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1960-03-02 第34回国会 参議院 議院運営委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十五年三月二日(水曜日)    午前十時二十六分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     高橋進太郎君    理事            塩見 俊二君            田中 茂穂君            光村 甚助君            向井 長年君            北條 雋八君            加賀山之雄君    委員            石谷 憲男君            北畠 教真君            後藤 義隆君            佐野  廣君            徳永 正利君            鍋島 直紹君            松野 孝一君            村上 春藏君            占部 秀男君            亀田 得治君            椿  繁夫君            安田 敏雄君            米田  勲君   委員外議員            高田なほ子君   衆議院議員            佐々木盛雄君            長谷川 峻君   事務局側    事 務 総 長 河野 義克君    事 務 次 長 宮坂 完孝君    議 事 部 長 海保 勇三君    委 員 部 長 岸田  実君    委員部副部長  若江 幾造君    記 録 部 長 佐藤 忠雄君    警 務 部 長 渡辺  猛君    庶 務 部 長 小沢 俊郎君    管 理 部 長 佐藤 吉弘君   法制局側    法 制 局 長 斎藤 朔郎君   公述人    国学院大学教授 北岡 寿逸君    大阪弁護士会会    長       毛利 与一君    東京学芸大学助    教授      野田 福雄君    京都大学教授  杉村 敏正君    前東京弁護士会    会長      菅原  裕君    東京都立大学教    授       沼田稲次郎君    宮城県農業改良    協力委員    佐藤 忠夫君   —————————————   本日の会議に付した案件国会審議権確保のための秩序保  持に関する法律案(第三十三回国会  衆議院提出)(継続案件)   —————————————
  2. 高橋進太郎

    委員長高橋進太郎君) これより議院運営委員会公聴会を開会いたします。  本公聴会の問題は、国会審議権確保のための秩序保持に関する法律案についてでございます。  議事に先立ちまして、私から一言ごあいさつを申し上げます。公述人各位におかれましては、御多用中のところ、本委員会のため貴重な時間をおさきいただきまして、ありがとうございました。本委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。  これより公述人方々から御意見をお述べ願うのでございますが、時間の関係等もございますので、御意見は、お一人二十分以内においてお述べ願いたいと存じます。なお本院規則により、公述人の発言は問題の範囲を超えてはならないことになっておりますし、また、公述人委員に質疑できないことになっておりますので、それをあらかじめお含みの上、御発言下さいますようお願いいたします。  次に、議事の進め方でございますが、最初に公述人方々から順次御意見をお述べいただきまして、その終了後、公述人に対する各委員の御質疑を一括してお願いすることにいたします。  それでは国学院大学教授北岡寿逸君にお願いいたします。
  3. 北岡寿逸

    公述人北岡寿逸君) 北岡でございます。  私は、ただいま問題になっていまする法律案は、民主主義国家最高機関でございまする国会機能を守るために、真に最小限度の必要な法律であると思っているのであります。で、この法律の内容に立ち入る前に、この法律のできるに至りました動機——直接動機でございまする十一月二十七日の国会デモに関しまする私の所見を、ちょっと申し上げたいのでございます。このときに出動になりましたのは全学連及び一部の総評方々でございまするが、ことにこの全学連という連中は、これは共産党からも、あまりにそのむき出し議論をし、行動をとるものですから、やっかい視せられているのでございますけれども、しかしその本質が、暴力主義共産革命を来たすものであるということは一点の疑いもないのである、きょうそれを述べる必要はないであろうと思うのでありますが、特に私が述べたいのは、この十一月二十七日のデモというものがどういう基礎でやられたか、それにつきまして、私はそのときにまかれました、ビラを二、三もらったのでございますが、それによりますというと、これは日本社会主義学生同盟ですか、その書記局から出しております通達でございますから、このデモ指令でございまするが、それには「労働者学生のゼネストを」それから「市街戦も辞せず斗え」と書いてある。それが見出しでございますが、それから十万の人を議会周辺に出すならば、国会麻痺が可能になる、国会の占拠もできると言ったり、また、その他激越な調子で議会麻痺を論じておる。また共産主義同盟中央書記局指令でございまするが、これを見まするというと、ここでやはり岸を労働者の中に引きずり出せとか、国会機能麻痺させろというようなことをここに指令しておるのでございまして、この国会周辺に行われましたデモというものは、これは単なる普通の示威運動でなしに、私は騒擾罪の隠謀もしくはその扇動をするもので、破防法にもりっぱに引っかかるものではないかと思うのであります。もとより全学連というものは武器を持っていない学生の集まりですから、こんなものは子供らしいもので、別にこれによって実際上は国会機能麻痺させる力もなければ、日本民主主義を引っくり返すくらいの力もないだろうと言って軽く見られる方もございまするが、しかし、今回の焦点になるのは全学連でございます。全学連むき出しで、子供らしいこともときどきございまするが、全学連一緒行動し、その根本精神において共鳴しておるものは、この日本における非常に大きな団体である総評、三百五十万の労働者を糾合しておるところの総評でございまして、これは、はっきりとその運動方針にも言っておりまするように、議会外勢力を糾合しまして、その大衆行動によって政府を倒そう、政権を取ろうということをはっきりとうたっておる。それから政権を取った後におきましては、一たん取った政権を、また次の選挙に負ければ反対党に譲るというそんななまぬるいことでは社会主義革命はできるものじゃない、一たん取れば永久階級政権を維持するのであるということを標榜しておるのですから、議会主義否認と言っても私は誤りではなかろうと思います。しかもわが国におきましては、全学連だとか総評というものの、革命勢力、これが社会から孤立したものならば、私はそんなにおそるるに足らぬと思うのでございまするけれども、どうも日本ジャーナリズムそれからマス・コミュニケーションというものは、過般の国会デモなんかを正面から支持するものはもとよりございませんけれども、これと思想的に同じでございまするところのマルキストの学者というものを割合にちやほやする。それからまた日本思想界を指導していますところの大学教授というもののうちに、やはりマルキストが多くて、これらがジャーナリズムの寵児でございまして、暴力革命のフィロソフィーをときどき今説いておる。そうして議会外大衆行動扇動していますので、日本における共産党勢力、もしくは共産党からもきらわれておる全学連そのものは非常に微力なもので、おそるるに足らないものでございまするが、しかし彼らを何らかの形において支持しておるところの、この日本全体のほうはいたる動きというものは、これは私はおそろしいものだと思うのでございまするから、憲法に擁護しておるところの表現の自由とか、民主主義の生命でございまする政府に対して反抗する権利、これはもとより尊重しなければなりませんけれども、しかし、その名に隠れまして議会政府そのものを転覆しようといったような実力行動に対しましては、私はやはりこれを防衛する方法を講じなければ、自由主義民主義の名においてこういうものをほおっておきますというと、これは自由主義民主主義の自殺ではないかと思うのであります。  次に、私は本案に入る前に、ちょっと外国の立法例につきまして、二、三お話してみたいのでございまするが、こういうことはどこの国におきましても相当手きびしく禁止せられておるのでございまして、立憲政治の祖国でございまするイギリスを見ますというと、イギリスの一八一七年、百四、五十年前の法律でございまするが、そこに何と申しますか、セディシャース・ミーティング・アクト、まあ反乱扇動取締法と訳しますか、そういうのがございます。そこには、ちょっとこれはこっけいなんですが、ウェストミンスター・ホール、議会ですな、議会周辺一マイル以内において五十人以上の集会を持ってはならぬと書いてある。まあ、そのほかにいろいろな条件がついておりまするけれども、ちょっとあまりおかしいので、私は英国の人民に、こんな議会周辺で五十人集まってはいかぬなんて困りはせぬかと言ったところが、まあ英国人は、それは古い法律でと笑っておりましたけれども、とにかくこの法律は生きておる。それから毎年議会の初めに議会から、首都の、日本で言えば警視庁ですが、それに対しては、議員通行を安全にするようにということを指令しているのですね。これは年々やっておる。今日イギリスにおきまして議員通行をとめようといったようなことが行なわれようとは、われわれは思いませんけれども、それでも英国のことですから、保守的な国ですから、年々慣例に従って、議員登院の安全を保持しろということを命令しておるのです。それをやめる必要はないじゃないかということでやっておるのですね。従って、これはもとより労働党内閣のときにおいてもやっておるだろうと思う。それからアメリカを見ますというと、アメリカにやはりこのカピトルですな、アメリカ議会におきましては、そこに行列を作ったり集団をしたりすることは禁止せられておる。フランスを見ますというと、フランスには一八七九年の古い法律が最近また一九五〇年に新しくなりまして、いずれも陳情と、陳情の名において道路において民衆を扇動してはいかぬということを言っておる。ドイツにもいろいろな法律がございまするが、やはり特にこれに似た法律としましては、連邦議会及び連邦憲法裁判所の平和を保つに必要な禁止区域を設けまして、そこでは集会並びに行進デモ行進のようなものを禁止しておるのでございまして、要するに、私はそう世界の法律を調べたわけではございませんけれども英米独仏、いずれの国におきましても、議会周辺における、この本案におきまして禁止しようというような行為は——本法では禁止ではございませんが、後ほど申し上げますように禁止ではございませんが、本案で問題にしておりますような行動は、これらの国におきましては直接禁止しておる。日本のように、これから述べますように議長要請を待って、地方の官憲が適当な措置を講ずるというのじゃなしに、法律でもって直接デモ集会禁止しておるのであります。  これらに比べますというと、日本の今回の法律というものは、まあいわば非常に手ぬるいものでございまして、ちょっと私はあまりに手ぬるいので、これでうまくいくかどうかと、多少心配されるぐらいに非常に手ぬるい。第一に、一々議長要請をしなければ動きませんし、それから議長要請だけでございまして、協力要請でございまして指揮権はないのですから、都の公安委員なり警視総監なりが、なるほどもっともだ、やろうと思って、自己の権限によって発動しなければならない。許可を取り消すとか制止を命ずるとか、そういうことをしなければならない。それが効果的かどうかということが疑われる。それから最後に、本法には罰則もあるようでございまするけれども、これは後にも申しまするが、罰則というもの、処罰というものは、こういう知能犯確信犯に対しましては効果がない。この罰則もソ連がやっているように、殺してしまうとか、どこかに、シベリアに持っていくというような荒っぽいことをやりますれば効果がありましようけれども日本法律では、せいぜい何ですか、懲役でございますが、実際、裁判官は、前に並びますと、たわいもない学生であったり、純真な者ですから、非常に同情するのでございましょうか、非常に軽い懲役にするのでございますが、こういう場合に、執行猶予になってしまう。かりに監獄に入りましても、それを名誉と心得る。英雄になったつもりでいるのでございますから、ごうもこれをとめる力がない。いわんや、こういうことになってもへいちゃらですから、こんな者は——こんな者というのは、はなはだ失礼な言い方ですけれども、こういう者に、暴力革命で天下を取ろう、革命でプロレタリアの政府を作ろうというような確信に燃えておる人たちに対しまして、罰金や懲役なんというのはちゃんちゃらおかしい。やはり実力をもってとめなければいけない。実力をもってとめる、この手続がどうも私は弱くないかと思うのです。一昨年の警職法改正、私は賛成したものでございまして、警職法につきましていろいろ賛成意見を述べたのでありますが、警職法改正いたしますれば、実際上幾らか実効もございましょうが、現在の警職法やこの程度のものでは、はたして有効に押え得るかどうか疑問と思われるのですけれども、まあいろいろな事情でこういうような法案になったのでしょうが、これは最小限度のものでありまして、ぜひ通された方がいいだろうと私は思うのであります。  それから、この法案で問題になりますことは、これは東京都の公安条例ですか、これを前提にしておるように思われる。この公安条例が目下なお最高裁の判決がきまっていない。これに対しまして、東京地裁ではしばしばこれが憲法違反であるという判決をいたしておりまするから、その点につきまして、ちょっと私の意見を述べさせていただきたいと思うのでございますが、東京地裁がこの東京都の公安条例憲法違反であるという理由は、三つあると思うのです。東京地裁といえども憲法に保障されておる表現の自由というものが、これが絶対無条件のものであるとは思っていない。それはおのずから事の性質制限がある。これは当然のことでございまして、われわれは言論の自由があるといっても、人を侮辱する自由もなければ、公然わいせつなことを言う自由もない。事の性質上、内在的にそういう制限がある。これは憲法十二条や十三条を待つまでもなく、そういうような制限は認めておる。制限方法につきまして、東京都条例が少し制限の方が強過ぎるという、その理由は三点あると思うのですが、第一点は、許可標準にしておりまする「公共安寧」というものが非常にばく然としておって、乱用がされやすい。これにつきましては、ずいぶん都条例におきましてはこまかく制限しておるのですが、それでもまだ足らない、これは抽象的過ぎるというのがその一点。第二点は、不許可の場合に救済方法がない。不許可処分というものを出して、これに対する救済方法をやっていない。第三に、他の法令道路交通取締法とか現在の警職法とか刑法というもので十分にこれは取り締まりの目的を達することができるという、こういう三点に要約できると思うのでありますが、私は、この三点とも非常に間違っておると思う。第一は、この許可標準公共安寧にするということは、この程度自由裁量もやむを得ないので、前にちょっと申しましたように、デモだとか集会なんかやりまして、実力行使によってこの問題になっています議会を乗っ取ろうというような方々は、極度の知能犯なんですね。かつ確信犯なんです。だから、それに対しましてこまかい標準をつけましても、さらにその裏をくぐるような巧妙な戦術をもってやりまするから、具体的にものを書けば、必ず裏をかかれる。やはり抽象的な表現をもってこれを取り締まらなければならない。それからまた救済方法を設けますというと、私は設けることに反対じゃございませんけれども、どうもまた事ごとにトラブルを起こす。さらにまた、他の法律でこれを取り締まることができると申しまするけれども、先ほど言ったように、刑法なんかでこういうものを処罰しましても効果がないのです。これは確信犯で、牢へ入ることを名誉と心得ている連中ですから、やったら牢屋に入れてもへいちゃらなんですね。この現在の警職法というものは非常に不完全なものでありまして、警察官が、多数の者が集まったのを見ている、さあこれから行動ということで、さあ制止できる、こう言うのですけれども、何千、何万人の人間が集まってこれから行動だという場合に、警察官が制止できるものじゃない。機関銃でもぶち放てば別でございますけれども、そういうことはできない。これは私は警職法改正に賛成したゆえんでございまして、現在の警職法では、集団暴力というものは防止できない。処罰はできますよ。処罰じゃ何にもならない。防止しなければならない。しかも彼らは、しばしば申しますように知能犯確信犯で、かつ膨大な組織といささかの金を持っているのですから、そういうものを実力をもって防止しなければ防止できない。だから、こういうふうなものでいいんだ、これでそのまま議会を乗っ取らしていいんだ、暴力革命でそういったような革命政府ができてもいいんだというなら別でございますけれども民主主義の中心が議会でなければならぬ、議会の職能を麻痺さしてはならぬというお考えでございますならば、私は、やはり実力をもってこういうふうな革命勢力というものを防止しなければ、日本のこの民主主義というのは非常に危殆に瀕すると思うのであります。  時間がきましたから、私はこれで終わります。   —————————————
  4. 高橋進太郎

    委員長高橋進太郎君) 次に、大阪弁護士会会長毛利与一君にお願いいたします。
  5. 毛利与一

    公述人毛利与一君) 私、毛利でございます。この法案につきまして、私は五つの疑問点を述べさしていただきたいと思います。  第一点は、この法案東京都の公安条例というものを前提とし、基礎にして、その上に立っておるということから生ずる疑問でございます。もちろん最高裁判所におきまして、東京都の公安条例憲法違反である、無効であるというようなことになりますると、この法案が成立しておる基礎を失う、これは当然のことでございまするが、そういうことは別といたしまして、一体、この法案が成立いたしましたならば、東京都は、自分の都合で将来この公安条例を自由に改廃できるのであるかどうか。それは東京都は別にできるじゃないかというようにお考えになる、あるいはそういう御議論もおありになるかと存じますが、私はこれは少し疑問ではないかと思うのでございます。一たんこういう法令ができ上がりましたら、これを東京都が勝手にやめる、公安条例をやめるとなると、この法律土台がなくなる、土台がなくなればこの法律は失効するわけでございますが、そうなると、結局これは、言葉で申しましたならば、下級規範であるところの東京都の条例が、上級規範である法律効力をなくするということになる。これはどうも私ども考えまして、下級規範上級規範効力を奪うということは、これは少し奇妙なことであると思うのでございます。そういたしましたならば、逆にこれを考えまして、一たんこういう法案が成立した以上は、東京都はこれに違反するところの公安条例は改廃できない。これだけの拘束は受けるんじゃないかという疑念を持つのでございます。憲法におきましては、条例というものは法律範囲内でありさえすればいい、法律範囲内において条例を定めることができるということになっておりますが、地方自治法の十四条によりますと、法令に違反しない限度においてしか条例というものはできない。法律に違反しないということは、もちろん法律以下であるところの政令、総理府令、省令その他一切の法令には違反できないということになっておるわけであります。最下級かどうか存じませんが、とにかく国家の法よりもずっと下級にある条例でございます。この条例東京都の公安条例を廃止することによって、国会でおきめになったところの今回の法案法律になったときに、それを効力をなくせる。東京都の都合でなくするということは、これは、はなはだ奇妙なことではないかと思うのでございます。アメリカのように連邦と州とが別個の法律体系になっておって、上の方で調節をつけるというような国柄であれば、これはどうか存じませんが、わが国におきましては、条例というものは、市町村が制定できるには相違ございませんが、それは一つの法体系であって、下級規範になっておるわけでございますから、アメリカあたりとはだいぶ事情が違うと思いますので、もしこの法律ができて、将来これの改廃を東京都が自由にやれるということに、もしなるものでございましたならば、つまり私のいうようなことでございましたならば、これは東京都に対して特別の義務を国家が課することになるわけであります。従いまして、憲法九十五条の問題も疑問になってくるわけでございます。この点が、私が第一点として疑問にいたすところでございます。  それから第二点でございますが、第二点は第二条でございます。この第二条と申しますものは、実は私ども新聞で拝見いたしましたときには、この二条はなかった。その後、法案として国会に提出されたものを見ますと、二条がくっついておる。二条がくっついて、全部で八条になっております。初め私ども新聞で知りましたのは、二条がなくて、全部で七条であった。二条が加わっただけ一条よけいになっております。何のためにこの二条が加わったかと申しますと、まあいろいろお考えになりました上で、提案者の方でお加えになったことを存じますが、国会審議の公正と議員登院確保というようなことが具体的にいわれておるのを、さらに抽象概念である「国会議事堂周辺静穏」、静穏という抽象概念を二条が織り込んでおるわけでございます。そうして条文の見出しにも「国会議事党周辺静穏保持」というようになっております。これは申すまでもないことでございますが、静穏という言葉は、公共の安全及び秩序という言葉一緒に、長い歴史的な因縁を持った言葉で、抽象概念として非常に問題になっておるいわくつき概念でありまして、せっかく「国会議員登院国会審議権」という具体的な法律でしぼっておるのに、二条で「静穏」というような歴史的な因縁つき概念をもって、結局、つまり静穏という目的のためには、警察権の発動ができるというようなことになるのは、これはどうも、せっかく具体的に立法をなさることにお骨折りに相なっておるのに、逆にいくものではないか。やはりこれは、前に新聞に発表されましたときに二条はなかった、そのときの方が私はいいのじゃないか、こういうふうに考えるものでございます。  次に第三点でございますが、第三点としましては、両院議長は、都の公安委員会が与えた許可を取り消し、ないしは条件を変更することを要請することができるということについての規定でございます。これは四条の一項であって、それをまた五条の一項が受けておりますから、私が発言さしていただくことは、四条の一項と五条の一項にわたることでございます。この要請という言葉は、近ごろちょいちょい法律用語の中に出て参るのでございますが、もとはあまりなかった。法令用語辞典なんか引いてみても、要請という言葉はございません。要請という言葉は、普通の法律用語辞典の中に出ておらぬ。しかし近ごろは、今やかましい安保条約に、アメリカ軍出動要請する、あるいは自衛隊法に、知事が自衛隊出動要請するというように、要請というような言葉がちょいちょい出ておりますが、試みに、要請というのは一体どういうことかと、法令用語字引きにございませんから、国語の字引きを引いてみますと、これは請い求めることであると、さらに、せがむことであるというように書いてございますが、結局、法律的な義務づけとか何んとかということをするのじゃない、ある政治的な見地から協力を求める、政治的協力を求めるというような場合に、要請と、これは全く政治的な概念法律上に持ち込まれておる、義務づけとか何とかということや、法律的な命令系統がどうとかというようなことじゃちっともない。政治的概念でございます。これは私、どうしてこの四条の一項なり五条の一項が要るのか、どうもちょっとわからないのでございますが、こういうものは、これは全部東京都の公安条例におぶさっておる。東京都の公安条例で、許可の取り消しまたは条件の変更ということは、これは東京都の公安委員会でできるのです。それを、議長要請する、そんな要請というようなことは、法律になくても、警察へ電話で頼めばやれる。大学で総長室の前に学生がすわり込んで動かぬ、警察へ総長が電話要請すると、すぐ警察が来てくれて、学生をつまみ出す、こんなことは前からやっておることなんです。特にそれをれいれいしく「要請する」とお書きになるのは、これは必要のないものについて法律をお作りになるのじゃなかろうかという疑問が起こるのですが、つらつら拝見いたすと、これは大いに実は必要がありそうなんです。政治的に漠としたことであって、都公安委員会を義務づけもしなければ、都公安委員会の自主性を奪うものでもない。形は今のように何ら無意味なようなことでございますが、実際は、こういうものが議長から要請されれば、これは普通、国会というものの力から申しましても、まあ命令くらいに……、そんな弱いものじゃない。法律的には無意味なものであるが、政治的には有意義なものである。これは法律と政治とのまさに使い分けであります。法律的には無意味な言葉を使って、政治的には非常に大きな力を発揮しようということでございます。近ごろ要請という言葉が、法律のあちこちに使われるようになりましたということは、あるいはまあ大体みな共通の基盤があるかもわかりませんが、いかがでございましょうか。私ども法律の支配ということを非常にやかましく言う。結局われわれの社会生活を支配するものは人間の主観的な意思じゃなく、法の客観的な論理が人間の社会生活を規律するものでなければならぬという意味で、法の支配ということがやかましくいわれておるのでありますが、こういう法律的にはまず無意味なような規定を作って、実はこれをまた政治的に大きくものを言わそうということは、これはまさに法の支配の逆をいくのじゃないか、法の支配というのじゃなくて、人間の支配というものにして、法の支配に逆行しようというものじゃないかと思いますので、これはもはや要らないようなことで、大学ですら電話一つかけたら警察は来る。いわんや国会から要請があれば、こんな規定がなくても、警察は、必要があれば来るのですから、ことさらにこういう規定を設けて、何か非常に含みのある政治的ねらいを発揮するということはいかがなものかと考えております。  それから、さらに第四条の二項、それから第五条の二項、これを私は第四点として申し上げさせていただきたいのでございます。この第五条の二項を見ますと、これは同じ要請の結果、警察官が動くことになっておりますが、これは確かに五条の一項とは違いまして、完全に東京都の公安条例におぶさっておるのじゃない。東京公安条例によって警察官に与えられたところの権限を、何らかの意味において補充しておる、拡大するという趣旨が現われておるのであります。これは明らかであると思う。東京都の公安条例が、すでに警官の制止ということについては、警職法五条における警察官の制止の範囲は越えております。東京都の公安条例がすでに現行の警職法を越えて、警察官の権能を振い得るようになっております。これは皆様御承知の通りで、くだくだ申し上げる必要はないわけであります。ところが、この第五条の二項に至りましては、さらに東京都の公安条例における制止の範囲を一そう越えておる。現行警職法五条、それからさらにこの東京都の公安条例におきましては、制止は、大体まさに行なわれんとする犯罪行為の制止でございます。この五条の二項を見ますと、そこにそういうものはちっとも書いてない、現行警職法において犯罪がまさに行なわれんとするときにこれを制止する、しかもその犯罪たるや、普通の犯罪じゃなくて、生命、身体及び財産上重大な損害を生ずる犯罪であると書いてある。ところが、東京都の公安条例の場合には、そういうものは落ちておる。どんな犯罪でも公安条例違反の犯罪に対して制止ができることになっている。さらに参加入に対しても制止ができる、参加入は公安条例では犯罪にならぬのですが、その参加入に対しても制止ができる。ところが、ただいまの法案の第五条の二項に至りましては、制止の対象について何ら規定がない。何らないというと言い過ぎでございますが、結局第二条からくるところの国会周辺静穏確保するというだけのことであります。これは静穏という言葉になって、静穏のためには警察官静穏を破壊するものを制止できる、犯罪であるといなとにかかわらず制止できるということでありまして、これは警職法改正案の第五条に、非常に有名な、われわれの記憶に新たなるところの、犯罪の制止にとどまらぬで、公共の安全及び秩序を破壊し、著しく乱すおそれがある場合において、急速を要するときには、その行為が犯罪になる行為であろうがなかろうが制止できるという、あの警職法五条がここに復活しておる、これは明らかで議論の余地はない。警職法改正の部分的復活でございます。  それから、最後に第五点として申し上げるのは、東京都の公安条例につきましては、よく御承知のように、合憲、違憲、裁判所の判断は、はなはだまちまちでございます。従いまして、もう間近に最高裁において口頭弁論を開いて、全公安条例について一括的の態度を決定しようとするまぎわでございます。裁判所の判断のまぎわでございます。このまぎわにおきまして、国会がこの東京都の公安条例前提となさる、あるいはこれに認可状を与えたところの法律をお作りになるということは、裁判所がまさに裁判をしようとしているそのやさきに国会で態度をおきめになることでございます。これはいろいろ議論の存するところがあるかと思いますが、私ども裁判に関係いたしている者から、見ますと、裁判所が確定判決をなす直前に、その具体的事件に非常に影響を及ぼすこと明らかなるものについては、これは裁判所の司法権の独立ということを確保し、裁判所が静かに事案を判断するということから見て、いかがなものであるかと考えるのでございます。つまり、本法案における静穏保持、つまり裁判所の判断における静穏保持ということが、司法権独立としてのために要請されているものと私ども考えるのでございます。裁判所の精神的環境の静穏の保持、その静かなる精神的環境が保持されることによって、裁判所が良心に従って自分の是なりとするところの裁判ができるわけでございますから、この際、国会が今すぐにこの立法をなさるということは、その事態からかんがみていかがかと存ずるのでございます。もちろん、最高裁ともあろうものが、国会がどうきめたってそんなことでどうもしやせぬという議論はおありになるでしょうけれども下級裁判所でございましたらいかがでございます。最高裁であるとか下級裁判所であるとかいうことは、事実の問題でございます。やはりそういう司法権の独立が乱されそうなものに対しては、そうしないということでございますから、私は最高裁であろうと下級裁判所であろうと変わりはないと思います。でございますから、この際御審議になっておきめになるのは、時期的にいかがかと思うのでございます。  最後に一言、最高裁がそういうことについてどういう申し出を国会にやったかということを読ましていただいて、私の公述を終わらせていただきます。  最高裁判所は、昭和二十九年の七月十九日、訴追委員会が、ある裁判官の訴訟指揮の態度を調査したことに対して、次のような申し入れを行なっております。これは最高裁の言葉でございます。「ことに、現に裁判所に係属している訴訟事件について、訴訟指摘に関する当否について貴委員会が訴追事由として調査されるがごときは、司法権の独立を侵害するおそれあるものと考える。」これは最高裁判所言葉でございます。御判断はしかるべくお願いいたしたいと思います。  これで私の公述を終わらせていただきます。   —————————————
  6. 高橋進太郎

    委員長高橋進太郎君) 次に東京学芸大学助教授野田福雄君お願いいたします。
  7. 野田福雄

    公述人(野田福雄君) 私、野田と申します。ただいま問題とされておりまする法案につきまして、大まかに次の五つの点にわたりまして、私の所見を述べさせていただきたいと思います。  この法案は、国会審議権確保のための秩序保持に関する法律案という名称をもって呼ばれているのでありまするけれども、その実質的内容を見まするならば、申し上げるまでもなく、憲法第二十一条及び十六条の内容にかかわることは明らかでございます。すなわち、国民の基本的人権を制限しようとする事柄にかかっているのであります。ところで、この法案が現に議院運営委員会に付託されておりまするけれども、今申しましたそのような内容に即して考えるといたしますれば、むしろ法務委員会において取り扱われるべき性質のものであることを十分に私どもは考慮する必要があると思うのであります。今日、この法案について各新聞紙は、その正式の名称にかかわらず、いわゆる国会周辺デモ規制法案と報道しているのでありまするが、このことは、端的に、その正式の名称にかかわらず、その法案の実体を最もよくもの語っておると私は考えるのであります。従いまして、この法案審議にあたりましては、国会の立場に偏することなく、いな、むしろその成立によって直接その規制を受けるべき国民の立場に立って、十分慎重に審議さるべきことであると私は信じておるのであります。  第二に、法案の内容そのものについて申し上げたいと存じます。その法案の実体からいたしますれば、とりわけ第四条と第五条にあると言ってよかろうかと存じます。そしてその内容の組み立ては、いわば二段がまえでございます。すなわち、議長要請と、その要請を受けた場合の措置いかんということに分けて書かれております。ところでまず第四条について見ますれば、その規定は、議長要請する権限を認めているにすぎないのでありまして、それ以上に何ら実質的権限を与えているものとは解釈され得ないのであります。むろん、この点では第五条との関連を見なければならないのであります。ところで、この第五条におきましては、第一項と第二項の末尾の規定の表現は、やや異なっておるのであります。すなわち第一項は「必要な措置を講ずるようにしなければならない。」と書いてあります。もし、それが「講じなければならない」の意味であるとするならば、第四条要請と矛盾してくることはおのずから明らかでありましょう。ところで、この提案者の趣旨説明によりますると、「要請があった場合でも、公安委員会や警視総監がいかなる措置をとるかは、もっぱら、その自主的決定にゆだねたのであります。」と説明されておりまするから、それは何ら義務づけるものでなく、従って、講ずることができる、という意味に近いものと解すべきでありましょう。従って、この法案の第五条第一項は、都の公安条例の第三条第三項、また法案の第五条第二項は、条例の第四条に全く照応するものと言って差しつかえないと思います。もし、そのように解釈すべきものであり、そこに何らの新たな義務づけを発生するものでなく、都公安委員会あるいは警視総監は、現行の公安条例に基づいて、従前通りその職権を行使するものであるならば、このような法案が単独立法の形をもって制定される理由及び根拠は、きわめて薄弱であると判断せざるを得ないのであります。この法案は、単に屋上屋を架するきらいがあります。今申したように、その性格がきわめてあいまい中途半端なものである限り、むしろ国会周辺秩序維持につきましては、都公安委員会及び警視総監を全幅に信頼して、この法案を無用ならしめることこそが、むしろ賢明な措置ではないかと私は考えておるのであります。さらに一歩譲って、議長要請の必要ありとするならば、そのためにはせいぜい国会法の一部改正をもって足りるものと考えておるのであります。  第三点は、さらにこまかく議長要請について述べさしていただきたいと思います。むろん、ただいま述べました見解とは別に、一たびこの法案が成立した場合、その実際的効果考えてみますると、正常な集団示威運動が不当に規制されるおそれはないかということでございます。そこで、まず議長要請が発動される条件いかんということを考えてみなければならぬと思います。第四条一項並びに二項において、ともに「国会議員登院国会審議権の公正な行使」という文言が用いられてあります。ところで、この二つの要素は常に不可分なものと解することはでき得ないのであります。そのことは、罰則規定第七条及び八条を読むならばおのずからうかがい知ることができると思われます。従って、その一方にかかわる条件が満たされた場合だけでも、その議長要請が行なわれることは考え得ることだと私は判断いたしております。なお、この点につきましては、国会審議権の公正な行使が妨げられた場合について、提案者から提出された資料がございます。それはデモ隊の国会構内侵入によって審議権が阻害された事例を示そうとされているものであります。その中でどういうことを申しているかと言いますると、委員会が三十分ないし一時間内外定刻よりおくれて開会されたということ、あるいはまた、委員会の開かれる数が平日よりも少ないということが言われておるのでありまするけれども、ここに示された資料はまことに、ずさん不十分なものでありまして、それだけではデモとの因果関係というものを論証することはでき得ないのでございます。最近の事情を私は存じませんけれども、私の昭和二十二年から二十五年ごろにかけてのわずかな経験によりますると、委員会のその程度のおくれは、むしろ通例であったと私は記憶しております。また、開会される委員会の数は、その日によってまちまちでありまして、いずれにしましても、この程度の資料によって審議権の公正な行使に著しく影響を与えるおそれとか、あるいはそれが阻害されるおそれとかいうふうに、そのことがその程度のものとして理解され、しかも、そのような解釈によりまして、一たび議長要請が発動せられ、その要請によって事実上、都公安委員会あるいは警視総監に心理的な圧力が加えられるとするならば、その結果はまことに寒心に堪えないものがあると信ずるのであります。およそ基本的人権を制限する場合には、いかに明確な基準を必要とされるかについては、ここに多く申し上げる必要はございません。また、疑義を残されている都公安条例との関係につきましては、先ほどの公述人からも御説明がありましたので、私は省略させていただきます。  第四点は、第七条及び八条の罰則規定でございますが、時間の関係上、この点につきましても外国の立法例に比較しましても、いずれも重きに失しているということだけを指摘さしていただきたいと思います。  第五に、私は法案の名称及び第一条の目的の中に示されておりまする国会審議権確保ということについて、静かに考えてみたいと思うのであります。私見によれば、それには二つの面があり、しかもその核心は、国会みずからの審議権の確立でなければならないと存じております。もう一つの面は、この法案に盛られましたように、国会周辺デモ規制ということでありまするが、それはあくまでも第二次的のものであり、その外部的条件を整えるにすぎないものと解すべきでありましょう。一見、自明のごとく考えられておりまする国会審議権確保について、この二つの面の比重を取り違えて考えるということがありとするならば、それはまことに重大であると思うのでございます。この点で、去る昭和三十三年の警職法審議の紛糾をめぐりまして、衆議院においてはいわゆる四者会談申し合せ事項というものがございました。私はこの際、これについて深く思いをいたしてみたいと思うのでございます。それは申し上げるまでもなく四項から成っておりまして、そのうちの三項は、議長の党籍離脱その他国会みずからの審議権の確立をうたい、最後の第四項におきまして集団要請行動の規制の慎重なる検討を申し合わせておるのであります。そうして、その附帯申し合せといたしまして、参議院——本院においてもそれに対してこの申し合わせに沿うように要望されておるのであります。参議院におきましても、この要望に対してことさらに異論があるとは私は考えられないのであります。もはや時間もありませんので、率直に申しますと、前記申し合わせに従い、国会みずからの審議権の確立が、その後徐々でありましても実効をおさめつつあるという姿が、国民の前に認められるとするならば、できるだけ避けるべき法的規制を待つまでもなく、私はそのことが必ずや国会外のいわゆる院外の大衆運動に対してよき影響力を及ぼすものであろうと、固く信じて疑わないのでございます。この点につきましては、特に党派を越えて、すべての党派に対して国民の一人として私は申し上げたいのであります。もし、難きを避けて安きにつこうとされ、申し合わせ事項の第四項のみを他の三項と切り離しまして、たまたま去る十一月二十七日のデモ事件をきっかけとしまして、このような法案の形をもって早々に提出されなければならないとしましたならば、国会審議権確保という美名にもかかわらず、公平の見地からいって、はなはだ片手落ちの感がいたします。ひいては、また国民の間に疑念と反感を招くのではなかろうかと憂慮にたえないのでございます。そうしてまた、そのような考え方に立つ限りにおきまして、第一条に言うごとくに、はたして国会の権威を保持する上に所期の効果をあげ得るかについて疑問なきを得ないのでございます。  以上申し上げました諸点を考慮いたしまするならば、かりにこの種の問題につきまして何らかの措置の必要があるといたしましても、それはせいぜい国会法あるいは議院規則の一部改正をもって足り、このような単独立法の必要を認めるわけには参りませんのでございます。  御清聴をわずらわしました。   —————————————
  8. 高橋進太郎

    委員長高橋進太郎君) 御質疑のある方は、順次お願いいたします。
  9. 占部秀男

    ○占部秀男君 ちょっと毛利先生に二、三疑点をお伺いしたい。  ただいま先生のお話、第一に都の公安条例との関係でありますが、私もまた同意見を持っておるのですけれども、さらにお伺いいたしたいことは、都の公安条例そのものは、先ほど先生の言われたような基準が明確でないということ、その他の三つの条件からして、違憲の判決が、下級裁判所であるけれどもおりておる。こういう事態の中で、それを前提として立法をする。この立法をするその立法手続そのものが、私は、国民の人権を侵害するおそれがある、しかも違憲の法的行為というものを行なっておる、こういうようなことに関連してくるのではないかと思うのでありますが、それは第一に、都の公安条例というものが違憲であるということが、最終の判決はなくとも、少なくとも日本の裁判所で決定しておるということ自体、もうすでに、法そのものは生きておっても、その法は不安定である。法の持つ性格からいって不安定である。その不安定であるということと、さらにまた、その法が違憲の判決を受けたという内容が、今言ったように憲法違反、明確な基準を持たないという、その二重の意味合いから、立法府そのものが非常に人権を侵すようなことになるのではないか、かように考えるのですが、その点が第一点であります。  それから第二点は、議長要請権の問題でございます。この要請権のうちで、実は先生の言われておるような言葉そのものではありませんけれども、言われておるような問題について、提案者にわれわれの方から質問をいたしましたときに、提案者の方は、私は法律的な解釈はともかくとして、社会的な通念に基づいて云々ということをしきりに言って、いわば社会的通念の上に隠れるような形を実はとっておると私たちは思っておるのですが、つまり法を立法する場合に、何と申しますか、法にはやはり法としての法的要件というものがあると思うのですが、そういうものを無視して、いわゆる社会的な通念というような形の説明が一体成り立つものかどうか、こういう点について非常に疑問を持っておるのです。その点が第二であります。  第三は、この法案の第五条第一項に「措置を講ずるようにしなければならない。」という言葉があるわけでありますが、どうもわれわれしろうとが考えますと、講ずるようにしなければならないのだから、従って、やっぱりしなければならないのである。(笑声)そうなると、これは義務づける方向を強くとっておる表現であると私は考えるのですが、提案者は、一切義務づけはしてないのだ、こういうことなんで、これは、してもよし、しなくてもいいということなんだ、こういうような話なんですが、一体、「講ずるようにしなけければならない」ということ、この文句のマジックのようなところに私は引っかかっているような気がしてどうにもならないのですが、そういう点は、一般に法曹界では法律的にどういうふうな解釈が行なわれておるのか。  一応その三点だけお伺いをしたい。
  10. 毛利与一

    公述人毛利与一君) 第一点の御質問でございますが、現に東京地裁におきまして、たしか、七つの東京公安条例違反に対する判決のうちで、四つまで違憲の判決をしておるということであります。あるいは一つぐらい違うかもわかりませんがそういう実情のもとに、まだ最高裁はもちろん結論は出ていませんが、あえて国会——これは最高裁が違憲であると言ったらおやめになると思うのですが——最高裁が違憲であるという判決をしておらぬじゃないかということで、押し切って立法をなさる。私は申し上げませんでしたけれども、お尋ね下さいましたから申し上げるのですが、私は、最高裁を御尊重下さいますことは大変けっこうでございますが、何だ、下級裁判所の判決じゃないか、そんなものはという態度が往々にして政治家方面から言われる。これは非常に遺憾なことです。最も露骨なものは砂川の判決です。何だ、下級裁の判決ではないか。慎重な方はおっしゃいませんが、往々にして意気込みの強い方は、そういうものは下級審の伊達君一個の意見じゃないかとおっしゃる。しかし私は、国家の裁判というものが確定すれば、これはもちろん国家の最終審になるわけです。しかし確定しなくても、一審の判決でも、これは裁判所自身独立して判決いたしておりまして、一個のりっぱな判決でございます。司法府の一審の判決であります。下級審の判決ぐらいとなめてかかると悪いのです。これは法秩序をやかましくおっしゃる政治家が、下級審などとおっしゃるのは非常に乱暴です。これは非常に不愉快でございます。私どもは何ともみな、実際不愉快でございます。伊達君が判決しましたときでも、あんなものは一審判決ではないかという態度は非常に不愉快でございます。でございますから、私は、一審の判決であると何たるとにかかわらず、国家憲法に認められた司法府の判決はこれは御尊重相なりたいと思います。そういうことにおきまして、私は東京都の公安条例について四つまで——これはいろいろ御議論は各自おありになるでしょう、公述人の間にも御議論がありますし、これは国民の間に、政党の間に御議論はおありでしょうが、それはいかに御議論がおありであろうが、裁判所の判決として客観的に尊重していただきたいと思います。そういう意味におきまして、東京都が四つまでの過半数、あるいは勘定の仕方が違っても、過半数に近く裁判所が違憲であると結論を出しておるものに、今それを国会の方で合憲なりという前提もとに、それに乗っかった立法をなさるということは、私はこれは、司法権を御尊重下さる、平素から法律秩序をやかましくおっしゃる政治家としては、これはお考えいただかなければならぬと思います。これが第一点でございます。  それから第二点を私、聞き落としましたが、社会的通念ということはどういう点についておっしゃっているのですか。
  11. 占部秀男

    ○占部秀男君 時間を節約するために飛ばしたものですから申しわけありません。  この要請権の内容の問題について、要請という言葉の問題が、性格の問題、それの持つ法的な効果の問題、こういう問題が論議の間で非常に繰り返されたのですね。その結果、まあわれわれの方の質問に対して、提案者は、結局、議長が出した要請というものについて、都の公安委員会なり警視総監はこれを取り上げてもよければ取り上げなくてもいい、あるいはまた、取り上げる場合にも、警視総監、公安委員会の独自の責任においてどの程度、取り上げるかは自主的に勝手である。こういうような要請権ならば、さっき先生の言われたように、ただ請い求めて、せがむだけのことである、ただ通告して、やってくれというだけの話であるから、そういうふうなものは、あってもなくても、現在の国会法でもできるではないか。従って、この要請権が法的にはどういう性格、どういう根拠、どういうような効果を持つのかと、こういうことを言ったときに、提案者はそれに対して、法的にはとにかくとして、社会通念的には、議長要請権だから、やはり公安委員会なり、あるいは警視総監が特に重大に思ってやってくれるであろう、そういう期待を持ってこの法律立法したのだと、こういうことを言っておるのですね。そういうような社会通念というような解釈の仕方で、一体こういう問題を説明し尽くされるものであるかどうか、こういう問題なんですがね。今までのいろんな法律の中で……。
  12. 毛利与一

    公述人毛利与一君) わかりました。お答えさしていただきますが、要請という言葉は、私、先ほども申し上げさしていただきましたように、従来なかった言葉であります。しかも、やたらに——やたらにでもございませんが、ちょいちょい要請という言葉法律の中に使われる。そのときには、すでに法律的にはほとんど無意味に近い言葉で、要請権などと下に権という字をつけてみても、これは相手を拘束するものでも何でもありません。ある政治的な力関係が基礎にありまして、それに対してものを頼むときに、あるいは頼む形において命令する、あるいは命令以上の効果を発生するというときに要請というのですから、法律的にはほとんど無意味に近い言葉でございます。背後の大きな力関係を予想して、法律にあらずして力にものをいわすというのが要請という言葉になるのじゃないかと思うのです。安保条約アメリカ軍出動要請するとか、あるいは自衛隊出動要請するとかいうときに、みなそういう要請に応ずるだけの——要請というと法律的に弱いのですが、そういう法律的なものじゃない——背後に力の強調関係があって、それによって口火を切るというようなものが要請という言葉で呼ばれておるのであって、これは法律概念でも何でもない。要請という言葉を織り込んで法律を作るということは、法律の形において政治的規範を設定しているものであって、政治法というものであると思うのです。こういうものがやたらに行なわれるようになりましたら、これは法というものの支配じゃない、法という名のもとにはできますが、その背後は何か、政治的な力にものを言わす、要するに力を法の形において示すだけのものでありますから、法の客観的論理がわれわれの社会的生活を支配するものではなくて、政治的意思が支配するものである、私は、こう考えております。これは法の安定ということと逆にいくと私は考えております。これからさきも、要請というような言葉を使った法令というものは、ないに越したことはないのですが、なるべく少なくしなければいかぬものであると、私はかように考えております。  それから、第五条の一項の「必要な措置を講ずるようにしなければならない。」、これは、私はやはり仰せの通り義務づけはしておらぬと先ほど申しましたのですが、義務づけはしておらぬ。要請なさる議長に対する義務づけはないわけです、法律上の義務として。政治的にはそれより大きいものがあるということは申し上げるまでもありませんが、法律上の義務というものはないわけです、議長に対して。ですから「ずるようにしなければならない。」ということは、議長に対する関係において義務づけはいたしておらない。しかし、「ようにしなければならない。」というのですから、これは議長の方向に向かった義務づけじゃございませんが、都の公安委員会というものが自分の系統においての自分の系統に対する責務づけです。これは、法律言葉で区別していいますと、責務づけをしているわけで、これは明白なんです。これは何も義務づけしておらぬと書くわけにいかぬのですから……。義務づけはしておらぬ。外の議長に対して義務づけはしておらぬ。自分の命令系統、自分の系統、これは警察系統です。都の公安委員会が、どこからどういうようにどうなっておるか私、詳しく知りませんが、その行政系統ですね、その警察行政の系統において、都公安委員会がその責務というものをそこでつけられておることは間違いありません。責務づけ。ですから、こういう言葉がある以上、実際よほどの、何か独自の判断で、もし都公安委員会議長要請あるのに取り消さなかった、あるいは集会を取り消さなかった、あるいは条件を変更しなかったというようなことがありましたら、これは将来、職務の不適当な執行の問題、違法ということはないわけでしょうけれども、不当なる職務執行の問題として、これは審査を受けなければならぬ。場合によったら国会でもお呼びになって、国会の例の国政調査権でお調べになっても、これは非常に間違った職務の執行の材料になることは間違いない。そういう意味において、一つの規範であることは間違いない。ですからこれは、責務としての規範であって、義務じゃない。自分の系統に対する責務づけである、これは間違いないと思っておるのでございます。
  13. 占部秀男

    ○占部秀男君 そこで、今、先生の言われた最後の責務づけの問題なんですが、われわれの方も、そういうようなことが議長自身の問題じゃなくて、対国民的に、あるいは公安委員会、あるいは警視総監に対して、現行法の範囲を越えたような何らかの新しい義務づけ、そういうようなものも結局は出てくるんじゃないかと、まあこういうことを言ったのですが、今の先生のお話では、責務づけということを申されました。そうすると、その責務づけというのは、やはりこの議長要請権によって、国会の自律権の範囲外であるところの警察行政の責任者なり何なりが、あるいはまた、警察行政の権力作用——警察作用でもいいんですが、そういうものがやはりやらなければならないような——この法がない場合よりは、この法ができた後の方がやらなければならないように責任を負わされていくと、こういうことに解釈してよろしゅうございますか。
  14. 毛利与一

    公述人毛利与一君) それは法律上、当然そうなります。政治上はなりません。法律上、責務づけるということになると思います。
  15. 占部秀男

    ○占部秀男君 ありがとうございました。
  16. 向井長年

    ○向井長年君 私は北岡先生にちょっと御質問したいと思うのですが、その前に、先ほどから諸先生の御意見を伺っておりますと、特に毛利先生は純法理論からいろいろ指摘されておると思いますし、なおまた、野田先生も、国民の立場に立ち、基本的人権というところから、法理論と現実面をあわせての御意見が述べられたと思います。北岡先生は、ただ先般十一月二十七日に行なわれたあのデモ乱入事件を中心にした常識論でいろいろとお話があったように伺うのです。そういう立場からちょっとお伺いいたしますが、特に今度出されましたこの法案は、いわゆる公安条例なり、あるいはまた現行法規、こういう形においていろいろな取り締まりの法があるわけでございます。毛利先生は、この法案の中においてはそれ以外のものが各所に現われておる、こういう意見を聞きました。こういう点について、公安条例基礎として、この法案によって議長要請なり、あるいはその罰則なり、こういうことがきめられておる、こうお考えになられておるのか、この点ちょっとお伺いします。
  17. 北岡寿逸

    公述人北岡寿逸君) 今は毛利さんのお話のように聞いたのですが、ちょっと私、今の最後の質問は毛利さんへの質問と伺っていたものですから……。
  18. 向井長年

    ○向井長年君 もう一回申し上げます。  先ほど先生からの御意見でありますと、この法律は、実になまやさしい法律であるが、国会機能を守るためには最低限必要である、こういうことを言われたと思うのですが、そういう中から考えまして、この法案の全般については、これは都公安条例、あるいは現行法規、こういう範囲内において行なわれる法律である、こう解釈されておるのか。毛利先生はちょっと違うのです。それ以上にまだ大きな効果を持っておる、こう言われるわけですが、この点、お聞きしたいのです。
  19. 北岡寿逸

    公述人北岡寿逸君) その点につきましては、少なくとも五条の二項というのは、現行の警職法よりは大きな権限を与えておると思います。私は一昨年の警職法の百分の一か千分の一ぐらい復活されたと思うのです。ごく常識的なことかもしれませんが、現在の警職法におきましては、たびたび毛利さんからおっしゃったように、犯罪がまさに行なわれる、しかも生命、財産に影響があるというときでなければ制止ができないのです。そのときには、すでに何千何万の人間が集まったときには、どうにもできない。機関銃でもぶっばなさなければどうにもできない。そういうことはできませんから、結局制止ができない。この五条の二項でございますというと、警視総監は必要な限度において行動を制止できるのですから、そこで一昨年の警職法のほんのちょっとした——この国会周辺という限定におきまして行なわれる。警職法の私は百分の一の復活を言っておるのです。警職法改正案の百分の一の復活だと思うのです。現行法よりは越えておると思います。
  20. 向井長年

    ○向井長年君 現在は、先生は五条の二項のみは、これは公安条例以外の、現行法規以外の別な法律効果があるということを言われるわけですね。
  21. 北岡寿逸

    公述人北岡寿逸君) 四条の二項も、やはり多少現行法よりはちょっと強い権限を警視総監に与えておると思います。
  22. 向井長年

    ○向井長年君 結局今言われておることは、先ほど毛利先生が言われたことと同じ解釈をされておるわけですか。
  23. 北岡寿逸

    公述人北岡寿逸君) そうですね。
  24. 向井長年

    ○向井長年君 それじゃ提案者の趣旨とは——提案者のことは御承知かどうかと思いますが——違うわけですね。提案者は、ただ要請の問題を中心にされて言われておるわけですが、そういうことと違うわけですね。
  25. 北岡寿逸

    公述人北岡寿逸君) 私は提案理由を読んでおりません。読んでおりませんが、もしそんなものならば、現在の警職法より一歩も権限を与えていないものならば、こんな法律は無用だと思うのです。
  26. 向井長年

    ○向井長年君 よくわかりました。そういうことで今明確になったのですが、実は提案者は、議長要請ということを中心に言われておりまして、先生方の御意見をここで新しくはお聞きしたわけですが、北岡先生も、これは公安条例とか現行法規以上のものであるということを認められておるわけでございますので、よくわかったわけでございます。
  27. 椿繁夫

    ○椿繁夫君 この機会に北岡先生にお尋ねをいたしますが、ただいまの問題に関連して、議長には御承知の通り院内警察権というものがございます。その議長警察権範囲は、まだ議会でも最終確定はいたしておりませんけれども、大体そこの門の柵内ということに常識上考えられております。今度のこの法律は、議長警察権の及ばない範囲集団示威運動等の規制をはかっておるのであります。で、議長警察権の及ばない範囲といいますことは、地方団体である東京都の固有の事務によって警察する地域だと、こう私ども考えておるのであります。で、ありますから、先生は、この法律は、議長警察権の及ばない範囲——限られてはおりますけれども——地域の東京都の固有事務としての警察力を強化するものであるというふうにお考えになりますかどうか。  それからもう一つは、議長警察権は門の柵内ということに確定したものといたしまして、東京公安委員会、警視総監に対してこれは要請する権限を与えておるのでありますから、この権限を国会法あるいは本院規則等の改正の中に議長要請権というものを織り込むことが適当であるとお考えになりますか。それとも、これは東京都の固有の事務に属する地域の警察行動を、要請によって規制するものであるから、これは純粋の治安立法として考えるべきものであるかどうか。この二点について先生の御所見を伺いたいのであります。  それからもう一つは、法律憲法範囲内において作られなければならぬ、国会もまた憲法を忠実に順守しなければならぬことは言うまでもございませんが、地方自治法第十四条におきましても、条例制定権、条例を作ります場合には、法律あるいは政令等の範囲内において、違反しない限度においてこれを作るということをきめておるのでありますが、今回のように東京公安条例にこの法律の主要なる部分をおんぶしておる立法、これがあとになっておるのであります。私は寡聞にして、条例を根拠に、条例を中心にして法律ができるという例を知らぬのでありますが、先ほどからの先生のお話、大へん博学でございますから、世界にそういう例がございますか。地方団体の作る条例に大部分の重みをかけた法律があとにできるというような例があれば、先生に一つ教えていただきたいと思うのであります。東京都の公安条例が改廃されまする場合に、この法律が大部分にわたってその効力を失うことは、これは言うまでもございません。そういうこと等もお考えの上、先生の御所見を伺いたいと思うのであります。  それから野田先生にちょっと伺いたいのでありますが、こういう国民の基本的権利というものを著しく制限をするような立法をする場合、合理的にしてかつ具体的な、議員登院が阻害された、あるいは審議権が著しく妨害されたというふうな事実がなければならぬことは、これは言うまでもないのでありますが、ごらんいただいておりますような出されております資料、これは二十五年三月、二十六年十一月、二十七年四月にも、国会の構内に多数の陳情団が入ってきたことがあるのですけれども、このときには問題になりませんでした。今回この法案を衆議院の議員立法の形で提案されております主要な要因となりましたものは、昨年の十一月二十七日のデモ事件ではないかと私ども思うのであります。これは前に三回も例があって問題とならず、今回特にこれが問題となったのはいかがなものでございましょうか。  それから、この資料の中で書いております昨年十一月二十七日の御承知の例のベトナム賠償の問題について、国民の間に相当大きな批判が起こりまして、それで当日の朝六時十五分に、衆議院は、たくさんの会期が残っておりますのに、徹夜国会をやりまして、当時の自民党のほとんど単独審議の形でこの法案の制定を見ました経過がございますために、この日は本会議も、ほとんど委員会もなかったのであります。これは両院を通じまして……。例外はございます、ここにもあげてございますように、衆議院の農林・社労・商工連合審査会は四時五十分に、委員長代理の田口長治郎君が、「外部が騒然としておりますから、ちょっと相談する意味において、暫時休憩いたします。」と、こう宣言をして、再開するに至らなかったと説明されておるのでありますが、私が当日の衆議院の委員会の速記録を調べてみますと、最後に質問をしておりますのは、社会党の五島虎雄君でございまして、五島君の要求されておりました熊本県の水俣病対策に関連して、財政上の対策として大蔵省の関係官、厚生省の関係官の出席を要求しておりましたが、出席をしておりませんために、当日出席をされておる人にのみ質問をすることしかできなかった、そういうなにがございますために、ほとんど委員会というものは再開の必要がなかったやに、速記録を拝見いたしますと、なっておるのです。
  28. 高橋進太郎

    委員長高橋進太郎君) ちょっと申し上げます。椿君、公述人に対する質問は簡単にお願いします。時間がありませんから。
  29. 椿繁夫

    ○椿繁夫君 そういう経過があったのです。私はそういうことが、本法を出してきて唯一の審議権の妨害の事実とされております理由が、薄弱であると思っておるのでありますが、この程度のことで基本的な人権を著しく制限するような法律というものは、一体妥当なものであろうかということを、もう一度先生のお立場で御所見を承りたい。
  30. 北岡寿逸

    公述人北岡寿逸君) 私の意見で申し上げましたように、今、日本にはとにかく民主主義の最高の殿堂でありますところの国会を、これを集団暴力によって麻痺させようという組織があるのです。それは膨大な組織で、豊かな金を持っているのです。そういうものが計画的にこの国会麻痺させようと思っている、そういうときに、国会はこれに対する防衛の措置を講じないということは、私から申せば、民主主義の自殺じゃないかと思っている。従ってこの法案というものは非常になまぬるく、気がねし過ぎておりますので……。そういうような国会機能麻痺させるということは、正面から禁じたらいいと思うのですが、しかしこれは私の立法論でございまして、この案としましては、まあ非常に気がねしいしい、ちょっぴりと措置をしておる。そして今後質問のございました現在の議長警察権も、警察官職務執行法ですか、あの範囲でございますから、非常に弱いものです。これをまた院外に拡大しましても、警察官の現在の見解だけではこれは防止できない。先ほど申し上げましたように、数千、数万の人間が集まって防止できない。さあこれからやろうと思ったときに防止しようとしても、そんなものは防止できない、そういうものでは国会麻痺集団暴力は防止できませんから、私はやはり少し権限を拡大する必要がある。そうしてみますると、五条の二項がちょっぴり権限を拡大するようでございますから、これでいささか防止ができるかなと、こう思っておるのでございます。従って、これは東京都の警視総監の現在持っておりまする固有の権利にちょっと、おんぶしているのじゃなしに、加えている、これが意味があると思うのです、私は。だから、あなたが大部分を地方の方におんぶしているとおっしゃいましたが、私は、そうじゃないので、五条の二項というものがありまするから、まあおんぶじゃない。で、この東京都の公安条例憲法違反で廃案になりましても、これは生きてりっぱな意味があると思うのです。要請権を認めた、こんなものは、私は毛利さんもおっしゃったように大した意味もないので、電話一本でできるだろうと思うのです。こういうことを書いた精神的の意味はございましょうが、法律的には大した権限がない。まあ私は五条の二項、これだけがまあまあこの法律で意味があるものだと思っております。それで、外国の立法例、私は浅学でございまするし、そう世界中の法律を知っていませんから、そんなものがあるかどうか知りませんが、まあ広い世界ですから……(笑声)大体こうやって悪いということは一つもないのですからね。
  31. 野田福雄

    公述人(野田福雄君) ただいま御質問の趣旨は二点ありまして、第一点は、これまで同様な事例があるにもかかわらず、十一月二十七日のこの事件に至ってなぜかような法律案を提出しなければならなくなったかということであります。  第二点は、その当日の状況から推して、この程度のことで、はたしてこの基本的人権を制限するようなそういう理由が成り立つだろうか、こういうことであったと承っております。  むろんこの二つは関連しておりますので、まとめてお答えしたいと思います。先にもちょっと私、指摘いたしたのでございますが、この法案全体を通じまして「国会議員登院国会審議権の公正な行使」と書かれております。この国会議員登院が阻害されれば、それは論理上、必然的に審議権の行使ができなくなる、すなわちその場合は一つ考えられますが、ここではその登院いかんということにかかわりなく、国会審議権の公正な行使が阻害されるおそれがあるかどうか、こういうことがもう一つ問題になっておる。まさにその事例が、先ほどもちょっと触れましたように、ここに配付されました資料にはっきりと出ているわけです。そこで、多少まあ重復し、かつ補足する程度にすぎませんけれども、ここに示されておる程度では、その具体的内容は、先ほど申し上げましたように委員会が定刻からおくれて開会されたという単なる時間の程度、それから委員会の定数、その程度のことが、はたしてその当日のデモにもっぱらよる結果であるかどうかという、この証明には何らならない。もう少し、少なくともその当日と、その事件のあった月全体を含めた統計なりを示されなければ、とうていそれは納得できません。また、先ほどの質問者が申されましたように、十一月二十七日当日の状況が事実その通りであるとするなら、これを制限する理由はきわめて薄弱であると言わなければならないのであります。このことは、第三点のところで補足させていただきますると、たとえば公安条例の判例の、例の新潟県の許可制の公安条例の場合に、最高裁の最終判決が出ていることは御承知の通りであります。正確には記憶しておりませんけれども、その前段の一般の規定のところで、いかなる場合にこの基本的な自由権が制限できるかという基準について、特定の場所あるいは方法について合理的かつ明確な基準が示されなければならぬ、こういうことをはっきり言っているわけであります。その後のいわゆる新潟の公安条例そのものに対する適用において誤っておった。誤っておったというのは、合憲であるということについて疑義がある。これは御承知のように少数意見として藤田裁判官の反対意見がございました。その反対意見を受けて、むしろ昭和三十三年の例の東京都の蒲田事件において、先ほど申しました新潟の公安条例については合憲を出したその最高裁の前段の論旨を受けて、違憲の判例を出しておるわけであります。そのときにも同じように、ここに資料に示されたような、はなはだあいまいもこたる基準ではなくして、明確かつ合理的な基準がなければならぬ、こう申しておりますし、アメリカの場合におきましても、例のホームズ判事の名言とされておりますように、明白かつ現存の危険がなければいけない、こういうことに、もうすでにそれこそ社会的通念として通っておるわけであります。そういう立場からいたしますれば、先に私が指摘いたしましたように、また今、椿委員から当日の模様が報告されたように、その程度のことであれば、決してそれは制限を許さるべきものでないと私は信じておるのでございます。
  32. 加賀山之雄

    ○加賀山之雄君 本日は諸先生にそれぞれ専門的なお立場からいい御意見を伺わせていただいて、大へんありがたいと思います。一々ごもっともに伺うわけでございますが、今度こういう法律がこういうふうにして衆議院の方から回って参りました動機と申しますかに、なったものは、これは衆議院における自民・社会両党の申し合わせであり、その事柄に属すると思いますが、先ほど御説のありましたように、何と申しましても、やはり昨年の十一月二十七日のあの事件の当時、これはどうしても放っておけない事態であるという観点で、こういうことを二度と再び繰り返さないように、これはわれわれ議員はもちろんでございますが、国民のほとんどの者も、今日といえども考えているところではないかと思うのでございまして、そういうことを契機としていろいろ立案者において考えた末に本院に持ってこられたものと、私は了解をいたしておったのでございます。今日、日がたちましたので、あのときの印象はかなり薄れて参っておりますけれども、先ほど北岡先生から言われたように、あの時の事態を想起いたしますと、これは私どもとして、何とかこの議院の権威と申しますか、審議権確保するためには、これは放っておけない、捨てておけない、黙視できない問題である、何か方法手段を講ずべきである、これはもう当時から議員たる者は全員あげての私は考えであったろうと信じております。そこで法理論からいろいろうかがい、毛利先生、野田先生、それぞれ法理論あるいは国民の基本的人権の立場からいろいろのお話がございまして、これはもうほんとうに大へんわれわれ参考になり、ありがたいと思うのでございますが、そこで私は、簡単にこの法律について三先生が、北岡先生は、この法律はなまぬるい、しかし、ないよりは、これはあった方がいいというような御意見のように伺いますし、毛利、野田先生は、これはむしろ有害無益、あるいは法理的に非常に疑問があるというように述べられましたが、これではなまぬるいと言われる北岡先生、それではこの目的を達するためにさらによい方法があるかどうか、もっとよい方法として、こういうことをすればもっと徹底し、りっぱなものになるということがあれば、お考えを伺わしていただきたいと思います。それから毛利、野田先生のお二人は、法理的にこの法律は疑問があるから、この法律は作るべきでないという御意見のように伺われるのでございますが、それはなくてもいいのだという御意見も伺ったのでございます。警視総監や東京都の公安委員会をもっと信頼したらいいじゃないかというふうに毛利先生は言われましたが、われわれはもちろん信頼しておるのでございます。しかし、当時、情勢判断に基づいて、警視庁では一生懸命こういう不祥の事態を起こさないように努力をしたようでございますが、国民の請願権、憲法上の権利を振り回されて、これをどうしても防ぎとめることができなかったというように、本委員会においても警視総監が述べておるのでございまして、これは、私は真実であろう思うのであります。しかも、国会のごく近辺において、両側をプラスすれば、数百名の負傷者を出し、重傷者も非常に多く上ったのでございまして、こういう事態は、どうしてもわれわれは二度と起こしたくない、こういう強い気持を持っておりますが、今のままで、こういうことが二度と起こらないから、この法律は要らぬのだという御論議であるのか、何か別の方途があるじゃないかという御意見、また何かやるべきであるというような御意見であるか、伺いたいと思います。  それから、野田先生の御意見の中に、衆議院におけるこの申し合わせの中で、ほかのことはちっともやっていないで、このことだけ取り上げたのは片手落ちで、まず議員自体、議院内でお前らしっかりもっとやらなければ問題にならぬじゃないか。これも、まことに私どもはごもっともだと思うでありまして、もちろん、国会審議権確保は、われわれ議員の最大の任務でございますから、一生懸命これは最善を尽くさなければならぬのでございますが、それだけで私は、はたして今の情勢下において、ああいったことが二度と再び起こらない保障があるかどうか、こういう点について非常に心配をするものでございますから、三先生から、ごく簡単でいいのでございますが、御所見を承らしていただきたいと思います。
  33. 北岡寿逸

    公述人北岡寿逸君) こういうような不祥事を根本的に防止する方法としましては、私は意見を三段に分けて申し上げますと、第一段といたしましては、私は、現在の日本におきまして、民主主義とか自由主義とかいう名を使いますが、実は、民主主義というものを根本的に破壊して独裁政治を作ろうとか、日本の独立とか自由というものを根本的に破壊して、日本をソ連、中共の衛星国にしようとか、そういった勢力そのものを打破しなければいかぬと思うのですが、そこまで言っても脱線しますから、それはよしますが、第二段としましては、日本の現在の警察権というものが弱過ぎる。たびたび申しましたように、集団暴力に対しましては防止の方法がないのです。だから、私は、一昨年出されました警職法を再提出するならいいと思う。そうすれば、これは議会だけではなしに、全国にわたりまして、集団暴力による社会秩序の紊乱というものを防止できると思うのです。それが第二の意見です。第三段としまして、議会周辺云々ということになりますれば、私は、やはり英米独仏にありますように、この議会周辺におきまして明らかに議会機能麻痺せしめるといったような集団暴力は、これを禁止するという法を作っていく、その禁止を実行するために必要な権限は、これは警視総監に与えなければならぬと、こう思うのです。しかしまあ、たびたび申しますように、五条二項が、ちょっぴりでございますが、それを与えておるものと私は解釈するものでありますから、この法律は意味があると思う。  それから、ちょっと申しまするが、先ほど四条の二項につきましては、ちょっとあいまいなことを申し上げたのですが、実は私は浅学でございまして、東京都の公安条例というものが、この警察の持っておるところの警察法上の権利を強化した、あれを越えて大きな権限を与えておるものかどうか、私は確信がないのです。もしそれが、東京都の公安条例の第四条というものが現在の警職法の権限を越えた権限を与えておるものといたしまするならば、この四条の二項も意味がある。そうじゃない、やはり現行警職法範囲を越えないものといたしまするならば、五条の二項だけが意味があるので、先ほど申しましたように、警職法改正を、百分の一ですか、千分の一ですか、復活したような意味があると思う。私の意見は、それだけであります。
  34. 毛利与一

    公述人毛利与一君) ごく簡単に申し上げます。  前公述人の御指摘のように、五条の二項が法律的に意味のある規定であると思います。しかして五条の二項は、改正警職法案の五条の復活でございます。これは、まさに警職法改正の企てでございます。でございますから、あれだけやかましかった警職法でございますから、何かこの法律に新味がないようなことはおっしゃらずに、これは明らかに警職法改正につながるものであるということを明らかにされて、御審議を願い、また世論に聞いていただきたいと、こう思うのでございます。  私といたしまして、これは私個人のことでございますが、昨年起りました事態、私は新聞で見た以外は存じませんですが、とにかくいずれにいたしましても、警察権を強化することによって問題を解決しようという根本的態度は、私の人生観の問題かもわかりませんが、私は賛成できないのであります。  また、将来国会の不祥事が二度と起こるか起こらぬかというようなことは、これは国会の方で御研究になることで、また政治学者などの問題で、私ども法律家が口に出す点ではございませんので、申し上げないことにいたします。
  35. 野田福雄

    公述人(野田福雄君) むろん私も、十一月二十七日のごとき不祥事が繰り返されることがあってはならぬことは、深く考えておるわけであります。さきにも申しましたように、その点で率直に申しまして、ああいう際に国会議院の登院が阻害されるというようなことは、この場合について申せば、先ほど申しましたかなり明確かつ合理的な基準が出てくる公算は大きいと思いますので、この点の措置は、このような法案とは別個な形において処置されてもよいのではないかと思うわけです。そういう意味で、私は前にも、一般的に国会法あるいは議院規則改正をもって足るというような表現をとりました。これまで問題となりませんでしたけれども、六条の請願、陳情、この点につきましては、今申したような改正によって十分であると考えておるわけです。  それから第二の点で、国会みずからが審議権確保する、そうすればこれまで心配したような事態は、はたして起こらないだろうかということの御質問のように承っております。これはまあ多分に見解の相違という言葉が出てくるかと思いますけれども、そういう基本的な考え方は、なるほど現在の国会周辺デモの主体をなすものはいうまでもなく労組がこの中心であります。その労働組合運動をここ数年来見ておりますると、あるいは政治的な偏向に陥り、あるいはまた過激な行動形態をとることがあったということは、これは否定し得ないのでありますけれども、しかしながら、漸次それはいわゆる民主的労働組合運動のあり方というものが進展するにつれて、正常化の方向に私は向かっておるというふうに考えておるわけでございます。そしてまた今後の見通しにおきましても、その傾向はむしろさらに一そう助長されるものだと私は信じておるわけであります。  なお最後につけ足したいことは、なぜにああいう集団示威運動なるものが、ややもすれば過激な行動形態をとるかということについてでございますが、これはいわゆる国会内部の審議権の確立ということに関連があると考えておりまするように、今日の事態において政党が十分に国民の世論を吸い上げるパイプの役割を果たしておりませんので、そういうところにも少くとも一半の原因はあると考えておりますから、単に法的な規制によってのみそのような弊害を除去するという考え方には、どうしても私は同調できないのでございます。  以上簡単ですが……。
  36. 亀田得治

    ○亀田得治君 時間がないようですから、私、簡単に三点ばかりお尋ねをしたいと思います。  最初に毛利先生にお願いしたいわけですが、先生は、平生から大へん現行法の解釈等に詳しい方でありますからお聞きするわけですが、この法律の第六条、第七条、ここには、この法律の対象として「集団示威運動等」、こういう用語を使っております。で、この用語の定義は、第四条の初めの方に定義を下しております。そこで、この用語は、各種の公安条例においても使われておる用語でありますが、その公安条例におきましては、たとえば遠足、修学旅行、こういったようなものがこの「集団示威運動等」には入らないと、こういう点を明記しておるわけです。これはどこの公安条例でもそういうふうにやっております。そこで、これは法律の体裁としてお聞きしておるわけですが、そういう明記がない以上は、言葉そのものの解釈としては、この第六条や第七条の対象の中にも修学旅行、遠足などのごときも入ると、普通の法律の解釈としては……。まあ提案者の気持はこれは別にいたしましょう。そういうふうに解釈がされそうなんですが、その点についての考え方をお聞きしたいと思います。  それから第二点は、いろいろなほかの点については各質問者から出ましたから重複しないようにいたしますが、これは毛利先生並びに野田先生にも御見解をお聞きしたいのですが、現在の日本条例によっての集団示威運動などに対する規制の仕方、このことについても私、大きな疑問を持っておるわけです。旧憲法二十九条においてすら、法律によってそういう基本的人権は制限していたのだ。もちろん戦前にはこの法律がずいぶん乱暴に作られていったわけですが、それは別として、ともかく制度としては、基本的人権を制限する場合にも法律でやるのだというくらいに書いておるのに、この新憲法下において、基本的人権というものが旧憲法以上に守られていく立場で作られているのに、条例でもって各府県、市町村等が勝手に法を作っていっておる。こういう事態ですね。これは占領当時のいろいろな事情等もあることはもちろん私は知っておるわけですが、法律の体系として、こういうことで一体筋が通るのかどうか。地方自治法の御指摘は先ほど毛利先生からございましたが、十四条を見ましても、日本における条例の地位というものは法律以下、法律だけではなくて、各種の政令あるいは総理府令、省令、これ以下のものである。非常に地方の自治等が発達しておる諸外国の都市などにおける条例とはだいぶ性格が違う。そういうものによって——もちろん憲法には、条例によってそういうものを制限してはいかぬということは書いておりませんが、私は、ここに根本的に現在の体系の矛盾があるというふうに考えておるわけです。こういう点についての一つ気持、考え方を、お二人の方にお願いをいたします。  最後に北岡さんに一点お伺いしたいのですが、先生のお話を聞いておりますと、非常に革新的なことがおきらいのようです。ともかく現在の秩序を大いに守っていこう、こういうことに非常に急なようでございますが、そういう一般論は別として、私はこの本件に関連をしておる東京都の条例に関する裁判、これが東京地裁で先ほど毛利さんからも御指摘のあったような状態になり、この四月中旬以降、最高裁で論議される、こういうことになっておる段階です。あなたが現行秩序というものの尊重を盛んに言われる気持はわかるのですが、それならば、現在の政治的な秩序だけではなしに、やはり司法制度、こういう点もちゃんと尊重されていかなければ、私は首尾一貫しないと思う。そうしなければ、あなたの見解というものは、多少こう偏しておるのではないかという印象を与えるわけです。そういう点から見て、最高裁が新潟条例についてああいう合憲の判決をしながらも、東京地裁におきましては、その最高裁の判決前提として——決して東京地裁判決は最高裁の判決を否認しておるのではありません。その通りだ。そういう趣旨に立ちながらも——なおかつ内容的に検討すると違憲と言わざるを得ないと。これは私は常識的にそういう経過をたどりながらも、なおかつ東京地裁の裁判官が四つまで違憲の判決を出しておる。その事実というものは非常に尊重してもらわなければならぬと思うのです。その判決についての賛成、反対は別にしましょう。あなたから先ほどその点についての若干の見解の表明はありましたが、賛成、反対は別にいたしまして、ともかくそういう経過をたどって、それでは東京都の条例についての司法部としての最終的の見解を一つ早急に出していこう、こういう態勢になっておるときに、急いでこういう法律案を一方で作って、それが合法かどうかということじゃなしに、司法権の立場を尊重していくという点からいったら、私は、ほかの考慮を別にすれば、やはり十分それは考えるべきことではないか。そんなことを無視して、あなたはどんどんやっていいというふうな考え方ではおそらくなかろうと思うのですが、その辺のところを一ぺんお考えをお聞きしたいと思うのです。
  37. 毛利与一

    公述人毛利与一君) お答えいたします。  第一のお尋ねをいただいたことでございますが、法案の第四条には「集団示威運動等」という言葉で、屋外集会集団行進集団示威運動の三つを包括して言っておるわけでございますし、そしてそのことは、法案のずっとあとの五条、六条、七条、八条にかかっておるわけでございますが、お説のように都の公安条例にも「学生、生徒その他の遠足、修学旅行、体育、競技。通常の冠婚葬祭等慣例による行事」というものに対しては、これは取り除いておるわけでございますが、この法案には何らそういう留保条項がないわけでございます。そういたしますると、これは立法者の意思がどうであろうと、法というものは一たび公布されました以上は、法としての客観的存在を持つわけでございます。法が客観的存在を持つということになれば、その日本語として持っている客観的な意味が、法でありますから、その客観的意味の中に除外例が見つけ出せないということでありましたならば、その通常の、公安条例に含まれておるところの除外事項、すなわち学生、生徒その他の遠足、修学旅行とかあるいは冠婚葬祭、そういうものを一切これは包含されるということに解釈上なると思います。また、そうなると学者が苦心して、それはどういう違いであるか、それは解釈のいろいろの議論にまたなるでしょうが、少くとも国会でお作りになるときには、大へん簡単でございますが、これをまた解釈でいろいろ議論するということは非常なめんどうな議論になると思います。これは当然一方においてかようなものは除外するということは明らかにされなければならない性質のものであると、こう考えます。  その次のお尋ねの点でございますが、条例をもって、一般に警職法なんかであれほどやかましい言葉の規定の仕方ということはどう具体性を持たすかということについて、非常にやかましく国会で知能をしぼって論議なさっているような、そういう問題について、条例で規定すること、まあ条例は、府県はもちろん市町村に至るまで条例をきめることはできるわけですから、——村会ではやらぬかもしれませんが、そういうことが論議されるということは、私は、これはそういうことを申し上げてはお叱りを受けるかもしれませんが、とても国会審議力には及ばない。国会警察権の限界というものについて、非常に基本的人権との関係について精密に御審議に相なる、知能を集めて御審議に相なるのも、そういうものについて、その範囲内ならともかく、それを越えて、条例という名において新たにこの規定をする、公安条例という名において警察権の限界を広めるということは、これは非常に問題であるという前に、許されてはならぬことである。許されておるのですが、許されておるというか放任されておるのですが、これは許されてはならぬことであると私は思うのでございます。ただいまお話のように、明治憲法すら、法律をもってしなければ、言論、集会、結社の自由は制限できなかった。今これを条例をもってするというわけでございます。これは実に明治憲法にかんがみましても本末転倒であると存じます。  そこで今度は法律論でございますが、条例というものはもちろんこれは旧憲法のときは、法律には違反できないけれども、命令には違反してもかまわぬ、抵触してもかまわぬというような議論があったようでございますが、現在は地方自治法にはっきりと、法令に違反しない限りにおいて条例を制定することができるとあって、「法令」となっておるのでございますから、もう先ほどお言葉にありましたように、総理府令、政令、省令その他一切の国の法令には違反できないのでございます。ですから、それだけ法令については、むしろ旧憲法時代よりもきびしくワクがはまっておるわけでございます。にもかかわりませず、条例をもって警察権を拡張するということは、これは許されないことであると考えております。これは私一個の見解じゃございませんので、今の地方自治法条例に対して、これは旧憲法時代にはなかったのでございますが、二年以下の懲役、十万円以下の罰金というような相当大きな刑罰を条例に課することをきめておるということは、これは非常に議論になると思う。で、法の明文がなくても、条例というものが地方自治体の法規であるということから、当然に条例において規定し得べき事項というものは、法律の明文はなくても、地方自治というものの、自治体の本質、機能その他にかんがみて、当然にこれは制約があるということは、これは私一個の見解じゃなく、学者も大体そういうのが通説じゃないかと私は考えておるわけでございます。でございますから、先ほども申しますように、非常なやかましい警察権の限界について、村会や——まあ村会はやめておきますが、市会や町会あたりで勝手に条例という名でその限界を広めるというようなことは、これは審議能力から言ってもなんでございますが、法律議論立法範囲の問題として許されないところであると考えるのでございます。現に非常に広範な、二年以下の懲役、十万円以下の罰金ということの、地方自治法地方団体に対して授権をいたしますについて、学者は、さような大きな刑罰を作るということにおいて、まず市会や町会が審議能力がない、非常に不明確な法律を作るということをまずあげておりますし、それから、そういうものに対して、一体、公布の方法国家法律は官報というものでちゃんと公布いたしますが、地方自治体はどんなにして刑罰法令を公知しておるか、周知徹底するということについても全く明らかにする方法がない場合が往々にしてある。そういう方法が、公知もされない法律が勝手に適用されるというようなことではたまらないという点。それから、少くとも府県なんかと市町村の間には区別して、府県においては相当高度の懲役刑、罰金刑を課することができても、これは市町村なんかの場合にはぐっとしぼるべきであるというような論をいたしておるように記憶いたしておるのであります、そういう点から見まして、私は、一番基本的人権にかかわりのあるこの警察権の限界を条例の名において広めるということは、占領当時からの一つの、占領軍において命ぜられた一つの慣行、風習と申しますか、何か法律上の風習のようなことになってしまっているのでありますが、もう一ぺんこの辺できっちりこれが批判されて、そういう放任しない、条例において勝手にそういうことをきめることは放任しないという態度を国会でとっていただきたい、こういうのであります。
  38. 高橋進太郎

    委員長高橋進太郎君) 公述人に申し上げますが、時間の都合もございますので、質問に対して結論だけお述べ願いたいと思います。
  39. 野田福雄

    公述人(野田福雄君) 私はそういうこまかい点につきましてあまり専門的な知識を持っておりませんので、ただごく簡単にお答えいたします。要するに、条例法律との関係でございまするが、地方自治法第十四条にむろん規定がございますけれども、より一そう地方自治法を規定した憲法九十四条に、「法律範囲内で条例を制定することができる。」というふうに規定されておるわけであります。ただいま前公述人地方公共団体の実情に応じていろいろお述べになりましたが、私は、条例は、地方自治の建前に立つ限りにおいて、その住民の直接選挙にかかわる議会が議決決定いたすものでありまするから、その法の効力そのものにおいては、法律と直接優位下位という関係は生じないのではないかと考えております。むろん法律範囲内で、すなわち法律に反してはいけないということではございますが、私はそのように解釈しております。従いまして、原理的に申しますと、その特殊な地方公共団体の状況に応じて、先ほど来申し上げました十三条とのかね合いで明確かつ合理的な基準がはっきりしておれば、それはあながち憲法上許されないことではない、こういうふうに解釈いたしております。
  40. 北岡寿逸

    公述人北岡寿逸君) ただいま私のことを革新ぎらいとか、何でもかでも現状維持を欲するということをおっしゃいましたが、これはとんでもない間違いでございまして、私は決して革新ぎらいでも何でもない。暴力革命がいかぬといっておるのであります。それからまた現状維持ではございませんが、民主主義の根本であるところの議会機能麻痺するようなことは防がなければならぬと言っておるのでありまして、決して革新ぎらいでも現状維持でもないのでございますから、誤解のないように願いたいと思います。同様の見地から、この司法制度につきましては、私はただいまおっしゃられましたように、下級裁判の判決を十分に尊重したいのでございまするが、ここで現在の日本憲法の批評まで言ってはいけませんが、アメリカ日本を恐れ憎み、日本の権力というものを何とかしなければならぬと考えた時代にあれができて、これを民衆の名において日本の国権を弱体化するということに力を注いで、かつまた法律の条文も不備です。現在日本の学界並びに官界におきまして、まあ簡単に言えば、暴力革命と相通ずるところのマルキストが非常に多い。これは終戦直後、占領軍が学界や官界にアルキストを入れてしまって、そうして治外法権みたいになって政府も手が出ない。法曹界にも司法省内部にも相当多数の共産党がおるのですから、そういう事態もございまするから、どうも下級の裁判官の判決の上には穏やかでないものがある。特に公安条例に対する判決なんか読みますと、意見としては尊重できますけれども、とにかく基本人権に対する制限について、ほんのわずかな意見の違いで、基本人権に対する制限が広すぎるとして無効としている、ゆえにいかぬと、ですから、どうもこういうものに対しましては、私は十分に尊重できないので、現在の日本のこの制度としましては、それが最終判決でないので、最高裁の判決を待って確定するということになっていますから、この現在の日本法律秩序を尊重して、やはり最高裁できめるまではこれは違憲の判決は確定しないものである、そう考えるのが妥当であると思っております。
  41. 亀田得治

    ○亀田得治君 再質問はやりませんけれども、はなはだ一方的です。
  42. 高橋進太郎

    委員長高橋進太郎君) ちょっと、安田君に申し上げますが、時間の都合で午後も再開いたしますから、公述人に対する質問は簡単に願います。
  43. 安田敏雄

    ○安田敏雄君 簡単にいたします。実はこれまでの国会審議の中では、この法案が治安関係の法案であるかないかということが論議の対象になっておる。そこで、ただいま三先生の御見解を聞きますというと、北岡先生は、むしろこの法案はなまぬるい、しかしながら、警職法の百分の一ぐらいの復活である、こういうことを言っている。また次に毛利先生は、議長要請ということは、必ずしも義務づけるものではないが、公安委員会に新たな責務を生じさせるものである、また警職法改正に通ずるものである、こういうように仰せられております。また野田先生は冒頭において、これは憲法十六条、二十一条の内容に関係があるし、新聞社でも明らかにこれはデモ規制法と銘を打って報道しておるのを見ても、この法案の内容、性格が明らかになっておるということを申しておられましたが、以上の見解に立って、率直に、この法案が治安関係の法案であるかどうかということを、一つ明確にお示し願いたい。
  44. 毛利与一

    公述人毛利与一君) 治安という用語の問題でございますが、東京公安条例が治安立法であるならば、それに全部、ほとんど全部のっかっていますね。この法案は、これは私は治安立法と通常の用語において用いていいのじゃないかと思います。治安立法でないというなら苦心せんならんと思いますが、治安立法であるというなら何の御説明も要らないと思います。
  45. 野田福雄

    公述人(野田福雄君) 簡単に申し上げます。先ほど申しましたように、その正式の名称にかかわらず、そう私は思っております。
  46. 北岡寿逸

    公述人北岡寿逸君) 一条二条の条文を見てもわかりますように、明白な治安立法だと思います。
  47. 後藤義隆

    ○後藤義隆君 毛利先生にごく簡単にお伺いいたします。先ほど先生のお話の中で、この法案東京都の公安条例前提としておるものであるから、もし最高裁において違憲の判決が出た場合には、立法土台がなくなる、基礎を失ってしまうものである、こういうようなお話があったのであります。それは、この法律案の全部についてそうお考えになるのでしょうか、この法律案の何条がそういうような基礎を失うというようなふうにお考えになるのでしょうか。それからまた、東京都の公安条例前提として出しておるものであるから違憲だという御趣旨でしょうか、違憲だという御趣旨でないのでしょうか、その点もお伺いします。  それから十一月二十七日の国会周辺デモ事件を先生は好ましいことだと考えておりましょうか、好ましくないことだと考えておりましょうか。好ましくないとお考えになれば、一体どうしてこれを防止するかということについて、先生の御意見を伺いたいと思います。  それから、下級裁判所の判決に対して異議があって、控訴上告中の場合に、下級裁判所の判決はやはりこれは尊重しなければならないという御趣旨のお話があったが、これは国民全部が尊重しなければならないというわけですか。それとも政府だけが尊重しなければならないというわけであるか。あるいは当事者だけがこれを尊重しなければならないというわけであるか。先生は現在弁護士であられますから、下級裁判所の事件に対して不服があって、控訴上告をすることは、例がたくさんあるわけでございます。そういうときに、当事者が、あるいは民事事件の代理人の弁護が、下級裁判所の判決を現在の状況は尊重しておるかどうか。こういうような点についてもお伺いいたします。  なお国会周辺の一定区域を限りましてデモ禁止法律を作ることは違憲だとお考えになっておりましょうか。違憲ではないというふうにお考えになりましょうか。一定の区域を区切ってです。  もう一つは、私たちは、憲法で保障される基本的人権は、たとえ少しといえどもこれは法律ないしは条例制限することは許されないものだ。従って、本件の法律案にいたしましても、その他の法律にいたしましても、もう憲法が国民に保障する一切の自由というものは制限しないということを前提にして法律を私どもは制定しなければならないということを考えております。が、しかし条例あるいは法律で幾らかでもこれを制限することができるというふうにお考えになっておりますか。それともただ全くできないということをお考えになっておりますか。その点をお伺いしたい。  なお野田先生にお伺いいたしますが、野田先生は先ほど、この法律案が、これは議院運営委員会審議すべきものでなしに、法務委員会において審議すべきものであるのだというお話があったのであります。ところが先ほどからいろいろ伺ってみますと、この法律案が治安立法だというようなふうなお話もあって、主として警察に関する事項が多いのでありまするが、そうすると、議会の内部においてはこれは地方行政委員会審議すべきものだというふうな意見もあるのでありまするが、あなたからは、これは法務委員会審議すべきものだというふうに御意見をさっき伺ったのであります。従って、法務委員会の取り扱うべき権限なりそういうようなものはどの範囲のものであるかということを、もちろん法務委員会にもこれは関連はあります。この罰則の点で関連はありますが、ここで法務委員会において審議すべきものの範囲を先生にお伺い申し上げたいと思います。  それから、先ほど先生の御意見の中に、四者会談の中の申し合わせの中に、議長の党籍の離脱その他というものが行なわれて、それはやはり参議院においてもそれをされることが好ましいことだ、これが議会の正常化の一つの点だというふうに申されたのであります。ところが現在衆議院において議長も副議長も離脱をしておらないわけでありますが、現在の衆議院の姿を好ましいことだとお考えになりますか。絶対にいけないことだというふうにお考えになりますか。  なお野田先生にやはり重ねてお伺いいたしますが、これはやはり私は、憲法で保障される基本的人権は、たとえ少しといえども、かりに、ほんのささいな部分といえども法律ないしは条例でこれを制限するということは、私は絶対許されないものだというふうに考えております。先生はこの点についてどういうふうにお考えでしょうか。その点も伺いたいと思います。
  48. 毛利与一

    公述人毛利与一君) 最初に私にお尋ね下さいましたうち、あとは筆記いたしましたが、初めの二つをちょっともう一ぺん題目だけおっしゃっていただけませんか。
  49. 後藤義隆

    ○後藤義隆君 この法律案東京都の公安条例前提としておるものであるから……。
  50. 毛利与一

    公述人毛利与一君) わかりました。二番目は何でございますか。
  51. 後藤義隆

    ○後藤義隆君 この法律案東京都の公安条例前提としておるものであるということによって、本法律案はこれは違憲であるかどうか、憲法違反であるかどうかという点についてお伺いいたします。
  52. 毛利与一

    公述人毛利与一君) 第一番のお尋ねでございますが、この違憲判決が出ましたならば、違憲判決法律上の効力範囲についてはむずかしい問題がございますが、これはおそらく最高裁の違憲判決が出ましたら、国会の方で御尊重に相なって、それに適した態度をおとりになると思います。結局この法律案は大部分その基礎を失なうのじゃないかと思いますが、そこで、そういうような場合に、現在東京地裁が違憲という判決を出しておる、それについて立法するのは、これはそのこと自体が違憲かどうかという御質問であったと思います。私は、そのこと自体は別に、東京地裁が違憲だといっておるのに、国会がその法案を合憲であるという前提法案を出したから、それはそのこと自体が違憲であるということは、私は申せないと思います。妥当であるかどうかの問題は別でございます。違憲であるということは言えないと思います。  それから、お前は昨年起こった国会のあれを好ましいと思うかどうかというお尋ねでございますが、これは私個人のことでございますが、とにかく私どもは、昨年起こった現状なるものを新聞紙で見ておる以外に私は詳しい事実を存じません。従って、それを好ましいのか、好ましくないのかということを非常に的確に言うことは差し控えたいのでありますが、それはやはり好ましくないものであると言って差しつかえなかろうと思います。  それからお前は弁護士であって、下級裁判所の判決があっても不服ならば控訴するじゃないか。控訴するのは判決が有効であると認めたから控訴するのです。控訴も何もしなければ判決を踏みにじることになる。控訴ということは、有効な判決であるから、それに不服であるから控訴する。控訴するということは下級審の判決を尊重しておるという態度であります。  それから、デモを何でも禁止することは違憲か。そんなことはございません。それは明白な現在の危険ということに具体化されてやるということは、これは今日だれしも異存のないところであります。  さらに最後のお尋ねでございますが、最後のお尋ねは、基本的人権は制限できるのかどうか、何らできぬというのか。——こんなことはここで簡単にお答えできることではございませんが、もう皆さんよく御承知の通りであります。内在的制約のあるものがあるということは、これはほとんどだれも異存はない。何らかの内在的制約があるということですね。  以上でございます。
  53. 後藤義隆

    ○後藤義隆君 今の点でちょっと先生にお伺いいたしますが、私の先ほど伺いましたのは、この法律案東京都の公安条例前提としておるものであるから、もしこれが最高裁に行って違憲となった場合に、この法律案土台を失う、基礎を失うものだというふうなお話があったから、それは法律案の全体について基礎を失うものかどうか。それともこの法律案のうちの何条が基礎を失って、有効な部分がたくさんあるかどうか、それを知りたいということと、もう一つは、東京地裁の違憲の判決があるのにもかかわらずこの法律を作るのは違憲であるかどうかということでなしに、公安条例前提としてこの法律案を作ることは違憲とお考えになっておられるかどうか、この二つです。
  54. 毛利与一

    公述人毛利与一君) 公安条例前提として法律を作ることが違憲かどうかは、それが直ちに違憲であると私は言えないと思いますが、非常に珍しいことであるということを申し上げます。  それからもう一つ、それは五条の二項、それは一応論理的には残ると思いますが、しかし五条の二項だけ残っても、それだけで動き出すものかどうか、きわめて疑問でございます。そうして七条、八条の罰則規定もおそらくはこれは残らぬと思います。そうしますと、五条の二項が論理的に残るというだけで、それだけで一体それが残る価値があって、ひとりで独存することができるかどうか、独走することができるかどうかということは、非常に疑問でございます。
  55. 野田福雄

    公述人(野田福雄君) 簡単にお答えいたします。この法案がどの委員会に付託されるかどうかということは、これはむろん国会がおきめになることでございまして、ただ私は、その性格かり見て法務委員会で取り扱うべき性質のものである、こう申し上げます。なるほど御指摘のように、地方行政委員会ということも考えられますが、かりにそこに付託されましても、それは地方公共団体の組織運営に関するようなことを審議されるのではなくて、すなわち公安条例に関して付託されるということになれば、それはさらに基本的に申せば人権の問題でございますから、やはり法務委員会ということになるものだと私は考えております。しかし、さればといって、関連はありますから、そのあとの取り扱いは、適宜、連合審査会なり何なりを開かれたらいいのだろう、こう考えております。  それから第二の点は、議長の党籍離脱の問題ですが、この法案にも示されておりますが、「もって国会の権威の保持に遺憾なきを期することを目的とする」、こういうようなことが考えられているならば、まさにその点からも、私は、ここ数年来の動きを見ておりますことからしても、議長の党籍離脱は望ましいことであろう、こう考えているものであります。  第三点は、むろん絶対に制限できないとは考えておりません。これは前々からお答えした中でおのずから明らかだと思っております。
  56. 高橋進太郎

    委員長高橋進太郎君) 皆さんにお諮りいたしますが、一時に午後の部の公述人をお招きしているのであります。従って、午前中につきましてはこの程度にして、しかし御発言の方もあり、あるいはまた御発言に対して公述人から的確な御答弁もなかったやに見受けられる方もございますので、これらにつきましては、書類その他によりまして公述人から御回答いただくことにして、午前の部はこの程度にしていただきたいと思いますが、いかがでございましょうか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  57. 高橋進太郎

    委員長高橋進太郎君) それでは午前の部はこの程度にいたします。公述人方々には、長時間にわたり該博な御意見をお述べいただきまして、本委員会審議に多大の参考になりましたことを、ここに重ねて御礼を申し上げます。  それではこれにて暫時休憩いたします。午後は一時半から再開いたします。    午後一時四分休憩    —————・—————    午後一時五十九分開会
  58. 高橋進太郎

    委員長高橋進太郎君) これより議院運営委員会公聴会を再開いたします。  本公聴会の問題は、国会審議権確保のための秩序保持に関する法律案についてであります。  議事に入る前に、私から一言ごあいさつを申し上げます。公述人各位におかれましては、御多用中のところ、本委員会のために貴重なるお時間をおさきいただきまして、ありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。特に、午前中の議事都合上、午後の再開がおくれまして、大へんお待たせしたことをおわび申し上げます。  これより公述人方々から御意見をお述べ願うのでございますが、時間の都合等もございますので、御意見はお一人二十分以内においてお述べ瀬いたいと存じます。なお、本院規則により、公述人の発言は、問題の範囲をこえてならないことになっておりますし、また、公述人委員に質疑ができないことになっておりますので、あらかじめお含みの上、御発言下さるようお願いいたします。次に、議事の進め方についてでございますが、午前と同様、最初に公述人方々から順次御意見をお述べいただき、その終了後、公述人に対する各委員の御質疑を一括してお願いすることにいたします。  それでは、まず京都大学教授杉村敏正君にお願いいたします。
  59. 杉村敏正

    公述人(杉村敏正君) この法律案意見を三点に分けて申し上げます。  第一点は、この法律案が、東京都の集会集団行進及び集団示威運動に関する条例の存在を前提としている点についてであります。この法律案が、東京都の公安条例の存在を前提としていることは言うまでもありません。東京都の区域内におきます集会集団行進及び集団示威運動の規制を東京都の自治事務とし、これにつきまして許可制を定めております東京公安委員会が存在します以上は、国会議事堂周辺道路におきます屋外集会集団行進または集団示威運動を現在の時点におきまして規制するにあたりましては、右の東京公安条例の存在を前提とすることはやむを得ないと思います。しかし、国会議事堂周辺道路におきます集団示威運動などの規制にあたりまして、右の東京公安条例の存在を前提とせざるを得ないと、こう申しますのは、右の規制を現在の時点においてするということを前提とするわけでありまして、周知のように、東京公安条例は、昭和三十三年五月六日、同年八月二十九日、昭和三十四年八月八日、同年十月十三日に、繰り返し東京地方裁判所によって違憲判決を下されております。東京公安条例の合憲性、違憲性の審議は、目下最高裁判所において行なわれておりますが、近い将来において、その合憲性、違憲性についての最高裁判所判決が下されるはずであります。この時期に、このような東京公安条例の存在を前提として、今緊急に恒久的な立法をするということが妥当であるか否かは、大いに疑問であると思います。なお、私個人の意見といたしましては、東京公安条例を違憲と考えますから、その点からして、この法律案は問題がありますが、この法律案は右に述べましたように、都の公安条例の存在を前提として作られておりますから、この法律案についての公述の必要上、東京公安条例の存在を前提として論議することにいたします。  第二点は、この法律案の第四条及び第五条の規定についての意見であります。これを二つに分けまして、まず第四条第一項及び第五条第一項の規定について申し上げます。  この法律案の第五条第一項の規定が注意的に規定しますまでもなく、東京公安委員会は、みずからその職権を行使し得るわけでありますから、都の公安委員会は、この法律案の第四条第一項及び第五条第一項の規定がなくとも、東京公安条例第三条第三項の規定によりまして、その「公共安寧を保持するため緊急の必要があると明らかに認められるに至ったときは、その許可を取り消し又は条件を変更することができる」わけであります。従って、この法律案の第五条にいいます「必要な措置」、すなわち許可の取り消し、または許可条件の変更は、一定の要件を具備する場合には、東京公安条例によってもなし得るわけであります。従って、この法律案の第四条第一項及び第五条第一項の規定を設けることによりまして達しようとします目的は、右の東京公安条例第三条第三項による許可の取り消しまたは条件の変更の要件を緩和するものであります。すなわち、「公共安寧を保持するため緊急の必要があると明らかに認められるに至ったとき」という要件を、「国会議員登院国会審議権の公正な行使に著しく影響を与えるおそれがあると認められ場合」という要件にゆるめること、ここに目的があると思います。そこで、この点について考えてみますと、第一に、この法案の第四条第一項及び第五条第一項の規定によります規制の対象は、屋内集会が除かれている点、及び国会議事堂周辺道路における集団示威運動に限られている点において、東京公安条例における場合よりも、方法的及び場所的に限定されております。また第二に、国会議員登院国会審議権の公正な行使が確保される必要があるということも認めます。また第三に、集団示威運動などは、一般的に申しますれば、国会議事堂周辺道路において行なわれなくても、その目的を達し得るということも認めます。また第四に、この法律案の第四条第一項にいいます「国会議員登院国会審議権の公正な行使」という概念は、東京公安条例第三条第三項にいいます「公共安寧」という概念よりも明確であることは認めます。しかし、両議院の議長による許可の取り消しまたは条件の変更の要請、従ってまた都の公安委員会の講ずるようにしなければならぬ必要な措置の要件としての「国会議員登院国会審議権の公正な行使に著しく影響を与えるおそれがあると認められる場合」という規定は、集団示威運動などの規制の基準としては妥当ではないと思います。この点につきましては、いわゆる明白な危険の存在を要件とすべきであると思います。その理由は、「おそれ」という概念は、単なる可能性または万一の可能性と解釈される危険があるからです。  次に、この第四条第二項及び第五条第二項について申し上げます。この場合に、この法律案によりますと、「集団示威運動等が行われ、又はまさに行われようとする場合において、」というふうになっておりますから、これを二つに分けて考えてみたいと思います。  まず第一に、国会議事堂周辺道路におきまして、集団示威運動などが現実に行なわれている場合であって、しかもその行為によって、「国会議員登院国会審議権の公正な行使が著しく阻害され、又は阻害されるおそれがあると認められる場合」について考えてみます。これは第五条第二項が規定するまでもなく、警察官はみずからその職権を行使し得るわけでありますから、現に行なわれている国会議事堂周辺道路におきます集団示威運動などが、東京公安条例上、違法であれば、右の場合は警視総監は、同条例の第四条によりまして「公共秩序を保持するため」右の集団示威運動などを制止することができます。従って、国会議事堂周辺道路において集団示威運動などが現に行なわれている場合におきましては、この法律案四条第二項及び第五条第二項の規定を設けることによりまして達しようとします目的は、国会議事堂周辺道路において現に行なわれている、東京公安条例上適法な集団示威運動などが、国会議員登院国会審議権の公正な行使を著しく阻害し、または阻害するおそれがあると認められる場合に、これを制止するために必要な措置を要請する権限を両議院の議長に付与し、その要請により、広く警察官に必要な限度において集団示威運動などを制止する権限を付与することにあります。申すまでもなく、この点は、第四条の第一項、第五条の第一項がもっぱら東京都の公安条例によって与えられた許可またはその他条件の変更の要求を緩和するのに対しまして、この五条の二項は、今申しました場合には、ある権限を新設する規定であります。  そこで第二に、国会議事堂周辺道路におきまして集団示威運動などが、法案のいいます「まさに行われようとする場合」であって、その行為により国会議員登院国会審議権の公正な行使が著しく阻害されるおそれがあると認められる場合について考えてみます。この場合には、国会議事堂周辺道路におきます集団示威運動などが東京公安条例上適法であろうと、またはそれが無許可許可申請書記載事項違反、許可条件違反のために東京公安条例上違法であろうとも、いまだ行なわれていないのでありますから、東京公安条例四条の規定による警視総監の警告、制止の権限は行ない得ないわけであります。また東京公安条例五条は、違法な集団示威運動などの主催、指導または扇動を犯罪とするにすぎませんから、警察官は関係者に警告を発し得ますが、その集団示威運動などにつき制止し得ますのは、その主催者、指導者または扇動者の行為でありまして、かつ「その行為により人の生命若しくは身体に危険が及び、又は財産に重大な損害を受ける虞があって、急を要する場合」、これに限られます。従って、この法律案の第四条第二項及び第五条第二項の規定を設けますことによって達しようとします目的は、国会議事堂周辺道路においてまさに行なわれようとする集団示威運動などが、国会議員登院国会審議権の公正な行使を著しく阻害するおそれがあると認められる場合に、それが東京公安条例上適法であると違法であるとを問わず、事前にこれを制止することにあります。その意味では、この点も同様にある権限を新設しております。  そこで、これらの点を考えてみますと、すでにこの法律案の第四条第二項及び第五条第三項の規定について述べましたと同じ趣旨におきまして、いわゆる「明白な危険」の存在を、両議院議長要請、従ってまた、警察官の警告または制止の要件とすべきである、こう思われます。  次は第三点であります。国会が国権の最高機関であることは、憲法第四十一条に明らかに定められておりますところであって、言うまでもありません。また憲法の前文は、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し」と、こう定めておりますから、国会が権威を有し、国会の権威の保持に遺憾なきを期するということも当然であろうと思います。しかし、憲法前文には、国会の権威も国民に由来すると定めております。国会の権威も、国政を信託した、——この意味では自主的な自律的な人間としての国民各個人の持つ権威に由来するわけであります。集会集団行進または集団示威運動などの自由は、憲法二十一条に規定する表現の自由に属します。基本的人権の一つである表現の自由、従って、集団示威運動などの自由も、それが基本的人権として認められた本来の目的を逸脱し、たとえば、国会議員登院国会審議権の公正な行使を阻害する目的のために行なわれれば、それはむしろ自由の乱用になり、またその本来の目的のために行なわれるものでありましても、他の者の基本的人権との衝突の調整のために、事物の性質上、一定の制限を受けることがあり得ることも認めます。従って、国会議員登院国会審議権の公正な行使を阻害すること自体を目的とする集団示威運動などや、これを目的としないが、なお国会議員登院国会審議権の公正な行使を阻害する結果を生ずる集団示威運動がしばしば行なわれるという事態であれば、この法律案の定めるような規制措置をとることも必要になるかもしれません。しかし、今回問題になっているこの法律案が提案されました直接の動機であると思われます昭和三十四年十一月二十七日の事件は、次期戦闘機機種の決定や、ベトナム賠償についての国民の疑惑と、現在最も重要な日米安保条約改定についての国民の不満が現われたものであって、国会の構内への乱入事件と言いましても、その背後には同一目的集団示威運動などに参加した数百万の国民の声があった事実を忘れることはできません。この意味では、この事件はきわめて例外であると、こう思います。このほかには、昭和二十五年三月九日、二十六年十一月一日、二十七年四月十八日の事件があったにすぎません。  そこで、右の事実、また民主主義の筋道からすれば、本来、直接民主制が本筋であり、代議制はやむを得ない制度であるにすぎないこと、従って、国民の集会集団行進集団示威運動など思想の表現の機会が可能な限り存すべきこと、東京公安委員会による公安条例の解釈が、たとえば「公共の場所」の解釈に見られるように、きわめて恣意的であるように、治安関係の立法は恣意的または政治警察的に執行される傾向が見られることからしますと、現在の状況におきましては、こり法律案立法化することに問題があると思います。まして、いわんや、さきに申しましたように、この法律案前提にします東京公安条例が私の判断では違憲であると思いますし、またその合憲性、違憲性はいまだ最高裁判所によって判決されておりませんから、その存在を前提とするといたしましても、現在、その判決を待たずにこの法律案を恒久的に立法化することは、まさしく、かえって法律の権威にかかわることだろうと、こう思います。また、さきに申し上げましたように、この法律案には、事前抑制の理論からみまして当然な「明白かつ現在の危険」の原則の採用がなされておりません。  以上が私の意見でございます。   —————————————
  60. 高橋進太郎

    委員長高橋進太郎君) それでは、前東京弁護士会会長菅原裕君にお願いいたします。
  61. 菅原裕

    公述人(菅原裕君) あらかじめお断わり申し上げておきたいのでありますが、新聞によりますと、私は自民党の御推薦ということに相なっているようであります。しかしながら、はたして自民党の御期待に沿い得るかどうか、疑いなきを得ないのであります。と申しまするのは、私は、本案でお扱いになっているような国会秩序保持に関する問題は、英米ないし西独で採用いたしておりまするように、あらかじめ一定の地域を限定いたしまして、それに対するところの集団行動禁止をするというふうに法制化すべきではないかということを確信いたしているものであります。従いまして、本案の内容のごときは、私といたしましては、はなはだ不満足に思う次第であります。それならば、この案に反対かということになりますれば、そうではないのであります。事、国会秩序安寧に関する問題は、いかなる程度の問題といえども、これをすみやかに制定をするということが目下の情勢としても非常に必要な問題であると考えるのでありまするから、本案がすみやかに成立することを念願いたしているものの一人でございます。  申し上げるまでもなく、法治国におきまして、国会の尊厳くらい大切なものはないと思うのであります。これは、機械にたとえれば心棒のようなもので、これを中心にして国家は回転するのであります。これを人間の身体で申しますならば、心臓か頭脳と同じ働きを持つものであります。これが外部の勢力によって制限を受ける、あるいは活動を中止するというようなことに相なったならば、もはや、そこに国家活動は存在しないのでありまして、法治国でもなければ、いわんや民主国でもないのであります。これは国家としては、何よりもまず第一番目に、この国会審議の完全にできるように秩序保持考えるべきものであると思うのであります。あたかも人間の身体におきまして、心臓は肋骨によって守られております。また頭脳は頭蓋骨によって守られているのであります。この国会秩序を守っていくためには、こうしたりっぱな建物の設備そのほかの施設が必要でありますと同様に、それを守る、運営していくところの一つのルール、取り締まり規則のようなものが厳然として存在しなければならぬのであります。今まで、たびたび国会秩序が脅かされることがあったにもかかわらず、なおこうした立法が企てられなかったということには、いろいろ原因があるだろうと思うのでありまするけれども、要は、敗戦後、占領統治を受けまして、その占領軍が非常な行き過ぎの結果、国防も治安も根本から破壊をされ、そうして、絵にかいた、きれいな花のような一つの基本的人権なるものを見せびらかして、お前たちはこれをながめて楽しんでおればいいんだというような指導を受けたのであります。従いまして、日本人は、あたかも天国か極楽にでも生存しているような感じをもって、この基本的人権をまっこうに振りかざして、あとはどうなるというようなことに深く思いをしてみなかったのであります。それが、この卑屈なる生活が惰性になって、立法の上においても、つい長いものには巻かれろ、あきらめたがよろしいというようなことが、自然に行なわれてきたのではないかと思うのであります。これではいけないという場合には、どうしたかというと、いわゆる地方公安条例によって間に合わせ的な一時的な方便が講ぜられたのあります。しかるに、昨年の十一月二十七日のような問題が起こりますと、もう処置ができない。数万の大衆が国会を包囲するということになったならば、これはもう中へ入ることは必然であるということは何人も疑わないのであります。そうすれば、これに対するところの対策はあらかじめ講じておかなければならぬのであります。まあ、全学連に対する批判もありまするけれども、昔、白河上皇が、山法師と、賀茂川の水と、すごろくのさいは、ままにならぬと仰せられた。岸さんあたりが、今は全学連と台風とあるいは宝くじはままにならぬと言われたかどうかは私は存じませんけれども、しかしながら全学連の問題は、これは実にけがの功名で、まあ大事にはなったのでありますけれども国家としてはさしたる大きな被害も与えないで、それが縁になって本案立法が企てられたということは、まさに、けがの功名であると私は考えるのであります。  時勢の進運に伴いまして、大衆行動というものがますます活発に相なるのであります。今後は十万、二十万の大衆が動員されて一つの指令もとに動くとか、あるいは群衆心理によって脱線をするとかいうようなことは、必ず起こることを予想しなければならないと思うのであります。従って、防御方法も今までのように院内の警察だけにたよることなくして、院外に一歩出て、そうしてこの大衆をどういうふうにして防ぐかということが考えられなければならないと思うのであります。いわんや、申すまでもなく、今冷戦の影響をひしひしと受けているのであります。冷戦の当事者は食うか食われるかの戦いをやっておるのであります。その影響が多分にわが日本に押し寄せてくるのであります。そして、その一番急所は、日本に対してどういう手を打てばいいかということは、やはり国会に対して打ってくるべきものと思わざるを得ないのであります。しかしながら、もしこの国会がそうした影響を受けて侵されるということに相なったならば、これは一大事で、国会の権威がなくなる。国会の権威がなくなるということは、すなわち、あとには左か右かの革命が待っているということに相なるのであります。これは何としても防がなければならないことと思うのであります。今は革新派の方々がむしろ攻勢にお出になっておるようでありまするけれども、これは保守党としても、いつか地位が転換して攻勢をとられなければならないかとも思うのであります。    〔委員長退席、議院運営委員会理事田中茂穂君着席〕これは、この国会の設備とかルールとかいうことは、その党派とか思想とかにかかわらず、いやしくも法治国を確立する以上は、どこまでもこれは確立させておくということでなければならぬと思うのであります。ことに、これは万々が一、もし将来どこかの国で戦争があった、日本がこれに参戦するかいなかというようなことに相なって、参戦派と参戦反対派とが対立抗争を続けたときには一体どうなるかを考えますると、とうてい本案のような内容ではまかない切れないということを、深く考えておかなければならぬと思うのであります。どうしても、あらかじめ国会周辺の一定地域を限定して、それに対する集団行動禁止するという処置をとっておかなければならぬと私は考えるのであります。  次に、世間に伝えられておりますところの本法案に対するおもなる反対論を簡単に批判をしてみたいと思うのであります。大体二通りで、違憲であるという議論と、それから都条例に対する問題の二つであります。憲法違反の問題は、第十二条と第十三条によるものでありまして、要するに、基本的人権というものは法律によっても制限はできないというところの原則論に立っておる御意見があります。しかしながら、公共の福祉に反する場合とか、あるいは乱用の場合は制限ができるということは、これはもうはっきりしたところでありまして、十三条においてもこれは予想されておるとろであります。判例におきましてもこれは認めておるところであります。次に十六条でありますが、これも平穏でない請願は請願ではない、いかに請願の形を持っておりましても、請願でない、いわゆる権利の乱用であると解するものでありまして、いかなる請願といえども、取り締まり規則に従って、夜、夜中でも、あるいわいかなる方法によってもこれは請願としてさしつかえなしというようなことには相ならないのであります。次に第二十一条の違反の問題でありますが、これは表現の自由の侵害だというのでありまするけれども、しかし、本法議長要請は、直接表現の自由に触れないで、都の公安委員会警察官がすでに持っておるところの権限に基づいて不当な集団行動を規制するものでありまして、これも直接二十一条の違反には相ならぬと思うのであります。しかして、この目的国会審議権確保であります。その地域は国会周辺道路及び土地に限られておるのであります。私どもといたしましては、こうした立法形式を小心翼々としておとりにならないで、何ゆえに、もっと堂々と、国会周辺に対するところの集団行動禁止、その禁止地域を設定するという方法をおとりにならないかということを不思議に思うのであります。次に第二十八条による問題であります。勤労者の団体行動権の違反でありまするが、これも逸脱しては権利の乱用でありまして、基本的人権にならないものであります。その次は第九十五条地方の特別法、これも本法目的地方関係でなくて、国家的問題であります。国の行政事務に関するものでありまして、対象はその地方の住民のみでない、一般的地方公共団体の有する権利の例外ではないのであります。あえて住民投票による立法の要はないと思うのであります。  都条例の問題でありまするが、これはむしろ私といたしましては、この都条例の論争は実益がないと考えるのであります。現に判例は区々となっておりまして、どちらにも理屈はつくのであります。しかし私は、個人としては、むしろ東京都条例は行き過ぎであると思っておるところの一人であります。しかしながら問題は、最高裁でもし違憲の判決があって、それが確定したならば一体どうなるか、という問題であります。都の公安条例は判例の趣旨に従って全部または一部は失効をいたすでありましょう。しかしながら、それは同時にまた訂正をするということができるのであります。また本法はそれによって当然無効にはならないので、その一部分は失効するかもわからないが、そうして見ますると、別段この問題に対してあまり多くの議論をする必要はないのじゃないか。むしろ私は、条例で基本的人権を規制するというようなことが不当ではないかと考えているものであります。ゆえに本法案は、法律によるのが妥当であって、かえってけっこうではないかと思うのであります。将来この種の条例法律に変わるべきではないかと考えているものであります。ただ問題は、占領統治の跡始末として、どうこの間隙を作らずに是正するか、ここに日本の政治家として、指導者としての皆さまの御活躍を期待する次第であります。  なお、本法案中の欠点と申しますか、修正を要するのではないかと思うような点を御参考までに列挙的に申し上げておきます。それは、第一条に「国会議員登院」とあるのは、カッコして、(退院を含む。以下同じ。)というふうに直さるべきではないか。登院だけでなくて、国会が包囲された場合には帰れない、外出ができない、こういうようなことが非常な脅威になるのじゃないかと思うのであります。それから、同じく第一条の「もって国会の権威の保持に特に遺憾なきを期する」というこの文句は、あってもなくてもいい。むしろない方がいいのじゃないか。実質上審議権の公正な行使を確保すればよろしいのじゃないかと思う。  それから第五条の第一項でありまするが、大へんわかりにくいような「措置を講ずるようにしなければならない。」とありますが、これはやはり第二項と同じように、むしろ「することができる。」というふうにお直しになった方がよろしいのじゃないかと考えるのであります。  次に第七条でありますが、この「正当な理由がないのに」という文句は、それは断然削除さるべきではないかと思うのであります。集団示威運動は基本的権利でありますから、不当なる行為の場合だけが取り締まりの対象となるのであります。立証責任はむしろ原告側になければならないのでありまして、この点は家宅侵入の「故ナク」という文句と全然意味が違うのであります。東京都条例と新潟県条例の差異も、やはりこうした処分がなかった場合には許可ありとみなすか、みなさないかというところに、大きな差異が出ているのであります。基本的人権の何ものであるかということを十分に御認識があったならば、そうしたところに「正当な理由がないのに」という文句はつけられるべきではないのじゃないかと思うのであります。次に、同じく第七条の「指揮」のあとに「扇動」ということ、扇動者もやはり入れてお置きになることが必要ではないかと思うのであります。  それから第八条の「登院」のあとに、「もしくは審議権の行使」ということをお加えになる必要があるのじゃないかと思うのであります。これは単に登院の妨害ばかりではなくして、審議権の行使ということが本案の重大な問題になっておるのであります。なお、本条は、指揮者だけか、あるいは一般随行者も含むのか、この点も逐条のときには、はっきりしてお置きになる必要があるのではないかと思うのであります。  要するに、法の支配を確立をしていただきたい。そのためには、国会はどこまでも審議が安全に平穏にできるようにお考えを願いたいのであります。と同時に、私は弁護士としてなおお願いをいたしたいのは、裁判所周辺集団行動も同時に禁止をされるように一つお考えおきをただいまからお願いをしておきたい。これはイギリスあたりではすでに行なわれておるところであります。皆様の御善処を切にお願いを申し上げておく次第であります。   —————————————
  62. 田中茂穂

    委員長代理(田中茂穂君) 次に、東京都立大学教沼田稲次郎君にお願いいたします。
  63. 沼田稲次郎

    公述人沼田稲次郎君) 私は、こういう法律は、戦後の民主主義思想に根をおろしたところの民主政治における基本的慣行を破るのみならず、表現の自由を不当に拘束する危険性を含むと思いますので、反対であります。  御承知のように、戦前の日本と戦後の日本というものを区別する一つのメルクマールはどこにあるかといえば、国民が政府の政策について何らか批判的な意見を持っておる人も、なお集まってそのことを議論をして、そうしてそれをまた国会にも反映する努力をすることが公然と認められておるというところに、戦後的な民主主義の基盤があると思うのです。戦前は、これは御年配の方はおそらく身をもって御体験なさったことだと思いますけれども、とにかく政府の批判、ことに戦争中のごときは、戦争を遂行していくこと自体について、国民の運命に関するような問題自体についても、何らか批判的な意味を持つ話をどこか町かどでやることすら、これはきわめて不穏なことである、そういう会をやろうじゃないかというようなことを言えば、これは不逞なやつであるという考え方が、これは政権の座にあぐらをかいておった人たちのみならず、一般にそういうおどかしのもとにふるえておったのではなかろうか。おそらく戦争中、皆さんは、どこかで早く戦争はやめた方が賢明じゃないだろうかという最も国民のまじめな批判をなそうと思われたとき、だれと一体話をし、どこで話をし、それを政府にどう持っていけるかということをお考えになれば、やはり黙っておるよりしようがなかったのであろうかと思うのであります。そういう点がきびしく批判をされまして、そういう、何もものを言わないでおるよりほかないと、こういう状態に置かれておったことが、あのような不幸な戦争をもたらしたし、あのような暗たんたる政治をもたらしたのだということが、いわば世界的にも認識せられて、そこで世界人権宣言というようなこともなされたのでもありますし、わけて、わが国の場合、国民は何ら抵抗をしなかった、そういう勢力にほとんど抵抗しなかったということの悔恨が胸を焼いておった関係もあって、従って、戦後は再びそのようなことを不可能ならしめようという考えを持っておったように思います。そこで、そのような戦後の国民の支配的な規範意識というようなものをやはり頭に考えてみておかなければならない。つまり第二次大戦後の民主主義の一つの特徴と申しますのは、選挙というただ一回の国民の包括的な行為によって選ばれた多数者というものが、一たび多数者ともなれば、あとは何でもできるというような仕組みでの議会政治というものは、結局ファシズムの台頭を押えることができなかったし、あの不幸な戦争を阻止することができなかった、ということに対する深い反省を伴った上に、新しい民主主義ができてきたと思うのです。ということは、いかに多数者が選挙によって選ばれましても、それは常にやはり具体的な政策を出すときには、国民の声を常に聞くべきものである。そのためには公聴会というようなものも開く、今なさっておるような形のものもそうでありましょうし、街頭へ出て聞かれるのも一つの手でありましょう。しかし、そうして聞くだけじゃなくて、国民も常にまた集団的に意思を表明するということを絶えず行なうということによって、われわれはほんとうの民主主義を守り得るのだ、こう考えたわけであります。それが第二次大戦後における民主主義の原則だと考えておった。だから、おそらくは戦争直後から議会においでになった議員の方は、戦争直後しょうちゅうここヘデモがあった。戦争直後は窮乏した状態でありましたので、しょっちゅうデモが行なわれておったのは御存じだろうと思うのです。    〔委員長代理田中茂穂君退席、委員長着席〕そうして保守党の方々もむしろ進んで、各委員長などという人はその人たちにお会いになったように私は記憶します。そうして宣言書などを読んでみたり、いろいろな形で意思を反映して、それをまた委員長も、あるいは委員の方もこれを受けとめようとなさっておった。また受けとめなければ、少なくも第二次大戦後の政治をやる政客とは言えない。少なくも、保守党であれ、だれであれ、自分の耳に痛いことでも、国民の声を喜んで聞くということが努力されて、初めてほんとうの民主主義ができるのだし、そのような民主主義政治をになうだけの人材である、こう承認されておったように私は感じております。つまり戦後十五年の間に、国民は、何か自分らの意思を政治に反映してもらいたい、少なくも議会考えてもらいたいというような事柄については、これはともかくもデモをする、そうして意のあるところを持ち込んでいくということが一つの型となってきた、慣行となってきた。つまり、戦後的民主主義の母胎の中から生まれてきた一つの慣行であり、政治的慣行であると私は考えております。そうして、そのことがまさに基本的人権であり、集会、結社、表現の自由であるし、労働者が自分らの労働者的利害に関連して行なう限りにおいては団体行動の自由である、こういうふうに憲法二十一条及び二十八条において受けとめられておったと考えざるを得ないのであります。いわば、主婦の方が牛乳値下げというときでも、やっぱりプラカードなどを持ってこちらに見えるというようなことが行われた。それは国会のみならず、実は全国的に行政をやる人、あるいは何らかの公の意思を決定しようとなさるところ、ここへは国民は何らかの意思を表明する自由を持つのである、これが戦後の民主主義思想である。これをまず明示しておかなければいけないのじゃないか。そのことにからむと、このように国会周辺に刑罰規定すら含んだ法律をもって高く城壁をかまえるという行き方は、どうもおもしろくない。一国の頭脳であり、心臓であるというならば、その頭脳や心臓を守るのはまさに民主的な原理だ。肋骨だとか、あるいは頭蓋骨だとかいうものを構成するのは、これは圧力的な法律なのではなくて、そのような無機物的なものじゃなくて、もっと有機物的な、すなわち生ける血の流れておるような民主主義原理、つまりそういう国民の意思に対してはいつも耳を傾けて進んで意向を聞こうとする、そういう政治的な関心が肋骨を作り、あるいは頭蓋骨を作る、そういう要素となるものだろうかと私は考えておるわけです。従いまして、このような、本来進んで声を聞くべき人である、そして聞くべき側にある議会が、かえって声を聞かないようなことも可能であるような規制を加えるということは、民主的な原理から見れば、どうも承服できがたい。これは何か多年政権の上に安定してしまったものが、もはや文句を言わせないという気がまえが出てきておるのではないか。政権交代ということを予想して、ほんとうの民主的な政治をやろうと考えるとすれば、このような仕方にはならないのであって、これはまた一面において非常に危険性もあるのであります。  それはどういう点であろうか、先ほど杉村さんがつぶさに法律論的な吟味をなさいましたし、そうしてこの規定の中に「明白かつ現在の危険」という限定がないというところを指摘なさった。従って、非常に不明確なものがあるということは、これはいわば乱用される可能性を持つということにほかならないそうして私どもは法は乱用されないようにということを念頭に置いて考えざるを得ない。従って、読むときには乱用される可能性ということをやはり吟味せざるを得ない。これはたとえば、すでに十年前にできた国家公務員法百十条とか、地方公務員法六十一条などという規定が二、三年前から突如として使われ出したり、あるいはまた郵便法七十九条というような規定が、これまた、よもや組合などに持っていかれるものではないと思われておったのが、突如として一昨年の全逓闘争には使われてきたというような、こういう苦い経験を持っておりますと、やはり存在せしめてはならないものは存在せしめてはならないのであって、たとえ立法者がいかような意味を持ってなされようとも、それを使う者が変わってくれば危険もあるということを考えざるを得ない。  そこで、この規定ですが、まあつぶさに中身に入って申し上げるのもどうかと思う。と言うのは、先ほど杉村さんが御批判なさっておったように、実は東京都条例なんというふうなものと非常にからんで参りますし、東京都条例というものによって尽されておるものもあるのであって、のみならず東京都条例自体が違憲の疑いがあるとされ、そして私も憲法違反だと考えておる一人なんです。この辺のところは今ここで吟味することをやめます。そして、どうい危険を私は感ずるのか、この点をもう少し指摘したい。  これは、もちろん国会周辺からデモを遠ざける可能性を持つことは、すぐわかります。が、先ほども申し上げましたように、国会こそが、まさにデモを最も歓迎しなければならない場ではないかということです。戦後の民主的な考え方からいえば、デモを築地の海岸かどこかの場末に持っていってしまったのでは、何にも意味がないのであります。そうして、こういう規制が出れば、両院議長要請を待たずして、あるいはまた都公安委員会自体が、もうその批判的勢力がやり出すようなそういうデモというものは、もうあらかじめここを通さないように、認めようとしないとか、そういうことも大いに起こり得る可能性がある。そういうことがなくても、これによって、ともかくデモ国会周辺から遠ざけることができるようになっているということは、これはむしろ戦後の民主主義的な考えから見れば逆行しているように思います。そうして、このことで、先ほど公述なさった方は、ぴしゃっと全部禁止すべきだという強い御意見を述べられておりましたが、私はぴしゃっと禁止をするというような考え方には、もちろん反対であります。しかし、このような形で規制することの方が、また別の意味できわめて危険であります。と申しますのは、議会の多数を占めておって議長をとっておる政党があるとしますと、これがどの政党であるにせよ、この議長が党籍離脱ということをもし考えられ得たにしろ、ともかくもそれがある政党の背景の上に出てくる可能性を非常に持っておる。たとえ党籍を形の上で取ってみても、なおかつ、どちらかのある政党とのつながりは避けがたいでしょう。そうしますと、こういう結果が出てくる。政府の政策を支持するそういうデモンストレーションについては規制を加えない、そのかわりに政府の政策を鋭く批判するようなデモンストレーションに対しては規制を加える、これは、その「国会審議権の公正な行使に著しく影響を与えるおそれがある」と認めるか認めないかは、かかって議長にあります。そう認められたからといって、これを直ちに違法なものと、違法——これはまたいろいろ問題はありましょうけれども、ともかくそうやって認められる可能性がある。そうしますと、どういうことになるかというと、戦争中などに見たように、「東条万歳」と言うやつばかりが議会周辺を回ることになる。つまり「政府万歳」、政府の政策は国民のために非常に役に立つのだというような派ばかりが、これが周辺に行なわれる。そうなれば、当然これはまたその批判的勢力というものは、これはどこか築地の辺で、あるいは板橋辺で気勢をあげていくだけではどうもいかぬということになれば、その周辺にまあ自分で行こうとするということになる。そうすると、ここでぶつかる。そのぶつかるのを乗り越えて行こうということになると、これは破壊的であり赤であるということに結局なってしまう。そうしますと、結局このような形の法案でもって、実は国民の世論というものは時の政権を握っておる政党によって牛耳られるという可能性がある。そうしますと、結局、政権の合理的な交代によってスムーズに政治を動かしていこうとするこの民主主義政治というものが、ここで一たび政権の座についてこれをうまく利用していけば、民主主義的な形のもとで実は戦争前に私たちが経験したようなことすら行なわれてくる。簡単に言えば、この政府の政策を支持する人たちだけを世論の場に乗せていく、世論の声であるかのごとくさせることが可能ではないだろうか。その点が非常に危険であります。それが四条五条を見ても明らかなところであります。  それから次の点ですが、この法案が成立いたしますと、同じような理屈をもって地方議会についてもその規制ということが当然考えられてくるでしょう。そうしますと、簡単に言えば、地方公安条例というようなものによって、県庁など、市役所などの前でやるデモはお断わり、許さないという形のことが行なわれてくるのではないだろうか。すでに、本日の朝日新聞の神奈川版をたまたま見ておりますと、「県庁管理規則」というようなものを作って、この集団デモ騒ぎを押えるということで、中央の国会周辺デモ規制立法と呼応して急速に具体化しつつあるというようなことが出ております。これはあまりにも早い呼応の仕方で、驚き入るのですけれども、こうまで早くなくても、おそらく、これは地方公安委員会がこの趣旨に沿ってデモの規制をあらかじめ加える危険性を持つことは、火を見るよりも明らかでなかろうか。政治を知っていらっしゃる方にはあまり詳しく申し上げる必要もないことであります。  それから、先ほどの公述の方が裁判所のお話もなさっておりましたが、これはこの規制の法案にはありません。しかし、どうやら伏線なのかどうかは知らぬが、いろいろな意味で「荒れる法廷」などということがジャーナリズムなどの上に載っているという点から考えるならば、また事の当然ということで、そこまでも行きそうだ。国会のようにデモから大いに国民の声を聞くべき場所ですら規制されるとなれば、裁判所のごとき第三者によって公正に判断いたすべき場所は、ましてや規制されていいということになってくる可能性も大いにあるわけであります。  それから、これは杞憂であれば幸いでありますけれども、この法案には「審議権の公正な行使」という言葉が書かれている。「公正な」——フェアなということでしょうけれども、この「公正な」ということが、これまた非常に含みの多いことになりはせぬだろうかという気がします。つまり一体何が「公正な審議」なのか。「公正」というのは価値評価を含んでいる。単に性質であるとかということだけでなくて、他に、何が公正か不公正かという一つの価値評価を含んでいる。そうすると、政府の政策をぴしぴし批判するような雑音が、デモではなくて、ジャーナリズムあたりから聞こえてきても、やがてそういうマスコミの宣伝というものは公正な審議権を妨害するから規制すべしなどという形で、表現の自由を規制することにならねばいいが、そういうものの一つの一里づかにならねばいいがということを、私、いささか心配しているのであります。おそらく、これは杞憂でありましょうし、杞憂であってもらいたいと思うのであります。  もうすでに所定の時間も過ぎでおりますので、その基本的な考え方を述べまして、本法案には反対の意を表したいと思います。   —————————————
  64. 高橋進太郎

    委員長高橋進太郎君) 次に、宮城県農業改良協力委員佐藤忠夫君にお願いいたします。
  65. 佐藤忠夫

    公述人佐藤忠夫君) ちょっと、ゆうべ夜行で来る際にかぜを引きましたので、へんてこな声に加えまして、今まで公述された方々が非常にその内容につきまして詳しくお話になられましたので、私からは、大体骨子だけをお話を申したいと思います。  この原案の大体の骨子になる点は、第一に、現在都条例による集会集団行進等の取り締まり規定があるにもかかわらず、たびたびの違反事件が起きている点、このことであります。それから、国会周辺静穏及び国会の権威保持のみに終始し、陳情及び請願等の憲法によって保障されている権利が不当にゆがめられないかどうか、この点が一つ。それから、今度の原案によりますと、その罰則規定でありますが、これが都条例よりも重い罰則規定が設けられた点。これが三つの骨子ですが、それに付随いたしまして、現在各国ではどのようにそれじゃこの問題が規定されているか、そういうような点をちょっとつけ加えたいと思うのです。  まず第一点でありますが、現在都条例が施行されて、集会もしくは集団行進並びに集団示威運動においては許可を受けてこれを行ない、かつ第三条においては、公共安寧秩序を害さないという基本のもとに、その集会集団示威の運動が許されているにもかかわらず、過日のような事態が起きた現実であります。これがために権威ある国会審議権に支障が来たされ、そうして保守、革新と入り乱れて乱闘騒ぎになるということは、特に、いなかにおりましても、選良を選んでやった人たちが、そのようなことをやられるということについては、国会というものは、はたして何のためにあるか、国会の権威の保持ということができるのかどうかと危ぶまれてくるわけであります。それで、この法案によるところの議長要請権でありますが、これが悪用されるということを非常に心配されておるようですが、やはりこれは心配されるんじゃないかと思われるのです。特に議長個人がいかにりっぱな識見を持っておった人でも、ほかからの圧迫が非常に強かった場合に、やはり議長個人の公正な立場を守り切れなかった場合に考えられることなんでありますが、そのようなこともよくお含みの上にこの法律を運用していただきたい、そのように考えるものであります。それから違憲問題、こうなりますと、とても私どもの手には負えない問題でありますが、とにかく現実が都条例なりによって定められておることが守られておらない、まあそういうような現実からいって、やはりその都条例法律化した原案というのがこの際必要であると、そう思われるものであります。  次に、国会周辺静穏及び国会の権威保持のみに終始して、憲法に保障されておる陳情、請願等がゆがめられないかどうか、この点であります。これは原案によると、議長が警視総監に要請する、それはほんとうに万やむを得ざる場合にのみ適用されることが望ましいのであります。やはりその「万やむを得ざる」ということの規定が、さきに申しましたように議長個人の公正な立場を守り切れるかどうか。やはりその場合にちょっと問題にされるのは、いわゆる多数派といわれますか、そのようなことが法律の運用ということの際には非党に問題になるのじゃないかと思うのですが、それをよく含んで運用をしていただきたい。そういうことを望むものであります。とにかく全国から集められました選良の方々が、あらゆる国民が幸福になるということの前提もとに政治を行なわれておるのでありますから、よく野党、保守ともにその良識を破らないようにやっていただきたい。これは法律論じゃなくて温情論になりますかわかりませんけれども、よろしくこの点お願いしたいと思うのであります。  それから罰則規定が都条例よりも重い規定を設けられておる点、これはまあ都条例の場合でありますから、当然このような都条例なるものが今度法律化される。その場合には、やはり都条例においても守られないのだと、そうして、きかなければその上の法律でもって押える、その場合にやはり押える限度というのは重くならざるを得ないのじゃないか。それで、この規定に賛成いたしますが、ただちょっと触れますが、ドイツではこの罰則の場合に、刑法でもって罰則規定を設けられておるようでありますが、それはまあ私たちにはちょっと研究されません。  以上この法律案につきましては、法律論よりも、何といいますか、とにかく陳情、請願する、示威運動する側にも、法治国家の国民であると、そういうようなプライドをもってデモでも何でもやってもらいたい。またそれを受ける側においても、やはり同じ国民が自分の苦しい立場を訴えてきたのだと、そういうような立場でこれを受けていただきたい。そういうお互いに譲り合うことによって、——というと、あまりこれは美しいことになるかもわかりませんが、そういうことを御勘案の上この法律をよろしく運用されるようお願いいたしまして、私の公述を終わります。   —————————————
  66. 高橋進太郎

    委員長高橋進太郎君) 以上をもちまして、各公述人の御意見は一通り終了いたしました。  それでは公述人に対し御質疑のある方は順次御発言を願います。
  67. 米田勲

    ○米田勲君 ただいま四人の先生方から非常に明快なそれぞれの立場に立つ御意見を拝聴いたしまして、感謝にたえません。  私は、特に杉村先生や沼田先生が、われわれが今日まで議運や連合審査会で主張をしてきたその主張を、理論的に法律論的に裏づけをしていただいたという点について、きわめて力強く感じた次第であります。非常に明快な御意見をいただいたので、さらに御質問を申し上げるのはどうかと思いますが、実は、私たちの提案者を中心にした論議の中で、幾たびも紆余曲折、全く複雑怪奇な経過をたどって論議が進められて参ってきておりますので、この機会に、私は杉村先生と沼田先生に、私のこの意見が間違っておるかどうかについて特に御意見をお伺いしたいと思う次第です。それはまず最初に、この法律案立法原則を無視しておる、法体系を乱しておる、という点について主張をいたしたいのであります。従って、結論的に申しますと、こういう立法原則を無視したり法体系を乱したりしているような法律案は、法律案としての妥当な条件をそろえておらないものであるということを主張しているのであります。と申しますのは、国権の最高機関である立法府において制定をする法律案が、下級機関である地方自治体の定めた公安条例基礎とし、その重要部分についての法的効力はほとんどこれを条例に依存をしておるという、こういう構造、こういう性格は、いまだかつてその例を見ない立法形式であります。私は、いまだかつて例を見ないというこのことは、とりも直さず立法原則を無視し法体系を乱そうとする法律案であると指摘せざるを得ないということであります。さらにまた問題なのは、この依存をしておる、基礎にしておる都公安条例そのものが、先ほどから先生方のお話にある通り、違憲の判決を、しかも、新潟県条例が最高裁において合憲判決を下されたときのその判決文の中に現われた条件基礎に踏まえて違憲の判決をしておる。この都条例基礎とし、これに依存をしておるということは、多分にこの法律案が違憲の色彩を濃くしておるものであるということを概括的に言えるのではないか。さらにまた、聞くところによると、四月中旬以降、一括早急に公安条例違憲の下級裁判所における判決を最高裁において最終的に判決を下そうというやさきに、この法律案をしゃにむに多数の力をもって押し通そうとすることは、違法ではないかもしれないけれども、まことに不当であると私は思うのであります。この点について御意見を伺いたいと思います。  それから、この法律案の第一条、第二条に使われておるのですが、私はこの条文をつぶさに検討してみますと、国会議事堂周辺静穏を保つという条件がまず満たされて、そのことによって国会議員登院国会審議権の公正な行使を確保することができ、その結果として国会の権威を保つということが成り立つというふうに理解せざるを得ないのであります。そうなりますと、国会周辺静穏を保つということが、それ自体が本法目的となっておるように考えられてならないということであります。なぜ私がこのことをそういうふうに問題にするかと申しますと、われわれの憲法に保障された基本的な人権、表現の自由等は、これを規制する場合には、先生方の先ほどのお話にありましたように、緊急かつ明白な危険というものがそこに条件として備わらない限り、——先ほど、どなたかの話にあったように、国会の権威を守るためには国民の基本的人権などは押えてもこれはやむを得ないのだというように私にはとれるようなお話もありましたけれども、そういう基本的人権を押えなければならないというときには、明白かつ現在の危険という原則が備わらない限りは、むやみにこれを規制することは許されないと思っておるのであります。ところが、第一条、第二条に言う国会周辺静穏を保つということが本法目的自体であるということに判断をしますと、第四条にきて、議長要請をする場合に、「国会議員登院国会審議権の公正な行使に著しく影響を与えるおそれがあると認められる場合に」ということで、何らここに規制の条件も何も明示されておらないし、また、この「影響を与えるおそれがあると認められる」といっても、本法の第四条一項と二項を対照して考えたときに、これは当然、集団示威運動等が行なわれる以前のことでありますから、行なわれない前に著しく影響を与えるおそれがあるという判定の仕方は、あくまでこれは推測に終わらざるを得ないし、また、規制の条件が明示されておらないから、たとえ両院の議長の合意であろうとも、あくまでもこれは主観あるいは常識的な判断というものは免れないのであります。そういうことによってこれが認定されるとすれば、その影響を与えるおそれが、一条、二条に言う「国会議事堂周辺静穏を保つ」という目的と相呼応して、明白かつ現在の危険の原則に何ら即応しない一般的抽象的な条件もとで、国民の基本的人権に対する規制をするところの許可の取り消しや条件の変更を要請するという、法的な行動が発動することになって、きわめて不法な要請が行なわれるということにならざるを得ない。私はこういう主張をしてきたのであります。この主張は誤っているかどうかということについて御意見を伺いたいわけです。  それから四条の二項は、これは「行われ、又はまさに行われようとする場合」であります。これはデモ行進が進行中かまたは寸前であります。そのときに、私は特に重視するのは、公正な行使が著しく阻害される方はまずさておくとして、「又は」の次が非常に問題だと思うのです。「又は阻害されるおそれがあると認められる場合」、これもまた先ほどの私のこの規制の原則、この主張と相照らして考えられたときに、こういう「おそれ」があると認められるというだけで制止の措置がとられるということは、都公安条例が今日においてさえもなお違憲と地裁で判決が出ておるのに、この法律案がもし実現するとすれば、おそらくこれはさらに違憲の度合いは深まった法律案であるというふうに主張をしてきておるのであります。
  68. 高橋進太郎

    委員長高橋進太郎君) 米田さん、委員長からちょっと申し上げますが……。
  69. 米田勲

    ○米田勲君 長すぎますか。
  70. 高橋進太郎

    委員長高橋進太郎君) いや、長すぎるよりも、公述人が公述せられた点に対する質問ですから、従ってあなたの質問もそれの線に沿うて御質問願いたいことと、それから、あなたにはなお質疑を許しますから、そう無理して一生懸命におっしゃらなくても、区切って……。
  71. 米田勲

    ○米田勲君 それではここで一応打ち切ります。
  72. 杉村敏正

    公述人(杉村敏正君) 今、御発言のことについて、私が同じ意見を持つかどうかということを申し上げろということでございましたが、私といたしましては、大体今申されました点と同趣旨でありますけれども、しかし小さな点になって参りますと、幾分考え方の違いもあるかとも思います。そこで、その点を補足して申し上げたいと思います。  この法律案公安条例の存在を基礎にしておるということで、私が問題といたしましたのは、私といたしましては、東京都の区域内でこのような集団示威運動などを規制するということは、本来その地方公共団体の事務であって、従って、この国会の公正な審議権確保するという関係上、国会外の一定の区域についてさらに規制を加えていくといいます場合に、現在公安条例がそれについて許可性をとっております以上は、現在の時点において何らかの今言った立法をするとするならば、その存在を前提とすることはやむを得ないであろう。しかし、私がこの点で問題といたしますのは、それでは、そのような現在ある公安条例というふうな、地方自治法というふうなものを前提として法律を作るということが妥当かどうかと言えば、先に申し上げましたように、それはきわめて緊急でやむを得ない場合にのみ考えられるべきで、なぜ今日そのような措置をとらなければならないか。同じことは、現在公安条例の合憲性、違憲性が問題になっておる、その時期になぜ今恒久的な法律を制定しなければならないかという点で問題があると、こう思うわけであります。  それから、今の御意見では、新潟県公安条例についての最高裁判所判決が確立いたしました基本原則、すなわち一般的な許可性は違憲である。二番目には、それが限定的な許可制となるためには、規律の対象を場所的または方法的に確定しなければならない。こういう立場で規制対象を限定する。それからもう一つ、そういう規制対象を限定したといたしましても、さらに規制の基準が合理的かつ明確である。この二点があれば合憲だという原則を新潟県の公安条例について最高裁が確立したわけであります。なるほど東京地方裁判所が東京都条例について違憲判決をしました四つの判決は、この原則は今申されましたようにとっております。しかしながら、その適用の仕方は、最高裁の場合と地裁の場合は、はなはだしく違っておるわけで、従って私はその点から言えば、最高裁はその原則はそのままとりましても、たとえば東京都の公安条例について、やはり新潟県公安条例にみられたような、私から見ればはなはだ不当な適用をするかどうかは、これはわからない、こう思っております。  それから第二点の、「静穏を保つことにより」ということが第一条にありまして、しかもこの法律案の第四条にはそれが抜けているといいますのは、実は私もことしの一月の法律時報に、この点について、不備な点として書いておいたわけでありますけれども、きょうここで申し上げませんでしたのは、第一条の規定がある以上は、当然に、解釈上、少なくとも第四条におきましても、議会周辺静穏を保つことによりという意味の限定というものが読み込まれているであろう、こう思いましたから、その点を申し上げなかったわけです。その点からは、この静穏を保持する以外で、なおも主として国会審議権の公正な行使を乱し、それに著しい影響を与える、あるいはそれを著しく阻害するという場合に、規制を加えていくということになりますれば、そういうことを想定するとするならば、やはり第四条におきましてもその限定をつける必要があるだろう、こう思います。  それから、明白かつ現在の危険の原則を第四条に貫かなければならないということは、まさしくお話の通りでありまして、私がここで意見を申し上げました場合に、最初特に明白な危険ということを問題にいたしましたのは、緊急性につきましては、おそらくこのようなデモの場合には、その緊急性の有無ということは、時期的に時間的に前のことでありますから、たとえば、ある習物が何月かあるいは何年かの後においてどういう影響を及ぼすというふうなこととは違うわけでありますので、そこで、少なくとも、あるいは主として明白なおそれがあるということを規定することが、この「おそれ」の解釈によっての権限の乱用を避けるゆえんだろうと、こう申し上げたわけであります。以上であります。
  73. 沼田稲次郎

    公述人沼田稲次郎君) おおむね私も同感なんですが、公安条例これ自体に直接依存しておると見ていいかということは多少問題があるだろうと思いますが、ただこういう点をむしろ考えていただきたい。というのは、公安条例、あのときはなぜ条例という形でやったかということは、むしろ私より議会の方に聞けはわかるのでしょうが、あれは福井の大震災があったときに、たしか初めての公安条例が出たのではなかったかと思います。それから公安条例という形でずっと各府県がやったのですね。なぜそれではあのとき立法化さなかったかということですが、どうも、あのとき、こういうものを立法化することがとうていできなかった。つまり、一つはGHQ自体が、おそらくは国際的に眺めて、一体どういう政策をやっているのか、こういうデモを規制するようなことを立法させるのかというような非難をあるいは受けるかもわからない。現に官公労の全面ストライキ禁止のときに、極東委員会イギリスの代表からだいぶ小づかれておりますから、そういうこともあったのかもしれない。従って、各県の条例ぐらいでさっさと作らせたということもあるかもわからない。その辺の事情は私はわかりませんけれども、しかし、とにかくあれの出たときは、主としてGHQがプッシュしたと思うのですね。つまり、反共、反ソの政策の一環として打ち出されてきた。従って、その点で公安条例は今までのところだんだんと広げてきてはおりましたけれども、しかし命令で規制するというのはよくよくでないとあまりやらなかった。それから、いろいろなデモについても直接これでびしびし許可をしないでやるという形では現われなかったのですけれども、むしろそれよりも、この法案ができることにより、かえってこの公安条例というものをそういう広げる方向へ推し進めていく役割をなしはせぬだろうか。つまり、画竜点睛を欠いておった、この点睛の部分を法律で与えてしまうという可能性の方を私はむしろおそれている。そうして、ある段階では、またさらに公安条例的なものをここに巻き込んでいくというようなことも考えられないことはない。その点、私、大体御意見には賛成でありますとともに、あわせてこういうことを考えております。  それから次にクリア・アンド・プレゼント・デインジャーが存在する場合という限定を加えるべきであるにもかかわらず、それが書かれておらないということでありますが、大体クリア・アンド・プレゼント・デインジャー、明白、現在の危険ということ自体が、それでは全く明白なものなのかというと、私はこういう条項を入れさえすればこの規定を無条件に通していいとはとても思えない。こんな規定に明白、現在の危険を入れても何にもならぬのじゃなかろうかという気がする。実はこの点のルーズさを最も乱用しやすい規定であると先ほど申し上げたのですけれども、これを明白、現在の危険がある場合というふうにしぼってみても、大体議会の方が喜んでデモンストレーションに呼応するような、そういうスローガンを掲げて来るデモンストレーションの場合は、危険があるはずはないと思う。それから、あくまでその批判的勢力というようなものを無視するという態度をとれば、これはどんな少数のデモだって、やはり相当荒れそうな可能性が出てくることも、これはまた常識であります。そこで、結局、議会の受けとめ方というようなものとのやはり関連があるのではないか。そうすると、やはり基本的に民主主義デモの自由というものを大きくふんまえて、その上で、あとはもう既存の秩序の中で合理的に処理していくということで、どれくらい一体差しつかえがあったかというふうに考えるのであります。従って、私は明白、現在の危険という原則にそれほど依存したいと思っておりません。しかし、現在の法案に至っては、ますますその危険性は多いことはおっしゃる通りであります。まあそのくらいであります。
  74. 米田勲

    ○米田勲君 それでは続けて発言させていただきます。今の四条一項、二項の問題と同じように、この五条の第二項、このところは四条の二項と相呼応して五条の二項は働いているわけですが、ここへくると、議長の「おそれ」があると認めた要請で、「必要な限度において、」という全くばく然とした条件だけで、警告や制止ができる権限を新たに警察官に付与しようとする。本法の最大のとにかく悪法の個所はここだと思うのです。われわれはそれを強く主張をしてきているわけですが、その点についてであります。  それから六条のところに、私、提案者にまだここのところは聞いておらないのですが、「請願、陳情その他の名義をもってする集団示威運動等も含むものとする。」、こういうことをわざわざつけ加えておる意図が私にはなかなか理解できないわけです。それで、この際、先生方にはっきりしていただきたいのは、どうも論議の間で出てきたことに、憲法の中に規定されておる平穏な請願の権利、この平穏な請願という憲法上の「平穏」ということと、本法で使っておる「静穏」という言葉を、同じような意味に解釈をして論議をするのは、私は根本的に間違っておると思う。憲法にいう平穏な請願というのは、私は抵抗権や革命的抵抗権といったものと相呼応する、相対比する意味の「平穏」でありまして、現在の憲法もとにおける法秩序、あるいは政治機関のその秩序を容認した上で、請願行動をとることが、これが平穏な請願という憲法上に言う意味であって、何もこの、音響的に、現象的に静かな請願ということを憲法は言っておるのではない。ところが本法になってくると、その静かな請願でなければ違法であるというものの考え方に転じてしまっている。私はこういう考え方で立法をするのであれば、国民の請願権は徹底的に破壊されてしまうということを非常におそれておるのです。そういう考え方から発してきて、この六条が生まれたんだと私は思うのです。大体、集団示威運動というのは、提案者もこれは屋外集会集団行進集団示威運動と、非常に広く含めておるのですが、その集団示威運動は、どんな名義で来ても、請願や陳情というどんな名義で来ても、全部それにしてしまう、それで規制するんだ、こういうのでは、私は陳情や請願に対する国民の権利を徹底的に押えつけようとする考え方だ。この六条は、大体陳情にしろ請願にしろ、明治憲法もとであれば、政権を握っておる君主に対して、政権を握っておる支配者に対して、土下座して、よろしくお願いします、何とかして下さいと哀訴嘆願をするのがその当時の請願や陳情だったでしょう。しかし今日の憲法における請願や陳情は、国民の不平や不満や、要求や反対や、そういうものを国会に対して反映するのですから、どうなってもかまわないんだ、自分の請願や陳情はそういう態度でないんですから、当然示威的な傾向を大なり小なり帯びるのは当然でありますよ、これは。それをこの七条、八条を見ると、暴力行為が行なわれるのでもないし、危害を加えられるのでもないのに、単に威力を示しているものに対して処罰しようと考えているわけです。威力を示したそのことが、もう議員登院を妨害することである。威力を示したそのことが、公正な審議権に対して妨害を加えたものだという、こういう結びつけ方で請願や陳情を見ている限り、本法は最大の悪法になってくるであろう。こういうことを私はおそれます。しかも、この七条のごときは、議長要請をしたところの請願やこの集団示威運動ではないのです。もう七条になってくると、これはすべての集団示威運動であり、しかも、ここまでくるにおいては、これは公安条例において許可されている集団示威運動だと七条は考えていいと思う。それが、それに参加をしておった者で、指揮をしたり、率先をしたり……
  75. 高橋進太郎

    委員長高橋進太郎君) 米田君、委員長から申し上げます。質問して下さい。
  76. 米田勲

    ○米田勲君 質問をしている。くどいですか。
  77. 高橋進太郎

    委員長高橋進太郎君) ちょっと演説のような……。
  78. 米田勲

    ○米田勲君 できるだけ簡単にします。もう少しがまんして下さい。そういう人たちをすべて、特定なる集団示威運動のみの場合に、こういう厳罰に処する、住居侵入罪の場合は三年以下の懲役、二万五千円以下の罰金というのに対して、集団示威運動に参加したものが、同じように構内に入ったという行動だけで、このような厳罰にするということは、これは法全体のバランスから言ってもおかしいではないか。また破廉恥罪を犯したのでもないなに、懲役だけが考えられているというのも、私は妥当でないというふうに考えます。まあ委員長の方から注意があったから、もう少し言いたいのですが、以上でやめます。どうぞ一つよろしくお願いします。
  79. 杉村敏正

    公述人(杉村敏正君) 第一点の、この法律案五条二項についてでありますが、これは先ほど申し上げましたように、四条の二項で、集団示威運動などが現に行なわれている場合、しかもそれが都の公安条例上適法である場合、それからもう一つは、今からまさに行なわれようとする場合、これは都の公安条例上、合法、違法たるとを問いません、この場合は制止の権限を与えているわけでありますから、特に問題とされましたまさに行なわれようとする場合におきましては、警察官職務執行法第五条の規定では、同じくまさに行なわれようとする場合にありましても、それが犯罪行為であり、かつ人の生命、身体、財産に危害を与えるという要件がありますから、そこで、この規定で、警察官職務執行法第五条の規定を補充と言えばおかしいですが、そこでやれないことをやろうとするということは言うまでもありません。また東京都の公安条例の第四条では、違法がすでに行なわれたときのみ制止し得るわけでありますから、もちろん、まさに行なわれようとする場合には、何ら警視総監は制止の権限がないわけであります。この点からみましても、新たに制止の権限を設定するということは言うまでもありません。ですからその点からいえば、今御指摘の「必要な限度において……、警告を発し、又はその行為を制止することができる。」という「必要な限度」だけでは、不十分ではないかというお話でありました。この点につきましては、たとえば警察官職務執行法においてさえも「必要な最小の限度において」という規定を置いております。ですから、これは当然最小限度というものがなくても、警察官職務執行法その他からみて、最小の限度考えられますが、その点は「最小の」と、こういうことを入れられれば、たとえば最小の限度が警告であればそれのみであるし、また行為を制止するといった場合に、その制止の手段として最小のものであるということが、当然のことながら、より明確になると思います。ですから、その点からは、その「必要な限度」ということをさらに明確にするとともに、それとの関係で、四条二項に、やはり「明白に危険」という規定を入れて、規制の基準をさらに限定するという必要があろうかと思います。  それから第二点の、この法律案の第六条の請願につきまして、憲法で「平穏」に請願するということがある。それと、ここにいう「静穏」という言葉との関係の問題だと思いますが、あるいは御質問の御意思を十分把握していないかとも思いますけれども、結論的に見ますれば、私としましては、集団示威運動などをいたしますのは、やはり基本的人権の一種として最も尊重さるべき表現の自由の問題でありますし、また請願権もそれ自身一つの基本的人権の問題であります。ですから、これをどのように取り扱うかということは、やはり両者同じ問題であって、従ってその点からいえば、そういう国民の権利というものを基礎にして、その規制というものはできるだけ避けていこうという立場をとるかどうかの問題にかかって参ります。その点につきましては、先ほど申し上げましたこの国会構内に乱入するというふうな事例とか、あるいは本来国民の声を聞き、従ってその意味からいうならば、直接民主制が民主主義の本筋だという点と、その点からいうならば、集団示威行進等であろうと、あるいは請願権であろうと、その行使の制限というものはできるだけ少ないのが当然であって、それが民主主義を育成する基盤だという立場、その点から見れば、私といたしましては、この場合に、一応第六条で請願の名義をもってする集団示威行進をも含むという規定がありますけれども、特にその点について特別な意見は持っておりません。  それから第三点の第七条の罰則につきましては、おそらくこういう運動、特に今日ではこのような思想、表現の自由というものを、国としてはできるだけある意味では自由にし、まずそれをさせるような雰囲気を作るべきであるというときに、やはり罰則を重くするということが妥当かどうかは相当問題だと思います。
  80. 高橋進太郎

    委員長高橋進太郎君) 高田君から委員外発言を求められているのでありますが、本日の公聴会において、今後委員外発言を求められました場合には、委員長において適宜これを許可することにいたしたいと存じまするが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  81. 高橋進太郎

    委員長高橋進太郎君) 御異議ないものと認め、さよう決定いたします。それでは高田君。
  82. 高田なほ子

    委員外議員高田なほ子君) 委員外の発言をお許し下すった各位に対してお礼を申し上げたいと思います。私、法務委員という立場で、実は審議について与えられた私の時間は、きょうただいまの時間しかございませんので、若干質問が多岐にわたる点がございますけれども、以下条項をあげて、三先生の貴重な御公述を基礎にして、それぞれ三先生から御意見を承りたいわけであります。大へん失礼でありますが、質問が多岐にわたりますので、ちょっとメモしていただければ大へんしあわせでございます。  第一番に、杉村先生にお尋ねしたい点であります。この点は、御公述によりますと、法律目的そのものは決して国民の人権を侵害する目的ではありませんけれども、その手段方法において、明らかに五条並びに六条、七条以下、それぞれのものから察すると、治安立法としての性格をきわめて強く持っているのではないかという点が指摘されておるわけであります。従って、本法案は明らかに治安立法の性格を持つものであるという見解を、私はとっておるわけでありますが、先生はこの点についてどうお考えになられますか。これが第一点であります。  第二点にお尋ねをしたいことは、しばしば先生もお話になりましたが、第五条の二項の警察権の行使の問題であります。御指摘のように五条二項にいう警察権は、単にまさに行なわれようとする場合においてのみ警告と制止が発動されるのではなくて、阻害されるおそれのある場合にも、議長要請に基づいて警告と制止権が発動されることになるわけであります。先生の御指摘のように、警告の場合には、警職法五条の中で、まさに犯罪が行なわれようとする限界が規定され、同時にまた制止の方においても、個人の身体、生命、財産に危険があると思われる場合、またはその急を要する場合として、制止の方も警職法五条でもって実は規制をされているわけであります。私ども審議の過程で、警職法の第五条がおそれのある場合に適用されるということについては、これは警察権の不当な行使の拡大になりはしないかということを、実は問題にしておったわけでありますが、この点についてお伺いをするとともに、このような警察官の職権の不当な拡大、法によらざる拡大によって受ける国民の利益の侵害に対する対抗権というものは、どこに一体設けたらいいのか。職権の内容になるのか、正当防衛になるのかという、非常にデリケートな問題でありますがゆえに、この点について御高説を伺いたいわけであります。  その次にお尋ねをしたいことは、この警察権の行使に当たって、事前抑制ということが許されるものであるかどうかという問題であります。警察権の行使そのものは事前抑制ということが許されるものであるかという問題であります。この点について御高見を伺いたいのであります。  次にもう一つ問題がありますが、第七条、八条の罰則の規定であります。私、専門家ではございませんので、この点を詳しくお尋ねをしたいところでありますが、「他人を指揮し、または率先して国会議事堂の構内に侵入した者は、五年以下の懲役または五万円以下の罰金に処する」と、これは刑法の適用であろうかと思いますが、他人を指揮したというかどで、または阻害するおそれのある示威運動の場合でも、他人を指揮したという判定のもとに、このような体刑が課されることは妥当であるかどうかという問題が一つと、もう一つは、おそらくこれは騒擾罪か何かを適用しているのではないかと考えられますが、一体、何罪がここに適用されるものか。また、他人に率先して国会議事堂の中に侵入したという場合、これは明らかに住居侵入罪を適用するものではないかと考えられますが、しかしそれにしても、住居侵入罪の場合には、体刑五年というのは、これはあまりに過重に過ぎるのではないか。かつての皇居侵入罪に全く適応するような五年というこの期限について疑問を持つものであります。従ってお尋ねをしたい点は、刑の加重についてはそれぞれの原則が規定されなければならないのではないかと思いますが、刑の加重についての原則的な要項、並びに第七条、八条の体刑、罰金等が現刑法との関連においていかなる意味合いを持つものであるか。こういう点についてお尋ねをしたいと思うわけであります。  次にお尋ねをしたいことは、即日発効という法律は数ございますが、特に治安立法の場合において即日発効したものは、問題のある破防法であったと思いますし、また都公安条例も即日発効したように記憶しております。本法案は公布から五日後にこの法律が発効することになっておるわけでありますが、法案の内容から見ますと、警察官の職務執行の一部変更等が見られるにかかわらず、このような短期間において、はたして法の適正な運用があり得るかどうかということについて、はなはだしく疑問を持つものでありますので、法の発効について基本的な考え方というものをお尋ねしたいと思うわけであります。  次にお尋ねを申し上げたい点は、議長の権限の拡大の問題であります。第四条は、議長の権限の一部分をここに規定したものだと私ども考えておりますが、議長の権限は、あくまで立法府の最高責任者として、国会法に基づい特定の規制のあるということを私ども考えないわけにはいかないのであります。無制限に、あらゆる範囲議長の権限が拡大されるとは考えておらないのであります。現在の議長警察権の行使については、国会法の第十四章に規定されておりますが、これはあくまでも院内警察権の発動であると承知しておるわけであります。しかし、今回の場合は、院外における、いわゆる院構外における警察権に対する要請であり、しかも、その要請の手続が国会法によらないで、直接地方機関に対してこれを要請するということは、立法府と行政府との関係というものをきわめてあいまいにするのではないかという危険性を感ずるわけであります。国会法では、議院と国民並びに諸官庁に対する権限を規定しているようでありますが、いずれにしても、議長の権限拡大が国会法から特にはみ出た範囲内に及ぶ点、並びに行政府立法府との関係について大きな疑問を持ちますので、この点も御説明をわずらわしたいと思うわけであります。  最後に、こまかいことに及ぶわけでありますが、杉村先生は、法律の専門家として本法案をごらんになられまして、数々いかようにも解釈され、いかようにも拡大されると思われる法律用語が各条に点在しておるのではないかと私は思うわけでありますので、専門家の先生がごらんになりましたならば、一体この全条文にわたって最も拡大解釈されやすい、また法解釈として不適当と思われる個所、その点の御指摘をわずらわしたいと思うわけであります。私、しろうとでありますが、大体二十三カ所にわたって、治安立法としての性格を持つ本法案に対する法律用語としては適当でないと思われる個所がございますので、一々あげませんが、この点お教えをわずらわしたいと思うわけでございます。  次に、菅原先生にお尋ねをしたいわけであります。第一点は、先生は法の支配を確立すべきであるという結論を出しておられるようでありますが、私は、法の支配という概念そのものについては、先生と全く同意見でございます。しかし、この法支配の概念の内容については、とくと、これは承らなければ承服することはできないのであります。客観的倫理性を持たない法の支配は、これは明らかに私は違法であると思うし、憲法によらない法の支配、この原則が貫かれない場合の法の支配については、これは法の支配ではなくて、単なる取り締まりという言葉になるのではないかということを考えて、御質問を申し上げているわけであります。  第二点といたしましては、先生は都条例は行き過ぎであると思っている。基本的人権に関して行き過ぎであると思っているという点を指摘せられたわけでございます。全く私も同感でありますので、先生はこういう観点に立って修正部分について御意見をここで発表せられたわけでありますが、その中で、五条の中にある「しなければならない。」という用語を、「することができる。」というふうに改めたらどうかという御意見を述べられました。また、「正当な理由がないのに、」というのを省いたらどうかという御意見がありました。また、指揮だけでなくて「扇動」というものをこの中に入れるのが妥当ではないか、こういうふうな御意見がありましたが、特に三点は、むしろ都公安条例の行き過ぎを一そうこのことによって拡大されるおそれがあるように考えますので、具体的な御説明をお伺いしたい。  第三点は、集団行動の自由権については述べられましたが、私はこの自由権の乱用ということには決して賛成ができないわけであります。当然乱用は戒めていかなければなりませんが、自由権は明らかに基本的人権でありますから、この乱用を規制する規定そのものは詳細かつ明確でなければならないと思います。この点についてどうでありましょうか。また、自由権の乱用を押える警察官の職権の行使にあたっては、これはあくまでもその警察官の職権の行使そのものの内容が法律的に妥当に規定されなければ、これは片手落ちになるのではないかと思われますが、この点はいかがでございましょうか、お尋ねをいたします。  最後に沼田先生にお尋ねをいたします。公共の福祉と基本的人権の確立の問題については、菅原先生もお触れになったと思います。この二つの概念はお互いに相相剋する部面があると思われます。従って、公共の福祉と基本的人権との確立において、最も調和をとるために必要であると思われる原則的な問題を述べていただきたい。もう一つは、今質問をいたしました法支配、このことにおける基本的な原則は何か、この問題についてお伺いをしたいと思います。  大へん御答弁をわずらわすのでありますが、しろうとでございますので、どうぞ十分にわかるようにお願いを申し上げたいと思います。
  83. 杉村敏正

    公述人(杉村敏正君) 七つの点を質問されましたわけですが、私の答え切れない点もございます。  第一点は、今の御質問ですと、私が、この法律案は、治安立法性質をきわめて強く持っていると、そういうふうに申されましたわけですが、私はそうは申し上げていないわけで、こういうことは申し上げました。東京公安委員会による公安条例の解釈が、「公共の場所の解釈に見られるように、きわめて恣意的であるように、治安関係の立法は、恣意的または政治警察的に執行される傾向が見られるから、気をつけなければならない、こう申し上げたのです。そこで、治安立法ということの意味が何であるかということは相当問題になります。なぜかといえば、多くの法律というものは、初めから治安というものを政治警察的に考えていきますと、治安警察、公安警察、政治警察というふうなものを明文でうたうということはほとんど考えられない。ですから、そういう意味で、われわれが普通問題とします場合に、それが治安警察か、あるいは治安立法かどうかということは、その規定の仕方から見て、政治的に、政治警察的に乱用されるおそれがあるならば、やはり客観的に見ました場合には、その立法者が治安警察を行なう意図を持たなくても、やはり治安警察立法だ、こう見ていられるわけであります。ですから、その点からこの法律案を見ますと、先ほど沼田先生もおっしゃいましたように、議長の政治的な考え方で、反対のある種の政治的思想を表現する集団示威運動などを抑圧する危険性がある、こう言われましたが、私もその点は認めます。ただ私の感じでは、これは公安条例と比べますと、公述のときにも申し上げましたように、この要件という点は、これは公共安寧を保持するためとか、そういったものよりは、はるかに限定されています。だからといって、私は国会議員登院というのはいいのですけれども、さきには申し上げませんでしたが、やはり国会審議権の公正な行使ということが何であるかということについては、相当問題がある、こう思っております。あるいはこれをさらに明確に規定することは困難かもしれませんけれども、全然問題がないわけではございません、その点から考えますと、おそらくは、立法者がこれは治安警察的な意図をもってやられているとは思いませんけれども、なおも将来、客観的にこれは治安警察立法だと言われる要素はある、規定の仕方から残っているというふうに考えております。  それから第二点は、警察官職務執行法第五条との関係で、この法律案五条二項というものは、新らたに警告、制止の権限を与えられておるが、これに関連して国民の側の、たとえば抵抗権というふうなものとはどういう関係にあるかという御質問ではなかったかと思いますが、もしその問題であるならば、私といたしましては、ここで新たな警察官の事前制止の権限が設定されていくということを申し上げるだけでありまして、その他のことにつきましては、たとえば現在の警察官職務執行法の制止の権限の乱用、あるいは執務の権限の乱用、保護の権限の乱用は多くあることでありまして、これに対して国民がどのように抵抗するかというのは、それはすべて共通の問題だろう、こう思います。そうして、おそらくその点は、たとえば暴力で公務執行の妨害をするという場合のその犯罪の成立要件などと関係すると思いますけれども、これは私、ここでは申し上げるほどの力はございません。今、判例のとっております態度しか知りません。  第三点は、警察権の事前抑制についてはどう考えるかということで、これは具体的に申し上げますと、たとえば公安条例の場合に、新潟県の公安条例についての最高裁の判決は昭和二十九年にありましたが、これは事前抑制禁止でありますが、相対的禁止、相対説です。ですから、もちろん絶対にしてはならないという立場をとっておりません。この点から見ますれば、私自身といたしましては、さきにも自由の乱用ということを認めぬと申し上げましたような意味と同じで、すべて事前に抑制するということは不可能であるとは考えておりません。ですから、その点から、たとえば私といたしましては、最高裁のとりましたこの相対的な禁止説、すなわち規制の対象の限定と規制の基準の合理化、明確化ということを通じての、その程度の相対的な禁止説であっても、その適用さえ誤まらなければ、たとえば私の考えでは、東京地裁東京公安条例に対して違憲と判決しましたような、あのような判決でいけば、必ずしも絶対的の禁止説をとる必要もないし、またそれは無理であろう、こう思っております。  第四点は、この法律案の第七条で、「他人を指揮し、または他人に率先して侵入したものについて、五年以下の懲役または五万円以下の罰金に処する」という規定が、刑罰規定として、あるいは科罰を定める罰則として、原則的に妥当かどうかという点につきましては、私がさきに申し上げました、国民のこのような自由というものはできるだけ伸ばすべきなんだという立場で、五年というのは妥当ではないのじゃないか、こう申し上げました。ただしかし、この点について、罰則を定立する場合の原則を述べろ、その点から判断せよということになりますれば、私はその点は存じません。  第五点の、この付則の規定でありますが、「この法律は、公布の日から起算して五日を経過した日から施行する。」といいます場合に、この期間が短いのではないかということでありますが、この点につきましても、はたして五日の期間で実務上そのような障害を生ずることがあるかどうか。あるいは今日の法律には即日施行というものも少なくない点から見まして、この点について妥当かどうかの判断も、私の事実上の経験から見て、よくわからないわけであります。  第六点は、議長の権限が拡大されておる。そうして国会法には議長の院内警察権があり、これは院外に及ぶから、その点でこのような法律案できめることが妥当かどうか、特に立法と行政との関係からどう考えるかということでありました。これはやはり問題があるとは思います。ですから、一つの考え方としましては、国会法で規制するということも考えられますでしょう。しかしながら、現在少なくとも公安条例というものが存在しており、それの適用のある地域の一地域、すなわち議事周辺道路のことでありますから、その点からは、さきに申し上げましたように、緊急にこれを制定する必要があるというふうなことであれば、このような特別の立法形式をとられるということもあり得ることではないかと思います。  第七点で、専門家として、この法律案法律化された場合に、どの辺で一番権限の乱用のおそれがあるか、治安警察の性格という問題と関連しての御質問であったと思います。私、現在ここで二十幾つもとうてい指摘し得ませんけれども、すでに話に出ておりました、たとえば国会審議権の公正な行使という概念は、やはり不明確だということは免かれ得ないでしょう。それからまた、すでに言いました、「おそれがある」ということについては、これは少なくとも「明白なおそれ」、こうしなければいけないだろう。また「国会議員登院国会審議権の公正な行使」という前に、方法的な限定として、「静穏を乱すことにより」とか、何らかの規定を置くということも必要だろうと思います。また、申し上げませんでしたけれども、たとえば、第五条の第一項で、「必要な措置を講ずる」という場合の「必要な措置」というのは、私は事実から考えまして、おそらく第四条第一項との関係から見て、ここにいう「必要な」といいますのは、やはり「許可の取消又は条件の変更」を指すだろうと、こう考えておりますが、もしもこの点について、できるならばなお明確にする必要、また明確にする方がいいかとも考えられます。また「必要な措置を講ずるようにしなければならない。」という規定も、おそらく「ように」ということで、公安委員会の自主的な判断の権限を留保されている。その点では、両議院の議長のこの法律案の第四条第一項の要件の有無の判断と、公安委員会の有無の判断との食い違いを認めておられるようにも思いますので、それであるならば、その旨をもう少し明確にする必要もあるだろう、こう思います。まあ、そういうふうな点は、やはりある意味では、乱用されるおそれがある規定になっております。
  84. 菅原裕

    公述人(菅原裕君) 私に対するお尋ねは全部で三点でございますが、第一点は法の支配の問題であります。これは非常にむずかしい問題で、悪法も法なりやいなやというような重要な問題でありますけれども、私の考えといたしましては、やはり効力を存しておる法律は順奉の義務があるということでなければ、秩序はとれないと思うのでありまして、お話の倫理性を持つかどうかというようなことは、もし倫理性を持たないということがはっきりいたしますならば、これはまた考えるべき問題でありまするけれども、倫理性を持つか持たないかというところは、客観性はいかにあるかというような問題になりますというと、非常にむずかしい問題で、やはり一応、形式的に存在する法は悪法といえども順奉しなければならないというのは、至当ではないかと一応は考えております。  第二の問題は、都条例の行き過ぎの問題であります。これは私は、先ほど申し上げましたように、東京都条例は、はっきり行き過ぎておると思うのであります。しかしながら、行き過ぎておるからして、これを基礎とするところの立法はすべて不都合であるということは、先刻申し上げた理由によりまして、やはりこれが最高裁の判決がどっちに傾くのかもわからないし、また判決があってみても、どういうことになるかも、はっきりした結論というものは今日得られないのでありまして、やはりこれは一応の都条例基礎としたところの法案というものは、りっぱに成り立つものだということを考えております。  それから修正の点として申し上げましたうちの第五条の第一項、「講ずるようにしなければならない。」というのを、「講ずることができる」ということにされたらどうかということを申し上げたのでありますが、これはどうも「しなければならない」ということは、私どものような頭の悪い者にはわからばいのであります。むしろやはり「することができる」として、するかいなかということは、一にかかって公安委員会の権限にあるのだということで一向差しつかえないのではないかと思うのであります。第二項と特に区別する必要が私どもわからないのであります。  それから第七条の問題でありまするが、「他人を指揮し、」の次に「扇動」をお入れになってはどうかということは、どの法案を完璧にいたされる上からいえば、指揮者と率先者ということのほかに、当然、扇動者というものがなければならぬのでありますから、法の体裁としてもそういうことになさるべきではないかと思うのであります。御指摘のように、そうすることは、この法が非常に行き過ぎであるということをお考えの方には、さらに扇動までも入れるということは下都合であるという御結論になると思うのでありますが、立法の技術としてはそうなるべきものではないかと私は考えておるのであります。  それからやはり七条の「正当な理由がないのに、」ということ、これはただいま高田さんは、むしろこれを加重するのではないかというお話でありまするが、これは全然その御見解と私は違うのでありまして、すなわち、集団示威運動というものは現在の憲法においては基本的権利として認められておるのであります。それが不当に動いた場合に、違法にせられたときに初めてこれは問題になるのでありまして、それがない限りは一向差しつかえはないのであります。それを「正当な理由がない」ということをお入れになるというと、原則として基本的人権であるものを、特に正当な理由がない限りはいけないのだということになって、その立証責任というものは原告にあることになるのでありまして、これは重大な問題であります。先刻も申しましたように、家宅侵入の場合に、「故ナク」という言葉が使ってあるのであります。これは、家宅侵入というものは、つまり他人の家宅の中に不法に侵入して犯罪行為を犯すことであります。従って、これは「故ナク」ということを頭にかけられるということは当然でありまするけれども、当然持っておるところの基本的権利に対して正当な理由がないということは、これは、法案としては重大なる欠陥になるのではないかと思うのでありまして、やはり「正当な理由がないのに」ということは、これは削除されることが人権を守る上において最も必要なことである。先ほど申しましたように、東京都条例と新潟県の条例との異同もそうなんであります。許可処分がなかった場合にそれがどうなるのか、許可があったものとして通知がなければ認められるのだというところに、基本的人権の擁護というものがあるのでありまして、しかるに、それに対するところの処置というものがないということが、すなわち、どうも都条例というものは基本的人権を土台にして考えていないのではないかというところの疑いを持たれるのであります。従って、この第七条の「正当な理由がないのに」ということをお入れになっておるというと、つまり当然の権利であるところの表現の自由というものが、正当な理由がなければいけないのだというふうに条件をつけられておるような形に見えるのでありまして、この点はお改めになってはいかがかと私は考えております。  大体以上であります。
  85. 沼田稲次郎

    公述人沼田稲次郎君) 今、私に課せられた問題というのは、非常に基本的な、学界でもずいぶん議論があって、非常にそれぞれの世界観にも関係するような問題なんでありますが、これの基本的な原則、つまり公共の福祉と基本的人権の調和というようなものはどの辺に求められるか、どういう考え方でこれをとらえていくべきかということでございますが、基本的に考え考え方としては、個人の国民がすべて基本人権を享受しておる状態、つまり国民を離れた国家とか、あるいは政府とか、何かそういうものが別にあって、そして、それのためにではなくて、政府国家機関といえども国民多数者の公共の福祉のために権力を行使すべきだというのが憲法の建前でありまして、そして、その基礎においては、国民が基本人権を行使しておる状態、調和をもって行使しておる状態が公共の福祉だ。だから基本的には、むしろ公共の福祉というのは、基本権の制限原理なんじゃなくて、戦後の憲法では、むしろ促進原理なんじゃないか。つまり、今までの安寧秩序、公序良俗、醇風美俗などと、わが国の法秩序の基本原則みたいにささえられておったものが、実際は国民多数の幸福に直結しないで、権力の支配の具に供せられておったということに対する反省から、最もいい古された言葉でいえば、最大多数の最大幸福、そういうことが実現せられなければほんとうの公共の福祉じゃない。だから、原則としては、基本人権がみな行使されておる状態、だから、賃金を上げてもらいたいと思っておるのに、使用者は上げてくれというと、いやだと言う。いやなら働かない、ストライキもやれないというのは、むしろ公共の福祉に反するのじゃないか。だから、基本的にはそう考えていいのじゃないか。ただ、具体的個別的な場合について、公共の福祉との関連で基本人権が制限を受けることはあり得るだろう、その原則がまさにクリア・プレゼント・ディンジャーであります。つまり明白な現在の危険があるときだけ制限ができる、こういう法理論的構造を持っておるのではないかと思います。で、戦後の公共の福祉の基礎としては、少なくも国民が批判の自由を持ち、意思の表明ができるようなことがなければ、公共の福祉は維持できない、こう考えておったことは間違いなかろうと思うのです。だから、民主的政府、つまりそういう声を聞いて政治をなすような政府のみが、まさに公共の福祉のために政治を行なう、こういう政府である。人民による、人民のための、人民の政治などという言葉が盛んに使われたころの考え方は、そうであったように思います。  次に、法の支配でございますが、この法の支配というのは、やはり歴史的な概念だろうと思います。これはやはり近代民主主義とも関係があるわけで、人間は基本的に自由だ、基本権を持っておる、そこで、そういう基本権を持った人間が一つの秩序に入る、人が人を裁いたり、人が人を命令したりというような国家状態に入ってくるためには、それはやはり権利の主体である国民が承服するような秩序でなければいけない。そういうようなものは、やはり客観化された法、その法というのも、これは単に法一般、広い意味での法ではなくて、すぐれて国民の意思を代表した議会での法でなければいかぬ。こういうのがやはり近代の法の支配の原則であって、従って、法律という形をとり、あるいはその他の政令という法形式をとってみても、その基礎がナチス的支配にあれば、これはやはり法の支配を破ると考えざるを得ない。ヒットラーにしましても、日本の軍閥にしましても、法というものを使わないで支配をしたか。それは部分的にはそういうこともありましたけれども、やはり全体としては、ちゃんと都合のいい法律をぐんぐん作っていったわけであります。そういうのをやはり法の支配というかと申しますと、国際的に理解されているところでは、ファシズム政治は、法を破る政治、法の支配を無視する政治であると考えられておったと思います。だから、法の支配という中には、総じて、人民が承服した形で形成するものである、それが法の支配だということではございませんでしょうか。  それから悪法の問題が出ました。この悪法も法なりやという問題は、これは大へん議論の多い法哲学的な問題でございます。悪法も法なりやという問題としてではなくて、むしろ私ども秩序という考え、法の支配という考えから申しますと、憲法違反の法はやはり法でない。そうして、その憲法の基本原則というのは、これはかなり近代化されたもでございますので、普通の近代的な良識をもってすれば、ひどい法律だと思う法律、悪法と思われる法律は、わが国憲法もとでは、かなり多く憲法違反であることが多いということは否定できないのではないか。さきに、一番劈頭に、法務委員としてと、こうおつしゃておられましたが、私も、法務委員として、どうか一つ、憲法九十九条の期待するように、憲法擁護の義務がございますので、つとめて憲法もとにおける整備された法秩序を形成されることを期待いたします。
  86. 塩見俊二

    ○塩見俊二君 沼田先生に二点ばかりお尋ねをいたしたいと思います。  先ほどのお話を伺ったわけでありますが、まあ、この法律の、法律以前の問題と申しまするか、あるいはこの法律の背景になるような基本的な問題につきまして、まことに含蓄のあるお話を伺った次第であります。そこで、そういった問題につきまして、二点だけお尋ねいたしたいと思います。先ほどのお話によりますると、戦前戦後の民主主義のあり方に非常な変更があり、その最大の変更が、非常にいじめられた、あるいはゆがめられたような国民の声が、集団的な形、あるいはデモンストレーションというような形で公然と述べられるようになった、こういうことに伺ったのでございます。私は、確かにこれは戦後の一つの特色であると思うわけであります。従いまして、私ども国会議員といたしましても、こういった集団的な国民の言葉、これは当然聞かなくちゃならぬ義務があると考えておるわけであります。また、のみならず、そういう集団的な形でなくても、国民の一人々々の声を聞いて、そうしてこれを正しく判断し、また国政の上に反映する。これは私ども国会議員の当然の責任であると思っておるわけであります。そこで、もう一点、お話の中に、あるいは私の聞き違いであったかもしれませんが、国政の審議というものが、多数決の原理によりまして、すなわち民主主義のルールによりまして、それだけで国政が進行される、それで万事終われりということでは、どうも何か一点足らぬものがありはしないかというふうに私は伺ったのであります。そこでお尋ねをいたしたいわけですが、もちろん国民の声というものは、選挙区を通じて選ばれました私ども国会議員が、あるいは国民一人一人の声、あるいはまた集団の声、あるいはその他の国民の声を聞きまして、国会においていろいろ審議をして、最後に多数決によって決定をせられるというような現在の日本国会のルールであるかと思うのであります。そこで、先ほどのお話によりますと、どうもこれだけでは足りない。あるいは院外のある勢力、あるいはデモンストレーション、こういったような院外のそういう力が、何らかの形において、国政の審議なり、あるいは決定なり、そういうものに影響をしなければ、どうも十分ではないというようなふうに伺ったわけでありますが、もし私の伺ったことが、私の判断が間違いであれば、その点をお教えをいただきたい。これが一点です。  それから第二の問題といたしまして、なるほど陳情というものは、大きくいえば、政府なりあるいは国会陳情するということが、デモの形におきましては一番大きな問題であり、従って国会周辺というものがそういうデモの舞台として非常に適当である。そのために多くのデモが行われる。これは私どもよくわかるわけであります。また、私ども、平穏に行われるデモ、合法的なデモにつきましては、十分にその効果を発揮していただく、あるいは機会があれば、その御意見を伺うことも、また、しごく当然なことだと思っておるわけであります。しかしながら、ここで一つお伺いいたしたいのは、このデモの形にもいろいろの形があるわけでありまして、たとえば昨年の十一月二十七日、これは浅沼書記長を先導者として、約二万名のデモ隊が国会の構内に乱入した。こういう場合を例におきまして、かりに、これが請願の名前を使っておりましても、これは合法的な請願として受け取るわけにはいかないと思う。あるいはまた、そういう場合におきまして、いろいろ話し合いをするということも、これは事実上不可能だろうと思う。そこで、こういうふうな事態は、普通のデモとしては、まことに遺憾なデモの形でありまして、おそらく先生も、かようなデモというものにつきましては、当然そういうことがあってはならないとお考えになっていると思うわけであります。しかしながら、不幸にして十一月二十七日に、こういったデモが現実に行なわれているわけであります。従いまして、こういうデモが現実に行なわれておりますので、こういったデモが再び繰り返されないということは、これは日本国民共通の願いであり、希望であろうかと思うわけであります。従いまして、こういうことが繰り返されないためには、もちろんいろいろの方法がございましょう。それで、これを全然放置していいかどうか、まず、その点をお伺いしたい。そうして、もし放置することができない、放置してはいけないということになれば、あるいは警察権の強化なり、あるいはこういう法律なり、あるいは別個の法形式なり、何らかの手段をとる必要があるということをお認めになるかどうか、お伺いしたい。
  87. 沼田稲次郎

    公述人沼田稲次郎君) 初めの、院外の声は、何らかの形で政策に反映することが望ましいのかということでございましたが、これは、何らかの形で、つまり、そのまますぐ反映するというものではもちろんございませんし、これはいろいろなプレシュア・グループが取り巻いておるわけなんで、それはたとえば地方から陳情団が来て、うちの橋がこわれたから橋を直してくれというふうなのも、まあこれは一つの陳情——デモ的な性格もときどき言われるんですが、多くは陳情、こういうのも院外の声の一つ。それから、経営者団体——財界がやはり大臣などについてものを言うのも院外の声の一つだと思いますが、その院外の声というものがデモンストレーションという形で表明されるというのは、大体、総じていえば勤労大衆に多いわけであります。これは、今日の社会で、そういう形をとるよりほかにうまい手もないから、唯一の形としてとっておるものだろうかと思います。そういうものにやはり耳を傾けるのが民主的だとされておったと私は思うのです。で、そういう考え方は非常に広くいろいろなところへ入っておるのです。たとえば、戦争直後、御承知のように労働政策というようなものは中央労働委員会でほとんどやっておりました。で、中央労働委員会は、たとえば労働者側といえば徳田球一氏から西尾末廣氏までおったわけです。こういうような、世が世なら総理大臣になりそうな人までがんばっておって、労働政策というものをやった。三者、つまり一定の社会層の世論を代表するような人によって国家機関を構成したというようなことが、あっちこっちにあった。行政委員会の制度なんかはそれでありましょう。そういう傾向というのは、一般に今日の——第一次大戦後でありますが、ことに第二次大戦によってファシズムと対決したところの社会においては、そうした声を聞かなきゃならないということ、それがほんとの民主的な態度だ、多数決の上にあぐらをかくのでは、これは民主的でない、というふうに理解せられておったように考えております。それが正しいと私は考えております。  それから次の、あんな全学連が先頭を切ったといわれるデモ、あれはどうも望ましくない。これは先ほど杉村さんも、ただ単にあの現象だけとらえてもらっては困る、もっと国民何百万かの声がここにあったという事実を無視してしまってはいけないという御指摘がありました。そのことは、私もそう考えなければいけないと思います。それで、それについてほんとは政府としては、もちろんそういう声を聞くべきあらゆるチャンスを設ける努力ということをやらなきゃいけない。大体、選挙のときに、安保条約改定ということをまっ正面から出して一体選挙運動をやったかということになりますと、私の聞くところでは、まだそれをまっ正面から出して信を問うたという演説はなかったように思います。あまりなかった。そうすると、どうしたってこの問題というものは、やはり具体的な問題についてもう少しいろんな世論を聞くような処置をとるという努力がなされておったのかどうか、そういうものともからんで考えられる。ああいうことはしょっちゅう起こる事象ではもちろんございません。また、しょっちゅう起こるようじゃ困ります。しかし、しょっちゅう起こるからといって、それをそれでは法律によって押えつけるか、何らか一つのおもしろからざる原因があったから、直ちに法律で押えつけるか。それとも世論にまかすか。たとえば、あの国会デモのときには、世論はどういう方向を示したかといえば、ほとんど明らかだ。いわば、あれで世論の批判というものは出たと思う。そういうふうな仕方で、つまり世論に訴える、世論の批判を待つという仕方でコントロールされてくる方が望ましい。そうしてこれを法律という形で押え、罰則をもって押え、たとえば入ってきたものはみんな懲役五年以下、こう持ってこられるわけですから、あの人たちはみんな懲役になってしまうわけです。そういう形で押えるということは、ちょっと頭で描いてみても、どこかのお子さん方が懲役五年と、こういう格好になる形で押えられるという方が望ましいのか、それとも、世論の批判を受け、反省するということによって、こういうことがだんだんとなくなる。そのことはまた一方には、政府も聞くべきものは聞くべきであるという、たしか、そういう社説も出ておったと思いますが、そうなると、やはりそういう話し合いの場を形成させていくということによって解決していく、こういう方法がいわば民主的方法というものなのではなかろうかと私は考えております。従って、あのような場合は世論にまかせておく。その意味においては立法の場合からは放置しておく方が、私はよりよき秩序を形成するゆえんであるという考え方に立っております。
  88. 椿繁夫

    ○椿繁夫君 大へん長時間でありますので、公述人の先生方に非常に恐縮なんでありますが、ただ一点だけお尋ねをして御意見を承りたいと思います。  この法律の二条と三条は適用区域を定めております。議事堂の周辺議長警察権の及ばない範囲を限定して、この法の適用区域に定めておるのでありますが、ずっと各条各項を見ましても、議長要請いたしますのは、都公安委員会でありますし、警視総監であります。ことに五条の二項におきまして、「警察官は、自らその職権を行使するほか、」とある。「自らその職権」と申しますのは、警察職務執行法あるいは都公安条例道路交通取締法など、いろいろあろうかと思うのでありますが、その「職権を行使するほか、」ということは、これは新たな権限をこの法律は警察に与えておる。新たな責務を東京都の警視総監以下の警察官に課する内容を持ったものだと、こう思っておるのであります。埼玉県や神奈川県の警察官にその新たな権限を付与する、責務では、これはないのであります。従って私は、一つの公共団体に適用される法律ではないかと、こう思うのでありますが、なるほど六条のごときは、国民一般に保障されております請願、陳情その他の名義をもってする示威運動についても制約は加えてはおりますけれども、また先ほど御指摘のように、この法律ができることによって、各公共団体が持っております条例というものに対して、一つの裏づけをするような法律ということにもなろうかとは思うのでありますけれども、この法そのものは一つの公共団体に適用される法律である、こう私は思うのでありますが、私のただいまの簡明な問いに対して短いお答えでけっこうでございますから、四人の先生方から御意見を拝聴いたしたいと思います。
  89. 杉村敏正

    公述人(杉村敏正君) 御指摘になりましたように、四条の二項で警視総監に必要な措置の要請をし、その場合に五条二項の警察官といいますのは、特に考えて参りませんでしたけれども、おそらく東京都の警察官をいうと考えられます。その点からいえば一つの地方公共団体におる一定の行政機関に、他の地方公共団体に全くない権限を与えられるわけでありますから、しかも、警察官のうち、警察法によれば大部分が地方警察職員、地方公務員になっておりますから、その点では特別法と言えると思います。
  90. 菅原裕

    公述人(菅原裕君) 新たなる権限を与えるかどうか、持たせるかどうかということは、これは非常に微妙な問題でありまするけれども、やはり条文の体裁からいうと、要請権というものが何ら従来の権利以外の権利を与えるものでないということは、この条文の全般から解釈いたしましても、言えないのではないか。しからば、その具体的な問題はどうかということは、先ほど杉村さんあたりから御指摘になっておりましたいろいろの問題もあろうかと思うのであります。それから私が指摘しましたように、第五条第一項のところにも「しなければならない。」と、「ならない。」という一つの義務化ということがあるので、むしろ私は、提案者の御説明のようにするならば、「することができる」ということにしてお置きになった方がいいんじゃないかと思うのであります。その点はやはり義務化があるものと認めざるを得ないのであります。  それから、単に一つの団体、公共団体だけを目標にしているんじゃないかということは、これも、今、杉村さんが御指摘の通り、東京都条例を対象といたしておりますから、現在においては東京都であって、あるいは将来また国会が移動するとか何とかいうことがあれば、またそうなるでありましょうけれども、現在はそういうことが言えるんじゃないかと思うのであります。ただ、これが各公共団体の裏づけになるのではないかということは、必ずしも私はそういうふうには解釈をいたしません。
  91. 沼田稲次郎

    公述人沼田稲次郎君) 今お二人の公述なすった通り、私も、東京都に適用になる、これはもう明らかであろうと思いますが、いま地方公安条例の適用について影響がないかということでありますが、法的な影響を言われておるわけではないですね。私も、もちろんこれによって、地方公共団体、他の公共団体が拘束されるものとは少しも考えていない。ただ、これができることによって、デモ許可したりその他の態度をとる場合に一つの考え方の基準となるであろうし、その場合に、解釈論上そのような措置がけしからぬとは言えなくなるだろう、この規定、法律からいって。ということを私は先ほど申し上げたわけであります。
  92. 佐藤忠夫

    公述人佐藤忠夫君) すでに申しましたように、両院の議長が合意の上に、審議権の公正な行使が阻害されると、それの要請に基づいてやられた場合には、その職権を行使するという場合は提案に賛成です。
  93. 椿繁夫

    ○椿繁夫君 御賛成か、反対であられるかということを伺っておるのではないのであります。この二条、三条は、この院内警察権の及ばない範囲を限定して、適用の範囲東京都千代田区の平河町か永田町周辺に限定しておりまするし、それから四条の一項、二項、三項、五条の一項、いずれを見ましても、東京公安委員会あるいは警視総監に対して要請し、その責任を明らかにこれは定めたものであります。五条の二項「警察官は、自らその職権を行使する」、みずからの職権というのは、これまでの諸法律による職務の行使、その「ほか」でありますから、本法によって、この議事周辺静穏を保つとか、議員登院あるいは審議権の公正なる確保ということは、まあ言っておりますけれども、それによって新たな責務を課されるのは、東京都の警視総監以下の警察官に責務を付与するものである。従って、この法律は、一つの公共団体に適用される法律というふうに三人の先生方の御意見は一致しているように思ったのですが、よろしゅうございましょうか。
  94. 杉村敏正

    公述人(杉村敏正君) 私は今おっしゃいました意味で、新たな制止、警告権を設けておりますし、それは警視総監以下の警察官、従ってその地方公共団体の機関に与えているのでありますから、その地方公共団体に関係があると、こう思います。
  95. 菅原裕

    公述人(菅原裕君) 私もただいまのお話の通りでよろしいと思います。
  96. 沼田稲次郎

    公述人沼田稲次郎君) 同感であります。
  97. 光村甚助

    ○光村甚助君 佐藤さんに、せっかく遠い所からおいでいただいて質問しないのは大へん失礼だと思いますので、質問申し上げたいと思います。  テレビや映画や新聞で見て、なるほどあの行為はけしからんじゃないかということを地方の人がたくさん言っておられるのは事実です。しかし、地方でもこういうことがたくさん行なわれている。国会周辺の問題ではありませんけれども、近い例をとりますと熊本県の水俣で汚水が海に流れて魚がとれないということで陳情をやる、二人三人で陳情に行っても、てんで相手にしてくれない。そこで集団で会社に陳情に行く。東京都の江戸川で、製紙会社の汚水が江戸川に流れて漁民の人たちが生活ができないという点で、二、三人で陳情に行っても、てんで相手にしてくれない、ここでも集団陳情に行って警察の問題にもなりましたが、成功している。これは国会周辺の問題じゃないです。遠い話では、足尾銅山の鉱毒が非常に農民を悩まして、ここでも一揆が起こっている。それから終戦後でも、あなた方の方では、米の割当が不当だとか、あるいは米の価格が安いじゃないかといって陳情されても聞かないから、むしろ旗を押し立ててどんどん陳情された例がたくさんある。ただ個人で、割当が多いじゃないか、価格が安いじゃないかといって、二、三人でどこへ陳情に行っても、実際上の効果があげられていないのです。そこで、やはり弱い庶民階級というものは団体を組んで陳情に行くんです。そうすると、やはりお百姓さんでもそうですが、はち巻きをして、むしろ旗を持って気勢をあげている行為はどこでもやられているのです。あなた方も、もしも今後、米が引き合わない、そういう場合でも、ただ二、三人で陳情されただけで、あるいは自分の方から国会議員が出ているからといって、それに陳情されただけで御満足をなさいますかどうかという点が一点。  それからもう一つは、東京公安条例罰則を作っているじゃないか、これは法律だからそれ以上の罰を与えるのも賛成だと、こうおっしゃっているのです。これは遠い昔の話で、お笑い話になるかもしれませんが、徳川幕府時代に、飢饉のときに米の割当をたくさんやって、佐倉宗吾郎というのが百姓一揆をしている。これは、はりつけになっているのですよ。しかし、当時の農民の人たちは、こういう佐倉宗吾郎のやったことを非常に英雄的だといってほめておられるのです。そういうような場合でも、ただ法律を作って重い罰をすれば、何でも世の中が治まるのだということを、あなたはお考えになっておりますか。この二点をお伺いしたい。
  98. 佐藤忠夫

    公述人佐藤忠夫君) 第一点から申し上げますと、私たちも、現に近くに堤防工事ができることになりまして、それの請願に私も県知事まで行きました経験がございます。その際に、あくまでも法に定まった請願の仕方と、そういうようなつもりで私たちもやったつもりであります。それで、それがまあ不幸にして、やじうま的に、わあわあやらないようにどうしてもできないかどうか。私はここを先にお話し申し上げたのでありますが、やはり反対的な、電気のマイナスとプラスというような関係から、どうしても衝突せざるを得ない。それが現在の保守、革新のあれになるのじゃないかと思われますが、私たちの現状では、おとなしく一応法律上の手順をもってこの前のときはやり、当局もやはりそれに対して相当——私たちはほんとうに少数意見だったのでありますけれども、正当な手続をふんで、それでやっと一年間その問題がもみにもんで、私たちの少数意見はある程度いれて解決されたのですが、それを私、まああまり極端に、さっき言った関係もあると思います。それが一つなのです。  それからその次の、都条例罰則よりも今度の法案罰則が重く科せられておる。これはさっきもちょっと、ドイツでは国会議員に対する妨害行為に対しては、刑法第百六条一項でもって、「前条に記した会議の議員が会議の場所に赴き又は表決を為すことを、暴力により、又は罪となるべき行為をもってする脅迫によって妨害する者は、五年以下の重懲役、又は同一刑期の禁錮をもって罰する。」、二項として、「酌量減軽すべき事情が存するときは、二年以下の禁錮に処する。」、そういうようなことからでも、それを前提とされたのかどうか、その点から申し上げた次第です。
  99. 安田敏雄

    ○安田敏雄君 菅原先生にお伺いいたしますが、先ほど先生の御説明の中に、最近はデモというような行動が非常に激しくなってきておる。そこで、将来国会へのなだれ込みが予想されるということにあらかじめ対処するためには、何らかの策を講じなければならない。さらにまた言及いたしまして、まあ今の岸さんの政権の下でこのようなことが立法されたということは、非常にけがの功名であったというようなことを申し述べられ、続いて、戦争のあった状態を想起せられまして、本案立法は必要である。このようなことを述べられたわけでございますが、この三点の中から想定いたしましても、この立法が治安関係の立法であるというように、私は先生の御説明の中から了解でき得るわけでございますが、一つこの点についての解明をさらにお願いしたいと思うわけであります。  それから佐藤先生にお聞きいたしますが、先生の御説明の中で、都条例がありながら、従来これが守られておらない。従って何らかの規制をする必要があるために今回の立法は必要だ、こういう見解を述べられておるわけでございますが、そういう面からいきましても、治安関係の性格をこの法律が持っているというふうに受けとれるわけでございますが、この点についての解明をいただきたいと思うわけでございます。  次に、沼田先生にお伺いいたしますが、先ほど本朝の横浜の新聞をあげまして、県庁の管理現定が制定せられているということを具体的な例として取り上げられ、さらにまた将来この立法によって効力を発生するならば、やがてそれは各県の持つところの公安条例の中における威力を発揮するような方向にいくだろうということを申されましたが、そういう想定をするとすれば、さらに一段と想定を深めていきますと、この立法によって、デモ一般、あるいは表現活動の一般の規制につながっていくではないかということが想定されるわけです。そうすると、憲法の二十一条というようなものが全く空文化していくというおそれを非常に心配するわけなんでございますが、この点について、そういう論法からいきますと、明らかにこれは治安関係の性格を持つ立法のように私としては思うわけでございますが、この点についての御解明をいただきたいと思うわけでございます。
  100. 菅原裕

    公述人(菅原裕君) お答えいたします。私は先ほど答えましたように、国会審議確保するためには、当然私の考えておりますような、現に英米あるいは西独で行なわれているような程度の法制の整備が必要であると、かねて考えておったのであります。たまたま昨年全学連の問題が起こりましたために、必ずしもそれによってとは申しませんけれども、それを誘因として本案の御提案ができたということは、私は当然あるべきものがそこにあったという感じを持つものでありまして、この意味から言えば、全学連のやったことは、まことにけがの功名になったような観を呈するということを申し上げたのであります。保守政党であるところの岸さんのもとにおいてこれができたからどうというようなことを特に申し上げたわけではありません。それから戦争のあったことを想起してというお話がございましたけれども、これは本質上、国会の治安というものは、そうしたことのあるなしにかかわらず、組織として、先ほど申し上げましたように、こういうりっぱな建物があると同時に、それを中心として動かしていくところの人を守るルールというものの整備が必ずなければならぬ。それで、別に戦争があるとかないとかというような問題ではなくして、とにかくそういうものが整備されてあれば、最近のようにだんだん大衆行動というものが激化して参りまするというと、将来どういうふうに発展するかもわからないという不安を国民ひとしく持っているところであります。これに対して国会をいかに守るかということは当然考えられなければならぬ問題であると思うのであります。  なお、この法案が治安的立法であるかどうかというような御質問でありますが、もちろん法案の内容から申しますれば、治安条項も含んでいると私は思うのであります。しかしながら全然否定はいたしませんけれども、いずれが重大であるかということになれば、これはやはり大体委員会でおとりになっているように、議長の権限に関する国会法の性格を持つというふうに御解釈になっても一向差しつかえないのじゃないかと思うのであります。
  101. 佐藤忠夫

    公述人佐藤忠夫君) 先にお話いたしましたように、やはり受ける方もなす方もお互いに——ということは、あまり美しい論になりますけれども、それでフランスとかイギリス、それからアメリカですか、国会周辺関係の法律は、自治法とか、あるいは普通法で制定されておるように思われますが、今のところ、日本では都条例だけで押えられておる。まあ国会法は別にあるのですけれども。それで、都条例であるということは、非常に組みしやすしと考えられることもあると、そういう点から、普通法でもってこれを制定すると、そういうような点じゃないかと思われます。  治安立法であるという点につきましては、やはり治安を含んだ立法であるということであり、ただ、最初に申しましたように、その議長要請の点とか、そういう点におきましては、やはり受ける側、なす側がお互いに同じ国民であると、そういうような観点に立ってこの法律を運営していただきたいと、そういうような心であります。
  102. 沼田稲次郎

    公述人沼田稲次郎君) 先ほど、神奈川県の県庁管理規則ができたとは、私は申さなかったはずでありますが、ただ、成案済みで、今月中にも実施されるというふうに見られておるという報道であります。そこで、今これがもし法律化されると、地方公安条例の運用においても、この線に沿うた運用がなされる可能性が出てくるだろう。それで、そういうことが、ひいてはやがて表現の自由一般に対して押えつけるという可能性にまで発展するのではないだろうか、こういう御質問であったと思います。それは、もちろん政治というものは生きものでございますので、これが出たらすぐそうなるとばかりも言えないのですが、ただ、私、しまいにはマスコミ規制までいくかもしれませんといって心配しましたのは、ここでのデモというものに対するとらまえ方が、民主主義の中における基本的な慣行としてとらえてきたのに対して、従って、このデモによって表明せられた意思というものは、これを多数党もやはり聞きながら政治をやるべきものだと、こういうふうな考え方とだんだん変わってきておる。つまり、何かデモというものは、その点では十一月二十何日かの事件がきっかけになったというのは、また、きっかけにしたということでありましょうが、これはどうもデモ一般が非常に危険なものだと、そうして、何をやらかすかわからない、ちょうど戦前におけるような不穏なものだと、戦前は、何か国民が何人か集まって戦争の話なんかしておったら、もうすぐ憲兵隊が眼を光らせた。戦争中なんかそうであります。そういうところまではなかなかいかぬにせよ、ともかくも何か不穏なものだという印象を与えているところに、この法律が持ち出されてきておる。くしくも、菅原さんが、全学連はけがの功名だとおっしゃったのですが、このけがの功名こそが、立法のときにはよほど考えなければいけないので、今の全学連の事件とかりに言っておきますけれども、あれがデモ一般の姿だと言わぬばかりの形で立法されていくことが非常に危険だ。そうして、そこにいわば、国民行動についてのとらまえ方が、政治的な観念が移り行く可能性を持っておる。その移り行く可能性は、これはやはり戦後十五年を振り返ってみましても、いろいろ変わってきておるわけで、今ではもう公務員がストライキを起こさないのはあたりまえだと思っている人もかなりあるのでしょうが、戦争直後は、やるのがあたりまえだと思っておったのです。そのほか申すといろいろありましょうが、要するに、政治的な考え方が変わってくるということがここで確立しますと、どんどんとその方向へ行く可能性はやはり含まれるのではないか。もちろん、どういう仕組みでいくか。これはやはり政治は生きものですし、政治がどのくらいこれに対応して活動なさるかにかかることでありましょうから、にわかに断定はできませんけれども、まあ法律というものは、できるときにはなるべく慎重に、ことに国民の基本的人権にかかるような法律である場合には、ことさらに慎重を要するのではなかろうかということで、先ほどそういうふうに申し上げたわけであります。
  103. 徳永正利

    ○徳永正利君 もう時間もだいぶたちましたから、私はごく簡単にお尋ねいたしますから、お答えもごく簡単にお願いを申し上げます。  第一点は、杉村先生にお願いいたしたいのでありますが、先ほど菅原先生から、この法案は非常に遠慮した法案であるというようなお話があったのでございます。この国会開会中に国会周辺デモ禁止区域法律で設けて、そうやったらどうかというようなお話もあったのでございますが、これはまあアメリカイギリス、西ドイツ等がやっているのでございますけれども、この点について、憲法上差しつかえはないものか、これをちょっとお伺いしたい。  さらに、沼田先生にお伺いいたしますが、昨年の十一月二十七日の事件は、国民の不満の現われで、これを根拠にこの法律を持ってくるということは考えものだというような御意見は、よくわかったのでありますが、昨年の十一月二十七日の事件は、国民の一つのそういうような現われとして、そうしてたまたま勢いのおもむくところ、ああいうような事件を起こした。この事件は、現在の時点としてまあやむを得ぬことだというふうにお考えになるかどうか、その点を一つお伺いいたします。
  104. 杉村敏正

    公述人(杉村敏正君) 今のお尋ねは、法律デモ禁止区域を作っても違憲じゃないかということでございましたが、これはわれわれが合憲か違憲かを考えます場合には、公安条例の場合もそうでありましたように、現実にそれがどのように、どの程度に行なわれているかという点から解決ができるわけでありまして、ですから、その点から、たとえば法律でこの国会周辺道路について全面的に禁止をするということが違憲でない事態もあり得ると、こう思います。それは、さきに申し上げましたデモ本来の目的——だからそれが、基本的人権としてになっている使命を初めから無視して行なわれるというふうなデモが行なわれ、そうして実際に国会審議ができないという事実があれば、それは当然合憲であろうと思います。ですから、この点は、今までの過去の経験から見て、そうしてまた、先ほどから沼田先生もたびたびおっしゃいましたように、デモというものが、本来国民として行なわれるべきものであり、またある意味では行なうべきものであるという立場に立って、今それをこのような状態で全面的に禁止するということは、私はおそらく憲法に違反するだろうというふうに考えております。
  105. 沼田稲次郎

    公述人沼田稲次郎君) どうも今の御質問は、私自身、どういう事情で、どういう背景で起こったのか知らぬのです。それで、いろいろの事件について、どうだったかという評価をさせられても、ちょっとこれはよくわからぬのですけれども、ただ、何らかのデモが起こるべくして起こったであろうということは、私はかなり必然的であったと思います。というのは、先ほどもちょっと触れましたけれども、国民はまだ言いたいことは一ぱいあったと思います。言いたいことは一ぱいあったが、それは、十分に至るところで公聴会運動でも展開するとか、何かそういう運動でもどんどん出てくれば、あるいはどうだったかと思いますが、まあとにかくデモ自体は必然的であったと思います。それだからといって、ああいう形になっていくのについて、なだれ込むという形が、これよりほか仕方がなかったかどうかということになると、これはちょっと、私よりも総指揮をとった人に聞かれるよりほか仕方がないように思います。これはやはり力学的なものでございますから、ちょっと私その点までわかりかねます。
  106. 向井長年

    ○向井長年君 沼田先生に最後に一点だけお聞きしたいのですけれども、今言われた十一月二十七日のデモについては、国民の批判なり、あるいはまたこれに対する批評でもう済んでおるじゃないかと、こういうようなお話ですね。いわゆる国民の批判において今後再び起こらぬような形をとるべきであろうと、こういうことを言われておるのですが、私も全く同感です。そこで、特に十一月二十七日の問題については、いわゆる全学連を中心にしたデモ、国民の批判を強くしたものは、やはり衆議院の議運におきまして、この問題を大きく取り上げられて、そして議長が総指揮者に対する懲罰問題であるとか、あるいはまたいわゆる管轄の責任にある議長が辞任をするとか、こういう問題が中心になって、この問題は一応辞任されて議長がかわっております。あるいは懲罰問題が議長職権で懲罰委員会に付せられております。こういうことが、やはり大きく国民のあの事件に対する、将来なくするゆえんのものになったと思うのです。これは私たちもそういうふうに感じておるのですが、そこで、同じ国会のいわゆる責任を分割しなければならぬところの参議院の議長は、これに対して、実に何と申しますか、涼しい顔をしております。従って、この問題については非常に責任の痛感が薄いわけです。あるいはまたそれに対する措置が、その当時の措置も十分ではなかった、こうわれわれは考えておるのですが、こういう問題について先生は、今後国民が再びこういう形を誤って起さないためには、そういう措置が最も必要であろう。特に衆議院におきましては、そういうことをやられましたが、参議院においてもそうあるべきだ、こう考えられるかどうか、この点を明確にお伺いいたします。
  107. 沼田稲次郎

    公述人沼田稲次郎君) その辺のことは、私に聞かれてもよう答えません。大体それは議会の良識に待つ問題なので、そういうことについても、法律上どうかという問い方ではなくて、そういうことについても良識上どうかという問い方をする考え方で、私はデモなんかのコントロールについても眺めてもらいたい。法律上押えるというような考え方じゃなくて、これをもっとやはり良識の中でこなしていくという考え方で、私は議会周辺における国民の行動についてもやはり貫徹していただきたいし、議会の中においても貫徹していただきたいというふうに、これは一国民として申し上げます。もちろん法律の専門家としては、とうていわからないのであります。
  108. 占部秀男

    ○占部秀男君 杉村先生にちょっと一点だけ簡潔にお伺いしたいのですが、罰則の七、八条のところなんですけれども、これは御存じのように、都の公安条例の場合、その他の場合、あるいは刑法的な場合よりも罰則が重くなっておると思うのですが、そこで第八条では「集団示威運動等の威力を用いて国会議員の」云々ということが書いてある。ところが第七条ではそういう点は書かれてなくて、「正当理由がないのに、その集団示威運動等の参加者等で他人を指揮し、又は他人率先して国会議事堂又はその構内に侵入したものは、」と、こういうことになっている。そこで第八条の場合には、集団示威運動そのものを用いてということですから、これは私は別にしたいのですけれども、第七条の場合には、集団運動が、たとえば、かりに農家の方が来られた場合、労働者の方が来られた場合でも、平穏にこうやっていても、その中から一人か二人が飛び出して構内に入る、こういうことになれば、ここにあるような、「五年以下の徴役又は五万円以下の罰金」ということに、やはりこの規定によればならざるを得ないのじゃないかという気がするのですが、その点はいかがでございますか。
  109. 杉村敏正

    公述人(杉村敏正君) 第八条の方は、「集団示威運動等の威力を用いて」というので、これは刑法でいう威力で業務を妨害する、その威力を、今度は集団示威運動などでつけたわけですから、これは新たな形の規定です。それに対しまして第七条の方は、他人を指揮し、または他人に率先して侵入するのですから、住居侵入罪を加重しておるのだと思います。
  110. 占部秀男

    ○占部秀男君 ですから私の言うことはデモに参加しておるけれどもデモそれ自体とは別に、デモの中から一人か二人飛び出した場合にも適用される結果になるのじゃないか。デモは平穏に行なわれておる、集団示威運動は平穏に行なわれておる、その中から一人か二人飛び出して構内へ入れば、もうその罰則規定にかかるのじゃないか。そこが六条と七条の違いじゃないか、こういうような点なんですが。
  111. 杉村敏正

    公述人(杉村敏正君) ですから、第七条の場合には、もちろん一人か二人といいましても、他人を指揮して、率先してというふうな要件があり、しかも侵入する、これはもちろん正当な理由がなくて、たとえば火事とか何とかという場合は、もちろん問題外でございますけれども、やはり正当な理由がないということが必要なんで、その場合に、そのデモそのものは平穏であっても、若干の者が形の上に他人を指揮あるいは他人に率先して侵入するということがあれば、当然これに該当すると思います。
  112. 高橋進太郎

    委員長高橋進太郎君) これにて公聴会を終了いたします。  公述人方々は、長時間にわたり該博な御意見をお述べいただきまして、今後の法案審議に多大の参考になりましたことを、ここに厚くお礼を申し上げます。  それでは、これにて散会いたします。    午後五時十七分散会