運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1960-03-25 第34回国会 参議院 地方行政委員会 第12号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十五年三月二十五日(金曜日)    午前十時四十八分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     新谷寅三郎君    理事            西郷吉之助君            鍋島 直紹君            鈴木  壽君            基  政七君    委員            郡  祐一君            館  哲二君            湯澤三千男君            占部 秀男君            木下 友敬君            松澤 兼人君            松永 忠二君            中尾 辰義君   国務大臣    国 務 大 臣 石原幹市郎君   政府委員    警察庁長官   柏村 信雄君    警察庁長官官房    長       原田  章君    警察庁刑事局長 中川 董治君    警察庁保安局長 木村 行藏君   事務局側    常任委員会専門    員       福永与一郎君   説明員    警察庁保安局交    通課長     内海  倫君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○道路交通法案内閣提出) ○小委員長の報告   —————————————
  2. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) ただいまから委員会を開会いたします。  前回に引き続き、道路交通法案質疑を行ないます。  大体前回は第五章の一部について質疑がございましたので、引き続いて第五章の質疑をしていただきたいと思います。
  3. 鈴木壽

    鈴木壽君 この前に、七十七条の一項四号に関連をして、中川局長お尋ねをしてお答えをいただいたのですが、そうしますと、この四号の中に、ここにプリントしていただいた中にも示されておりますように、集団行進あるいは集団示威運動というものが当然含まれると、こういうことなんでございますね。
  4. 中川董治

    政府委員中川董治君) その通りでございます。
  5. 鈴木壽

    鈴木壽君 そうしますと、集団示威運動なりあるいは集団行進等がこれに含まれるとしますと、この七十七条によって、そういうものを行なおうとする者は、警察署長許可を受けなければならぬと、こういうことになると思うのですが、一方、東京都でいえば、条例によって、今言ったような集会あるいは行進示威運動等を行なう場合には、許可を受けなければならないようになっておるのですね。この関係は、一体どういうふうに考えたらいいのか。
  6. 中川董治

    政府委員中川董治君) ただいまの御質問の点でございますが、これは、法律全般に通ずる原則でございますが、ある事柄を、たとえば公衆衛生の面から規制する法律があれば、公衆衛生規制に従う。また、その行為が、同時に、あるいは金融行政見地から規制する必要があれば、それによって規制する。こういうことはしばしばあり得るごとでございます。そういう意味において、そういう法律考え方を基礎に、社会生活の面でもあることは、むしろ論理上当然かと考えます。それにつきまして、お尋ねの点のいわゆる公安条例とこの法律警察署長許可との関係規定いたしました考え方を申し上げますが、この法律は、この法律第一条に規定がございますように道路における交通の危険を防止し、安全円滑、これが目的でございますので、この目的以外には全然出ることは不可能でございます。ところが、御案内のように、各地で行なわれておりますところの集団示威運動とか、集会とか、あるいは行進とかいうような態様が、憲法第二十一条に規定いたしておりますところの集会の自由、表現の自由、こういうこととのからみがあるのでございます。それで、憲法第二十一条の自由と、憲法第十二条の公共福祉というのをいかように調和するかということは、憲法学者の研究されておるところでございますが、実定法上いろいろな公共の安全の見地からこれを規制するという点につきましては現在のところ、国の法律は存在いたさないのであります。国の法律が存在いたしませんので、地方公共団体におきまして、そういう状況で、公共安全秩序を保つ、こういう角度から、都道府県または市町村というような地方公共団体が、その憲法公共福祉の調和を具体的に両方目的を達成するという角度から規定いたしましたのが、いわゆる御指摘公安条例かと考えるのであります。公安条例は、そういう角度規定いたしておりますので、そういう角度に基づく規制が行なわれていく。この法律の七十七条一項四号は、そういう表現の自由とかあるいは結社の自由ということには関連はもちろんでございますけれども、そのこと自体を考えるにあらずして、たとえば、ここにございますように、ロケーションをするとか、あるいはお祭り行事をするとか、こういうような概念に当てはまるような考え方になっておりますので、道交法一条の趣旨に基づきまして、この法律の二条に掲げる道路の範囲に属する分につき、その道路交通の安全と円滑という角度から、そういう行為につきまして許可対象にして、許可権を留保いたしまして、これを規制していく、こういう必要があるということは、御了解いただけると思うのであります。その証拠に、改正前の法律におきましても、ずっと久しくそうなっておるのでありますが、道路におけるその種の行事等につきましては、署長その他の警察機関がこれを許可して、それによって道路交通の危険を防止するという角度から規制が行なわれるという現行法体制でございますので、その現行法体制は、道路状況が一変すれば別でございますけれども、むしろ逆に、最近はだんだんと道路の安全と円滑をはかる必要がさらに強化するという状況でございますので、強化するという考え方もあり得るのでございますけれども、このことにつきましては、いろいろなことを考えまして、現行法よりもむしろ必要性の点を考えまして、必要最小限度法律でしぼる方が今日の法律建前上相当かと考えまして、現行法よりもむしろしぼる感じをもって立案いたしたような次第でございます。
  7. 鈴木壽

    鈴木壽君 現在公安条例による許可を得る場合に、これは当然公安委員会許可を得るというようなことでありますが、実際の問題として、警察署長権限だけでそれが行なわれておるかどうか。形式的には、もちろん公安委員会を当然これは経由しなければならぬけれども、警察署長権限だけで行なわれておるのかどうか。それから、いま一つは、公安条例による公安委員会に対する許可申請のほかに、別に警察署長許可を受けてやっておるのか。両方手続を経てやっているのか。この二つの点について伺いたい。
  8. 中川董治

    政府委員中川董治君) 公安条例は、地方公共団体条例でございますので、条例内容によって、若干地方によって違うのでございますけれども、大体共通する現在の条例の条文では、公安条例におきましては、警察署長許可とか、警察署長に対する届出とかいう制度はとっておりません。私の記憶で、例外なくとっておりませんと申しても間違いないかと思います。大部分、ほとんど全部都道府県公安委員会許可する、こういうふうに相なっておるのであります。東京はもちろんそうでございます。その他の府県もおおむねそうでございます。それで、公安条例によれば公安委員会許可、この法律は御指摘のごとく署長許可、こういうふうに確かに相なっておるのであります。従いまして角度は別にいたしましても片方公安委員会許可片方署長許可、こういうふうに相なっておりますので、この道交法許可に当たらない事項、たとえば広場、道路関係のないところで行なわれる集会その他、こういう問題については問題はございません。公安条例許可だけである、ところが、公安条例許可対象でもあり、なおかつ道交法対象になるという行為が確かにあるのであります。そういう場合におきましては、同じ行為につきまして、片方公安委員会許可を取り、しかも、その上署長許可を取るということは、法律上はもちろん可能でございますけれども、関係者便益ということも考える必要がございますので、実際の警察取り扱いにおきましては、二つ申請を、  一つ書類両者目的を達成すると、こういうふうに処置しておるという府県が多いのでございます。と申しますのは、警察署長というのは、確かに行政機関でございますけれども、公安委員会管理を受ける機関でございますので、管理を受ける機関管理する機関との関係でございますので、大は小を兼ねるといいますか、実際の取り扱いといたしまして、公安委員会許可と申しましても、署長を経由して公安委員会ということを例としますのでそれで、一つ書類両者目的を達成すると、こういうふうで、書類を二枚作れということは、こういうことはいたさないで、関係者便益をはかろうという、こういう措置は、警視庁初め関係府県で相当たくさんとっておるのであります。若干の例外府県におきまして、いろんな関係で別の書類も取っておる向きも若干あるようでございますけれども、現在においては、だんだん国民便益を考えまして、できるだけ一つ書類両者目的を達成する、警視庁がとっておるような措置を全国的に指導して参りたいと思っております。
  9. 鈴木壽

    鈴木壽君 どうも局長、はっきりおっしゃっていただきたいと思うのです。私お聞きしたのは、あるいは言葉が足りなかったかもしれませんが、現在東京都でいえば、公安委員会からデモ等を行なう場合には許可を取らなければいけないわけですね。もちろん警察署を経由しなければならないということがありますから、経由して公安委員会でやるという、形式的にはそういう順序になりますね。そこで、その場合に、実際の問題として、単に経由あるいは公安委員会の最終的な許可というのは形式的なもので、実際には警察署長の段階において取り扱われておるのではないかということが一つ。それから、デモ等を行なう場合に、私、今言ったような、デモ等といって、こまかいことは全部あげませんが、デモ等を行なう場合において、現在まで公安委員会に対する許可申請のほかに、あなたは先ほど、現行道路交通取締法からいっても、それは許可を受けなければならないという面があるから、従来やってきたとおっしゃいますが、公安委員会あてのもの一つと、それから警察署長あてのもの一つと、同じことに対して二つ許可を受けるような、そういう手続をやっており、実際またそういう形で行なわしてきたのかどうか、こういうことです。
  10. 中川董治

    政府委員中川董治君) 私、ただいまの質問に答えたつもりであったのですが、重ねてお答えします。
  11. 鈴木壽

    鈴木壽君 後段の方ははっきりわかりました。前段の方をもう少しはっきり。
  12. 中川董治

    政府委員中川董治君) 前段について申し上げます。前段の分、誤解ないように申し上げますと、公安条例にかかる許可は、公安委員会許可でございます。公安委員会許可でございますが、署長を経由するということは当然でございます。署長を経由して公安委員会まで行って、公安委員会はんこをもらって許可するというのが筋でございます。筋でございますけれども、日常たくさんの事件がありますので、例外なくすべての書類を根こそぎ公安委員会の机の上まで持っていくというのでは、これは、すべての行政の通則でございますが、時間がかかったりして、適当ではございませんので、公安委員会におきましては、大体こういう場合は許可する、こういう場合は許可しないということを比較的明瞭に部下によく徹底してありますので、東京で申せば部下警視総監によく申してありますので、警視総監がまた、日常たくさんの書類が根こそぎ机まで来るということは不便でありますから、警視総監におきましては、これまた警察署長によく事情を話しておりますので、これはもう警視庁まで持ってくるといっても、許可されるにきまっている、こういうものは、どしどし署長限りで実際上処置しておるということが実情でございます。ところが、署長限りで処置することに疑いがある。かねがね公安委員会でお示しいただいておる条件について、該当するや否やについて疑いのある事項につきましては、もちろん権限公安委員会にございますので、公安委員会の審議を十分わずらわす、こういうことに相なることと思います。  誤解のないように、もう一ぺん繰り返しますが、事実上は署長がやっている場合が多い。ところが、公安委員会を無視してやっているような署長はございません。こういうことなんです。
  13. 鈴木壽

    鈴木壽君 この点は、私大事な問題だと思うのです、あなたの今のお答えのようなものだとすれば。これは、あなたに聞くよりも、東京都の公安委員長あるいは警視総監、こういう方々にこれは事情を聞いてはっきりしなければならぬと思いますが、今のお話を聞いておりますと、大体署長権限の中で済まされる。こういうお話、特に問題のあったような場合には云々ということでありますが、一体そういう場合に、単に、十分趣旨をのみ込ませておるとか、考え方がわかっているからとかいうようなことだけで、公安委員会が最終的にはっきりきめるべきところを署長権限だけでやっていいものかどうか。もしかりにいいとすれば、そこに何らかの法的な委任措置等がなされているかどうかという問題は私はあると思うのです。まあこれはしかし、あなたにそのことを今聞いても、はっきりしたことはあるいはわからぬかもしれませんので、いずれあらためて、これは東京都の公安委員長並びに警視総監あるいはそういう関係の方においでを願って、聞かなければいけませんけれども、そこで、この問題はあなたにこれ以上お聞きしませんが、これは、現行法においても、内容においては七十七条の一項四号と変わりはないのだ、こういうふうな御説明でありましたが、その中に含まれる集団行進等の問題は、これは、この法律並びに都の公安条例からすれば、双方に当然許可を取ってやらなければいけないということになってくるわけですね。あなたは、実際上同じようなことだから、一本にしぼって、一つの書式でいいなんということもおっしゃっておったように私は聞きましたが、これは私は、この法の建前からすれば、それから条例のそれからすれば、これは許されないことだと思うのです。  一方には法律にこういうふうに規定してある。一方には公安条例の中にこういうふうに規定してあるというふうな同じ事実に対して両方から手続をしなければならぬというような問題について、私はやはりこれは考えなければならぬと思うのです。特に、いま一つは、都の公安条例にきめられておるような問題が、よくいわれるような基本的な人権に関する問題である。もちろん、この七十七条の一項四号に示されておるような、あなたが例示したようなことも当然そうでありますが、そうしますと、ここに今言ったような基本的な人権の問題に対して、二つの面からしかも、それが許可という形において取り扱われるというところに私は大きな問題があると思うのですね。少し話が長くなりましたが、そういう問題について、これは当然形式的な手続でいいのだということでなしに、もっとこれらの法律あるいは条例等との関係において、本質的な問題が残されるのじゃないか、こういうふうに私は思うのですが、その点どうですか。
  14. 中川董治

    政府委員中川董治君) 御質問が数項目ございますので、前を分けて、第一点の公安条例のみにかかる御質問に相なるわけですが、公安条例規定によれば、東京都の例で申しますれば、東京公安委員会権限に属する事項を実際上署長がやるということは適当を欠くじゃないか、こういう御質問でございます。これは、東京公安委員会権限にかかる事項東京公安委員会意思と違うようなことをやった、こういうことになれば、お説の通りでございます。ところが、東京公安委員会許可する意思があるものをどしどし許可していくということは、むしろ東京公安委員会に忠実なるゆえんであろうと思うのであります。先ほど御指摘に相なりましたように、公安条例は、憲法二十一条との関連もございまして、解釈上むろん当然でございますが、どしどしそういったものを許可することを原則として建前としておる。ただし、一般公共安全の秩序ということから規制するという趣旨でございますので、早く許可した方がむしろいいと、こういう精神に立ってそういう措置を講じておるのでありまして、東京公安委員会の決定に反するような署長行為は許されない。こういう点については、厳重な措置を講じておりまして、それにもとるような行為は絶対にないのでございます。それが第一のお答えでございます。  第二の御質問は、今度は両者にからんで、法律上は、両方あるから両方を受けるというのが正しいが、両方やる場合には不便じゃないかということの御質問でございますが、これは、不便は不便でないように処置しておるというお答えに相なるのであります。  第三は、そういう同一行為に対して、両方規制するということは、理論上そうなるのだが、それは適当を欠くじゃないかと、こういう点でございますが、これは、適当を欠くと申されましても、この種の一つ社会的行為があって、その行為が他の角度において規制する必要もあり、また他の角度規制するという行為があります場合におきましては、よくあり得る事例でございますので、これをもって不都合と申すわけにいかない、こういうことがお答えでございます。ことにこの法律は、片方は、公安条例におきましては、まさしく集団行進とか、それから集団示威運動とかいう言葉を明示して、それを規制しておるのでございますが、この法律は、現行法におきましても改正案におきましても、集団示威運動というものを国の立場において直接とらえていないのであります。国の立場においてとらえる必要を認めずして、地方的な事情に基づいて、道路交通の安全と円滑をはかる際に、その目的を達成するために、必要と認める行為都道府県公安委員会規則等によってできると、こういうことを解釈上申し上げておるのでありまして、できるということは、全部しなければならぬということを含まないのでありまして、たとえば、公安委員会の処分のやり方の一つでございますが、公安委員会法律七十七条一項四号の規定に基づきまして、たとえば、集団行進許可対象にする、こう書きまして、ただし、東京公安条例に基づき許可を受けたものを除くと、こういうような書き方も、この法律に基づく公安委員会規則で考えられますし、また、そういう書き方一つ考え方として正しい考え方でございますので、そういうふうになりますと、決して法律上もダブっていない、こういうことに相なりますので、観念としては、社会事象として、そういうような行為も、この法律七十七条一項四号に当たる行為態様に入り得るということを明確に私は申し上げたのでありまして、入る行為公安委員会がきめるかきめないかは、また公安委員会の自由である。きめ方におきましても公安条例との関係を考慮して、向こうの手続きがあったものはこちらで除くというきめ方をするのもまた自由であろう。こういう見地から申せば、かりに全部ダブっても、法律上は許されることでございますけれども、そういうことの措置がこの法律に基づく公安委員会規則でとり得る手段でもございますので、何らその点は問題はなかろうと私は考えるのでございますが、御了承いただきたいと思います。
  15. 鈴木壽

    鈴木壽君 公安条例ができたのは、この法律現行法とこれに基づくものというのは、全部調べてみると、きわめて少ないですね。これは、あなたもお認めになると思うのです。道路交通取締法に基づいてというのは、わずか一件か二件ぐらいしか私はなかったと思うのですが、これは、そもそも公安条例というものが、先ほど申し上げましたように、基本的人権の制約という大きな問題を含むのであるから、現在あるような形で、各都道府県あるいは市町村等地方団体条例そのものだけで規制することはどうかという一つの大きな問題は当然あるわけです。しかし、それが許可制になっておるというようなところがいろいろな問題になっている。これは、今さら私が指摘するまでもないことだと思うのです。そして東京都の公安条例といえども、この法律に基づいて作られたものでなしに、別に他のいろいろな要請等から、これは出てきた問題なんで、そして今度は、この法律との関係を見ますと、何といっても、同一のそういうことに対して、この法律に基づいても一つ規制を受ける。公安条例によっても規制を受けざるを得ない。こういうことになりますと、一体どっちが先でどっちがあとなのかという問題、これは新たに問題にされなければならぬと思うのです。今までそれに関係するはっきりした法律がないというときなら、公安条例に定めるところによってということを、一応そういうこともあるいはあり得るかも知らぬ、しかし今度ここにこういう法律ができて、新たに許可対象になるものとして、集団行進とかあるいは集団示威運動等が取り上げられ、はっきりこれは取り上げられることになるのです、四号によって。そうした場合に、一体現在ある条例とどういう関係になるのか。そういう問題は簡単に、これはこれで、東京都の公安条例集団行進等だけをねらったものであり、これはもっとほかの問題もあるということだけで私は済まない問題だと思うのです。
  16. 中川董治

    政府委員中川董治君) ただいま鈴木先生が御指摘のごとく、公安条例は、決して道路交通取締法に基づく条例ではございません。従いまして、この改正法案——現行法でも同様ですけれども、改正法律案が幸いに当院の御可決がありました後施行になりましても、この道交法七十七条一項四号が公安条例根拠規定になるということは全然ございません。もしも公安条例根拠規定を申しますれば、上は憲法に始まって、むしろ地方自治精神から出てくるわけですが、憲法二十一条と地方自治規定両者から出てくるわけですが、その両者に基づいて、定法といたしましては地方自治規定でございます。地方自治法第十四条に、地方自治目的を達成するために条例制定権が明定されているのであります。その地方自治法十四条の規定根拠規定でございます。その点は、鈴木先生の御指摘通りでございます。  第二の点は、ちょっとお話を承っておって感じたことがあるのですが先生の言い違われた点であろうと思うのですけれども、この法律については、決して条例を設けないのであります。この法律は、お読みいただいてもわかりますが、現行法もそうでございますが、公安委員会が定めるのでございますので、公安委員会規則で定めるのを例とするのであります。従いまして、そういう関係におきまして、条例とは全然関係ないと、こういうことに相なるのであります。その点は、鈴木先生と同じ考えをもっております。  第二の点でございますが、同一行為両者規制するというのはおかしいのじゃないかという点につきましては、過般来私が申し上げた原理によって可能であるということを一つ御了承いただきたいのであります。  それからまた、この法律は、集団示威運動とか、集団集会等のみを目的としていないということは御理解いただいておりますが、また同時に、同じ意味でございますが、公安条例は、道路における交通の危険と安全のみを目的としていないのであります。公安条例は、道路における交通の安全と円滑のみを目的としていないのでありまして、先ほど来申しておりましたように、まず、その対策が道路交通関係ない事項を一ぱい含んでいるということが一つであります。それから、規定内容が、道路交通の安全と円滑のみを目標としていないのでありまして、一般社会生活の平穏、安全というものを主たる目的としているのでございますが、目的が全然両方違うのですけれども、重なる面がないかとおっしゃると、重なる面もあると申し上げているのであります。重なる面があった場合にどうするんだということになりますと、先ほど来申し上げた方法で調整し、国民利便等もはかっているのであります。
  17. 鈴木壽

    鈴木壽君 そうですね。私は、各地条例がこの法律によって作られたのではないということを申し上げたのですが、それは私も認めますが、中には、現在の道路交通取締法関係法令の中から漏れたものについて規制をするというような形で作ってあるところもあるんです。ありますね。いずれまあそういう問題もありますが、それを言うのはまあここで一応やめますが、そこで、確かに公安条例は、道路におけるその問題だけでなく、他の場所についても許可を取らなければならぬということになっていますから、これとは全然同じだという意味じゃないのです。ただし、問題の対象は、公安条例におけるそれと、それから今度の法にできますところの七十七条一項四号の中に入ってくるその問題とは、これは同じものはたくさんあるのですね。まあたくさんというか、集団示威行進等が同じものとしてやられるわけですね。その場合に、私は、一つは、先ほどお聞きしておったように、重複するような形をとらせるのはおかしいのじゃないか、こう言ったら、あなたは、重複しないような形でやりましょう、そういう方法もできるんだ、こういうふうにおっしゃったのだが、もう一歩突っ込んで、こういう問題をいわゆる許可制という形において取り上げなければならないということに対しては、これはまた私、一つの問題として考えて見なくちゃならぬと思うのです、許可制として。現在の東京都の公安条例なり、各地公安条例において、裁判所等において問題になっているのは、一般的な許可制をとることが違憲あるいは違憲の疑いがあるのだ、こういうこになっている。そうすると、ここでまた、単に道路というところに極限したとはいいながら、道路交通の安全なりあるいは秩序なりを保持するという、そういう目的であるとはいいながら、ここにまた許可制をとらなければならなかった理由、この点を一つお伺いしたいと思うのです。
  18. 中川董治

    政府委員中川董治君) これは、この法律と別問題といたしまして、公安条例規定許可制にするか届出制にするかということは、条例なり立法の一つの政策だと思います。いろいろ私どもも、憲法の学説その他本を読んでよく承知しておりますが、公安条例は、許可制でなくて、届出制でなくちゃいけないという論者も確かにございます。ところがまた、公安条例は、ああいうようなことで、憲法との関係がまさしくあるのだけれども、許可制という制度をとるのも憲法上許される、こういう論者もございます。従って、公安条例の立法政策として、届出制、許可制両方の意見が成り立つという点につきましは、私たちは、全く両方の意見ともに成り立つと、こういう点につきましては、私どもは、そういうことについて、その通りだと思うのであります。以上が公安条例に関するお答えです。  今度は、この法律案につきまして、鈴木先生の御意見についてお答えしますが、この法律案は、道路交通に支障があるような行為許可制にするか届出制にするかということについて立案者が考えたかどうか、あえて許可制に踏み切った根拠を示せと、こういう御質問と了解いたすのであります。この法律案を許可制に踏み切りましたのは、許可制と申しましても、現行道路交通取締法のこれに対応する規定は全く許可制でございまして、許可の基準等も書いてございませんけれども、私どもの今度の改正案では、許可制にし、なおかつ、許可の基準を第二項に明記いたしたのであります。その点は、現行法よりも鈴木先生考え方に近い方向をとっておるのであります。現行法は完全許可制であるにかかわらず、改正案は、許可制ではございますけれども、許可基準を法律に明定するという方法をとっておりますので、届出制的色彩を盛ったということが言えようかと思うのであります。しかしながら、言うまでもなく、一項で明記しておりますように、許可行為を要件といたしますので、その意味においては許可制でございます。はたしてしからば、なぜ許可制にしたかということになるのでございますが、この許可対象になる行為の中につきまして、例をあげて申し上げます。  たとえば、京都のお祭り。私は、京都のお祭りというものは具体的には知りませんが、京都祇園祭りといって、ある道路を、歩道も車道も全部含めて、短時間であるけれども、一時間くらいはみこしが全部使うと、こういうことがどうしても祇園祭りで社会慣行上必要だという場合におきましては、道路交通の面からいうと大へん困るのですけれども、時間を限るという場合においては、ある程度社会慣行上やむを得ないような場合がなしとしないのであります。祇園祭りがそれに該当するかどうかは別といたしまして、そういう場合が私はあり得ると思うのです。私のいなかではそういうものが確かにありまして、みこしが道路を一ぱいに通る、これは確かにあるのです。そういう祭りをやらさせないことにするのも一つの方法でございますけれども、多年の慣行で、そういうものを認めざるを得ない。もちろん、時間その他は制限しますけれども、そういう場合におきましては、他の条文の規定に全部ひっかかってきます。まさしく、この間申しましたように、十一条にひっかかってしまう。その他この法規の一般規制に全部ひっかかちゃいますので、それを救うためには、どうしてもこれは許可制にして、そういうやむを得ない場合には一つ許可で認めると、そういう許可で認めるということになると、その許可を受けた限りにおいては合法でございますので、許可を受けた限りにおきましては、その行為は、この法律におきましては、道路を使用するという観念に当てはまるわけです。道路交通するというよりは、むしろ使用するという観念に私は当てはまると思うのです。祇園祭りのある時期に、ある道を全部使用してしまう、こういう観念に当てはまる場合があり得るのであります。そういう場合におきましては、どうしても届出制では解決できないと、こういうこともございますので、許可制をとらざるを得ない。許可制をとることによるところの公共福祉関係が非常に大きいと、こういうことに相なるのであります。しかしながら許可制とは申せ、その相手の顔色を見て許可するとか何とかということになれば大へん申しわけありませんので、そういうことであってはなりませんので、この法律案七十七条の第二項の規定におきまして許可基準を法律で明定しておりますようにお願いいたしたいと、これが届出制的要素を用いておるのであります。それで、その点は、現行法改正案のごとき第二項の規定がないという点でございますので、その趣旨からいえば、鈴木先生の御趣旨に沿うのでありまして、現行法改正に努力した私どもは、鈴木先生にほめられるという考えを持っております。
  19. 鈴木壽

    鈴木壽君 いや、趣旨の沿い方がまことに少ないので、私は申し上げておるのでありますが、これは、お祭りのようないわゆる道路を使用するのだというようなものと、いわゆる集団行進なんというものとは私は違うと思うのです。行進ですからね。ですから、これはあくまでもやはり道路の本来の使用目的に沿った、ただ形の上での、いわゆる集団という形をとった、それだけなんで、おみこしやお祭りの行事で、いわゆる道路をそこに使用し、専用するというものとは私は違うと思う。  そこで、その話はそれでいいのですが、こういう問題を、これはあなたは、いろいろ許可原則的なように考えておるのだというような意味の発言がありましたが、やはり届出制にして1私は特に集団行進等をただいま問題にしていますよ。届出制にして、そうしてあなた方のいう交通の妨害となるおそれが明らかである、公益上どうも大きな支障があるということが明瞭に認められる、予見せられる、こういう場合に、いろいろな条件をつけて許可をするということが、この種の問題の取り扱いにおいて、私は一番妥当な方法であろうと思っておるのです。先ほども申しましたように、これはあなたは専門家ですから、百も承知でございましょうが、現在の公安条例の違憲あるいは合憲の問題の一番大きなポイントになっておる点は、一般的な許可制をとることがいけないのだという点、これにあると思うのです、一つは。その他にもないわけじゃないが、それが一つの大きな問題だと思うので、いわゆる基本的な人権に関するこういう問題を、許可を取ってやらなければならないというところに人権の侵害なり制約なりということがあるのだと、こういう考え方に立つと、私は当然そういうようなことになると思うのです。ですから、こういう問題を一緒くたに、お祭りだとか、あるいは何とかいう、道路の上で踊りをやるとか、おみこしでいろいろなことをするとか、仮装行列をやるとかいうことと、私は根本的に性質が違うものだと思うのです。であるがゆえに、公安条例においてもそうでありますけれども、特にこういう法律を作る場合に、他のものと一応区分けした形において取り扱うことが至当であり、もっと具体的にいえば、それは許可制でなしに届出制にして、先ほど言ったように、特に交通の妨害あるいはいろいろな支障、公益上明らかに悪い影響があるというふうに思えたものに対する条件を付したところの許可ということがとられなければならないと、私はそう思うのです。
  20. 中川董治

    政府委員中川董治君) 私、鈴木先生お話を承って考えたのでございますけれども、集団示威運動というもののみを目的として論じた場合におきましては、鈴木先生の御議論は、私は傾聴しなければいかぬと思います。それで、先ほども申し上げましたように、公安条例を作るときに、許可制にするか届出制にするかということになると、届出制がいいという御趣旨のように拝聴したのでございますが、それも一つのりっぱな意見だと思うのであります。現在の公安条例は、許可制と届出制と両者ございますけれども、学説も二つあると申しましたが、そういうゆえんであろうと思うのであります。都道府県が作りました公安条例は、同時に、許可制、届出制の両者がありまして、両者とも私は成り立つと思うのでありますが、そういった関係等は、いろいろ憲法上の問題もございますので、ただいま最高裁判所等において御審理中でございますので、その御審理の結果を待って論ずべきが正しいので、私どもといたしましては、書生論を申し上げる考えはございません。私どもは、いわゆる公安条例と申しますか、集団示威運動というものを対象にしたときに、届出制も一つの考えであったという一つの証拠資料だけ申し上げますが、昭和二十七年に当国会に内閣が提案いたしました法律に、集団集会等秩序保持に関する法律案を当時内閣から二十七年に国会に提案をいたしました、集団集会目的として。それは当院で審議未了になったのであります。審議未了になって、成立をいたさなかったのでございますが、その当時、内閣が提出した法律案は、集団集会とかに対しまして届出制を当時の内閣は持ったのであります。私どもは、そのときその立案に若干参与したのですが、そのときには、国の法律としては届出制がいいと、こう考えたのであります。国の法律としてはということであります。地方によっては、条例許可制のものもあります、都道府県条例でおきめになっているのは。当該地方団体の御見識を批判するわけでございません。ところが、この法律は、申し上げますが、集団行進目的としてないということは、しばしば申し上げた通りであります。ただし、道路交通の安全と円滑をはかるために、こういう行為一つ入ってくるということを申し上げたのであります。入ってくるのはいかんのであって、こいつを法律の明文で除けというのも一つの御議論だと思うのでありますが、まあ考えてみまするに、除くという対象になりますものに、国の法律がまずございません。国の法律がまずございませんので、除き方につきまして、国の法律としては大へん困難を感ずる、こういうことに相なろうかと思います。まず第一に。それからその第二には、公安条例というものは、資料にも差し上げましたごとく、全国至る所のすべての公共団体が作っておるのにあらずして、作っていない公共団体も少なくないのであります。そうすると、ここに除いてしまうと、それがブランクになってしまう。こういうことに相なるのが第二点。第三点について申し上げますが、第三点は、同一行為につきましては同様の規制を受けるというのが公平の原則かと思うのであります。たとえば、葬式と結婚式と、これは、片方は悲しくて、片方はうれしいのですが、ただし、道路交通を妨げるという見地におきましては同様の規制を受くべきものである。こういうふうに理解いたすのであります。その意味におきまして、集団示威運動目的もわれわれ大いに理解するのでありますが、集団示威運動目的を批判するものでございませんけれども、葬式と結婚式の話をいたしましたけれども、目的がそれぞれ異なりますけれども、結果において、道路における交通の安全と円滑という角度から見れば、平等な法律規制を受けるというような法律構成の方が、平等の原則からして正しいものである。従って、この規定からわざわざ法律をもって除くということは適当でないと、こういうふうに考えるのであります。従いまして私は、第一点、第二点、第三点と申しますが、第一点、第二点、第三点によりまして、鈴木先生のようなお考えをとらないで立案いたした。こういうふうに相なろうかと思うのであります。
  21. 鈴木壽

    鈴木壽君 まあ、これは、第四号の中にはいろいろなものが含まれるのですから、そういうものを一括した形において取り上げた、特に集団示威運動だけを対象にしたのじゃないのだと、こういう御説明で、その限りについては、もちろん了解できます。しかし、その中にとらえられておる集団示威運動等がたまたま他の公安条例等にも取り上げられ、しかも、それが今問題になっている基本的な人権等についての論議の中心になっている問題なんですね。この法律の中に含ませるのがいいとか悪いとかいうことのほかに、そういう観点から私申し上げているのです。ですから、含ませる場合もあるかもしれない。この法律の中にね。しかし、そういう問題は、単にお祭りの余興として道路上で踊りをやるとか、あるいはロケーションをやるとかということは、私、相当性質の違った問題として扱われなければならぬ。これは、道路等を集団で行進することによって、お互いに共通する目的なり、お互いの抱いておる考え方なり、そういう問題を外部にいわゆる誇示する一つの当然のわれわれの自由なり、あるいは表現についての権利を認められた一つの形態なのですね。そういうものとほかのものと一緒くたにして考えるということは、私は誤っておると思う。確かに道路においての、あるいは、場合によっては、多少の交通の妨害というようなことも出てくるかもしれませんけれども、ですから、そういう問題は別途に措置をしなければならぬ問題であると、私はそう考える。第一、そのあなたの今お話しの三点のうち第二点、ここで許可制をとらなければ、他の公安条例を作っておらない所では困るようなお話がありましたね、お答えの第二点として。全国都道府県あるいは市町村至る所にそういう条例があるわけじゃないから、そういう漏れた所に、こういうものを法律として作っておかなければ困るというようなお話があった。いわゆる公安条例と呼ばれるものがない地方団体においては当然これにかかって、この法律によって、今度は、新たにそういう集団行進等を行なう場合には、許可をとらなきゃいかぬということになる。今まで公安条例のない所では、あるいは警察と話をするとかなんとかいうことであるいはできたかもしらぬけれども、はっきり今度は、そういうない所に、こういう法律ができたと、現行法では、どうもそういうようなこまかいことまであなたは規制しておらないと、こういうようなことをもし前提とするならば、今度新たにそこの所は許可制によってやらなきゃいかぬという問題が出てくる。そうすれば、根本的にこういう問題を許可制ということにして、一般的な許可制にすることが正しい妥当なものかどうかということは、何べんも申し上げますように、やはり問題だと私は思う。届出制にして、そこに適当な条件をつけるなり、場合によっては許可しないこともあるいはあり得るかもしらぬけれども、原則的にはやっぱりそういう自由というものを認めた立場に立つことが当然の措置であり、立法をする際には、そういうことが当然これは私考えられなきゃならぬと思うのですがね。
  22. 中川董治

    政府委員中川董治君) まず、お答えに先だって申し上げたいのですが、現行法の二十六条第四号は、「道路において公安委員会の定める行為」と書いてありますが、まあ何でも定められるのです。それで、現在その証拠が、この集団示威運動について申しますと、現行法規定によりまして、公安条例でなしに、公安条例を作らぬこととし、この公安委員会規則集団行進を定めている公安委員会は少なくないのであります。従いまして、お答えになるのですが、現行法でもやっておりましたので、改正法案でもやり得るということは現行法と全く同じでございます。それが一つ
  23. 鈴木壽

    鈴木壽君 ちょっと……。あなたは、公安条例のない所があると、ない所があるから、ここにやはり許可制をとつておかないと困るというようなことを、先ほどあなたの答弁の第二点として言われたと私は記憶する。だから、ない所は、現在の法律で、道路交通法のこれによってもやりょうがないでしよう。その辺をもう少し……。
  24. 中川董治

    政府委員中川董治君) その点をお答えをしておったのですが、もっと具体的に申しますと、現在公安条例がない所、公安条例はないけれども、この道路交通取締法のこの規則によって、二十六条一項四号によって、集団示威運動公安条例でなくして、公安委員会規則で制定している所が現在あるわけです。その点は、現行法改正法と全く同じであるということが一つ。付け加えて申します。しからば、現在の公安条例もなく、現在公安条例がある所は除いてしまいましょう、公安条例のない所で、この現行法のこの道交法で、デモ関係公安委員会規則にきめている所ときめていない所とあります。その点は改正法でも全く一緒で、きめている所をやめろとも言わぬかわりに、きめていない所をやれとも言わない。きめていない所をやろうと思えば幾らでもできます。改正法でなくてもできる。今でもやれる。その自由は公安委員会にまかす。こういう点は全く一緒です。
  25. 鈴木壽

    鈴木壽君 そこで、全然公安委員会等において規則も作っておらない所があるわけなんですね。作っておらない所をもう一度念を押して伺います。
  26. 中川董治

    政府委員中川董治君) 公安条例も、この現行法規定によっても作っていない所もあります。片方だけ作っている所もあるし、両方作っている所もあるし、片方のうち、こっちだけ作っている所もある、こういうことであります。
  27. 鈴木壽

    鈴木壽君 そこで、いわゆる全然条例もないし、公安委員会規則等においても定めがない所もあるとすれば、それは私、一般的にというふうに聞き取れたので、あなたのお答えになったことを私あるいはちょっと勘違いしておったかもしれません。それは取り消しますが、全然双方ともない所……。だから、あなたの言ったのは、双方ない所があるから、やはりこういうものを作って、許可制になるようなものを作っておかなければならないというふうな御答弁であったように私は聞いたんです。
  28. 中川董治

    政府委員中川董治君) きわめて正確に申しますと、そういう意味では全然ございません。さらに申せば、現在公安条例を作ってもいない所が、現行法によって公安委規則を作っている所——鈴木先生のお説に従いますと、作っているのをやめよ、こういうことを言う考えはない、こういうことであります。
  29. 鈴木壽

    鈴木壽君 私はそんなことを言っているんじゃないんです。あなたの御説明の中に、全然公安条例もないし、それから公安委員会の中でこういう問題についての取りきめもしておらない所がある。こういうことですね。そうして私、先ほど聞いたのは、もし誤っていれば取り消しますと、こう申しましたが、そういうものも全然ない所があるから、ここにやはりこういうものを作って、許可制にしておかなければならぬというふうにあなたがおっしゃったように聞いたから、なおさらこれは変な問題じゃないかと、私はこう思ったんです。そこなんです。
  30. 中川董治

    政府委員中川董治君) そういう趣旨では全然ないのでございます。
  31. 鈴木壽

    鈴木壽君 今度の七十七条によっての許可申請というようなこと、これは、時間的にどういうふうに定めますか。新たに、もう少しこれはこまかい規則等のようなものができますか。
  32. 中川董治

    政府委員中川董治君) 七十八条のいろいろなごまかい点でございますね。手続上のこまかい点は、提案いたします法律の七十八条の一番しまいをごらんいただきますと、第六項に、様式だとか、その他手続に関して必要な事項は総理府令で定める、こういうことに相なっております。ところが、総理府令では、様式例等を定める意思はもちろんございますけれども、何時間以内に持ってこいというようなことを、ただいまのところは、総理府令で考えはございません。
  33. 松永忠二

    ○松永忠二君 関連してちょっとお聞きしますが、そうすると、集団行進、示威運動について、公安委員会がこれを届出あるいは許可を求めることをきめてない所は、全部これには該当しないわけですね。
  34. 中川董治

    政府委員中川董治君) お答えします。  現行法でも改正法でも、公安委員会がきめなければ、全部動かないのです。極端に申しますと、現行法でも改正法でも、第四号の規定に基づいて、公安委員会は何もきめない、こういう場合は、葵祭りであろうと祇園祭りであろうと、全部該当しない。きめなければ動かないという点は、現行法改正法も全く同じであります。
  35. 松永忠二

    ○松永忠二君 長官にお聞きしますが、そうすると、今問題になっている示威運動ですね。これについて、公安委員会が何らその届出も許可のこともきめてない場合には、これは該当するものではないということなんですか。
  36. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) 現行法におきましても、公安委員会規則で、現行法の第二十六条四号で、公安委員会で定めておらないところは、そういうものの規制はいたさない。今度の本法案における七十七条四号において、公安委員会でそういうことを定めなければ、何らの規制をしないということに相なっておりまして、現行法と何ら変わっていない。むしろ現行法をしぼって、例示をし、さらに二項以下におきまして、いろいろと許可の仕方その他について、精確に手続を定めるということをいたしておるわけでございます。
  37. 松永忠二

    ○松永忠二君 そういう点になると、前の表現の方が非常にはっきりしているということにつきましては、私たちそういうことを感ずるわけです。お話のようなことは、前の政令については、表現として非常に明確によく出ていると思うので、令の六十八条の十三に、「前各号に掲げるものの外、その土地における気候風土又は交通状況に応じ公安委員会道路における危険又は交通の妨害を防止するため必要と認めて定めた行為をすること。」と、こういうふうに、非常に明確になっているわけです。こういう点については、第四号に、今お話になっているような言葉表現することによって、むしろ非常に明確を欠いてくるという点もあるし、あるいは、今お話の出ているような問題等について、いろいろ論議されている段階において、むしろこういうふうな表現をすることによって、それを規定しなければならないような印象を受けることになりはせぬかという点をわれわれは心配するわけです。だんだんの説明で、前の規定と同じようなことであるということについては、よく御説明を聞いていれば、だんだんはっきりもしてくるし、字句、文章でも、そういうことはいってはいると思うのでありますが、こういう点について言うと、非常にすっきりした形で前には規定をされている。第二十五条に、「交通の妨害となり又は交通の危険を生ぜしめるような行為で命令で定めるものは、これをしてはならない。」と、命令に定めるものを具体的にそこに出して、それもはっきりと、「公安委員会道路における危険又は交通の妨害を防止するため必要と認めて定めた行為をすること。」というふうに、はっきりしているので、非常に明確だと思うのです。ところが、今度のは、非常にその中にいろいろな文章表現をしておるために、むしろ非常に誤解を受け、あるいは、こういう規定を積極的に奨励するかのごとき印象すら与えられるわけなのです。こういう点がやはり問題になっていると私は思うのです。端的に表現する方がいいのではないかというような気持を持つのであります。こういう点については、前の方が明瞭だという考えを持つのでありますが、なぜこういうふうな長たらしい文章表現をしなければできないのかわからないのです。こういう点が、ちょっと難問だと思うのです。
  38. 中川董治

    政府委員中川董治君) 松永先生に申し上げますが、ちょっとお持ちの新旧比較表をごらんいただきたいのですが、松永先生お話になられましたのは、現行法では二十五条第十三号でございます。これに対応する規定は、ちょうどその上の七十六条第七号です。これとこれとが対応いたしますので、これは文字も大体よく似ておるのですが、その点は、全く松永先生の御主張の通りになっておると思うのです。おそらく松永先生誤解されたと思うのですが、七十七条をごらんいただきたいのです。七十七条の四号に当たるのは、その下の方が、これは段の関係で右に寄っているが、第二十六条第一項第四号となっております。これは、御案内のように、「道路において公安委員会の定める行為をしようとする者」、こういうふうに、きわめて簡単に書いてあるのです。今度の新しい案の四号は、まず字数が多いという点は、松永先生のおっしゃる通りでございます。ところが、内容はどういうことかと申しますと、しばしば御説明しておりますように、「道路において公安委員会の定める行為をしようとする者」と書いた文字は、改正案でもあるのでありまして、四号のしまいの方をごらんいただきますと、しまいから三行目を見ていただきますと、「公安委員会が」「定めたものをしようとする者」、これは全く同じものであります。「公安委員会が」「定めたものをしようとする者」、全く同じなのです。公安委員会が定めない以上はもう話にならない。こういう点は全く一緒であります。公安委員会の定めたものとなぜ書かないで、一ぱい書いてあるかということになるわけですが、一ぱい書いたゆえんは、そういうふうにきわめて簡単に、「公安委員会の定める行為をしようとする者」と書きますと、公安委員会はオールマイティになりまして、何でも定めることができる、こういうふうに読めるのであります。そういうばかなことをする公安委員もないと思いますけれども、極端なことを言いますと、夫婦で道を歩いてはいけないと、こういうふうなことも書けそうですが、そんなばかなことは出てこないでしょうが、書けそうです。それでは憲法精神を没却するもはなはだしいことでありますので、そういうことがあってはいけないので、その公安委員会の定めについて、公安委員会が定められるのはこういう条件がなければ定められないのだということを、公安委員会権限乱用に陥らないということを法律に期待しなければいけませんので、それでこういうことを書いたわけであります。
  39. 松永忠二

    ○松永忠二君 公安委員会の定めることを、くだらぬことを定めるといかんから、この法律できめるなどということはもってのほかです。道交法できめるようなことではありません。そんなことは、私に直させれば、四番は、前号に掲げるもののほか、その土地における気候、風土または交通状況に応じ、公安委員会道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑をはかるため必要と認めて定めたものをしようとする者と、こうすれば、前にあったものをそのまま使って、そのまま表現することができるわけです。そんなことを、「道路において祭礼行事をし、又はロケーションをする等一般交通に著しい影響を及ぼすような通行の形態若しくは方法により道路を使用する行為又は道路に人が集まり一般交通に著しい影響を及ぼすような行為で、公安委員会が、その土地の道路又は交通状況により、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図るため必要と認めて定めたものをしようとする者」と、そんなくだらないだらだらした文章を書くから、いろいろ誤解を受けるのです。公安委員会がとんでもないことをきめることが心配だから、道交法公安委員会のきめることまで制約するなんて、そんな余分なことをおっしゃれば、これは大へんな問題だと私は思うのです。それだから私は、ここに書いてあることは、前の条例、前の法律やあるいは施行令の方を取り入れてやるとすれば、その通りにも表現ができるし、また基本的には、鈴木委員お話のように、大へんこれはそのあととも関連してやはり考慮すべきだという主張が論ぜられておると思うのです。だから、一歩前進した形の鈴木委員の意見もあるし、またそこまでいかないにしても、またこのやり方については、公安委員会のきめたものでなければ決してこれはこれを問題にすることはない、従前通りであると、こういうならば、従前通りの非常に明確な、ちゃんと、「公安委員会道路における危険又は交通の妨害を防止するため必要」と、ちゃんと明確に規定してあるのであって、夫婦で歩いたりしてはどうのこうのなんということは、はなはだしい変な僕は引例だと思う。そんなことは明確に、交通の妨害を防止するためというようなことの前提を認めて、はっきりそこに出ていることであって、そんな何か余分な説明を聞かんでも私たちわかりますから、そういうふうなことで、私は、そういうことも規定として非常にあいまいだということを申し上げているわけです。
  40. 中川董治

    政府委員中川董治君) 公案委員会を大へん御信用いただいて、まことに感謝するのですが、公安委員会が変なことをするという考えはもちろんございません。もちろんございませんが、これは、皆さん御了解いただきたいのですが、今日の憲法政治の根本は、国会の立法権というものを非常に尊重する。それで、なるべく政令などに譲らない。政令というのは、内閣という行政機関が定めるものですから、その行政機関の定める政令よりも、公安委員会もりっぱな機関でありまして、大いに信用していただきたいと思うのですが、やはりこれは行政機関でありますので、行政機関の定めよりも、国会の法律の方がより優先する。行政機関の定めっぱなしにしないで、なるべく国会の法律に書くというのが、今日の国会審議権尊重ということが憲法政治の根本だと思うのですが、そういう趣旨を実現するために書いたのである。こういう点でありまして、公安委員会が変なことをするという意味ではございませんので、変なことは決してしないのでありますけれども、憲法政治の根本で、国会の立法権を尊重する書き方が近代的でありますので、そういう新憲法的にこの現行法を直したと御理解いただいた方がむしろ適当であったかと思うのであります。  それから、言葉を返すようで恐縮なんですけれども、「危険を防止し、」と、これはぜひ書かなければならぬと思うのですが、現行法ではそういうふうに書いてない。それでこういうふうに書くのが国会の審議権を尊重するゆえんであると、こういうふうに考えたわけであります。そこで、公安委員会が夫婦で歩くのを抑制するという意図がないばかりでなしに、そういうことを御心配いただいてもまことに困まりすが、これは、大いに御信用いただくのは非常にありがたいと思っております。
  41. 鈴木壽

    鈴木壽君 公安委員会で定めなければ対象にならぬ、それはその通りでしょう。しかし問題は、私は何べんもさっきから言っているように、公安委員会が定めないとそういう場合には問題にならぬと、こうおっしゃるのは、それはその通りでしょう。ただし、あなた方が、いわゆるここに、四号の前段の方にありますところの、「道路において祭礼行事をし、又はロケーションをする等一般交通に」対する云々と、こうある中に、そういう形態のものはこれこれこれこれだ、こういうふうにあなた方は予想しているわけですね。そうしますと、公安委員会といえども、当然それを受けて、そういうものをこれは規定せざるを得ない。それをやらなかったら少しおかしいことになるでしょうね。法律ではこうこうこういうようなことを予想しているのだと、ここでは書いてないのだけれども、そういうものをもっと具体的にする場合には、やはり公安委員会では書くでしょうし、また公安委員会で、このような具体的なあげ方をしなくとも、一体それならば、公安委員会が定めるものをしようとするときは、一体その内容は何かといえば、一から八まであなたはお書きになったのだが、当然やはり一から八まで書いてくれたようなものが対象になる。従って、六、七等もあなたが書いたのでしょうが、この六、七も含まれるでしょう。そうすれば、こういう問題に対して、やはり法律ではっきり許可制をとらなければならないということがきめられてくる。だから、そういう根本的な問題について、法律許可制をとらなければならぬということをきめることが一体いいのか悪いのかという根本的な問題を私は問題にしている。
  42. 中川董治

    政府委員中川董治君) お答えいたします。  この前もお答えいたしまして、本日資料で一から八まで掲げたのでありますが、一から八まで掲げたのは、ここに書いてある項目が、どれだけ該当しそうかという御質問でありましたので、該当するであろうということを私考えたのですけれども、人間の頭には限度がございますので、その考えの元は、頭の中で考えたというよりも、現行法の二十六条の一項四号で現に公安委員会が定めているのがあるのです。それを見て書いた、こういうのが実情なんです。現行法の二十六条一項四号という規定がございますが、ここにいろいろなことが書いてありますが、それを見て、ずっと抽出して書いた、これが実情でございまして、その点をまず誤解を解いていただきたいのでございます。  それからその次には、そこに書きましたのは、それを公安委員会が定めるというようなことを法律でもいっておりませんし、それから定めなくちゃ義務違反にならないかというようなことは全然ございません。こういう一から八まで書いた項目を公安委員会が全部定めるという考えはございませんし、それを書いたもとは、現行法規定によって——現行法は何も条件を書いてございませんが、現行法規定によって、各府県でやっております事柄を拾い出して書いた。こういうことが実情でございますので、その実情を御了解いただけば、誤解は全部氷解すると思います。
  43. 鈴木壽

    鈴木壽君 実情がこういうふうになっているから、なおさら危険性があると思うので、あなた方が頭の中で考えて、法律ではこのようなことを考えているのだということが一つと、それから、現実には、こういうものが各地公安委員会等において作られているのだという、こういう二つ考え方と、事実の上に立って示したものは、これは、当然今度新たにそういうものを作らなければならない公安委員会にとっては、それは無視するわけにはいかぬでしょう。
  44. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) きょう提出いたしましたのは、先ほど中川君から申しましたように、実情に、実際がごうなっているというものを基礎にして作ったわけでございますが、今度の法案におきましても、現行法考え方は何ら変わっていない、われわれの考え方は何ら変わっていない。従いまして、この法案ができれば、各都道府県公安委員会で、この第七十七条一項四号に基づいて、規則をどんどん作っていくというような考えもまた持っていないのは、現在そういうことを指導もしていないのと同様でございます。この際、全文改正の際に、非常に現行法がばく然と書いている、「道路において公安委員会の定める行為をしようとする者」ということで、読みようによっては、常識をはずれてはいかぬですが、何でもきめられるような規定になっているので、それを、憲法精神に基づいて、四号で相当詳しく書いて、それに基づいて、許可しなければならない場合というものを二項で書き、その他手続的なものを精確に書いて、むしろ届出制に近いような考え方で立案したつもりでおります。決してこの法律ができたために現在よりもきつく運営される、規制がさらに強くなるということは、法律趣旨としては毛頭ないわけでございます。むしろ正確に憲法精神にのっとって運営されることを期待して立案したつもりでございます。御了承をお願いいたします。
  45. 鈴木壽

    鈴木壽君 現行法通りであるということが一つと、それからさらに、これが許可制というよりも、むしろ届出制に近いものとして立案したのだというお話なんですがね。たとえば、第二項の一号の「現に交通の妨害となるおそれがないと認められるとき。」それから三号の、「現に交通の妨害となるおそれはあるが公益上文は社会の慣習上やむを得ないものであると認められるとき。」こういうことがあるから、大体、あるいはあなたのお述べになったような趣旨も、私全然わからないわけでもないですがね。一体それならば、デモというようなものは、交通の妨害となるおそれは全然ないわけじゃないが、「公益上又は社会の慣習上やむを得ないもの」というような認め方に立って、それを認めることができるかどうか。あなた方の立場においてどうです。
  46. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) 原則的には、今お話のように、デモというものは、原則的には認めていくという考え方であります。
  47. 鈴木壽

    鈴木壽君 それなら、私はやはり届出制にすべきだと思う。原則的にそうあなた方が、多少の交通の妨害となるおそれはあるけれども、公益上または社会の習慣上、これは一つのやむを得ないものであり、単に習慣上とか公益上とかという抽象的な言葉でなしに、私は先ほども申し上げましたように、こういうものは、憲法で保障されている基本的な人権の大きな要素をなしているという立場に立つならば、当然私は、許可制法律で縛るよりも、届出制にして、特に必要があった場合には、条件を付したり、あるいは、場合によっては許可しない場合もあるいはあり得るかも知れないけれども、それはあくまでも特別の事情ということで、原則的には、許可制でなしに、届出制としてやるべきだ、こういう私は考え方で、そういうふうにすることが、ほんとうに憲法趣旨に沿った法律を作る場合の考え方建前として認めなければならぬものだと私は思うのです。やはりそれはだめなんですかね。
  48. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) この法律の基本というものが、交通の危険を防止し、安全と円滑をはかるということの観点に立って、あらゆるものをいわば物理的に考えていくということになるわけでございます。従って、そこにどういう政治的な意図とか、あるいは芸術的な考えとかというようなものを尊重するということは、これはけっこうなんでありますが、いやしくも道路の通行を妨害するというようなものについては、一律に規制対象にしていく。しかしながら、二項で申しますように、そういう妨害になるものでも、できるだけこれを許す必要のあるようなものについては許していくのだということをうたっておるわけでございまして、また、許可にいたしませんと、たとえば、この許可をするということから、同時にそれは堂々とやれるということになり、一面においては、他のものがそれによって自由を束縛されるという問題が出てくるわけでございます。そういうことまでもして認めるものは認めていこう。たとえば、メーデーの際に長い時間行列をして歩きます。しかし、これは慣行上当然行なわれるべきものであるということになりますと、その時間においては、その道路における自動車の通行というようなものを、たとえば片側にいたしましても禁止するという行為を、これは七条によってやっていかなければならないというようなこともあるわけでありまして、やはりこれは、現行法通り許可制にし、しかも許可というものについては、その行なわれることの性格に基づいて、できるだけ憲法精神にのっとった人権の尊重をしていこうということが、今度立案について非常にわれわれ苦心をした点でございまして、その点を御理解いただければ御了承願えるものではないかというふうに思うわけでございます。
  49. 鈴木壽

    鈴木壽君 最後に、時間もありませんから……。私は、これはやはりどうしてもこの問題は大きな問題だと思うのです。単にあなた方、物理的にすべてのものを規制しよう、道路交通の安全なり円滑という見地に立って物理的にやろうというところに問題があると思う。単に物理的問題だけで、私がしばしば聞いているこういう集団行進とか、あるいはデモ行進というようなものをそういう取り扱いでやって、だから許可にしなければならぬというような考え方は、私非常に危険な考え方だと思う。あなた方の答弁を聞いていると、やはり許可制をしいて、むしろ例外的に認めていこうというような気持さえ見える。原則的には堂々とやれるのだ、ただし、もちろん交通のじゃまになったり、著しい支障を来たさしたり、あるいは他の人に多大の迷惑をかけるというようなことについて、これは、ある程度の規制は当然必要だと思うのです。しかし、そういう考え方の逆に、メーデーのやつは、これは慣習上いいんだが、しかしどうも、というようなことで、むしろ例外的にこういうものを許して行なわせようというような考え方が私はあるんじゃないかと思うのです。お答え言葉の中から私はそういうふうに聞きとれる。ですから、あくまで私は——やはりこういう問題は、これはあなた方十分専門家で御承知の通り、私も先ほど申しましたように、公安条例で一番問題になっている点がこれなんです。そういうものを一般的に許可制にしてはいかぬ、こういうことが、かりに新潟の公安条例のあの判決を見ましても、合憲と認めながら、その点に関しては、やはり裁判所でも、これはだめなんだと、こういうことをはっきり言っておるのですから、それはもちろん最高裁の問題も残された問題としてありますから……しかし、あくまでも、やはり一つのこういう問題を取り扱う場合には、そういう基本的な人間の権利というものを抑圧するような方向では、私は物事は全然解決しないと思うのです。単なる技術的な問題でなしに……すべてを物理的に取り扱うのだと、こういうことでは、私は考え方としてはまことに困った考えだと思うのです。
  50. 基政七

    ○基政七君 お答え願う前に、私関連してお尋ねしたいのですが、今問題になっておりますのは、交通の妨害となるおそれがあるが、社会の公益上慣習上やむを得ないと、こういう公益上と社会慣習上というものが、通常いわれておりますデモなんかの場合をさしておって、それは常に優先するのだと、この法上それは一応優先するのだという考え方は、今の長官の説明で、妥当な解釈として受け取っていいですか。
  51. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) 鈴木委員の御質問に対してまずお答え申し上げますが、現行法において規定しているものを出ていないということは、これは御理解願えると思うのです。  それから、現行法上において裁判所の問題になったことはまずございません。公安条例について問題になっておりますのは、これは公安条例とは違うことは、先ほど中川君から申し上げた通りでございますが、かりに同じような重なる面があるといたしまして、公安条例で現在違憲等が問題になっております点は、この二項以後において全部解決されておるとわれわれは理解いたしておるわけでございます。  それから、基先生の御質問については、そういうメーデー等は、慣習的に認められたものということに理解できると存じます。
  52. 基政七

    ○基政七君 公益上の内容はどうですか。もうちょっと端的にお聞きするのですが、公益上の内容ですね。
  53. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) 公益上ということは、これは見方によっていろいろあると思いますが、少なくとも慣習上は認められているということになっております。
  54. 松永忠二

    ○松永忠二君 私は、だいぶ実は違っているという認識を持っているわけです。それは、こういう点から申し上げているわけなんですよ。この前は、特にここに出ている示威運動等関係する事柄については、この前の令六十八条の十三というところに、明確に、公安委員会が定めた行為と、現行法律の二十五条において、「交通の妨害となり又は交通の危険を生ぜしめるような行為で命令で定めるものは、これをしてはならない。」と、こういうふうにして、いろいろ規定をしている中に、こういうことはしていけないと書いてある。その中に、明確に、公安委員会がこういう判断のもとに必要と認めた行為をすることと、こういうふうになっていたわけであります。そして、その次の御承知のように第七十七条の中でいう警察署長許可権限というものは、令の第六十九条にあるように、許可を受けようとする者は、必要な事項等を記載して、そして届け出よと、そしてそれについて、「警察署長が前項の規定による申請に対し許可したときは、公安委員会の定める様式の許可証を交付するものとする。」こういうふうに規定しているのです。だから、たとえば、今の示威行進のような問題については、公安委員会が、この法律二十五条によって、危険ではなのかどうかという判断をしてきめたものについて、機械的に手続をして、警察署長はこれを必要な書類に基づいて認可をするという形をとったわけです。ところが、今度はそうじゃなくて、この第二項の中で警察署署長許可する基準を、つまり任意に、あなた方は明確にした、第七十七条に明確にしたという形において明確にして、そうしてその基準で、たとえば公安委員会の定めたそういうものについても、この基準に基づいて一応許可権限を持つようにしたわけだ。特に示威運動とか、そういうものについては問題はあるので、今までの法律では、明確にこれは公安委員会がそういう判断を決定する。つまり危険ではないという判断で決定をする。それについて警察署長は単にいろいろな手続に基づいて、手続をされたものについてそれを許可するということ、それから同時にまた、第七十七条の問題のない一、二、三というようなものについては、その前の法律の二十五条によって、それを受けて立っているこの政令の六十八条でこう明確にしてあるので、この点については、警察署長は判断をする余地はないはずです、こんなことはもう。法律でもちゃんときめてあるのだ。だから、そこで今一番問題になっている、公安委員会がこの道路等における交通の妨害を防止するため必要と認めた行為をすることときめた事柄については、これは、単に今までの警察署長一つ手続上の許可権限しかなかったわけなんです。ところが、今度新たに第七十七条の二項に警察署長の判断の基準を示して、警察署長において判断をするということになった。そういう点が私たちは違っていると思っているわけです。だから、そういう点からいうと、今までの特に問題の多いいわゆるデモ行為等を含んだようなそういう問題、「その土地における気候風土又は交通状況に応じ公安委員会道路における危険又は交通の妨害を防止するため必要と認めて定めた行為」、こういうものについては、あくまでその判断は公安委員会が判断をしてきめる、それについて手続的に規定したものをただ警察署長許可したというのを、今度はその判断を、つまり警察署長の判断の基準として取り入れてきたところに問題があるというふうに言っているわけです。これはやはり私はそうだと思うのです。そういうふうに私たちは理解をしているので、非常な大きな違いがあるので、そういう権限警察署長に、特に問題の多いそういうことについて、署長一つの基準を与えられて判断をするということについては問題がある。やはり公安委員会が判断をしたものについて、警察署長がその手続の備不備を見て許可するということなら従前通りであるけれども、基準を与えて、そういうものについても判断をさせるということは少し行き過ぎている。ほかのわかり切った事柄については、もう判断をするまでもなくて、今まではちゃんと政令に明確になっておって、はっきりしていたわけです。だから、今までの署長権限というのは、いずれも「命令の定めるところにより」という、「命令の定めるところにより」というのは、許可を受けようとするものはこういうふうにして届け出をせいということが書いてある。そういう形だったのが、今までと違って、特に問題の多いそういう問題について、基準を示して、警察署長にその判断をさせるということでは、特に今法的にも疑義のある問題、特に慎重を要する問題については、やはりそういう基準を与えて、警察署長が判断をするということは行き過ぎではないか、こういう考え方を持つ。従来のものとは、この項目に関しては、はなはだしく相違をしている事実があるということを私たちは指摘をしたいわけです。
  55. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) ちょっと松永先生誤解をしておられるんじゃないかと私思うのですが、法第二十五条は、これは禁止行為で、今度の法案の第七十六条に該当するものでございます。従って、法第二十五条と令の六十八条十三号に該当するのが今度の法案の七十六条の七号でございます。このただいま問題になっております七十七条は、一般的には、道路交通を妨害するということのために一応禁止をし、しかし、やむを得ないものについてはこの禁止を解除して、そうしてそれを行なわせようということを七十七条において規定いたしているわけでございまして、現行法の第二十六条と令の六十九条、これが法案の七十七条に該当するわけでございます。  それで、先ほど中川君から申し上げましたように、法第二十六条の一項四号におきまして、「道路において公安委員会の定める行為をしようとする者」というふうに単に書いておって、これに基づいて公安委員会が、先ほど例示を申し上げましたように、道路において集団行進をすることあるいは道路において集団示威運動をすることというふうにきめているわけでございます。これを警察署長許可にかからせているのが現状でございます。これを警察署長が勝手に……それを許可するしないということをきめる基準といたしまして、今度の法案においては、二項以後についてこまかく手続ないし精神規定いたしているわけでございまして、決して現行法趣旨と変わるものではないが、現行法運用をさらに正確に憲法精神に沿うようにやらせよう、そういう法律化をしようというのが今度の法案でございまして、その点は、御理解をいただきたいと思います。
  56. 松永忠二

    ○松永忠二君 しかし、私が言うのは、この前の第二十六条の、「命令の定めるところにより、警察署長許可を受けなければならない。」こういうふうに書いてある、そのことについては、その手続は令第六十九条に規定をしているわけなんです。従って、この手続規定に基づいて、結局その手続をされたものについて署長許可をしていくということになると思う。で、その許可の判断というようなものについては、従前は、特にそこにある令六十八条というようなものが前のところに出てきて、七十六条ですかにいろいろ出てきているわけなんです。しかし、今言ったような、問題になっているような、公安委員会が認めた行為ということについて、そういうことを何に基づいて判断をするかというようなことは、これは明確に規定はしていないと僕は思うのです。だから、今度の場合には、すべてその二項に基づいて判断をしていくという結果になると思う。だから、そういうことを私は申し上げているわけなんです。
  57. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) 現行法におきましても、これを運用するにつきましては、現行法の二十六条の一項四号において「公安委員会の定める行為」というのは、われわれの期待いたしておりますのは、今度の法案の七十七条一項四号のようなことを考えているわけでありますが、それが必ずしも正確に行なわれないおそれも出てくるということで、それをはっきり書こうというのが一項四号でございまするし、警察署長許可にあたってその窓意を働かせるということのないように、これは、法律があろうとなかろうと、警察署長として許可をする権限と義務がある以上は、当然その良識に基づいてやらなければならぬわけでございますが、その基づく基本というものを二項において精確に書いて、より一そう適正に行ない得るようにする、それをまた法律によって確実に期待するというつもりで書いたわけでございまして、現行法においても、当然一項四号のような考え方公安委員会は定めるべきものであるし、また、警察署長許可するにあたっても、許可の基準としては、七十七条二項のような考え方に立脚してやらなければならないというわけでございますが、それがおおむねそういうふうに行なわれておるとは思いますけれども、そういうものを法律によって確実に期待し、要請するということを表わしておるわけでございます。
  58. 松永忠二

    ○松永忠二君 この前の規定の、警察署長権限というか、そういう基準というようなものについては、この法律にも政令のどこにも明確になっていないと思うのです。従って、署長権限として明確にするということではなくて、他の法律なり政令に定められておるところに基づいてやっていくということだと思うのです。何もそこに、警察署長は何の判断にするということは全然ないのだから、従って、警察署長の判断というものは、いずれも他の法律の条項に基づいて、危険な行為とは何だということがそこに書いてあるので、その前に、第六十八条に基づくことが書いてあるので、その危険な行為というものを、ほかのところに基づくものに基づいてこれを判断をしていったわけです。それは私は間違いはないと思う。それを今度は明確に、署長の判断の基準としてそこに法律化してきているということだと思う。その法律化してきている中で一番問題になってきているのは、今言う通り公安委員会がいろいろ必要として定めたことについて問題になってきているので、こういうことについては、従前警察署長がどの判断でこれをやったということができないと同時に、警察署長の独自の権限でもなかったわけです。ところが今度は、この二項の基準に基づいて警察署長は判断をしさえすれば、これは権限として警察署長の判断が成り立つということなんです。そういうことの必要なものがあるわけです。それは、七十七条の一、二、三項に規定したようなことについては、むしろそういうふうに警察署長の判断の基準を明確にする方がよいという、そういう考え方も私はあると思うが、同時に、四のようなものについては、今言う通り署長の判断に基準を与える、今までは全然なかったものについてそこに与えるということについては問題があるし、それは、公安委員会許可届でさえ疑義の出ていることを、警察署長許可権限を与えることはどうかと、こう言っているわけです。だから、もし、あなたがおっしゃるように、警察署長権限としてこの基準が与えられているというなら、それを説明して下さい。どこに警察署長が判断の権限として与えられたものが規定されておるのか。それを一つお示し願いたい。
  59. 中川董治

    政府委員中川董治君) ちょっと、松永先生の御質問ですが、条文を詳しくゆっくり読んでいただきたいのですが、現行法は、警察署長権限で与えておりますその判断の基準は全然書いてありません。それで、非常に極端な言い方をしますと、判断の基準のない規定になっている。ところが、判断の基準がないとはいいましても、おっしゃいますように、警察署長が思いつきでやるというふうにやるべきではないことは当然で、この法律案のすべての規定を判断の基準にするということは、おっしゃる通りであります。この法律案のすべての規定だけじゃなしに、もっとほかの法律もすべて判断の基準にすると、これもそうしなければいかぬと思います。ところが、よく引用になります、その前の政令の六十八条の十三号が署長の判断の基準ではない一ではないというのは言い過ぎですけれども、すべての法律が判断の基準であるという意味においては、もちろん判断の基準であります。その意味においては、先生のおっしゃる通りでありますが、その意味においては、すべての基準が判断の基準であるという点においては、まさに先生のおっしゃる通りなんですが、政令の六十八条の十三号が二十六条の判断の基準かということであればそうでない、すべてが判断の基準であるという意味においてはそうであると、こういうことに相なるわけなんです。その点は改正法案でも同じなんであって、改正法案は、七十七条で、判断の基準を従来は全然与えていなかったのを、今度は二項で一号から三号まで書き足しましたので、判断の基準を確かに与えたのであります。従来はそれがなかった。そのほかに、この一号から三号に書いてあることだけでなしに、すべてのことが判断の基準だという点は、改正法案も同じなんで先に戻りますが、先生の引用になりました六十八条十三号が、その意味において判断の基準だという点については、改正法では、むしろ政令どころの騒ぎではないのであって、法律に——七十六条をお開き願いたいのですが、七十六条の七号に十三号みたいなことを、従来は政令で書いてあったことを法律にまで書いてあるのですから、それは、その意味においては判断の基準です。先生のおっしゃいます政令の六十八条の十三号が判断の基準だという点であれば、それは、今度は政令どころの騒ぎではなくして、法律みずから判断の基準を与えているでありまして、七十六条の四項の七号が判断の基準である。だから、政令よりももっと強くなったと、こういうふうにも言えるのであります。従って、判断の基準は確かに、ここの条文に書いてあることの以外に、すべての法律規定を考えなければいかぬと、こういう意味におきましては、従来以上に判断の基準がふえていると、こういうことが言えることが一つ。そのほかに、さらに判断の基準を一号から三号まで書きましたので、先ほど基先生がおっしゃいましたところの三号の基準なんかがありますので、従来は、三号の規定がなくても、一応解釈上そうだと思いますけれども、それを明確に、公益上または社会の慣習上やむを得ないときは許可しなければならないんだと、こういう判断の基準を与えるという立場をとっておりますので、確かに松永先生の御主張がより多く実現されていると、こういうことに相なろうかと思います。
  60. 松永忠二

    ○松永忠二君 判断の基準といういろいろお話があるのですが、その権限ですよ。警察署長権限として規定をされたものは今までなかった。それを今度は権限として規定をしていると、こういうことを言っているのです。それは間違いじゃないか。いかがですか。
  61. 中川董治

    政府委員中川董治君) 警察署長権限として規定されているものは、現行法の二十六条の一項に日なります。従って、権限としては、現行法では、警察署長権限許可権として規定されておるのであります。
  62. 松永忠二

    ○松永忠二君 それは私は違うと思う。「命令の定めるところにより」ということが明確に定めてある。「命令の定めるところ」とは、その政令の六十九条のところにその命令という内容が書いてある。そこには何にもそういうことが書いてない。だから、判断の基準としては、今まで法律規定をされたところで判断の基準はあるとしても、警察署長権限として、それを許可しなければならないとか、許可するとか、許可しないとかいう権限として与えられておるものではない。だから、警察署長許可を受けなければならないところが権限だ、こういうのだが、その権限はどこの権限か。「命令の定めるところにより」とかなんとかいうのは、命令ということは、第六十九条には何にもそういうことが書いてなくて、許可手続の問題が出ておるだけですから、従って、判断の基準として法律でやったものが、このことに関する限り、七十七条の二項に関する限り、明確に署長権限としてそこに規定をされている。従前の法律には、権限としての規定がないのだと申し上げておる。その権限規定とされておるものは、施行令の六十九条のここの権限は確かにそうだ。権限といったって、これは手続のことだけのことである、こういう点を私は言っておるわけです。
  63. 中川董治

    政府委員中川董治君) 御説明しますが、現行法の二十六条に、「命令の定めるところにより」とありますね。「命令の定めるところにより」とあるが、何が命令かというと、御指摘のように、おっしゃるように、政令の六十九条が命令なんです。命令というのは、判断の基準ではなくして、許可を受ける人たちが許可を受けるにはどうするかということを中心に、手続規定しておるのであります。「命令の定めるところにより」、判断の基準ではなくて、「命令の定めるところにより警察署長許可を」、警察署長許可しなければならないと書いてないのでありまして、命令の定めるところにより許可を受けねばなりませんので、従って、その命令は手続のことをいっておる。現行法の二十六条の命令は、その命令は手続のことをいっておるのですから、その手続は、御指摘のように、施行令の六十九条でその手続を書いてある。申請書は署長に出さなければならぬ。こういう手続を命令で書いてある。その手続は、改正法ではどうかということになるのですが、手続は、現行法の二十六条の「命令の定めるところにより」ということに全く当たる言葉が、七十八条の第六項なんです。総理府令というのは七十八条の第六項です。七十八条の第六項が、現行法二十六条の「命令の定めるところにより」ということに対応すべきことで、対応する規定なんです。こまかい点は、その根本は、むしろ、現行法申請書の点は、七十八条そのものずばりに書いてあると理解した方がいいと思うのでありますが、前条第一項の許可を受けようとする者は署長さんに提出しなければならぬという点は、現在政令六十九条で書いてある事柄を今度法律自体に書いてある、こういうことになりますので、もう一ぺん繰り返しますが、現行法の二十六条の「命令の定めるところにより」と書いてありますのは、疑いもなく許可基準ではなくして、手続を、どこへ出したらいいか、こういうことなんです。その手続は、改正案では、まず七十八条の一項に書きまして、それからずっと行って、最後は——最後はというのは総理府令になりますけれども、署長さんに提出しなければならないという点は、現行法の「命令の定めるところにより」ということは、七十八条という法律自体に書いてある、こういうことなんです。
  64. 松永忠二

    ○松永忠二君 よろしゅうございます。
  65. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 時間も経過しましたので、午前中の質疑はこれで終わります。一時半まで休憩いたします。    午後零時三十九分休憩    —————・—————    午後二時一分開会
  66. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) ただいまから委員会を再開いたします。  まず、地方行政の改革に関する調査を議題といたします。新市町村建設及び地方公務員給与に関する小委員会における調査の経過並びに結果につきまして、鍋島小委員長代理から御報告をお願いいたします。
  67. 鍋島直紹

    ○鍋島直紹君 新市町村建設及び地方公務員給与に関する小委員会は、第三十一国会におきまして設置されて以来、新市町村建設の現状及びこれが促進のための方策並びに地方公務員給与の現状及びこれが適正合理化のための方策について、慎重に検討審議を加えて参りましたが、このたび地方行政委員会において、政府に対し、別紙のように要望することが適当であるとの結論に全会一致をもって到達した次第であります。  次に、その概要について簡単に御説明申し上げます。  新市町村の建設が、地方自治伸展のため重要であることは申すまでもないところであり、国としてもできる限りの援助をいたすべきものであることは、各位におかれましても御異論のないところと考えるのでありますが、当小委員会において、その現状をつぶさに検討いたしましたところ、その促進のためには、なお一そうの強力なる措置が必要であると考えられるのであります。現行の新市町村建設促進法は、その有効期限が昭和三十六年六月まででありますので、それまでの間において、十分なる進捗をはかることはもとより必要でありますが、なおその有効期限を延長して、新市町村に対する援助措置の法的根拠をその後も引き続き存置することが適当であると考えるのであります。  次に、新市町村建設のための財政需要が多大であることにかんがみ、現行の交付税の特例措置の実質を引き続き確保すること。  第二に、新市町村建設計画と関係の深い国、公社等の事業が、従来とかく各省等のセクショナリズムのため、不統一のまま行なわれ、あるいはその進捗の状況は、新市町村建設と完全に歩調を合わせていない面もありますので、この点について、各省の考慮を促すとともに、従来庁舎、小中学校等の施設の整備、統合について、とかく実態に即しなかった起債補助の内容を改めること。  第三に、事務処理の改善合理化を強力に推進すること。  第四に、町村合併及びこれに伴う争論のあっせん、調停等に関する諸規定の適用期間は、現行法による期限を延長する必要は認められませんので、この部分は、法律自体の延長にかかわらず、その有効期間は延長しないこと等が適当であると考えたのであります。  次に、新市町村職員の給与は、先般来行なわれました給与実態調査の結果によりましても、おおむね著しく低いと認められますので、その是正のためにはぜひ必要と認められる給与関係条例の整備など、新市町村においてとかく欠陥の多い事項について政府が強力なる指導を行ないまするとともに、これらに伴い必要となる財源措置を行なうことが必要であると考える次第であります。  次に、先ほどの小委員会において決定いたしました要望事項を朗読いたします。     要望事項  新市町村建設の現状にかんがみ、この際、政府は、新市町村建設促進法の有効期間を延長するほか、特に次の諸点を検討し、その施策を更に適切有効に進め得るよう特段の措置を講ずべきである。  一、交付税の特例措置の実質を引続き確保すること。  一、新農山漁村振興計画、公立文教施設整備計画、電信電話整備計画或は有線放送電話等、新市町村建設に密接な関係のある事業の実施については新市町村建設計画の内容を充分に考慮し、併せて庁舎、小中学校、公民館等、施設の整備、統合については起債、補助等の内容を実情に適合せしめるごと。  一、事務処理の改善合理化につき強力に措置すること。  一、町村合併に伴う境界変更に関するあっせん、調停及び投票に関する規定、町村合併に関する都道府県知事の勧告、その変更及び内閣総理大臣の勧告等に関する規定の効力は延長しないものとすること。  一、新市町村職員の給与は、実態調査の結果によっても、おおむね著しく低く、国その他の公務員とも均衡を失し、制度の不備を極めているものも多いと認められるので、特に次の諸点について総合的に措置し、強力にその是正を図るべきである。  (イ) 給料表の整備、初任給の確定及び昇給、諸手当に関する制度の整備のため、給与関係条例等を整備すること。  (ロ) 任用制度とくに採用方法に改善を加えること。  (ハ) 勤務時間その他給与以外の勤務条件を整備する等その他必要な措置をとること。  (ニ) 右に伴う必要財源につき、適切な批置をする等、援助指導すること。  以上、御報告申し上げます。
  68. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) ただいま鍋島小委員長代理から御報告ございました要望事項取り扱いにつきましては、各会派において御検討の上、次回の委員会において、本委員会で決定をいたしたいと存じます。
  69. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 次に、午前中に引き続きまして、道路交通法案を議題とし、質疑を続行いたします。
  70. 松永忠二

    ○松永忠二君 その七十七条の五項ですが、その所轄の警察署長が、「特別の必要が生じたときは、その許可を取り消し、又はその許可の効力を停止することができる。」と、こういう規定なんですが、これが、たとえば問題になっている東京都の公安条例なんかから見ても、こういう問題のつまり取り消しあるいは効力の停止というようなことについては公安委員会がきめるし、また、公安委員会が特にそういう処置をとった場合における事後の処置に対する報告であるとか、そういう義務もいろいろ規定をされておるのであるけれども、これにはそういうふうなことを規定されてないように思うのですが、こういう点で、そこに規定している「特別の必要が生じたときは、」という、その「特別の心要が生じたとき」というのは、一体どういうふうな内容を持っているのか、説明を願いたいと思います。
  71. 中川董治

    政府委員中川董治君) 許可をいたしました道路が、その後の事情によりまして、その道路が通れなくなって、どうしても別の道路を通さなければいかぬ、こういう場合等が考えられるのでありますが、まあ集団示威行進等につきましては、あまりそういった事情は実際上はありませんので、実際上の点からいいますと、該当は少ないと思います。ほかの工事等におきまして、ごくわずかの例外としてあるかと思います。
  72. 松永忠二

    ○松永忠二君 これは、さっきの議論に通ずるのですが、都の条例なんかでも、公共の安寧を保持するため緊急の必要があると明らかに認められたときは、その許可を取り消しまたは条件を変更することができる。公安委員会は、第一項の規定により不許可の処分をしたとき、または前項の規定により許可を取り消したときは、その旨を詳細な理由をつけて、すみやかに東京都議会に報告しなければならないと、こういうふうに規定をしているわけで、ここは当然、集団示威運動なども、ここにこれに触れる場合が出てくると思うんです。まあ条例等でも、相当こういう問題について慎重に取り扱っているんだが、具体的に言えば、こういう東京都の条例とこれとの関係というのは、どういうふうに考えておられるんですか。
  73. 中川董治

    政府委員中川董治君) 条例の方がそういう制限をしておりますので、条例行為東京都議会に報告する、公安条例の効力の結果はそういうことになると、こういうふうになろうと思います。
  74. 松永忠二

    ○松永忠二君 私の申し上げているのは、その公安条例等でも、公安委員会がこういう問題を処理もしているし、やっているので、この警察署署長がこういうことをするということについては、やはりその権限からいえば、そういう面の権限まで拡大するということは、現在においては違反になりはせぬかと思うのですが……。
  75. 中川董治

    政府委員中川董治君) この規定は、ほかの、この一号から三号までのことが大体多いものですから、そういったことを中心に規定しております。四号の場合でも、単に交通の危険だけの見地でございますので、こういう点が一つだろうと思います。そのほかに、警察署長がこの行為をするにいたしましても、そういう重大な問題等につきましては、当然公安委員会のコントロールを受ける。これは警察法上のコントロールを受ける、こういうことになります。
  76. 松永忠二

    ○松永忠二君 この点については、こういう問題についての決定というものを警察署長が持つということになると、たとえば、東京都の場合の公安条例との関係はどうなるんですか。この決定とはどういう関連を持つようになるか。
  77. 中川董治

    政府委員中川董治君) 公安条例が、ある意味の場合におきましては、公安条例集団示威運動のことを中心に規定していますから、それが実施上響いちゃって、これはほとんど実際上響かない、こういうことになります。
  78. 松永忠二

    ○松永忠二君 実際上響かないということは、どういうことなんですか。そのどちらが優先をするということですか。
  79. 中川董治

    政府委員中川董治君) 一般法、特別法の関係で、公安条例がこの場合は優先すると思います。
  80. 松永忠二

    ○松永忠二君 そうすると、公安条例規定をしたこととは違った——違ったというか、取り扱いの方法として違った措置を決定をしていると思うんですが、これはどうですか。
  81. 中川董治

    政府委員中川董治君) 警察署長東京公安委員会管理に服しますので、決定は違うことはあり得ないと、こう考えます。
  82. 松永忠二

    ○松永忠二君 違うことはあり得ないと言うけれども、これでは違うことを決定しても、この法律の違反にはならぬと思うんですが、どうですか。
  83. 中川董治

    政府委員中川董治君) 万々そういうことはないんですけれども、かりに、まあ頭の中で考えてみた場合におきましては、東京公安委員会からこの署長は命令変更方の指示を受けると、こういうことになります。
  84. 松永忠二

    ○松永忠二君 そうすると、万々そのようなことはないとしても、違ったことができるというようなことを規定をしておくというようなことについては、そういう規定はしておかない方がいいのではないかと思うんですが、どうですか。
  85. 中川董治

    政府委員中川董治君) この規定は、公安条例というのはごく内容の一部でございまして、ほかのことが多いのでございまして、公安条例をかぶらない部分が大部分でございますので、規定せざるを得ないわけでございます。
  86. 松永忠二

    ○松永忠二君 そうなってくると、逆に言えば、公安条例でかぶるようなものについては、こういうところへ一般的に規定しておくことは妥当ではないという結論になると思うのですがね。どうでしょう。
  87. 中川董治

    政府委員中川董治君) 公安条例都道府県関係でございまして、これは国の法律関係でございますので、全体を考えて、こういうふうな規定がなくてはならないことになりますので、東京都の場合においては、実際上公安条例が優先してしまいますので、問題はないと思います。
  88. 松永忠二

    ○松永忠二君 公安条例のない所については、そうするとどういうことになりますか。これは、この規定に基づいて行なわれるということになると思うのですが、どうですか。
  89. 中川董治

    政府委員中川董治君) お説の通りでございます。
  90. 松永忠二

    ○松永忠二君 そういうことになると、さかのぼって、公安条例規定をしてないという事柄について、規定されているものについてだけ七十七条が適用するのだという話があった。公安委員会が決定しているものについてのみ行なわれるものであって、公安委員会の決定していない、以外のものについては行なわれるものではないということを、午前中、第七十七条の四号については言ったわけなんです。そうすると、公安条例のない所については、第五項が優先するのだということになると、これとは矛盾をすると思うのですが、どうなんですか。
  91. 中川董治

    政府委員中川董治君) 公安条例がない地方におきましても、この法律で、集団示威運動等は四号で公安委員会が指定しない場合がある。指定してなければ、この条文は自然動きませんと、こういうことになると思います。
  92. 松永忠二

    ○松永忠二君 そうすると、さっきから話をしているこの五項というものについては、公安委員会がきめたものについて実施をされるのであるから、従って、その公安委員会の決定してない所については適用するものではない。そうして公安委員会のそのことについて決定したものについては、それが優先するのだから、この5については、それ以外の、それと違った決定をするべき性質のものではない、こういうことですか。
  93. 中川董治

    政府委員中川董治君) お説の通りです。
  94. 松永忠二

    ○松永忠二君 そうなってくると、まあさっきの話の通り公安条例の中でそういうことを決定することがいいか悪いかということに、まあさかのぼった議論になると思うのですがね。と同時に、もう一つ問題なのは、そうすると、公安条例で、こういう許可の取り消しとか、停止とかということは、公安委員会が決定すべきものだというふうに決定をしていたことについては、この第五項については、これは効力を持っているものではないということですか。
  95. 中川董治

    政府委員中川董治君) 公安委員会が、四号によって、そういった行為を指定しておりません場合におきましては、全然この規定は動きません。
  96. 松永忠二

    ○松永忠二君 指定した場合はどうですか。
  97. 中川董治

    政府委員中川董治君) 指定した場合におきましては、この規定は観念的には動くのでございますけれども、集団示威運動等の場合において、この行為に当たる場合はきわめて希有な例しかないのでありまして、私は、今頭の中であまり考えられないのですけれども、大へん、天災地変とかそういった、これに類するような希有の例にそういったことがあり得る、こう思います。希有な例しかございませんので、実際上は問題なかろうかと考えます。
  98. 松永忠二

    ○松永忠二君 希有な例ですけれども、その場合には、公安委員会の決定とこの決定というものとは、違ってくる場合があるということだと思うのです。これはどうですか。
  99. 中川董治

    政府委員中川董治君) 警察署長は、例外なく公安委員会の命令に従いますので、公安委員会意思とは全然反した決定はできない、こう解しております。
  100. 松永忠二

    ○松永忠二君 そういうことになると、公安条例で決定したことならば、あらためてここでそういうことを規定していく必要はないと思うんですが、どうですか。
  101. 中川董治

    政府委員中川董治君) 公安条例のある向きにおきましては、規定する必要がないと思いますので、大部分の公安委員会は、こういった場合に規定しないと思います。
  102. 松永忠二

    ○松永忠二君 そうなってくると、さっき話の出ている、非常にまれな、希有な例の場合においては、決定が違ってくる場合があるということを申されたわけですが……。
  103. 中川董治

    政府委員中川董治君) 警察署長行政行為は、例外なく公安委員会の監督を受けますので、公安委員会意思と異なる行政行為を、もし規定に反し警察署長がしようと思ってもできませんし、した場合には処置の取り消しを受けると、こういうことになります。
  104. 松永忠二

    ○松永忠二君 そうすると、ここのところに、そういう処置をした場合における公安委員会に対する報告の義務というようなこと、こういう規定はどこにあるんですか。
  105. 中川董治

    政府委員中川董治君) 警察法にございます。
  106. 松永忠二

    ○松永忠二君 警察法のどこですか。
  107. 中川董治

    政府委員中川董治君) 警察法第三十八条第三項の規定でございます。
  108. 松永忠二

    ○松永忠二君 ちょっと読み上げて下さい。
  109. 中川董治

    政府委員中川董治君) 「都道府県公安委員会は、都道府県警察管理する。」、この規定でございます。
  110. 松永忠二

    ○松永忠二君 管理をするということはわかるんですが、その管理をするということの中に、こういう具体的な問題をすべて入れて解釈していいんですか。
  111. 中川董治

    政府委員中川董治君) 公安委員会は、都道府県警察の最終の責任者でございますので、こういう重大な事項は、もちろんこの管理権の作用で、報告を求めることになります。
  112. 松永忠二

    ○松永忠二君 報告を求めるということだけであって、事前に措置をしたことについての責任というものはどこへいくのですか。
  113. 中川董治

    政府委員中川董治君) 最終的には、ことごとく都道府県公安委員会に責任は帰着します。
  114. 松永忠二

    ○松永忠二君 公安委員会に責任があるということについてはもちろんだけれども、それ以前に、そういう行為をする、警察署長行為ということによっていろいろな問題が起こってくるんだから、そういう点について、そういうおそれのないようなことにしておかなければいけないと思うんですが、その点はどうですか。
  115. 中川董治

    政府委員中川董治君) 公安委員会は、この管理権に基づきまして、そういうおそれのないような措置を厳重に処置すると思います。
  116. 松永忠二

    ○松永忠二君 公安委員会措置をするということについて、個々の条文について具体的にどういうことになるんですか。
  117. 中川董治

    政府委員中川董治君) 警察署長権限行使は、ことごとく公安委員会管理を受けなければなりませんので、ただいま私の読み上げました条文によって、御質問の件は、全部公安委員会が事前または事後に、多くの場合事前に監督すると、こういうことになります。
  118. 松永忠二

    ○松永忠二君 事前に監督するというお話ですけれども、五項を読んだときに、これは、事前に監督できるということではないと思うのですが、「特別の必要が生じたときは、その許可を取り消し、又はその許可の効力を停止することができる。」と、こういうふうに規定してある。従って、この都の条例に従うと、許可をするというようなこと、それから変更するようなこと、取り消しのようなことについては、公安委員会権限を持っているわけです。別にこれを警察署長に委任をするという形をとっていなければ、そういう形をとっていないのだから、この条文だと、警察署長がそういうことができることになっているので、そういうことになると、決定に相違ができてくる場合がある。相違ができたことについて、一体それをどういうふうにするのかということです。
  119. 中川董治

    政府委員中川董治君) 公安条例がある向きにおきましては、御質問のような場合におきましては、実質上公安条例だけが働きますので、これと矛盾するような署長の処分はあり得ないと思いますが……。
  120. 松永忠二

    ○松永忠二君 そうすると、私の申し上げているのは、公安条例がないとしても、公安条例でそういう規定がないとしても、当然こういう問題については、署長がこのような法律に基づいて、その効力の停止をしたり、あるいは取り消したりするということについては、これは公安委員会がそういう問題を決定しておくべき性質のものであって、もし決定をしていないとすれば、これは公安委員会の決定を仰ぐべきであって、署長がそういうことを決定すべきでない、こういうふうに考えるのですが、これはどうですか。
  121. 中川董治

    政府委員中川董治君) 警察法によりまして、署長行為はことごとく公安委員会の指揮監督を受けますので、公安委員会意思に反する署長の処分は全然できません。これは、法律がそういう状態を念頭に置きまして、しかも、署長のいたしましたのは、集団示威運動のごとき場合は、実質上ことごとくそのつどやりますので問題ありませんが、たとえば一号のような道路工事の場合におきましては、これも公安委員会の意向に反してできませんけれども、大体一般的な実情は、たくさん工事関係がありますので、工事関係のごときは署長という名前にして、内部的にはいろいろ公安委員会の御意向をくんでやらなければいけませんけれども、そういう早くやるという必要等がございますので、名義としては署長と、こういうふうにこの法律は考えたのであります。
  122. 松永忠二

    ○松永忠二君 その辺、もう少しはっきり理解がいくように話してもらいたいのですが、公安委員会でそういう手続等について規定をしている所については、その規定通りに実施する。そういうことを規定してないという所については、私の言うのは、公安委員会の指揮を受ける権限内のものであるとは言いながら、公安委員会が決定をしない事前に署長が決定をすることはできる。しかも、公安委員会にそれを事前に諮る必要がないという条項になっているのだから、従って、監督の権限を受けているからといって、それが直ちに署長の決定が公安委員会の決定ということにすりかえられることはないと思う。そういう違った決定がなされる場合もあり得ると思う。そういう場合には、警察署長公安委員会から責任を追及されるであろうけれども、違う決定がなされると思う。従って、こういうことについては、公安委員会が、手続を別個に規定をしているように、公安委員会が、もし決定していなければ決定すべき事柄であって、署長が、それを決定をしない所でも、直ちに決定をするということを権限に与うべきことではないというふうに私は言っているわけです。
  123. 中川董治

    政府委員中川董治君) ただいま御質問の、集団示威運動のような重要な行為につきまして取り消しなんかということを、実際はありませんけれども、かりにやる場合におきましては、ことごとく都道府県公安委員会のそのつど意見を聞いてやるということになりますので、問題はない。そうすると、そういうことであるならば、今御質問規定署長としないで、公安委員会とした方がいいと思うのです、その角度からいえば。ところが、確かに公安委員会とした方がいいのでございますけれども、この五項の規定は、集団示威運動のことだけだったらその方がいいのですけれども、日常の工事関係とか、そういう日常一ぱいある事柄がありまして、早いところやらないと問題が解決しない面がございますので、やむを得ず署長ということにしたのでございます。従って、御心配の集団示威運動に関するような事柄は、公安委員会があらかじめ署長に、内規といいまして、規定を出しておきまして、集団示威運動のごとき重要な事柄を取り消しするような場合におきましては、事前に公安委員会のところの許可を得べし、こういう内規を必ず作るということは絶対に約束できると思います。
  124. 松永忠二

    ○松永忠二君 そういうあなたのおっしゃったようなことが、この法律のどこに一体保障されていると、こう言うのです。
  125. 中川董治

    政府委員中川董治君) 保障は、ただいま私が言いました警察法の規定でございますけれども、それによって保障されると思います。この法律にそういう場合の集団示威運動のことを書かなかったゆえんは、この法律の第四号の規定によって、集団示威運動を定めない県もずいぶんあると思う。そういう場合において、定めないような場合におきまして、からの条文になりますので、からの条文は、全国的な法規といたしましては書くことができない、こういう趣旨でこの法律に書けなかったと、こういうことでございます。
  126. 松永忠二

    ○松永忠二君 どうも今のお話では、少し私はわからないのですが、この条文では、公安委員会でそういう手続を決定してない所については、ただ警察法の第三十八条の三項ですか、それに基づいてだけそういうことがあり得る——あり得るというか、そういう解釈ができるということであって、公安委員会でその手続規定を決定すべきものである、その決定に基づいて、署長はそういう取り消しや効力の停止をするものだという保障は、私はどこにもないと思うのですよ。だから、問題がさかのぼってくると、一体そういうことを、保障のないようなそういうものについてまで、一体こういうふうなやり方をすることがいいか悪いかという論議に返ってくると思うのです。だから、そういう点に、今あなたがおっしゃったように、公安委員会で決定してない所もたくさんあるので、その決定してないことについては空文になる。決定してることについても、手続規定の明確なものはいいけど、明確でないものについては、当然警察法の三十八条の三項で、そういうことは当然しかるべき手続が決定さるべきであって、それにもとる警察署長の取り消し、許可の効力停止はないという、ただそれだけのことでは、こういう点は非常に不安だと、こういうわけなんです。そういう意味です。
  127. 中川董治

    政府委員中川董治君) 松永先生のおっしゃる実態は、全部、松永先生が御心配がないように必ずできると思います。必ずできることをこの法律に書かなかった理由は、この法律は、集団示威運動を全国的にこの法律規制するという意思がありませんので、従いまして、集団示威運動という言葉が出て参りませんので、言葉が出て参りませんことにつきまして、取り消しのところだけ書くということが不可能の結果でございます。
  128. 松永忠二

    ○松永忠二君 この公安条例等でそういうことの決定してない所には発動しないのだから、そういうことを入れないというお話だが、公安条例でそういうことを決定した所についても、そういう手続規定について明確にしていない場合もあり得るわけです。そういう場合に、これをただ警察法の第三十八条の三項ということだけで、これは保障ができる問題ではないと思う。
  129. 中川董治

    政府委員中川董治君) この法律によって集団示威運動のような重要な行為許可対象にしようと思う公安委員会は、一項の規定によって公安委員会規則を出さなければなりません。公安委員会規則を出すときに、そういう重要なことを四号の規定によってきめようとする公安委員会は、警察法の規定によって、集団示威運動のごとき重要なことにつきましては、取り消しの場合のごときは、必ず事前に公安委員会の決定を得べし、こういう命令を出すということは当然でありますので、当然であることは書く必要がないと考えたことが一つと、それから、先ほどの理由との二つによって、お説のように、明文にはございませんけれども、おっしゃった内容は、この法律全体で担保されるのでございます。
  130. 松永忠二

    ○松永忠二君 説明は一応そのほかのところはわかります。示威運動等でないものについて、こういう5の規定が必要である、そういうふうな意味で作ったのだということである。ただしかし、あなたの説明では、5はそういう目的にだけ使われるものでなくて、示威運動等については、条例をきめておる所は、公安委員会の決定しておる所は、必ずそういう条項をきめてあると考えられるので、特にそれを入れなくても、それで保障はできると、こういう話なんですが、ただ、別にそういう条項をきめてないからといって、公安条例は違反でもなければ、また、積極的に公安条例をそういうふうに措置するようにするという権限も別にどこにもないし、また、そうすることが妥当だという法律的な根拠も私はないと思う。だから、決定してなくても、何もこれについて、これを決定した方が妥当だという論拠は私はどこにもないと思う。だから、決定をしてないということをまず考えなければできないし、決定してある所については、これよりもその規定が優先するけれども、決定してない所については、この条項が働いてくるとすれば、これは署長権限事項を逸脱したものだということが言えると私は思うのです。あなたも、署長の決定が公安委員会の決定と違うような決定をするというようなことについては、好ましいことではないしまたそういうことはあり得ないと言っておるのだから、私は、やはり署長がもともとそういうものの効力の停止や、あるいは取り消しをするということについては妥当ではないという点については、意見は一致をしておると思うのです。従って、意見が一致をしておる事柄を保障するやはり法律的な何か保障がないと、これはやはり、ただそういうことはきめるべきものだという程度の考え方では、これは安心はできない。こういうことを申し上げておるのです。
  131. 中川董治

    政府委員中川董治君) よくわかりますが、まず、実質的には御了解いただいたと思うのですが、そうすると、松永先生の御意見に従って私が条文を書くとすれば、この五項の次に、集団示威運動署長が決定する場合は、必ず都道府県公安委員会の事前の承認がなくてはならないということを書けばいいわけです。書く内容につきましては、実際上大賛成です。そういうものを書かなかったゆえんのものは、そういうふうに書きますと、かえって七十七条の第四号の規定が、集団示威運動規制するという趣旨を明確にしてしまいまして、むしろ法律の体裁といたしましては、国の法律としてそれを奨励するがごとく受け取られるということは、松永先生の御趣旨にも沿わないかと思いますので、そういう趣旨から明文の規定を設けなかったのであります。明文の規定を設けなくても、先ほど申し上げました警察法の規定によりましてそれは実現できることでございますから、実現できる事柄は大丈夫だと思いまして、書かなかったのでございます。
  132. 松永忠二

    ○松永忠二君 それだから、私たちの言っているのは、第七十七条の上から除いていきさえすれば、これは、七十七条の四号から結論的に五項というようなものが出てきているのだから、そちらの方をはずしておけば、今あなたのおっしゃるように、書くに越したことはないということはなくなると私は思うのです。
  133. 中川董治

    政府委員中川董治君) お説のように、七十七条四号は、私は解釈として集団示威運動の場合があり得ると申しましたので、こういう場合におきましては、公安委員会が決定するであろうと申し上げたことは確かでありますけれども、七十七条第四号につきましては、集団示威運動という言葉が出ていないのでございまして、道路の妨げになるような祭礼行事、ロケーションそれに類するような行為、というのですが、それに類する行為に確かに集団示威運動が入ることは、先ほど来申し上げた通りでございます。四号の書き方に、たとえば、例示といたしまして、集団示威運動と、こう書くことにしましてもいかがかと考えまして、道路交通ということになれば、大体祭礼行事ということが国民立場からすぐ思い出しますので、そういう文字を用いたのでございまして、その点は、第四号にも集団示威運動という言葉を用いていないのでございます。
  134. 松永忠二

    ○松永忠二君 だいぶいろいろ論をしたのですが、私は、今言う通り、やはり四のところがそういうふうにあいまいであるので、自然5のところにもそういうことが出てくるようになってきて、公安委員会の決定がないにもかかわらず、そういう示威運動等の、問題の多い問題について、警察署長が単独にこの停止や効力の取り消し等をすることは行き過ぎであるということには意見が一致したわけです。それを、もし心配なら規定をすれば結局それを奨励するようなことになってしまうであろうというお話であったが、そういうことになるならば、七十七条の四の中に、こういう問題について一体ここで規定しているやり方が、規定されないような方法をとれば、そういう点も安心になると思うのです。  それから私たちは、第一項の規定により許可を受けた者が前の二項の規定による条件に違反したときに、これを署長がどうこうするということについては、また認められる面もあると思うのです。だから3、4に決定したことについて、そのことについて全く違反したということなら、またそこにもあるけれども、それをもっとずっと拡大してしまって、条件をつけた事柄について違反したのに処罰するのでなくて、もっと、署長自身が取り消しもすれば、効力の停止もするというような、そういうところにまで権限を伸ばしていくということについては、これは私たちとしては、署長としては越権の行為ではないか。しかも、公安条例に基づいても、もしも取り消したり何かしたときには、取り消した理由とかなんとかをその者に示していくということが、ほかの方の条例には出ているけれども、これだけ見ると、取り消した理由を通知するような、緊急やむを得ないときには、ただ取り消しばかりで、何らその理由を事後で説明する義務も何も与えられていないというようなところもある。事前については、確かにその事情を弁明をなすべき日時、場所及び当該処分をしようとする理由を通知をするということはあるけれども、事後のことについては何も、取り消しと言って、そのまますっぽかしておくということもこれではできる。ところが、公安条例は、東京都のごときは、いわゆる取り消した場合でも、事後においても、これを説明をしていくというようなことがきめられているのに、これにはそれすら決定していないことになる。こういうふうになってくると、やはりこれは行き過ぎの面があるのではないかということを考える。あなたの方では、5は、いやそういうものをきめたんじゃないというお話であるけれども、それならそれで、何か5はそこまで及ばないのだということを、特に問題の多い集団示威運動等について、やはりこれはそういうものを考えておるのじゃないということが明確になってこないと、やはり拡大的な実施が行なわれるのじゃないかという不安はどうしても抜け切ることはできない。だから、少しこの点については、特に事後の処理なんかについても全然何も規定してないというのは、やはりそういう点もおかしいのではないかということを私たちは考える。公安委員会ですら説明をしていくのに、警察署長あたりで、取り消しておいても何もそのあとについて処置もきめてないなんというのは、これは全く非民主的だというふうに私たちは思うのです。これなんかどうなんです。
  135. 中川董治

    政府委員中川董治君) 集団示威運動許可につきまして五項が働く場合に、特別の必要が生ずるというようなことはまず考えられない、こういうことが一つ。かりに考えられましても、天変地変とか、想像がつかないというような緊急の事態等のことしか考えられませんので、そういう場合におきましては円滑に運用されるということが考えられますので、その点は御了解いただきたいと思います。
  136. 松永忠二

    ○松永忠二君 私たちは、従って今の答弁の内容では、やはりここに問題があって、相当明確に規定するものだというふうに私は考える。この点の質問は私は終わります。
  137. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 これはまあ要望という形でお伺いしますが、八十二条の、道路上に工作物があった場合に、警察官が占有者に対して指示をし、また措置をすることができる。こういうことに対して別に私は反対はないのですが、要は、現地の出先機関の警官のこれに対するところの態度というものが非常に大衆の不満を買っておるのでございます。たとえば、看板とか、そういったようなものが、占有者から見ればあまりじゃまでもないところにどんどん一どんどんというわけでもありませんが、占有者に対して何らの断わりもなくして片づける、こういったようなことがあるのですが、第一線の警官、これは第八十二条だけでなしに、やはり指導者としての長官の、皆さん方の指導面は非常にいいのですが、実際上において末端の行動というものが非常に不満を買っておる。この点について、皆さん方が常日ごろ教育指導という点について心がけていらっしゃると思うのですが、そういうことを、この道交法が通過する意味におきましても、本委員会においても、PRする意味で、一つ説明を加えてもらいたいと思います。どういうように第一線の警官に対して指導育成しておるか。どなたでもけっこうです。
  138. 木村行藏

    政府委員(木村行藏君) 確かにその問題は、現行法でも同じ問題かと思いますけれども、今回の法案は、そういういろいろな責務あるいは権限が若干第一線の警察官あるいは警察署長に負わされております。これらの問題については、たとえば、お示しの、たしか八十二条とおっしゃったと思いますけれども、沿道の工作物に対する危険防止措置などにつきましては、新たな、従来もありましたけれども、あるいは八十三条についても、新たな規定があるわけであります。これらの新たな権限について正しく行使しませんと、確かにいろいろ問題が起こると思います。これにつきましては、私たちが、この法案について、将来成立いたしました際には、警察官の教養ということについては、非常に大きな関心を持って、徹底させていかなければいかぬと思います。特にいろいろな点について細目を設定しまして、警察官の行使について、内規なりあるいは通達なりの形で一応の標準を成立化しまして示したいと思います。同時に、この法案の趣旨をできるだけ第一線の警察官にもわかるように、ダイジェスト版といいますか、具体的に、その内容をわかりやすく書きまして、PRして参りたい。また将来、警察には管区の警察学校もありますし、警察大学もありますので、それらの教育機関を通じまして、専門的な専科教養を徹底して参りたいと思っております。
  139. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 まあ御答弁はそれでいいんですがね。ですから、こういったような声なき大衆の声というものをよく聞いていただきまして、ほんとうに愛される警察官として指導をしていかれるように要望いたしておきます。
  140. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 大体五章の質疑はこの程度にいたしまして、次に、六章に入りたいと思います。
  141. 鈴木壽

    鈴木壽君 八十四条、これはあとの方にもちょっと関連しますが、八十九条ですか、こういうところにも関連してくるのですが、現行法では、運転手の免許を取った場合、それから、あるいは取り消し、停止というような場合は、これは全国に全部通ずるのだという規定があるのですね。今回新しくできたこの法案には、こう見ますと、そういうことが、停止とか取り消しの場合は公安委員会に通知するのだということがあるけれども、取得の場合については書いてないように思いますが、私のもし見落としであれば、条項をお示しいただきたいと思うし、もしそういう条項がなくなったものだとすれば、どういうつもりでそういうことになったのか。この点、一つ説明してほしいのです。
  142. 内海倫

    説明員(内海倫君) 御指摘通り現行法に書いてあります、免許の効力は全都道府県に及ぶという規定を、今度の法案におきましては落としております。理由は、何ら趣旨として変わらないのでございますが、法理論上むしろ当然であるという見解に立ちまして、書く必要がない、書くまでもなく、当然に全都道府県に効力が及ぶものであるという法制局等の完全な法律上の解釈ももらいまして、落としたものでございます。従って、現行法趣旨と少しも変わっておりません。
  143. 鈴木壽

    鈴木壽君 そうしましたならば、これについては、運転免許証があれば、これはまあ一つのりっぱな証拠品ですから、それがあれば、現在と同じように、どこでもこれは運転できると、事実上の問題としてそういうふうに見なければならぬと思いますが、そういうような考え方でいいんですか。
  144. 内海倫

    説明員(内海倫君) お説の通りでございます。
  145. 鈴木壽

    鈴木壽君 それから、外人が日本に来た場合、これはやはり免許証を取るような、現行ではどういうふうにやっておりますか。
  146. 内海倫

    説明員(内海倫君) 外国人が参りました場合にも、特別な措置はとっておりませんで、八十四条によりまして、「自動車及び原動機付自転車を運転しようとする者は、公安委員会の運転免許を受けなければならない。」こういう原則に立っております。それで、以下それぞれ条文を適用されまして、ただし、実際上の免許の与え方につきましては、外国人にして外国の政府の発行する免許を有しておる者につきましては、第九十九条の規定に基づきまして、九十九条第一項第五号の規定によりまして、「外国の行政庁が与えた自動車等の運転に関する免許を有する者」につきましては、「第一種免許の運転免許試験の一部を免除する。」ということによりまして、一部免除の措置はとるようにいたしておりますが、それ以外の点におきましては、外国人といえども特別なものにはなっておりません。
  147. 鈴木壽

    鈴木壽君 それから、八十八条の免許の欠格事由のところですが、現行法とはだいぶ違った、一口に言えば、年令をあるものについては引き下げたことにして免許を与えることができるようになっておりますが、これについての考え方一つお聞かせいただきたいのです。
  148. 木村行藏

    政府委員(木村行藏君) この免許の種類が非常に多うございますので、できるだけ整理でき得るものは整理いたしたいという根本的な考え方に基づきまして、特に第一種免許につきましてはある程度、相当思い切って整理いたしたわけでございます。そこで、ここで一つの問題点は、普通免許とそれから小型の自動四輪車と一本にいたしまして、普通免許に一本にいたしましたことが、年令の問題と関連してくる一つの問題ではないかと思います。これに関連しまして、現在自動車の台数を調べてみますと、小型自動四輪車の数が約五十三万台ございます。それから普通自動車、これが約十四万台、両方合わせまして六十七万台、概数を申しまして、大体六十七万台近くでございます。そういう数からいたしますと、二割強ぐらいが普通自動車であります。八割近く、七割以上のものが小型四輪車になるわけであります。また、国内の生産の状況なり今後の見通しを見ますと、大体小型自動車がどんどんふえております。そういう点からいたしまして、将来ますます小型自動四輪車の占める度合いが多くなりまして、おそらく普通自動車は一割前後という時代が来やしないか、こういう見通しをつけております。それからもう一つは、小型自動車が、国内産業を見ましても、だんだん中型化しておる、多くなりつつあるというような関係から、普通自動車との車幅なりあるいは車の長さというものの差がだんだん縮まってきておるというような事情も考えられます。それから、次に考えられますことは、小型自動車を運転する技能と普通自動車を運転する技能とのレベルの差というものが、必ずしも非常に間隔が大きい、広いというふうにも考えられない。ある程度接近しているのではないかというような事情と、それから、まあ十六才、十七才という年令層が新制中学を卒業いたしまして就職する者が相当多いのではないか、実際多いようであります。そういう場合に、自動車の運転免許を持っておりますと、就職に有利であるという社会的な実態もございます。それらいろいろな事情を考えまして、この小型と普通を一本にしたことにつきまして、はたして十六才にした方がいいか、十八才にした方がいいかということについては相当考えたわけであります。考えて、一応筋としては、この提案の原案通りに十六才になべていったような状況であります。
  149. 鈴木壽

    鈴木壽君 今のお話ですと、大体三つに要約されると思うのですが、一つは、小型車がますますふえていって、全乗用車の普通車との割合からしますと、今後九割までなっていくのじゃないかというようなこと、それからいま一つは、小型自動車というものがだんだん中型化してきているというようなこと。そこに、普通車との間の運転上のさしたる違いといいますか、そういうものもはっきり区別できない状況にあるというふうに認められること。それから、いま一つは就職等の問題と、こういうふうに三つに分けてお話し願ったようでございますが、まあ一応現在の小型が非常に台数が多くなっているということ、それから、中型化になっていくというような傾向もわかりますし、さらに、就職等の問題もこれはあると思いますから、私どもも一概に、年令の問題を論ずるときに、そう簡単にまあ答えを出せないと思うのであります。現在のいわゆる自動車に関する事故の問題等を考えます場合に、やはりどうしても年令というようなものはある程度これは関係があるんじゃないかというふうに考えざるを得ないし、統計的に見ても、やはりそういうことの立証はある程度私はできると思う。そういう立場から考えていきますと、これは、私個人の考え方ですが、むしろ自動車を運転し、人を乗せる、こういうような場合には、もっと人間としての精神状態なり、そういうものが不安定でない時期ですから、十八才よりむしろもっと上のところに線を引いたらいいじゃないかというふうにも一応考えてみたりしますが、しかし、現行法との関係あるいは就職問題等がありますから、一概にそう言えませんが、しかし、普通車を今度の免許に対して十六才に、これは、事実上現行法からすれば下がってきたのですから、さらに、簡単な原動機付の免許を十四才にしたと、この問題になりますと、これはちょっと考えなければいけないじゃないかというふうに思うのですが、私、さっきもちょっと触れましたが、特に事故等のことが今一番問題になっておりますし、おそらくこの法案なんかでも、そういう事故をなくする、要望するという立場において、いわゆる交通の安全確保という立場においてこれはできる法案でございますから、そういう面を重視していった場合に、はたして十四才あるいは十六才というような年令のいわば子供たちが、こういうものの操作にあたって、誤りなきを期することができるかというと、私は非常に心配なものがあると思うのですね。ですから、まあお話は、一応いろいろと御検討の上になったということもわかるわけなんですけれども、どうでしょうかね。私はやはり、特に普通車を含めて、小型と従来の普通車というものを一緒にした、いわゆる普通車になってきていると思うのですが、そういうものを含めた場合には、やはり少なくとも現行法のものを維持していくような形において免許を与えるべきであろうと、こういうふうに思うのですが、まあ先にあなたのお話を聞いたわけですが、私のそういうような考え方に対してどうでございましょう。
  150. 木村行藏

    政府委員(木村行藏君) 鈴木先生のお説、またいろいろな世論の状況も、確かにこの点については相当はっきりした世論が出ておるようにも思います。ただ私たち、先ほど申し上げましたようないろいろな理由から、この原案の通りに結論を出したわけでありますけれども、この場合にも、交通事故防止という観点から一つ問題があります。というのは、年令を上げますと、現在十六才、十七才で受けられておったものが受けられないことによって無免許運転がふえてくる。現に雷族あたりが無免許運転があるわけであります。今まで受けられたものが受けられないことになって、無免許運転という一種の悪質な運転がこの点で、結果としてふえてくるんではないかということをおそれておるわけであります。それから、まあ十四才の第一種原付の問題でありますが、この第一種原付は、御案内の通り、自転車に小さいエンジンをつけて、いわゆるバイクでありますので、比較的簡単な操作なり運転でできるというような実情もございまして、十四才でいいんではなかろうかという結論で原案を考えたわけでありますけれども、ただいま先生のおっしゃったような事故防止というふうな点、あるいは十六、七才の分別という、実際の人間成長の度合いということから考えますと、大きな一つの研究をもっと詰めていくべき問題がありはしないかということは、確かに申し上げることができると思います。
  151. 鈴木壽

    鈴木壽君 私は、やはりここに十六才とか十七才とかあるいは十八才とか、いわゆる成年前の子供たちの精神状態、これは、もちろん全部一律にきめつけられる問題ではないが、大かたのいわゆる少年後期に当たっている、こういう子供たちの精神状態というものは、やはり考えなければならぬと思うのです。私は、いまさら心理学的な立場でどうのこうのということを申し上げるつもりもありませんけれども、ある意味で、一言で言えば、非常に不安定な精神状態の時期の子供たちですね。そのことだけは、私ははっきり言えると思うのです。これはまあ個人によっていろいろ違うでしょうが、そういう人たちが運転をするというようなことに対しては、何としてもこれは心配なことであって、できるだけそういうことは避けるべきじゃないだろうか、こういうふうに思うのです。あなたのおっしゃるように、無免許運転ということもふえる傾向になってくるんじゃないかということも確かに私は心配されますが、しかし、それはそれとして、取り締まりの立場においてやらなければいけないということです。ふえるからこちらを許す、しかしまた、そういうことによって事故がかえってふえるというようなことになりますと、私は困る問題ではないだろうかというふうに思うわけなんです。もちろん、年令別に分けた事故の統計なんかを見ますと、必ずしも二十才未満が一番多いということではなくて、二十才から二十五才が一番多くなっておりますがね。これも従って、事故の率とか発生状況そのものからすれば、一番上でもないからともいいますけれども、しかし、高いことは確かに高いというふうな点からいって、やはり新法でいう普通免許も、十六才というようなことでなしに行った方がいいんじゃないだろうかというふうに思うのですがね。  それからもう一つは、第一種原付免許にあたっての十四才ですか、これもなるほど簡単なものですが、あれは簡単なものですが、相当スピードも出るのですね。あれをそれこそおもしろ半分に乗り回すというふうなことになりかねない年ごろなんです。実は、十四才というと、これはまだ中学生でしょうね。ですから、こういう子供が、将来に備えてどこかで練習しておるとか何とかいうようなことはともかく、これに免許を与えて、公然と走り出させるというようなことになると、これは私は、それこそ危険な年令に思えてならないのですがね。どうでしょう。やはり私は、こういう問題は、さっきの御説明の中にもありましたように、現在の自動車の型における趨勢あるいは雇用の面、就職の面というものももちろん考えなければいけませんけれども、しかし、むしろそれよりも、今当面私ども考えなきゃならぬことは、場合によっては人命に及ぶ自動車事故あるいはそれに類する事故をいかにして食いとめるかということも、これは非常に大きな問題ですから、そういう面を一つ重く見ることが私は必要じゃないんだろうかというふうに考えますのですが、重ねて一つ、これに対する何か御見解があるならば聞きたいと思います。
  152. 木村行藏

    政府委員(木村行藏君) 非常にこれはむずかしい問題でして、結局、先ほど申し上げたような何点かの理由で、原案のような年令にいたしたわけであります。しかし、非常に、この問題については、いろんな世論がありますということは重々存じております。まあ以上申し上げる程度で、御了承をいただきたいと思います。
  153. 木下友敬

    ○木下友敬君 十四条のときにやかましく論議された問題ですが、十三才未満だと、道路で遊ぶことには、非常に保護者に責任があるようになっておりますね。そいつが、紙一重で、十四才になると、今度はある場合には凶器になるようなものを飛ばして歩くことができるというのは、何かそこに割り切れないものがありますね。これは一つ、相当論議されたことには違いないですけれども、こういうはっきりしたことには、やはり当局としても、もっと考えたいというような意思表明ぐらいはこの際した方がいいんですよ。これは、十三才と十四才というのは、それはそう年できめられぬ問題でしょうけれども、保護者の場合、その誕生が過ぎると、すぐ明けの日からぱっとやってもいいというのは、これは、いかに法律だといったって、そんなことはできないのですが、どうですか。あっさり一つ説明してもらいたいと思います。
  154. 木村行藏

    政府委員(木村行藏君) 今、先生の言われたように、十三才以下になると要保護者になり、今度は、十四才以上になると加害者になるというような、非常に線のデリケートなところがありますが、先ほど申し上げましたように、いろんな点を勘案しまして、結局原案を提出いたしましたわけでありますけれども、先ほど来両先生からのお説の通り、非常に考えるべき要素があるという程度でごかんべんいただきたいと思います。
  155. 鈴木壽

    鈴木壽君 この点、私どもやはり一つ考えなきゃならぬ。私個人であれば、もっと全体を引き上げるべきだ、現行法よりもっと引き上げるべきだとぐらい私は考えているんですが、まあそれはかりに無理にしても、これは相当やはり考えるべき問題だと思いますが、一つこれは、今あなた方もだいぶ苦しいような立場を表明しておられますがね。いずれこの点は、お互いにもう少し考えることにしましょう。  そこで、この八十八条に関係してですが、二号に、精神病者とかあるいは精神薄弱者、てんかん病者、目が見えない者、耳が聞こえない者と、こういうふうに並べられてありますが、これはあれですか。常識的に精神病者であるとかあるいは精神薄弱者とかいうようなことで片をつけるとか、あるいは、それこそ精神鑑定みたいなことをやりますものか。それからもう一つは、最後の口のきけない者ということですね。これが、はたして口のきけないという者は絶対的な欠格条件になるかどうかですね。場合によっては、何かこう、条件付の運転をさせるというようなこともあり得るんじゃないかと思うのですが、この点一つ二つの問題です、二号のところで。
  156. 内海倫

    説明員(内海倫君) 二号の点につきましては、私どもも、立案します場合、いろいろ検討をいたしたのでございますが、結論から申しますと、要するに、自動車あるいは原付というものの運転に関する絶対的欠格条件というものを掲げたわけでございます。精神病者あるいは精神薄弱者という点も、まず本人がそれを知っているか知らないかということがあろうと思います。その場合におきましては、これは欠格条件でございますから、本人が自分が精神病者であるということを意識しない限りは、おそらく試験を受けに来る場合もあろうかと思います。従って、試験を受けに来て、精神病者である、あるいは精神薄弱者であるということが明らかになって、そうして欠格事由に該当するということになろうと思います。もとより精神病者あるいは精神薄弱者という点につきましては、ごく概念的に考えているのでなくて、医学的にさように診定されたものであるという前提が必要であろうと思います。それから「口がきけない者」といいますのは、現行法ではおしということになっているのでございまして、それをまあおしとかつんぼとかめくらというのは、何となくそういう身体障害の人に対してやや侮蔑的に感ぜられますので、そういうふうに名前を変えたわけでございますが、その意味は、いわゆる全あの人でございまして、従って、耳も口も両方が不能な人というものが、ここで私どもが考えております口がきけない人でございます。
  157. 鈴木壽

    鈴木壽君 この二号だけでなしに、三号でも、「政令で定める身体の障害のある者」、あるいは四号のアルコールとかこれらの麻薬患者みたようなもの、こういうものは、このままの文章からすれば当然のことなんですが、こういうものをじゃどう鑑別するかというようなことになりますと、受験者全部精神検査をするわけでもないでしょうし、特に覚醒剤の中毒者とか麻薬の中毒者ということになりますと、しょっちゅう出るわけでもないでしょうからね。これは、ある時間的な経過によって出てくるのでしょうから、こういうものをはっきり、あの人はこういう人なんだと、こういう精神的な欠陥なりあるいはその他の欠陥のある人だということが、通常明らかになっている人であれば、これは問題はないでしょうが、その他の人を一体どうこれは鑑別をし、いわゆる欠格の条件としてここに出してくるのだろうかというふうな、簡単ですが、そういう疑問を私は持つわけなんですがね。その点、一つあらためて……。
  158. 内海倫

    説明員(内海倫君) やや理屈っぽい言葉をはくようでございますが、要するに、先ほど申しました絶対的欠格条件というものをここに掲げましたので、従って、試験を受けて免許証を得た後も、こういう事態に該当すれば、すなわち欠格条件事由に該当するということになるわけございまして、事実たとえばAなる人に対して、それが直ちに覚醒剤の中毒であるかどうかということを発見することは困難であります。従いまして、場合によっては、誤ってそういう人が免許を受けるような結果になることも期しがたいということがあろうかと思いますが、しかし、もしそういう事実が発見されれば、直ちにそれは欠格事由に該当するものとして、免許は当然に取り消されていくことになろうと、かように考えております。結局、確かにこの覚醒剤等の中毒患者は、一人々々を医者が精密に検査しない限りは発見できない場合があろうと思いますので、従って、そういうことが発見された場合に、免許をもし持っておれば、それはそのときから欠格事由に該当することによって免許が取り消される。あるいは、試験のときにそういうことが発見されれば、その人は欠格事由に該当するものとして、試験を受けることができない、こういうふうになろうかと思います。
  159. 鈴木壽

    鈴木壽君 私は、規定規定として、それに対して何かけちをつけるようなことを言っているわけではないのですが、実際上の問題として、どういう方法で積極的にこういう人たちを発見するような検査とか診断とか、そういうことはおやりになりますか、なりませんですか。
  160. 内海倫

    説明員(内海倫君) 私どもとしましては、それを発見し得るようなできるだけの措置は講じたいと思っております。
  161. 鈴木壽

    鈴木壽君 ですから、発見できるような措置をとりたい、これはまあそうでしょうが、おそらく全国で免許状を受けるために試験を受ける人は、月にしても相当な数だと思うのです。だから、そういう者に対して、黙っておっても発見された場合はいいのですが、何か積極的に発見するような検査か何かを行なうのかどうかということなんです。
  162. 内海倫

    説明員(内海倫君) 私がややあいまいなお答えをいたしましたのは、これらのすべてを発見できる検査器具及び人員をそろえようとしますと、大へんな資材と人員を要しまするので、完全にそれを発見できる人員または施設の整備をするということを私公言するほど自信がございません。従いまして、可及的にこれらに該当し得るような試験設備は各県ともに設備するように、現在も指導いたしておりますし、これからも指導いたしたいと考えております。
  163. 鈴木壽

    鈴木壽君 これは、専門的になると、そういう方からお話を聞けば一番いいと思うのですが、たとえばてんかんなんか、そうこれは簡単に発見できないでしょう。ですから、何べんも申しますが、ここに書かれてあることは、これはごもっともです。こういう人に免許証を与えては困るということは、私も認めますし、その点についてはだれも異議はないが、ただ、ここに書かれてある人、一体こういう人を積極的に発見するようにやるのか。何かやはり精神鑑別とか精神検査というようなものをやるのかという、ちょっとした疑問が出てきたものですから聞くわけなんですが、ですから私は、お答えのように、今のたくさん受験しようとする者がおるときに、全部の人たちについて、一々こういうものについての検査ということは、これは事実上不可能だと思うのです。そうすると、ちょっとまた心配なこともあるものですから、だからお聞きするわけですがね。
  164. 内海倫

    説明員(内海倫君) 十分御理解をいただいておると思いますけれども、てんかんにつきましても、私ども特に研究をしてみたのですが、現在運転免許証を持っておる人たちの中に、潜在性のてんかんを持っておる人は必ずしもないわけじゃないという例も出ておりますし、さればといって、そのために、てんかんを発見しようとしますれば、全部脳波試験をしなければならない。そうすると、現在普通の病院で脳波試験を受けますと、それだけで千五百円とられる。そうすると、それらの各号に掲げるもののすべての証明書を持ってこいということになりますと、これは大へんなことになりまするし、たとえば、私が免許をとろうとしますと、これだけのものを受けていかなければいかぬということにもなりますので、これの実行につきましては、先ほど申しましたような、やや総体的な程度でとどめざるを得ないのじゃないかと、かように考えております。
  165. 木下友敬

    ○木下友敬君 今の交通事故統計資料という、これにもちょっと私見当たらなかったが、今までの行き方でたとえば精神病とか、てんかんとか、その他こういうふうな身体障害のために起こった事故というものについての何か資料がございますか。非常に厳格に規則を守っていくという必要の裏には、今までもこれだけの事故が身体障害のために起こっているじゃないかということを言いたいと思うのですが、そういうことについて何か調べてあるかないか。
  166. 内海倫

    説明員(内海倫君) 実は、私どもの方の統計におきましても、これは全国的な統計をまとめておるわけでございますけれども、その中におきましては、その統計表の三十二ページでございますが、それの「操縦者の状態」と書いてありますところの「心身の欠陥」、これに該当しておる者が、おおむねただいま御質問になりました点に該当する者でございますが、先ほども申しましたように、事故の状態を見ておりますと、一体何が原因でこういう事故になったのかわからぬ事故があるわけでございます。その場合に、運転手の人がすぐそういう検査に応じ得るような状態でありますればいいわけでございますが、むずかしい事件ほど、運転手も重傷または死亡というふうな状態になりますので、そういうものを深く分析し、追及していくのに、非常に困難を感じておるわけであります。それで、今のところ、私どもは、東京大学の精神病科の方と1精神問題だけについていいますと、精神病あるいは精神薄弱程度、てんかん、これだけのものについて申しますと、東京大学の精神病科の方と連絡いたしまして、いわゆる頭痛あるいは深いノイローゼ、不眠、こういうことを訴えてくる運転者について、できるだけ私どもも協力いたしまして、今積極的なデータを割り出してもらっておりますが、その中で、やはり注目に値しますのは、案外てんかん病の人が含まれておることでございます。しかも、医学的に話を聞いてみますと、瞬間一秒間ほどのてんかんを起こすというふうな人がかなりおる。しかも、それはよほどきびしい診断をしないと発見されないという状態にあるというふうな報告にも接しております。
  167. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 関連。今度は小型免許がなくなって、普通免許になるわけですが、小型四輪、普通自動車、大型自動車と、こういったような規格と大きさ、あるいは運転技術等の差異というものを、大体概念でいいのですが、われわれしろうとですから、はっきりわからないのです。
  168. 内海倫

    説明員(内海倫君) これはなかなか、確かに一般的におわかりにくいと思います。大体ここで例をあげながら申し上げますと、この道路交通法で大型自動車といっておりますのは、いわゆるバスでございますとか、それから五トン以上のトラック、これを私どもは大型自動車と言っております。それから、普通自動車といっておりますものと、小型自動車といっておりますものは、現在の状態におきましては、非常に以て参っておるのでございます。例を申し上げますと、特に外国等から輸入いたしております、通常大型自動車といっております五人あるいは六人乗りの乗用車、これは普通自動車であります。それから、日本で今各社が国産いたしております、通常町では中型車と言われておるもの及び小型車と呼ばれているもの、こういうものを小型自動車と言っております。今度はそれらを一括いたしまして普通自動車といたしました。それからトラックにつきましては、五トン未満ミトンまででしたか、五トン未満のものを普通自動車といっております。それからミトン未満、ちょっとこの点明確を欠いておりますが、後ほどあらためまして調べて申し上げますが、それ以下のもので小型四輪のトラックというものもある。それから小型三輪トラック及び、これは今なくなりましたが、小型三輪乗用自動車というものもあるわけであります。それから、よく間違われますのが、軽自動車というのがさらにあるわけであります。これはむずかしいことを言いますが、エンジンの大きさが三百六十CC以下のもので百二十五CCまでのものを一応小型軽自動車といいます。いわゆる町の中で走っておりますものでは、スクーターなどがこれに該当する。そのほかに、いわゆる原動機付の自転車、これが一種、二種、非常に多種多様なものであります。
  169. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) ちょっと関連して。今の種類ですね。非常にわかりにくいですから、次のときまでに表  にして、各委員にわかりやすいいように、資料として配付して下さい。
  170. 内海倫

    説明員(内海倫君) わかりました。(「絵が書いてあるとなおいい」と呼ぶ者あり)絵と、それから規格と、全部をあれしまして……。
  171. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 私もその点を実はお願いしようと思って聞いたのですが、絵の方もけっこうですが、ほんとうは現物の展示等をやっていただければ、非常にわれわれは助かるわけです。それで、中型車というのは、要するに、小型の中に入るわけですか。そうしますと、今度は小型の免許はなくねって、普通免許になる。そうした場合に、現在の小型免許というのは、改正法の普通免許に格上げになるというこはないわけですか。
  172. 内海倫

    説明員(内海倫君) ちょっと最後のところを聞き漏らしたのでありますが……。
  173. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 現在の小型免許が今度の改正法によって普通免許に格上げになる、そういうことはないわけですか。
  174. 内海倫

    説明員(内海倫君) 先ほど局長説明いたしましたように、今度の免許は、普通免許というものを設けまして、この普通免許は、現在の普通免許と小型免許を合併したものでございます。そうして現行法のもとで普通免許で運転できますものは、先ほど申しましたように、外国等から輸入いたしております五人ないし六人定員の乗用自動車あるいは五トン未満のトラック等でございますが、それから、小型四輪の運転免許で運転できます自動車は、国産いたしております五人乗りあるいは四人乗り等のいわゆる中型並びに小型の自動車、あるいは小型の四輪貨物自動車、こういういうものが運転できるわけでございます。それで、現在実際に運転しております実情を見ますと、普通免許を持った人も、実際には国産車のいわゆる中型、小型を運転しておる例が非常に多いわけであります。また、運転免許を取ろうとする目的の人も、大部分はそういう車を運転する目的で取ろうとするようでございます。そうしますと、だんだんその対象になる車自体が減っていきつつある普通免許と、非常に今後ふえていく小型免許を区別する理由が、私どもの面からははなくなってきておる。従いまして、これを一本にしまして、免許として整理いたしたわけであります。従いまして、現在の小型免許が普通免許に格上げになったといいますか、あるいは普通免許が小型免許に格下げになったといいますか、いずれかになるわけでございますが、私どもとしましては、少なくとも現在の普通免許に対して行なっていると同程度の試験を、現在の小型免許という形において行われている運転免許試験を引き上げなければいけないという形に基づいて、今後もし新しい法律案が成立しました後は運営いたしたいと、こういう考えでございます。
  175. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 大体まあその概念はわかりましたが、今問題になっております、年令が引き下げになる、こういったようなことも、ほんとうは本委員会においても、机上の論争のみでなしに、現物を見てみますと、そこに判断感覚というものが違ってくるだろうと思うのです。  最後に、これはこの前もあったと思うのですが、この少年法との関係ですと、二十才以下で非行をやった場合に、司法罰と行政罰を受けると、そういった場合に、どういうふうになるわけですか。家庭裁判所に送られて、そこで審判を受けるということでしょうが、そういう点も、世間のいろんな批判もあると思いますが……。
  176. 木村行藏

    政府委員(木村行藏君) 御案内の通り、満二十才以下は、いろんな法規違反なり、行政法令の違反がありましても、それは少年法の適用を受けますので、家庭裁判所に送致いたします。で、家庭裁判所に送致いたしまして、実際の状況から言いますと、審判回避といいますか、審判をしないでしまっているという場合が相当多うございまして、これは、道交法のいわゆる交通事故の防止からいいましては、一つの大きな問題点かと思います。従いまして、少年法の適用を排除するということの可否については相当大きな問題でありまして、いろいろだいぶ研究いたしましたのですけれども、道交法の違反だけでなしに、たとえば、銃砲刀剣類等所持取締法の違反とか、あるいは狩猟法の違反とか、あるいはその他行政法令の各種の少年の違反が多うございます。これらの関連もありまして、道交法だけを不適用にするということも、少年法を適用しなということも、なかなか法体系の上からいって踏み切れない問題であります。まあ少年法全体の根本精神と法体系ということも考えまして、残された大きな問題として研究すべき問題ではなかろうかと思っております。
  177. 木下友敬

    ○木下友敬君 さっき、もうちょっと聞きたかったのですが、身体障害者の事故を起こしたのは、酒を飲んだ場合とか、居眠りをしておった場合に比べると、非常に少ない例ですが、たとえば、めいていしておったのが一万一千五百六十五という数が出ている。居眠りの場合は二千九百二十、身体障害者の場合には、わずかに百六というのですから、その率からいえば少ないのですが、少ないけれども、少なくもこれだけあるから、きちんとしたものが免許をやるとき定められるべきものだと思うのですが、どうですか。目の見えない者というような場合には、現在は、目が全然見えない。一方しか目がないというような人には免許が与えられていないのじゃないかと思いますが、それから色盲などの検査も非常にきつくやっておるのじゃないかと思うのですが、あれは何か、各府県でそういう行き方が違っているのかどうか。それから、今度政令で定めるというものの内容がどういうふうなことになっているのかということをちょっと聞かしてもらいたいと思います。
  178. 内海倫

    説明員(内海倫君) 現在は、積極的に、免許します場合の基準という形でなくて、運転免許を受けた者が身体障害を生じて取り消される場合の条件を書いておる。はなはだ妙な書き方でございまして、その場合に、視力障害者となり、左右いずれかの視力が〇・六以下の視力になった場合は取り消すと、こういうふうな書き方をしておるわけであります。それから、失明につきましても同様であります。従って、そのことが今度は免許を与える場合の免許基準として使われていることになっている、現状は。そういう点で、現在の免許基準につきましては非常に検討を要する点がございます。そこで、この新しい法律案に基づきます政令におきましては、明確な基準を設定いたしたいと思いまして、現在私どもの方の科学警察研究所の交通部に命じまして、かなり詳細ないわゆる身体上の基準というものを今設定を急がせているわけです。これによりまして、明確な基準を政令で定めたいと思っておりますが、ただ、大まかな考え方といたしましては、たとえば、ただいま先生のおっしゃったような一眼の場合でも、あるいは色盲の場合におきましても、たとえば一眼であっても、それで十分二眼ある場合と異ならないだけの能力を持っておれば、一眼あるということを条件として認める。あるいは色盲でありましても、赤、黄、青の識別ができる、あるいは赤が他の色に見えましても、ともかく赤、黄、青の三色が区別できるというふうな色盲であればいい。その他肉体的障害でありましても、現在は割合にきびしく解しておりますが、今後の状態につきましては、たとえば、片手がなくても、これが義手をはめることによって通常の状態で運転できる能力があると認められれば、これは、そういう義手をはめるという条件をつけて免許する、その他かなり積極的に免許基準を考えていきたいということで、研究を今進めている次第であります。
  179. 木下友敬

    ○木下友敬君 ちょうどそれを聞きたかったのです。いわゆる義手をはめて、あるいは義足をはめてというようなことがどうなっているかと思って聞いたのですが、これはどうですか。現在、日本以外の国で、義手、義足を添えて運転免許を許可しているのは、外国の状況ではどうなっているかということ。  それからもう一つは、これは実例ですが、実例で問題になった例だから、念のためお聞きしておくのですが、目が一方全然見えない人で、ところが警察でそれを検査して、運転免許が渡って、そうして事故は起こさなかった。だけれども、その人が非常に実力者であって、ほかのことで問題を起こしたときに、どうも警察はああいう片目しかない人に免許を渡している。そういう実力者以外の者は、当然そんな者は免許がもらえるはずはないのだということを盛んに新聞なんかに書かれた例を知っておりますが、今までの指導方針は、片目の人でもやはり免許はやるという方針であったか、あるいはやらないという、さっきのお話のように、取り上げるときの条項を運用して、やらない方針であったか。そういうものはどういう指導方針、あるいは条文とか政令とかにはっきりしたものがあったかどうかというようなことを一つお聞きしておきたい。
  180. 内海倫

    説明員(内海倫君) 先ほども申しましたように、運転免許の条件につきましては、現在の法及び政令に書いてありますものだけでございます。従って、現在の法では、「精神病者、てんかん、つんぼ、おし又はめくら」「常習めいてい者、麻薬常用者、あへん常用者又は覚せい剤常用者」というふうな者等がいわゆる受験資格がないとして書かれておりまして、それから、先ほど申しました免許の取消しの事由ということで、総理府令が昭和二十八年十一月二十日に出しておりまして、ここにいろいろ、不具廃疾となったときとか、あるいは視力の障害者となり、左右いずれかの視力が〇・六以下になったとき云々と、以下、悪質な伝染病にかかったときとか、いろいろ書いてありますが、こういうふうな条件に該当したときは運転免許を取り消すという基準を総理府令で出している。それで、各県は、この取り消しの条件になるものを運転免許における積極的な基準として今使っております。従いまして、昭和二十八年以降におきましては、たとえば片目の人は、運転免許を受ける資格を持っておりません。従って、持っておるはずはないのでありますが、その以前に運転免許を取った人は、これに拘束されておりませんので、私どもの聞いておりますところにも、片目が非常に視力の弱くなった人等取っておる人があったという例も聞いております。それで、その点につきましては、その後当然、昭和二十八年に総理府令が出ておりますから、免許更新の際に発見されて、取り消されるべきものでございますが、そういうのが発見されないまま今日までずっと運転を継続しておるという例が間々ありまして、そういう人を発見して、今度は運転免許を取り消そうとして非常に問題が起こりまして、私どもの方にまでいろいろ意見を聞いて参っておる例は、ごく少数でございますが、私どももぶつかっております。  そこで、将来の問題につきましては、先ほども申し上げましたように、私どもとしましては、研究所のあらゆるデーターを集めての研究に基づく基準が出まして、それがもしある程度身体障害につきましてもこういう条件のもとであれば差しつかえないというふうな基準が出て参りますれば、それを採用していくことによって、身体障害の人にも免許がある程度出せるというようなことになろうかと思っております。  なお、外国の例につきましては、私どももかなり詳しく調べておりますが、私の記憶しておりますところでは、アメリカの各州の免許基準では、かなり大幅な身体障害の人が免許を得ております。色盲につきましては、その色盲の、何といいますか、どういうふうに色が変わるかということを試験官に明示して、それを自動車に張りつけて許可される。それから、つんぼの人は、うしろにバツク・ミラーのようなものをたくさんつけて、音で判断をしなくてもいいような装置をすればよろしい。あるいは義手、義足も、車を固定しまして、それに特殊な装置を設けて、その車を運転する限りにおいて運転してよろしいというような特別条件免許というふうな制度をやっておるように聞いております。
  181. 木下友敬

    ○木下友敬君 そうしますと、身体の障害、ことに今、義手、義足を使う者については、まだ研究所の結論は出ていないけれども、その結論については、一つそういう者にも許可されるようにしようというお考えであるわけだろうと今聞いたのですが、これは私の方は、かねて身体障害者の雇用法というものを用意して、一ぺん出したことがあります。まだ継続審議しておりますが、そういうような身体障害者にも免許の幅が出てくれば、これを雇用方面にまでお願いしていくということができるのであるから念を押しておるのですが、どうですか、今の見通しでは。かなりな幅で一つ許可をやっていこうというようなお考えでしょうか。
  182. 内海倫

    説明員(内海倫君) 私ども、今、中間報告を聞いております限りでは、かなりの幅をもって与えるのではなかろうかと考えております。
  183. 鍋島直紹

    ○鍋島直紹君 仮免許の第八十七条について簡単に伺いたいと思います。仮免中は、御承知の通り、路上で本免許を受ける前に練習をするというのが目的のように書いてあるわけなんですが、大体そういった必要性が実際上あるかどうかが第一点。  それからもう一つは、仮免許は、実を言うと、隣に免許を持った方が乗っているということがあるのですが、現実の問題として危険性があるだろう、さらにそれに伴う事故というものを、今日までの御一調査あるいは御体験上、どういうふうに考えておいでになるか。実際仮免許をやって、路上で十分練習をさせなければならぬのかどうか。こういう点が一つの大きな仮免許の問題になってくると思うのです。一部陳情などを見ますと、まあ仮免許をやった場合に、もう道路で練習させる時代ではない。実際上道路そのものが、もう十分技能がある人ですから危険といいますか、ひんぱんになっておって、あるいはそうでないいい道路は常時走るようになっているからといったような理由や、あるいは危険を伴うこと、あるいは悪用されるおそれがあるというようなこと、まあそういう時代おくれだといったような意味の一部の陳情もあるようですが、仮免許についてどういうお考えであるか。今のことについて、あわせて一つ簡単にお答え願いたい。
  184. 内海倫

    説明員(内海倫君) 必要性につきましては、私どもの目から見ておりまして、やはり否定するところには至っておらないと考えております。理由としましては、一つは、やはり免許を得れば道路を運転する人でありますから、免許を受けたときから直ちに道路を運転する資格を有するのでありますので、やはりできれば、正規に免許を受けるまでに、ある程度道路の運転ということになれておく必要があるのではなかろうかという考えに基づくものであります。それから、必要性とのみは言えないのでありますが、やむを得ざる何かの理由を申し上げますと、この道路交通法自身が、道路において運転する場合には運転免許を持っていなければいかぬという原則を立てておりますので、そうしますと、この試験場は、自動車練習所というふうなさくの中だといいのでございますが、必ずしもそこで十分でない。従って、どこか広っぱなどを使って、少しより自分の技量を上げておきたいというふうに考える人がほとんど運転する場所を持たないというので、そういう点で、ある程度やはり本免許を受けるまでにも道路で運転できる余地を見ておく必要があるのではなかろうかという考え方に立ちました。  それから危険性の問題につきましては、まだ十分な能力者として運転免許を与えた者ではないのでありますから、当然そのわきに指導者を置いて、これに補佐させながら運転を教えてもらって動いておるわけでございますから、一応は危険性がないはずでございますが、やはり未熟なだけに、その点は私ども保証しがたいと思いますが、これは、指導のいかんにかかっておると考えております。それから事故につきましては、これだけのための事故の資料を私用意いたしておりませんが、事故そのものはあまり起こった例を私聞いておりません。しかし、しばしば指摘されておりますように、現在のように道路交通状態が非常にひんぱんなときに、技量未熟な一本立ちでない者が運転して練習をしておるわけでございますので、事故にならないまでも、それの影響を受ける他の一般自動車はかなり大きな犠牲を受ける。直接的事故にならぬまでも、遠因になっておるような点は私はあるのではなかろうか。そういう面から考えまして、危険性及び事故の起きる可能性から考えまして、この法律にも書いておきましたように、交通がひんぱんでない道路に局限さるべきであり、いやしくも車が多く通るような場所においてそういう仮免許による道路運転が行なわれるべきものではない、かように考えております。
  185. 鍋島直紹

    ○鍋島直紹君 ここの今の最後のお話ですが、交通がひんぱんでない道路において、まあ仮免許を受けた者が練習をすることはできると、簡単に言えばそうなるわけなんですが、このひんぱんでない道路というものについて、政令か何かで一応規定をされるようなおつもりがあるのかどうか。現実の問題として、ひんぱんであるかひんぱんでないかわからない非常に危険な所に仮免許で入ってくるということになって、今言われたように、それに影響されて、それをよけることによって他の自動車に非常に混乱を招くというような事態があるいはあるのではないかと思いますが、その点、どういうことなんでしょうかね。
  186. 内海倫

    説明員(内海倫君) 政令で規定するという点につきましては、その道をこの法律では開いておりませんのでございます。各都道府県公安委員会がそういう仮免許を与えた者の道路における運転地域を積極的に時間あるいは場所を指定して道路における運行を認めるというふうな指導をいたしたい。現にそういう点で不十分なる点を私どもしばしば体験いたしております。今後の指導をいたしたいと思います。
  187. 鍋島直紹

    ○鍋島直紹君 それでは、仮免許のことについて、今のようなことが一番心配でありますので、特にこの点の取り扱いを、ぜひ今後施行される場合において、法律の変わったまあ一つの機会に十分一つお考え願いたいと思います。  なお、外国なんかでは仮免許はないような気がするのですが、これをちょっと最後に承っておきますが、いかがですか。
  188. 内海倫

    説明員(内海倫君) 御承知だと思いますが、私の調べました範囲では、道路テストとしまして、しょっぱなに運転免許試験自体が道路で行なわれておりますので、まあ試験が、免許なしにすでに道路上での運転ができるという状態になっているようでございます。  それから、仮免許の制度はやはりとっておりますが、日本の場合の仮免許と若干性格を異にしまして、学校の生徒が学校の中の教科内容として、自動車科と申しますか、そういうところで自動車練習する場合の免許というような形で、練習免許というものが出ているような例も私承知しております。
  189. 鍋島直紹

    ○鍋島直紹君 今言われますように、最終的には、免許をやる際の路上の試験の際ですね、そのときのことが一番まあいいのじゃないか、その仮免許という制度よりも、今後の行き方としては。しかし、そうやると、警察官あるいは試験官といいますか、試験する人の陣容なり施設なり、あるいはいろいろな金もかかる、人も要るということになるでしょうけれども、実際上の方向としては、この仮免許で、いろいろな人が、未熟な人が路上を勝手に練習場にして走るというよりも、やはり路上で試験をすることによって免許を与えるという方向へ行くことが、今後自動車が増加する上においてはいい姿じゃないかと思うんですが、この点について簡単にお答え願いたいと思います。
  190. 内海倫

    説明員(内海倫君) 今の日本の法規の建前からいいますと、やはり運転試験のための路上運転を許す場合は、やはり仮免許を与えていかないと、いわゆる道路において無免許運転をしたという形になりますので、今後しかし試験の運用といたしましては、仮免許を与えてそうして路上試験をするという道は開き得るかと思います。
  191. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 この免許制度というものが実際各都道府県公安委員会によってまちまちである。ですから、いろいろな事故が起きる。こういうわけで、仮免許制度のいわゆる基準というものは何かあるわけですか。
  192. 内海倫

    説明員(内海倫君) 現在も、各都道府県におきまして、普通の運転免許試験に準じた一応仮免許の試験基準は設定いたしております。今度は政令で試験の基準を定めるつもりでおりますので、その際は、仮免許につきましても、ある程度基準化していきたいと考えております。
  193. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 その点は一つ要望しておきますが、今度は、九十八条の自動車学校の指定の件ですね。これについて、「政令で定める基準に適合するもの」、こういうように書いてありますが、現行の自動車学校においても、やはり施設とかあるいは指導員等においても非常にまちまちである。施設の非常に広いところのものもあれば、狭いところもある。狭いところは、えてしてまあ練習の不備を補うため道路に飛び出してやるところから、また事故が出る、こういうこともあるわけですが、十体この政令の内容というものはどの程度になるのか。これはまああとできまると思うのですが、概要がわかっておれば、お伺いしたいと思います。
  194. 内海倫

    説明員(内海倫君) 今、私どもでやはり非常に多くの資料を必要といたしますので、最終的な案につきまして、やはり研究所と私どもの方と共同作業で基準案を設定しつつありますが、今私どもが一応ごく大ざっぱに考えております基準の内容としましては、施設の大きさ、    〔委員長退席、理事西郷吉之助君着席〕 それから、保有すべき自動車台数、それから、そこに勤務すべき従業員とりわけ指導員の資格要件及びその員数、それからいわゆるカリキュラム——授業内容の基準等を中心といたしまして、それぞれ数字を規模との関係ではめ込んでいく作業を現在実施しておりますが、それにつきましては、現に全国の何ぼかの県で自動車学校を指定しており、それには、都道府県ごとに指定基準を設けておるのでありますが、たとえば、東京には東京の、大阪には大阪の指定基準を設けておりますが、それらを全部私どもの方に集めまして、検討いたしたいと考えておる。現にその作業に入っておりますが、現状の交通事情にかんがみまして、権威ある自動車学校の指定ができるように、その基準につきましても慎重に考慮いたしたいと考えております。
  195. 中尾辰義

    ○中尾辰義君 現在は、大阪あたりでは、大体施設が三千坪内外である。東京あたりでは千坪程度のところもある。こういったようなことでは非常に困るので、こういう点をあまり政令で基準というものを圧縮される、いろんな事情によってされるようなことがあれば、これはまたいろいろと事故の問題になりますから、その点を、政令をこしらえるときに、一つよろしく要望をしておきます。
  196. 鈴木壽

    鈴木壽君 八十九でございますが、現行法では、免許申請は、主たる運転地を管轄する公安委員会に出してやるようになっていますが、今度はかわりまして、「住所地を管轄する公安委員会に」と、こういうふうになったわけですが、このように変えた理由はどういうところですか。
  197. 内海倫

    説明員(内海倫君) 主たる運転地としております現行法の理由は、この現行法を作りましたころは、いわゆる自動車の動く範囲というものが、おおむねたとえば東京の中であるとか、あるいは大阪の中であるとかということできまっておったのでありますが、ここ数年来の自動車の動きの状態から見ておりますと、非常に主たる運転地の確定ということが困難な状態になって参りました。一体どこが主たる運転地になっておるのであろうかというふうな、車の運行状態も非常にふえて参りました。それが主たる運転地という考え方をやめていこうと考えた一つの理由であります。  もう一つの理由は、主たる運転地と指定してありますが、結局本人も、この申請する人たちも、いろいろな試験を受ける、あるいは合格した後のそれぞれの公安委員会との連絡あるいは免許の更新等におきましても、一番自分の行きやすい公安委員会のある所がいいという考え方と思うのでありますが、ほとんどが住所地と主たる運転地というものが一致したような状態であるようでございます。いわゆる主たる運転地として出されているものがほとんどは住所地であるというふうな状態である。  それから第三の理由といたしましては、主たる運転地ということのために、架空の所にその場所を設定いたしまして、わざわざ、住所地がありながら、主たる運転地が東京であるために、東京に自分の主たる運転地であることを示すような、結果的には住所らしいものを作って、そうして申請するというようなことで、    〔理事西郷吉之助君退席、委員長着席〕 本人にも非常に迷惑なことであるし、またこちら側から、公安委員会の方から本人に連絡しようといたしましても、結局、なるほどそこにそういう番地もありますけれども、本人には到達せずに、ぐるぐる回って、ようやく本人のところに行ったと、こういうような例も非常にありますので、この際一番確実な根拠としては住所地がいいのではなかろうかということで、住所地に変えた次第でございます。
  198. 鈴木壽

    鈴木壽君 そうですね。これは三つの理由をあげられておりますが、実際その免許申請をしようとするものにとっては、このように変えられることによって、非常に不便だというような事態も予想せられると思うのですが、たとえば、先ほどのお話のように、主たる運転地と、それから居住地とおおむね一致しているというようなのであれば、これは、どのように規定せられても問題はないと思うのですが、必ずしもそういう場合だけではないと思いますのですがね。そこで、たとえば東京都内に勤めておって、そこで運転の練習あるいは技術の習熟をする。ただしかし、実際のうちは、埼王県の東京からあまり遠くない所にあって、そこから通っているというような場合がある。東京でやったから東京で受けたいというような場合も私はあり得ると思うので、そういうような場合は、一体全然これを拒否するのですか。
  199. 内海倫

    説明員(内海倫君) 大都市については、若干そういう例が出てくるわけですが、住所地として東京をその際選んで、そうして東京で受けるというようにしてもらいたいというふうに考えております。もしそういうことを本人が希望します場合、この住所地というものは、いわゆる本人が現実に住んでいる所、あるいは本人が本拠にして考える場所を指定してもらえば、そこを住所地と心得るわけでありますから、やかましい意味の、戸籍法上とか、そういう意味における住所とは考えておりません。
  200. 鈴木壽

    鈴木壽君 関連したことですがね。九十九条だったかと思いますが、指定自動車教習所の卒業者は免許の一部を免除される。この場合、あれですか。各都道府県公安委員会ごとのその所だけのものであるのか、あるいは東京公安委員会で卒業が証明されたものを持っている。東京公安委員会での指定自動車教習所の卒業証明書があれば、ほかの県へ行っても通用できるのか。こういう点はどうなんですか。ちょっと今のところと関連がありますから……。
  201. 内海倫

    説明員(内海倫君) 法の建前からいいますと、「政令の定めるところにより、」ということで、この法自体は、いずれになるかということをまだ明らかに書いてございませんが、同時に、現行法におきましては、その当該公安委員会という考え方でおりまするので、東京について言いますれば、東京公安委員会の指定した自動車学校を卒業したものは、東京公安委員会の行なう運転免許試験で一部免除されると、こういう考え方でございますが、今度の法案におきましては、「政令の定めるところにより」ということによりまして、私としましては、指定された自動車学校を卒業しておれば、全国いずれの公安委員会の試験を受けても、試験が一部免除されるという考え方に立つべきではないかという考えでおります。
  202. 鈴木壽

    鈴木壽君 今のお話のように、これは、それ自体にもちょっとお聞きしたいことがあるが、結論として、あなたのおっしゃったことだけに限って申しますと、政令で定める基準に適合しておる自動車教習所の卒業証明書であるから、そこでいわば。ハスした者は、他の公安委員会の所管するところでも有効になるようにすべきであるというふうに考えておられるというのですが、そうであればいいのですが、もしそうでない場合、先ほど私がちょっと言った、東京のどこかの教習所を卒業して、パスしたのだ、しかし、いわゆる居住地ということで、千葉県なり埼玉県で受けなければならぬという場合には、その効力は現行法ではないわけですね。さっきそのようにお話があったと思うのですが、そうしたときに、私ちょっと気の毒だと思ったものですから、いわゆる居住地というものを、あなたのお話によれば、そう厳格に規制するつもりはないと、こうおつしゃいますが、それであればいいのですが、これを厳格にやられると、今言ったような、せっかく自分が何カ月かかかって習得した、そういうことに対する特典も、実際には役に立たないというようなこともあり得ると考えまして、その点ちょっと心配であったものですから、今お聞きしてみたわけですが、そうしますと、今度のこれは、今の八十九条に直接関係なくなりますが、九十八条等によりまして、あるいは九十九条等によりまして、これは政令で定める基準に適合した教習所であれば、かりに東京都のそれによって規定されておる教習所を出た者で、卒業証明書があれば、他の都道府県公安委員会等の区域においてもそのまま通用するのだ、こういうふうにしたいというのですから、これは大したことはなくなると思うのですが、そういうふうに考えていいわけですね。その点はっきり一つ
  203. 内海倫

    説明員(内海倫君) 九十八条及び九十九条を立案いたしました政府側としましては、今鈴木委員の言われましたような考え方に立って立案いたしました。それでなお、「政令の定めるところにより」ということで、確定はいたしておりませんが、今後さらに、政令を定めますまでに、それでいいかどうかという意見を十分確かめて、確信を持った上で定めたいと思っておりますが、考え方といたしましては、鈴木委員のお考えに立っております。
  204. 鈴木壽

    鈴木壽君 これは、警察庁の長官にお聞きしたらいいか、公安委員会委員長にお聞きしたらいいか、長官二人おいでですから、はっきりしませんが、政令の立案の過程では、考え方としては、今課長が言ったように、一つ公安委員会の指定した教習所を出た者については、他の公安委員会のそれにも適用できるようにしたいと、そう思って立案した、こういうのですが、まだ最終的なことにはなっていないと思いますが一もし、最終的に、そうでないのだ、これはやはりちょっと問題があるというふうになって、やはり現行のように、当該都道府県公安委員会の区域に限っての効力しかなかったものだとすれば、そういうふうに、もし政令がきまるとすれば、これはやはり、八十九条というのはもっと考え直して、いわゆる居住所にきちっとしぼったやり方というのは、ちょっと幅のあるようなやり方をしないと、困る事態が私はあると思うので、その点どういうふうに、一つ長官から……。
  205. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) この法案におきましては、相当学校の基準等について定めて参るわけでございますので、どの学校でも、相当の標準の能力を養成するということに相なろうかと思うわけでございますので、ただいま内海課長から申し上げましたように、政令を定めるにあたっては、どこの公安委員会の試験を受けても、一部免除されるというふうに相なるつもりでおりますし、そういうふうにぜひいたしたいと考えております。
  206. 鈴木壽

    鈴木壽君 それではこの点は、私、今言ったように、要望を含めて、政令のきまり方によっては、この点はよほど弾力性のある取り扱いをしないと困ることになると思いますから、一つ要望として申し上げておきたいと思います。
  207. 松永忠二

    ○松永忠二君 第九十条の「免許の拒否」というところに、従前の政令だと「一年をこえない範囲内において免許を保留することができる。」こういうふうな規定があった。今度この規定を全然抜かしてあるわけなんですけれども、何かやはり、そういう規定があっては工合が悪い点があって、これを抜かしたのか。
  208. 内海倫

    説明員(内海倫君) 工合が悪いといいますよりも、いろいろ法理論的に検討をいたしたわけでございますが、結局、現行法におきます留保という観念は、試験は受かったけれども、それに免許を何カ月間か与えないという状態でありますが、そうしてそのときが来たならばそれに免許を与えるという余地を残したわけでございますが、それにつきましては、絶対に与えることが適当でないとすれば、それは拒否、この九十条によりまして免許を拒否すべきでありますし、また、そうでないものでありまするならば、免許を与えて、そうして一時免許の効力を停止する、こういう措置でいくべきであって、留保ということ自体が、この運転免許の観点からは、法理論上おかしいということで、落としたわけでございます。従いまして、免許の留保ということで、現行法で考えられておるものを否定しているわけではございません。
  209. 松永忠二

    ○松永忠二君 これを読んでみると、命令とか法律規定の処分に違反した者について、その者が自動車を運転することは著しく危険だという場合にあるわけです。従前この一年をこえない範囲内において免許を保留して、そうしてこれの適用を受けて免許を受けたというような、そういう数はどのくらいあるのですか。
  210. 内海倫

    説明員(内海倫君) 御質問趣旨は、免許の保留になったものがどのくらいあるかという……。
  211. 松永忠二

    ○松永忠二君 いや、この条項の適用になったものです。
  212. 内海倫

    説明員(内海倫君) 今ちょっと手元に資料を持ち合わしておりませんので、調べまして、後ほど御報告申し上げたいと思いますが、私どもの方で承知いたしております範囲では、この規定に基づく免許の拒否または保留は、全国におきましては、何ぼかづつ毎月行なわれておるはずでございます。
  213. 松永忠二

    ○松永忠二君 これの第五節のところの第百二条の3ですか、この効力を停止するということについては、どの程度に考えておられるのですか。
  214. 内海倫

    説明員(内海倫君) 現行法のもとにおきましても、免許の取り消しあるいは停止につきましては、総理府令をもってその基準を定めておるわけでございまして、一応、この停止につきましては、最大六カ月、最低は五日まで考えておりますが、その間で、総理府令に定めておる条件該当の事情と相対しまして停止を行なっております。
  215. 松永忠二

    ○松永忠二君 そうすると、新しい今度の法律では、ここに当たるものは、先ほど御説明のあった内容でここに当るものはどこですか。
  216. 内海倫

    説明員(内海倫君) この百三条におきましては、第二項に、一応免許の取り消し及び六カ月をこえない範囲で免許の停止のことを書きまして、その各号のところに、一、二、三とございますが、それの一号につきましては、「身体の障害で自動車等の運転に支障を及ぼすおそれのあるものが生じたとき。」とか、これにつきましては、たとえば、先ほどもちょっと私申し上げました視力がだんだんゼロ近くなってくる、あるいは免許を与えました当時とすっかり身体の状態が変わって、たとえば手がなくなった、足がなくなったというふうなこともありますので、そういう場合が一号であります。それから二号は、この道路交通法の規定に、特に運転に関するこれの規定に違反して、停止を至当と認める、あるいは取り消しを至当と認めるという場合におきまするものでございますし、三号は、たとえば、交通事故を起こしたような場合で、それが運転をさらに将来にわたって継続されることが不適である、あるいは一時運転を停止することが適当であると考えられる場合に、第三号に該当するわけであります。現在のこの総理府令で定めております基準も、大体ただいま申し上げましたような点をこまかく分析して書いておるのでございます。
  217. 松永忠二

    ○松永忠二君 そうすると、前にまあ「一年をこえない範囲内において免許を保留することはできる」というのが、今度は六カ月ということになったわけですね。それから、ここの条項に当たるものが、結局その百三条の中の二項の三に書いたわけですか。そういうふうに考えていいんですか。
  218. 内海倫

    説明員(内海倫君) 前の九十条ですか。九十条の「免許の拒否、」それから、それに対応しまして、現行法でも第四十九条でございますが、これの免許の拒否、保留といっておりますのは、公安委員会が新たに免許を与えようとするときの公安委員会規定でございまして、その試験を受けて、その後に免許を与えたわけですが、この法律は、試験に合格した者に対しては、免許証を交付して免許を与えることになっておりますが、試験を合格した者であっても、その後にその人が重大な身体の障害が出てきたとか、あるいは法令違反で、無免許運転をして、とうていこの人に免許を与えるような条件でないというようなことになりますと、その人に対して、試験は受かったけれども、免許を与えないというのが九十条の規定であり、また、現行法の「一年をこえない範囲内において免許を保留することができる。」というのは、与えないわけではございませんが、たとえば、非常な身体障害の病気があったけれども、しかし、それがなおれば、なおったときには与える。たとえば、三カ月後になおるというふうな状態であれば、それまで免許を与えることを保留して、留保しておく、こういうのが保留の規定でございます。それから、百三条の規定は、免許を受けてしまった後に、その免許を持っている人が、先ほど説明しましたような二項の一、二、三号に書いてありますような、いずれかの事情に該当するに至りましたときに、その一番重大な場合は、その持っている免許を取り消す。あるいは、そうでない場合には、六カ月をこえない期間内でその人の免許の効力を停止する。こういういわゆる行政処分の根拠規定として百三条はあるわけでございます。
  219. 松永忠二

    ○松永忠二君 そうすると、全然「一年をこえない範囲内において免許を保留する」ということに該当するものは結局なくなってしまうという説明だと思うのです。そうなってくると、免許の取り消しとか保留とかの中で、免許の保留ということが従前あったのを、それをなくした。従って、まあこういう保留のものがあって、そしてなおかつ免許を得ていたということになれば、必ずしも従前の規定が工合が悪かったということではないと思うので、まあ非常におかげをこうむった者もあったわけです。そういう意味になると思うのです。筋を通すというか、理論的には、おっしゃる通りに、免許を受けさえすればいいということになるのでしょうが、従前いろいろな理由からこれの効果を得て、もし免許を保留されて、また免許を与えられたということであれば、必ずしも削ってしまう必要もないのではないかという気持もするわけなんです。ただ、こういうものがあったけれど有名無実であって、ほとんど適用がないということなら別ですが、これがあったために免許を得た者があるとすれば、これを救済する規定が別途にないので、そういう事情によって受けた者もあるということであれば、その道を開いておいてもいいのではないかという希望の意見を持っているわけなんです。こういう点は、具体的に実際にどのくらいあるものなのか。われわれもわからないので、もし相当数あるとすれば、私たちは別にその道を閉ざすこともないのではないかという気持もするわけなんです。そういうことを希望として私は申し上げたいと思うのです。なお、この条項については、なかなかやはり乱用されてはたまらないというような点も、相当意見が出てきていることも事実だと思う。  この点はそのくらいにして、第三節の方で少しお聞きしたいのですが、第三節の第九十二条の「免許証の有効期間」というものがそこに出ているわけなんですがこれは、「起算して三年とする。」ということであります。何か、これの更新が非常に事務的に遅滞をしている、なかなか更新が容易でないというか、そういう面があるというようなお話を聞いているのですが、この点、やはり更新は順調にいっているのでありますか、事務的には。
  220. 内海倫

    説明員(内海倫君) 非常にたくさんな免許保有者がありますので、個々の人について言えば、あるいは、おれは非常に時間がかかったというような不平を言う方も私はあろうかと思いますが、更新を行なっております各府県公安委員会の側からしますれば、全力をあげて、最も早く要望に沿い得るように更新をいたしておりまするので、私としましては、順調に更新が行なわれておると、こういうふうにお答えしたいと思います。
  221. 松永忠二

    ○松永忠二君 従前、更新はやはり何年できめられておったのですか。
  222. 内海倫

    説明員(内海倫君) 三年でございます。
  223. 松永忠二

    ○松永忠二君 これについては、やはり事務的に非常に渋滞もしているし、実は非常にそのために迷惑をこうむっている者もなかなかあるようでございますので、もう少し期限を延長してもらえないかというような意向も私たち聞くわけなんですが、こういう点については、何かやはり非常に困難な点がありますか。
  224. 内海倫

    説明員(内海倫君) 免許証の有効期間につきましては、今までも、三年では短か過ぎるという意見もときに聞くのでございますが、これにつきましては、私どももたびたび研究をいたしましたが、免許証の更新というのは、今度の法案でも非常にその性格をはっきりいたしましたように、三年目ごとに運転免許を持っておる方について定期検査を行なって、それで、なお継続して運転免許を持ってもらっていいというときに、この免許証の更新が行なわれるわけでございますが、今まで私どもの実績でいろいろ調べてみますると、やはり三年目の更新で、相当数免許を保有されるに適当でない身体条件のある人を発見するに至っておりまするので、やはり三年目に一回は定期検査をしていくという制度がいいのではなかろうか、こういう結論を得た次第でございます。ちなみに、各国の制度も調べてみましたけれども、多くの例が一年または二年で行なわれておりまして、わが国の三年というのは、定期検査としましては比較的期間の長い方であるということも、私ども承知をいたしておるわけでございます。  それからなお、免許の三年更新につきましても、今回の改正法案の方では、かなり新たな配意をいたしましてそこに書いたのでございますが、たとえば、昭和三十年の一月一日にある免許をもらいまして、それから三十二年の一月一日にまた別の新しい免許を得ました場合に、三十年一月一日に免許を受けたときから起算して三年目に必ず免許の更新ということが現行法では行なわれますために、三十二年に、二年目に一ぺん新たな免許をもらったために、すでに身体検査の試験も済んでおるにもかかわらず、一番最初に受けた免許から三年目にやはり定期検査を受けなければいかぬ、こういうのが現行法規定でございまして、従って、その御本人にとっては、一番新しい定期検査をして、新しい免許を受けてからわずか一年しかたたないのに、また古い免許についての定期検査を受けなければいかぬというふうな不合理な点もございましたので、それらも修正いたしまして、前に受けた免許のほかに新たな免許を受けたときには、その免許を受けたときからさらに三年というふうに、すべての免許の有効期間をそこまで延ばすというふうにいたしましたので、そういう点でも、現行法に比較いたしますと、免許の更新というものは、更新を受ける方にとっては非常に有利に改正したつもりでございます。
  225. 松永忠二

    ○松永忠二君 第九十五条でございますが、この「免許証の携帯及び提示義務」、これの規定があるわけですが、この場合を考えてみると、これは、罰金も三万円以下の罰金になっておるのですけれども、いろいろ、防犯というような意味も考えて、相当な規定をしていくことは必要だと思うのですが、現実に免許を持っているということの証明ができるというような場合に、こういう場合に、やはりこの処罰規定を適用するということについては、やはり証明ができればいいのではないかというような考え方もあるわけなんです。こういう点は、やはり現実に証明ができてもこの罰則規定を必要とするのか、そういう場合にはどういうふうに考えていくべきものなのか、こういう点の見当はどんな工合でありますか。
  226. 中川董治

    政府委員中川董治君) 携帯を義務化しまして、無免許運転をこういう面から全面的に防止しておるわけですが、本人が携帯しておるということが証明できる場合は無罪でございますけれども、免許を受けておりましても携帯をしていなければやはり義務違反、こういうことになるわけです。免許を受けたということが証明できましても、やはりこれは罪とならざるを得ない。
  227. 松永忠二

    ○松永忠二君 そこで、証明ができたらば罰金を科すこともないではないかという、そういう意見なんです。証明ができないという場合には、これはやむを得ないとしても、証明ができれば、あえて罰金を科すこともないではないか、そういう考え方なんですが、こういう点では工合が悪いという点がやはりあるとすれば、やはり問題だと思うのです。この点をお聞きをしておきたいと思います。
  228. 中川董治

    政府委員中川董治君) おっしゃること、よくわからぬのですが、やはりそのほかに、証明関係をずっとやっておりますと、かえって混乱が起こるということもありますので、やはり携帯という一つの物理的な事実を押えた方がかえってうまくいくのじゃないかと思いまして何しまして、判例等も、そういう趣旨に裁判所もとっておりますし、そういう趣旨に解するのが適当じゃないかと思っております。
  229. 松永忠二

    ○松永忠二君 そういう理屈でなしに、現実にこういう支障があるというようなことで話を聞かしてもらえば、やはりなるほどということも考えるわけです。そういう点で何かこまかい御説明といいますか、実情を一つ聞かしてもらいたい。こう言うのです。
  230. 内海倫

    説明員(内海倫君) 実は、運転免許証につきましては、先ほど中川局長からも答弁がありましたように、必ず持ってもらっておるということが、私どもの運転免許制度をしいておる前提から必要なことで、確かに、運転免許証を忘れておっても、その運転自体に危険はないし、また、そのゆえに事故が起こつたということも私は聞いておりませんが、反面、しばしば私どもがぶつかります例は、免許証の不携帯を理由に、事実は運転免許を持っておらない、いわゆる無免許運転者であるという例が非常に多いわけでありまして、そういう点で、街頭で警察官が無免許運転の疑い、あるいは他の場合で運転免許証について任意に調べましたような場合でも、はたしてほんとうの免許の保持者なのか、そうでないかということで、非常に苦心惨たんしなければならないような実情でありますので一私どもとしましては、一たん免許証を与えられた限りは、この法に基づいて、免許証を必ず携帯した場合でなければ運転してはならないというぐらいの制度でなければ、なかなか困る場合が非常に多いわけでございます。この点は、私どもとしては、免許証の携帯というものは、およそ運転する場合には、常に出し得るというぐらいに、的確に持ってもらうことが必要であろうというふうに考えております。
  231. 松永忠二

    ○松永忠二君 私の言うのは、たとえば、免許証を忘れて、とにかくそこで取り調べられた。そこで、その家へ行ってきて持ってくる。持ってきますからと、そこへ置いて取りに出かけていって、帰ってきて見せるというような事実、あるいはそのほかにかわるべき証明というようなものがあれば、あるいは電話で連絡をして明確になるというようなことであれば、ここに三万円ほどの罰金ですから、誠意をもって、過失であったので、それを証明するように、みずからとにかく証明をして、手数をかけないで証明をしたという場合においては、こういうことを適用することもないのではないか。ただ、防犯的に考えてみて、携帯を自由にするなどということはとうていできないことでありまして、どうしても携帯しなければできない。しかし、それが免許を所有することが証明できた場合というのは、罰則の除外をするということについては、金額も相当になってきているので、そこまで自分の努力でやった場合に、警察官にそうめんどうをかけないでやる場合には、これを直ちに適用していくということについては何か、携帯しなければならぬ事実もよくわかるし、同時にまた、罰則も非常に強化をされているので、こういう点については、やはりもう少し過失の犯罪というものについては、過失にもよりけりですが、こういうものの過失の犯罪というものについては、もう少し処罰というよりも適用の上に配慮を加えることで明確にしておく。裁判になればそんなことはありませんと、こうおっしゃっても、実際問題としてそういうことが事実上できていればいいのではないか。もちろん、それだからいいかげんにして歩くということは私はしないと思うのであって、そういう点を私は申し上げたのですが、どんなものですか。やはりいろいろな経験等もあると思うのですが……。
  232. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) これは持って歩くものだということは、松永さんもお認めになっておると思うので、過失の場合はそんなに重く罰しないでもいいではないか、あるいは、過失は許していいじゃないかという御趣旨だと思いますが、おそらく故意に持って歩かないというものはまずないのじゃないか、自分が免許証を持っておるのに。だから、持ってないのは大体過失で持ってないので、そういう過失などを起こさないで、常に持って歩く。だから、持ってなければこれは無免許運転と、即座に区別できるということで、取り締まりをてきぱきとやっていく。運転する場合には必ず免許証を持つ。われわれが名刺を持つとか、警察官が警察官の手帳を持つのと同じように、やはり運転する以上は免許証を持っていなければいかぬのだという趣旨規定でございますので、過失を許すということになると、ほとんどこれは有名無実になってしまうという気がいたします。これはやはり、ぜひとも過失などを犯さないで、持っていただきたい、こう思います。
  233. 鈴木壽

    鈴木壽君 私も、松永委員と同じような考え方を持っているのですが、ここで罰則が、九十五条の一項については二つになっております。違反した者については三万円以下の罰金、それからもう一つは過失によった場合と、こう二つになりますね。だから、不携帯ということについての罰則を置くことは、私はいいと思うのです。私は、原則的にそれはそれでいいと思う。過失の場合もというから、じゃ実際の問題として不携帯という事実、そこでいろいろ、これは、簡単に持ってないからといっても、一応お調べになると思いますが、そこで、先ほど言ったように、はっきりほんとうの善意の意味での過失で忘れてきたのだ。そこで、それが直ちにしかるべき方法で立証されるといった場合に、これは、実際の場合に、それを送検とか何かすぐやれますか。それに従って、それに対する罰金とかということを実際の場合やりますか。
  234. 中川董治

    政府委員中川董治君) 実際の運用の点は、いろいろなそういった事情を考えまして、そういう四角四面にやらないという場合が比較的多いのであります。
  235. 鈴木壽

    鈴木壽君 そうすれば、鈴木が途中でひっかかって、見せろと言われた場合には、取りかえてきた上着にあるが、それが何らかの連絡方法で確かめられて、そうだということがわかった場合には、おそらく第一回ぐらいであれば許していただけると思います。実際問題は、運用の面において、あなたの今おっしゃったように。とすれば、これは何べんも何べんもそういうことをやっては困るのだが、罰則の百二十条の一項によって三万円以下の罰金になりますから、二項の方の過失によりというやつをそこまで荒立ててやらなければいけないのか。私は、不携帯をそのまま見のがせというのじゃないのです。しょっちゅう忘れるようなのは、これはやはりだめだと思うのですがね。だから、不携帯に対する一般的な罰則としては、三万円でも五万円でも、五万円というのは少し言い過ぎですが、とにかく三万円でもいいわけですよ。ところが、それが過失によったということが証明されるような場合に、それにまで同じように三万円、これはまあ情状酌量ということもあり得るでしょう。その場合に、事情によって、一応おしかりを受けた程度で帰される場合もあると思いますが、そうだとすれば、私は、過失というものを特に加えなくともいいんじゃないかと、こう思うのですがね。そうしてこれは、普通の場合の過失によって生ずる危険とか何とかということとは、私は性質がちょっと違うものだと思います。ですから、悪く利用しようとするものは、これはいろいろなことで、無免許でも、おれは忘れてきたのだと言うと、それは立証の何もないのですから、必ずボロが出てくると思うんですが、そういうものと違うので、ほんとうの意味の罰則をやるんだったら、ここに過失の罰則をやるというのは、ちょっとおかしいと思うんですがね。
  236. 中川董治

    政府委員中川董治君) ただいま長官も申しましたように、故意で持たないというのはまずないのであります。それで、実際問題は、無免許運転はもっと重い罪でありますが、不携帯の場合はおおむね過失でございます。従来から、こういった犯罪は、故意または過失による不携帯の場合はというふうに書くのが大体例なんですが、ところが、現在の書き方が一項と二項とあわせて、この故意で持たない罪というものが頭の中に考えられますけれども、故意に持たないと考えられるのはまずない。不携帯罪の多くは過失である。現行法は故意、過失をはっきり書いてないんですけれども、ずっと内務省時代は、故意または過失によりという書き方をしておった。実際は過失罪が多いので、過失罪の二項を引き出すために一項を作った、こういうふうに御理解いただきたいと思います。
  237. 鈴木壽

    鈴木壽君 これはあまり故意はないだろうと思いますがね。しかし、いわゆる無免許運転というのは明らかに故意ですわね。それがあるとするならば、単なる過失じゃなくて、おれ知らなくてやったとか、忘れてきてやったとか、これは立証できませんからね。そこで過失ということですが、だから、ほんとうに不携帯ということに対しては、私は、罰則を設定しておくことは、それでいいと思うんです。そしてあと事情によって、いわゆる過失というようなことがほんとうに立証される場合に、それに対する取り扱いというのは、私は別にあってしかるべきと思うんですね。
  238. 中川董治

    政府委員中川董治君) 故意の場合は、実際問題として無免許運転でございましょうが、無免許運転は、これはもっと高い罪でございまして、百十八条に規定してあるのは過失罪なんかございませんので、不携帯の場合は多くは過失でございますので、それを引き出すために書いた、こう御理解いただきたいと思います。
  239. 鈴木壽

    鈴木壽君 無免許運転は別に罰則がありますわね。だとすれば、ここで該当するものは過失によるものだとすれば、そうすると、また刑罰を二重に書きあわせて、違反したもの、過失によるものなどということにしなくてもいいわけなんでしょうな。あくまで、私は何べんも言うように、不携帯をそのまま見のがせということでなくて、それはそれとして罰しなきゃいかぬ。そういうこともわかりますから、一応肯定してですよ。しかし、過失によるものといって、明らかに過失を罰する事例ももちろんたくさんありますが、そういうものに、こういうところに大きな額でやるということについては、やはり考えなきゃいけないんじゃないですかな。私はそう思いますね。
  240. 中川董治

    政府委員中川董治君) おっしゃるように、故意とか過失は大体こういう場合一緒でございますので前は、故意または過失と書いた時代もあるのでございますが、現行法は、故意も過失も書かないで、不携帯と書いたわけです。それも一つの方法だと思うのです。ところが今回は、過失の関係を明確にしないと、かえっていろいろな疑問が起こってきますので、判例でも、故意または過失を含むといっておりますが、判例だけでまかなうのは適当でないとう学者の意見もあるので、判例の趣旨を明確に書いたと、こういうふうに御理解をいただきたいと思います。
  241. 鈴木壽

    鈴木壽君 学者と言われると、どうもしろうとの悲しさで、言う言葉がなくなってきますがね。しかし、こういう何か、ほかの過失ともちょっと性質が違うものだし、ほんとうの意味の過失があるんだし、われわれ財布を忘れたり、名刺入れを忘れたりすることはあるんですね。そういうことが、たとえば運転者の場合に、ほんとうに忘れたということが立証されて、しかも一回か二回、二回と言っちゃ悪いかもしれませんが、一回そういうことが見つかって、しかし、それがほんとうに忘れたということが立証されたと、過失を罰するというなら、そういうことも皆罰しなければならぬ。しかし、あなた方の考えていることは実際はそういうことじゃない。実際の場合は、私は罰するわけじゃないと思います。あるいは送検ということは私はないと思うのです。そういうものですから、あなた方がほんとうに取り扱ってやっているようなことをやろうとすれば、この罰則の方のいわゆる過失というものを除いても何ら心配ないのじゃないか、実際やっていることをおやりになるとすれば。そのために、私は、何も過失を奨励して、すべて善意の過失なりと、そういうようなことでのがれさせようというのじゃ毛頭ございませんけれども、あくまでも不携帯という義務を怠った者に対しての罰則というものは私は現実に置いていいと、こういう前提には立ちますけれども、ちょっとここが、いわゆる過失によるこれというようなことになると、私は……。
  242. 松永忠二

    ○松永忠二君 ちょっと関連して。今お話通り、免許証を忘れて持ってこなければ、そこで調べられたときに、もうその人は運転ができないのでしょう。だから、もうその車は動かぬわけなんですね。それだから、それによる危害というものは考えられないわけですね、そこで発見されたときには。従って、その後そういう状況が続けられていくのを過失と認めていくことはとうていできない。現実にそこで発見されてしまえば、その後の行為は続けられていかない、ほかに別個に処罰する規定があるわけですから。だから、そこで、同じ罪にしても非常に軽いものではないかという気持を持つわけです。そうしてあとでそういう行為が続けられていない。しかも、積極的に証明できるということになれば、そういう点で明確になるのじゃないか。まあ非常に警察官も仕事が多いので、そういうことばかりを警察官にまかせるとかいうことはできないけれども、積極的にそういうことをみずからがやる。それからまた、ちょっと聞きたいのは、こういうときには、従前免許証に何か印を押して、そうしてそういう事実があったことを明確にするということになっているように聞いていました。そうなってくると、過失を問わないでそういう処置が行なわれれば何回になるかということがおのずからわかってくるので、何かそこに便宜的な方法がないものなのか。過失と故意と言わなくても、とにかく過失が証明されたときには、何かやはり本来のものとは違う罰則が、罰則はもちろん入れるべきだが、免除すべき方法があってもいいのじゃないかということが実際問題としては考えられるのですが、実際の様子を聞かしてもらいたい。
  243. 内海倫

    説明員(内海倫君) 現在におきましては、警察官が、免許証の不携帯の場合は、ちょっと免許証に記入するわけにいかぬのですが、交通違反等を起こした場合は免許証に記入するという根拠を与えておりますが、今度の法案では、そういうことはできないように、その根拠を落としましたので、免許証に警察官が事柄を記入するということは、この法案が出ました以後はいたしません。  それから、免許証の携帯という問題につきましては、今いろいろお話があるわけでございますが、交通警察を担当いたしております私どもの立場から申しますれば、やはりその携帯が義務づけられる理由は当然あるわけでございますし、従って、携帯を担保するためには、罰則を付するということはやむを得ないのじゃないか。しかも、その場合、免許証の不携帯という実態は、もうほとんどの場合が過失に基づくものと思いますが、結局、免許証の携帯ということを義務づけ、それを不携帯になった場合における罰則で担保するという趣旨は、過失といえどもやはりいけないのだという趣旨を明確にいたしたものと考えますし、また、免許証を携帯していることが交通秩序維持の上にも必要と考えますのでまあ私どもとしましては、九十五条に関する過失罰をもぜひ置きたいというふうに考えて設けた次第でございます。
  244. 鈴木壽

    鈴木壽君 今の点、もう少し僕らも考えてみますが、こういうふうに二つ、不携帯の場合の罰則と、それからさっきの過失の場合の罰則は、今は必要がないと思うのですがね。この点、一つ私どもも検討してみます。  まあちょっと簡単な事務的なことですが、九十六条の二項の、「運転の経験の期間が通算して三年(政令で定めるものにあっては、二年)以上のもの」と、こうありますが、どういうわけでこれは二年というふうにきめられましたか。
  245. 内海倫

    説明員(内海倫君) この政令で定める内容でございますが、今私どもが大体定めるものとして考えておりますのは、たとえば、具体的な例といいますと、国鉄などにおきましても、国鉄で、運転者の教養訓練を行ないます場合の施設を持っておりますので、そういう所を正規に卒業した場合、あるいは普通のバス等を経営しているバス会社等が連合して一つの教養施設を設けて、それらが使用している第一種運転免許の保有者を訓練しているような場合に、その施設を卒業した場合、あるいは所定の条件のもとで特別な訓練教養を積んだような場合というふうな具体的なものを考えまして政令で定めたいと、こういうふうに思っております。
  246. 鈴木壽

    鈴木壽君 それから九十八条ですがね。九十八条の自動車教習所の指定の問題でありますが、先ほどもお話ありまして、政令で基準を定めて、その基準に適合したものと、こういうことになるわけなんでしょうが、これは一ついわゆる基準の設定にあたっては、まあ言葉は少しきついかもしれないけれども、りっぱな基準を作って、そうして厳重にやはりそれに適合するかどうかということを見て、それによって指定をするというふうにしなければならぬと思いますが、そういうことについては、何か、現在これは各教習所等の基準によってのやつはいろいろあると思うのですがね。こういう点はこういうふうに改善をしていきたい、そのための政令をこういうふうにしたいということを現在考えておられることがありますか。
  247. 内海倫

    説明員(内海倫君) まず、最初の御質問お答えいたしますが、政令はできるだけ厳正なものにいたしたいというふうに考えております。それから、現在の指定基準が、各府県のものを私の方に取り寄せまして検討いたしておりまして、その中でやはり非常に差がありますのは、施設の広さ、いわゆる練習場、練習コースの広さに相当各県によって差があること、それから、いわゆる指導員の資格要件というふうなものに相当の差が認められますこと、それから教習時間、これがやはり若干県によって差がありまして、さらに、それらの実行の面につきましては、私どももそれを直接調べる立場にありませんので、現在は、基準を設定するための手段として調査をいたしておりますが、その基準通りに実行されておるかどうかということも、今後十分見ていかなければならぬ問題だと考えております。
  248. 鈴木壽

    鈴木壽君 私は、都内の教習所の内容はよくわかりませんが、いなかの方にあるいわゆる教習所といわれておる、あるいは自動車学校といわれているものは、練習場の広さなんかにおいても、まことにお粗末なものがあるわけですね。ほとんどろくに練習のできないような所で、やるのはとんでもない遠くまで連れて行って、どこかの広っぱでやらせる、こういうような所があるわけですね。従って、あの中にいろいろ練習しなければいけないコースなんかがあると思うのですが、そういうものも満足に設計されておらない。こういう所でいわゆる教習を受け、教育されておるわけですね。ですから、今後この政令による基準の定め方あるいは適合するかしないかということについては、一つ十分やっていただかないと、困る事態が出てくるということを一つ。それから、いなかの方ではろくに車がないのですよ。ひどい車が二、三台あって、それでやっている。昔のギアのレバーが下についていて、長いのがついて、ああいうようなものだけで試験場で習っているというような、それはもちろん、トラックなんかは現在そうですから、役に立たないという意味じゃありませんけれども、新しい車についての教養なんかはほとんどできない状態をいなかの教習所で私見ているのです。こういうものについても、単に面積とかあるいはそこの練習するいろいろなコースとかいうことだけでなしに、そういう面についてもやはりある程度の基準というものは、現在私、あるかないか、そこまでわかりませんから言うのですが、そういうものをやはりやってやらなければ、満足ないわゆる教育というものはできませんから、こういう点、これは、そこを卒業すれば免許試験の一部を免除されるということが当然一つのいわば特権みたいな、そういうものと結びつくものですから、厳重に一つこれをやっていただきたいということ。  それからもう一つは、これに関連をして、卒業する際のいわゆる教習所あるいは学校等における試験といいますか、言葉そのままではあるいは妥当を欠くかもしれませんが、いずれそこの中で卒業する際のやはり一つの試験等のようなものがあると思うのだが、それをすっきりやらせるようにしないと困ると思うのですね。ろくに行かないで、月謝みたいなものを納めて、何カ月かたてばあそこは大丈夫なんだという声も聞かれるわけなんです。それでは困るので、私は、やはりそういう設備とか施設の面での基準だけでなしに、今言った卒業させるための試験なり、あるいは何かのそういう方法によるところの卒業証明書を与える際のこれを、やはりしっかりやってもらわないといけないと思うのです。というのは、東京都内のことを私承知しておりませんから、先ほど申しましたように、いなかのちょっとした見聞に基づいて申し上げるわけなんですが、いなかへ行くと、やはりそういうのが私の見たところだけでなしにあると思うのですが、さっきもお話のありましたように、指定された自動車教習所を出た者に対しては試験の一部を免除する特典というものを全国に共通するようにもしおやりになるとすれば、先ほどもお話があったように、おやりになるとすれば、なおさらそういうことが私必要になってくると、こういうふうに思うのですが、私だいぶ意見を申し上げ、あるいは要望めいたことを申し上げましたが、それらについてのお考えを一つ承っておきたいと思います。
  249. 木村行藏

    政府委員(木村行藏君) 自動車練習所の指定にあたりまして、今後この法案が適用されるまでの間に、政令で基準を作らなければいかぬと思いますけれども、この場合に一番大きな問題の一つは、その政令基準が厳正に科学的な根拠に基づいた合理的なものを作りたい、同時に、その基準に合致するように、実際に末端に至るまでそれを確保していく、確認をして、実際に監督をして参りたい、こういうふうに考えておりますので、大きなポイントとして、実際に厳正にやって参りたいということをお誓いしたいと思います。  それからまた、先ほどいなかの方でいろいろ相当ちゃちな施設でやっているのではないかというふうな御指摘がありましたが、そのいなかの教習所と名前をつけられておるものの中には、公安委員会の指定を受けていないものがあると思います。それと指定を受けているものと、若干外部の見られる方では気づかない点もあるやに思うのであります。で、指定を受けるものにつきましては、今後は厳重に基準に合致するように、末端に徹底するまでやって参りたいと思っております。
  250. 松永忠二

    ○松永忠二君 私、お聞きしたいのは、東京都の場合でも全国でもけっこうですが、教習所を出て実地を免除されているものは、免許の中のどのくらいのパーセントを占めているのか。それから、実地の検定を受けている人たちの一体合格率はどのくらいか。それから学科の合格率はどのくらいなのか。その数をちょっと教えていただきたい。
  251. 内海倫

    説明員(内海倫君) ちょっと今手元にございませんので、警視庁につきまして調べてみたいと思います。その上で御報告を申し上げたいと思います。
  252. 松永忠二

    ○松永忠二君 全国についても同様ですか。
  253. 内海倫

    説明員(内海倫君) 全国もちょっと今ございません。全国ということになりますと、相当時間を要します。それから、全国の場合になりますと、全く指定してない県も相当ございますし、非常に実情に差がございますので、正確な統計にはならないと思います。警視庁の例を申し上げたいと思います。
  254. 松永忠二

    ○松永忠二君 それは一つ知らしていただきたいと思うのです。そこで、これのデータが出て来ぬと、実際のところ、いろいろ意見を述べるのに非常に工合が悪いのですが、一体その自動車教習所を卒業して、学科の試験を免除するという方法が妥当なのか、実地についての試験を免除するのが妥当なのかということについては、どういうふうに考えておられますか。
  255. 内海倫

    説明員(内海倫君) 学科の免除、実地の免除が考えられるわけでございますが、現行法のもとにおきまするいわゆる自動車練習所の指定に伴う一部免除という制度は、結局、非常に増大して参ります運転免許試験の希望者の状況にかんがみまして、公案委員会で全部を完全に試験をいたします場合には、非常な日時と非常に多くの人員等を要しまして、そこで、少なくとも公安委員会が行なう試験と全く異ならない程度の能力を付与できる自動車練習所があります場合には、特にそういうものを指定いたしまして、そうして試験の一部免除という形で、試験の一部を代行させるというふうな考えに基づくわけでございます。そういう観点からいきますと、最も長時間かつ非常に多くの設備と人員を必要とするいわゆる技術試験というものを指定学校の方に行なわせていくということの方が合理的であろうと思います。しかし、反面、今度は試験の厳正という点から考えますれば、もとより両方公安委員会みずから全部をやることの方がいいわけでございますが、特にその点につきましては、学科も実地試験も区別すべきものはなかろうと、かように考えております。現状におきましては、これは県によって異なりますが、東京都におきましては、技術試験を免除いたしております。
  256. 松永忠二

    ○松永忠二君 今のお話によると、実地も学科も、これを試験をする規模というか、そういうものを持っているならば、これを実施をすることの方がいいけれども、事実上特に実地については不可能だと、そういうふうな点から、これを教習所にやらせることの方がいいと、こういうお話なんですね。そうすると、こういう制度について一は、戦前はこういう制度を認めていたのかどうなのか。
  257. 内海倫

    説明員(内海倫君) ちょっと私、その点、不勉強で、今確答しかねますが、戦前におきましては、自動車練習所の指定は内務大臣の指定になっておりましたので、内務大臣の指定した自動車練習所の卒業者に対しましては、やはりある程度さような措置がとられておったのではなかろうかと私考えております。
  258. 松永忠二

    ○松永忠二君 さような措置というと……。
  259. 内海倫

    説明員(内海倫君) 試験の一部免除というふうな制度もとられておったのじゃないかと思います。ただ、私、今手元に資料を持っておりませんが、ちょっとその点、記憶が薄らいでおりますので、なお正確に調べてお答え申し上げたいと思います。
  260. 松永忠二

    ○松永忠二君 まあこれは意見にもなるわけなんですが、そのほかのいろいろ技術免許というものについて、検定についても、検定試験制度を実施をして、国家が責任をもって試験をしているわけです。それには、それぞれまあそれによる一つの重要性というものから来ていると思うので、この運転免許試験なども、やはりそういういろいろな、危険とか、そういう意味から相当重要なものであるという考えだと思います。そういう点から言うと、やはりこれについては、事故を起こしたものがどの程度、特に自家用車のごときものが、どの程度一体教習所を出た免許試験免除者から出ているものなのか。そういうふうなこととか、それからまた、公安委員会がこれを実施しようとする場合には、どの程度一体予算は要るものなのか。事実上は、試験であるので、受験料を取っているわけなんです。たとえば、公安委員会が特殊に作った試験の免許所というような所を作れば、そこへ行って試験をやるという方法も講ぜられるわけです。まあ一番もとは、とにかくしっかりした免許証を持って出てくれば、結局いろいろな事故はないのだから、この点については、もう少しいろいろな科学的な調査の上に立って、こういう制度が必要であるということでないと、なかなかやはり問題が多いと考えるわけです。事実、毎日のように実はこの記事が新聞にも出ているわけなんです。それからまた、私たちも、東京都あたりで、教習所に通わせたことも知っているわけなんだけれども、こういう政令の中で、たとえば料金ですね。たとえば、一課程をどのくらい取るとかというふうなことも、事実上も非常にさまざまであるわけです。こういうふうな点については、たとえば、九十八条の「政令で定める基準」というようなところには、こういう事柄について触れていない。この点はどうなんですか。
  261. 内海倫

    説明員(内海倫君) 「政令の定める基準」でございますから、その範囲内におきましては、ある程度それに要するいわゆる授業料の金額の範囲というものは、私は基準として定めることができると思います。
  262. 松永忠二

    ○松永忠二君 それからまた、方法としては、たとえば、今話が少し出ているように、検定の際に立会人を出すとか、あるいはそういう面の検定の公正を期するということについて、一体何か積極的な方法を考えておられるのですか。
  263. 内海倫

    説明員(内海倫君) ここのところにも、第三項のところで、「公安委員会は、指定自動車教習所が第一項の政令で定める基準に適合しなくなったときは、その指定を解除することができる。」、その前の二項で、「基準に適合しているかどうかを検査し、及び当該指定自動車教習所を設置し、又は管理する者に対し、必要な報告又は資料の提出を求めることができる。」ということで、一応の、指定しました教習所に対しましては、その指定した公安委員会が監督できる道を開いているのでございますが、私どもとしましては、試験のいわば一部を事実上委任した形でありますから、当然その試験の事実上の委任に基づく効果として、その教授方法あるいは卒業試験というふうなものに対しましては、それが公安委員会が行なう試験と同等またはそれ以上に十分に行なわれているかどうかということの調べもいたすべきものと思いまするし、従ってまた、その方法として、試験における立会検査というふうなものが当然行なわれなければならないものと考えております。
  264. 松永忠二

    ○松永忠二君 もう一つ聞きたいのですが、政令の中できめる指導員の資格基準というものは、どういうふうに考えておられるのか。  それから、実地試験というものは一体どのくらい時間を要するものであるか。その二点を具体的にちょっと聞かして下さい。
  265. 内海倫

    説明員(内海倫君) 指導員の資格につきましては、まず、その本人の年令の面で、当然二種免許を持つことのできる、法令で定めております二十一才以上の者である。それからその本人がいわゆる技術面の指導員であります場合には、少なくとも二種免許、しかも、自分が専門に教授する自動車についての二種免許を持つという技術上の資格を要件といたしたいと思いまするし、また、その一般的能力におきましても、少なくとも人の指導に当たるわけでございますから、それに必要な学力、識見等を保有している人であること等は、当然の要件といたしたいと考えております。  それから、実際の技術の運転に要する時間数でございますが、これは、現在のところ、各いろいろな練習所によりましていろいろにきめておりますし、また、その人のいろんな能力、特に運動神経があるかないか、いろんな能力によって、あるいはその人が受けようとする自動車の種別によって異なるようでありますので、今私、数字をあげて、どれがどのくらいというふうなことをはっきり申し上げかねますが、もし必要でございますれば、先ほどの御要望のこととあわせまして、東京あるいは大阪等で実施しております技能の教育に使っておる時間及び私どもが客観的に検討した必要な時間というものと、両方を提出いたしたいと思います。
  266. 松永忠二

    ○松永忠二君 私の言っておるのはそういうことではなくて、習うのにどのくらい時間がかかるというのは、私は、技能的な面からいろいろあると思うのですが、要するに、実地の免許を与えるために必要な検定の時間です。最後に仕上げをして、一緒に乗って、そうしていろいろな交通法規——坂道や何かのいろいろな走り方を全部試験をするわけでしょう。それを習う時間はいろいろ人によってさまざまであると思うのですが、それを言うのじゃなくて、最後に試験をするのに一体どのくらい時間がかかるのか。どのくらい要するか。学科についてはマル・バツでやられているのですから、これははっきりしている。あなた方が考えておる1実際に試験をするとすればですよ、公安委員会が試験をするとすれば、実地に要する試験の時間というのは一体どのくらいかかりますか。
  267. 内海倫

    説明員(内海倫君) それも、車種によって若干異なろうと思いますし、また、私正確にそれを承知いたしておりませんが、おそらく一時間前後はかかっているのじゃなかろうかというふうに思います。正確には、調べた上でお答えいたしたいと思います。
  268. 松永忠二

    ○松永忠二君 まあその考え方ですがね。いよいよ最後の検定をするときに、そんなにたくさん時間を要しないと思うのです。これは、バツクをしたり、いろいろしたとき1車庫に入れるとき触れたから、また練習し直す、そのために練習には非常に時間を要するけれども、最後に一体技能があるかないかということを検定するのには、あなたのおっしゃった一時間という話が出た。そうなってくると、一人に対して一時間の検定の実地試験というものは、これは必ずしも公安委員会がやって不可能なことではない。予算的にも、免許受験料を出せば、十分これはやり得る一つの方法があるということを考える。こうなってくると、事実上いろいろなうわさも聞いておるし、いろいろなこともあるわけです。特に重要な、ここで道交法の上でいろいろ検討しなければならない問題は、やはり正しい、実力のある免許証を持って出て、もらう。極端なことを言えば、そういうものであれば、できるだけ時代に応じて、年令の低い者でも、そういう免許証を持つことについては、これは反対の理由はない。問題は、免許証を持っていても信用ができないというところに問題が出てきているので、これが非常な時間を要して、予算を要して、とうていやれないという見通しなら別です。そういう具体的に検討をされているなら別です。そういう数字を、今言ったようなものから、一つ具体的に検討したものを見たいと思うのですがね。こういう考え方があるわけです。  それからもう一つは、今御答弁の中川で、指導員の資格基準をきめてみたところが、それじゃ何も私は普通のものと変わりがないと思う。年令と二種免許証と必要な学識なんて、そんなことは、これは何も大したあれじゃないと思う。こうなってくると、私は学力とかいろんな問題が問題になってこなければできないので、この程度の資格基準でやらせて、しかも、一課程については、ときにはずいぶん長い間やらせてみたり、あるいは非常に簡単にやってみたり、あるいはこれを売る自動車の会社との間の関係等もいろいろうわさされていることを見ても、この自動車教習所のこういう方法を持続するには、もう少し根本的ないわゆる検討をしてやられる必要があるのじゃないかということを私自身は考えておるのです。事実少数の人ですが、学者の意見等を聞いても、学者の中にも、こういう必要はない、教習所に一部の免許を免除する必要はないのだというようなことを私たちも聞いているわけなんで、私たちも、どうも自動車教習所を作って教習をすることについては非常にけっこうだ、十分こういうものをどんどん作ってもらって勉強してもらうけれども、最後にそこで検定を与えるものはあくまで厳正に、しかも厳格に行なわれるということが保証できるということが非常に必要じゃないかということを痛感をしておるのですが、もう少しこの点については、私たちも数字を事実知っておるわけでもないので、一つそういうところを聞かしていただいて、どうも問題があるように私は実は思っているのでお尋ねしたわけです。長官、この点はどういうふうにお考えですか、教習というものについて、今言ったような私の問題については。
  269. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) 一つ考え方として、ただいま松永さんのお話のように、教習所においては十分な教養をするけれども、免許の試験については、公正な公安委員会のところで、どういう練習の経験を積んだ、積まないということでなしに、そこで試験をやって、一律にやるという考え方も、確かに私は一つの御見識だと思います。この法案におきましては、しかしながら、教習所というものについて厳正な基準を設け、それによって教習内容というものを確保する、そういうことで、その教習所を出た者に対しては一部の免除をするということも、この免許を与えるについての運営の合理化と申しますか、敏速化というようなことの見地からすれば、やはりそういうことも一つ考え方で成り立ち得るのではないか。本法案は、その構想に立って立案されておるわけでございまして、こういう考え方でなければならないということではないと存じますけれども、こういう本法案のような考え方も、やはり効率的な運営という点から、捨てがたいものがあるのじゃないかというふうに私は考えます。
  270. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) ちょっと速記をとめて。    〔速記中止〕
  271. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 速記を始めて下さい。
  272. 鈴木壽

    鈴木壽君 百三条を簡単にお聞きしておきますが、意見を申し上げながらお聞きしますが、二項の三号、どうもこれはあいまいな規定なんですがね。それと、三項で、私、意見を申し上げて端的にお聞きしたいと思いますが、ここで、公安委員会あるいは公安委員会が委託したものが行なうそういうものの講習等を受けた者については、「政令で定める範囲内で、その者の免許の効力の停止の期間を短縮することができる。」と、こうありますが、指定をした公安委員会の講習、まあ会と申しますか、あるいは委託したものが行なうところのそういうものが終了したというふうにはっきり認める場合には、もう少し温情をもって効力の停止を取り消したり、期間の短縮をもっと温情を持ったやり方が至当ではないだろうかと、こういうふうに思うのですが、この二点について。
  273. 内海倫

    説明員(内海倫君) 第三項の規定につきましては、今度新たな規定としてこの法案で定めたわけでございまして、その規定趣旨は、ただいま鈴木委員がおっしゃいましたように、免許の停止を受けた人に対して、その停止を受けた理由から、すなわちただ単に放任しておけばいいというようなものであるよりは、その間に何らかの講習等によって教育していくということが、最も危険を防止し、交通の安全をはかる上に有益であると考えまして、こういう規定を設けました。従って、そういう講習を受けた場合には、その人の受けた処分である停止の期間を短縮すると、こういう意味規定いたしたものでございます。従いまして、これの運用につきましては、今後各都道府県公安委員会で十分こういう規定の運用をはかっていくべきであると考えられますし、また、そういうふうに公安委員会は行なうものと思いますが、さて、三項で書いてありますものは、免許の効力の停止を受けた場合にこういう措置をとるということにいたしておりますので、期間の短縮につきましては、政令で基準を定めまして、極力短縮できる。たとえば、免許の停止を十日間受けた場合、講習を二日受けましたならば、あとの八日は短縮ということで、もうしない、停止を解除していくと、こういうふうなことは私考えていくべきであると思いますが、この講習を受けた場合に、その停止処分そのものを撤回するということについては、この三項において考えてもおりませんし、またそのことは、やはり停止の処分に該当したことは事実でございますし、その者は講習を受けて、そうしてその講習が終われば期間を短縮するわけでございますから、停止処分の撤回ということを考えるということは、私どもは考えておらないわけでございます。
  274. 鈴木壽

    鈴木壽君 この二項の三号というのは非常にあいまいですね。事実上、「運転することが著しく道路における交通の危険を生じさせるおそれがある」というのは、一体どういうことなのか。ですから、前に一号、二号では、これはきちっと、規定に違反したり何かする、そういうものですからね。ここで十分これはとらえ得るものだと思う。さらに、それ以外にこういうものがある。非常にあいまいな私は規定だと思う。だから、こういうことについては、私はこういうものは不必要じゃないかということが一つ。  それから三項の場合、講習を終了したのですから、もしいけなかったら、講習を終了させなければいい。終了ということは、あなたのお話のように、二日やったとか三日やったとかということの単なる形式的なものじゃなしに、やはり終了したということは、そういう心配がなくなったとか、いわば一つの再教育の期間でしょうから、まあ言葉をかえて言うと、ですから、場合によっては、単なる形式的な日にちだけを切らないで、その日にちがかりに終わっても、いわゆる終了したものと認めないということは私はあり得ると思うのですがね。だから、終了したものに対しては、私は、やはりもっと、単に期間を短縮するということだけじゃなしに、場合によっては、その期間が短かいものであったら、その停止を解くというようなこともやはり一つの運用なり、あなた方のこういうものに対する一つの温情みたいな形で取り扱ってやることが、誤っても罰則、あれやっても罰金ということだけでなくて、私は、そういうところでやはり人情味を発揮すべきだと思うのですがね。どうですか、これは。
  275. 木村行藏

    政府委員(木村行藏君) 確かに鈴木先生のおっしゃられるようなことが考えられますが、ただ、たとえば十日間停止を受けておる。そして講習を三日終わった。あと十日間の停止処分を何日に短縮するという場合に、すでに三日間講習を受けておる間は停止がすでに続いておって、停止になっておるわけでございます。それから先は短縮ということになるのでございまして、従いまして、先生のおっしゃる停止の取り消しということになると、名目だけを、過去においてすでに停止になった三日間の停止の名目を、停止処分で名前を消すということだけでございまして、実体的にはあまり大差がないというふうに思います。  それから、第百三条の第二項の三号でございますが、これは、一号、二号に該当しないものでありましても、たとえば、再三交通事故を起こした者であるとか、あるいは停止処分を受けておる者というようなものについて、その者の運転が著しく道路における交通上の危険を生じさせるおそれがあるという場合でありまして、まあ例示をあげておりませんけれども、われわれ考えておりますのは、一応基準を考えまして、この交通事故を起こした者とか、あるいは停止処分を受けた者ということで、その実態から、著しく交通の危険を生じさせるおそれのあるもの、そういうときに活用していきたい。
  276. 鈴木壽

    鈴木壽君 三項の問題で、短縮ということの中に、事実上のそういう措置ができるというようなお話、それからまた、取り消しても、実際上三日なら三日事実として停止されておるんだからと、こういう御説明なんですが、私は、一体に一つの温情として、そういうような一日でも二日でも、そういうことがあったにしてもやったらどうかということも考えますが、その点はまあわかりました。  ただ、二項の三号で、なぜ二号でこれは押えられないのですか。その他でしよう、「掲げるもののほか」でしょう。一体そういうことは、違反しなくてもあいつはあぶないということでやられるということではないのですか。そういうこともあり得ますね。
  277. 内海倫

    説明員(内海倫君) それにつきましては、二項の柱書きの方に、「政令で定める基準に従い、」ということで、一応各号にそういうふうにやや抽象的に書いておりますが、さらに政了で基準を定めるようにいたしたいと思っております。それで、その基準は、大体こういう事柄についてはこういうふうな処分という形で出て参りますので、おのずからその内容がはっきりしてくるわけでございまして、現行法のもとにおきましても、総理府令で一応取り消し、停止等の基準を詳細に書いておるわけでございますが、それらの中で、いわゆる一号は、先ほども御説明申し上げましたように、精神病とか、そういうようなものになれば、当然これは欠格事由に該当しますが、それに至らないで、しかし運転に非常に支障を及ぼすおそれのある身体障害というものであり、それから二号は、運転に関しまして、この法令またはこの法令に基づく公安委員会の処分に違反した場合で、一応その者が運転することが適当でない、非常に危険を及ぼすという場合に該当しますし、三号につきましては、結局一号の身体条件でもなく、また二号におけるこの法律規定に違反したという者でなくて、しかも、たとえば、先ほど局長の申しました、交通事故を起こしました場合、これは当然法令の違反を行なって、かつ交通事故を起こした場合もございますが、そうでなくて、故意に人を傷害あるいは死傷せしめる目的でもってそういう人を傷つけた場合、そういう者もございますし、また、過失で人を死に至らしめあるいは傷害を起こした場合で、しかも、その過失が、いわゆる法令違反とかあるいは身体、それだけでは取り消しあるいは停止の条件にはならないけれども、この人を今後当分の間運転を継続させるというふうなことは非常に危険であるというふうな形で事故を起こした場合をそういう三号に持っていって、該当するというわけでございますし、さらに、この自動車の運転技能ということを奇貨として、それを応用して行なう犯罪、そういうふうな犯罪を繰り返す者につきましては、これは、どういたしましても運転免許を保持させておくということは危険でございますので、こういう者も取り消しあるいは停止の対象にいたしたいと考えておりますし、それから、これはやや異質な例でございますが、いわゆる一号に該当するような身体の障害というものではないけれども、伝染病にかかっておって、その人が運転をするということは、非常に伝染病をふりまくおそれがある。こういうふうな場合には、伝染病が治癒する期間は、やむを得ずその人は運転停止をしなければならない。こういうふうな例も、現にこの総理府令の基準として掲げておるわけでございますが、以上申し上げましたような点から考えまして、これらは三号に該当するわけで、決して鈴木委員が御心配になっておるような、公安委員会がぐっとにらんで、これは危険そうだからやめさせてしまえ、さような考えを持っておるものではなく、どこまでも政令に定めました基準に基づいて行なうものでございますので、その点は御了承を得たいと思います。
  278. 鈴木壽

    鈴木壽君 その今お話になった具体的な例をですね。一つ政令の内容になるやつを例示してみて下さい。それでもう一つ検討してみます。
  279. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 速記をとめて。    〔速記中止〕
  280. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 速記をつけて。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時五十六分散会