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田中一君 そこでね、今とりあえず
建設関係の
事業界は
相当繁栄しているというか忙しいわけですね。だから声がないというのじゃなくて、地方に参りますとこれはもうとんでもない問題が起きているのですよ。たとえば今の、先ほど触れたような
工事完成保証人という
制度がある。これ、
工事完成保証人となったために、身代限りをした業者もいるわけです。何人もあるのですよ。こいつは一体その
工事完成保証人という
制度をもって
発注者が自分の立場といいますかね、金銭的にもあるいは工程の点でもこれ、金にかえるものになりますけれどもね、
一般的にそういう形をとっており、かつむろんだれそれが保証人でなくちゃならないというようなことはないわけです。で、一面
指名競争入札制度をとっているのです。
指名競争入札制度をとっているという、五名なら五名指名した場合に同等な力を持っている、これなら心配ないという判断はだれがしたのじゃない、
発注者がその判断をしているわけですね。そうして
工事完成保証人というものは何かと申しますとこれは何でもないのです。指名をされる者以外の者なんですね。あるいは指名された範囲の者もいるかもわかりませんけれども、おおむねお互いに
競争し、また話し合って順番きめた以上、そういうことまで踏み込んだ援助はしてないように私、見ておるのですが、そうしてそれがその工事は完成できるのだという前提で保証している。ここが一番重大なことなんですよ。この工事がだめになった場合に、自分がそのあとの仕事を引き受けるのだという前提じゃないわけなんですね。これは論理的には
工事完成保証人ですから、けつを割ったという言葉がありますがね、けつを割った場合にはそれを引き受けるのだということの保証人には違いないのですが、これは心配ないのだという前提で保証人になっている場合が多いのです、実態としては。あの人ならば
政府が、
政府というか、
発注者が選んだあの人ならばまあ間違いなかろうという前提に立って保証しているわけなんですよ。本来なら間違いあるという前提に立って保証するのがほんとうですがね。間違いないという前提に立って保正している、それが
実情なんですよ。いわゆるそういう
意味の単なる保証人、単なる保証人という名前で判こ押しておるということだけでもって、自分の
責任は軽く考えておるというのが現状です。従って
工事完成保証人というものが、市大な
責任があるというような切実感を持っておらないんです、実際は。と同時に、
指名競争入札にした以上、指名した人間の
責任というものはないとは言えないです。この人間なら間違いないという五名なら五名を指名して、そのうちの一人がとったんですから、これは
責任が全然ないというわけにいかないんです。それには全然触れておらない。触れておらぬというよりも、全然それは自分の方の
責任は一向にない。いわゆるお前たちに仕事を与えてやるんだというような
考え方に立って注文を
出し、それから
競争させるというのがこの実体なんです。だからすべてが片務的な
契約なんです。たとえば途中でまあ仕事のけつを割った場合でも、それが本人の過失かあるいは天災地変によるところのものかということの検討なんか全然しない。明らかに風水害であるというものですら、これに対して
発注者がそれを負担して
予算を増してやるとか、金を余分につけてやるなんということは行なわれておらぬですよ。そういう片務的な
契約でもって、今後は
工事完成保証人という、これにまで累を及ぼすという形のものが、一体いいか悪いかという問題です。私は保証人
制度というものは、これは今まで、古い
歴史ですね、たとえば昔の維新前の、いろいろな何といいますか、
歴史小説みたいなものを読んでも、口入れ稼業というもの、それが保証人になるんですね、書き判することによって。それが役目であって手数料をとっているんですね。これが役目なんです。保証屋です。これはだれがするんでも何もでない。この人は間違いがないということの前提に立っての保証というものが行なわれておる。むだなものなんです、これは実際。そんな心配ないとするならば、何も五名指名してやった以上、
工事完成保証人は要らないじゃないかということも議論が成り立つわけです。で、そういう
制度というものが現在あり、かつ今度の
法律の
改正によって、少しでもこの
工事完成保証人を楽な立場に持っていこうという
考え方からきているならいいと思うけれども、ただ突如として、何ら
根拠のない
工事完成保証人という、この今度の
法律できめられる事実、人だな、これが突如浮かび上ったということに対しては非常な疑問を持つわけです。たとえば
工事完成保証人は何か。それで昭和二十六年に——二十五年の三月だと思ったな、たしか建設省は中央建設業
審議会、第二回か三回の分を開いて、たしか二十六年、二十五年だったか二十六年かに開いて、一応
契約の合理化、施行の合理化、すなわち
契約の合理化ですね、というものの要綱を発表しておるわけです。その中にはまことに、当時占領軍
時代ですから、アメちゃんなんか見ても非常に民主的である、双務的であるというような
考え方を持つような、割合いいものです。ところがこれは、建設省の官房が著書として解説を著わして、そうして地方の全都道府県市町村に流した。これによってやらぬかということを勧奨したわけです。地方はおおむねやっております。現在でもやっておる。ところが国の機関だけはしていないんです。そうしてやはり片務的な、現在の
慣行と申しますか、
契約の
慣行によっての
契約をおっつけておるという現状なんです。今度の
法律の
改正なんというもののもとをなすものは、
契約の問題なんです。その
契約法的な
基本法がなくては、それが一歩でも並行して前進しようということでなければ、こんなものやってもしようがないです。こんなものやめてしまった方がいいと思うんです。前払い
制度というものは、予決令見ても、これだって
特定な仕事に対しては前払金は認めておるんですから、その場合には何もやる必要ない、認めればいいんです。今度の
会計法の
改正で認めればいいんですよ。そういう点を
一つ小熊法規課長、十分に実体というものを——どういう人がその
審議会の
委員になっているか知りませんけれども、少なくともこれによって一切の生活を、
事業ならかまいませんよ、生活を脅かされているところの末端の労働者がいるということを忘れては困るんです。土木工事なんというものは、結局最近は大型の機械使いますけれども、まあ六割から七割は労力費です。建築にしても二割や三割は労力費なんです。物を持っておるといっても、大工は材料ばかりでなくて自分の道具持っておりますけれども、労力費が多いですよ。これらがいつのまにかその企業体がつぶれたから、自分たちはもう賃金がとれないという形のものじゃならぬと思うんですよ。これは双務的な
契約ならば、金融機関があって仕事がやれるんだけれども何か失敗した、不幸にして金融機関等に押さえられて、人為的な金融機関の圧力によって会社がつぶれるということは住々あり得る。この前払保証
制度というものがあるから、前渡金を三割もらった、それを銀行に頭金しておったためにすぱっと締めてしまう、次の手形を落とさないんです。まあ自分の方にその金が一億なら一億入ったとたんに、銀行の方は締めてしまう、そうしてつぶれた会社もたくさんあるんです。銀行は損ないんです。従ってこの
法律を見ても、その金というものが、実際にその工事に使われているかどうかという問題が、一番ポイントになってきているわけです。ところがおそらくそうじゃないんです。そうはいっていないんです。たとえば仕事をするにしても、大きな業者はこんなもの借りないでも十分銀行が貸してくれます。しかしこれを借りると金利一が安いから借りる。その金がそこにいっているかどうかという問題じゃなくて、金というものは、もう何十億も預金を持っておる
請負人もおります。たとえば竹中工務店のように、この間何とかという週刊誌に出ておりましたけれども、借りる必要何にもないと思います。しかしながらやっぱりこの金利の安いものを借りてやっていくということは、これは一応善意に解釈すれば、いい仕事をしようという意図であろうということに見られるわけです。しかしながら、この
工事完成保証人制度のために非常な苦しみを受けたり、その金をもらったために自分の会社がつぶれるなんということがあるんです。前払金をもらったために自分の会社かつぶれた、悪い金融機関というものはそういうものなんです。五億の借金があるというなら金融機関つぶさぬです。それが三億でも前払保証会社のものが入ったとたんに銀行が締めてしまう、鉄道工事などいい例です。保証前払金、前渡金をもらったところでつぶれてしまう。従ってそれにはやはり公共
事業が何といっても大きいんですから、また現在
建設関係の
事業を行なう人たちも、やはり国費と申しますか、国の
財政から直接間接に受けるものによって繁栄というか、利益があって、そうして土木建築という専業をやるのが多いわけです。従って根本の
契約に対する
基本法というものが、
日本の業界になくちゃならぬ。今までの慣習というものじゃなくて、合理的な
権利義務というものが明らかにならなければならないんじゃないかというように考えるわけなんです。これはあなた方はこの問題については、ずいぶん長い問論議を尽くしていますから、少なくとも
財政制度審議会に
相当ピッチをあげて検討してもらって、来年の
通常国会には必ず提案をするようにしてほしいと思います。いろんな問題があります、これは。私これはほじくってみたいと思うのですがね。現行法の
慣行がよくないのは直さなければならぬのですよ。というのは一番残念なことは、末端の労働者の賃金というものを、どう守っているかということが何もないわけなんです。私はここまでなければいかぬと思うのです。単に企業体というものが、損も得もございましょうけれども、末端の労働者というもの、これはもうどうにもならぬものです。それでもって生きているのですから、それすらだめになる。工専完成保証人
制度があるためにその元請がつぶれ、
工事完成保証人がつぶれ、そうして
契約が下請的な
契約になっているものだから、
一つの
事業体と見られて金がこない。労働法からくる場合には直川です。労働者は直川でなくちゃならぬということになっているのです。事実はそうなっておらない。そうするとやはり
基本的な
契約というものがなくては、末端の
建設関係の労働者には手に入らないのです。これは不思議なものなんです、この業態というものは。労働法によれば直用という形式です。従って社会保障は全部そのうちの社員であるという形でもって
契約を結んでおります。いろんな保障の
契約を結んでおります。実体は何かというと、親方くらいは一人社員並みに扱われておって、まあ一万円か二万円くらいの月給をもらって、小回りとか切り投げとかいう形で受ける。受ける形になれば
事業になりますから、これは賃金とは別問題になってくるのです。これはよく実体を検討していただいて、その
財政制度審議会にも、少なくとも末端の労働者、いわゆる企業につながっているところの親方でなくて、末端の労働者の声も十分に反映して、何といいましたか下請に対する
法律ができていますね。せめてあれと同じような精神で、先取特権くらいは官金の面について認めるというようなことにならなければならない。下請かというと下請じゃない、
法律的には下請ではない、別の而から見れば下請になっているのです。しかし別の面から見れば直川の形の労働者なんです。いつもそういう谷間にこの
建設関係の労働者というものは追い込まれているというのが実態です。
一つそういう点考えていただきたい。そして
財政制度審議会にもそれらの代表を入れて、それが発言するような機会を与えなければならぬと田ふうのですが、その点も
一つこれはあなたから答弁できないでしょうから、その点も
一つ官房長なりそれから大臣なりに相談して、そういう機会を与えて、あなた方が見る企業体としての見方でなくて、その炎にあいまいな業者が、常に企業体が、都合のいいように解釈されているところの者がいるということを忘れちゃ困ると思う。それを
一つお願いしておきます。それに対して
一つ答弁して下さい。