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栗山良夫君 そういう
工合に、簡単に逃げられてしまったんでは味もそっけもないわけですが、問題は、岸内閣がやろうと、あるいはその次の内閣がやろうと、それは別問題として、ものの
考え方を私は整理しているわけです。
それで、原則的に私が今述ベました意見というものに御賛成のようでありますが、そこで僕が
考えることは、今、国が持っておる
各種各様の
研究機関——大学を含めて——
研究機関の中で、ちょっと大臣の言葉の中にもありましたが、行政と不可分な
関係にあるもの、日常の行政と不可分の
関係にあるものは、各省に残してよろしいと思います。しかしそうでないものは、やはりこれは整理統合をして、そうして強い国の
科学技術の指導力のもとに置くべきだ。こういうことで、何としてもこれはやらなければならぬ、しかもその置き方としては、今までの
研究機関が、看板は
研究所なり
研究室になっておるが、そこの中では、みそもくそも一緒になって、いろいろなことをやっておるわけです、そういうものが、きれいに分離してしまって、きわめて高度で理論的で、しかも独創的な、そういう
研究をやる機関、それから
実用的で、今までの産業、
経済等に直接貢献し得るような
研究をやるところ、そういうものと、二
種類ぐらいに
研究機関の性格を分けて、そうしてそれぞれに惜しみなく費用を投入してゆく、こういうことでなければ、とても今の
日本の
技術を海外から一歩前進させるなんということは不可能じゃないかと私は
考える。
その点は、これも大へん粗末な具体的な例でありますが、たとえば
実用的で、行政的な部門で、私が身近に感じておる
一つのことは、たとえば
通商産業省にある電気試験所の
研究項目でありますが、全国の各家庭についておる電気計量器、要するにワット・メーター——わずか一カ月の間に四百円か五百円の取引をする電気の計器に、あれだけ精密で、しかも値段の高い計器というものが必要なのかどうか、今日の電気機械
技術をもってすれば、その
程度の計量をするのには、もっと簡便な安い計器というものが製造可能ではないか、そういうことを、私どもしばしば言うんでありますが、頑としてこれを受け入れようとしない、そうしてますます電気計量器の性能なり精度というものは、こまかくなり、ますます値段が高くなる。これなんか、国民
経済に相当な影響を及ぼすものであり、もっと根本的に
考えなければいかぬ、牛刀で鶏をさくというたぐいのものですね、そういうものは改める、そういうことが
一つ。
もう
一つは、たとえば建築に例をとりますというと、これだけ建築
工学が発達してきておるのに、最近の建築を見るというと、それは
アメリカのように五十階も六十階も作るのなら別ですが、わずか十階どまりの建物に、まず一日にいうならば、鉄の箱をこしらえて、それにセメントで壁を塗りつけたというような格好の、ああいう強度上、われわれしろうとから見ても、あまりがんじょう過ぎはしないかという建築というものが、果して必要なのかどうか、なるほど
日本は地震国でありますが、東京駅はれんが積みでも、関東大震災では割れなかった、そういう
意味では、今の建築の強度基準というものは、再
検討を加える必要はないか、これが国民
経済生活に非常な圧迫を加えております。そういうことを
研究しようと思えば、担当の
建設省に行ってごらんなさい、担当の
技術者は、こぞってそういう意見には反対です。
これはやはり、
一つの国の行政指導力で
研究をして、そうして強度は、強いに増したことはありませんよ、私は、いつも
国会図書館を見て笑うんですけれども、あれは、まさに鉄の箱を作って、そこにセメントを張りつけておるものだと、極端なことを言うと。ああいうところに、国費のむだな投入がある。いかに本が重いといっても、あの鉄管を曲げる本はない、そういうことを理論的に
研究するには、今申し上げたようなことをやらなければいかぬのではないか、そういう私は強い意見を持っているのですが、大臣は
一つ、岸内閣のもとでも、できないことではないから、大いに張り切ってやってもらいたいと思う。