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藤田藤太郎君 私はまあこの問題、あまりそれ以上きょうはやりませんけれ
ども、こういう工合に
新聞にいろいろの角度から実態が赤裸々に報告されている。これを見てみますと、私は
厚生省や
課長がお出になって
新聞発表されているのを、もう
新聞記事を見ましたけれ
ども、まあ十分尽くしておったようだという記事しか発表されておりません、
現地においては。それでこういう実際の問題に裏づけをするような
発言というものが社会に出てないわけです。私は
厚生省としては、老人を
養老院におやりになっているという
方々の家族や、親族の不安もありましょうし、社会的にわれわれとしても、三万六千人も
養老院に入っている
方々の生活が、こういう二たび風が吹けばこういうことかという不安を受けるわけですから、これはやはり
養老院に入っておられる
方々にはこういう工合にして、
病気になったときはこうなんだ、それから平生のときにはこういう工合にして保護をしているんだということを私は天下に公表すべきだと思う。そうでなければ私は納得しませんよ。こういう間違いがありましたと言ってしまったときにはもう
養老院ではなくなってしまう。なくなってしまわれたということは取り返しのつかない
状態になっていますから、こういう入院の問題、医療扶助の問題、生活の問題、それから規格ですね、何畳のところには何人入れるとか、それからどういう設備がなければこれは適格性がないんだ、こういうやはり監督行政はこういう工合にしてやっているんだというようなことを、私は国の施策として
生活保護でせっかくおやりになっているのですから、それはやはり
一般住民が納得するような格好でこれは発表してもらいたいと思うのです。そうでなければ私たちも厚生行政に入っておって、ずっと長く、何とかよりよい生活、よりよい幸福というものを願って、厚生行政に
社会保障に取り組みたいという熱意を持っておるのだけれ
ども、今度のような問題が出てくると、これは、何だお前ら何をしているのだという一語に尽きると思うのですよ。だから、私はやはり今の五十五円ではとても栄養分がとれるとは思いません。これは上げてもらわねばいかぬ。今度一〇%上げられた。一〇%上げたらどういう工合になるのだというようなことをつまびらかに社会に、この間
課長がお出でになったとき、なぜそういうものを
新聞にお載せにならなかったか。今度の問題については、十分、どうやったかということを検討してみる、みるけれ
ども、事実はこういう方針で、こうやっているのだから、今やったことは間違いなら間違いだということをはっきり私はやっぱりお言いにならないと困ると思うのですよ。もっと大胆に、人間の生命に
関係することだから、厚生行政としては大胆に私はものを言ってもらいたい。そこのところあたりをあいまいにして、だれが悪かったか、いや病院も、園長も、
医師も、何ら経営の上にも何の欠陥もなかったということで、こういうことが発表され、
厚生省の
生活保護にはそうでないということなら、これはどこへ行くのですか。結局なくなっていった者が取り返しのつかないということになってしまう。だから私はそういう点はきびしくやってもらいたいと思う。そういう点は、何も今やった人を罪に落とせということを私は言うのじゃない、三万六千人も
養老院に収容されておるのです。また、今後も
養老院の中で余生を送りたいという希望者もどんどん出てくるのだから、安心して入れるように、ちゃんと社会にも訴え、実質もそうしてもらわないといけないと思うのです。今度間違いが起きたから、私はその人を罪に落とせというようなことは言いません。将来間違いの起こらないようにきちっとしてもらいたい。私はその一点だけですよ。この問題追及したってどうにも元へ戻るものじゃないのだから、私はそう言いませんけれ
ども、将来間違いのないというようにきちっとしてもらいたい。これは確約できますか。次官からでも。