した方針を頭に入れておいて考えねばならないと思います。そうして、もし社会党主張に屈し、いつまでも質問を継続したならば、国会は無事に済んだかもしれませんが、安保は不成立となったでありましょう。安保反対論者はそれで満足したであろうし、また、初めからそれをねらったのであります。けれども、安保賛成論者、ことに選挙において自民党を支持した絶対多数の国民は、政府与党のだらしなさを憤激し、内外に信を失墜したでありましょう。政府与党が今国会で安保は通すという既定方針をとらんがためには、一度は社会党暴力抵抗を排して、質疑打ち切り、単独採決という経過をたどらざるを得なかったことは、当初から明白であったと言わねばなりません。多くの人の言うように、十九日には会期延長だけを行ない、日を改めて安保の採決をすべきであったという議論は一応首肯できるのであります。しかし、延長だけをきめたあとの国会はどうなったでありましようか。社会党は今回と同じように延長を認めないとして審議を拒否したかもしれません。その場合はやはり単独審議となるのであります。あるいは野党審議に参加したかもしれませんが、その場合には依然として、質疑打ち切り反対、採決反対に挙党からだを張って委員室や議場の占拠、議長の監禁等、あらゆる暴力に訴えて法案の通過を阻止したでありましょう。このことは社会党の前々から公言した方針に徴して明瞭であります。従って、政府及び自民党野党暴力に屈して、本案を断念するか、さもなければ、もう一度警官を入れて暴力排除し、単独採決を断行するほかなかったことは容易に想像し得ることであります。もし暴力排除のための警官の導入ということが簡単に行なうことができ、世論もこれを是認するならば、議長自民党も暁の国会に強行するという非常手段をとらずに、日を改めて堂々と採決したでありましょう。しかし、警察官国会に入れるということは、清瀬議長が大いにちゅうちょしたごとく、非常の措置であって、そうたびたび行なうべきものではありません。従って、かような非常な措置を再び講じないがために、あの場合、どの道避けがたいと認められた単独採決を行なったのは、好ましくはないが、万やむを得ざる手段であったと私は思います。  この点は、今日反対論の一番の根拠をなしている点でありますから、首相から、当時のああいう措置のやむを得なかった事情を、本委員会を通じて、広く国民にお話をいただきたいと思います。安保反対論者は、首相がいかに真実を語られても、聞こうとはしないかもしれません。また納得しないでありましょう。しかし、国民の中には、安保に賛成しつつも、あの採決方式に釈然としないものが相当多いと思います。首相としては、少なくもそういう人々には懇切に説明をして、理解を求める責任があると、私は思うのであります。
  18. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 十九日から二十日にかけまして——正確に言えば、二十日の未明に会期延長されたのちにおいて安保に関する採決をいかなる意味においてやったかという点でございます。この点に関して世論の中におきましても、疑問を持つ者が少なくないことも御指摘の通りであります。特に会期延長というものは、慎重審議の期間を持っために会期延長したのじゃないか。そうするというと、慎重審議のために会期延長された以上は、これに対して慎重審議を重ねて、他日に本案の採決をしたならばいいじゃないかというのが、常識的の世論の根拠になっております。これを一挙にやったことは、あまりに強行すぎたじゃないか。法律的には有効であろうけれども、実際に妥当を欠いておる。われわれがどうも納得できないところであるというのが、その考え方であります。  この二つの案件を本会議においてどういうふうに扱うかという問題と、それからその前提となる本案を委員会においてどういうふうに扱うかという問題があるわけであります。先ほどもお答え申し上げたように、この問題に関しての審議は、特別委員会における審議だけでも百余日、百数十時間をかけての審議で、ほとんどいまだかつてない未曽有の審議が続いている。しかして、その内容を見まするというと、同じ質問が繰り返されておるにすぎなくて、名を慎重審議にかって、事実は審議を引き延ばして、そうして与党の望むような安保条約の成立を阻止するという一つの戦術として慎重審議が言われておったというような、委員会における審議状況であったことは、これは委員その他関係する人たちがひとしく認めている事態でございます。従って、すでに質疑の打ち切りの前日あたりから、野党質問は、いろいろの計画があるようにも伝えられておりますけれども、事実上質問が打ち切りにふさわしいような事態が数回現われておったというのが現状でございます。そこで、当日これの打ち切りをし、そうして採決をしたということは、委員会としては、私は当然の処置であったと思います。しこうして、その際にある種の混乱があったことも事実であります。これは、しかしながら、社会党が従来自分たち意見の違う案に対して、その採決について常にとっておるところの行動と同一であるにすぎなかったのでございます。しからば、これを本会議においてどうして同時に決定したかという問題につきましては、当日、議長は、この二つの案件について、まず会期延長各党が、内府に反対するか賛成するかは別として、正常に本会議を開いてこれの議決をするならば、本案の採決は他日に延ばそうと、これを分離しようという提案をされたのであります。わが自民党におきましては、これに同意をいたしました。しかし、野党はついにそれを同意しなかった。すなわち、一方において、慎重審議を唱えながら、慎重審議に必要な会期延長にすら、身をもっても、暴力をもっても、これを阻止するというのが野党意思であって、決して慎重審議を尽くすという意思のないことは、これをもっても明瞭であった、当時においては……。  それからさらに、この安保条約に対する最初から野党の考えは、先ほど青木委員の御指摘のように、これはいろいろな機会において公然と、いかなることがあっても、合法、引合法を問わずこれを阻止するのだということは、あらゆる機会において公言されておったことでございます。そうしてその一部がこれらの状況に現われたということは、事実上きわめて明らかであります。しかして、当品の状況を見まして、慎重審議をする根低となる会期延長に、あれほどの妨害、先ほど来のお話のような、不当なる、不法なる行為でもってこれが妨げられ、国会政治としては望ましくない警官を導入して、秩序を維持し、廊下をあけなければならぬというふうな事態が生じて、そうして、しかも、議長はなおその上にけがをするというような事態すら、いまだかつてない事態すら起こっておる。こういう事態のもとにおいて、そうして野党意思ははっきりしておる。慎重審議する意思もないし、また実質的に言って、慎重審議ということはただ議事の引き延ばしにすぎないということが事実上の審議において明らかになっておるという状況のもとに、また将来、本案を別に審議採決しても、必ず同様な方法によってこれを阻止するだろうということがきわめて明瞭な見通しがつき、その場合においては再び警官を入れるのでなければ本案の採決ができないであろうということは、あのときの状況から見るというとだれもが当然それであろう。そうして警官を入れるということは、これはやむを得ぬ手段ではあるけれども、今、青木委員のお話のように、たび重ねてこれをやることは決して望ましいことではない。こういう見地から考えますというと、どうしてもこれを成立させよう、私は、成立させることが国のためであり、国民のためであるという信念に立つ与党としては、あの状況において、また野党意思がかくのごとく明瞭なる場合におきまして、これを同時に採決して、そうしてそういう事態を繰り返すことがないように、警官を入れるということを繰り返すことのないように処置するということは、当時の状況からいってはまことにやむを得なかったことである。かように考えます。
  19. 青木一男

    青木一男君 私も、当時の事情は、ただいま首相のお述べになった通りだと思います。  次に、私は衆議院の解放の問題について首相にお尋ねします。社会党と民社党とは、今や国会審議を放擲して、院外活動によって岸内閣の退陣と衆議院の解散を迫っております。首相は新聞記者団との会見において、総辞職は無条件に否定されておりますが、衆議院の解散については、一応理論上肯定しつつも、今はその時期でないと述べたと伝えられております。この点について明白なる首相のお考えを承わりたいと思います。  今提案されておる条約案と現行条約とを比較すると、日米対等の立場が認められたこと、米国の日本防衛の義務を明確化したことなど、幾多の点において著しく改善されており、社会党首脳部の諸君がかつて主張した改正論の要旨は、全部漏れなく新条約案に盛り込まれておるのであります。ところが、いかなる風の吹き回しか、社会党諸君は今ではかつての改正の主張を忘れたるもののごとくに安保体制そのものに反対し、解散によって民意に問えと主張しておるのであります。しかし今度の改正案を葬ると、社会党諸君がかつて不平等条約であるとして非難した現行条約が永久に存続することとなるのでありますが、社会党諸君はこの矛盾をどう解決しようとするのでありましょうか。  現行安保条約は実施以来すでに八年を経過し、わが国は安保体制を土台として安定し、岸業、経済は発展し、国民の生活は豊かとなって今日に至ったのであります。この八年間に、衆議院の総選挙四回、参議院選挙が二回行なわれております。これらの選挙における各党のスローガンを比較してみますると、内政問題ことに経済政策や社会政策の面では、与野党間載然たる相違もなく、両者の政策上の対立は外交政策と防衛問題に集約されていた観があったのであります。すなわち、わが党の日米安保条約を中核として国家の防衛と安全をはかる方針を堅持してきているのに対し、社会党は安保体制に反対し、中立主義を強く打ち出して、選挙場裏でも深刻なる対立を示したのであります。しかして、六回に及ぶ衆議院参議院の総選挙及びその後の補欠選挙で、わが党は常に圧倒的大勝を博しておるのだからして、国民の圧倒的多数は、安保体制と安保体制を土台とする平和と繁栄の政策に賛成しておるものと見るべきであります。しかして、今回の改正案はわが国の立場から見て一段と改善を加えておるのでありますから、国民の大多数はこれに賛成であると見るのは常識であります。政府が本条約に調印したのは右のような認識に立つものと思いますが、首相見解を伺いたいのであります。また条約の調印前ならばとにかく、すでに調印を済ませ、また衆議院を通過した現段階において、衆議院を解散して民意に問うなどということは、政治上の常識として考え得られないことと思いますが、首相見解をあわせて伺いたいと思います。
  20. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 解放の問題については、これは民主政治基本として、最後は解放、総選挙によって主権者たる国民意思を聞くということ自体に対して、私は理論的に反対すべき理由はないということを申したのであります。これは建前からいってそういうことであります。しかしながら、この場合、この解散すべきであるかどうかという点に関しては、解散の理由はないということを申し、今日もそういうふうに考えております。  その第一の理由は、今、青木委員がお話のように、特に昨年の参議院選挙におきましては、安保条約の問題を具体的な改定の内容の要綱を示して、そうして選挙に臨んでおりますし、また社会党も安保反対ということを選挙の一番大きなスローガンとしてやっております。この結果が私は国民の民意の表われであり、またその後におけるところの補欠選挙等におきましても、常に安保条約が問題にされて、そして選挙が行なわれて、これに対する主権者たる国民の審判が下っておる。これらのことを通観してみて、民意がこの安保の改定ということに対しては、私は圧倒的多数の者が支持されておるという確信に立っておることが第一の理由でございます。  第二の理由は、いかなる場合においても、国会において、一体、国会政治というものを考えてみるというと、国会を解散しなければならない場合においては、いわゆる不信任案が可決されたとき、内閣は総停職をするか解散をするか民意に問う。ところが、いかなる意味においても、院外の威力をもって、圧力をもってそうした解散をする、解散に追い込むというようなことに屈して解放をするという印象を国民に与えるということは、日本民主政治の将来のために断じてとるべきことではない、しこうして、現状においてはそういう情勢であるがゆえに、またこれは断じてやるべきものではない。かように私は考えておるのであります。私自身といたしましても、今民意がわれわれを支持しているという確信がございますけれども、調印の前にすべきであるかどうかということについては、私は総理として各般の情勢を相当に慎重に考慮をいたしました。しかしながら私は、今申すように、春に、いわゆる一年前に行なわれた参議院選挙こそ民意の表われとしてわれわれが十分に信頼すべきものであるから、そういう措置をとることは適当でないという決意をいたしたわけであります。  その後におきましては、そういう信念のもとに断じてこの解放をすべきものにあらず、今申しました記者会見、また今日の状況において特に強く考えることは、以上申し上げました二点によって、私は解放すべきものにあらず、かように私は考えております。
  21. 青木一男

    青木一男君 次に、大衆運動と政治の変革という問題についてお伺いします。  議会政治は、選挙により選ばれた議員国会国政を議する制度であります。しかるに、社会党や民社党は、国会における国政審議を放擲して、院外におけるデモにより内閣の退陣や解散を迫り、安保条約を葬り去ろうとしているのであります。これは革命的手段によって政変を企図するものであり、議会主義そのものを否定する行動と思いますが、首相見解を伺いたいと思います。
  22. 岸信介

    国務大臣岸信介君) お話のように、国会外の、院外の集団的暴力や威力をもって政局の転換やあるいは政変を生ぜしめるというような事柄は、いわゆる議会政治を否認する行動でありまして、私どもとしては断じてとらないところであります。
  23. 青木一男

    青木一男君 近年外国にも、学生や市民の大衆運動によって政治の変革を求めた例は少なくありませんが、かかる運動の唯一の合理的根拠は、政府言論を抑圧し、政治上の自由を認めず、真の意味議会政治が行なわれていない場合の非常手段たる点にあると思うのであります。最も印象的だったのは先年のハンガリーの事件であります。すなわちハンガリーの学生と労働者は、われに自由を与えよという信念によって立ち上がり、その運動は国内を風靡して一時成功し、ナジ政権の成立を見たのでありますが、ソ連の何ヵ月にもわたる大部隊の兵力による徹底的弾圧によって、ついに失敗に帰したのであります。最近の朝鮮やトルコのクーデターも、国民の自由に対する政府の弾圧に反発した点はハンガリーと同様でありましたが、自由主義陣営に属していたがために外国の干渉が行なわれずに成功したのであります。全学連などは、自分たちの運動を朝鮮の学生運動に比し、その成功を夢想して思い上がった行動に出ていると伝えられておりますけれども日本の心ある国民は、かような民主主義に反する革命的大衆運動には左袒しないのであります。朝鮮やトルコの場合は、政府が、民主主義の要件である国民の自由、ことに政府批判の自由に弾圧を行なったことに対する反抗の手段であり、国の外交方針などに反対したものではありません。このことは、朝鮮の新政府が米韓相互防衛条約の尊重を声明し、トルコの新内閣も北大西洋防衛条約に忠誠を誓ったことからも明白であります。わが国で行なわれたテモは、国民の自由を求める運動ではなく、安保反対という外交政策の転換をねらって政変を企図したものであり、朝鮮やトルコの場合とは全く事情が異なるのであります。全世界のうちで日本ほど国民の自由が無制限広範に保障されておる国は他に例がありません。反国家主義団体であり、自国の運命よりもイデオロギーを重しとし、国旗を捨てて赤旗をかつぎ回っておる共産党すら、わが国では合法政党と認められ、あらゆる政治活動を自由にやっておるのであります。また国立大学の教授が公然と反政府運動の陣頭に立って勝手なことを国民に呼びかけております。新聞も思う存分に政府非難の声をあげておるのであります。かように言論の自由が完全に保障されておる限り、民主主義の要件は維持されておるのでありますから、反対党も、これに同調する国民も、国会を通じ、選挙を通じて政治目的の達成をはかるべきであって、大衆のデモによる政変を企図し、政策の転換をはかるごときは、革命につながる非民主的行動であって、絶対に容認すべきではありません。もし政府がこれに屈服をするようなことがあると、国家の将来に取り返しのつかない禍根を残すことになると思います。岸首相見解と決意のほどを伺いたいと思います。
  24. 岸信介

    国務大臣岸信介君) お話の通り日本における最近のデモその他院外における行動というものは、全学連あるいは労働組合等のデモやその他の事例を見ますると、日本においては、民主主義の基礎であるところの人間の自由ということは、憲法において保障され、現実において、これはいかなる政府といえどもこれに対して圧力を加えたりあるいはこれを不当に圧迫するというような事態は、全然ないのであります。他の国々の、外国の人々が日本状況を批判して、日本は世界において最も言論の自由とかすべてのものの自由を享受している国であるとも言う人もありますし、はなはだしきは、自由が過剰なりという皮肉を言う人すらあるが、これだけ私は、民主政治の基礎であり、またわれわれ人類の生活の基礎であるところの自由が確保されているということは、これは日本国民の十分に認識し、またこれによって日本の国連の進展もはかられ、われわれ国民生活の向上も期せられるわけであります。これをあくまでもわれわれは確保しなければならない。その自由があるいは不当に、集団的な暴力その他において、もしも妨げられるようなことがあり、従来いろいろなデモその他によって、平穏なるべき市民生活が不当に侵されておるというような事態も従来少なくないのであります。こういうことは、私はむしろやはり一つ、自由が一面にあると同時に、その自由は、他人の自由、平和を害さないという良識がこれに伴っていかなければならぬことは言うを待たないことであります。そういうことすら日本の社会の首相としては考えているのであります。従って、こうした状況のもとにおいては、国会政治国会が、言論の府であり、ここにおいて自由な活発な論議が行なわれて、国民がひとしくこれに対して批判を打つこと、そうして自由公正なる選挙を通じて国会を作っていく、この制度を維持していくことが、私は民主主義の根底であり、いやしくもこれに反して、暴力をもって、あるいは多数の威圧のもとに政変が行なわれ、あるいは政治上の変革が生ずるというようなことがありとするならば、これは民主政治を破壊するものであり、断じてそういう事態を起こしてはならない。私が現状のもとにおいて総辞職もしないし、解散もしないという強い決意を示しているのは、真の自由に基礎を置いたところの民主政治日本に作り上げようという私の念願にほかならないのであります。
  25. 青木一男

    青木一男君 次に、安保体制を生んだ国際情勢の判断について首相にお伺いします。  世界が自由主義陣営と共産主後陣営に分かれて深刻なる対立を示しておることは、人類の不幸であります。この世界の現実に処して、わが国の安全と国民の福祉を確保するためとるべき外交方針を決定するには、まずもって、今のような両陣営対立がいかなる原因から発生し、また将来どうなるかということについて、正確なる認識を持つことが必要であります。まず、東西両陣営対立の発生原因について私の見るところを述べて、首相見解を伺います。  世界第二次大戦において、日本とドイツを共同の敵として戦った欧米諸国が、戦後二つの陣営に分かれて、世界の緊張を作った動機は、ほかでもない。国際共産主義の世界支配の脅威に対し、自国の安全と、国民の自由と民主主義を守り抜こうとする諸国が、米国を中心として共同防衛の体制を作ったことにあると思います。ソ連の対外政策が、常にマルクス・レーニン主義に立脚しており、共産主義による世界支配がその終局の目標であったことは、世界公知の事実でありまして、政権を担当する実力者の更迭によって少しも変更されておらないのであります。現にフルシチョフ首相は、米国訪問にあたって、共産主義が結局において世界の資本主義を圧倒するということを広言しておるのであります。第二次世界大戦の終結とともに、アメリカは軍事予算を縮減し、大規模な軍縮を行ない、国民経済の運行も平時態勢に戻りました。戦争終結の年である一九四六年の米国の軍事予算、これは国防省予算、対外援助、軍事恩給等を含めた広義の軍事費でありますが、その予算は四百二十一億トルでありましたが、一九四七年には百四十三億ドル、一九四八年には百十七億ドルと、終戦の年の四分の一近くに縮小し、国民をあげて平和の到来を謳歌したのであります。英仏その他の諸国も、大体米国と同じような歩調で、軍事予算を大縮小し、平時体制に復したのであります。しかるにソ連は、戦時に膨張した軍備をそのまま維持したばかりでなく、核兵器とロケット兵器の進歩によって、軍事力の優位確立をめざして国力を傾倒したのであります。そして世界の平和的動向に呼応する気配は少しも見せず、世界共産化政策に基づく長期世界革命方針を堅持し、米国を頂上とする資本主義国に対してスターリン主義の攻勢を展開したのであります。ソ連の予算制度は、自由主義諸国のそれと本質的に異なっておりますから、正確な比較は困難であり、またその数字の真実性については、多くの疑問を持たれておりますけれども、一応その公表されたものに基づき、狭義の直接軍事費をとってみましても、戦争終結の年の一九四六年度の七百三十六億ルーブルの戦時予算に対し、平和回復後の一九四七年及び一九四八年には、いずれも六百六十三億ルーブルを組持し、戦時予算に比し、わずかに一割程度の縮減にとどまりまして、米国の七制五分の縮減とは雲泥の差を示しておるのであります。  ソ連の力を背景とする世界赤化政策の進行に対し危険を感じ出し、ことにロケット兵器のおくれを感じた米国は、むしろ周章ろうばいして、一九四七年五月、トルーマン大統領の反ソ反共の声明により、新しい世界政策に踏み切り、みずから再び軍事予算を増加して、ソ連に対抗する力を養うとともに、他方、国際的には、一九四七年、中南米二十カ国と全米相互援助条約を結び、一九四九年には、欧州諸国十五ヵ国と北大内洋条約を結び、自由主義諸国間の相互防衛機構によって、いわゆる対ソ封じ込め政策をとるに至ったのであります。一九五七年十二月、パリで開かれたNATOの会議で加盟十五ヵ国は共同の宣言を発表しておりますが、その中でこう言っております。「自由世界は、ソ連の力を背景とする国際共産主義の増大する挑戦に直面しておる。先月、モスクワで共産主義指導者たちは、地下工作により、または武力によって全世界支配の計画を促進する決意を固めたことを明らかにした。しかし、NATOの同盟国は、この世界支配という考え方を容認せず、この脅威には決して屈服しない。」という強い決意を表明したのであります。この考え方は、今日、自由主義諸国の普遍的な国民感情を端的に代表しておるものということができます。  これらの、戦後十五ヵ年間の米ソ両国のとり来たった政策の差異から総合して、今日、両陣営対立緊張の根本原因は、国際共産主義の世界支配の伝統的野望と、その背景をなすソ連の軍事力増大にあり、米国その他の自由主義国の立場はあくまでも防衛的であり、受け身であると思いますが、首相認識を伺いたいと思います。
  26. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 戦後の米ソを中心としての軍事予算の比較等について、青木委員が数字をあげての御説明でありましたが、言うまでもなく、ソ連——共産主義国の一貫した方針は、マルクス・レーニンの考え方を継承して、いろいろな手段、方法は異なるにしましても、世界を共歴化するということを究極の目的として、あらゆる努力をそれに集中するということにあることは、一般に認識されておるところでございます。こういう考え方立場に立つのと、あくまでも人間の自由と人格の尊厳を基礎とした民主主義に立って平和と安全を求めようとしておる自由主義国の根本的な考え方が相違していることは、これは言うを待たないのであります。しこうして、どの国も、自分たちの理想とする平和と安全、繁栄を考えていく上から申しまして、外部からそうした一貫した、国際共産党のいろいろな形をとっての浸透、あるいは侵略というようなものをいかにして防いでいくかということは、自由主義の立場をとっておる国々がひとしく考えておるところでございます。今お話のように、いろいろな自由主義国内におけるところの安全保障体制ができた歴史的の理由につきましては、青木委員の御指摘になった通りでございます。従って、これらの防衛機構は、本来、その本質が防衛的なものであって、決して侵略的なものでないことは、発生の沿革から見ても、また、これらの機構の基礎をなしておる協定条約笠の内容を見ましても、きわめてその点は明瞭であります。しこうして、自由主義の国々の一貫しての、共通しての考え方は、そうした平和確保の機構が国連において到達されることを念願をし、また、それを目的としておる。しかしながら、現在の国際連合というものの火力からいって、その中間を——過度的な中間的な措置としては、どうしても、考え方を同じくし、相ともに力を今日わせて自国の平和と安全をはかり、繁栄をはかっていく、そうして、人聞の究極の目的である民主主義、自由に基づくところの民主主義を擁護するというところの考え方の国々が、防衛の手段——他からこれを侵略し、平和を乱すようなことに対して対抗する防衛的な機構を作るということは、私はこれはまことにやむを得ないところであり、また、それが現在、各国の間に各地域において行なわれておる集団的安全保障体制の本質であると考えております。従って、日本安保条約も、日米間においてそうした防衛的な——あくまでも本貫は防衛的であることはきわめて明瞭であります。そうして、国連のそうした機構ができるまでの過渡的な措置であることも、条約に明瞭にいたしております。世界の各平和確保の機構の一環として、私どもは純粋防備的なものであると、かように確信をいたしております。
  27. 青木一男

    青木一男君 私は、安保条約の相手国である米国が平和主義の国であるか、侵略主義の国であるかということが、実にこの条約の性格とわが国の運命をきめる重大問題であると思うのであります。その点において岸首相質問いたします。  日米安保条約は防衛的のものであり、他から武力攻撃を受けない限り、日米両国とも武力を発動しないものであることは条約上も明らかであり、政府も何回となくこれを確認いたしております。しかるに反対論者は、この条約によって日本は米国に基地を提供し、米国の侵略戦争の片棒をかつがせられ、戦争に巻き込まれる危険があるとして反対しておるのであります。またこれに呼応するごとく、ソ連は、米軍が日本の居地からソ連を侵略する場合には、日本の基地に報復するということを声明して威嚇を加えております。これに対して政府は、従来日本の基地から行なわれる作戦行動は、第五条の武力攻撃を受けた場合のほか、事前協議を要し、日本の同意なしには失行されないからその懸念はないと答弁をしております。私はこの点については、米国という国は、戦争の発端となるような侵略行為をする国でないという信頼の上にこの条約ができておると思いますが、首相見解を伺いたいと思います。
  28. 岸信介

    国務大臣岸信介君) この条約の至るところに、国際連合憲章の精神を、誠実にその精神に合致するというようなことを各所に設けております。米国が、また日本もともにでありますが、両国ともこの条約によって、あくまでも国際連合のこの精神をあらゆる面において具現するという熱意をもってこの条約締結いたしております。国際連合の趣旨は、御承知のようにすべての問題を平和的手段において解決する、武力の行使ということは一切これは認めないというのが原則になっております。ただその場合の例外として、他の国から式力攻撃が加えられた場合においては、この加盟国はいわゆる個別的自衛権あるいは集団的自衛権において武力を行使することが例外的に認められております。この安保条約のいわゆる五条の武力攻撃があった場合において、百米がこれを排除するために必要な行動をとる、武力行動をとるということも、この国際連合憲章の精神に基づいておるわけであります。で、私どもは、米国があくまでも国際連合の忠実なる一員としてこれを守るところの国であるという信頼関係のもとに実はこういう条約を結んでおります。こういう条約というものは、何といっても、基礎において両国の間におけるところの信頼関係が真に成り立たなければ、こういう大事な条約というものはできません。ただ文句の上においてりっぱな不可侵条約を作っても、それが信頼できない相手方であるならば、それは何ら意味をなさないことであります。私ども安保条約締結するにあたって、アメリカをその相手国として選んだことは、今言ったような見地から、アメリカがわれわれの立場から国際連合憲章をじゅうりんするような国ではないという信頼関係を基礎として結んでおるわけでございます。
  29. 青木一男

    青木一男君 共産党や社会党や総評の諸君は、前々から、米国をもって帝国主義的侵略国であり、戦争勢力の巨頭であるとし、ソ連をもって平和勢力の代表者ときめてかかっておるのであります。日教組の教師の倫理綱領などの基本思想もここから出ておるのであります。かような色めがねをかけた人々には安保条約のほんとうの姿は映らないでありましょう。日本がこの条約のために戦争に巻き込まれる危険があるかどうかということは、条約に対する賛否両論の分かれるところであります。それには、一部の人々の言うように、米国がはたして侵略戦争を起こすような国柄であるかどうか、この点を歴史上の事実に基づいて確かめてかかることが必要であると思います。いずれの国も外交辞令の上では常に平和尊重の国であります。しかし、言葉の上の平和をそのまま信用することはできません。まず過去の歴史をたどってその国の国柄と伝統を知ることが一番緊要なことと私は思います。  アメリカ合衆国建国の歴史を見ますると、国民の宗教上の自由を獲得し、民主主義を確立するとともに、母国の戦争に巻き込まれずに平和を維持したいという、自由主義、平和主義が建国の根本思想をなしております。モンロー大統領は、ヨーロッパ諸国の争いを西半球にまで及ぼすことを避けるため、米国の欧州への不干渉とともに、欧州諸国の西半球への不干渉を宣言し、米州諸国の平和維持と民主政治確立の政策をとり、これが久しき間米国の外交政策の基調をなしたことは有名なる事実であります。一九一四年第一次大戦の勃発にあたり、米国は厳正中立を守り、戦争介入を避けたのでありますが、ドイツが米国の中立国としての権利及び国家的安全を脅かしたので、一九一七年に至って民主主義のために世界から危険を除く決意を表明して参戦しました。自来米国は、連合軍の主力となって戦ったけれども、ウィルソン大統領は戰争中から—四カ条の平和原則を発表し、パリ講和会議においては、この原則に基づいて、非併合、非賠償の主義を強く主張し、みずからこれを実行しただけでなく、他の連合国にも同じような方針をとるように働きかけました。またウィルソン大統領は、戦後の世界平和機構として国際連盟を提唱し、平和条約中に採択されましたけれども、伝統的孤立主義の立場から、上院の反対により米国の参加が実視しなかったのであります。第二次世界大戦にあたっても、米国は中立を守る方針であったのであるが、日本の宣戦によって戦争に巻き込まれたのであります。米国は日本との戦争において十万人以上の戦死者と二十万人以上の戦傷者を出し、何十兆円にも当たる軍費を使い、甚大なる犠牲を払って戦ったにもかかわらず、桑港の講和会議においては、米国は日本に対し非併合、非賠償の平和原則を堅持し、みずからこれを実行しただけでなく、他の同盟国に対しても同じ方針をとることを強く働きかけたことは、われわれの記憶に新しいところであります。二度の大戦により、孤立主義が平和を維持し得ないことを体験した米国は、国際連合を設立し、国際機構により世界平和を維持することを提唱し、今日の国連を創造するに至ったことは明白であります。  かくのごとく、米国はいまだかつて自分の方から侵略戦争をしかけたようなことはありません。かえって常に世界平和の維持に率先して力をいたし、また多大の犠牲を払った戦争の終結に際し、戦勝国の権利ともいうべき賠償と領土の請求権を完全に放棄した国柄であります。従って、歴史上一インチの領土も外国から奪ったことがない国柄であります。もし米国が侵略国であるならば、かようなりっぱな態度をとり得るものでないと思いますが、首相見解を伺いたいと思います。
  30. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 米国の歴史については、今おあげになりましたようなことが事実としてわれわれにも十分理解できるところであります。アメリカが伝統的に平和主義であり、また侵略的な行動について、アメリカの建国の精神からそういうことは一切考えないという国柄であるということにつきましては、私は米国を理解する上においてやはり十分に考えていかなければならぬことだと思います。特に私は、歴史的なこともさることでありますが、この第二次世界大戦後における米国の世界平和維持に対する非常な努力、このために払っておるところの犠牲、またはその平和維持についての国をあげての努力というものは、十分にこれを認識しなければならぬことでありまして、アメリカをもって侵略国であるとか、アメリカの帝国主義云々というような表現をもってアメリカを非難するということは、私は当たらないと、かように思っております。
  31. 青木一男

    青木一男君 英国、フランス、オランダ等の諸国も、遠い過去においては侵略的植民政策をとったことは事実でありますけれども、第二次世界大戦後、アジア、アフリカにおけるこれらの国の植民地が、相次いで独立国として解放されるに至ったことは厳たる事実であります。これらの自由主義国も、過去は別として、今では侵略国ではなくなったものと言わねばなりません。これに対してソ連は、帝政ロシヤの時代から相次ぐ侵略政策によって東方に向かって領土の拡大を実行したのでありますが、革命以後においても伝統的侵略政策を改めることなく、ことに一九三九年以降、西部隣邦諸国に向かって次々に侵略的進出を敢行するに至ったのであります。その顕著な事例をあげますと、一九三九年八月、ポーランド領西ウクライナと西ロシヤに進撃し、両地方をウクライナ共和国と西ロシヤ共和国に併合しました。一九三九年十一月、フィンランドに進撃し、カレリア地峡、ラドガ湖の西部、北部沿岸地方、ベッツアモ港等を奪取しました。一九四〇年六月、ルーマニアからベッサラビアと北ブコヴィナを奪取しました。一九四〇年七月、エストニア、ラトヴィア、リトアニアのバルト三国にソビエト政権を樹立し、ソ連邦構成の共和国としました。第二次世界大戦の結果、ポーランドからはこの領土の八分の五に相当するカーゾン線以西の土地を割取し、フィンランドからはカレリア地方を割取し、チェコスロバキアからはルテニア地方を割取し、ハンガリーからはカルバト・ウクライナ地方を割取し、ドイツからは東プロシャの大部分を割取し、日本からは南樺太と千島を割取し、わが国の固有領土である南千島を今もって返還しません。また第二次世界大戦の末期、ソ連軍は敗退するドイツ軍を追って、東欧、バルカンに進出し、ソ連軍の実力を背景として共産党を中心とするソ連のかいらい政権を樹立し、戦後ますますその地盤を固め、今やユーゴを除くポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、アルバニア、東ドイツの諸国を完全に衛星国となさしめました。  以上、私は世の歴史的事実をあげたのでありますが、これらの事実を冷静に回顧するとき、ソ連をもって平和主義の代表国であるとし、米国を帝国主義の侵略国であるとすのは、色めがねをかけた人は別として、世界の常識と日本人の国民感情が許さないものと信じますが、この点については特に政府答弁を求めません。  次に、今後の世界情勢の見通しについて伺います。  反対党の諸君は、日米安保条約は世界の雪解けの大勢に逆行するものであるといたしまして強く主張してきました。わが国では、昨年九月フルシチョフ首相の米国訪問、両巨頭の会談が行なわれたのを契機として、いわゆる雪解け論が盛んに行なわれ、今にも世界平和の時代がくるかのように楽観的の意見が一世を風靡したのであります。私は昨年十一月の臨時国会の予算委員会において、岸首相に対し、われわれも世界平和の到来を衷心願望するものではあるけれども、希望と現実とを混同してはならない、国の政策は現実に即してきめなければならないという意見を述べ、首相もこれに同感の意を表されました。先月パリで開かれた最高首脳会談が、U2型偵察機一機の問題で決裂した事実は、世界平和のために不幸なことでありますとともに、わが国内に広く行なわれた雪解け説の根拠の弱いものであったことを実証したのであります。今日の世界の平和は、両陣営の力の均衡と核兵器やミサイルの破壊的威力に対する共通の恐怖の上に保たれているのであって、根底において相互の信頼が欠けているという点が今度の会談の失敗の原因であったと思います。首脳会談決裂後、米ソ対抗の舞台は国連に移ったのでありますが、情勢緩和の見通しはなく、米ソ首脳部の相手方を非難する声明は相次いで行なわれ、冷戦は前よりも激しくなり、力の競争が激化するのではないかということを懸念されるのであります。この場合の力とは、武力と経済力と陣宮内の結束の総和でありまして、相手陣営の結束を破ることは、それだけ味方の力を優位に立たしめることとなるのであります。ソ連や中共がわが国内の左翼勢力と呼応して安保反対の声を高めている目的も、この点にあるものと見なければなりません。私どもは、首脳会談の一回の失敗に失望せず、終局の成功に対し期待と希望を寄せるものではありますけれども、それにもかかわらず、現実の国際情勢下において、新安保条約締結は国家の安全のためにいよいよ必要の度を加えてきたことを認めるものでありますが、首相見解を伺いたいと思います。
  32. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 現下の国際情勢の認識につきましては、昨日私の所信表明の中にも申し上げましたように、また今青木委員からもお話がありましたように、私どもは国際間の緊張を緩和するための雪解けを心から願い、またそのためにあらゆる労力をしなければならぬということを考えておりますが、しかし国際情勢の現実は、そうしたわれわれの願いにもかかわらず、きわめてきびしいものがあり、特にその状態が、パリのあの首脳会談の決裂によって世界の前に明らかにされたというように見ざるを行ない。こういう状態のもとにおいて、あるいは東西間の緊張はさらに強まるのではないか、あるいは冷戦の形においていろいろな工作が行なわれるのではないかというようなことにつきましても、十分に留意をしなければならぬと思います。こうした国際情勢の現実の上に立って、いかにして日本の平和と安全を守って、そうして民族の願いである国民の繁栄と世界平和に貢献するということが、われわれに課せられておる使命でありまして、私はそうした国際情勢から見まして、この安保条約の問題を考えてみまするというと、日米の協力によるところの安保体制が必要であるというこの信念を動かすことはできないのであります。しかも、現在の安保条約の持っておる最初からの不備な点、日米の不平等な点を、独立国にふさわしい、わが国にとって合理的なものに改めるということは、多年の国民の要望でもありますし、ぜひこれを実現していくことが、日本の平和と安全を守り、その繁栄を期するゆえんである、かように考えております。
  33. 青木一男

    青木一男君 外部からの侵略に対して自国を守るということは、国家を構成する人間の本能でありまして、憲法以前の問題であると私は思います。今日の世界情勢下においては、いかなる国といえども、一国だけの力でその国の安全を確保することはむずかしいのであります。国際連合の安全保障に依存することができますれば、まことに理想的でありまするけれども、先はど首相の言われた通り、現状では不可能であります。そこで、大多数の国々は、個別的または集団的安全保障体制によって自国の安全をはかっておるのであり、このことは国際連合憲章において、各国の権利として認められておるところであります。ことに、わが国は済力が貧弱で、現代の進んだ防衛力を経維持し得る力がない国であります。また、憲法上防衛力の保持に重大なる制約を受けておる国でありますから、その欠陥を外国との安全保障条約によって補う必要のあることは論を待ちません。すなわち、わが国は他のどこの国よりも安全保障体制を必要とする国に相当すると考えますが、首相見解を伺いたいと思います。
  34. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 一国がその独立を保持し、他からの侵略を受けないようにするために、自衛権を持ち、またそれに裏づけの自衛力を持つということは、これは当然のことでありまして、従来からも、いわゆる戦争放棄に関する憲法九条の規定もそういうことを否認するものでないと解釈されることは、御承知のように通説になっております。しかしながら、憲法九条の規定がとにかく他の国に比較して防衛力増強についてある種の制約を設けていることは、これまた私は否認できないと思います。また、日本の国力から見まして、戦争中、また戦後におけるところの混乱から国力が非常に破壊され、国民の非常な努力によって世界の各国が驚くような国力の回復はいたしておりますけれども日本一国だけでもって日本を防衛し、日本の安全を確保して、国民も安心してすべての業務に精を出すというような防衛体制を日本一国の力で持つということは、国力の上からも、幾ら回復したとはいいながら、とうてい不可能なことだと思います。そういう国、しかも日本が置かれているところの地理的客観的の情勢、また日本の国内におけるところの多数の人口と、また優秀な技術力や工業力を持っているというようなことを考えてみまするというと、この国をいかにして他から侵略をされず、平和と安全を守るかということにつきましては、御指摘のように、他の国と一緒になって安全保障体制を作ることの必要が最も痛感される国であると、かように思います。
  35. 青木一男

    青木一男君 次に、安保条約の目的、すなわち、これによって何を求めるのか、また条約相手国としてなぜ米国を選んだかということについて、首相にお尋ねいたします。  まず、条約の前文にある「民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護する」という条約の目的についてであります。この趣旨は、北大西洋条約にも現われておりまして、自由主義陣営共通の目的を示すものであります。共産主義国は、独裁政治を建前としているから、自由意思に基づく選挙を条件とする議会政治が行なわれておりません。また、国民の人権と自由とが極度に抑止を受けており、たとえば、ソ連では共産主義に反対すること自体が憲法上の重犯罪とされております。単に政治上の自由がないばかりでなく、私生活上の自由も著しく制限されております。かくては、人間の尊厳、文明人として生きる価値いずれにありやということになります。また、  「法の支配を擁護する」ということは、一切の暴力行為や非合法活動を排除するということでありますが、共産革命は常に暴力革命でありますから、これを否定することになるのであります。わが国が共産主義陣営に仲間入りすることをせず、民主主義、自由主義をもって立国の精神とする米国と提携するに至ったことは、わが国があくまで国民の人権と自由を尊重し、法秩序を守るという民主主義の崇高なる理想に出発していると思いますが、首相見解を伺いたいと思います。
  36. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 新しい安保条約の前文には、今御指摘のような趣旨を明瞭にいたしております。私は、日本の進むべき道として、日本の憲法にも明らかにしておるように、人間の自由と人格の尊厳を基調とする民主主義を貫くことこそ、日本国民の福祉の基礎であり、繁栄の根底であると信じております。この点において全然考え方を同じくするところの国は、いうまでもなくアメリカ考え方は全然同一でございます。われわれが国の安全を保障するというような立場、大事な問題を共に力を合わせて安全を保障しようという場合においては、その相手国として、私はこの政治的の理念、またわれわれが目標として進むべき道を同じくしておるところの国と協力するということは当然であって、この意味から私どもは、米国とこの安全保障の体制を作ることが日本のために最も望ましいと、こう考えております。
  37. 青木一男

    青木一男君 次に条約前文の「両国間に伝統的に存在する平和及び友好の関係を強化する」という点についてであります。これは日米両国間の相互の信頼を意味しておるのであります。一国の運命を託するような重要な条約の相手方は、条約を忠実に守る信義ある国でなくてはならないことは当然であります。大東亜戦争は日本からしかけた戦争であり、これによって米国は莫大な犠牲を払ったことは先ほど申した通りでありますが、きわめて寛大な条件で日本と講和したことは、一面米国の平和主義の伝統を示すとともに、他面、今後とも日本との親善を欲したからにほかならないのであります。米国は、日本が自由主義、民主主義の国として立ち直ることを衷心欲したがゆえに、あの寛大なる条件で講和したのであります。わが国は敗戦国であるにもかかわらず、今や世界をあげて驚異とするほどの経済復興を遂げ、国民生活は向上し、戦前に比し、すでに五割以上も豊かなる生活をなし得るに至っております。これは食生活、衣料生活、文化生活、交通関係等、日常の生活を通じて何人も認めておるところであります。これは国民努力政府施策のたまものでありますけれども、その陰に米国の賠償の放棄と経済復興援助という消極、積極両面の好意が火を結んだものであることを忘れてはなりません。もし米国が常識的な賠償の支払いを日本に求めたとしたならば、日本は今日の経済復興や国民生活の向上などは夢にも考えることはできなかったことは確かであります。終戦直後占領軍は日本の事業復興を阻止する方針をとり、全国上場に残存した主要機械全部を賠償機械として封印したのでありますが、米国はその後この方針を一擲したのであります。日本の今日あるは、米国の日本復興援助という政策のたまものであると思いますが、首相見解を伺います。  なお、ついでに申し上げますが、日米安保条約に反対する勢力は、この日本復興の恩人である米国をそでにして、共産圏諸国に近づこうとしておるのでありますが、ソ連や中共は日本の復興や国民生活の向上に何を貢献したというのでありましょうか。私はその事実を知らないのであります。
  38. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 戦後の日本の復興につきましては、何といっても国民の非常な努力の結晶であると思いますが、アメリカが戦後日本に対してとった諸政策というものは、この日本の復興を助けたことは、これはいなむことはできないと思います。いわゆる敗戦後相当長きにわたる占領政策の間においてアメリカのとった政策は必ずしも一貫したものではなく、またことごとくが日本のためになったとも私は考えませんけれども、しかしながら、基本において、日本アメリカとのこの協力、ことに平和条約における寛大なるこのアメリカ考え方というものが、日本の復興を助ける上において非常な大きな力をなしたことはいなむことはできないと思います。また過去八年にわたって日本の平和と安全をはかる上におきまして、もしも安保条約がなかったならば、日本の力でもってこの日本の平和と安全をはかるために必要な自衛力を作ったとするならば、とうてい日本の経済力はそれに耐えなかったであろうし、またこういう復興はできなかったであろう。今日、日本の防衛費が全体の予算の一割足らずであるということは、しかも、そのもとにおいて日本の平和と安全が維持されておるということにつきましては、私は安保条約の力によるものが非常に大きいと、こういう意味において、新条約におきましても、将来ただ防衛的だけでなしに、政治的、経済的各方面における日米の協力によって日本国民生活を豊かにし、その繁栄を期する基礎を、この新しい条約において実現したいというのが私どもの願いでございます。
  39. 青木一男

    青木一男君 次に、日本の中立化の問題についてお尋ねいたします。安保条約反対論者は大体中立論者であります。ソ連は何回となくわが政府に覚書を送り、日米安保条約に反対して、中立政策に転換せよと脅迫的の報告を発しております。中共もまた同じ主張を繰り返し、内外呼応して中立政策への転換を迫っておるのであります。政府ソ連の覚書に対して、内政干渉であるとしてこれを排し、古論機関も一致して政府の態度を支持しておるのであります。私の見るところをもってすると、国内の中立論者やソ連、中共のねらいは、日米安保条約を廃棄して、米軍を日本から駆逐し、日本を自由主義陣営から脱落させることにあるのであります。われわれは、まずわが国に中立政策を強要しておる中ソ両国が、日本を仮想敵国として友好同盟条約を組んでいる事実を忘れてはなりません。この中ソ同盟条約は、現行日米安保条約に先だつこと二年、一九五〇年に締結されたのであります。そうして中ソ両国は、強大な空軍、陸軍、海軍を擁して日本包囲の体形をとっているのであります。国内には各種の革命勢力が共産革命の機会をねらっている。十渉の口実は、いつでも、幾らでも作られる情勢下にございます。日本日米安保条約を廃棄し、防衛力を失った暁には、大局から見て、共産主義陣営の一衛星国と化する危険がすこぶる大きいものと考えますが、首相見解を伺います。
  40. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 日本の進むべき道として、中立政策をとるべきだという議論が一部にございます。しかしながら、世界の中立主義をとっている国を見ましても、その国が中立政策によって、それぞれの国が他から侵略されずに安全が保障されておるという国は、あるいは政治的に見て、あるいは経済上から見て、地理的に見て、いろいろな軍事的、歴史的その他の客観的の条件のもとにそういうことが確保されたものでありまして、他の国がそれであるから、日本も中立政策をとったらいいというような漠然たることで考えるべきでないことは言うを待ちませんけれども、今日日本に対して中ソ両国からその中立化というものが強く要請され、またこれを受けて国内において中立化を唱え、中立主義をとれということを言っておるところの真意は、申すまでもなく自由主義陣営から日本を脱落せしめる、日米を離間させようという考えにはかならないということ、これは昨日私の所信表明のときにおいても申し上げた通りであります。そういうことは日本の置かれている地理的な立場、あるいは日本の国力、あるいは工業力、あるいは日本民族の能力等から考えまして、とうていできることはではないのであります。私どもは、やはり日本の進むべき道としては、あくまでも、先ほどもお答えを申し上げたように、自由主義の立場を貫いて、そうして人間の自由と人格の尊厳を十分に確保するところの自由主義、民主主義によって繁栄と平和を守っていかなければならない、かように考えます。
  41. 青木一男

    青木一男君 ソ連政府日本政府に対する覚書の中で、日本の中立に必要な保証を与える用意があると述べております。しかし、われわれ日本人は、ソ連のこの保証に国家の運命を託することができるでありましょうか。今から十五年前、日本は戦局絶望の状態に陥ったので、当時わが国との間に中立条約を結んでいた盟邦ソ連を通じて米・英と和を講ずることを考え、そのために近衛公を派遣しようとしました。近衛公の派遣は実現しなかったのでありますが、佐藤大使を通じてソ連に頼み込んだのであります。しかるに、ソ連はこの日本の信頼を裏切り、中立条約を破って突如日本に宣戦を布告し、満州、樺太、千島を占領し、在留邦人に残虐行為を加え、多数を捕虜としてシベリヤに連行し、強制労働に使役したのであります。アメリカ、中国その他の交戦国が、日本の軍隊を支障なく本国に帰還させたことと好個の対象をなすものであります。ソ連は単に日本との条約を破ったばかりでなしに、他の国との不可侵条約や中立条約も平気で破っております。一九三九年には不可侵条約を破ってポーランドを攻撃し、領土を奪いました。同年フインランドに対しても不可侵条約を破って宣戦を布告し領土を奪いました。一九四〇年には、バルト三国との不侵条約を破ってこれを併合したのであります。かように中立条約や不可侵条約も自国の利益のためには弊履のごとく捨てて顧みないようなソ連の言に信頼して外交方針を転換し、国の運命をソ連の保証に託するということはできないと思いますが、岸首相のお考えを伺いたいと思います。
  42. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 一国の運命を託するような安全保障の体制というような重大な問題を他の国と結ぶという場合において、最も必要なことは、両国が真に信頼関係にあるということであります。信頼のない国の間にそういうことをすべきものでないことは言うを待ちません。われわれが、先ほど御質問にありましたように、アメリカとの間に日米安保条約を結ぶという、またこれの改定の新条約を結ぶということは、この両国の基本的な信頼関係を基礎として初めて成り立つのでありまして、今日に日・ソ・中・米、この四カ国の間における不可侵条約をもって安保条約にかえたらいいというような意見がございますけれども、それはこの四カ国の世界的な立場におけるいろいろな論議からみましても、全然意見が対立し、相入れない関係にあり、また今おあげになりました、日本国民にとってはソ連との間の不可侵条約がどういう結末になったかということに、きわめてなまなましい記憶を持っておる日本人が、とうていこういう大事な国の運命を託するようなことの基礎として必要な信頼関係が、この間においてあるとは、現在において言うことはできないと思います。かように考えておりますから、そういうものによって日本の安全保障をするという考え方は、私は実際からいうというと、とうてい実現できない問題であると、かように思います。
  43. 青木一男

    青木一男君 社会党諸君は、国民に対し、安保条約という軍事同盟によって日本が戦争に引き込まれるのであるという、今にも政府は徴兵制度をしくであろう、安保条約を廃棄し、中立政策をとることによって戦争や徴兵を免れることができる、これが学生その他若い人々の共鳴を呼んでおることを軽視することはできません。安保条約は、他からの侵略を受けたときにだけ働く防衛条約であり、外国に対する侵略戦争に加担し、外国出兵の片棒をかつぐというようなことは、条約の明文上あり得ないし、政府は何回となくこれを否定したのであります。また徴兵制度は憲法上許されないし、政府もしばしばそんなことを考えないということを明日しておるにもかかわらず、反対党は故意に悪宣伝をしておるのであります。悪宣伝に負けるということは、政府与党説明の足らないことを意味するのでありまして、政府はこの点の啓蒙運動に一段の努力を必要とすると考えますが、首相のお考えを伺いたいと思います。
  44. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 安保条約審議にあたり、また国民の間におけるこの論蔵を通じまして、政府与党において国民に正しく新しい安保条約精神や内容を理解徹底するように十分なPRがされておるかという点につきましては、御指摘のように不十分な点をわれわれは反省して認めざるを得ない。そのためにあるいは故意や悪意の悪宣伝や、あるいは国民をして迷わしめるような言動の行なわれておるということはまことに残念でありまして、政府としてもまた与党としても、これに対しては今後といえどもできるだけの努力をすべきことは当然であると思います。今おあげになりましたように、この条約が軍事問題であるというようなこく端的な言葉で呼ばれておりますが、これは軍事同盟というような性格のものではございません。あくまでも防衛的なものでございまして、軍事同盟ということをややともすると意味するというように考えられており、侵略戦争、あるいはそれに引き込まれるというふうな考え方とは全然本条約の性質は違う。これは現行の安保条約も防衛的なものでありますが、新安保条約もまた防備的なものであって、いわゆる軍事同盟というべきものではないということは、これはきわめて明瞭な事実でありまして、しばしば政府国会を通じて答えておる通りであります。たま海外派兵や、あるいは徴兵の問題に関しましては、憲法の規定の上からいってもこれはできる問題ではございませんし、われわれはそれをする意思は全然持っておらないということを明瞭に申してきておるものであります。さらにこれらのことを徹底せしむるように、政府また与党において努力すべきことは御指摘の通りであります。
  45. 青木一男

    青木一男君 次に、日米経済協力の問題についてお尋ねいたします。新条約第二条には、「締約国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国の間の経済的協力を促進する。」とありまして、両国間協力の範囲を軍事から経済に拡大したことは一人進歩であります。反対論者はこの経済条項を一つのカムフラージュであるとしてけちをつけておりますが、政府はこの経済条項にいかなるウェイトを置いて考えておるのか。またいかなる分野と手段によってこれを実現しようとしているのか、首相からお伺いしたいと思ういます。
  46. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 一国の防衛、他から侵略されないように防衛を全うすると、いわゆる安全保障を先ほど来お答えしたように、両国の信頼関係を基礎としてこの防衛の目的を完全に果していくというためには、さらにその基礎を政治、経済上の協力の基盤に置くことが私どもは必要であると思います。単に軍事的な意味における共同、協力によってのみ防衛とかいうことが可能だとは考えておりません。従って、われわれがそうした安全、他から侵略されない、防衛の目的を達するということは、言うまでもなくわれわれはこの安保条約の目的としてそういう平和安全のうちに日本の経済の繁栄と国民生活の向上を期していこうと、これが目標であることは言うを持たないであります。そういう意味から申しますというと、民主主義の原則をあくまでも擁護し、これを発展せしむるように両国が協力するということや、あるいは経済の発展の上において協力をするということは、必然的な基礎となるべきものであると、かように考えております。従って、この新条約の第二条につきましては、私どもは新安保条約の非常な大きな重点がここにあると、これによってこれを具体的に具現することによって本条約の目的というものが十分に達せられるゆえんである、かように考えております。
  47. 青木一男

    青木一男君 日本経済における日米貿易の重要性についてお伺いいたします。  日米経済協力の第一の分野は、何と言っても貿易であります。わが国の経済を発展し、完全雇用を実現し、国民の生活程度をいよいよ高めるためには、工業と外国貿易を盛んにすることが第一の要件であります。わが国は外国依存度の高い国でありまして、所得倍増を目標とする長期経済計画実行の上から見ましても、そのきめ手となるものは工業と輸出貿易であります。十年後に国民所得を倍増するには、十年後の輸出貿易を七十億ドルないし七十五億ドルに増加しなけれならない。これが達成できるかどうかは倍増計画の成否をきめることとなるのでありますが、政府のお考えを伺いたいと思います。
  48. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) お答えいたします。お話のごとく、国民生活を早急に増強、上昇いたしますためには、国内の生産をふやし、従って外国貿易を盛んにすることが必須の要件であるのであります。日本アメリカとの貿易関係は最近とみに改善されまして、従来片貿易であったのが、昨年度におきましては日本が輸出超過の国になったという状況でございます。またアメリカから見ましても、アメリカの輸出品のうち、日本への輸出は第二番目でございます。また輸入から申しましても、日本からの輸入は、アメリカの全世界からの輸入の第三番目でございます。非常にアメリカにとっても重要でございます。また日本から見ますれば、日本の貿易額の三分の一、輸出入とも三分の一はアメリカとの貿易であるのであります。こういう意味におきまして、今回の安保条約に経済協力の規定があるということは非常にいいことである。これは日本アメリカのみならず、世界を相手にしていく場合アメリカ日本が貿易面、経済面で協力することはどうしても必要なことでありまして、私は今回の安保条約に経済協力の規定を入れたことは画期的なことであると考えております。
  49. 青木一男

    青木一男君 引き続いて通商産業大臣にお伺いいたします。  今、日米貿易の数字的の重要性はお話の通りと思います。そこでお伺いしたいのは、対米貿易の増進ということは日米両国が友好親善の関係にある場合に限っては可能であると思うのでありますが、その点についてであります。たとえば今日まで日本商品の対米進出が急激であったために、米国業者から日本品の輸入制度や関税引き上げの運動が強烈であったのであるが、米国政府は極力これを押えてくれたのであります。これは安保条約の相手国として特別親善の関係にある日本立場を理解した結果であると思いますが、要するに、外交上の親善関係が基礎となって貿易の進展が期待される、この一点についての見解を承りたいと思います。
  50. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) 外交上の親善関係は最も必要でございます。また経済の実態から申しましても、日本の繊維工業につきましては、アメリカの綿花というものは絶対に必要でございます。それから経済的にもまた心理的にも両国が一致すことが非常に必要であると考えております。また従来アメリカ日本品に対しまして特別に制限措置をしておるように伝えられる節があるのでございますが、私の見るところでは、アメリカ政府はお話の通り日本に対して非常な好意を示しておると見ております。たとえば最近におきまするいわゆるガットの規定によります緊急措置も、アメリカは七品目についてやっておりますけれども、そのうち貿易関係の非常に多い日本につきましては、体温計と御承知の金属製品だけでございます。私はアメリカ政府日本との貿易につきまして非常な好意を示しておるということを感じておるのであります。
  51. 青木一男

    青木一男君 引き続きお尋ねいたします。  もし日本安保条約を廃棄して米軍を駆逐し、ソ連や中共に接近するとこになったならば、日米貿易はどうなるでありましょうか。米国の対共産圏貿易政策の峻厳なる現在の方針、態度から見まして、日本の対米貿易は途絶に近い状況に陥るのではないかと思います。日本が自由主義陣営を離脱した場合、自由国以外の自由主義国との貿易にも深刻な影響を与えることは覚悟しなければなりません。対米貿易が破局に陥った場合には、日本産業は根底から崩壊し、多数の土場の火は消え、失業者は続出し、物価は暴騰し、収拾しがたき経済の混乱と社会悲劇が起こることは必至であると思うのであります。  反対論者は、対米貿易が悪化しても中国やソ連との貿易を増強すれば日本の経済を救うことができると説いておりますが、これがはたして可能でありましようか。私の見るところでは、その期待は空論にすぎないのであります。共産国との貿易といっても、ソ連との貿易は沿革上ごく限られた範囲で行なわれておりまして、結局中共貿易を意味することになります。国民の中には戦前の対丈貿易を想起して、中共貿易に多くの期待をかけている人々もありますけれども、今日の中共は全く異なった中国であることを知らねばなりません。日本と中共の貿易は、昭和三十三年長崎国旗事件を理由として、中共政府が貿易打ち切りを断行して今日に至っておりますけれども、その前年の三十二年のわが国の中共への輸出六千万ドル、中共からの輸入は八千万ドル、いずれも輸出総額、輸入総額の二%に過ぎません。日本の外交方針の転換が行なわれた場合には、若干の数字が伸びることは予想されますけれども、それには越えることのできない限界があるのであります。まず、共産国の経済政策は自給自足経済を原則とし、外国貿易にはそれほどの力を入れておりません。そして外国貿易の中では、共産圏内の貿易に重点を置き自由主義国との貿易は付随的なものとされております。また国内建設に必要な品物は輸入しますけれども国民の生活を豊かにするための消費物資の輸入はしておらないのであります。従って日本から鉄鋼、肥料、薬品などは買いますけれども、戦前の対支輸出品の大宗をなした織物や雑貨は今では日本から買わないのであります。のみならず中共は戦前のシナと異なって、年ごとに工業国化し、今では繊維品や雑貨の輸出国として東南アジアで日本との競争関係に立っているのであります。しかし、日本は中共の工業製品を買う立場におりませんから、中共から買う品物としては大豆以外に金高の上がる適格品はないのであります。鉄鉱石、粘結炭はわが国にとって一番ほしい物資でありますが、中共の大事な工業原料であるから日本に供給されるはずがありません。かように日本が中共から買う物の少ないということも、日本の中共への輸出の制約される大きな原因であります。かような実情でありますから、中共貿易は若干伸びる余地があるとしても、その程度は知れたものでありまして、政府の見通しを伺いたいのであります。要するに、中共貿易を中心とする共産圏との貿易は私どもももちろん欲するのでありますが、それは米国を中心とする自由主義諸国との貿易が今のまま維持されることを前提として、その上にプラスされるという場合にのみ、その意義と価値があるのでありまして、対米貿易にとってかわるような資格のないものであることは明白であると思います。この点の政府見解をあわせて伺いたいのであります。
  52. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) 対米あるいは中共、ソ連との貿易の実績はお話の通りでございます。私はアメリカとの親善関係がこわされるということは全然考えておりませんので、そういう場合の想像はいたしておりませんが、もちろんそういうことが万一ありとすれば——私はないと思いますが、ありとすれば、貿易はある程度減りましょう。ことに私は日本の産業が今日の隆盛を来たしたのは、アメリカの技術及び資本でございます。貿易のみならず、日本の発展に必要な資本、技術というものが非常に入れにくくなりまして、日本経済の発展自体に非常に支障を来たすことを私は心配するのであります。しかし、私はそういう事態は全然起こらぬと考えているのであります。
  53. 青木一男

    青木一男君 中共貿易というものの日本貿易における物価についてのお話が抜けておったのでありますが、おそらく私の述べたことについて御異論はないと私は考えるわけであります。今後の日米貿易のさしあたっての問題として二つあると思います。一つは日本品のアメリカにおける輸入制限問題であります。この点は、先ほども通産大臣のお話のように、米国政府は非常な好意をもってやってくれると思いますが、私は貿易自由化の線に沿って一そう日本品が制限を受けずにアメリカ市場に進出し得るように今後とも交渉をお願いしたい、こう思うのであります。それから一つは、今まで米国品その他ドル地域からの輸入品に対してとられておった輸入上の差別待遇であります。昨年来、米国品に対する差別待遇はだんだん直してきておりますけれども、今でもまだたしか銑鉄と大豆については残っているのじゃないかと思うのでありまして、やはりこういう懸案は早く解決して、お互いに自由に公平に貿易ができるように措置する、やはり具体的な問題から解決していきませんと、貿易の増進と申しましても進まないのじゃないか、こういうことを憂えますので、こういう問題について一段の努力を希望します。政府のお考えを伺っておきたいと思います。
  54. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) 対ドル地域に対しまする制限は、数百品目あったのでございます。昨年の三月、十品目にまで減らしました。ただいま残っているのは銑鉄と大豆だけでございます。銑鉄は十月から撤廃いたします。大豆につきましても、おおむね十月から撤廃する予定で今検討いたしているのであります。アメリカ日本の商品に対してこれを差しとめるというようなことはないのであります。日本の商品が一時にたくさん出るということをやめてくれということを言っているわけであります。特に日本に対して制限を強化しているということは、先ほど申し上げているように、ないのでございます。
  55. 青木一男

    青木一男君 日米経済協力の第二の分野は、資本と技術の交流であります。これは先ほど通産大臣も述べられた点であります。日本は資本蓄積の足らない国でありますから、事業資金を外国、特に米国に求める空気は産業界各方面に起っているのであります。今日までの経験上、日本経済にとって特に効果のあったのは、新技術の導入と表裏して行なわれた資本の流入であったと思います。戦後の化学工業を中心とする新興産業は、米国会社との技術提携によって生まれ、また発展したものが非常に多いのであります。そうして、それによっておびただしい数の人々に新しい職場を与えております。また日本の国際収支改善にも貢献しているのでありますが、この分野が今後日米協力の見地から、一段の力を入れるべき分野ではないかと私は思うのでありまして、これについて何か具体的なお考えがあれば伺っておきたいと思います。
  56. 池田勇人

    国務大臣(池田勇人君) 戦後におきまする外国の資本並びに技術の導入は相当に上っているのであります。資本の方は大体七億数千万ドルと記憶いたしております。その内訳を申しますと、これはアメリカだけではございませんが、世界銀行から三億数千万ドル、またアメリカの輸出入銀行から二億ドル近く、また民間から一億数千万ドルを入れ、ほとんど大部分がアメリカの資本でございます。技術につきましても、アメリカの技術導入がほとんど大半でございまして、今日の経済の発展はこれに負うところが多いのであります。しかして今後は外資法並びに為薄管理法の趣旨をもっと拡大いたしまして、特殊の世界銀行とか輸出入銀行のみならず、一般の民間資本の導入に力を入れまして、この上とも資金不足の日本経済に活を入れて需要をふやすという方針で進んでいく考えであります。
  57. 青木一男

    青木一男君 日米経済協力のもう一つの分野は、アジアの後進地域に対する開発援助上の協力であると思います。アジア新興諸国の独立を完成し、アジアの繁栄をはかる上からも、また日本の産業基盤確立の上からも、未開発地域の開発に力を注ぐべきことは言うを待ちません。ことに農業、漁業、諸工業の分野にわたって日本の技術はこれら地域に適応しておるのでありますから、前途きわめて有望であります。ただダムの建設、その他現地の人々の嘱望しておる大規模な開発事業には莫大なる資金を要します。しかも請負金額を相当長期の延べ払いとしなければならぬ契約は、なかなか成立しません。それがため、今までのところ、賠償との関連で解決できるものを除いては、あまり実績をあげておらないのであります。さきに五十億ドルの開発基金が設けられましたけれども、一つの工事でなくなる程度の金額であります。米国はわが国と同じく、アジアの後進地域に対し開発援助の方針を推進しております。欧州各国もまた低開発国援助のための機構の準備を進めておるのであります。ソ連もアジアの新興国家に対し借款供与などの経済援助の手を差し伸べております。かくて東南アジアは、国際競争の場と化する傾向にありますが、現地にはナショナリズムの影響もありまして、日本の今後の進み方については慎重なる考慮を要します。従来の日米提携して進もうという考え方が骨子をなしておると思いますが、この国際関係の現状から見て、どういうふうに日本は進むべきか、この日米提携のこういう方面の具体的方法についてお伺いしておきたいと思います。
  58. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 東南アジア方面、あるいは必ずしも東南アジアと限らなくとも、低開発国の経済援助というものは世界の平和を維持して参ります上において重要な必要のありますことは、これは各国が最近特に認めておるところでございます。従ってアメリカを初め西欧陣営におきましても、これらに対しまして積極的な施策をとっていかなければならぬというふうな考えが逐次醸成されてきております。第二世銀の設立のごときはまさにその影響をこうむっておるのであります。また先般米欧州経済の問題とあわせて、自由主義陣営の主要国が低開発国に対する援助計画を立てておるということも、それからきておると思います。日本といたしまして、当然これらの低開発地域の経済開発に協力をして参りますが、しかし御承知のように低開発地域における経済開発の技術なり、あるいは日本が過去において持っておりました経験なりは、それらの国に生かせますし、また日本日本経済が立ち直りますれば、応分の資金的な援助もして参らなければならぬことは当然でございますけれども、広範なこれらの低開発国の開発に対する資金というものは、やはり充分な資金の余裕を持っております国々とともに手をつないで参らなければならぬのでありまして、その限りにおきましては、多角的な資金の組織を作りますことも一つでございますが、同時に日本アメリカとがともに手をつないで、そうして技術と資金によってこれらの問題を解決していくということも方法であろうかと思います。インドにおきます鉄鉱山の開発計画に対する日、米、インド三国の協力の形というようなものは、そうした具体的な現われでありまして、むろんそういう点について今後われわれとしては十分考慮をして参らなければならぬ。今回の条約等におきましても、国際経済政策というものに対してお互いに歩調を合わせ、また、何か食い違いがあれば、できるだけ調整しながら行こうということを打ち立てられましたことも、こうした今後の問題の解明に対して非常に大きな役割をいたすことだと考えております。
  59. 青木一男

    青木一男君 最後に、間接侵略条項の削除と、国内の治安の問題について首相にお伺いします。  新条約では、現行条約第一条にある内乱条項が削除されておりまして、これが新条約の一つの特徴をなしておるのであります。従来ややもすれば、安保条約が米国の日本に対する内政干渉の糸口になりはしないかという批判があったことにかんがみ、この条項を削除した新条約の姿は、非常にすっきりしたものになったと思います。しかし、国民の間には、間接侵略の危険を感じているものが少なくありません。私もその一人でありまして、私は、一昨年十月一日、参議院の本会議で、日本の共産革命の脅威について岸首相に質明したのでありますが、その後の国内情勢は、私の懸念を一そう強めております。わが国には、共産革命を最終のねらいとする団体や不穏分子が根強くはびこっており、外国勢力と結んで事あるごとにその気運を盛り上げておるのであります。かような情勢下において、新条約で間接侵略条項を削除したのは一大英断ではありますが、それには、政府として、かような事態発生の防止と、万一発生した場合の自力による鎮圧の手段について成算がなくてはならぬはずでありますが、首相から、この条項削除の理由と、これが対策についてお答えを得たいと思います。
  60. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 日本の治安の問題に関しましては、われわれ政府としても、深甚な注意を払って、この維持に万全を期していかなければならぬと思っております。もちろん、治安の維持について、日本の国内における共産革命勢力であるとか、あるいは背後においていろいろな国際的な関係等もございますし、また、これが治安対策としての内政的な法制等の点におきましても、なお不備な点があることも、これもいなめぬと思います。何といっても、こういう治安問題の基礎をなすものは、言うまでもなく、国民がよく事態認識し、これに対して十分な警戒と、その事態を未然に防ぐような環境を作っていくことが必要である。それには、国民生活をとにかく豊かにし、生活上の不安であるとか不平というものをなくするような内政上の措置を講じ、また、治安に対する必要な機構なり制度を設けることは、これは当然日本として考えていかなければならぬ、独立国として当然考えなければならぬ問題であると思います。現行安保条約の内乱条項というものを削除するということにつきましては、これは、独立国として日米対等な立場において日本の安全を確保していくという、この国民の願望を達する意味から申しまして、日本の国力なり、日本の社会秩序なり、また日本の自衛力というものを考えてみまするというと、いつまでもこの内乱条項を置くことは、これは適当でないという見地から、これを削除したのであります。しかしながら、日本に対する武力攻撃というものがいろいろな形において行なわれる。もちろん、一国が組織的計画的に行なったものに対しては、はっきりと第五条の既定がございます。また、日本の安全を脅かすような事態が起れば、四条において日米が協議するという問題もございます。われわれとしては、安保条約を、独立国として、日本立場からいって、対等な立場において、自主的な見地をもって改正するという場合におきましては、内乱条項は削除することが適当であるという見解からこれを削除したわけであります。しかしながら、国内の治安対策につきましては、今も申しましたようなあらゆる点から、われわれは格段に努力すべきものが多々あると思います。立法上あるいはその他の措置につきましても、政府としては、十分に慎重に検討して対処する考えでございます。
  61. 青木一男

    青木一男君 憲法の保障している勤労者の団結椎及び団体交渉権は、法令によって認められている組合活動に限って尊重さるべきものであることは当然であるにもかかわらず、組合活動の名で行なえば何をしても自由であるというような誤った特権思想がびまんしようとしているのは、すこぶる危険であります。内閣の更迭、衆議院の解散、外交政策の転換というような政治目標を掲げた先般の総評のヒネストのごときは、組合運動本来の使命と領域を逸脱したものであります。ことに、国法上スト行為を禁ぜられている公務員、国鉄などの公共企業体の従業員がストに参加するがごときは、許すべからざる違法行為であります。政府は、国会の権威のため、国法の権威のために、違反者を厳重に処分すべきものと思います。ことに注意を要するのは、暴力や法軽視の運動が慢性化して、世論がこれになれっことなり、その結果はおそろしきものがあると私は思います。こういうことは、はっきりした態度をとることによって防止できると私は思うのであります。
  62. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 過般の六月四日のストライキにつきましては、純然たる政治目的をもってのストライキでありまして、これが組合運動や当然の労働の運動として容認されている範囲を逸脱していることはきわめて町瞭であります。また、これに参加した者が公務員や、あるいは公共企業体の職員多数が参加したというようなことも、これまた法規の厳に禁止している事柄でございます。これらの問題につきましては、事前にそういうことのないようにあらゆる警告を発し、自粛自戒するように注意を促したにもかかわらず、こういう事態が生じたことを私ははなはだ遺憾と思います。政府としては、これらの失態を十分に調査いたしまして、処分すべき者につきましては厳重な処分を行なって、そうして将来こういうことが繰り返されることのないように善処したいと考えております。特に青木委員の御指摘になりましたように、ややもすると、社会やその他の一般の者が、暴力や、そういう違法なストライキや、あるいは労働運動という名前を掲げるというと、もう何ごともできるような間違った考えにいつとは知らずならされてしまうというようなことがあるというと、これはゆゆしいことでありますから、十分にその間の事情を明らかにし、また、労働運動の限界というようなものに対して、十分に国民認識を徹底せしめ、将来に対処していかなければならぬ。それには、現在これらの事態につきましての違法行為その他の問題を慎重に政府としては今調査中でございます。調査の結果に基づいて、今申しましたような心がまえでこれを処理したいと考えております。
  63. 青木一男

    青木一男君 全学連の問題について、文部大臣と岸首相にお伺いします。  私は、一昨年十月一日参議院会議質問演説の中で、この問題について政府と学校当局に警告を発しのでありますが、その後の全学連の傾向は、一そう無軌道ぶりを発揮し、あらゆる暴力事件の舞台に全学連の登場せざるはないという状況であります。岸首相渡米の際の羽田空港における暴行、国会請願デモ事件における暴行、去る六月三日の総理公邸の暴行、枚挙にいとまありません。なかんずく六月三日の事件のごとき、あらかじめ用意した太いロープで総理邸の門を引き倒し、破壊して、そこから邸内に乱入するなどは、全く暴徒の行為であります。彼らの思想、行動のあまりに過激なるがため、いわゆる主流派はつとに共産党から除名されており、彼らもまた共産党を敵視し、フルシチョフを罵倒してはばからないという状態であります。総評もまた、全学連をもてあまし、その統一行動から排除しようとし、六月四日の鉄道ストの場合にも、ある場所では全学連を利用し、ある場所では全学連の実力行使に反対する鉄道従業員との間にトラブルを起こしているような状況であります。思想及び行動の先鋭過激であるのゆえをもって、共産党からも総評からも見放された全学連の存在が、国家にとりいかに危険であるかということは説明を要しません。この危険分子の横行に対し、治安当局の取り締まりは別として、文部省や学校当局はなぜ放任しておくのでありますか。  私の最も遺憾にたえないのは、一部の学校当局の態度であります。彼らは、学年の行動に反省を促し、危険な風潮の善良な多数の学生に波及することを防止するという当然の責任を怠っているばかりでなく、学生の行動を弁護し、または同調するような意見を新聞に発表してはばからない教員の存在することであります。例を私の母校である東京大学について見ますると、昭和三十五年度の予算は四十五億円であります。これを三千人の教職員と一万人の学生のために消費しておるのでありまして、学生一人当たり四十五万円という莫大なる国費は、日本国日本民族とを無視する共産主義や無政府主義のイデオロギーの信奉者を養成するがためにではありません。共産党もおそれをなすような暴力行為の実践者を養成するためではないのであります。全学連の行列を放任しておくような学校当局の態度には、納税者である国民の九九%は反対であると私は信じます。また、あの過激な全学連学生の父兄の九九%は、子供の将来を考え、心を痛めておるものと信じます。私は、再び文部省と学校当局の猛省を促したいと思いますが、政府見解を伺います。  さらに、六・四ストを見て遺憾に思ったのは、全学連が多数の高等学校生徒を動員したという一事であります。また、ある地方の高等学校では、生徒会が、岸内閣退陣、国会解放の決議をした例があるのであります。高等学校生徒のような、年の行かない、政治などに理解力のない少年を政治ストにかり出したり、あるいは決議をさせるというようなことは、一つの罪悪であると私は思います。学校当局は、なぜそういう事態を放任しておくのでありましょうか。政府見解を伺いたいのであります。
  64. 松田竹千代

    国務大臣松田竹千代君) お答えいたします。  お話のように、全学連の一部の者——といっても最近の行動には、相当数デモにも参加したのでありまするが、彼らの行動は、全くもってのほかでありまして、実に目にあまるものがあるのであります。お話のように、六月三日の行為のごときは、全くもって、何とか適当な措置を講じなければ、この上どこまで彼らは歩むかわからぬ。私どもも、つねづね頭痛の大きな種になっておるわけであります。そこで、従来からも、国会デモのあったとき以来、特に大学当局に対して学生の補導には特別に力を入れてやってもらわなければ困ると、あるいは通達を出し、あるいは学長連に集まってもらって、特に懇談をして、その補導を強化するように、また、個人的にも十分に説得するようにお願いをしたわけであります。しかるに、その後、たび重なる彼らの暴行事件というものは跡を絶たないで、ますます激しくなってくるような様相を呈しておるわけであります。私は、これを心配するあまり、できる限り多くのこの辺の事件を知っておる人々、学生などにもしばしば会いまして、一体、彼らは、何を目標に、何を目的にやっておるか、どういう動機からやっておるか、いろいろ聞いておるが、別にこれというなにはない。ただ反対せんがために反対しておる。ときの権力に向って反対行動をとるのだということより考えられない。国会デモの直後にも、私は、寄宿舎であったと思うが、録音をとったのでありますが、その中には女学生もまじえておる。彼らの言うところによるというと、ただみんなが行くから行ったんだ。言ってみたところが、いよいよ国会の構内へ入るというと、まさに国会を占領したような気持になって、非常に感激に打たれた。非常におもしろかったというような、たわいのない話もあるのでありまして、私がいろいろ調べてみるところによると、必ずしもこれらの学生は特定の思想にこり固まって、そうして革命行動に出ようとしておるようにも思えないのでありまするが、さればといって、これを放置するわけにはいかない。そこで私は、今申し上げた通り、これまでも十分に学校当局には迫っておるのでありまするが、今回は特にアイゼンハワー大統領も来日することになっておるのでありまするから、この機会に、特に学生たちの反省を求める好機である。また彼ら自身も反省すべきである。私が知っておる全学連のかつての先鋭分子で、今日好調の紳士になっておるものもあります。そうして前非を悔いておる。全くこれらの行為というものは、いかなる目的、いかなる動機、その目的や動機のいかんを問わず、この民主社会における暴行というものは許さるべきものでないと私は考えておるのでありまして、世人もまた、お話のように、親たちはいかに心を痛めておるかと思うと、全くじっとしておれぬ。一般の世人もまた、若い学生のことであるから、血気の若者であるからと言って、十分に寛容な気持も持ちながらも、これらをことごとくにがにがしいと思って、指弾いたしておるような次第であります。だからして、この機会に何とか強い反省の道を開いて、彼らをして本来の学生の学業にいそしむ姿に返らしたいものであると考えておるわけであります。もとより文部省といたしましては、できる限り大学当局は、自発的にその学生補導の任務に当たることを希望いたしておりまするが、このままの事態が続いていきまするならば、大学の自治もこのままであってよいのかということになってくると思うのでありまして、最も深く非常な関心を持ってこのことに対して対処しておるわけでございます。
  65. 青木一男

    青木一男君 文部大臣の最後の学校当局に対する考えについては私も共鳴いたします。学校当局の態度というものは実に不可解である。学校の自治とかいうような、そういう観念で現状を放任していいかどうか、私は多大の疑いを持っております。ただ、文部大臣が一般のああいう連動に参加する学生の気持について深い考えはないのだといって甘く考えていますが、私の心配するのは、思想的背景によるああいう極端な連中に動かされて実力行動にこれが加わるということが国家として非常に危険であるという点であります。あの大勢の人が同じような思想的傾向を持っているとは思いません。しかし、実際運動においてそういう極端な連中の指揮のもとに動くというところに国家的危険があるのであります。そういう点については問題を決して軽視することなく、私は学生に対しても、学校当局に対しても、今後一段の力を入れて、そうして国家の不祥事をなくすることに全力を傾けてもらいたいという希望を述べておきます。  最後に、簡単に申し上げますが、治安対策としてはいろいろありますが、私ども憂えるのは、三池の事件を見ましても、警視庁の活動を見ておりましても、実に警察官に対して私は同情にたえない。私は奔命に疲れておるのではないかとすら思えるのであります。私はそれらにおいて警察力の限界というようなことが問題になったならば治安の上にゆゆしき問題であります。私は政府においては、そういう点に対して万全の策を講じて、そういう不安のないようにやることが政府の責務であると思いますが、首相にその点だけをお伺いして、私の質問を終わります。
  66. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 最近の三池の問題や、あるいは東京における安保条約反対のデモ等に対処して治安維持に当たっておる警察の立場並びにこれに対するわれわれの考えとしては、今青木委員の御指摘になりましたように、まことにこの重大な責任で、また奔命に疲れるような、またある場合においては、暴力のために負傷者等の出るというような事態を見ましても、青木委員の御心配になっているように、奔命に疲れてその限界が来る、限界に達するというようなことが万々あっては、これはゆゆしい出題でございます。十分に政府として、この治安の問題について警察官の問題、これは非常に重大な問題として私も強い関心を持っております。あるいは待遇の問題であるとか、あるいは生活環境の問題であるとか、あるいは勤務の問題であるとか、各般について人間にはおのずから力の限度がございます。これらを考えまして、今青木委員が御指摘になっているような、不安な状態政府としては絶対に防止しなきゃなりせん。私も強い関心を持ってこれら警察官の活動及び勤務の状況等に関しましてはできるだけの力を添えて、そうして御心配のような事態が起こらないように対処していかなければならぬ、かように考えております。
  67. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 速記をとめて。    〔速記中止〕
  68. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 速記を始めて。   —————————————
  69. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) 笹森順造君。
  70. 笹森順造

    ○笹森順造君 日米の新安保条約審議衆議院において承認の可決が行なわれ、参議院送付されて、きのうから本委員会審議に入りまして、首相の所信の表明がなされ、同僚委員の杉原氏の質問に対する政府答弁もあり、また、きょう広範にわたって同僚委員青木氏の質問、これに対しまする政府答弁がありました。この多くの諸問題は、人体思想と見解を同じくしておりまする私といたしましては、その質問の趣旨、あるいはまた、政府答弁のことに対して大体私は同意する点が多いのであります。しかもまた、多くの点においてこれが解明せられておりますので、私はできるだけそれらの諸点に重複になりますることを省いて、時間的にも大幅に割愛さしていただいて質問をいたしたいと思うのであります。この問題に関しましては、なお私は若干項目的には同じ問題に触れることをもお許しを願いまして、それはなお問題の所在を究明してはっきりいたしたいと思うからであります。  きのうから質問応答の中に現われておりましたように、この条約の賛否を決しまするためには二つの大きなものさしがあると考えられます。一つは本条約の存立が左右せられる国際情勢に対する分析判断の違い、一口に申しまするならば、雪解けの傾向のテンポに関する見解の違いであります。もう一つは思想的な世界観の問題であります。すなわち唯物史観に立つ科学社会主義たる共産主義に立つか、または精神史観に立つ自由人道主義に立つかであります。この二つのものさしの取りようが食い違うところに現代世界の悩みがあり、また、日本の今日の混乱があると思います。これが整理されない限り論議が解消されません。ここに一般大衆のもだえがあり、きょうの世相の悩みがあると考えられます。昨日首相は、国際共産主義はマルクス以来一貫して世界を共産化しようとしてきた、だが、自由主義、民主主義のもとでこそ人類の幸福は求められる、この道を守るために自由主義の国々と提携し、日本の平和と安全を確保するのが適当であると考える、日米安保条約はこの立場に立っている、と述べております。この主張はやはり私自身も同様に持っておる主張であります。しかるに、共産主役に反対して自由主義に徹した者の中に安保反対者があることをも見のがすことができません。これを一体首相はどう考えるかお尋ねをしたい。すなわち米国民の中にも徹底した自由主義と反共主義に立つがゆえになおこの条約に反対している名があるのであります。例をあげますればクエーカーの一派のごときはすなわちそれであります。これは絶対無抵抗主義でありまして、日本の安保反対論者の中にもこの種の者があることを私ども見のみすことができない。彼らは反共主義者であり、また、暴力絶対否定倫者であります。この両者を混同してはならないと思うのであります。さらにまた自由主義者であり、しかも反共主義者であり、しかも憂国の士であって本条約に賛成しつつある者も、その万全を期するためになお慎重論者があるわけであります。これらの世相をよく見きわめて対処することがやはり私ども政治の面に立つ者の至当なる立場ではなかろうかと思います。これらの点について、まず岸首相の御見解を伺いたいと思います。
  71. 岸信介

    国務大臣岸信介君) われわれが絶対の恒久的平和を望んでおり、しかも世界に戦争の危険が依然として存在しておるというこの間において人間がいろいろな悩みを持つことは私は当然であると思います。問題はそういう場合においていわゆる宗教的な立場から絶対無抵抗によって平和を要求するという考えの人もございましょう。あるいはまた、東西両陣営が対立している中にあっていずれの陣営にも属せず、いわゆる徹底した考えは無防備で中立の道を歩むことによって平和と安全が確保されるというふうな考えを持っている人も私はあると思います。これらの人々がほんとうに共産主義を歓迎し、日本の共産化を望んでおるかというとそうじゃない。しかしながら、政争をなくして恒久的な平和を望むところの宗教的な考えや、あるいは理想的な考えからそういう立場をとっておる人々が国民の間にもあることは私も認めます。しかしながら、一国の政治として、現実に日本のこの国土における九千万の民族の安全をいかなる意味においても確保するということが、私は現在の政治家が当然考えなければならぬ問題ではないかと思います。その上から申しますというと、世界がわれわれの理想のような宗教的絶対的無抵抗によって、そうして現実の平和が期待できるような国際情勢であり、また、理想主義者が考えているような中立政策が日本においてはたして実現できるのかどうかということにつきまては、私はやはり国際の情勢の現実を十分に堀り下げてこれを正確に把握して、その上において、具体的に現実的に、日本の平和と安全を守るためにはどうしたらいいかという立場を明らかにすることが、政治家として努めなければならぬ問題であると思います。私は、今日の世界の現実のいわゆる東西の両陣営が対立し、これの間の緊張が戦争への一つの不安をもたらしているけれども、しかしながら、われわれはあくまでも恒久の平和を願うがゆえに武力の行使によって両陣営の意見の一連を解決するということではなくして、あくまでも話し合いにおいてこれを解決することにたゆまざる努力を続けていかなければならないと同時に、今日の現実の国際情勢を見るときにおいては、やはり力のバランスの上に現実には平和が作り上げられているというこの実相を正確に把握し、認識して、自由主義国はやはり自由主義国の間におけるところの団結を、そうして共産国は共産主義国において鉄の団結をもって対抗しており、また、世界共産化の目的に向かってあらゆる努力をしている場合において、人間の自由と民主主義を守るためにはやはり自由主義国が現実にしっかりした協力団体の体制を固めていっていることが現実に平和を作り上け、そうしてわれわれが他から不当な侵略を受けない平和と安全が確保される唯一の道であるというところの認識に立って現実的に考えていくことが私は政治家の努めるべき道である、かように考えます。
  72. 笹森順造

    ○笹森順造君 現実の世界において政治的に責任を負う者としてのお考えけ、私はそのことは決して否定はいたしておりません。その通りであります。私もそういう工合に感じております。先ほど申し上げましたのは、この安保反対者の中にいろいろな分子があるということを考えて、この安保反対者がすべてこれが赤であるというように単純には考られない。傾聴すべきものには傾聴しなければならぬということについてのことをお尋ねしたことであります。結論的には今総理のお話しなさいましたごとに私は異論を持っているわけではございません。すべての国民が憲法と法律に従って行なう言論と行動の自由があります。また、一つの目的を持って合法的な団体を作ることも許されます。しかし、その団体は成立の目的を厳守すべきであって、その目的以外に逸脱することが許さるべきではないが、これを逸脱するところに混乱が生ずるわけであります。先ほども議論がありましたが、軍人は国防に専念すべきものであり、政治に関与してはならないということを犯したために日本が歴史の悲惨事を生んだことは御承知の通りであります。労働団体が労働運動を逸脱して政治に関与するところに今日の混乱があり、教員組合が待遇問題と教育問題を逸脱して政治に関与すところに混乱が生ずる、学生が学窓を逸脱して政治に関与するところにまた混乱がある。経済団体が経済活動を逸脱して政治に関与したならば、またどうなるか、ここにまた憂いが生ずる。宗教家が教会、寺院を逸脱して政治に関与するところに今日の社会の混乱と国を誤る危険性がある。こののりを越えるというところが、今日の社会不安を起こしている憂うべき傾向であると私は思うのであります。政教の分離が昔から言われました。このせつ然たる行動範囲のはっきりとした限定を越えておるということが、今日日本の憂うべき状況であると私は考える。しかし、人々がみな政治に対するところの、これに関与するということは当然なことでありまして、これに携わろうと思ったならば、やはり一つの政治団体を形成して、これによって正当な方法でやるべきであって、しからざる他の団体の形でもって圧力を政治の上にかけるということが、これが私は今日の混乱の理由だと考えられます。従いまして、これらの点についていろいろと今日まで政党に対する資金の規正法であるとか、いろいろなことが努力されて参ったのでありますが、少なくとも今日の各方面の団体が団体の名をもって関与すべからざる政治に関与したものはこれを阻止し、あるいはこれを規制するという方策が立てられなければ、なかなかこの問題は容易に片づかない、この政治、歴史の中にこういう危険を防止するために、何か総理の御見解でもありましたならば承知りたいと思います。
  73. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 日本の憲法の建前からいたしましても、あるいはまた、民主主義の基礎的な考え方から見ましても、また、われわれが理想とする社会の上から考えましても、個人の自由というものはこれを絶対に確保し尊重していかなければならぬ。もちろん個人は自由でございまして、この自由は同時に他人の自由も尊重されるという良識がなければならないのは言うを持たないのでありますが、この個人が自由であるがゆえに、政治の問題に関しても政治上の自由を持ち、言論の自由を持ち、あるいは結社の自由も確保されておる。これは当然であります。これは民主主義の建前、また、日本の憲法の建前から言って当然なことであると私は思います。ただ、それぞれ法律その他においてきめられておる、また、法律その他において特権を与えられておる、また、法律でなくても、社会的に一つの尊敬やあるいは尊重されておる一つの団体というものが、法律上、あるいは社会制度上に生まれてきておると思うのであります。それは法律がそういう特権を与え、保護しておるということは、一定の法律に掲げておる目的の範囲内にあることは、今笹森委員のお話の通りであります。また、社会的に尊重されておるゆえんというものも、そういう本来のそういう団体等が持っておる目的の範囲内において、そういうことを受けておるわけであります。私は、かりに科学者の科学研究に関する非常な権威ある一つの団体や何かがあったとします。それが本来の目的を達するために、本来の目的を遂行するために行動することは、これは法律上特権がないとしても、社会から尊敬を受けることは、これは当然であります。しかし、その団体が本来の目的を逸脱して、政治目的に関して行動するというようなことになるならば、これは私は決して社会的な尊敬を受けるゆえんでもないし、社会秩序の上から言っても望ましいことではない。もちろん意見の発表とか、いろいろなことについては、先ほど申します言論の自由というものを考えなければならないが、特に私ども法律制度においていろいろな特権が与えられておる、たとえば労働組合が労働運動をする上において特別の保護を受けておる。これが労働者の福祉を増進し、その生活を確保するゆえんであるという意味から与えられておるものが、もしもこの組合法に基づいての目的を逸脱した行為につきましては、そういう特権を持たないことは、これは当然であります。従って、何と言っても民主主義のもとにおいては法秩序というものを尊重する、これは決して、暴力でこれを破壊することが悪いことはもちろんのこと、その他の行動や言動等によっても法秩序を無視し、法秩序をこわすということ自体が民主主義の社会を破壊するものだと私は思うのであります。従って、やはり民主主義——われわれの望んでおる理想の個人の自由というものが確保されておる民主主義というものを守り、作り上げていくためには、法秩序の維持、法秩序の尊重、このことに関して私は十分に国民がそのことの必要を理解し、また、各方面において、この法秩序を乱すということは許されないことだという認識国民に徹底せしめ、各種団体等の行動におきましても、厳にそのような法秩序ということが必要である、これは単に法秩序を守るということに関しての制裁としてはいろいろ刑法上の制裁とか、制裁がいろいろあるだろうと思います。しかし、法で取り締まるだけてなしに、やはり国民全体がそのことに対して良識をもって、そうすべきものだという認識をもって、また、それに反する行動というものは許すべからざるものだ、法で処罰するということでなしに、社会生活の上からも許すべからざることだということもさらに徹底するように努めていかなければならない、かように考えております。
  74. 笹森順造

    ○笹森順造君 先ほど青木委員の御質問の中にも、あるいは公務員として許されない行動を逸脱してやっておる、これに対してどういう処置をするかというようなことに対しても、ただいまのお答えとほぼ同様なお答えがあった。これらの点は国として、国法としてなお研究すべき問胆が多々残っておると考えられますので、これはまたいずれ機会を得て、この問題について触れてお尋ねをいたしたいと思います。  そこで問題の核心に触れてお尋ねしたいのでありますが、何といたしましても本条約効果の最も大きなねらいは、国際の平和であるわけであります。そこで、第三次世界大戦全面戦争の危険が、この条約があることによって、除去せられるためにどう作用するかということを、私はなおお尋ねをしておきたいと思うわけであります。  御承知の通りに、サンフランシスコ講和会議出席いたしました当時のソ連の首席代表であったグロムイコ現外相は、その当時、条約の調印は第三次大戦の宣戦の布告をするものだと述べた。彼は現在と同じく、旧条約に対しても反対宣伝を行なっていた、こういうことが先ほど来行なわれておりまする、米国の上院外交委員会の新安保審議の席において、スパークスマン議員が発言したということが伝えられておりました。U2型機の米機がソ連領空において撃墜せられたと報告されましてから、米ソ両首脳間の激しい論争を機といたしまして、ソ連国防相のマリノフスキーが、領空侵犯機の基地を報復するとの声明を出しましたときに、西独外務省のスポークスマンは、これは人間の過失で大戦を引き起こす危険を増すものだと論評しておったのであります。原子科学兵器の驚異的な発達によりまして、その使用が交戦国双方ばかりでなくて全世界を一瞬に破壊し、人類の滅亡を来たすような愚かなことをあえてするような第三次世界全面戦争をせこすような物騒な素因が、今もなおどこかに伏在していやしないだろうか。これを憂えて、英知的な人間の努力が、この危険予防のためにまた一方においては進められておると見なければならない。従って、パリで決裂した巨頭頂上会談の再開が一体どうなるか、ジュネーブ十カ国の軍縮会議に私どもは大きな関心を持たなければならないと思うのであります。グロムイコ外相の予言に反しまして、平和条約が結ばれ、また、日米安保条約ができ上がりましたおかげで、第三次世界大戦の防止に役立ったのではなかろうか。今日まで日本が安全に守られて、最近復興の道を築いてきたのはそのおかげであるということが、先ほど来の質疑応答でも明らかになったわけであります。しかし、なおここに、マリノフスキー国防相の言葉に対して、何か知らぬけれども国民が一つの不安を感じている、これに対しまするところの首相の対策についてお尋ねをいたしたいと思います。
  75. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 最近における原子科学の発達、特に今御指摘になりましたように、核兵器の非常な発達、また、ミサイル兵器の発達というようなことから、もしも一たび全面戦争が起こったとするならば、世界の人類は一瞬にして破滅するであろうということが、これは核兵器を持っておる国において、最も強くその威力を知っておるがゆえにその危険を考え、また、そういうことを絶対に防止しなければならないという考え方が強く芽生えていることは、最近の国際情勢の私は一つの特徴であると思います。今日、話し合いによってものを解決しなければならないということが言われておる反面において、米ソを中心としてのこの科学核兵器の発達というものの脅威というものがこういう危惧を醸成していることはこれはいなむことのできない事実であります。従来も、この科学兵器が非常に発達し、究極兵器ができれば戦争はなくなるというようなことが従来も言われたことはございますが、今日において私は全面戦争ということの危険は非常に遠のいたというのがこれが世界の良識のある人々が一致した意見であると思います。それは科学兵器の発達ということが非常におそるべき人類に対する惨害をもたらすものだ、従来の戦争における戦勝国が非常に優秀な地位に立ち、戦敗国は悲惨な目にあうというような戦争とは違った様相に達する、従って、人類を守るためには、この全面戦争というものは、この核兵器——進んだ核兵器を使っての全面戦争というものは絶対に防がなければならないということは、これは世界の政治家はもちろんのこと、あらゆる面においてその努力がそういう見解であり、しかもこの戦争をなくする努力を払っていかなければならぬ、これが私は、今回は失敗をいたしましたけれども、パリの巨頭会談の行なわれるに至った一つの理由である。また、これが失敗したからといってわれわれは、今後この話し合いによって解決するという巨頭会談の、もしくはこれにかわるべきものを考えていく、あくまでも話し合いによる解決ということに進んでいかなければならぬ。また、同時に、このそうした非常な軍備の拡大というものがそういう一面においては非常な惨害をもたらすとともに、これらの兵器を持っている国々は財政の上からいってもこれは非常に大きな負担である、こういうことをお互いは競争して続けていくということは国民の福祉の上からいい、これはとうてい耐え得るところではないという意味からも、さらに軍縮の問題が現実の問題として取り上げられてきているのもこれまた現実のことであると思うのであります。私どもは、まだ軍縮の結論が達せられるまでには相当な困難があることはもちろん予想しなければなりませんけれども、これを成功させるようにわれわれとしてもあらゆる面において協力し、努力していく必要がある。今日世界大戦の、全面的戦争の危険は去ったというこの考え方、これを裏づけるに必要な今申したような各種の努力を国際的に続けていく、そうしていかなる意味においても全面的戦争はこれを防止することにさらに努力をしていかなければならぬ、こう思っている次第でございます。
  76. 笹森順造

    ○笹森順造君 お説の通りだと思いますが、私がお尋ねしておりますもう一つの焦点について重ねてお尋ねをしたいのであります。  つまりソ連の国防州のマリノフスキーの言であります。このU2型機の飛行機があります基地からソ連の領空を侵して、これがその目的はそれは観測であった。しかるに、それを理由としてその墓地がある所をソ連が爆撃するということが、それが一体因果関係において国際法の原則、あるいはまた、国連憲章の精神、これらに対して正当なるものと解釈し得ないと私は考える、この点を私は法的にそれが正当化されるものとして、ただかりに観測機として行ったものが向こうの方でスパイだとこれを考えても、その理由をもって日本を爆撃するという理由になるか、また、それが正当化されるか、私は正当化されないと思うが、この点に対するところの見解をもう一ぺん伺いたいと思います。
  77. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) U2機の領空侵犯に伴いましてマリノフスキー元帥あるいはソ連軍事当局が発言した問題でございますが、むろん領空侵犯ということは適当な行為でないことは当然でございます。ただ、領空侵犯に対処いたします場合は、まずこれに対して警告を発し、あるいは退去を命じ、あるいは着陸を命ずるということが領空侵犯に対する国際的な処置の方法でございます。そのこと自体に対して直ちにその発進基地を攻撃するというようなことは、領空侵犯に対する処置としては適当な処置ではないのでありまして、そういう行為というものは必ずしも正当化し得ないとわれわれは考えております。
  78. 笹森順造

    ○笹森順造君 私の質問と同様な意味のお答えがありましたから、私はそれで満足をいたします。  次に、局地戦争予防と本条約についての関係について若干お尋ねをしたいと思います。  ただいま首相のお話のように、おそるべき大規模な全面戦争の危険を警戒しつつも、なお紛争解決の手段として部分的な局地戦争がしばしば起こったことは、私どもは見のがすことができません。朝鮮、ベトナム、アラビア、スエズ、チベット等に起こったもののほかに、今なお東西ドイツ、中共対台湾等の間にいろいろな動きがございます。特に極東において、今後わが国の安全に影響を及ぼすような局地戦争が起こらないように私どもは警戒をしなければならない。この安保条約は、このことに対してどんなに作用するか。すなわち日米安保条約と米比軍事基地協定、米台、米韓のこの種の条約と、これは従来直接に関係がないということが明確にされておりまするが、そういう法的な意味でなくて、さらにまた、これに対しまして中ソ条約もある、これらの関係において危険な連鎖反応を起こすような憂いが全然ないのかどうか。この間アメリカの上院の安保審議の中においても、ワイリー議員は、米国はフィリピン、韓国、台湾で義務を負うているという事実から見て、日本で基地を持つことが必要かと問いましたその質問に対して、ハーター国務長官は、きわめて望ましいことだと言ったと伝えられております。これは新聞の報道だけでありますが、そう言われておる。そこで今申しましたように、アメリカがアジアにおける諸国と結んでおりまする条約と、今度の日米安保条約との間には法的な関係がないにしても、政治的な大きな関係があるではなかろうか。そこで多くの人方が、これがあるごとによって危険であるということを、その方面を大きく述べますけれども、むしろ私どもから言わしめまするならば、これがあるがために日米安保条約というものがまた政治的に強化され、お互いこれがあるがゆえにはっきりとした相互的な集団安全保障条約ができないたしても、それぞれが作用してむしろこの局地戦争を防止するために役立っておるではなかろうかという私は一つの観察を持っておる。これに対しますところの政府当局の御判断を伺いたいと思います。
  79. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 今回の日米安保条約は、わが国の平和と安全を守り、あわせて極東における平和と安全を維持していく、こういうことでございます。極東にありますそれぞれの国とアメリカとの間にも同種の協定がありますことは御指摘の通りでございます。ただ、前提としてわれわれが常に考えて参らなければならぬことは、第二次世界大戦以来国連ができまして、国連憲章に準拠しておりますこの種の条約というものは、武力攻撃があった場合に、それに対して集団的もしくは個別的な自衛権を発動する以外の戦争行為というものはないわけであります。従って、それぞれの国がほんとうに自分の立場を守るという、あるいは集団安全保障の場合におきましては、その関連しております両国の武力攻撃に対する抵抗を進めていくということなんでありまして、それ以外に武力を行使して、そうして侵略的に動くというような、第二次世界大戦以前と申しますか、過去のような状況にはないのが現状でございます。これをまず第一に前提として考えていただきますならば、私は、それぞれの国が武力攻撃に対して自衛もしくは集団的な自衛をいたしますこと自体が、必ずしも戦争に突入するという意味ではなく、全くそれぞれの国に対して武力攻撃排除意味する問題でありますから、そのこと自体が関連をかりにいたしましても、拡大の道を進んでいくということではないわけでございます。で、各国がそれぞれ安全の態勢を保っていくことができますれば、極東における平和も維持されること申すまでもないのでありまして、その意味におきまして各国がそれぞれの立場においてアメリカと結びます条約というものが極東の平和と安全を維持するという、全く自衛のための立場においての平和を庶幾する、そのことは、われわれが日米安保条約というものを締結することが、戦争のためにやるのでなくて、むしろ平和を維持するために安保条約を結んでいると同じ立場であろうと思うのでございます。
  80. 笹森順造

    ○笹森順造君 先ほど総理が所信をお述べになりました中に、現在の世界の現実を見のがすことができない、それがためにやはり力の均衡のこともあり得る、こういうようなことの意味だと聞いたのでありまするが、現在東西両陣営の式力戦の勃発をそれでは阻止して平和を維持するためには、大国の指導者たちがとっております現実の政策は互いに驚異的な武力の増強による力の均衡政策であるように見える。しかし、これは昔ながらの軍拡シーソー・ゲームの方式であって、この間に相互に若干の力の差が生じますと危機をはらんで大戦突入が危惧される。それと同時に、強大な武力を持たない中小国は、その余波をおそれる中小国は武力の均衡方式を欲せすに、むしろ人道主義的な話し合いによる法の秩序を求めておる。これがまた世界の中小諸国の傾向であるようにも見られます。これがためには、国際理解、協力によります親善の道を歩まなければならないことになります。その根底にはやはり不動の民族意識と隣人愛の精神が外交の方針としても確立せられなければならない、こういう局面にあって、新安保の理想が立てられているものと考えられます。力の均衡策と法秩序の推進策との二つの異なる努力の消長は世界史的に見て今どういう動向にあると思うか。特に十分なる武力を持たない日本としての努力が今のような形でよろしいのか。なおまた、これに対して日本がとるべき道がはっきりされなければならぬのじゃないか。えてしてこの新日米安保体制は軍事同盟のごとき間違った印象を与えられている。そうではなくて、ただいま外務大臣のお話しになりましたように、われわれの理想はそうではないのだということがはっきりされなければならぬので、むしろ、この武力によるところの力の均衡による平和ではなくして、真実、法秩序を世界各国が守るということにおいて、このものが保たれなければならぬ。そこへ至るところの一つの道として、これが安保条約であるという政治理念がもっと明確にされなければならぬと私は思う。この点についてのお考えを向いたいと思います。
  81. 岸信介

    国務大臣岸信介君) この安保条約の中にも明定いたしておりますが、私どもは世界の平和を守り、また日本の平和と安全を守る望ましい形としては、ただいまの崇高な精神によって結ばれておるところの国際連合にこの安全保障に対する十分な機能が発揮できるようなことができ、そうしてこれに一切を託するということが一番望ましい形であり、また、それができた場合においては、この安保体制というものは当然なくなってくる。それができるまでの一つの過渡的な方法として安保条約のこういう体制をとるということを条約にも明定をいたしております。今お話のように、世界のほんとうの平和が確立されるということには、力の均衡ではなくして、法秩序が守られ、ほんとうに世界各国がこの平和を愛好し、そのために法秩序を守って、そうして平和を作り上げるということでなければならぬということは、これは私は理想であると思います。しかし、現実は、まだ国際法秩序を守るべき中心の機構ともいうべき国際連合の現状は、まだまだそこには至っておらないのでありますという現状から見まして、各国はあるいはその力に相応したところの防衛力を打ち、さらに理想を同じくし、考え方を共通にしておるところの国々が、集団的に一つ安全保障の機構を作ろうということで、世界各地に集団安全保障の機構ができている。これは言うまでもなく、今日の、各国が持っている防衛力も、あるいはまた安全保障体制も、ことごとく戦争防止を目的としており、戦争防止に私は現実に役立っているというのが現状だと思います。しかし、それが理想の形かといえば、それは理想の形ではない。今言ったように国際連合に法秩序を守るという建前のもとに国際連合におけるところの安全保障機構というものができ上がることが望ましいのでありまして、それまでは私どもは、やはり、戦争を防止する機構としてこの安全保障体制が必要である、かように思っております。
  82. 笹森順造

    ○笹森順造君 次に、軍備全廃問題についてお尋ねしたいと思います。今お話のごとく、現実の世界を見ますると、やはり軍備が世界各国にある。もしも、国際の情勢が全く平和に安定して、全面戦争や局地戦争の憂いがなくて、いわゆる剣をかえてかまとなし、原子力を破壊力からことごとくかえて平和産業の力として、世界各国が和親協力し、お互いに善良な隣人として少しも不安がなく繁栄するのでありまするならば、もちろん、これによってわが国の安全も保障されて、悩み、苦しみから解放されて、すべての人が泰平を謳歌することができるでしょう。こうしたユートピアの実現を目ざすことを忘れてはならない。これを努力する政治を建設しなければならぬのでありまするが、ただいまるる総理の述べられましたように、争いの多い現実の国際の姿を見ますと、やはりこれに対処する賢明な方策をとらなければならないということもやはり忘れてはならぬかと思うのであります。そこでこの現実を、この安保条約を全国民に納得せしめる一つのことは、大事なことは、忘れてならないことは、やはり世界各国が軍備の現在における全貌を明らかにすることであろうかと思う。外国の秘密に属しているところの、知り得ないところは別でありまするけれども、あるいは公表をはばかるところもありましょうけれども、大体全世界の軍備が一体どうなっておるのかということと、日本がかりに外国から攻撃を受けた場合に、独力で守り得る限度が一体どこまでなのか、こういうことに対して、この責任の衝にある大臣から御答弁をいただきたいと思います。
  83. 赤城宗徳

    国務大臣(赤城宗徳君) 世界の軍備等につきましては、御承知のように、相当機密に属しておるものもありますので、正確に申し上げることは非常に困難であります。また世界各国について申し上げるのもちょっと時間をとりますから、主たる国々について申し上げます。自由主義陣営のアメリカでありますが、予算教書その他によって調べたところによりますと、地上軍といたしましては、陸軍が十四個師団、八十七万人、海兵三個師団で十七万五千人、海軍につきましては約二千二百隻、六百万トン、空母が九十三隻、巡洋艦が五十隻、駆逐艦が七百三十五、潜水艦二百二十七隻航空機が九千三百機、空軍が約二万五千機であります。また、国府を申し上げまするならば、陸軍が二十四個師団、四十二万五千人、海軍が百八十一隻、十二万トン、うち駆逐艦等が三十八であります。韓国では陸軍が十九個師団、六十万人、海軍が七十隻、三万八千トン、及び防衛艦が十隻、空軍が約二百機。共産陣営で申し上げますと、ソ連の陸軍は百七十五個師団、約二百五十万人であります。海軍では約千七百隻で、これが約百五十万トン、うち巡洋艦が百三十隻、駆逐艦が約百五十隻、潜水艦が約五百隻であります。空軍が約一万九千機。中共につきましては、陸軍が約百六十個師団、約二百五十万人であります。海軍が約二百五十隻、十五万トン、巡洋艦が一、駆逐艦が二十四、潜水艦が二十隻、空軍が約三千機であります。北鮮が陸軍十八個師団、約五十四万人であります。海軍でいいますならば、約百隻、一万七千トン、空軍が約八百五十機であります。こういう世界の軍備情勢でありますが、総理外務大臣から申し上げましたように、各国とも軍備の縮小ということには熱意を持っておりますけれども、現在軍備の縮小ということは、私から言いますならば、軍備の縮小は核兵器の問題で、ほかの縮小の問題よりも核兵器及び運搬手段をいかになくするかということが現在の軍備縮小の中心課題である、こう考えます。そういう点におきましてやはり軍備縮小の主導権を握っておるのは、東西両陣営でも米ソ、あるいは核兵器を持っていますイギリス、こういうところにおいて核兵器あるいはこの運搬手段をいかにするかということが問題だろうと思います。そういう点でソ連の案もありますけれども、こういう案のやはり中心をなすものは核兵器の管理、査察をどうするかということにおきまして、東西両陣営で非常に問題があろうかと思います。これにつきましては、相当のやはり最終的に持っていくのには困難があろうかと思いますが、これはぜひそういう方向へ持っていってもらいたいし、私どももそういう方向を期待いたしております。
  84. 笹森順造

    ○笹森順造君 今、赤城大臣から抜本的なお話がありました。日本の自衛隊のごくわずかな力でどうすることもできないということが、お話しにならなくてもわかったと思ってお述べにならなかったかと了承いたします。しかし、抜本的な問題はそこにあるから、これが非常な大きな問題だと思って引き続きお尋ねいたしたいと思います。  日本は敗戦によって陸海空の三軍を完全に解放撤廃してまる裸になりまして、固有の自衛権を行使する有効な手段を持たなくなりましたから、その初めは、わが国の安全と生存をば平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して保持することにいたしました。しかるに、この悲願は、無責任な軍国主義が世界から駆逐されず、各地に起こった局地戦争や冷戦によって激しく脅かされて参ったわけであります。でありますればこそ、わが国は十カ国軍縮会議の成り行きに大きな関心を持たざるを得ないのであります。従いまして、今、赤城大臣のお述べになりましたソ連の新提案の軍備全廃に対する政府の所見を伺いたいと思うのであります。国連当局は六月二日の夜に、ソ連が同日提案した軍備全廃案の全容を発表いたしました。それについて今お話の核兵器の運搬、査察、管理の問題が抜本的に日本を守るための主要な点であるという点は、私もその点に同意をいたし、そう感じております。ところが、この安保条約論議するにあたりましては、それよりも直接の問題がある。それは例の第一段階の2の項の、いわく「全外国軍隊は外国領土から自国国境内に撤退する。外国基地およびあらゆる種類の物資集積所は軍隊の撤退後譲渡されたものおよび予備として保持されるものとともにすべて廃棄される。」ということを言っております。もとより、これは今後の審議の対象となることでありますけれども、このことが問題となって、今安保条約に直接関係を持っていることであります。従って、このことに関して、外務大臣なり、あるいはまた赤城大臣なりが、どういう反応を持っておいでになるか。これらの関係を一体どう思っているか。結局、ソ連の軍縮案というもののねらいの一つは、少なくとも安保に対する反対の主張がここに盛られていると思う。これに対しまするところの率直なる御意見を承っておきたいと思います。どちらでもよろしゅうございます。
  85. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) 御承知の通り、国連におきます軍縮委員会ソ連主張によりましてつぶれまして、そうして十カ国委員会ができたわけでございます。パリテイ方式による十カ国委員会、この十カ国委員会がジュネーブにおきまして相当の期簡単縮問題の討議をいたしたので、その際にソ連側の主張としては、昨年フルシチョフが国連に参りまして提案をいたしましたソ連提案というもの——四カ年に三段階に分けての軍縮提案でございます。これに対しまして西欧側といたしましては、軍縮委員会におきまして、ソ連の案がばく然としたものである、具体的にその内容その他について方法論も述べておらないし、従って、そうした面についての十分な討議が進行し得ないのだというのが、ソ連案に対する大体西欧側のジュネーブ十カ国委員会における批評でございました。同時に、西欧側といたしましても、それぞれイギリスなり、フランスなり、アメリカなり、査察制度を中心にした案をもって臨んでおったことは当然でございます。同時に、フランス等は、今、赤城長官が言われましたように、核輸送手段に対する制限ということを主張しておったのでございます。今回のソ連の提案は、従来のソ連の提案よりもそういう点につきまして、いわゆる西欧側の批判しておりましたソ連の提案というものは、具体的実行方法に欠けておるという点について、若干の内容についての何と申しますか、進歩をしてきたことは申すまでもございません。また、フランス等に対する考え方があったかと思いますが、従来いわゆる第一段階において兵力の削減ということをうたったのでありますが、今回の場合においては、第一段階において核運搬兵器の廃止ということをうたってきております。がしかし、同時に、従来第一段階にございませんでした在外基地の廃止ということを、それと並行して第一段階に持ってきているのでございます。従って、それらについては、今後のソ連提案というものは、ある点については西欧案を入れたというところは見られないことはございません。がしかしながら、何と申しましても、軍縮の一番の根幹と申しますものは、はたしてそういうことが実際に行なわれているかどうかという、いわゆる査察の関係がはっきりして参らなければならぬのでありまして、従来、ソ連の提案に対して、そういう点に欠くるところがあったことが一番の難点であり、西欧側のこれをのみ得ない点であったと思います。従って、この七日からさらにジュネーブの十カ国委員会は再開いたしておりますが、そこにおきまして、そうした問題、現実に軍縮を完全に進行させる方法としての査察制度等が具体的に付議をされてくることになりますれば、あるいは軍縮委員会の成果というものは上がっていくのではないかと思いますが、それらの点につきまして、まだはっきりいたしておりませんし、今後どういうふうな動きになりますかわかりませんしいたしますので、今確実に十カ国委員会の見通しを申すことは非常に困難なことだと思います。ただ御指摘のように、この在外基地の撤廃という問題につきましても、今申上げましたような、たとえばミサイルの運搬兵器の廃棄というようなことが確実に行なわれるということが考えられる何かの方法がついていくということが、完全に両者の間に同意に達するというようなことがありますれば、そういう問題は具体的に考慮し得るのではないかと思います。ただ今度の場合におきましては、運搬兵器は第一段に入っておりますけれども、核そのものの生産、貯蔵というような問題というようなものにつきましては、第一段階からむしろ落としておるのでありまして、そこらの点に、ソ連の軍縮提案というものがどういう意味を持っているのかということは、今後まだ検討して参らなければなりませんし、そうした上において十分な検討を加えて参りませんと、おそらく十カ国委員会においても、何らかの成績を得られないのではないかと思うのであります。ですから、そういう意味において、軍縮委員会の交渉というものは、御承知の通り、国連自体が取り上げました軍縮委員会が数年たってなかなか結論に達しない、今回の十カ国委員会も、昨年の十月から開かれておりますが、なかなか結論に達しておらぬというような状況でございまして、現実に具体的に軍縮が行なわれるのを、ほんとうに行なわれているかどうかということを見て参る、いわゆる査察の組織というものが完全でなければ、ただ文章の上でできましても、今日のような信頼をお互いにし得ないような状態においては、軍縮の交渉の結末というものは予見されるのではないかと思うのであります。でありますから、そういうような具体的な方法が今後どういうふうにして討議されていくかということは、われわれは注目をして参らなければなりません。そうした問題とあわせて考えて参らなければならぬのであります。そういうことについては相当の時間もかかるわけでありまして、われわれとしては、現在の立場においては、やはり日米安全保障条約によって、日本の安全を保っていくということが一番必要なことであろうと考えているわけでございます。
  86. 赤城宗徳

    国務大臣(赤城宗徳君) お話のように、ソ連の軍備撤廃案といたしまして、海外基地の撤廃ということを、核運搬手段、ミサイル基地の問題とからめて、第一段階に持ってきたことは注目すべきことだと思います。これは私はこういうふうに考えているのですが、やはり総理が先ほど申し上げましたように、全面戦争はまず遠のいたといいますか、なかろうと思います。それは理想といたしましては、笹森さんのお話のように、全面的に平和機構を世界的に持っていくことが理想でありますけれども、現実は核兵器、特に大陸間弾道弾とか、中距離弾道弾、これを打ち出すミサイル基地、こういう力の均衡によって、理想ではありませんが、現実は全面戦争というものはない、避けられる、こういう、理想ではありませんが、現実だと思います。そういう点におきまして、自由国家群が世界の共産国家群のまわりに、中距離弾道弾の基地等を持っております。そういう関係から、共産圏といたしましては、そういう基地を撤廃させるということは非常な熱意を持っているわけであります。ところが、ソ連、共産同におきましては、基地というものは持っていないといたしましても、衛星国そのもの全体が占領され、あるいは基地化しているわけでありまして、こういう関係から申しまして、海外基地をなくするというようなことは、どちらの陣営に対して有利であるかといえば、共産圏の方が現在の立場からいえばそれを撤廃した方が有利だと、こういうことが言われると思います。そういう点におきまして、海外基地を撤廃するということが、現在の段階において第一段階にはなっておりますけれども、その目的を達するのには非常に困難である。そういう点におきまして、やはり外務大臣が御答弁申し上げましたように、核兵器あるいは運搬手段の査察制度を確立して、その上でないと海外基地をなくするというようなことが非常に困難だろうという見通しを私は持っております。  そこで、安保条約日本の基地との関係はどうであるかと、こういうことでありますが、第二次大戦前における基地というものは、大体租借地であるとか、あるいは占領の継続とか、こういうもので海外に基地を持っておったというのが第二次大戦前の基地の観念であります。しかし、第二次大戦後におきましては、国連を中心として世界の戦争というものを抑制しよう、平和でいこうと、こういう関係から、武力の行使は控える。しかし、例外といたしまして、まだ国連の機構が全面的平和をもたらすような機構になっておらないから、個別的あるいは集団的自衛権の行使も例外として認めている。そういう意味で、共同防衛といいますか、東西両陣営ともそういうことによって戦争を抑制していく、戦争をするというよりも戦争を抑制していく、こういう形において、今、この集団的安全保障体制というものができておると思います。そういう建前のもとにおいて、基地といいますか、たとえばイギリスにおきましても、あるいはトルコ等におきましても、その他イタリア等におきましても、基地を供与しておる、こういう形になっております。でありまするから、日本安全保障条約において、日本の基地を供与するということは、日本の従属でもなければ、私は、植民地体制でもない。やはり世界の戦争抑制力というこの線によってそういう基地を供与して、局地的な、お話のような紛争が起きないように、その体制を整えておるという意味における基地だと私は思うのであります。特に日米安全保障条約は対等というような形になりましたが、私は、アメリカのこの間の国会における議論を聞きましても、日本のためには非常にいいのだ、アメリカのためにはほんとうはそれほどではないのだというようなことを言っています。これは先ほど総理からもお話がありましたが、日本の終戦後の状況、あるいはまた憲法第九条ということから見まして、これは決して軍事同盟ではないのでありまして、軍事同盟であるならばこれはアメリカがもしも攻撃されるということでありまするならば、日本アメリカまて行って、海外派兵して、これを守るというようなことでなければほんとうは対等でないと思います。しかし、日本の実情からいいまして、こういうことはできないし、また、やるべきことでもありません。しかし、アメリカ日本がもしも攻撃される場合には、日本に血を流して日本を守ろう、こういうような形になっておるわけであります。しかし、そういうことができないような、そういうことがないような体制を整えるということにいたしますならば、日本はやはり品木の基地を供与するということは、これはギブ・アンド・テイクといいますか、信頼関係に立ってやる以上、そういう措置は必要である、こういうように考えております。これは、全面的になくなるのは期待であります。希望でありますけれども、現状におきましては、そういう体側で世界の戦争を抑制する。ことに東西の谷間に立っておる日本におきまして、やはり戦争の抑制力といいますか、戦争の抑止力の一半をやはりになって日本の平和と安全を共同で守っていくということが、これが私は局地戦争が起こらない措置であり、また日本が世界の平和、戦争抑制力に協力することである、こういうふうに理解しております。
  87. 笹森順造

    ○笹森順造君 両大臣の御説明と結論には私も同意であります。同意でありますからいろいろなお尋ねがある。  まず一番先に赤城長官がお話しになりました、この重要なポイントは、核兵器というものの措置にある。御承知の通りに私ども国会において、アメリカが核兵器の実験をいたしました際に、これをやめるようにということの決議を出しまして、これがやはり現内閣の一つの大きな外交の柱となって今まで推進してきたことは忘れることができない。従って、軍備全廃の出発点は、やはり単なる核兵器の実験禁止ということばかりではなくて、あるいは製造、保有、運搬、すべてのものが禁止されることによって、やはり軍備全廃ということが成り立つのである。しかも、それが一番先の柱に持ってこなければならないのだというお考えは、私どもも多年そう信じておるわけであります。従いまして、かりに基地があろうと、あるまいと、第一段階にはこの核兵器というものをなくするということであります。これさえなくすれば、基地があろうとなかろうとこれは問題ではない。しかも、基地は単なる防衛手段のものだという観念に立つならば、それでよろしい。ところが、今度のソ連の軍縮案なるものが、やはりそういう工合に科学的に検討されて、どういう工合に日本政府がこれに対処すべきかということがもっと明確化されなければならないと思う。かつてワシントンにおいて軍縮会議がありましたときに、日本案というものがなしに、ほとんどアメリカ案によってこれが左右されたという私の経験を忘れることができない。今度も私どもが十カ国軍縮会議日本がどういう形かで関与し得るものか、し得ないものか。あるいはまた、軍隊を持たない日本こそが最も公平な立場において段階的な、合理的な、積極的な軍備撤廃案というものを作るべきじゃないか。これに対するところの一体意欲というもの、ほんとうに世界の平和を望むならば、ここに大きな政治というものの指導力が発揮せられることが必要である。日本こそほんとうの完全な、公平な軍備全廃案というものを作るべきではなかろうかと私は考えます。こういうことに対して一体今の政府がどれだけの確信と、あるいは努力をするのか、これがソ連案に対する批判ももちろんよろしい。しかし、もしも万が一それがその通りできるとするならば、四年後に世界の軍備がなくなる、そうして世界にほんとうに法秩序維持のための警察を作るということまで具体案は言っている。そういうときには、やはりこれは理想であるかもしれないが、困難なものがあります。その四郷がありますけれども、もっと日本の外交としてこの世界史の動向をよく見つめてそこに積極案を出すべきことがこれが総理大臣の、あるいは外務大臣なり、あるいは防衛庁長官の責任であろうかと思います。これに対する確信なり所信なりをこの際はっきりとしていただいて、日本が決して今お話のごとく、アメリカと戦争の同盟国になるのじゃないのだということのためには、そこまでのものがなかったならば、これはいけない。そこに大きなものが出されるならば、現実のこれは問題であって理想論ではない。実際の問題として国民を承いていくことができるのではなかろうか。これに対するところの高い所信を伺いたいと思います。
  88. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 軍備が全面的に世界の各国から全廃されて、そうして国連におけるところの法秩序維持のための必要な警察的な機構が設けられるということは、これは私は何人も理想として望むところであると思います。ただ現実がどこまで行っているのだということは、一番問題は国連における軍縮問題の扱いから、今十カ国というものが指定されて、そうしてこの問題に対してジュネーブで会議を昨秋来やっておるというのが、これが現実の姿であります。私どもは軍縮なり、究極は軍備の撤廃、そうして国連の警察的機構を強化するということが、法秩序を維持するための機構を強化することが望ましいということは、先ほど来申し上げた通りでありますが、しかし、現実の問題としては、今国連自身がこの問題を扱って、そうして十カ国会議というものが行なわれているというこの現状でございます。われわれが常に軍縮なり、あるいは軍備の全面的撤廃という理想を頭に持っておるべきであり、また、そういう機運を促進することに努力をすべきことであると思いますけれども、私は今日までの国連の実情からいってそういう軍備を比較的短期間の間に世界すべての国が全廃するという段階にはまだ遺憾ながら来ておらないと思います。この意味において、まず第一段として、ジュネーブにおけるところの軍縮会議を成功に導くように協力することが現実的には第一段のわれわれの務めである。しかし、究極は全面的軍備撤廃ということに向かって国連の機構そのものの強化というような問題も関連してくるわけでありまして、国連の現在のように機構が大国の間においてこの拒否権を行使する限りにおいては、行動できないというようなこの機構では、まだまだこういう問題を決定する、また軍備が全廃されてこれにかわるところの国連の警察が設けられるという段階にはなお私は、相当遠いものである。国連の機構の改善といいますか、強化といいますか、こういうこともあわせてわれわれは考えていかなければならない。いずれにいたしましても、そういう段階においてわれわれとしては軍備の全面的撤廃の方向に向かって努力をする。それについての一々の現実の問題を解決しながら進んでいくということが、この際の日本の態度としても私は必要であろうと、かように考えます。
  89. 笹森順造

    ○笹森順造君 国連の力にどれだけ日本が安全をまかせることができるか。つまりこの日米安全保障条約に反対する反対党の主張の大きなものの一つは、この安保条約を作るよりも国連にまかしたらいいじゃないか、こういうようなことをしばしば言っている、こういうことを主張をしているということも外国にも響いている。しかし、総理のお述べになりましたように、現在の国連の機構ではこれはできない。これは私は何もここで説明したり、また質問応答する必要はない。今、総理のお述べになりましたように、大体国連ができました当時は、兵力によって、あるいは軍備によってそれをもととして無謀な行動をとるものを抑制しようという立場で、いわゆる武力というものを肯定した上に立たされたこれは一つの機構である。従って、これが漸次その武力というものを漸減的にこれを軍縮していくということは、これは国連としては考えておっても、軍備全廃という思想に出発しているものではなかったということは、これは言うまでもない。そこで、今お述べになりましたような安全保障理事会において、常任理事国が拒否権を持つということにおいては、この機構においてはどうしても、かりに日本攻撃された場合において、それが安全保障条約の理事国であったり、あるいは衛星国であると、これはその国が侵略国という一つの判定をする決議ができない。これは私が申し上げるまでもない。さればといって、私どもはAAグループなり、たくさんの同調者を得て、中小諸国等において、かりに総会において三分の二をとって決議を見たところが、これが単なる勧告にすぎない。でありますから、国連に一切のものをまかせるということは、これは不可能なことなんです。ですから、これを今、総理のお話のごとく、だんだんに直していく、国連憲章というものを改定して、われわれの目的を達するまでに進めていかなければならない。この努力がなされなければ、今の反対党の言うような、国連の力に、侵略国の強力なる鎮圧の抑制力を強制的に持つことが絶対的にできないのだということを、これをもっともっと国民に周知徹底させることが必要であろうと思うのであります。やはり日米安全保障条約の根本は、日米の協力を強化するということが一つの根本になっている。そうすると私どもはこの理想に向かって、そこまでいかなければならないと私は思うのであります。この努力は、遠い将来のようでありますけれども、やはり近いうちに、私ども努力をしなければならない。そこで、私どもは国連憲章のその部分を改定するための一つの国民遅効なり、あるいは世界的な遅効にも目を注がなければならない。でありますから、この点に対して国連ばかりではなくて、世界連邦政府の思想が、これに対しましても衆議院においても、かつて岸総理がやはり高い一つの理想の血の努力をも表明されたことがある。これは現実のきょう今の問題ではないにしても、この安保のことを私どもは賛成し、これを作り上げるとともに、こうした高い理想と絶縁的であってはならぬという意味で、今もなお世界連邦政府のそうしたような高い理想について、やはり高いそういうような考え方を持っておるか、これをもう一度確かめておきたいと思います。
  90. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 私は、理想として世界連邦の考え方には従来からも共鳴をいたしております。また国連そのものの動き、機能というものの現実を見ましても、第一次欧州大戦後の国際連盟とは違って、国際連合の組織というものは、やはり世界各国の一つの会議体としての機能が漸次強化されつつある。それには先ほど申しているように、現在の機構が持っておる根本的な欠点、弱点に対しても、これを改善をしていくことが必要になる。私はこれを将来われわれが一つの描いておる世界の恒久的平和というものを考える上から申しますというと、国連の機構、また世界が一つの世界連邦のような形になって進んでいくということが、世界に恒久的平和をもたらす一つの目標になるものだと、今でも考えております。
  91. 笹森順造

    ○笹森順造君 そこで、それは理想としてそうでありまするが、現実の世界はそうでない。そこで、やむを得ず、私どもは国連の力の不備なところを補うために、集団安全保障のことを考えざるを得ない。これは先ほどから結論的に各大臣からお話しになったり、答弁されたことに私は別段異論があるわけではない。しかし、それが一つのねらいである。それが一つのねらいであるならば、今言ったような基本的な外交なり、あるいは国策の基本となっておるものが明確化されて、初めて私どもはこのことが納得されると思う。でありまするから、この安全保障について国連の機構の欠点と力の不足を補うのに、やはり国連憲章に定められたるその定めに従って、地域的あるいは二カ国間の集団安全保障体制を作らなければならぬ、そこに私どもははっきりとした必要があると思う。で、私はここであえてお尋ねするまでもなく、世界の各国が二つの系列に分かれてこの安保体制を作っている、そうして今この軍縮の会議が行なわれているという状況であります。その間に、もう先ほど来行木委員からもだんだん御質問があって明確になっておりまする点は、私は全部これを割愛いたしまするが、そのために、今度日米安全保障条約というものが考えられて、今、私ども審議しておるわけでありますが、先ほど来だんだんお話のありましたように、やはり私どもがこの体制を作るのには、どうしてもこれはアメリカでなければならないという確信を持って、今日まで私どもは歩んできた。今度の改定のこの条約において、さらにこの目的が強化されると、私自身も確信をしておる。ところが、これに対する反対の論がいろいろとあるということもそれもいろいろと論議されていた。だが、私はこの内応をというよりも、やはり日本国民とアメリカ国民との間にほんとうに信頼し合うところのものがなければ、いかなる条約を作ってもこれは意味をなさないと思う。この意味において日米安全保障条約を強化する、ほんとうのよいものにするには一体どうすればよろしいか、このことが非常に心配なのです。先ほど来だんだんとお話もあったのでありまするが、私は特にこの両国の親善という問題が、具体的には日本政府も近めでおるようでありますが、特にこの日米修好百年記念の行事が行なわれて両国の間にますます友好関係を強化しようというこの現実にありまして、あるいはアイゼンハワーのこの儀礼的な、しかしながら、親善外交とし、両国のほんとうの理解を深めるための一つの行事がある。あるいはまた皇太子御夫妻の訪米の計画というようなものも考えられる。いろいろなことについてこの問題が行なわれているのでありまするが、このことに対してすらいろいろな反対の動きがあって、実にこれが私どもの心を痛めしめている。この反対の動きが即刻米国の方にも伝えられて、アメリカに大きな憂いを起こしているような現状である。私はこれを実に憂慮にたえないと思う。こういう面において、どうしても今後の日米の間のこの条約の裏づけとなることのためには、この両国の親善という態勢をどうしても作らなければならない。これには経済の協力の問題もありましょう。しかしまた文化交流の問題もありましょう。いろいろの問題がある。特に米国におりまするある学生からの通信によりますると、一体、日本がどっちの方に向いていくことになっているのか、いろいろな質問をされるということを言ってきておるわけであります。こういうことで、多数の留学生あるいは交換学生あるいはまた旅行者、そういう者にまで疑われているというこの現状は、私どもはこれを看過することはできないと思う。この面において、やはり強い日本の文化的な理解の活動、それはむろん歌舞伎を送るのもよろしいし、あるいはまたいろいろなスポーツの交歓もよろしいだろうけれども、根本的にアメリカ国民をして日本を信頼するようなことをもっとやっていく具体的な方策がなければならないと思う。これがなかったならば、いろいろな条約を作っても、これの効力を私どもは考えざるを得ない。この面に向かって今のこの修好百年の記念としての行事に対する反対の者に、なおもそれをこえてわれわれが国民のほんとうの親善の精神を表わす方策はないものだろうか。こういうことについて私は特に総理大臣並びにアメリカに長い経験のある松田文部大臣に、その確信なりあるいはまた方途などがあるならば、あわせてお尋ねをしたいと思う次第であります。
  92. 岸信介

    国務大臣岸信介君) しばしば質疑応答が行なわれましたように、いやしくも一国の独立の基礎である安全の保障を協力してやろうとか、あるいはその締約国の相手方の力に相当大きく期待し、依存するというような関係を結ぶ上におきましては、これは言うまでもなく、両国の間において、両国民の間において、其の理解と信頼がなければ、これはとうてい行なわれることではないと思います。そこにおいて、笹森委員のお話のように、日米の間のこの親善友好の関係、理解信頼の関係をいやが上にも進めるようにあらゆる施策をやるべきである。経済の面から、文化の交流の面から、あらゆる面からやるべきであるということは、われわれもまさにそのように考えております。そして、日米修好百年の記念行の一つとしてアイゼンハワー大統領の一品の問題がございます。この問題は、私が一月に参りました際に正式に直接にアイゼンハワー大統領を招待した、これに対してアイゼンハワー大統領としても承諾を与えられて、すべての準備がそれ以来整えられ、日程も十九日から三日間ということが決定をされておるのであります。これに対して一部におきましては、最初このアイゼンハワー大統領の訪日を阻止しようという阻止の運動があったのであります。またその動きが最近においては延期をすべきだというふうな連動にやや形の変わってきた面もございます。これらのことは、言っていることは別として、その真意はアイゼンハワー大統領の訪日を阻止しようという考えにほかならないのであります。しかし、そうでなしに、一方このアイゼンハワー大統領が記念行事として来られるのに対して、日本国民はこれを熱誠こめて歓迎をすべきであるし、また歓迎しなきゃならない。日米の友好親善の上において非常に重大な意義を持っておるこの国際的な関係をさらにりっぱになし遂げるためには、どうも今日の時期は適当でないということから、いろいろとこの問題に対して懸念をされ、心配を持っておる人々も少なくないというのが現状でございます。言うまでもなく、この問題は、実は政治、いわゆる現実の安保条約を成立せしめるか、せしめないかとか、いわんやまたその問題に関連しての国内のいろいろな政治問題や政治情勢というものとは全然無関係な、純然たる日米の親善の意義を持った修好百年記念行事の一つでありまして、現実の政治問題とは何ら関係ない問題でございます。これは言うを待たないのであります。従ってまた、大統領の地位にある人の日程というものが怪々しく変更できない現実であることの十分に——元首であり、またアメリカというようなこの国際的になにを持っている国におきましては、それぞれ大統領の日程というものは、先の日程というものは清まっているわけでありまして、これを変更するということは容易にできることでもないのでございます。そういう状態のもとにおいて、われわれの考え方は、今の政治問題とは全然関係はないということはきわめて明瞭でありますけれども、これに反対するところの人々なりあるいは阻止をしようというような考えを持っておる人々は、政治問題とからましていろいろな行動をする危険がきわめて多いことも、これも私ども十分認識しなければなりません。従って、もちろん政府としてこういう大事な国際的賓客、国の賓客を迎えるにふさわしい国際的な儀礼を十分に尽くす、これに対し手落ちのないように、遺憾のないような措置を警備その他についてとることは勿論でございます。しかし、国民にこのアイゼンハワー大統領の訪日の意義というものを徹底し、また日本国民の圧倒的多数というものは、言うまでもなく、私は、アメリカとの過去における親善関係、また将来におけるところの協力関係というものに対して、心からこれを期待しておる者は、国民の圧倒的多数であることを信じて疑わないのであります。そういう人々が心からこれを歓迎をし、またこの際において国際的儀礼に反するような非礼なことのあることは、民族的な、日本の国際的地位から言い、日本の大国民としての態度から言って、そういうことはなすべきにあらず、われわれは双手をあげて心から歓迎すべきであるというような機運を十分に盛り上げていくことがさらに必要であろうと思います。その前提としては、今申しましたところのこの行事の真の意義、またそれにおいてこの国際的儀礼に反するような行動というものをとることは民族的にいってもこれは恥辱であるし、絶対になすべきものでないということを、国民に十分に理解徹底するように努力をすることが当然であって、警備の問題とあわせて、われわれとしては万遺憾なきを期して、そうしてりっぱにこれをお迎えして、そうして日米親善の上に大きな過去百年の修好を顧みつつ将来における親善の関係に資していくように努力をしていきたい、かように考えております。
  93. 松田竹千代

    国務大臣松田竹千代君) 多年、日米親善に御無心にお尽くしになられた笹森委員のお話には、私は全く感をひとしゅうするものでございます。しかし、私は今日においては、少々のことがあっても日米の親善関係にひびが入ることのない程度に、深い親交でもって結ばれておると確信をいたしております。それはむろん、国と国、政府政府の間で、今回の安保条約などをもってしても、一そう日米間を強化するものであることは言うまでもありませんが、それ以上に長い間、百年を迎えた今日、特に戦前と戦後の今日、私は日米関係というものは、不幸なる戦争が雨となって今日は全く地の固まったものであって、それは両国民がお互いに理解ができ、十分に知り合って、心と心のつながりが今日では十分に私はできておると思います。それはどういうわけかというと、私は、一番大きな原因は、やはり、多くのアメリカの兵隊が日本に来て、長期にわたって相当期間、多くの人々がこちらへ来て、日本の国、日本国民の生活の様式、これを単に観光客として見るのではなく、あるいは野らで働く農夫のありさま、あるいは家庭の状態、街頭を行く人々、あるいは工場における働きぶり、それらのものを、ありのままの日本人の日本における生活をみずから肉眼で見て、日本人というものをほんとうに知ることができた。そうして、これらの兵隊さんの大多数が、中にはそうでない者も少しはあるでしょうけれども、大多数の者は、アメリカへ帰って、日本のあり方、日本人というものを十分に認識して、かの地において宣伝したことに大きな力があったと私は思います。また、日系米人のその優秀性、その努力等についても十分に……日本人というものをあらためて見るようになった結果である、そういうことであるので、今日の日米間の親交関係というものは、非常に深い、容易なことではひびの入るようなものでないということを私は確信する一人でございます。しかしながら、最近の日本の複雑な政情あるいは社会情勢、あるいは新聞等を通じて伝えられる報道を聞いて、アメリカ人はやや奇異の感に打たれるのじゃないか、かように私は思います。しかし、やがてこれも、十分に日本人というものを、私は、今日ではアメリカは知っておる。私が往年、アメリカにおった在米中の時代と今日と比べれば、全く隔世の感がある。そこには人種的偏見も著しく薄らぎ、そうして日本人というものに対して非常な、心からの好意、それは理解の上に立った親善関係を結んでいかなければならぬ、これを持続して、いかなければならぬ、深めていかなければならぬというところからきているのであって、私は、日本にはなお反米の傾向を持った人々があるが、そういう人々でも、アメリカへ行って、そうしてアメリカの実情を見、アメリカ人のほんとうの自然な親切さに触れ、そしてその接遇を受けた者は、心ではアメリカとの親交関係を阻害して日本は成り立つかという気持は持っておる。そこでわが日本人でも、今日では、アメリカに向かっては、アメリカとは絶対にいつまでも親交を重ねていかなければならぬものであるということは、これは都市と言わず、地方と言わず、山村と言わず、漁村と言わず、老幼を問わず、私はその観念は大部分持っておるということに深い自信を持っておるわけでありまして、これは一そう進めていかなければならぬ。今日はやや日本におけるちょっと異常な、私はこれは、一時的と思われる異常な情勢は出てきておりますけれども、これは私は、戦後急に戦後の大変革がまだ全く落ちつき切っておらない。たとえば個人の主張、個の主張をすることにのみ急であって、その個が他の個につながるということを忘れる、すなわち社会連帯の観念に徹しない。さらに言いかえれば、戦前の悪いことを攻撃するに急であって、そしてよいことのあったことを全く忘れておることの結果である。こういうことはやがて、私は、正常に返る。私は、日本国民はもっと高いセンスを持っておる。今一部に現われておるようなものではなくして、もっと高いすぐれた英知の持ちしであると私は信じておる。そういう観点から、今後もお話のように、いろいろ文化、教育その他の方面で、あるいは貿易の点も非常に最近は改善され、日米貿易なくしては日本の経済は持たぬのであるということはだれにでもわかっておると私は思う。で、心配は御無理ないと思いまするけれども、私は必ずや一時的のものであって、やがて日本の特殊事情をわかってもらえばアメリカ人も十分に了解できると思う。御承知のように、列国に見るがごとく、わが日本だけが国の政策……政府言論機関というようなものを持たぬ。そうして言論機関は全く極端な自由を享有して横行闊歩している姿、その中には、私は今日の場合ややうわずった、そうしてアジられたものにうつつを抜かしているような傾向もあると私は思う。しかし、絶対に私は日本人のセンスの高いところを信じておるのでありまして、これは一時的現象であるということを信じておりまするがゆえに、日米親心にひびがいくようなことは断じてないと考える次第であります。
  94. 笹森順造

    ○笹森順造君 きょうの私の質問のほかの項目がいろいろあったのでありますが、前の青木委員との質疑応答に大体渡ることにいたしまして、最後に、同じ項目に触れますけれども、若干明確にさらにしておきたい点だけをお尋ねいたしたいと思います。  それは例の中立の問題であります。この質疑応答で大体結論が出ておったのでありますが、それに対する一つの理論的な裏づけというものについてまた少しお尋ねしておきたいと思います。東西両陣営の対立する今日、そのいずれかの一方に加担せず、中立を保つのが賢明であるとの考え方が内外にありまして、近ごろの中立論は従来からとられておった戦時国際法上の中立という、交戦国の双方に加担せずに公平の態度をとるという、いわゆる戦争の事実の上に立った中立ではなくて、そういう古典的なものの考え方ではなくて、これから一歩出て、将来世界の戦争を否定し、戦争を予防する目的をもって、百平時から国際緊張の緩和をはかり、東西いずれの陣営にも入らないという戦争否定の政治中立の考えでございます。この戦争否定の中立論に対しまして、政府が一体どうお考えになっているか。これは単なる一つの幻想であるだろうか、あるいはまた今後の国際のいろいろの問題を指導していく上においての一つの考え方ではなかろうか。この現実性と、またその理想とのかけ合いを、どう一体判断すればよろしいのか。この点についてまずお尋ねを申し上げたいと思います。
  95. 藤山愛一郎

    国務大臣藤山愛一郎君) ただいまお話のございましたように、昔の意味における、戦争の際の中立でなくて、新しい理想を持った中立ということが考えられないかというお話だと思います。われわれの立場から考えてみますると、中立を維持するということは、戦争中における中立というお話のような古い意味においての考え方とむろん辿った意味においてのお話ではございますけれども、今の現実の世界の情勢から申しますと、二つの陣営が強く対立いたしておりまして、日本はちょうどその谷間にあるということが言えると思います。たとえば、中立を唱えているインドのような国の地理的条件というものは、私はある意味においては両陣営が対立いたしておりました場合に、必ずしもすぐに軍事的な、あるいは両陣営の政治的な対象になり得ないような地理的な条件を持っておると思います。また国民的な経済力におきましても、同じような立場にあるのではないか。ところが、日本国民的な経済力におきましても、あるいは地理的な立場においても、これは私はこの両陣営の谷間にあるということがはっきり言えるのではないかと思いまして、従って中立を維持する——無防備によって中立を維持するということは、私はこのこと自体非常に大きな理想ではあるかもしれませんけれども、現実をながめてみますれば、非常に危険なことではないかと思うのです。でありまするから、われわれとしては志を同じうする国とともに生きていくという立場をとるのが必要であります。そこで、現在日本で行なわれております中立説というものも、必ずしも純粋な無防備な状態における中立ということの立場において唱えられておるのではなくて、もしアメリカとの提携を遮断して、その後の中立を唱える立場から言いますれば、おそらく共産圏との緊密な連絡を考えるという意味における中立論ではないかと私は思っておるのであります。今日の世界におきまして平和が到来することはだれも念願しております。また両陣営が思想的に異なっておりましても、平和に共存するような社会を作り上げていきたいということはだれも望んでおります。またその努力は国際連合においてなされておる問題でもあろうと思います。従ってそういうことを理想として考えますことは、われわれとしても考えて参らなければならぬ、またそういうときにこそ初めてほんとうの無防備——中立と申しますか、無防備の状態ができ得るのじゃなかろうかと思うのであります。ですから、そういう意味におきまして、私は現実の事態を直視して参りますれば、やはり中立論というものは、何と申しますか、今日の日本の現状には適しないし、われわれは中立論を唱え得ないことだと思います。しかし、かりにわれわれ自由主義の陣営にありまして、お互いの国が結び合って参るといいましても、むろん、その国の地理的条件なりによりまして、おのずからその国の立場において意見の異なるところもあることは当然でございまして、そういうことにつきましては、十分お互いが意見を尽くし合っていくということで、何と申しますか、従属的な形にならぬでいくことは当然にいけるのであります。イギリスとアメリカ関係を見てみますれば、お互いに率直に話し合いをしながら、しかも根底において一つの強い結びつきを持っていっておるのでありまして、そういう意味におきまして、緊密な関係を持つということは単純な従属関係に立つということでは私はないと、こう考えておるわけでございます。
  96. 笹森順造

    ○笹森順造君 お話の通りだと思いますが、第二次世界大戦のあとに、AAグループの国々で、反植民地主義や民族国家主義が盛んになって、従来世界に覇を唱えていた強大国の覇絆を脱して、それとの同調を避けて、いわゆる非同盟主義にのっとる中立主義が台頭してきておる傾向も見のがすことができない。その場合に、日本がAAグループに入らなければアジアの孤児になるのじゃなかろうかという心配で、やはり中立主義を唱える人があるように思う。しかし、どうもそれは、やはり今外務大臣のお話しになりましたように、この日本を中立の方に導こうというのは、ほんとうの純粋な中立主義ではなくて、結果的には、中立ならざるものの方に誘導する中立論であろう、こういううがった話がありましたが、それが私はやはり現実であろうかと思うのであります。  そこでもう一つ、インドのお話をお述べになりましたが、インドばかりでなくて、ほんとうに中立ができるためには、私はいろいろな要件が必要だと思う。その国民が断固として自分の国を守るという意思決定があり、しかもまた国民団結してこれに当たるところの実力があって、みずから自分の国を守るだけの力があるというならば、これは中立としても、スイッツランドのごとくあるいは成り立つかもしらぬ。これが日本の国にあるか。今の日本の中立論は、これは自主独立の中立論ではなくて、他力本願的な中立論ということに終始しておるように私には思われる。そういうのは中立の意味をなさぬのではないか。それで今お話しの通り日本という国は、地理的にも歴史的にも、あるいはまた軍略的にも経済的にも中立ができないのだという考え方、それと、今最初に申しましたように、日本の国が周辺の環境をなしております国々との関係において中立となることはできないような状態においてあるのだ、そこで、覚悟として、この日米安保条約を結ぶならば、やはり断固としてその締盟国との間に利害を共通にするという覚悟がなかったならば、これは意味をなさないと思う。今までの日米安保の条約について、この条約日本のためになるのだ、日本のためになるのだということをお話しになる、それもけっこうです。しかしたがら、こういう条約を作って互いに助け合うという精神的支柱は、やはりお互いが信頼して、そしてそこでお互いが安心し合うということでなければならない。その中心は、言うまでもなく日本の防衛だということにもなるし、あるいはまた世界の平和だということにもなれば、これが力を合わすことは私は当然だと思う。そういうことを考えまするというと、一方において、核兵器を持っておる国を相手とするような国と結ぶことは危険だというような考え方は払拭さるべきものだと私は思う。こういうような意味で、先ほど来、青木委員から、ソ連が多年とって参りました中立外交政策の、実に自己の力の弱かったときにのみ中立政策をとっているが、無用になっていったときには、直ちにこの中立政策を弊履のごとく捨てたという例は、今青木委員の申された通りでございまして、私は結論的にはそう考える。でありまするから、この際、私はこの安保条約審議にあたっては、国民的な自覚と確信を持って、もっとはっきりさせなければならぬ。この点に向かって先ほど来いろいろお話がありましたし、ソ連の中立に対する理論的な矛盾なり外交政策の上の撞着なりは明確に私は把握する必要があると思う。こういう意味で、私はこれ以上この質問を続けるわけではないのでありますが、それをやはり国民にもっとはっきりせしめる必要を感ずるがゆえにこのことを申し上げるのであります。  そこで時間も進みましたので、私は次のことでお尋ねを終わりたいと思うのでありますが、この安保条約案が、衆議院の段階において審議されました段階において、いろいろと動きがあったことは皆さん方の御承知の通り、そのときに附帯決議の問題が起こっていたわけであります。それにはいろいろな意味があった、そこでこれは委員会なり国会なりが附帯決議をするということは、これは立法機関の正当の権能でありまするが、これがこの条約案をさらに強くし、この運用方面においてこれが強化されるものであり、しかも行政の任に当たる内閣がこれによって力を得るものでなければならぬと私は考える。この意味において、国会に責任を負うところの内閣が、この委員会において、あるいはまた本会議において主張があってみんなか考えるならば、この附帯決議をつけるということは一体どういう工合のものてあろうか、しかもこれは与えられた行政府の権能を抑制するものではない、むしろこれに対する一つの力づけであるという面において考えたならば、これはどういうものであるだろうかという考え方であります。つまりこの問題で一番問題になりますることは、言うまでもなく事前協磯の問題であります。もとより内閣にまかされておりましたすべてのものを、私どもはここで附帯決議をつけるということは、条約の修正ではむろんありません、また内閣の行動をこれによって左右しようという考えもありません。ただ事前協議の問題がありました際に、国家の運命にかかわるような重大な問題を、ここでアメリカから事前協議のありました場合に、私その内容は申し上げません、申し上げなくても明々白々である。この事前協議の主要問題となっているもので、国家の運命を左右するがごとき問題が提起されました場合には、これを国会に報告せよ、報告するようにというようなことの附帯決議をかりにつけたならばどうであるだろうか。これは御承知の通り条約が必らず事前において、あるいは事後において国会に報告せられなければならないという思想と同列であります。その国家の存亡に関するような重大問題が起こったときに、これを国会に報告するということによって国会が当然審議をするでしょう、それによって国民のこれに対するところのはっきりした考え方が明確に出てくるでありましょう、それをバツクとして政府が堂々と確信を持って憲法に許されたる範囲において最大な活動をすることができる。この国会に対して責任を負うところの内閣がそれだけのことをするということが、非常にアメリカと協議をする上においても力が強いことではなかろうか。この事前協歳の問題についていろいろと法的にあるいは政治的に、あるいはまた岸総理とアイゼンハワーとの間の共同声明等において私は詳細なことをよく承知しておりますが、それを運用する意味において、こういうことを考えたら一体どうなのか。これは単にこの事前協議の問題ばかりじゃありません。そのほか、今の経済の条項などについてもいろいろございましょう。幾多の問題で、この条約運用の意味において、これを強化するようなそういう希望的な附帯決議をするということが、むしろこの条約をほんとうに国民が総力をあげて支持する意味においてのそれは力になりはせぬか。これは、今政府答弁を聞いてどうこうというわけではありませんけれども、しかし私どもは、審議する上においての参考にしたいので、もしもその気持を披瀝ができまするならば御披瀝を願いたいと思うのです。
  97. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 附帯決議という問題につきましては、委員会の御審議であるとか、あるいは本会議において議院がこれはお考えになることでありまして、政府が、つけて下さいとかっけては困るとかいうことを包括的に申し上げるべき筋じゃないと思います。具体的に、あるこういう附帯条件を御審議の結果つけたいということについて、政府はそれに意するかどうかというような具体的の問題について意見を聞かれますれば、政府としての見解を申し述べることはもちろんしなければならぬことであります。私はこの附帯決議の問題につきましては、抽象的に申し上げますというと、これは御審議の結果、委員会なりあるいは本会議なりにおいて、議院がその審議権に基づいて御決定になることであって、政府がそれにかれこれ申し上げるべきものじゃないと思います。ただ条約の問題でございますから、従来いろいろ修正権等の問題について議論がごさいました、まだ国会としてのこれに対するはっきりした御意見を聞くに至っておりませんけれども、今笹森委員の御指摘のあったのはそういうことじゃなくして、これの運営の上においてむしろ政府なりあるいは日本国立場から当然と思われるようなことを、さらに国会等において答弁しているような事柄をさらに明確ならしめるような内容を持った附帯決議というふうにも承っておるのであります。それらの問題は委員会の御審議と、具体的内容について具体的に申し上げる筋であろうと、全体的に申し上げれば先ほど申し上げたようにお答えするほかない、かように思います。
  98. 笹森順造

    ○笹森順造君 最後に一つお尋ねをいたします。大体私のお尋ねをいたしましたことについての答弁は満足をいたしております。昨日岸総理がこの安保条約はスタートであってゴールではないというお話をされました。先ほど来のいろいろな審議過程においても、なお日本の国は幾多の艱難を経て日本の安全と平和と、あるいは極東なり世界の安全平和のために努力をしていかなければならない、こういう立場に順次進んで行かなきゃならぬことはこれは言うまでもない。従って、この日米安保条約という新しい改定されたものが、さらに現在のものよりもよろしいものであるということは私ども確信しておりまするから、これを基盤として、これが参議院を通過して承認されて、批准ができ上がって発効した後における日本国の新しい場面にこれが進んでいかなければならない外交の一つの舞台であろうと考える。従って、合いろいろ安保条約において、誤解とあるいは故意とによって反対されておりまする日本の外交路線のさまざまなる主張というものが、これを土台として新しく局面が開かれていかなければならぬ。従って、今これをお尋ねするのは早いようでありますけれども、この安保条約発効後における日本国の外交というものがいかにあるべきかということ、つまり、あるいはソ連、中共その他の国々との関係、未解決の国もあり、またこの安保条約が支障となると憂えられておるところの問題について、どういうふうな方法をもって展開していくか、今後の交渉を、きわめて簡単でよろしゅうございまするから、承って私の質問を終わりたいと思います。
  99. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 日本の外交の基本的な原則は、あくまでも世界の平和を実現するという平和外交であることはもちろんであります。この安保条約の本質も、現行の安保条約と同様に防備的なものであり、平和的なものであるということは私ども確信しており、またそういうふうに運営をしていかなければならぬことは当然でございます。この見地に立って、しかも一方日本は自由民主主義立場を堅持し、われわれは共産主義の立場はとらないということも、これまた日本の国の私は根本であると思います。この見地に立って、しかしながら日本は、将来の外交路線をとる上から申しますというと、国柄を異にし、またその国の基本の原則を異にしておりましても、私は今世界のどの国も平和を望み、平和を実現しようと考えておるということについては疑いを持っておりません。ただその国の建前、自由民主主議の立場をとるか、共産主義の立場をとるかということにおいては、根本的に異なっておりますけれども、それぞれの立場というものを相手国は十分理解し、尊重し、そうして互いに侵さない、これの一方を自分たちは是と信ずるがゆえに共産主義を信奉しているとか、自由民主主義を信奉するがゆえに自由主義の立場を堅持している、これを相手国に、自分の考え方が正しいのだから、これを向こうに押しつけるというようなことは、これは私はすべきものじゃない、お互いがお互いの立場、国のよってもって立つところのこの形というものを十分理解し、これを尊重し、相侵さず、そうして共に理想としているところの世界の平和に向かって努力をしていくということが私は今後の外交方針の基礎でなければならない、かように考えております。
  100. 草葉隆圓

    委員長草葉隆圓君) それでは本日はこの程度とし、明十日午前十時から日米安全保障条約関係案件についての質凝を続行いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後七時三分散会