○一松定吉君 私少しこの問題につきまして
政府にただしたいのでありますが、私の意見と社会党の意見とは全く
反対であります。辻君と同じ
考え方であります。社会党の諸君の言うことを聞いておってみると、この旧
地主の中で非常に
生活に困っているような人があるということについて、その因っている原因を追及して、その
実情に応じて個
人々々に救済の道を開こうということは、
政治家の当然なすべきことであります。ことに
国会議員というものは常にそういうものを
考えなければならぬ。ただ今辻君の言われたように、小作人が社会党に投票をするから小作人の味方をする、
地主の方は社会党に投票せぬから
地主には
反対だというようなことを今辻君が言われたが、そういうことを社会党の人がするかせぬか知らぬ。知らぬけれ
ども、こういう問題について
政府が
調査会を持たれるのは至当なやり方だと思います。一体、この
法律の制定されたのは、これは
昭和二十一年の十月二十一日、当時私は逓信大臣をやっておりました。そうして御
承知の
通りに、この
日本は
昭和二十年八月十五日に全面敗北をして、マッカーサーが
日本に駐留してきて、
日本の
政治を勝手にやったときなんであります。そのときであって、これが施行されたのは
昭和二十一年の十二月二十九日であります。ちょうどそのときは、第一次吉田内閣で、何でもマッカーサーの言うことを聞かなければならない。もしもお前らがおれの言うことを聞かなければ、天皇を巣鴨に連れて行くぞというようなときなんです。ですからして吉田内閣もこのマッカーサーの命令には従わなければならなかった。そういうようなときにこの自作農創設特別
措置法というものが作られて、これが翌年の十二月二十九日に施行された。翌年の十二月二十九日といいますと、ちょうど片山内閣のときです。これはやはりマッカーサーの言う
通りにやらなければならなかったときなんです。
一体こういうような、自分の
土地を非常にたくさん持っているからこれを取り上げる、お前は
土地を持っておりながら他国におって
土地の所在地におらぬからこれを取り上げる、お前は
土地におるけれ
ども耕作していないからこれを取り上げるということが、その点民主主義であるかどうかということについては、これは疑問があると思います。そういうような点においての
法律が実施をせられたのでありまして、われわれはどうにもならなかったときであります。それが実施せられて、そうして今日ではその
土地を持っておって取り上げられた
人々が……(「
総理に
質問しなさい」と呼ぶ者あり)いや、君らに聞いてもらいたいのだ。(「われわれが聞いてもだめだ」と呼ぶ者あり)君らに聞いてもらわなければならない、と同時に
政府にも聞いてもらい、聴衆にも聞いてもらう、これが
国会議員の任務だ、ただ
政府に聞いてもらうだけでなくて……。そういうときでありますから、
自分たちが先祖から譲り受けた先祖の財産によってやっているものもありましょうし、自分が子供のときから汗水たらして苦労して
土地を匿うて持っておったものもありましょう、あるいは親から譲り受けてその
土地を管理しておったものもありましょう。ありましょうが、それを
政府が
法律によって取るということについて、この
法律が合法的であるかないかは別として、
法律で実施せられている以上は、
国民はその
法律に従わなければならぬことは当然だ、法治国として。そうしてそれがいわゆるこの
法律によってできてこれが実施せられて、今皆さんが例をあげたようなふうに、ずいぶんだくさんの持っておった所有者が迷惑して、泣き泣き取り上げられたというものもありましょう。しかしながら、それはこの
措置法の第六条によって、相当の
価格を買収鑑定をし、本人に
異議があるかないかということもきめ、そうしてきまらなければ、
農地の
委員会においてこれをきめて、そうしてその
土地の当時の値打の何十倍というものをもって買い上げるというようなことをやって、この
措置法に規定してありますから、この当時のこの規則によって買い上げられた場合においては、自分らは
反対であっても、泣き泣き応じなければならなかった
実情であることは、これは議論ないでしょう。そういうようなものが、今、辻君の言われたように、その後の状況がどうなったかというと、そのわずかの三百円くらいで買い取られたものが、一万倍もする今日になっておる。そうして買い取った人間は、それまで自分は小作人として難儀苦労しておった人間が、にわかに金持になって財産家になって、しかもそれを勝手放題に売ることができないのに売って、そして自分らは商売をたて、盛んにやっているときに、自分らが
地主さん
地主さんと言って尊敬しておった人は、立ちん坊みたいなふうな
生活をしなければならぬ
実情になった今日、
政府当路者がこれを黙視することができないから、何らかの
方法によってその内容を
調査して、その
調査の結果これをどういうような
方法によって救済するとか救済せんとか、あるいはどうするとかというようなことをきめるのが、この
調査会の
目的なんです。この点については、私は
政府のやったことについては、最も機宜に適していると思うが、ただ
政府のやり方について、今、辻君も言われましたように、これは
昭和二十二年からのことで、もう十何年もたっていることだから、その間にこれらの農民の声は聞いているはずですから、その間に何らかの処置をとらなければならなかったのじゃないか、あまりにも放任主義がひどくはなかったのじゃないかという御
趣旨もごもっともであって、こういう点については、
全国の農民が非常に猛運動をしたことも、社会党の諸君の言うた
通り。現にここにいる下條君のごときは、この
全国の農民の会長で、そういうような問題をやり、私も会長になってくれんかと言われたけれ
ども、私は断ったというようなこともあって、
政府に陳情するというような
意味合いで、
全国の買収せられた農民が協力一致してやったのです。そういうものがいわゆる各内閣に陳情せられたのでありましょうが、今
総理の言われたように、いろいろな意見が出て、全く安かったから戻せというのもあれば、賠償せいというのもあれば、それじゃ
いかんから何らかの
国家からわれわれの難儀を救ってくれという陳情もある。今日では農民諸君のそれらの地位にいる人は、その財産を返せという者もありませんし、また相当な価額をもって、その差額を戻せという者もないが、ただわれわれがこんなに難儀苦労しているのだから、
国家は何らかの
方法によって、私
どもの
一つ難儀を見てもらっていただきたいということが、この
農地を買収せられた人の全部の意見にまとまっていると思います。そういうときに、この
調査会を設けて、
調査をして、そうしてそれらの
人々に、臨機応変に、その
人々の状況によってこれを保護し、これを救済しようということの
調査を、この
調査会に求めるということは機宜に適したやり方だ。ただ、辻君の言います二カ年も
調査して、それから後にやるということについては、目前に非常に難儀苦労している者が多いときに、少しくゆうちょう過ぎはしないかということがあります。私もそう思います。そういう点については、何らかの
方法によってやることもいいが、社会党の諸君も言うように、わざわざこんなものをこしらえないで、これが救済する必要があれば、特別法で予算を出して救済できるんじゃないかということもあるが、それは
世間のいろいろな批判、攻撃があるから、そういうことを
調査して、その
人々によって具体的に甲はどうしよう、乙はどうしよう、丙はどうしよう、丁はどうしようということを
調査して、その
人々に応じたような救済の
方法をとろうということは、何も
政府のやり方が悪いどころじゃない、最も機宜に適したやり方だと、私はこう思いますから、どうか
一つ私の希望するこういうような点について、早く
調査をして、そうして早くその各
人々々に適応するような
方法によって、これらの
生活に困っておるような人を助けてやるというようなことに向かって、われわれも協力いたしますから、
政府も
一つ二カ年も
調査にかからないでもいい、もうわかり切っているはずです。なるべく早く
調査して、
目的を達するようにして、これらの
国民が非常に困っているということを救済してやることが
政治なんですから、こういうような
政治を
国民を代表しておるわれわれが
政府に
要求し、われわれが協力し、この実現に努力するということは、
国会議員の当然の任務なんですから、これに
反対する
理由はありません。だから、このような
目的に早く努力するようにお願いいたします。