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1960-03-22 第34回国会 参議院 地方行政委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十五年三月二十二日(火曜日)    午前十時三十七分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     新谷寅三郎君    理事            西郷吉之助君            鍋島 直紹君            鈴木  壽君            基  政七君    委員            白井  勇君            館  哲二君            湯澤三千男君            占部 秀男君            木下 友敬君            松永 忠二君   国務大臣    国 務 大 臣 石原幹市郎君   政府委員    警察庁長官   柏村 信雄君    警察庁長官官房    長       原田  章君    警察庁刑事局長 中川 董治君    警察庁保安局長 木村 行蔵君   事務局側    常任委員会専門    員       福永与一郎君   説明員    警察庁保安局交    通課長     内海  倫君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○地方交付税法等の一部を改正する法  律案内閣送付予備審査) ○道路交通法案内閣提出)   —————————————
  2. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) ただいまから委員会を開会いたします。  道路交通法案議題といたします。前回に引き続いて質疑を行ないます。御質疑のある方は、順次御発言を願います。
  3. 松永忠二

    松永忠二君 第十五条の「通行方法指示」、ここで一つお伺いしたいのですが、ここの第十条、第十二条第二項、第三項、それから第十三条というのは、いずれも歩行者横断歩道及び横断方法とか、あるいはそういう点に関係したことなんでありますが、これは、従前施行令によっても規定されていたことであるけれども、これについては処罰方法が違っているわけです。この点については、通行者責任というものも明確にしなければならないということは、当然なことと思うのでありますが、やはりこの点についても少し意見があるわけなんです。警察官がこういう点について歩行者指示することができるということは、私は当然なことだと思うわけです。しかし、その指示に従わないからといって、直ちに罰金を科すぞということになりますと、しかも、従前はこれは科料に処すということであったのが、罰金ということになっておるわけです。こういう点については、少し考え方として私たちは強過ぎるのではないかということを感ずるわけです。こういう場合には、私たち考え方としては、たとえば、この前から話の出ておるように、第七条の3のところに、通行禁止であるとか制限というようなことがあるので、危険が現実に、そうすることが危険であるというような場合においては、そういう面から指示をして、その違反を罰することはできるわけだから、こういう点についていきなり指示して、それが指示がきかれなければ直ちに罰金にするということは、少し行き過ぎているのじゃないかという考えがある。この考え方は、私たち道交法に持っている一つ考え方なんであって、指示をする権利は法的に認めて、その指示違反をして危険であるという場合には、これに対するいわゆる別の方面の罰則をもって事足りるのではないか。こういう考え方を持っているのでありますが、こういう点については、こういうところこそ警察官がよほど教養を持っていないと、また、警察官のその日の気分あるいは考え方によっては、ずいぶんいわゆるおいこら警察というものがすぐできるという可能性をわれわれは非常にこういうところから感ぜられるわけなんです。だから、こういう点について指示する権利は、一応法律規制をして、危険な状態においては、その危険の場合における指示を別途に与えて、その指示違反した場合にはそれを処罰する。こういうところで限界をつけていくべきものではないかというふうに考えるわけなんです。こういう考え方について、どういうふうな見解を持たれるのか、考え方を私たちお聞きをしたいわけであります。
  4. 中川董治

    政府委員中川董治君) ただいま松永先生のおっしゃるように、一つ立法政策の問題かと思います。十条の関係、十二条の関係、十三条の関係に、この違反が十条、十二条、十三条の規定違反した場合には直ちに刑事責任、こういうふうにする考え方一つあります。もう一つは、その考え方をするほかに、松永先生がおっしゃいましたように、警察官指示権とあわせて考える。こういう方法もあるかと思います。いろいろ考え方はあろうと思うのですけれども、ここに書いてあるような規定違反は、日常非常に歩行者関係でございますので、歩行者方々順法精神でまず期待する。歩行者方々に常に刑事責任をふりかざしてそれを措置するよりも、歩行者方々順法精神を、道路交通のルールということをわきまえていただくことを期待して、刑事責任を直ちには課さない。刑事責任を課さないっぱなしでは担保もできませんので、具体的の状況によって警察官現場指示する。それでもいやだという場合には、やむを得ないから刑事責任を課する。こういう方法事柄に最も適する。こう原案は考えたのでございます。
  5. 松永忠二

    松永忠二君 ちょうど長官も来られたので、この点は、少し長官にもお聞きしたいのです。道路交通法処罰の問題ですが、これはこまかい法律のことではありません。考え方です。そこに歩行者道路横断する、横断歩道がある場合においてその付近において横断をするとか、あるいは斜めに道路横断してはならないとか、こういうような規定がある。こういう規定に対しては、従前科料にしておったわけです。ところが、今度はこれを罰金にしたわけです。そこで、私たち考え方としては、その運転者責任を負わし、あるいは、それにも責任を負わせると一緒に、歩行者もやはり一応その責任を負うということは当然のことであり、従って、こういうふうな横断歩道を正しく守っていくということについては歩行者責任がある。従って、そういうものについて警察官が、もしそれを守らない場合には、指示をするということについては、法律規制をするのは当然だ。しかし、その規制をした、指示をしたからといって、その指示に従わないからといって、直ちに処罰をするということについては、私たち考えとしては、直ちにそういう処罰をするのではなくて、そういうことの指示に従わないために危険ができてきた、その歩行者に危険な状態が出てきたときに、その危険について危険防止のために警察官指示をした場合に、その指示に従わないときに初めて処罰規定をするということが妥当ではないかというふうに考える。道路交通法という法律は、そういうふうに、現実に危険、安全を脅かされるという状態のときに、そういう罰則規定は発動していくという考え方が私は必要じゃないかと思うのです。ところが私たちは、当日の警察官のいわゆる考え気分、あるいは警察官教養というものが非常に工合が悪い場合には、こういうところで一々歩行者が非常に警察官からいわゆるおいこらをやられるという可能性が非常に強くなる。ここで答弁されているような方々現場警察官というものは、これはまた現実には相当差があるので、よほどそういう点については考えていかないとできないのじゃないかというふうに考える。これは、単に私はここだけでないと思うのです。その他の点についても、そういう限界というものを相当考えていかないと、せっかく作っている法律が、非常に他から誤解を受けるということが多いのじゃないかと思うのですが、まあこういう点は、この前ちょうど長官がおられないときに、たとえば六条、七条あるいは十一条等について、それらのことを論議したわけなんでありますが、こういう点についてはどんな考え方でしょうか。特にこういう程度の、歩行者責任について、指示に従わないからといって直ちに罰するということについては、指示をすることを規制をしておいて、それか危険になった場合に、それをその指示に従わなかったから罰するという、そういうことの方がむしろ妥当じゃないかというふうに考えるのですが、どんなお考えでしょうか。こまかい法律に触れないでもけっこうですから、考え方一つ聞かして下さい。
  6. 石原幹市郎

    国務大臣石原幹市郎君) これは、従来は、歩行方法違反が直ちに罰則の適用になったというようなことになっておったのであります。今回は、警察官が一応指示をして、それになお違反する者を処罰しようということでありまして、今度のこの法律は、冒頭に、今申し上げましたような危険のみならず、やはり一般交通の円滑ということもはかろう、交通基本法としよう、こういうことを建前にしているわけでありまして、もちろん、今松永委員が言われましたように、警察官教養全体を高めまして、この運用の適切をはかっていかなくちゃならぬことはもちろんでございまするが、そういう意味から、この法律改正機会に、ことにこの交通警察とか、こういう面に当たる人のいろいろの教養考えていかにゃならぬことはもちろんでございまして、他の条章とのつり合いその他から全体を整備いたします関係から、かような罰則の体系になっておるのであります。
  7. 松永忠二

    松永忠二君 円滑ということを入れたことは、積極的な面ではあるけれども、その円滑を入れたからといって、あちらこちらに拡大的にやられておると、結局非常に誤解をされるわけなんです。まあさっき申しましたように、私たちは、警察官指示をする、こういうことによって指示をするということまで否定するのではなくて、指示をすることは十分やらにゃいかん。しかし、これが円滑という非常にばく然たる判断の上に立って、罰則規定まですぐこういうやり方に変えていいかどうかということになると、やはり問題は多いと思う。こういう点につきまして、まあ私たちも十分検討したいと思うのですが、今のお話の点については、われわれとしてはそういう考え方を持っておるわけであります。そこのところの質問は私はその程度にいたします。   —————————————
  8. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) それでは、便宜道路交通法についての質疑を一時中断いたしまして、先ほど理事会でも話し合いましたが、地方交付税法等の一部を改正する法律案議題として、提案理由説明を求めたいと思います。
  9. 石原幹市郎

    国務大臣石原幹市郎君) ただいま議題となりました地方交付税法等の一部を改正する法律案提案理由とその要旨を御説明申し上げます。  まず、明年度以降に、国の直轄事業にかかる地方団体負担金納付方法としての交付公債制度を廃止することとしておりますので、この負担金にかかる所要財源関係地方団体付与する必要があり、また、地方公務員についても国家公務員に準じて給与改訂が行なわれることが期待されていること等により、増加する給与費に対応する財源付与もはからなければならないのであります。  また、別途地方財政法の一部を改正する法律案中に規定しております通り住民税外負担整理し、道府県市町村との間における負担関係明確化を期するための財源付与その他制度改正等に伴う所要財源付与をはかるため、関係基準財政需要額を増額することが必要とされるのであります。  さらに、最近において軽油引取税法人事業税等の増収が相当の額に上ってきている関係上、地方団体間の財源帰属適正化をはかるためには、基準財政需要額及び基準財政収入額算定方法を合理化するとともに、地方道路譲与税法改正して地方交付税上の不交付団体に対する地方道路譲与税譲与額の一部を制限し、これを交付団体に再譲与することとする必要があります。  以上がこの法律案提案理由であります。  次に、この法律案内容要旨につきまして御説明申し上げます。  第一は、地方交付税法改正に関する事項であります。  その一は、単位費用に引き上げて基準財政需要額を増額することであります。  道府県分につきましては、まず国の直轄事業にかかる地方負担金納付方法としての交付公債制度の廃止及び公共事業費増加に伴う所要財源付与するため、「道路費」、「河川費」、「港湾費」、「林野行政費」及び「その他の土木費」の単位費用を引き上げ、かつ、投資的経費等を合理的に算入するため、「その他の諸費」の「人口」及び「面積」を測定単位とするものにかかる単位費用を大幅に引き上げるほか、農業行政費にかかる所要財源充実をはかるため、「農業行政費」のうち「耕地面積」を測定単位とするものにかかる単位費用を引き上げることとするとともに、道府県市町村に課している負担金整理をはかるため、「道路費」及び「河川費」の単位費用を引き上げることとしたのであります。  市町村分につきましては、合併により地方交付税上の特例措置として行なわれる合併補正等による基準財政需要額の割り増しが、合併一定期間を経過した後は、漸次減少することを考慮し、市町村財源の総体的な充実をはかるため、「その他の諸費」の「人口」及び「面積」を測定単位とするものにかかる単位費用を引き上げるとともに都市における環境衛生施設の整備に要する経費及び農山漁村における投資的経費充実をはかるため、「衛生費」、「農業行政費」及び「その他の産業経済費」の単位費用を引き上げるほか、住民に対する税外負担整理に資するため、「消防費」、「小学校費」、「中学校費」等の単位費用を引き上げることとしたのであります。  さらに、道府県分市町村分を通じて、給与改訂及び昇給に伴う給与関係経費増加額並びに制度改正等に伴う所要経費基準財政需要額に算入するため、関係行政項目単位費用を引き上げることといたしました。  その二は、測定単位内容を合理化することであります。すなわち、公債費負担の軽減をはかるため、国の直轄事業地方負担金にかかる交付公債のうち昭和三十四年度までに発行を許可されたものの元利償還金並び緊急砂防及び緊急治山事業にかかる地方債元利償還金の一部をあらたに測定単位の数値に加え、これらの経費基準財政需要額に算入することといたしました。  なお、基準財政需要額算定方法を一そう合理化するため、今後補正係数を定めるに当たっても、道府県分については、へき地における財政需要増加額基準財政需要額に算入するため「その他の諸費」の「人口」を測定単位とするものにかかる態容補正を改めること、次は、公共事業費等財源に充てるため発行を許可された地方債元利償還金の一部を基準財政需要額に算入するにあたり財政力の弱い団体について適用されている割増率をさらに引き上げること、また納税義務者一人当たりの税額が少ない県の徴税費が割高となる事情を的確に反映させるため、その種別補正係数及び密度補正係数を合理化すること等の措置を講じ、市町村分については、弱小市町村における一般行政費に要する財源増加をはかるため、「その他の諸費」のうち「人口」を測定単位とするものについて、都市的形態の度合いに応じて定めている態容補正係数の隔差を縮める等の措置を講ずる所存であります。  その三は、基準財政収入額算定方法に関する改正であります。基準財政収入額算定方法につきましては、地方団体間の財源均衡化を前進させるため、新たに軽油引取税及び地方道路譲与税収入額基準財政収入額に算入することといたしました。  第二は、地方道路譲与税法改正に関する事項であります。今回、地方団体間の財源均衡化を前進させるため、軽油引取税及び地方道路譲与税基準財政収入額に算入することといたしましたことに伴い、地方交付税上の不交付団体に対して譲与する地方道路譲与税の額につきましては、算定額から交付税上の収入超過額の十分の二に相当する額を控除し、これを不交付団体以外の地方団体に再譲与することといたしたのであります。もっとも、地方道路譲与税道路に関する費用目的財源とされていることにもかんがみ、譲与額算定額の三分の一に相当する額を下回ることとなるときは、当該三分の一に相当する額をもって譲与額とすることといたしました。また、このような改正を行なう機会に、その譲与基準を簡明化するため、道路の延長及び面積に按分して算定することといたしました。  以上が、地方交付税法等の一部を改正する法律案提案理由及びその要旨であります。何とぞ慎重御審議の上、すみやかに御可決あらんことをお願いいたします。
  10. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 本案に対する質疑は、後日に譲ることといたします。   —————————————
  11. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 引き続き道路交通法案についての質疑を続行したいと思います。第三章に対する質疑からお始め願いたいと思います。
  12. 鈴木壽

    鈴木壽君 二十一条と二十六条の両方にまたがった問題ですが、車両間の距離、いわゆる必要な距離を保つようにしなければならないということがあるわけなんですが、これは実際問題として、この点になりますと、罰則等も裏にかかってくる問題でありまして、一体必要な距離というのはどういう程度のものか。これは、この前にも私徐行というふうな問題でもちょっとお聞きしましたように、なかなかこれはむずかしい問題じゃないかと思うのです。これは、何かもう少し規定でもいたしますか。それとも、ただこのままにしておいて、必要な距離を保つようにしなければならぬというふうにしておくだけなんですか。その点どうですか。
  13. 内海倫

    説明員内海倫君) 私ども考えは、特に何メートルというふうな表現をせずに、ここに書いてありますような、必要な距離という形で表現いたしたいと思っております。
  14. 鈴木壽

    鈴木壽君 これは、実際運転者になってみますと、先ほどちょっと触れましたように、なかなか問題になると思うのです。特にこれらに対して取り締まりする立場にある人との間に、一体必要な距離というのはどうなのか、お前くっつき過ぎたじゃないかとか、いや、これくらいでたくさんだとか、いろいろこれは問題が起こるのじゃないかと思うのですね。これが単に一つ訓示規定であればともかく、場合によっては罰則がかかってくるという問題ですから、もちろん、何メートルにしなければならぬというようなきちっとした言葉で、いわゆる妥当な線でどういうものが見出されるかということになると、これはまたむずかしい問題だと思いますけれども、何か私は、こういうところからあとでいろいろ問題が起こってくるのではないかと思うのですが、重ねて、その点についてはこのままにしておいて、その状況によって見ていくのだと、こういうふうになされるのですか。
  15. 内海倫

    説明員内海倫君) この立案に際しましては、いろいろ検討したところでございますが、たとえば、二十一条について言いますれば、当該路面電車の正常な運行に支障を及ぼさないという点で、すみやかに軌道敷外に出るとか、または必要な距離を保つことにいたしまして、また二十六条の場合におきましては、いわゆる車間距離でございますが、私どもといたしましては、全く無放任ということは不親切でございますので、こういう場合においてはこの程度、こういう場合においてはこの程度というふうな、かなり詳細な資料は、たびたびここで御意見をいただきましたような広報資料、あるいは交通読本というようなもの、あるいは運転者のしおり、こういうふうなものを通じまして、少なくとも運転者諸君がみずから判断する基準になるようなものを広報いたしたいという考えは持っております。
  16. 鈴木壽

    鈴木壽君 これは、直ちに停止できるような徐行の、どの程度に走っておって、どの点でブレーキをかけた場合にとまれるのか、こういう問題とからんでくる問題ですから、非常な微妙な問題だと思うのです。ですから、この前は、たしか三十二キロで走れば、ブレーキをかけた場合、六メートルでしたか、その程度でとまれるのだというふうな話がございましたが、それならそれのように、六メートル以上離さなければいかぬとか、何かやはり一応のそういうものがないと私は困るのじゃないかと思うのですね。そこら辺やはり、ですから私、この条文はこのままにしておいても、しかるべき方法によって一応の線を示さないと、何べんも言うように、罰則がかからなければいいんですよ。いいと言うのはおかしな言い方ですが、罰則があるから、一体どの程度のものが必要な距離としてやっていくかという、しかも、その車が走る過程におけるいろいろな事故等のことを予想しますと、いろいろ問題が起こると思うのです。こういう点、もっと場合によっては親切にやることが適当ではないかと思うのですけれども、どうでしょう。
  17. 中川董治

    政府委員中川董治君) 罰則関係から、構成要件を明確にしろ、こういう御意見はごもっともだと思うのです。その趣旨に基づきまして、たとえば、三・五メートルというメートルで表わすとか、できるだけそういうふうにいたしたいのですけれども事柄の性質上、たとえば車の能力とか、道路坂道であるとか、そうでないというようなことで、千態万様なことになりまして、メートルで表示できない。こういうことにならざるを得ない。そこで、必要な距離と申しますのは、道路状況と車の能力とにからんで具体的にずっと出てくるのだと考えざるを得ないのでありますが、そういう刑罰法理考え方は、すべての刑罰法理に共通する考え方であります。たとえば、一番の刑罰法理の本家であります刑法でも、わいせつという文字を用いておるのですが、何がわいせつなりやということは、学者の説によれば、社会の変化によって変わってくる、こういう性格であると学者は言っておるのですが、社会通念わいせつと理解されるもの、こういうことになるという解釈になっておるのですが、そういうふうな、わいせつということを、社会共同生活の中で、一つのものさしで、社会通念的に考えていく、これと同様の趣旨におきまして、この必要な距離も、車の能力道路状況とに関して、必要な距離というのが客観的に判定される、こういうことに相なろうかと思うのであります。それにつきまして、論理としては以上の通りでありますけれども、車の種類坂道状況道路状況等によって一がいには言えませんけれども、大体指導というようなときとか、運転者の会合とか、あるいは交通安全協会教養とか、そういう機会指導して参りたい、こう思っておるのであります。
  18. 鈴木壽

    鈴木壽君 指導のときにやるというのですが、これは、もちろんおっしゃるように、いろいろ状況によって違うのです。道路状況あるいは車の種類によっていろいろ違うと思うのです。スピードによっても違うのでしょうが、ですから、そういうややこしい問題があるから、特に私は、何か問題がこれは起こるのですから、その場合に、ある程度のことを示しておかないと、かりに、さっき私ちょっと言ったことから、十メートル以内はあけろというような、十メートル以内は言葉は悪いが、十メートル以上はあけろとか、その程度のことをどっかはっきり示しておかないと、これはやはり今言ったように、状況等によっても違いますけれども、この前の説明にあったように、三十二キロの場合には六メートルとか、あるいは四十キロのときには何メートルとか、いろいろ統計があるというのですから、そういうようなことをある程度運転手諸君にも言っておかないと、単にわれわれは距離……おれはこれでとまれるのだ、とまり方にもあると思うのですね、私は。二十キロか二十五キロだったか、この前も私はちょっと申しましたが、ブレーキをちゃんと踏んで、サイドを引っ張ったら、五メートルも六メートルも必要はない。三十キロだって、両方やったらそんなに、六メートルというと、これは相当ありますわな、そんなに私は必要じゃないと思うのですが、これは私の自分自身のわずかな体験からですから、はっきりしたことはわかりませんけれども、ですから、そういう点があるから、やはり何かこういう点についても、この法文でなくても、いずれあと機会に、やや明らかな標準というようなものは大体私は示せるのではないかと思うのですがね。そうでないと、私はいろいろ心配されるような事態があとで起こるのではないかというふうに思うわけなんです。それこそ、警官の方が見ておって、お前の方は少しつき過ぎたとか何とかということで、いろいろもんちゃくがあるのではなかろうかというような私は心配があるので、申し上げるわけなんです。それから、三十三条の「踏切の通過」の問題ですが、これはこの通りでいいと思うのです。バスなんかはもっと丁寧に、車掌が降りたり何かしてやっておりますが、それはそれで別の法規によってやっているのでしょうから、これはこれでいいのですが、大体踏切の保安設備についてのことを、これは、あなた方だけに私はここで注文したりお尋ねしたりすることは適当でないと思うのですが、いずれ別の機会にもう少しこういうふうな問題についてお聞きしたいと、ほかの方からお聞きしたいと思っておりますが、こういう保安設備について、あなた方の立場で、一体各関係省庁等の間にどういう具体的な話し合いができているのか、そういうことについて一言お聞きしたいのです。
  19. 内海倫

    説明員内海倫君) 踏切保安につきましては、踏切事故の状態から考えましても、きわめて被害が大きい事故でありますので、絶えず関係省、特に運輸省の鉄道監督局と連係いたしまして、踏切保安についての対策は、議論をいたしているところであります。それで、内閣に設置されてあります事故防止対策本部におきましても、特に踏切事故につきましては重大な関心を寄せて、関係省の間で論議いたしまして、踏切事故防止に関するたしか決議も行なったと記憶いたしておりますが、また実務的に、警察庁と運輸省との間におきましても、いろいろ意見の交換をいたしております。  それから、各都道府県におきましては、都道府県公安委員会からそれぞれの鉄道あるいは地方鉄道あるいは地方の軌道関係責任者に対しまして、個々具体的に、この踏切についてはこういう危険があるからこういう措置をとるようにしてもらいたいというふうな、かなり具体的な措置までも連絡して、踏切保安の完全化についての措置をとっておるわけでございます。ただ、遺憾なことは、そういう公安委員会側の申し入れが直ちに実現するという段階にまでは至っておらないことでございますが、私どもとしましては、逐次そういうものが実現していくという傾向も見ておりますしそれを期待いたしておる次第でございます。
  20. 鈴木壽

    鈴木壽君 今のお話やら、先ほど配布になったこの資料等からしましても、それぞれ、警察庁は警察庁の立場で、あるいはまた建設省、あるいは鉄道監督局と、こういうふうな立場でいろいろ対策については考えておるようでありますが、そこで最近、たとえば東京を中心にしたのでもいいのですが、あなた方の要請なり、またそれに基づく協議等によって、こういうところがこういうふうに改善されたというような事例を二、三あげていただきたいのですが……。
  21. 内海倫

    説明員内海倫君) なおよく調べましてお答え申し上げたいと思いますが、私の承知いたしております一、二の例を申し上げますれば、目黒区の東急沿線で、非常に事故の多発いたしております中目黒の管内の所でございます。これは、数年前までは非常に踏切事故が多くて、魔の踏切とさえ付近の人は言っておった場所であります。非常に交通量の多い所でありますが、これの原因は、その踏切の部分がぐっと狭くなりまして、両側の道路が広くなっているというために、踏切の中で事故が起こったのであります。これにつきましては、警視庁側からもたびたび実情を説明しまして、ここ半年ほどの間にそこの拡張工事が行なわれまして、非常にすっきりした状態に相なった。そのためとだけは言えませんが、事故も非常に減少しておるという例は私体験いたしております。  その他東京都等に限りませず、各県におきまして、特に事故の多発いたしております県につきましては、かなり強行な申し入れをいたして、改善された点もあるという報告は私聞いておりますので、今ちょっとここで資料を持ち合わせておりませんが、かようなことになっております。
  22. 鈴木壽

    鈴木壽君 この前御案内いただいて、都内を見せていただいた際に、あのときの話だったと思いますが、何か、たとえば、ぜひとも保安設備をしなければならぬ、あるいは保安のための改良をしなければならぬというような問題が持ち出されても、なかなか、二年も三年もがかるのだというような話があったと記憶していますが、そうなりますと、これは内閣に事故防止対策委員会というようなものができておって、いろいろお話し合いをし、あるいは協議をしておるというような話ですけれども、単なる話し合いとか協議でなしに、私どもは、もっと問題点になったところは積極的に解決のために踏み出すべきだと、うらいうふうに思うのですが、これは、現在のところ各省ばらばらになっておりまして、あなた方の要望なり注文なりというものは、必ずしも鉄道の方あるいは私鉄の方、道路関係の方には聞いてもらえないというような現在の事情も一応わかりますが、しかし、あくまでも交通の安全なりあるいは危険防止というような建前から、少なくともやはりそういうことを強く推し進めてもらうようなことにならなければ私はいけないと思うのですが、そういうことにつきまして、現在どのように各省庁間の連絡なりあるいは話し合いなりというものが進められておるのか。長官から一つお聞きしたいと思います。
  23. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) 先ほど交通課長から申し上げましたように、あらゆる機会をとらえまして、そういう申し入れをしたり、あるいは協議をしたりいたしておるわけでございますが、こういう問題は、時間を長引かせれば長引かすだけ惨禍をもたらす原因にも相なると存じますので、極力具体的に強力に申し入れをし、協議を進めるように努力して参りたいと思っております。
  24. 鈴木壽

    鈴木壽君 たとえば、これは例として私申し上げるのですが、せんだって見せていただきました滝野川のにぎやかな通りに踏切がありましたね。あかずの踏切とかなんとかいうのだそうですが、ああいうものに対して、具体的な何か話し合いが進められておりますか。
  25. 内海倫

    説明員内海倫君) あそこ自身につきまして、どういう話し合いがどういう形で行なわれておるかということは、調べればわかりますが、私今ちょっと記憶いたしておりません。しかし、先ほどから申し上げておりますように、各府県ごとに個々の踏切を全部指摘いたしまして、この踏切においてはこういう措置、この踏切においてはこういう措置が願わしいという意見も申し出ておりますので、東京都内におきましても、最も問題の多い踏切につきましては、少なくとも公安委員会側としては、具体的にこういうふうにしてもらいたいという意見は、それぞれについて出しておるものと私は考えております。また、これに対しまして関係者側も、それについて真剣に実現方の研究をいたしておりますが、ただ、穴を掘って地下道にするとか、あるいは立体交差にするとかいう問題になりますと、実現が大へん困難な状態にあることは否定できないと思います。
  26. 鈴木壽

    鈴木壽君 これは、理想からすれば、ああいう踏切をなくして、お話のように、立体交差とかなんとか、他の方法を講じなければならぬと思います。しかしこれは、言うべくしてなかなか現在の状況からすれば経費その他の関係からしてむずかしい問題だと思うわけですね。しかし、これはむずかしいといってほうっておくわけにはいかぬし、できるだけそういう方向にこれは基本的には進まなければならぬ問題だと思うのです。しかし、今すぐということがかりに望めないとすると、ああいう状況下における、最近あそこにどういう事故が起こっておるか私わかりませんが、あれだけひどく混雑をし、事故の発生の心配があるわけなんですね。しかも、あそこの通りというのは、狭くて商店街で比較的にぎやかな所であり、そこにひんぱんに大型のバスも通っておると、こういう所ですから、これは、今私が申し上げておることは一つの例でございますが、こういう問題について、踏切のみならず、事故防止対策のために、一つ政府部内に強力な、今内閣にある委員会ですか、事故防止対策委員会、ああいう単なる連絡機関といいますか、あるいは、おれの方でこういうことをやっておるが、こういうふうにしてもらいたいというような権限もないような、実効も上がらないようなものでなしに、もっと権限のある、そうして問題がしぼられて出てきた場合には、これはほんとうにみんなで解決のために実際仕事を進めていくのだと、こういうふうなことのできるような一つの機関が私どもは必要ではないかと思うのですが、何かそういう程度のところに踏み切ったような考え方で話し合いがあってほしいと思うのですが、そういうことについてはどうですか、長官
  27. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) それぞれ法令上の所管がありますので、直ちにこれを指揮監督するような機関というものを設けるということは非常に困難なことかと思いますが、内閣におきましても、この交通問題については非常に熱心に、総合対策について検討いたすことに相なっておりまするし、要は、この交通問題についての非常な重要性というところの認識に立って、それぞれの所管省がお互いに協議するばかりでなく、そこですみやかに正当な結論を得て、これを忠実に守っていく、交通問題を解決するために積極的な努力をするという気持、また、これに必要な予算等についての措置というようなことをむしろ考えていくべきではないか。もちろん、そのために、各省ばらばらに、単なる積極的に有効的に働かすということだけではなく、お互いが協調し合うということが必要でありますが、そこで話し合った結論というものをできるだけすみやかに実行に移し得るような気持と、それから、予算その他の裏づけというものを努力して確保するということに努めて参るべきではないかと考えておるわけでございます。
  28. 鈴木壽

    鈴木壽君 もちろん、長官が一番初めに申されたような、指揮するとか、何といいますか、そういう強い監督をすることは、末の機関だけでは、お互いの役所のいろいろな機構からすれば不可能だと思いますが、さりとて、今のような内閣にある事故防止対策委員会みたような形でも、私はあまり効果がないのじゃないかと思うのです。これは、今すぐできたのじゃなくて、前からできていますね。ところが、現在までのところ、この前私は、内閣審議室の方から来ていただいて話を聞いても、何か遅々として進まないといいますか、問題の所在というものは一応こういう点だということで、何ヵ条か出しておるようですが、それに対して具体的にどうするこうするというようなことについてはあまりないのじゃないかというような感じを持ちますのですが、実際警察庁の方から、ああいうのにどなたが出て、どういう話をしておられるのか。それからさらに、あれがあのままの形で存続して効果的であるというふうに御判断になっておられるのかどうか、そこいら辺どうですか。
  29. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) 内閣にございまする交通事故防止対策本部の会合におきましては、原則として保安局長が出席をして協議に当たっておるわけでございまするが、なかなか十分とはもちろん申せないと思いまするけれども相当に効果を上げつつあるのではないかというふうに考えておる次第でございます。なお、先ほど来のお話のように、さらにこれを強力に推進するように、対策本部自体もそういう気持を持っていただかなければならないし、関係各省がそれを中心としてそれぞれの分野において積極的に努力するということが必要であろうと考えるわけであります。
  30. 鈴木壽

    鈴木壽君 そうしますと、長官考え方は、現在の事故防止対策委員会というようなものがああいう形において存続され、それによって効果の出ることを期待しているのだ、こうお考えになっていらっしゃるというふうに考えていいですか。
  31. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) 従来通りと申しますか、組織としてはああいうふうな組織で、これにもっと力強く魂を入れていくというような方向で行けば、必ずしも、別にあらためて作らなくてもよいのではないかというふうな気持がいたしておるわけであります。
  32. 鈴木壽

    鈴木壽君 ただ、あそこに今まで取り上げられておる問題はたくさん、まあ検討すべき問題は十項かそこらあったと思うのですが、そのうちハイヤー、タクシーの対策と路線トラックに対する対策と、この二つぐらいが具体的にそれぞれの関係省庁から出されておる程度なんですね。問題はたくさんあるのだし、今発足したのだったら、私はそれでいいと思うのです。何年か前に発足していながら、あの中に取り上げられて、ほんとうに具体的にお話し合いになっているというのは、二つか三つの問題しかないとすれば、これは、いつまでかかってそういうものを検討し、あるいはそれに対する対策を立てるつもりなのか、すこぶる私はスロー・モーションだと思うのです。単なる連絡機関にすぎないんじゃないかというふうに私には思えてならないのです。もちろん、そういう従来からのそれですから、全然意義がないとはあるいは言い切れないかもしらぬけれども、今の当面いろいろな交通の対策あるいは事故防止ということを考えていく場合に、なまぬるいことは許されない現実になってきているのじゃないかと思うのです。さればこそ、あなた方もこういう新しい法案を出して、いろいろ交通の安全なりあるいは円滑化をはかるために苦心をしておられるのですから、そういう面ともあわせ考えてみます場合に、私は、今のああいう機構なり、あるいは運営状態では、なかなかその効果というものは、われわれが期待するようなものは出てこないんじゃないか。もっと強力に、そこに話し合いができたもの、あるいは取り上げられた問題、あるいは解決すべき問題として方向づけされたものに対しては、ほんとうに各省庁が責任を持ってやるんだと、場合によっては予算の裏づけもやるんだというふうなことをしないと、私は、考えられておる、あるいはまた、世人も求めるところの事故防止対策にはなってこないんじゃないかと思うのです。まあ私は何べんも言うように、あなた方だけにこれは言うべき問題ではなしに、全般に関する問題ですから、別の機会に私は内閣の、政府の責任者等に考え方も聞きたいと思いますし、また、私ども考えておることも述べたいと思いますが、これは、あなた方の立場においても、そういうことを強く推進してもらうような、やはりそういう動き方をしてもらうことが必要ではないかと、こういうふうに私は思うのですがね。重ねて一つ、その点について長官からお聞きしたい。
  33. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) ただいま御指摘のように、今までの活動が不十分であったということは、率直にわれわれも認めざるを得ないと思います。内閣委員会等におかれましても、強い要望をいたされておるようでございまするし、これは、他からの要望とか何とかいうことでなしに、政府としても十分に考えていかなければならない問題で、あるいは組織についての改組であるとか、あるいは会議の運営の方法であるとかという点についても、検討すべきものがあろうと思いますけれども、従来とかく、内閣に設けられまする、この種の対策本部に限らず、あるいは青少年問題協議会等にいたしましても、関係各省の係官を集めて、相談をそれぞれまた持ち帰って自分のところの所管に移していくということではありまするけれども、それが必ずしも強力に総合的に運営されていないといううらみが多々あったと思うのであります。今度のこの機会をはずさずに、一つ運営におきましても、組織におきましても、できるだけ強力なものとし、さらに、ここできめられた問題は、各省がそれぞれ予算の要求をするということは当然のことでございますが、そういう委員会、協議会等からも、内閣あるいは大蔵省というようなものについて要望をするとか、また、期限をきめて実施を計画するとか、さらに、その実施について責任ある報告を求めるとか、いろいろのやり方についての改善を考えまして、御趣旨に沿うように、われわれとしても努めて参りたいと考える次第でございます。
  34. 松永忠二

    松永忠二君 関連。今のお話のような問題は、特に私は第四章のときに関係することが多いと思うのです。やはり公安委員長、自治庁長官も出てきて、それからまた、運輸省の関係、あるいは労働省の関係、それから建設省の関係で、一回そういう責任者を出して、そうしてそのところでこの問題に関連したことで確認する、そういう機会を一回作ってほしいと思うんですよ。やはり警察庁の人だけに話してみたところでどうにもならないので、やはりそういう点を委員長理事打合会等で検討していただいて、やはり当該所管の責任者が出てきて、こういう問題についてどうするのだということをはっきりさす機会を作ってほしいと思います。
  35. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 承知しました。この問題は、総括質問のときにも一応触れられた問題ですが、逐条の審議をいたしまして、さらに振り返って、今言ったような残った問題について、関係各省の責任者に来てもらって、最後的に質疑をしてもらうというように取り計らいたいと思っております。いずれ、具体的には理事会で相談をしました上で、また、松永君も言われるようにできるだけ取り計らいたいと思います。
  36. 鈴木壽

    鈴木壽君 私も実は、あらゆる問題について、私が言ったような機関なり、あるいはそこにできるものの権限なり、あるいは実行方法なりについて、ここでとことんまでやるつもりではなかったのですが、ただ、いずれあと機会に総合的な問題としてあらためてやっていきたいと思ったのですが、ただ、今の踏切の問題に関して何か一つの例としての踏切の問題についても、そういうような対策を立てる場合においても、やはり現状のままで行ったのでは、いつまでたっても一向改善されない。従って、事故の防止にもならぬというような心配があったのですから、この機会に、一つ現在の機構なり、そういうものに対する考え方を聞いておいたわけです。いずれ、松永君もお話しのように、他の関係するところがずいぶんあるのですから、こういう方々からのお考え方を私はあらためて聞きたいと思っておるのですが、私、今の点については以上で……。
  37. 松永忠二

    松永忠二君 ちょっと踏切に関連して。この運輸規則の方には、「踏切を通過しようとするときは、一時停車して通行の安全を確認すること。」ということがあるわけです。これとの関係はどうなるのでしょうか。「ただし、」というような言葉も出ておるわけですが、この関係はどうなるのですか。それから、もう一つ関連して答えていただけばいいのですが、警報装置というものは信号機に入るのか、ここの法律では。この二つの点を一つ話していただきたい。
  38. 内海倫

    説明員内海倫君) 運輸規則におきます踏切通過の際におきます規定は、いわゆる運輸規則の場合も、乗合バスの場合に特に厳重な規定を設けまして、車掌がおりて誘導するというような規定をつけておるわけでございます。結局、乗客の人命保護というふうな観点から、この道交法以上に、そういう事業体の中にある自動車についての特別な責任をさらに重課したものというふうな関係で、そういう意味におきましては、この道交法における踏切の規則と運輸規則の中におけるそれは、一般法と特別法との関係に相なろうかと、こういうふうに考えております。  それから、踏切におきますチンチンチンと鳴っております警報機でございますが、現行法のもとにおきます「信号機」というものは、またこの法案におきましても、公安委員会または公安委員会が委任したものが立てるという建前をとっておりますので、いろいろな点で規制を受ける観点からは、道交法上のいろいろな規制を受ける信号機ということはいえないかと思いますが、しかし、それ自身、他の法令による、たとえば鉄道営業法等によります場合においては信号機といえると思いますし、また、この道交法におきましても、一応信号機という定義におきましては、公安委員会が立てたものというふうなことは書いておりませんで、「人力又は電気により操作され、かつ、道路交通に関し、文字又は燈火により進め、注意、止まれ又はその他の信号を表示する装置をいう。」というふうにいっておりますので、道路交通に関し、公的に文字または燈火により進め、注意、とまれまたはその他の信号を表示する装置であれば、これは信号機ということになりますが、同時に、本法案四条におきまして、信号機の設置のことについて書いておりまして、これは公安委員会が設置し及び管理すると、こういうふうに書いておりますので、道交法上におきまする場合におきましては、このいわゆるチンチンチンと鳴っております信号機は、信号機にあらずして、いわゆる警報機である、こういうふうに考えてしかるべきであると思っております。
  39. 松永忠二

    松永忠二君 そうすると、まあ事実上そういう警報機は非常にこれから多くなってくると思うのですが、そうすると、この踏切の通過の規定のところへは、この警報機の装置があっても、その警報機の信号というものについては、これはその警報機が信号していたからといって、結局その警報機がまあ一つ状況を現わしていたからといって、信号機にかわるものとは考えないで、すべて前段の条項に従ってやれということなんですか。
  40. 内海倫

    説明員内海倫君) お説の通りでございます。
  41. 松永忠二

    松永忠二君 そうすると、まあこれは、その他の法律では、その関係の警報装置に、どういうふうにそれに従わなければならないというような法律は、別個に他の方にあるんですか。
  42. 内海倫

    説明員内海倫君) 他の法律で書かれてありますものは、踏切の保安施設として、遮断機とかあるいは警報機というふうなものを、踏切の種別によってこういうふうなものを設置するというふうな規定がございますことと、たとえば、鉄道営業法等におきましては、それらの損壊等に関して適用されるものと考えられる罰則規定のようなものはございますが、この警報機がこういう合図をしておる場合には従わなければならないというような形の規定は、他の法令にも出ておりません。従いまして、道交法におきましては、先ほど申しましたように、信号機としてとらえておりませんので、今回の法案の三十三条の第二項におきまして、踏切の警報機が警報している間は、車両等はその当該踏切に入ってはならないという規定をいたしまして、一応警報機の警報に対する措置規定いたした次第でございます。
  43. 松永忠二

    松永忠二君 ただ、第二条の関係のところで、十四号に「信号機」というのが規定してあるんですが、この中へ警報機が入らないというようなことについては、ちょっと読んでみると、警報機も入るのではないかというような誤謬を起こしやすいんですがね。もし警報機が入らないということであれば、もう少しはっきり入らないというようなことが明確になっていないと、何かこれだけの文章では、警報機も入るのではないかというような考え方を持つわけです。まあ警報機については、信号機ではないから、やはり警報機が鳴っていても、必ず前で停止をしてやるということについては、これはまあ事故の関係で必要なことだと思うんですが、だから、そういう点について、やや誤りやすいので、警報機は含まれないということについては、この文章だけではわれわれにちょっとわからないので、お聞きをしたんですが、大体この表現の仕方で、警報機が入らないということが明確に説明できますか。
  44. 内海倫

    説明員内海倫君) 二条の十四号の「信号機」という定義で書いております限りでは、特に私ども専門的に見ました者以外には、いわゆる警報機というものはこれに該当するというふうに当然読まれるものと私ども考えます。従いまして、この法律におきましては、第四条で信号機の設置の規定をいたしまして、それのさらに第三項で、「信号機の表示する信号の意味その他信号機について必要な事項は、政令で定める。」というふうに書きまして、ここで、いわゆる二条の十四号にある「進め、注意、止まれ又はその他の信号を表示する装置」という、その信号というものを政令で明確にその意味を書きますので、かりにチャンチャンチャンという音、あるいはパカパカと色が出ておりましても、政令で意味が規定されておりませんものについては、いわば道交法上に関しましては、意味の規定されざるものということになりまして、いわゆる信号を表示する装置ということには法律上はなってこないものであろうかと、こういうふうに私ども考え規定をいたしたわけであります。しかし、繰り返しますように、あの警報機というものが、かりにも公に設置されておるもので、しかも、通行する者に必要な警戒を表示しておりまするものでありますから、三十二条の二項でとらえて、警報機が警報しておる場合には、当該踏切に入ってはならないという措置をとったわけであります。しかし、松永先生御指摘のように、必ずしも警報機というものは絶対安全であるということを確認するだけの他の法令によって規定がされておりませんので、従って、警報機に従えば踏切は通過してもいいとか、あるいはとまってもいいというような規定にはせずに、どこまでも第一項の原則を押し立てておるわけであります。
  45. 鈴木壽

    鈴木壽君 三十四条では、現行法の十四条の二項と違って、言葉は悪いかもしれませんが、右小回りというようなことに変わったように思うのですがね。これはあれでしょうか。実際交通整理のいろいろやった経験等からしてだろうと思いますが、これについて少し御説明願いたいのですがね。
  46. 内海倫

    説明員内海倫君) 今回こういうふうな直近の内側を回ることを原則にし、外側を回ることを公安委員会の指定した場所に限るようにいたしましたのは、交差点の回り方につきましては、全国各県からたびたび意見を取り、さらに専門の関係者を中央に招集いたしまして、いろいろ検討をいたし抜いたのでございますが、その結果、結局回ります場合の回り方をこの法案のように変えたのであります。結局、その論議いたしました理由は、ここにある非常にわかりにくい絵でございますが、こういう直角、こういうふうになっておりますのが一番、何といいますか、昔の日本における例で、こういうふうに回るのが一番日本の前にとりました交差点交通の方式でございます。今度は、現行法も、それから法案も、原動機付自転車等につきましてはこういう方法を採用しておる。それから、現行法におきましては、それを改正いたしまして、こういう回り方を改正して、外側を回るというのを原則にとったわけでありまして、さらに今度の法案では、これを内側を回るというふうに変えたわけでございまして、いわば外からだんだん内側に変わってきたという推移でございます。この理由を申し上げますと、もっとも、交差点の交通が単純でありますれば、これは、外側をこういうふうに直角に回っていくという二段進行がいいわけでございますが、今度は、こちら側からの交通量がふえ、これの側の交通量がふえてきますと、これとこれとの相関関係考えざるを得なくなりまして、結局交差点の中心点の内側を回すということは、いわば交わざるX線になるわけでありまして、こういうふうに回りますので、両方の車が交錯する地点がなくなるわけであります。ところが、外側を回りますと、いわば交わるX線のようになりまして、極端の場合を言いますと、二ヵ所でこの両方の右折する車が交わる点が出てくる。従いまして、交差点の交通量の増加するに伴いまして、だんだん内側を回る地点にするというのがいわば近代交通の法令上の推移であろう、こういうふうに私ども各国の法令を参考にいたしまして見たわけであります。従いまして、今回の法令では、在来の直近外側回りの原則を直近内側回りの原則に変えたわけでございます。しかし、私ども正直に申し上げまして、これにつきましてはいろいろ議論がありまして、私どもも、これを確定いたしますまでにはずいぶん検討を続けて、最後に直近内側に踏み切ったわけでございまして、それは結局、現状と合理性と、それから各国における法令規定を参考にいたしまして結論を導きました次第でございます。
  47. 鈴木壽

    鈴木壽君 現在でも直近の内側を通らしておる所がありますね。
  48. 内海倫

    説明員内海倫君) 現行法でも、公安委員会が指定した場合にはそういう通り方をさせております。東京におきましても、大阪におきましても、今は、大都市は、ほとんど実態は直近内側という形に回っております。
  49. 基政七

    ○基政七君 前に戻るのですけれども、踏切通過の第三十三条ですね。あそこにただし書きを入れられたのは、何か次の二項との関係で予見されているようなものがあれば、ちょっとお知らせ願いたいと思うのですが、これがあるために、何かあいまいな感じを受けるのですが、どんなものでしょうか。
  50. 内海倫

    説明員内海倫君) ただし書きにつきましては、現行法におきましては、「信号機の表示、当該警察官又は信号人の指示その他の事由により安全であることを確認したときは、この限りでない。」ということで、かなり大幅な例外規定を設けておったのでありますが、これを踏切交通の実態にかんがみまして、ただし書きの範囲を信号機の表示する信号に従らときに局限したわけでございます。そこで、先ほど松永先生のおっしゃいました警報機と信号機との関係で、あいまいな点があるというお説でございましたが、ここに信号機といっておりますのは、この道路交通法規定しております信号機でございまして、この点は、信号機に対しては、実際問題として最も信頼の置ける、しかも、この信号機の場合におきましては、特に設置いたしまして、電車に対してもこの信号機に従うという前提でもって信号機が設置されなければならないわけでございまして、この場合において、この信号機に従った場合に限り、青と出ておれば、それは停止せずに進んでいってもよろしい。しかし、停止をせぬでも安全確認だけは義務として残っておりますので、安全確認をしていくことだけは、このただし書きの場合といえども同様でございます。この点は変わらない義務でございます。ただ、信号機の表示しております場合は停止が要らない、こういうことでございます。なお、現状からは、この信号機によってやっておりますのは、全国で、調査いたしましたところ、京都に一ヵ所、滋賀県に一ヵ所、たしか全国で二ヵ所しかございません。
  51. 基政七

    ○基政七君 わかりました。
  52. 鈴木壽

    鈴木壽君 それでは、次に進みますが、四十五条と四十八条との関係から、駐車のできる場所というのは、非常に道路というものが局限されてくるわけですね。四十五条の2では、「第四十八条第一項の規定により駐車する場合に当該車両の右側の道路上に三・五メートル以上の余地がないこととなる場所においては、駐車してはならない。」と、こうありますから、そうすると、大体一・五メーターくらいの幅員のある、これは小型の車だと思うのですが、それですら幅員五・五メーター以下の所では駐車できないということになりますわな、事実上。四十五条の二項と四十八条の一項から読めば。そういう道路にこれは事実上駐車させないというのかどうか。一体そういうことが、日本の今の道路の現状からして、どの程度あなた方はきちんとやらせるつもりなのか。一つの何といいますか、こういうことにするのだということだけで、あとそれ以上のことを期待しておらないというのであればともかく、今の日本の道路状況からいって、これをやったらほとんど駐車できる場所がなくなるのじゃないか。もちろん、駐車を私はどこでも無制限に許せという意味ではないのですが、こういうふうにきちんとメーターを示してありますものですから、こういう点でどういうふうにお考えになっておりますか。
  53. 内海倫

    説明員内海倫君) 現行法と対比いたしまして異なっております点は、現行法にありますのは三・四メートル、今回は法案で三・五メートルといたしましたので、これは十センチ、それから四十八条にありますように、〇・五メートルというものを義務付けましたので、それを合わせまして六十センチふえたということになります。しかし、現行法におきましても、〇・五メートルというものを義務付けてはおりませんが、おのずから条理上、歩行者が通行するだけの余裕はあけるべきものでございますから、実質的には、私は、この〇・五メートルというものが、現行法と比較して直ちに〇・五メートルであるとは言えませんが、それでも一応〇・五メートルと計算しまして、実はこれを東京都の管内で調べてみましたところ、影響を受けますのは、小型自動車、それから小型四輪トラック、三輪トラックというものが、今回の法案の改正によりまして影響を受ける範囲でございます。それ以上に大きいものにつきましては、現行法でも影響を受けておりますし、それ以下に小さいものは、現行法と変わらない格好になりますので、調べてみますと、小型乗用自動車については二一%、それから小型四輪トラックにおきましては一七%、三輪トラックにつきましては一八・五%分だけ駐車場所が減少するという結果が生じております。しかし、まあ警視庁でその前提といたしまして調べた結果、これらが駐車を今後継続する場合、これだけの減少は、現状におけるような形の乱雑駐車は別といたしまして、いわゆる道路における駐車収容力としては、これだけ規制が広がっても支障ないという推定を出しております。  そこで、次に申し上げておきたいのは、駐車禁止はいたしておりますが、そこのただし書きのところで、貨物の積卸しを行なう場合で、運転者が離れない、あるいは離れてもすぐ準備できるような状態でおります場合は駐車していいと、こういう形の例外を設定いたしておりますこと、それから、傷病者の救護のためにやむを得ないときは駐車してもいい。たとえば、これは医者が患者を見に参りまして、そのために自分の車を前に置いて診察するというような場合は、やはり例外として除かれておるわけでございます。そうしますと、だんだんせんじ詰めますと、人が乗りおりするために車をつけてすぐおりて出ていくというのは停車でございますから、これは駐車に入りませんので、これも除外される。それから、貨物の場合は、停車も駐車も運転者がおる限り除外されますので、これもいい。それから、真に駐車を認めなければならぬという傷病者救護というふうな状態の場合は駐車していい、こういっていますので、結局、不必要にそこに置くとか、さもなければ、全く無目的に客待ちをするというふうな場合、あるいは全く無目的に車を置いておくというふうな場合だけにかかるわけでございます。こういう状態は、少なくとも他の車が通行できなくなるような状態で、道を通せんぼするような形で車を放置しておくということは、やはり道路交通の実態からも、あるいは火災その他緊急事態の起こった場合における道路の効用確保の上からも、好ましくない状態ではなかろうかというような出与えで実は規定いたしましたもので、先ほど申しました東京都内における実情等勘案しまして、私どもは、必ずしも非常に窮屈になっていくという状態ではない、もし窮屈になったとすれば、それは、現在における都市交通の駐車実態から考えて忍ばねばならないものではなかろうか、こういう検討をした結果の立案でございます。
  54. 鈴木壽

    鈴木壽君 私は、どこへでも停車したり駐車したりすることはかまわないのだ、そういう前提でものを言っておるわけでもない。現在の道路交通状況からして、特に交通の安全というような建前からして、ある規制をする必要は十分認めるわけです。特に現在のようなああいうでたらめなことをやられては困る。強くそういうふうに考えるのです。さて、一体それでは、これをきちんと、少なくとも五メートル五十、あるいは六メートル近い道路でなければならないというふうになると、実際問題として、東京都内だけでなしに、いろいろ困る問題も出てくるのじゃないかという一つの心配があるわけです。ですから、そういうのを、状況の判断なりその事情によっていろいろこれは判断なされるでしょうが、これは、正確にきちんとやらせるとすれば、先にも言ったように、非常に窮屈なところが出てくる。こういうことは私はいなめないと思う。それは、さっき例にあげました小型の常用車、あるいは四輪車、三輪トラック等のパーセンテージのお示しがありましたが、パーセンテージのことはともかくとして、これはやはりある程度、何といいますか、規制を受けざるを得ないという事実の相違だと思うのです。ですから、原則的にいえば、私は、できるだけやはり厳格にやるべきだと、こういうふうな考えは持っておりますけれども、実際問題となると、そこにいろいろな問題、しかも、今度罰則等がかかってくるぞということになりますと、どこまでほんとうにおやりになるのかというような私心配があるわけです。どうでしょう、この点。やはりこれでどこまでも押していかれる、こういうつもりなんでしょうか。
  55. 内海倫

    説明員内海倫君) 実は、先ほどお答え申し上げましたように、現行法でもやや近い形で出ておるわけでございますが、現行法の場合には、ただし書きがありまして、やむを得ない場合というのがございまして、このやむを得ない場合というのは、実は法律本来の趣旨からして、今回の法案に書いておりますただし書きと同じような場合を示しておるのでございますけれども、実情はこれで逃げられまして、現在のように、至るところに道路の閉鎖してしまうような形で駐車が行なわれておる実情で、各方面から非常に、今回の改正に際しては、この問題を取り上げて措置をするようにという強い要望もありまして、また、私ども道路交通警察を運営いたしていく関係からも体験いたしました点でございましたので、こうきめられまして、私どもも、一方においてやはり守ってもらうことを前提としなければ徹底は期しがたいと思いますが、少なくともこういうことによって交通が閉鎖されるというような状態のないような措置を確保していかなければならないものと考えております。
  56. 鈴木壽

    鈴木壽君 私、いわゆる駐車のやはりこれは時間的な問題も入ってくると思うのですが、四十五条の二項の後段のただし書きが、ここにやむを得ない事情というようなことであるわけなんですが、これ以外そこに駐車してならぬ。だから私は、原則的には、何べんも言うように、きちんと、駐車すべからざる所には駐車してもらっては困るし、そういうところはきちんとやってもらわなければいけないのですが、ただ、だからといって、東京都だけでない、いなかの道に行っても、一体どの程度のものがただし書き以下のものに該当するのかというようなことになると、なかなかこれは問題が出てくると思うわけです。今のいなかへ行って、五・五メートル以上の道路は一体どのくらいあるのか。もちろん、この立法の趣旨は、それを否定したりなんかする気持は毛頭ございませんし、特に四十八条なんかにおいては、通行する人を保護するというような立場で、はっきりこういうようなことを規定してありますから、そういう点では賛成ですが、日本の道路の実情とちょっとマッチしないところがあるのじゃないかというふうなことなんです。そこで、一体それを取り締まる場合にどうなるかということですね。
  57. 木村行蔵

    政府委員(木村行蔵君) 交通課長の答えで大体尽きていると思いますけれども、実際現行法で、先ほど申し上げましたように、ただし書きが若干ゆるいものですから、社会実態として、乱雑な駐車が路上に露呈している状況でございまして、社会実態に結局押されてしまって、こういうような結果になったわけです。従いまして、非常に正当な駐車を確保する、道路をできるだけ本来の使用に使えるように持っていくということは当然のことでありまして、ただその場合に、現在の日本の道路状況、必ずしも広くないという状況がありまして、なかなかむずかしい問題がありますので、それかといって、ただし書きをある程度ゆるめると、また社会実態に押されてしまって、非常にそこにかね合いがむずかしいものですから、一応ただし書きというものは相当しぼったわけであります。そしてそれを実際に運用する場合には、もちろん、この法案の趣旨に従いまして、指導なり取り締まりを十分やっていきたいと思いますけれども、なにせ全国的な規定でございますので、それぞれ千差万別であります。これらについては、十分に運用については万全を期して参りたい。
  58. 鈴木壽

    鈴木壽君 その点でもう少し。ただし書きのところで、たとえば、「運転者がその車両を離れたが直ちに運転に従事することができる状態にあるとき、」という一つの文章がありますね。いなか道で、この規定に反するような道路があって、そしてあるうちで用を足しにいって、そこは車が入っていかれないという所があるわけです。そこで、しばらくの間用事を足していく、運転者なり何か用事を足しているということになると、これは明らかに違法な駐車になるわけですね、五・五メートル以下の所であったら。で、車を離れたが、直ちに運転することができるできないという問題が、そこに一つ現実の問題としてあると思うのです。車が来た。あるいはうしろからでもいいわけですが、そういうふうな場合に、これは当然じゃまになるし、この規定からいっても、違法な駐車になってしまっているのだし、さて、ちょうどいわゆる直ちにということに該当するかどうかということで、いろいろこれは問題になると思うのですが、やはりそういう問題があるのですから、もちろん、道徳的な訓示規定としてやるというのであればともかく、そうでないのですから、私の言うことは、一方においては前提を肯定しながら、実情と少しおかしいのじゃないかというので、ちょっとあなた方からすれば、論理の矛盾を感ずるかもしれませんが、実際問題として、何かあんまりきつくきめても守れないし、守られられないということがしばしば起こるのじゃないかというように私は懸念するからです。
  59. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) やはりこれは、規定といたしましては、相当にやはり厳格に規定すべきかと思いまするし、また、運転者自身についても、やはり従来のやり方というものについて相当頭を切りかえていかなくちゃいかん。相当長く用を足すというような場合には、とまれる所にとまって、少し遠くでも歩くというようなことをやはりやるようにしてもらわなければならぬと思うわけです。原則はそういうふうに申し上げた通りでありますが、実際に取り締まりにあたりまして、非常にいなかで、全く交通もないような所を、一々これを詮議立てするということも、実際問題としてはなかなかいかない問題はあるかと思いますが、制度規定といたしましては、やはりこういうふうな厳格な規定というものにいたし、なお、運転者についても、従来の慣習にとらわれることなしに、やはりこの際交通の仕方について、駐車の仕方について頭を切りかえていくということが必要であろうかと考えるわけです。
  60. 鈴木壽

    鈴木壽君 実際上まあいろいろ、しゃくし定木にはやらぬということなすですが、五・五メーターというのは、さっき言ったように、小型の場合ならぎりぎりのところです。もっと大型になると、六メーターくらいないといかんということになってくると思うのですが、やはりいなかへ行って、とまれる所に、駐車できるような所を見つけて、少しぐらい歩いてもといったところで、事実上いなかのいい道でも、有効幅員四・五メーターくらいになるといい道なんですよ。四・五メーター、改良した所で、そういうのがざらにあるのです。それで車がどうということになれば、厳格に適用すれば、通さないなら通さないでもいいけれども、きちんと法律で何メーター、〇・五メーターなら〇・五メーターあけて、そうしてこちらの方に車の幅をとった上で、さらに三・五メーターの余地がなければいかんというふうに、きちっと書かれてしまうと、何べんも言うように、一つの道徳的な、守るんだという、あるいは訓示的な規定であればともかく、三万円以下の罰金になるということですね、過失の場合であっても。まあ実際の場合は、三万円になるかならぬかは問題があるにしても、ともかくそうですね。いなかだから目こぼしをする、町だからだめだということも、これはちょっと私は、法の運用の点からすればおかしいと思うのです。やはりこれは、このままあくまでやらせる立場でなければいかんと思うのです。守らせる立場でなければいかんと思う。罰則がある以上、違反したものは、かりに過失であっても罰金を取られるのですから、それはまあ情状によって、罰金の額についてはいろいろあるかもしれませんが、そうなると、やはり私は、きちっときめて守らせるのだと、現在の交通状況、安全を確保するという、あるいは円滑化をはかるという、そういう趣旨の上の規定だと思って、そのまま読めばりっぱなものになりますけれども、事実上くずれてくるような、そういう問題があったら私は困ると思うのです。その点です、私の言いたいのは。
  61. 松永忠二

    松永忠二君 関連して。今の点は、僕らもそういうふうなことを考えているのですが、特に三・五メートル以上の余地がないときにはというようなことについて、従前「やむを得ない場合」で抜けられたので、相当規制をしなければならないということについてはよくわかる。しかし、その上に、もう一つ四十八条のところへ〇・五メートルというものがあるわけです。これについては、たとえば、今言う通り、いなかでもその程度道路相当いいので、〇・五メートルまたこれを加えてしまうということについても、実情と問題があると思うし、それから、今東京都なんかでも、四十八条があるために、相当制限を受けているものもあるという状況の中で、〇・五メートルの幅をもって駐車をさせるということ自体についても、事実上むしろそのために輻湊してくるのではないかという心配もできるわけなんです。四十八条のような、そういうものは、都市といなかでは事情が違うので、こういう点については、むしろやはりこういうものを都市の公安条例で規定するというふうなことはいいとしても、ここを建前として、それで、特別な場合には公安委員会はきめられると、しかも、いなかに入れば、公安委員会が全部そういうことをきめなければできないというようなことを本則の方にきめていくというふうな点については、歩行者の保護を考えるというところで理屈は非常にいいし、考え方として非常にいいけれども、今言うように、実情と離れているし、そういう特殊なというか、都市に通用するものを全般的に規定するということは、無理なものについては都市としての公安条例として規定をしていくという建前をとっていく方が実際において守られるのじゃないか。たとえば、今話の出ている三・五メートル以上ということも、しっかり守らしていくのには、またそこへ〇・五メートルも加えていくということについて、それを本則とすることについてはどうであろうか。まあ一つ、一緒に関連をしての質問です。
  62. 内海倫

    説明員内海倫君) 鈴木先生、松永先生の御意見、私どももほんとうに貴重な御意見と思っておりますし、また、私どもこれを立案します場合にも、何べんかそういう考えも繰り返し繰り返し討議をした結論でございまして、たとえば、この法律そのものを作りますときも、都市といなかというものをある程度適用上区分して考えたらどうかということもいろいろ考えたのでありますが、結局、法律上は、都市と地方というものを区別する限界が立たないという問題がございます。それから次に、こういう問題については、都道府県公安委員会の定めるところにした方がいいんではないかというお説につきましても検討いたしたわけでございますが、自動車の交通というものは、絶えず流動的でございまして、東京で運転しておる人が大阪に行き、あるいは静岡に行く、あるいは途中の農村に行くという例は、最近非常に多いわけでございます。そういう場合に、やはり交通する方法とか、あるいは駐車する方法というふうなものは、全国的な共通なものであることが、運転する人にとっても必要であるという観念に立ちまして、できるだけそういうものにつきましては、法律または政令で定めるという方針をとったわけであります。ただ、道路標識をもって明確に示すことのできるような駐車禁止の場所というふうなものにつきましては、その地方の実情に応じて公安委員会が指定できるようにしたのでございます。そこで、まあこういうふうな規定になったわけでございますが、その場合に、たとえば〇・五メーターというものを歩行者の通行のためにとるということは、確かにいなかの道路をこれに例にとっていえば、幾分そぐわない点があろうかと思いますが、反面、東京の町の中を例にとりますと、この余地が取ってないために、結局歩行者が車の前面を通って行かなければならないということのために生じておる歩行者の被害事故というものはたいへん多いわけでございます。事故になって現われぬ場合も、非常に恐怖を受けておるわけでございまして、そういう点から、法律上確保していきたいと、こういうふうに考えて、この場合も、また歩行者を妨げないようにという規定をしたらどうかということも考えましたが、やはりその点は、明確に何メートルあけるということによって駐車方式としてとらえようということにいたした。以上のような点で、いなかでは、何と申しましても庭があったり、あるいは広場があったり、お宮の境内がある。あるいは特にいなかの方では、それぞれの家が庭先を持っておるというふうな実体がございまして、都会において受けるような駐車問題と、いなかにおける駐車問題とは若干性格が異なる。まあそういう異なるところに、いなかの場合における措置は、広場、庭等を利用してもらうという前提をとっていいのではなかろうかというふうに考えて、共通的な規定をやはりする必要を痛感しまして、規定した次第であります。
  63. 松永忠二

    松永忠二君 今の点は、僕は、道交法の中にはそういうところがたくさんあると思う。理屈から言うと、御説ごもっともなんですよ。その通りなんです。であるけれども、それじゃそれを実施できるところがどれだけあるのか。しかも、それは罰則もついておるのだから、どうしても守らせなきゃいけないので、せっかくきめたのに、守れないということでは困るので、そこで、こういうところを確かに納得いたしましたということになると、皆さんが原案を作られたり、あるいは審議をしたときの全国的な中で、これで可能だという具体的なものを示してもらわないと、理屈はもうわかるんですよ。〇・五メーター置くということは、確かに保護になるということはわかるわけです。しかし、車道と歩道というものをできるだけ作っていくという、そういう道路にだんだん変えていくという情勢もあるわけなんです。そういう中で、とにかくこれを実施をするということになれば、事実これは可能なんだという、可能の度合いを聞きたいわけなんです。理屈を聞くことは、理屈はもうちゃんとわかっているので、たとえば、このために起こる交通事故がどうであるとかという点、それからまた、これを実施をした場合において、東京都の場合の少しお話あったけれども、たとえば、あなた方の方でも、大きな都市、中都市、小都市くらいについて、道路の幅員についてどの程度これが可能なのかということについて、検討されて実現性があるということであれば、これはわかるんです。だから、もう御説の方はよくわかるが、それを具体的に実行して、しかもそれを励行させていく点について考えると、励行される限度としては、まあ今話の出ている、先の方の程度ならできるだろうが、これを入れては励行はできないじゃないかという考え方もあるわけです。こういう点を、もし検討されていたら、少し説明を……。
  64. 内海倫

    説明員内海倫君) 今おっしゃいました実現性の問題につきましては、各県の関係者を集めまして、屡次検討をした結果、実は踏み切ったのでありますが、正直に申しまして、その会議の中におきましては、大へんこれでは窮屈になるという意味も出ましたけれども、それをあえて結局押し切りました。そういう若干の反対といいますか、疑念を持った意見も押し切りました理由は、結局、駐車ということでございまして、停車を禁止するわけではなく、かつまた、駐車の場合も、さらに例外で書いております荷物の積みおろしの場合、もっとも、運転者について若干の条件を課しておりますが、「傷病者の救護」、こういう場合にはとまってもいいと、こういっているわけでございます。結局、先ほど申しましたように、青空車庫というような、代用として路上に長く置いておくという状態を、道路というものの上においてそういう放置にひとしいような車の置き方を認めて、そのために、その道路が通行できなくなるという状態を認めていいかどうかというところに問題をしぼったわけでございます。そうしますと、また、おしかりになります理屈に堕して参りますが、結局、道路の効用というものから考えて、やはり道路は、通行するために最も有効でなければいけないという考えに立ちまして、結局、長時間放置しておくような形の駐車が行なわれないための措置は、この際とらなければなりますまいという理屈で切ったわけでございますから、従って、今青空車庫並みに置いておこうとしておるような立場から考えますれば、確かに不便は生じまするし、また、道路の幅の実態から考えましても、東京都の場合でも、五・五メートル以上の道路というものは、全延長の約三割五分でございます。大阪におきまして五割五分ということでございますから、まあ半分以上の道路がこれにひっかかってくると思いますけれども、繰り返しますように、それは駐車という、いわゆる継続として車をとめるということであり、しかも、それは例外を除いた残りのものであるというふうに考えますと、やはり道路の機能維持から考えても必要なんではなかろうかというふうに私ども考えたわけでございます。
  65. 木下友敬

    ○木下友敬君 大体似たようなことですが、今の問題ですが、これは、具体的に言いますと、どうですかね。住宅地などでは、荷物の積みおろしでもない、たとえば、三輪車とか四輪の小さい貨物自動車に商品を一ぱい載せて移動八百屋さんなどがおりますね。首相の岸さんの近くに行っても、ああいう住宅地に行けば、これがおるわけです。しかもあれは、曲がりかどでちょっと自動車の先を見せておくと、奥さん方が走ってきやすい、わかりやすいからといって、よく曲がりかど近くでもって、あの辺を通るときに困るということが実際問題としてありますが、ああいうのは、これから絶対やれないことになりますか。荷物の積みおろしでない。物を販売する。そして運転手が商売している。車を離れて、下におりて物を売っているという場合、こういうものは、これからはもう警視庁の目の届く東京都では少なくともやれないということですか。  それからもう一つ。今のやはり同じ場所ですが、四十五条の2の一番最後の、「又は傷病者の救護のためやむを得ないときは、」云々という、医者が自動車で来て、救護のために車を置いておくということでしたが、このごろは、大てい医者の自動車は、医者自体が運転して、表に車を置いて患者を見ているということだと、これは時間はちょっと制限がつきません。どれくらいかかるかわからない。「傷病者の救護」という名前の中には、往診して診察しているというようなところをいらのか。あるいは、そこへけが人があったのを急に行ってやっているような場合をさしているのかで解釈が違ってくると思います。  ほかにはありませんが、その二つだけ具体的な問題として説明しておいてもらいたい。
  66. 内海倫

    説明員内海倫君) 先の野菜屋の点につきましては、それがいわゆる駐車に該当します限りは、結局、荷物の積みおろしのための五分以内の停止、そういうものでないものでございますれば、やはり該当するというふうに申し上げなければなりません。  それから二番目の方の、医師の診察に伴います件は、こういうふうにお答え申し上げたいと思います。医師が自分で車を運転をいたしまして患家に至って、そこで、その患家の患者を診察して、所要の治療をして、そうして出てくるまでは、このただし書きの例外として該当しておる。従って、その間は駐車してもかまわない。こういう考えで立案いたしました。
  67. 木下友敬

    ○木下友敬君 一体、片側の方に三メートル幾らかの道路の幅が残っていなければならないということが前提でしょうけれども、それだけの幅のない場合も、こういうことが実際行なわれている。その方がむしろ問題であって、幅の広い所ならいいですけれども、幅のない所でもそういうことが行なわれなければならないような実情にあり、実際行なわれているというこの現状をどう処理していくか。また、医者の場合は、これは命にかかわるからというて、特にその場で大目に見ていいけれども、野菜屋さんなどが今までそれで商売しておったし、奥さん方もそれで助かったが、これがやれなくなる。とても五分——十分でも十五分でもかかるのですが、それでも移動して、たとえば十メートル、五メートルでもあとに下がれば、場所が違っているわけだからいいわけですけれども、そういうような小手先のことではなくて、実際にこれを禁止していくということになりますと、その住宅地なら住宅地を管轄している警察官がこれを知っておって、それをほうっておくということになれば、これは、警察官が職務の怠慢で処理されなければならないということになってくるし、あるいは、故意にそういうことを警察官がやっておってだめじゃないかというような住民感情になるかもわからない。それだから、法律というものは、一つの理想を示す場合がたくさんあるのですけれども、もう少し実情に即した考えをどこかで盛るか、あるいは、ただし書きをもう少しするかしなければいかぬと思いますが、その点について御説明願いたい。
  68. 内海倫

    説明員内海倫君) お説の点は、まことにごもっともな点が多いのでございますが、従いまして、私どもも、ただし書きとして、そういう狭い道路において駐車を禁止するということの必要性というものと、にもかかわらず、ある程度例外を設けて、そこで駐車を認めなければならないというものとの調和を考えまして、実はこの範囲のただし書きを設けたものでございます。従いまして、先ほどの野菜屋の例も、そこに車を置いて、お客さんが来るのを待って販売する場合におきましては、駐車の方に該当して違法ということになりますが、たとえば、何々家に荷物を届けに行く、あるいは野菜を届けに行く、そのために車を置いて、届けを終わるまで置くということは、この貨物の積みおろしの例外の規定に該当する限りにおきましては支障がない、こういうふうに考えております。
  69. 鈴木壽

    鈴木壽君 最後に、これは区域を指定するような形であったらどうですか。これは実情からしてそれは考えませんか。まあこの法文からすれば、これは事実上守れないし、守らせることができないのですよ、これは。だから、区域を指定して、この区間といいますか、区域といいますか、区間ということになるでしょうが、ここは田舎であれ、あるいは都市であれ、こういう条件のもとにおいては駐車ができないのだと、こういうことをすれば、私は、今の日本の道路状況等からして、よほどいわゆる実際に即応した取り扱いができると思うのです。全部五五メートル以下の所に五分以上の停止ができないというようなことになりますと、取り締まる立場になってみても、これは容易じゃないと思うのです。これは、せっかくきちっとしたいい法律を作っても、私は、事実上守れないし、守らせることができないということになると、法そのものに対するしめしというものは失われるのではないかと思うのです。
  70. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) 先ほど来お話申し上げておりますように、この規定は、確かに現状を慣習的に行なっておる面については、非常に不便な面が出てくるでしょうけれども、しかし、やはり狭い道路において、しかも交通の円滑を確保するという道路本来の目的を実現するという観点に立ちますれば、やはりある程度惰性によって行なわれている慣習というものを打破していって、それに伴う不便、まあいわば先ほど来お話のありました青空駐車というようなものについては、やはりできるだけこれをなくしていくという考え方に立っていくべきではないかと。従いまして、この区域については差しつかえないということで、その区域内の道路交通の円滑を期し得ないようにすると、これはおそらくそういうことになって、たとえば公安委員会等が指定をするということになりましても、かなり現状の惰性というものにわずらわされて、相当にやかましい問題に相なるのではないかとも思いまするし、やはりこの点は、すっきりとした、相当の不便を忍んでも打破していかなきゃならない問題があるのではないかというふうに思うのです。
  71. 鈴木壽

    鈴木壽君 これでやめますが、私は、青空天井車庫や自動車の格納場所のかわりにやることをそのまま見のがせと言うのではなく、実際問題として、今のこの法律にいう駐車の規定からすれば、これは大へんなことになると思うのですよ。駐車というものは、ちゃんとここに規定されているでしょう。そういうものからすれば、いかにも実情に合わない。私は、ルーズになんでもかんでも車を路上に置けということではないのです。しかし、荷物を積みおろしをするのに五分以上たつやつは駐車と見るんでしょう。で、駐車をできないとしたらどうなるんです。これは、この前にも私ちょっとその問題でお聞きしたんですが、何か実情によって、引っ越し荷物の場合はいいとか、よくするとかなんとかという話がありましたが、私は、やはりこれは、今の厳密な駐車というものの規定からすれば、これはどうにも行なわれるものじゃないのです。それをまた一々あなた方とがめていると、際限のない話だと思う、これは。いわゆる不法に路上を占拠するような駐車の仕方、車の格納庫がわりにするとか、物置きがわりにその路上を使うというようなことを私は大目に見てやれとか、もっとゆるめろということではない。しかし、この駐車というあなた方のこの法文の規定からすれば、私はとんでもないことになると思うのですね。それからいなかの町、こういう大都会ならともかく、いなかの方では、大体四・五メーターくらいあれば、車の交差もそんなに、大型のものはともかく、四・五メートルあったら、私は、普通の車の交差はできると思うのです。そのために著しい交通の支障とか、従って安全を害するというようなことには私はならぬと思う。それを一律に——この法律は全国に適用する法律ですから、なかなかむずかしい問題はありますけれども、それを一律にこういうふうなことにして、ほんとうに守らせるならともかく、私は実情そういうことはできないと思うから、何か守らせることのできるような、また守れるような、そういうことが必要じゃないか。そのためには、都市はもちろんでありますけれども、いなかにおいても、この区間は駐車をしては困ると、いなかにそんなざらに道路に車をほったらかしておくのもないし、そういうふうなことが何か考えられないと、結局しり抜けのものになってしまうのではないか。私はこういう心配があるのです。まあその辺で私はやめます、この問題について。
  72. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 午後一時半まで休憩いたします。    午後零時四十六分休憩    —————・—————    午後一時五十六分開会
  73. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) それでは、委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、道路交通法案質疑を続行いたします。
  74. 鈴木壽

    鈴木壽君 五十五条、五十七条に関連しますが、まあ五十五条では、特に二項で、乗車なり積載についていろいろ規定してあるわけなんですし、また、五十七条へ来ますと、五十五条等で禁止されておるようなことに、さらに今度罰則がかかってくるようになっておるのですが、これは、この前にもちょっと質疑が出ましたのですが、バス等における定員の乗車、これの厳守ということはなかなか大へんだと思うわけなんですが、しかし、これはやはりきつくやっていかなければならない性質のものであるということは、私もまあ当然認めますが、ただ、今言ったように、なかなかバスの定員を厳守するというようなことにつきましては、問題があろうと思うのですがね。実際上の取り扱いということに、今度そういうふうになってくると、ならざるを得ないと思いますが、この点について、どういうふうにお考えになっているか。考え方について少し……。
  75. 中川董治

    政府委員中川董治君) これは、総括質問の場合にも、松永先生から御指摘がございました事項でございますが、定員超過の車両等、自動車のみならず、軽車両を含めて、すなわち車両等の問題で、これが安全の見地から制限する必要があるという立場をまずとったわけであります。現行法では、定員超過につきましては、罰は全く同じ、三千円以下の罰金を一律に科しておったのでありますが、改正案で考えました点は、車両につきましても、軽車両と重車両の車両というふうに区別いたしまして、軽車両については一万円以下の罰金を科することにいたしました。それ以外の車両につきましては、定員超過は三万円以下の罰金を科する。こういうふうに、こまかく整理してみたのであります。それから、その次にお尋ねの、軽車両についても同様かもしれませんが、車両につきまして、定員超過の実情が大へん多いのじゃないか、それに対して刑事責任だけでやるという考え方はいかがかと、こういう御指摘でございますが、私どもも、刑事責任だけで物事を解決しようとは考えていないのでありまして、まず、定員が守られるような状態に行政施策を含めて考えるということが第一、その次は、それにいたしましても、定員を定める場合におきまして、実情とあまりにもかけ離れたといいますか、理想的な観念だけで、理想主義をとるということもいかがかと思いますので、この五十七条で申しますと、「政令で定める乗車人員」と、こういうことなんでありますが、政令でこれをきめたい、実情に合うようにきめたいと思っておるのであります。ところが、私どもが政令を立案するにあたりましては、関係庁でありまするところの、具体的には、運輸省と十分協議いたしまして、運輸省が道路運送の立場からお考えになっている定員とこの危険定員というものとを別に掲げるのも、国民の方から見れば不便だという面もありますので、政令を立案するにあたりまして、運輸省と十分協議いたしまして、御指摘のように、定員が実情になるべく即するような政令を工夫して参りたい、こういう角度で物事を考えてみたいと、こう思っておる次第であります。
  76. 鈴木壽

    鈴木壽君 かりに実情に即するような乗車人員というものの定め方、定員というものの定め方をするにしても、なおやっぱり私は問題があると思うのです。それは、言うまでもなく、ラッシュ時等においてもう詰め込めるだけ詰めると、これは、運転手の方あるいは車掌の方がかりに拒否しようとしても、事実上できない問題ですな。ですから、定員はどのように定められても、たとえば、これは何人乗りというふうな単なる車両の規格からだけではなしに、実情に即するような運輸省とも協議をした上で定員を定めたいとおっしゃいますけれども、かりにそういうことができたとしても、今言ったような問題は解決できないと思うのですが、この点はどうですか。
  77. 中川董治

    政府委員中川董治君) これは、お説ごもっともだと思います。たとえば、定員がきまりまして、その定員を確保するためにはだれが責任者かと、こういうことになろうと思います。こういう問題は、関係者がすべて定員を順守するようにやってもらいませんと、責任運転者の方だけにしてしまうのは不適当だと思います。それで、この五十七条違反の行為に対しましては——定員超過を知りながら運転した者につきましては、運転者にも刑事責任を課すると、これが一つ、それから、これは両罰規定がございまして、事業主も、そういうようなことになれば、両罰で責任を持つ、運転者だけではなしに、事業主も共同責任者ということで、刑事責任で明示いたしたのであります。最後に、事業主も運転者も定員を順守するように非常に努力しておるけれども、今度は乗客の方で、自分は急ぐからというので、定員超過を知りながら無理して乗るということは、皆さんごらんの通り、あると思うのであります。これも、乗客の方も、定員が超過していることを知りながら乗れば、これは共犯関係で罪になると思います。従いまして、乗客も事業主も運転者も三者ともに刑事責任があると、こういう建前に相なろうと思います。ところが、刑事責任事柄の性質上三者にあるのでありますが、物事は、過般来申し上げておりますように、刑事責任だけでは解決すべき問題じゃありませんので、乗客の方も事業主の方も運転者方々も、ともどもに定員が守られるようにみんな努力する、努力体制を社会慣行として作っていきたい、こういう念願を持っておるわけです。この念願は、大へん困難な問題と思いますけれども、皆さんの御協力を得て大いに実現していく、最後の保証として、刑事責任は三者ともにあり得る。いずれも事実の認識が必要でございますけれども、事実の認識があるものに限りましては、三者ともに刑事責任がある、こういうふうに考えるのであります。  それから、最後に御指摘がございましたように、刑事責任がありましても、やむを得ず乗せたということを非常にルーズに考えますと、けさほどのお話のように、非常にルーズになってはいけませんけれども、やはり刑罰の法令の根本観念として、情状酌量とか、そういう点が考えられますので、そういう点で、刑罰法令の運用として、情状酌量という面で考えることももちろんであるというふうに考えるわけでございます。
  78. 鈴木壽

    鈴木壽君 現在こういう取り締まりといいますか、特にバス等におきまして定員をオーバーして乗っている、あるいは乗せているということに対しての実際の取り締まりの問題として、現にやっているのですか、どうですか。
  79. 中川董治

    政府委員中川董治君) これは現在も、私がお答えいたしました考え方を持っているのでありますけれども、事実に押されてと申しますか、非常に定員超過の事態が多いというような状態もありますので、今日の段階におきましては、警告、啓蒙ということを中心にしておって、その刑事責任を糾明するというケースは比較的少ないと思うのでありますが、それをもってあきらめるということは適当でありませんので、改正法施行後は、まず第一に実行可能な政令を作るということを根本に考えながら、指導、啓蒙をあわせて行ないまして、私が申しました三者の協力態勢を仕組んで参りまして、その状況とにらみ合わせて、刑事責任状況によっては一つ問うようにして参りたい。初めから刑事責任ということだけでなしに、そういうふうな行政手段を経てこれらの問題が解決するように努力していきたい、こういうふうに考えております。
  80. 鈴木壽

    鈴木壽君 私は、現在におけるこういうものの違反についての取り締まりの状況といいますか、そういうものからして、新たにこういうものができても、なかなかやはりその点については不十分で、実効が上がらない規定になるのじゃないか、こう思うのですが、まあ乗せる人もいけないし、それから雇用者もいけないし、乗った人も共犯関係でやられるのだといっても、なかなかそういうことだけで私は今度の法がよく守られるということにならぬだろうと思います。現に今、これは自分の個人のことを言っちゃ悪いのですが、夕方会館からの帰り、大てい電車かバスで帰ります、三宅坂から。電車の場合もバスの場合も、ちょうど五時過ぎ——五時半、六時ごろの場合には、ほんとうに詰められるだけ詰めなければならないという状況になっているのです。もう三宅坂のところに来たときには、いつでもぎゅうぎゅう押し込められることを覚悟しなければならぬ。そういう苦しい状態であっても、とにかく乗れることが幸いだと思わざるを得ないほどの状態なんです。あそこに交番がありますが、むろん職務が違うかもしれませんが、交番は一度だって注意したことがない。知らぬふりですが、これは交通関係の方じゃないとすれば、それはそれまででしょうが、これはいつどこで、どんな押え方をするのか、そういうことからいっても、りっぱな規定なり、あるいは場合によってはそれに対する罰則というようなものが設定されても、なかなかこれはむずかしい問題じゃないかと思うのですが……。
  81. 中川董治

    政府委員中川董治君) 鈴木先生の御指摘のような社会的事象のあることも、重々わかっておりますが、結局、ものの考えとして、定員を超過することによるところの事故というようなことがあり得る。自動車の場合もあり得るし、過般神奈川県でいろいろな事故が起こったくらいで、これも定員問題に関連するのであります。ところが、現行法例上は、定員超過を興行場法は規定はしておりますけれども処罰の対象にしておらない。それは、実効が担保できにくいということの念からだろうと私は思うのですけれども、ところが、最近のああいう事故にかんがみて、定員の厳守ということが各方面から言われている。こういうようなことも考え合わせるならば、そしてまた興行場法なんかにつきましても、定員を厳守すべしという論が多い、こういう状況だ。そうすると、興行場という動かないものについてもそういうものが出ておるのですが、自動車のように動くもの、特に道路を走るものについて定員超過をするということは、興行場よりもさらに危険である。実効を担保しにくいから刑事責任をやめちゃうというのは、一つの理論として成り立ちますけれども、こういう定員超過の事故を考えるときに、こういうことに踏み切らざるを得ないと思います。御案内と思いますけれども、修学旅行等でバスに乗って、定員超過のために、どこかのがけから落ちてけがをしたというような事故があって、原因を究明をすると、定員超過が落ちた原因である。こういうような事故も多い状況でありますので、そういう定員は、やはり刑事責任を担保せにゃならぬと、こういうふうに思うのであります。そうすると、責任を担保するのだけれども、守りにくいという点は、鈴木さん御指摘の通りでありますので、この自動車の定員が幾らであるかという人数に現行法上若干無理があるのではないかと私どもは思うのでありますけれども、これは、運輸省のお考えとも合わせなければいけませんので、ちょっとここでお約束しかねるのでありますけれども、運輸省のお言い分等も、私どもの実情等もあわせまして、先ほど申しましたように、できるだけ守り得る定員を政令できめるように努力したい。そして初めから刑事責任というわけにも参りませんが、定員が守られるように社会生活を仕組んでいくというふうに考えた方が相当じゃないかと思います。定員の他の例でも、興行場法は、確かに刑事責任を課しておりませんけれども、船にはやはり刑事責任を課しておるわけです。船と自動車と、どちらがあぶないかということを私考えたことがあるのですけれども、船ももちろんあぶないけれども、船が沈没した場合の危害は、乗っている人だけなんです。自動車の引っくり返ったときの危害は、乗っておる人の危害は、前の船の場合と全く同様でございますが、加うるに、自動車の場合は、他の交通に迷惑をかける。船の場合は、他の交通に迷惑のかけ方が少ないのでございますけれども、こちらの方は、他の交通機関に迷惑のかけ方が多い、こういう状況考えあわせまして、この刑事責任考えたわけです。
  82. 鈴木壽

    鈴木壽君 局長、あれですよ。私、定員を守らせることが、そしてまた守らない場合に罰則をつけて罰するということがけしからんと言うのじゃないですよ。まあさっきの駐車の問題みたいに、りっぱなものを作っておっても、実際には何も行なわれないということが私は問題だと思うのですね。ですから、行なわせるために、一体まあかりに警視庁なら警視庁のそういう態勢ができておるのかどうかね。これはまあひとり警視庁の問題だけではない。もちろん乗る人の心がまえなり、乗車の任にあるそういう人のそれもあるのですが、とにかくそれらの一連のものからして、そういう点から守れない、また守らなくてもみんな見のがされておるのだというふうなことが行なわれるとすれば、やはり残念だと思うわけです。そういう点からです。ですから、実情に合うような定員を定める、政令で、運輸省との話し合いで。これはけっこうだと思うのです。しかし、それをきめたからとて、今のようにああして詰め込んで走っておる。ドアも締めれないくらい詰め込んでおります。よく御承知だと思うのですがね。それで、乗った人は、これじゃ定員オーバーしているからけしからんと言って怒るかというと、それでもよく乗れて、腰かけられてけっこうだと言って喜んでおるわけだ、これは。そういうのをお前けしからんとか、それにおくれて今度次にいつバスが来るのかわからん。ずっと郊外の方まで行かなければならぬと、こういう通勤状態のときに、それを一々言うことは、実は警官の方々でも、取り締まりの立場にある人でも、情においてこれは仕方がないと思うのですね。自然に見のがされる。こういう事態が繰り返されておるとすれば、何かいかにもりっぱな法律のようにできて、罰則が担保されておるということがあったにしても、しり抜けになってしまうような感じがするから、そういうようなものを私は何とか、単にここでのお答えだけでなしに、実際に行なわせ得るような、そういうふうなことに、みんなでこれはがんばっていかなければならないと思うのですが、そういう意図で私は実はお尋ねしておるわけなんです。かりにこのバス五十人だというような定員をやっても、これは、朝晩のラッシュなど、必ず何割増しか、場合によっては倍近くのお客さんが乗るようになるんじゃないかと思うのですね。それは事情やむを得ないとして、これは認めざるを得ないですよ、やっぱり。もしそういうものを解消するとすれば、まあ一つの問題としては、会社側に、バスの運行のそういう経営の立場にある人たちに、バスの車両をふやすとか、運行の回数をふやすとか、時間を縮めてどんどん出すとかという、なんとかそういうことまでやらせない限り、今のような状態は解消できないと私は思うのですね。
  83. 中川董治

    政府委員中川董治君) お説、まことによくわかるのでございますが、それで、対策といたしましては、バスの定員を五十人ときめておるんだけれども、実際は百人乗っておるという実情がありまするということもよくわかるのでございまするから、そういうバス五十人という定員をもっと、百人とか七十人とかする余地があるということは、私たちも同様に考えますので、運輸省とともに、政令を作るときに、多少この点を考慮することは一つの対策だと思います。その次の対策は、これはまあ散発式になっておりますので、関係者の方の御理解を促していきたい。促す方法として、今お話がございましたように、バスを監督しておる運輸省とともに話して、そういう定員超過は日常茶飯事のごとく行なわれないような社会状態を作っていくという行政施策を考えていく。それに並行して刑事責任を運用していく。こういうことによって事態をだんだん解決して、交通事故から関係者の生命身体を保護したい。こういう念慮に燃えて努力を積み上げて参りたいと、こう思っております。
  84. 鈴木壽

    鈴木壽君 この問題ですね。乗車人員のいわゆる定員というものを、実情に即するようなきめ方を政令でやるのだと、こうおっしゃっておりますがね。むしろそういうことは、かえって私は事故なんかのあった場合に困ることになると思うのです。やはり一つの車の規格なり構造上から、五十人なら五十人、七十人なら七十人という一つの定員というものは割り出されてきておるものだと思うのですがね。それをさらに何割も増して、五十人のところを百人も乗せることができるよう定員をやったんでは、これはまあむしろ、実情に合わせるようにするために、かえってとんでもない結果をもたらすようなことになるのではないかと思うのですから、私はこういうことはやっぱり極力避けるべきだと思うのですね。十人乗りの船に十五人乗ってもいいような定員を作るということは、そんなことは私は極力やめるべきだと思う。従って私は、対策として、これはあなた方だけの問題ではありませんから、問題はちょっと違うことになりますが、今さきにちょっと私が言いましたように、そういう混雑をするようなときに、ラッシュ時にもっとバスの台数をふやした運行をさせるとか、何か他の交通機関との利用の問題をかね合わせるとか、何かそういうことをやらないで、車のその定員をより以上多くすることで実情に合わせるというような方法は、私はとるべきではないと思うのですがね。    〔委員長退席、理事西郷吉之助君着席〕
  85. 中川董治

    政府委員中川董治君) 私申し上げたこと、ちょっと言葉が足りなかったんですが、なんでもかんでも定員を多くするようにすべきでないということは、今お説の通りだと思うのです。私どもが運輸省と協議する場合の心がまえといたしましては、運輸省という行政機関の性格上、やはり運輸ということに関して、鈴木先生がおっしゃったような立場をお考えになるということはごもっともでありますので、そういう立場を尊重し、しかも、警察という機関の性格上、やはり社会の実態というものをよく知っておるという一つの性格がありますので、その二つの性格をやや異にする行政機関が寄り寄り協議することによって、妥当な結論が出るのではなかろうか。こういう配慮でございますので、何でもかんでもやたらに定員を多くするという趣旨ではない点を御了承いただきたいことが一つ。  それからもう一つは、私どもいろいろ行政運営をやっていきますにつきまして、お話が出ましたように、この行政機関との連絡によって、バスがなるべくたくさん出れば、定員超過しなくても済むような状態になるということ、そういった点は、運輸省その他の行政機関と十分連絡して、だんだんそういう点はそういう角度からも解決するように努力して参る。こういう点は、先ほどお答えしたつもりであったのでありますが、重ねて申し上げておきます。
  86. 松永忠二

    松永忠二君 前の五十五条に、従来は貨物の積みおろしに必要な人員を乗車させる場合を除きということがあって、貨物の積みおろしに必要な人員を乗せることになっておったのですが、今度の場合は、「貨物を積載しているものにあっては、当該貨物を看守するため必要な最小限度の人員を」乗せると、こういうふうになっている。この点については、こういうふうに改めたのは、どういう理由ですか。
  87. 内海倫

    説明員内海倫君) 五十五条に現行法を改めました理由は、現行法におきましても、「乗車又は積載のために設備された場所以外に乗車をさせ、又は積載をしてはならない。ここの原則は、現行法も改正案も同様にとっておるわけでございます。この原則から考えますと、結局、その乗車、積載の場所以外に、人間について申しますと、乗車設備のないところに、要するに、貨物自動車の荷台に人を乗せるということ自体、やはり危険であると認めざるを得ないのであります。そこで、法律趣旨からしましても、この原則を貫いて、乗せないということにすべきであろう。これは考えられる一つ可能性の問題でございます。しかしながら、今度は、貨物を積みまして、その貨物が非常に、何といいますか、落ちたり、あるいは看守する必要のあるような貨物であります場合には、それを看守するための人を乗せて、より荷物の転落その他によって生ずる危険を防止する観点から、これを看守する人を乗せるということは、それが落ちたことにより、あるいはその他の事情によって生ずる危険との関係では、人を乗せてそれを防止することの方がより大事である。従って、その必要性から、やはり危険を防止する観点から、必要最小限度の貨物を看守する人を乗せていくということは認めていいのではないか。こういう観点から法案では認めまして、それから、現行法の貨物の積みおろしのために必要な人を乗せるということは、原則としてなすべきではなかろう、こういうふうに考えてこれを書いたわけでございます。なお、そういう点からも考えまして、どうしても貨物の場合に人を乗せる事情があり、しかも、道路あるいは交通の秩序から考えて、人を乗せていくことがやむを得ない、こういうふうな事情があります場合には、一応五十六条の第二項で例外を設定いたしまして、人を乗せることも可能な道を開いておいた次第でございます。
  88. 松永忠二

    松永忠二君 その点は、五十六条で、警察署長の許可を得てやるということなんですが、実際にはどうなんですか。貨物の積みおろしに必要な人員ということについては、これはむやみやたらに乗せていて、これが積みおろしに必要だなんということを言うことはできないと思うので、一見して明確だと思うのです。ところが、一々そういうことについて所轄の出発地の警察署長の許可を求めなければできないということについては、少し行き過ぎているのではないかと思うのです。従前規定では非常に取り締まりが困るのでこういうふうにやったのですか。やはり危険を的確に防止をするために必要だと、こういうふうに考えられるのか。どっちなんですか。
  89. 内海倫

    説明員内海倫君) お答えいたします。  私ども取り締まりができないからということよりも、純粋に五十五条の趣旨規定を設けるに際しまして、危険防止の観点から定めたものでございまして、取り締まりのたやすい、むずかしいという観点から定めたものではございません。
  90. 松永忠二

    松永忠二君 そういうことになると、実際問題はどうなんですか。材木を運ぶとかいうような場合に、乗車できる設備の場所といってみたところが、一人か、よくて二人程度の小さいところのもので、どうしてもうしろへ一人や二人乗せて取りに行かなければできないというようなことは、日常非常に数多くあるのじゃないか。そういう場合に、一々警察署長にそれを届けていって乗せていかなければできないということになると、危険ということについては、これは私は、乗っている者だってやはり危険な度合いはわかるので、わかるというか、注意もするので、非常に見分けが混雑するので、大へんにどうなるかわからぬので、取り締まりのためにはどうしても規定しなければいかぬということになると、やはり見分けの必要上そういうことも、規定も必要だと思うのだけれども、危険だからということであるとすれば、こういう点については、あまり繁雑になってくるのじゃないか。ここまで法律の上で規定をしないでも、やはりその程度ぐらいは自主的にお互いにやっていけることだと思うので、これは、ずいぶん荷物を取りに行く場合は多いので、それのうしろへ一人や二人乗せていくのに、一々警察署長まで届けていくということについては、いかに何でも繁雑ではないかというふうな気持が強くするのでありますけれども、こういう点はどうなんですか。
  91. 内海倫

    説明員内海倫君) 実情におきましては、そういうことはあろうかと思うのでありますが、ただ、ここで私どもが申し上げたいことは、これまた理に落ち過ぎると思いますけれども、この法律の建前として、一応特にこういう乗車、積載等の規定の点に関しましては、もっぱら危険の防止という観点からの立脚点で書いたわけでございます。その点から、五十五条の規定というものは、結局トラックなり、あるいは乗用車なり、あるいはバスなりというものが作られた使命を考え、またそれが構造上の問題を考えまして、結局人は乗車すべき設備のあるところに乗車することが安全であり、危険防止の役に立つ。従って、貨物の荷台に乗るということについては、なるたけこれが行なわれるべきではない。しかし、やむを得ざる例外としては、危険防止の観点から、許容すべき最大限のものを考慮して考えていくという観点に立って規定いたしましたので、やや、今松永委員のおっしゃいましたような、何といいますか、経済的あるいは社会生活のそういう面における慣行というものとは若干相いれない規定になっておる点は、道交法という法律の観点からやむを得ないのではなかろうか、こういうふうに考えて、割り切って規定した次第であります。
  92. 松永忠二

    松永忠二君 外国にもこういうふうな事例はあるのですか。一体こういうところまでやはりこういう法規で規定をしておるのですか。この点は、事例はどんなでしょう。
  93. 内海倫

    説明員内海倫君) 正確には、後ほどなお調べまして、お答えを申し上げたいと思いますが、外国の法令を見ました場合、こういう点については、割合にデリケートな配意がされてあるように、私ずっと痛感した感じで記憶しておりますが、なお、正確な点につきましては、至急調べました上でお答え申し上げたいと思います。
  94. 湯澤三千男

    湯澤三千男君 今の問題に関連するのですがね。どういう場合ですか、許可する必要のある場合というのは。
  95. 内海倫

    説明員内海倫君) 五十六条の第二項で許可をするわけですが、これの許可の典型、私どもがこういう道を開いております道交法上の理由は、たとえばがけくずれがあって、急に作業人夫を運搬しなければならない、あるいはそうでなくても、一般的な乗用車代用にやむを得ずせなければならない場合、たとえば災害が起きまして、普通のバスでは危険で通れない、ただし、がっちりしたトラックであれば通れる、こういう場合に、ごく臨時的にこれを人員輸送の代用にしなければならない、こういうふうな場合がありまするので、主としてそういうことを目的として、こういう例外を設定いたしたわけでございますが、今、松永委員の言われましたような、たとえば、山の中に木を切り出しに行って、運んでこなければならぬ。その場合に、貨物の上げおろしにどうしても必要な人員をこれで一緒に持っていかない限りはほかに方法がないというふうな事情であれば、ここに書いております人員を限って、しかも、道路状況、車の構造等相関関係を調べました上で、しかるべしという認定をした上で認めるというふうな場合もやはりあろうかと存じます。
  96. 湯澤三千男

    湯澤三千男君 要するに、非常な例外の場合、そうしょっちゆう起こるような場合でないときを想定しておるわけですね。
  97. 内海倫

    説明員内海倫君) その通りでございます。
  98. 湯澤三千男

    湯澤三千男君 先ほど鈴木委員からお話があったバスの問題、あれは、乗る人も、何と申しますか、やむを得ない場合に多く生ずるように思うのですが、そうでなく、砂利トラックなど、ああいうのは、非常に定量以上に載せておる。まことにひどいのは、倍以上の量を載せておるというようなことを聞くのです。ああいう取り締まりは、どういうふうにやっておるわけですか。
  99. 内海倫

    説明員内海倫君) ただいま砂利トラックの例が出ましたので、砂利トラックの取り締まりについて申し上げますと、方法について、まずごく常識的に見まして、砂利の場合は、砂利というのは、砂または石が一緒になっていると思いますが、砂だけの場合でございますと、ちょうどワクになっております、ワク一ぱいにつるつるになったのがちょうど常識的に見た積載量の限界と聞いております。従いましてそれをオーバーいたしておりますと、まず疑いとしては、積載量超過の疑いがあるわけでございます。そういうものにつきましては、重量検査を検査機で検査いたします。その上で、違反しておるものに対する措置をとっておるわけでございます。その措置は、特に、最近ここ一、二年来におきましては、運転手の罪に帰するというより以上に、それを積ませておる者の責任を追及すべき事情がはるかに多いと考えられますので、これは両罰を適用いたしまして、使用者側に対する責任追及もいたしておる次第でございます。
  100. 湯澤三千男

    湯澤三千男君 そのトラックの構造が、今お話のあったようなふうに、砂利トラックのような場合には、それ以上に積載できないような構造でも、許可するというようなことになっているのですか、今のお話のように。
  101. 内海倫

    説明員内海倫君) 砂利トラックのような場合には、原則として重量超過ということは許可すべきものではない、このように私ども考えております。今度の法案におきましても、貨物積載につきましては、例外を認めますのは、その貨物を分割することができないために、結局その部分だけが超過していくと、こういうふうな場合に貨物積載量の超過を認めよう。たとえば、材木を一本載せてしまえば重量超過になるし、さればといって、それをおろしてしまえばまだ余裕があるという場合の、しかも、もう一本載せることが非常に必要だと認められるような場合に、分割し得ないという観点から、超過した部分は許可する、こういうふうな考え方でございます。
  102. 湯澤三千男

    湯澤三千男君 私の国元などは、非常に砂利が多くて、砂利トラックが盛んに国道を通るのですが、通常地方で話を聞いておることによると、砂利トラックなどというのは、普通の許可された程度のものを運んだのでは商売にならない。必ずどうも超過したものを運んでおるのが常識だというふうなことを言われておるのです。そういうようなことはないでしょうか。
  103. 内海倫

    説明員内海倫君) 私どものところ、または警視庁以下各一線のところには、やはり同様のことを関係の業者の方は言って参っております。やはり砂利のダンピング等に基づくものであろうかと思います。警視庁その他各県とも、危険性を考慮しまして、これについては例外措置考えないというきびしい態度で臨むように指導いたしております。
  104. 湯澤三千男

    湯澤三千男君 どうも取り締まりになかなか手が足らないということで、むずかしいというふうなことに関連するかもしれませんが、つまり道路管理者として、非常に重いものがしょっちゅう通られるために道路が非常に破壊する。その苦情が道路管理者の立場からあるのですね。それで、いろいろ料金を取るといったような間接な方法でそいつを押えようといったようなことを考えているのはどうですか。どうも危険という点からいってもなかなか、または運転をする人は非常なスピードを出しますし、非常に重いものでもスピードを出されるし、その上に、道路の破損が相当強いというようなことがあるものですから、これはよほど取り締まりの徹底を期する方法考える必要があるんじゃなかろうかというような気がするのですが、御勉強願いたいと思います。
  105. 松永忠二

    松永忠二君 第三十八条に、「歩行者の保護」というところがあるのですが、これは、歩行者を保護するということについては、非常に重視をされている点はけっこうなんですが、歩行者がもう少しやはり注意をする必要があるんじゃないか。前の歩行者のところを読んでみても、別にそういう注意をする、車両なんかに注意をするということはちっとも触れていないのだが、ここうあたりの、特に2のところあたりには、従前あった程度歩行者の注意責任というようなものを明らかにしておいてもよいのではないかというような気がするわけなんです。こういう点が、特にここを削除して載せないというのは、何か理由があるのですか。
  106. 内海倫

    説明員内海倫君) 御指摘の点でございますが、この現行法のこの部分を直すことにつきまして、いろいろ考えたのでありますが、私どもは、もっぱら御承知のように歩行者の保護という観点から、結果的に落としたわけでございますが、積極的な理由といたしましては、現行法に書いてあります「当然すべき注意をしないで車道に入り」云々という規定がありますために、歩行者運転者、自動車との関係で非常に責任をかぶされた形になって、このために当然すべき注意をしなかったということで、これは、罰則適用等の問題では大して問題はないのでありますが、損害賠償等の場合に、この当然すべき注意をあの歩行者はしなかった。だからわれわれは責任はないのだということで、運転事故を起こした運転者の方が、民事上の賠償等において、これをたてに使って、そのために歩行者の立場が非常に苦しい立場に追い込まれたというふうな例が必ずしもないわけではないので、私どもとしましては、歩行者については、あらゆる方法とあらゆる努力で歩行者の注意の徹底を期する。何よりも自分の命の問題でございますから、できるだけそういう点で注意してもらうという指導をすることによりまして、現行法の後段に書いてあるような規定を落とした次第でございます。
  107. 湯澤三千男

    湯澤三千男君 先の方になるのですが、緊急自動車の通る場合ですね。葬式の行列を緊急自動車が誘導して通っていくというのは、どういう規定でやれるのですか。緊急自動車が一番先に走って、そのあとで葬式の行列がフル・スピードで走っていった事例を一度見たのですが、どういうような方法でやるのですか。
  108. 内海倫

    説明員内海倫君) 緊急自動車は、本来緊急用務のために、たとえば消防自動車あるいは救急自動車あるいは警察用の自動車というものが、それぞれの任務を行なうために緊急用務に服しておる場合を緊急自動車と私どもは申しておりますので、自然、緊急自動車が緊急自動車として動いておるとすれば、それは緊急用務に従事しておるものでございますから、今の葬列を誘導しているのは、緊急用務とは考えられませんので、おそらくそれは、白バイ等がある非常に行列の大きい葬式列などを交通整理関係で誘導する、いわゆる交通整理の一環として処理したもので、今度の案によりますと、法第三十九条等の規定によって、緊急自動車ということで行なったものでは私はないと考えております。
  109. 湯澤三千男

    湯澤三千男君 何か、そういう葬式の行列というようなものをやらなければならぬ、それは相当長く続くから、交通整理の上に非常な支障を与える、こういうような考えから、葬式をやる人が警察に頼んで、緊急自動車を走らしてくれ、そういう依頼をする方法はないのですか。
  110. 内海倫

    説明員内海倫君) 現行法におきまして、総理府令で緊急自動車について若干規定いたしているのでございますが、その中に、警衛、警護または緊急輸送その他の緊急の用務のため、前項の規定により緊急自動車として指定された警察用自動車に先導され云々、あるいは誘導され云々というふうな規定をいたしておりますので、それに該当する場合におきましては、考えられると思うのでございますが……。
  111. 湯澤三千男

    湯澤三千男君 その規定が現在あるわけですか。
  112. 内海倫

    説明員内海倫君) 現行法の総理府令の規定でございます。
  113. 湯澤三千男

    湯澤三千男君 それは、やはりこの道交法ができても、引き続きそういう規定を生かしていくわけですか。
  114. 内海倫

    説明員内海倫君) 今、私の申しましたような形の規定はいたしたいと思いますが、しかし、たとえば、民間からあるいはだれかから頼まれまして、今度こういう葬儀をする。これを「緊急輸送その他緊急の用務のため」ということでやってくれということは、これはおそらく、どう考えましても、緊急輸送または緊急の用務とは考えられませんので、当たらないと思います。
  115. 鈴木壽

    鈴木壽君 それでは、先に進みまして六十三条ですが、「警察官は、前条の整備不良車両に該当すると認められる車両が運転されているときは、当該車両を停止させ」云々と、こうあって、「車両の装置について検査することができる」という、こういう一項の規定なんですが、これは、今の交通関係警察官の車両の整備なりそういうものに対する知識といいますか、技能といいますか、能力、そういうものはどういうものでしょうか。というのは、外形的に、どうも方向指示器がうまく上がらぬとか、おりないとか、あるいはライトがつくとかつかないとかというような、そういう外形的なものはともかく、なかなか、いろいろな自動車の装置等になりますと、簡単にただ見ただけではわからぬ問題だし、専門の技能を有する者でなければ容易でないと思うのですが、何かここでいう検査ということは、ただ単に外形的なものにとどまるのか、あるいはもっと車両検査の本質というようなものにまで入っていくのか、そこら辺、どういうふうに考えておられるのですか。
  116. 内海倫

    説明員内海倫君) ただいまの御質問の件につきましては、現行法のもとにおきまして、私ども警察庁の方におきまして、一応どういう範囲で検査をする必要があるかという、きわめて詳細な基準を設定いたします。それを各都道府県の公安委員会に示しまして、それに基づいて、さらに各都道府県公安委員会で、該当車両検査実施要領といった類のものを作りまして、これに基づいて実施をしております。それの内容は後ほど御紹介申しますが、これに当たります警察官は、原則としまして運転免許証を持っており、少なくとも自動車の整備につきまして必要な知識を持っておる者を前提とし、他の警察官を使います場合も、さような能力のある警察官指導のもとにこれを行なうということをいたしており、さらに、地方の県の場合には、陸運事務所の職員あるいは整備士の免許を持った者等と共同で班を編成して実施するというふうな措置もとっておるようでございます。  なお、実施要領のごくかいつまんだ概要を申し上げますれば、大まかに分けまして、運転者席において検査するもの、それから前面において検査するもの、それから側面において検査するもの、それから後方において検査するもの、最後に、運転者に運転させて、助手席で検査するものと、こういうふうな大まかな分け方をしております。たとえば、運転着席において検査するものとして、かじ取ハンドルの検査、これをどういうふうに検査をするかという方法を書き、さらに、こういう場合にはそれに故障が生じておるというふうな例を入れております。また最後の、運転者に運転させて助手席で検査する、たとえば、速度計の検査あるいは圧力計の検査というふうなもの、そ  の他先ほど申しました大まかな項目をさらに細分いたしまして、警察官の行なう検査基準も定め、この検査基準に従って、また警察官教養、訓練を実施しておる次第であります。
  117. 鈴木壽

    鈴木壽君 そこらは、検査基準を見ないとはっきり言えませんが、今のお話ですと、相当詳細な検査をするようになっております。これは、随時そういうことを行なうのか。何か期日を定めてやるのか。あるいは一せい取り締まり検査というような、そういうことで引っかけたものについてやるのか。この文章からすれば、「整備不良車両に該当すると認められる車両」と、こういうことになっておりますね。こういうものの判定というものは、今言ったような、どういう形で該当すると認めるのか、こういう点が一つと、それから、詳細に検査基準等を示してやっておられるようでありますが、いわゆる整備不良というものと、現在の車両検査の問題ですね、車両検査でパスしておる車両の問題、それとの関係なり、いわゆる故障というような問題、あるいは整備不良というものと故障というのは、そうまだきちっと分けられないようなものでもあると思うわけです。現に、ついせんだって、パスしてきてオーケーと言われても、ときには故障が起こる。エンジンにあるいはガソリンが上がってこないとか、いろいろ故障もあるわけですね。あるいは、ガソリンが上がってこないことは事故に関係するわけじゃないけれども、一般的な話をすれば、そういうこともあるわけですからね。そういうものとの関係がきちっととらまえられるかどうかということについて、ちょっと私は心配なところがあるのですがね。
  118. 内海倫

    説明員内海倫君) 最初の御質問の取り締まりの要領でございますが、お説のように、現行法におきましても、あるいはこの法案におきましても、一応「整備不良車両に該当すると認められる車両が運転されているとき」という条件でございますから、やみくもにとめてどうこうするということはできるものではないと思います。従いまして、それに該当すると認められる車両について行なうわけでございますが、そのやり方としましては、随時やる方法と、あるいは日時を定めまして、一定の場所に位置しまして、そこで進行してくる車両等を見ておりまして、整備不良と認められる車両についてチェックしていく。こういう両方方法をとっておるかと思います。  それから、車検終了の車、整備不良、それから故障車両、こういう関係でございますが、車検を終了した車は、一応その車検を終了した直後の段階においては、私ども、車検というものを信頼する限り、それは完全な車であろうと存じます。しかし、その直後でありましても、何かの拍子でまた故障の類が起こることもあろうかと思いますが、あるいは次の車検まで整備が整っておるという車も、非常に多くの場合はそうであろうと思いますが、そこで、この法案上、「整備不良車両」という言葉と「故障車両」という言葉を書き分けておりますが、これは、この法律の六十二条あるいは六十三条という条文の関係で書き分けましたもので、一般的に考えました場合は、整備不良車両も故障した車両も、全く同じようなもので、区別する理由はないのでありますが、ここの法律で書き分けております理由は、一応整備不良車両というものは、整備がよく行なわれていない。そのために交通の危険を生じさせるおそれがある。そういう車両を整備不良車両といい、そういう整備不良車両に該当すると認められて、警察官が検査しまして、そうして応急の措置によって必要な整備をするということができないような車両、すなわち、どういう条件をつけるにしても、引き続いて運行をさせるというふうなことのできない車、これをここでかりに故障車両というふうに定義づけて、以下この六十三条の各項に書いております規定内容において、「整備不良車両」と「故障車両」という言葉上の使い分けをいたしたものでございまして、実質的に整備不良車両と故障車両が異なるというふうなことを意味しておるわけではない。ただ、この法律に関しまする限り、整備不良車両はすなわち故障車両であるということは言えないと思いますが、故障車両はすなわち整備不良車両であるということは言えるというのが、この法律に書いてあります両者の関係でございます。
  119. 鈴木壽

    鈴木壽君 整備不良の車両を運転することを厳禁しなければならぬということは、まあもっともなことであるし、従って、随時そういうものに該当すると認められる車両を検査するということも必要だと思うのですが、ただ、私、先ほどのお話で大体わかりましたのですが、現在の一線に立っておるこういう検査する警察官の方の車両の機械等についての知識の程度なり、あるいはそういう技能関係のことをはたしてどこら辺まで身につけておられるのかということについて心配があったものですから……。これは、現在各都道府県等におきましても、こういう衝に当たっている者は、心配ないようなそういう方面の教養を身につけておる警官の方ですか。あらためて一つ……。
  120. 内海倫

    説明員内海倫君) 私の立場からは、責任を持って、そういう適確な能力を持っておる者が責任者としてこれに当たっておるということを申し上げます。それから、実際の教養訓練の点におきましても、各管区警察学校に自動車整備関係の講座を設ままして、その管区内の各県のこういうものに専従する警察官をときどき集めまして、そこで整備教養を実施いたしておりまするし、また、警視庁のように、非常にそういう事例の多いところにおきましては、さらに、そういうこととは別個に、警視庁独自で自動車講習を実施いたしまして、特に整備面につきましては、そういう関係の知識を十分植えつけさせるような教養も実施いたしております。今後の問題といたしましては、さらに、私どもとしましては、画期的な対策を立てたいと考えておりまするので、この法案実施につきましては、なお一そうそういう点の注意をいたしたいと考えております。
  121. 鈴木壽

    鈴木壽君 現在の状況これは私、狭い見聞の範囲ですが、大体車検を見せてパスしておりますね。大体外形的な、さっき言ったような、テール・ランプがきかないとか、あるいは指示器の上がり下がりが円滑を欠いているというようなことについては注意したりして、あとの点については、車検を見て大体オーケーというようなことじゃないのですか。
  122. 内海倫

    説明員内海倫君) 東京都内等におきまして通常のケース・バイ・ケースでやつております場合は、私も、自分の体験からも、そういう車検だけで済ましておる例は非常に多うございます。しかし、先ほど言いましたように、一定の日をきめて、一定の場所に集結しまして、そうしてそこを通行してくる車両等のうち、整備不良と認められる車両等につきまして行ないます場合には、特にこの場合は、警察官だけでは足りませんので、先ほど申しましたような整備士の資格を有する人の応援を得まして、そういう補助者も持ちまして実施しております。現に私どものところに参っております各県からの報告では、このためには、本人が全然知らなかった個所に非常に重大な故障個所を発見して、このままあと一マイルも運転したら重大事故になるというようなのを発見して、大へん喜ばれて、感謝状をもらっておるというふうな事例もあります。私、また引っぱり出されまして、そういう実施状況も視察に参った体験を持っております。各県それぞれ方式においては若干異にいたしておりますが、私どもに報告の来ております限り、非常なサービス取り締まりということで、感謝されておる例がかなり多いように聞いております。
  123. 鈴木壽

    鈴木壽君 陸運でやっているのは、車両検査ですね、その新しい車、それぞれの車の条件に従って、運行が許可されている期間というのは違っているわけですが、これは、総体的に言って、うるさいことかもしれませんが、もう少し期間というものをむしろ短縮するという方向で検討してみる必要があるのじゃないかとも思うことがあるのですが、これは、実際問題になりますと、検査にパスするために一週間か十日前にすたこらすたこらやって工場に入れる。それまではひどい状態で走っている。こういうことが東京あたりはどうか、いなかに行くと多い。特に自家用関係にてこれは多いのですね。費用の点もありますから、これはなかなかむずかしい問題かとも思いますが、だから、新車ならともかく、そうでない車に対しての期間というものをもっと短縮するか、あるいはその間において、何かの臨時的な車両検査をやれるような格好にして、車はいつでも完全に整備され、心配ない状態で運行できるということにして置くことが、これは車の持主からいっても、運転者からいっても、あるいはその他の一般の人からいっても必要なことじゃないかと私は考えることがあるのですが、そういう点、何か御検討になっていることがありますか。あるいは、現在のままでいいと考えておりますか。そこら辺どうですか。
  124. 木村行蔵

    政府委員(木村行蔵君) 結論的に申しますと、現在のままではいけないと私たち思っております。というのは、車体検査が、最近のように膨大な自動車の数になりましたので、必ずしも陸運局の方でやっております車体検査が万全だとは言えないと思うのであります。それにつきましては、運輸省とも寄り寄り相談しているのでありますが、今の期間の短縮の問題についても、確かに一つの問題点でございまして、これは、運輸省とも相談いたして参りたいと思います。  それから、昨年一年で、車体検査を街頭でやりまして、警察官が整備をされたのは二十一万ぐらいでございます。そのほかに、街頭で、その場で整備ができなくて、いわゆる故障車両として警告書を与えたのが三十四万ある。これは、おそらく全体の整備不良車の一部分じゃないかと思う。相当多くの部分については、まだまだ批判の余地があるのじゃないか。従って、今鈴木先生のおっしゃった点は、非常に大きな問題でありまして、十分に掘り下げて相談いたしたいと思っております。
  125. 鈴木壽

    鈴木壽君 大体私、狭い自分の見聞からの感じを申し上げたのですが、あなたの方から同感だというふうなお話を伺って、やはりもう少し車体検査というものを厳重にやることと同時に、期間を短縮して、これはかりに二年なら二年と、車によっては、これはまだ何ヵ月とか何とか、容易でない車でやっている場合がいなかに行くとずいぶんあるのですが、私、場合によっては、心配な事態が起こるのじゃないかというふうに考えられるものですから、それが、さっき言ったように、単にまあ外形的に大したことがないので、車検を見て警察官のそれにパスしていくというようなことがあっても困るし、また、警察官に本来そういうことまでいろいろ心配させるということも、今のいろいろな機構等からして、あるいは警察の方の体制からして、必ずしもいい方法では私はないと思うのですが、そういう点からいって、これは一つ私、今、質問でなしに、希望として御検討願いたいと思うし、また、ぜひ実現さしていただきたいと思うのですが、車の使用期間の短縮の問題なんかを中心に、いつでも車が完全な整備状態のもとに運行できると、こういうことに一ついろいろな体制上からも推し進めていただくように希望しておきたいと思います。
  126. 西郷吉之助

    理事西郷吉之助君) それでは、第四章に入ります。
  127. 占部秀男

    ○占部秀男君 第四章の六十四条ですが、現行法の第七条と比べて、ここには「何人も」という言葉が入っているように思うのですが、これは、この法の百十八条で、これに対する罰則があり、また、八十八条の一項では、それぞれ自動車あるいは原動機付自転車について年令的な許可の規制があるわけですね。そこでかりに、これが子供と言ってはおかしいのですが、まあ十五、六才くらいの者がいたずらをしたというような場合に、それが大通りまでというか、何というか、ある程度長期に走るという意味合いじゃなくて、ちょっといたずらしたものが走り出したというような場合が私は相当あると思うのです。そういうような場合に、一々「何人も」という言葉がひっかかってこの罰則の対象になるのか。そういう点はいかがでございますか。ちょっとこれは気になるので……。
  128. 中川董治

    政府委員中川董治君) お説のように、「何人も」でございますので、年令のいかんを問わず罰則の対象になります。ところが、伺っていますと、その行為が運転という態様にならないと罰則の対象にならない。ハンドルにさわるということは運転ではないのであって、ハンドルを動かして車両を運行の用に供して初めて罰則がかかる。それでお答えは、すべてかかる。ただし、運転という形態にならなければかからないと、こういうことでございます。
  129. 占部秀男

    ○占部秀男君 この六十五条の中に、「酒に酔い、車両等を運転してはならない。」と、こういうふうにあるわけなんですが、この前のたしか旧法には、これは酒気を帯びてとか何とかというのじゃなかったかと思うのですけれども、これはやっぱり「酒に酔い」か。この酒に酔う程度の問題、「酒に酔い」という言葉になると、どうも程度の問題がはっきりしないように思うのですが、こういう点はいかがなものですか。
  130. 中川董治

    政府委員中川董治君) 「酒に酔い」という言葉が不分明でありますので、カッコ内でこういうふうに説明いたしたのであります。そうすると、カッコ内の問題になるわけですが、カッコ内の問題になると、アルコールの影響によって正常な運転ができないおそれがある状態について犯罪の形成になる。運転しなければなりませんけれども、こういう問題になるのです。問題は、御質問にございましたように、この酒に酔うという観念と酒気を帯びるという観念とは別観念である。酒気を帯びるという観念は、百二十二条に出てくるわけです。最後に申しますけれども、百二十二条に、酒気を帯びていたときは刑罰が倍加されると酒気を帯びるという観念が出てくるわけです。酒気を帯びるという観念と酒に酔うという観念を、両方あわせて申し上げだ方が御理解がいいと思いますので申し上げますが、酒気を帯びるとは、正確に申し上げますと、酔っていようと酔っていまいと、からだの中にアルコール分が政令で定むる基準以上ある、パーセントとかグラムで表わしますが、そういうもの以上あれば酒気を帯びておる、こういうことに相なるわけであります。両方考えましたゆえんのものは、酒に酔って正常な運転ができないような状態にあると危険になることは、言うを待たないのであります。ところが、酒に酔うという観念のほかに、酔った者に限って、自分は酔っていないと言うのが社会慣行上実際なんですから、酒気を帯びるという、きわめて客観的にぴっちりと出るという問題で問題を解決した方がいい場合がある。それは、今度はスピード違反だとか、そういう交通違反が起こりましたときに、酒気を帯びておれば倍加するということによって、酒を慎むという社会作用をしておる、こういうことに相なろうかと思います。  以下は、御質問がないのですが、申し上げたいのですが、しからば、酒に酔うという観念をやめちゃって、酒気を帯びれば直ちに刑事責任を課した方がいいのじゃないか、こういう御議論もあろうかと思いますが、それにつきましては、私ども研究してみたのですが、酒気を帯びるという観念は、非常に個人生活の観念でありまして、外部からちょっと見分けがつかない。外部から見分けのつかないことに刑事責任を課していきますと、警察活動が非常に私生活に関与することになってくる。あの先生は今宴会をやっておるから、酒を飲むかどうか、ちょっと見ていなければならぬということになってくると、警察活動上いかがかと考えられる。ところが、酒気を帯びるという観念は社会慣行上困りますので、スピード違反をするということによって、酒気を帯びておれば、スピード違反の危険性が倍加されますので、そこで問題を解決していった方が、警察官が私生活に関与することなく、しかもまた、酒気を帯びるということに伴う車両運転をする弊害が防止できる。両方調和して考えるために、この二つの観念を用いまして、片方は刑罰加重の原因にし、片方はどんぴしゃり刑事責任の原因にする。こういうふうに考えたわけであります。
  131. 占部秀男

    ○占部秀男君 そういうような話ですと、六十五条における「酒に酔い」という形は、このカッコ内にもあるように、外から見ても、相当ぴんとすぐわかる程度の形である、かように考えてよろしいですか。
  132. 中川董治

    政府委員中川董治君) 外から顔色、動作、挙動、言動、それから身振り、これによって判明できるものと、こういうことになります。
  133. 占部秀男

    ○占部秀男君 次に、六十六条の場合ですが、過労運転の禁止の場合です。「正常な運転ができないおそれがある状態で車両等を運転してはならない。」かように書かれておるわけですが、「正常な運転ができないおそれがある状態」——「ある状態」という状態は、どういうようなところに基準を求めてこれが規制の対象になるのか。その点について……。
  134. 中川董治

    政府委員中川董治君) 通常、普通人が持っておる注意能力によって運転するという角度、別言すれば、運転能力がその場において通常の人が持っておる能力を標準とするのであります。それが、その状態が病気という原因により、または薬物という原因により、または過労という原因によって、通常性が失われた状態が犯罪の対象になる。その点は、アルコールの場合も全く同様に考えられます。その前の六十五条のアルコールの場合も全く同様でございます。
  135. 占部秀男

    ○占部秀男君 なぜこういうことを申すかというと、普通の場合はちょっと問題ないと思うのですが、かりに運転手さんについて、まあ雇い主の方から、いわゆる雇用関係でトラブルが起きたような場合に、通常扱っていた者が、やはり顔色が悪いとか、ちょっと病気があるとか、病気だということであれば、お前運転をやめたらどうかと、法のあれに従って、業務監督者の場合と雇用者の場合とあると思うのですが、そういうことが悪用されるようになるとまずいと思うんですが、そういうような点については、何かそういうことが悪用されるようなことのないような、何といいますか、保護するような形の規定か何か、あるいは取り扱いか何か、この法の中には、別のところでもけっこうなんですが、書かれてないのですか。
  136. 中川董治

    政府委員中川董治君) これは占部さんの御専門ですが、雇用主と被使用者の関係で、使用主が雇用者を、これはいろいろな経済的その他の理由によって圧迫する。こういう事象に対しまして、これは、労働基準法ですべて解決してもらう。労働基準法で、賃金の支払いその他を初めとして、すべて解決してもらう。私ども考えておりますのは、労働基準法はもちろん前提といたしますけれども、過労とか薬物等によって正常な運転ができない人に運転していただくと、他の歩行者その他がけがをしてしまうので、これは困るということ、その困るのを、単なる運転者だけの責任にしないで、後ほど説明しますが、七十五条で、こういう状態を知りながらやった場合には、刑法の共犯関係にいく場合はもちろんでございますが、共犯関係にいかなくても、それを容認するような行為があったら、雇用主側と申しますか、運行管理者の方に責任を課していこう。すなわち、過労とか薬物の影響によって歩行者一般人または他の車が交通事故を起こさぬように、運転者も義務を負ってもらう。それを雇用する人、運行管理者、事業主にも義務を負ってもらう。こういう立場をとっておるわけです。御指摘のように、別の角度から、使用主と労務者の関係が正常でない形において労務管理が行なわれることは、また許すべからざることでありますが、それは労働基準法と労務管理の法制の基準に従う。こういう考え方でございます。
  137. 占部秀男

    ○占部秀男君 それから、六十八条の「最高速度の遵守」ですが、この最高速度については、たしか政令できめるか何か、とにかく速度の問題なんですが、私は不勉強でわからないのですが、この最高速度は、どのくらいになっておるのですか。
  138. 内海倫

    説明員内海倫君) 速度につきましては、この法律第二十二条で、「車両が道路を通行する場合の最高速度は、政令で定める。」こういうふうに書いておりますので、まず原則は政令で定めます。現行法で政令で定めております最高速度は、それぞれ車の種別によりまして定めておるわけでありまして普通乗用車等のものにつきましては、たとえば、例をあげていいますと、六十キロ、それから大型のバスあるいはトラックというふうなものにつきましては五十キロ、以下、それぞれについてその最高速度というものを区別して定めております。それから、現行法におきましても、緊急自動車につきましては、都道府県公安委員会で六十キロをこえてスピードを定めることができるというふうな原則をとっておりまするので、たとえば、東京都内におきましては八十キロというふうな規定が行なわれておる。それから、現行法のもとにおきましては、このほかに高速自動車国道におきましては、この政令で定めておる六十キロをこえて定めることができるように規定してありますが、高速自動車国道はございませんので、現実にはございません。それからさらに、この法六十八条の「最高速度の遵守」といっております内容は、このほかに、公安委員会が定めますスピードにつきまして、その遵守をいっておりまするので、この公安委員会の定めるスピードといいますのは、政令で定める速度と異なる速度を定めまするので、ある場合には低く、ある場合には政令で定めるものよりも高いスピードを定めるというふうになろうかと存じます。
  139. 占部秀男

    ○占部秀男君 その一番あとの「公安委員会が定める」というのは、たとえば、東京のような場合に、ある道路ではまあ三十キロとか四十キロとかありますね。その意味をいっておられるわけでありますか。
  140. 内海倫

    説明員内海倫君) 現行法のもとにおきましては、その意味でございます。
  141. 松永忠二

    松永忠二君 少し関連をして。第六十六条ですが、「過労、病気、薬物の影響その他の理由により、正常な運転ができないおそれがある状態」というのは、一体どういう判断でされるんですか。客観的なものは、どういうようなふうに考えておられるんですか。
  142. 中川董治

    政府委員中川董治君) これは、客観的でなければならぬ点は、御指摘の通りでございますが、これは、午前中も申し上げましたように、犯罪構成要件を明確に目盛りではかるということを理想といたします。それで、この法律全般を通じまして、メートルで現わすならメートル、時間で現わすなら十分とか五分と書いてあるわけですが、こういった問題については、時間とかメートルで現わせませんので、観念で現わすより仕方がない。その観念といたしましては、「正常な運転ができないおそれ」というのは、客観的には観念できる観念でございますので、その観念を具体的な事象にものさしで当てて参る、こういうことに相なろうかと思うのであります。それで、具体的に申せば、過労の度が過ぎて、どうもこの人は普通人の運転能力を失った状態になっておる、あぶない状態になっておるという状態で運転すれば、この条文に違反になる、こういうことに相なろうかと思います。
  143. 松永忠二

    松永忠二君 正常な運転ができない状態、そういう状態は観念的にわかる、こういうお話ですが、その正常な運転ができないことが、過労、病気、薬物の影響であるということを証明しなければいけないわけです。そういう証明ができない限り、観念的にただ正常な運転ができないからというようにはいかないと思うんです。
  144. 中川董治

    政府委員中川董治君) 私が観念的にわかると申しましたのは、午前中も申し上げたのですが、わいせつの文書だという観念は、観念的にはわかるけれども、実際にこの文書がわいせつかどうかということになると、経験則によって判定する以外にない。こういう問題があるわけでございます。御指摘のごとく、観念的に正常な運転ができないおそれのある状態というものを明確に把握できると思いますが、その因果関係が、過労、病気、薬物の影響、こういう因果関係を見つけ得ないことがあることも御指摘の通りでございます。因果関係を見つけるのには経験則による。私がたとえば三日徹夜いたしますと過労になる。三日徹夜して過労になった、その状態においては、正常な運転ができないというおそれがある状態を現出すれば、これは経験則によってできる。最終的には裁判官の自由な心証になるわけですが、最初の段階におきましては、警察官がその観念を経験則によって発見する、こういうことに相なろうかと思うのであります。例をあげて恐縮でございますが、先ほど申しましたわいせつ文書のわいせつという観念と同様の観念が働く、こういうように御理解いただきたいと思います。
  145. 松永忠二

    松永忠二君 この正常な運転ができない状態にありながら、そこで、法律できめられたことを守らなくて、危険を冒すので、法律の適用を受けるということだと思うんです。正常な運転ができないという、そのことでもって、それを罰則にするということを規定するわけにいかないと思うのです。だから、二つ私はここに問題があると思うのですね。「正常な運転ができないおそれがある」ということについてそれを観念的にわかるから、その観念で、いわゆる運転をしていたらけしからぬということでは、これはやはり……。しかも、ここは六ヵ月以下、五万円以下の罰金ですか、そういう規定になっているわけなんです。だから、正常な運転ができないおそれがある状態でいろいろやるから、事故が起こって、そこに明確に法律違反があって、罰則があるということが一つ問題だと思う。また、それを一歩譲って、正常な運転ができない状態でやっているということを、そのことを対象とするとしても、それが過労、病気、薬物の影響だということについて、やはりそれを明確に証明するものがなければ、これはやはり、これも規定することが非常に無理だ。そこで、これは第六十六条と第七十五条に関連をするわけなんですがね。もう少しこれは明確にしていかないと、この規定相当に強い罰則をしていくということについては、無理があるのではないかということを考えるのですがね。で、今あなた、わいせつとかいうお話を盛んにされますけれども、そういうことと過労ということ、病気とか薬物ということは、これは私は違うと思うのですよ。わいせつということと過労というようなことについては、これは、過労という方が科学的な判定ができる、基準を設けようと思えばできると私は思うのですな。そういう点についてもう少しやはり明確になっていないと、それによる正常な運転ができなくて、異常体で運転をしているという、こういう判定をする場合に、やはり何か客観的な基準というものがなければできぬじゃないかと私は思うのですが、その点はどうなんですか。
  146. 中川董治

    政府委員中川董治君) お説のように、正常な運転ができないおそれがある状態で運転することが一つの要件でございます。第二の要件は、過労、病気、薬物、その他もございますけれども、その他の理由によるということが要件であろう。ほかにも要件ございますが、二つの要件ということが考えられます。それで、過労というのは、医学上からも出て参りますが、医学上の見地から過労という目盛りが出てくると思いますが、しかし、事柄が非常に個人差がある事柄ばかりなんです。甲の人間は、一晩の徹夜で大へん過労になりまして、正常な運転ができないおそれがある状態を現出する。乙の人間は、三日くらいやりましても、ちっとも正常な運転に影響をするような状態にならないという特殊な人間であるというように、個人差が非常に多いわけでございますので、そこで、メートルとか何とかいう目盛りが、個人差の問題でできなくなってくる。そうすると、個人差を基礎にする問題でございますので、正常な運転ができないおそれというのは、客観的に把握できませんので、その原因が過労であるということは、経験則によって発見できる。三日の徹夜とか二日とか、個人差がありますので、それは明示することが困難ですから、両者をあわせて考えますと、ケース・バイ・ケースで判定をする場合に、二つの要件をあわせて見ますと、そういう乱用の余地はないと考えられる。具体的に把握できる状態であると、こう考えるのであります。そもそも刑罰法規でいろいろ考えます場合に、こういう種類の犯罪を私ども危険罪というわけですが、人を殺したとか、物を盗んだというのは、危険罪じゃなくて、実際のものがあるわけですけれども、危険の状態を現出するようなことを罪に処することがあるわけですが、こういう問題について、こういう形でなく、一つの宿命といいますか、立場を持っておる性格のものでございますので、これはひとり日本に限らず、諸外国の法令でも、大体こういうような立場をとっているのが大部分の例でございます。
  147. 松永忠二

    松永忠二君 私は、正常なる運転ができないということで、いわゆるこれを、そのことを問題にして規定をしているということは、必ずしも前にあったから正しいと私は言えないと思うのですよ。やはり無謀運転というような問題で、無謀な運転をしたということについて処罰するということについては、それはまあ妥当だと思うですが、そういうふうな意味で、正常な運転はできない状態と、この状態は、今お話のように、過労にしたところが、一日の過労もあれば、二日の過労もある。三日の過労もある。四日の過労もある。こういうふうなお話です。そうなってくると、その原因を作る過労というものも、個人的な条件の違いが出てきた。正常な運転ができない状態ということについても、これは明確な、観念的にはわかっても、客観的にこれは判断できるものでは私はないと思う。こうなってくると、そういう過労、病気、薬物の影響によって正常な運転のできない状態をひき起こすいわゆる条件というものを制限をしていくということに問題があるので、むしろあとに出てくる第七十四条の「誘発するように時間を拘束した業務を課し」と、こういうふうな規定の仕方で、この過労の原因を作るところの条件を規定をしていくということでないと、出てきている現象をとらまえて、過労、病気、薬物、それでしかも、正常な運転のできないおそれのある状態というところで罰則規定なりを適用していくというところに無理が出てきているのではないか。そういう状態を引き起こす条件を作るという、その条件を対象にしていくべきものじゃないかと私は思うのですよ。事実、現状において、過労、病気、薬物等の影響で正常な運転のできない状態で事故を起こしている者がある。また、そういうものは非常に雇用者にも責任があるし、本人の責任があるということについてもわかるわけですから、それを作る条件を規定をしていくというところへ力を入れていくべきものであって、その出てきている、正常な運転のできないおそれがある状態で車両を運転するという、そういうわかったようなわからぬようなことで規定をしていくということについては、どうも理解ができないのですがね。何かもう少し明確なわかりやすい説明の仕方を聞かしてもらいたい。
  148. 中川董治

    政府委員中川董治君) まず明確さの点でございますが、正常な運転ができないおそれがある状態で運転しているという現実の行為があるわけです。その現実の行為をまずとらえて参りますと、そこで把握できるその原因が、経験則によって判定するより方法ありません。薬物とか病気とか、そういうことによる原因を発見する、こういうことになるだろうと思うのであります。そこで、そういうことが行なわれるようになった誘因といいますか、もとをただせという御指摘でございますが、まことに同感でございます。そこで、この原案では、この六十六条の規定によりまして、運転者責任を課しておりますが、あわせて七十五条第二項の規定によって、ここにも過労という字が出ておりますが、過労、病気、こういう理由によって、そういう状態で運転を命じ、または容認してはならないと、容認するという行為があれば、運行管理者に刑事責任をこれまた課する。こういうことによって、原因にさかのぼっておるわけです。さらに七十五条第二項の規定は、最後の両罰規定によって——運行者の雇用主がございます場合もございますし、雇用主がない場合もございます。雇用主がおる場合は、両罰規定によって、その経営者と申しますか、法人までさかのぼっておる。原因をさかのぼる点につきましては、松永先生と全然私ども同感でございまして、七十五条第二項によって運行管理者にさかのぼり、運行管理者があわせて事業主でない場合は、最後の方の両罰規定でその雇用主までさかのぼっていく。こういうことによって原因を究明するという点におきましては、松永先生の御意見に従ったつもりであります。
  149. 松永忠二

    松永忠二君 正常な運転ができないおそれがある状態というのは観念的にわかるので、そういう観念的にわかることをしてはいけませんよということを規定することは、私は差しつかえないと思うのです。ところが、そういう状態がわかるからといって、そういう状態で運転をしている状態をすぐとらえまして、罰則規定を作っておるわけですね。だから、そういう点について、ただ観念的にわかる状態というものをとらえまして、それで罰則をつけるというやり方が、つまり観念的にはわかっていても、観念的にわかった程度のことで、それに相当な重いものをつけているところに問題があると言っているわけです、私は。観念的にわかる。正常な運転ができないという状態というのは観念的にわかる。だから、観念的にわかることを運転者がやらないということについてはいいけれども、それを、状態があるからといって、直ちに六ヵ月以下、五万円以下の罰金というのが出てきているわけなんです。別に事故を起こしたのでも何でもないのです。そういう状態のところへ、もうすでにそういうものが出てきているわけです。こうなってくると、これはやはり、この罰則規定というものが、観念的にわかる行為というようなものにそれだけの重いものをかけることについては、これは妥当でないのではないかというのが私の意見、そうしてそういう状態を引き起こすことについて、その原因を突きとめて、それについて一つのそういう状態を起こした場合においては、これを罰する、両罰規定をするということは、これはいいわけです。そういうことになると、前に規定しているような、七十四条の二項に規定しているようなこういうものとはだいぶ違ってきているし、むしろこうなってくると、率直に申しまして、これは労働条件とか、あるいは給与の条件とかというものになってくるわけです。これはもとは、実際の原因は、過労、ここであなた方が今度はそういうものを設けた原因というのは、雇用者が過労させる状態の勤務状態を作っているというところにこういう原因が出てきているのではないか。病気のような状態でも、なおかつ運転をしなければできない状態を引き起こしているその条件がある。それからまた、病気でもなおかつ、薬物の影響を受けてもなおかつやらなければならないような状態を作らしているものがある。そういうものを引き起こしている。そういうふうな形で業務を課している場合には、けしからぬという場合には、そういうところにつまり焦点を集約して、それを規定するということが大事だと思うのです。これがはたして道交法の政令できめられるものなのか。あるいは、その道路運送法の中で規定されていけるものなのか。あるいは労働基準法の中で規定をされていくものなのかということが、これはまだ検討の余地があると私は思うのです。で、考え方は、過労、病気その他の理由により正常な運転のできない状態において運転させているという現実があって、それに対して両罰もしなければできないし、それをやっていかなければできないということは私はわかるけれども、そういう状態で運転をしているというその事実の中から、六ヵ月あるいはそれ以下の懲役をかけ、五万円以下の罰金を科するということについては、そのこと自体が一つの過失を犯し、犯罪行為を犯してきたというときに科するということならいいし、それを作っている条件を拘束するというならまだわかる。その拘束している条件を破るから、それに罰をくれるというならいいけれども、それがわかる状態の中で運転しているというところに、まだ何もないのに、先にそれをとらえて、六ヵ月以下の懲役、五万円以下の罰金を科するということは、これはやはり行き過ぎているのではないか。こういうふうに私は考える。いかがですか。
  150. 中川董治

    政府委員中川董治君) 運転者の方がそういう状態で運転なさるという行為が反社会性があることが一つの概念になっているわけです。その運転をせざるを得ないという状態に追い込んだ人も、もちろん両罰規定を含めて、七十五条二項の関係において責任を間う、こういうふうになっております。そうすると、事業主その他だけの責任を問うて、実行行為者であるところの運転者責任を問うべきでないという理論も、一つの理論として成り立つと思うのです。ところが、刑事政策の本質から考えますと、意思能力があって、決定ができる状態にある者をすべてとらえるということが刑事政策の本質でございますので、極端な場合を申し上げて恐縮ですけれども、心神喪失の場合におきましては、どういう行為をやりましても、意思能力がございませんので、罰せられませんけれども、そういう状態で運転するという意思能力をお持ちになっておって、しかも運転なさるという行為は、反社会性があるから、それは処罰の対象にせざるを得ない。ただし、その人だけを処罰することは、御指摘のごとく酷でありますので、それをそういう状態に追い込んだと申しますか、そういう人たちは、両罰規定その他によって責任を問う。どっちが重いかという問題になるのですけれども、法定刑は、いろいろ理論の関係整理しておりますけれども、具体的に宣告される刑は、当該行為の意思能力その他を勘案し、また実行行為者の態様等を勘案し、これこそ裁判の独立で、裁判になり、裁判所が一番妥当な刑を科せられる。法定刑は、いろいろ全体の建前上ないしは罪の性質上、差異はございますけれども、そういうことに相ならざるを得ない。要するに、刑事政策の本質から考えますと、このことに限らないけれども、いやしくもそういう行為をし、そういう行為をするということについて意思能力を持っている方々につきましては、その行為が反社会性があると認められるものにつきましては、罰則をもって担保するというのが一般の刑罰法令の通例の原則でございますので、通例の原則に従うというのがこの場合最も妥当であり、こういう刑事責任があるがゆえをもって、そういう行為をしないということでなしに、一般の順法精神によって、そういうことをやっていただかないようにお願いいたしたいのですけれども、不幸にして順法精神に徹せられない方があって、そういう運転する状態でないにかかわらず運転したという行為がありました場合におきましては、刑事責任を免れるということは、全体の均衡を失するのではなかろうか。いやしくも意思能力のある、判断能力のある方に対しては、礼を失するということになろうかと思うのであります。
  151. 松永忠二

    松永忠二君 それはあなたがおっしゃった、意思能力があって、反社会的な行為をするということについて、これを処罰するとして担保するということについては、これはその通りだと思う。その場合には、その反社会的行為が明確に一つ……単に観念的にわかるという程度のことではまずいと私は申し上げておる。だから問題は、観念的にわかるような行為であって、そういう反社会的な行為までを罰則の対象とするか、それとも道徳的な規定として倫理的な規定とするかというところに限界があると思う。そうしてそういうむしろ反社会的な行為を犯さざるを得ない状態を作る条件を規定して、この条件の違反規制していく、規定をしていくという方向にいけば、これは非常に公平に、しかも根本的な対策になると、こういうふうに考えるので、現実にいろいろ法律違反となった場合に、罰則規定がいろいろにできているので、こういう観念的にわかる行為というものに、しかもここは相当重いのですよ。六ヵ月以下の懲役、五万円以下の罰金なんですから、相当重いものをここへこういう中でする。これは、しかも新しくできた規定です。こういうことをつけた、説明をしたものはですね。で、新しいというのは、前に、「正常な運転ができない虞があるにかかわらず」というところにあったことを明確にしたといえばいえるかもしれませんけれども、そういうところなんで、この点については、第六十六条の規定の仕方と第七十五条の規定の仕方、その後またいろいろ議論があると思うのですが、質問があるかと思うのですが、そういう点から関連して、やはり問題の多いところであるというふうに私たち考えるのですがね。何かもう少し別の角度から長官の方から説明があるのですか、何か。
  152. 西郷吉之助

    理事西郷吉之助君) 長官、僕も重ねて伺っておきますが、今、何回も御質問になっていますが、さっき中川君の説明じゃ、外国の立法例もそうだというような、外国の立法例というのはこういう表現ですか。それもあわせてお答え願いたい。
  153. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) ただいまの松永委員からの御質問に対して、刑事局長から答えたことであるいは尽きているかもしれませんが、むしろ実際の問題としてどういうふうなとらえ方になるかという点を申し上げますと、実際には、こういう過疲なりあるいは薬物の影響なりによって正常な運転ができないおそれの状態現実に運転をする。その運転の状況が、さっきの酔っぱらい運転のときと同じように、正常な運転をしていない事実というものが出てくるわけであります。そういうものをとらえて、おそれのある状態で運転したということに相なろうと思うのであります。実際にはそういうことでありますから、それはかりに事故を起こさなくとも、非常に事故を起こす危険がある。違反をする危険がある。それで、その危険性をとらえて、そういうものを未然に防ぐことが必要である。危険性のある行為をさせないということを考え規定が、この酔っぱらい運転と同じことであろうと思います。それで、ただ、雇用者との関係等につきましては、先ほど来刑事局長から申し上げましたように、雇用者、運行管理者等の責任を追及するという問題がございますが、これは、そういう雇用関係とか何とかというものを抜きにしまして、実際そういう危険な運転をするということを禁止するという趣旨でございますので、その実際のとらえ方という点まであわせてお考えいただければ、御了承願えるものではないか、かりに事故を起こさなくても、起こしちゃったら大へんなんで、起こす危険性が非常に多い、無謀な運転というものをさせない。そうしてそういう運転をするものについては、刑罰をもって最終的にはその禁止を担保していくということが必要ではないか。これは、酔っぱらい運転と同じ趣旨に出ておるのでございます。
  154. 西郷吉之助

    理事西郷吉之助君) 外国の例を今一緒に、どういう表現になっておりますか、外国の立法例は。
  155. 中川董治

    政府委員中川董治君) 外国の例は、後ほど資料を取りまして、それからお答えいたします。
  156. 占部秀男

    ○占部秀男君 関連して。今、長官及び局長からお話があったのですが、行為自体が明らかな場合、それが反社会性を持っておる。こういう点については、われわれも決してわからないことはないと思うのですが、ただ問題は、一般的に、自家用でやっておるとか、あるいは営業、いわゆる業務主自体で運転した場合とかいう場合と、それから被使用者、こういう形になりますと、私は、問題が別になってこやしないか、そこのところは何としても心配なわけです。それで、先ほど局長から、業務主の場合についても、また雇用の場合についても、純粋に運転をするということの行為の面だけをとらえて、平等な関係からいわれておるのだというお話はわかるのですけれども、雇われるものと雇うものとの間には、これは平等といっても、率直にいって、実際の面では平等でないわけなんですね。たとえば、こういうような規定に反するようなあれがあってはならないというようなことを、かりに団体協約の中なり労使関係の中なりで明らかにしておく、こういうようなことが全国的に普及できるならば、相当雇われておるものがこういう点を、無理な点を監督者なり営業者なりから言われても、いわば労働者の団結の力ではねのけるということが、はねのけるという言葉はおかしいが、拒絶することができる。ところが、個々の、そういう点がないところでは、なかなかできがたいというのが、私は率直に言って現状ではないかと思う。意思の問題では、それはその通り一つの人格ですから、人格の意思があってやるのですから、その問題に対しては、刑事政策上の見地になるかもしれませんけれども、しかし、現実面、生活という問題と関連すると、なかなか思う通りなことにいかないというのが現実ではなかろうかと思う。そこで、そういうような面については、何かやはり救済する措置といいますか、そういうものがやはりなくては、実際問題としてこの問題は、これは言うまでもなく運転者の義務になっておる。つまりほかの一般の人たちを保護するために、危険の生じないために、運転をする者に義務を課しておるわけですから、従って、目的であるところのあぶない関係、あぶないような事態を発生させないためにも、そういうような何かしらの救助措置というか、原因、さっき松永さんの言われた、労使関係における原因を未然に防ぐような何か救済規定が必要じゃないかというふうに感じるのですが、その点はいかがですか。
  157. 中川董治

    政府委員中川董治君) 私どもも、占部先生、松永先生のおっしゃるように、実行行為者だけでなく、何がそうさせたかいうことを究明するということは全く同感です。ところが、すべて刑罰法令というのは実行行為者から始まりませんと、非常なこれはもう観念的にわからなくなってしまう危険性がありますので、反社会性のある実行行為をまず観念としてとらえて、そこにつながるものをずっといって、最後に両罰にいく、警察官の判断によっていろいろ誤差が出てくるというふうに、なりがちなんで、現象に見える行為としては、こういうような状態で運転することと、こういうことは現象に見える行為です。そういう現象に見える行為をうしろでそそのかしたり、あおったりすること、そういった共犯関係ないし両罰関係にいたしましても、問題をずっとこうやっていく、こうしないと、事実関係の認定上の成立が粗雑になってくる。どちら側が重いかということは、当該事案によって異なりますけれども、すべてこれは根本原則で、悪質なものから、これは重点的にやっていく。こういうことにならざるを得ないのではないかと思うのであります。その点、御了承いただきたいと思います。
  158. 西郷吉之助

    理事西郷吉之助君) 松永さん、六十六条を再三質問を繰り返しておるけれども、御納得がいかないようですから、この点は、もう少し警察当局の方で研究して、そうして答弁してもらいましょうか。
  159. 松永忠二

    松永忠二君 警察庁長官がおっしゃったように、こういう正常な運転ができない状態で、のろのろやっておる。これは事故を起こしやすいからと言って、そういうことは取り締まりができないと言っている。しかし、そういうことになると、もちろん、たとえば、いわゆる分離した場所、その車道の中を、しかも指定された場所を少しやっていってみたところで、これは別に危険はないと思う。もしその車がそういう分離帯なら分離帯に従っていかなかったとか、あるいはほかの変なことをすれば、実はほかの方で規制する法律は別にあるわけですから、それからまた、そういう状態が起こったときに警官がとめて、あぶないからということを注意することはできるわけです。そうなってくると、あなたのおっしゃったように、こういう非常にあぶないような状態でただ運転をしている。そこをつかまえて、そこだけの現象で、実はこの場合、六ヵ月以下の懲役、五万円以下の罰金が科せられてしまう。だからもちろん、そういう状態で運転をしておれば、前の方の運転のいろいろな規則にも違反をしていることは明確だと思うのですよ。また、違反をしない状態の中でただ運転をしているということであれば、これはそれほどひどい危険を起こすということもなかろうし、また、明らかにそういう状態であるときについて、警察官がこれを注意をすることについては、別に私たちは差しつかえないと思うのです。ただ、そういう状態にあるからといって、それで、今言う通り、六ヵ月以下の懲役、五万円以下の罰金と来ると、これはどうも少し行き過ぎているのじゃないかということを考えるのですが、これは……。
  160. 西郷吉之助

    理事西郷吉之助君) 警察庁長官、これは、さっきも言った通り、何回も反復して質問し、答弁してもらっているけれども、十分なまだ御納得がいかないようだから、最後に総括質問がございますから、それまでに十分あなたの方でもう少しこの点を、六十六条を研究しておいてくれませんか。最後にもう一度やりますから、問題点として残しておきましょう。
  161. 松永忠二

    松永忠二君 この第七十条ですね。ここにまた似たようなことが実はあるので、これもすでに前にやはり問題になったと思うので、「車両等の運転者は、」ハンドル、ブレーキの問題、「達路、交通及び当該車両等の状況に応じ、他人に危害を及ぼさないような方法で運転しなければならない。」という、こういう規定なんですがね。このことも検討してみて、不法な運転をするということはけしからん。たとえば、出前のそば屋が変な格好で片手でやっているという、これは、非常な危険な状態でそういう運転をしているのに、何らの注意をすることもできないというのは非常に因る。しかし、この第七十条のような、「他人に危害を及ぼさないような方法で」というような漠然たることで規定をしておいて、これまた三ヵ月以下、三万円ですね。こういうことになると、何もかもみんなここへ持ってくれば片づくじゃないか。いろいろな事故の問題は、ここで、こういうふうな状態状況に応じて、現実にその「ハンドル、ブレーキその他の装置を確実に操作し」などということを外側からどうしてわかるのかという点も疑念を持つのですが、同じようなことを第七十条で私たち考えるのですが、この前のような無謀運転とか、あるいは無謀でなくても不法の運転とかいう、そういうふうな規定されたワクの中へ規定をしていくということは妥当だと思うのだが、こういう広範な規定の仕方というものは、非常に拡大に解釈されるという危険もあるので、問題が多いというふうにも考えるのですが、これについても、妥当であるという一つ説明があったら、一つ聞かしていただきたいと思うのです。
  162. 中川董治

    政府委員中川董治君) 御指摘の七十条の禁止は、現行法でも、前段につきましては、現行法の七条二項四号によって禁止されております。「かつ」以下の後段につきましては、現行法の八条に制限されております。従って、ただいまの松永先生の御批判は、改正案についての御批判であるということもよくわかります。と同時に、現行法についての御批判と全く同じことなんです。それで、私どもは、こういう行為がなるべく具体的に目盛りがはっきりするように規定するということにおいて努力を重ねたのです。ところが、スピードの制限違反だとか、それから通行区分違反とかいうことにつきましては、比較的明確に規定できますけれども、いろいろな車によって、また態様によって、また通っている道の状況によって千変万様の形態がある場合において、それをきちっとした目盛りで書くということはまず不可能であります。そうすると、こういう規定を設けなければいいというのも一つ方法なんですけれども、各種の制限のほかに、やはり運転士の方々に、他人に危害を及ぼさないような方法で運転していただくという義務を課しておきませんと、過般も当委員会で木下先生から御質問があって、これにお答えしたんですが、たとえば、精神病の方がいらっしゃる。そうすると、精神病の方に危害が及ぶような運転であっても、スピード違反でもなく、歩車道の区別の制限違反でもないという場合においては、その精神病の方に危害が及ぶようなことであっても合法化するということ、そうすると、精神病者の場合、子供の場合、年寄りの場合、各種各様のことをずっと書くということは人智の能力をもってしてはできない。そういたしますと、結局は、社会公共の福祉のために、運転者方々にこういう義務を一つ心得ていただくよりほかに方法はないじゃないか。これは、現行法においても大体実行して、皆さんから見れば御批判があるのだろうと思いますけれども、そう著しく大へんな乱用ということもあまりないようである。それで、他人に危害を及ぼさないような方法で運転するという観念で、精神病者が前にいた場合においては、それに危害が及ばないような運転をしていただく。子供が出て来そうな状態であれば、そのような状態で運転していただくというようなことも、通常人が考える注意でもちろんけっこうですけれども、そういうことを法律規定するということは、現行法もその主義をとっておりますので、現行法とその点は全く同様で、ほとんど改正はしていないのですけれども、そういう義務は、やはり道路交通という、大へんな文明の利器ではございますけれども、危険が伴う施設を御利用になる方々運転者にはやはり義務として規定するのが相当であろうと、こう考えておるのであります。しかしてこの解釈といたしましては、千変万様の態様でありますので、一口に申せませんが、前段におきましては例示をあげておりますから、若干観念がはっきりしておる。「車両等のハンドル、ブレーキその他の装置を確実に操作し」というようなことによって事柄明確化され、「かつ」以下の問題は、状況に応じてには違いがございませんけれども、他人に危害を及ぼさないということの尺度ではかっていくことによって、そうめちゃなはかり方もなかろう、こういう考え方で、現行法の精神を踏襲して改正案を考えた次第でございます。
  163. 松永忠二

    松永忠二君 この点は、「他人に危害を及ぼさないような方法で運転しなければならない」ということが、他人に危害を及ぼさない方法として運転することとしての注意事項として、各条項がきめられておるわけだと思うのですね。従って、そういう「道路交通及び当該車両等の状況に応じ」という、たとえば、速度の制限もしてあれば、いろいろな、徐行の義務も課せられているわけなんです。だから、そのことを適確に守ってもらえば、そういう点で道路の安全を保ち、円滑をはかられるというふうに考えていくし、それを適確に守ってもらわなければできないというような、そういうことを守っていても、なおかつ個々の条項にその規定を及ぼしてやっていかなければできないというような、そういう拡大的なものがここに存在をしているわけなんです。いずれも、私たちが今さっき指摘をしましたような問題は、運転をする人の心がまえというような点について、これを一つ持ってもらうということについては、一つ一つ差しつかえはないのです。ただしかし、他人に危害を及ぼさない方法として、いろいろ具体的な方法を守っているにかかわらず、なおかつここで、その場合に引っかけられてしまうというようなことになってくると、それ以外の拡大的な解釈で、ここでもかけられるというようになってくると、やはり別に運転者を擁護するというような、そういう意味じゃなしに、非常に不安な気持がするのではないかということはわかるわけなんです、こういう条項で。こういう点については、ここも、さっき話した通り、三ヵ月以下の懲役、それから三万円以下の罰金ということになっておるわけなんです。こういう点について、今お話があったのですが、できるだけこういう条項はなくしておくことの方が必要だということについては、考え方は同じだと思うのですが、いかがですか。
  164. 中川董治

    政府委員中川董治君) なるべく数字とか、目盛りとかいうことで、きちっとわかる条文にしたいということにつきましては、同様の感じを持っているわけであります。ところが、事柄がそういかない場合においてはやむを得ないので、御了承いただきたいということに尽きるわけでございます。御指摘の通り、スピードをちゃんと順守し、歩車道をちゃんと順守し、その他の条項もちゃんと順守しておる。そういうことをしておりましても、途中精神病者が出てくる場合において、精神病者のことを念頭に置いて運転する。あるいは学校の前であれば、子供がひょっとしたら出てくるということも念頭に置くことが必要である。それは道徳的の義務にとどめて、法律上の義務にしないのが立法上よいのではないかというのも、一つの御見解でございますけれども道路交通状況にかんがみ、また、それに基づく危害の実情から見ても、現行法でも実行している事柄をこの際緩和するということは、ますます交通事故が多発する現状にかんがみ、適当でございませんので、この規定をやはり担保して、この規定の運用につきましては、従来ケアフルに運用したと同じような運用方法はとりますけれども事柄の性質上こういう条文にならざるを得ないということを御了承いただきたい。こういうことに尽きるかと思います。
  165. 松永忠二

    松永忠二君 お話はよくわかりますが、今お話が出ている中で、精神病者もあるのだということを頭に入れながら操縦をしていけということですが、これは、道路交通法というものを考えてみても、大へんな言い方だけれども、私は、そこまで運転者責任を負わせるということは、これはおかしいと思うのですよ。そういうことについては、もちろん他人に危害を及ぼさないようにやっていかなければできんということを心がけてやっていくことは、私は大切だと思うけれども、全くこの法規を順守して、確実に守って実行している。しかも、そういうことによって交通の円滑を保っていこうとし、それができるというやり方でなければできないのであって、学校の付近については、学校の付近にやはりちゃんとした標識も出ておることであるので、その標識を守って、とにかく運行してもらっていくということもやっていけるわけなんですから、そういう場合に、ほかの条項にはめられないで、これではめられて処罰をされていくという傾向にもなりはしないですか。もしかりにそういう点で事故を起こした場合には、ほかの条項で処罰をしていけばいいのにかかわらず、第七十条で処罰をしていくということによって、非常に実刑とか、そういうものも科せられてくるという状態にあるのじゃないんですか。すべて、ずいぶんひどい無謀な運転をやったりする人たちもあることも実際だけれども、また、運転を仕事とするし、またそういうことを正しく守っていっている者も相当ある。そういう中で、できるだけ一つ交通の迅速もはかりながらやっていこうということになってくると、必要以上のものをここに置いて、それによって何か脅かすというか、一つの牽制としてこういうものを置くという考え方については、やはり考え方として少し行き過ぎているのではないかという気持もあるわけでなんです。交通の事故防止という点について、今言ったお話もよくわかるんですが、こういう点については、やはりそういう考え方は、少し現状に甘いんですか。あるいは工合が悪いんですか。
  166. 木村行蔵

    政府委員(木村行蔵君) これと似たような法令がスイス、アメリカにもあるわけでありますが、読み上げてみますと、スイスの法典では、操縦者の過労または自動車の安全な操縦を妨げるすべての状況により交通の安全を妨げてはならないのに、これを運転すること、それからアメリカの方にも、人の生命、身体または財産に対し、故意にまたはむちゃに、何ら顧慮することなく車両を運転した者、これらはそれぞれ相当の罰がかかっておるわけですが、たとえば、具体的に言いますと、雷族の場合などには、相当縫って走っていきます。これはほかの法令、この規定にはかからぬ場合がある。それからまた、両足を離して、相当スリルを感じながらやる場合がある、これは非常にあぶないんです。また、他の交通の妨害にもなるわけです。こういう場合には、そのものずばりの規定違反がないわけでありまして、それによって現実に取り締まっている例は、この安全運転の不履行ということで取り締まっている例はあります。
  167. 松永忠二

    松永忠二君 そういうもののあることもよくわかります。だから、そういう点については、安全運転ということじゃなしに、不法運転というようなことで、もう少しそういう点を明確にしたらどうかという気持があるわけなんで、正しくやっている者、そしてまじめにそれを業務としている者までも非常に脅かされるような安全運転というような、こういう広い範囲でそういう問題を考えて、そういう今言った通りの不法な運転をする。その不法な運転とは、今言うように、縫うような工合に行くとか何とか、いうことまでそこで明確に規定されるように、正しくやってても、何か事故があれば、ここに引っかけられるというような考え方じゃなしに、こういう変なやり方をしていれば、ここにちゃんと規定をされていると、何でもここへおけば、はめられるような条項を作っておいて、工合の悪いときにはそこで集約してしまうということになると、そうすると、その点が非常に不安な、引っかけられやすい条項になるのではないかということが、私たちはそういうふうな声として出てくるのではないかと思うので、そういう点についてわれわれは今言ったような点を申し上げたんで、そういう点については、どこかで規制しなければできぬが、明らかに無謀とか不法だとかいう、そういう運転というふうに明確にしていくような考え方の方が、よくその辺のところが該当するのではないかというふうな趣旨で質問したわけです。まあそういう点では、乱用するというおそれはこれで十分ないというお考えですか。
  168. 木村行蔵

    政府委員(木村行蔵君) この点については、もちろん、警察官教養というものを十分に積みましてやはり非常に他の交通妨害を及ぼすというような悪質な者について取り締まりの重点を置いて参りたいと思います。決して何んでもかんでも、ほかの法律、ほかの規定にかぶらぬから、この規定に便乗してそうしていわば乱用するというようなことはさらさらいたさせたくないと思っております。
  169. 占部秀男

    ○占部秀男君 ちょっと関連して。今、局長のお話で、提案する側としての意向は、われわれもわからないわけじゃないのですが、特に私、今のに関連して次の七十一条、「運転者の遵守事項」ですね。これには別に罰則はないわけですね、この七十一条には。
  170. 木村行蔵

    政府委員(木村行蔵君) あります。三万円以下……。
  171. 占部秀男

    ○占部秀男君 三万円以下のにかかっている。それではわかりました。
  172. 松永忠二

    松永忠二君 もう一つ、七十一条の泥よけ器の問題です。ここに、「泥よけ器をつけ、又は徐行する等して泥土、汚水等を飛散させて他人に迷惑を及ぼすことがないようにすること。」こういうことがあるのですが、これは、ずいぶんひどく実際問題としては被害をこうむっているわけなんだけれども、泥よけ器を必ずつけなければいけないというふうに規定することについてどういう点が無理なんですか。
  173. 内海倫

    説明員内海倫君) 必ずつけねばならないようにするという点の困ります点は、一つは、これをつければ泥が飛ばないというりっぱな装置がありますれば、これは義務づけていい、こういうふうに考えております。ところが、現状では、まだそれに至るほどのものが私どもは生産されているとは思っておりません。  それから次に、非常に被害の大きなことはわかるのでございますけれども、極端な言い方を申しますと、ぬかるみまたは水たまりを通行する自動車が泥をはねない、あるいは汚水を飛ばさない方法は、泥よけ器をつけるということ以外にないというのであれば、これは泥よけ器をつけるということを義務づけなければならないと思いますが、ほかに、あるいはそこを避けて通る、あるいはそこを静かに徐行するということをすれば避けられる、こういうのであれば、やはりそういう選択を認めていくべきではないかというふうな考慮をいたしまして手段としてこういうふうな書き方をいたしたわけでございます。
  174. 松永忠二

    松永忠二君 この規定で、今国民が非常に迷惑をこうむっていることが直っていくと、非常によくなるというふうにお考えですか。
  175. 内海倫

    説明員内海倫君) 現在も全く同じ規定を設けているわけでございまして、また同時に、泥はねが非常に大きな被害を与えているという非難も、非常に現在も多うございますので、ただこの規定をしたというだけで直ちによくなるということの保証はいたしがたいと思いますが、やはりこの規定ができました以上は、泥よけ器をつける、あるいは徐行する、あるいは、今度の雇用者の義務の方にも罰則は付しておりませんけれども、泥よけ器をつける等必要なる措置をとることというふうな裏打ちの規定もいたしましたので、これらが一環となって、そういう泥はねというものをなくする態勢を整えていく、取り締まりもこれと並行しながら行ならということによって減っていくのではなかろうかと期待しておるわけであります。
  176. 松永忠二

    松永忠二君 これは、あなたがたも御存じだと思うのですが、全く一日中——一日中というのですか、雨天のときに泥がひどくて、ほとんど戸をあけないでいるということが、東海道に沿った所では幾らもあるわけです。こういう直接戸もあけられない状態になっているだけじゃなくて、雨の日に歩けば、もうほとんどかさでよけなければ歩けないという状態であることも事実なんです。そういう現状があって、つまりこの道交法あたりを規定するときに、それについて有効な措置をするということが非常に必要なものだと思うのですがね。そういう点から、この規定をしてみたところが、これで一体その状況が改善されるという見通しは私たちは持てないのですがね、こういう規定の仕方では、実際問題として。で、やはりいろいろ検討されたときには、別個なまたいろいろ意見もあったのじゃないかと思うのですが、こういう点については、もう少し積極的に、確かにこれならば非常に迷惑をこうむることも相当助かってくるのではないかというような、そういう規定の仕方というものはできないのですか。
  177. 内海倫

    説明員内海倫君) 要は、泥をはね飛ばさないということにあるわけでございまして、先ほど申しましたように、泥よけ器をつけておれば泥は飛ばさないという、そういう機械が発明されて現に存するのであれば、私は、それをつけるということによって物理的にも泥をある程度防ぐことができると思いますが、少なくとも現在まで発売されておりますものにつきましては、すべて私どもの方であらゆる状態で実験をいたしましたけれども、私どもがそれによって泥土、汚水というものがよけられるという確信をなお得るに至っておりません。ただ、その場合といえども、相対的には私は有効なものであるという点を認めるにやぶさかではございません。従いまして、そういう泥よけ器をかりにつけることをこの法律で義務づけるといたしました場合には、そういう相対的な意味におきましては、現状よりも泥はねは減るということは考えられると私は思っております。しかし、逆に今度は、おれは泥よけ器をつけなくても泥をはね飛ばすということはしないという人に対して泥よけ器をつけろという義務づけをすることは、やはりこの法律上むずかしいのではなかろうか。こういうふうに私どもは感じております。
  178. 松永忠二

    松永忠二君 どうもちょっとそのあとの方の説明が少しわからないのですが、こういう泥よけ器をほとんど全部義務的につけたときがあるわけです。そのときの方が今よりもずっとよかったということは、現実にお互い経験をしているわけです。しかも、その泥よけ器をつけることを相当強く規定をしていない中で、泥よけ器の発達などというものはあり得ないわけです。つけている中から泥よけ器が改良され、改造されていくということだと思うのですがね。これについて現状は非常にひどいので、ただ、泥をはねないで徐行する運転をする技能があるだろうと、こう言ってみたところで、これは全く、そういうことを言うならば、道交法のいろいろな点についてそんな理屈を通すなら、こんなことを規定せぬでもいいことが幾つも私はあると思うのです。さっきの話もそうだと思うのです。私は正常な運転をする、安全な運転をするという自信があるから、そんなものをやらぬでもいいというふうな、要らぬものがたくさんあると思うのです。やはり今の御説明のように、完全な泥よけ器がないから規定をしないのであって完全というか、有効な泥よけ器があったらこれを規定するということは悪いことではないというふうにお考えになっておられるのですか。
  179. 内海倫

    説明員内海倫君) 私どもの立場から、いやに行政事務の配分について責めをのがれるような言い方でございますが、元来自動車に装着する装置というものは、車両法の方で定めるわけでございます。車両法が、まあやっぱり泥よけ器というものを法律上きめないというのは、先ほど私が申し上げましたような理由に基づくものでございます。  そこで、今度は道交法の方では、泥を飛ばしてはいけないという形の規定をいたしておるわけでございますから、そのところにわれわれが取り込みまして、泥をはね飛ばさないという義務を課することにおいて、その義務を遂行する手段として、具体的に「泥よけ器をつけ、又は徐行する等して、」と書いて、まあ一歩前進をさした。さらに、それは運転者に義務づけるだけでは実行されにくいであろうということで、先ほど申しましたように、七十四条の「雇用者の義務」のところにも、「泥よけ器を備える等の必要な措置をとらなければならない。」という規定をいたしまして、私どもとしましては、道交法規定としては、やはりこれが一応現状におきまする点では限界ではなかろうかと考えるわけでございます。
  180. 松永忠二

    松永忠二君 説明はよくわかりました。  まあこの泥と一緒に石もはね飛ばされたりする。泥よけ器をつけてさえいれば、そういう点について被害も比較的少ないと思うんで、まあこの点については、警察庁あたりでは、この泥よけ器が完全につけられておらないことによる住民の非常に迷惑をこうむっている実際の実情というものは非常に大きなもんだということについては、やはり一応の調査等は済んでおるのでございますか。
  181. 内海倫

    説明員内海倫君) 泥をはね飛ばしておる実態、あるいは石等がはね飛んで起こっておる被害の実態というものにつきましては、私どもの方も、各県にこの規定事項に関しましてしばしば通牒を出し、また、各県からもこういう実情について具体的に種々報告をよこしておる。現にそれに基づきまして、たとえば、兵庫県あるいは愛知県というふうな県におきましては、積極的にそういうことに対する道交上の取り締まりも実施しておるという例もございます。またしばしば、ラジオ等においても、こういう声が伝えられておりますので、われわれも慎重にそういうものについては耳を傾けております。
  182. 松永忠二

    松永忠二君 長官にお聞きしたいのですが、この条項を規定するについて、運輸省あたりと話し合いを持ったとか、あるいは対策本部等でこの問題について話が出たとか、そういう経過を踏んでこういう規定をされたのか。その点はいかがですか。  それからまた、条例によってこれを義務づけられているというところで、まあ成績を上げているという状況もあるのを御承知だと思うんですがへそういうことになると、そういうむしろ効果の上がるものを取り上げて、全国的に規制をしていくという方向にも考えていくべき性質のものだと私は思うんですが、この二つの点はどうですか。
  183. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) この問題につきましては、運輸省とは協議をいたしておるわけでございます。ただ、先ほど来交通課長が申しましたように、相当有効であるということは一般的に言えますが、これを強制する、特にこの道交法等で強制するということに踏み切るだけの気持になれない。これは、一つには、完全なものがないということを交通課長も申しましたが、その問題もあると思いますが、たとえば、舗装を主とした都会地等において、雨のあと部分的にぬかるみが出るというような所で、これを義務づけるということにいたした場合に、普通は、もう舗装の所ならばまあそれは要らない、ところが、たまたま走ってみると、天気にはなったけれども、ぬかるみが一部あって、そこを通るときに泥よけ器をつけていなかったために直ちに違反と、そういうことで、しゃくし定木でやるわけではございませんが、そういう場合もあると思います。しかし、全面的にこれを強制的に直ちにやることがいいかどうかという点は、検討を要する問題じゃないかと思います。条例で定めておりますのは、岡山初め中国各県、それから四国四県において、泥よけ器をつけることを条例で定めているわけでございます。
  184. 松永忠二

    松永忠二君 そうなると、やはり相当な広範囲でそういう条例を作っているわけですね。条例の制定の効果というものは相当上がっているんですか、課長。
  185. 内海倫

    説明員内海倫君) この法律で「泥よけ器をつけ、又は徐行する等」と書いておりますので、条例の範囲も、泥よけ器を条例によって完全な義務規定にはいたしておりませんので、従いまして、条例に基づいてそれからの県が一斉につけているというものではございません。そういう点で、各県における効果は必ずしも上がっているという断言は私いたしません。なぜかといいますとたとえばかりに四国四県は大部分、たしか四県とも何らかの形で泥はねをそこの条例で規定いたしておりますが、たとえば、そのうちの一県が規定していないといたしますと、その県の車がよその県に入っていきましても、泥はね、泥よけ器をつけるとかというような点は守られないという結果になりますので、どうしてもそういうものを義務づけるということになりますれば、その県単位の条例ではなしで、やはり全国的に規制できる政令または法律にようない限りは、ほんとうの意味の効果は上がらないものと、こういうふうに私ども考えて、おそらく各県、たとえば「泥よけ器をつける等」というふうな形で書いております県におきましても、そういう意味で、特に大きな成績を上げているということは私まだ聞いておりません。ただ、条例でそういう精神を強くうたっておられますから、県民として大きな自覚があるということは否定できないと思います。
  186. 松永忠二

    松永忠二君 これについては、たとえば、都市の騒音を防止しようというところから、大阪あたりで警笛を自発的にああいうふうなことをやってきている。たとえば、今何か積載の問題についても、やはり各地で自発的にそういうことをやっている。監視とか、いろいろなことをやっている。こういうふうなことを実際に見ていると、この割合に、それでしかも、非常に効果を上げているにかかわらず、そういうことを積極的に政府なりあるいは法律等で規制をしておけば、むしろ先にやるべきものであったのに、地方から自発的に起こってきているという点も、きわめて効果を上げているという点もあるということも考えられるわけですね。今長官も言われたように、舗装している道路もだんだん出てきているので、必ずしも一律にいかぬということになると、この泥よけなんかの問題等は、むしろ全国的に規定をしておいて、舗装できている状況によって、都市の公安委員会で、泥よけ器をつけなくてもいいとかいう除外規定を作るということの方がむしろ自然であって、しかも、こういう点について、何かばかにほかのものに対する意欲とは非常に消極的になるような印象を私たちは受けるんですが、何か非常にやはり困難な理由があるのか。完全に効果を上げるものがないから踏み切られないのか。やはりこういうことは、道交法以前に、車両法というようなものの面で規定をすべきであると考えておられての結果なのか。そのうちのどちらなのか。両方ですか。
  187. 柏村信雄

    政府委員(柏村信雄君) 先ほど交通課長からも申し上げましたように、車両法に基づいて義務づけるとすれば、そういう問題になるのが筋ではないかと思います。これは私の記憶で、あるいは間違っておるかもしれませんが、戦前は確か泥よけ器をつけておったのではないか。終戦後これをはずして、現在に至っておる。現在やはり非常に悪い道路が多いために、泥よけ器をつけるなどして、できるだけ泥をはねないように注意するというような方向に来ておるわけでございますが、そういうことがどういう理由でどうなったということは別といたしまして、先ほど都会地の例、また今度東京でオリンピックなどが開かれるというようなときに、外国の車がずいぶん入ってくる。外国には泥よけ器をつけておるという例はないわけでございましてそういうような点からいって、これを法律で強制するというのでなしに、実際に悪い道路は多いのでありますから、効果のあるような泥よけ器をできるだけそういう地域においてはっけるような指導、啓蒙というものが進められるということが望ましいのではないかというふうに考えておるわけでございます。
  188. 松永忠二

    松永忠二君 もう一つ最後に、ちょっと話の筋が少しほかのと違うので、申し上げておるわけなんで、実情から言えば、この程度規制をしたところで大した効果が上がらんように思うのですね。ほかの条項では、こういうふう、な状況があるので、どうしてもこれはきめなければできないという、しかし、それをきめることによって他のものも相当脅かされる点もあるんじゃないかというと、いや、それは実際に効果が上がらぬからこう規定するのだと、こういうような筋でみな規定をしてきている。ここでも、効果がこれで上がるならけっこうだけれども、これで上がるというようなことを断言できる人は私はそんなにないと思うわけです。やはり大体似たようなものの状況になっていくのじゃないかと思うのですね。しかし、その泥よけ等をつけるということは書いてあるのだから条例にきめてもらうのだという言い方をされ、地方の実情に応じてというお話だけれども、地方の実情に応じて結局やれば、やることを義務づけられたっても、車はあっち行ったりこっち行ったりしてしまうので、これは全然だめだ。だから、つけることを義務づけておいて除外例があるところなら、これは幾らでも適用はできるけれども、ほかに含まれたものをきめておいて、それを各地方別にやってもらうのだということになるというと、この道交法できめているほかの言い方とはまた全然違うので、効果の点から、現状は非常にこうなるので、やむを得ずこういたしたという条項が非常に多いのにかかわらず、こっちの方はそうじゃなくて、現状は非常にこうであるのに、それはあまりはっきり規定をしない、そうして筋をきめておかないと共通的にできないからというのにかかわらず、こっちの方では別にやってもらいたいというのでは少し話の筋が通らない。そういう点、非常になまぬるいじゃないか、効果が上げにくいんじゃないかということを強く私たち考えております。名案が別にあるわけではありませんがね。つけるということ以外に名案はないわけですが、これでは、道交法ができて、そのために、今まで被害を受けた人たちが被害を受けることが少なくなるということについては、全く確信が持てぬように思うのですが、やはりこういうふうに規定をしておけば、こういう点で、国民的な感情が満足されるというふうにに考えておられるのですか。
  189. 内海倫

    説明員内海倫君) 長官のお答えを若干補足いたします。これ以上の規定として、泥よけ器の装着を義務づけるといたしますれば、これは車両法の分野に属すると考えます。従いまして、道交法としましては、私は、泥はねに対する措置としましては、これが一応の限界ではなかろうか。とりわけ今度は、先ほども繰り返して申しましたように、雇用者の義務にも一応書きましたので、これ以上に義務づけるとすれば、それは、自動車の装備という面で規定をいたしております車両法の範囲に入ってくる、こういうふうに考えております。
  190. 鍋島直紹

    ○鍋島直紹君 七十四条と七十五条の関係をちょっとお聞きしたいのですが、七十四条は罰則がありませんね。七十五条は三ヵ月、三万円の罰則がついている。それで、今日までいろいろ伺って、いわゆる捕捉しがたいといったような意味で七十四条に罰則がなくて、七十五条に罰則があるというようなふうにお話も聞くのですが、捕捉しがたいという意味においては、七十五条の2の、ほんとうに過労であるか、病気であるかといったようなこと、それを命じたか命じないかといったようなこと、この点も非常に捕捉しがたい。そういうのには罪があって、七十四条に帰ってきますと、実際言うと、スピード違反とか、泥をはねるとか、ぬかるみとかいう問題になっていますが、雇用者に対して罪がない。この辺はどうも不公平なそしりを免れないじゃないかということを強く考えるのですけれども、この点についての御説明をいただきたいと思います。
  191. 中川董治

    政府委員中川董治君) お説のように、両罰規定に響くような関係は、全部七十五条で拾ったつもりでございます。残る七十四条の規定刑事責任を課することができるかどうかという御指摘でございますが、まず、七十四条の一項について申しますと、これは、「つとめなければならない。」というような状態でございますので、これはまあ刑事責任はややいかがかと思うのであります。それから三項の問題は、ただいまいろいろ御議論になりました泥よけ器をつけるなど必要な措置でございますので、泥はねをしないようなことを工夫するというような、共犯関係ならば別でございますけれども、共犯関係にならないようなものを規定するのはちょっと無理ではないかと思います。残る問題は二項でございますが、六十八条のスピード違反になるようなことを誘発するように時間を拘束した業務、この観念が、この間も、当委員会の公聴会のときに、ある参考人の方々は、現在課しているノルマがすでに時間を拘束しているという御意見すらありますので、すべての業務態様が全部になるのだというような説も出て参りますし、また、窮屈に解するとまた非常な問題が出てくる。それで、そのスピード違反の共犯関係でカバーできる問題は、もちろん刑法総則の共犯理論で全部カバーいたしますけれども、共犯関係でカバーできない部分は刑事責任を課そうとする点につきましては、相当無理がある。そういうことを実質的に解決するために、七十五条で具体的に拾い出しまして、ただいま過労運転について御指摘がございましたが、過労運転その他も含めて、実質的に拾って、七十五条に拾った部分は大体ぎりぎりのところでなかろうか、こういう考え方規定したつもりでございます。
  192. 鍋島直紹

    ○鍋島直紹君 これは、結局捕捉しがたいということ、そういう点でしょうが、どうもまだ私も、お話はわかりますけれども、どうも運転者に罪が多少しわ寄せされておる、多少どころか、どうもしわ寄せされておるというような気がしてならないので、たとえば、泥よけ器の問題にしましても、七十一条では、これは、罰則規定の中に、「泥よけ器をつけ、又は除行ずる等して」と書いてある、これは罪がつく。しかし、泥よけ器をつける、タクシーとか大きな会社とか、自動車をたくさん持っている場合、そういう場合において、第三項においてですか、これは「車両等に泥よけ器を備える等の必要な措置をとらなければならない」というふうに書いてありながら、これには罪がない。どうもこの辺非常に不公平だというふうに私は思うのですがね。今の大体のお話はわかりますけれども、何かこうそこに、運転者のみに片寄らない、やはり罰則をするならば、捕捉しがたいことがあっても、やはり両方に公平にしていくということが私は必要なのじゃないかと思うのですが、何か御所見でもあれば承りたい。
  193. 中川董治

    政府委員中川董治君) 御指摘の泥よけの点は、ただいま御指摘ありましたように、泥よけ器をつける義務は、車両法の関係があって困難でございますが、かりにつけた場合においては、共犯関係が成り立つと思うのですが、この法律の義務も、泥よけ器をつけるのも一つ方法にすぎないのでありまして要するに、泥をはねなければいい。泥をはねない状態を雇用者の方に兼務を付するということが困難である、こういう観点から出ております。それから、事業主に対して甘いとおっしゃるのですけれども、これは、すべて共犯でまかなえるやつは全部まかないます、この規定の有無にかかわらず。たとえば、スピード違反を教唆した場合には、七十四条の規定があろうとなかろうと、スピード違反の共犯者で、刑事責任を負います。しかし、共犯以上に進むということになりますると、そうすると、七十五条のような容認する行為になればその両罰規定と、こういうふうにならないと、刑罰があっても、何か天災みたいになってしまうと、刑罰の意味がなくなってくる。刑罰というのは、そういう刑罰があれば、自分たちがそういう兼務を守るということの方法があって意味があるのだ。全然知らぬうちに泥がはねて、帰ってきたら事業主が罰せられるということになれば、天災みたいになりますので、そういうことで、刑事責任の目的が達せられにくいという配慮でございますので、御了承願いたいと思います。
  194. 鈴木壽

    鈴木壽君 私も、第七十四条の二項については、鍋島委員と同じような感じを持っておるわけなんですが、泥はねのために義務をつけていない法の建前ですから、それはまあやむを得ないでしょう。しかし、二項では、「誘発するように時間を拘束した業務を課し、又はそのような条件を付して雇用運転者に車両等を運転させてはならない。」こういう一つのはっきりした規定があるわけですね。そこで、今あなたの御説明の中にも、ノルマの問題等がありましたが、やはり単なる教唆とか共犯で罰して済むのだということでなしに、やはり走らざるを得ないような拘束をするような条件とか、業務内容とか、こういうものを与えて運転させるというようなことをした場合には、やはり私は、ここに雇用者も罰せられて当然だと思うのですね。その点、単に運転者諸君だけにしわ寄せしているとかしないとかという問題よりも、この規定自体の中に、私は、やはり場合によっては無謀な運転をさせるのを雇用者が認めているのだと、はっきりこういうことであるとすればそんなことをするのに対しては、やっぱり教唆とかあるいは共犯とかいう形でない罰則で臨むべきじゃないか、こういうふうに思うのですがね。
  195. 中川董治

    政府委員中川董治君) 御指摘のように、七十四条第二項で刑事責任を課そうと思いまして、大へん苦労をしたのです、ほんとうを言いますと。「誘発するように時間を拘束した業務を課し、」というのが、観念としてどうしても明確でないというのが、大体われわれを取り巻く関係各省の御意見でございまして、私ども、主観的には、何とかこれを、観念をはっきりできないものかと苦労したのですけれども、それで、この間私、公聴会を拝聴いたしておりまして、野々山さんでしたか、現在のノルマを達する、こういう義務がある、そうすると、確かに刑事責任が立証が困難だということを考えた次第でございまして、結局は、問題は、二項がどういうふうにして構成要件としてあるのがはっきりするかということにかかろうと思うのですけれども、誘発するような時間を拘束した業務というのが、休憩時間もあれば、ちょっとたばこを吸う時間もあるとかいうことを考えますと、そういう時間がなければはっきりするけれども、そういう時間もあると、何かはっきりした業務構成観念というものができにくいと、七十五条でできるだけ拾って、こういうことで考えあぐねた結果拾い残しが御指摘の点でございます。    〔理事西郷吉之助君退席、委員長着席〕
  196. 鈴木壽

    鈴木壽君 七十五条の二項のこれなんかもなかなか、過労の程度あるいは「病気その他の理由により」云々とある、なかなかこれはややこしい問題だと思いますね。しかし、そういう問題に対しては、やっぱりここでやっていますわな。そうしたら、確かにこの中の言葉の「誘発するように時間を拘束した業務」とは一体何か。どこで押えるかというと、なかなかめんどうな問題でありますけれども、もしそういう理由だとすれば、七十五条の二項だって、いわゆる過労というのは一体どういう状態なのか、疲労から過労、言葉の上では分けていますが、一体どこで普通の疲労であり、どこで過労になるとかいうようなことになりますと、これはやはり同じような問題が起こると思うのですね。そこでこの場合は、しかも容認したという、ちょっとあいまいな言葉がありますが、容認ですか、1、2の方にしても、認めたということでしょう。しかし、一方そういう言葉を使っていながら、多大なあいまいさを残しながら、なおかっここには両罰規定が適用されている。こういうことからしますと、私は、七十四条の二項の場合は、そういう業務を課しているのだし、そういう条件で運転させているということであるとすれば、多少の判断の上での、あるいは判別の上でのややこしさはあるかもしれませんけれども、やはりここに一つ何か置かないと、片手落ちだという感じはぬぐい去られないと思います。これはまあこの前の総括的な質問の際に、松永委員からも指摘のあった問題なんですけれども、やっぱり何かここに抜けたような感じがしますね。なるほどおっしゃるように、とらえにくい問題かと思うのです。はたして今一部の人たちが言うように、現在の三百六十五キロというノルマそのものがスピード違反を起こさせるような条件にあるものかということも、おっしゃるようにむずかしい問題です。しかしこれは、そういうむずかしさは伴いながら、やっぱりどっかの線で一応考えていかなければならぬと思います。そういうものをまた考えなかったら、この七十四条の二項というものは意味がなくなってくるわけです。一体何ゆえに、誘発するように時間を拘束した業務を課してはならないとしたのかと、こういうことになってきまずから、ですから私は、やはりこの点は、鍋島委員のお話のように、ここにどこかやはり一つ抜けたところがあるのですから、単なる教唆によって、教唆犯ということで罰せられるのだということでなしにそうだったら、ここでやっぱり一つこの規定に基づくところの単独の罰則というものはあっていいと思いますが……。
  197. 中川董治

    政府委員中川董治君) お説の点は十分に考えておりますが、結局、過労というものは、御意見もございましょうけれども、時間の誘発よりもとらえやすい。そのボーダー・ライン・ケースからこちらがとらえやすいところの、一番ボーダー・ラインの過労、誘発する時間の方がちょっとボーダー・ラインから出るということですが、結局は、ボーダー・ライン・ケースをどこに置くかという問題になると思います。結論は。ところが、時間を誘発するようなことになると、やや雲をつかむようなことになってしまうと、こう思ったわけであります。
  198. 鈴木壽

    鈴木壽君 それは、過労ということも確かにとらえにくいので、まああなたは、ややとらえやすいと、こう言うが、一々ここで疲労の検査をやるわけでもあるまいし、これは、何と言いますか、外形を見たり、その他の状況から判断するしかありませんが、それがどの程度、疲労の度合いからして、これが過労になっているのだということは、なかなか簡単にきめにくいことです。しかし、それもあなた方が一つとらえる、私はそれはいいと思います。そうしたら、やはり誘発するように時間を拘束するような業務を課したということで、やはりどっかの段階で一つ押える点は私はあっていいと思うな。まあこれは、一つ本日の課題にしておきましょう。
  199. 松永忠二

    松永忠二君 僕は、この点が要するに道交法規定できる限界だというような言い方の点もわかりますが、道交法でこういうことを規定するなら、規定するならというより、規定してあると同時に、道路運送法の方の点にも過労ということがあるのですから、規則の中にはっきりこれも過労の問題は出ている。適当な勤務の条件とか、いろいろのことが書いてあるから、その方で明確にしていって、そのことを受けて、この法でいくというならわかるので、こういう問題についてさっきのように簡単に自分の方ばかりきめてしまったのでは工合が悪いと僕は思います。だから、こういうところに基準法やあれとの関係が出てきて、道交法ではこの程度きめられないけれども、こっちの方でははっきりして、限度もこういうふうにきめておる。あるいは道交法の中でも、このところの具体的な基準というものは、政令でもしきめられるものなら政令できめてもらいたい。そうすればはっきりする。こういう点については、もう少しやはりほかの方の意見も聞いてみたいと思いますが、やはりきめるときに、そういうところとの交渉をしていってもらいたいと思いますが、このままで押し通していきますか。どうですか。
  200. 中川董治

    政府委員中川董治君) たとえば、道運法とかいろいろの他の法でいうこととはもちろん調和は考えております。それで、七十四条の関係は、道運法による事業監督ももちろんありますが、事業監督があるからというので罰則をきめられないという理由ではないのです。その点は、過労の点につきましては、過労は誘発する時間よりもはっきりするので、刑事責任を課した次第でございます。ところが、道連法の事業監督もありまして、事業監督ももちろん規定いたしますけれども、さらにこの観念がはっきりするならば、これを刑事責任をとらせて私はいいと思います。ところが、過労に比しましては、誘発するような時間を拘束した業務というのが人によって大へん違ってくる。過労でも違うといえば違うかもしれませんが、過労の違い方に比して非常に違ってくる、こういうふうに思うのでございますが、一つその点。
  201. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 局長、この問題は、先ほども、今度もう一ぺん一般的な質問をするという問題が他にもありますから、そのときまでに警視庁の方でも十分研究しておかれて、さらに委員からの質問に対して、もう少し明瞭な答弁をされるように準備をしておいていただきたい。これはこの程度にしておいたらどうかと思います。
  202. 鈴木壽

    鈴木壽君 そこで、個人タクシー、最近できましたね、あの人たちの話を聞くと、現在多くのタクシー会社で課している三百六十五キロ、あるいは三百六十ぐらいのあれなんか、あんなに走らなくてもこれはいいのだ、もっと少ないキロ数でいいのだ、こういうようなこと、これはまあ経済面での話を主とする。従って、そういうことをするためにむちゃくちゃな、いわゆるノルマといいますか、むちゃくちゃないろいろな運転はしなくてもいい、本当に車を大事に、これはもちろん自分のものですから、気持ももちろん違うでしょうが、大事に使って、むちゃくちゃなことをしないでやれるのだ、こういうことを話しておられるというのですね。とすれば、これはどこに線を引いてこれが誘発するような時間的な拘束だとかなんとか、いろいろ確かにむずかしい問題ですが、今のノルマといわれるものは、必ずしも運転者にとっての適当な勤務条件でもなければ、場合によっては、いろいろ心配されるようなスピード違反とかその他のことを誘発するような条件になり得るのじゃないかという、常識的なことを僕らが一つ考えておるわけです。これは、何も科学的な立証の方法はもちろんありませんけれども、もしそういうふうなことを現実に個人タクシーなんかがやっておって、そういうものとの間にそういう問題があるとすれば、これはやはり、今のタクシーの営業者等においてやはり検討してもらわなければならない問題だと思うのですね。と同時に、それはもし少し酷だというようなものがあるとすれば、これはやはり、そういう酷なものを課したものに対しては、ある程度、こういうもし規定をするならば、何か単独に罰するようなことが私はあってもいいのじゃないかと思うのです。なかなかこれは委員長もおっしゃるようにむずかしい問題ですが、しかし、何か抜けたような感じというものがするのが抜け去ることができないと思うのです。ですから、これは一つ宿題といいますか、お互いにまた検討して、なにも罰則をこの際うんとやれという気持は私ども毛頭持っておりませんけれども、一方において運転手諸君にそういうスピード違反とかその他のいろいろ罰則があるとすれば、そういうものをそれこそ誘発させるようなことをするとすれば、これはやはり罰則規定というものも必要ではないかという感じがしますから、十分検討いただきたいと思います。私どもももう少し考えてみましょう。
  203. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 速記をとめて。    〔速記中止〕
  204. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) 速記を始めてください。
  205. 鈴木壽

    鈴木壽君 私、こちらの考え方なり意見なりというものを申し上げる前に、七十七条の一項の四号ですね。これについて少し当局の方から、立案の趣旨なり運用の仕方なんですね。これについて詳しくまず最初に聞きましょう。
  206. 中川董治

    政府委員中川董治君) 御説明いたします。現行法と対比しながら御説明いたします。  七十七条に対応する現行法は、二十六条の規定でございます。これで、一号から四号までの行為は、警察署長の許可を必要とした行為になっているわけです。それで、一号、二号、三号、四号とあるわけですが、今度の改正案も、一号から四号までというのがまず一緒です。号も大体対応いたしまして、旧法の一号と改正法の一号とは、文字は改正法の方が正確に書いてありますが、趣旨は同様であります。二号も、現行法の二号を正確に書いたものにすぎないのであります。三号も、現行法三号の趣旨を正確に表現いたしておるのであります。  四号について詳細御説明いたします。四号は、現行法においては、「道路において公安委員会の定める行為をしようとする者」、こういうように、公安委員会の定める行為につきましては、修飾もなしに、公安委員会が定めさえすれば、それが警察署長の許可行為になると、こういうふうに相なっているのが現行法であります。それで、現行法通り書くのも一案でございますけれども、私ども研究いたしまして、現行法ではあまりにもわからないので、公安委員会が何でもできるというように読めますので、それでは今日の法律の体系として適当でないと考えまして、現行法の四号に書いてありますことを社会的な実態にくだいて書いたものであります。従いまして、改正法の四号でいきますと、公安委員会が定めた行為という点においては全く同様でございます。言いかえれば、公安委員会が定めない以上は許可の対象にならない。この点は改正法と同様でございます。現行法と違いますのは、現行法は、何でも公安委員会が定めることができるように一応読めるのでございますが、それを、やはり国の法律でございますから、公安委員会の定めるものに一定のしぼりをかけたのであります。従って、正確に申しますと、現行法よりも四号の規定はしぼった、こういうことが正しいと思います。どういうふうにしぼったかと申しますと、公安委員会の定める場合におきましては、「一般交通に著しい影響を及ぼすような通行の形態若しくは方法により道路を使用する行為」、こういうのが一つのしぼりであります。「又は道路に人が集まり一般交通に著しい影響を及ぼすような行為」、これが一つのしぼりでございます。その「又は」以後と「又は」以前について申しますと、「又は」以前の行為、「又は」以後の行為の形でなければ、公安委員会が定めることができない、こういうことに相なるのであります。従って、私が当初申しましたしぼりに当たると思うのであります。しかしながら、ここに書いてあります行為は、「一般交通に著しい影響を及ぼすような通行の形態若しくは方法により道路を使用する行為」とありますので、これを例示した方がわかりやすいと思いましたので、その例示としまして、「道路において祭礼行事をし、」こういうふうに例示をし、後者の例といたしましては、「ロケーションをする等」の例示をいたしたのであります。そうすると、結論は、現行法では、一応公安委員会が定めさえすれば許可の対象になるという形になっておりますけれども改正法では、「道路を使用する行為」に当たる場合と、こういう条件がございますけれども、「通行の形態若しくは方法により道路を使用する行為又は道路に人が集まり一般交通に著しい影響を及ぼすような行為」でなければ、公安委員会が指定をできないというふうに改正法はしぼったのであります。しからば、都道府県公安委員会が何も指定しないのも一つ方法でございますが、何か指定する場合に、どういうようなことがあり得るかということが御質問の要点だろうと思います。それで、この規定に基づいて公安委員会が定める行為の態様の大体の例示を申し上げます。以下例示いたしましても、この例示はあくまでも例示でございまして、公安委員会がその必要がないと思えば掲げませんので、そうすると許可の対象にならない、こういうことになろうかと思います。  例示して申し上げます。たとえば、法律みずから書いてあります例示はもちろん入る。祭礼行事をするような場合、これが例示の第一でございます。例示の第二は、道路において競技会をする。ランニングとか何とかありますね。道路において競技会をする。こういうような行為が一つの例示になろうと思います。その次は、祭礼行為のきめ方で、くだいて書けば、道路にみこし、だし、踊り屋台の類を出し、またはこれを移動する行為、こういうのも一つの例示でございます。それから、道路においておおむね十人以上で踊り、または仮装行列すること、これも例示の一つでございます。道路において車両を用い、またおおむね百人以上でパレードすることこれも例示でございます。  道路において、法律にも書いてありますが、ロケーションをし、撮影会をし、または街頭録音をすること、こういうことも例示の一つでございます。それから、道路に集まる人を対象にして、放送、演芸、奏楽、映画等をすること、これも一つの例示でございます。それから集団行進、それから集団示威運動等も一つの例示でございます。  こういうようなことが私どもの頭に考えられるのですが、ただいま申しましたような事柄と同程度のものであれば、またそれに類似するものであれば、土地の状況その他によって、道路交通を著しく妨げるおそれのある行為として、公安委員会が指定することは可能でございます。  それで、ほかの事項につきましても説明をいたしますけれども、集団行進または集団示威運動につきまして、やや詳細に御説明いたしたいと思います。以上申し上げましたように、例示でございますので、都道府県の公安委員会が、その土地の道路または交通状況によって、自分の県におきまして、集団行進をこの四号によって指定することは可能でございます。また、集団示威運動を指定することも可能でございます。  そういう場合に、どういうふうなことになるかという点について申し上げます。集団行進と規定いたしますと、その集団行進の内容は、集団行進に当たる行為をしようとする者は、警察署長の許可を受けなければならない。こういうことに相なるのであります。ところが、四号全般の性質といたしまして、ここに指定をしなくても、この法律のすべての条項の制限にかかるのでございます。たとえば、人は右、車は左を通行しなければならないという規定にもかかりますし、それから、歩行者は、横断道路横断するときには、斜めに横断してはならぬという制限にもかかる。そういう各種の制限がすべてかかるのでございますが、過般当委員会一つ御質問がございました、十一条の規定もかかるのであります。たとえば、十一条の規定で申し上げますと、これも、ここで申し上げましたように、大部分の行列は、十一条二項によりまして、車道を通行することができるのでございます。そのときにも申し上げましたように、学生生徒の隊列とか、銃砲等を携帯した自衛隊の行進とか、それから象その他の大きいものを持ち歩くようなもの、またはその行列とかいうようなものは、車道を歩かなければならない。それから、そのときにも申しましたが、労働組合の方々が気勢をはる行為をなさって、その気勢をはる行為は車道を歩く。車道を歩かれる者につきまして、第三項に響きまして、第三項でも説明いたしましたが、十一条第三項の規定によって、左側を歩くことを警察官が命ずることができるわけでございます。従いまして四号の規定できめなくても、この十一条の規定の範囲の規定はもちろん、集団行進につきましては、十一条一項とか三項の制限も受ける場合が確かにあるのでございますが、そういうふうな個々の規定でもちろん規制を受けることは当然でございますけれども、そのほかに、集団行進というものを一つの態様として、集団行進を行なうことによって、いろいろな他の交通との関連が多いという意味で、この公安委員会が指定いたしますと、集団行進というものは許可の対象に相なる。そうすると、許可の申請を受けました警察署長はどうするかと申しますと、その内容をよく拝見して、なるべく十一条の規定とかその他の規定ということに即応するようによく事情を措置いたしますけれども、その当該行為がどうしても十一条の規定だけではまかなえない場合があると思いますけれども、まかなえないような場合におきましては、道路を使用するという観念に立ちまして必要な条件その他を付け加えるということももちろんできますし、それから、道路交通の他の人の迷惑その他を考えて条件を付することもできる、こういうふうに相なろうかと思うのでございます。言いかえて申しますと、十一条を初め各条文の規定は、集団行進についてももちろん響くのでございますが、その一つの態様として、四号で集団行進をとらえた場合におきまして、警察署長が、その申請書に集団行進の行なわれる場合の経路その他が書いてありますので、各条章の規定に照らし合せて、なるべくその規定に即応するようなことを考えますけれども、きわめてレア・ケースとしては、十一条の規定でまかなえないような事柄につきましても、使用という観念でいろいろ条件等について考え合わすということが可能であると、こういうことに相なろうかと思うのであります。条件というのは、この法律規定する条件を加えるのも一つ方法、念のために加えるということもあろうかと思いますけれども、それはまあ明らかでありますから、当然といえば当然でございますけれどもそれ以外に、たとえば、集団行進をなさる場合において、この道におきましては五十人区切りで一つやってもらいたい。全体として行進がずっと続くことはもちろんけっこうだけれども、たとえば、百人区切りで一つの隊をなしていただきまして、百人区切りでやってもらいたい。こういうような条件をつけることも可能でございます。それから、この道におきましては四列でないと大へん困るので、四列以上の行進にならないように、こういう条件を加えることも可能でございます。それも、いずれも、その条件にいたしましても、何にいたしましても、この七十七条の趣旨通り道路交通の危険及び交通の円滑、安全ということを念頭に置いてその条件をきめるのでございまして、道路交通の安全と円滑という観念を離れての条件とか、観念を離れての禁止ということはあり得ないのでございます。ただし、その道路状況その他によって、当該道はどうしても、そういう集団行進が来ると、そこの町が混乱して交通が閉塞するという場合においては、この二項の規定にあてはめる場合におきまして、二項に許可基準ということがありますが、許可基準に照らし合わせて、不許可という場合もないわけではございませんけれども、その根本精神は、条件をつけるにいたしましても、不許可にいたすにしましても、道路交通の危険と安全、円滑という角度のみしか考えていないのでございます。  一応以上の通りお答えいたしまして、御質問によってまたお答えいたします。
  207. 鈴木壽

    鈴木壽君 それから局長にお願いしますが、だいぶ長くて、後段の方はちょっとわからぬところもあるのですが、はなはだ恐縮ですが、これは、今のあなたのお話のたとえばいかなるものをこの中に含ましめるかという例示が七つ、八つございましたね。こういうようなもの、それから今お話の要点をプリントしていただけませんか、今度のときまでに。
  208. 中川董治

    政府委員中川董治君) はい。
  209. 鈴木壽

    鈴木壽君 これは、私どもいろいろな面で、率直に言って心配なところがあるものですから、そういう意味で、あなた方の意図しているところをはっきりつかみたいと思うので、そういう意味でお願いするのです。それからもう一つは、都の公安条例との関係ですね。これを一つお願いしたいのです。それから、東京都だけでなしに、各地にある公安条例と一般に呼ばれるもののうち、今度のこの七十七条あたりとやりますと、だいぶ抵触といいますか、変な格好になる条例があるように思うのですが、一つお調べいただいて、そういうものの事例等がありましたら、これも一つあわせてお知らせ願いたいと思うのです。きょうは時間がありませんから、あなたの御説明だけで一応やめておきますが、これは、私どもあくまでも、提案者の意図なりねらっているところがどこであるかということを、あまりあいまいな点を残さないような形で審議したい。こういうつもりからですから、一つ、ごめんどうなことかもしれませんが、次会までに御用意いただきたいと思います。
  210. 中川董治

    政府委員中川董治君) ここでちょっと大筋は申し上げてもいいのですけれども……。
  211. 鈴木壽

    鈴木壽君 いや、この次でいいですよ。
  212. 新谷寅三郎

    委員長新谷寅三郎君) それでは、資料資料として提出していただいて、次会に説明していただきたいと思います。本日は、これにて散会いたします。    午後五時二十六分散会